2020年7月1日水曜日

令和二年六月に行われた投稿の転載とご連絡


正直
長野 美樹さんの投稿 2020年5月31日日曜日

正直
誤訳 セックスピストルズは正式なスタジオアルバムは一枚しか出していないのにもかかわらずベストアルバムが出ているという稀有なバンドである。 「pretty...
長野 美樹さんの投稿 2020年6月3日水曜日

誤訳
セックスピストルズは正式なスタジオアルバムは一枚しか出していないのにもかかわらずベストアルバムが出ているという稀有なバンドである。
「pretty vacant」はシングルカットされ、ヒットもした。何人もの人間が訳詞をしている。しかしこの訳詞が揃いも揃って誤訳だらけである。
we are pretty vacant
「俺たち、イキに生きている
スゴく洒落てるぜ
空っぽだからな
俺たち、イキで、空っぽなのさ」M訳
「俺たちは素敵だ
かなりヌケてるけどな」A訳
vacantは形容詞だから、それにかかるprettyは副詞に決まっている。
we are pretty and vacant と歌っているわけではないのだ。だからこれは
「俺たちは全くの空虚だ」と歌っていることだと、真面目に英文法を勉強した高校生ならわかるだろう。
それに続く out to lunch も、ある人が「昼飯に行くぞ」と訳していた。確かに昼食で外出中という意味もあるのだが、ここでは「無能な」という意味だ。
Public Image Limitedに「low life」という曲がある。これを「ひどい人生だ」と訳しているが、「堕落した卑劣な人間」のことである。

やっぱり浮いてる
長野 美樹さんの投稿 2020年6月4日木曜日

やっぱり浮いてる
こんなんやってみて! https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=686638295506412&id=100024807432555
小蔵千晶さんの投稿 2020年6月5日金曜日

すごい❗ 3メートルはある😲
(実行の依頼についての返答)50年はかかる
私はかつてこのような母親の崇高で美しい言葉を聞いたことがないような気がする。この言葉を反芻するほどに私のうちで何かが震える。この言葉を私は生きている限り何かがあるごとに思い出すだろう。 「皆さんに お願いがあります どうか 花のことで ご...
長野 美樹さんの投稿 2020年6月6日土曜日


私はかつてこのような母親の崇高で美しい言葉を聞いたことがないような気がする。この言葉を反芻するほどに私のうちで何かが震える。この言葉を私は生きている限り何かがあるごとに思い出すだろう。
「皆さんに お願いがあります
どうか 花のことで ご自分を責めないでください
他の誰かを 責めないでください
なにかを恨まないでください
ヘイトのスパイラルを止めてください
もうこれ以上 こんなことが起こらないように
花が望んだやさしい世界に少しでも
近づけるように」
本当に正義と思い込んで人を裁く。自分が絶対的に正しいと思いこむのは恐ろしいですね。
伝え方や言い方も考えないといけないですね。そしてまたこの人なら大丈夫だと叩くのも。

管理人マーキュリーマークからの伝言
「本人に問題があった場合、家族に責任を取ってもらいます。」と教会の上の人から教えられたので私の家族に加害行為をした人物の未成年の娘に対し軍事情報をメールで伝えました。彼(彼女の父)は後に脳血栓に至って「なにぬねの。」が言えなくなりました。そういった状態に至らないように霊的な生活をするようにしましょう。
他の軍事情報も存在してるが用意だけで今の所は構わないでしょう。我々は我々の健康で文化的な生活を破壊する勢力に対し勝つ迄戦い続ける。
平和を愛する方法は何かを考える必要はございます。スリランカではLTTEが崩壊した前例もあるが、別の外国では内戦が発生する恐れがございます。指導者が悪いとそうなります。
また、教会の教えは非常に厳しい教えが存在してます。必ず最終戦争は勃発します。
「望郷」
父、昶(いたる)が「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集者としてプラハに赴任することになった。当時9歳と6歳の万里とユリはソビエト学校に通うことになる。レッドパージの影響で昶の前任者が帰国の際、羽田空港で逮捕されていたので共...
長野 美樹さんの投稿 2020年6月6日土曜日

「望郷」

父、昶(いたる)が「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集者としてプラハに赴任することになった。当時9歳と6歳の万里とユリはソビエト学校に通うことになる。レッドパージの影響で昶の前任者が帰国の際、羽田空港で逮捕されていたので共産党の代表としての仕事には「大山二郎」という偽名を使った。
鳥取の名峰、大山からと次男だからだ。
万里が故郷について書いた文章がある。
「わたしは東京生まれですが、子どもの頃、夏休みには必ず父の生家のある鳥取県の智頭町で過ごしました。今もわたしの本籍は智頭町にあります。
小学校三年から中学二年までの五年間、父の赴任先だったチェコのプラハに一家で移り住みました。
日本を想う時に、真っ先に浮かぶ風景は、緑濃い杉に覆われた山々、川のせせらぎでした。そう、智頭町の風景なんですね。日本にいる頃は何とも想っていなかったのに、愛おしくてたまらなくなった。14歳の冬に帰国して真っ先に両親とともに智頭の祖父に会いに行きました。岡山で乗り換えた列車が徐々に山奥に入っていき、車窓から無数の杉の木が見えてきたときは、体の芯から震えが湧き起こってきて、止まらなくなった。それほど興奮しました。これが、わたしにとっての故郷なんだ、と思いました。」
万里が小さい頃、男の子と言い合いをした時のエピソード。
「うちのおとうちゃんはキョーサントーなんだから」
「?」
「地下に16年も潜ってたんだからね!」
「??」
いしいひさいちの「バイトくん」を思い出す。安下宿共斗会議のリーダーが「当局の目を逃れるためにわれわれはこれから地下に潜伏することにする」と宣言。続けて
「こう言うと諸君の中には実際に地下に潜ると勘違いする者もいると思うが」
スコップで地面を掘ろうとしている手を止め、リーダーを見て怪訝そうな顔するメンバーたち。
あれ?
長野 美樹さんの投稿 2020年6月8日月曜日

あれ?
あれから一年になりますか。
自分にとっては遠い昔の出来事のようです。
今は両親が存命のうちに完成させようと長野史をコツコツと書き続けています。
戸籍抄本やネットなどを調べ、新事実も多々発見できました。石賀仏具店の石賀氏や米子市役所勤務の岡雄一氏のご協力に深謝いたします。

(過去の購入者からの連絡についてドリアン長野が行った返答。)
おおっ❗️
そういう情報は嬉しいですね😂
ありがとうございます❗️

シンクロ

名前…


まぎらわしい標語だな

バンコク最大のスラム、クロントゥーイに鶏の解体作業場があり、よく見に行った。悪臭の中、手際よく捌かれる一連の作業を飽かずに眺め、熟練の技に見入っていた。これが豚や牛ではどうだろうか。 著者は北海道大学法学部(恵迪寮寮長出身)卒業後、入社した出版社が一年後に倒産し、大宮の屠畜場に入社する。友人からはお前は被差別部落出身なのか、それともルポルタージュを書くためなのか、と詰問される。義父母は教員だが、当然ながらいい顔はされない。著者によれば明確な意思があったわけでもなく、なんとなく選んだという。 面接が終わって事務所を出ると、40歳くらいのベテラン作業員に怒鳴られる。 「ここは、おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ」 慣れない現場で悪戦苦闘しながらも三か月経ち、正社員になったその日、怒鳴った男が著者を病畜小屋に連れていく。そこにはホルスタインの牝牛がいた。「こいつで叩けや」とハンマーを渡される。ここで牛を叩けなければここで働き続けられないことはわかっていた。躊躇することはできない。足場を固め、ハンマーを振り上げ、眉間を叩き、牛は倒れた。その課長補佐の新井さんはその後の処理方法をドクドクと勢いよく放出する熱い血の海の中で真っ赤になりながら手取り足取り教えてくれた。 毎日百頭を超える牛の皮を剥いていた。皮剥き用のナイフは特殊な形をしている。入社八年目のある日、不意にナイフが自分の意思を置き去りにして勝手に動いた。皮はスムーズにきれいに剥がれた。呆気にとられた。これは私ではなく、道具がしたのだ。青龍刀のようなナイフの形は数えきれないほどの多くの先人たちが数えきれないほどの動物を解体して、やっとあの形にたどり着いたのだ。それを実感したときに非常に高揚した。それは自分が歴史、言ってみれば人間が営々と鍛えてきた技術や文化に繋がった、その実感であった。先人の皆さんたち、やりましたよ!と大声で叫びたい気持ちだった。 10年半屠畜場で働き、専業作家になるために辞めた。屠畜を一生の仕事と考えていたが、子どもが生まれ、二足の草鞋で書き上げたデビュー作が新潮新人賞を受賞した。けじめをつける時が来た。 今まで新井さんに怒鳴られたことをあの日以来10年の歳月をかけて、「おまえみたいなヤツの来るところじゃねえ」ではないことを証明し続けてきたつもりだった。 この本の最後で著者は言う。 「屠殺は素晴らしい仕事である。しかし危険であり、長い修練と覚悟をする。」 ナイフ一つで牛の皮を剥ぎ、解体する。鮮度が大切なので出来るだけスピーディーに終わらせなければならない。臓物が溢れ、異臭のする現場で格闘する彼らの姿は現場を見たこともない私が言う資格などないかもしれないが、勇壮という言葉がピッタリする。 本書は最初2009年、開放出版社から単行本で刊行された。 #佐川光晴
ドリアン長野のカレー三昧
「アアベルカレー」
中央大通を西へ進み、中央線九条駅出口徒歩10秒ビルの三階にアアベルカレーがあります。

定休日は月土日祝日なのでなかなか行けません。

階段をのぼり、

30分前には既に行列
店主は音楽活動をされていて、店内にはアコーディオンが。
インドに魅せられてしょっちゅう行ってはカレーを食べて、美味しいお店は厨房に入らせてもらって教えてもらうそうです。「地球の歩き方」が山積みされてました。

カレーを作る工程で非常に重要なのがテンパリングという技法です。
油にホールスパイスを投入して香りを移します。
そして油と水を乳化する場合が多いのですが、あえて非乳化するカレーもあります。
分離しているミャンマーのカレーなんかその代表ですね。乳化か非乳化かは好みがあります。
アアベルカレーは乳化が最適だと思います。
少なくとも今まで食べたカレーのベスト5に入ります。
ご主人のカレーに対する情熱がヒシヒシと感じる一皿でした。

隣に置くから間違えて歯を磨いた

(いっせいに)なんでやねん‼️

確かに

どうすりゃいいんだよ😭

羊頭狗肉
良品に見せかけたり、宣伝は立派だが、実際には粗悪な品を売るたとえ。 羊の頭を看板にかけながら、実際は犬の肉を売る意から。 「羊頭を懸かけて狗肉を売る」の略。

インドに生息するという怪魚ウモッカを見たという情報を得て勇み立つ著者、もしこれを捕獲すれば世紀の大発見だ。著書の名は後世に語り継げられるのは必至だ。
しかし、好事魔多し。予期せぬまさかの展開が。果たして高野秀行対ウモッカの対決の行方は?
最後まで面白く読ませる著書の手腕は大したもの。奇書と言ってもいいかも。

#高野秀行
大阪最難関カレーショップとは?

この日は12時20分にオープン。12時50分に席に着けました。
まだスパイスカレーという概念がない1990年代に誕生した「カシミール」。
現在の大阪スパイスカレー店のほとんどがなんらかの影響をこの店から受けていると言われています。
11時半に到着すると既に7人がウエイティング。
「カシミール」は12時オープンなのですが、日によって1〜2時間遅れるのは珍しくありません。
しかも一人で店を切り盛りしており、一度に三人分しか作れません。ということでカウンター席6席のみ。
入店してからもかなり待たされます。営業日は火〜金曜日のみ。
しかもFB、Twitter、インスタなどSNSを一切やっていないので突然休業になってもわかりません。
カシミールカレーを食べるために有給をとったのに当日休業だったという悲劇もあると聞きます。

チキン
具沢山のミックスA
玄米
1300円

サラサラのカレーに豆腐、大豆、茄子、しめじ、ほうれん草などが入ってました。
食べたあとに胃腸がスッキリしたような感じになりました。スパイスは医食同源、まさに you are what you eat .ですね。
店を出ると既に日はとっぷりと暮れていました(嘘)。


どっちやねん

27日(土)17時から21時(くらい)まで カレー対戦をいたします。
前回同様北堀江(大阪メトロ四ツ橋駅 徒歩1分)
大阪府大阪市西区北堀江1-7-9 QUADRA KITAHORIE 3F の「イノチ食堂」にて開催いたします。
できれば食べ比べをしていただきたいので小ぶりサイズ500円でご提供させていただきます。もちろん一食のみでも構いません。
皆様のご来店を心よりお待ちしております

愛車

テンパリングの話
油にホールスパイスの香りを移すのがカレー作りにとっては非常に大事な工程だ。焦がしてしまったら失敗。焦がす直前のギリギリまで加熱する。
これをテンパリングというが、このために油を思いきって多めに使うこと。少ないと香りが移らないし、あとの乳化にも影響が出る。
油ごとに発煙点が違う。オリーブオイルは191度から199度。
キャノラー油なら204度。発煙点が低いとスパイスの香りを移す前に油が焦げてしまう。
その点、紅花油なら266度と高いのでスパイスの香りを引き出すのに適している。
ホールスパイスを入れる上でのポイントは当然ながら火の通りにくいものから順番に加えていく、ということ。
スタータースパイスはマスタードシードから始まり、クミンシード、カルダモン、クローブ、シナモン、そしてフェヌグリークという具合に。
パウダースパイスは炒めずに煮込む時に使う。各スパイスの特性を熟知するのがカレーマスターへの第一歩だ。

なななななにが

テンパリングの話
ホールスパイスを油で揚げた後、そのスパイスをどうするか。テンパリングしたあとのスパイスにも香りの成分は残っています。もったいないので
① スパイスをそのまま煮込んで出す。
しかしこれではホールスパイスが口の中に残って食べづらい。ホールスパイスが残ったカレーを少なくとも私は食べたことがありません。
② そのまま煮込み、完成したらカレーの中から根気よく取り除く。
想像しただけで気が遠くなりそうですが、実際にそうやって作っているお店もあるそうです。頭が下がります。
③ テンパリング後のスパイスをティーバッグに入れて煮込む。
これなら完成したあとにティーバッグを取り出せばいいだけです。
なお、クミンシードやマスタードシード、フェヌグリークなどはそのまま食べても問題ないので取り除く必要はありません。

インド原産のカレーノキの葉、カレーリーフはスパイスとして使われます。
乾燥した葉はスパイスショップでよく売ってますが、生は入手がやや困難です。
乾燥葉は香りが格段に落ちるので使うなら生を使用したいところです。
このカレーリーフは取り除くのか、そのまま煮込むのか。これは料理人よって様々です。
ちなみに極限までスパイスを焙煎することで有名な西本町の「バンブルビー」ではそのまま煮込んでいましたが、食べづらくはなかったです。

中止かい
27日(土)17時から21時まで
カレー対戦をいたします。
前回同様北堀江(大阪メトロ四ツ橋駅④番出口徒歩30秒)
大阪市西区北堀江1-7-9 QUADRA KITAHORIE 3F
の「イノチ食堂」にて開催いたします。
できれば食べ比べをしていただきたいので小ぶりサイズ500円でご提供させていただきます。もちろん一食のみでも構いません。
十数年前ですが、東京でナンバーワンのラーメンを決めるというテレビ番組がありました。一位になった都内の某ラーメン屋の店主が店に寝泊まりしているので、アナウンサーがわけを聞くと、その店主は恥ずかしそうにこう答えたのです。
「死にものぐるいで作らないとお客様が満足するものはできないので…」
思い出すと今でも胸奥が熱くなります。
チキンカレーとレンズ豆カレーのあいがけ パパド
じゃがいものサブジ
きゅうりのアチャール
五香粉煮豚
バスマティライスにてご提供させていただきます。

テイクアウトも承ります。
皆様のご来店を心よりお待ちしております

男子会


なんでやねん

管理人マーキュリーマークからの伝言
先月27日に大阪の四ツ橋駅近くで営業するイノチ食堂でドリアン長野が調理したカレーライスの販売は終了してます。
おいしい料理に感動するのと調理とは別口です。この表現が限度ですが趣味の領域に留めてほしいです。
今回の転載は過去の記録の発表と考えて頂きたい。
話は変わりますがドリアン長野が行ったフェイスブック上の投稿の転載は令和二年六月末日迄に行われた投稿のみ転載といたします。
再会した時に「紹介はしなくて良い。」と連絡を受けました。
今後はドリアン長野の読書三昧で行った投稿や推奨したいホームページの紹介を可能であれば一日から七日に行うだけでなく
私からの連絡は八日以降の祝祭日か14日頃かそれ以降に投稿します。
報道の動画についての転載は可能な範囲でしか行えません。ドリアン長野が行ってきた外国の報道や出来事を全て伝達するのは半ば不可能です。
大きな出来事は日にちを問わずに投稿してますが各自で最新情報を調べてください。各国の動向について知ることは自己責任です。
過去に海外旅行が行えたのは貴重な体験でした。こちらとしては趣味でブログを運営してます。
以下はgooブログについてですのでその部分を理解してお読みください。
当方は不要な争いに加担したくありません。
私は平成24年(2012年)にドリアン長野と再会し相談しました。
特定のホームページの紹介を取り止める提案をして黙認されましたので、平成24年に紹介を取り止めました。
従って、こちらの安全にも関わるので特定のホームページの管理者さん、このホームページの紹介を取り止めて下さい。
我々がその決断を下しました。平成の時期に当方は紹介を取り止めましたが、令和になっても継続してる問題ですので困ってます。
平成27年に私がカナダ旅行中に彼等が雇った刺客が毎日フェイスブックのタイムラインに詰問してきたので大変困りました。
病気やケガで困ってる時に長電話をしてきた悪人に匹敵する嫌がらせでした。
海外の犯罪者への連絡かユスリが目的であるだけでなく紹介の再開を目的としてたようなので断固拒否します。
彼等は今でも相手にされてると考えてるのでしょうか?
敬具 マーキュリーマーク

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花