2024年7月7日日曜日

フィリピン旅行記 2024

ドリアン長野のフィリピン旅行記 #17 マニラのスラム

夜の9時前にニノイ・アキノ空港に到着。ロビーに出ると熱気、じゃないなこれは、殺気を感じる。なんだか誰かに狙われているような気がして、少しびびる。ホテルを予約して、米軍用のジープを乗り合いバスに改造したジプニーに乗り込んだ。窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。
「スラムは特別な地区にあるのではない。メトロ・マニラ(マニラ首都圏)のいたるところにある。例えば、あなたがニノイ・アキノ国際空港を降りてタクシーに乗り、マカティの5ツ星ホテルに泊まり(そこまで気張らなくても安ホテルでも同じなのだが)、日中は車で移動して夜は繁華街で過ごすとなると、「タイやシンガポールほどではないが、フィリピンもずいぶんと経済発展しているんだなあ」と思うだろう。ところが、一歩、メインストリートをはずれて体重を右足でも左足でもいいから、どっちかに傾けて薄暗い路地を折れてみるがいい。
 そこには、ああっ、と驚く光景が広がっている。」 
 
 とそれから浜氏はスラムの様子を描写し、
「しかし、わたしにとってスラムは混沌という名の・楽園″であり、生命力溢れる根元的な場所である。
  (略) ある意味で、最も俗なるところが聖に通じ、最も醜いものが清らかなものに近く、最も単純なものが真実に迫るという逆説を痛感できる、哲学的な場所でもある。」
 
 と続けている。私はこの文章を読むたびに、うひゃひゃと体が弾むような感覚になるのだ。私はスラムが大好きだ。電車に乗っていて、線路沿いにあるスラムを見つけると途中の駅で降りてしまうくらいだ。そんなに好きなら一生スラムに住みついたらどうだ、と言われると困るけどな。
 マニラには観光名所らしき場所はあまりないが、私にはどうしても見ておきたい所があった。東南アジア最大のスラムといわれるスモーキー・マウンテンだ。夢の島のようなゴミの集積所にバラックを建て、人が住み始めた。ゴミが自然醗酵し、煙がたなびいているのでスモーキー・マウンテンと呼ばれるようになった。スモーキー・マウンテンのあるトンド地区には無用な立ち入りは絶対に厳禁、とガイドブックには書いてある。それでもどお~しても行ってみたい。私は覚悟を決めた。海外旅行保険に加入してないのが残念だ。アバト・サントス駅でタクシーを止め、ドライバーに聞いてみる。 「あんたは悪人か、それとも善人か?」 (マニラのタクシー・ドライバーはボる奴が多いからな) 「なぜ、そんなことを聞く? もちろん俺はグッドマンだ」 交渉して、スモーキー・マウンテンをぐるっとひと回り、300ペソで行ってくれることになった。ドライバーのソシモは気のいい人で、運転中もずっとしゃべりっぱなしだ。 「人生で大切なのはお金よりも友だち、神様、家族だと俺は思うね」 「香港に研修で行ったことがあるよ。外国に行ったのはそれっきりだ」 「トンドなんかになぜ行きたいんだ? あんた、ジャーナリストか? トンドで警官がナイフで刺されたことがあるし、タクシーだって石を投げつけられたこともあるんだぜ」等と話を聞いているうちに、車はいつしか迷路のような細い路地に入り込んだ。一見してスラムと知れる、その住民たちが車を取り囲むようにしてじろじろとこちらをねめるように歩いている。ソシモの言葉を思い出して、こちらとしては気が気ではない。やがてマニラ湾沿いの道路に出た。う~ん、と思わず私は目を見張った。なにしろトタン屋根とありあわせの木造で建てられたバラックが何キロにも渡って延々と続いているのだ。それは今まで訪れたアジアのどの国でも見たことがなかった、圧倒的な光景だった。電気は引いているが、水道はないとソシモは言う。
 スモーキー・マウンテンには以前、人が住んでいたが現在は政府によって強制撤去させられて家はない。気が遠くなるほどの広大なただのゴミの山だ。少し行くと、今にも崩れ落ちそうな五階建てくらいのアパートが密集していたので、その前の広場に車を止めてもらう。広場にいる大勢の大人たちや子供たちが何事かとこちらを注視してきた。
 ソシモに「外に出ても大丈夫か?」と聞く。 「ああ、大丈夫だ」 「ここで待っていてくれ」 あたりを窺うようにしてゆっくりと車から出て、一番近くにあったアパートの階段をのぼる。そこで私は自分の目を疑ったね。各部屋のドアはなぜか全てなくて、中がまる見え。室内には所狭しと何人もの人間が住んでいるのだが、住んでいるのは人間だけではなかった。猫や犬に数羽の鶏までもが同居しているのだ。一軒家ならともかく、アパートの一室で人が家畜と暮らしている光景は異様だ。それは、まるで家畜小屋に住人が住まわさせてもらってますって感じなのだ。もしかして、あれはペットなのか? いや、そうではあるまい。スラムの住人にそんな余裕があるはずがない。現金収入を得るため、もしくは自給自足の食料として飼って、いや、同居しているのだろう。上の階まで行きたかったが、住人の眼光が鋭くなり危険を感じたので車まで戻る。
 「一緒にアパートの上まで行ってくれないか?」とソシモに頼むと、「駄目だ。危険だよ」と言う。あとから考えてみると、危険なのは我々だけでなく、もし車を残しておけばその車だってどうなっていたか分からない。仕方なくトンドを離れ、リーサル公園で降ろしてもらった。歩いて駅まで行こうとしたら、一人のフィリピーノに時間を聞かれた。そのままついてきて、歩きながら自己紹介を始めた。年は29歳。父は日本人、母はフィリピン人。何年か前に離婚し、父は香港にいるが母は行方不明。彼には子供が二人いて、ミルクを欲しがっていると何度も言う。ふ~ん、なるほどね。案の定、「セブン・イレブン」で粉ミルクの缶を二つ買わされた。自分のためにお金をくれ、というのならともかく、小さな子供がおなかを空かしているという言葉に断ることができなかった。願わくはだな、あとでその粉ミルクを換金して、お人好しの日本人はちょろいもんだと舌を出さんように願っているぞ。
 その男は粉ミルクを受け取り、ホテルの所在地を尋ねるとお礼のつもりなのか「案内するよ」と歩き出した。おい、ちょっと待ってくれい。わしはLRT(高架鉄道)に乗って帰るからいいんだ。と言ってもそいつは先頭に立ってどんどん歩いて行く。待てっちゅうねん、お願いだ~、頼むから待ってくれ~。ここからホテルのあるエドゥーサ駅まで6キロはあるぞ。 「心配しなくても大丈夫だよ」 いや、だからそういう問題じゃなくてえ。男は黙々と歩く。薄暗い夜道をひたすら歩く。月がきれいだった。一時間歩いてホテルに着く。えっ、本当に着いたのか? 初めは着いたのが信じられんほどだった。リキというその男は妻子のためにお金が欲しいと言う。 「いくら欲しいんだ?」 「200ペソ」 ありがとう、リキ。案内してくれてよっ!私は彼に50ペソ渡した。リキは少し不服そうだが礼を言って帰っていった。また一時間かけて。
 それから私はホテルでイタリア料理を食べた。500ペソほどだった。近くにカジノがあるというので行ってみたが、カラーのないシャツを着用している人は入場できません、と断られた。帰り道でぼろぼろの服を着た6歳くらいの女の子が右手を突き出してきた。小銭を1ペソしか持ってなかったのでそれを渡すと、女の子は無言で首を振った。でも、どうすることもできんのでそのまま帰った。私は人権主義者じゃないけど、つくづく人間は不平等だとその夜は思った。

 皆様への伝達事項
 平成14年の元日から一月二日頃に旅したフィリピンのマニラ旅行記です。
乗継便を利用したからかマニラに到着する迄にカンボジアとタイランドを旅したようです。ドリアン長野は冷やかしが好きなのか?
今回の旅行記は相手の気持ちが読めないから仕事が出来ない労働者や小銭が欲しい女の子が紹介されてました。
時間を尋ねるのを踏み台にして金を要求するのは悪質な詐欺師です。
 強要はした方ではなくされた方が判断するものです。2010年以降は減ったようですが日本でも署名の後に寄付金を求めた人はいました。
他にも日本国内で説明も無しに生活費を求める日本人はおりまして拒否しました。強要や搾取はされたくないです。 スモーキーマウンテンは実質的に移転しパヤタス・ダンプサイトことスモーキーバレーとして存在してるそうです。
 詳しくは各自でお調べ下さい。
 私は海外旅行保険に加入してからバンクーバー旅行しましたので海外旅行保険の加入は推奨します。 kaigairyokohoken.com

 ~注目してもらいたい部分~
スモーキー・マウンテンのあるトンド地区には無用な立ち入りは絶対に厳禁、とガイドブックには書いてある。それでもどお~しても行ってみたい。私は覚悟を決めた。海外旅行保険に加入してないのが残念だ。

 海外旅行は並ではありません。海外旅行案内書ことガイドブックは渡航前に読みましょう。海外旅行保険に加入していても渡航中は危険な街に行かないようにして下さい。平成十年代はともかく平成20年代は錯乱してるストーカーから毎日フェイスブックのタイムラインに詰問されました。 犯罪のほう助です。

 乗継便は乗り換え地点で途中降機出来ます。目的地以外の空港に到着してから目的地に向かうのが本来ですけど人によっては観光したようです。
経由便は空港内の移動は認められるが途中降機は認められません。空港内で飛行機から飛行機の移動や乗客が目的地以外の空港に到着し燃料補給等の理由で着陸している飛行機の中で待機して移動します。
一例。 KIX(関空)からYVR(バンクーバー国際空港)そしてLAS(ハリー・リード国際空港)といった具合です。

 重視と軽視の区別がついて無い錯乱してしまった人はおりますがこれは重視の領域です。 詳細は各自で調べてもらいたい。 
 平成の時期はともかく令和になってからフィリピンに出入国する際にはeTravel.の申請が必要になりました。
フィリピン旅行されるならば前もって電子渡航認証は済ませて下さい。 ~赴いた時期についてお知らせします~
フィリピン旅行記を一読したのみではいつ旅したのかは不明ですが他の旅行記を参考にしたら明確化します。平成13年12月28日頃にカンボジア、平成13年晦日より平成14年の元旦はタイランド、平成14年の元旦から一月二日頃にはフィリピンのマニラを旅し帰国便に搭乗したようです。 乗継便かな?

 詳細は各自で調べてもらいたいがカオサン通りとはタイランドの首都バンコクに存在するプラナコーン区の外国人向けになっている宿屋街だそうです。

カオサンの大晦日
カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。

 ドリアン長野のカンボジア旅行記 カンボジア~ その1
 なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。


タイランド旅行記夏が来れば思い出す2024

カンボジア旅行記 2024

 紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。


犯罪組織に加入してる在外邦人が悪事をやらかしてます。
結局は国の内外を問わず社会に損害を与えてます。
「辞めて下さい。」と警告しても辞めなかったり悪事に対して抗議しても謝罪しないのが特徴なのでしょうか?
日本人が海外旅行してる時に加害並びにほう助する人はおります。
防犯上の問題は大きい。

~渡航先との時差が日本と大差が無くても腕時計と置時計は必須~
 私が平成27年に行ってきたバンクーバーの時差は夏時間だったので16時間。日本で午後11時でも旅先は午前7時。
時差に対応する心構えは必須です。腕時計は外出中に必要で置時計は設定したなら室内で時刻を知らせてくれるし目覚まし音も鳴らしてくれます。 日本時間の正午はフィリピンの午前11時。 time-j.net
海外旅行案内書等で時差は発表されてます。遅刻しない為に渡航先に適合させた時計と日本時間に適合させた時計を利用しましょう。  移動中は置時計の音を鳴らさない為に電池は抜きます。
宿に到着してから電池を入れ時刻調整し帰国日に抜きましょう。
 帰国後は時計を全て日本時間に適合させて利用出来ます。
敬具 マーキュリーマーク

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花