2021年6月30日水曜日

父との再会 令和三年六月


父のことは看護師の妹が横浜の父のUR住宅で看護している。
生きているうちに父に会ってやって、という妹の呼びかけで僕と京都から弟家族が集まった。
帰る時に弟の子どもたちがさようなら、と手を振ると、呂律の回らない父が
「もっと大きく手を振れい」
と絞り出すような声ではっきりと言った。
それを聞いてみんな泣いた。
あとで弟が「俺は親不孝やった」と言った。
何年もかけて書いた家族歴史を父に渡した。
70ページほどになった。
父が読めるかどうかはわからない。
最後に百田尚樹の著者から引用した文章で締め括った。
「『社会的成功』を遂げた人が人生の勝利者であるわけではありません。
それが究極の幸せでもありません。そんなものが得られなくても、幸せはいくらでも掴めます。
それは決して敗者の負け惜しみではありません。
私の父は高等小学校を卒業して働きに出て、途中、戦争に行き、戦後は職を転々とし、
七十歳近くまで安い給料で働き続けた人生でしたが、見合い結婚した母と仲睦まじく暮らし、
二人の子供を得ることが出来ました。不肖の息子(私です)が悩みの種でしたが、晩年は幸せそうに見えました。
ある日、父がぽつりと言った言葉が忘れられません。
『いろいろあったが、いい人生やった』
私は、父は人生の勝利者であったと思っています。」

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花