2025年12月14日日曜日

マラソン 令和七年冬

僕のヘタレマラソン記 2025-09-26 16:40:38
ランニングにハマっていた時期があった。50代の時だ。きっかけは東京に住む友人が毎朝自宅から皇居までランニングしている動画をあげていて、ちょろっと火がついた。
走ってみようか。早起きして近所の公園を走ってみた。その公園はかつて米軍が摂取して飛行場になっていたところで結構広い。道路を挟んでテニスコートがある。大坂なおみも幼少の頃に通っていた。と書くと、あの公園か、と分かる人もいるだろう。

公園を半周して息が上がった。ベンチで休む。この公園は一周2キロ。東西の東部分だけだから500メートル走っただけなのに。
愕然とした。僕は20年ほど毎週土曜日にボランティアで空手を教えている。自分で教えていてなんなのだが、結構ハードである。初めて来た人の9割以上が二度と来ない。稽古の行き帰りは片道40分かけて自転車で往復なんて平気だった。
それがどうよ、キツすぎるわ。フルマラソンを走る人って超人じゃないの。

それから毎週土曜日に走ることにした。500メートル走ってはベンチにへたり込んで10分ほど休憩する。1キロ走るのに2、3回休憩した。
それからいつものように自転車で40分かけて空手を教えに行く。2時間の稽古はしつこいようだがハードである。そうは言っても途中3分ほど黙想の時間があるし、口で説明する時は体は休んでいる。
マラソンはそうはいかない。常に全身が動いている。休憩なしで公園を一周できたのはそれから何ヶ月後のことだったろう。公園をぐるぐる走るのに飽きてきた。自宅から大阪城公園を一周して帰ってくるのが約10キロ。そのコースを走ってみることにした。

休み休み、息も絶え絶えに大阪城公園の入口にたどり着く。そこから外周が5キロほどある公園を走るのだが、永遠に続くと思える。ただ市民ランナーと一緒に走るのは楽しかった。10キロを完走できたのは走り始めてから半年のことだった。この時の感激は今でも忘れられない。それまでは街中を走っている人を見ると健康のために苦行する人というイメージしかなかった。しかし走ることは楽しいのだ。移り変わる景色を見ながら走る。新しいビルを建設している、そして何周か後には新しいビルが建つ。四季を肌で感じながら走る。

金曜日の夜になると、走ることを考えるだけでワクワクした。そのために早く寝る。朝が待ち遠しい。でも走るのがつらい日もある。でもその気持ちを振り切って走り始めると気持ちが良くなってくる。帰省する時や小旅行の時は必ずシューズとランパン、ランシャツを持って行く。東京に行った時に青山墓地を走った時は爽快だった。そして市民ランナーの聖地、皇居をランニングのきっかけとなった友人と走った時は感無量だった。

その頃には20キロを走れるようになっていた。自分の実力を知りたくなり、ハーフマラソンにエントリーした。走りながら何度もリタイアしそうになる。一人で走るのとみんなと走るのではこんなに違うのか。

走り始めて一年くらいだったろうか。初めて30キロに挑戦してみることにした。大阪城近くの大川を北上するコース。高橋尚子もこのコースを学生時代に走っていたそうだ。

さすがにきつかった。自宅に着くとすぐに風呂に入って全身をマッサージした。

何回か30キロランを走った。その頃からか、フルマラソンを走ってみようと思ったのは。
そのためには42.195キロを走ってみないといけない。

秋の晴天のある日、5時に起きて6時に家を出る。
ドリンクホルダーを持ってなかったので片手にペットボトルを持ち、走る。
ペットボトルを飲み干す。淀川河川敷を京都方面に向かう。誰もいない河川敷を孤独に走る。21キロ地点で折り返す。猛烈に喉が渇く。自販機などは一つもない。公園に水飲み場があったので飛びつくようにして飲む。トイレに行ったら茶色いおしっこが出てギョッとした。苦しい。とうとう足が止まった。歩く。そして走る。歩く。その繰り返し。街中のコンビニに入って水とケーキを買ってむさぼるように食べた。42.195キロにはもう一度挑戦した。

そしてフルマラソンの当日。一万人のランナー。もちろん自己申告のタイムで後ろの方からスタート。
沿道の人からの声援が嬉しい。タイムは遅くてもいいから絶対に歩かないと決めていた。
30キロ地点では多くのランナーが座り込んだり、屈伸したりしている。誰もが30キロは走れると思う。しかし31キロからは本当に苦しい。以前淀川を走っている時、後ろから70歳代の男性に追い抜かれ、みるみるうちに背中が見えなくなった。
あの人は今でもずっと走っているのだろうか。

ああ、走っても走ってもゴールが見えない。でも絶対に歩かない。坂道を走っていくとやっとゴールが見えてきた。

前を走っているタイムキーパーさんが「あと5分で5時間ですよ!」と叫んでいる。
サブフォーならぬサブファイブか。
最後の気力を振り絞る。「クソッタレめー」
声を出すと力が出た。
脳のリミッターが外れたか。

ゴール。タイムは4時間55分。やった、完走した。
翌年も走ったが、タイムは4時間50分。一年間走って5分しか短縮できなかったか。

それからも走ったが、いつの日かパタッと熱が冷めた。それからは走っていない。
あの日、初めて走って500メートルでヘタっていたことを思い出すと、なんだかニヤケてくる。

マラソンランナー、マジすごっと思った話 2025-10-19 19:14:36
天見に行ってきた。というと大阪府民のおよそ85パーセント(当社調べ)が松原の?と答える。チッチッチ、これだからトーシローは困るぜ。
それは天美だ。私は大阪府の地の涯、もう少しで和歌山県境の河内長野の天見駅に行ってきたんである。

それも自転車で。わが愛車ルイガノで。ルイガノは中古を譲り受けたのだが、かなりあちこち走り回って今まで変速機が落っこちたり、サドルのパイプが折れたり、タイヤの溝がなくなって交換したりとかなり年期が入っている。

ある日、ネットでとあるサイクリングロードの写真を見つけた。それは旧南海高野線の廃線跡にできた道でまるで森の中のようであった。眼下には小川まで流れている。誰が名づけたのかトトロ街道というらしい。

ええやん、ここ。

これは是非死ぬ前に行ってみたい、よく聞いとけよ、にいちゃん、そのうちそのうちゆうとるうちに人間の一生なんちあっちゅう間やけんのう。チャカがなんぼのもんじゃい。オヤジのためならいつでもタマ取ってきまっせ。

というわけで出発したのが猛暑の8月だったのだが、天王寺駅に着く前に、この日のために買ったスマホホルダーに差していたiPhoneのナビアプリが音を上げた。暑いので少し休ませてください、みたいな表示が出た。

クーラーの効いたオフィスから現場に配置換えさせられた根性なしの会社員かよ。そういえば以前、奈良の天理市に行こうとナビの指示通りに走ったら自動車も避けるような鬼勾配の峠をふた山越えさせられてマジきつかった。気がきかない上に根性なしか!(いや、自分が悪いんです。すみません、ナビ様)

というわけで10月のある日。日本晴れ。暑くも寒くもなし、という絶好のサイクリング日和の朝の7時に出発した。どうせなら富田林の寺内町にも寄って行こう。天見駅まで往復80キロだから午前中には帰ってこれるだろう。今思えば甘い、甘いよ、自分。「カレーの王子さま」くらい甘いよ。ついでに「男はつらいよ」の初代おいちゃんが「バカだねえ、本当にあいつはバカだねえ」とつぶやく姿が目に見えるようだ。

とにかくPLの塔を遠目に眺めながら寺内町に到着したのが9時。寺内町は想像以上に素晴らしかった。江戸時代そのままの街並みで、ひょっこりと藤田まことが出てきそうだ。帝釈天で源ちゃんが鐘を撞いていても違和感ないようなお寺もある。吉田松陰が長逗留し、山岡鉄舟の書が残っている旧家を見物しているうちに小一時間と長尻になっちまったぜ。それから高野街道をひたすら走り、入り口まで少し迷ったが、トトロ街道は隔絶した世界のようだった。苦労してここまで来た甲斐があったってもんだ。秋の田園風景を抜けてゴールの天見駅に到着したのが2時だ。思ったより時間がかかった。さて、帰ろうとしたときに妻からメール。

「子どもが4時に学校が終わって家に帰るから眼科に連れていってください。予約してます」

ひえっ、アップダウンもある信号機もある40キロを2時間か!

それからひたすら走った。競輪選手のように走った。信号機の待ち時間がもどかしい。
水分補給のためにコンビニに三回寄った。

「禰豆子、待ってろ」

思わず炭治郎が憑依した。
大阪狭山市、堺から大和川を越え、大阪市内へ。自宅まであと8キロの時点で4時になった。
子どもに電話する。

「一人で先に病院に行っといて。受付にお父さんはあとから来るから、って」

ラストスパートで病院に駆け込む。子どもは待合室のソファーに座って雑誌を読んでいた。
その隣に倒れるようにして座り込む。

ハア、ハア、ハア

待合室にモーツァルトが静かに流れていた。
なんだか別世界…
今までの爆走が夢みたいな….
42キロを2時間20分。

「マラソンランナーってマジすげえ…」

実際に走った時よりもその凄さを実感した出来事なのでした。

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花