2019年10月2日水曜日

2019年9月に行われた投稿

管理人 マーキュリーマークからの伝言
すでに長野紙店のバーゲンセールは先月(令和元年
9月)で終了したばかりか店舗自体の売却も済んだそうです。

2019年9月1日2日

朝6時。
とうとう最終営業の日が来ました。
がんばるぞ!


「石賀仏具店」の石賀さんに米蔵のお弁当をいただきました。お米のうまいこと!

おまけ
加茂川のカッパの三平。


長い間ご苦労様でした。


今までの久米さんの労をねぎらって駅前の「焼肉ホルモンだんだん」で食事。


「ぐねる」
「てれこ」
関西以外では通じない?


「遠慮のかたまり」が関西独特の表現方法だと知った時の驚愕!

それはキティ


ヤダ

管理人 マーキュリーマークからの伝言
アニメひなビタ♪で登場してる「倉野川市(くらのがわし)」は架空の市であるが、2016年4月1日に実在の市である鳥取県倉吉市と姉妹都市提携をしてます。ドリアン長野は鳥取県米子市出身ですので鳥取県の出来事に注目してるようです。
食品についてはつい、この前例を連想します。


地下鉄でDK二人。

「今日の雷すごかったなあ」
「出る時に避雷針つけようかと思ったわ」
「遠く、遠〜く、離れていても〜🎵」
「それ平井堅や!」
というジャズのインプロビゼーションのようなボケツッコミを聞いてさすが大阪やなあと一瞬感心したんですがそれ槇原敬之です。

南区(現中央区)島之内にある極真会館関西本部道場に入門したのが25歳の時だった。道頓堀や宗右衛門町が近くにあり、道場は地下にあった。
地元にあった他流派の空手を中学生からやっていたが、その30種類以上もある基本稽古(その場で突きや蹴りを繰り出す)の合理的な実戦性に驚いた。
基本稽古が終わった時点でクタクタになる。当時関西本部道場の責任者でかつ指導者である師範は大山倍達の長女の娘婿だった。
東北出身で東北学院大学ではバスケットをしていたが、留壱琴さんと交際、いよいよ結婚の段となり、「私の父は大山倍達よ」と打ち明けられ、驚愕。
それでも勇気を振り絞って結婚承諾の挨拶に行ったと言う。29歳で結婚、義父の勧めで極真会館総本部に入門し、苦労して黒帯を取得した。
とにかく基本を重視する人で、怖くて厳しかった。竹刀が飛んでくるのは当たり前で、一か月に一度はボロボロになった竹刀を買い換えていた。
その師範が稽古中にしみじみと言ったことがある。
「(池袋の)総本部では悪い先輩がいてな、股を開くな!と金的を思いっきり蹴られたことがあったよ」
周囲のやっかみもあっただろう。
僕が入門して間も無く、ある黒帯の先輩とスパーリングをすることになった。
その先輩は後輩に対して先輩風を吹かせることもなく、陽気でよく周囲を笑わせていた。
スパーリングが始まって間も無く、先輩の回し蹴りが僕の頭部にヒットした。ガツンと来たが、もちろん失神するほどではない。

「これが極真なんだ。寸止めではなく、実際に加撃するフルコタクトなんだ」

僕は嬉しかった。夢にまで見て憧れた極真空手をやっているんだ、という気持ちで思わず笑みが出た。
先輩はその笑いを「こんな回し蹴りなんか全然効かないですよ」と、とったのだろう。
いつもは温厚な先輩がムッとして、

「本気でやってないからな」と言った。

僕はなぜ後で「先輩、そういう意味じゃないんです、実は…」と説明しなかったのだろう。
30年経った今でも後悔の念と共に、時々そのことを思い出す。

管理人マーキュリーマークからの伝言
空手も一般社会も同様な部分があって改善を求める為に厳しい姿勢で臨むことがございます。
余りに身勝手で独りよがりで私ばかりか私の関係者に迷惑をかけた人物がいたので
彼の娘が米国に留学してる時に軍事情報と人生においての悔い改めを求める内容についてメールで送信しました。
幾分は改善されたが私が希望する領域には到達してないので辛かったです。
こういうのも人生だと思います。表面的には反発されるかもしれませんが、制裁を与える必要はございました。
後にその人物は以前から、よろしくない人でしたが「なにぬねの。」が言えなくなる脳血栓に至ったから、良い意味での暖かい心が必要なのを再認識しました。


eggplant is my mother(なすがまま)


ネコたち


大阪府は万博公園内にアリーナ建設を発表。
「最低でも横浜アリーナと同規模のものを」と吉村知事。
これはIR誘致でトンビに油揚げをさらわれた横浜に対しての意趣返しか。
横浜vs大阪抗争の幕開けか。
大阪はシューマイ弁当の不買運動開始か(って小せえ)。


そうですね…

管理人 マーキュリーマークからの伝言

もし、反論があるとしたら体調不良の親戚がいる人が連絡を待ってる時といった状況でしょうか?

「渡鬼」で泉ピン子がスマホを使ってYOUTUBERになったのを観てスポンサーのソフトバンクから多額の報酬が橋田先生に支払われたと思った視聴者がおよそ800万人(当社調べ)

夏草や兵どもが夢の跡

天使!

怖いって

だろうね

管理人 マーキュリーマークからの伝言
ホ○イに憧れてギターを弾き始めた人がいるらしいが、江頭2時50分がいなかったら彼は出世してなかったと思う。って違うか?

覚え書き
北海道でJRに乗ると駅を通過するごとに警笛を鳴らす。少なくとも首都圏や関西圏では考えられない。
札幌の地下鉄で切符を裏返しにして自動改札機を通すと、警告音が鳴り、「入れ直してください」という表示が出る。
エスカレーターは右側を空ける。
というか左を空けるのは関西だけみたい。

仕方ないね

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花