2025年11月14日金曜日

リンク集と伝達 2025年

 はじめに
 このブログの管理人をしてるマーキュリーマークです。 多くの国々を旅したドリアン長野に頼まれホームページの開設を平成15年に手伝いました。私はカナダのみ旅しました。海外旅行記のリンク集のみならず海外旅行について伝達するので参考にして頂くと幸いです。渡航するか否かは各自で御決断下さい。

 順不同。 タイランド(バンコク) カンボジア(プノンペン等)

メキシコ(ティフアナ) 英国(ロンドン) インド(西ベンガル州等)

米国(ニューヨーク、ニュージャージー、ミシガンとロサンゼルス

フィリピン(マニラ) 台湾(台北)マレーシア(クアラルンプール等)

ベトナム(ホーチミン) ネパール(カトマンズ)

ミャンマー(ヤンゴン等) 香港 中国(上海と北京

オーストラリア(ケアンズ) サウジアラビア(予定)

上記は、エキサイトブログ版。

豪州 (ケアンズ) タイランド(バンコク) 英国(ロンドン)

米国(ニューヨーク、ミシガン、ニュージャージーロサンゼルス

メキシコ(ティフアナ)ベトナム(ホーチミン)

マレーシア(クアラルンプール)台湾(台北)

ミャンマー(ヤンゴン、モン州)カンボジア(シェムリアップ)

インド(デリー、ベナレス、西ベンガル州等)ネパール(カトマンズ)

フィリピン(マニラ)香港と中国(上海そして北京

上記は、ブロガー版。

順不同

豪州 ケアンズ タイランド(バンコク) 英国(ロンドン

米国(NY NJ & MI並びに、ロサンゼルス

NYはニューヨーク、NJはニュージャージー、MIはミシガンの略称です。

メキシコ(ティフアナ) ベトナム(ホーチミン)

マレーシア(クアラルンプール) 台湾(台北)

ミャンマー(ヤンゴン、モン州)

カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)

インド(ウェストベンガル州、デリー、バーラナシー)

ネパール(カトマンズ)フィリピン(マニラ)

香港と中国(北京と上海

上記は、はてなブログ版。

 渡航前には時計を忘れずに
多機能な回転式デジタル置時計 電池式防水クォーツ腕時計と懐中時計
 私が海外旅行の時に利用した時計の組合せを説明します。
 懐中時計は自宅から空港等の移動で活用しました。
16+7=23 海外用の腕時計は出国前に電池交換を済ませて時差16時間の太平洋夏時間に時刻調整。 十月のバンクーバーの午前7時は日本の午後11時。 冬は時差17時間の太平洋標準時。
置時計は防音の為にテープで電池を張り宿に入ってからタブレットを利用し日付も含め時間調整。 電池は帰国日に抜きました。

12cmX8cmX2cm 時刻、気温、湿度のみ機能する置時計
薄型で無音なので日本で時間調整して持参は可能。 
ネパールは法規制で二種類の時刻表記が行える時計を推奨。
ドリアン長野は令和六年の豪州旅行でスマホと腕時計を利用。
大衆品で十分ですが電波時計は南半球では受信しない。
 時に現地時間は変わる。夏時間から標準時。標準時から夏時間。東西の長距離移動で時差は発生します。旅した時は標準時と夏時間で異なるが私が旅したバンクーバー、ドリアン長野が旅したロサンゼルスとティフアナは南北の緯度は違えども経度は大差無いので同一の時間軸です。
渡航の期間、訪問先の時差は事前に把握し調整は必須。帰国後は日本時間に調整可能。

Ikea Degade clock sound... 移動中に時計で音を鳴らさないようにする。

戦慄のメキシコシティ。iPhoneスリ被害について語ります。

Sudden Impact | Go Ahead, Make My Day | Warner Classics

「単純な時計を二個利用して下さい。」と代理店の従業員に言われました。 日付設定が簡単に行える置時計も利用したから帰国便に間に合いました。
 無音の置時計なら電池は入れたままです。目覚まし音が鳴る小型置時計を利用するならば電池を入れるのは宿の中のみにして移動中に電子音等が鳴らないようにする。 
電池切れも考慮し買うか否かは各自で決めて下さい。
 提案 小型置時計、アナログの腕時計とデジタルの腕時計を推奨
・出国前に外国の時間に調整した無音の薄型置時計
 防水の為に透明のビニール袋へ入れる。
・アナログの腕時計は日本用
 ソーラー時計は渡航前に40時間は光充電。
・デジタルの腕時計は外国用
 渡航前に日付も含め現地時間に調整する。 time-j.net

 旅支度について
 パスポートは必須。 旅先を選んだ後は海外旅行案内書を購入して読んで予習する。電子渡航認証等の申請や観光ビザの承認。外国語の学習。
 旅費と休暇の捻出。 医薬品も含め旅に必要な商品は買い揃えるべき。
 外貨の保有、交通費、宿泊費、海外旅行保険の支払い等を済ませないと円滑に海外旅行は行えません。

プラスチック製の新パスポートを公開 全国どこでもオンライン申請可能に(2024年12月20日)

 パスポートの有効期限とeTA
電子渡航認証ことElectronic Travel Authorizationの略称はeTAです。第一に有効期限内のパスポートを保有してる人のみ申請可能です。入国ビザが免除されてもeTAが求められる国は存在する。国家によっては海外旅行が認められるようになるには必須な行動になってます。
カナダ電子渡航認証 (eTA) 早わかり
 パスポートセンターは受け取りの為に必要。 旅券は令和七年三月からプラスチックが含まれます。国毎に出入国の法律は異なるので申出がいるなら早めにすべき。 私は2015年に海外旅行しました。その翌年からカナダ政府はeTAを義務化。
 外国によってはパスポートの有効期限が半年未満ならば入国拒否。
 各国毎に出入国の法律は大きく異なります。

 旅費の支払先については直接取引(自主手配)か旅行代理店を選ぶ

【南海電鉄】特急ラピートCM「シュッと、ラピート。旅行編」

 直接取引か旅行代理店を選ぶか?
 自主手配は航空会社、宿泊所、保険会社等を自由に選べます。
通販だと自宅で予約が行えて自由に選べます。 一部の無礼者は見ないが助言もない。送迎バスは宿が用意してないと利用出来ない。
旅行代理店が販売してるフリープランは往復の航空券か乗船券、宿泊費と各種税金等を一本化してます。中には海外の国際空港から宿への送迎バスも付加してます。会社が選んだ業者から選ぶので提案の内容は半ば固定です。 フルパッケージツアーだと体調不良でも観光名所に訪問か?
 日本国内の交通費、保険料、各種税金、食費等も想定すべきです。
 燃油サーチャージ、各種税金等(海外)の追加料金の支払いが求められることはあり得ます。 出国後に外国に到着してから別の外国に行く旅行なら海外政府からeTAや出入国に関する税金等の支払が求められます。
 緊急時用であるなら是認するが最初に告知した日が出発日の50日未満の旅行商品はおかしい。

 ドリアン長野の海外旅行記 上海日記からの抜粋
 年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。


 旅券の入手、電子渡航認証等の手続きは済ませてから旅行代理店か直接取引のどちらかを選び旅費を支払いましょう。海外の空港利用税も忘れずに。

 国際空港に到着してからどうするか?
 次にどうするかは決めておきましょう。入国手続きを済ませてから空港を離れる時に宿ないしは目的地に行くにしても方法は問われます。
・経由便か乗継便を利用 ・空港連絡鉄道やフェリー等で移動
・空港近辺の宿に徒歩で移動 ・レンタカーを運転
・バス(公営、旅行会社、ホテルの運行等)で移動
・タクシーで移動

次にどうするのか?移動手段は問われます。中国には不良タクシーがいるらしいので推奨は難しいです。ドリアン長野はニューヨークを旅行する前に宿の予約をしてなかったので現地で困ったそうです。就寝時間にホテルを探す旅を避けるには日本で海外のホテルの予約を済ませましょう。
 私のように旅行代理店でフリープランを選んでも構いません。

 海外の国際空港からホテルへの送迎バスの利点と欠点
利点
安全運転での送迎と荷物の運搬です。 旅券で本人確認をされました。
宿の預かり保証金を受付で取り次いで頂いたばかりか退去の際のホテルへの連絡も運転手さんが行って頂き感謝します。後に預かり保証金ことデポジットは全額返金。
私が経費を支払ったのであって運転手さんが支払った訳ではない点は強調します。

欠点
空港連絡鉄道より高値。
観光案内商品(名所等の有料案内)の説明は不要。
入国後に運転手から他の乗客の待機を提案。 関空と成田は違う。
飛行機の到着時間は異なります。
集合時間が遅めで帰国便になんとか着席。
 利用するか否かは各自で決めて下さい。

 ホテルにやってくる国際空港に行く迎えのバスの時間に遅れるとホテルでも遅延退室となってデポジットは減額されるかも? 為替差損は別にして預かり保証金が減額されない為に不正はしないように。
 早期入室は、送迎を依頼したから許可されたか?

私が平成27年にカナダのブリティッシュコロンビア州を旅行した際には旅行代理店に依頼したこともあって送迎バスを手配し乗車が行えました。全てのフリープランで利用出来る訳ではないので各自でご確認を願いたい。

 ドリアン長野の海外旅行記 インド編からの抜粋

ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。
「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」
「イエス! イエス! イエース!!」 
私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」
そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。
間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」
 と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。
すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」 と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!!


インドでは詐欺師が出現するそうです。無法地帯なのか?

 レンタカーについて
右ハンドルよりも左ハンドルが多いのみならずオートマ車よりもマニュアル車の方が多いそうですし海外旅行保険の加入は必須です。
レンタカーを運転した海外旅行記を読まれたいならば第三者の作品で楽しんでください。 ドリアン長野の海外旅行記内ではレンタカーを利用した海外旅行記はございません。
 第三者は海外旅行中に空港を後にしてからレンタカーを運転されたそうです。 レンタカーの利用は妨害しないが危険なので推奨しません。

 海外旅行案内書は渡航前に読みましょう
 古本は辞めて下さい。
廉価本で良いので最新の書籍を買うようにして下さい。
名店、名所が紹介されてるばかりか治安が悪い場所も説明されてます。
予定が出来ると妨害はされたくない。出入国についての理解も必須です。
日本との時差についても記述されてる海外旅行案内書は存在します。
良書は今後も必須。

 ドリアン長野が渡航したのは、いつなのか?
 ドリアン長野が発表した順番は前後してたし幾つかの海外旅行記は渡航した時が不明確です。時期について忘れてるようです。可能な範囲で順序立てたが間違えてるかもしれません。 複数の外国を訪問したのみならず過去に赴いた外国へ再訪した前例もございます。 一本化の要求は悪質な改変なので拒否します。

 1961年(昭和36年)生まれのドリアン長野にとって最初の渡航は26歳だった昭和62年の年末から昭和63年の年始にかけてのデリーや西ベンガル州等を旅したインド旅行。コルカタとハウラーは両者共にインドの西ベンガル州に存在するそれぞれ別個の町ですけれどドリアン長野は勘違いしてました。

インド東部の町として有名な西ベンガル州はWest Bengalです。
東側については1971年にバングラデシュとして独立しました。

大韓民国の首都ソウルを旅した旅行記は未発表なので不明確です。
 ソウル旅行したのは後述するニューヨーク旅行記で認めてるが旅行記は投稿してません。1988年二月から1989年11月に渡航したか? ソウル五輪は1988年(昭和63年)九月から十月に開催。

 平成元年の年末から平成二年の年始は米国のニューヨーク旅行。
 ミシガン州デトロイト市、ニュージャージー州も含みます。
 旅は万人が理解してる直行便だけではございません。
経由便や直行便もございます。又、米国旅行記と言っても東海岸のニューヨーク旅行記と後述する西海岸のロサンゼルス旅行記は大きく異なります。

 憶測です。 鳥取、香港、休息だったのか?1991年から1993年(平成3年から平成5年)にかけて渡航したか否かは不明です。仮に渡航したとしたら最初の香港旅行の可能性は高いです。1997年の七月一日迄、英国が統治した時代の香港旅行記は投稿してません。豪州旅行記内で述べてたが30歳を過ぎてから鳥取に帰省したドリアン長野は1961年生まれ。米子へ戻った時期と最初の香港旅行についての明確化は不可能です。 1961+30=1991 
1991年の年末から1992年の年始は鳥取へ帰省?
1992年の年末から1993年の年始は最初の香港旅行?
鳥取と香港の順番は逆かも?時に休息も必要で長期休暇でも必ず渡航するのは無理?

 平成六年の年末から平成七年の年始は英国のロンドン旅行。
 唯一の欧州旅行か?

平成八年の年末年始に米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナを旅した模様です。平成七年の年末から平成八年の年始なのか、平成八年の年末から平成九年の年始なのかは不明確です。 一度に複数の外国を訪問した海外旅行です。
 ・平成七年の年始迄にロンドンで知り合ったジョイスさんが引っ越して米国でドリアン長野と再会した
 ・小売店のヤオハンが営業してたのは平成九年の夏迄
 ・冬の海外旅行記 これらを鑑みると前述した時期です。

一度の旅で二か国赴いたか否かは大きく両者の違いになってる。繰り返すようですが米国旅行記と言っても前述した東海岸のニューヨーク旅行記とメキシコ旅行記を兼ねた西海岸のロサンゼルス旅行記は大きく異なります。

 平成九年の五月は台湾の台北旅行。 旅先で事件が発生しました。

ネパール旅行について時期を明確化するのは不可能でした。カトマンズを旅した旅行記の初発表は平成16年四月。文面で紹介された平成十年四月に発売された書籍を読んだ後なら平成十年の年末から平成11年の年始?
単純に平成15年の年末から平成16年の年始もあり得るのか?

 平成12年の大晦日にベトナムのホーチミンを旅したようです。
 直行便、経由便、乗継便はそれぞれ異なります。
詳細は各自で調べてもらいたいが特別に伝達します。 経由便は空港内部の移動は除外されるらしいが途中降機は基本的に出来ません。
乗継便は途中降機が行えるので旅を楽しむ事も出来ます。

 平成13年にドリアン長野はタイランドのバンコクへ三回渡航してます。 内訳は一月(年始)、夏と年末です。 

 繰り返すようですけどドリアン長野は平成12年の大晦日にベトナムへ行ってから平成13年の年始にタイランドへ行って日本に帰国したそうです。 一度に複数の外国を訪問した海外旅行です。
平成13年の夏のタイランド旅行は日本からの直行便で往復したのかな?

 平成13年12月下旬頃にカンボジア(シェムリアップ等)。

 平成13年12月30日から平成14年の元日はタイランドのバンコク(カオサン)。

平成14年の元日から一月二日頃にフィリピンのマニラ。平成14年一月一日に限っては午前中はバンコクで午後はマニラを旅したようです。

繰り返すようですけどドリアン長野は平成13年の年末から平成14年の年始にかけてカンボジアに行ってタイランドに行ってフィリピンに行って日本に帰国したそうです。およそ一週間の内に四回は飛行機に搭乗か?
否定も推奨も無理。あり得るが厳しい旅? 一度に複数の外国を訪問した海外旅行です。

短期間で何度も飛行機を利用した海外旅行記そのものを拒絶する人は論外ですが違った種類の問題が発生してまして推奨が不可能になってます。
カンボジア領土内だがタイランドに近接してるプレアヴィヒア寺院が平成20年に世界遺産になってから両国は何度も軍事衝突を繰り返してます。
 平成十年代は平和。

北京旅行記を発表したのは平成15年十月ですが渡航した時は不明です。
 平成八年から営業してる上海のローソンを利用した最初の上海旅行記を発表したのは平成15年十月ですが渡航した時は不明です。
 憶測は良くないが平成14年か平成15年か?
 三連休の小旅行はあり得るか?

夏に旅したマレーシア旅行記(クアラルンプール、ヌグリ・スンビラン)を発表したのは平成16年四月ですが渡航した時は不明です。
文中で平成十年から活動開始をした宇多田ヒカルについて述べてました。
憶測。 渡航したのは平成十年から平成15年なのか?
あり得るのは平成14年の夏か平成15年の夏?

一度に北京と上海に赴いたか別口の旅なのかは不明です。確実なのは、「何度かの機会があったので赴けた。」ということです。
平成14年の年始はフィリピン旅行なので除外。マレーシア旅行に限っては平成14年の夏か平成15年の夏としたら以下の時期が想定出来ます。
 平成14年四月から五月か、平成14年の年末から平成15年の年始か三連休か? 平成15年のみ旅したなら四月から五月のゴールデンウイークか十月以前の三連休か?

 平成16年の五月以前(ゴールデンウイーク)は、二回目の香港旅行。
旅行記として成立してます。最初の香港旅行記は未発表です。前述しましたけども英国が統治してた平成九年迄に赴きました。第三回目の香港旅行については後述します。

平成16年の年末から平成17年の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行。 長編であり超変な旅行記か? 両者は異なる。
 最初の上海旅行記に該当する「飛んで上海」に限っては2003年以前に渡航したお話であるばかりか空港を後にしてから不良タクシーで困ったお話です。
 二回目の「上海日記」は2004年の年末から2005年の年始に渡航したお話で空港を後にしてからバスと地下鉄を乗り継ぎました。
 混同しないでください。

ミャンマー旅行記(ヤンゴン、チャイティーヨー・パゴダ等)を発表したのは平成18年一月から四月ですが平成13年以後という部分以外は渡航した時期は不明です。平成17年の年末から平成18年の年始なのかな? 

平成19年の年末から平成20年の年始は、ご夫婦で香港(旦那様のドリアン長野は三回目)とタイランドへ新婚旅行されました。 一度に複数の外国を訪問した海外旅行です。

 ドリアン長野は平成21年から令和五年迄は国内旅行はされたが渡航してません。
 令和六年(2024年)に平成23年(2011年)生まれの娘さんの中学受験が終わった後に親子で豪州のケアンズ旅行。 南半球への旅。

 ドリアン長野が旅行した後で戦争に至った外国は複数存在し渡航が制限された前例は多い。「いつ頃、渡航したのか?」について一読しただけでは不明瞭な旅行記は複数ございます。短期間の小旅行でも渡航は成立しています。熟読し判明した旅行記は除外するが渡航した時期については明確化してもらいたい。

 赴いた時期が不明確な海外旅行記は存在する。
 平成十年代からホームページ上で簡単に投稿が行えるようになったのでその時期に昭和の時代の海外旅行記を初投稿しても否定的に思われる人は少なかったに違いありません。

 空手家が好む言葉は千の言葉よりも一の実行。どこかの誰かさんは平成27年十月にカナダのブリティッシュコロンビア州を旅行しました。
これで「一度も渡航して無いので恣意的。」と批判されなくなった。(笑)
街中では英語だけでなくフランス語も聞こえてきたからコロンビーブリタニーキと思いました。

日本語ではブリティッシュコロンビア州であっても、カナダの公用語である英語ではBritish Columbiaで同様にカナダの公用語になってるフランス語ではColombie-Britanniqueです。

海外は治安が悪いと聞いてたので行く気は無かったが色々とあって渡航しました。
渡航先を選んだ理由は、カナダ人に出会ったのと直行便の利点です。
だが、犯罪の幇助をするような人が毎日SNSで詰問してきて困った。

時期が明確な海外旅行記 一度に複数の外国を旅した前例は存在する

昭和62年の年末から昭和63年の年始にかけて西ベンガル州等に赴いたインド旅行。
平成元年の年末から平成二年の年始は米国のニューヨーク旅行。
平成六年の年末から平成七年の年始は英国のロンドン旅行。
平成九年の五月は台湾の台北旅行。
平成12年の大晦日にベトナムのホーチミン旅行。
平成13年にドリアン長野はタイランドのバンコクへ三回渡航してます。 内訳は年明け、七月頃と12月です。
平成13年の年末はシェムリアップ等に赴いたカンボジア旅行。
平成14年一月一日の午前中はタイランドのバンコクで、その日の夜から一月二日はフィリピンのマニラ旅行。
平成16年の五月以前は、二回目の香港旅行。
平成16年の年末から平成17年の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行。 
平成19年の年末から平成20年の年始は、香港とタイランドのバンコクへ新婚旅行されました。
 令和六年に平成23年生まれの娘さんの中学受験が終わった後に親子でオーストラリアのケアンズ旅行。 

 時期が不明確な海外旅行記 憶測も伝えてますがご了解願いたい

 大韓民国のソウルを旅したのは1989年11月迄か?
 最初の香港旅行は1993年迄に渡航したか?
 アメリカのロサンゼルスとメキシコのティフアナを旅したのは1995年の年末から1996年の年始、又は、1996年の年末から1997年の年始。
 ネパールのカトマンズを旅したのは1998年の年末から1999年の年始か? 又は、2003年の年末から2004年の年始か?
 中国の北京を旅したのは2002年か2003年九月迄か?
 最初の上海旅行(中国)は2002年か2003年九月迄か?
マレーシアのクアラルンプール等を旅したのは2002年の夏か2003年の夏か?
ミャンマーのヤンゴン等を旅したのは2005年の年末から2006年の年始か?

 歯ブラシセット
 飛行機での移動時間をホテルの代わりにした旅行客はいるようです。
歯ブラシセットは日本で購入しておきましょう。出来れば複数用意すべきです。軽視されてるかもしれないけれど重視すべきです。 歯間ブラシを利用するか否かも含めて対応して下さい。空港のシャワールームで歯磨きをして口腔内の改善か?

 渡航中に履くべき靴
 普段履きの為に防水性が高い登山靴かスニーカーのみは心もとない。
宿の室内で利用する為のスリッパ。何らかの事務所に行く必要があるなら革靴。水泳するならフリップフロップスことサンダル。冬ないしは寒冷地に行くなら防寒ブーツ等が必要になります。 ポリウレタンの経年劣化は存在するので靴が渡航先で履けるか否かは考慮して行動すべきです。長靴は一足のみにして他の靴はローカットにしても悪くないです。靴の大きさは海外企画なので渡航前に大きさについては理解しておきましょう。
 どういう渡航になるか? どれくらいの期間滞在するか?
 北半球のみならず季節が逆転する南半球へ旅行するならそれ相応の靴が必要になってくるのは考えて下さい。どこかの誰かさんはカナダで靴を買おうと思い幾つかの靴屋に行きましたがお目当ての靴は赴いた店で売って無かった。 違うお店に行ったら販売されてたか?
 日本で買う方が得かもしれないし海外より通販を選ぶ人はいる? 

 国内旅行と海外旅行の比較
第三者の自由妨害が無い事を希望します。「外国に行ってきた。」と言えるか否かで大差はあります。悪い意味で嗜虐心を満たしたい人は他人の旅行について反対するばかりか厳しい生活を強いられてるからって旅費を一円も払ってないが干渉したので間違えてる。犯罪発生率を高めて何が嬉しいのか?国内旅行だと言葉は通じるし時差は無いです。海外旅行は外国語を話し時差も存在する。渡航後は安全に過ごせば楽しめるのを理解しました。 無意味に高額な国内旅行より安価な海外旅行を選ぶ人はいるか?
日本人のパスポート保有率は17%なので八割以上の人が国内旅行を選ぶのでしょうか?貿易商人は例外ですけれども海外に目を向けても良いと思われます。
「世界最強」日本のパスポート 保有率17%に減少【知っておきたい!】【グッド!モーニング】(2025年2月24日)

 本音を伝えましょう
 複数の時計を活用して日本との時差に対応し良かった。 レンタカーについては利用の妨害はしないが事故が発生する恐れから推奨しません。
治安が悪い町には行かずに万人向けの町を訪問しましょう。前述した内容についてはケアンズ旅行記で返答されたかな?海外旅行案内書を渡航前に読んで大まかな計画は作るべきです。名店を利用しても良いですが日本では無名でも地元では一定の評価を得てるお店も営業してます。
 非常識な人に出会うのは想定出来ましたが憤ったのは旅行中に毎日インターネットを通じて詰問してきた錯乱してる人。社会的に相手にされてない暇な人でないとあのような愚かな行動は不可能。後の批判を想定せずに人を苦しめるのを躊躇しない人には関われません。
 楽しめる海外の町が一つでもあると大違いです。旅の楽しみが半減したとは言えどもブリティッシュコロンビアで良き時を過ごせました。
 来日したカナダ人達と喜びを分かち合えるのは嬉しいです。

「みんな、知ってる?あいつこんな悪い奴なんだよ。」と言いたいのか?

 某ホームページを紹介したので平成23年に問題が発生。 平成24年にドリアン長野と会話し紹介を取り止めました。 この決断はやむを得ませんでした。平成26年迄にこちらの紹介を取り止めてもらいたかった。
平成27年にカナダを旅行中に毎日フェイスブックのタイムラインで詰問された。防犯上の問題があり気分が悪かったです。犯罪の幇助行為で喜んでたのか?平成十年代から平成24年にかけて紹介したので感謝してもらえども自由妨害が行われて辛かったです。彼等の目的は奴隷扱い。揚げ足取りをした上でホームページの紹介を再開させることです。共同不法行為は社会的に否定されてる。令和になってからも悪い干渉があって困った。
 この一件については時間を無駄にされた被害者がいるので同情します。
 普通に仕事するよりも嫌がらせに拘泥してる人が大手企業に仕事を依頼しても「強要しないで。」と言われてダメ出しをされたようです。
 皆さん、ご理解願いたい。

 最後に
ドリアン長野の海外旅行記は令和六年のケアンズ旅行記を除外すると随分前のお話です。電子渡航認証を始め過去と現在で異なる部分は多く存在します。作品内で紹介された店舗が閉店した前例はございます。経年もあり全ての模倣は不可能?カナダ旅行したのは嬉しいが時差ボケでした。外国では楽しみながらも治安が悪い街は避ける等の良い選択をすべき。
頼んで無いのに余計なことをされて困りました。JPドラゴンは在外邦人の犯罪組織で日本にも共犯者はいるのか?抗議しても開き直り謝罪は無し。猜疑心旺盛で毎日フェイスブックで質問してきた暇な人はいる。渡航の為の苦労は軽視され旅の楽しみは半減。
令和になってからドリアン長野の奥様が発病。令和六年に移転しました。移転する理由は複数存在したが一つだけでも十分でした。
結局、令和七年四月にgooブログは令和七年11月にサービスを終了する事について発表されたのでエキサイトブログも利用してます。

ノート版ドリアン長野

ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野の読書三昧

前述の三者はドリアン長野が利用してるホームページです。

ドリアン長野のランニングな日々(ブロガー版)

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)

ドリアン長野の海外旅行記 エキサイトブログ版

カナダ コロンビーブリタニーキ旅行記その1 Colombie-Britannique

敬具 マーキュリーマーク




 オマケを兼ねた予告 
渡航中の時間は大事にしたかった。しかし、破壊された。渡航の為に準備で苦労しても否定して加害する人々はいる。当方は辛い思いをしました。
旅行中に「干渉は辞めて下さい。」と主張してもストーカーは逆上し悪い目的の為にあれこれ反論するのは予想が出来た。共同正犯達は処罰されるのか?通信の秘密を軽視する人や共同不法行為をやらかす悪人達はいる。
抗議しても謝罪せずに矮小化を目的に質問したので悪い団体に所属してる人か?沢山の連絡で困った後「連絡して下さい。」と主張されても拒絶。
こちらは頼んで無いので余計な事はしないでほしい。近づく人全てを怨恨の対象にしてるのか? 無理強いしたら嫌悪されたので逆上する人はおります。彼等には警戒して下さい。別人やある企業にも加害したそうです。
 現在は紹介されてない点は理解して同列の扱いは辞めてもらいたい。
 旅は終わらない?ドリアン長野はサウジアラビア旅行するかもしれないので楽しみです。 タイで伊勢丹は閉店し三越デパ地下は開業。
 令和七年11月某日 敬具 マーキュリーマーク

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花