社会人になってからは休みになるとアジアをほっつき歩き、盆も正月も連休も帰省することはなかった。電話さえもしなかった。
でも親は何も言わなかった。本当は心配してたんだろう。今は一年に一回は帰省する。孫に会いたいだろうから。それが一番の親孝行だと思うから。
最近になってよく故郷のことを考える。iPhoneのサイマルラジオで故郷のFMだって時々聴く。懐かしいなあ。 ダラズFM
思い出がいっぱい詰まってる町だもの。不良息子が家出しても何も言わずに受け入れてくれる親みたいな、故郷ってそんな場所。海と山がある、生まれ育った町。故郷があるっていいなあ。
平成25年の投稿が好評なので再投稿します。独身の時に「田舎には帰らないの?」と私が質問したら「俺、田舎に三日いると退屈に感じる。」といったような返答をされたので「じゃ、エキサイティングで試練がある大阪市の方がマシってこと?」 「そういうこと。」みたいな話をしました。
私も故郷の杉並区に帰ったのを連想します。
長野夫妻は、仲良く生活されてます。平成20年代には娘が生まれたので鳥取県にお住まいだったご両親と何度も再会されました。 米子市の職場兼住宅は売却が済んでますし令和三年七月にはドリアン長野のご尊父が死去した後にご母堂と同居されてます。
令和六年には娘さんと一緒にオーストラリアのケアンズを旅されました。
追伸
実際にドリアン長野に出会ったならば「ラジオのダラズFM。」と発言するのは良くてもいきなり「ダラズFM。」と発言したら怒られるので気を付けて下さい。
(笑)
敬具 マーキュリーマーク
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