2019年9月16日月曜日

令和元年9月第三月曜日の連絡

幾つかご連絡がございます。
第一にブロガー版でも円滑にドリアン長野の海外旅行記並びにマラソンの記録を楽しめるようにしました。改善が必要な部分は多々あるかやもしれませんが趣味の領域ですのでご了解下さい。ブロガー上においての画像の投稿については後に行います。周知のように随分前の記録ですのでお気楽に参考程度にお読みいただけると幸いです。
第二はマザーテレサボットが利用不可に至ったので
マザーテレサ映画祭に切り替えました。
仕方ありません。
(来月からの紹介はマザーテレサ映画祭に変更)
第三は旅を楽しんで下さい。余談かもしれませんが旅行商品は海外旅行ばかりか国内旅行の価格競争が激化してますので金額的に大差が無いこともございますので見積りや精査はしましょう。
第四ですが、ドリアン長野は平日にフェイスブック上(以下FB)で投稿しても土日祝祭日は投稿しなかったのでその時に推奨したいホームページを紹介してました。
2019年からFBばかりかアメーバブログ(以下AB)でも投稿してます。gooブログでは60日に一回以上の投稿が求められてますが考えた結果、投稿回数を減らす事にしました。転載の回数を削減し紹介と連絡の
投稿でもブログとして成立しますので月に2回以上は投稿する予定です。(一方、ブロガーは自由です)
紹介だけだと新規性が無いかもしれませんがドリアン長野はFBとABにおいて新規投稿してるので代替出来てます。ただ、FBの投稿の転載は余程でない限りは今年の大晦日で終了しようかと考えてます。

個人的になんですが、平成30年(2018年)だけで4回訃報が我が家にもたらされました。
こういった、前例がございまして投稿回数の削減は
仕方ありません。


平成30年(2018年)以前にドリアン長野が旅した海外旅行記です。 最近、当ホームページを閲覧された方は ブロガー版ドリアン長野の海外旅行記のリンク集を閲覧してもらえると幸いです。
経年もあり海外で状況が変化したがゆえに現状と異なる部分は多くございますので皆様に影響を与える事が出来ても責任は取れませんので、 もしも海外旅行に行かれるなら訪問先の最新情報を得て可能な限り安全な選択をして下さい。
又、マラソンについてのエッセイも整理整頓しました。
ブロガー版 ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

facebook.com/durian.nagano
もし、ドリアン長野が投稿した内容全てを知りたければフェイスブックで友達申請をした後にご確認ください。
2019年四月一日からはドリアン長野から依頼を受けるか特別な投稿でない限りは転載を控えます。
外国に行ったから海外の町について語れるという利点は存在し街中で外国人に出会った時に「あなたの母国に行ってきた。」 と発言が行えるかどうかの差異は大きい。過去と違って治安が悪化したり何らかの激変があるので各自で最新情報を得た上で海外旅行して もらいたいです。我々では海外旅行に行くか否かの相談は行えません。理由は各自で責任を持って決断する範疇だからです。
財政難が深刻化してるので日本を出国する時に出国税が平成31年(2019年)1月七日より課税されるようになりました。 海外旅行中の人に対しフェイスブックのタイムラインにワザワザ毎日書き込み詰問することが無いようにしましょう。 なぜなら、安全に関わるからです。
令和からは アメーバブログ版ドリアン長野でもお楽しみ下さい。
敬具 管理人 マーキュリーマーク

2019年9月14日土曜日

ブロガー版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集


順不同。 
2010年(平成22年)以前に旅した海外旅行記です。

実質的に完了した海外旅行記【夏が来れば思い出す】
タイランド(バンコク)
ドリアン長野にとって最も気に入ってる街のようです。平成19年の年末から平成20年始に行われたドリアン長野の新婚旅行はタイランド旅行でした。
皆様、国の内外を問わずプールを利用する前には準備運動はちゃんとしましょう。
私にとって最も驚いたのは7月22日ロータリーというものがタイランドに存在してることでした。
情け無いと思ったのはホテルに設置されてたセイコーの小さい置時計を日本に持ち帰ったから
クレジットカードを通じて2000バーツ請求されたことです。2000バーツは日本円に換算しておよそ¥7000です。¥2000未満の支払いで私はセイコーの小さい置時計を地元のお店で買いました。それに私がカナダ旅行した時のデポジットは為替差損は別としても帰国してから15日後に全額 (300カナダドル)返金されました。
ドリアン長野のタイランド旅行記

ドリアン長野のほぼエッセイですがマレーシア旅行記

マレーシア(クアラルンプール)
ドリアン長野にしたら、恐らく冷静に過ごせたから半ばほぼ唯一のエッセイになったかもしれません。旅行中の食事が楽しめると喜ばしいですね。
食品アレルギーもあるだろうから第三者に何等かの食品を食べることを強要しないようにしましょう。

ドリアン長野のニューヨーク旅行記
米国 ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州
ドリアン長野が平成初期に旅行した時は日本からニューヨークへの直行便を利用することが出来なかったのでミシガン州のデトロイトを経由してからニューヨーク州並びに(ニューヨーク州に隣接
してる)ニュージャージー州に赴いたそうです。
ニューヨークの地下鉄の料金や支払い方法は過去(平成初期)と現在(令和以降)とでは大きく変化したと言われてるので、利用されるなら各自で最新情報を得て対応して下さい。

ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記
米国(ロサンゼルス)とメキシコ(ティフアナ)、
ドリアン長野はロサンゼルスからティフアナに陸路で赴いたそうです。
ロサンゼルスでは友人と再会が行えたのは良かったようですが$100の寄付金を求められたこともあって楽しめなかったそうです。
ティフアナが好きな日本人旅行者は一旦、路線が存在するとされてる上海浦東国際空港(IATA:PVG)を経由してからヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港(*1)に赴くのでしょうか?
中国並びにメキシコの行き来の為に用意されてるかもしれない。
(*1)ヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港はメキシコのバハ・カリフォルニア州
ティフアナに存在する国際空港で通称はティフアナ国際空港でIATAはTIJ。

ドリアン長野のミャンマー旅行記

ミャンマー(モン州、ヤンゴン)
ドリアン長野は2006年にミャンマーを旅しました。その翌年(2007年)に、ミャンマー
反政府デモを取材中の日本人が殺害されました。
私は2015年にカナダのブリティッシュコロンビア州を旅しました。その翌年(2016年)に
ブリティッシュコロンビア州で在外邦人が殺害されました。
海外旅行されることについて妨害はしませんが安全を考えて行動してください。
間違えてもフェイスブックを通じて海外旅行中の人物に対し毎日詰問することは犯罪者への連絡
につながるから日本に住んでる人はそういった行動はしないようにしてください。
それが目的の日本人がいたら公共の敵として社会的制裁を与え糾弾すべきです。
この部分については議論の余地はありません。公共の敵であるストーカーは海外旅行中の人に対してユスリを目的に詰問する恐れがございます。

ドリアン長野の北京旅行記
中国(北京)
ドリアン長野は北京で理髪してもらったそうです。言葉が通じない外国で理髪してもらうより日本で散髪してもらう方が良いと思います。
海外旅行の前に海外旅行案内書を一冊以上は読んでおくと名店や名所等で楽しめると私は思います。
周知されてますが周りきれない位に名店や名所等は紹介されてるからそれを参考に訪問や利用される人々は多いに違いありません。
間違えても頼まれてないにも関わらずフェイスブックを通じて毎日、詰問するような邪魔はしない
ようにしましょう。
こういった批判を受けたくなかったら始めから悪事をしないように生活してほしいが日本人の悪人はユスリや海外の犯罪者への連絡が目的で悪事をやらかすようです。

ドリアン長野の上海旅行記
中国(上海)
ドリアン長野は平成15年以前だけでなく平成16年の年末から平成17年の年始に上海に行きました。従って、2種類の上海旅行記が存在してます。
到着した空港から離れる為にタクシーを利用するかバスを利用するかで悩む人はいるかもしれませんが上海虹橋国際空港ばかりか上海浦東国際空港では平成20年代に空港連絡鉄道が利用出来るようになったから幾分は安心してる人はおられるかもしれません。
前述しましたがドリアン長野は平成十年代に上海に行きました。現在の航空路線の詳細は各自で調べてもらいたいのですが平成十年代には関空(KIX)から上海虹橋国際空港への路線が存在してたようですが平成20年代に関空(KIX)から上海浦東国際空港の路線に切り替わったようです。
上海では平成20年代から利用出来るようになった空港連絡鉄道は平成十年代には利用出来なかったんです。
余談かもしれませんが、ある機会があって驚きました。関西国際空港の略称は関空で近畿では知られてるが関東の人にしたら関空という言葉を知らないそうです。
下手すると空港連絡鉄道として有名な南海のラピートもご存知ないかもしれない。ちなみに関空のIATAの空港コードがKIXである部分は空港に詳しい人は周知されてます。
何等かの提案をしたならば、肯定された場合と否定された場合の二種類を想定しないといけません。良い意味で論破することはございますし想定外の返答は有り得ます。
しかしながら、ある程度は余裕を持って予約や支払いをするようにしましょう。
パスポートを所得するにも長期間必要なばかりか幾つかの日本国内の街を訪問せざるを得ませんでした。
私は旅のおよそ二ヶ月前に予約をしたばかりか支払いを海外旅行代理店で済ませました。
それからおよそ一ヵ月後に海外旅行代理店から必要な書類が郵送されました。
外貨も可能であれば日本国内で用意されることを提案します。
ダメだしや馬鹿げた提案だけを喜ぶのは良くありません。実際にその国へ赴くと気に入ることはございますし海外の町について語れる利点は大きいです。
私は14カ国は赴いたドリアン長野とは違って今までに一度カナダのブリティッシュコロンビア州に赴いただけです。試練はございましたが、楽しめました。
海外旅行中に非常識な人物や無礼者に出会って困る事があるばかりかフェイスブックを通じて日本人のストーカーから毎日詰問されて大変困りました。
平成20年代から発生してる海外旅行の問題はフェイスブック等のSNSを通じて不必要な連絡を大量に毎日する人がいるという部分です。
親睦を深めるよりも亀裂を深める発言が多かったので否定する必要がございました。
もし、ブロックしても別人からブロック解除の連絡があるかもしれません。その時は事情を説明しましょう。皆様も海外旅行は警戒して楽しんでください。

ドリアン長野の香港旅行記
香港
ドリアン長野は香港のお店で過剰請求されたので皆様も国の内外を問わず過剰請求には警戒してください。
腕時計ですが正規品を日本で買う事を推奨します。仮に海外で腕時計を買うとしてもスイス製の高級時計(スイス国鉄の時計みたいなモンディーンも含むか?)、
カナダでタイメックス(光るから好きな人は多い)そしてタイランドで製造されてるカシオの腕時計をタイランドで買うならまだしもそれら以外は個人的には推奨しません。実際の所、海外だけで販売されてる腕時計が日本国内で逆輸入されて売られてもいますが海外で購入した人もおられるかもしれません。
又、自由意志は尊重しますが日本時間と現地時間が分かる腕時計を2個用意することを提案します。
日本とカナダのバンクーバーの時差が16時間(冬時間は17時間)だったので日本の午後11時はカナダの朝食の時間(午前7時)ですので私がカナダ旅行した時には役立ちました。
6+17=23 7+16=23
旅行中に現地でサマータイムの切り替えが行われることを考慮してあえて、アナログ式の腕時計を
用意するのも悪くない決断だと思います。
法制度の変更が原因で混乱が発生してるの各自で最新情報を得てください。

ドリアン長野の台湾旅行記
台湾(台北)
ドリアン長野が台北旅行中に深刻で同情するような悲しい事件が発生して混乱してたそうです。本当に辛いですね。
平和や治安の改善は万人が求めてます。しかし、日本と海外では大違いに至ることがあるようです

ドリアン長野のインド旅行記
インド(西ベンガル州、デリー、ベナレス)
ドリアン長野の海外旅行記の中で唯一の昭和の旅行記です。インド旅行中に病気に至ったので予算や薬は多めに用意しておきましょう。関連するようですが海外旅行保険の加入は必須です。 https://kaigairyokouhoken.com/
このインド旅行記を読むと空港を後にしてからホテルに行く場合は自己責任で行く方が良いように思えます。
昭和の時代ばかりか2010年代になっても国際空港では客を待ってるホテル関係者がおられるようです。 https://youtu.be/IYCmlCSWb5E

ドリアン長野のカンボジア旅行記
カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)
ドリアン長野はカンボジア旅行中に病気に至ってから帰宅し所持金が¥1133でしたので予算や薬は多めに用意しておきましょう。関連するようですが海外旅行保険の加入は必須です。 https://kaigairyokouhoken.com/
カンボジア旅行中の病気が原因で大学中退したそうです。大学の方針で学生に対し海外留学が義務付けられてる場合もあるようですそういった場合は別としても学生は勉強が本分です。半ば、周知されてますがポル・ポトが行った悪事は本当に酷かったそうです。

ドリアン長野のフィリピン旅行記

フィリピン(マニラ)
ドリアン長野はフィリピンで無意味なお金を支払ったかもしれません。不正請求されたなら断る人も世の中にはおります。理由は強要や搾取をされたくないからです。
人によって意見が大別されるかもしれませんが海外旅行記と海外旅行案内書は別口だと考える人々もおられるやもしれません。
海外の社会問題について述べた書籍が海外旅行記だとしたら、治安が悪い街については明確に接近しないように伝達してるのが海外旅行案内書と考えることも可能です。
私は意図的に治安が悪い街に行くことについては皆様に対し妨害はしませんが推奨もしません。実際に海外旅行中に被害に至った日本人は多いです。

ドリアン長野のネパール旅行記
ネパール(カトマンズ)
ドリアン長野はネパールで空手をして楽しかったそうです。国際的な団体に所属すると海外においても友人達が簡単に出来ることがありますね。
ネパール国内で開催される空手の試合の為に滞在期間の延長を依頼されたそうですが日本での立場を考えて断ったのは当然でした。
ネパールの食堂では食事が出来上がる迄に1時間待たないといけないそうです。

ドリアン長野のベトナム旅行記 
ベトナム(ホーチミン)
ドリアン長野はディスコが好きらしく社会主義国ということもあって午後11時迄の営業時間ながら楽しんできたそうです。
1980年代を過ぎてからのベトナムは戦争中とは大違いのようです。

ドリアン長野の英国旅行記
英国(ロンドン)
ドリアン長野は70年代のパンクスがいるかと思って90年代に赴いたらいなかったばかりか道に迷ったらしく皆様も気をつけてください。
90年代は平成20年代や令和と違ってスマホもタブレットも無かったので良くて地図を見て現在地を確認する程度でした。

海外旅行の予定がある人並びに関連する人を対象に伝達します。
海外旅行案内書を一冊は読んだ上で旅を楽しんで下さい。名店や名所だけに関心するだけでなく現地情報も得られます。私は皆様に対し危険地帯に行く事は推奨出来ません。
外務省海外安全ホームページでも危険情報は発表されてますので旅立つ前に各自でお調べ下さい。ドリアン長野はカンボジア旅行中に病気に至ってから帰宅して所持金が¥1133でしたので予算や薬は多めに用意しておきましょう。関連するようですが海外旅行保険の加入は必須です。
https://www.kaigaihoken.jp/
頼まれて無いのに海外旅行中の人に対しフェイスブックのタイムラインに毎日詰問することが無いようにしましょう。ユスリが目的なのかもしれませんがストーカー行為であり旅人の安全に関わるからです。
ドリアン長野のカンボジア旅行記の抜粋
出国審査を終えるともう外国の通貨は必要ない。手持ちのお金を日本円に換金し、この時点で所持金が1000円と9ドルと5・5バーツ。なんとか帰国して自宅にたどり着いた時の所持金は1133円だった。昔、「がっちり買いまショー」というテレビ番組があったが(知ってるか?)、その海外版があったとしたらわしの優勝やあ~っ!



付加


ドリアン長野は平成25年に作成した冒頭の「夏が来れば思い出す」を除外し平成十年代にgoo簡単ホームページ上においてほぼ勢いだけで海外旅行記等を投稿しました。順番が乱雑であったので整理整頓が必要でした。
皆様、ブロガーでは長文の投稿が一回で行えるのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
 海外旅行中は多忙であるばかりか時差ボケで苦しんでる人もいるので安全対策の観点からもフェイスブック等を通じて海外旅行中の人に詰問をすることが無いようにしましょう。日本語が分かるからって頼んでもないのに過剰な干渉をすることはテロ対策の観点からも大きな間違いです。
影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。皆さん、経年による変化はどこの国でも起こりえます。
もし、海外旅行に行かれるなら訪問先の最新情報を得て可能な限り安全な選択をして下さい。
 
私は平成27年10月にカナダのブリティッシュ
コロンビア州へ旅してきた後で、画像と動画を付加して海外旅行記を発表しました。これで「海外旅行に一回も行った事が無い人が海外旅行記のブログの管理人をしてる。」と公共の敵から誹謗をかねた批判がなされることはなくなったが、旅行中に狂人からフェイスブックを通じて詰問され旅の楽しみが半減させられました。嫌がらせをする人はいつまでも嫌がらせをするから関われない。そういう訳で不利益しか作り出せないから相手に出来ないとも言えます。親睦を深めるよりも亀裂を深める連絡が多くて閉口した。せめて、加害者は被害者を偽装しないでもらいたかった。やってはいけない自由妨害や人権侵害といった概念が欠落した上で迷惑行為は辞めるようにしましょう。資本関係が無い無関係な人が詰問すること自体が悪い意味で暇人であることを証明してるし、ユスリ等が目的であったように感じさせます。

 私がカナダ旅行記を発表してから考えることがございました。
 ~海外政府が行った方針の変更~
 第一に、「過去およそ10年(*1)の変化について、皆様に連絡をしないよりもした方が良いのでは?」と考えました。ま、平成29年度には平成30年1月から3月が含まれてるのは日本人であればご理解してもらえると思います。
内政干渉はしないがメキシコと米国の間に壁を作る計画を発表したトランプ政権と同じ位に、平成19年にジャーナリストの長井健司さんが殺害されたばかりか、平成29年の夏に混乱を作り出したミャンマー軍事政権には問題があるように思える人は多いのではなかろうか?
*1 2007年から2017年。言い換えると平成19年から平成29年。将来的にはこの部分も過去の出来事になります。
ジャーナリストの長井健司さん射殺から10年 ミャンマー



メキシコ国境の壁 試作品が完成 デザインいろいろ


 ~私自身、海外旅行したので理解が深まりました~  
第二は実際に私がカナダ旅行してきて海外旅行について理解が行えた部分は小さくなかったです。まるで「千の言葉よりも一の実行。」です。国内旅行だけでは理解が難しい部分はございました。日本語が喋れる人でも善人もいて好感したばかりか困った時に助けられましたので感謝してますが批判せざるを得ない悪人もいましたが概ね私はカナダ旅行を楽しめました。
ドリアン長野はタイランドのバンコクが好きで、私はカナダのバンクーバー(ブリティッシュコロンビア州)が好きになりました。


 ~順不同であったので整理整頓の実施~  
第三に、ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで投稿してたことから(とても乱雑な)順不同であったので整理整頓は絶対必要でした。恣意的ではなく実体験したことを発表したのは良いが、国毎ないしは範疇毎に区分けしたいとは思いました。
メキシコ旅行記のように米国に行った後でメキシコに行った例外的な旅行記の前例は否定しないが国毎ないしは範疇毎に分割しないと円滑に楽しめません。周知のように同じ国でも訪問した町が違うと全く違う旅行記になります。一例を示すと、上海旅行記と北京旅行記は全く違います。又、誤解のないように明確化しますが皆さんに対して一回の海外旅行で複数国(二か国以上)に訪問することについては一切妨害しませんし否定もしません。
繰り返すようだが、悪い意味で順不同だったので整理整頓による改善は絶対必要でしたしブロガー上では長文の投稿が行える利点は大きかったです。
これら三点については考慮し感想に反映させました。
ドリアン長野が2010年(平成22年)以前に世界を旅した14か国(香港と中国は別口)の海外旅行記ですので現状とは異なる部分があるかと思いますがお楽しみ下さい。

管理人マーキュリーマーク 敬具 令和元年9月

オマケ
半ば、余談かもしれませんがドリアン長野の海外旅行記は実体験したから執筆が行えました。厳しいとは思われたくないばかりかドリアン長野の海外旅行記の内容とは(ある意味)無関係なんですが、ある旅行記を読んだ時に否定的に感じたことがございました。旅行記であるにも関わらず理想と現実に大きな乖離があることについて大げさに語ることが好きな人は現地の状況について明確に伝えていないように感じられるから問題があり旅行記を執筆する作家としての実力を満たしていないから否定的に感じることもございました。そういった点とは無関係である部分は佳作です。時には期待外れ等の否定的な意見を述べることは仕方ないかもしれないが、良かった部分も執筆されないと作品並びに作家の標準について懐疑する人は多いであろう。なぜならば、否定的な考えや恣意的な意見を優先するのではなく肯定的な部分や現実を知りたい人は多いに違いない。羞恥心が無いがゆえに恣意的な意見を優先する人に問題があることは周知されてます。













































やっぱり走るのは苦しいけど楽しい

走り始めて半年、自分の実力を測りたくなった。フルマラソンは無理だが、友人の勧めで堺シティマラソン男女混合55歳以上10キロのマスターズランに出ることに。当日出場者の多さに驚いた。仁徳天皇陵を周回するコースなのだが、アップダウンが適度にあり、きつかった。 優勝者は堺マラソン初参加、55歳で34分という驚異的なタイム。走り始めて30年、東京マラソンでも2時間39分というタイムだったそうである。直後に行われた一般の優勝者が32分というタイムなので、どれほど速いかがわかる。ちなみに信太山駐屯地の陸上自衛隊員だそうだ。 自分は55分でした。最初は優勝してやる!と思い違いしていた自分、小さいです。(ー ー;) でも、やっぱり走るのは苦しいけど楽しい。 2016-04-29

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

ご連絡
ドリアン長野は海外旅行ばかりかマラソンも行いました。マラソンの記録についてこの場でまとめます。
私は海外旅行はしましたが、マラソンについては行う気はありません。
追記 
平成30年12月31日迄に行われたマラソンの記録のみ転載とさせていただきます。

平成31年1月某日
管理人 マーキュリーマーク

平成28年に参加した福知山マラソン

サブスリーとはフルマラソン(42.195km)を3時間以内で走るという意味だそうです。特別にサブスリーについてのホームページも紹介します。



やっぱり走るのは苦しいけど楽しい

平成30年に参加した福知山マラソン

付加
ブロガー版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

特別に以下のエッセイを転載します。
平成30年9月「カラテとマラソン」
関空が再開し、大阪城公園にもインバウンドが戻ってきた。早朝の秋は最高だ。
走ると、 血行がよくなる
食品添加物や薬品などの有害物質が汗によって排出される
骨密度が高められる

何よりも爽快感により、精神的に充足感が得られる。
しかし、少なくとも自分にとって走ることはスポーツというよりも武道の稽古に近い。
42.195キロという途方もない距離を何時間も無酸素で運動し続けるスポーツというのはあまりない。近いところで言えば、カラテの黒帯のみが参加を許される延々と続く黒帯研究会(帯研)の稽古か、昇段試験受審の際の連続組手か。

梶原一騎原作の「ボディーガード牙」に確かこんな台詞があった。
http://amzn.asia/d/1KiB9DG
「カラテというと一見派手で、一撃で相手がバタバタ倒れるっていうイメージがあるが、それに到達するには地味な稽古の積み重ね、何千何万という嫌になるほどの反復練習の繰り返しでやっと人様は倒れてくれる」

二年ぶりのフルマラソンまであと二か月だ。二年前の初マラソンでは4時間59分で泣く泣く完走できた。今回は完走できるのか自信はない。楽しみよりも怖さの方が勝る。
昨日娘との会話。

「二年ぶりにマラソンを走るねん。一万人くらいと走るよ」
「パパ、勝ったの?」
「勝つとか負けるとかはないなあ。まあ、最後まであきらめずに走ったら自分に勝ったことになるかな」
「最後まで走った?」
「うん、走った。相手に勝つんじゃなくて自分に勝ったことになるかな」
「今度も勝てればいいね」
「うん」
完走したからといって、何が変わるというわけではないけど、でも勝ちたい。
自分に勝つ、か。

高橋尚子は尊敬するランナーだけど、その記録以上に尊敬することがある。
彼女は現役時代、体幹をブレないようにするために腹筋と背筋運動を毎日二千回続けたそうだ。時間を置くと嫌になるので、走った後にすぐに500回を4セット始めたそうだ。
楽しいからではなく、「嫌になるから」それでも「毎日続ける」。
スポーツは楽しむことが第一義的な目的である。しかし武道の第一義的な目的は別なところにある。

2019年9月10日火曜日

ドリアン長野の上海旅行記


長編ですがアンカータグは以下の3種類とさせていただきます。

上海日記 1日目 上海日記 6日目 上海日記 最終日

ドリアン長野の上海旅行記
#23 飛んで上海 at 2003 10/31 19:02
 出発前から中国だった。関空に着いたら、いきなり飛行機が2時間の延着だ。仕方なく待っていたら今度は変更(って?)ということで更に1時間待ち。中国国際航空に乗るはずだった我々はなぜか中国東方航空機に乗せられ、予定より3時間10分遅れでやっと飛び立った。機内放送ではそのことについては一切触れられることはなかった。やるな、中国。さすが豪放磊落、天衣無縫、質実剛健の中国人だ。少しぐらい遅れたからって、四の五の言うんじゃねえよ、墜落するわけじゃあるめえしよ、という態度に私は好感を持つぞ。いいぞ、中国、等とその時はまだ余裕をかましていられた。
 夜の8時に上海虹橋空港着。飛行機の中で今夜泊まるホテルを決めていたので、予約しようとうろうろしていると、「タクシー?」 と小説家の猪瀬直樹にそっくりの男が寄ってきた。
 「○○ホテルに泊まりたいんだ」と言うと猪瀬は「知ってる」と言う。ああ、いつもならそんな手口には乗らないのだが、なぜか猪瀬の後をのこのこと付いて行き、タクシーに乗った。助手席には別の男が乗り込んできた。アジアではこういう事はよくある。タクシーを私用に使うのは日常茶飯事、勝手に友人や家族を乗せたりするので私は気にも止めなかった。猪瀬の相棒が高級そうなホテルのパンフレットを差し出す。
 「○○ホテルは古くて部屋も狭い」
 案の定、タクシーはパンフレットの高級そうなホテルの前に着いた。 「この野郎~」と思ったが宿泊費を聞くと、そう高くはない。夜も遅いし、この高級そうなホテルに泊まることにした。ボーイに案内されて高級そうな部屋に入ると猪瀬たちも付いてきた。ボーイが出て行くと、猪瀬が両替しないか? と言う。レートを尋ねると銀行と同じなので1万円換金することにした。これで用は済んだと思ったが、極悪人の猪瀬はその後、信じられないことを言ったのだ。
 「ハイウエイ代の100元とタクシー代の100元を払ってくれ」
 てめ~、空港でタクシー代はホテル代込みだと言ったじゃね~か。そう言うと 「サービス込みだと言ったが、料金込みだと言った覚えはない」 とわけの分からんことをぬかしやがる。渋々100元だけは渡したが、あとの100元は絶対に払えんっ! と長い間言い争った。しかし、極悪人猪瀬は諦めない。朝まで言い争っていてもよかったのだが、私は言い争いをしにわざわざ中国までやって来たのではない。観光をしに来たんだ、観光を! 明日も早いのでいいかげんに寝たい。私は負けた。極悪人猪瀬に100元払って追い返した。くっそ~、お金も惜しいが、それ以上に極悪人猪瀬に負けたことが悔しい。気分を変えようと食事をしに外に出たが、レストランも食堂も屋台も何もない。あるのは高級そうなアパートと理髪店だけだ。(ここもかいっ!) どうやらここは上海のはずれのようだ。
その夜はローソンでハンバーガーとジュースを買ってホテルに帰る。(何で上海まで来てこんなもん食べとるんやあ~~! 猪瀬~っ、てめえのせいやあ~!!)

 翌日は市街地にある東亜飯店に泊まる。このホテルは上海銀座と呼ばれる南京路に面しており、常にごった返している。
夜ともなるとネオンサインがまたたき、地元の人間と観光客とおのぼりさんと物乞いでにぎわう。あ、それと忘れてならないのが繁華街には必須の売春婦とポン引きである。上海ガールもさることながらしつこいのがポン引きだ。もし、あなたが上海に来て東亜飯店に泊まり、夜になって南京路に一歩でも足を踏み出してごらんなせい、びしっとスーツに身を固めた兄ちゃんがすっと近寄り「女はどう?」と聞かれる確率はインドのデリーで観光客がお金をせびられる確率に等しい。さらに歩くと3メートルごとに声をかけられるのは間違いない。南京路を端から端まで歩くと、少なくとも20人からは声をかけられるだろう。(私はここをポン引き通りと命名) バカも~ん、それでも中国か! 全く嘆かわしいわい(by 磯野波平)。私も一人の兄ちゃんにマークされ、しつこく勧められるのでしつこく断るのだが、諦めないので「女は嫌いだ。男がいい」と言うと、「それじゃあ、カフェに行こう。案内するよ」と後ろも見ずにスタスタと歩き出した。バ~カめ、他のカモを探すんだな、と私は反対方向へ歩き始めたのだが、そういえばテレビのバラエティ番組でアグネス・チャンがこんなことを言ってたな。

 「中国で誰かが結婚するとするでしょう。相手が上海人だと親は『とんでもない! やめなさい!』って反対するんですよ。ホント、これホントの話ですよぉ」 こんな十何年前の話を思い起こさせるとはさすが中国三千年の悠久の歴史。 私が親だったら、やっぱり反対するな。(まだつづく)

#24 飛んで上海 その2
上海の裏通りを歩いていると、かつてはここいらに阿片窟や娼館が立ち並んでいたのかなと感慨深いものがある。租界時代に建てられたオールドホテルの「和平飯店」なんか往事を偲ぶよすがとなるに充分だ。ここにあるオールド・ジャズ・バーでスイング・ジャズに耳を傾けていると魔都と呼ばれ、スパイが暗躍した国際都市上海の在りし日の姿が彷彿としてくる。嗚呼、東洋のマタハリと呼ばれた男装の麗人、川島芳子と李香蘭(実は日本人、山口淑子)との倒錯した怪しいロマンス。「白蘭の歌」「支那の夜」そして「上海の女」に江湖の婦女子は紅涙をしぼるのであった、って私はいくつやね~ん! (と一人でつっこんでます)
 アミューズメント・パークの「大世界(ダスカ)」はレトロ。老朽したビルの中に小部屋がいくつもあり、京劇、奇術、映画館、ディスコ、ゲーセン、似顔絵、お化け屋敷等をやっている。野外ステージでは私が行った時は子供たちが雑技をやっていた。ここの雰囲気は日本の昭和三十年代であり、大阪の新世界界隈に似ている。そういえば、ダスカの作りはフェスティバルゲートにそっくりだ。もしかしたらダスカにコンセプトを合わせて作ったのかもしれない。レトロっていうのは古い感覚と新しい感覚との境界線にできるのだと思うが、その極めつけが街のあちらこちらにあるカフェだ。
 上海でカフェと呼ばれる喫茶店は上海人にとってのおされな社交場となっているらしい。外装も内装も全然、垢抜けてないのがかえって新鮮だ。
私の入ったカフェは席がつい立てで仕切られていて(同伴喫茶?)、ビニールのテーブルクロスの上に
アクリル板が敷いてあり(う~ん、レトロっすねえ)、ろうそくが立っている。何だか懐かしい。
コーヒーはネスカフェで15元。ソフトドリンクはココナッツジュースしかなくて(しかも缶入り)、20元。日本人は珍しいらしく、店の人たちが話しかけてきたので彼女たちと筆談をした。
 上海を旅した人の本を読んでいたら、上海風呂に入りたくなった。幸い、宿泊しているホテルの裏に「浴徳池」という大きな垢すり風呂がある。さっそく行ってみた。まず、バスタブにつかって、体をあたためる。それからすっぽんぽん状態で大理石の台の上に寝そべり、垢すりをしてもらうのだが、これがくすぐったい。それが終わると個室に案内される。バスタオルを腰に巻いて待っていると、男が二人現われた。一人はマッサージ担当で全身を隈無く揉んでくれる。もう一人は手足の爪を切り、やすりで磨き、角質まで削ってくれた。その間にも別の男が煙草を勧めたり、コーラを持ってきたりと至れり尽せりである。全行程の所要時間は2時間。いい気持ちで受付に行き、請求書を見せられてびっくり! アメリカン・コミックなら目玉が30センチほど飛び出てたね。 二人分で884元!(その時は友人と行ったのだ)
 明細を見ると、爪磨き代はもちろん、コーラ代やおしぼり代までしっかりとつけられていた。そうならそうと、事前に言えよっ! 
 「高い」と思わず言うと、「タカクナイヨ。ニホンジン、ミナハラッテクレルネ」(日本語)と言うのだが、日本人は納得して払ってんのか?
 「もう少し安くならんか?」とねばっていると、従業員が五、六人出てきて無言で圧力をかけてきた。暴力バーならぬ、暴力風呂かいっ、ここは。そんなことだったら、六人の男にチップを計220元もやらんかったらよかったわい。
 「女、いらない?」 帰り道で追い討ちをかけるように、またポン引きが声を掛けてきた。(しかも同じ男) 
 ということで、今回の旅で得た教訓。「インド人と中国人には勝て~~んっ!!」 はいっ、大きな声で皆さんも御一緒にっ! (泣)
_
NO56 上海日記 1日目 at 2005 01/15 21:22
12月19日
年下の友人K君から何年か振りに電話があった。四方山話のうちに彼が言った。
「ドリアンさん、僕今年パスポート取ったんですけど、一緒に海外旅行行きませんか」
「そりゃいいけど、年末まで10日しかないで。もうチケットは残ってへんで。あったら奇跡やわ」
「奇跡ですか。可能性としたら何パーセントくらいですか」
「まあ、消費税くらいやね」
「5パーセントですか.....。ドリアンさん、こんな話を知ってますか。本田技研の創業者の本田総一朗はですね、小さな町工場から始めてですね.....」
K君はなぜか突然熱く語り始めた。
「ですから、たとえわずかな可能性でもそこに賭けてみるのが男のロマンかと.....」
「わかった、わかった。君の言いたいことは、よ~くわかった。インターネットで調べてみるけど、あんまり期待せんといて」
と言って電話を切って、一応検索してみることにした。リーマン・パッカーは年始年末と盆休みとゴールデン・ウィークしかまとまった休みが取れへんからなあ。俺も半年くらいアジアを放浪してみたいで。バンコクはっと......。やっぱり満席やがな。インドもどっこも満席や。不況いうても年末になると日本人はどっと海外に行くからなあ。どこが不況やっちゅう話やねんな。日本人は兵役みたいに全員一週間インドに行くことを義務づけたらええと思うわ。正月ハワイに行くやつは死刑や。ロサンゼルスに行くやつは帰ってこんでええ、って俺は小言じじいか。過去になんかあったんかいな。マニラも一杯や。当たり前やな。年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。ラオスもミャンマーも直行便飛んでへんからなあ。一週間の休みやったら無理や。
北京も駄目、上海は、おっ、あった。あったがな、こんな時期に。やっぱり本田は偉大や(なんのこっちゃ)。早速、K君に電話する。
「奇跡は存在したで。上海行きあったで」
「えっ、本当にあったんですか」
あんなに熱く語ったはずのK君の声はものごっつう不安気だった。Why?

NO57 上海日記 2日目 at 2005 01/18 22:23

12月20日
K君はほんまにびびっていた。初めての海外旅行なのはわかるが、それにしても尋常ではない。
「危険な所に行くのはやめましょうね」
「上海に危険な場所はないっちゅうねん(あったら行ってみたいわ)」
「ドリアンさんも日本に待っている人が大勢いると思いますから、くれぐれも無事に帰国しましょう」
「俺たちはイラクに行くジャーナリストとちゃうで」
「お金はいくらかかっても構わないので、命を最優先に考えて下さい」
「君は自衛隊の中隊長か。でも、ひょっとしたら無言の帰宅ってこともありえるなあ」
「ええっ!」
びびっているやつをいちびる(からかう)のは面白い。
その夜、K君からメールが入った。
「中国ってビザいりますよね。 今からでは間に合わないのでは?」
すっかり忘れてた。
慌ててインターネットで調べ、池袋にあるビザ取得代理店にパスポートを明日一番の宅配便で送ることにした。果たして間に合うのか。K君から電話。
「その代理店、大丈夫なんでしょうね、パスポート送っても」
「もしかしたら歌舞伎町の蛇頭(人身売買をするスネークヘッドという犯罪組織)に横流しされるかもね」
「ええっ!」
K君の心配は尽きないのであった。

NO58 上海日記 3日目 at 2005 01/25 23:50
12月30日
「全員整列、番号!」
「1」
「2」
「これからわれわれ上海使節団は上海に向けて出発する。何か質問は?」
「チャイニーズ・マフィアには充分気をつけましょう」
「そんなものはおらん!」
「危険だと思ったらすぐ引き返す勇気を持ちましょう」
「われわれはK2に登りにいくんじゃない!」
ビザはやっと出発前日に届いた。ただ、ガイドブックを読んだら2003年9月から15日間以内の滞在ならビザは不要と書いてあったが。(1万円返せ!)
関空に到着したK君は不安で寝不足と食欲不振が続き、蒼い顔をしていた。
とにもかくにも上海に到着したが、入国検疫申告書を書くのを忘れていたわれわれは係員に呼び止められ、そこで書け、とあごで指示される。初めて接する中国人の横柄な態度にK君はびびる。入国審査を待っている時も行列の中国人同士が割り込みでケンカを始めた。K君、ますますびびる。
「レンミングァンチャン(人民広場)!」
空港前で待っているバスの女性車掌に声をかける。彼女は「満席だよ。次のにしな」と答えた。(私は中国語がわからないので、英語以外は推測です)
「次は何時?」
「10時だよ(夜の)」
「あと40分もあるやん!」
日本語で言うと、「しかたないね。乗りな」とバスの入口を指し示す。バスが動き出したので、外を見ると雪が降り積もっている。凍結した道路では追突したり、ガードレールにぶつかった車を何台も見た。人民広場で降り、地下鉄を探すがむちゃくちゃ寒い。このままではホテルにたどり着く前に凍死してしまうではないか。はんぱねー!歩いていると寒いので全速力で疾走し、コンビニを見つけると飛び込み、道を尋ねるついでに暖をとる。ようやく見つけた地下鉄(中国の地下鉄の出入口は明かりがついていないのでわかりづらい)で河南中路駅まで行き、そこから歩く。われわれが目指すのは浦江飯店だ。外灘(バンド)で、いや上海でバックパッカーが泊まるホテルといえば、ここしかない。空室があればいいが。もうすぐ日付けが変わる。

NO59 上海日記 4日目 at 2005 02/02 20:17

12月31日
7時半起床。トイレの窓から外を見ると一面まっしろ。黄浦江を巡航する船の警笛が聞こえる。浦江飯店はバンドで一番古いホテルだ。チャップリンもアインシュタインもお泊まりになられたが、宿泊費は高くない。バックパッカーの御用達になっているのはドミトリーがあるからだ。ホテル自体は租界時代に建てられただけあって、アールデコで趣がある。われわれの泊まった二人部屋の前は吹き抜けになっていて、広い廊下には租界当時の調度品が展示されていた。
昨夜は12時前にチェックインした。空腹だったが、寒波の中を出ていく気にもなれず、ルームサービスでチャーハンを食べた。眠りについたのは2時過ぎだったと思うが、K君は不安でほとんど寝ていないそうである。そこまでテンパってたら、しまいにゃ死ぬで。われわれは気合いを入れて空手着に着替えた。上海で空手と太極拳の交流をしようという日中友好的な計画を立てていたのである。場合によっては異種格闘技戦も辞さぬつもりだ。カンフーでもなんでもかかってこい(どの辺が日中友好やねん)。意気込んで飛び出したのはいいが、ほんまにものごっつうハンパじゃなくひたすら寒い。いつもは物売りで足の踏み場もないほどの外白渡橋も今日は誰もいない。目指す黄浦公園はホテルから走って3分ほど。公園の入口で警備のおっちゃんに「滑るから気をつけな」と声をかけられた。
「太極拳は?」
「寒いから休みだ」
いきなり計画失敗。寒さに異常に強い中国人もさすがに今日は無理?って感じ? 口ほどにもないぜ、今日はこのくらいにしといたるわとバンドの凍結した遊歩道をこけながらジョギングして帰ったのだが、われわれ日本人の姿はよほど奇異に見えたのであろう。ホテルの従業員にじろじろと見られる。この寒波になんて物好きなってか。おれたちは見せ物じゃねえ、散りな。しっ、しっ。今度泊まりに来た時は帝国陸軍の軍服で来てやるぜ。日本鬼子と書いた鉢巻きを締めてなって、冗談っすよ。冗談。そんなにムキにならなくてもええやんか~(誰に言うとんじゃ)。

NO60 上海日記 4日目(続) at 2005 02/09 22:13

部屋に戻ろうとすると、廊下の展示品を見ている二人の日本人がいたので声をかける。彼らは6階のドミトリーに泊まっているそうだ。
「僕らも昨日の夜に上海に来たんですけどね、ドミに金城武そっくりの男が泊まってるんですよ」
「えっ、金城武!」
「ほんとにそっくりですよ」
「まさか本人じゃあ.....」
「見に来ますか」
「行く行く行く!」
ここのドミは男女別になっているそうだ。部屋も清潔で窓からはほんのわずかだが黄浦江が見える。彼らの他には日本人と韓国人が一人づつ泊まっていた。韓国人が聞く。
「何でそんなかっこしてんの? パジャマ代わり?」
「公園をジョギングしてきたんだ」
「はっはっはっ。クレージー」
ほっとけ。
「あれ? さっきまでいたのにな。出かけたみたいですね」
あ”~っ、残念。タケシ、私をおいてどこに行っちゃたの。
「タケシの寝ていたベッドはどこかしら?」
「は? あそこですけど」
「タケシ~」と叫んでベッドに飛び込む。
「.............。私、別に変態じゃないからね」
「は、はあ~」
「われわれはこんなことしてる暇ないねん(お前が勝手にやってただけやろ)。早いとこ、このホテルをチェックアウトして新しいホテルに移らんと」
「どこに泊まるんですか」
「ピース・ホテル」
「あそこ、空いてるかなあ。昨日も満室だと断られて、ここのドミに来た人がいましたから」
「とにかく行ってみるわ。タケシに会ったら、よろしく言っといて」
ピース・ホテル(和平飯店)は上海銀座の南京東路を挟んで北楼と南楼がある。和平飯店といえば、バンド。バンドといえば、和平飯店だというくらい、バンドを象徴するホテルである。一生に一遍だけ泊まってみても罰は当たらんだろうと思ったが、今日も明日もあさってもやっぱり満室だった。仕方なく、その日はバンドの対岸にあるホテルに泊まる。部屋から小学校の校庭が見えるのだが、この寒さにも何のその、大勢の大人がダンスを踊っている。今日は大晦日やったなあ。それにしても寒くないんか?

NO61 上海日記 4日目(続々) at 2005 02/16 23:29

その夜、オールドバーでジャズを聴くために再び和平飯店を訪ねた。メンバーは平均年齢70歳台の老人であり、このホテルの名物である。大晦日のせいか、満席で少し待たされたが、相席でテーブルに着いた。アメリカンスタイルのカウンターやローソクのシャンデリアが租界時代を想わせる。一時間ほど演奏を楽しんだ後、和平飯店を探索することにした。もう十何年も前のことだが、桐島洋子さんの本でこんな文章を読んだことがあったのだ。
「和平飯店は40年前にはじめて上海に渡ったときにしばらく滞在したキャセイ・ホテルであり、このホテルこそ私にとって外国の原体験なのだ。幼い私が絶望的に長い廊下を魔法使いに追いかけられながら必死に走る夢を今でも私はときどき見るが、それは明らかにこのホテルの廊下であり、魔法使いの方はディズニーの白雪姫の継母である。40年ぶりに歩く廊下は気味が悪くなるほど夢の中の景色のままだった。」 (大草原に潮騒が聴える)http://amzn.asia/0Hyeswq
その幻想的な廊下のイメージは上海、キャセイ・ホテル(和平飯店北楼)、といった妖しい響きと相俟って、まだ海外に出たことのない私の脳裏にしっかりと刻み込まれた。その長年抱いてきたイメージがついに目の当たりになろうとは。エレベーターで階ごとに降り、廊下を歩く。赤、階によっては青の絨毯が壁の淡い照明に浮かび上がり、進むにつれて租界時代にタイムスリップしていくようだ。南京条約によってイギリス軍が上海を開港し、さらには欧米列強諸国が管理する共同租界となったバンド。極東最大の都市、アジアの貿易、金融の中心地、日支間の思惑が交錯した国際都市、魔都、上海。初めて足を踏み入れた和平飯店は私にとっても想像と寸分たがわぬ光景だった。

NO62 上海日記 4日目(続々々) at 2005 02/21 23:38

ホテルを出て帰ろうと南京路を歩いていると、逆方向からわさわさと人が歩いてくる。しばらくすると今度はばらばらと大勢の人が走ってきた。時計を見ると12時前。われわれも急いで彼らについていく。バンドの地下道は人民であふれている。暗いので物乞いを踏んづけてしまった。ご、ごめん。あっ、今度は物売りを踏んづけた。遊歩道に出ると、人民と外国人で立錐の余地もない。カウントダウンが始まり、新年になるとあちこちで花火が上がる。2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。彼らもバンドでカウントダウンを祝い、今から同宿の9人で飲みに行くそうだ。一緒にと誘われたが、われわれは酒を飲まないので残念ながら辞退した。私はドミトリーにはほとんど泊まったことがないのだが、ドミもいいもんだな~と思う。地下鉄が止まっていたので、タクシーを捕まえようとするが、空車が走っていない。近くの交差点で客を降ろすためにタクシーが停まったので、猛ダッシュで飛びつく。血相変えながら日本人が飛び込んできたので、運転手もさぞかし驚いたことであろう。それにしても、どのタクシーも助手席と後部座席は強化プラスチックで運転席と完全に分離されている。上海も物騒になったもんだ。1時帰館。

NO.63 上海日記 5日目 at 2005 03/02 23:44

8時半起床。寝ているときに寒さで何度もトイレに行ったが、エアコンの暖房がいつの間にか冷房になっていた。これが噂に聞くチャイナマジックか。K君は「風邪をひきましたあ」と情けない声を出して、げほげほいっている。次の宿泊地の豫園にタクシーで移動。上海の観光地といったらバンドと豫園しかない。豫園は明代に造園された役人の個人的な庭園で、何度も破壊されながらも修復され、今に至っているそうである。庭園の横には土産物屋や上海料理店がひしめき合い、屋台では人民が小吃(スナック)に喰らいつき、子供はわあわあと走り回り、中国のおのぼりさんがあっちこっちで記念写真を撮りまくり、ツアーの日本人観光客がぞろぞろと土産物を買い漁っているという、浅草をもっと巨大にしたような感じである。豫園内にある上海老飯店というレストランの中にあるホテルにチェックイン。上海老飯店は1875年創業の老舗で、ホテルに貼ってあった写真によると、江沢民もクリントン夫妻も食事に来たことがあるそうである。うふふ、たまにはこれくらいの、じゅるるっ、おごっそうを食べても、よだれが、いいんじゃないかい。今晩の食事が楽しみだ。

NO64 上海日記 5日目(続) at 2005 03/10 22:09

日本の団体ツアーに紛れ込み、添乗員の説明にうなづきながら庭園を見てまわる。最後にはしっかりと記念撮影にも収まった。そこから歩いて老西門(ラオシーメン)に行く。ここら辺は租界時代も外国人が立ち入ることができなかった地域で猥雑な下町である。路地には古い木造アパートや商店が犇めき、軒先からは洗濯物が邪悪なオブジェの如くこれでもかというほど垂れ下がり、女性の下着もためらうことなくこれでもかというほど干してある。下着泥棒なんかは出ないのか。馬桶(マートン。簡易便器)にたまった糞尿や生ゴミを捨てにくる公衆ゴミ集積場もあって、冬だからいいものの夏場はかなり臭いそうだ。遠くに見えるバンドの近未来的なビル群とのコントラストが何だかおされである。え~っ! うっそ~! ここがあのチョーおっしゃれ~でリッチな上海なの~? ケイコ、まじで信じられな~いって感じい。などとツアーのギャルを連れてきたら言いそうだ。そんなことよりも、びびってばかりのK君がここにきて目が輝きだした。
「すごいですね。これこそ庶民の街ですね」
異常に興奮している。腹が減ったので近くの小汚い食堂で焼そばを食べる。
「スープも注文したいんですけど、中国語で何て言うんですか」
「湯(タン)だよ」
夢中で麺をすすり、スープを飲み干すK君。今まで緊張でろくに食べてなかったので無理もないか。食事を終え、外に出る。
「あれで5元(65円)って安いですねえ。スープはおまけしてくれたんですね。これこそ庶民の食事ですよね」
と、庶民を連発するK君。ちょっとうざいんですけど~。

NO65 上海日記 5日目(続々) at 2005 03/18 18:34

「髪を切ってもらいましょう。記念になりますから」
と、K君はどんどん歩きだし、一軒の散髪屋に入っていった。料金を聞くが、いかんせん通じない。やっと三軒目で5元だと言われ、切ってもらっていた。もともと彼の髪は短かったのであまり変わらなかったけど。そこからさらに南に下って、文廟(ウエンミャオ)へ。ここら辺も日本の昭和初期みたいな感じである。「洗足屋」を見つけ、入ってみる。マッサージ用の寝椅子が三つあるほどの小さな店。家族でやっているようだ。中学生くらいの少女が二人出てくる。よくしゃべる彼女たちに中国語を教えてもらいながら、一時間ほど足をマッサージしてもらう。料金は15元(200円)だった。外に出ると、まだ6時なのにあたりは真っ暗。ほとんど明かりがない。来た道に戻ろうとうろうろする。公衆便所を見つけ、入ろうとすると暗闇の中から男の白い顔がぬっと現われた。初めは、いやぁっ、生首!とびっくり。近づくにつれて、なんだ、便所の料金を徴収するおっちゃんかと思っていたが、中に入ってみてもっとびっくり。おっちゃんは小便の溝に向かって大便をしていたのだった。そこは小便専用の便所で、大便できる便所は有料だからなんだろう、きっと。恐るべし! おっちゃんの横で用を足しながら、K君と「中国人はすごいな」と感心しあうのであった。

NO66 上海日記 5日目(続々々) at 2005 03/23 21:07

ホテルに戻って上海料理を堪能する。ピータン、魚と椎茸のスープ、上海蟹と豆腐の混ぜ物、川エビの揚げ物、魚の醤油煮、揚州炒飯。我を忘れてがっつくほど、全て絶品である。しかも、これだけ食べても一人1300円ほど。
「さすが老舗レストラン。うまいねえ」
とK君に言っても、「はあ~」と気のない返事をするばかり。彼にとっては下町で食べた食事の方がよほどご馳走だったらしい。

10時過ぎにタクシーで淮海中路へと繰り出す。ここは上海の若者が集まる最先端のおされなストリートだ。上海在住の美人作家、衛慧(ウェイホェイ)の「上海ベイビー」には、「この地域は、ニューヨークの五番街、あるいはパリのシャンゼリゼ通りに相当する。」などと書いてある。われわれが目指すのはクラブ&ディスコの「ROJAM」である。上海にクラブやディスコは数多くあれど、ナンバーワンといえば、小室哲哉プロデュースのここである。音楽情報発信地として、アジアのミュージシャンのライブにも使われている。最近では藤井隆(フミヤじゃないよ)のライブも行なわれた。入場料80元はバカ高いが(正月料金か)、ディスコ・フロアーは既に芋の子を洗うようだ。英語のDJに乗って、轟音のようなサイバートランス&クラブミュージックが炸裂し、ライトとスモークが交錯しちゃったりして、もう大変なんである。いや、実は大変なのは私なのだが、いいから落ち着け。それにお立ち台というか、ステージがある。それを目にすると、たちまち辛抱たまらんの脳がスイッチオ~ン! 犬のように駆け上がり、踊りまくる。ああ、何て気持ちいいのかしら。生まれ変わったら、ダンサーになるわ! サンキュー、てっちゃん(注:小室)! 汗びっしょりになり、ジャケットの靴も靴下も脱ぎ捨て、〇ロインを求め狂うジャンキーのように1時間ノンストップで踊った。ホントはもっと踊っていたかったけど、K君が風邪気味なので早く切り上げることにした(大人)。そのK君はフロアーでぼ~っとしていたら、女性客に、「飲み物おごってあげるわ」と声を掛けられたそうだ。断ってよかったな。ついていってたら、有り金全て没収されてたな。
外に出ると、夜風が火照った肌に心地いい。「踊り~疲れた~ディスコの帰り~」(by BORO)のメロディーが頭に鳴り響くのであった(ふるぅっ)。ホテルに1時帰館。 
_

NO67 上海日記 6日目 at 2005 04/19 22:36

8時起床。戦前に日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュ)地区に移動。ホテルの目の前に魯迅公園がある。近くにある多倫路文化名人街で食べた6角(8円 平成17年当時の金額)の肉饅がとても美味だった。地下鉄で上海駅に行くと、ものすごい人。地下鉄のホームで待っていた小姐(若い女性)がどどっと降りてきた乗客に揉みくちゃにされ、くるくると回転していた。観察していると、白線の前に仁王立ちして電車のドアが開くと同時に乗り込もうとする者があちこちにいる。もちろん吐き出される乗客の圧倒的な物量に負けてあちこちでくるくる舞っておるが。なぜだ? なぜ中国人はちゃんと列を作って待ってられんのだ。しょっちゅう、服務員が「ちゃんと並べ!」とマイクで青筋立ててがなってるぞ。そういえば、ぎゅうぎゅう詰めのバスでも、降りようとする者より先に乗り込もうとするお茶目なやつらだからな。なぜ学習せん、中国人! けど、あの回転している中国人を思い出すと、悪いが笑ってしまうわあっ! ぶあっはっはっはっはあ! くっ、苦しい、笑いすぎて涙が....。

NO68 上海日記 6日目(続) at 2005 04/12 23:54

今日は日曜なので宗派を問わず礼拝できるという「国際礼拝堂」に行く。着くとすぐにシンガポール出身だという信者が案内してくれた。中国語の聖餐会が終わり、今から英語の聖餐会が始まるそうだ。礼拝堂はゴシック様式でとても広い。これほどりっぱな教会がよく文革で破壊されずに残っていたもんだ。徐々に人が集まり、時間になると二階席までびっしりと埋まった。ざっと数えてみても800人はいるだろう。説教台でアコギにアンプをつないだ黒人青年がいきなり歌い始めた。 「主を讃えよう。主と共に歩もう。天国はわれらのもの」
スクリーンに歌詞が写し出され、800人が立ち上がって合唱する。壮観。ゴスペルではなく、何と言うかこれはアメリカン・ポップスである。感極まって全身をうち震わせながら歌う者もいるのだが、賛美歌が終わっても黒人青年はギターをつま弾きながら何かつぶやいている。ラップでも始めたのかと思ったが、よく聞くと彼はお祈りをしているのであった。周りを見るとさっきまで歌っていた信者は目を閉じて頭を垂れている。このように歌と祈りの境界線のない賛美歌が何曲か続き、中国人、白人、黒人の牧師による説教があり、再び賛美歌を歌い、二時間半におよぶコンサートじゃなかった、礼拝は終了した。信者が席を立っても黒人青年はギターをかき鳴らしながら、延々と歌っている。もう少しすると、第三部のコンサートじゃなかった、礼拝が始まるのだろう。近くにいた、上海の大学に留学中だという日本人女性に話を聞いてみた。
「以前より緩やかになったといっても、まだまだ中国ではキリスト教に対して規制がありますね。ほとんどのクリスチャンは日曜に各家庭でお祈りをしています。教会も少ないんですけど、こうやって皆と集って礼拝できるだけでも恵まれています。集会しただけでも処罰された時代もあったそうですから」 中国のクリスチャンに幸あれ。

NO69 上海日記 6日目(続々) at 2005 04/20 21:50

夕食をとりに南京東路へ。この上海一の繁華街に行くたびに思うのだが、中国のホントに田舎から出てきた人民がこの通りに来たら、腰を抜かさんばかりに驚くだろうな。ここだけは香港の繁華街以上だ。その南京東路にある有名なイスラム料理店に行く。羊肉のしゃぶしゃぶを食べるためだが、さすが有名店だけあって待っている人が列をなしている。われわれは31番の番号札を渡された。おれたちの前に30人もいるのか.....。待っている間にも客は次から次へとやってくる。果たして今晩はここで飯にありつけるのだろうか。せめて、この番号札をあとから来た人に5元で売りつけられないだろうかなどと考える。見ていると、面白いのが案内係の小姐だ。まだ顔に幼さが残る彼女は、一人で怒濤のごとく押しよせる客の苦情攻撃に対処している。
「いつまで待たせるんだ」
「ただ今満席ですからもう少し待ってください」
「俺はさっきから待ってんだぞ」
「席があいたら知らせますから」
「いつだ!」
「番号札渡したでしょ!」
「ねーちゃん、俺にも番号札くれ。なに! 48番だと! どうなってんだ!」
「今日は予約が多いの! ごちゃごちゃ言わずに大人しく待ってなさい!」
とまあ、このように(あくまで推測だけど)客とのバトルが展開しているのだった。日本だったら、店員は「すみません」とひたすら平身低頭だろう。私も声をかけると、「はぁ~っ?!」とおもいっきり不機嫌な顔をされた。帰国してから日本のコンビニの過剰なサービスに違和感を覚え、彼女の不機嫌な顔を懐かしく思い浮かべる今日この頃。
結局、その日はあきらめて帰った。

NO71 上海日記 7日目 at 2005 05/03 23:12

7時半起床。空手着に着替えてホテルを飛び出し、目の前の魯迅公園に突入。入口でおばちゃんが何か叫んでいたが聞こえないふりをしてそのまま駆け抜ける。確か入園料が2元だったような気がしたが、小さいことにこだわってたらあかんで、おばちゃん! 公園にいるいる。太極拳をしているグループがあちらこちらに。その中の10人ほどの小さなグループに混ざり、見よう見まねで動きについていく。太極拳には前屈立ちとか後屈立ちとか半騎馬立ちとか、空手の立ち方が動きの流れの中に一瞬入っていて興味深い。まだまだ寒いので、皆さん着ぶくれでダルマ状態である。こちらはTシャツに空手着だけなのできつい。1時間ほどで終了。教えていたおばさんに礼を言うと、「初めてにしては上手だったよ」とお褒めの言葉をいただく。
ホテルに戻り、バイキングの朝食(3つ星以上のホテルには朝食がついているのだ)を摂る。今晩が最後の宿泊になるのでどこに泊まろうかと思案し、もう一度バンドに行くことにする。上海最後の夜は外白渡橋のたもとに建つ「上海大厦」に泊まることにした。ここは川島芳子(清朝最後の王女。満州事変、上海事変でスパイ活動を行ったとされる。東洋のマタハリ、男装の麗人と呼ばれ、大東亜戦争終結とともに逮捕、銃殺刑に処されるが、銃殺されたのは別人で日本で生き延びたという説あり)が定宿にしていたという由緒あるホテルだ。外白渡橋を上海滞在中に何度渡ったことだろう。「あしたのジョー」の丹下ジムは確か泪橋のたもとにあったはずだ。
「ジョー、いつかはこの泪橋を笑って渡るんだ」と外白渡橋を渡りながらつぶやいてみる(ちょっとバカ)。

NO72 上海日記 7日目(続) at 2005 05/19 22:27

上海の近代的な建物やおされな通りの裏には小汚い通りがセットになっている。そこには自転車に乗った人民が大挙して暴走し、アイドリング・ストップもなんのその、信号待ちでは空吹かしでぶおんぶおんいわせ、青信号に変わるとゼロヨンレースが始まり、歩道、車道所構わず屋台や物売りがひしめいているというアジアの正しい通りがある。そこで見つけた2元ショップでお土産を見繕い、露店CD屋で1枚5元の浜○あ○みや矢井○瞳や東○事変やア○リル・ラ○ーンのCDを買う。ふっと後ろを見ると、K君が買い食いしながら屋台のおっちゃんと楽しそうに話している。彼はこんな雰囲気の場所に来るとなぜか生き生きする。
そこで便意を催したので、近くの路地に入り公衆便所を探す。この狭い十字路は全体が日常雑貨を売る市場になっている。人込みをかき分け、便所にとび込み、排便する。
「よかった~。もう少しで中国でうんこたれになるとこだった」
と立ち上がると、水が流れる。いやにタイミングよく流れるなと思っていたら、壁についているセンサーが作動していた。中国のトイレも進化したもんだと感心し、外に出るとK君が、 「日本語がすごく上手なおねえさんがいて、もう少しでパンツを買わされそうになりましたよ。ちょっと、来てみてください」 と腕を引っ張る。K君、何を考えてんだ?

NO73 上海日記 7日目(続々) at 2005 05/31 21:28

K君に案内されて市場のまん中あたりまで行くと、われわれを目ざとく見つけたおねいさんが露店台に身を乗り出して日本語で叫ぶ。
「あんた、日本人ね。いいところ来た。パンツ買いなさい。カル○ン・クラ○ンのパンツだよ。あんただったらLサイズだね。1枚20元! とても安いね」
「とても安いねって、安くないよ。1枚10元にしなさい」
「なに、10元! 神様仏様。わたしもう首くくるね」
「おどかすんじゃないよ。高いからいらない」
「日本人お金もち、高くない。この毛沢東のTシャツ60元ね。小泉ヤスクニ行く、中国人怒るね」
「余計なこと言うんじゃないよ。これ友誼商店で50元で売ってたね。30元!」
「おー、あなた欲張り。上海物価タカイね。わたし暮らせない。首くくるね」
「わたしほんとの値段知ってるよ。欲張りあなたね。上海恐い、わたしもう来ないね」(言葉うつってる)
「なに言ってる、恐いのあなたよ。このライター買うか。80元でいいね」
と二人でわーわー言ってると、市場をうろうろしている靴磨きが集まってきた。
「あなたの靴磨く、オーケー?」
「こんなぼろぼろの靴磨いてもしゃーないやろ。ええって」
値切り倒したパンツとTシャツを抱え、手を振る。それでもやつらは 「磨かせて」
と五、六人があとをついてくる。ついてくんなっちゅうねん。帰りなさいって。磨きませんって。俺はブレーメンの音楽隊か。駆け足で逃げると一人がしつこく追いかけてきた。市場を出てもしばらくついてきたが、やっとあきらめて帰っていった。
「これ見て下さいよ」
とK君が片足を上げると靴に靴クリームがついている。
「あんなに熱心だったら磨かせてあげてもよかったですね」
K君がしみじみと言った。

NO74 上海日記 7日目(続々々) at 2005 06/02 23:17

K君がもう一度行きたいというので、文廟に行く。入口で「案内しますよ」と日本語で声をかけられた。大学で歴史を勉強しているという彼女、劉(りゅう)さんはここでガイドのバイトをしているそうだ。受付で10元の入場料を払って中へ。
「文廟は孔子を祭っています。孔子廟ともいいますね。元は最高学府、つまり大学でした」
劉さんが説明してくれる。観光客はいなくて、ひっそりしている。いや、パリから来たというバックパッカーのパリジャンがいた。一人旅で寂しそうだったのでみんなで記念写真を撮ってあげる。う~ん、シルブプレ~(適当)。
「この部屋で科挙の受験勉強しましたですね。進士というのを知ってますか? 科挙の最高の位です。進士はさらに順位をつけるために殿試という試験を受けましたんです。ここの建物は文化大革命でほとんど破壊されました。ほとんどの建築物はのちに再建されましたんです」
中国の大学生は正真正銘のエリートなので、将来国を担うという意識が強いせいか、とてもよく勉強する。劉さんもテレビの日本語講座で日本語を勉強し、まだ一年目だそうだ。最後に聞いてみた。
「毛沢東をどう思いますか」
「中国人はみなさん毛沢東を尊敬してます。私も尊敬してますですね」
さすが建国の父。腐っても鯛か。ちょっと意外だった。

NO75 上海日記 7日目(続々々々) at 2005 06/13 22:51

おととい行った洗足屋を探して下町をうろうろ。小さな町だけど、店が見つからなくてニ周も三周もする。夕暮れになるとあたりはすぐに暗くなる。
「ここら辺、歩いていると何だか懐かしい気持ちになりますね」
「そうやね。何度も歩いてるからこの町の路地に妙に詳しくなっちったな」
文廟の前の屋台を通り抜け、公衆便所がある四つ角をさらに真っすぐ進むと木造の崩れそうなアパート群がある。左折するとこれまた崩れそうな民家が続く。道端で野菜や肉を売っている路地を抜けると、雑貨屋や駄菓子屋の並ぶ通りに出る。西岸良平の漫画の半ズボンはいて洟をたらした子供が出てきそうだ。「狗肉」の貼り紙のある食堂(店員に聞くと売り切れだと言われた)を右折すると場違いなピンクの電飾で路地から浮いてるファンシーショップが一軒あって、ああ、あった。ここだよ。店に入ると生憎、家族で食事をしているところだったが、少し待ってから足をマッサージ。またもや中国語を教えてもらいながらたっぷり一時間。今日はぼられるかなと思っていたら、今日も15元だった。彼女たちが毎晩1時まで働くと聞いて、K君は「え~っ、信じられない」と目を丸くしていた。
帰りにスーパーに入ると、レジのおばちゃんが、「あんたたち日本人かい。テレビで日本のドラマをよく観るよ」と話しかけてきた。
「テレビで日本語を少し覚えたよ。『バカヤロー』とか『スイマセン』とかね」(どんなドラマだ)
そのうちに仕事を放り出し、店員が集まってきた。口々に質問し始める。一人が何かをしゃべると、それを聞いてみんながどっと笑う。あ~もう、わけ分からん。上海でもここら辺まで来ると外国人が珍しいのか。

NO76 上海日記7日目(続々々々々) at 2005 07/06 22:41

火鍋レストランで羊肉を嫌というほど食べる。それでも二人で八百円ほど。ホテルに10時帰館。ついでだからとホテル内にあるお土産ショップを覗いてみることに。すると中からちょっと藤〇朋子似のにこやかな女店員が手招きをしている。
「見るだけ、いいですよ」
と中国人にはあるまじき愛想のよさである。
「ホントに見るだけよ。何にも買わないからね」
と一応念をおす。
「いいですよ。見るだけ、大丈夫ですよ」
藤田はあくまでもにこやかである。
「このプ〇ダのビジネスバッグ、四千円でどうですか。本物ですよ。安いですね」
「高いですね」
「高いですか。それでは三千円でどうですか」
「まだ高いですね」
「高いですか。いくらなら買いますか」
というやりとりがあって、結局そのバッグを二千円で買った。どう見てもニセモノには見えんが、原価はいくらなんだ。
「このネクタイどうですか。安いですよ」とまだ買わせようとするので、素早く退散する。
部屋に戻るとK君が「思い出にカラオケに行きましょう」と提案。なんで上海まで来てカラオケなんだと思ったが、あんなにビビってたのが生き生きとしてきたことだし、ディスコにつき合ってくれたことだしと彼について行く。ホテル内にカラオケがあったはずだ。一階のジャズバーに入ってみると、椅子に座っていた女の子がバネではじかれたようにこっちにやって来た。
「カラオケなんてないわよ。それより私たちとおしゃべりしたりダンスしたりしない?」
と言って、もう一人女の子を呼んできた。値段はドリンク代も含めて全部で百元だそうだ。何度もその値段を確認する。それでもアヤシイ。何回もぼられ倒されている私が(悪かったな!)思うんだから間違いあるまい。しかしその時は何とかなるだろうという気持ちと、どうなるんだろうという好奇心が一緒になって誘いを受けることにした。

NO77 上海日記 7日目(続々々々々々) at 2005 08/10 22:38

その上海出身(自称)のミミという娘は、「休日に東京に遊びに行ったことがあるわ。大都会でびっくりした。日本、大好き。日本人も大好き」などと言う。そのうち、「私たちも踊りましょう」とフロアーに連れ出された。ものすご~ください音楽が流れている。アメリカの片田舎のカウボーイの格好をしたマスターがやっているダイナーでも今時こんな音楽はかけんだろう。こんなハワイアンバンドがアルバイトで地元のFM局の知り合いに頼まれて仕方なく急場でレコードに吹き込んだようなディスコ音楽では踊れんが、自分を殺して無理からに踊る。何だか悲しい。隣ではミミがにこやかに踊りながらも目に落ち着きがない。ますますアヤシイ。その隣では中年の日本人が二人のホステスとキャーキャー言いながら踊っている。ボックス席を見ると、K君がもう一人の大人しそうな女の子に中国語を教えてもらっている。どこまで真面目なんだ、K君。欲望にまみれた上海の夜。そこだけ静謐な空気が流れているように場違いだ。

NO79 上海日記 7日目(続々々々々々々) at 2005 08/18 23:00

席にもどり、ちょっとするとK君が「帰りましょう」といきなり立ち上がった。中国語会話は終わったのか、K君? ボーイが請求書を持って来た。あろうことかそれには三百元と書いてある。やっぱりな、何回もぼられ倒されている私の勘が当たったぜ(悪かったな!)。内訳を聞いてみるとドリンク代が百元、それに女の子一人にチップが百元づつだそうだ。はあ~っ? 理不尽なぼりかたをするじゃないか。ぼるのは理不尽に決まってるが、第一に中国にはチップという習慣はない。第二になんで勝手にチップの額を決めるんだ。よって、そこのこわっぱ中国人、手討ちにしてくれるわっ! そこになおれっ!
K君が「何度も百元だと前もって確認したはずだ」と至極もっともな抗議をする。ボーイは「どういう意味だ?」とねめつけるようにして威嚇してきた。どういう意味だとう? キャ~ッ! もう辛抱たまらん、表に出やがれ、足腰立たんようにすまきにして揚子江にたたっこんでやるわ! われわれが押し問答をしていると、そいつは段々と弱気になってきて「払ってくれないとボスにその分のお金を立て替えなくちゃならないんだ」と言う。はっ、今度は泣き落しか。悪いのはいったい誰なんでしょね! 私は百元をテーブルに叩きつけてそこを出ようとしたがK君に呼び止められた。「ちょっと待ってください、ドリアンさん」「えっ?」

NO80 上海日記 7日目(続々々々々々々々) at 2005 09/05 22:46

「この人納得してないみたいなんで話し合ってみます」
ええ~っ。K君は誠実で正直(バカがつくほど)で一本木な性格だ。おちゃらけでいいかげんに生きている私とはえらい違いである。それにしても、あんなにびびりだった彼が熱心に説得している姿を見ると感無量である。でもボーイも充分反省してるみたいだしさ、めんどくさいから帰って寝ようよ。ミミは「あんたたちのせいでこの子が二百元自腹を切らなきゃならないのよ!」と喚いている。この女も逆ギレしてるし、もう帰ろうよ。彼らはしばらく話し合っていたが、やがてK君がボーイに右手を差し出した。ボーイも渋渋だがそれに応じた。若大将シリーズの加山雄三か。
部屋に戻ると彼は言った。「中国で貧しいながらも一生懸命に働いている、あの靴磨きの人たちみたいな人たちもたくさんいるのに、騙してお金を取ろうとする人間が許せなかったんです」
どこまでも生真面目で熱いK君であった。  
_

NO81 上海日記 最終日 at 2005 09/24 23:27

6時半起床。今日が上海最終日である。帰国便は昼過ぎだ。気合いを入れて空手着に着替え、バンドをランニングしてから黄浦公園で太極拳をしている50人ほどの一団に加わる。遠慮して隅でやっていたが、近くのおばさんが手招きするので中心に入らせてもらう。終わるとおばさんたちがわれわれの周りにどっと集まってきた。「テコンドーだよ」とか「裸足で寒いだろう」とか口々に言うさまはまるで大阪のおばちゃんみたいである。日本の空手の技を見せてよという声に応えて、型を披露するとみんなが拍手してくれる。何だかいい気分である。我々がわいわい言っていると、夫婦とおぼしき中年の男女が日本語で話しかけてきた。
「あなた、どこから来た?」「大阪です」「おー、大阪ですか。大好きですよ。友だちたくさんいますね。みんな優しい。私は美術大学で先生をしています」と名刺を渡された。それには水墨書院理事とか山水書研究院会員とか中日文化芸術交流協会とか肩書きがゴテゴテと書いてあり、名前の前には画家とあった。「あなた、上海市長に似ていますね。市長はとても若いです」と言いながら、ハサミで私の顔の切り絵を始めた。これがまたうまいんである。この人は高名な芸術家なのかも、と思っていたら、むこうでおばさんたちが懸命に手招きしている。
「ちょっと待っててください」とおばさんたちのところへ行ってみると、私を取り囲んで一斉に何か言っている。わけが分からずに何だ何だ、どうしたんだとおろおろしていたら、一人のおばさんが紙に何かを書いて見せてくれた。それには「小心」と書いてあった。

NO82 上海日記 終 at 2005 10/15 00:06

「小心」とはもちろんビビりのチキン野郎のことではない。注意しろ、ってことだ。なるほど、彼はバンドでも有名な詐欺師らしい。あまりの名演技にさすがの百戦錬磨(の負け犬)のこの私もあやうく騙されそうになったわい。その詐欺師兼大先生は今度はK君を相手に熱弁をふるっておられる。駆け寄ってみると既に遅し、K君は寄付の名目で10元パクられたあとだった。昨夜あんなに信念を貫いた彼だが、最後の最後に赤子の手をひねるように金を巻き上げられるとは、げに恐ろしき上海人民よ。次に詐欺師兼大先生は「上海友好のために100元寄付して下さい」とこの私にのたもうた。何で一気に十倍もふっかけるねん。欲張りすぎやで、あんた。 「財布持ってませ~ん。空手着ですからあ」と笑顔で言うと、「そうですか」と私の手から切り絵を引ったくり、風のように去っていった。
心配そうに見守っているおばさんたちの所に戻り、「老師、謝謝(ラオシー、シャヤ)」と礼を言う。最後に皆と記念写真を撮って別れた。
帰国してからK君は「中国で就職できないですかねえ」と口走ったり、中国語会話の本を買って勉強しだした。遠い目になっている。完全に中国病だ。それから間もなくK君は結婚した。何回も断られてやっと彼女にOKをもらったそうだ。彼にとっては最初から独身最後の旅のつもりだったらしい。新婚旅行は本当は北京に行きたかったけど、新婦の意を汲んでハワイにした。今でも彼と会えば、中国の話になる。実は私もかなり長い間、中国病にかかってしまった。至る所で人民の顔が思い浮かび、いちいち日本と中国のやりかたを比べてみては中国の肩を持ちたくなっちゃうんである。中国は奥が深い。(終)

皆様への伝達事項
上海旅行記は大別して二種類に分割されてるばかりか長編です。一人旅か否かで大違いです。
ドリアン長野が平成15年並びに平成17年に発表した上海旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。日中間の外交問題が平成30年に比べて小さかった平成10年代の上海旅行記だということを前提にお読みください。
ドリアン長野の北京旅行記で、過去にドリアン長野が中国の動向についてそれなりの見解を述べたエッセイを内包させたのでお読みいただければ幸いです。
私はKさんではございませんし私はドリアン長野とは一緒に海外旅行に行ってません。海外旅行が行えるようになった事を喜ぶべきであって喋ることだけを喜ぶのが目的ではいけません。Kさんはドリアン長野にダメダシをしたかったのか?海外旅行をするかしないかは本人が責任をもって行うべきであって第三者に責任を押し付けてはいけません。
飛んで上海に限っては平成15年に発表されました。上海日記に限っては平成16年の年末から平成17年にかけて旅行した上海旅行を平成17年に執筆し発表されました。ドリアン長野は平成10年代に存在したgoo簡単ホームページ上で半ば勢いだけで投稿してたことから非常に乱雑かつ順不同なので整理整頓は絶対必要でした。ブロガーでは長文の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。タグや動画の紹介も含めて29000文字を超える投稿になる予想は不可能でした。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、辛い思いをしてきた海外旅行記です。中国で中華料理ではなくローソンのハンバーガーとジュースというのも辛かったようです。TV番組の豪華絢爛な海外旅行とは違い辛く惨めな個人のお話です。
上海も含め海外の店は取捨選択した方が良いようです。平成十年代に営業してたフェスティバルゲートの跡地ですが平成28年以降はマルハンとドン・キホーテが営業してます。

空港連絡鉄道はご利用されたことがございますか?国の内外を問わずに多数存在してます。日本においては平成6年から運行が開始されてる南海のラピート等が有名です。中国の上海虹橋駅は平成22年に開業したそうですがドリアン長野が行ってきた平成十年代には存在してませんでした。上海の鉄道は平成二十年代になって平成十年代よりも延伸を果たしたそうで、空港連絡鉄道を利用する人は多いようです。
日本にいる間に空港に到着してから円滑にホテルや目的地にたどり着ける交通手段の情報を得ておくことは重要です。時間だけでなく金額の想定も同様です。今回の旅行記を読んだ事もあって日本のタクシーは利用したことはあるが海外のタクシーは利用しませんでした。案外、上海のタクシーは空港連絡鉄道に実質的に敗北したやもしれない。代替としてレンタカーの利用は考えられますが、交通事故が発生しかねないから利用の妨害はしませんが推奨はしません。 海外旅行に行くのは良いがある程度の支払いは不可避でその点は賛同してもらいたい。交通費、ホテル代、保険料、空港税、食費等の多種多様な支払いはございますが、ホテルのシャワーで十分なので上海風呂は高すぎるから行きたくないです。
日本国内で増税されたのは周知されてますが、平成十年代は平成30年と違い消費税が5%でした。
海外旅行の為には日本国内で幾つかの手続きをする必要がございます。実質的に国内旅行を済ませてからでないと海外には行けない人は数多く私も幾つかの町を訪問した後でパスポートを所得しました。ビザ等の法曹面は頻繁に変更されるので各自で各国の最新情報を調べてください。
海外旅行代理店に依頼する前にパスポートの所得を済ませるばかりか必要ならビザの申請も終えておきましょう。ご存知の人も多いでしょうが海外旅行代理店ではパスポートの確認が行われることが多いので提示しましょう。
日本の治安も悪化してはいますがそれでも海外よりは治安が良くて気楽です。
上海(中国)の治安・危険情報 | 現地を知り尽くしたガイドによる口コミ情報【トラベルコ】 https://t.co/dt8cEwAFvB— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年11月19日
平成二十年代になって上海にも危険な町が存在するらしく皆様、お気を付けください。一旦、上海に行ってからウイグル自治区のカラコルム山脈のK2に行く人はおられるそうです。K2は、標高は8,611mでエベレストに次ぐ世界第2位の高さです。
PM2.5は平成十年代には日本に飛んできていたと言われているから中国の大気汚染は深刻なようです。平成20年代になって実際に上海に行った人によると、スモッグが凄まじいそうですのでマスクは必要らしいです。
ホテルの予約、往復の航空券の予約、海外旅行保険の加入をしないままで海外の町に赴く行動について私は推奨しません。
浦江飯店は中国に対して否定的な人も少々驚く見た目は良いホテルのようです。
食事なんですが、ホテルにもよりますがやはり外国人観光客がやってくることを考慮してか多少遅い時間であっても食事が行える体制作りをしてるホテルは国の内外を問わずに多いようです。ドリアン長野とKさんは上海で炒飯が食べれて良かったんではないでしょうか?
上海の冬場は厳寒のようで氷点下に至る事もあるようですので寒い国へ行くならば防寒着は着用するか持って行きましょう。防寒性能が高い靴の保有も考慮してください。ただ、海外旅行前にどういった服装をするかですが日本国内においては常識が疑われない姿にしておきましょう。日本は日本です。飛行機に長時間乗って現地に到着すると気候が日本とは全く違う事はあり得ます。私が行ってきた10月のバンクーバーは大阪市内と比較して少なくとも五度は低い程度で秋でした。そういえば、平成10年代のある日、30度を超える6月の暑い大阪府の関空から北海道の帯広市に行くと8度であった過去も連想しました。日本国内でも気温の変化は大きいです。
ダンスは良いけれども、太極拳は寒いから中止。厳寒であるがゆえに空手の道着を着用して公園をジョギングしたらコリアンから「クレイジー。」と冷やかされる。辛いですね。
「和平飯店(ピースホテル)。」と聞いただけでは見当がつかない人でも「ピースホテルはフェアモントの系列。」と聞くと驚かれる人は多くおられると思います。

平成10年代に平均年齢70歳台の老人達は令和の時期にも生きているのでしょうか?案外、現在でもオールドバーでジャズを演奏してるかもしれません。夢を現実に。著作で紹介された場所へ実際に赴くと感動すると思います。その感動の度合は、距離が自宅から遠い分比例してくると考えられます。 意外に思われるかもしれませんが、ホテルそのものが観光名所になってるようです。やはり、香港ばかりか上海が英国の影響を受けていたのは小さくないようです。 病気になったのはエアコンの不具合ばかりか中国には多いPM2.5が影響したのでしょうか?観光地は日中を問わず同じような雰囲気のようです。豫園は「よえん。」と読みます。添乗員は仕事で観光案内をしてるから搾取はいけません。老西門の特徴に述べてるのは好感します。その部分は普通の海外旅行記に思えます。 海外ではホテルの中のトイレの利用は重要でホテルを後にする前にトイレを利用しましょう。
中国国内の外食は昨今発表されてる情報を鑑みると個人的には危険に思えます。無論、日本国内の中華料理店は良い仕事をされているので推奨します。日本国内の中華料理店は平成20年代のある日を境に、日本国内で栽培された食材を多用するようになりました。なぜか?については皆様のご想像にお任せします。
日本でも冬は夕方五時を回ると夜になるが平成十年代の中国の午後6時の年末年始は電光が少ないから暗かったようです。
ホテルの料理は絶品だったようです。実際の所、高いお金を支払ってまずかったらイヤですね。
ROJAMさんは平成十年代には存在していたが現存してないそうです。ROJAM DISCOさんは平成21年には閉店され会社も株主が大きく変わり改名し会社は存続したそうですが過去の経営とは激変したそうです。中国人女性は怖いようです。何らかの提案があっても警戒した方が良さそうです。
 日本でも同じような問題があって鉄道会社は乗客増に対応したそうです。信仰の自由は素晴らしい権利で認められてるから霊的に過ごしたいです。
文革とは文化大革命の略称で多くの人々が中国で辛い思いをされた時期です。
一説によると中国に本拠を持たない教会は中国では認められないという時期もあったそうです。最近では香港で多くのキリスト教徒が祝福を受けているようです。 状況が厳しいと最善を尽くすのが良い意味での関の山だと思います。
 私がバンクーバーに行った時に教会の中でリーダーシップについて学ぶ時があり、現地のカナダ人が「シリアのア〇ド大統領や中国の習〇平国家主席についてどう考えるんだ?」と気難しい顔しながら発言してたから私は「ENEMY?(敵?)」と発言したら多くの教会員達が爆笑した前例がございました。日本人でも真正保守であれば色々と理解し賛同してもらえるでしょう。錯乱してる人は「日本の恥を世界に輸出してる。」と考えるかもしれないがそれは、真正保守ではない考えを持つ悪人の考えなので是認されないようにしてもらいたい。
夕食がこの日は食べられなかったようで辛い試練でした。日本でも北海道では羊肉は多くの小売店で販売されてます。最近では、本州でも羊肉料理店は増えてきました。
http://www.hinabe.net/
万一の時の為に第二希望の飲食店の情報は、前もって用意しておくことを提案します。多くの人が体験してるようですが、行きたかった飲食店の食事を諦めることも海外旅行の辛い出来事に含まれるようです。
文中で述べられてた画像のデータについて私は保有して無いので発表は行えません。
川島芳子生存説ですが昭和20年代に銃殺されたので一般的には否定されてます。
魯迅公園について軽く調べたら入園無料らしいです。海外において何等かの施設を利用する時において料金が法的に必要なら支払うようにしましょう。
ホテルの予約無しで海外旅行をされることを私は推奨しません。
一般的には日本時間よりも3時間程の時差であれば対応は簡単と言われてますが海外旅行中は時差ボケの影響で現地の時間に合わせて行動することは難しくなります。
公衆トイレに限っては海外は本当に少ないです。日本だと店舗内のトイレを利用出来る事はあるが海外では少なかったです。万が一の時を考えホテルを後にする前にトイレの利用は不可欠です。私が行ってきたカナダのブリティッシュコロンビア州の表通りと裏通りも大きく違ってました。表通りは万人向けなんですが裏通りになると関係者以外は立ち入り禁止みたいでした。
海外旅行では帰国便に乗り遅れると大問題で冷静な行動が常に必要です。
海外においても良いお店に行くのは構わないですが悪いお店に行くのは辞めておきましょう。ドリアン長野はよろしくない悪い店に行って苦労された話を述べました。商売だから少しでも利益を計上したいのは理解するが販売方法が悪い個人商店が多いからかスーパーが中国でも利益を計上してるようです。
2元ショップですが日本の¥100ショップのようなものだそうです。平成十年代には営業していても現在も経営してるかどうかは不透明です。一説には「海外でそういった一個当たりの料金が固定されてるお店に行くのは無駄では?」と考えられてますが完全否定は難しいです。なぜなら旅行中に必要もしくは必要になりそうな商品が売ってる可能性はございます。
カナダではドルショップというよりも$1.25ストアでした。
明白に偽造された製品の購入は辞めるようにしておきましょう。日本国内には持ち込めないと考えてもらいたいです。「偽物の製品の購入の提案はされたが購入しなかった。」といった選択は時には重要です。日本は法治国家です。一緒に行く人にも良識を求めるようにしておきましょう。私はあまりにヤバイ場所や店には行く気が全く無いです。日本ではあまり紹介されていない名店に行って喜びを感じる人がいる点は否定しませんが海外旅行案内書で紹介されてる名店が一つの目安になると思います。名店ではあるが業界3位以下だとあまり紹介されないことはあり得る。そういったお店で楽しく過ごすのも自由です。 海外では日本の法律が通用しません。日本国内で外国人が経営してる飲食店で嫌な思いをした経験がある日本人も多いとは思われますがそれと似たようなものです。日本人が経営していても高値をふっかけられて嫌な思いをした人もおられるかな?
チップは良いお店で良い接客をしてくれたならば、支払った方が良いとされてます。それについては各自で訪問したい国があればその町を紹介してる海外旅行案内書を読んで考えてください。世話してくれた人がいたら、握手の時にそれとなく小銭を渡すと喜ばれます。
不条理な高値の請求については反対や否定をするのはやむを得ないにしても、チップはしないよりもした方が良い国や地域は存在してます。店側が客に対して無許可でチップの料金を増額した上でカードの請求金額が多額になってるか否かについては各自で管理してください。カードでの支払いの時にチップの料金を選べるお店もあるので慎重に選ぶようにしましょう。
為替差損は別としてもホテルのデポジットが返金されないよりも全額返金される宿泊を利用者には求められてます。
ひらがなを読むのが難しいと考える中国人は多いらしいですが一部の中国の大学教育の水準は低くないそうです。
夜間に照明があるかないかで大違いですよね。大通りや繁華街では明るくても郊外に赴くと周囲が真っ暗になったりといった経験を私もしたことがあります。
海外の町の土地勘が出来たのは無形の財産ですね。
中国には詐欺師が多いので警戒してください。この海外旅行記に出てくるKさんは結婚しその後、ドリアン長野も結婚しました。
長野夫妻は夏が来れば思いだすでバンコク旅行について述べられました。
ドリアン長野は中国旅行後に中国人が好きになったようですが中国政府については否定されました。旅行はともかく「中国政府が行ってる行動に対し日本人全員が肯定するか?」と質問されたら否定する日本人が多いのが現実です。平成20年以降は日中友好平和条約が半ば無効になってます。
海外で日本の事を話してもらえると気が緩むとは思いますが中国では警戒が必要です。日本では悪質な詐欺師は糾弾されるに違いありません。私はカナダに行ってカナダが好きになりました。海外旅行に行って楽しかったら、第二の故郷が出来たように思えます。

紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
【上海】浦江飯店アスターハウスホテル
上海豫園 4K
【中国】 中国鉄路 上海駅 Shanghai Station China Railway (2016.9)
Shanghai Tower 上海中心大厦
【上海】黄浦公園をブラブラ

ブロガー版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

ドリアン長野の北京旅行記


ドリアン長野の北京旅行記   エッセイ
NO21 北京の床屋 at 2003 10/17 22:32
 北京に来てから気になっていることがあった。理髪店である。町中のあちこちに理髪店があり、しかも深夜まで営業しており、しかも従業員は若い女性ばかりなのである。若い女性に深夜営業。怪しい、怪しすぎる。他の人間ならいざ知らず、この私の目はごまかせ~んっ! 社会主義国でそんなことがあるのだろうかと不審顔の貴兄に貴女、同じ社会主義国のベトナムでは理髪店と売春が結びついていることは周知の事実である。何でも表向きは普通の理髪店なのだが、希望する人にはスペシャルなサービスを施してくれるらしい。実際、ホーチミンでは北京ほどではないが理髪店がちらほらと目につく。夜、シクロに乗っている時に店内を見たら、いつも何人かの女性が椅子に座って暇を持て余していた。中国よ、お前もか。私は大いに失望した、わけでは全然ないのだが、これは是非調査せずにはおられまい。中華人民共和国の首府、北京よ、農民と労働者の叡智と努力によって共産主義国を建設するという高邁な理念の化けの皮をこの私が引っぺがしてやるわ。うわーはっはっはっ、バカめっ!(はオレだろうな、やっぱり)
 というわけで、故宮の近くに泊まっていた私は夜の11時頃にホテルを出た。う~ん、どの理髪店に行こうか? なるべくなら、きれいな従業員のいる店がいいだろう。もちろんこれはベールに包まれた中国人民の実態を調査するというフィールドワークであり、私には不純な気持ちなど毛頭、爪の先ほども、これっぽっちもないのであるが、どうせならきれいな女性の方がいいだろう、うん。しかし、調査があまり進行しすぎると危険なことになるような気がする。その時は腕に覚えのあるカラテで大声を出して逃げればいいだろう。もし女が中国拳法の名手で無理矢理、組み伏せられたらどうしよう。きれいな体で戻ってこられるかしら。不安だわ。いや、毛沢東も 「崇高な目的達成のためには敵を恐れることなく邁進せよ」 と言っていたではないか。(おい、そこのあんた! どこが崇高やねん! って、つっこんだだろう、今)
  私は決心し、心の中でインターナショナルを歌いながら目星をつけた理髪店へと勇躍乗り込んでいった。(つづく!)

NO22 続 北京の床屋 at 2003 10/24 19:39 編集
 <前回のあらすじ>
 中国ってとこは人はやたらと多いし、言葉はあんまし通じないし、列には割り込むし、日本人だとボるし、ひまわりの種はあちこちに散らかすし、おまけに女までが(以下略)
 店内は清潔で明るく、従業員は男が一人、女が三人、そして男の客が一人いた。そのうちのソファーに座っていた女が立ち上がって椅子に座るようにと促した。営業時間を聞いたら、朝の8時から深夜の1時までだそうだ。なぜ一日17時間も営業してるんだ? 人民をそんな長時間も労働させていいのか? ますます怪しい。女はまず私の首に前掛けをし、洗髪台に頭を突っ込むようにと手振りで示した。その通りにすると女はいきなりシャンプーをし始めた。片言の英語ながら、いろいろと話しかけてくる。 (普通の理髪店に見せかけてるな。パチンコ屋が店内で出玉を換金すると賭博と見なされるから外に景品所を設置するように、これは当局を欺くためのカモフラージュに違いない)
 シャンプーが終わると女は聞いてきた。
「マッサージはどう?」 (きたあーっ!)
「フェイス・マッサージもあるし、全身のもあるわよ」
「いっ、いくら?」
「100元(1元は約14円)」(高い)
私は考えこんで顔のマッサージを頼むことにした。顔だけなら安心だろう。
「それじゃあ、こっちへ」
なんと女は店内にある個室へと案内するではないか。ドアを閉め、二人っきりになる。広さは二畳ほどだ。
(やばい) 棚にはいろいろな乳液やらクリームやらが載っている。 (ますますやばい)私はリクライニングの寝椅子に寝かされた。 (ドキドキ)
女は私の顔にクリームを塗り、マッサージを始めた。それが終わると先端が輪になった金属製の細い棒で顔を突いてきた。(ん?)
あ~、気持ちええ。これは毛穴から脂を抜き取るためらしい。
さすが中国式マッサージ。お肌がすべすべ。 
「次は全身のマッサージしてみない?」 (きた、きた、今度こそきたあーっ!) 
「あのお~、それってどんなマッサージ?」 
「は?」
 「だから、どういった類いのマッサージかな、と」
 「言ってる意味が分からないわ」 
 ここでやめたらせっかく潜入した今までの苦労(なのか?)が水の泡だ。私は不本意ながら受けて立つことにした。さあ、殺せ。女は気合いを入れると、脚から腕から背中から、仰向けからうつ伏せにしたりと汗だくになりながら長い時間をかけて体中を揉んだ。サンダル履きで一日中歩いていたので足はまっ黒。女は一瞬ひるんでいた。終わると体力を使い果たしたのだろう、フラフラと奥へ引っ込んでいった。最後に若い男がハサミとバリカンで念入りにカット。ドライヤーをかけ、スプレーで仕上げ。終わった。1時を過ぎているのに年配の客が一人、入ってきた。(なぜ1時に髪を刈りに?)
 料金はマッサージが100元、シャンプーが100元、カットが50元。それを230元まで値切った。今回、多額の調査費を投じて私が得た物は中国式ヘアカットと、北京の床屋は健全な床屋だったという事実だ。諸君、北京に来たら安心して調髪してもらえよ。その前に料金はちゃんと聞いておくように。体はきれいだったが、お金もきれいになくなった。ふっ、私の思い過ごしだったようだな。疑って悪かったぜ。だけど中国人、ぼるなよおおおおお~っ!!(魂の叫び) しかし、中国はこれで終わるほどまだまだ甘くはなかった。(というわけで上海編につづく)

皆様への伝達事項
外国で散髪してもらうより、日本で済ませてから出国するか在外邦人に行ってもらいましょう。
ドリアン長野が平成15年に作成しgoo簡単ホームページ上で発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。ブロガーでは長文の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
皆さん、海外旅行記でありお笑いエッセイなので真剣に読まないようにしてください。結論から言うと本人にとっては期待外れであったのかもしれません。平成20年以降日本では千円で行ってくれる理髪店が増加してます。海外に行く前に散髪位は済ませておきましょう。海外の散髪の技術は店にもよるが同じ日本人が行っていないと下手な場合が多いそうです。日本の理髪店さんも店舗によってはチョキチョキと髪の毛を切ってもらっている時に悲しくなる発言をしてしまう人がいて次回以降は他の理髪店に切り替える要因かもしれません。無礼者には関われない。北京の床屋が長時間営業してたのは時差ボケで困ってる外国人向けでしょうか?しかし、行列の横入りは嫌ですね。

ドリアン長野は、政治信条について語ることがございますが、感想については各自の判断でお考えください。決して、皆様の自由妨害をする気持ちは当方は一切考えておりません。平成20年代になって昭和53年から存在する日中友好平和条約が機能してるかどうかについて懐疑的な人は多いが結局は、旅行や仕事で中国へ赴く日本人が多いのが現状です。 
_
海外政府が行ってる行動とその国家にお住まいの方々とは別だと考えて海外旅行に行かれる人も多いとは思います。当ブログは海外旅行記をメインにしてますが決して海外旅行記ばかりを発表してる訳ではありません。今回、特別にドリアン長野が執筆した北京旅行記並びに中国についてのエッセイをまとめて伝達します。
文化大革命 (講談社現代新書) 矢吹 晋 https://t.co/cQIXAoEf33 @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
NO70 反日デモと民主主義 at 2005 04/27 22:31
中国各地で反日デモが出来しているが、事件をテレビや新聞で目にするたびに私は文革を思い出しては「中国は民主主義社会である」との意を強くする。矢吹晋氏の「文化大革命」(講談社現代新書)には「スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁という大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落し、ついには大衆テロに堕落したのであった」とあるが、これは民主主義というイデオロギー以外の何物でもないではないか。文革、学生の民主化要求デモ、そして反日デモに至るまで民主主義は連綿と継承されてきた。ちょっと待たんかい、なんで民主主義社会で民主化要求デモがあんねん。それに天安門事件はどないやっちゅうねん。人民がぎょうさん殺されとるやろ。人権はどないなっとんねん。と言う人もいるに違いない。それはまだ中国が未熟な民主主義だからだ。共産主義に至る第一段階の社会主義みたいなものである。だとすれば、民主主義後進国である中国が日本やアメリカのような民主主義先進国を目指せばいいのか。もし仮にある国家が民主主義を採択し、どんどん人権思想を発揚し徹底していけば、それはファシズムにならざるをえない。何となれば、民主主義はファシズムだからである!
「ヒトラーは(略)『民主主義の大洪水』をひき起こしたのである。これを人々はナチズム(あるいはファシズム)と呼ぶ。しかし、その正体はなにかと言えば、フランス革命以来一貫してかわらぬ、あの『抑制のないデモクラシー』にほかならないのである。(「民主主義とは何なのか」 長谷川三千代 文春新書)
民主主義とは何なのか (文春新書) 長谷川 三千子 https://t.co/mzKnwqH8we @amazonJPさんから — ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
カンボジアでのポル・ポトの大虐殺は文革がなかったら起こりえなかったかもしれない。少なくとも文革に影響されたことは確かである。民主主義・人権思想の持つ、差別を撤廃し全てを均一化するという情熱はポル・ポトの蛮行につながっている。虐殺があったから民主主義を再検討しようということにはならない。逆に民主主義・人権思想を徹底しようということになるはずだ。中国がチベット人に対して行っているのは紛う方も無く人権侵害である。しかし人権というものは恣意的な概念であり、制度に過ぎない。フランス革命の人権宣言には「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」とある。ここに「至高の存在」とあるように、人権宣言は宗教的な儀式であった。神(もしくは神のような存在)から承認された権利(!)であり、人間に賦与されているものではないのである。人権を人類普遍の真理だとするのはまやかしであり、そうと思い込むのは錯誤でしかない。チベット人への人権侵害をやめろ、と人は言う。これは現代の人権思想への儀式を求める鬨の声なのか。全てを人権へと収束しようとする儀式への。人権を持ち出せばチベット人は救われることはない。何度でも言う、人権というのはイデオロギーだからだ。
過去、イギリスは清にヤクザ同然のやり方で戦争をしかけ、多額の賠償金、治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認と上海、広東等を開港させ香港を租借地にしたが、それに対して中国が賠償を求めたとか反英デモを行ったという話は寡聞にして知らない。これは日本への差別ではないのか。今回の反日デモは別の意味で民主主義のあり方を問うべき事件であると私は思う。
美味しんぼ (91) (ビッグコミックス) 雁屋 哲 https://t.co/wSYIxSfiAG @amazonJPさんから — ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
NO75 「美味しんぼ」と人道主義 at 2005 06/09 18:54
「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ)91巻の第6話(“焼き”の深さ)は東西新聞の文化部に配属された記者の話である。彼はインドネシア・スマトラ沖地震に対しての民間の義捐金が少ないことに義憤し、紙面で被災者救済を直接訴えることができる政治部か社会部に転属させてくれとごねる。山岡士郎は文化の重要性を説くためにこう言う。
「ある日本人が、いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっと長い間アジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが、日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと。」
それほど文化というものは重要なものだと山岡は言うのだ。恐ろしい論理である。イギリスの上流階級に広まった喫茶のために清から大量の茶等を輸入し、その輸入超過を是正するために阿片を売りつけていたが、それを拒否した清に戦争をしかけたのがアヘン戦争だ。これはまごう方無い侵略戦争である。その後のアロー戦争も同様だ。これにより支那への支配が始まったのだが、しかしこんなことはイギリスが文化を与えたことによって免責されるのである。喫茶という貴族階級の文化を維持するためには何人もの清の人間が廃人になろうが仕方ないとでも言うのだろうか。原爆投下による大量虐殺もアメリカ文化を与えられたことによって相殺されるということになる。それならば日本による朝鮮支配もインフラや教育という文化を与えたことによって不問に付されるはずである。しかし雁屋氏は「美味しんぼ」や「日本人と天皇」(いそっぷ社)といった著作の中で滔々と日本を一方的に断罪し、他のアジア諸国を単純な被害国として描くのみである。
マンガ 日本人と天皇 雁屋 哲 https://t.co/Hw8A1lgJCG @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
美味しんぼ (76) (ビッグコミックス) 雁屋 哲 https://t.co/Cdg4UfsCZf @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
「美味しんぼ」76巻の「中華と中国」は支那そばという店名に憤慨する支那人の話である。支那というのは蔑称であるから中国と呼べ、というのが彼らの主張だ。実は支那というのは蔑称でも何でもなく、むしろ支那という名称を廃止せよと強要していることが日本に対する差別であるということが評論家の呉智英や支那文学者の高島俊男といった識者によって明らかにされている。この名称問題は靖国神社参拝や歴史教科書問題につながっている。以下は小泉局長と山岡の会話である。
小泉 「事は簡単だ、支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」
山岡 「おっしゃる通りです、相手がいやだと言うことはしない。これは人間同士の間でも、国と国との間でも、同じことじゃないのかな」
中国の日本に対するバッシングは国内問題から目をそらせ、人民を極端な国粋主義(ショービニスム)に転化させる政治的意図であるというのは周知の事実だ。日本は中国のサリーおばさん(Aunt Sally;年増女の木像の口にくわえさせたパイプに棒を投げて落とす遊戯。転じて不当な攻撃の的)なのだ。それであるから、中国は日本がどんなに賠償金を支払っても謝罪してもどこまでも許しはせず、口実を作って責め立てるのは明白である。中国が東シナ海という呼称がいやだからと言えば、それを改称するのか。歴史教科書は捏造であるから不快だと言えば、中国の都合のいいように書き変えるのか。チベット人の虐殺を明るみにするなと言われれば、唯々諾々と従うのか。北朝鮮が日本が拉致問題についていつまでも拘泥するのは不快だと言えば、追求するのをやめるのか。雁屋氏のアジア史に対する見解は単純で楽天的であるが、歴史観と人道主義が結びつくほど恐ろしいものはない。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
北京の理髪店


ブロガー版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集