2025年12月17日水曜日
2025年12月14日日曜日
令和七年12月の連絡
連絡します。
出国税3倍程度値上げ検討 パスポート手数料“1万円”値下げ案も(2025年11月12日)
論外に思います。パスポートを保有してない人が8割以上の日本の現状であっても否定する人は多いであろう。
サウジアラビア旅行記からの抜粋
僕は独身の時にバンコクに9回行っている。新婚旅行で10回目だ。
それほどバンコクが好きなのだ。
一応は四種類に大別される。
海外旅行した時と旅先の外国が明確な旅行記。
海外旅行した外国は明確でもいつ渡航したのかについて不明確な旅行記。
行きたかったけども行けなかった外国。
外国に赴いたけども未発表ないしは執筆自体を辞めた等の理由で作品自体が投稿されてない状態。
平成13年にドリアン長野はタイランドのバンコクへ三回渡航してます。 内訳は年始、夏と年末です。 乗継便等は存在する。
平成12年の年末にカンボジアからタイランドに移動したそうです。
平成13年12月30日から平成14年の元日にも滞在。
新婚旅行は平成19年の年末から平成20年の年始。平成14年二月から平成19年11月迄に何度も旅したばかりか平成12年以前にもバンコク旅行したか?
さぁ始まりました。令和七年の海外旅行記。私は直行便でカナダでも長野親子が赴いた外国は一度の旅で複数の外国。 幼い娘さんの希望で今年も渡航。
自由妨害が無かったなら良いが行われたかもしれない。人それぞれですが私はやられました。 反対し搾取を企てる人や観光客について犯罪組織に連絡し利益を得ようとする人はいる。加害者は罪悪感が無いので抗議しても無意味だから隔離されるか?
一応はこの一件についてはこれで最後にしたいがgooブログは先月で終了しました。皆様、今後はエキサイトブログ、ブロガー、はてなブログ等で楽しんでもらいたい。
皆さん、来年もよろしくお願いします。 恐らくはサウジアラビア旅行記に関しては来年統合した上で転載することになると思います。それだけではなく今回の連絡が今年最後の投稿になる予定です。 皆様、よいお年をお迎えください。
最近になってこのブログを閲覧された方に連絡。
2003年に私はドリアン長野に頼まれてホームページの開設を手伝いました。私はこちらのブログを担当してます。ドリアン長野は多くの国々を渡航しただけではなく2010年代に京都府でマラソンを二回完走されました。
カレーを好んでるドリアン長野が管理しているブログのみ閲覧されても構いません。
ノート版ドリアン長野 ドリアン長野フェイスブック
ドリアン長野の読書三昧 皆様、お楽しみ下さい。
前述の三者はドリアン長野が利用してるホームページです。
リンク集と伝達 2025年 旅したら執筆は可能。
海外旅行記のリンク集並びに渡航についての心得を投稿しました。
渡航の要素と本音 令和七年
ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)
マラソンは過酷ですので行うか否かは各自でご判断下さい。
私はマラソンは致しません。
カレーライス 令和六年 カレーはおいしいですね。
紹介されたお店が営業してるか否かは各自でご確認願います。
以下は当方が推奨するホームページです。 順不同。
jp.churchofjesuschrist.org
末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)について説明されてます。
The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints The authorized Twitter account for The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints.
LDSについて英語で説明されてます。
DARAZ FM 鳥取のFM局
クリックで救える命がある。 クリック募金サイト
中島らもオフィシャルサイト 故・中島らも(作家)のホームページ
文男のMyselfな毎日 元プロボクサーのブログ。
4travel
旅行者の旅行記やクチコミを中心とした日本最大級の旅行コミュニティサイトです。
福知山マラソン 公式ホームページ 42.195km
ドリアン長野は2010年代に京都で二回完走した。
bozenkun 作家の田中真知先生が利用されてるツイッター(現X)。
椎名誠 旅する文学館
作家の椎名誠先生が利用されてるツイッター(現X)。
町田康インスタグラム
作家の町田康先生が利用されてるインスタグラム。
AZ流 GO FOR IT !! とことん能天気なへなちょこ AZの非日常的日常
スタジオラム ドリアン長野の動画も楽しめるようになってます。
故郷 令和六年七月 平成25年の投稿が好評なので再投稿します。
平成27年レインクーバー旅行記
私はカナダのブリティッシュコロンビア州を旅しました。
旅支度について
パスポートは必須。 旅先を選んだ後は海外旅行案内書を購入して読んで予習する。電子渡航認証等の申請や観光ビザの承認。外国語の学習。
旅費と休暇の捻出。 医薬品も含め旅に必要な商品は買い揃えるべき。
外貨の保有、交通費、宿泊費、海外旅行保険の支払い等を済ませないと円滑に海外旅行は行えません。
置時計に電池を入れるのは防音の為に宿の中のみでそれ以外は入れない。ホテルでタブレットを利用して日付や曜日も含めて時間調整する。出国前に旅する外国の時間に調整した海外用の時計と日本用の時計は使い分け。
ネパールでは二種類の時刻表記が行えるデジタルの腕時計を推奨します。
時差を忘れずに。
「外国で悪事をするに違いない。」と思ってたか?
某ホームページを紹介したので平成23年に問題が発生。 平成24年にドリアン長野と会話し紹介を取り止めました。平成26年迄にこちらの紹介を取り止めてもらいたかった。 平成27年に私がカナダを旅行中に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問された。
防犯上の問題があり気分が悪かったです。 紹介したので感謝してもらえども自由妨害が行われて辛かったです。彼等は弱みを握ってホームページの紹介を再開させるのが目的か? 令和になっても悪い干渉があった。
この一件については時間を無駄にされた被害者達がいるので同情します。 共同不法行為で第三者も辛い思いをされた。 皆さん、ご理解願いたい。
海外旅行案内書について
海外旅行案内書は最新の書籍を購入して出国前に必読です。
地域限定版は構いませんけど古本は辞めましょう。
複数の出版社が販売してるので厳選すべきです。
名店や名所の紹介より出入国についての情報は優先されます。
将来的に海外の在外邦人の犯罪並びにそれを幇助する人についての警告が記述されるか?
特別に追記。
サウジアラビアの海外旅行案内書については販売されてるけどコロナの影響か新作の発売が令和四年以降に行われてない出版社が存在するようですが令和五年に最新作を発売した前例(こ〇りっぷ)はございます。
比較は重要。前回の豪州の時も古本を買うより最新の廉価本(アル〇等)はアリだったか?
複数の出版社の比較も重要ですが書籍の価格が値上がりしてますね。
“出国税”きょうから チケット代に1000円上乗せ(19/01/07)
平成31年から出国税が徴税されてます。
今月も連絡と推奨が行えたので皆様に感謝します。
敬具 マーキュリーマーク
マラソン 令和七年冬
僕のヘタレマラソン記 2025-09-26 16:40:38
ランニングにハマっていた時期があった。50代の時だ。きっかけは東京に住む友人が毎朝自宅から皇居までランニングしている動画をあげていて、ちょろっと火がついた。
走ってみようか。早起きして近所の公園を走ってみた。その公園はかつて米軍が摂取して飛行場になっていたところで結構広い。道路を挟んでテニスコートがある。大坂なおみも幼少の頃に通っていた。と書くと、あの公園か、と分かる人もいるだろう。
公園を半周して息が上がった。ベンチで休む。この公園は一周2キロ。東西の東部分だけだから500メートル走っただけなのに。
愕然とした。僕は20年ほど毎週土曜日にボランティアで空手を教えている。自分で教えていてなんなのだが、結構ハードである。初めて来た人の9割以上が二度と来ない。稽古の行き帰りは片道40分かけて自転車で往復なんて平気だった。
それがどうよ、キツすぎるわ。フルマラソンを走る人って超人じゃないの。
それから毎週土曜日に走ることにした。500メートル走ってはベンチにへたり込んで10分ほど休憩する。1キロ走るのに2、3回休憩した。
それからいつものように自転車で40分かけて空手を教えに行く。2時間の稽古はしつこいようだがハードである。そうは言っても途中3分ほど黙想の時間があるし、口で説明する時は体は休んでいる。
マラソンはそうはいかない。常に全身が動いている。休憩なしで公園を一周できたのはそれから何ヶ月後のことだったろう。公園をぐるぐる走るのに飽きてきた。自宅から大阪城公園を一周して帰ってくるのが約10キロ。そのコースを走ってみることにした。
休み休み、息も絶え絶えに大阪城公園の入口にたどり着く。そこから外周が5キロほどある公園を走るのだが、永遠に続くと思える。ただ市民ランナーと一緒に走るのは楽しかった。10キロを完走できたのは走り始めてから半年のことだった。この時の感激は今でも忘れられない。それまでは街中を走っている人を見ると健康のために苦行する人というイメージしかなかった。しかし走ることは楽しいのだ。移り変わる景色を見ながら走る。新しいビルを建設している、そして何周か後には新しいビルが建つ。四季を肌で感じながら走る。
金曜日の夜になると、走ることを考えるだけでワクワクした。そのために早く寝る。朝が待ち遠しい。でも走るのがつらい日もある。でもその気持ちを振り切って走り始めると気持ちが良くなってくる。帰省する時や小旅行の時は必ずシューズとランパン、ランシャツを持って行く。東京に行った時に青山墓地を走った時は爽快だった。そして市民ランナーの聖地、皇居をランニングのきっかけとなった友人と走った時は感無量だった。
その頃には20キロを走れるようになっていた。自分の実力を知りたくなり、ハーフマラソンにエントリーした。走りながら何度もリタイアしそうになる。一人で走るのとみんなと走るのではこんなに違うのか。
走り始めて一年くらいだったろうか。初めて30キロに挑戦してみることにした。大阪城近くの大川を北上するコース。高橋尚子もこのコースを学生時代に走っていたそうだ。
さすがにきつかった。自宅に着くとすぐに風呂に入って全身をマッサージした。
何回か30キロランを走った。その頃からか、フルマラソンを走ってみようと思ったのは。
そのためには42.195キロを走ってみないといけない。
秋の晴天のある日、5時に起きて6時に家を出る。
ドリンクホルダーを持ってなかったので片手にペットボトルを持ち、走る。
ペットボトルを飲み干す。淀川河川敷を京都方面に向かう。誰もいない河川敷を孤独に走る。21キロ地点で折り返す。猛烈に喉が渇く。自販機などは一つもない。公園に水飲み場があったので飛びつくようにして飲む。トイレに行ったら茶色いおしっこが出てギョッとした。苦しい。とうとう足が止まった。歩く。そして走る。歩く。その繰り返し。街中のコンビニに入って水とケーキを買ってむさぼるように食べた。42.195キロにはもう一度挑戦した。
そしてフルマラソンの当日。一万人のランナー。もちろん自己申告のタイムで後ろの方からスタート。
沿道の人からの声援が嬉しい。タイムは遅くてもいいから絶対に歩かないと決めていた。
30キロ地点では多くのランナーが座り込んだり、屈伸したりしている。誰もが30キロは走れると思う。しかし31キロからは本当に苦しい。以前淀川を走っている時、後ろから70歳代の男性に追い抜かれ、みるみるうちに背中が見えなくなった。
あの人は今でもずっと走っているのだろうか。
ああ、走っても走ってもゴールが見えない。でも絶対に歩かない。坂道を走っていくとやっとゴールが見えてきた。
前を走っているタイムキーパーさんが「あと5分で5時間ですよ!」と叫んでいる。
サブフォーならぬサブファイブか。
最後の気力を振り絞る。「クソッタレめー」
声を出すと力が出た。
脳のリミッターが外れたか。
ゴール。タイムは4時間55分。やった、完走した。
翌年も走ったが、タイムは4時間50分。一年間走って5分しか短縮できなかったか。
それからも走ったが、いつの日かパタッと熱が冷めた。それからは走っていない。
あの日、初めて走って500メートルでヘタっていたことを思い出すと、なんだかニヤケてくる。
マラソンランナー、マジすごっと思った話 2025-10-19 19:14:36
天見に行ってきた。というと大阪府民のおよそ85パーセント(当社調べ)が松原の?と答える。チッチッチ、これだからトーシローは困るぜ。
それは天美だ。私は大阪府の地の涯、もう少しで和歌山県境の河内長野の天見駅に行ってきたんである。
それも自転車で。わが愛車ルイガノで。ルイガノは中古を譲り受けたのだが、かなりあちこち走り回って今まで変速機が落っこちたり、サドルのパイプが折れたり、タイヤの溝がなくなって交換したりとかなり年期が入っている。
ある日、ネットでとあるサイクリングロードの写真を見つけた。それは旧南海高野線の廃線跡にできた道でまるで森の中のようであった。眼下には小川まで流れている。誰が名づけたのかトトロ街道というらしい。
ええやん、ここ。
これは是非死ぬ前に行ってみたい、よく聞いとけよ、にいちゃん、そのうちそのうちゆうとるうちに人間の一生なんちあっちゅう間やけんのう。チャカがなんぼのもんじゃい。オヤジのためならいつでもタマ取ってきまっせ。
というわけで出発したのが猛暑の8月だったのだが、天王寺駅に着く前に、この日のために買ったスマホホルダーに差していたiPhoneのナビアプリが音を上げた。暑いので少し休ませてください、みたいな表示が出た。
クーラーの効いたオフィスから現場に配置換えさせられた根性なしの会社員かよ。そういえば以前、奈良の天理市に行こうとナビの指示通りに走ったら自動車も避けるような鬼勾配の峠をふた山越えさせられてマジきつかった。気がきかない上に根性なしか!(いや、自分が悪いんです。すみません、ナビ様)
というわけで10月のある日。日本晴れ。暑くも寒くもなし、という絶好のサイクリング日和の朝の7時に出発した。どうせなら富田林の寺内町にも寄って行こう。天見駅まで往復80キロだから午前中には帰ってこれるだろう。今思えば甘い、甘いよ、自分。「カレーの王子さま」くらい甘いよ。ついでに「男はつらいよ」の初代おいちゃんが「バカだねえ、本当にあいつはバカだねえ」とつぶやく姿が目に見えるようだ。
とにかくPLの塔を遠目に眺めながら寺内町に到着したのが9時。寺内町は想像以上に素晴らしかった。江戸時代そのままの街並みで、ひょっこりと藤田まことが出てきそうだ。帝釈天で源ちゃんが鐘を撞いていても違和感ないようなお寺もある。吉田松陰が長逗留し、山岡鉄舟の書が残っている旧家を見物しているうちに小一時間と長尻になっちまったぜ。それから高野街道をひたすら走り、入り口まで少し迷ったが、トトロ街道は隔絶した世界のようだった。苦労してここまで来た甲斐があったってもんだ。秋の田園風景を抜けてゴールの天見駅に到着したのが2時だ。思ったより時間がかかった。さて、帰ろうとしたときに妻からメール。
「子どもが4時に学校が終わって家に帰るから眼科に連れていってください。予約してます」
ひえっ、アップダウンもある信号機もある40キロを2時間か!
それからひたすら走った。競輪選手のように走った。信号機の待ち時間がもどかしい。
水分補給のためにコンビニに三回寄った。
「禰豆子、待ってろ」
思わず炭治郎が憑依した。
大阪狭山市、堺から大和川を越え、大阪市内へ。自宅まであと8キロの時点で4時になった。
子どもに電話する。
「一人で先に病院に行っといて。受付にお父さんはあとから来るから、って」
ラストスパートで病院に駆け込む。子どもは待合室のソファーに座って雑誌を読んでいた。
その隣に倒れるようにして座り込む。
ハア、ハア、ハア
待合室にモーツァルトが静かに流れていた。
なんだか別世界…
今までの爆走が夢みたいな….
42キロを2時間20分。
「マラソンランナーってマジすげえ…」
実際に走った時よりもその凄さを実感した出来事なのでした。
ランニングにハマっていた時期があった。50代の時だ。きっかけは東京に住む友人が毎朝自宅から皇居までランニングしている動画をあげていて、ちょろっと火がついた。
走ってみようか。早起きして近所の公園を走ってみた。その公園はかつて米軍が摂取して飛行場になっていたところで結構広い。道路を挟んでテニスコートがある。大坂なおみも幼少の頃に通っていた。と書くと、あの公園か、と分かる人もいるだろう。
公園を半周して息が上がった。ベンチで休む。この公園は一周2キロ。東西の東部分だけだから500メートル走っただけなのに。
愕然とした。僕は20年ほど毎週土曜日にボランティアで空手を教えている。自分で教えていてなんなのだが、結構ハードである。初めて来た人の9割以上が二度と来ない。稽古の行き帰りは片道40分かけて自転車で往復なんて平気だった。
それがどうよ、キツすぎるわ。フルマラソンを走る人って超人じゃないの。
それから毎週土曜日に走ることにした。500メートル走ってはベンチにへたり込んで10分ほど休憩する。1キロ走るのに2、3回休憩した。
それからいつものように自転車で40分かけて空手を教えに行く。2時間の稽古はしつこいようだがハードである。そうは言っても途中3分ほど黙想の時間があるし、口で説明する時は体は休んでいる。
マラソンはそうはいかない。常に全身が動いている。休憩なしで公園を一周できたのはそれから何ヶ月後のことだったろう。公園をぐるぐる走るのに飽きてきた。自宅から大阪城公園を一周して帰ってくるのが約10キロ。そのコースを走ってみることにした。
休み休み、息も絶え絶えに大阪城公園の入口にたどり着く。そこから外周が5キロほどある公園を走るのだが、永遠に続くと思える。ただ市民ランナーと一緒に走るのは楽しかった。10キロを完走できたのは走り始めてから半年のことだった。この時の感激は今でも忘れられない。それまでは街中を走っている人を見ると健康のために苦行する人というイメージしかなかった。しかし走ることは楽しいのだ。移り変わる景色を見ながら走る。新しいビルを建設している、そして何周か後には新しいビルが建つ。四季を肌で感じながら走る。
金曜日の夜になると、走ることを考えるだけでワクワクした。そのために早く寝る。朝が待ち遠しい。でも走るのがつらい日もある。でもその気持ちを振り切って走り始めると気持ちが良くなってくる。帰省する時や小旅行の時は必ずシューズとランパン、ランシャツを持って行く。東京に行った時に青山墓地を走った時は爽快だった。そして市民ランナーの聖地、皇居をランニングのきっかけとなった友人と走った時は感無量だった。
その頃には20キロを走れるようになっていた。自分の実力を知りたくなり、ハーフマラソンにエントリーした。走りながら何度もリタイアしそうになる。一人で走るのとみんなと走るのではこんなに違うのか。
走り始めて一年くらいだったろうか。初めて30キロに挑戦してみることにした。大阪城近くの大川を北上するコース。高橋尚子もこのコースを学生時代に走っていたそうだ。
さすがにきつかった。自宅に着くとすぐに風呂に入って全身をマッサージした。
何回か30キロランを走った。その頃からか、フルマラソンを走ってみようと思ったのは。
そのためには42.195キロを走ってみないといけない。
秋の晴天のある日、5時に起きて6時に家を出る。
ドリンクホルダーを持ってなかったので片手にペットボトルを持ち、走る。
ペットボトルを飲み干す。淀川河川敷を京都方面に向かう。誰もいない河川敷を孤独に走る。21キロ地点で折り返す。猛烈に喉が渇く。自販機などは一つもない。公園に水飲み場があったので飛びつくようにして飲む。トイレに行ったら茶色いおしっこが出てギョッとした。苦しい。とうとう足が止まった。歩く。そして走る。歩く。その繰り返し。街中のコンビニに入って水とケーキを買ってむさぼるように食べた。42.195キロにはもう一度挑戦した。
そしてフルマラソンの当日。一万人のランナー。もちろん自己申告のタイムで後ろの方からスタート。
沿道の人からの声援が嬉しい。タイムは遅くてもいいから絶対に歩かないと決めていた。
30キロ地点では多くのランナーが座り込んだり、屈伸したりしている。誰もが30キロは走れると思う。しかし31キロからは本当に苦しい。以前淀川を走っている時、後ろから70歳代の男性に追い抜かれ、みるみるうちに背中が見えなくなった。
あの人は今でもずっと走っているのだろうか。
ああ、走っても走ってもゴールが見えない。でも絶対に歩かない。坂道を走っていくとやっとゴールが見えてきた。
前を走っているタイムキーパーさんが「あと5分で5時間ですよ!」と叫んでいる。
サブフォーならぬサブファイブか。
最後の気力を振り絞る。「クソッタレめー」
声を出すと力が出た。
脳のリミッターが外れたか。
ゴール。タイムは4時間55分。やった、完走した。
翌年も走ったが、タイムは4時間50分。一年間走って5分しか短縮できなかったか。
それからも走ったが、いつの日かパタッと熱が冷めた。それからは走っていない。
あの日、初めて走って500メートルでヘタっていたことを思い出すと、なんだかニヤケてくる。
マラソンランナー、マジすごっと思った話 2025-10-19 19:14:36
天見に行ってきた。というと大阪府民のおよそ85パーセント(当社調べ)が松原の?と答える。チッチッチ、これだからトーシローは困るぜ。
それは天美だ。私は大阪府の地の涯、もう少しで和歌山県境の河内長野の天見駅に行ってきたんである。
それも自転車で。わが愛車ルイガノで。ルイガノは中古を譲り受けたのだが、かなりあちこち走り回って今まで変速機が落っこちたり、サドルのパイプが折れたり、タイヤの溝がなくなって交換したりとかなり年期が入っている。
ある日、ネットでとあるサイクリングロードの写真を見つけた。それは旧南海高野線の廃線跡にできた道でまるで森の中のようであった。眼下には小川まで流れている。誰が名づけたのかトトロ街道というらしい。
ええやん、ここ。
これは是非死ぬ前に行ってみたい、よく聞いとけよ、にいちゃん、そのうちそのうちゆうとるうちに人間の一生なんちあっちゅう間やけんのう。チャカがなんぼのもんじゃい。オヤジのためならいつでもタマ取ってきまっせ。
というわけで出発したのが猛暑の8月だったのだが、天王寺駅に着く前に、この日のために買ったスマホホルダーに差していたiPhoneのナビアプリが音を上げた。暑いので少し休ませてください、みたいな表示が出た。
クーラーの効いたオフィスから現場に配置換えさせられた根性なしの会社員かよ。そういえば以前、奈良の天理市に行こうとナビの指示通りに走ったら自動車も避けるような鬼勾配の峠をふた山越えさせられてマジきつかった。気がきかない上に根性なしか!(いや、自分が悪いんです。すみません、ナビ様)
というわけで10月のある日。日本晴れ。暑くも寒くもなし、という絶好のサイクリング日和の朝の7時に出発した。どうせなら富田林の寺内町にも寄って行こう。天見駅まで往復80キロだから午前中には帰ってこれるだろう。今思えば甘い、甘いよ、自分。「カレーの王子さま」くらい甘いよ。ついでに「男はつらいよ」の初代おいちゃんが「バカだねえ、本当にあいつはバカだねえ」とつぶやく姿が目に見えるようだ。
とにかくPLの塔を遠目に眺めながら寺内町に到着したのが9時。寺内町は想像以上に素晴らしかった。江戸時代そのままの街並みで、ひょっこりと藤田まことが出てきそうだ。帝釈天で源ちゃんが鐘を撞いていても違和感ないようなお寺もある。吉田松陰が長逗留し、山岡鉄舟の書が残っている旧家を見物しているうちに小一時間と長尻になっちまったぜ。それから高野街道をひたすら走り、入り口まで少し迷ったが、トトロ街道は隔絶した世界のようだった。苦労してここまで来た甲斐があったってもんだ。秋の田園風景を抜けてゴールの天見駅に到着したのが2時だ。思ったより時間がかかった。さて、帰ろうとしたときに妻からメール。
「子どもが4時に学校が終わって家に帰るから眼科に連れていってください。予約してます」
ひえっ、アップダウンもある信号機もある40キロを2時間か!
それからひたすら走った。競輪選手のように走った。信号機の待ち時間がもどかしい。
水分補給のためにコンビニに三回寄った。
「禰豆子、待ってろ」
思わず炭治郎が憑依した。
大阪狭山市、堺から大和川を越え、大阪市内へ。自宅まであと8キロの時点で4時になった。
子どもに電話する。
「一人で先に病院に行っといて。受付にお父さんはあとから来るから、って」
ラストスパートで病院に駆け込む。子どもは待合室のソファーに座って雑誌を読んでいた。
その隣に倒れるようにして座り込む。
ハア、ハア、ハア
待合室にモーツァルトが静かに流れていた。
なんだか別世界…
今までの爆走が夢みたいな….
42キロを2時間20分。
「マラソンランナーってマジすげえ…」
実際に走った時よりもその凄さを実感した出来事なのでした。
2025年12月1日月曜日
登録:
コメント (Atom)
回顧を兼ねた書評 令和二年三月
インドでわしも考えた https://t.co/GyLfMXrbgj
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) September 7, 2024
孤独な鳥はやさしくうたう https://t.co/Iw3qCDUjI1
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) September 5, 2024
『文章のうまさと疾走感』
— ドリアン長野 (@duriannagano) March 17, 2020
⇒ https://t.co/sADLCZaVaq #アメブロ @ameba_officialさんから
僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。
管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子でケアンズ旅行。
ブロガー版ドリアン長野のランニングな日々: ドリアン長野のインド旅行記 https://t.co/oFoBlUlthn
— ドリアン長野 (@duriannagano) September 15, 2019
ブロガー版ドリアン長野のランニングな日々: 実質的に完了した海外旅行記【夏が来れば思い出す】(タイ) https://t.co/h8F7sK6Mgu
— ドリアン長野 (@duriannagano) September 23, 2019
ランニングについての投稿
ブロガー版ドリアン長野のランニングな日々: ドリアン長野のランニングな日々 令和二年十月 https://t.co/9RpDExFD71
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) October 3, 2020
恋人たちの予感 https://t.co/3vf58erLuS 10キロを1時間内で走るには1キロ6分で走らなければならない。一流ランナーなら3分台で走る。
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) November 13, 2020
自己ベストは3年前(2017年)の52分。今の自分は彼らから見ると亀のような1時間6分前後。
来年は60歳。いつも挑戦するジジイになりたい。
ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花
