2021年6月30日水曜日

令和三年六月28日のつぶやき

父との再会 令和三年六月


父のことは看護師の妹が横浜の父のUR住宅で看護している。
生きているうちに父に会ってやって、という妹の呼びかけで僕と京都から弟家族が集まった。
帰る時に弟の子どもたちがさようなら、と手を振ると、呂律の回らない父が
「もっと大きく手を振れい」
と絞り出すような声ではっきりと言った。
それを聞いてみんな泣いた。
あとで弟が「俺は親不孝やった」と言った。
何年もかけて書いた家族歴史を父に渡した。
70ページほどになった。
父が読めるかどうかはわからない。
最後に百田尚樹の著者から引用した文章で締め括った。
「『社会的成功』を遂げた人が人生の勝利者であるわけではありません。
それが究極の幸せでもありません。そんなものが得られなくても、幸せはいくらでも掴めます。
それは決して敗者の負け惜しみではありません。
私の父は高等小学校を卒業して働きに出て、途中、戦争に行き、戦後は職を転々とし、
七十歳近くまで安い給料で働き続けた人生でしたが、見合い結婚した母と仲睦まじく暮らし、
二人の子供を得ることが出来ました。不肖の息子(私です)が悩みの種でしたが、晩年は幸せそうに見えました。
ある日、父がぽつりと言った言葉が忘れられません。
『いろいろあったが、いい人生やった』
私は、父は人生の勝利者であったと思っています。」

2021年6月28日月曜日

令和三年六月25日のつぶやき

父のこと 令和三年六月


父のこと
父は全身に腫瘍が転移し、水とお茶だけで命を繋いでいる。
全く食欲がないらしい。少しでも固形物を口にすれば吐いてしまう。
よく何週間も生きていられるものだと驚嘆する。
父はいつもカメラを睨んでいる。
父と僕の共通点と言えば、活字中毒と猫好きなことだろうか。
そう言えば三島由紀夫も猫が好きだった。
というのも若い時の父は三島由紀夫に似ていると思うからだ。
とはいえ、父は被爆体験のせいかどちらからと言えば左派なのだが。

2021年6月25日金曜日

令和三年六月23日のつぶやき

アップルデイリー 令和三年六月



今日の産経新聞は異例の白抜きで一面に「アップルデイリー」の休刊を報じた。
香港国家安全維持法に基づき、中国当局に資産を凍結され、資金繰りが急速に悪化し、離職者も相次いだことで休刊に追い込まれた。
「アップルデイリー」は香港紙で唯一中国共産党を批判してきた日報であった。記事にはこうある。
「すさまじい言論弾圧である。香港の報道の自由は完全に失われた」



2021年6月23日水曜日

令和三年六月二十日、21日、22日のつぶやき

西ベンガル州 令和三年六月





インド編 その8 からの抜粋 早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。

特別に連絡します。
2001年にカルカッタからベンガル語の呼称であるコルカタに正式に名称が変更されました。
ドリアン長野は昭和60年代にインド東部の街として有名な西ベンガル州のコルカタばかりかハウラーを旅行しました。西ベンガル州のハウラーと西ベンガル州のコルカタは対岸の街であって別の街だそうです。
従って冒頭の表現はやや難ありの表現になるようです。
誤認を訂正するなら
「早朝、西ベンガル州のハウラー駅に着く。」になるようです。もしくは、「早朝、コルカタ大都市圏のハウラー駅に着く。」であったならば問題無かったようです。なぜならば、コルカタ大都市圏(コルカタメトロポリタンエリア)という概念(表現?)が存在するからです。
 そのコルカタ大都市圏の中にはコルカタが含まれてるのは当然なんですがハウラーも内包されてます。
 以下は単なる例文ですが「仙台の名取市に行ってきた。」よりも「宮城県名取市に行ってきた。」といった表現の方が好まれるようなものです。
ただ、仙台都市圏という概念はございますし仙台空港が名取市と岩沼市にまたがって位置するが仙台市内には存在してないのも現実です。
 時に行ってきた街の説明は難しいですね。
詳細は各自で調べてもらいたいがインドのベンガルは一つの街でしたが西側に限っては西ベンガル州としてインド連邦に残留する道を選びましたがベンガルの東側に限っては1971年からバングラデシュとして独立しました。

管理人マーキュリーマーク

2021年6月20日日曜日

令和三年六月19日のつぶやき

ヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港(TIJ)はティフアナ国際空港(通称)の正式名称


ドリアン長野はメキシコのティフアナに赴きましたがティフアナ国際空港(TIJ)は利用してません。
外国人が成田空港に到着して陸路で大阪へ移動するように米国のロサンゼルスから陸路でメキシコのティフアナに移動する人はおります。
交通手段によって異なりますけど片道で約六時間は必要なようです。

抜粋。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」
「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」 というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。

2021年6月19日土曜日

令和三年六月14日と18日のつぶやき


2021年6月14日月曜日

令和三年六月12日と13日のつぶやき

令和三年六月の連絡







 連絡します。
 皆様、先々月から先月のゴールデンウイークは楽しく過ごせましたか?
コロナウイルスの悪影響が無かった2019年以前であれば楽しい日々を過ごせてたと思います。
先月(令和三年五月)、私はパルナスの実質的な後継店であるモンパルナスさんを利用しました。令和三年三月末日迄は兵庫県尼崎市で営業されてましたが、令和三年五月からは移転して大阪府豊中市で営業されてます。 pirosiki.com 
 パルナスについてはインド旅行記で紹介されてたので各自でご確認ください。

今後は月の一日から半ば頃迄に推奨したい良きホームページの紹介(投稿)を月に一度以上は実行していきたいです。
率直にお伝えしますが必ず月の初旬に紹介が行える自信はございません。
私も色々とございますので中旬頃迄に紹介が行えれば遅くない位に思ってもらいたい。
それだけでなく月の中旬頃から末日迄に私からの連絡を一回以上は行っていきたいです。
前述した内容と重複するようですが必ず月の半ば頃に連絡をするのではなく下旬になる恐れはございますので末日迄に連絡(投稿)が行えれば悪くないと考えていただきたい。
私も諸事情があり100%やっていける自信はございませんが今月から毎月下旬頃に国際空港を紹介する投稿をしていく予定です。

 令和初期にはミャンマーで軍事クーデターが勃発し、香港では後に釈放されたが民主活動家の不当逮捕が行われ、アメリカ合衆国では民衆によるホワイトハウスの襲撃がなされ艱難辛苦です。 厳しい時代が到来したが改善を希望します。
 令和になってドリアン長野は過去の海外旅行記を再投稿してます。
恥ずかしいお話ですが平成19年の夏迄は利用が行えたgoo簡単ホームページがサービス停止をすることになって移転することになったのですが平成16年に発表されたロサンゼルスとティフアナ旅行記のバックアップがほぼ行えなかったのでご本人の手によって再投稿してもらいたいです。 実際の所、平成18年にドリアン長野自身によって行われた再編集した上での再投稿は転載が行えたので一応は挽回が行えてます。
 同じような出来事は再びございました。令和元年12月にyahooブログが利用出来なくなったのではてなブログ並びにブロガーを利用することにしました。 こういった決断は仕方ありませんでした。
再投稿だけではなく新作も発表されるかもしれませんのでそういった投稿にも期待したいです。あり得るのはソウル旅行記や奥さんとの新婚旅行記の続編等でしょうか?この一件については特別に後述(事実上の再投稿)します。

 ドリアン長野が行ってきたベトナム(ホーチミン)旅行の時期に限っては、不明です。確か平成十年代半ば以前に会った時にベトナム旅行について教えてもらいました。
ドリアン長野は昭和63年(1988年)インド旅行(デリー、西ベンガル州コルカタ、ベナレス等)、平成元年(1989年)の年末は米国のニューヨーク旅行、平成6年(1994年)は英国のロンドン旅行、平成9年(1997年)の五月は台湾の台北旅行、平成十年代(1998年から2007年)は、マレーシア(クアラルンプール)旅行、平成12年(2000年)以降はフィリピンのマニラ旅行とカンボジアのプノンペンとシェムリアップ旅行、平成13年(2001年)の年始の1月と晦日と大晦日はタイランド(バンコク)旅行、平成14年(2002年)9月以降は平成16年(2004年)四月27日に発表されたネパール旅行、平成15年(2003年)十月にドリアン長野は北京旅行記を発表し、平成15年十月末日に第一回目の上海旅行記(飛んで上海)を発表し、(恐らく)平成15年(2003年)の年末から平成16年(2004年)の年始は、米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ旅行、平成16年(2004年)の五月以前は香港旅行、平成16年(2004年)の年末から平成17年(2005年)の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行(上海日記)、(恐らく)平成17年(2005年)の年末から平成18年(2006年)の年始はミャンマー(ヤンゴン、モン州)旅行、平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始はご夫婦でタイランド(バンコク)と香港への新婚旅行されました。
ドリアン長野は独身だった平成19年(2007年)十月迄にシンガポールとアフリカに行きたかったようです。 もしかしたら、仮にシンガポールとアフリカに行った後は南米やオセアニアにも行きたい欲望が高まったのではないでしょうか?(笑) 念のためにお伝えしますが、地域として中南米が存在してるのは否定しませんがドリアン長野が行ってきたメキシコ合衆国は中米ですので南米とは言えないと個人的に考えてます。
無論、それはバハカリフォルニア州ティフアナがメキシコ合衆国の北部の街であってもメキシコ合衆国内と言えるからです。
ドリアン長野は東南アジアを気に入ってるようなのでラオス旅行も考慮してたかもしれません。私の知り合いにラオス系カナダ人がいるので、ラオスも連想します。
 東南アジアとは以下の国々と言われてます。
 ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイランド、東ティモール、ベトナム。 一応、中国、インド、そして豪州(オーストラリア)の一部も含まれるらしいです。
21世紀最初の独立国と言われてる東ティモールへの旅行が行えたのは平成30年(2018年)以降であったかもしれません。東ティモールについては各自で詳細を調べてもらいたい。

 実際に私がカナダ旅行した後で何度もカナダ人に出会いカナダ旅行について語ると楽しかったですので海外旅行は旅行後も楽しめますね。
たとえ、ブリティッシュコロンビア州だけであっても渡航したか否かは大きいです。海外ロケ番組を視聴してる時に実際に行ってきた場所を見ると楽しみが倍増しますね。

 世界を見渡すと多くの国々が存在します。海外旅行記のブログも隣の芝生は青く見えるという諺のごとく実力が高いホームページがございますので、当方も見習いたいです。
 実際には、2010年代に渡航された方々は除外しますがドリアン長野の海外旅行記は昭和の時代から平成20年の海外旅行であったので画像や動画を付加した海外旅行記の発表は当方は半ば不可能です。
 動画に限ってはどこかの国営放送が昭和の海外ロケ番組を令和になっても放映してますがそれは高価格であったビデオカメラが利用出来た人だけが行えます。 以下の文面は馬鹿げた重言と考えないでもらいたい。
 画像についても良くてスキャナーやフィルムスキャナーのように良い機械の利用が行える人々は除外するにしても当方は現時点では保有してません。
 人によっては20カ国以上渡航された方々はおられます。俗説ですが海外旅行代理店の従業員でも20カ国以上渡航するのは難しいらしいです。貿易商人であれば50カ国から70か国は赴くそうです。芸能人で海外ロケ担当者になると百カ国以上は赴いてるそうです。素人であれば10カ国以上渡航したら多い方です。ドリアン長野は中国と香港は別として一応は14か国は赴いてます。
 万人向けのホームページが存在するのは周知されてますし全く逆に対応や選奨が不可能なホームページもございます。個人的に楽しめるホームページだからといってそれらを全て紹介するのは方向性が違いすぎる部分ばかりか現時点で大量のホームページを紹介してるので増加させることは少々難しいです。第一、こちらは趣味でブログを楽しんでます。
 現代国語こと現国の問題とは言わないが解釈が曲解や誤解の場合は改善を求めることは不可避です。
 コロナウイルスの悪影響で不要不急の渡航は否定されてるので当面は海外旅行記の懐古は行えても新作の海外旅行記の制作は半ば不可能です。

今月も良きホームページが紹介出来たので皆様に感謝します。
ドリアン長野が渡航した外国の出来事全てを私が伝達するのは不可能ですので、把握されたいなら各自で詳細を調べて下さい。
 最近になってこのブログを閲覧された方に連絡。
ドリアン長野は2010年以前に何度も海外旅行しただけでなく、2010年代に福知山マラソン完走を二回成し遂げたばかりか 頻繁にカレーライスを調理し実食しました。
 海外旅行、マラソン、カレーライス、そして書評等について述べてるので楽しんで下さい。
ドリアン長野の海外旅行記のリンク集gooブログ版

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)

ドリアン長野フェイスブック

ノート版ドリアン長野

ドリアン長野の読書三昧

ドリアン長野ツイッター

ミキナナチャンネル
敬具 マーキュリーマーク

特別に以下の文面を再投稿します。
海外旅行についての幾つかのコラム
「幻の海外旅行記」
ある意味、ドリアン長野にとって幻の海外旅行記は大別すると五種類存在します。
第一にgoo簡単ホームページ(*1)が終了する事になってgooブログに切り替わる事になった時にバックアップが行えなかった海外旅行記。
(*1 goo簡単ホームページは平成12年から平成19年のみ利用出来ました)
これはどうしようもありません。あの当時、私は風邪で疲れてたしバックアップの猶予は一か月だけで厳しかったです。
一回の投稿で行える文字数は平成20年代からは三万文字ですが平成十年代のgooブログの文字数制限は一万文字で大変でした。
ある意味、対応のしようがなく現在読める内容が最善を尽くした結果です。
 ドリアン長野は一通り海外旅行記を書き終えた後で平成18年にドリアン長野自身が再編集をした後で再発表してました。
その転載で挽回したので及第点がとれてる状態に至ったと自負してます。
トランプ氏、国境警備に「物理的障壁」は「当たり前のこと」BBC News Japan
トランプ政権の影響で米国からメキシコに行くのは今後は難しくなりそうです。(壁が全て作られるのは2020年代か?)
そういう意味でも貴重な海外旅行記か?
 ロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記より抜粋
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。
「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。
帰るときはIDがいるけど」(中略)
我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。

過去には行えても近日中には行えなくなる可能性がございますので各自で米政府ばかりかメキシコ政府が発表した最新情報を得てから対応してください。
日本人は両政府に対して内政干渉は一切行えません。
令和三年二月追記 
第46代アメリカ合衆国バイデン大統領は方針変更をしました。
将来的に政権交代が行われると方針変更が行われるやもしれません。

第二は、ソウル旅行記。事実上の欠番です。
ドリアン長野は大韓民国のソウルには行ったらしいが「ニューヨーク旅行記」でごく僅かに述べられたのみです。
平成29年の夏に再会した時ですが執筆するか否かを尋ねたが軽く微笑みながら否定されてました。仕方ないです。強要は行えません。
ドリアン長野のニューヨーク旅行記より抜粋
地下鉄は楽しい。
メタリックでアーバンである地下鉄は輸送手段に徹していて媚びないところがクールでもある。
私は地下鉄が大好きだ。地下鉄のある都市に行けば必ず乗る。
用がなくてもとにかく乗る。今までいろいろな国で乗った。
 香港ではなぜか下駄履きで乗った。肩を叩かれたので振り向くと、若い男が私の下半身を無言で指差している。見るとズボンのジッパーが全開していて恥ずかしい思いをした。
ソウルではおじいさんに声を掛けられた。私が日本人だと分かると日本語で身の上話を始め、それが延々と続いて閉口した(今思い出したけど、何で地下鉄の便所内にコンドームの販売機があるとですか?)。ロンドンのチューブでは騒いでいるガキに注意したら、「asshole !」と言われた。

第三は、香港旅行記です。
ドリアン長野は英国統治時代の香港ばかりか中国返還後の香港に旅行されました。
中国返還後の香港旅行記は詳細が語られてるが英国統治時代の香港旅行記は執筆されてないので事実上、幻で読めません。
ドリアン長野の香港旅行記より抜粋
チョンキン・マンションという名の安宿が香港にあるということは知っていた。が、まだ泊まったことはない。香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。
第四は、独身時代のドリアン長野にとって結果的には行けなかったシンガポール旅行です。
過去にマニラのスラム(ドリアン長野のフィリピン旅行記)と大都会バンコク(ドリアン長野のタイランド旅行記)でシンガポールについては触れられていました。
将来、ドリアン長野がシンガポール旅行に行くかどうかも不明ですし少なくとも私はその計画は知りませんし、行きたくても行けなかったほぼ唯一の例外か? 
ドリアン長野は、南米(メキシコは中米)やアフリカやオセアニアにも行きたかったかもしれない。
ドバイ経由で南アフリカ共和国に赴き野生動物を見た人に話を聞いたが、日本から南アフリカ共和国は遠かったそうです。
世の中には一回の旅行でインドネシア、シンガポールそしてマレーシアを訪問する旅行者もおられるようです。
マレーシアとシンガポールは隣国で国境を超える方法は複数の人々が発表されてます。
シンガポールのタナメラフェリーターミナルからインドネシア領のビンタン島の間の移動時間は船で約一時間だそうです。
交通手段等についての詳細に興味がある人は各自でお調べください。
一回の海外旅行で複数の国々を訪問される人はおられます。
前述したがドリアン長野は米国から陸路でメキシコ(バハ・カリフォルニア州ティフアナ市)に行きました。

 昭和の時代から平成十年代にかけて故いかりや長介さんは趣味と実益を兼ねてアフリカ旅行のTV番組に出演していました。精神的に解放されてたそうで羨ましいです。 平成20年以降は千原せいじさんがアフリカで海外ロケをすることが増加しました。
 平成20年代からは旅行中に出会って無い人も悪事をやらかします。海外旅行に行く人には「お気をつけて。」だけで構わないにも関わらず私がカナダ旅行中にフェイスブックのタイムラインに毎日詰問してきた変態のストーカーがいたので緊張を強いられて大変困りました。
皆様、海外旅行中には実際に出会った人だけでなくフェイスブック等にも警戒しましょう。詰問してきた人の目的は海外の犯罪者への連絡かユスリだからです。彼に抗議をしたら暴力的な書き込みをしたのでブロックは仕方なかったです。
万が一私がカナダ旅行中にそのスト-カーに対して抗議したら議論になって時間を無駄にして損害が大きくなると予想したのであえて簡潔な返答をしたのは仕方なかった。
令和二年三月になってからドリアン長野はアフリカに行きたかったことを実質的に述べました。
以下はその文面の抜粋です。
僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
 タイランド旅行記 大都会バンコクより抜粋
 バンコクの人口はスラムの住人や地方からの労働者を合わせると、1千万人を超えるといわれる。日本人は不法滞在者を入れると3万人が住んでいるそうだ。
ある意味ではバンコクは東京やシンガポール(行ったことないけど)以上の大都市であり、欧米型の都市とはあきらかに違う。

 第五は【夏が来れば思いだす】です。 未完の大作です。
  その1からその4は平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始に行ったバンコク旅行記を平成25年に作成されて存在するがその5が未だに執筆されてません。
ご夫婦の新婚旅行を語られても悪くないと思います。続編が執筆されてないから幻の海外旅行記です。
追記
 平成30年の夏のある日、ドリアン長野の奥さんと再会した時に「タイランドで死にかけた話って何ですか?」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。
皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。
事実上、これで完結かな?
ドリアン長野の読書三昧 文章のうまさと疾走感
令和二年三月にドリアン長野は事実上の最終回を執筆されたので特別に抜粋した上で転載します。
 新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。 香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。(中略) 旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。
 マトメ
 皆様が海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが責任はとれません。
 海外旅行に行った時に辛い思いをされた人がいた点は否定しませんが、実際に一回でも行くと「海外旅行に行ってきた。」と語れる利点はございます。
無論、意図的に危険地帯に行く事は推奨しませんし可能な限り安全な選択をしてもらいたいと私は提案します。
旅行中の試練が人によっては渡航先で悪人に出会った苦労よりも頼んでもないのにフェイスブックのタイムラインに毎日詰問する人がいて応対に困った人は平成20年代からは増えてるに違いありません。
 非常に狡猾で慇懃無礼な公共の敵はおります。目的が海外の犯罪者への連絡かユスリや冷やかしであったようです。
皆様も警戒してください。ブロックは仕方ないです。
ドリアン長野の海外旅行記は2010年以前に行ってきた海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思いますがお楽しみください。

2021年6月2日水曜日

令和三年六月一日のつぶやき

2021年6月1日火曜日

令和三年五月の投稿の転載


市内で現存する最古の橋

家族歴史を書くためにネットで注文した「米子界隈」。これがすこぶる面白い。著者は昭和20年から市長に当選、爾来38年まで市政に尽力した野坂寛治。
軽快洒脱の名文はかなりの趣味人だったであろうと推察される。米中(アメリカと中国じゃないよ)時代に原敬が来校、コートを着たままの原に腹を立て、級長だった著者が号令をかけずに教師に叱責されたという反骨。年輩の米子っ子なら知らぬ者はいないという「増屋の角」は当時随一の繁華街で情報の発信地だったというが、現在その場所にダラズFM局が鎮座しているのは面白い。三度映画化された「絶唱」の作者、大江賢次が序文を書いてます。
 大江の師である根雨町出身の生田長江は抄訳ながら日本初の「資本論」、夏目漱石の推薦で「モルモン書」、ニーチェ全集を日本人として初の完訳。毒舌で知られる今東光も「とにかく天才だった。彼に比べたら向坂逸郎なんて曲学阿世の徒に過ぎないね」。
脱線しました。朝日町にあった芝居小屋「力朝館」はその後、朝日座になり、記憶にあるような、ないような。映画「三丁目の夕日」を観たときにあの界隈を思い出しました。

スーパームーンを求めて南東へさまようが、見つからず。 「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらん 」清原深養父 夏の夜は、まだ暗くなってきたばかりかと思えば、すぐに明るくなってしまった。今頃どの雲を宿にして眠っているのだろうか、あの美しい月は。


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 やはり、ダラズFMについては知ってたようです。
皆様、仮にドリアン長野に出会った時には「ラジオの、」という言葉を一旦発言してからでなければダラズFMについて語ってはいけません。
 ドリアン長野は本当に「ダラズ。」という言葉に対して敏感で「私が、」と前置きしても嫌がってたからです。(笑)

令和三年五月30日と末日のつぶやき

  • ミャンマーの孤児ら栄養不足に、宣教師「食べさせてあげたいが」…軍への抗議で経済が停滞(読売新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/yomiur… posted at 02:48:55
  • RT @thebookofmormon: As we reach out to those around us, God can help us to “ease [their] burdens” and find joy together (see Mosiah 24:13–16). What’s one thing you can do to help someone else this week? Artwork: “Broken & Beautiful” used with permission by the artist, Lacey Zubia Christenson pic.twitter.com/5ajsUk080g posted at 02:49:09

NiziUの曲Take a pictureを踊ってみたら どのくらい上手なのか⁉️

回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花