2021年5月14日金曜日

令和三年五月の連絡

 連絡します。

 特定のホームページの紹介を取りやめた所、彼等は紹介の再開を策謀したので私(マーキュリーマーク)は嫌がらせの被害にあいました。

 平成24年に私がドリアン長野と再会した時に特定のホームページの紹介の取り止めを提案し黙認されました。
理由は艱難辛苦を発表した点は同情しますが紛争が多発していたからです。
彼等は私の弱みを握った後で紹介の再開を目論見、人を雇い平成27年に私がレインクーバーを旅行中に毎日フェイスブックのタイムラインに詰問したので危険にさらされ防犯上問題で困りました。皆様、当方は被害者です。
平成28年に在外邦人が渡航先(レインクーバー)で殺害された。渡航経験が無い人々には理解し難いかもしれませんが病気やケガで困ってる時に長電話をされたようなものです。
 良きホームページの運営を期待しておりましたが全く違った状態に至ったので残念です。 当方は不要な争いに巻き込まれたくありませんしこれ以上の不要な連絡は辞めてもらいたい。海外旅行保険に加入してたので契約した保険会社への相談も考慮しました。

 令和三年四月に伝えた年表には訂正が必要と思い実質的な再投稿を実施致します。
 ドリアン長野は年末年始、ゴールデンウイーク、盆休み等を利用して海外旅行されました。平成十年代から存在するハッピーマンデーを含んだ三連休にも渡航してたかもしれません。従って一年で二回以上渡航した年もあったようです。
ドリアン長野が渡航した回数と行った国数は異なります。
平成13年には二回タイランドのバンコクに渡航してます。関連するようですがカンボジアや米国と中国等へも二回以上渡航してます。
 当然ながらロサンゼルスとニューヨークは異なるだけでなく北京と上海は異なります。
一回の海外旅行で複数の国々を訪問した前例(メキシコのティフアナ旅行記等)もございますので後述する文章は参考程度に留めておいてください。

昭和のインド旅行。 インド編 その1より引用
私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。
ドリアン長野は1961年生まれ。 1961+26=1987
年末年始旅行だったようです。1988年にインド旅行してたようですのでドリアン長野にとって唯一の昭和の海外旅行記という点は変わりません。
周知のように昭和63年は1988年です。
平成元年(1989年)の年末は米国のニューヨーク旅行。
(ニュージャージーとミシガンも含む)  NYタイムズ・スクエア編より引用
1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア。
気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。
(中略)
今日の夜はニュージャージーに住む友人のアパートに泊めてもらうことになっている。あちこちが通行止めになっているので迂回していると道に迷ってしまった。

NYホテル編より引用
デトロイト空港着。国内線のニューヨーク行きの便に乗り換えるため、入国審査の列に並ぶ。
半ば常識ですがミシガン州デトロイト市は有名ですね。又、ニューヨーク州とニュージャージー州は隣接してます。
目的地に到着する為に乗継便や経由便を利用する渡航者は多いそうです。
複数の町を別々の便で乗り継ぐのが乗継便で、複数の街を航空機一機で移動するのが経由便です。航空機の燃料補給等による長時間化は仕方ないです。
どこかの誰かは関空から直行便を利用してカナダ旅行しました。
海外に友人がいて再会する事は否定しませんが迷惑をかけないようにしましょう。皆様、多忙です。
平成6年(1994年)は英国のロンドン旅行。
ロンドン・コーリングより引用
ロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。その時は1994年でした。
平成9年(1997年)の五月は台湾の台北旅行。
1997年5月、日本の首相官邸に当たる総統府の前を歩いていた。


一応、引用(ドリアン長野が執筆した文面)の部分はミディアムパープル(色名)を用います。他方、ドリアン長野が渡航した時期の説明についてはドジャーブルー(色名)を用います。
又、長編ではなく短編(一種類のみ)の旅行記並びに根拠になる文面が見受けられない場合は「より引用」は省略します。

 平成十年代を西暦で言い換えると1998年から2007年の期間です。

 平成十年代は、 ベトナム(ホーチミン)旅行と マレーシア(クアラルンプール)旅行。

 ベトナム旅行の時期は厳密には不明です。確か平成十年代に私がドリアン長野と再会した時の事です。ベトナム旅行から帰国してきたばかりの時であったらしく買ってきた小さいTシャツを見せてもらいました。
 平成16年四月に発表されたマレーシア旅行記の作中で取り上げられてた宇多田ヒカルは平成十年(1998年)に歌手活動を始めたのが根拠です。
マレーシア旅行の時期は厳密には不明です。 ウタダより引用
自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。
 平成12年(2000年)以降はフィリピンのマニラ旅行とカンボジアのプノンペンとシェムリアップ旅行。
窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。
マニラ旅行記(マニラのスラム)の作中で取り上げられてたアジア的生活(書名)は平成12年8月に発売されたのが根拠です。
カンボジア旅行記の作中で取り上げられてた平成12年に発売されたOASISのROLL IT OVERについて語られてたのが根拠です。
カンボジア旅行記は二種類存在します。前者(カンボジア~)は前述したように平成12年以降の旅行記に対して後者(カンボジア再び)が発表されたのが平成17年十月21日なのでそれ以前の旅行記です。ちなみに、プノンペン国際空港は平成13年(2001年)に近代化の工事が終了したと言われてます。 カンボジア再び その2より引用
僕がいくら何かを見ようと血眼になっていたとしても、物見遊山の旅行者に過ぎない。僕はただ通り過ぎて行くだけなのだ。 「OASIS」の「ROLL IT OVER」を聴きながら
平成13年(2001年)の1月と12月30日から31日はタイランド(バンコク)。 テーメー・カフェより引用
2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。その看板に書かれていた文字を読んで私は思わず息を飲んだのであった。「テーメー・コーヒーハウス」 
カオサンの大晦日より引用
カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。泊まったのは通りの中ほどにある「カオサン・パレス・ホテル」だ。
奇抜に思われるので否定されるかもしれませんがこの旅行記に限っては12月から1月に旅行したのではなく1月と12月にタイランドのバンコクに渡航したそうです。
平成14年(2002年)9月以降は平成16年(2004年)四月27日に発表されたネパール旅行。 カトマンズの夜より引用
中山可穂の「熱帯感傷紀行ーアジア・センチメンタル・ロードー」を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。著者はインドネシアを旅していたのだが、「店内のラジオからは、マントヴァーニ楽団の『ブルー・タンゴ』が流れていた。まさかこんなところで、アメリカ製タンゴの名曲を聞けるとは思わなかった。」
ネパール旅行記の作中で取り上げられてた熱帯感傷紀行―アジア・センチメンタル・ロード(書名)は平成14年9月に発売されたのが根拠です。
恐らくネパール旅行の時期は平成14年の年末から平成15年の年始かそれ以降のようです。
平成15年(2003年)十月にドリアン長野は北京旅行記を発表しました。
北京ないしは上海(但し、第一回目のみ)のどちらが先なのかは不明ですが平成15年以前に中国旅行したようです。平成15年の敬老の日(9月15日月曜日)は三連休でした。中国旅行は二泊三日で済ませた人は多いと言われてます。
平成15年十月末日に第一回目の上海旅行記(飛んで上海)を発表されました。
後述しますがドリアン長野は少なくとも二回は上海旅行してます。
(合算してますが)上海旅行記は長編です。
(恐らく)平成15年(2003年)の年末から平成16年(2004年)の年始は米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ旅行。
 馬鹿げた重言と思わないでもらいたいがロサンゼルスは米国のカリフォルニア州内に存在してますがティフアナはメキシコのバハ・カリフォルニア州内に存在してます。似通っていますが全く別です。
 ドリアン長野が米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナ旅行記を発表したのは平成16年三月四日でした。
平成16年(2004年)の五月以前は香港旅行。
チョンキン・マンションより引用
香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。
チョンキンよいとこ一度はおいでより引用
ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。彼女、インドネシア出身のシティは二つのゲストハウスを持ち、原石の販売もしているそうだ。もらった名刺にはルビー、サファイア、ガーネットといった宝石の他に痩身茶の名もあった。若いのになかなかのやり手だ。部屋は三畳ほどで狭いが、チョンキンでは平均的な広さだろう。シティの掃除が行き届いており、清潔。窓からネーザン・ロードが見えるのがいい。エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年当時)。
 矛盾してると思わないでもらいたいが、ドリアン長野は1997年(平成九年)の中国返還前の香港に渡航しましたが平成十年代に旅行記として発表したのは、平成16年の香港旅行記のみですので平成十年代の旅行記とします。又、平成19年度にご夫婦の新婚旅行としても香港旅行されました。
結局、香港に限っては三回渡航してます。
 平成16年(2004年)の年末から平成17年(2005年)の年始はドリアン長野にとって二回目の上海旅行(上海日記)。
上海日記 1日目より引用
 年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。
上海日記 4日目(続々々)
 2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。彼らもバンドでカウントダウンを祝い、今から同宿の9人で飲みに行くそうだ。一緒にと誘われたが、われわれは酒を飲まないので残念ながら辞退した。

 繰り返すようですが「飛んで上海」に限っては平成15年(2003年)十月末日に発表されて「上海日記(二回目の上海旅行記)」に限っては平成17年(2005年)1月から9月に発表されました。
 今でも一般的な海外旅行代理店は旅行商品の販売を二か月前には行ってた2010年代を連想します。旅行者の責任も問われますが旅行代理店が旅行商品を販売するのは良いにしても日程については常識が問われます。
 厚顔無恥と言いたくなるような提案が悪い商品が買えないのは当然です。
無論、例外的にやむを得ない事情で急遽渡航される人々がおられるのも現実です。この一件については皆様のご想像にお任せします。
 この海外旅行記を読んだ影響か否かは表明しませんがどこかの誰かは平成27年の8月に旅行代理店に赴いて予約と支払を済ませて十月にカナダ旅行しました。余裕を持って行動することは重要です。皆様、飲酒はしなくても海外旅行は楽しめます。
(恐らく)平成17年(2005年)の年末から平成18年(2006年)の年始はミャンマー(ヤンゴン、モン州)旅行。
 コロナばかりか政情不安定ですのでミャンマー旅行について私は推奨しません。平成18年1月に発表されたので平成17年の年末から平成18年の年始に旅行したようです。ミャンマー大使館公認西日本ビザセンターは平成16年十月より業務を始めました。入国の為の手続きは余裕を持って行いましょう。

カナダも電子渡航認証が求められるようになりました。
 平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始はご夫婦でタイランド(バンコク)と香港への新婚旅行。
【夏が来れば思い出す】その3より引用
 早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。
 回顧を兼ねた書評 令和二年三月より引用
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。

ドリアン長野は平成19年11月に結婚してその後の年末年始に新婚旅行されました。従って平成19年の年末から平成20年の年始です。
フェイスブック上で投稿されたのは平成25年(2013年)で長野夫妻が旅したのは平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始です。
スワンナプーム国際空港(IATAコード:BKK)は平成18年(2006年)9月28日に開港しました。皆様、長野夫妻はBKKが開港した翌年に利用したとお考え下さい。
ドリアン長野にとって唯一の平成20年代の海外旅行記になります。
 どこかの誰かは平成27年十月にカナダのレインクーバーを旅しました。一回だけでも海外旅行したら大違いです。
ドリアン長野の海外旅行記を読む以前から海外は治安が悪いと聞いてたので渡航する気持ちはあまり無かったんです。喜怒哀楽は含まれますが、実際に一回でも渡航すると考えが大きく変わりました。それは、公共の敵に匹敵する悪い人の相手をしてはいけないということも含まれます。
半ば周知されてますがいわゆる時間軸(太平洋標準時並びに太平洋夏時間)はカナダのレインクーバー、米国のロサンゼルスとメキシコのティフアナの三者は同じです。
 ドリアン長野は平成15年三月から平成19年の夏迄goo簡単ホームページを利用してました。
ドリアン長野は平成18年にミャンマー旅行記を執筆してからは実質的に過去の旅行記の再投稿をされてました。半ば放置の時期はございましたが現在はブログの運営会社から長期間の放置が否定されてるので今後は可能な限り紹介や連絡等をしていきます。
しかし、過去のようにほぼ毎日投稿することは控えさせていただきます。
一応ですが、月の一日から半ば頃迄に推奨したい良きホームページの紹介(投稿)並びに月の中旬頃から末日迄に私からの連絡を一回以上は行っていきたいです。例外的に八日以降の祝祭日が月の中旬迄に存在したならば前倒しで連絡したいです。理由は28日間に一回以上の投稿がブログの運営企業から求められるとしても翌月の五日迄に投稿したならばブログの運営企業からは何も問われません。 8+28=36 36-31=5
勘違いされる方はおられないとは思いますが社会問題や窮状等について発表された報道の動画の投稿については基本的に悲しみから紹介してるとお考え下さい。自発的な決断で陳腐化させたようですが私も弱い一人の人間です。色々な試練がございました。投稿や管理の過程で紹介や転載する事が難しいと思ったこともございましたし、2018年こと平成30年だけで4回訃報が我が家にもたらされて辛かったです。本人自身が最善を尽くした上で陳腐化や没落を招いた状況とは大きく異なると考えてもらいたい。
今月も推奨したい良きホームページが紹介出来たので皆様に感謝します。
コロナの悪影響やもしれませんが、投稿に影響が及んでるホームページも存在してるようです。可能な限り新規投稿をしてもらいたいが投稿が過去一か月間において行われて無かった場合はトップページのみ紹介する道を当方は選ぶやもしれません。
ドリアン長野が渡航した外国の出来事全てを私が伝達するのは不可能ですので、把握されたいなら各自で詳細を調べて下さい。実際の所、当方にはそこまでの責任はございません。単純に渡航してきたといった連絡のみです。
ドリアン長野が行ってきた英国ですがスコットランドの分離独立運動が存在してるようです。 私が行ってきたカナダもケベック独立運動が盛んなんだそうです。
日本と違って海外は治安が悪いと言われてるが、全くそういった状況を軽んじた上でいい加減な行動を取る人はいます。旅行中の人に対して毎日フェイスブックのタイムラインに詰問するなんて論外です。後に批判される悪事という概念が欠落してたのでしょうか?非常識な行動に対して「辞めて下さい。」と警告しても逆上しあれこれと文句を言う日本人は多い。「防犯上問題がある行動です。」と発言しても賛同する人は少ない。
皆様、自由妨害や悪質なほう助は、しない、させない、そして認めないようにしましょう。残念ながら他人の苦しみを喜ぶ悪い日本人も増加してきてます。厳しいようですがご理解してもらいたい。
皆様、被害にあう可能性を低減させるにはどういった行動が必要でしょうか?考慮願いたい。
予防接種が世界的に一般的になったら渡航する人が増加するでしょうかね? コロナウイルスの悪影響は大きいです。

 最近になってこのブログを閲覧された方に連絡。
ドリアン長野は2010年以前に何度も海外旅行しただけでなく、2010年代に福知山マラソン完走を二回成し遂げたばかりか 頻繁にカレーライスを調理し実食しました。
 海外旅行、マラソン、カレーライス、そして書評等について述べてるので楽しんで下さい。
ドリアン長野の海外旅行記のリンク集gooブログ版

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録)

ドリアン長野のカレー三昧(はてなブログ版)

ノート版ドリアン長野

ドリアン長野フェイスブック

ドリアン長野の読書三昧

ドリアン長野ツイッター

ミキナナチャンネル
敬具 マーキュリーマーク

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花