2019年4月13日土曜日

2014年1月と2月のyahooブログ上の投稿並びに推奨したい投稿

神戸市から米子市へ 平成26年元旦
2014/1/1(水) 午後 0:44
リュックに鶏ガラを詰めて妻の実家の神戸に来ました。元旦はそれで出汁をとってお雑煮を作りました。午後から残りの鶏ガラを背負って帰省します。父親のために鍋を作ります。今年も鶏ガラで始まる一年になりそうです。まさにトリガラーです。
大変感謝しています。御家族にとってこの一年が実りの多い、ご健康で祝福された年になりますようにお祈り申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。 あけましておめでとうございます^_^ はい、大変おいしゅうございました。

sigh(タメイキ) 平成26年1月
2014/1/2(木) 午後 2:10 日記
今回の神戸~米子へのバス帰省、帰りの米子~豊岡~大阪という列車の時刻も全て妻がネットで検索してくれたのであった。
思えば結婚するまでリーマンパッカーであった私は休暇といえば長くて一週間、限られた時間のなかで最大の効果を上げるために下調べを入念にし、現地では移動時間を有効に使うために飛行機や列車の時刻を把握して遅れないために早起きして勢力的に動きまわっていたのだった。そんなのめんどくさいわと思う人はツアーに参加するのだろうが、私はそんな作業が好きだった。空港からどのような交通手段を利用して街の中心部に行こうかと考え、そこで行き当たりバッタリでホテルを探す時に何だか自由を感じた。ほとんどの場合が一人旅だったが、たまに友人と行く時には添乗員さながら張り切ったものだった。けれど今やこのていたらく。

sigh(タメイキ)

列車で帰るのは20年ぶりかな。 平成26年
2014/1/3(金) 午後 1:23 日記
列車で帰るのは20年ぶりかな。
バスや車と違って、なんだか旅情をかきたてられる。駅にエスカレーターが出来ていたのにはちょっとびっくり。米子滞在一日半。これから豊岡に住む友人のお見舞いに。ブドーパンは菓子パンを食べない私も「厚生大臣賞受賞の絶品。境港市民のソウルフード(!)」という惹句にひかれて購入

福知山駅で 平成26年1月  2014/1/3(金) 午後 11:40 日記
福知山駅で「大阪行き普通乗車券ください」と聞く。 「一番早い便は10分後に出ます。乗り換えなしの直行便があります」 よかったー。それで日頃頻尿で難儀している私は、 「その便にはトイレついてはりますか?」と安堵のあまり、思わず列車に敬語をつけて聞いた。  町田康のエッセイに「JRのアナウンスが『ただいま二番ホームに上り電車が参ります』と言うが、参る、というのは行く、来るの謙遜語であって、そのアナウンスを聞く度に、非人間的なスピードで疾走する巨大な列車が、謙遜しながら、もじもじホームに入ってくる姿が想像せられて、気色悪くてしようがない」という文言を思い出し、自分を恥じたのであるが、みどりの窓口のおねえさんは、 「はい、ついてはります」と平然と答えはったのであった。

#57 上海日記二日目 (リターンズ)
2014/1/5(日) 午前 1:00 日記

NO57 上海日記 2日目

at 2005 01/18 22:23 編集


12月20日
K君はほんまにびびっていた。初めての海外旅行なのはわかるが、それにしても尋常ではない。
「危険な所に行くのはやめましょうね」
「上海に危険な場所はないっちゅうねん(あったら行ってみたいわ)」
「ドリアンさんも日本に待っている人が大勢いると思いますから、くれぐれも無事に帰国しましょう」
「俺たちはイラクに行くジャーナリストとちゃうで」
「お金はいくらかかっても構わないので、命を最優先に考えて下さい」
「君は自衛隊の中隊長か。でも、ひょっとしたら無言の帰宅ってこともありえるなあ」
「ええっ!」
びびっているやつをいちびる(からかう)のは面白い。
その夜、K君からメールが入った。
「中国ってビザいりますよね。 今からでは間に合わないのでは?」
すっかり忘れてた。
慌ててインターネットで調べ、池袋にあるビザ取得代理店にパスポートを明日一番の宅配便で送ることにした。果たして間に合うのか。K君から電話。
「その代理店、大丈夫なんでしょうね、パスポート送っても」
「もしかしたら歌舞伎町の蛇頭(人身売買をするスネークヘッドという犯罪組織)に横流しされるかもね」
「ええっ!」
K君の心配は尽きないのであった。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
リターンズなのですでに結果を知ってる人ばかりなのはともかくとしても、人に何かを頼んで文句ばかりいって何一つ責任を取れない人っていたりします。「嫌なら辞めとけ。神経質なのも限度がある。」と言いたくもなります。一方でビザやパスポートについても海外旅行をするなら忘れないようにすべきです。他方、中国ではなくて南米のエクアドルでは今月悲劇が発生しました。ご冥福を祈ります。
結局は、海外旅行をするかしないかは本人が責任をもって行うべきであって第三者に責任を押し付けてはいけないと考えます。日本の治安も悪化してはいますがそれでも海外よりは治安が良くて気楽だと考えられています。ある意味、別口のお話ですが、周知のようにこのシリーズは長期間継続してました。今年の大半はこの上海日記です。明日の事は誰にも分らないが、日中間の外交問題が平成20年代に比べて小さかった平成10年代のお話だということを前提にこれからもお読みいただければ幸いです。
 以上、管理人マーキュリーマークでした。

ニコラス・ペタス 平成26年1月  2014/1/28(火) 午後 10:56
蒼い目のサムライ、大山倍達最後の内弟子、ニコラスペタス。
第七回世界大会で彼の試合を観たことがあったが、基本に忠実な組手だった。「空手の本質は組手にあり、組手の本質は基本にあり」という大山倍達の言葉通りに。実は彼は茶帯から二段という飛び級だったのだ。その裏事情とは…
真相は、総裁に黒帯の審査を受けたいと直訴したところ、「君は20人組手をやらなきゃ駄目だ。君には二段の審査を受けてもらうよ」と言われ、受審したのですが、審査を見るために来日したデンマークの先生に、「今、彼に二段をあげると天狗になるので初段にしておいてください」との進言で初段になったのでした。

小銭 平成26年2月
2014/2/1(土) 午後 1:57
玄洋社を率い、右翼の大物と言われた頭山満とルソーの社会契約論を紹介した自由民権運動の中心人物、中江兆民は生涯親友であった。

中江は一度だけ坂本龍馬に声をかけられたという。

「書生さん、すまんが煙草買ってきておーせ」と小銭を渡されたそうだ。中江兆民は、その時のことを「坂本龍馬さんは大きくて見るからに男らしい人だった」と終生感慨深く語ったそうです。ありがとうございます。^_^

ローキック 平成26年2月
2014/2/2(日) 午後 9:40
過日用事が済み、次の用事まで一時間あるので飲み物を買おうとハンバーガー屋に行った。ちなみに自分はハンバーガーは食さない。カウンターのメニューを見ていると、半バカ、いやハンバーガーをテイクアウトにしたあんちゃんが自分の前に来て
「邪魔だ、どけよ」とぬかして通り過ぎた。振り返ると、そいつは出口でこちらを睨んでいるので、こっちも睨みつけた。5秒ほど睨み合うと、そいつが
「何だよ、文句あんのか」と言うので、つかつかと寄って、他の客が驚かないように、
「表に出ろ」と低い声で言った。
ローをかましてやろうと思った。フルコン空手やキックボクシング経験者でない限り、ローキックをまともにくらって立っていられる人間など皆無だろう。
駐輪場でそいつが先に手を出しやすいように顔を突きつけてやったが、手を出さない。
「やらへんのか」
そう言うと、そいつは
「こっちから手え出したらパクられるやんけ、ボーッと突っ立っとくなよ」と捨て台詞を吐いて北方面に自転車で去っていったのである。

なんじゃそりゃ

C.W.ニコル氏が空手の黒帯を取るために来日し、松濤館流空手に入門した。師の一人である日本空手協会の主席師範、中山正敏氏と電車を待っていた時のこと。
電車のドアが開き、荒くれた顔つきをした労務者風の男が、わざとその空手の名人にぶつかり、暴言を吐いた。ニコル氏は先生がその無礼な奴にお仕置きをしてやるのを心待ちにしていたところ、先生はただお辞儀をして、かすかに微笑むと、「失礼」と言っただけだった。それから電車に乗り込み、怒っている様子など微塵も見せずに、それまで話していた話題を続けたのだった。愚かなその乱暴者のことなど、先生は毛の先ほども、気にかけていなかったのである。

自分は未熟者だ。

「街中で足を踏んだ、肩が触れた、そうやって喧嘩をふっかけてくる奴は君たちが、すいませんでしたと頭を下げておけばいい。謝って文句を言う奴はいないよ。それでも因縁をふっかけてくるなら、のばしてしまえ。そこでケンカのできない男は駄目だ。何のために空手をやっているんだ。極真は後ろを見せない。しかし君たちが本当に強くなれば、道端でのくだらないケンカはしないもんだ」

大山倍達

押忍
自分は本当は弱っちくてノミの心臓なんですよ
ジャーナリストの小島一志さんが芦原館長を間近で見たとき、その迫力に腰を抜かしそうになったそうですね。 某Kさんもインドで数々の武勇伝を…
私はビビりなんですが、危険な場所を見てみたいという変なところがありまして、本当に危険な場所にはいきません。ギリギリのところで引き返します。小心者でよかった~と思います。
 「芦原英幸正伝」小島一志著は未読ですが、読んだ人の感想だと凄まじいそうですね。 何もやってません…

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 実は、過去に色々とあって「表に出ろ。」と言われたこともありました。ちょっと嫌なことがありましたから。それは、ともかくより詳しく知りたい人はフェイスブック上で友達申請をしてご確認下さい。単純に考えてほしいが、要するにケンカはしなかったということです。 但し、近頃、非常識で短気な人が多くなってきました。

アンドレ マルロー 平成26年2月
2014/2/2(日) 午後 9:45
「母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺められると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺られるのを黙って見過ごせるものだろうか?
私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、いさぎよく敵艦に体当たりをした特別攻撃隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」

アンドレ マルロー 

押忍

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
銃刀法規制緩和が行われないと日本人は好戦的にならない恐れは高いです。諸外国の中にはアナーキー(無秩序)になってもいます。実際に迷惑をかけてくる人物がいて制裁を与えた過去が私にはありますが、そういった行動を嫌がったり否定的に考えたりする人がいますが聖典には脳血栓後、言語障害に至った人物(コリホル)がいるが平成10年代にもいたといったお話を否定的に考える人がおられます。 どこまで、発表した方針を貫徹出来るかどうかは小さくないと思います。

#58 上海日記 3日目 (リターンズ) 2014/2/5(水) 午後 11:03

NO58 上海日記 3日目
at 2005 01/25 23:50 編集
12月30日
「全員整列、番号!」
「1」
「2」
「これからわれわれ上海使節団は上海に向けて出発する。何か質問は?」
「チャイニーズ・マフィアには充分気をつけましょう」
「そんなものはおらん!」
「危険だと思ったらすぐ引き返す勇気を持ちましょう」
「われわれはK2に登りにいくんじゃない!」
ビザはやっと出発前日に届いた。ただ、ガイドブックを読んだら2003年9月から15日間以内の滞在ならビザは不要と書いてあったが。(1万円返せ!)
関空に到着したK君は不安で寝不足と食欲不振が続き、蒼い顔をしていた。
とにもかくにも上海に到着したが、入国検疫申告書を書くのを忘れていたわれわれは係員に呼び止められ、そこで書け、とあごで指示される。初めて接する中国人の横柄な態度にK君はびびる。入国審査を待っている時も行列の中国人同士が割り込みでケンカを始めた。K君、ますますびびる。
「レンミングァンチャン(人民広場)!」
空港前で待っているバスの女性車掌に声をかける。彼女は「満席だよ。次のにしな」と答えた。(私は中国語がわからないので、英語以外は推測です)
「次は何時?」
「10時だよ(夜の)」
「あと40分もあるやん!」
日本語で言うと、「しかたないね。乗りな」とバスの入口を指し示す。バスが動き出したので、外を見ると雪が降り積もっている。凍結した道路では追突したり、ガードレールにぶつかった車を何台も見た。人民広場で降り、地下鉄を探すがむちゃくちゃ寒い。このままではホテルにたどり着く前に凍死してしまうではないか。はんぱねー!歩いていると寒いので全速力で疾走し、コンビニを見つけると飛び込み、道を尋ねるついでに暖をとる。ようやく見つけた地下鉄(中国の地下鉄の出入口は明かりがついていないのでわかりづらい)で河南中路駅まで行き、そこから歩く。われわれが目指すのは浦江飯店だ。外灘(バンド)で、いや上海でバックパッカーが泊まるホテルといえば、ここしかない。空室があればいいが。もうすぐ日付けが変わる。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
いきなり、日本国内で一万円散財してますね。一万円あったら色々と買い物が行えますね。
ビザやパスポートについては海外旅行をする前に余裕を持って調べておきましょう。ビザやパスポートについての各国の最新の事情については各自でお調べください。
平成10年代と平成20年代とでは大違いですからね。日本人は親切と言われてますが世界でもトップレベルかもしれません。厳寒の上海では自動車同士の交通事故も少なくないようです。やはり、路面が悪いか否かは影響するようです。
近頃のチャイナはガスマスクが必要と言われる位にスモッグが激しいらしいですがPM2.5は今から10年程前には日本に飛んできていたと言われているからこの時にはすでに中国の大気汚染は深刻であったかもしれません。過去にも主張しましたが、ドリアン長野は地下鉄が好きでニューヨーク(ヌーヨ~ク)の地下鉄にも乗車した過去がございます。

オマケ
再放送等を見ると季節が現在とは大きく違うことが頻繁にある。例えば、冬場に夏場のお話が放映されてますよね。今回は過去の出来事だけど今は冬場なので冬場については容易に想像が出来たような?本日、大阪市も一時的な降雪がありました。

上海日記 4日目 in 1 (リターンズ)
2014/2/5(水) 午後 11:46  NO59 上海日記 4日目

at 2005 02/02 20:17 編集

12月31日
7時半起床。トイレの窓から外を見ると一面まっしろ。黄浦江を巡航する船の警笛が聞こえる。浦江飯店はバンドで一番古いホテルだ。チャップリンもアインシュタインもお泊まりになられたが、宿泊費は高くない。バックパッカーの御用達になっているのはドミトリーがあるからだ。ホテル自体は租界時代に建てられただけあって、アールデコで趣がある。われわれの泊まった二人部屋の前は吹き抜けになっていて、広い廊下には租界当時の調度品が展示されていた。
昨夜は12時前にチェックインした。空腹だったが、寒波の中を出ていく気にもなれず、ルームサービスでチャーハンを食べた。眠りについたのは2時過ぎだったと思うが、K君は不安でほとんど寝ていないそうである。そこまでテンパってたら、しまいにゃ死ぬで。われわれは気合いを入れて空手着に着替えた。上海で空手と太極拳の交流をしようという日中友好的な計画を立てていたのである。場合によっては異種格闘技戦も辞さぬつもりだ。カンフーでもなんでもかかってこい(どの辺が日中友好やねん)。意気込んで飛び出したのはいいが、ほんまにものごっつうハンパじゃなくひたすら寒い。いつもは物売りで足の踏み場もないほどの外白渡橋も今日は誰もいない。目指す黄浦公園はホテルから走って3分ほど。公園の入口で警備のおっちゃんに「滑るから気をつけな」と声をかけられた。
「太極拳は?」
「寒いから休みだ」
いきなり計画失敗。寒さに異常に強い中国人もさすがに今日は無理?って感じ? 口ほどにもないぜ、今日はこのくらいにしといたるわとバンドの凍結した遊歩道をこけながらジョギングして帰ったのだが、われわれ日本人の姿はよほど奇異に見えたのであろう。ホテルの従業員にじろじろと見られる。この寒波になんて物好きなってか。おれたちは見せ物じゃねえ、散りな。しっ、しっ。今度泊まりに来た時は帝国陸軍の軍服で来てやるぜ。日本鬼子と書いた鉢巻きを締めてなって、冗談っすよ。冗談。そんなにムキにならなくてもええやんか~(誰に言うとんじゃ)。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
まず、初めにお伝えしますが幾つかまとめましたので題名にin 1を加えました。一日の出来事を幾つかに分けて平成17年に発表されてました。
そういえば、平成17年と言えば岡田阪神がリーグ優勝した年でしたね。
本題。
過去と違って近年はツイッターでお気楽に紹介が行えるようになりました。
浦江飯店は中国に対して否定的な人も少々驚く見た目は良いホテルのようです。
太極拳は寒ければ中止のようですがスモッグの時にはマスクをして行われた動画を見たことがあるので何か矛盾を感じるのは私だけでしょうか?
続きます。
NO60 上海日記 4日目(続)

at 2005 02/09 22:13 編集

部屋に戻ろうとすると、廊下の展示品を見ている二人の日本人がいたので声をかける。彼らは6階のドミトリーに泊まっているそうだ。
「僕らも昨日の夜に上海に来たんですけどね、ドミに金城武そっくりの男が泊まってるんですよ」
「えっ、金城武!」
「ほんとにそっくりですよ」
「まさか本人じゃあ.....」
「見に来ますか」
「行く行く行く!」
ここのドミは男女別になっているそうだ。部屋も清潔で窓からはほんのわずかだが黄浦江が見える。彼らの他には日本人と韓国人が一人づつ泊まっていた。韓国人が聞く。
「何でそんなかっこしてんの? パジャマ代わり?」
「公園をジョギングしてきたんだ」
「はっはっはっ。クレージー」
ほっとけ。
「あれ? さっきまでいたのにな。出かけたみたいですね」
あ”~っ、残念。タケシ、私をおいてどこに行っちゃたの。
「タケシの寝ていたベッドはどこかしら?」
「は? あそこですけど」
「タケシ~」と叫んでベッドに飛び込む。
「.............。私、別に変態じゃないからね」
「は、はあ~」
「われわれはこんなことしてる暇ないねん(お前が勝手にやってただけやろ)。早いとこ、このホテルをチェックアウトして新しいホテルに移らんと」
「どこに泊まるんですか」
「ピース・ホテル」
「あそこ、空いてるかなあ。昨日も満室だと断られて、ここのドミに来た人がいましたから」
「とにかく行ってみるわ。タケシに会ったら、よろしく言っといて」
ピース・ホテル(和平飯店)は上海銀座の南京東路を挟んで北楼と南楼がある。和平飯店といえば、バンド。バンドといえば、和平飯店だというくらい、バンドを象徴するホテルである。一生に一遍だけ泊まってみても罰は当たらんだろうと思ったが、今日も明日もあさってもやっぱり満室だった。仕方なく、その日はバンドの対岸にあるホテルに泊まる。部屋から小学校の校庭が見えるのだが、この寒さにも何のその、大勢の大人がダンスを踊っている。今日は大晦日やったなあ。それにしても寒くないんか?
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
ダンスは良いけれども、太極拳は寒いから中止。空手の道着を着用して公園をジョギングしたらコリアンから「クレイジー。」と冷やかされる。辛いですね。
だけど、ホテルは本当に一流のようです。インターネット上で紹介されてる写真を見ただけでもそれなりに感嘆します。
金城武氏は現在でもご活躍されてますね。平成10年代ばかりか平成20年代になっても知名度は高いと思います。
続きます。


NO61 上海日記 4日目(続々)

at 2005 02/16 23:29 編集

その夜、オールドバーでジャズを聴くために再び和平飯店を訪ねた。メンバーは平均年齢70歳台の老人であり、このホテルの名物である。大晦日のせいか、満席で少し待たされたが、相席でテーブルに着いた。アメリカンスタイルのカウンターやローソクのシャンデリアが租界時代を想わせる。一時間ほど演奏を楽しんだ後、和平飯店を探索することにした。もう十何年も前のことだが、桐島洋子さんの本でこんな文章を読んだことがあったのだ。
「和平飯店は40年前にはじめて上海に渡ったときにしばらく滞在したキャセイ・ホテルであり、このホテルこそ私にとって外国の原体験なのだ。幼い私が絶望的に長い廊下を魔法使いに追いかけられながら必死に走る夢を今でも私はときどき見るが、それは明らかにこのホテルの廊下であり、魔法使いの方はディズニーの白雪姫の継母である。40年ぶりに歩く廊下は気味が悪くなるほど夢の中の景色のままだった。」 (大草原に潮騒が聴える)
その幻想的な廊下のイメージは上海、キャセイ・ホテル(和平飯店北楼)、といった妖しい響きと相俟って、まだ海外に出たことのない私の脳裏にしっかりと刻み込まれた。その長年抱いてきたイメージがついに目の当たりになろうとは。エレベーターで階ごとに降り、廊下を歩く。赤、階によっては青の絨毯が壁の淡い照明に浮かび上がり、進むにつれて租界時代にタイムスリップしていくようだ。南京条約によってイギリス軍が上海を開港し、さらには欧米列強諸国が管理する共同租界となったバンド。極東最大の都市、アジアの貿易、金融の中心地、日支間の思惑が交錯した国際都市、魔都、上海。初めて足を踏み入れた和平飯店は私にとっても想像と寸分たがわぬ光景だった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代に平均年齢70歳台の老人達は平成20年代にも生きているのでしょうか?案外、現在でもオールドバーでジャズを聞いてるかもしれません。夢を現実に。著作で紹介された場所を実際に赴くと感動すると思います。その感動の度合は、距離が自宅から遠い分比例してくると考えられます。 意外に思われるかもしれませんが、ホテルそのものが観光名所になってるようです。
続きます。
NO62 上海日記 4日目(続々々)

at 2005 02/21 23:38 編集

ホテルを出て帰ろうと南京路を歩いていると、逆方向からわさわさと人が歩いてくる。しばらくすると今度はばらばらと大勢の人が走ってきた。時計を見ると12時前。われわれも急いで彼らについていく。バンドの地下道は人民であふれている。暗いので物乞いを踏んづけてしまった。ご、ごめん。あっ、今度は物売りを踏んづけた。遊歩道に出ると、人民と外国人で立錐の余地もない。カウントダウンが始まり、新年になるとあちこちで花火が上がる。2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。彼らもバンドでカウントダウンを祝い、今から同宿の9人で飲みに行くそうだ。一緒にと誘われたが、われわれは酒を飲まないので残念ながら辞退した。私はドミトリーにはほとんど泊まったことがないのだが、ドミもいいもんだな~と思う。地下鉄が止まっていたので、タクシーを捕まえようとするが、空車が走っていない。近くの交差点で客を降ろすためにタクシーが停まったので、猛ダッシュで飛びつく。血相変えながら日本人が飛び込んできたので、運転手もさぞかし驚いたことであろう。それにしても、どのタクシーも助手席と後部座席は強化プラスチックで運転席と完全に分離されている。上海も物騒になったもんだ。1時帰館。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成16年(2004年)から平成17年(2005年)にかけての上海旅行記です。日本のタクシーとは違う点は治安対策が強化されてる点のようですね。地下鉄は日本であっても遅くとも午後11時前に乗車しないと目的地に行けない可能性はございますね。中国(上海)はどうなのでしょうか?私は皆目見当がつかないので各自でお調べください。
ドリアン長野とKさんは充実した一日を過ごされたようです。念のためにお伝えしますが、私はドリアン長野と海外旅行をしたことはありません。 
来月は上海日記五日目リターンズを新規投稿します。皆様、お待ちくださいませ。(過去形です)

地下鉄で女子高生が 平成26年2月
2014/2/14(金) 午後 11:08
地下鉄で女子高生が

「うちな、映画でよく『全米が涙した』とかゆうやん、あれ聞くたびに、何人泣いたんや、二億人が泣いたんか!と思うねん。誰か数えたんかい!ってテレビに一人で突っ込んでまうねん。うちのおじいちゃん善兵衛って名前やねん。おじいちゃん泣いてるとこ想像してしまうやんか!」

思わず吹きました。

思えば高校時代からピストルズのアルバムを何百回と聴いてきた 平成26年2月
2014/2/16(日) 午後 4:34
思えば高校時代からピストルズのアルバムを何百回と聴いてきた。

先日オアシスを聴いて思ったのだけど、「スタンド バイ ミー」の歌詞にある nobody knows way it's gonna be のknows をノエルが長母音で歌っている箇所、「アイ ホープ、アイ シンク、アイ ノウ」の中の you'll never forget my name と歌っている箇所はジョニーロットンを彷彿させる、というかそっくりだと思う。ノエルは「BE HERE NOW」をビートルズの「ホワイト アルバム」と「リボルバー」をかけ合わせたようなアルバムにしたい、と語っていたそうだけど、何だか感慨深い。 私感では ビートルズ×セックスピストルズ÷2=オアシス という図式です。

サウスパラダイスカフェ 平成26年2月 2014/2/22(土) 午後 11:09

テーブルを拭き拭き(この後店員さんにもう一枚ウエットティッシュをもらう)そして後ろが気になる。  サウスパラダイスカフェ





ローリングストーンズ 平成26年2月  2014/2/27(木) 午後 8:01
8年前、ローリングストーンズのコンサートのチケットをネットで取ったら、なぜか前日のコンサートも当選しましたと、一日分の料金で二日連続、観ることができた。二日目は時間を間違えて、連れから「行かないの?」と電話がかかってきて、慌てて家を出た。京セラドームに着いて急いで階段を上っていったら一曲目の「ブラウンシュガー」が聞こえてきたのだった。
ステージを所狭しと歌いまくるミックがキースとぶつかり、キースがムッと睨みつける。あわやケンカかと思ったのだが、当時二人とも62歳、まだまだ血気盛んだなと妙に感心したのだった。

管理人マーキュリーマークの皆様への伝達事項
実は、イラク戦争が開戦した時(平成15年3月20日)にドリアン長野の好意で私もローリングストーンズのライブを見に行けました。 以下に転載しました。但しほんの少しだけです。主に違うミュージシャンのお話ですが読み進めるとローリングストーンズのライブについても若干述べています。
以上、管理人マーキュリーマークでした。

まりりんまんそんライブインオーサカ(リターンズ 特別編  #19と#20を兼ねてます)
2011-07-01 | Weblog
NO19 まりりんまんそんライブインオーサカ

at 2003 09/26 23:20
まりりんまんそんのコンサートに行ってきました。大阪城ホールのアリーナです。アリーナ席なんて生まれて初めてです。まりちゃんと目があって「あとで楽屋に来いよ」なんて言われたらどうしよう(ドキドキ)。ホール前にはたくさんの屋台が出ていました。フランクフルト屋のおっちゃんが「まりりんまんそんも大好きなフランクフルトやでー」と言うので、思わず「うそやっ!」とつっこむと、「うそやないって。うそやったら、おっちゃんお金返したるわ」とぬかしよります。「何言ってんの、まりちゃんが好きなのは別のフランクフルト.....。」やだわ私ったら、おほほ。会場に近づくと、黒い衣装をまとったかなりイタい若者たちがたむろってます。まるでバンコクの娼婦みたいです。ああ~っ、勘弁してくれ~。俺が悪かった~!(いったい何があったんだ!)
 入場の際にはボディチェックがありました。ストーンズのコンサートでもなかったのに。まりちゃんのファンにはガイキチがたくさんいるからですね、きっと。アメリカでのコンサートは大変だと思います。
 二階席へと向かう客を尻目に地下に降りていきます。なんてたってアリーナですから。しかし私は自分の目を疑いました。これはただの一階席。しかも最後列。ステージからは50メートルは離れています。まりちゃんと目があうなんてことは絶対にありません。なんでやねーん、責任者出てこーい!わしは人生幸朗師匠かーい!と一人でつっこんでいるといきなり大音響です。そうでした、今宵のサポート・バンド(早い話が前座です)は「BUCK-TICK」なんだそうです。私は彼らを聴くのも見るのも初めてですが、ビジュアル系のパンク・バンド(?)という感じです。もういいんでわないかっ。もう充分でわないかっ。と思うほど存分に演奏した彼らはやっと引き上げて行きました。多分、アルコールとドラッグでへろへろになったまりちゃんの体力が続かないので時間稼ぎをしてるんだと思います。ずるいと思います。それからステージではサウンドチェックを入念にし始めました。まりちゃんはなかなか出てきません。おしっこに行って帰ってきてもまだ出てきません。世界中で何百万枚CDを売っているかしらんが、一万人の客を待たすとはいい度胸してんじゃねえか、最近天狗になってんじゃねえか、まりちゃんわ。とドス黒い心がわき上がってきた頃にやっと出てきました。開演から1時間半後のことです。(つづく)
NO20 まりりんまんそんライブインオーサカ完結編

at 2003 10/10 01:23 編集

 まりちゃんは取り憑かれたようにfuckやshitを連発する痴れ者で下品な男です。
「よく来たな、マザーファッカーども」
 イエ~イ!
(うるせー!)
「おまえたちのファッキンな中指を俺にみせてみろ」
 イエ~イ!
(ああっ、下品だ)
ステージでは猥褻な女が二人、猥褻なダンスをしています。観客のみなさんは物のけのように踊り狂っていらっしゃいます。熱狂的なコンサート風景を観て、「まるで宗教のようだ」とおっしゃる人がいますが、音楽と宗教は最も遠い所にあると思います。まりちゃんもそこら辺はよくわきまえていて、エンターテインメントに徹しています。まりちゃんの音楽はエッチな本を読んで興奮しちゃったくらいの意味合いしか持たないと思います。たまに興奮し過ぎて銃を乱射しちゃったりするバカちんもいますが。ロック・ヒーローは教祖だと言う人はディズニーランドは宗教だと言ってるようなものです。私は町田康の「CDを800万枚売ったからといって、社会を変えたということになるんでしょうか?社会を変えたいというより、社会によって自分が変えられたいと思います」という言葉を思い出しました。
 いつしかステージ上にはミッキー・マウスを似せて作った世界一邪悪なレプリカ、ミッキー・マンソンが登場しました。さすが裏ディズニーランドです(私は行ったことがないので何だかざまあみろです)。なんだかんだとアンコールもなしに10時きっかりにコンサートは終わりました。
20時20分 バックステージ
「まりりん、出番10分前だぞ」
「ああ」
「また震えているのか」
「何度経験してもステージに上がる前は緊張するんだ。俺は子供の頃から赤面症で対人恐怖症だからな」
「カリスマを演じるのも大変だな。ところで、ステージで破る聖書はどうするんだい? 」
「今回はいい。ここは日本だからな。それよりも俺の大好物のフランクフルトは用意してあるんだろうな?」
「大丈夫だ。ライブが終わったら浴びるほど食べてくれ」
「よし、いつものように円陣を組もう。メンバーとスタッフを呼んでくれ」
「わかった。みんな集まってくれ!」
「みんな、心の準備はいいだろうな。スティーブン、ミッキー・マンソンのレプリカは修理できてるな」
「もちろん、バッチリだよ。まりりん」
「昨日のフクオカのライブで少し破けちゃったからな。今回はゆっくりめに倒してみてくれ。キリストにミッキー・マウスの次はス○ーピーだな。いや何でもない、 こっちのことだ。ロザンナにケイト、いつも恥ずかしい踊りをさせてすまんな」
「なに言ってんの、まりりん。それは言わない約束でしょ」
「そうだったな。今日の打ち上げは西田辺の『酔虎伝』を10時半から予約してあるから思う存分飲んでくれ。でも12時までだぞ、次の公演に差し障るからな。ようし、  ジェローム、いつものやつをやってくれ」
「オーケー、みんな用意はいいか?それじゃあ、いくぞ!世界で最も偉大なアーテ ィストは?」
「まりりん!!」
「マイケル・ジャクソンよりもCDを売るアーティストは?」
「まりりん!!」
「ブッシュ大統領よりも影響力のあるアーティストは?」
「まりりん!!」
「僕たちはみんなまりりんが」
「大好きさ!!」
「ありがとう、みんな。俺が今日あるのは仲間の支えがあってこそだ。今夜もコンサートの成功を願って祈ろう。みんな、目を閉じてくれ。............我らの音楽を司る神よ、我々の奏でる音によって世界が融合されますように。人類のうちに争いも 餓えもなくなり、人々が穏やかに日々を過ごせますように。天国も地獄もなく、ただ今日という日のために生きていくことができますように。殺すことも死ぬこともなく、平和のうちに暮らしていけますように。想像してごらん、国境も宗教さえもなく......」
「ちょっと、まりりん。それって、ジョン・レノンの『イマジン』じゃないの」
「あっ、そうか。こりゃ一本取られたな。あっはっは」
「いやだわ、まりりんたらっ。あはは」
「まりりん、すっかり緊張がとけたようだな。これで今晩も大成功間違いなしだ。 うあっはっはっは..........」
なわけないですよね。あっ、私は会場で売ってたまりりんTシャツ(3500円)を買いました。さすがにまりりんポスターやマリリン携帯ストラップまでは買いませんでしたが。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 特別に、前編後編を一本化しました。
今回は国内旅行記というか地元でのライブに行って来た感想文です。 情けない人のライブです。平成十年代だから楽しめたのかもしれません。今となっては、単なる変態ですからね。大衆の飽きは、早いです。 平成20年代にはアルバムが発売されていたようなのは認めるが2010年代は(2011年四月現在)アルバムが発売されていないようです。けど、アーティストが一年間以上アルバムを発売されないのはよくあるお話?
(2019年4月に追記 どうも、二年間に一度の割合でアルバムを販売してるようです)
ご本人が、彼のDVDというか映像を見ている時に当時のドリアン長野宅にお邪魔したら、「本物がやってきた。」と言われました。ここが皆さんにとって一番、笑える部分かもしれませんね。もっと、エグイ奴もいますけどもね。
ちなみに、ローリングストーンズのコンサートはクラシックの音楽のように静かに聴く必要があったのは、京セラドーム大阪では楽しむのが難しいからです。
今回に限ってはツイートをするのが恥ずかしいから見送りました。
来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。(過去形です)
以上、マーキュリーマークでした。


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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花