2019年4月14日日曜日

2014年3月と4月と5月のyahooブログ上の投稿

上海日記 5日目 in 1 (リターンズ) 
2014/3/1(土) 午後 5:06 NO.63 上海日記 5日目
at 2005 03/02 23:44 編集

8時半起床。寝ているときに寒さで何度もトイレに行ったが、エアコンの暖房がいつの間にか冷房になっていた。これが噂に聞くチャイナマジックか。K君は「風邪をひきましたあ」と情けない声を出して、げほげほいっている。次の宿泊地の豫園にタクシーで移動。上海の観光地といったらバンドと豫園しかない。豫園は明代に造園された役人の個人的な庭園で、何度も破壊されながらも修復され、今に至っているそうである。庭園の横には土産物屋や上海料理店がひしめき合い、屋台では人民が小吃(スナック)に喰らいつき、子供はわあわあと走り回り、中国のおのぼりさんがあっちこっちで記念写真を撮りまくり、ツアーの日本人観光客がぞろぞろと土産物を買い漁っているという、浅草をもっと巨大にしたような感じである。豫園内にある上海老飯店というレストランの中にあるホテルにチェックイン。上海老飯店は1875年創業の老舗で、ホテルに貼ってあった写真によると、江沢民もクリントン夫妻も食事に来たことがあるそうである。うふふ、たまにはこれくらいの、じゅるるっ、おごっそうを食べても、よだれが、いいんじゃないかい。今晩の食事が楽しみだ。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

今回も一まとめにしたin 1でリターンズを発表します。
中国では高級そうなホテルであっても暖房から冷房に勝手に切り替わるらしいですね。一説によるとPM2.5が少なくともおよそ10年前から多く発生してると言われている。この海外旅行記は平成17年に発表されました。その前後の時期の中国旅行だとするとエアコンよりもPM2.5で呼吸器に悪影響があった恐れがありますね。 最近は過去よりも多くのPM2.5で中国、北朝鮮、韓国、そして日本が苦しんでいます。
観光地は日中を問わず同じような雰囲気のようですね。
続きます。 
NO64 上海日記 5日目(続)

at 2005 03/10 22:09 編集

日本の団体ツアーに紛れ込み、添乗員の説明にうなづきながら庭園を見てまわる。最後にはしっかりと記念撮影にも収まった。そこから歩いて老西門(ラオシーメン)に行く。ここら辺は租界時代も外国人が立ち入ることができなかった地域で猥雑な下町である。路地には古い木造アパートや商店が犇めき、軒先からは洗濯物が邪悪なオブジェの如くこれでもかというほど垂れ下がり、女性の下着もためらうことなくこれでもかというほど干してある。下着泥棒なんかは出ないのか。馬桶(マートン。簡易便器)にたまった糞尿や生ゴミを捨てにくる公衆ゴミ集積場もあって、冬だからいいものの夏場はかなり臭いそうだ。遠くに見えるバンドの近未来的なビル群とのコントラストが何だかおされである。え~っ! うっそ~! ここがあのチョーおっしゃれ~でリッチな上海なの~? ケイコ、まじで信じられな~いって感じい。などとツアーのギャルを連れてきたら言いそうだ。そんなことよりも、びびってばかりのK君がここにきて目が輝きだした。
「すごいですね。これこそ庶民の街ですね」
異常に興奮している。腹が減ったので近くの小汚い食堂で焼そばを食べる。
「スープも注文したいんですけど、中国語で何て言うんですか」
「湯(タン)だよ」
夢中で麺をすすり、スープを飲み干すK君。今まで緊張でろくに食べてなかったので無理もないか。食事を終え、外に出る。
「あれで5元(65円)って安いですねえ。スープはおまけしてくれたんですね。これこそ庶民の食事ですよね」
と、庶民を連発するK君。ちょっとうざいんですけど~。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

相変わらずおバカな行動を取ってると思います。添乗員の人って仕事で観光案内をしてるから搾取は悪質な行動だと思います。老西門(ラオシーメン)の特徴について述べてる部分はそれなりに関心するとは思います。元々、この海外旅行記は平成17年に発表しました。2010年(平成22年)から現在に至る迄、活躍してるタイガースのマット・マートン選手と今回の上海旅行記とは一切無関係である点は強調しておきます。
(追記2010年から2015年迄、マット・マートン選手はタイガースの選手でした)
神経質な日本人女性がみたらドン引きするような説明も必要だったとは思います。
日本国内で47都道府県中、40以上の町で営業してる私の好きな大阪王将でも店内で食事をするとスープのサービスがあったから驚かない人もおられるかもしれません。但し、店舗によって経営方針が違うから全てのお店でスープが提供されるかどうかは不明です。
金額的に安価であってもチャイナの食品は危険視されているから個人的には推奨が難しいです。無論、日本国内の中華料理店は良い仕事をされているのでお勧めします。
NO65 上海日記 5日目(続々)

at 2005 03/18 18:34 編集

「髪を切ってもらいましょう。記念になりますから」
と、K君はどんどん歩きだし、一軒の散髪屋に入っていった。料金を聞くが、いかんせん通じない。やっと三軒目で5元だと言われ、切ってもらっていた。もともと彼の髪は短かったのであまり変わらなかったけど。そこからさらに南に下って、文廟(ウエンミャオ)へ。ここら辺も日本の昭和初期みたいな感じである。「洗足屋」を見つけ、入ってみる。マッサージ用の寝椅子が三つあるほどの小さな店。家族でやっているようだ。中学生くらいの少女が二人出てくる。よくしゃべる彼女たちに中国語を教えてもらいながら、一時間ほど足をマッサージしてもらう。料金は15元(200円)だった。外に出ると、まだ6時なのにあたりは真っ暗。ほとんど明かりがない。来た道に戻ろうとうろうろする。公衆便所を見つけ、入ろうとすると暗闇の中から男の白い顔がぬっと現われた。初めは、いやぁっ、生首!とびっくり。近づくにつれて、なんだ、便所の料金を徴収するおっちゃんかと思っていたが、中に入ってみてもっとびっくり。おっちゃんは小便の溝に向かって大便をしていたのだった。そこは小便専用の便所で、大便できる便所は有料だからなんだろう、きっと。恐るべし! おっちゃんの横で用を足しながら、K君と「中国人はすごいな」と感心しあうのであった。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
散髪をチャイナでしてもらうのも彼等の勝手だしいわゆる足つぼマッサージをしてもらうのも勝手だが後は下品の一言です。

NO66 上海日記 5日目(続々々)

at 2005 03/23 21:07 編集

ホテルに戻って上海料理を堪能する。ピータン、魚と椎茸のスープ、上海蟹と豆腐の混ぜ物、川エビの揚げ物、魚の醤油煮、揚州炒飯。我を忘れてがっつくほど、全て絶品である。しかも、これだけ食べても一人1300円ほど。
「さすが老舗レストラン。うまいねえ」
とK君に言っても、「はあ~」と気のない返事をするばかり。彼にとっては下町で食べた食事の方がよほどご馳走だったらしい。
10時過ぎにタクシーで淮海中路へと繰り出す。ここは上海の若者が集まる最先端のおされなストリートだ。上海在住の美人作家、衛慧(ウェイホェイ)の「上海ベイビー」には、「この地域は、ニューヨークの五番街、あるいはパリのシャンゼリゼ通りに相当する。」などと書いてある。われわれが目指すのはクラブ&ディスコの「ROJAM」である。上海にクラブやディスコは数多くあれど、ナンバーワンといえば、小室哲哉プロデュースのここである。音楽情報発信地として、アジアのミュージシャンのライブにも使われている。最近では藤井隆(フミヤじゃないよ)のライブも行なわれた。入場料80元はバカ高いが(正月料金か)、ディスコ・フロアーは既に芋の子を洗うようだ。英語のDJに乗って、轟音のようなサイバートランス&クラブミュージックが炸裂し、ライトとスモークが交錯しちゃったりして、もう大変なんである。いや、実は大変なのは私なのだが、いいから落ち着け。それにお立ち台というか、ステージがある。それを目にすると、たちまち辛抱たまらんの脳がスイッチオ~ン! 犬のように駆け上がり、踊りまくる。ああ、何て気持ちいいのかしら。生まれ変わったら、ダンサーになるわ! サンキュー、てっちゃん(注:小室)! 汗びっしょりになり、ジャケットの靴も靴下も脱ぎ捨て、〇ロインを求め狂うジャンキーのように1時間ノンストップで踊った。ホントはもっと踊っていたかったけど、K君が風邪気味なので早く切り上げることにした(大人)。そのK君はフロアーでぼ~っとしていたら、女性客に、「飲み物おごってあげるわ」と声を掛けられたそうだ。断ってよかったな。ついていってたら、有り金全て没収されてたな。
外に出ると、夜風が火照った肌に心地いい。「踊り~疲れた~ディスコの帰り~」(by BORO)のメロディーが頭に鳴り響くのであった(ふるぅっ)。ホテルに1時帰館。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
ホテルの料理は絶品だったようです。ROJAMさんは平成10年代には存在していたが現在は存在してないそうです。ROJAM DISCOさんは2009年(平成21年)には閉店され会社も株主が大きく変わり改名し会社は存続したそうですが、過去の経営とは大きく変わったそうです。
他の事柄でも平成10年代と平成20年代とでは大違いであったりします。やはり、リーマンショックの影響は小さくなかったようです。
来月は上海日記六日目を発表します。 皆様、お楽しみください。
オマケ 参考として日本の中華料理店で提供されてる中華スープを紹介します。
ドリアン長野からのお知らせ 平成26年3月  2014/3/6(木) 午後 1:48

たくさんの誕生日メッセージありがとうございました。一人一人に返事をしましたが、なぜか何人かはタイムラインから消えていました。お礼の返事ができなかった人、ごめんなさい。
全てのメッセージは読ませていただきました。重ね重ね、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。(写真のケーキは妻が作ってくれました。甘いものが苦手なワタシでも食べられる甘さでした)

食品について 平成26年3月  2014/3/8(土) 午後 3:31
ケーキが穴だらけになるのでロウソクは立てませんでした(笑)私も甘いものが大好きでしたが、砂糖は百害あって一利なしということを知り、摂らないようにしていました。すると白砂糖の入った食品を口にしたら、血糖値が急上昇し、汗が出てきたり、頭痛がするようになったので自然と甘いものを控えるようになりました。今では砂糖の映像を見るだけで血糖値が上がります(笑)。安価な塩化ナトリウムはほとんどの食品に使われていますね。自宅の食事は私が作っていますが、人間にはミネラルなどを含んだ塩分も必要だということで、自然塩に替えたところ非常に体の調子が良いようです。ちなみに私も酒もタバコもやりません。早食いは太りやすいとはよく言われることですが、他にもよく咀嚼することでベルオキシターゼという非常に強力な抗がん物質が唾液から分泌されると聞いたことがあります。

銅像について 平成26年3月  2014/3/13(木) 午後 11:51
東出昌大 インタビュー  「『ごちそうさん』の撮影で大阪におられたと思いますが、大阪はどうでしたか?」  「どっぷり楽しみました(笑)。10ヶ月ほど阿波座にいたんですが、靱公園ってあるじゃないですか。そこのテニスコート付近を毎晩走っていました。で、公園内のベビーカーを押している家族の銅像って…わかります?夜だったので、あれにはめちゃくちゃ驚かされて(笑)」  地元の人間なら、あ~あ~と首肯するだろう。あっこの銅像はリアルで夜行ったら絶対腰抜かしますよ。(笑)

靱公園 平成26年3月 修正削除移動 記事をクリップするクリップ追加
2014/3/15(土) 午後 8:30 日記 練習用
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靱公園は戦後GHQに収監され飛行場になりました。現在は、なにわ筋を挟んで西側は国際大会も開かれるテニスコート、東側はバラ園で名高い大阪市内有数の公園となっています。周辺にはカフェやレストランが立ち並び、オサレなマッダームが洋犬を散歩させています。
東出昌大さんが近くの阿波座に滞在中、毎晩ジョギングしていて、公園内の銅像を見て、めちゃくちゃびっくりしたそうです。妙にリアルですからね。夜に見たら驚きもひとしおでしょう。長身の東出さんがジョギングしていたら目立つでしょうね^ ^。

大阪滞在中は市民でも知らないようなディープな場所を観光していたそうです。
「緒方洪庵の『適塾』が改装工事で見られなかったのは残念でしたね。あと、大阪ならではなのディープスポットも結構訪れましたよ。多分大阪の人でもわからないような(笑)」本人談

悠太郎さん、いつになったら満州から引き上げてくるんでしょうか。








【正義感】 平成26年3月  2014/3/18(火) 午後 9:04

「ごちそうさん」を録画して夕食時に家族で観ることが多い。先週は、め以子が闇市で警察の手入れに遭う話だった。手入れだとわかり、逃げ惑う人たち。め以子も捕まり、闇米を没収されそうになる。め以子がたまらなくなって、叫ぶ。
「わたしら、何も悪いことしてへんやないの!食べ物持っていって、あんたら、わたしらに死ね言うんか!」
その時、テレビを観ていた二歳半の娘が叫んだ。
「だめでしょう!だめでしょう!」
顔を見ると眉根を吊り上げ、眉間にしわを寄せて、憤懣やる方ないという表情でもあり、今にも泣き出しそうな表情でもあり、小さな体いっぱいに感情を露わにしている様子である。妻が言った。
「正義感が強いんやなあ」
私は幼子でも世の中の理不尽に対して憤りを感じることがあるんだなあ、とちょっと驚いた。その時はちょっと驚いただけだったが、後になってその光景を思い出すと、何だか鼻の奥がツンとして涙が出そうになる。人がいる時は、まずい。だから咳を出すふりをして誤魔化す。関東の人にも大阪弁が浸透していってほしいです…

今回は特別にご連絡 平成26年3月  2014/3/24(月) 午後 10:36

マーキュリーマークが行う皆様への伝達事項
今月も、残す所一週間あるが今回は特別にご連絡をします。管理人マーキュリーマークは、ドリアン長野がフェイスブック上で伝えた内容を可能な限りヤフーブログやツイッターで発表するようにしてます。所が片方が体調不良や多忙であると新規投稿が不可能になる事がございます。可能な限り毎日、何らかの新規投稿をしたい所ですが、我々も弱い人間なので不可能な事がございます。今月は、残念ながら新規投稿が行えない日がありました。ご勘弁ください。(追記 過去形です)
以上、管理人 マーキュリーマークでした。
イメージ 1

来月、兵庫で行われるドリアン長野初ライブについての告知 平成26年3月
2014/3/26(水) 午後 5:54



上記をクリック。
ドリアン長野
「天安門 ~序曲」「カンボジア」
「ODAQ DE OBAQ」
そして新曲「プロメテウスの火」

兵庫のシアタージャジーについてはコチラをクリック 

予定が発表されました。

管理人マーキュリーマークの皆様への伝達事項
結論から伝えると私は来月、兵庫に行かないかもしれません。色々とありまして現時点では参加は難しいです。ドリアン長野の奥さんの地元の兵庫で初ライブが行われるのは喜ばしいし祝福したいですが私にも都合がございます。参加が行えない可能性が高いので、代わりに告知だけはさせていただきました。半ば、余談かもしれませんが兵庫の隣町は岡山県、京都府、大阪府、そしてドリアン長野の地元の鳥取県ですね。
以上、管理人マーキュリーマークでした。

上海日記 6日目 in 1 (リターンズ) 2014/4/7(月) 午後 11:23 日記 練習用

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

今回も一まとめにしたin 1でリターンズを発表します。
NO67 上海日記 6日目

at 2005 04/19 22:36 編集

8時起床。戦前に日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュ)地区に移動。ホテルの目の前に魯迅公園がある。近くにある多倫路文化名人街で食べた6角(8円 平成17年当時の金額)の肉饅がとても美味だった。地下鉄で上海駅に行くと、ものすごい人。地下鉄のホームで待っていた小姐(若い女性)がどどっと降りてきた乗客に揉みくちゃにされ、くるくると回転していた。観察していると、白線の前に仁王立ちして電車のドアが開くと同時に乗り込もうとする者があちこちにいる。もちろん吐き出される乗客の圧倒的な物量に負けてあちこちでくるくる舞っておるが。なぜだ? なぜ中国人はちゃんと列を作って待ってられんのだ。しょっちゅう、服務員が「ちゃんと並べ!」とマイクで青筋立ててがなってるぞ。そういえば、ぎゅうぎゅう詰めのバスでも、降りようとする者より先に乗り込もうとするお茶目なやつらだからな。なぜ学習せん、中国人! けど、あの回転している中国人を思い出すと、悪いが笑ってしまうわあっ! ぶあっはっはっはっはあ! くっ、苦しい、笑いすぎて涙が....。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

公衆道徳って重要ですよね。ドリアン長野が嘲笑したからか後述しますが、少し辛い試練を体験することになりました。
実際の所、日本でも同じような問題が過去にあって人気のある路線では乗客増に応える為に駅のホームの延長工事をして車両連結数を増やしたそうです。一応は一般車両であれば15輌、総延長300mが日本の限度だそうです。営業距離がJRよりも短いことが多い私鉄であっても車両の座席数を減らしてドアを増やしたり大型化した前例もあったそうです。近距離であれば悪くない選択です。長距離移動になると乗車時間も比例するのでドアの数を1ドアにして座席数を増やす必要がございますね。普段、余り気にしないでしょうが車両の連結数が多いか少ないかでその路線の人気がよく分りますし反映されてます。 
NO68 上海日記 6日目(続)

at 2005 04/12 23:54 編集


今日は日曜なので宗派を問わず礼拝できるという「国際礼拝堂」に行く。着くとすぐにシンガポール出身だという信者が案内してくれた。中国語の聖餐会が終わり、今から英語の聖餐会が始まるそうだ。礼拝堂はゴシック様式でとても広い。これほどりっぱな教会がよく文革で破壊されずに残っていたもんだ。徐々に人が集まり、時間になると二階席までびっしりと埋まった。ざっと数えてみても800人はいるだろう。説教台でアコギにアンプをつないだ黒人青年がいきなり歌い始めた。
「主を讃えよう。主と共に歩もう。天国はわれらのもの」
スクリーンに歌詞が写し出され、800人が立ち上がって合唱する。壮観。ゴスペルではなく、何と言うかこれはアメリカン・ポップスである。感極まって全身をうち震わせながら歌う者もいるのだが、賛美歌が終わっても黒人青年はギターをつま弾きながら何かつぶやいている。ラップでも始めたのかと思ったが、よく聞くと彼はお祈りをしているのであった。周りを見るとさっきまで歌っていた信者は目を閉じて頭を垂れている。このように歌と祈りの境界線のない賛美歌が何曲か続き、中国人、白人、黒人の牧師による説教があり、再び賛美歌を歌い、二時間半におよぶコンサートじゃなかった、礼拝は終了した。信者が席を立っても黒人青年はギターをかき鳴らしながら、延々と歌っている。もう少しすると、第三部のコンサートじゃなかった、礼拝が始まるのだろう。近くにいた、上海の大学に留学中だという日本人女性に話を聞いてみた。
「以前より緩やかになったといっても、まだまだ中国ではキリスト教に対して規制がありますね。ほとんどのクリスチャンは日曜に各家庭でお祈りをしています。教会も少ないんですけど、こうやって皆と集って礼拝できるだけでも恵まれています。集会しただけでも処罰された時代もあったそうですから」
中国のクリスチャンに幸あれ。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
多くの人々が教会が関わる事柄で辛い体験をされてます。信仰の自由は素晴らしい権利ですね。それが認められてるから良い意味で霊的に過ごしたいですね。文革とは文化大革命の略称で多くの人々が中国で辛い思いをされた時期です。
一説によると中国に本拠を持たない教会は中国では認められないという時期もあったそうです。最近では香港で多くのキリスト教徒が祝福を受けているようです。
状況が厳しいと最善を尽くすのが良い意味での関の山だと思います。
NO69 上海日記 6日目(続々)

at 2005 04/20 21:50 編集

夕食をとりに南京東路へ。この上海一の繁華街に行くたびに思うのだが、中国のホントに田舎から出てきた人民がこの通りに来たら、腰を抜かさんばかりに驚くだろうな。ここだけは香港の繁華街以上だ。その南京東路にある有名なイスラム料理店に行く。羊肉のしゃぶしゃぶを食べるためだが、さすが有名店だけあって待っている人が列をなしている。われわれは31番の番号札を渡された。おれたちの前に30人もいるのか.....。待っている間にも客は次から次へとやってくる。果たして今晩はここで飯にありつけるのだろうか。せめて、この番号札をあとから来た人に5元で売りつけられないだろうかなどと考える。見ていると、面白いのが案内係の小姐だ。まだ顔に幼さが残る彼女は、一人で怒濤のごとく押しよせる客の苦情攻撃に対処している。
「いつまで待たせるんだ」
「ただ今満席ですからもう少し待ってください」
「俺はさっきから待ってんだぞ」
「席があいたら知らせますから」
「いつだ!」
「番号札渡したでしょ!」
「ねーちゃん、俺にも番号札くれ。なに! 48番だと! どうなってんだ!」
「今日は予約が多いの! ごちゃごちゃ言わずに大人しく待ってなさい!」
とまあ、このように(あくまで推測だけど)客とのバトルが展開しているのだった。日本だったら、店員は「すみません」とひたすら平身低頭だろう。私も声をかけると、「はぁ~っ?!」とおもいっきり不機嫌な顔をされた。帰国してから日本のコンビニの過剰なサービスに違和感を覚え、彼女の不機嫌な顔を懐かしく思い浮かべる今日この頃。
結局、その日はあきらめて帰った。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
前述したが少し辛い試練でしたね。夕食がこの日は食べられなかったようです。しかし、飲食店の場合は長い行列が出来ていたお店がしばらくしてから閉店したりと想像を超える出来事があったりしますね。日本では北海道を除外して羊肉はインターネット通販で購入が行えるようになりましたね。北海道では羊肉は一般的に多くの小売店で販売されてますね。但し、日本の場合は羊の飼育数が少ないから多くを輸入に頼ってるのも現実です。
リーマンショック後(平成20年以降)、不況になったと言われてる中国で未だに接客が悪いお店が存在してるのか否かについては各自でお調べください。日本でも景気が良くなると接客が悪いお店が増加する恐れはございます。不況であっても接客が悪いお店がありましたね。今回の上海日記は平成10年代に行われました。平成10年代と平成20年代は違いますよね。
皆様、次回、長文の上海日記七日目にご期待下さい。

関西初出店の心斎橋「Eggs'n'things」  2014/4/27(日) 午後 10:43





原宿店、湘南江の島店に続いて関西初出店の心斎橋「Eggs'n'things」。
パンケーキがメインのハワイアンレストラン。土曜日の夕方4時過ぎに行ったらまだ50人ほどの行列が。
ウンザリするほどの生クリームが乗っているパンケーキがウリだが、クリームは苦手なのでバナナパンケーキを注文。テーブルに置いてあるメープルシロップ、ココナッツシロップ、ラズベリーシロップはお好みでかけ放題。パンケーキ自体はあまり甘くないので、これは嬉しい。
スタッフが全員金髪か茶髪なのはハワイアンを醸し出すための強制ダイか。

上海日記 7日目 in 1/2 前半 Former (リターンズ)2014/4/30(水) 午後 11:43 
NO71 上海日記 7日目

at 2005 05/03 23:12 編集

7時半起床。空手着に着替えてホテルを飛び出し、目の前の魯迅公園に突入。入口でおばちゃんが何か叫んでいたが聞こえないふりをしてそのまま駆け抜ける。確か入園料が2元だったような気がしたが、小さいことにこだわってたらあかんで、おばちゃん! 公園にいるいる。太極拳をしているグループがあちらこちらに。その中の10人ほどの小さなグループに混ざり、見よう見まねで動きについていく。太極拳には前屈立ちとか後屈立ちとか半騎馬立ちとか、空手の立ち方が動きの流れの中に一瞬入っていて興味深い。まだまだ寒いので、皆さん着ぶくれでダルマ状態である。こちらはTシャツに空手着だけなのできつい。1時間ほどで終了。教えていたおばさんに礼を言うと、「初めてにしては上手だったよ」とお褒めの言葉をいただく。
ホテルに戻り、バイキングの朝食(3つ星以上のホテルには朝食がついているのだ)を摂る。今晩が最後の宿泊になるのでどこに泊まろうかと思案し、もう一度バンドに行くことにする。上海最後の夜は外白渡橋のたもとに建つ「上海大厦」に泊まることにした。ここは川島芳子(清朝最後の王女。満州事変、上海事変でスパイ活動を行ったとされる。東洋のマタハリ、男装の麗人と呼ばれ、大東亜戦争終結とともに逮捕、銃殺刑に処されるが、銃殺されたのは別人で日本で生き延びたという説あり)が定宿にしていたという由緒あるホテルだ。外白渡橋を上海滞在中に何度渡ったことだろう。「あしたのジョー」の丹下ジムは確か泪橋のたもとにあったはずだ。
「ジョー、いつかはこの泪橋を笑って渡るんだ」と外白渡橋を渡りながらつぶやいてみる(ちょっとバカ)。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
この上海日記七日目はとても長いお話です。24を連想しますね。川島芳子生存説は人気が高いようですが、昭和20年代に銃殺されたという考えが一般的ではあるようです。2010年代になって環境破壊が進んでスモッグが日常的に発生するに至ったチャイナではガスマスクをしながら屋外で太極拳をしてるようですが危険なので推奨することはしません。又、繰り返すようですがこの上海日記とは平成10年代の上海旅行記です。
今年、日本はチャイナの策略で船が取られそうになりましたね。 商船三井は貨物船が中国の裁判所に一時差し押さえられ、約40億円の供託金を支払った。サンフランシスコ講和条約は無効なのか?
NO72 上海日記 7日目(続)

at 2005 05/19 22:27 編集

上海の近代的な建物やおされな通りの裏には小汚い通りがセットになっている。そこには自転車に乗った人民が大挙して暴走し、アイドリング・ストップもなんのその、信号待ちでは空吹かしでぶおんぶおんいわせ、青信号に変わるとゼロヨンレースが始まり、歩道、車道所構わず屋台や物売りがひしめいているというアジアの正しい通りがある。そこで見つけた2元ショップでお土産を見繕い、露店CD屋で1枚5元の浜○あ○みや矢井○瞳や東○事変やア○リル・ラ○ーンのCDを買う。ふっと後ろを見ると、K君が買い食いしながら屋台のおっちゃんと楽しそうに話している。彼はこんな雰囲気の場所に来るとなぜか生き生きする。
そこで便意を催したので、近くの路地に入り公衆便所を探す。この狭い十字路は全体が日常雑貨を売る市場になっている。人込みをかき分け、便所にとび込み、排便する。
「よかった~。もう少しで中国でうんこたれになるとこだった」
と立ち上がると、水が流れる。いやにタイミングよく流れるなと思っていたら、壁についているセンサーが作動していた。中国のトイレも進化したもんだと感心し、外に出るとK君が、
「日本語がすごく上手なおねえさんがいて、もう少しでパンツを買わされそうになりましたよ。ちょっと、来てみてください」
と腕を引っ張る。K君、何を考えてんだ?
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
余りにも普通の旅行記ですね。但し、これも平成10年代であって最近とは全く様子が違ってきてるに違いないでしょう。
NO73 上海日記 7日目(続々)

at 2005 05/31 21:28 編集

K君に案内されて市場のまん中あたりまで行くと、われわれを目ざとく見つけたおねいさんが露店台に身を乗り出して日本語で叫ぶ。
「あんた、日本人ね。いいところ来た。パンツ買いなさい。カル○ン・クラ○ンのパンツだよ。あんただったらLサイズだね。1枚20元! とても安いね」
「とても安いねって、安くないよ。1枚10元にしなさい」
「なに、10元! 神様仏様。わたしもう首くくるね」
「おどかすんじゃないよ。高いからいらない」
「日本人お金もち、高くない。この毛沢東のTシャツ60元ね。小泉ヤスクニ行く、中国人怒るね」
「余計なこと言うんじゃないよ。これ友誼商店で50元で売ってたね。30元!」
「おー、あなた欲張り。上海物価タカイね。わたし暮らせない。首くくるね」
「わたしほんとの値段知ってるよ。欲張りあなたね。上海恐い、わたしもう来ないね」(言葉うつってる)
「なに言ってる、恐いのあなたよ。このライター買うか。80元でいいね」
と二人でわーわー言ってると、市場をうろうろしている靴磨きが集まってきた。
「あなたの靴磨く、オーケー?」
「こんなぼろぼろの靴磨いてもしゃーないやろ。ええって」
値切り倒したパンツとTシャツを抱え、手を振る。それでもやつらは
「磨かせて」
と五、六人があとをついてくる。ついてくんなっちゅうねん。帰りなさいって。磨きませんって。俺はブレーメンの音楽隊か。駆け足で逃げると一人がしつこく追いかけてきた。市場を出てもしばらくついてきたが、やっとあきらめて帰っていった。
「これ見て下さいよ」
とK君が片足を上げると靴に靴クリームがついている。
「あんなに熱心だったら磨かせてあげてもよかったですね」
K君がしみじみと言った。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
何だかこう悲しくなってきますね。商売だから少しでも売り上げと利益を計上したいのは理解するが販売方法が悪くて半ば強引だからかスーパーが中国でも利益を計上してるようです。 小泉元首相が発言される部分は平成10年代らしいですね。

NO74 上海日記 7日目(続々々)

at 2005 06/02 23:17 編集

K君がもう一度行きたいというので、文廟に行く。入口で「案内しますよ」と日本語で声をかけられた。大学で歴史を勉強しているという彼女、劉(りゅう)さんはここでガイドのバイトをしているそうだ。受付で10元の入場料を払って中へ。
「文廟は孔子を祭っています。孔子廟ともいいますね。元は最高学府、つまり大学でした」
劉さんが説明してくれる。観光客はいなくて、ひっそりしている。いや、パリから来たというバックパッカーのパリジャンがいた。一人旅で寂しそうだったのでみんなで記念写真を撮ってあげる。う~ん、シルブプレ~(適当)。
「この部屋で科挙の受験勉強しましたですね。進士というのを知ってますか? 科挙の最高の位です。進士はさらに順位をつけるために殿試という試験を受けましたんです。ここの建物は文化大革命でほとんど破壊されました。ほとんどの建築物はのちに再建されましたんです」
中国の大学生は正真正銘のエリートなので、将来国を担うという意識が強いせいか、とてもよく勉強する。劉さんもテレビの日本語講座で日本語を勉強し、まだ一年目だそうだ。最後に聞いてみた。
「毛沢東をどう思いますか」
「中国人はみなさん毛沢東を尊敬してます。私も尊敬してますですね」
さすが建国の父。腐っても鯛か。ちょっと意外だった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
中国の大学並びに大学生は本当によく勉強してるそうです。日本でも理系は別としても文科系は意見が分かれてるそうですね。共産主義について否定的であっても中国の大学教育の水準は低くないそうです。
NO75 上海日記 7日目(続々々々)

at 2005 06/13 22:51 編集

おととい行った洗足屋を探して下町をうろうろ。小さな町だけど、店が見つからなくてニ周も三周もする。夕暮れになるとあたりはすぐに暗くなる。
「ここら辺、歩いていると何だか懐かしい気持ちになりますね」
「そうやね。何度も歩いてるからこの町の路地に妙に詳しくなっちったな」
文廟の前の屋台を通り抜け、公衆便所がある四つ角をさらに真っすぐ進むと木造の崩れそうなアパート群がある。左折するとこれまた崩れそうな民家が続く。道端で野菜や肉を売っている路地を抜けると、雑貨屋や駄菓子屋の並ぶ通りに出る。西岸良平の漫画の半ズボンはいて洟をたらした子供が出てきそうだ。「狗肉」の貼り紙のある食堂(店員に聞くと売り切れだと言われた)を右折すると場違いなピンクの電飾で路地から浮いてるファンシーショップが一軒あって、ああ、あった。ここだよ。店に入ると生憎、家族で食事をしているところだったが、少し待ってから足をマッサージ。またもや中国語を教えてもらいながらたっぷり一時間。今日はぼられるかなと思っていたら、今日も15元だった。彼女たちが毎晩1時まで働くと聞いて、K君は
「え~っ、信じられない」と目を丸くしていた。
帰りにスーパーに入ると、レジのおばちゃんが、「あんたたち日本人かい。テレビで日本のドラマをよく観るよ」と話しかけてきた。
「テレビで日本語を少し覚えたよ。『バカヤロー』とか『スイマセン』とかね」(どんなドラマだ)
そのうちに仕事を放り出し、店員が集まってきた。口々に質問し始める。一人が何かをしゃべると、それを聞いてみんながどっと笑う。あ~もう、わけ分からん。上海でもここら辺まで来ると外国人が珍しいのか。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
夜間に照明があるかないかで大違いですよね。大通りや繁華街では明るくても郊外に入ると周囲が真っ暗になったりといった経験を私もしたことがあります。
それと、赴くのが少し難しい場所へ行くのには過去に一度行っても微妙に忘れていたりすることもありますよね。個人的になんですが奈良市でそういった経験をしたことが私にはありました。奈良市内は想像以上にお店が早く閉店されてました。昨今は長時間営業してるお店も増えてきました。
(追記 個人的に考えたことですが、平成十年代の奈良市内のお店の閉店時間は大阪府よりも早く平成20年代の奈良市内のお店は遅い時間迄営業してるお店が増えたと考えてもらえると幸いです)
 前半はこれで終えさせてもらいます。

上海日記 7日目 in 1/2 後半 Later (リターンズ) 2014/5/1(木) 午前 0:09 

NO76 上海日記7日目(続々々々々)

at 2005 07/06 22:41 編集

火鍋レストランで羊肉を嫌というほど食べる。それでも二人で八百円ほど。ホテルに10時帰館。ついでだからとホテル内にあるお土産ショップを覗いてみることに。すると中からちょっと藤田朋子似のにこやかな女店員が手招きをしている。
「見るだけ、いいですよ」
と中国人にはあるまじき愛想のよさである。
「ホントに見るだけよ。何にも買わないからね」
と一応念をおす。
「いいですよ。見るだけ、大丈夫ですよ」
藤田はあくまでもにこやかである。
「このプラダのビジネスバッグ、四千円でどうですか。本物ですよ。安いですね」
「高いですね」
「高いですか。それでは三千円でどうですか」
「まだ高いですね」
「高いですか。いくらなら買いますか」
というやりとりがあって、結局そのバッグを二千円で買った。どう見てもニセモノには見えんが、原価はいくらなんだ。
「このネクタイどうですか。安いですよ」とまだ買わせようとするので、素早く退散する。
部屋に戻るとK君が「思い出にカラオケに行きましょう」と提案。なんで上海まで来てカラオケなんだと思ったが、あんなにビビってたのが生き生きとしてきたことだし、ディスコにつき合ってくれたことだしと彼について行く。ホテル内にカラオケがあったはずだ。一階のジャズバーに入ってみると、椅子に座っていた女の子がバネではじかれたようにこっちにやって来た。
「カラオケなんてないわよ。それより私たちとおしゃべりしたりダンスしたりしない?」
と言って、もう一人女の子を呼んできた。値段はドリンク代も含めて全部で百元だそうだ。何度もその値段を確認する。それでもアヤシイ。何回もぼられ倒されている私が(悪かったな!)思うんだから間違いあるまい。しかしその時は何とかなるだろうという気持ちと、どうなるんだろうという好奇心が一緒になって誘いを受けることにした。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
相変わらず馬鹿げた提案に対して人は弱いものです。私もそうですね。
それはともかく羊肉は日本での飼育数はとても少ないからオセアニアで飼育された輸入羊肉を日本では多く食べてると言われてます。
これは、旅行記として発表してますがご存じのようにニセモノは税関で没収されることがあるばかりか日本国内に持ち込むのは違法なので海外であっても購入しないようにしましょう。

NO77 上海日記 7日目(続々々々々々)

at 2005 08/10 22:38 編集

その上海出身(自称)のミミという娘は、「休日に東京に遊びに行ったことがあるわ。大都会でびっくりした。日本、大好き。日本人も大好き」などと言う。そのうち、「私たちも踊りましょう」とフロアーに連れ出された。ものすご~ください音楽が流れている。アメリカの片田舎のカウボーイの格好をしたマスターがやっているダイナーでも今時こんな音楽はかけんだろう。こんなハワイアンバンドがアルバイトで地元のFM局の知り合いに頼まれて仕方なく急場でレコードに吹き込んだようなディスコ音楽では踊れんが、自分を殺して無理からに踊る。何だか悲しい。隣ではミミがにこやかに踊りながらも目に落ち着きがない。ますますアヤシイ。その隣では中年の日本人が二人のホステスとキャーキャー言いながら踊っている。ボックス席を見ると、K君がもう一人の大人しそうな女の子に中国語を教えてもらっている。どこまで真面目なんだ、K君。欲望にまみれた上海の夜。そこだけ静謐な空気が流れているように場違いだ。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
人それぞれ道がありますね。楽しむといっても単純にバカ騒ぎする人、嫌々ながら踊る人、落ち着いて外国語を海外で学ぶ日本人。本当に色々です。
NO78 上海日記 7日目(続々々々々々)

at 2005 08/10 22:38 編集

その上海出身(自称)のミミという娘は、「休日に東京に遊びに行ったことがあるわ。大都会でびっくりした。日本、大好き。日本人も大好き」などと言う。そのうち、「私たちも踊りましょう」とフロアーに連れ出された。ものすご~ください音楽が流れている。アメリカの片田舎のカウボーイの格好をしたマスターがやっているダイナーでも今時こんな音楽はかけんだろう。こんなハワイアンバンドがアルバイトで地元のFM局の知り合いに頼まれて仕方なく急場でレコードに吹き込んだようなディスコ音楽では踊れんが、自分を殺して無理からに踊る。何だか悲しい。隣ではミミがにこやかに踊りながらも目に落ち着きがない。ますますアヤシイ。その隣では中年の日本人が二人のホステスとキャーキャー言いながら踊っている。ボックス席を見ると、K君がもう一人の大人しそうな女の子に中国語を教えてもらっている。どこまで真面目なんだ、K君。欲望にまみれた上海の夜。そこだけ静謐な空気が流れているように場違いだ。
NO79 上海日記 7日目(続々々々々々々)

at 2005 08/18 23:00 編集

席にもどり、ちょっとするとK君が「帰りましょう」といきなり立ち上がった。中国語会話は終わったのか、K君? ボーイが請求書を持って来た。あろうことかそれには三百元と書いてある。やっぱりな、何回もぼられ倒されている私の勘が当たったぜ(悪かったな!)。内訳を聞いてみるとドリンク代が百元、それに女の子一人にチップが百元づつだそうだ。はあ~っ? 理不尽なぼりかたをするじゃないか。ぼるのは理不尽に決まってるが、第一に中国にはチップという習慣はない。第二になんで勝手にチップの額を決めるんだ。よって、そこのこわっぱ中国人、手討ちにしてくれるわっ! そこになおれっ! 
K君が「何度も百元だと前もって確認したはずだ」と至極もっともな抗議をする。ボーイは「どういう意味だ?」とねめつけるようにして威嚇してきた。どういう意味だとう? キャ~ッ! もう辛抱たまらん、表に出やがれ、足腰立たんようにすまきにして揚子江にたたっこんでやるわ! われわれが押し問答をしていると、そいつは段々と弱気になってきて「払ってくれないとボスにその分のお金を立て替えなくちゃならないんだ」と言う。はっ、今度は泣き落しか。悪いのはいったい誰なんでしょね! 私は百元をテーブルに叩きつけてそこを出ようとしたがK君に呼び止められた。「ちょっと待ってください、ドリアンさん」「えっ?」
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
やっぱり嫌な展開になってきましたね。海外では日本の法律が通用しません。日本国内で外国人が経営してる飲食店で嫌な思いをした経験がある日本人も多いとは思われますがそれと似たようなものですというか日本人が経営していても高値をふっかけられて嫌な思いをした人もおられるかな?
NO80 上海日記 7日目(続々々々々々々々)

at 2005 09/05 22:46 編集

「この人納得してないみたいなんで話し合ってみます」
ええ~っ。K君は誠実で正直(バカがつくほど)で一本木な性格だ。おちゃらけでいいかげんに生きている私とはえらい違いである。それにしても、あんなにびびりだった彼が熱心に説得している姿を見ると感無量である。でもボーイも充分反省してるみたいだしさ、めんどくさいから帰って寝ようよ。ミミは「あんたたちのせいでこの子が二百元自腹を切らなきゃならないのよ!」と喚いている。この女も逆ギレしてるし、もう帰ろうよ。彼らはしばらく話し合っていたが、やがてK君がボーイに右手を差し出した。ボーイも渋渋だがそれに応じた。若大将シリーズの加山雄三か。
部屋に戻ると彼は言った。「中国で貧しいながらも一生懸命に働いている、あの靴磨きの人たちみたいな人たちもたくさんいるのに、騙してお金を取ろうとする人間が許せなかったんです」
どこまでも生真面目で熱いK君であった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
一応話し合って終わったみたいです。だけど、本当に失礼な発言をするお店も現存しますからね。

NO81上海日記最終日とNO82上海日記終の両者とマーキュリーマークの見解(リターンズ)  2014/5/2(金) 午後 10:40 
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
今回はあえて、冒頭で伝えさせていただきます。上海日記最終日並びに上海日記終(事実上の上海日記最終回)の両者を同時に発表します。又、平成10年代の海外旅行記だということを考慮した上でお読みください。
海外では詐欺師が多いようですのでこれから海外旅行に赴かれる方はお気をつけてください。
だけど、何でも区切りというのがあるものなんですね。それを今回の海外旅行記を読んでいて再認識しました。無論、「四月のゴールデンウィークは終わったからこれからは五月のゴールデンウィークを楽しもう。」という脱力するような人もおられるかもしれません。
この海外旅行記に出てくるKさんは結婚しその後でドリアン長野も結婚しました。これも、区切りですね。
下記の中国旅行記を読まれると単純にドリアン長野は中国を好意的に考えてると思われると少し問題があるので過去の見解も同時に発表します。従って、合計4種類のドリアン長野の過去の投稿を発表します。
個人的な海外旅行であればお気楽に楽しめるかもしれない中国。だけど、「中国政府が行ってる全ての行動に対して日本人全員が肯定が行えるか?」と質問されたら積極的に反対し否定する日本人が多く出現するのが現実です。特に平成20年以降は日中友好平和条約が半ば無効になってきてます。今回は前述した伝達事項を読まれた上で下記の海外旅行記を読まれることを希望します。

NO81 上海日記 最終日

at 2005 09/24 23:27 編集

6時半起床。今日が上海最終日である。帰国便は昼過ぎだ。気合いを入れて空手着に着替え、バンドをランニングしてから黄浦公園で太極拳をしている50人ほどの一団に加わる。遠慮して隅でやっていたが、近くのおばさんが手招きするので中心に入らせてもらう。終わるとおばさんたちがわれわれの周りにどっと集まってきた。「テコンドーだよ」とか「裸足で寒いだろう」とか口々に言うさまはまるで大阪のおばちゃんみたいである。日本の空手の技を見せてよという声に応えて、型を披露するとみんなが拍手してくれる。何だかいい気分である。われわれがわいわい言っていると、夫婦とおぼしき中年の男女が日本語で話しかけてきた。
「あなた、どこから来た?」「大阪です」「おー、大阪ですか。大好きですよ。友だちたくさんいますね。みんな優しい。私は美術大学で先生をしています」と名刺を渡された。それには水墨書院理事とか山水書研究院会員とか中日文化芸術交流協会とか肩書きがゴテゴテと書いてあり、名前の前には画家とあった。「あなた、上海市長に似ていますね。市長はとても若いです」と言いながら、ハサミで私の顔の切り絵を始めた。これがまたうまいんである。この人は高名な芸術家なのかも、と思っていたら、むこうでおばさんたちが懸命に手招きしている。
「ちょっと待っててください」とおばさんたちのところへ行ってみると、私を取り囲んで一斉に何か言っている。わけが分からずに何だ何だ、どうしたんだとおろおろしていたら、一人のおばさんが紙に何かを書いて見せてくれた。それには「小心」と書いてあった。

NO82 上海日記 終

at 2005 10/15 00:06 編集

「小心」とはもちろんビビりのチキン野郎のことではない。注意しろ、ってことだ。なるほど、彼はバンドでも有名な詐欺師らしい。あまりの名演技にさすがの百戦錬磨(の負け犬)のこの私もあやうく騙されそうになったわい。その詐欺師兼大先生は今度はK君を相手に熱弁をふるっておられる。駆け寄ってみると既に遅し、K君は寄付の名目で10元パクられたあとだった。昨夜あんなに信念を貫いた彼だが、最後の最後に赤子の手をひねるように金を巻き上げられるとは、げに恐ろしき上海人民よ。次に詐欺師兼大先生は「上海友好のために100元寄付して下さい」とこの私にのたもうた。何で一気に十倍もふっかけるねん。欲張りすぎやで、あんた。
「財布持ってませ~ん。空手着ですからあ」と笑顔で言うと、「そうですか」と私の手から切り絵を引ったくり、風のように去っていった。
心配そうに見守っているおばさんたちの所に戻り、「老師、謝謝(ラオシー、シャヤ)」と礼を言う。最後に皆と記念写真を撮って別れた。
帰国してからK君は「中国で就職できないですかねえ」と口走ったり、中国語会話の本を買って勉強しだした。遠い目になっている。完全に中国病だ。それから間もなくK君は結婚した。何回も断られてやっと彼女にOKをもらったそうだ。彼にとっては最初から独身最後の旅のつもりだったらしい。新婚旅行は本当は北京に行きたかったけど、新婦の意を汲んでハワイにした。今でも彼と会えば、中国の話になる。実は私もかなり長い間、中国病にかかってしまった。至る所で人民の顔が思い浮かび、いちいち日本と中国のやりかたを比べてみては中国の肩を持ちたくなっちゃうんである。中国は奥が深い。(終)

NO70 反日デモと民主主義

at 2005 04/27 22:31 編集

中国各地で反日デモが出来しているが、事件をテレビや新聞で目にするたびに私は文革を思い出しては「中国は民主主義社会である」との意を強くする。矢吹晋氏の「文化大革命」(講談社現代新書)には「スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁という大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落し、ついには大衆テロに堕落したのであった」とあるが、これは民主主義というイデオロギー以外の何物でもないではないか。文革、学生の民主化要求デモ、そして反日デモに至るまで民主主義は連綿と継承されてきた。ちょっと待たんかい、なんで民主主義社会で民主化要求デモがあんねん。それに天安門事件はどないやっちゅうねん。人民がぎょうさん殺されとるやろ。人権はどないなっとんねん。と言う人もいるに違いない。それはまだ中国が未熟な民主主義だからだ。共産主義に至る第一段階の社会主義みたいなものである。だとすれば、民主主義後進国である中国が日本やアメリカのような民主主義先進国を目指せばいいのか。もし仮にある国家が民主主義を採択し、どんどん人権思想を発揚し徹底していけば、それはファシズムにならざるをえない。何となれば、民主主義はファシズムだからである! 
「ヒトラーは(略)『民主主義の大洪水』をひき起こしたのである。これを人々はナチズム(あるいはファシズム)と呼ぶ。しかし、その正体はなにかと言えば、フランス革命以来一貫してかわらぬ、あの『抑制のないデモクラシー』にほかならないのである。(「民主主義とは何なのか」 長谷川三千代 文春新書)
カンボジアでのポルポトの大虐殺は文革がなかったら起こりえなかったかもしれない。少なくとも文革に影響されたことは確かである。民主主義・人権思想の持つ、差別を撤廃し全てを均一化するという情熱はポルポトの蛮行につながっている。虐殺があったから民主主義を再検討しようということにはならない。逆に民主主義・人権思想を徹底しようということになるはずだ。中国がチベット人に対して行っているのは紛う方も無く人権侵害である。しかし人権というものは恣意的な概念であり、制度に過ぎない。フランス革命の人権宣言には「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」とある。ここに「至高の存在」とあるように、人権宣言は宗教的な儀式であった。神(もしくは神のような存在)から承認された権利(!)であり、人間に賦与されているものではないのである。人権を人類普遍の真理だとするのはまやかしであり、そうと思い込むのは錯誤でしかない。チベット人への人権侵害をやめろ、と人は言う。これは現代の人権思想への儀式を求める鬨の声なのか。全てを人権へと収束しようとする儀式への。人権を持ち出せばチベット人は救われることはない。何度でも言う、人権というのはイデオロギーだからだ。
過去、イギリスは清にヤクザ同然のやり方で戦争をしかけ、多額の賠償金、治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認と上海、広東等を開港させ香港を租借地にしたが、それに対して中国が賠償を求めたとか反英デモを行ったという話は寡聞にして知らない。これは日本への差別ではないのか。今回の反日デモは別の意味で民主主義のあり方を問うべき事件であると私は思う。

NO75 「美味しんぼ」と人道主義

at 2005 06/09 18:54 編集

「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ)91巻の第6話(“焼き”の深さ)は東西新聞の文化部に配属された記者の話である。彼はインドネシア・スマトラ沖地震に対しての民間の義捐金が少ないことに義憤し、紙面で被災者救済を直接訴えることができる政治部か社会部に転属させてくれとごねる。山岡士郎は文化の重要性を説くためにこう言う。
「ある日本人が、いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっと長い間アジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが、日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと。」
それほど文化というものは重要なものだと山岡は言うのだ。恐ろしい論理である。イギリスの上流階級に広まった喫茶のために清から大量の茶等を輸入し、その輸入超過を是正するために阿片を売りつけていたが、それを拒否した清に戦争をしかけたのがアヘン戦争だ。これはまごう方無い侵略戦争である。その後のアロー戦争も同様だ。これにより支那への支配が始まったのだが、しかしこんなことはイギリスが文化を与えたことによって免責されるのである。喫茶という貴族階級の文化を維持するためには何人もの清の人間が廃人になろうが仕方ないとでも言うのだろうか。原爆投下による大量虐殺もアメリカ文化を与えられたことによって相殺されるということになる。それならば日本による朝鮮支配もインフラや教育という文化を与えたことによって不問に付されるはずである。しかし雁屋氏は「美味しんぼ」や「日本人と天皇」(いそっぷ社)といった著作の中で滔々と日本を一方的に断罪し、他のアジア諸国を単純な被害国として描くのみである。
「美味しんぼ」76巻の「中華と中国」は支那そばという店名に憤慨する支那人の話である。支那というのは蔑称であるから中国と呼べ、というのが彼らの主張だ。実は支那というのは蔑称でも何でもなく、むしろ支那という名称を廃止せよと強要していることが日本に対する差別であるということが評論家の呉智英や支那文学者の高島俊男といった識者によって明らかにされている。この名称問題は靖国神社参拝や歴史教科書問題につながっている。以下は小泉局長と山岡の会話である。
小泉 「事は簡単だ、支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」
山岡 「おっしゃる通りです、相手がいやだと言うことはしない。これは人間同士の間でも、国と国との間でも、同じことじゃないのかな」
中国の日本に対するバッシングは国内問題から目をそらせ、人民を極端な国粋主義(ショービニスム)に転化させる政治的意図であるというのは周知の事実だ。日本は中国のサリーおばさん(Aunt Sally;年増女の木像の口にくわえさせたパイプに棒を投げて落とす遊戯。転じて不当な攻撃の的)なのだ。それであるから、中国は日本がどんなに賠償金を支払っても謝罪してもどこまでも許しはせず、口実を作って責め立てるのは明白である。中国が東シナ海という呼称がいやだからと言えば、それを改称するのか。歴史教科書は捏造であるから不快だと言えば、中国の都合のいいように書き変えるのか。チベット人の虐殺を明るみにするなと言われれば、唯々諾々と従うのか。北朝鮮が日本が拉致問題についていつまでも拘泥するのは不快だと言えば、追求するのをやめるのか。雁屋氏のアジア史に対する見解は単純で楽天的であるが、歴史観と人道主義が結びつくほど恐ろしいものはない。

ドリアン長野の中京旅行記 平成26年5月ゴールデンウィーク その1 
2014/5/5(月) 午後 4:21
古くて古い円頓寺(えんどうじ)商店街。大須商店街とは大違いですが、昭和にタイムスリップできます。さびれた感じが懐かしくたまりません。










ドリアン長野の中京旅行記 平成26年5月ゴールデンウィーク その2 
2014/5/5(月) 午後 4:37
大須商店街は広すぎて、メイドカフェありの電気街ありの秋葉原と新大久保と天神橋商店街をミックスした感じか。矢場とん本店は予想外の行列で、さすがにパス。


まこと家 平成26年5月  2014/5/6(火) 午後 2:17 

東海地方三県のみで出店する名古屋人の愛するご飯処「まこと家」。高田純次が絶賛した八丁味噌の唐揚げ定食、味噌カツ定食、味噌煮込みうどん定食、菜めし(大根の葉などを刻んで塩で味付けして炊いたもの)付きで名古屋めし三昧。




南船場からアメ村あたり 前編 平成26年5月 2014/5/11(日) 午後 5:05 日記 





南船場からアメ村あたり 後編 平成26年5月  2014/5/11(日) 午後 5:06




景品付き自動販売機 平成26年5月 2014/5/29(木) 午後 8:47 
景品付き自動販売機
ジュースを買って、右のボタンを押せば景品が出てくる。スポンジ、ティッシュ、入浴剤、うまか棒など。大阪市内に40ほど設置されているらしいが、第一号機は新世界。通天閣近くの人気串カツ屋「だるま」横を始めとして数機がある。あなたも新世界に来たらトライしてみそ。



激安10円自動販売機 平成26年5月 
2014/5/30(金) 午後 9:43 
新世界界隈には50円自動販売機がゴロゴロしているが、大阪にはさらに激安10円自動販売機がある。環状線野田駅下車、中央卸売市場界隈。原価はいくら?おそらく世界一の安さ、、



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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花