平成25年 故郷
故郷があるっていいなあと、最近しみじみと思うんすよね。高校まで実家にいたけど、早くこの町を出たいなあといつも思ってた。
社会人になってからは休みになるとアジアをほっつき歩き、盆も正月も連休も帰省することはなかった。電話さえもしなかった。
でも親は何も言わなかった。本当は心配してたんだろう。今は一年に一回は帰省する。孫に会いたいだろうから。それが一番の親孝行だと思うから。
最近になってよく故郷のことを考える。iPhoneのサイマルラジオで故郷のFMだって時々聴く。懐かしいなあ。 ダラズFM
思い出がいっぱい詰まってる町だもの。不良息子が家出しても何も言わずに受け入れてくれる親みたいな、故郷ってそんな場所。海と山がある、生まれ育った町。故郷があるっていいなあ。
管理人マーキュリーマークからの伝言
平成25年の投稿が好評なので再び投稿します。独身の時に「田舎には帰らないの?」と私が質問したら「俺、田舎に三日いると退屈に感じる。」といったような返答をされたので「じゃ、エキサイティングで試練がある大阪市の方がマシってこと?」 「そういうこと。」みたいな話をしました。 私も故郷の杉並区に帰ったのを連想します。
長野夫妻は、仲良く生活されてます。平成20年代には娘が生まれたので鳥取県にお住まいだったご両親と何度も再会されました。 米子市の職場兼住宅は売却が済んでますし今年(令和七年)になってドリアン長野のご両親はおられません。
令和六年には娘さんと一緒にオーストラリアのケアンズを旅されました。
実際にドリアン長野に出会ったならば「ラジオのダラズFM。」と発言するのは良くてもいきなり「ダラズFM。」と発言したら怒られるので気を付けて下さい。(笑)
ドリアン長野の鳥取旅行記 平成30年4月
太陽軒のラーメンうまし
味のある乾物屋さん
味のある川べりの民家
オサレなラウンジに
オサレな居酒屋
路地の奥に猫
自動販売機に喜八監督
翌朝、雨が降っていましたが思い切って10キロランに出発しました。
今井書店は昨夜行った太陽軒の前にオープンしました。カフェが入ったり、雑貨を売ったりと、今風の書店になっています。
加茂川と雨と桜と白壁や
中海です
僕はカトリック教会が運営するマリア幼稚園に入りました。絵本は聖書を題材にしていました。
親父が「おまえは長男だから無理してマリア園に入れたんや」と言ってたのを覚えています。
先生に言うのが恥ずかしくて、ウン○を漏らしたのも覚えています。
ひと気のない商店街を走る。
人がいないので走りやすいですね(泣)
https://www.facebook.com/passeggiata/
イタリアンレストラン「パッセジャータ 」で父のお別れランチ。
10人集まりましたが、いとこに会うのは実に40年振りです。
会食後、「支払いはカードで」と出したスーパーのポイントカード。
「すみませんが現金のみです」
ギャグは地滑りでした。
駅前の「旬門」で生まれて初めて食べた「ノドグロ」(ここんところゴチック体で読んでください)。
注文する時に心なしか声が震えました。
「あ、あの、テニスの錦織くんも大好物の、あのまぼろしの魚…」
「ノドグロですね」
さすが高級魚だけはあります。鰻のように脂が乗っていました。
結局、妹がおごってくれました。
日本一器の小さな兄です。
ワニが❗️と思ったら作り物でした。
なぜ軽食ではなく、ケイ食?
キャープとは?
謎は深まるばかりです。
父の仕事場。
もう再び戻ってくることはありません。
二階の寝室にもプラモデルが。
マンガも山ほどあります。高橋留美子が好きみたいです。「ワイルド7」を読み返してみたいのですが、止まらなくなるのでやめておきます。
午前中、引っ越しが終わり、一息ついていたところテレビとローボードを積み残したのに気づき、慌てて電話して引き返してもらいました。
今度こそ。嫌な顔ひとつしないで積み込んでくれました。みなさん、引っ越しするならサカイです。
うちにあった方位磁針。
さりげないオサレなアイテムにどうでしょう。
これには思わず吹きました。
これは持っていたら自慢できます。
竹下通りで売っていてもおかしくない組立凧。最新型という文字が泣かせます。
知人の予約注文で持って帰るプラモデル。
かなりかさ張って重いです。大変です。
これを大阪まで持って帰るのは本当に大変です。まるで中国人の爆買いです。
IKEAのバッグが洗濯物をコインランドリーに持っていく以外の活用法があることを発見することができました。感謝いたします。
注文した人、今度なんかおごってください。
管理人マーキュリーマークからの伝言
gooブログが令和七年11月にサービス停止をするのでエキサイトブログで可能な範囲で転載をしてます。ドリアン長野は平成21年から専ら鳥取に戻ってたので海外旅行はしてなかった。平成30年から激変。ご両親は長くお住まいであった米子市の店舗兼住宅から離れられました。令和六年に娘さんと一緒に豪州旅行されたのは立派です。 私は平成27年十月にカナダ一人旅を成し遂げました。 キャープさんは閉店した飲食店の店名です。
米子の暑くて長い日々 平成30年7月下旬
1日目
夜の11時米子到着。
実家はガスを止めてるので気合いを入れて水シャワー。
いくら暑いといっても、さ、さぶい。
エアコンも横浜に持っていったので扇風機を強にして寝る。痒くて3時に目が覚める。
蚊が…(涙)
カルカッタのゲストハウスを思い出します。
2日目
駄菓子屋さんの岡本一銭堂に行って、ご主人のおばあさんと話をします。
お元気で、しゃべること、しゃべること。
いろいろ勉強になりました。
最後にお顔を写してもいいですか、と聞くと「今日は普段着だから駄目」と頑なに拒否。
おいくつになっても女性は女性です。
そのあと、商店街のご近所に挨拶回り。
さすが商売人、みなさん、饒舌でいらっしゃいます。
店を開けると結構お客さんが買いに来られました。
10時半に値札貼り完了。
近くの「吉牛」で遅い夕食。
鳥大の学生で一杯でした。
https://www.tottori-u.ac.jp/
3日目
5時起床。
ホープタウンまでランニング。
http://hopetown-yonago.com/
帰りは水鳥公園まで走ろうと思い、表示を見ながら走っていると何故か田園風景が。
水鳥公園(子どもの頃は錦公園といってましたが)入口に到着、どこだ!ここは!
私の思っていたのは家から近くの鳥大病院のある湊山だったのですが、水鳥公園って広かったんですね。
そういえば途中で「ゲゲゲの鬼太郎ロードまで16キロ」という表示を見て、案外近いんだなと思っていたんですが…。
水が飲みたい。
しかしいくら走ってもコンビニはない。
炎天下でランニング→熱中症→死亡(ひえええええ)
3キロくらい走ったら遠くにファミマの看板が!
やった!生きれる!
でもポンタカードは持っているけどTカードを持ってない。
言ってる場合か。
図らずも20キロランになりました。
暑苦しいので宇多田ヒカルが出演したサントリー奥大山の水の木谷沢渓流の写真を
戸板市、9時の受付に何とか間に合いました。
米子の商人が戸板をはずして、その上に商品を置いて商売したのが発祥だとか。
続々と人出が。
やはりプラモデルある所、この二人が乱入。テキ屋です。
お店の方には若いお客さんが来られ、紙を大量に買っていただきました。
古物商をされていて、新たに印刷業を始めるので月曜日に軽トラで来て、大量に引き取りに来たいと。急遽会社に事情を話してもう一日休みをいただくことにしました。
夕方「すし弁慶」で食事。山陰の魚はうまいな〜。
http://www.sushibenkei.co.jp/
4日目
というわけで(どういうわけだ)
考えてみれば来週はビッグイベントの「がいな祭」があるではないか。
こんなチャンスを逃すわけにはいかない、ということで7月28日と29日に長野紙店オープンします!
これが最後の閉店セール。(やめるやめる詐欺か)
でも私は何度も帰れないので、「月刊パンツァー」で10年間ライターをやっていた久米さんに臨時店長をお願いしました。
交渉次第で値下げも可(多分)。
http://www.argo-panzer.com/
http://www.gainamatsuri.jp/
奥さん、お安くしときますよ!
完成品だって、売れ残り…
キープしてます。
まだまだ、こんなお宝も
これも交渉次第で値下げも可(多分)。
皆様ご来店心よりお待ちしております。
管理人マーキュリーマークからの伝言
鳥取県で営業してたご実家の店舗を閉店した後でドリアン長野は鳥取旅行されました。閉店セールは平成の時期に終了しています。
何度も米子市に帰られました。事実上の国内旅行記に思えます。皆さんも帰られましたか?
ドリアン長野の鳥取旅行記 平成30年7月末日
#はぁーーー
観たときから心を奪われた。
場所は木谷沢渓流。
正確に言えば鳥取県日野郡江府町。
これは死ぬまでに行きたい、というわけでこのバスツアーをやっている、倉吉に本社がある流通バスに申し込んだ。
9時10分に米子駅発車。
総員19名、年齢層は高め。
まずはサントリーブナの森工場を見学。
森に染み込んだ水がボトリングされるまで20年かかるそうです。
見学者は奥大山の天然水と新発売の商品がもらえます。
私はブルーベリーの天然水のペットボトルをもらいました。
工場に掲げてあった表彰状。
そして念願の木谷沢渓流へ。
この日、鳥取県は肌がジリジリと焼けつくような酷暑でしたが、非常に涼しい。
半袖では肌寒いくらい。
マイナスイオンが出まくってます。
水に手を浸すと切れるような冷たさ。
裏大山を眺め、大山寺で食事。
大山おこわと大山鶏の唐揚げ、そして湯豆腐の食べ放題。
この湯豆腐が美味い。
この昼食はツアー代金に含まれています。
なんと一人3000円です。
何年か前のお試しツアー料金は1000円でした。
流通バス万歳🙌
みっちゃん 令和七年八月
7年ぶりの帰省、鳥取県米子市。
父は横浜で亡くなり、母は大阪で亡くなった。
生家はカフェ兼ゲストハウスとしてフランス人が買ってくれた。
さてと、もうこれで故郷に帰ることはあるまい。
と思っていたところ母の姉の長女のみっちゃんから電話があった。
「いとこ会をやろうよ。うちに泊まればいいけん。私もいつどうなるかわからんけん、今年中にだよ」
彼女自身も小さい時に父親を亡くし、夫を亡くし、最近では12歳下の弟と母親を亡くしている。
彼女の長男は地元にいるが、次男は都内に住んでいる。
生きているうちに、と彼女は言う。死んでからお葬式で会ってもつまらんけん、と。
確かにそうだ。ぼくは二つ返事でお盆休みに行くことにした。
当日バスは宝塚あたりで渋滞。予定より1時間遅れで米子駅に着いた。途中で蒜山高原の道の駅に着いた時、遅れると電話しておいたのに、みっちゃんは律義に1時間待っていてくれた。
みっちゃんの父はアルコール依存症で酒を飲んで自転車で自宅に帰宅途中に側溝に落ちて帰らぬ人になった。みっちゃんは多くは語らないが母親も苦労したと思う。みっちゃんは高校卒業後に神戸の看護学校に入学した。それでも田舎に残した母親と弟が心配だった。病院で一年の御礼奉公をして、24歳の時に結婚すると嘘をついて田舎に帰った。そこで見合い話があり、結婚した。旦那さんとは何回か会っているはずだが、記憶にない。
みっちゃんが結婚する前、夏休みになるとみっちゃんの家に泊まりに行った。彼女の弟のなーちゃんとぼくは一つ違い。カブト虫を取りに行き、田んぼでアメリカザリガニを捕まえ、家の前の小川に並んで座り、スイカの種を飛ばして食べた。
なーちゃんはユーモアのセンスに長けていた。真面目な顔をして冗談を言うことを「dry sense of humour」と欧米ではいい、好まれるらしいけど、そんな感じだった。いつもなーちゃんに会う前はウキウキした。
そのなーちゃんは3年前、舌癌で亡くなった。60歳だった。みっちゃんとなーちゃんの母、ぼくにとっては伯母は歯に衣着せぬ人だったが、カーッと激高することはなく、穏やかな人だった。
いとこ会で伯母に会うのが楽しみにしていたが、その二週間前に亡くなった。伯母は嫁に行った家で一人暮らしをしていた。子どもたちと過ごした家に愛着があったのだろう。
伯母はみっちゃんが何度言っても庭にある畑仕事をやめようとしなかった。亡くなった日も暑かった。庭で倒れていたのをヘルパーさんが見つけた。94歳だった。
懐かしいその家にみっちゃんが連れていってくれた。
市内からは車で30分かかる。大山の雄姿、入道雲、青々と続く稲穂。目に染みるほどの田園風景。
50年経っても変わらない。
家の前の土道はアスファルトになっていたが、スイカを食べた小川はそのままだった。家は建て直していたので昔の面影はなかった。
庭にはピーマンやトマトが残っていた。伯母は野菜ができるとみんなに配っていたという。
ぼくの生家は商店街でプラモデルや文具を売っている店だった。ぼくが小学生の時にみっちゃんが店にやって来て両親と話しをした。みっちゃんが時計をちらっと見て「そろそろ帰ります」と言って、ぼくに「ちょっとついてきて」と言う。
ぼくは何だろうと思いながらついて行くと近所のお菓子屋さんに入り、人数分のショートケーキを買って「おじさんとおばさんに渡して」と帰って行った。
ぼくはカッコいい大人だなあと思い、あんな大人になるぞ、と思い、今はカッコいい大人になっているはずだった。
みっちゃんは伯母の性格を受け継いでいるのだろう。
家の仏壇の上には三人の遺影が掲げられていた。みっちゃんのお父さん、お母さん、そして今思えば馬鹿なことを聞いたものだが、「この人は誰ですか」。
なーちゃんに決まっていたが、あまりにも昔の面影がなかった。舌癌のせいで顔がゆがんでいた。
なーちゃんは「葬式で会っても何にもならんけん。生きているうちに会わないけんけん」と言ってたことがある。さすが姉弟だ。
その通りだ。
みっちゃんは車でいろいろな場所に連れていってくれた。温泉、弥生時代の集落跡、裏大山、後醍醐天皇御腰掛岩、名和公園、天の真名井、水車小屋。
みっちゃんは美味しいお店を知っていて、いろいろなお店に連れて行ってくれたが、ぼくがお金を出すことを許さなかった。
一度だけ20円の端数をみっちゃんが財布を探している時に出した。
みっちゃんは「助かったわ」とニコッとした。
みっちゃんはやっぱりカッコいい大人だった。
管理人マーキュリーマークからの伝言
老若男女を問わずにいとこ達と再会が行えるのは祝福です。過去には円滑に再会が行えても現在は事情があって、そうではなくなったと考える人は多いに違いありません。遠隔地に住んでるとそれだけ難しくなりますね。特別に鳥取旅行記をまとめました。当方は海外旅行記だけを投稿してる訳ではありません。 敬具
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回顧を兼ねた書評 令和二年三月
インドでわしも考えた https://t.co/GyLfMXrbgj
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) September 7, 2024
孤独な鳥はやさしくうたう https://t.co/Iw3qCDUjI1
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) September 5, 2024
『文章のうまさと疾走感』
— ドリアン長野 (@duriannagano) March 17, 2020
⇒ https://t.co/sADLCZaVaq #アメブロ @ameba_officialさんから
僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。
管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。
ブロガー版ドリアン長野のランニングな日々: ドリアン長野のインド旅行記 https://t.co/oFoBlUlthn
— ドリアン長野 (@duriannagano) September 15, 2019
ブロガー版ドリアン長野のランニングな日々: 実質的に完了した海外旅行記【夏が来れば思い出す】(タイ) https://t.co/h8F7sK6Mgu
— ドリアン長野 (@duriannagano) September 23, 2019
ランニングについての投稿
ブロガー版ドリアン長野のランニングな日々: ドリアン長野のランニングな日々 令和二年十月 https://t.co/9RpDExFD71
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) October 3, 2020
恋人たちの予感 https://t.co/3vf58erLuS 10キロを1時間内で走るには1キロ6分で走らなければならない。一流ランナーなら3分台で走る。
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) November 13, 2020
自己ベストは3年前(2017年)の52分。今の自分は彼らから見ると亀のような1時間6分前後。
来年は60歳。いつも挑戦するジジイになりたい。
ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花
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