2020年6月1日月曜日

令和二年五月に行われた投稿の転載


ダイソーで買った紙製立体パズル
懐かしい〜
初めてハーレーのたっちゃんや赤井さんや寺西さんにも会いました。
ご来店くださったお客様の中にも懐かしい人がいます。
その節はありがとうございました😊


「第九条 第1項第2項」
よく曲解されますが、この戦争放棄条項は、軍隊を持たないということを意味するものではありません。戦争放棄条項と国の自衛目的の国防軍の保持は両立するのです。 パリ不戦条約は、侵略戦争を禁止したものであり、自衛は禁じてはいません。そのため、マッカーサーはフィリピン国防軍の創設にかかわったのです。
以上のような事情を鑑(かんが)みますと、自衛でさえ放棄するという思考は異常です。
私は戦争には良い戦争と悪い戦争があると思います。それは自衛戦争と侵略戦争です。



1時から手話講座が始まるそうです

バックパッカー部門






娑婆はいいだろうなあ
早く出たい

道頓堀
心斎橋
アメリカ村


いれぶんせぶん

パンパンパンパン

う王
今日という日にさようなら



また明日

母の日

そうなのか、
関西以外では「遠慮のかたまり」って言わないのか

「なにわのおばちゃんたち長堀鶴見緑地線」
「息子にな、ええ天気やからどっか外に出かけたいな、言うたら、もうちょっとの辛抱や、今は我慢しとき、いうねん」
「もう少ししたら非常事態宣言が解除されるやろ、今はホームステイやで」
「男前の吉村さんが言うてるからしゃあないわな、今はホームステイや」
「せやで、ホームステイや!」
周りの人が「留学かい!」とツッコミそうな顔をしてはりました。

「言葉と駄洒落と下ネタと」
56歳で亡くなったロシア語同時通訳者、作家の米原万里さん。
優れたノンフィクション作品に贈られる大宅壮一賞を受賞した「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を読んで一気にファンになり、彼女の作品を読み漁った。その諧謔さとユーモアのセンス、広範に渡る知識、端々に窺える反骨精神。とにかく彼女のファンはかなり多いに違いない。
彼女の祖父、米原省三は鳥取県八頭郡(現鳥取市)生まれ。鳥取県会議員であり、鳥取大丸、日本海新聞、日本海テレビを設立した。省三の次男、昶(いたる)は学生運動に係わり、旧制一高を放校。のちに鳥取県内の選挙区から立候補して当選した唯一の共産党議員であった。昶の長女が万里である。
「ガセネッタ&シモネッタ」という本の中で非常に印象的な場面が二つある。

彼女がプラハのソビエト学校時代のこと。悪ガキ仲間のイタリア人少年と屋根で遊んでいて、彼が雨どいにズボンを引っ掛けて破いてしまい、「merlda!」(メルーダ)と叫んだのである。親友のフランス人がしくじるたびに「merlde!」(メルーデ)とつぶやいていたのでこれは辞書を引いて意味を知っていた彼女は、ああ、これはクソと言ったな、と直感した。
「その瞬間目の前がボーッと霞み、あらゆる感覚がゆるんで、つかまっていた窓枠を手放して地面に落っこちそうになった。それぐらい途轍もない感動の波に包まれたのである。
日本人もロシア人もフランス人もイタリア人も、腹立ち紛れの瞬間に口をついて出る文句が、音こそ違え、同じ意味の言葉であるとは!固形排泄物をさすこの言葉が、異なる文明圏で寸分違わぬ比喩的用いられ方をしているというこの実態をどう説明すればよいのか。
たとえば、日本人が文字や製紙法を中国から借用したように、「クソ」の罵倒語としての用法は、民族から民族へ伝播されていったのか。それとも、偶然の符号なのか。いずれにせよ、人類の普遍性を物語るようで鳥肌が立つほどワクワクするではないか。」
この感覚は翻訳者や通訳者にとってなくてはならないものだと痛感し、忘れることができない。

もうひとつのエピソード、さる自治体での仕事後のこと。担当職員の服装がド派手なのにぶったまげて、つい「まあ、公僕には見えないお方」と口走ってしまった。
相手は褒め言葉と受け取り、「えっ、それで何に見えます?」と嬉しそう。
そこでデザイナーとか何とか言っておけば、次にまた仕事依頼のお声がかかろうというものの、その場に居合わせた同業者のイタリア語同時通訳者(女性)が叫んだ。
「唐変木」
間髪入れずにスペイン語同時通訳者(女性)がトドメを刺した。
「ウドの大木」
頭の回転の早さ、ユーモア、リズム感。
これも優秀な翻訳者や通訳者にとっては不可欠なものではないか(笑)。

「姉.米原万里」井上ユリ
米原万里の妹ユリは小学校時代を在プラハ.ソビエト学校で学ぶ。北大卒業後、高校の理科の講師を経てあべの辻調理師学校卒業後、同校勤務。北イタリアのレストランで修行後に自宅でイタリア料理教室を開く、という異色の経歴の持ち主だ。そして井上ひさし氏と結婚、というのは周知のこと。
表題の如く姉、米原万里を妹から見た覚え書きのエッセイだが、いきなり万里が大田区の借家で汲み取りトイレに三回落っこちたという話から始まる。小説やエッセイを読む限り、あのしっかり者の米原万里がねえ、となんだか安心する。少し読み進めると、万里は無類の卵好きだという話になり、... (中年になってから)名古屋和菓子好きのわたしがお土産にあげる「雪花の舞」、米子の従姉が贈ってくれる出雲の「サモサン」もお気に入りだったが、どちらも黄身餡の銘菓だ。
という記述を読んで目を剥いた。 山陰出身の私はサモサンなるものを初めて聞いた。したがって食べたことももちろんない。ネットで調べてもよくわからない、というか出てこない。サモサンというネーミングは、あれか、禅問答のかけ声から来ているのか。謎は深まるばかりだ。


管理人 マーキュリーマークからの伝言
ソモサンという和菓子が島根県では有名だそうです。
うまい

名前をきく

2020年の日本

もう何が何やら…
https://www.chicago.co.jp
管理人マーキュリーマークからの伝言
茨城県稲敷市に本社を構える原宿シカゴさんは、古着屋さんで東京ばかりか京都でも有名です。

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花