2026年2月21日土曜日

令和七年から令和八年の海外旅行記 #2 その5からその13







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令和七年の年末から令和八年の年始にかけての海外旅行記 その1からその4並びに特別編


その5 2026-01-22 18:44:48

「大仏見たかったのに」と娘。僕はいままでバンコクには10回以上来ているが仏像を見学したのは一回だけ、新婚旅行の時だ。仕方ない、タークシンまで行き、ボートでチャオプラヤー川を渡り対岸にある巨大モール「アイコンサイアム」へ。このモールは2018年にオープンしているので11年前にバンコクに来た時はまだできていなかった。

ものすごく賑わっている。バンコクにはモールが多数存在するが、一番洗練されているのではないか。目当ては7階にあるスタバだ。テラス席はチャオプラヤー川に面していて夜景が美しい。しかもその日はモールが主催したのだろうか、一階にある広場でタイ人ロックバンドが無料ライブをやっていて大勢のファンが歓声を挙げている。
夜景をバックに巨大スクリーンに映るタイでは有名(多分)ロックバンドを観ながら飲むフラペチーノは格別である。それでもこれが最後のバンコクになるだろうな、と頭の隅でぼんやりと考える。

VIP気分に浸った後、観光客たちとシャトルボートで対岸に戻る。料金は40円だった。そこから歩いてナイトマーケットに行くことにした。
バンコクにはいくつかのナイトマーケットがあるが、そのマーケットはどでかい観覧車で有名だ。夜中に海外の街を歩くのはワクワクして楽しい。娘は日本にいる時でも散歩しに行こうと誘う。ただ必ず夜なのだ。昼間に知り合いに会うと気まずいらしい。

娘のスマホ検索に任せて40分でナイトマーケットに着いた。
思ったより閑散としていたが、観覧車に近づいていくと人が増えてきた。娘はマーケット内にあるスーパーで学校の友だちの土産物を物色してからタクシーアプリでカオサンまで行く。さすがにタクシーで寝ていた娘だが、カオサンで降りて歩いていると、「眠気が吹っ飛んだ」と言う。

真夜中に近いのにカオサンは欧米の観光客で賑わっている。ロックを大音量で流し、オープンバーでレディーボーイが踊り、屋台はあちこちで呼び込みをしている。歩くのも困難するほどの人いきれだ。なぜか娘はこの喧騒が気に入ったようだ。

Esimの残量が少なくなってきたのでWi-Fiの飛んでいる「バーガーキング」に入り、ネットで追加分を購入。バンコクに来たのに一度もタイ料理を食べていない。

さすがにもう帰ろうと大通りに出ると、道端で出稼ぎのタイ人がずらっと寝ている。東北部のイサーン地方から来た人たちだろうか。ホテル代を節約し、もしくはその持ち合わせもないのだろう。カオサンの狂瀾とは対照的だ。

民主記念塔の近くでタクシーを拾う。かなり走ってホテルの近くまで着いたと思ったらまた引き返して大通りに出る。僕の勘違いだったかと思っているとまたホテルの近くに着く。再びバックして幹線道路に戻った。さすがに道に迷っていると気づいた。空港から行く時もそうだったが、本当にわかりにくいホテルらしい。三度目、ホテル近くの線路に着いたときにタクシードライバーに「ここでいい」と降りる。

線路沿いに歩いてホテルに帰館したのが1時半、われわれは2時に寝た。

それでも僕は5時に、娘は5時半に起きた。いつもは登校時間ギリギリまで寝ているのだがアドレナリンが出ているのだろうか。

空港で食事をしようと6時過ぎにはホテルをチェックアウト。タクシーで20分で空港に着き、フライト3時間前に着いた。空港でタイ料理をテイクアウトして搭乗ゲート前の席で食べる。バンコクに来て最初で最後のタイ料理。9時半スワンナプーム空港出発。

いよいよ中東だ。6時間でアブダビ空港に着いた。リヤド行きの乗り継ぎは1時間もない。期待と緊張感が高まる。しかし、ここで痛恨のミスを犯してしまったのだ。


管理人マーキュリーマークからの伝言

2018ー11=2007
ドリアン長野は平成19年こと2007年にタイランドに新婚旅行で訪れたけども令和八年こと2026年の11年前の時期に該当する2015年にタイランド旅行した訳ではありません。これは曲解を招く恐れがある。
 どこかの誰かは平成27年十月にバンクーバー旅行してました。
名門小学校の文章問題に匹敵する難しさかもしれない。ただ、厳しいのは最後のバンコク旅行になるやもしれないと考えられたことでしょうか?
国際的にバーガーキングは人気があります。日本国内では小型も販売されてます。 良い意味で娘さんに任せる部分はあったようです。
 日本と海外では時差があります。


その6 2026-01-26 18:55:22NEW !

飛行機の窓からは砂漠が延々と続いている。アブダビはアラブ首長国連邦の首都であり、ザイード国際空港は世界一美しい空港とも呼ばれているらしい。
14時過ぎに到着。前方の座席の人たちが降りるのを待ち、立ち上がって荷物棚を見るとリュックがない。あれ?と思い、座席の下を探したが、そこにもない。一瞬バンコクの空港に忘れたか、と思ったがあんな大荷物を忘れるはずがない。すでに乗客は全員降りている。慌てて昇降口にいるCAに「荷物がない」と言うと、驚いてわれわれの座席を探す。
棚には何も荷物は残っていない。ふと見ると、開いている棚の隣に小さな収納棚がある。開けてみるとリュックがあった。
ホッとしたのもつかの間、CAが急いでください、と言う。すぐに、降りてシャトルバスに二人だけ乗り込み、空港に着くと娘がトイレへ行きたい、と言うので僕もトイレへ。まだこの時点で事の重大さをわかってなかった。先にトイレから出て待っていたが、娘はなかなか出てこない。

さすがに焦ってきた。やっと出てきた娘とゲートまで走る。ハブ空港なのに閑散としている。息を切らせてゲートに着くと、入口で仁王立ちの職員が言った。

「20分前に締め切りました」

「へ?…ということは乗り遅れ?」

少ししてタイ人と思しき女性が駆けつけてきて締め切りと言われ、呆然としている。手には大きな段ボールを持っていた。預け荷物が出てくるのを待っていて遅れたのだろう。とすると彼女は不可抗力、われわれはただのおマヌケと言っても過言ではないと言っても過言ではないだろう。

どーすんのよ、あたしたち。

トランジットサービスに行ってくれ、と言われてわれわれ三人はだだっ広い空港の二階に連れて行かれた。

パソコンをカタカタさせている職員に「ソファーに座って待ってくれ」と言われる。
もしかしたら払い戻し、もしくは代替え便を用意してくれるかもと一縷の望みを持ち、待つこと30分。職員が来て言った。

「乗り継ぎ時間が45分あったので賠償はできない」

あ"〜、あの時リュックにすぐ気づいておけば、あの時トイレに行かなかったら、と悔やんでも覆水盆に還らず、だけど正月には帰る、などとこんな時に限ってバカなことが頭に浮かぶ。

戦友だと勝手に思っていたタイ人女性はすぐにカウンターでチケットを買って戦線離脱。
はっ、こうしている場合じゃない。僕も格安チケットをスマホで検索しようとしたがなぜかWi-Fiが繋がらない。こういう場合頼りになるのは岡倉文子。

すぐに電話する。

「リヤド行きの飛行機に乗り遅れちゃって、乗り継ぎ時間が短かったから20は人くらい乗り遅れてた(嘘)。チケットとってくれない?」

妻は驚いただろうが、すぐに「探すわ」と電話を切る。待つこと1時間。スマホにチケットが送られてきた。

二人で6万円。痛い出費である。時間があるが少しだけ空港をウロウロして今度こそ乗り遅れないように大人しくゲートで待つ。

こうしてわれわれは予定の7時間遅れの22時にやっと念願のリヤドのキング・ハーリド国際空港に到着したのである。
先にスマートゲートで顔写真と指紋を取り、娘を待っていると駆けつけてきて「トイレに行こうかと思ってたのに」と言う。

「トイレなら荷物検査のあとでもあるよ」

「そういうことじゃなくて」


管理人マーキュリーマークからの伝言

無事に到着して良かった。私は関空からの直行便でYVR(バンクーバー国際空港)に行ったのみですので経由便や乗継便は利用してませんが同情します。海外旅行保険に加入していても自己都合で乗り遅れたか?ホテルの送迎バスは一長一短ですが好ましく思う人はおられますね。やはり、高値なのと他の乗客の待機は不可避でした。テレビが利用出来なかったので私は受付に連絡しましたがドリアン長野はそうしなかったようです。

 赤の他人のクセに上から目線で白々しく毎日フェイスブックのタイムラインに詰問してきたストーカーは楽しい海外旅行の障害になります。
日本人で無駄話を好むテイカーに絡まれてると移動中でも詰問されて円滑な旅行の妨害になるので皆様、警戒してください。仕事の邪魔をして喜ぶ人に匹敵する位に不要です。海外旅行の試練を述べる書籍は販売されてるがそれは帰国後のお話であって旅人に対する過剰な干渉は辞めるべきです。 責任は問われる。

何度も詰問して円滑な旅行を妨害して飛行機に乗り遅れても「影響を与えることはあっても責任は取りません。」と開き直る恒常的加害者はいるやも? ヘタしたら悪人は「返答が遅いのが悪い。」と無理強いか?
飛行機の離陸前に着席しないと大変です。私がカナダからの帰国便に着席したのは約40分前です。


その7 2026-01-28 14:42:48NEW ! テーマ:ブログ

「どういうこと?」

「わたし、アルコール入りのティッシュ持ってるからトイレに捨てようと思っててん」

サウジアラビアは最も入国審査が厳しい国のひとつであると多くのガイドブックに書かれている。アルコール製品、豚肉(カップラーメンに入っている乾燥ポークなども駄目)、裸の写真や動画(水着写真も不可)、〇薬の持ち込み、密売などの最高刑は死刑だ。薬も医師の処方箋が必要(英語かできればアラビア語で)、特に向〇神薬は〇薬と間違えられやすいので注意が必要らしい。アルコール入りティッシュは極端だとしても、思わず映画「ミッドナイト・エクスプレス」が頭に浮かぶ。アメリカ人大学生が〇薬を体に隠してトルコから出国しようとする冒頭は非常に緊張感があった。
 それにサウジアラビアでは去年だけで300人以上の死刑が執行されたと聞く。何も不審物は所持していないので大丈夫だと思うがドキドキする。
 入国に時間がかかるんじゃないだろうか。とびびっていたのだが、特に何も調べられることもなく、保安検査場をあっさり通過。
2018年、女性の自動車の運転が解禁された。 2019年、女性が男性の許可なく海外旅行できるようになり、女性が家族以外の男性と同席しないよう、飲食店に義務付けていた男女別々の入り口を廃止した。これらはムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサウジアラビアをより開かれた国にする取り組みの一貫として実施された。近年サウジは改革が進められている。これも宥和政策の一つだろうか。
妻がホテルの住所やアクセスをプリントアウトしてくれたが、リュックを隈なく探してもその紙がない。帰国後にスマホにも入っていることに気づいたが、その時はすっかり忘れていた。
仕方ない。最寄りのメトロ駅の名前は覚えていたので、とにかくメトロに乗って行ってみることにした。リヤドのメトロは最新式で世界最長の無人運転、改札はクレカのタッチ決済が使えて便利だ。車両内の行き先表示はデジタルで近くの駅が近づくと駅名がポップアップするのでわかりやすい。

駅に着くとメトロのブース内にいたニカブを着用の女性にこの駅の近くにあるホテルがわからないんですがと言う。
アバヤはムスリマが着用する、黒色で全身を覆う長袖のローブ状の伝統衣装。ニカブはさらに顔を覆い、目元だけ出す。

彼女はブースから出てきた。他の男性職員も五人ほど集まってきた。

ホテルの名前は長ったらしかった。うろ覚えで「え〜と、ドレ、ドラール…」

え〜と?とみんなが考える。

女性が「Dorar Darea serviced apartment ?」

「そう、それです!」

彼女は僕の名前を聞いてホテルに電話してくれた。間違いないと言う。

「ありがとうございます!シュクラン!あなたのお名前を伺ってもよろしいですか」

「どうして?」

「生きている限り、あなたの親切を忘れないためです」

彼女はニコッと笑い、「私はサリマです」

「こっち」と言われてメトロを出るとタクシーが待っていた。彼女が呼んだのだろうか。
僕のサウジに対する好感度はマックスである。僕も機会があったら日本のインバウンドに親切にしよう。

タクシードライバーは「俺はパキスタン人だ。またタクシーを利用するなら電話してくれ」と電話番号を書いたメモをくれた。

1時にチェックイン。まあまあ広い。大きなテレビモニターがあるがつかない。アパートメントタイプなので小さなシンクと調理用具がある。
(省略)
サウジアラビアに対する恐れはもはやなかった。サウジアラビアに来てよかった。


 管理人マーキュリーマークからの伝言

 海外旅行する場所は具体的に決断するべき。
 渡航する一ヶ月以上前に海外旅行案内書を読んでどこに行くかを決めたなら旅先についてメモ書きすべきです。 予約を済ませたホテルの名称はある意味、その筆頭です。各国毎に法規制は異なる。日本で外国人観光客で困ってる人がいたら助けるようにしましょう。 黄金律を否定する人は社会的にも否定される。
 旅行代理店でフリープラン等の旅行商品を選ぶか、自由ながら自己責任の自主手配の海外旅行を選ぶかは問われてます。 訪問する外国を一か国のみにして到着した国際空港に近いホテルを拠点に公共交通機関で移動する旅行をするか、一度の旅行で何度も飛行機に乗って複数の国々を渡航するか否かも自由です。

繰り返すようですが出国前に滞在するホテルの予約は済ませましょう。「発音が悪い。」と現地で思われない部分も重要ですけど就寝時間に宿を探すのは避けるべきです。宿泊所の名称は紙に書いて用意しておきましょう。


 その8 2026-02-05 22:26:34NEW !

7時半に起きてシャワーをし、10時にホテルを出た。せっかくだから歩いて街を観察する。
ここらへんは結構な邸宅があり、閑静な田舎町だ。
30分歩いてメトロ駅の近くに来ると、幹線道路の前まで来た。前を歩いていたおじさんが手招きしてきた。手招きされた場所に行くと、やがてマイクロバスが到着し、おじさんが乗れ、とこれまた手招きする。事情がわからないがバスに乗る。
バス内には五、六人乗っていた。ドライバーはスマホで長い間しゃべっていたが、やがて発車。バスは駅と方向違いに走り出し、「これって大丈夫なのか」と思ったがやがて道路の分離帯をUターンし、駅に着いた。有料か?と思ったが無料だった。
よくわからないまま、駅構内を歩いていると青年に「ホテル?」と声をかけられた。彼は昨夜、駅で集まってくれた一人だ。「ホテルは見つかった?」と聞いてくれているのだ。彼はネパール出身だそうだ。「昨日はありがとうございました。ハッピーニューイヤー!」と言って別れる。
 東南アジアのある国では何度も騙されたり、ぼったくられたりしたが、この国は豊かなんだと思うと警戒心がほぐれてくる。

今日は娘の一番の関心である、クリロナが所属するアル・ナスルFCのホームスタジアム、アル・アウワル・パークを目指すことにする。サウジアラビア初の大学、キング・サウード大学に隣接するらしい。
キャンパスは広大だ。娘のスマホ検索に従って歩く。暑くもなく寒くもなく、晴天で湿気もない。 
昨日食事したのはいつだっただろう。さすがに空腹感を覚え、途中でスーパーマーケットを見つけたのでチョコレートやバナナ、人参、ジュースを買って歩きながら食べる。

一時間ほど歩いたところで校門らしき場所に来た。運良くタクシーが通りがかったので乗り込む。幹線道路をぶっ飛ばす。道路標識にメッカまで何十キロと書いてある。メッカにはイスラム教徒以外は周辺に近づくこともできないので、迂回することになる。20分ほど走ってスタジアムに着いた。こりゃ、歩いては行けないわ。ドライバーは「帰りはどうする?」と言うので「スタジアムを見てからディルイーヤ遺跡に行きたい」。
「わかった。待っている間の料金は発生しないから」。

娘は「テンション上がってきた」と嬉しさを隠しきれない様子。スタジアムの中には入れないが、一周しながら、「この道をロナウドが歩いたかも」と興奮している。親としてもそこまで喜んでくれたらサウジまで来た甲斐があるというもの。途中でトイレに行きたい、と言うので近くにある小児科病院でトイレを借りる。サウジアラビアの公立病院は医療費が無料だ。子どもを抱き抱えたお母さんたちが受付で列を成していた。

ディルイーヤ遺跡はユネスコ世界遺産で、第一次サウード王国の首都として栄えた歴史的な都市遺跡であり、サウジアラビア発祥の地である。
タクシーが街中に入っていくと明らかに雰囲気が違う。ホテルやレストランが増え、観光客らしき人々があちこちで歩いている。華やかな感じだ。

QRコードでチケットを購入する。場内にはレストラン、カフェ、公園などがあり、遺跡を模し建物がある。奥に行くとサウジアラビアの歴史ビデオがあり、無料のミネラルウォーターが置いてある。なんだ、こんなもんか、と帰ろうとしたが、向こうに渡る坂道があり、そこを歩いていくとカスバのような細い道があり、両側には伝統的な泥レンガ造りの宮殿や建物が修復・保存されて建っている。これはすごい。この開発プロジェクトはまだまだ続くそうで広大な土地が修復中だった。完成したらすごい景観になるだろう。カンボジアのアンコールワットの次くらい感動した。

帰りはタクシーで最寄りのメトロまで行き、リヤド市内に戻る。サウジは車社会であり、娘はちょっとしたことでクラクションを鳴らしていることに驚いていた。サウジでは危険を避けるために気軽にクラクションを鳴らすので日本のように激高してトラブルになることはないだろう。

歩いてすぐのマスマク城へ。歴史写真、絵画、武器、防具、当時使われた古い銃、剣、火薬、生活用具、美術品などの展示物があり無料である。
夜になると城壁にプロジェクトマッピングが映される。この前に広場があり、かつては金曜日の礼拝後に公開処刑が行われたそうだ。

広場に面してモールがあり、入ってみると所狭しと貴金属や服、デーツ、香木などの店が櫛比している。まるで大阪の本町にある船場センタービルのような昭和の匂いがする。私はこういう場所が大好きなのだ。娘も好きだと言う。一日中いたいくらいだ。ちなみに妻は全く理解できないそうだ。

夕方になると寒くなってくる。広場のレストランやカフェではかがり火を焚き、オープンカフェでアラビアコーヒーを飲んでいる。片隅に古くて小さなカフェがあったのでホットチョコレートを注文した。アジア系の青年がキビキビと働いている。娘に「あの人、よく働いているね」
「うん」と娘。

 ホットチョコレートは素晴らしく美味しかった。 もし万が一、サウジにもう一度来ることがあれば、この小さなカフェを再訪したい。

広場はオレンジ色のライトで照らされている。
19時、アザーンが流れてきた。広場に響く朗々たるアザーンは私の魂を揺さぶった。この国の人々は信仰によって生きているのだ、ということが百万言の言葉よりもよくわかった。

今でもあのアザーンを思い出すたびに胸が震える。

  

管理人マーキュリーマークからの伝言

 予想外の名店の利用も楽しめますが目的地があるならば出国前に調べておきましょう。 自動車で20分と歩いて20分は大違いです。
遺跡を見るにはQRコード。過去と現在が混在してる部分はご理解願いたい。 現金払いは否定されつつあるのか? 海外で立ち寄った飲食店等でおいしい食事や飲み物が買えたなら良き思い出になりますね。
日本と外国の比較も重要ですが人によっては旅してきた外国と外国を比較して旅行を楽しまれるようです。


 その9 2026-02-10 18:02:11NEW !
近くの公園に人だかりがしている。行ってみると公園のあちこちでアバヤやニカブの女性たちがベンチや東屋や、もしくは地面にシートを敷いてコーヒーと菓子でおしゃべりをしている。200人はいるだろうか。忘年会?と思いAI先生に聞いてみた。

【2020年代のサウジアラビア、特に首都リヤドでは、社会改革(ビジョン2030)の進展により、女性たちが夜の公園やカフェで友人とおしゃべりする姿が日常的な風景となっています。リヤドの夜の公園や公共スペースにおける女性の様子は、以下のような特徴があります。

安全と環境: リヤドは一般的に犯罪率が低く、特に夜間の公園や、ディプロマティック・クォーター(外交官地区)のような場所は非常に安全です。深夜であっても、女性たちが公園のフードトラックのそばでパスタを食べたり、コーヒーを飲みながらおしゃべりを楽しんだりしている姿が見られます。

社会活動の多様化: 「リヤド・ウォーク」のような場所では、女性たちがコミュニティを形成し、散歩や会話を楽しんでいます。2018年の改革以降、女性の車運転が解禁され、アバヤ(黒い衣服)の着用義務も緩和されたため、以前よりも自由に夜の外出を楽しめるようになっています。
賑わう時間帯: リヤドの夜は遅くまで賑わっており、1日5回の礼拝が終わる午後8時以降、飲食店や公園は社交的な人々であふれます。服装と社交: 多くの女性は依然としてアバヤを着用していますが、その下はカジュアルな服装が多く、顔を隠すニカブの着用は個人の自由になっています。

専用エリアの存在: 公園や商業施設では、女性や家族連れが快適に過ごせるような専用エリアが整備されており、安心して社交を楽しめる環境が整っています。
夜の公園で楽しそうにおしゃべりする女性たちの姿は、急速に変化し、女性の社会進出が進む現代のサウジアラビアの象徴と言えます。 】

なるほど。さらにわれわれはキングダムセンターに行くことに。建設当時はリヤド最高のタワーだったが建設ラッシュで現在では五番目になっている。栓抜きのような形をしたユニークなビルだ。
最寄りのメトロで降りてビルのに入るとモールがあり、エスカレーターで上っていくとその上のためのエスカレーターもエレベーターもない。展望台は99階のはずだが。
何人もの人に聞いたが、誰も知らないようだ。
ウロウロして聞いてもみんな、てんでばらばらなことを言う。

仕方ない、時間も時間だし、明日出なおそう。夕食を食べようと思ったがレストランは順番待ちだし、周辺にはレストランは見当たらないので外にある近くのマクドに入ることにした。二人用の個室にはカーテンがかけられるようになっている。サウジのマクドは当然ポークはない。われわれは個室でバーガーを食べながら、この旅でサウジ料理を口にすることができるんだろうかと思っていた(この危惧は当たった)。

ホテルの最寄り駅Ar Rabbiで降りる。ホテルに帰るには道路を渡る必要があるが、前述したように大規模工事中である。僕のスマホは追加のeSimの設定がまずかったのかギガ数がなくなりそうなので娘のスマホの検索に従うことにする。

駅から道路と並行に歩いていく。任せたのはいいが一抹の不安である。歩行者がいないので街灯はなく、行き交う車のヘッドライトのみが頼りだ。20分ほど歩き、ここを横断したら近道だ、と娘が言う。四車線ある高速道路並みの自動車道は車がものすごい勢いで走っている。道路の端で左右を確認し車が少しの間、途切れた瞬間を見計らい、「今だ!」と手をつないで中央分離帯まで一気に走る。腰の高さまである分離帯を越え、また一瞬の隙をついて反対側へ。

「これこそバックパッカーやなあ」と娘。なんだか嬉しそうである。

それから40分ほど娘の指示に従って歩く。もう近くだ、と娘。そのうち、あるメトロ駅に行き当たった。ここで僕は道を間違えたと確信。妻がプリントアウトしたホテルの最寄り駅はAr Rabbiだったが、この駅が最寄り駅なら、そう書いてあるはずだ。「この道をまっすぐ」と娘。

不安な気持ちで10分ほど歩くと見覚えのあるホテルが。

「ここだ!」と思わず声が出た。
1時前。娘のスマホの充電残量はあと4パーセントだった。
娘を大いに褒めたのは言うまでもない。


管理人マーキュリーマークからの伝言

始めて赴く外国は地元ではないです。ホテルから観光地に赴いて如何にして戻るのか?私も同じような体験をしてますが時差ボケもあって朦朧としてる状態で海外の町を歩くと地元の町を散歩するのとは全く違う苦しみを体験します。路上で倒れなくて良かった。
帰宅方法についても理解しましょう。
良い働きをした娘さんは立派です。親御さんが保護者なので率先して対応しないといけないでしょうけれども渡航すると激変に至って危険です。

日本の正午はサウジアラビアの午前6時。法令順守と申しましょうか信号は守るべき。土地勘が無い町を歩き続けるのを余儀なくされる海外旅行。皆様、治安が悪い町を避けるように交通量が多い危険な道も避けて下さい。

 その10 2026-02-13 21:46:13NEW !
大晦日。
6時に起きる。娘は9時に起きてきた。久しぶりの睡眠確保だ。10時にホテルを出て駅まで歩く。駅の手前の幹線道路に急拵えのバス停留所があった。張り紙には「駅前の工事のため、24時間運行のシャトルバスが15分ごとに出発します」と書いてある。なんだ、昨日のミニバスは地元民のためのシャトルバスだったのか。それがわかってたら昨夜危険を犯して道路を横断することもなかったのに。
メトロに乗っていると娘が「カフドに行かないの?」と言う。
「何それ?」
「リヤドで最先端の街」
再びAI先生に聞いてみる。
【KAFD(キング・アブドラ・フィナンシャル・ディストリクト)は、サウジアラビアのリヤドにある世界的な金融・ビジネスのハブとなる複合都市開発です。1.6平方キロメートルの敷地に95以上の未来的なタワー(PIFタワー等)が集結し、サウジビジョン2030の一環として、持続可能性と最先端インフラを誇る「職住遊」一体型のスマートシティとして機能しています。 】
なるほど。さらに調べてみると、
「KAFDは、最先端の物理的およびデジタルインフラを備えた象徴的なビジネスとライフスタイルの目的地です。世界をリードする25以上の建築会社によって設計された驚異的な建築物であるKAFDには、現在95のタワーがあり、リヤドのスカイラインを再形成しています。KAFDは160万平方メートルの面積に広がり、競争力のあるビジネスエコシステムと活気に満ちたライフスタイル体験を提供しています。KAFDは、持続可能性の世界的リーダーとして認識されているUSGBC (U.S. Green Building Council)の最高認定であるLEEDプラチナ認定を取得する世界最大の開発です。」
というなんだかすごい街らしい。というわけで急遽下車。駅前は正に人工的な街で下町的な要素は皆無だ。丸の内・大手町という感じ。日本の都心と違うのはユニークな形のビルがバンバン建っていること。駅自体もアートな建築物だ。こんな場所に食事する場所があるのか、とウロウロしていると芝生があり、レストランやカフェが集まっている一画があった。アメリカンメキシコ料理というレストランがあったので入ってみる。
1時になるとエリート社員たちがランチをしに入ってきた。中東はヒジュラ暦(預言者ムハンマドがメッカからメディナへの移住「ヒジュラ」した西暦622年を元年とする純粋な太陰暦)なので皆、普通に働いている。娘も文化習慣の違いに驚いた様子だ。注文したのはハンバーガー、フレンチフライ、コーラのセット(サウジ料理が食べたい)。
無料の国立博物館に行く。展示物が膨大で見応えがあるが時間がないので駆け足で見て回り、クリロナと並ぶ娘の関心事であるリヤド最大のモスク、アルラジグランドモスクへ行く。このモスクは男女合わせて二万人以上が礼拝できるらしい。
駅から降りて歩いていく。4時前、礼拝後のムスリムたちが出てきたところだ。その数の多さに圧倒されたのか、「私たち場違いじゃない?」
ここまで来て今さら何を言う。
このモスクは無料のガイドツアーがある。モスクに入っていくとスリランカから来たというおじさんが声をかけてきた。隣にいた人が、この人は有名人なんだ、と言う。イマーム(導師)らしい。そのおじさんはfacebookをやっていますか?と聞く。スマホを渡すと自分の名前を打ち込んで、「私にアクセスしてコメントしてください」と言って別れた。残念ながらタップミスで彼の名前を消してしまった。
娘はアバヤを借りて服の上から着た。嬉しそうだ。だが、ホグワーツの制服にしか見えない。黒縁メガネがあれば完璧だ。

ソファーに座って説明を受ける。テーブルにはミネラルウォーター、お菓子がずらっと並べてある。
「ここにある物は全て無料です」

10分ほど説明を受けてから、アメリカ人の中年女性や香港から来たという母親と息子のグループが二階にやって来たので「ちょっと待っていてください」と言って、彼らに話しかけに行った。
その時、娘が言った。「弱虫」


 管理人マーキュリーマークからの伝言
 海外の場合、日本と違って長さをマイル(1マイルは約1600m)で計算する事がございます。私もカナダでメキシコ料理を食べましたが旅先で食べたいと思った食品を食べれなかった思い出を持つ人は多い。 海外でも出会った人はフェイスブックで友達になれます。善人と知り合えると幸せで、時々、連絡があります。
 「あいつ、こんな悪い奴なんだぜ。」といった具合に悪口を言い続ける人は社会的に期待されないから暇で人に迷惑をかける。
平成20年代は出会ってなくても強制的に連絡してくる人がいたので困りました。目的が犯罪の幇助も含まれてたからか防犯上、危険な質問もしてきたし抗議しても逆上し謝罪せずに開き直る人がいて気分を害しました。
 娘さんとの親子での海外旅行は楽しめてるようです。 奥さんが病気ではなく家族で渡航されたら楽しみは倍増だったのでしょうか?
円安もあって旅費も平成の時期と比較したら倍増?説明の部分については省略しました。

 その11 2026-02-16 18:22:52NEW !

「え?なんで?」

「仏教徒って言われた時に何でクリスチャンですって言わなかったの?」

「いや、イスラム教とキリスト教の論争をしに来たわけじゃないから」

「関係ないでしょ。ただ僕たちはキリストを信じてます、って言うだけでしょう?」

なるほど。弱虫と言われたことは少しショックだったが、娘は小さい頃から正義感が強いところがあった。僕自身、心の底で論争になることを恐れていたかもしれない。そして父親に「弱虫」と言える親子関係は良いものであると思う。帰国してから娘に「中東で一番印象的なことは何だった?」と聞くと、「サウジアラビアのモスク」と答えた。

戻ってきた彼に本棚の前に連れて行かれる。各国語に翻訳されたクルアーンがある。探してみたが日本語訳は無い。その人は電話で日本語訳を探してくれるように話し、『クルアーン注訳』と書かれた本をプレゼントされた。本来、クルアーンはアラビア語で書かれたもの以外は認められていないので各国語の本も注訳書なのだろう。サウジアラビアでもらったその本は考えてみれば貴重なもので、ろくにお土産を買わなかったわれわれにとって最高のお土産品だろう。娘は今でも折に触れて読んでいるようだ。

5時半からお祈りが始まった。それをわれわれは二階から見学する。何百人ものムスリムが一斉に礼拝する姿は感動的だった。
帰りのメトロ内でイスラム女性が着るアバヤの上に万博のミャクミャクハッピを羽織っている人が白人女性と喋っている。すまるで大阪のおばちゃんのようなマシンガントーク(笑)。話しかけてみると、「日本語、話せますよ!」と流暢な日本語。
万博ではボランティアとして働いていた、弟がいるのでリヤドに帰省中だけど4日には大阪に帰ります、とのこと。阪大院生だそうだ。

メトロはシングルとファミリーの車両に分かれている。シングルは男性用でファミリーは女性、もしくは家族用だ。
娘はファミリー車両に乗りたがるのでサウジ女性を間近で観察することができた。アバヤやニカブは内側や外側に刺繍があったり、黒色でも濃淡がある。足元は裾に隠れて見えにくいが大部分はスニーカーだ。たまにローヒールの人もいた。
「NARUTO」のバッグを肩から下げている人もいた。彼女たちを見慣れてくると、アバヤやニカブ姿がとてもカッコよく美しく見えてくる。
それは神官姿や武道の道着などに通じる凛とした姿(彼女たちの場合は信仰)である。画一的なアバヤやニカブは人権を抑圧している、という見方のほうが画一的ではないだろうか。

今度こそキングダムタワーへ昇るぞ。娘が検索すると二階にある某ブランドショップの奥にエレベーターがあるらしい。

え〜っと、モンブラン、モンブランと、あった!
表示も何もないのでわかりづらい。奥にひっそりとチケットカウンターがあった。エレベーターで77階まで昇り、別のエレベーターに乗り換えて99階のスカイブリッジへ。

キングダムタワーはU字形をしており、Uの先端に直線のブリッジが架かっている。そのブリッジが展望台であり、下は空洞ということになる。

「ロナウドはここのホテルを17部屋借りてたんやで」と娘。

「17部屋!一部屋でええやん」

家族や親戚や友人も泊まらせたんだろうな。
さすがロナウド、スケールの大きい話である(ちびまる子ちゃんのナレーターの声で読んでね)。

リヤドはまだ高層ビルは多くないので遠くまで見渡せる。その高層ビルはどれもユニークな形をしていて、各ビルが赤や青や緑のイルミネーションを発している。豪華絢爛な夜景にしばし時間を忘れるが、日本はまさに新年を迎えようとする時間だ。

キングダムセンター駅からカフド駅まで行き、タクシーを拾って娘が行きたがっていたブルバードリヤドシティへ。サウジアラビア最大のエンターテイメントシティらしい。走っている途中、交通量が多くなってくる。
多分みんなブルバードに行くんだろう。
到着したら巨大な駐車場、見上げればロープウェイが往復。なんなのだ?サウジのディズニーランドなのか。

金属探知機のあるゲートを抜けて入ると(入場は無料)正に別世界だ。広大な土地にレストラン、劇場、アミューズメント施設があり、USJ的な雰囲気だが、お化け屋敷やキャラクターへの玉当てなどのレトロな施設もある。有名人の手形を集めたチャイニーズシアターのような場所があり、娘はロナウドの手形を見つけて激写していた。そこで日本語が聞こえてきたので見ると若い女性の二人連れ。サウジにも日本人は旅行に来ているんだな〜(そりゃそうだろ)。

噴水をぐるっと囲んだフードコートで食事。娘はカレーのようなもの、僕はビリヤニのようなものを頼んだ。娘は全部食べられないので残りをプラスチックの容器に入れて、お店でもらった紙袋で持って帰ることに(これは中国まで空輸された)。

娘がここでカウントダウンをしたい、と言う。あと5時間もあるし、寒い(中東とはいえ、今の時期は夕方から温度が下がる)。

「メトロは12時までやで」
「そんなら仕方ないなあ」と言っていたが、そのうち「せっかくリヤドまで来てみんなとカウントダウンしないともったいない。タクシーで帰ればいいやん」

う〜ん、わかった。一生に一度のことだ。明日の午前中にはサウジを出発しなければならない。娘の思い出作りに付き合うことにする。

NYのタイムズスクエアを模した場所で「Kinza」という新発売のコーラのプロモーションをしている。周囲には大勢の人たちが集まっているが、日本と違うなあと思ったのは6、7歳くらいの子どもが前に出てきてプロモーションミュージックに合わせて踊っていること。なかなかのものだ。

震えるぐらい寒いのを我慢して、ついにカウントダウン。2026年はサウジで迎えたか、と感慨に耽る間もなく、出口へと急ぐ。これだけの人数が一斉に帰ると大渋滞、タクシーも捕まらなくなるかもしれない。案の定、外はタクシーを捕まえようとする人たちで阿鼻叫喚状態である。とにかく空車を見つけて乗り込む。このような売り手市場ではドライバーはメーターなんか使わない。渋滞を抜けてやっとホテルに着く。ドライバーは150リヤル(約6千円)と言う。
日本だったら妥当な値段かもしれないが、サウジではかなりのものだ。
「100!」
「ノー」
「130」
「ノー、ノー」
「明日はドバイに飛ぶんだ。少し負けてくれ」
と言うと、渋々(内心はそうじゃないと思うが)負けた。

ホテルに着いたのが1時。広いフロントの隅でフロントマンが頭を床につけてお祈りをしていた。

 管理人マーキュリーマークからの伝言
 2026年の元旦は親子で海外。外国で良き日本人観光客に出会えたり日本語の話者に出会えると共感が行えるし安堵出来るので嬉しいものですけど言葉が通じても無礼者だと幻滅します。 私はカナダで日本語を話せる善人と悪人の両者に出会ったのを連想します。善人は道案内をしていただいたので感謝しています。悪人は挨拶したのみでホテルの受付で激怒。
 残念ながら日本の恥知らずは世界に輸出された。
健康面の観点からも食べきれないくらいに食品を頼むのは控えましょう。海外迄買った食品を持ち運ぶのも辞めましょう。無論、例外は瓶詰や缶詰等はともかくですが、周囲の迷惑も考えて行動すべきです。
 最悪の場合は、異臭騒ぎや入国係官が廃棄かも?
今回の海外旅行記で良い部分は時期を示した点です。いつ渡航したのかが不明確な海外旅行記が存在してるので説明に困りました。経由便や乗継便で僅かな時間だけ訪れた国もあったようで存命中に明確化してほしいです。


 その12 2026-02-18 17:54:20

1月1日。なぜかよく眠れなかった。5時半に起きて急いでパッキング、6時にホテルをチェックアウト。
昨夜お祈りをしていたフロントマンが握手をしてきて、「また会おう」と言う。
「シュクラン」
いいホテルだった。

まだ薄暗い。通りでタクシーを捕まえようと思っていたが、一台も通らない。車道を歩いていると、娘が「危ないから歩道を歩いて」と言う。娘は心配症なのだ。ついに駅前の簡易シャトルバス停留所まで来たので、そこで待つ。フライト時間の8時50分に間に合うか。時間になっても来ないので仕方ない、また幹線道路を横断するか、と歩いていると、地獄に仏とはこのこと、やっと一台通りがかった。

ドライバーのパキスタン人は陽気なおじさんだ。

「ドライバーは4年目だよ。サウジには一人で来た。今はフィリピン人のガールフレンドがいる。となりの女性は奥さんか?」

娘はこれを思い出しては「わたしはおばさんに見えたのか」と憤慨していた。

サウジの最後が陽気なドライバーでよかったよ。

メトロで空港に向かう。地上に出てから2030年開催のリヤド万博の会場が見えてきた。延々と続く。かなりの広さだ。

eSIMの追加の設定がよくなかったのだろう。Wi-Fiのない場所ではネットが繋がらなくなっていた。フライトの行程表も表示されない。ホテルで確認しておいてよかった。ターミナル1と2はかなり離れているのだ。

flyadeal航空はサウジのLCCだ。機内はガラガラ。CAに好きな場所に座っていいですよ、と言われた。初めて機内食が出た。もちろんチキンかビーフでポークは出ない。

2時間半でドバイへ。ドバイは一泊だけである。入国審査では多くの人がスマートゲートではねられて入国審査官がいるゲートに移動した。われわれもはねられて長蛇の列に並ぶ。スマホを見るとeSIMの残量がほとんどなくなっていた。
メトロカードを買ってAI rigga駅へ。地上に出ると繁華街だ。ホテルは歩いて行ける距離なのだが地図をなくしてしまったのでタクシーで連れていってもらう。5分で着いた。
Eureka Hotel はいい感じに古びたホテルだ。
チェックインが2時からなのでフロントでしばし待つが1時半に入れてくれた。
部屋は大きくもなく小さくもない。バスタブの縁にオレンジ色の液体がベットリとついていたのを娘が「これ石油かな」

「なんでやねん。シャンプーかボディソープやろ」

テレビをつけると砂嵐のように荒い画面にモスクでお祈りするムスリムたちを映している。他のチャンネルは映らない。余分なコンセントがないのでテレビのコンセントを抜いてモバイルバッテリーを充電しようとしたが、差し込み口が三口(みつくち)である。僕の持ってきたメルカリで買った全世界ほぼ網羅する万能コンセントは二口だ。

(仕方ないので24時間スーパーで三口コンセントを買い、それに二口コンセントを差しこんで使用した)。ホテルには幸いにもWi-Fiが飛んでいるのでネットでeSIMを購入。このことでかなり苦戦するようになるとは。

ドバイにいる時間は少ないのですぐにホテルを出る。近くに理髪店があり、様々なヘアスタイルが絵で表示されている。10ディラハム(400円)なのでやってもらおうかと思うが、なにせ時間がない。

メトロカードで改札を出ようとすると出られない。カードのチャージ方法がわからないので隣にいた女性二人組に教えてもらった。お礼を言って構内のメトロマップを調べていると、さっきの二人組が「わかりますか?どこへ行きますか」と声をかけてくれた。外国にいる時の親切は身に沁みる。

まずは世界一美しいと言われるイブン・バトゥータ・モールを目指す。
メトロのアナウンスは男性の声なのだが、これが低音で非常にいい声なのだ。頻繁に「ハッタ」という単語がアナウンスされる。
Hattaとはオマーンからドバイに割譲された飛び地の観光地だ。ハッタに行くにはここで乗り換えてください、と。タクシーの車体にもHattaと書かれている。ドバイが力を入れている観光地なのだろう。僕はメトロでそれを聞くたびに逃亡犯の八田與一を思い出してしまうのだが。

管理人マーキュリーマークからの伝言
ホテルを退去してから空港に向かう時にどういった方法で行くかは想定すべきです。飛行機に乗り遅れないようにしましょう。
海外旅行代理店が販売してるフリープランに含まれる送迎バスを依頼したら早期入室の料金は内包?
家電方面は余裕を持って行動しましょう。出国前に変換コネクタはご購入されては?

その13 2026-02-19 18:10:31NEW !

ドバイは9割が外国人だ。もともと自国民が少ないため、建国以来、海外からの労働に頼って経済を発展させてきた歴史や所得税や法人税が原則無料というタックスヘイブンなどの優遇政策によって、世界中から200カ国の人々か出稼ぎに来ているそうだ。車両は香港の重慶大厦のエスカレーター内さながらである。

そう言えば何年か前にカトマンズに行った時に知り合いになった男性がドバイに出稼ぎに行くと言っていた。

新しく入れたeSIMがアクティベート(有効化)できない。スマホをいじっていて、ふと顔を上げて車窓に目を向けると、摩天楼が林立している。それもユニークなデザインの高層ビルだ。

「都市別:300m以上の超高層ビル数ランキング(2026年時点)
順位 都市名 300m以上の棟数

1位  ドバイ(UAE) 30棟以上
2位 深圳(中国) 約15〜20棟
3位 ニューヨーク(米国) 約15〜17棟
4位 広州(中国) 約10〜11棟」

だそうである。世界有数の大都会である。しかも高層ビルがまだまだ建設中だ。

イブン・バトゥータ駅で降りると、ここはインドの街かと思うほどインド人がいる。インド人街なのだろう。

モールはエジプト、インド、チェニジア、チャイナ、ペルシア、アンダルシアと6つのコートにわかれている。時間があれば全てを回ってみたかったが、とにかくペルシアコートにあるスタバへ。

モスクを模したアラベスク模様の天井が素晴らしい。ここでもフラペチーノを飲みながらeSIMの有効化を試みる。隣の席から日本語が聞こえてきた。若い男女が話している。よほど二人に教えてもらおうと思ったが、せっかくの外国でのデート中?を邪魔しては無粋だろうとやめた。

メトロでドバイモールへ。ドア付近で手すりを持っていたらインド人らしきおじさんが僕の手の上にピッタリと手をつける。ん?
下の方に手を下げるとそのまま手を下げてくる。思わず手を離した。

なんなんだ。痴漢なのか。あ〜、きも。あとで娘に話したら大笑いしていた。

とにかくドバイモールに着くとすごい人だ。地下の水族館は外から見ることができるが、その大きさに圧倒される。「ヨドバシカメラ」のような量販店でモバイルバッテリーを買う。

そうこうしているうちに人はどんどん増えてきて、とうとう通行規制が始まった。通せ、とゴネる人と警備員とが険悪なムードである。

われわれはカフェでホットチョコレートを飲みながら、それにしてもマスマク城前の広場で飲んだホットチョコレートは美味かったなあと二人で懐かしんで、さてと世界一のブルジェハリファに行くか、と腰を上げる。
ブルジェハリファ、828メートルの世界一高い建築物。
20時半、チケットカウンターには行列ができている。200人はいるか。やっとわれわれの順番が来てスマホでチケットを見せたが、「これは違います」と言われた。スタッフはスペルが違う、と実際に紙に書いてみせた。ブルジェハリファは「Burj Khalifa」と書く。僕が見せたのはQRコードで取得したリヤドのディルイーヤ遺跡群チケットだった。

そのQRコードを削除したのでわからないが、多分「Bujairi & At-Turaif」を誤読したのだろう。日本で予約しておいたブルジェハリファのチケットがなぜかスマホから消えてしまい、残っていたこの文字を勘違いしたとしか思えない。今思えば考えられない誤読だ。

どうする?

①登場をあきらめる
②娘だけ登場
③一生に一度のことだ、二人分買い直す

娘はブルジェハリファに登らなかったらドバイに来た意味がないと半泣き。ネットで調べてみると、二人分のチケットが残っている。よし!と意を決してポチる。届いたピンコード4桁を入力してください、とメールが来るが、そのメールが来ない。再度やり直すが来ない。これはeSIMの設定が良くなかったと判断して、せっかく入れたeSIMを削除してポチるがやはり来ない。ネット上では「本日残り一件」と表示が出ている。ドバイは一泊なので今晩を逃したら、もう二度目はない。焦る。直接ここでチケットを買えるか?とカウンターで聞くと、買えると言う。

しかし124階のみのチケットは既に完売。あとは124階と148階に登場できるチケットが残っているだけだ。そのチケットはかなり高価である。しかも時間帯によって価格が変わる。夕暮れから夜にかけてはプレミアム料金になる。ぐずぐずしているとこのチケットも売れてしまうだろう。ええい、

「大人二枚!」

クレカを出す。なぜか決済できない。なんで?
別のクレカを出す。今度はできた。
二人で7万3千円。

ちなみにさらにプレミアムになるとラウンジで軽食が出るらしい。

帰ったら岡倉文子になんて言おう…

ため息をつく僕に娘は「もう払ったんだから、楽しむことを考えよう」とウキウキである。

そりゃそうだが…

われわれプレミアムな客は胸にシールを貼られてエレベーターへ案内される。結構な人だ。世界一高いビルなので最上階の展望台に昇らないと意味がないと言われればそうだが。
エレベーターは一秒間で4階くらいのスピードで昇っていく。エレベーターも世界最速らしい。
まずは124階。展望台に出た瞬間、思わず「おお〜」と声が出た。
午後10時過ぎ。ドバイの高層ビル群の夜景である。僕はこの光景を一生忘れないだろう(価格と共に)。

お母さんに抱っこされた3歳くらいの女の子が珍しいのか、娘の顔に触ってくる。娘も嬉しそうだ。お母さんに断って二人の写真を撮る。語学オタクの娘は「イタリア人やったで」。

148階はベランダになっていて透明な仕切りが顔の高さほど。ここで飛び降り自殺するやつはおらんやろな。

管理人マーキュリーマークからの伝言

悪い干渉は辞めて自己責任で旅行されてたのは立派です。酷い人がいて私が海外旅行中に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問してきたストーカーがいて大変でした。帰国後に抗議したら逆上したので社会不適合者でした。 関与も推奨も否定しか選べない人で在外邦人の犯罪組織に情報を伝えて悪事をしたかったようです。
娘を愛する父の決断は素晴らしいです。ブルジェハリファ旅行は大阪府から台湾旅行をするのに匹敵する支払金額か?

 その5からの抜粋。
それでもこれが最後のバンコクになるだろうな、と頭の隅でぼんやりと考える。


管理人マーキュリーマークからのブログについての伝言

毎日の投稿は、厳しいです。平成29年の夏にドリアン長野と私が会談した時に「ちょっと難しい。」と伝えたら「無理しなくて良いから。」と返答されました。 ブログの運営企業は長期間の放置を望んでいません。
 過去にはほぼ毎日投稿してましたが一応は一日から14日迄に一度は投稿、14日から月末迄に一回は投稿する方針にしました。
その後、マラソンも引退しカレーライスの投稿も終えました。今回の海外旅行記が最終回のようです。誰であっても継続の無理強いは不可能です。
 今後はドリアン長野が執筆した重要と思える作品の転載、動画の転載、そして私からの連絡を投稿するようになるやもしれません。

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花