2021年9月23日木曜日

催事の告知について 令和三年九月

管理人マーキュリーマークからの伝言
特別に投稿します。皆様がどういった行動を取られるかについては自由ですが今月から再来月にかけて開催される催事方面の告知(投稿)は控えさせてもらいます。
理由はコロナウイルスの悪影響で急遽中止になる可能性があるからです。
誠に申し訳ないがご了承願いたい。

2021年9月20日月曜日

渡航回数と訪問した国々の数 令和三年九月

渡航回数と訪問した国々の数が異なる人はおられる。
ドリアン長野は15か国赴きました。順不同ですが訪問国を列記します。
タイ、英国、メキシコ、台湾、米国、インド、フィリピン、カンボジア、
ベトナム、ネパール、マレーシア、ミャンマー、韓国、香港と中国。

ソウル(韓国)のように訪問はしたが旅行記は執筆してない前例はございます。直行便を利用して海外旅行しただけではなく一度の渡航で二か国以上訪問する人はおられる。メキシコへは米国から陸路で赴いてます。
同じ国へ複数回訪問する人はおられます。ドリアン長野は上海(中国)へは二回赴き、香港は三回赴き、タイ(バンコク)へは少なく見積もって十回は赴いてます。
結局は渡航回数はおよそ20回以上のようです。
ロサンゼルスとティフアナ旅行記より抜粋
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。 「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。 「え”?メキシコに行けるの?」 「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」 メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。 「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」 「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」 というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。


経由便や乗継便を利用された旅行者は多数おられる事から渡航回数と訪問した国々の数が異なる人はおられます。
恐らくですがドリアン長野はカンボジア旅行も二回行ったようです。
 どこかの誰かの訪問した国の数と渡航回数は令和三年現在カナダのみで渡航した回数も一回だけです。
米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ、そしてカナダのレインクーバーの三者は同一の時間軸です。
 平成29年の夏の日に「ソウル旅行記は執筆しないの?」と質問したら微笑みながら否定的であったように思います。強制は出来ませんので仕方ありません。
 もし、ニューヨーク旅行の前にソウル旅行をしたならば平成元年の
ゴールデンウイークか夏休みに旅立ってたか?

【夏が来れば思い出す】その1より抜粋
今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。

カンボジア~ その1からの抜粋
なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。


確かにタイランドだけで10回ほど行ったという主張はございましたが、直行便の利用だけでなく陸路で国境越えをした前例(米国からメキシコ)や経由便や乗継便で旅した前例もあるようなので実際の渡航回数はおよそ20回以上ではないでしょうか?カンボジアからタイランド(バンコク)へ行きそこからフィリピン(マニラ)に到着してから日本への帰国便を利用した過去もあったそうです。
ちなみにカオサンはタイランドのバンコクでは有名な街です。
敬具 管理人マーキュリーマーク
マーキュリーマークの海外旅行記 カナダブリティッシュコロンビア州編

2021年9月19日日曜日

動画 令和三年九月









今回紹介した動画については参考程度にしてもらいたい。
懐古と言っても内容は問われるかもしれません。
予想外の出来事が発生する恐れはございます。
ドリアン長野が渡航した外国の出来事全てを私が伝達するのは不可能ですので把握されたいなら各自で詳細を調べて下さい。
敬具 管理人マーキュリーマーク

2021年9月14日火曜日

令和三年九月の連絡



連絡します。

ドリアン長野が行ってきたメキシコでは九月七日に大地震が発生したそうです。犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
あの忌まわしき米国同時多発テロから20年が経過しました。平和の重要性を再認識します。

月の一日から中旬迄に一回以上の投稿、そして中旬から末日迄に一回以上は投稿したいです。
内容はドリアン長野が行った投稿の転載、国際空港の紹介、そして私からの連絡といった具合です。
一応ですが月の一日と14日には新規投稿していきたいですが私にも色々な事情がございますので遅延はあり得ます。


ドリアン長野が渡航した外国の出来事全てを私が伝達するのは不可能ですので把握されたいなら各自で詳細を調べて下さい。
予想外の出来事が発生する恐れはあります。


ドリアン長野はニューヨークへ旅行する時にデトロイト国際空港を利用しました。
愛知のセントレアからデトロイト国際空港への直行便が利用出来たそうです。
ハリケーンアイダの被害はニューヨークやニュージャージーで大きかったそうです。


アフガニスタンのカブール国際空港の混乱は並ではありませんでした。日本とアフガニスタンの両国にとって8月15日は大きな意味がある日になりました。

2010年(平成22年)以前にドリアン長野が海外旅行記で執筆した海外の状態はコロナの悪影響や経年もあり現状と異るかもしれませんので把握を希望されるなら各自で詳細を調べて下さい。
ドリアン長野が頻繁に海外旅行した時は昭和60年代から平成20年です。年末年始、ゴールデンウイーク、盆休み、三連休を利用したようです。
旅先では出会った人が悪事をやらかすだけでなく旅行中に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問する変態にも警戒して下さい。
私は平成27年(2015年)十月にカナダを旅してる時に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問され犯罪の被害にあう可能性を高められ困りました。
平成28年(2016年)には在外邦人がカナダで殺害されました。
2018-2=2016 殺人犯は犯行の二年後に終身刑に至りました。

カナダ 留学の日本人女性殺害 男に終身刑(18/11/03)


~特定のホームページを経由して当ホームページを閲覧された方々へ伝言~
平成24年にドリアン長野と私が会談した時に紹介の取り止めを決断しました。
業務上の艱難辛苦について語ることは妨害はしませんし同情しますが我々は不要な争いには加担しません。この点についての無意味な連絡は拒絶します。
平成27年に私がカナダ旅行中に紹介の再開を目的に毎日詰問され辛かった。
彼等の目的は何だったのか?私の弱みを握って奴隷化したかったようです。
第三者から批判される行動は取らずに慎重なカナダ旅行をして良かったです。
長期間紹介してないので後に批判することなく当方のgooブログの紹介を取り止めてもらいたい。

最後になりましたが良きホームページを運営されてる方々とある特定のホームページとは一切無関係ということは強調します。
病気やケガで苦しんでる時に長電話をしてきて迷惑をかけてきた人のごとく時差ボケで困ってる時に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問する人を雇う人々には関わりたくない。
皆様、こちらは被害者です。
特定のホームページについて肯定するか否定するかは各自の自由ですが当方は平成24年に紹介を取り止めた後で辛い思いをしました。

 最近になってこのブログを閲覧された方に連絡。
 ドリアン長野は2010年以前に何度も海外旅行しただけでなく2010年代に福知山マラソン完走を二回成し遂げたばかりか頻繁にカレーライスを調理し実食しました。
 海外旅行、マラソン、カレーライス、そして書評等について述べてるので楽しんで下さい。

ドリアン長野の海外旅行記のリンク集gooブログ版

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)

ノート版ドリアン長野

ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野の読書三昧

ドリアン長野ツイッター

ミキナナチャンネル

以下は当方が推奨するホームページです。 順不同。

ー クリスチャン X 人生 ー
末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)について説明されてます。


The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints
The authorized Twitter account for The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints. LDSについて英語で説明されてます。


孝信's Photoブログ 問わず語らず名も無き写真家

マザーテレサ名言bot マザーテレサの名言をまとめておられます

大山倍達bot 国際空手道連盟総裁・極真会館館長

DARAZ FM公式Twitter 鳥取のFM局

Donate For Free . クリックで救える命がある。

海外旅行の最新情報 地球の歩き方

i保険 海外旅行保険比較サイト

町田康ツイッター 小説と歌唱

中島らもオフィシャルサイト 故・中島らも(作家)のホームページ

紘道館 松本道弘(英語講師)が館長のフェイスブック

極真会館ツイッター (空手教室)

スマッシング・パンプキンズ公式ツイッター

原田おさむ(ピン芸人)ツイッター

radiohead公式ツイッター

linkinpark公式ツイッター

ちびまる子ちゃん公式ツイッター

Jeff Buckley公式ツイッター

椎名誠 旅する文学館ツイッター

joan osborne公式ツイッター

billy joel公式ホームページ

とことん能天気なVOCAL AZ流非日常的な日常

bob dylan公式ホームページ

ジョン・ライドン公式ツイッター

文男のMyselfな毎日 (元プロボクサーのブログ)

劇画王梶原一騎BOT 原作者の故・梶原一騎の名言を紹介されてます

モンパルナス(パン屋さん) パルナスの事実上の後継店

今月も良きホームページが推奨出来たので皆様に感謝します。
敬具 マーキュリーマーク

2021年9月1日水曜日

令和三年八月の投稿





執行草舟と佐堀暢也(当時神戸大学医学部在籍)の「夏日烈烈」という対談集がある。
「夏日烈烈」というのは草舟氏が中学生の時に三島由紀夫と会い、文学論を交わしてから三島の知遇を得て、草舟氏に揮毫して送った色紙だ。今も草舟氏の社長室に掲げられている。
「奔馬」の飯沼勲のモデルは彼だといわれている。
その中でジェンケヴィッチ(ポーランドのノーベル賞作家)の「クォ・ワディス」について語られているところがある。
ローマの皇帝ネロからの迫害を恐れて逃げていくペテロがアッピア街道でキリストとすれ違う。
ペテロは問う、「クォ ワディス ドミネ」(主よ、何処へ)と。
キリストは言う。
「お前たちが信徒を捨てて逃げるなら、私がもう一度十字架にかかりにローマに行く」
ペテロは恥じ入ってローマに引き返し、逆さ磔になる。
カソリックではこのペテロが初代ローマ法王だ。
草舟氏はこのときそれを恥じたというペテロがとんでもなく好きだという。キリスト教徒に言わせればそれは違う、と言うだろうが、草舟氏は武士道だと言う。そして私も同感である。



ふとT君に以前した質問をしてみた。
「九州男児と聞くと何県の人を思い出す?」
「……やっぱり高知ですね」
よかった、まだ健在だった。


管理人マーキュリーマークからの伝言
時に明確な大間違いは嘲笑を作り出します。
全く逆に九州の鹿児島県からやってきた人に「福岡県北九州市と同じ位に鹿児島県南九州市は有名ですね。」と発言し納得してもらったことがあったのを連想しました。




「赤朽葉家の伝説」 桜庭一樹
製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家の1953年から2000年代の三代に渡る女たちの物語。読み進むにつれ、ガルシアマルケス「百年の孤独」に題材を得てるな、とニンマリ。
もっと山陰の重く湿ったものかと思っていたら拍子抜けするほどポップだ。地元で生まれ育った者にはよくわかる。
紅緑村=米子市
宵町横丁=朝日町
錦港は錦公園あたり
商店街の描写なんか、あーっと声が出るくらいよくわかる。
「紅緑村では、駅前が花形の街であった。
駅を出たところからずっと続くアーケード街は、朝は野菜や魚の市が出て、昼は買い物客でにぎわった。
デパートも五階建てのものが建っていて、一番上の階でお子様ランチを食べたり、屋上から景色を眺めたりするのが子供たちの憧れであった。
(略)
郊外のマイカー族が増えるにつれ、駅前はあっという間に寂れていった。アーケードの街の店は次々に閉店した。」
宵待町横丁のディスコ「ミス.シカゴ」に後に売れっ子漫画家になる赤朽葉毛毯が足繁く通うが、あの頃の朝日町にはディスコが何軒かあり、僕も帰省した時によく踊りに行った。
赤朽葉家はアメリカのケネディ家のようにしたいと桜庭さんは考えたらしい。
最終章の第三部はミステリー仕立てになっていて伏線を回収していく。
「赤朽葉家の伝説」は日本推理作家協会賞受賞をしたが、その選評。
「作り手にはこれを書くために作家になった、いや生まれてきたと言える著作との出会いがあるものですが、本作は桜庭一樹という作り手にとってその一本になると確信します」
「この作者の代表作になる作品であると思う」
そして馳星周からは「これしかあるまい」と。
ようこそ、ビューティフル・ワールドへ。

管理人マーキュリーマークからの伝言
私も過去に居住してた街を連想しました。








「墜落遺体」著者は当時高崎署刑事官。身元確認班長となる。
1985年、単独としては世界最大の航空機事故。
藤岡市民体育館に収容された遺体。
腐臭を放ち、蛆が湧き、切断、欠損したあまりにも凄惨な遺体の数々。上腕のみ、あるいは手首だけの。
シートベルトのために多くの遺体が下腹部で断裂していた。そのために母体外に飛び出した焦げたミイラのような胎児遺体。
前頭部が飛び、両手、両下肢がちぎれた黒焦げの父の遺体の前で「僕は泣きません」と14歳の長男が唇をかんでいる。
「泣けよ」と少年の肩を叩く若い警察官の目からはボロボロと涙がこぼれ落ちている。
確認の説明をした歯科医師が涙を呑み込もうと天井を見上げている。
二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損。それなのにかわいい腰部にはおむつがきちっとあてがわれている。
写真担当の巡査のカメラのシャッター音が止まる。
彼も検視官も医師も看護師も汗とともにこぼれる涙を止められなかった。
「クライマーズ・ハイ」は映画化もされた。上毛新聞(映画では北関東新聞)の遊軍記者、悠木。
日航機墜落事件、友人と約束した登山、息子との不和、地方新聞記者の矜持、新聞社内での確執といったことが重層的に書かれる。
戦場のような御巣鷹山の現場を目にした記者が雑観を書く。
これは映画でも一字一句そのまま引用された。
「若い自衛官は仁王立ちしていた。
両手でしっかりと、小さな女の子を抱き抱えていた。
赤い、トンボの髪飾り。
青い、水玉のワンピース。
小麦粉色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。
自衛官は天を仰いだ。
空はあんなに青いというのに。
鳥はさえずり、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。
自衛官は地獄に目を落とした。
そのどこかにあるはずの、女の子の左手を探してあげねばならなかった_。」
悠木は赤ペンを置いた。感情が収まるのを待って席を立った。
整理部長に原稿を渡した。
「カクさん、これ、一面トップで」
「どうしたん?赤い目して」
悠木は答えず、ネクタイを緩めながらドアに向かった。

管理人マーキュリーマークからの伝言
ご存じの方々も多いでしょうが多大な悲劇を作り出しましたね。
果たして真相は?



神戸のチベットと言われる北区は義母や義弟家族が住んでいる。時々行くからよくわかるのだが、初めて行った人が「ここって本当に神戸市内?」
と思うのは中区周辺しか知らない観光客のイメージする横浜市とどっこいどっこいだ。
そんな北区出身者には私にとってスーパースターが四人いる。
一人は義母。とにかく器が大きく、世間体など滋賀にも歯牙にもかけない。それでいて思いやりに溢れている。
子どもが大好きで長年保育士をやっていたが、今も知的障害者のお世話をして働いている。僕の娘も義弟の子どもたちも彼女が大好きだ。
二人目は父親から虐待を受け、死ぬ寸前までいった島田妙子さん。彼女の著書「e love smile」に書いてある日々は壮絶のひとこと。現在は三人の母親兼会社経営者。
三人目は「家族だから愛したんじやなくて、愛したのが家族だった」の著者、エッセイストの岸田奈美さん。
この人のエッセイは面白くて、鹿も馬も(昭和ギャグ)逆境を感じさせないほどパワフルだ。
四人目は走る書家、上山光広さん。
なんと連続100日間フルマラソンという偉業を成し遂げた、生きること自体が芸術ではないかと思える人。自分がもし彼の子どもだったら、死ぬほど父親を尊敬するだろう。
その上山さんから名刺大の書が届いた。
一目見ただけで痺れた。カッコええ〜。
上山さんのようなカッコイイ大人になりたい、ってもう充分なオッさんは死ぬまで生きる。#上山光広

管理人マーキュリーマークからの伝言
神戸市にも赴いたことはあるし平成十年代に横浜市の関内駅と桜木町駅そして野毛山公園にも赴いたことがあるからお伝え出来ますがいわゆる市内であっても観光地とそうではない街が混在してます。







横浜の思ひで



部屋を整理していたら昔の写真が出てきた。
19歳、隠岐の島に行く船で。
この頭は…
ヅラ…
おばさん…
ボートピープル…
いや、よお〜く目を凝らして見ればキムタクに似てないこともないこともないかも…
ちょお、待てよ(キムタクの声で)
あ、嘘です、ごめんなさい、ごめんなさい🙏



幕末のターニングポイントとなった大事件である桜田門外の変には「風雲児たち 幕末編」20巻と21巻を費やしていて、これだけでほぼ全貌がわかる。
幕府側、襲撃側、凄まじい描写である。
みなもと太郎先生がお亡くなりになって幕末編は未完となった。
残念でたまらない。
心からご冥福をお祈りします。
以下は一年前に投稿したもの。
今みなもと太郎「風雲児たち」を読んでいる。斯界の評判が良かったからであるが、読み進めているうちに驚嘆した。
執筆当時に入手可能な最新の史的資料を調査した上で執筆されているため、それまでの多くの歴史フィクションでよく見られたステレオタイプの視点や、学校などで習う標準的な歴史観を脱している。
例えば、天保の大飢饉の時に二宮金次郎の「凶荒図録」に「茄子で飯を食ってると初夏だというのに秋茄子の味がした。
おかしい、これは凶作のおこる前触れではないか」という記述がある。
金次郎はいぶかしがる村人を説き伏せ、冷害に強い作物に植え替えさせたため、その秋から始まった大飢饉に小田原藩のこの村だけはビクともせず二宮金次郎の先見の明が証明された、と。
しかし、その前年の天保三年にはすでに諸国から飢饉の報告が寄せられていた。
金次郎は天明大飢饉の真っ最中、天明七年の生まれで、飢饉の天候を肌身で知っている貴重な人間であり、当然数年前から地道な指導は始まっていたはずであり、
天保四年の秋茄子味一件は「『いよいよ始まったな』というくらいのエピソードと捕らえるべきでありましょう」とみなもとは書いている。
このようなみなもとの見解は随所にある。
「風雲児たち」は幕末の遠因は関ヶ原の戦いにあるとして、そこから始まり、骨太の大河ドラマ漫画となっている。
自分にとっては中央公論社から出ている「日本の歴史」全26巻と双璧を成すものだ。



8月25日の産経新聞夕刊「ビブリオエッセー」に向田邦子さんのエッセイのレビューが掲載されます。
半年前に投稿されたのでボツになったと思っていましたが、掲載が遅れた理由は
① 8月22日が彼女の40周忌になること
② レビューの中で彼女の航空機事故に触れているが、8月12日に起きた日航機事故を連想されること
父がNHKしか観なかったので「寺内貫太郎一家」も「時間ですよ」も観たことがなかった。NHK放送の「阿修羅のごとく」でさえ観たことがなかった。
彼女の高名はもちろん知っていたが、なぜか読んだことがなかった。
「無名仮名人名簿」を今年初めて読み、たちまちその文章の名人芸に魅了された。
彼女のお父さんは学歴がなく、苦労して保険会社で出世したが家庭では暴君であったことが書かれているが、我が父のことを思い出した。
ドリフの番組は観ていたが、それは商店街の土曜夜市で店を9時まで開けていた夏の間だけだった。
担当記者が「江戸の地口に触れていますが、それが面白いですねえ」と言ってくれたが、
小中学生の時に家にあった興津要編の「江戸落語」を愛読していたので、それと通じるものがあったからだ。
彼女のファンでもあった父が掲載を知ったら、きっと喜んだろうねえ、と妹が言った。



お江戸の名物
「火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋、稲荷に犬の糞」

管理人マーキュリーマークからの伝言
月の一日から中旬迄に一回以上投稿するだけでなく中旬から末日迄に一回以上投稿する予定です。
本音を伝えますが趣味でブログをしてますので毎月必ず一日と14日に投稿する自信はございません。
過大な要求をされても不可能です。特定のホームページですが2012年に私とドリアン長野が会談した時に紹介を取り止める決断を下しました。業務上の艱難辛苦を語られてた点は同情しますが当方は不要な争いには加担しません。
産経新聞に投稿が掲載されたのは快挙でした。
ツイッターの利用回数は過去よりも削減します。
又、埋め込み投稿という特性上、ブログ側が利用可能な場合と利用が不可能な場合が混在してますのである程度の取捨選択は不可避です。 敬具

令和三年八月のつぶやき


回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花