2026年3月29日日曜日

令和七年の年末から令和八年の年始にかけての海外旅行記

前回の海外旅行記は、以下をクリックして下さい。

豪州 QLD旅行記 令和七年

オーストラリアのクイーンズランド(略称はQLD)に存在するケアンズ。
 令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行されましたのでその年に投稿しました。
翌年の令和七年にgooブログはサービス停止をしたのでエキサイトブログ上で再投稿しました。

今迄の旅行記とは大きく異なり帰国してから戦火に見舞われた国々が存在します。 今回の海外旅行記は最終回になるやもしれません。
直行便を利用して往復したのではなく一度の渡航で幾つかの国々を訪問した旅行記です。

親子で2024年の夏にクイーンズランド(豪州)のケアンズを旅行された翌年の年末から2026年の一月にかけてサウジアラビアを始め多くの国を渡航されました。 往路。関空〜釜山(大韓民国)〜バンコク(タイランド)〜アブダビ(アラブ首長国連邦)〜サウジアラビア〜ドバイ(UAE)。復路。 ドバイ〜中国(海南島)〜香港〜関空。
同じ国へ二回渡航したと言っても大きく異なってます。韓国を旅行されたが釜山旅行記は発表しても独身時代のソウル旅行記は投稿してません。
それはアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビとドバイが異なるのと同様です。
令和七年にgooブログが利用停止になったのでエキサイトブログを後継にして利用してます。



「恋するサウジ」 父と娘

2025年11月25日 19:31
サウジアラビアに娘と行くことになった。
事の発端はこうである。

娘は小5から大のサッカーファン。僕がそのことを知ったのは娘が中学生になってからだ。

「私、サッカーのファンやねん」と言ったときは少々驚いた。そんなそぶりは少しもなかったからだ。
部活は卓球をやっているが、本当はサッカー部に入りたかったらしい。
女子が一人もいなかったので断念したそうだ。
ちなみに僕はワールドカップも見ないほどサッカーには興味がない。いや野球も見ないし、そもそもスポーツに興味がない。

そして娘は何よりもロナウドの大ファンである。
彼がサウジに住んでいるという理由でサウジの首都リヤドに行きたいと言う。どれだけ好きかというとパソコンのスクリーンセーバーが勝手にムハンマド皇太子に変えられていた。そこはロナウドちゃうんや。

ロナウド→サウジアラビア→イスラム教

という流れでイスラム教にも興味を持ち、モスクにも見学に行き、イスラム教徒になりたいと宣わった。アラビア語を勉強し、自己紹介もできるようになった(もちろん僕にはさっぱりわからないが都知事よりはうまいかもしれない 笑)。

娘は何年も前からサウジに行きたいと言っていた。

うちはビンボーなの?クラスのほとんどは海外旅行に行ったことがあるそうやで、と娘。

わが家は裕福とは言えないが、ビンボーだとは言いたくない。なぜなら世界には1日1ドル以下で生活する絶対貧困の人たちがいる。その人たちに対して失礼だと思うからだ。日本に生まれた僥倖だけで恵まれている。

あまりに熱に浮かされたようにサウジ、サウジと言うので妻が条件を出した。

「あんたがそんなに行きたいなら行かせてもいい。条件は塾の偏差値58を達成したら」

しかし、それは達成できなかった。
妻は二度目の条件を出した。

「中間テストで全ての教科で平均点10点以上を出したら」

結果は10点以上の教科もあれば、そうでもない教科もあった。

「全教科の平均点で10点以上かと思った」

粉飾決済か。

「かわいい子には旅をさせろ」と妻は言い、なんとかしてサウジに行かせたいらしい。

そして三回目の条件。カイジか。

「家の手伝いをすること。勉強を頑張ること」

あと何項目かあったが忘れた。もちろん娘はこの条件を飲んだ。

悲願のサウジアラビア。ついに旅順港は陥落した。乃木将軍万歳。娘は狂喜乱舞である。お母様、ありがとうございます!と連呼。

そうと決まったら早速、娘とガイドブックを買いに行った。旅行の二か月前のことだ。
ちなみに行くのは僕と娘だけで妻は留守番である。妻は神経質なタイプで旅行中に下痢になったら、と心配し、何より三人分の旅費が捻出できない。それでも自らを「渡鬼」の旅行会社経営の岡倉文子だと言い、格安の航空券をネットで探すという。すまん。

『地球の歩き方 ドバイとアラビア半島の国々』の最新版は2020〜21年版というから四年前だ。2025年にサウジの首都リヤドの地下鉄が全線開通したので当然ガイドブックには地下鉄路線図は載っていない。それでも仕方ないので買う。

妻がいろいろと調べてくれ、乗り継ぎの航空路を何種類か出してくれた。インド経由やベトナム経由などがあるが、そこで僕が口を出す。

「できたらバンコク経由で」

僕は独身の時にバンコクに9回行っている。新婚旅行で10回目だ。それほどバンコクが好きなのだ。

そして出てきたのが、関空〜釜山〜バンコク(二泊)〜アブダビ〜リヤド(三泊)。

帰路はリヤド〜ドバイ(一泊)〜西安〜合肥(一泊)〜関空、というプラン。

チケット代は二人で…

40万!

「これでいいね?」

あとはスマホの画面をポチるだけだ。

亡き竜ちゃんの声が聞こえる。

「押すなよ、絶対に押すなよ!」

よ、よ、40万円。40年前にインドに行った時は30万だった。しかしあの時は一人だったが今度は二人だ。それを考えると安い…か。

ああ、ままよっ!震える親指で画面を押す。
押忍!大山先生!

しかしサウジ行きの出費はこれだけでは済まなかった野田佳彦前総理大臣。

その2 2025-12-16 23:27:47
テーマ:ブログ

まずはホテル探しだ。バンコクとリヤドとドバイと中国である。やはりリヤドとドバイは高い。安くなるとかなり都心から離れる。この日は有給を取っていた。日米首脳会談のテレビ中継を観ながら頭を悩ませていると昼前に仕事中の妻から電話がかかってきた。

「ホテル、高いやろ」
「高いなあ」
「帰宅したら調べてみるわ」

そういうことで自称岡倉文子はネットでホテルまで予約してくれたのである。ちなみに娘は中東では野宿でもいいと言っていた。

「一生私に足を向けて寝られないな」
という妻だが、毎晩同じベッドでお互いに頭と足を反対向きで寝ているのである。
しかし感謝していることに変わりはない。

なんとかホテルも決まり、サウジのビザを取らなければならないが、値段を知って驚いた。一人二万円。
サウジは2019年に観光を解禁したのだが、国立の病院での診療や、国立大学を含む学校教育が無料、個人所得税も無料。さらに条件を満たせば、国から住宅が無償または無利子で提供される場合がある。

それなのになんでビザ代金が高いんや。
その上、スマホで撮った写真が何度もはじかれる。何度もトライして(2日かかった)やっとネットでビザ取得。次は娘のビザを取ろうとしたが、どうしても取得できない。妻に指摘されてミスに気づいた。

ビザは個人用とグループ用になっているのだが、僕は個人用で取得したのだ。グループというと、ついツアーのイメージがあった。グループ用だったら子どもとの紐付けが容易にできたと思うのだが、これも何とか妻にやってもらった。さすがの自称岡倉文子である。

やれやれと、スマホでサウジのことを調べていたらとんでもないことが書いてあった。

「18歳未満はサウジアラビアには入国できません」

思わず血の気が引いた。

航空券とホテル代とビザ代金、なによりも娘の落胆が…

まるで完全試合目前に最後の打者にホームランを打たれてしまったピッチャーのように膝から崩れ落ちた。

ゲームセットと思ったが、調べてみたらそれは古い情報らしい。念のために六本木にあるサウジアラビア大使館に電話して聞いてみる。未成年でも入国は問題ないが、渡航証明書を持参すれば安心とのこと。

渡航証明書、つまり未成年が入国する場合の親の承諾書だ。公式の渡航証明書は存在しないので、JALのホームページから書式をプリントアウトして記入する。これで万全だ。どっかからでもかかってこいや、サウジ!と豹変する地獄から天国。

その3 2025-12-22 23:43:58テーマ:ブログ

そして帰りのドバイ一泊だが、ドバイといえば世界一高いビル、ブルジュハリファ。「ミッション・インポシブル」でトム・クルーズがスタントマンなしの命がけで熱演してたよね。
これがまた高い。一人一万円近くする。それでも125階あたりだ。145階ともなると、目が飛び出るくらいの高さ。それでも一生に一度のことだからと最上階に登るつもりだったが、ある事件が勃発してやめた。

それは出発二週間前のことだ。高市首相の台湾有事発言で中国から日本へのフライトが取りやめになったのだ。リヤドから中国内で二回乗り継ぎをして帰国する便が飛ばなくなった。今から代替え便を検索してもクリスマスシーズンと新年にかけてチケットは倍以上に跳ね上がっている。

「今回はキャンセルしようか。来年は高校受験だから無理だけど、高校生になったら行けるだろう」

「いや、絶対に行く」と娘。

そりゃそうだろう。不可抗力とはいえ、ここでキャンセルしたらトラウマになる。そのために部活と塾と勉強を頑張ってきたのだ。

「四万円持ってるから全部出す」という娘だが、前回のオーストラリア旅行で供出させられたはずだ。案の定、財布には一万円しか残っていない、ていうか一万円もよく残っていたものである。
しかし、これでは焼石に水である。

土曜日の朝、起きたら枕元に置いてあるスマホがない。あれ?と思って探してみると、妻の枕元にあった。昨夜遅くまで帰国便を検索していたのだろう。
僕も一縷の望みをかけて検索するが格安チケットは出てこない。

7時、休日は9時か10時まで熟睡されている妻が寝室から出てこられた。

「スマホ貸して」

妻は検索する。「高い。これも高い」

親指を動かし、バッサバッサと薙ぎ倒す。全盛期のアンディ・フグか、レチ・クレバノフか、黒澤浩樹か。

そして親指がピタリと止まった。

「これなんかいいんじゃない?」

と、殿、なんと申された!老いたとはいえ、爺の耳、今しかと聞き申したぞ。と殿の元へにじり寄る。

スマホの画面には「ドバイ国際空港〜海口美蘭国際空港〜香港国際空港〜関西国際空港」。

チケット代金は以前の航空券の四万円増しになる。これは仕方がないだろう。キャンセルされた便のチケット代は払い戻してくれるし。

さすが自称岡倉文子は伊達ではなかった。この喜びを娘に伝えようと思ったが、娘はわれわれの苦闘を尻目に部活の試合に出て行った。

少しくらい頑張ってとか健闘を祈るとか期待してますとかお父様大好きとかないのか。
そう言えば娘は自宅から歩いて通学しているのだが、その途中に中国領事館がある。この前通った時に入口に柵が設置されて容易に入れなくなっていたらしい。さもありなん。しかし盛夏の時も真冬の時も雨の時も警杖を持って警備している警察官の方々を見るたびに敬意を表さずにはいられない。

往復で7回の乗り継ぎ、費用を抑えるために保険には加入しなかったが一度でも延滞したらえらいことになる。かなりタイトな旅になりそうだ。

奇跡の鳥取県民
2025-10-21 11:59:56テーマ:ブログ
僕は鳥取県生まれだ。日本一人口の少ない県。取鳥と書かれる。島根県と混同される。鳥取県は右?左?

テレビで鳥取が写ると、郷土愛にあふれる僕は、「ほれほれ、鳥取!」と思わず注意を喚起するのだが、「それがどうした、これだから田舎者は」と大阪生まれの娘。

僕の生家の向かいに映画監督、岡本喜八の生家があった。東宝入社時、当時県会議員でのちの米子市長の弟の人事部長と偶然に面接を受け、道が開けたと彼の自伝で読んだことがある。
だが、その奇跡が起こったのだ。他ならぬこの僕に。

ある時僕は兵庫県の某所で30人くらいの集まりに誘われ、出席していた。ある女性と話をしていると出身地の話になり、僕が米子出身だと言うと、看護師をしていたある女性は「あら、私、米子で一時期働いていたことがあるんですよ」と言う。それは奇遇だなあと思ったが、そんなこともあるだろう。するとその横にいた女性が「あの、私の父は米子出身なんです」と言ったのだ。
その女性が今の妻である。

義父は地元の高校を卒業し、JRに採用されて神戸勤務になった。実父と同じ高校だった。調べてみると妻とは遠い親戚だった。「それで?」と娘。

あ〜、もういいわ!

その4 2026-01-10 12:18:58
出発当日。5時に目が覚めた。妻は昨夜2時までホテルへの道順などをプリントアウトしたものに加筆をしていたが、7時に起きてきた。妻よ、ありがとう。しかしその労作を旅の途中で紛失し、苦戦してしまうのだが。

娘にしては早い9時に起きてきた。妻は準備のために数日前から在宅勤務にしてもらっていた。
緊張する、と娘。無理もない。父も7回の乗り継ぎに乗り遅れたと緊張。その乗り継ぎで大失敗があったのだが、それはまた後述。
11時前に家を出る。妻、嫌がる娘とハグ。

関空の第二ターミナルは初めてだが、第一ターミナルとこれほど差があるとは思わなかった。まるで地方都市の空港みたいだ。出発ゲートを出て歩いてチェジュ航空機に乗る。

満席らしく娘と前後の席に別れて座る。

16時前、釜山到着。3時間ほどトランジットで空港待機だ。この搭乗待合室がなかなか良かった。コンビニやレストランや土産物屋などが充実していて楽しい。

コンビニで栄養ドリンクを買って飲んでみる。
…まずい…
夕食用におにぎりを購入。お米はおにぎりを一晩冷蔵庫に入れていたような硬さ。日韓の食文化を垣間見られてなかなか興味深い。

旅への期待を膨らませながらバンコクへ向けて出発。

23時半にスワンナプーム空港に到着。入国審査は大行列だ。関空のチェックインカウンターでデジタルアライバルカードを作成するように言われていたが未完成だったので時間がかかった。女性入国審査官に不備部分を記入してもらい、思わず「コップンクラッ」とワイをする。

タクシーでホテルへ。空港近くのホテルを予約していたが、タクシードライバーはスマホで住所入力をしたにもかかわらず迷って、車を二度降りて屋台の人に聞いていた。

やっと見つかりチェックインしたのが1時。フロントで待っていたのは人の良さそうなおばちゃんだった。荷を解いたりしていたので就寝が2時になってしまった。二人とも空腹ではなかったので夕食を摂らずにそのまま寝る。

翌日娘は7時に起きてきた。近くのコンビニで朝食を買って支払おうとしたが、会員に入会しないといけないか、特定のクレカじゃないと使えないのかよくわからないが断られた。仕方ないのでホテルのフロントに置いてあったビスケットとコーヒー用のミルクパックをもらって朝食にした。

ホテルから駅へは徒歩で5分とかからない。
ホームで待っている人に聞くとマッカサン行きは駅の三階から出ているらしい。

マッカサンで降りて教会に行く。われわれ二人はクリスチャンで毎週教会に行っている。バンコクの教会では英語とタイ語で聖餐会が行われるので英語での集会に出席。礼拝堂は広く、200人近くが出席していた。

その後、ASOKのモールで昼食。KFCに入ることに。娘はここでKFCデビューを果たす。そう言えばもう何年も昔、僕もバンコクでスタバデビューをしたのだっけ。

タクシーアプリでGRACE HOTELに行く。泊まるためではない。この界隈にアラブ人街があるからだ。僕はこのホテルが好きでバンコクでは一泊目がカオサン、二泊目はここに泊まるのが定番になっていた。
ロビーのソファにはアラブ人がくつろいでアラビアコーヒーを飲んでいるのも変わらない光景だ。

25年前は半地下にディスコがあり、中東風の音楽にアラブ人たちが踊っていたが今は美容室になっていた。
24年前の同時多発テロの時はビン・ラディーンの顔をプリントしたTシャツを着たアラブ人たちがこの界隈を闊歩していた。夜になるとホテルは売春婦のたまり場になった。

近くのアラブ人街を歩く。レストランの呼び込みのイケメンアラブ兄さんが「ニーハオ」と声をかけ、流暢な中国語で話しかける。娘は私は日本人だ!と憤慨。

それでも娘に「食べてくか」と言うと珍しく同意した。
マトンカレーとナン。量が多すぎて何とかナンは完食したがカレーは残してしまった。

トゥクトゥクでクロントゥーイ市場に行く。この市場はアジアの市場でも雑然という点では群を抜いていて、悪臭もひどい。神経質な人は気分が悪くなるかもしれない。しかし僕はバンコクに行くたびにこの市場に足を運んだ。生活するパワーが横溢し、エネルギーに満ち溢れている。
娘を是非連れてきたかったのだ。

懐かしい市場は年末の黒門市場ほど混んでいた。人混みの中をバイクがクラクションを鳴らしながら突っ込んでくる。悪臭の原因は傷んだカニやエビなどをそのまま放置しているかららしい。

歩いてHua Lamphong駅に向かう。ファランポーン駅はバンコクの中央駅で昭和な駅舎が好きなのだ。地方からバンコクにやって来るタイ人はファランポーン駅で上京する。日本で言うと上野駅だ。ここで痛恨のミスを犯した。綴りが似ているプロンポン(Phrom Phong)駅と間違えてしまったのだ。

たどり着いた時に、あれ、ファランポーン駅も近代的になったのかと思った。窓口や駅員に聞いても要領を得ない。気づいたのは1時間後だった。
さらにファランポーン駅が一部廃止、長距離輸送のハブ機能は失ったものも、近郊のローカル線として機能していると知ったのは帰国後だった。
仕方なく巨大仏像などで有名な観光スポット、ワットチャイナーまでプロンポンから地下鉄で行くことにする。僕と駅員とのやり取りを聞いていた老夫婦らしき人が親切にも行き方を教えてくれた。
しかし、だ。ワットチャイナーに着いた時は既に拝観時間は終わっていた。



今、娘と中東にいます 令和八年一月

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/pfbid02pdqNbhqXZm6S31rsgomjBrERsxezUzDMD7MPovkTK37bPcYe6HtGW5s755nxZRa9l

今、娘と中東にいます。
娘は小学生の頃からサッカー選手、サウジアラビアのチームに所属しているクリスティアーノ・ロロナウドの熱狂的なファンでサウジ行きを長年熱望していました。
今回、勉強を頑張った約束としてのかなり無理をしたご褒美となりました。とは言え、関空〜釜山〜バンコク〜アブダビ〜サウジアラビア〜ドバイ。帰国便はドバイ〜中国の海南島〜香港〜関空という短時間で格安航空券を乗り継ぐかなりハードな旅となります。
バックパックを担いで各国のゲストハウスを泊まり歩く旅は娘に文化の違いと好奇心を刺激しているようです。
私も中東は初めてですので早朝から深夜まで様々な場所を歩き回っています。一昨夜はホテルの場所を迷い、今晩は野宿かと心配しながら娘のスマホ探索の先導でやっと帰館したのが真夜中の1時前、スマホの充電が切れる寸前のことでした。
その他にもメーターを使わないようにするタクシードライバーとの攻防、ドバイではスマホに入れていた世界一高いタワー、ブルジュハリファの展望台予約券が消えてしまい、泣く泣く買い直したり、慣れないe simに手こずったりと様々なトラブルはありますが、親バカながら娘の成長を頼もしく感じています。
とは言え、現地の方々の親切に涙し、街に朗々と流れるお祈りの時間を告げる連絡に魂を揺さぶられる経験をし、心から中東を訪れる経験ができたことを感謝しており、今から中東ロスになることを二人で案じています。
時差の関係で1月1日の18時が日本の元旦となりました。娘の強い希望でサウジのユニバ(?)、ブルーバードシティで現在の人たちとカウントダウンを迎えました。
2026年、皆様のご健康とご多幸を心から祈念しております。良きお年になりますように!

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中国のハワイ(笑)と言われる海南島の海口市に来ています。 令和八年一月

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中国のハワイ(笑)と言われる海南島の海口市に来ています。
ネットが繋がらなくなり苦戦しています。この辺になると英語も通じなくなり、Temで購入した翻訳機もこちらの発音が悪いのかまともに翻訳してくれません。
必然的に翻訳機に向かって滑舌よくゆっくりと「こ・の・荷物・を・預・かって・も・ら・え・ます・か?」とジャーナリストの渡部陽一さんのような話し方になります。
結局通じたのはこの文言だけでした(泣)。
タクシードライバーが英語を解しないのは無理ありませんが、ホテルのフロントが一言も簡単な英語が理解できないのは困ったものです。まあ一泊1200円のゲストハウスですが。
さて、われわれは騎楼老街という観光地に来ています。
観光地と言えば市場です。雑然とした雰囲気が好きなのですが食用なのかペットなのか判然としないものもあります。
旅の途中に寄ったバンコクではクロントゥーイ市場に行きました。この市場はアジアの市場の中でも雑然さという点では群を抜いています。悪臭もひどく、神経質な人は気分を悪くするかもしれません。
しかし、生活する人たちのエネルギーに満ち溢れていて、バンコクに行くたびに足を向けてきました。今回の旅で是非娘に見てもらいたかったのです。
ところで私は食べ物を粗末にすることが非常に嫌なのですが、娘も然りで大晦日にサウジで買った弁当の食べ残しを3日の今日、朝食用にホテルで食べていました。
関係ないですがロナウドは息子がコーラを口にするとイライラする、という話を思い出しました。
さあ、今から香港に向けて出発です。父と娘の旅も終わりが近づいてきました。
もう乗り遅れを心配しないで済むという安堵感と寂しさが交錯しています。








その5 2026-01-22 18:44:48

「大仏見たかったのに」と娘。僕はいままでバンコクには10回以上来ているが仏像を見学したのは一回だけ、新婚旅行の時だ。仕方ない、タークシンまで行き、ボートでチャオプラヤー川を渡り対岸にある巨大モール「アイコンサイアム」へ。このモールは2018年にオープンしているので11年前にバンコクに来た時はまだできていなかった。

ものすごく賑わっている。バンコクにはモールが多数存在するが、一番洗練されているのではないか。目当ては7階にあるスタバだ。テラス席はチャオプラヤー川に面していて夜景が美しい。しかもその日はモールが主催したのだろうか、一階にある広場でタイ人ロックバンドが無料ライブをやっていて大勢のファンが歓声を挙げている。
夜景をバックに巨大スクリーンに映るタイでは有名(多分)ロックバンドを観ながら飲むフラペチーノは格別である。それでもこれが最後のバンコクになるだろうな、と頭の隅でぼんやりと考える。

VIP気分に浸った後、観光客たちとシャトルボートで対岸に戻る。料金は40円だった。そこから歩いてナイトマーケットに行くことにした。
バンコクにはいくつかのナイトマーケットがあるが、そのマーケットはどでかい観覧車で有名だ。夜中に海外の街を歩くのはワクワクして楽しい。娘は日本にいる時でも散歩しに行こうと誘う。ただ必ず夜なのだ。昼間に知り合いに会うと気まずいらしい。

娘のスマホ検索に任せて40分でナイトマーケットに着いた。
思ったより閑散としていたが、観覧車に近づいていくと人が増えてきた。娘はマーケット内にあるスーパーで学校の友だちの土産物を物色してからタクシーアプリでカオサンまで行く。さすがにタクシーで寝ていた娘だが、カオサンで降りて歩いていると、「眠気が吹っ飛んだ」と言う。

真夜中に近いのにカオサンは欧米の観光客で賑わっている。ロックを大音量で流し、オープンバーでレディーボーイが踊り、屋台はあちこちで呼び込みをしている。歩くのも困難するほどの人いきれだ。なぜか娘はこの喧騒が気に入ったようだ。

Esimの残量が少なくなってきたのでWi-Fiの飛んでいる「バーガーキング」に入り、ネットで追加分を購入。バンコクに来たのに一度もタイ料理を食べていない。

さすがにもう帰ろうと大通りに出ると、道端で出稼ぎのタイ人がずらっと寝ている。東北部のイサーン地方から来た人たちだろうか。ホテル代を節約し、もしくはその持ち合わせもないのだろう。カオサンの狂瀾とは対照的だ。

民主記念塔の近くでタクシーを拾う。かなり走ってホテルの近くまで着いたと思ったらまた引き返して大通りに出る。僕の勘違いだったかと思っているとまたホテルの近くに着く。再びバックして幹線道路に戻った。さすがに道に迷っていると気づいた。空港から行く時もそうだったが、本当にわかりにくいホテルらしい。三度目、ホテル近くの線路に着いたときにタクシードライバーに「ここでいい」と降りる。

線路沿いに歩いてホテルに帰館したのが1時半、われわれは2時に寝た。

それでも僕は5時に、娘は5時半に起きた。いつもは登校時間ギリギリまで寝ているのだがアドレナリンが出ているのだろうか。

空港で食事をしようと6時過ぎにはホテルをチェックアウト。タクシーで20分で空港に着き、フライト3時間前に着いた。空港でタイ料理をテイクアウトして搭乗ゲート前の席で食べる。バンコクに来て最初で最後のタイ料理。9時半スワンナプーム空港出発。

いよいよ中東だ。6時間でアブダビ空港に着いた。リヤド行きの乗り継ぎは1時間もない。期待と緊張感が高まる。しかし、ここで痛恨のミスを犯してしまったのだ。


その6 2026-01-26 18:55:22NEW !

飛行機の窓からは砂漠が延々と続いている。アブダビはアラブ首長国連邦の首都であり、ザイード国際空港は世界一美しい空港とも呼ばれているらしい。
14時過ぎに到着。前方の座席の人たちが降りるのを待ち、立ち上がって荷物棚を見るとリュックがない。あれ?と思い、座席の下を探したが、そこにもない。一瞬バンコクの空港に忘れたか、と思ったがあんな大荷物を忘れるはずがない。すでに乗客は全員降りている。慌てて昇降口にいるCAに「荷物がない」と言うと、驚いてわれわれの座席を探す。
棚には何も荷物は残っていない。ふと見ると、開いている棚の隣に小さな収納棚がある。開けてみるとリュックがあった。
ホッとしたのもつかの間、CAが急いでください、と言う。すぐに、降りてシャトルバスに二人だけ乗り込み、空港に着くと娘がトイレへ行きたい、と言うので僕もトイレへ。まだこの時点で事の重大さをわかってなかった。先にトイレから出て待っていたが、娘はなかなか出てこない。

さすがに焦ってきた。やっと出てきた娘とゲートまで走る。ハブ空港なのに閑散としている。息を切らせてゲートに着くと、入口で仁王立ちの職員が言った。

「20分前に締め切りました」

「へ?…ということは乗り遅れ?」

少ししてタイ人と思しき女性が駆けつけてきて締め切りと言われ、呆然としている。手には大きな段ボールを持っていた。預け荷物が出てくるのを待っていて遅れたのだろう。とすると彼女は不可抗力、われわれはただのおマヌケと言っても過言ではないと言っても過言ではないだろう。

どーすんのよ、あたしたち。

トランジットサービスに行ってくれ、と言われてわれわれ三人はだだっ広い空港の二階に連れて行かれた。

パソコンをカタカタさせている職員に「ソファーに座って待ってくれ」と言われる。
もしかしたら払い戻し、もしくは代替え便を用意してくれるかもと一縷の望みを持ち、待つこと30分。職員が来て言った。

「乗り継ぎ時間が45分あったので賠償はできない」

あ"〜、あの時リュックにすぐ気づいておけば、あの時トイレに行かなかったら、と悔やんでも覆水盆に還らず、だけど正月には帰る、などとこんな時に限ってバカなことが頭に浮かぶ。

戦友だと勝手に思っていたタイ人女性はすぐにカウンターでチケットを買って戦線離脱。
はっ、こうしている場合じゃない。僕も格安チケットをスマホで検索しようとしたがなぜかWi-Fiが繋がらない。こういう場合頼りになるのは岡倉文子。

すぐに電話する。

「リヤド行きの飛行機に乗り遅れちゃって、乗り継ぎ時間が短かったから20は人くらい乗り遅れてた(嘘)。チケットとってくれない?」

妻は驚いただろうが、すぐに「探すわ」と電話を切る。待つこと1時間。スマホにチケットが送られてきた。

二人で6万円。痛い出費である。時間があるが少しだけ空港をウロウロして今度こそ乗り遅れないように大人しくゲートで待つ。

こうしてわれわれは予定の7時間遅れの22時にやっと念願のリヤドのキング・ハーリド国際空港に到着したのである。
先にスマートゲートで顔写真と指紋を取り、娘を待っていると駆けつけてきて「トイレに行こうかと思ってたのに」と言う。

「トイレなら荷物検査のあとでもあるよ」

「そういうことじゃなくて」



その7 2026-01-28 14:42:48NEW ! テーマ:ブログ

「どういうこと?」

「わたし、アルコール入りのティッシュ持ってるからトイレに捨てようと思っててん」

サウジアラビアは最も入国審査が厳しい国のひとつであると多くのガイドブックに書かれている。アルコール製品、豚肉(カップラーメンに入っている乾燥ポークなども駄目)、裸の写真や動画(水着写真も不可)、〇薬の持ち込み、密売などの最高刑は死刑だ。薬も医師の処方箋が必要(英語かできればアラビア語で)、特に向〇神薬は〇薬と間違えられやすいので注意が必要らしい。アルコール入りティッシュは極端だとしても、思わず映画「ミッドナイト・エクスプレス」が頭に浮かぶ。アメリカ人大学生が〇薬を体に隠してトルコから出国しようとする冒頭は非常に緊張感があった。
 それにサウジアラビアでは去年だけで300人以上の死刑が執行されたと聞く。何も不審物は所持していないので大丈夫だと思うがドキドキする。
 入国に時間がかかるんじゃないだろうか。とびびっていたのだが、特に何も調べられることもなく、保安検査場をあっさり通過。
2018年、女性の自動車の運転が解禁された。 2019年、女性が男性の許可なく海外旅行できるようになり、女性が家族以外の男性と同席しないよう、飲食店に義務付けていた男女別々の入り口を廃止した。これらはムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサウジアラビアをより開かれた国にする取り組みの一貫として実施された。近年サウジは改革が進められている。これも宥和政策の一つだろうか。
妻がホテルの住所やアクセスをプリントアウトしてくれたが、リュックを隈なく探してもその紙がない。帰国後にスマホにも入っていることに気づいたが、その時はすっかり忘れていた。
仕方ない。最寄りのメトロ駅の名前は覚えていたので、とにかくメトロに乗って行ってみることにした。リヤドのメトロは最新式で世界最長の無人運転、改札はクレカのタッチ決済が使えて便利だ。車両内の行き先表示はデジタルで近くの駅が近づくと駅名がポップアップするのでわかりやすい。

駅に着くとメトロのブース内にいたニカブを着用の女性にこの駅の近くにあるホテルがわからないんですがと言う。
アバヤはムスリマが着用する、黒色で全身を覆う長袖のローブ状の伝統衣装。ニカブはさらに顔を覆い、目元だけ出す。

彼女はブースから出てきた。他の男性職員も五人ほど集まってきた。

ホテルの名前は長ったらしかった。うろ覚えで「え〜と、ドレ、ドラール…」

え〜と?とみんなが考える。

女性が「Dorar Darea serviced apartment ?」

「そう、それです!」

彼女は僕の名前を聞いてホテルに電話してくれた。間違いないと言う。

「ありがとうございます!シュクラン!あなたのお名前を伺ってもよろしいですか」

「どうして?」

「生きている限り、あなたの親切を忘れないためです」

彼女はニコッと笑い、「私はサリマです」

「こっち」と言われてメトロを出るとタクシーが待っていた。彼女が呼んだのだろうか。
僕のサウジに対する好感度はマックスである。僕も機会があったら日本のインバウンドに親切にしよう。

タクシードライバーは「俺はパキスタン人だ。またタクシーを利用するなら電話してくれ」と電話番号を書いたメモをくれた。

1時にチェックイン。まあまあ広い。大きなテレビモニターがあるがつかない。アパートメントタイプなので小さなシンクと調理用具がある。
(省略)
サウジアラビアに対する恐れはもはやなかった。サウジアラビアに来てよかった。



 その8 2026-02-05 22:26:34NEW !

7時半に起きてシャワーをし、10時にホテルを出た。せっかくだから歩いて街を観察する。
ここらへんは結構な邸宅があり、閑静な田舎町だ。
30分歩いてメトロ駅の近くに来ると、幹線道路の前まで来た。前を歩いていたおじさんが手招きしてきた。手招きされた場所に行くと、やがてマイクロバスが到着し、おじさんが乗れ、とこれまた手招きする。事情がわからないがバスに乗る。
バス内には五、六人乗っていた。ドライバーはスマホで長い間しゃべっていたが、やがて発車。バスは駅と方向違いに走り出し、「これって大丈夫なのか」と思ったがやがて道路の分離帯をUターンし、駅に着いた。有料か?と思ったが無料だった。
よくわからないまま、駅構内を歩いていると青年に「ホテル?」と声をかけられた。彼は昨夜、駅で集まってくれた一人だ。「ホテルは見つかった?」と聞いてくれているのだ。彼はネパール出身だそうだ。「昨日はありがとうございました。ハッピーニューイヤー!」と言って別れる。
 東南アジアのある国では何度も騙されたり、ぼったくられたりしたが、この国は豊かなんだと思うと警戒心がほぐれてくる。

今日は娘の一番の関心である、クリロナが所属するアル・ナスルFCのホームスタジアム、アル・アウワル・パークを目指すことにする。サウジアラビア初の大学、キング・サウード大学に隣接するらしい。
キャンパスは広大だ。娘のスマホ検索に従って歩く。暑くもなく寒くもなく、晴天で湿気もない。 
昨日食事したのはいつだっただろう。さすがに空腹感を覚え、途中でスーパーマーケットを見つけたのでチョコレートやバナナ、人参、ジュースを買って歩きながら食べる。

一時間ほど歩いたところで校門らしき場所に来た。運良くタクシーが通りがかったので乗り込む。幹線道路をぶっ飛ばす。道路標識にメッカまで何十キロと書いてある。メッカにはイスラム教徒以外は周辺に近づくこともできないので、迂回することになる。20分ほど走ってスタジアムに着いた。こりゃ、歩いては行けないわ。ドライバーは「帰りはどうする?」と言うので「スタジアムを見てからディルイーヤ遺跡に行きたい」。
「わかった。待っている間の料金は発生しないから」。

娘は「テンション上がってきた」と嬉しさを隠しきれない様子。スタジアムの中には入れないが、一周しながら、「この道をロナウドが歩いたかも」と興奮している。親としてもそこまで喜んでくれたらサウジまで来た甲斐があるというもの。途中でトイレに行きたい、と言うので近くにある小児科病院でトイレを借りる。サウジアラビアの公立病院は医療費が無料だ。子どもを抱き抱えたお母さんたちが受付で列を成していた。

ディルイーヤ遺跡はユネスコ世界遺産で、第一次サウード王国の首都として栄えた歴史的な都市遺跡であり、サウジアラビア発祥の地である。
タクシーが街中に入っていくと明らかに雰囲気が違う。ホテルやレストランが増え、観光客らしき人々があちこちで歩いている。華やかな感じだ。

QRコードでチケットを購入する。場内にはレストラン、カフェ、公園などがあり、遺跡を模し建物がある。奥に行くとサウジアラビアの歴史ビデオがあり、無料のミネラルウォーターが置いてある。なんだ、こんなもんか、と帰ろうとしたが、向こうに渡る坂道があり、そこを歩いていくとカスバのような細い道があり、両側には伝統的な泥レンガ造りの宮殿や建物が修復・保存されて建っている。これはすごい。この開発プロジェクトはまだまだ続くそうで広大な土地が修復中だった。完成したらすごい景観になるだろう。カンボジアのアンコールワットの次くらい感動した。

帰りはタクシーで最寄りのメトロまで行き、リヤド市内に戻る。サウジは車社会であり、娘はちょっとしたことでクラクションを鳴らしていることに驚いていた。サウジでは危険を避けるために気軽にクラクションを鳴らすので日本のように激高してトラブルになることはないだろう。

歩いてすぐのマスマク城へ。歴史写真、絵画、武器、防具、当時使われた古い銃、剣、火薬、生活用具、美術品などの展示物があり無料である。
夜になると城壁にプロジェクトマッピングが映される。この前に広場があり、かつては金曜日の礼拝後に公開処刑が行われたそうだ。

広場に面してモールがあり、入ってみると所狭しと貴金属や服、デーツ、香木などの店が櫛比している。まるで大阪の本町にある船場センタービルのような昭和の匂いがする。私はこういう場所が大好きなのだ。娘も好きだと言う。一日中いたいくらいだ。ちなみに妻は全く理解できないそうだ。

夕方になると寒くなってくる。広場のレストランやカフェではかがり火を焚き、オープンカフェでアラビアコーヒーを飲んでいる。片隅に古くて小さなカフェがあったのでホットチョコレートを注文した。アジア系の青年がキビキビと働いている。娘に「あの人、よく働いているね」
「うん」と娘。

 ホットチョコレートは素晴らしく美味しかった。 もし万が一、サウジにもう一度来ることがあれば、この小さなカフェを再訪したい。

広場はオレンジ色のライトで照らされている。
19時、アザーンが流れてきた。広場に響く朗々たるアザーンは私の魂を揺さぶった。この国の人々は信仰によって生きているのだ、ということが百万言の言葉よりもよくわかった。

今でもあのアザーンを思い出すたびに胸が震える。


 その9 2026-02-10 18:02:11NEW !
近くの公園に人だかりがしている。行ってみると公園のあちこちでアバヤやニカブの女性たちがベンチや東屋や、もしくは地面にシートを敷いてコーヒーと菓子でおしゃべりをしている。200人はいるだろうか。忘年会?と思いAI先生に聞いてみた。

【2020年代のサウジアラビア、特に首都リヤドでは、社会改革(ビジョン2030)の進展により、女性たちが夜の公園やカフェで友人とおしゃべりする姿が日常的な風景となっています。リヤドの夜の公園や公共スペースにおける女性の様子は、以下のような特徴があります。

安全と環境: リヤドは一般的に犯罪率が低く、特に夜間の公園や、ディプロマティック・クォーター(外交官地区)のような場所は非常に安全です。深夜であっても、女性たちが公園のフードトラックのそばでパスタを食べたり、コーヒーを飲みながらおしゃべりを楽しんだりしている姿が見られます。

社会活動の多様化: 「リヤド・ウォーク」のような場所では、女性たちがコミュニティを形成し、散歩や会話を楽しんでいます。2018年の改革以降、女性の車運転が解禁され、アバヤ(黒い衣服)の着用義務も緩和されたため、以前よりも自由に夜の外出を楽しめるようになっています。
賑わう時間帯: リヤドの夜は遅くまで賑わっており、1日5回の礼拝が終わる午後8時以降、飲食店や公園は社交的な人々であふれます。服装と社交: 多くの女性は依然としてアバヤを着用していますが、その下はカジュアルな服装が多く、顔を隠すニカブの着用は個人の自由になっています。

専用エリアの存在: 公園や商業施設では、女性や家族連れが快適に過ごせるような専用エリアが整備されており、安心して社交を楽しめる環境が整っています。
夜の公園で楽しそうにおしゃべりする女性たちの姿は、急速に変化し、女性の社会進出が進む現代のサウジアラビアの象徴と言えます。 】

なるほど。さらにわれわれはキングダムセンターに行くことに。建設当時はリヤド最高のタワーだったが建設ラッシュで現在では五番目になっている。栓抜きのような形をしたユニークなビルだ。
最寄りのメトロで降りてビルのに入るとモールがあり、エスカレーターで上っていくとその上のためのエスカレーターもエレベーターもない。展望台は99階のはずだが。
何人もの人に聞いたが、誰も知らないようだ。
ウロウロして聞いてもみんな、てんでばらばらなことを言う。

仕方ない、時間も時間だし、明日出なおそう。夕食を食べようと思ったがレストランは順番待ちだし、周辺にはレストランは見当たらないので外にある近くのマクドに入ることにした。二人用の個室にはカーテンがかけられるようになっている。サウジのマクドは当然ポークはない。われわれは個室でバーガーを食べながら、この旅でサウジ料理を口にすることができるんだろうかと思っていた(この危惧は当たった)。

ホテルの最寄り駅Ar Rabbiで降りる。ホテルに帰るには道路を渡る必要があるが、前述したように大規模工事中である。僕のスマホは追加のeSimの設定がまずかったのかギガ数がなくなりそうなので娘のスマホの検索に従うことにする。

駅から道路と並行に歩いていく。任せたのはいいが一抹の不安である。歩行者がいないので街灯はなく、行き交う車のヘッドライトのみが頼りだ。20分ほど歩き、ここを横断したら近道だ、と娘が言う。四車線ある高速道路並みの自動車道は車がものすごい勢いで走っている。道路の端で左右を確認し車が少しの間、途切れた瞬間を見計らい、「今だ!」と手をつないで中央分離帯まで一気に走る。腰の高さまである分離帯を越え、また一瞬の隙をついて反対側へ。

「これこそバックパッカーやなあ」と娘。なんだか嬉しそうである。

それから40分ほど娘の指示に従って歩く。もう近くだ、と娘。そのうち、あるメトロ駅に行き当たった。ここで僕は道を間違えたと確信。妻がプリントアウトしたホテルの最寄り駅はAr Rabbiだったが、この駅が最寄り駅なら、そう書いてあるはずだ。「この道をまっすぐ」と娘。

不安な気持ちで10分ほど歩くと見覚えのあるホテルが。

「ここだ!」と思わず声が出た。
1時前。娘のスマホの充電残量はあと4パーセントだった。
娘を大いに褒めたのは言うまでもない。


 その10 2026-02-13 21:46:13NEW !
大晦日。
6時に起きる。娘は9時に起きてきた。久しぶりの睡眠確保だ。10時にホテルを出て駅まで歩く。駅の手前の幹線道路に急拵えのバス停留所があった。張り紙には「駅前の工事のため、24時間運行のシャトルバスが15分ごとに出発します」と書いてある。なんだ、昨日のミニバスは地元民のためのシャトルバスだったのか。それがわかってたら昨夜危険を犯して道路を横断することもなかったのに。
メトロに乗っていると娘が「カフドに行かないの?」と言う。
「何それ?」
「リヤドで最先端の街」
再びAI先生に聞いてみる。
【KAFD(キング・アブドラ・フィナンシャル・ディストリクト)は、サウジアラビアのリヤドにある世界的な金融・ビジネスのハブとなる複合都市開発です。1.6平方キロメートルの敷地に95以上の未来的なタワー(PIFタワー等)が集結し、サウジビジョン2030の一環として、持続可能性と最先端インフラを誇る「職住遊」一体型のスマートシティとして機能しています。 】
なるほど。さらに調べてみると、
「KAFDは、最先端の物理的およびデジタルインフラを備えた象徴的なビジネスとライフスタイルの目的地です。世界をリードする25以上の建築会社によって設計された驚異的な建築物であるKAFDには、現在95のタワーがあり、リヤドのスカイラインを再形成しています。KAFDは160万平方メートルの面積に広がり、競争力のあるビジネスエコシステムと活気に満ちたライフスタイル体験を提供しています。KAFDは、持続可能性の世界的リーダーとして認識されているUSGBC (U.S. Green Building Council)の最高認定であるLEEDプラチナ認定を取得する世界最大の開発です。」
というなんだかすごい街らしい。というわけで急遽下車。駅前は正に人工的な街で下町的な要素は皆無だ。丸の内・大手町という感じ。日本の都心と違うのはユニークな形のビルがバンバン建っていること。駅自体もアートな建築物だ。こんな場所に食事する場所があるのか、とウロウロしていると芝生があり、レストランやカフェが集まっている一画があった。アメリカンメキシコ料理というレストランがあったので入ってみる。
1時になるとエリート社員たちがランチをしに入ってきた。中東はヒジュラ暦(預言者ムハンマドがメッカからメディナへの移住「ヒジュラ」した西暦622年を元年とする純粋な太陰暦)なので皆、普通に働いている。娘も文化習慣の違いに驚いた様子だ。注文したのはハンバーガー、フレンチフライ、コーラのセット(サウジ料理が食べたい)。
無料の国立博物館に行く。展示物が膨大で見応えがあるが時間がないので駆け足で見て回り、クリロナと並ぶ娘の関心事であるリヤド最大のモスク、アルラジグランドモスクへ行く。このモスクは男女合わせて二万人以上が礼拝できるらしい。
駅から降りて歩いていく。4時前、礼拝後のムスリムたちが出てきたところだ。その数の多さに圧倒されたのか、「私たち場違いじゃない?」
ここまで来て今さら何を言う。
このモスクは無料のガイドツアーがある。モスクに入っていくとスリランカから来たというおじさんが声をかけてきた。隣にいた人が、この人は有名人なんだ、と言う。イマーム(導師)らしい。そのおじさんはfacebookをやっていますか?と聞く。スマホを渡すと自分の名前を打ち込んで、「私にアクセスしてコメントしてください」と言って別れた。残念ながらタップミスで彼の名前を消してしまった。
娘はアバヤを借りて服の上から着た。嬉しそうだ。だが、ホグワーツの制服にしか見えない。黒縁メガネがあれば完璧だ。

ソファーに座って説明を受ける。テーブルにはミネラルウォーター、お菓子がずらっと並べてある。
「ここにある物は全て無料です」

10分ほど説明を受けてから、アメリカ人の中年女性や香港から来たという母親と息子のグループが二階にやって来たので「ちょっと待っていてください」と言って、彼らに話しかけに行った。
その時、娘が言った。「弱虫」


 その11 2026-02-16 18:22:52NEW !

「え?なんで?」

「仏教徒って言われた時に何でクリスチャンですって言わなかったの?」

「いや、イスラム教とキリスト教の論争をしに来たわけじゃないから」

「関係ないでしょ。ただ僕たちはキリストを信じてます、って言うだけでしょう?」

なるほど。弱虫と言われたことは少しショックだったが、娘は小さい頃から正義感が強いところがあった。僕自身、心の底で論争になることを恐れていたかもしれない。そして父親に「弱虫」と言える親子関係は良いものであると思う。帰国してから娘に「中東で一番印象的なことは何だった?」と聞くと、「サウジアラビアのモスク」と答えた。

戻ってきた彼に本棚の前に連れて行かれる。各国語に翻訳されたクルアーンがある。探してみたが日本語訳は無い。その人は電話で日本語訳を探してくれるように話し、『クルアーン注訳』と書かれた本をプレゼントされた。本来、クルアーンはアラビア語で書かれたもの以外は認められていないので各国語の本も注訳書なのだろう。サウジアラビアでもらったその本は考えてみれば貴重なもので、ろくにお土産を買わなかったわれわれにとって最高のお土産品だろう。娘は今でも折に触れて読んでいるようだ。

5時半からお祈りが始まった。それをわれわれは二階から見学する。何百人ものムスリムが一斉に礼拝する姿は感動的だった。
帰りのメトロ内でイスラム女性が着るアバヤの上に万博のミャクミャクハッピを羽織っている人が白人女性と喋っている。すまるで大阪のおばちゃんのようなマシンガントーク(笑)。話しかけてみると、「日本語、話せますよ!」と流暢な日本語。
万博ではボランティアとして働いていた、弟がいるのでリヤドに帰省中だけど4日には大阪に帰ります、とのこと。阪大院生だそうだ。

メトロはシングルとファミリーの車両に分かれている。シングルは男性用でファミリーは女性、もしくは家族用だ。
娘はファミリー車両に乗りたがるのでサウジ女性を間近で観察することができた。アバヤやニカブは内側や外側に刺繍があったり、黒色でも濃淡がある。足元は裾に隠れて見えにくいが大部分はスニーカーだ。たまにローヒールの人もいた。
「NARUTO」のバッグを肩から下げている人もいた。彼女たちを見慣れてくると、アバヤやニカブ姿がとてもカッコよく美しく見えてくる。
それは神官姿や武道の道着などに通じる凛とした姿(彼女たちの場合は信仰)である。画一的なアバヤやニカブは人権を抑圧している、という見方のほうが画一的ではないだろうか。

今度こそキングダムタワーへ昇るぞ。娘が検索すると二階にある某ブランドショップの奥にエレベーターがあるらしい。

え〜っと、モンブラン、モンブランと、あった!
表示も何もないのでわかりづらい。奥にひっそりとチケットカウンターがあった。エレベーターで77階まで昇り、別のエレベーターに乗り換えて99階のスカイブリッジへ。

キングダムタワーはU字形をしており、Uの先端に直線のブリッジが架かっている。そのブリッジが展望台であり、下は空洞ということになる。

「ロナウドはここのホテルを17部屋借りてたんやで」と娘。

「17部屋!一部屋でええやん」

家族や親戚や友人も泊まらせたんだろうな。
さすがロナウド、スケールの大きい話である(ちびまる子ちゃんのナレーターの声で読んでね)。

リヤドはまだ高層ビルは多くないので遠くまで見渡せる。その高層ビルはどれもユニークな形をしていて、各ビルが赤や青や緑のイルミネーションを発している。豪華絢爛な夜景にしばし時間を忘れるが、日本はまさに新年を迎えようとする時間だ。

キングダムセンター駅からカフド駅まで行き、タクシーを拾って娘が行きたがっていたブルバードリヤドシティへ。サウジアラビア最大のエンターテイメントシティらしい。走っている途中、交通量が多くなってくる。
多分みんなブルバードに行くんだろう。
到着したら巨大な駐車場、見上げればロープウェイが往復。なんなのだ?サウジのディズニーランドなのか。

金属探知機のあるゲートを抜けて入ると(入場は無料)正に別世界だ。広大な土地にレストラン、劇場、アミューズメント施設があり、USJ的な雰囲気だが、お化け屋敷やキャラクターへの玉当てなどのレトロな施設もある。有名人の手形を集めたチャイニーズシアターのような場所があり、娘はロナウドの手形を見つけて激写していた。そこで日本語が聞こえてきたので見ると若い女性の二人連れ。サウジにも日本人は旅行に来ているんだな〜(そりゃそうだろ)。

噴水をぐるっと囲んだフードコートで食事。娘はカレーのようなもの、僕はビリヤニのようなものを頼んだ。娘は全部食べられないので残りをプラスチックの容器に入れて、お店でもらった紙袋で持って帰ることに(これは中国まで空輸された)。

娘がここでカウントダウンをしたい、と言う。あと5時間もあるし、寒い(中東とはいえ、今の時期は夕方から温度が下がる)。

「メトロは12時までやで」
「そんなら仕方ないなあ」と言っていたが、そのうち「せっかくリヤドまで来てみんなとカウントダウンしないともったいない。タクシーで帰ればいいやん」

う〜ん、わかった。一生に一度のことだ。明日の午前中にはサウジを出発しなければならない。娘の思い出作りに付き合うことにする。

NYのタイムズスクエアを模した場所で「Kinza」という新発売のコーラのプロモーションをしている。周囲には大勢の人たちが集まっているが、日本と違うなあと思ったのは6、7歳くらいの子どもが前に出てきてプロモーションミュージックに合わせて踊っていること。なかなかのものだ。

震えるぐらい寒いのを我慢して、ついにカウントダウン。2026年はサウジで迎えたか、と感慨に耽る間もなく、出口へと急ぐ。これだけの人数が一斉に帰ると大渋滞、タクシーも捕まらなくなるかもしれない。案の定、外はタクシーを捕まえようとする人たちで阿鼻叫喚状態である。とにかく空車を見つけて乗り込む。このような売り手市場ではドライバーはメーターなんか使わない。渋滞を抜けてやっとホテルに着く。ドライバーは150リヤル(約6千円)と言う。
日本だったら妥当な値段かもしれないが、サウジではかなりのものだ。
「100!」
「ノー」
「130」
「ノー、ノー」
「明日はドバイに飛ぶんだ。少し負けてくれ」
と言うと、渋々(内心はそうじゃないと思うが)負けた。

ホテルに着いたのが1時。広いフロントの隅でフロントマンが頭を床につけてお祈りをしていた。

 その12 2026-02-18 17:54:20

1月1日。なぜかよく眠れなかった。5時半に起きて急いでパッキング、6時にホテルをチェックアウト。
昨夜お祈りをしていたフロントマンが握手をしてきて、「また会おう」と言う。
「シュクラン」
いいホテルだった。

まだ薄暗い。通りでタクシーを捕まえようと思っていたが、一台も通らない。車道を歩いていると、娘が「危ないから歩道を歩いて」と言う。娘は心配症なのだ。ついに駅前の簡易シャトルバス停留所まで来たので、そこで待つ。フライト時間の8時50分に間に合うか。時間になっても来ないので仕方ない、また幹線道路を横断するか、と歩いていると、地獄に仏とはこのこと、やっと一台通りがかった。

ドライバーのパキスタン人は陽気なおじさんだ。

「ドライバーは4年目だよ。サウジには一人で来た。今はフィリピン人のガールフレンドがいる。となりの女性は奥さんか?」

娘はこれを思い出しては「わたしはおばさんに見えたのか」と憤慨していた。

サウジの最後が陽気なドライバーでよかったよ。

メトロで空港に向かう。地上に出てから2030年開催のリヤド万博の会場が見えてきた。延々と続く。かなりの広さだ。

eSIMの追加の設定がよくなかったのだろう。Wi-Fiのない場所ではネットが繋がらなくなっていた。フライトの行程表も表示されない。ホテルで確認しておいてよかった。ターミナル1と2はかなり離れているのだ。

flyadeal航空はサウジのLCCだ。機内はガラガラ。CAに好きな場所に座っていいですよ、と言われた。初めて機内食が出た。もちろんチキンかビーフでポークは出ない。

2時間半でドバイへ。ドバイは一泊だけである。入国審査では多くの人がスマートゲートではねられて入国審査官がいるゲートに移動した。われわれもはねられて長蛇の列に並ぶ。スマホを見るとeSIMの残量がほとんどなくなっていた。
メトロカードを買ってAI rigga駅へ。地上に出ると繁華街だ。ホテルは歩いて行ける距離なのだが地図をなくしてしまったのでタクシーで連れていってもらう。5分で着いた。
Eureka Hotel はいい感じに古びたホテルだ。
チェックインが2時からなのでフロントでしばし待つが1時半に入れてくれた。
部屋は大きくもなく小さくもない。バスタブの縁にオレンジ色の液体がベットリとついていたのを娘が「これ石油かな」

「なんでやねん。シャンプーかボディソープやろ」

テレビをつけると砂嵐のように荒い画面にモスクでお祈りするムスリムたちを映している。他のチャンネルは映らない。余分なコンセントがないのでテレビのコンセントを抜いてモバイルバッテリーを充電しようとしたが、差し込み口が三口(みつくち)である。僕の持ってきたメルカリで買った全世界ほぼ網羅する万能コンセントは二口だ。

(仕方ないので24時間スーパーで三口コンセントを買い、それに二口コンセントを差しこんで使用した)。ホテルには幸いにもWi-Fiが飛んでいるのでネットでeSIMを購入。このことでかなり苦戦するようになるとは。

ドバイにいる時間は少ないのですぐにホテルを出る。近くに理髪店があり、様々なヘアスタイルが絵で表示されている。10ディラハム(400円)なのでやってもらおうかと思うが、なにせ時間がない。

メトロカードで改札を出ようとすると出られない。カードのチャージ方法がわからないので隣にいた女性二人組に教えてもらった。お礼を言って構内のメトロマップを調べていると、さっきの二人組が「わかりますか?どこへ行きますか」と声をかけてくれた。外国にいる時の親切は身に沁みる。

まずは世界一美しいと言われるイブン・バトゥータ・モールを目指す。
メトロのアナウンスは男性の声なのだが、これが低音で非常にいい声なのだ。頻繁に「ハッタ」という単語がアナウンスされる。
Hattaとはオマーンからドバイに割譲された飛び地の観光地だ。ハッタに行くにはここで乗り換えてください、と。タクシーの車体にもHattaと書かれている。ドバイが力を入れている観光地なのだろう。僕はメトロでそれを聞くたびに逃亡犯の八田與一を思い出してしまうのだが。

その13 2026-02-19 18:10:31NEW !

ドバイは9割が外国人だ。もともと自国民が少ないため、建国以来、海外からの労働に頼って経済を発展させてきた歴史や所得税や法人税が原則無料というタックスヘイブンなどの優遇政策によって、世界中から200カ国の人々か出稼ぎに来ているそうだ。車両は香港の重慶大厦のエスカレーター内さながらである。

そう言えば何年か前にカトマンズに行った時に知り合いになった男性がドバイに出稼ぎに行くと言っていた。

新しく入れたeSIMがアクティベート(有効化)できない。スマホをいじっていて、ふと顔を上げて車窓に目を向けると、摩天楼が林立している。それもユニークなデザインの高層ビルだ。

「都市別:300m以上の超高層ビル数ランキング(2026年時点)
順位 都市名 300m以上の棟数

1位  ドバイ(UAE) 30棟以上
2位 深圳(中国) 約15〜20棟
3位 ニューヨーク(米国) 約15〜17棟
4位 広州(中国) 約10〜11棟」

だそうである。世界有数の大都会である。しかも高層ビルがまだまだ建設中だ。

イブン・バトゥータ駅で降りると、ここはインドの街かと思うほどインド人がいる。インド人街なのだろう。

モールはエジプト、インド、チェニジア、チャイナ、ペルシア、アンダルシアと6つのコートにわかれている。時間があれば全てを回ってみたかったが、とにかくペルシアコートにあるスタバへ。

モスクを模したアラベスク模様の天井が素晴らしい。ここでもフラペチーノを飲みながらeSIMの有効化を試みる。隣の席から日本語が聞こえてきた。若い男女が話している。よほど二人に教えてもらおうと思ったが、せっかくの外国でのデート中?を邪魔しては無粋だろうとやめた。

メトロでドバイモールへ。ドア付近で手すりを持っていたらインド人らしきおじさんが僕の手の上にピッタリと手をつける。ん?
下の方に手を下げるとそのまま手を下げてくる。思わず手を離した。

なんなんだ。痴漢なのか。あ〜、きも。あとで娘に話したら大笑いしていた。

とにかくドバイモールに着くとすごい人だ。地下の水族館は外から見ることができるが、その大きさに圧倒される。「ヨドバシカメラ」のような量販店でモバイルバッテリーを買う。

そうこうしているうちに人はどんどん増えてきて、とうとう通行規制が始まった。通せ、とゴネる人と警備員とが険悪なムードである。

われわれはカフェでホットチョコレートを飲みながら、それにしてもマスマク城前の広場で飲んだホットチョコレートは美味かったなあと二人で懐かしんで、さてと世界一のブルジェハリファに行くか、と腰を上げる。
ブルジェハリファ、828メートルの世界一高い建築物。
20時半、チケットカウンターには行列ができている。200人はいるか。やっとわれわれの順番が来てスマホでチケットを見せたが、「これは違います」と言われた。スタッフはスペルが違う、と実際に紙に書いてみせた。ブルジェハリファは「Burj Khalifa」と書く。僕が見せたのはQRコードで取得したリヤドのディルイーヤ遺跡群チケットだった。

そのQRコードを削除したのでわからないが、多分「Bujairi & At-Turaif」を誤読したのだろう。日本で予約しておいたブルジェハリファのチケットがなぜかスマホから消えてしまい、残っていたこの文字を勘違いしたとしか思えない。今思えば考えられない誤読だ。

どうする?

①登場をあきらめる
②娘だけ登場
③一生に一度のことだ、二人分買い直す

娘はブルジェハリファに登らなかったらドバイに来た意味がないと半泣き。ネットで調べてみると、二人分のチケットが残っている。よし!と意を決してポチる。届いたピンコード4桁を入力してください、とメールが来るが、そのメールが来ない。再度やり直すが来ない。これはeSIMの設定が良くなかったと判断して、せっかく入れたeSIMを削除してポチるがやはり来ない。ネット上では「本日残り一件」と表示が出ている。ドバイは一泊なので今晩を逃したら、もう二度目はない。焦る。直接ここでチケットを買えるか?とカウンターで聞くと、買えると言う。

しかし124階のみのチケットは既に完売。あとは124階と148階に登場できるチケットが残っているだけだ。そのチケットはかなり高価である。しかも時間帯によって価格が変わる。夕暮れから夜にかけてはプレミアム料金になる。ぐずぐずしているとこのチケットも売れてしまうだろう。ええい、

「大人二枚!」

クレカを出す。なぜか決済できない。なんで?
別のクレカを出す。今度はできた。
二人で7万3千円。

ちなみにさらにプレミアムになるとラウンジで軽食が出るらしい。

帰ったら岡倉文子になんて言おう…

ため息をつく僕に娘は「もう払ったんだから、楽しむことを考えよう」とウキウキである。

そりゃそうだが…

われわれプレミアムな客は胸にシールを貼られてエレベーターへ案内される。結構な人だ。世界一高いビルなので最上階の展望台に昇らないと意味がないと言われればそうだが。
エレベーターは一秒間で4階くらいのスピードで昇っていく。エレベーターも世界最速らしい。
まずは124階。展望台に出た瞬間、思わず「おお〜」と声が出た。
午後10時過ぎ。ドバイの高層ビル群の夜景である。僕はこの光景を一生忘れないだろう(価格と共に)。

お母さんに抱っこされた3歳くらいの女の子が珍しいのか、娘の顔に触ってくる。娘も嬉しそうだ。お母さんに断って二人の写真を撮る。語学オタクの娘は「イタリア人やったで」。

148階はベランダになっていて透明な仕切りが顔の高さほど。ここで飛び降り自殺するやつはおらんやろな。


2026-02-25 17:40:00NEW !
その14
地上に降りてきたわれわれはドバイモールで夜食をとることにした。日付けは既に1月2日になっているのにほぼ満席だ。娘はこんな時間帯に子ども連れの家族が食事していることにカルチャーショックを受けていた。
外に出る。「娘がこの周りを歩いてみようよ」と言うので眠かったが付き合うことに。祭りのような人出だ。
人口の湖の周りにレストランや高層ビルがひしめいて、全てがキンキラキンに輝いている。まるで別世界に迷い込んだようだ。眠気でフラフラになって歩いていたが、睡魔がどこかに行ってしまった。夜中の1時近くなのに公園では大人が卓球をしたり、子どもたちがサッカーボールを蹴っている。ここはどこだ?ドバイだ。中東の。
なんだか夢を見ているような気がしてきた。

タクシーを拾ってホテルに帰る。ドライバーはパキスタン人、中東ではタクシードライバーはほぼパキスタン人だ。

「エウレカホテルへ。えっと、アルリガ駅の近くの。わかりますか」

「ははは、アリガね。エウレカホテル、もちろん知ってるよ」

「You know every inch of this town(この街の隅から隅まで知ってますね)」

「タクシードライバーを8年やってるからね」

娘はさすがに熟睡している。僕はこの光り輝く街を見逃すまいと必死で目を開けていた。ドバイという大都会の最後の夜を。

他のタクシードライバーには失礼だが、彼から知的なものを感じる。運転はとてもスムーズであった。

「あなたはドバイで最高のタクシードライバーだ」

「ありがとう、良き夜を」

ホテルの部屋に入ると倒れこむように寝る。2時になっていた。

翌日7時起床。早く起こすのもかわいそうだったので9時に娘を起こす。

「今、何時?」と寝ぼけ眼で。

「9時」

「え、何で6時に起こしてくれなかったの。パーム・ジュメイラに行くって言ったのに」

確かに行きたいと言っていた。11時に空港に着いていないといけないので、6時に起きたら行けると答えたのだ。

「わかった。9時半にホテルを出よう」

それから猛スピードでパッキングし、20分後にホテルをチェックアウト。大急ぎで大通りに出て、タクシーを捕まえる。
パーム・ジュメイラはペルシャ湾に面した世界最大級の人工島リゾート地だ。幹線道路から左右に16本の葉のような埋め立て地があり、上空から見たらナツメヤシの形ををしている。地理の教科書に「石油に頼らない国づくり」の象徴として載っていたらしい。40分で現地に到着。モノレールの駅があったが停止中と張り紙がしてある。ここはナツメヤシの下の部分だと思い、先端まで行こうと止まっているバスに「このバスは観光用のバスですか」と聞くと「ホテルのバスですよ」。
時間がないので必死である。観光用らしきバスを見つけ、「パーム・ジュメイラの先端に行きたいんですが」と言うと、ドライバーは「already」。

「へ?」

ここは既にその先端だったのだ。
ペルシャ湾はあくまでも青く、遊歩道にはパームツリーが続いている。周囲には高級ホテルが建ち、高級そうな人たちが散歩なさっている。まさに高級リゾート地である。


 上海旅行記からの抜粋
「ハイウエイ代の100元とタクシー代の100元を払ってくれ」
 てめ~、空港でタクシー代はホテル代込みだと言ったじゃね~か。そう言うと 「サービス込みだと言ったが、料金込みだと言った覚えはない」 とわけの分からんことをぬかしやがる。渋々100元だけは渡したが、あとの100元は絶対に払えんっ! と長い間言い争った。

管理人マーキュリーマークからの伝言

公共交通機関の役割は大きい。日本の旅行代理店で送迎バスが含まれてる旅行商品を選ぶのも悪くありません。空港からホテルへの移動方法は想定すべき。私はカナダで送迎バスに乗車したのを昨日のように連想します。
 人によっては空港から徒歩で行ける場所で営業してるホテルに宿泊するらしいですけども。


2026-03-02 17:57:14NEW ! 
その15

 一日ゆっくりとしたいところだが、15分滞在しただけで慌ただしくタクシーでドバイ・インターネットシティ駅へ。 そこからメトロで空港に向かう。 タクシー代が高くついたがわずかな時間でも行ったことと行かなかったことでは大きな違いだ。

空港のターミナル1と2ではかなりの距離がある。
ホテルでデジタル行程表を確認しておいてよかった。もし違うターミナルに行っていたら乗り遅れること確実だった。だがドバイモールで買ったモバイルバッテリーが娘のスマホに充電できない(帰国してからはできた)。

昔は紙の航空券でガイドブック片手にホテルや観光地を探してわからなければ現地の人に聞いた。それがきっかけで親切にしてもらったこともあった。ネットは便利だけど失ったことも多いよなあ。

ドバイ国際空港には二時間前に着いた(ほっ)。
まずは旅の行程表をスクショ。新しくeSIMをネット購入して有効化。これで一安心だ。機内での昼食用にヌガー、ジュース、ビスケットを買う。
娘はサッカーのユニフォームショップに入り、熱心に見ていた。欲しそうだったが、やはり高い。こんなことならバンコクのMBKで買っとけばよかった。

13時前、海南航空に搭乗。さらば中東、短い時間だけど多くの学びがあり、楽しかった。

海南航空機はLCCだと思っていたが、美蘭国際空港を本拠地とする保有機数では中国で第4位の航空会社である。
機内に入るとシートが赤い。CAは三人。この中の一人がいつもイライラしている。
娘がモニターの使い方がわからないので、困っていると隣に座った中国人女性が「わたし、日本語話せます」と教えてくれた。
しばらくすると機内食が出た。久しぶりだ。
猿岩石がバンコク〜ミャンマーを飛行機で移動した時に「機内食が食べられる」と喜色満面だったのを思い出した。中華系の機内食はハズレがない。
とても美味しかった。

次の目的地まで7時間半だ。僕は活字中毒なので機内ではひたすら本を読む至福の時間を過ごすのだが、たまには映画でも観ようとモニターを点けた。選んだのは「サウスポー」というボクシング・ストーリー。主人公は成功したボクサーで豪邸に妻と一人娘と住み、何不自由のない暮らしをしている。ある時、自分の短気さから妻が流れ弾に当たり、亡くなってしまう。自暴自棄になった主人公は自殺未遂を起こし、娘の親権を取り上げられてしまう。 
 施設に娘を訪ねる主人公、生きる意欲を失くした主人公に娘が「パパなんか、大嫌い!」と泣きながら叩く。主人公はトレーナーに頭を下げ、猛練習の末に再びリングに立つ。自分のために、娘のために。単純なストーリーだ。

娘を見ると熟睡している。泣いている顔を見られなくてよかった。座席の下にはリヤドで食べた残り物を入れた紙袋が置いてある。紙袋は汁が染み出して一部が茶色くなっている。

旅も終わりが近づいてきた。娘との海外旅行はこれで最後だろう。安堵感と寂しさが交錯する。
中東に来られたのは娘のおかげだ。ありがとう。

真夜中過ぎに海口美蘭国際空港に到着した。海南島は中国のハワイと言われるリゾート地だ。台湾より一回り小さく、中国最南島であり、ベトナムに近い。

空港で係員の指示に従い、入国カードに記入。
SNSが繋がらなくなった。せっかく入れたeSIMも機能しなくなった(これはアクティベートに失敗したせい)。はあ〜、先が思いやられる。
ホテルは連絡してくれたら迎えに来てくれるそうだが、ネットが繋がらないので自力で行くしかない。
空港前にタクシーが列を作っていて、警察官が捌いている。中東でも中国でもタクシーはスマホをナビとして使っているのだが、僕のスマホがネットオフになっているのでホテルの名前を書いた紙をドライバーに渡す。ここでさらに困ったことが起きた。ドライバーが英語を理解できないのだ。
ドライバーは警察官を呼んで何か話している。
警察官が50元(千円)と言う。ホテルまで50元かかるらしい。

タクシーが走り出す。さすが中国のハワイというだけあって道路傍にはパームツリーが続いている。タクシーはすぐに屋台や食堂がある区域に入り、ぐるぐると周っているがホテルが見つからない。

2026-03-04 17:57:59NEW !
その16

周辺は安宿ばかりで高級ホテルはあまり見当たらない。海南島のリゾート地は南部にあるので、そちらに密集しているのだろう。
ドライバーは中国語でぼやいている。しばらくして一軒のホテルの前に止まった。ここだと言っているらしい。僕は「ちょっと待っててくれ」とフロントに確認しに行く。まるっきり違う。適当に止めたな。フロントがドライバーに何か言っている。多分、ホテルの場所を教えているのだろう。それでもホテルは見つからない。ドライバー、さらにブツブツ言う。ぐるぐるぐるぐる。やっと見つけたのが1時過ぎ。100元渡す。ドライバー、お札を裏表調べる。ニセ札じゃないって。お釣りは?警察官が50元と言ってだけど。ドライバー、中国語で何か言っている。わかったよ、長時間探させて悪かったな。チップだ。

フロントには若い男が一人。電話中だ。通話相手は女性の大きな声で早口でしゃべり倒しているのがこちらにも聞こえてくる。男は困惑気味で時おり「はい」「はい」と気弱そうに返事をしているが、ボスか、客のクレームか。やっと電話が終わったので英語で話しかけるが通じない。いや、まいったな、ホテルマンもか。と言っても一泊1200円のホテルだけど。男はスマホをタップして、こちらに見せる。日本語の文章だ。

おお、言葉が通じるのは素晴らしいね。こうしてわれわれは翻訳アプリを介して意思を通じ合わせたのである。時間はかかったけど。やっと部屋に入る。結構広い。テレビは点かなかった。やっぱり。
あ、明日の観光地のことを聞いておこう。部屋はフロントの真後ろなので5秒で行ける。

交代時間だったのだろう。フロントには別の青年が。これも翻訳アプリで会話。なんとか寝たのが3時になってしまった。


その17 2026-03-10 22:27:29NEW !

1月3日
8時半起床。娘を起こすが中東と違ってなかなか起きない。起きてからリヤドで三日前テイクアウトした残りを食べていた。
その間、フロントに行くと若い女性がいた。この辺の若者の就職先はホテルなのか。地元では飲食店かホテルくらいしかないので就職難なのだろうか。

彼女はスマホを持っていなかった。ここでTemで買った翻訳機の登場である。中東での現地のために購入したのだが、英語が通じるので出番がなかったのだ。
しかしこの翻訳機がまともに翻訳してくれない。

必然的に翻訳機に向かって滑舌よくゆっくりと「こ・の・荷物・を・預・かって・も・ら・え・ます・か?」とジャーナリストの渡部陽一さんのような話し方になる。
彼女も中国語も何度も言い直して、やっと「貴重品は入っていますか」と翻訳。

部屋に戻ると娘が「日本語しゃべらないで」。
去年中国で日本人の子どもが中国人に刺殺された事件があったが、心配症の娘はびびっているのだ。

思い出してフロントで「100元をくずしてくれませんか?」と聞くと、「ない」と言う。
ロビーに座っていたおじさんが手振りで、麺を食べたら一杯10元だよ、と言う。そのおじさんが手招きするので一緒に外に出る。近くの雑貨店で両替してもらった。その女店員も100元札を裏表にして調べていた。あとから考えると雑貨店ではお釣りがないと困るので迷惑だっただろう。

娘と周辺を散歩する。中国によくあるような田舎の町。道路は舗装されていない。家の前でゲージに入れて鶏を飼っている。屋根のある朽ちた市場でおばあさんたちが野菜を売っている。のどかだ。それでも海南島の人口は一千万人、海口市は200万人だ。
スーパー(というよりは大きな雑貨店)でアイスを買って歩きながら食べる。
食堂があったので「食べようか」と言うと「さっき食べたからいい」
それじゃあ観光地で食べよう。さっきから観光地と言っているのは騎楼老街のことだ。
AI先生、お願いします。

海南島海口市の「海口騎楼老街」は、20世紀初頭に南洋から帰国した華僑によって建設された、中国最大かつ最良の保存状態を誇る歴史的な騎楼(アーケード式)建築群です。欧州の風情と中国の建築様式が融合した独特な街並みで、異国情緒あふれるお土産屋、カフェ、レストランが集まる観光名所です。

道を歩きながらタクシーが通るのを待つが田舎だからなかなかやって来ない。ネットが使えたらUberを呼べたのだが。しばらく歩いていたらやっと来た。初めての女性ドライバーだ。
30分ほど走って着いたが、交差点は車やタクシー、人でごった返している。KFCの前で降りて、賑やかな通りを進んでいく。

レストラン、カフェ、土産物屋などが立ち並び、りんごやバナナ、ドリアンなど計り売りの行商人が商売をしている。さらに行くと細い通りには人とバイクが入り乱れ、さらに進むと市場があった。カメ、ウサギ、ガマガエル、魚雷、見るだけで楽しい。
食事をすることにした。外にあるテーブル席に座る。娘は要らない、と言うのでスプライト。
僕は麺を注文した。出てきた麺のスープはニラ、牛肉が入っていて、牛骨、アサリなどで出汁をとっていてすりおろしたニンニクがアクセントになっている。あっさりしているがコクがあり、〇刈正雄と阿〇寛を二で足して割ったような絶品のスープである。お椀を二つ持ってきてくれたので迎娘にもわけてやると、要らないと言ったわりにはおかわりをした。あまりにも美味しかったので家で再現して作ってみたほどだ。
あとはオサレなカフェでスイーツ。ココナッツミルクのプリンを堪能した。


その18 2026-03-11 22:13:51NEW !

帰りにタクシーを捕まえ、エアポートと言っても通じないので、海口市で空港行きの案内標識を撮った写真を見せる。空港は中国語では「机场」と言う。
ある日本人旅行者が香港でタクシーに乗り、エアポートと言うが通じない。旅行者は車外に出て、両手を広げ、ブーンと声に出して飛行機のまねをするが運転手は首を傾げるばかり。
「空港」と書いた紙を渡すとようやく走り出した。着いた場所は荒涼とした港だった。旅行者は飛行機に乗り遅れてしまった。
「空港」はさびれた港としか認識されない。

ドライバーはなんかしゃべっている。もちろん言っていることは皆目わからない。

途中、ドライバーがスマホを渡してきた。画面には中学生くらいの女の子が映っている。どういう展開かと戸惑っていると、

「わたし、日本語話せます。これからどこ行きますか?」

「あ"…香港です」

「ターミナルは何番ですか」

どうやらドライバーが日本語を勉強している娘さんに電話したようだ。

ふとスマホのスクショを調べてみたらターミナルは2だ。さっき1と言ってしまった。お父さんに二本指で「ツー、ツー」と言うが困惑。お父さん再度娘さんに電話。
スマホでビデオ通話。「何度もすみません、ターミナル1じゃなくて2でした」

「私もいま調べていて変だと思いました」

しっかりした娘さんだ。将来日本で働いてほしいと勝手に思う。

海口美蘭国際空港に到着。料金は88。100元渡す。例によってお札の裏表をためつすがめつ点検している。

「お釣り」

お父さん、何か言っている。わかったよ、お釣りは娘さんのために。

香港行きのカウンターで待っていると、娘が言う。「あっちで怒った乗客と乗務員がポールを蹴っ飛ばしてたで」

「何で教えてくれなかったん」

香港出発は18時、空港には14時に着いたので初めてゆっくりする。マクドで食べてウロウロしてから保安検査場へ。僕のバッグにはモバイルバッテリーが五つ入っていたが、それは不問。ヘアジェルは没収された

その19(完)2026-03-12 10:50:48
さあ、いよいよ最後の観光地香港へ。わずか1時間半のフライトで19時半に香港国際空港に着いた。
香港滞在時間はわずか五時間しかない。
入国審査場は長蛇の列だ。しかし審査官は効率よく捌いていき、思ったより早く入国できた。
急いでエアポート・エキスプレスに乗り、24分で香港駅へ。まず目指すはヒルサイドエスカレーター。

この場所は映画『恋する惑星』『ポリス・ストーリー/香港国際警察』などの舞台として登場すると、観光名所として脚光を浴びるようになり、このエスカレーターそのものが旅行ガイドに掲載されるようになる。山手に住む住民の足であり800メートルの世界最長のエスカレーターだ。

歩いている人を捕まえては道を聞く。それでも知っているは少ない。「何年も前に昇ったきりで覚えてないなあ」という人もいる。
五人ほど聞いてやっとたどり着くと早足でエスカレーターを駆け上がる。周囲には寺院やレストラン、カフェ、アパートなどがある。窓が空いていると中の様子が見える。

頂上に着くと息つく隙もなく、今度は急いで徒歩で降りる。
娘が聞く。「何で昇ったん?」

「前、昇ってみたいって言ってたやん」

「昇りたいなんて言ってないで。あのエスカレーター知ってるって言っただけやで」

ガクっ、なんだよ。気を取り直して今度はスターフェリーへ。

『深夜特急』で沢木耕太郎はスターフェリーを香港島と九龍半島を結ぶ60セントの船旅と書いている。ソフトクリームをなめながら風に吹かれるそのわずかな時間は王侯貴族でさえ体験できない豪華な船旅だと。

地上に降りたわれわれは今度は片っ端からスターフェリーの場所を聞く。大学生らしき二人連れの青年は詳しく教えてくれた。ビルの中に入って白人のカップルに聞く。すごく焦っているように見えたのか、最後に「頑張って」。

早足でスターフェリー乗り場に行き、販売機でチケットを買う。片道100円。ほとんどの交通機関で使えるオクトパスカードをアプリに入れていたが、一度も使うことはなかった。どこでもクレカが使える。いっせいに船内へ。いったん座ったが、もっといい場所があると移動しようとしたら他の人に座られた。「優柔不断」と娘。

煌めく夜景を眺めながら九龍島へ。風が強くて寒い。海岸べりに有名人の手形のあるアベニュー・オブ・スターズを急いで通り抜ける。ブルースリーの銅像にはそこだけ観光客が集まり写真を撮っていた。われわれも写真を撮る。

その足で娘が行きたいと言っていたチョンキンマンションに向かう。
時間がない。タクシーに乗り込んで「チョンキンマンション」と言うと、「歩いても行けるよ」

横断歩道を歩き、地下道を渡って地上を少し歩くとネイザンロードに面した重慶大厦(チョンキンマンション)の威容が現れた。香港は20年振りだがこの周辺は少しも変わっていない。

チョンキンマンションは巨大な雑多ビルで安宿が密集している。物価の高い香港においてはバックパッカーの定宿となっていて僕も香港に来るたびに泊まっていた。新婚旅行でも泊まったことのある思い出の地だ。

入口では東南アジア人やアフリカ人が客引きをしている。
うしろから「ホンモノノ、クサアルヨ」と声を掛けられた。われわれを一瞬で日本人と見抜くとはさすが客引きのプロである。

新婚旅行の時はインド人の客引きに誘われてパリスゲストハウスとかという名前に惹かれてついて行ったのだが、窓には鉄格子がはまり、牢獄のようなゲストハウスだった。ベッドに毛布が一枚。神経質な妻は汚なさそう、とかけずに寝ていた。明け方、寒気を覚えて目を覚ましたが、妻が毛布を独り占めにして熟睡していた。
翌日は中国人夫婦が経営するゲストハウスに宿替えした。「インド人は良くないね」という老婦。その宿は大沢たかおのポスターが貼ってある。
大沢主演で「深夜特急」のテレビドラマが放送されたが、彼が香港で泊まったゲストハウスのロケがそこで撮られたらしい。それはともかく、

「なんか違う。もっと囲まれている感じのところ」と娘。中に入ってみる。雑多な雰囲気。東南アジア、中東、アフリカの人たちで騒然としている。
娘がYouTubeを見せると「モンスターマンション」と出ている。

5棟の巨大複合集合住宅の通称で、レトロで高密度な建築が「怪獣大厦」とも呼ばれ、映画『トランスフォーマー』のロケ地としても有名。中庭から見上げる景色は圧巻の映えスポット、らしい。

なんだ、チョンキンマンションと間違えたのか。
そこへは香港駅からメトロ一本で行けたのに。

仕方ないが時間がないので帰る。食事をする暇もなかった。ずっと駆け足(笑)。

空港に着いてからマクド(笑)。

真夜中発1時45分のピーチ。そして4日の朝6時に関空着。

自宅の最寄りの地下鉄の改札を出ると、ちょうど今から教会に行く妻とバッタリ。一週間ぶりに会った妻は「無事に帰ってきたね〜」と満面の笑顔。

あれから二か月、アブダビ空港やドバイ空港、パーム・ジュメイラなどが被害を受けた。
テレビの画面を見ながら二人で話す。
イスラエルのこと、ハ〇スのこと、ヒ〇ボラのこと、イランのこと。

この前は娘が観たいと言うのでレバノンのスラムに住む貧困問題を描いた映画「存在のない子供たち」を観た。非常に重い映画だった。
次は社会の厳格な戒律と、そこから自由になりたいと願うサウジアラビアの少女の成長物語「少女は自転車にのって」を観たいという。

父親としては娘が多くのことを感じ取ってくれることを願ってやまない。

世界はネットのおかげで狭くなったと言われるが、まだまだ世界は広い。
そしてかつての僕がそうだったようにいつかバックパッカーとして世界を見てほしいと願っている。

 管理人マーキュリーマークからの伝言
以下は特別に転載します。


両親の死去について不思議に思ったこと
2025-02-19 23:20:13

2月16日、母房子が亡くなりました。

横浜に住んでいた時に父が亡くなり、わが家に一年半ほど同居していましたが妻が乳がんになり、施設に預けました。

一月に訪問に行った時はまだ筆談で意思の疎通ができました。

三日前に施設から連絡があり、入浴後に息が荒くなり酸素マスクをつけたとのこと。
それから四日間ほとんど寝たきりで食事も摂らなくなったそうです。

父の死後から四年後、苦しむこともなく92歳の老衰でした。

米子〜京都〜横浜〜大阪と次男、長女、長男宅と転々とし、幸せな人生だったでしょうか。

1月に施設を訪問して帰ろうとすると、「もう帰るだか。寂しいだがん」と初めて言いました。

それを聞いて私が20代の時分に帰省して大阪に帰る時は必ず米子駅まで見送ってくれたことを思い出しました。その時に駅で土産を買って私に持たせるのです。裕福ではなかったのにお金を渡されたこともあります。

客商売が下手で無愛想な父とは違っていつも笑っていました。

父より三歳年上の母は少なくとも子どもの前では喧嘩をしたことは一度もありませんでした。

あの世でも仲良く暮らしていると思います。

両親の死去で少し不思議に思うことがありましたのでさらに詳しく書いてみます。

四年前、娘の誕生日の前日のことです。本人にとって10歳になるというのは一つの節目でもあるのでしょう、10歳になる瞬間の12時まで起きてる、と言っていました。私はその前に寝たので娘が実際起きていたのかどうかはわかりません。

翌日、普段なら教会に行くのですが、コロナ禍なので教会は閉鎖し、オンラインで聖餐会を各家庭で視聴していました。なので開会の10時までの間、妻とタブレットで教会関係の動画を見てみていました。7時半くらいだったでしょうか。横浜に住む妹から着信があった時、私は覚悟しました。妹は看護師でUR住宅に住む両親の介護をしていたのです。

やはり父が亡くなったという知らせでした。
今日は娘の誕生日だということを告げると、妹は「自分の亡くなった日を覚えてほしいからこの日に死んだんだ」と泣きました。

そして母の時です。亡くなる四日前の水曜日に施設から母が呼吸困難になり、酸素マスクをつけさせていただきました、と連絡がありました。土曜日に訪問すると息をしているものの、声を掛けても肩を叩いても反応がありません。母は耳が悪いので訪問する時は筆談用のスケッチブックとサインペンを持っていくのですが、もう必要はありませんでした。明日の3時に訪問予約をして帰りました。

その日の夜に、先週沖縄神殿に行ってきた娘が聖餐会でその時のことを話したいと言い出しました。
私は驚きました。今までそのようなことを言ったことはなかったからです。
その週の話者は三人が決まっていましたが、第一話者に入れてもらいました。

土曜日の夜、娘はお話しの原稿を遅くまで書いていました。

当日の朝、私は少し心配していましたが、娘はしっかりと話していました。
壇上にいた私は娘のお話しの途中で妻が礼拝堂を出ていく姿を見ました。

娘が話し終わるとほぼ同時に妻からLINEの着信がありました。

「今、施設から電話あり
呼吸が大分浅くなったので、予約時間関係なく、早く来て下さいとのこと」

とありました。

私は壇上にいる娘に事情を話し、三人で礼拝堂を出ると急いで施設に向かいました。
部屋に入ると、既に母の意識はありませんでした。

私には母が孫娘のお話しが終わるまではと、懸命に生きていたように思えてならなかったのです。

「子どもはいつだって親の応援団」2026-03-12 11:44:29NEW !

私のささやかな夏の楽しみは仕事帰りにコンビニに寄って、ノンアルビールとつまみを買ってイートインで本を読むことだ。
つまみは高くても200円代。ポテチとかイカフライとか。週に二回くらい。
1時間ほど過ごして、それからスーパーで夕食の材料を買い帰宅して夕食を作る。妻は既に帰宅している。娘は塾から帰ってくるのが8時半。三人で録画した朝ドラを観ながら食事。シャワーして夕刊を読む。中二の娘は学校であったことや、どこかで仕入れてきた知識を喋ってくる。

思春期になると、親が何を聞いても「別に」「フツー」としか言わないのが常らしいのだが、それを思うとわが家は助かっている。子どもの状況がよくわかるからだ。しかし夕刊や本を読んでいる時にいろいろと話しかけられると、正直うるさいなあと感じる。いや、こんな事を思うとバチが当たる。息子が全員スタンフォード大学に入学したというアグネス・チャンは彼らが幼い時に質問してきたら、待ってました!よくぞ質問してくれた、と一緒に調べたり考えたりしたというではないか。

僕は子育てに関して強い信念や一家言があるわけではないが、結婚する前から決めていたことがある。
「勉強しろ、とは言わない」「子どもが◯◯したい、と言ったら否定しない」

「勉強しなさい」と言って素直に勉強する子どもがいるだろうか。もし、いたら感心するより不気味だなあと思ってしまう。それよりは親が手本を見せる方がはるかに効果があると思う。子どもが◯◯したい、と言ったら、親の価値観や経験則から否定したくなる気持ちはわかる。しかし頭から否定するのはどうだろうか。

鴻上尚史さんの『ほがらか人生相談』俳優になりたいという大学生の息子を持つ父親の相談があった。彼は息子が人生を棒に振ることになることを心配し、反対している。

今まで劇団に入らず、自分で劇団を作ってきた著者は自らの体験を語った後、こう言う。

「息子さんが決めるのです。親が決めるのではありません。息子さんに言ってあげてください。大切なのは、自分の生き方に納得できるかどうかだと」

少し方向性は違うが、『マザーグースと三匹の子豚』に印象的なエピソードが書かれている。ある日アメリカに住もうと決心した桐島さん、子どもたちにアメリカに行くからと宣言し、必要な物を詰めてきなさいと旅行トランクをひとつづつ渡し、何日に羽田に集合と言いわたす。
渡米の日まで原稿を書き溜めて出発日に羽田で落ち合い、トランクをあらためてみると、常識的な物しか入ってなかったのでホッとすると同時にガッカリもした、そうだ。
ヤマザキマリさんのお母さんはマリさんが14歳の時に一人でヨーロッパに行かせたそうだ。それが今のマリさんを形作っていることは間違いない。

僕の好きな話がある。船木誠勝が中学卒業後にプロレスラーになるために青森から上京したいと言った。「プロレスはお前のやることじゃないからやめてくれ」と泣いて頼む母親に彼は言った。「もし人生が二度あるなら、一度はお母さんの言う通りにします。でも一度しかないから僕の思うようにさせてください」と。

僕はよく娘を褒める。これは無理に褒めているのではなく、よく観察していれば子どもには絶対に良いところがあるはずだ。

アーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)の鬼コーチと呼ばれた井村雅代さんは生徒がスイミングを辞めたい、と言うと、「あんたの限界はあんたが決めるんやない、私が決める」と言ったそうだ。これだけ聞くとパワハラだと思われるが、彼女は一人一人の生徒を観察し、性格や資質をよく見極めていた。

子育ては親が育てられることだとはよく言われるが、本当にそう思う。妻は子どもが3歳くらいまでは「未熟な私たち親が成長するために神様が子どもを与えてくれたんだ」と言っていた。

『ビリギャル』のさやかさんは塾で坪井先生に勉強を教わるのだが、さやかさんのお母さんにこう聞く。
「お母さんはさやかさんがどんな時に一番嬉しく思いますか」
普通、試験でいい点を取ったとか、部活で活躍し
たとかだろう。お母さんはこう答えた。

「さやかが無事に学校から帰ってきた時です」

これを聞いた坪井先生は言う。

「お母さん、満点です。そう答えた人は初めてです」

親は子どもにあれもこれもと期待をかける。でも親は子どもが生きていればそれでいいのではないか。

僕は土曜日に教会で空手を教えている。まだ娘が小さい頃、自転車の前カゴに入れて教会に向かった。教会の手前にはかなりの坂道がある。
ふうふう言いながら自転車をこぐ。娘が「パパ、がんばれ、がんばれ」と言う。
その時の空の青さとか風景をいまだに覚えている。

子どもはいつだって親の応援団だ。それは子どもではなく、親がそう感じるのだ。

https://www.facebook.com/snowlion88

誕生日 令和八年(副題)

誕生日(1961年3月5日)だから外食しようか、どこがいい?と言われ、10年振りに大阪市西区新町、オリックス劇場近くのチベットレストラン「スノーライオン」へ。
オーナーはチベットから亡命した人で、娘が保育園児の時に連れて行ったらチベット青年がとても可愛がってくれた。現在彼は独立している。

チベット問題に関心の深い現日本保守党代表代行・事務総長の有本香さんも来店されたことがある。
中に入るとそこはチベット。内装だけでなく、トゥクパ(チベットうどん)、モモ(餃子)、カレー、ナン、プージャ(バター茶)、かけねなしに全て絶品。




令和六年12月の投稿 (特別編)
「妻の誕生日」 

 今日は妻の誕生日(11月16日)なので、帰ってラグーというパスタを作ろうと思っている私であった。普段は玄米、魚、青菜のおひたしに味噌汁という純和風な料理が食卓に並ぶのに、何でハレの日はパスタやチキンなどの西洋料理を好むのだろうと考えつつ。

わが家は共働きなので、家事は私が弁当作りや料理、妻が洗濯や掃除という分担が形成されていったのだった。これは私が料理好き、妻が綺麗好きという嗜好や性格から自然な流れであった。


管理人マーキュリーマークからの伝言

「妻の誕生日」に限っては抜粋のみとさせていただきます。
著作権の観点からも削減は仕方ないです。続きは以下をクリック。


【なぜ】日本人の“海外旅行離れ” パスポート保有率は17% Z世代のホンネは…

「旅に出たい病」

日本人の海外旅行離れが進んでいるというテレビニュースを観て、中1の娘は「冒険心がないなあ」と嘆く。
若者がインタビューに答えて、「海外は危ないし、日本にいると快適なのにわざわざ不便な国に行く必然性がない」らしい。
娘は今年の夏にオーストラリアに行った(二泊三日)ことに味をしめて、インドに行きたい、ブラジルに行きたい、ニューヨークに行きたい、イギリスに行きたい、と言う。

なんだかよくわからないチョイスだが、先日放送された「クレージージャーニー」というテレビ番組を前から楽しみにしていて、食い入るように観ていた。

ジャーナリストの丸山ゴンザレスがニューヨークやブラジルの危険地帯に潜入するルポだ(彼に興味が湧いたので後日著書を読んだのだが面白かった)。

ブラジルのとある都市で最も危険と言われる場所で夜中に100人ほどの〇〇〇〇〇が集まって〇〇を楽しんでいる。
娘はそれを観て、行ってみたい、と言うのだ。

私はそれを聞いて内心苦笑した。
オーストラリアに二人で行った時のことだ。
夜、ホテルに帰る途中の交差点にホームレスが酔っ払っているのか大声で叫んでいる。

娘は「あっちの道を行こう」
「いや、大丈夫だから」

というやりとりがあったのを憶えている。

娘はビビりなのだ。
それを隠して自分を大きく見せようとするのが子どもと言えば子どもである。

私も海外では観光地よりもスラムに興味があるという悪癖を持っているが、本当に危険な場所には行かない。常に危険と好奇心のバランスを考えて、そこに行くかどうかを決める。

先日、娘の部屋のエアコンが壊れた。買い換えなくてはいけないな、痛い出費だなと妻と言ってたら、娘が「買わなくていい。暑いのも寒いのも我慢するからそのお金で海外に連れてってくれ」と言う。
そこまで行きたいのかと少し感動した。
その心意気や、よし!と思うのだ。

同志社大学の創始者、新島襄は函館から一年かけて船でボストンに到着した。密航だから見つかれば死罪である。
吉田松陰はアメリカ船に乗船を断られた。どんなにか海外を見聞したかったか。
彼の弟子、高杉晋作は藩命により上海に行き大きな衝撃を受けた。

私が初めて海外に行ったのはインドだった。飛行機に乗るのも初めてだった。下痢と発熱で苦しみ、おまけに散々ボラれて二度とインドに行くものかと思った。
成田に着くと、しかし違和感があった。
清潔で何もかもが整然としている。知らないうちにインド病にかかっていた。インド病というのはインドと日本を比較してインドはこうだった、ああだったと日本に難癖つける病のことだ。

それにしても世界には80億人を超える人が住んでいて、その中で日本に生まれた僥倖(ぎょうこう)に感謝せずにはいられない。

それを教えてくれたのも旅であった。





 抜粋
多様な宗教、文化が交錯するシンガポール。実はシンガポールには行ったことがないのだが、もっと以前にこの本を読んでいたら、きっと行っていたに違いない、と思えるほど吸引力の高い本。

 管理人マーキュリーマークからの伝言
ドリアン長野本人はシンガポールとアフリカに行きたいと今も考えてるのか?観光と生活は大違い。海外旅行は妨害しませんけど日本国内の町とは異なり海外の桁違いに悪い街は避けて下さい。日本で錯乱してる病人を見たなら海外で同様の体験は控えたくなります。
 個人の旅行でも共同不法行為をやらかす人々には気をつけて下さい。 「海外旅行中の過失行為をネタに再び紹介をさせよう。」と計画した人々がいた。カナダでは何も悪いことはせずに帰国しました。幾つかの事情があり紹介されてる状態を無効化させるには移転しか他ありませんでした。閲覧者数は激減したけど不可抗力です。
 責任を感じてほしいです。
平成29年12月に叔父の見舞いに行くと脳腫瘍で狂ってました。
翌月の平成30年の元旦に叔父は死去しました。これも現実です。

日本では自由妨害が好きな悪人が多いけれども負けないで下さい。
「あいつ、こんな悪い奴です。」と主張したい人が拒否されてる。


カナダ コロンビーブリタニーキ旅行記その1


 「沖縄とサトウキビ畑とTHE BOOM」

旅の記憶は現地で食べた物と分かち難く結びついています。
沖縄発祥のタコスといえばコザの中央パークアベニューにある「チャーリー多幸寿」。チャーリーは創業者の勝田さんに米兵がつけたニックネームです。創業は1956年ですから70年近くです。
店内はアメリカンな雰囲気で壁に所狭しと有名人や一般人の色紙が飾られています。 山形から食べに来ました、という色紙もありました。
時間がないのでチキン、ツナ、ビーフのタコスをテイクアウトし、車中で食べました。
U型の皮は柔らかくもっちりとして,具の上にトマトとレタスの千切りが乗っています。う〜ん、今まで食べたタコスは一体何だったんだろう。忘れることができない味でした。
勝田さんは4年前に95歳でお亡くなりになっています。
かつては「B.C. Street」(BCはビジネスセンター)「センター通り」とも呼ばれた米兵相手の歓楽街は1982年に現在の「中央パークアベニュー」になりましたが近くの北谷にできたアメリカンビレッジに客足をとられ、数年前から空き店舗が目立ち始め、往時の賑わいはありません。 「チャーリー」だけが気炎を吐いています。
ライスの上にタコスの具を乗せたいわゆるタコライスの発祥地は海兵隊の基地キャンプハンセン近くにある「タコキング」です。ご飯なので日本人向けかと思いきや、お腹を空かせた海兵隊員に安くて腹持ちのいい料理を考案したそうです。 嘉手納基地ゲート2に至るゲート通りと国道330号線の交差点から500メートルを歩いてみます。
1970年、沖縄女性が酒気帯び運転の米兵に轢殺されたのですが、米兵は無証拠不十分で無罪になりました。その三か月後、330号線を横断していた男性が米兵が運転していた車にはねられたことが端緒として沖縄県民の怒りは爆発しました。アメリカ車を見ると横転させ、火をつけました。最終的には五千人の県民が暴動に参加したのです。これがいわゆるコザ暴動でした。 基地の50メートルほど手前の道路にオレンジラインが引いてあり、「此処は嘉手納空軍敷地の境界線です。許可のない立入りを禁じます。基地司令部の命による」と書いてありました。
米軍基地内は治外法権であり、アメリカの法律が適用されるとまことしやかに言われますが、そうではありません。
米軍の施設及び区域は、日本の領域であり、日本政府が米国に対しその使用を許可しているだけです。日米間で結ばれた「日米地位協定」によって地位協定の運用は、日米両国政府間で協議することとされています。 また、那覇市内ではよく不動産で「軍用地を買います」という文言を目にします。軍用地とは米軍基地および、自衛隊施設として使用されている土地を指します。これらの多くは、国が個人所有の土地を強制的に借地したもので、その上で米軍基地や自衛隊施設として提供しているというのが現状なのです。現在、国は借地料として地主に年間900億円以上を支払っています。 沖縄の道路標識は字が薄くなっていたり剥がれている標識がかなりあります。
強烈な紫外線や潮風(沖縄で自転車に乗っている人はめったに見ませんが、一度だけ見かけた二人連れの小学生の前カゴはどちらもひどく錆びていました)で標識が劣化しやすいのかわかりません。それにしても「テゲテゲ」です。 ふとバンコクのコンビニで、迷い込んだ野良犬を警備員がしゃがんで頭を撫でていた光景を思い出しました。
「小さいことは気にしないさー、なんくるないさー」と標識が語りかけてきたような気がしました(嘘です)。
今はプロ野球の春季キャンプだそうです。私は野球に関心がないのですが、「キャンプって選手が飯盒炊さんしたりキャンプファイアして親睦を深めることと思ってました」と言ったT君ほど無知ではありません。 一泊目のホテルには広島カープの選手が宿泊しているらしく「選手への握手、サインなどは控えるように」と注意文が書いてありました。
もし選手に遭遇しても私には衣笠か古葉監督しかわかりませんが(あとでネットで調べてみたらお二人とも物故されていました。失礼しました)。
ひめゆり資料館では出てから小六の娘が募金箱に二千円を入れようとしました。
彼女なりに何かを感じ取ってくれたのが嬉しかったです。二千円は多いと押しとどめて千円にさせましたが。
魅せられて終の住処にする人も多い沖縄。空港まで迎えに来たレンタカーのスタッフ、大阪生まれで27歳のガタイのいい好青年(趣味は筋トレ)も修学旅行で訪れた沖縄が忘れられず、ついにこちらにやって来て三か月。
最初は友だちがいなくて毎日泣いていたそうです。
気持ちはわかります。観光と実際に住むのでは大きなギャップがあるでしょう。
それでも自分の夢に忠実なこの青年をオジサンとしては応援したい気持ちです。
もしいつか再び会う機会があれば、近況を聞くのが楽しみです。
私は島に向かう途中で見たサトウキビ畑が網膜に焼きついたままです。
あ、またTHE BOOMの曲がリフレインし始めた…。

【速報】中山美穂さん「事件性なし」「死因は入浴中に起きた不慮の事故」事務所発表(2024年12月8日)


「末日聖徒イエス・キリスト教会の夫婦が沖縄神殿に行って帰りにタコスを食べたこと」

神殿行き。
金曜日の夜から神戸空港のスカイマークで沖縄へ。搭乗待合室にあるテレビに何気なく目をやると中山美穂の死去のニュース。周辺がざわつく。

今回の沖縄は観光は一切なく、神殿参入のみ。
レンタカーもなし。ゆいレールでホテルへ。

ホテルの斜め前の料理店のリニューアルオープンお祝いの花輪にはなぜか横浜流星の名前が。

ホテルから歩いて15分、国際通りの「ステーキハウス88」に行く。
サラダ、ライス、スープのバイキング。追加料金でブルーシールのアイスとソフトドリンクが付く(これもバイキング)。
店員は外国人ばかり。沖縄の失業率は全国ワースト1だが、飲食店はやはり不人気らしい。入店したのは夜の9時過ぎだったが、10時を過ぎるとお客が続々と入ってきた。沖縄人がシメにステーキを食べるという都市伝説(?)は本当だったのか。

翌日は朝から雨。7時半にホテルを出て高速バスで1時間ほどで神殿へ。朝食は近くのコンビニで買ったおにぎりとバナナジュースで済ませる。

神殿で待っていると、「安室」というネームタグをつけた男性が「どちらから?」
大阪からです、と言うと破顔一笑、握手を求めてきた。
「大阪神殿、おめでとうございます!私は40年前大阪で伝道していました」

いやー、こんなに喜んでくれるとは。こちらの方が感激した。

セッション後、一階に降りていくと長沼夫妻が受付をしていた。神殿の近くに住むのが夢で神戸から沖縄に移住された。

そして最後のセッション終了後に神殿の写真を撮る。雨は上がっていたが曇天。
神殿から出てきたご夫婦にツーショットを撮っていただいた。

「大阪からですか。私も40年前に大阪駅で宣教師に声をかけられて教会に入りました。天満支部(今はない)に通ってました。それから沖縄に帰って結婚したんです」
花城というお名前らしい。

お礼を言って歩き出す。今年の二月に沖縄神殿に行った時にタコス発祥のお店「チャーリータコス」に行き、時間がないのでテイクアウトして車中で食べた。それがあまりにも美味しくてゆっくりと店内で食べたいと思っていたのだ。
お店までは2キロ弱、歩けない距離ではない。
数メートル歩いたところで駐車場で声をかけられた。先ほどの人が手招きしている。車で送ってくれるそうだ。

お家は宜野湾の普天間飛行場の近くだそうだ。恐縮して「適当な場所で降ろしてください」と言うと、「沖縄では送るというのはdoor to doorが普通ですから」と花城兄弟が言う。

本当にお店の前で降ろしていただいた。走り去る車に何度も頭を下げる。

店内には来店した芸能人の写真がところ狭しと飾ってある。内田有紀、宮川大輔、ダ・バンプ、石塚英彦、多すぎてわからない。一般の人の色紙も張り出されている。山形から来た人もいた。

ツナ、チキン、ビーフタコスの三点とソフトドリンクのセットを注文(1000円)。

花城兄弟に「今までいろんなタコスを食べてきましたが、あんなに美味しいタコスは初めてでした」と車中で言うと、嬉しそうにニコッとされた。

ソフトドリンクはルートビアをチョイス。無料でLサイズにできるらしい。

妻は少食なのでタコスを一つだけ注文したが、食べ終わるとさらにタコライスをオーダー。
半分づつ食べたが、これも絶品。

5時前には8つあるテーブルが満席になった。
コザ(沖縄市)は凋落が激しく、商店街も「チャーリータコス」だけが気炎を上げている。

30分歩いて空港行き高速バスの停留所へ。

帰宅したのは既に日を跨いでいた。

ふと、花城兄弟のことを考えた。40年前に沖縄から出てきて大阪で改宗した兄弟と神殿で偶然に会い、車で送ってもらう。点と点でいえば、あり得ないほどの接点だ。ひょっとしたら偶然ではないかもしれない、と。

 管理人マーキュリーマークからの伝言

特別に2024年二月の沖縄訪問についての投稿だけではなく今月の沖縄訪問についての投稿を同時に投稿しました。良き人々に出会えたばかりか奥さんと良き時間を過ごせたので幸せなようです。
霊的に過ごすばかりか黄金律を踏まえてるから祝福があったに違いありません。 御霊の導きではないでしょうか?

海外旅行の時には利用しなかったが沖縄では利用したレンタカー。
第三者の海外旅行記ではレンタカーを利用したお話がございます。
一方でドリアン長野は海外ではレンタカーを利用していません。
利用の妨害はしませんが事故が発生する恐れから推奨もしません。
この部分についての理解を皆さんに求めます。

令和七年の年末から令和八年の年始にかけての海外旅行記 その1からその4並びに特別編

令和七年から令和八年の海外旅行記 #2 その5からその13

令和七年から令和八年の海外旅行記 #3 その14からその19(最終回)

個別の旅行記の感想を読まれたい方は上記をクリックして下さい。

トランプ氏「ハメネイ師が死亡」  イラン国民に“体制転換”促す
(2026年3月1日)


米軍機イラン上空で攻撃受け緊急着陸 打撃受けた初めてのケースか
(2026年3月20日)

 管理人マーキュリーマークからの伝言
 今回の旅行記は過去と異なり帰国して百日も経過しない時期に楽しめた国々が戦乱に至った点です。 令和七年の年末から令和八年一月にかけて旅行が行えて幸せだったのです。2026年二月末日から攻撃に至った。
ヘアジェルは機内に持ち込める液体は100ml迄の規制に関わるようです。モバイルバッテリーは2026年4月から規制対象になります。
各自で渡航の際に保有が許可される物品か否かを調べて下さい。
 私は海外旅行してるのを理由に毎日フェイスブックを通じて詰問されて苦痛でした。 相手にしても損害のみで得られるものがない人物の加害を防ぐには旅の終盤で旅行中なのを伝えれば良いようです。 もしくは旅については第三者には伝えないか?
 空手して育児も行うドリアン長野。 ブログですが動画の紹介や連絡の投稿は可能です。 娘さんが高校生になってから旅行されるか? 旅費と年齢は関わるかな? 厳密には不明ですが今回が最後の海外旅行記になるようです。 

敬具 管理人 マーキュリーマーク

回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花