11月3日は結婚記念日。
義父の納骨のために猪名川霊園へ。
実父と義父は偶然だが、どちらとも米子市生まれの同じ高校を卒業している。
今年の5月に義父が亡くなり、それを追いかけるように7月に実父が亡くなった。
米子生まれの祖父は友人のつてで猪名川で養豚を始め、父はそこで生まれた。
二人とも阪神ファンだった(笑)。
何かと縁を感じる秋らしくない気温に晴天。
墓地からは山々。
帰りに
心打たれました。
前作はベストセラーになり、映画化されたがこの続編も傑作だ。
軸はゆういちと認知症の母みつえと酒乱であった父の物語なのだが、時空を自由に超え、現在の自分が過去の自分に語りかける(現在の自分が未来の自分から語りかけられる、とも言える)。
例えば「生まれる」では幼いゆういち(作者)が風邪をひき、幻影を見る。
次のページでは現在のゆういちが同じ幻影というか妄想を思い出す。それは死んだ父が生まれてくる母を引きずっているというもの。
場面はさりげなく(このさりげなさが作者のうまいところ)母が生まれる日の夜になり、母のみつえが生まれる。
そしてモノローグ。
「亡くなることは生まれることかもしれないそして生まれることは亡くなること」
「いまここ」では臨終のみつえが子どもの自分に現れる。
子どものみつえは未来の自分に叫ぶ。
「おばあちゃん、何て言いなったと〜?」
おばあちゃんのみつえにいっぱい生きるんだぞ!
と言われた子どものみつえは
「おばあちゃん、うち、いっぱい生きるばい!」
と未来の自分に叫ぶのだ。
作者は言う。
「自分が生きているということは父と母も生きているということ」
私はこの8コマ漫画を読んで四コマ漫画でありながら大河ドラマである業田良家の名作「自虐の詩」を思い出さずにはいられなかったし、さらに手塚治虫の「火の鳥」にまで思いを馳せる読者も少なくはないと思う。
昭和25年生まれの作者はビートルズに多大な影響を受けたシンガーソングライターでもあるが、画風は一見軽快なエンターテイナーのポールであるが、実はジョンではないか。読んでいると脳裡に「She's so heavy」がずっと鳴っていた。
酒と短歌を愛し、道端で酔い潰れる父は長崎での被爆体験者でもあった。
作者は自分自身も含め、人間の弱さを許容し、慈愛の目で父や母や他の人々を見る。かつて故郷を捨てて上京し、現在は家族で住む長崎も同じように。
知人から聞いた話だが知り合いの子どもが「腥」と書いてスタアと読むらしい。
それを聞いて「マジか」と思った。
1993年、父親が昭島市役所に「悪魔」と命名した男児の出生届を提出し、
係員はそれを受理したが、戸籍課は「悪魔」の名の受理手続きの完成を留保したといういわゆる「悪魔ちゃん事件」(「悪魔ちゃん命名騒動」とも言う)があった。
民法1条3項には「親権(命名権)の濫用に当たる場合は戸籍事務管掌者が出生届の受理を拒否できる」という項目がある。
命名権濫用の概要は「社会通念上明らかに名として不適当と見られるとき、一般の常識から著しく逸脱しているとき、名の持つ本来の機能を著しく損なうような場合」らしい。
「腥」は月へんではなく、にくづきだ。本来「肉」が変化して「月」になった。
「腥」は生臭いという意味だ。「腥い」と送り仮名をふる。
腥ちゃんが問題にならなかったのは単に戸籍課の職員が無知なだけだったのではないか。
秋の黄昏
「名前の話」
私の本名、美樹は父がつけた。ほぼ女性に間違えられる。裕美は男性もいる。一美という男性を知っている。薫は男女共にいるが。
和民の創業者渡邉美樹は母親の美智子と父親の英樹から一字づつ取ってつけたそうだ。
私の場合、男優の森美樹からつけたと言っていた。本名ではなく芸名だがその由来はわからない。
森美樹は私が生まれる3か月前に自宅のガス事故で亡くなった。そういう人の名前を命名する父は相当変わり者だ。
河井案里前参議院議員のアンリはフランス人の男性名だ。
ソ連解体の主役、ゴルバチョフは「せむし」と同源語である。
人権思想によってせむしは抹殺され、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』の映画化の「ノートルダムのせむし男」
(英語名「The Hunchback of Notre Dame」)は近年は『ノートルダム男』と表記されている。
Twitterで炎上し話題になった漫画。
子どもが二人の何事もなかった家庭なのに、ある日突然妻が口をきいてくれなくなった。
それは何と五年間も!
夫には心当たりがなく、あれやこれやと妻の機嫌をとろうとするが効果なし。まるで家庭は生き地獄。
ついに離婚を切り出すが…。
夫から、妻からの視点で漫画は語られる。
その原因とは?
これはどこの家庭にも起こり得ることではないか。
チリも積もれば何とやら。
結婚している人も今から結婚する人にも是非読んでみてほしい。
夕刊を読んでいたら名前が載ってたのでびっくりしましたよ。
本町オリックスビル28階。
500円の弁当もまるで豪華なランチに。
スマホである人の書評を読んでいい本だなあこの本を読んでみようとスマホにメモしようとスマホはどこだと探しても見つからないので娘にスマホを知らないかと問うと自分が持ってるやんとついにボケたかと笑われ愕然としたことってないですか
「僕はこう見えても浜っ子でしてね」
「え、そうだったんですか」
「島根県浜田市生まれです」
18時40分
故郷の生家の向かいに岡本喜八監督の生家があったということで彼のエッセイを読んでみた。
面白い。リズム感があり洒脱で、諧謔とユーモアがあってエッセイストとしても一流だと思う。
生前の父に聞いてみたことがあったが、製函屋をしていたとのこと。
あれ?靴屋さんではなかったのか、と訝しく思っていたが調べるうちにわかってきた。
代々大工の家系であり、祖父は宮大工の棟梁だったが、父の代に弁当の折箱製造を始めた。
「マジメとフマジメの間」(岡本喜八 ちくま文庫)にはこう書いている。
「私の生家は裏通りに面した、元に奥のインキョがあったところをソバ屋さんに貸し、表通りに面した店は、元々クツ屋さんに貸してあった」
向かいの家が本屋でよく立ち読みをしたことも書いてある。
ある時「赤穂浪士銘々伝」を読んでいたら岡本喜八郎(彼の本名)という人物が出てきたので自分と同じ名前のサムライがいた!と喜んだら四十七士ではなく、さっさと逃げた奴だと知り、大いに失望したらしい。
喜八としたのもその時の衝撃からかもしれない。
岡本家を借りて靴屋を始めた判澤氏は日清戦争で従軍した際(大本営は広島に設営され、明治天皇も66人の従者と御同座され、7か月間首都になった)に上官から軍靴を作れ、と命令されて帰郷してから靴屋を始めた。米子初の靴屋であり、学生靴を販売すると店の前に長蛇の列ができたという。
喜八は自分のことを、へそ曲がりのガンコで照れ屋、無口だったと言っている。この辺、死んだわが親父に似ている。
「私の父は、私が『肉弾』という映画を作り終えた途端に、それを待っていたようにして死んだ。
ささやかな完成パーティーをやる為に数十人のスタッフと一緒に箱根へ行こうという朝に電報が来て、私だけそのままヒコーキに乗って山陰の郷里に帰り、臨終までの数時間、やせさらばえた手を握ってやる事ができた。」(「ああ活動屋」) 若き写真を見ると色つき眼鏡にバンダナ、黒服というキハチスタイル。かなりカッコいい。
まるでジョニーディップを彷彿させるようだ。地元の高校を卒業後、明治大学に進学し、まだ無名の時の三船敏郎と下宿で同居したこともあった。
墓は終の住処、川崎市と米子の西念寺にあるとは後に知り、墓参したかったとホゾを噛んだ。
恥ずかしながら今まで作品は「大誘拐」しか観ていない。
岡本喜八を敬愛する庵野秀明監督が「シン・ゴジラ」で喜八の写真を演出させたのはファンの間では有名な話。
この偉大な監督の映画をこれから時間を作って少しずつ観てみようと思う。
「私の生まれ育った米子は伯耆大山の山裾にある。ラジオ体操が終わって、朝な朝な眺めた真東に聳えたつ伯耆大山が、富士に似たその山容の影をすっぽりとまだ眠っている米子の町一杯に落とした一枚の景色が未だに心に残っている。
米子は城のない城下町である。だが、今でも昔、四層五層の大天守があったという石垣の上に立って東を望むと、たちどころに68歳から8歳の小学生に戻るのである。」(「伯耆大山 私の好きな場所」)
「春は鉄までが匂った」
小関智弘
作者は物作りの町、大田区の工場街で生まれ、旋盤工として働きながら数々の作品を発表してきた。
労働を描いた作家は多いが、彼のように長期間、労働現場に身を置いた作家は寡聞にして知らない。
芥川賞や直木賞の候補にもなり、専業を勧められることも何度もあった。
二足の草鞋とも言われるが、現場に身を置くからこそ書けるのだと本人は言う。
「アルチザンには発見はあるが発明がない」
ある詩人が彼に言った言葉だ。職人はクリエイティブではない、という意味だが、作者は反発を覚える。
ココ・シャネルの「ファッションデザイナーは職人なのであって、芸術家にはなり得ない」という言葉は服は利便性が第一義だということであり、
職人は毎日コツコツと単調な作業の繰り返しの中で(仕事とは本来そういうものだろう)、完璧を目指して工夫を重ねていく。
本書には旧ソ連が特許を取ろうとしていたことが、工場では職人の工夫で当たり前のことになっていたことが書かれている。
独創性とは独自の方法論を生み出すことだが、左官業をしていた叔父は長年続けていくうちに道具に合わせて肉体が変化していく、と言っていた。
それほど長い年月をかけて技術を磨いていくことで独創性が出てくる、それが職人というものだと思う。
本書の題名はロマンチックだ。鉄は無臭なのだが、工場の仲間は鉄だけではなく、削っているときには真鍮や銅やアルミニュームの匂いを嗅ぎわけると断言した。
職人の熟練と矜持が伺える言葉ではないか。
これが噂の喜八反戦ウエスタンか。
とにかく面白い。
加山雄三初主演。
御殿場が撮影現場とは思えないほど支那っぽい。北支戦線で支那軍のスパイに加山雄三が言う。
「自分は鳥取の高級農林出身で…」
あ、郷土愛か。
軍旗を取り戻すために命を賭す独立愚連隊。
カットの切り替えが素晴らしい。庵野監督が「エヴァンゲリオン」にそのリズムに影響され、取り入れたと言うだけはある。
前作の「独立愚連隊」が映画ヒョーロンカに「中国共産軍をセンメツする。その扱いはアメリカ西部劇におけるインディアンである。日本映画の新人中のホープと言われる監督が、こんな映画を作って平然としていられる。正直言って苦痛と恐怖とに身の毛がよだつ」とホントに身の毛がよだつ、たんだな!
と詰問したくなるが、酷評されたことに腹を立て、この「独立愚連隊西へ」では死者が二人ほど。
特筆すべきは「独立愚連隊行軍歌」。
ポップで一度聴いたら脳裡にこびりつき、今も脳内を駆け巡る。
喜八監督作詞の歌詞もシンプルながらこの才能はやはり監督か、と素晴らしい。
イーアルサンスー、ウエイ!
- 独立愚連隊西へ eiga.com/l/lCoj posted at 23:11:17
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