2021年7月1日木曜日

令和三年六月の投稿



2031年開業予定のなにわ筋線の説明会が近隣住民を集めて行われました。
新大阪と関西国際空港を結ぶ計画構想は1980年代からありました。
2023年開業予定の北梅田駅、そしてなにわ筋線は中之島駅、西本町駅、南海新難波駅と三駅ができることになります。
質疑応答では住民の関心は駅の出入口がどこに設置されるかということでした。
西本町になる交差点の角にはファミマ、コーナン、黒吉野家、セブンイレブンがあるのですが、歩道に出入口を作ると道幅が狭くなるので建物を利用することになるでしょう、とのこと。 開業したら駅の周辺が大きく変わることでしょう。
10年後が楽しみです。



ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花



1000円で36個ということは…
ちょっと待ってね。
パチパチパチ…(そろばんを弾く)
なんと一個27円。
グッジョブ!


管理人マーキュリーマークからの伝言
餃子は品質や規格にもよるが十個¥85で販売されてはいる。


以前、子どもが書いた「めがね」という詩をアップしました。
なかなかリズムがあっていいと思ったので産経新聞に投稿したら、6月18日の朝刊一面「朝の詩」に掲載していただけるそうです。



ほんまに載った〜



朝起きてベランダから外を見る。
雨が降ってない…
がっかりして、えいやっと走り始める。
走るのは苦しい。
私は自分があまり好きじゃない。
けれども自分が決めたことをできたら
少しは自分が好きになるだろう。
街が目覚め始める。
死ぬまで努力できる人間でありたい。




「二本の子どもが主人公の映画」
「ペイ・フォワード」
この映画のテーマは「赦し」と「自分が駄目だと思っている君、そんなに駄目じゃないよ」
ではないでしょうか。
ラスベガスの郊外に住む中学生になったトレバー、母と二人で住む地域はまるで世界の果てのような荒涼とした街。
酒をやめると約束しても手を出してしまうアルコール依存症の母親をトレバーは嫌っています。
ある時そのことで口論し、「母親失格だ!」と言われ、息子をぶってしまいます。
彼はショックを受け、家出するのですが、夜中に担任に電話して一緒に探しに行きます。その時のセリフ。
「ごめんなさいね、友だちはみんなアル中だから。実は私もなんだけど」
「でも克服しようとしている」
それを聞いた母親は思わず涙ぐみます。
彼女はずっと自分を駄目な救いようのない人間だと思っていたのでしょう。それが初めて肯定されたのです。
バスの待合室にいたトレバーに母親が、
「もし、あなたが私のそばにいて、ママ大丈夫、きっとやめることができると信じてくれたら、やめられると思う」
と泣きながら言うと、二人は抱き合います。
担任のシモネット先生の壮絶な過去も明かされます。
ラストシーンは「フィールドオブドリームス」を想起させますね。
先生がトレバーに言う「貧乏くじを引いたな」
「you drew the short straw」
短いわらを引く=慣用句です。
「俺の汚い言葉を許してくれ」
「sorry my French」
俺のフランス語をすまん、というのは昔から英仏の確執から来ているそうです。

「ギフテッド」




7歳のメアリーは叔父と片目の猫と暮らしています。メアリーは叔父の姉の子どもなのですが、
メアリーにとってのその母親は世界的な数学者でしたが、自殺してしまいます。
祖母もケンブリッジ大卒の数学者であり、メアリーもまた数学の天才(ギフテッド)です。
ゴミ箱に捨てられた猫のフレッドを拾った時は既に片目でした。
実の父がメアリーを探さなかったことにショックを受け、「私に会いたくなかったのね」と泣きじゃくります。
叔父は彼女を大病院に連れていき、子どもが生まれた時の家族や親戚の喜びを見せます。
「私が生まれた時もみんな嬉しかった?」
「もちろん」
「誰がみんなに知らせたの」
「俺だよ」
叔父は「心配するな、俺たちはずっと一緒だ」
「約束する?」
「約束する」
しかしメアリーの才能を伸ばすために里親に出します。それは叔父にとって苦渋の選択でした。
メアリーが12歳になったら、里親か叔父を選択できるのですが、メアリーは叔父と離れて暮らすことなど考えられません。
「約束したのに!」
子どもにとっては大人との約束は絶対です。
メアリー役のマッケンナ・グレイスの演技は自然で素晴らしい。怒る、泣く、笑う、鳥肌が立つほどです。既に大女優です。
叔父が運転する車の中で彼女が
「フレッド、フレッド、フレッド!」
と愛する猫のフレッドの名前を連呼するシーンは私は大好きです。
「家の玄関に誰かいる」
「誰だ?」
「知らない。私7歳だし」
「ああ、お前の祖母だよ」
思わず
「Holy S○○○!」
7歳なのに…
1時間40分の短い映画ですが、歯を食いしばっても涙が溢れてきます。
いつまでもいつまでも心に残る映画でした。




【今日のアンポンタン】
「福山って何県やった?」
「広島県!」
「長崎県!」

インド旅行記 その8からの抜粋
早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。

管理人マーキュリーマークからの伝達。

広島県福山市と同程度に長崎県出身の福山雅治は有名です。
それはともかく、ドリアン長野はインド東部の街として有名な西ベンガル州内のコルカタばかりかハウラーを旅行しました。
インドの西ベンガル州のハウラーと西ベンガル州のコルカタは隣接してるが別の街だそうです。
誤認を訂正するとしたら「早朝、西ベンガル州のハウラー駅に着く。」になるようです。
2001年にカルカッタからベンガル語の呼称であるコルカタに正式に名称が変更されました。
勘違いを冷やかすのはともかく、本人も勘違いはしないようにすべきです。
実際の所、西ベンガル州はウェストベンガル州(West Bengal)とも言われてるそうです。



ワクチン接種はしないつもりだったけど、子どもに土下座されて「お願いします、射ってください。お願いします」と懇願された。
まあ、その前に子どもがタイに行きたい、連れてってと何年も前から言っていたので、ワクチン接種者なら優先的に渡航できると思ったから。
接種会場はスタッフが要所要所に待機し、過保護かと思うほど親切。
筋肉注射自体は全く痛くなかった。チクリともしなかった(個人的な感想です)。
現場からは以上です。

管理人マーキュリーマークからの伝達
もしかしたら、コロナウイルスの問題が終わった後にご家族でタイランド旅行されるようです。
それは構わないが私のようにカナダ旅行中に変態のストーカーから毎日フェイスブックのタイムライン に詰問されるような被害にあわないことを望みます。
情報が原因で犯罪の被害にあう可能性が高められると困ります。
本当に毎日詰問してきた社会不適合者で錯乱してる人物は他人が迷惑してることはお構いなしに嫌がらせを継続します。
「なんで秘密にするんですか?」という悪い質問をされた後の返答は以下です。
「どうして詰問するんですか?犯罪の被害にあう可能性を高められると困ります。」
この後で相手が謝罪するよりも逆上する可能性は高いです。
ちょっと怪しいと思ったらブロックか帰国してから返答するかもしくは、「家族でバンコクに行ってきました。」みたいな過去完了形を語る方が良いです。
世の中には狡猾で非常に慇懃無礼な悪人がいます。
2010年以前と違って渡航中に迷惑をかける人は実際に出会った人物だけではありません。
本来は、現地に赴いた時に活用する為に携帯したiPADであっても錯乱してる人に絡まれると被害が作られます。
旅の途中で不要な連絡は辞めてもらいたかったが悪い意味で執拗に詰問されて迷惑でしたから後に抗議しました。
詰問してきた目的は揚げ足取りをした上で紹介を再開させることに違いありません。
発表された業務上の艱難辛苦は同情しますが、当方は不要な争いには巻き込まれたくありません。
改善を求める人間が改善を求められても傲岸不遜であれば反発するだけみたいです。



今日の産経新聞は異例の白抜きで一面に「アップルデイリー」の休刊を報じた。
香港国家安全維持法に基づき、中国当局に資産を凍結され、資金繰りが急速に悪化し、離職者も相次いだことで休刊に追い込まれた。
「アップルデイリー」は香港紙で唯一中国共産党を批判してきた日報であった。
記事にはこうある。
「すさまじい言論弾圧である。香港の報道の自由は完全に失われた」


管理人マーキュリーマークからの伝達
言論の自由を否定する動きは日本国内にもあるので警戒が必要です。
現在、相互リンクさせていただいてる良きホームページとは無関係なんですが、ホームページの紹介を取りやめるならホームページの運営を取りやめることが求められたので閉口しました。
共産主義者みたいな強要が無い社会を切望します。



横浜2021


 


父のこと
父は全身に腫瘍が転移し、水とお茶だけで命を繋いでいる。全く食欲がないらしい。少しでも固形物を口にすれば吐いてしまう。よく何週間も生きていられるものだと驚嘆する。
父はいつもカメラを睨んでいる。
父と僕の共通点と言えば、活字中毒と猫好きなことだろうか。
そう言えば三島由紀夫も猫が好きだった。
というのも若い時の父は三島由紀夫に似ていると思うからだ。とはいえ、父は被爆体験のせいかどちらからと言えば左派なのだが。


父のことは看護師の妹が横浜の父のUR住宅で看護している。
生きているうちに父に会ってやって、という妹の呼びかけで僕と京都から弟家族が集まった。
帰る時に弟の子どもたちがさようなら、と手を振ると、呂律の回らない父が
「もっと大きく手を振れい」
と絞り出すような声ではっきりと言った。
それを聞いてみんな泣いた。
あとで弟が「俺は親不孝やった」と言った。
何年もかけて書いた家族歴史を父に渡した。
70ページほどになった。
父が読めるかどうかはわからない。
最後に百田尚樹の著者から引用した文章で締め括った。
「『社会的成功』を遂げた人が人生の勝利者であるわけではありません。
それが究極の幸せでもありません。そんなものが得られなくても、幸せはいくらでも掴めます。
それは決して敗者の負け惜しみではありません。
私の父は高等小学校を卒業して働きに出て、途中、戦争に行き、戦後は職を転々とし、
七十歳近くまで安い給料で働き続けた人生でしたが、見合い結婚した母と仲睦まじく暮らし、
二人の子供を得ることが出来ました。不肖の息子(私です)が悩みの種でしたが、晩年は幸せそうに見えました。
ある日、父がぽつりと言った言葉が忘れられません。
『いろいろあったが、いい人生やった』
私は、父は人生の勝利者であったと思っています。」

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花