2019年4月16日火曜日

2014年9月、10月そして11月のyahooブログ上の投稿並びに推奨したい投稿

#86 カンボジア再び その4(リターンズ) 2014/9/7(日) 午後 10:52

NO86 カンボジア再び その4




at 2005 11/11 23:21 編集




頭上に大きな盆をのせ、そこにピーナッツの袋を山ほど置いた物売りの少女が入ってきた。テーブルの間をまわりながら声をかけてゆく。一人の白人が立ち上がって1ドルを少女に渡した。少女はピーナッツの袋を渡そうとするが、彼は「いいよ、そのお金は取っておきなさい」と言うように頭を振る。僕は通りをぼんやりと眺める。バイク、屋台、物売り、往来で遊ぶ子供たち、賭けトランプに興じる男たち、それを店の前に出した椅子に座って日がな一日、眺めている老人。こんな光景はアジアのどの街でも見た。カルカッタでもホーチミンでもバンコクでも上海でも。喧噪と倦怠。無気力と熱気。全く暑い。インドネシアの強烈な陽と熱風を受けて座っていると、アジアの大地に溶けていくような、怠惰な世界に埋もれていくような、そんな自虐的な感覚に引きずり込まれるような昼下がりの。リヤカーを引く人夫。午睡する褐色の肌。暑い。行き来する褐色のカンボジア。渦巻き、交差する人、人、人。眼を閉じると旅の断片的な思い出が浮かんでは消える。

たとえば、プノンペン市内は街灯が極端に少ないので、午後六時にもなるとバイクや車のオレンジ色のテールランプが通りに浮かび上がる。それは息を飲むような幻想的な美しさであり、僕は黄昏が闇に変わってしまうまで飽かず眺めていた。

たとえば、半日、市内の観光案内をしてくれたバイクタクシーのダリー。イスラム教徒の彼はラマダーン中だった。年に一度、一か月のラマダーン期間は日の出から日没まで飲食はおろか、唾を飲み込むことも禁じられている。ダリーは日中の暑さの中でひっきりなしに唾を吐きながら市内を案内してくれた。二人で小高い丘にあるワットプノンに登り、そこから市内を一望した。ダリーは言う。

「UNTAC(カンボジア暫定統治機構)ができた頃はすごかった。アメリカからヨーロッパからアジアからいろいろな人間がやって来た。通りはそういう人たちでいっぱいだったよ」。僕は国内外の政治的な思惑に翻弄されたこの国の悲劇を思いつつ、通りをあふれる彼らの姿が目に見えるようだった。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

平成10年代のカンボジアの風景について連想する人もおられるかもしれません。写真の発表は行えないがドリアン長野が発表した海外旅行記を読むと、まるで目の前がカンボジアでその風景が存在するかのようです。

ピーナッツやピーナッツバターはおいしいから私は好きで頻繁に食べます。ピーナッツバターが人口ダイヤモンドの材料になるのも有名なお話ですね。白人男性が$1をピーナッツ売りの少女に提供したのは悲劇から立ち直る為の手助けがしたかったからに他ありません。

オレンジ色の光を発するLED等は電球色という名称で日本で販売されてますね。

 今は平和を取り戻したカンボジア。人々は平和を享受してるようです。無論それは、UNTAC(カンボジア暫定統治機構)が存在し国の再建を決断した人々がいるから行えることです。権利と責任は存在する。そういえば、最近はカンボジア製の衣服が販売されるようになってきましたね。

厳しいようですが内戦は収まったがカンボジアとタイランドの国境紛争が平成20年以降発生していて多くの人々が懸念してるのも現実です。世界遺産プレアビヒア遺跡を巡る争いは深刻です。

以上、管理人マーキュリーマークでした。




O君の奥さんが激怒した話 平成26年9月 2014/9/10(水) 午後 9:41

ほんまにうちのおっさん腹立つで。今朝もご飯食べてたらな、「今度の日曜日、部長の接待ゴルフやから朝5時に起こして」やて。もー、あんたはいっつもそうなんやから!そんな大事なこともっと早くゆうてえや‼︎ って言うたらな、(早口で)「今度の日曜日、部長と接待ゴルフやから朝5時に起こして」やて!ゴルフクラブで頭どついたろか思たわ。




大事に至らないでよかったです。




奈良県で・・・ 平成26年9月 2014/9/13(土) 午後 10:11

(奈良女子大学)キャンパス内に竹林が

奈良の若草山、頂上までは結構遠かった。肩車しての昇り降りはいい運動になりました。(-。-;





























昔空手道場の人たちと食べ放題の中華に行った 平成26年九月

2014/9/14(日) 午後 6:00

昔空手道場の人たちと食べ放題の中華に行った。満腹で苦痛にゆがむ後輩に先輩が言った。

「Don't think! just eeeat‼︎」

後輩は「押忍!」という代わりにあちょょおおーと叫んで一気に残りを平らげた。




リーはまだ生きている、と思った。永遠にわれわれの心の中に…。

ってそんな大層なもんかいっ!

失礼しました。




創作料理「おん食堂」 平成26年9月  2014/9/21(日) 午後 11:17

中央区谷町六丁目をおりて5分。創作料理「おん食堂」がある。この店のユニークなところは代金が無料だということ。




どういうことかというと、今日食べる代金は前のお客さんのおごりなのだ。今日の代金は次に食べるお客さんへのプレゼントだということなのだ。つまりペイフォワード。料金は自分の好きなだけ茶封筒に入れて渡す。このシステムを知ったときに果たして経営が成り立つだろうかと思ったが、封筒が空だったことは一度もなかったそうだ。8月で一周年を迎えた。




小さい頃から料理が好きで、あべの調理専門学校で修業した愛想がよく可愛らしい若い女性が一人で切り盛りしている。今のところ定食は「カレー鍋」と「おにぎり定食」のみだが、しっかりと野菜や素材の味を活かしてお世辞ではなく、本当に美味しかった。若いのに相当な腕だ。大きなおにぎり二個を平らげると、もう一ついかがですか?と声がかかる。まるで友だちの家でおよばれしているみたい。自家製ドリンクやケーキもある。当然いくら食べても料金は自分で決める。




このような形態のお店は常設店では全国でここだけ。新聞やテレビでよく紹介されているので行列必死かと思っていたが、いつも閑散としている。ゆったりとした居心地のいいこの店、一度是非。 
























法隆寺 平成26年9月  2014/9/23(火) 午後 10:54




アンコールワットを見た時は炎天下で鳥肌が立ったものだが、今日初めて法隆寺を訪れて当時の建築技術の素晴らしさに驚嘆の連続である。

法隆寺の解体修理に携わった宮大工の棟梁西岡常一氏と東大と京大の工学部名誉教授との間で建築様式のことで論争があった。後の解体工事の際に釘跡が発見され、西岡の正しさが証明された。西岡は「寺院は学者ではなく、大工が建てたんやからその伝統を踏まえたわれわれのやっていることに間違いはない。結局は大工のやっていることを後に系統立てて並べとるだけで、大工の弟子以下ということです」と言ったそうだ。宮大工としての矜恃と学者以上の知識を持っていた西岡は

修業時代、母親から「棟梁というものは家の中と外のことを一切知らないといけない。使用人の苦しみを知るためには茶碗を洗ったり、洗濯を知っていなければならない」と諭され、食事の調理、後片付け、洗濯、子守りなどの家事を見習い学業と並行していたそうである。


























私は教会で空手を教えています 平成26年9月  2014/9/27(土) 午後 8:55

私は教会で空手を教えています。空手では守、破、離といって最初は基本を徹底的に繰り返し、自分を型にはめます。そうしないと独創的なものは生まれません。教育は強制と同意義である。

最近Facebookである人が、「近頃の日本は危険な道を進んでいる。こんな日本を見限って亡命を考えている」と投稿していました。一体どの国に亡命するつもりなのか?久しぶりに笑止千万という言葉を思い出して笑止千万でした。




USJ 平成26年9月 2014/9/27(土) 午後 9:08

ユニバの前まで行って帰ろうかと考えていたが、毎週行ったら一回400円で入れることがわかったので急遽年間パス購入。ハロウィンナイトなんだか恐ろしい雰囲気です

((((;゚Д゚)))))))



















空手について 平成26年10月 2014/10/3(金) 午後 9:53

押忍^o^ 空手ではマウスピースはしないですね。舌を噛むことはまずないですね。

ボクシングでは声を出すことは禁じられていますが、空手では気合いが重要になってきます。マウスピースをしていると気合いが出せないですからね。息を吸うときは体が弛緩します(陰)が、吐くときは緊張して(陽)力が入ります。吸うときに攻撃を受けるとダメージが大きいので相手に悟られないように呼吸をします。気合いを出すと吐くときと同じように筋肉が緊張すると同時に脳のリミッターがはずれて普段出ない力が出ます。試しに黙ってサンドバックを叩くよりも声を出しながら叩くほうが力が出るはずです。




地下鉄で隣りに座っていたお婆さんとおばさんの会話 平成26年10月

2014/10/3(金) 午後 9:56

地下鉄で隣りに座っていたお婆さんとおばさんの会話。

「最近お孫さん、どうしてはるの?」

「いや~、せっかくええ会社に入ったんやけどな、急に会社やめて外国行ってホームレスになるんやて」

「えっ、外国で?」

…それってホームステイじゃないかと…




去りゆく夏を惜しんで今年最後のかき氷 平成26年10月  2014/10/5(日) 午後 5:46






去りゆく夏を惜しんで今年最後のかき氷。氷がふわふわで美味しかったですよ。 押忍 親に似て無類のかき氷好きで… (うん娘のななかより)今月四日は夕方から後楽園ホールで友人のボクシングの試合があるので空手は休みです。アイスなら無理ですが、かき氷なら親子共々楽勝です。(^^)
都立中央図書館 平成26年10月  2014/10/5(日) 午後 5:55









都立中央図書館、五階のカフェテリア。六本木ヒルズを眺めながら食事ちう。

作家の歌野晶午の作品にこの図書館のことが書かれていたので、一度来てみたかったんです。

(与謝野晶子みたいですが)そういう作家がいるんですよ。紛らわしいですけどね。

福岡市出身の推理作家です。日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞受賞、直木賞候補にもなりましたが、あと一歩ですね。都立中央図書館は広尾の有栖川公園の中にありますよ。




後楽園ホール 平成26年10月  2014/10/5(日) 午後 8:16



























ついに来ました格闘技の聖地、後楽園ホールへ。「はじめの一歩」「がんばれ元気」

き、緊張するなあ~(≧∇≦)

自分が試合するわけじゃないけどっ。

友人(氏原文男)のボクシングの試合です。友人と三人で来てます。

氏原文男

少年時代に伝統空手入門。先生から極真を勧められ、高知支部の三好師範のもとで修業。高校時代にアームレスリング日本チャンピオン。上京し、フェザー級初代ムエタイチャンピオン。ボクシングに転向し、今日の試合(平成26年10月4日)は二度のダウンを奪い、KO勝ちでした!




スーパーフェザー級の試合を観戦した後・・・ 平成26年10月

2014/10/5(日) 午後 8:22

スーパーフェザー級の試合を観戦したあとギリギリまで水道橋で打ち上げ、駅まで全力疾走、飯田橋で乗り換え、全力疾走で東池袋を走り、タクを捕まえてサンシャインの乗り場に全力疾走。ななななんとか大阪行きのバスに間に合った。ぜいぜいぜいぜい…

タクシーに乗ったら運転手さんに歩いたはうが早いですよと言われました。焦っていたのでそのまま乗りましたが本当に目と鼻の先でした。(^^;;




#87 カンボジア再び その5 (リターンズ)

2014/10/5(日) 午後 11:16

NO87 カンボジア再び その5




at 2006 01/07 01:21 編集




たとえば、プサートゥールトンポン。通称「ロシアンマーケット」と呼ばれるこの骨董市場。一歩足を踏み入れると陽の射さない暗い市場に所狭しと骨董品の店が並ぶ。中は入り組んでいて迷路のようだ。大半は偽物なのだが、無数の金銀製品、民芸品、陶磁器等が無言の案内人のように招き入れる。奥へ進んで行くほど外世界の喧噪は消え、どこをどう歩いているのかも分からなくなる。店先にいる老婆たち。何百年も前からそこに居るかのように泰然と僕を見据える。僕は人が営み、延々と続く生活に想いを馳せ、慄然となる。

たとえば、アンコールトムで遭った子供たち。少年は勝手にガイドを始め、少女はフィルムやガイドブックを売りつけようとする。どこの遺跡に行っても子供たちは狙撃兵のように次から次へと姿を現わす。十二、三歳くらいの少年がとても流暢な英語で説明を始めた。プノンペンは英語熱が盛んで英語塾が乱立しているのだが、それにしても彼の語学力は驚異的だ。生きるために、家族に食べさせるために必死で学んだのだろう。ガイド料として二ドルを渡すと、「ありがとう」と受け取り、消えるようにどこかへ行ってしまった。

そして元高校の校舎を転用したトゥールスレン博物館。かつてポルポト政権下に約二万人が収容され、生還できたのはわずかに六人だけだという。反革命分子と見なされた人々は家族とともに捕われ拷問を加えられた後、処刑されていった。文革と同様、多くは罪なき人たちであり、子供や老人、女性も数多く含まれていた。ポルポトの残虐行為を伝える博物館として一般公開されている。独房にはマットのないベッドが置かれ、タイル張りの床には血痕が今でも染みとなって残っている。あとは排泄用の小さな箱があるだけで、犠牲者は手足を鎖で繋がれ殺されていった。別の校舎、C棟の一階と二階には窓のない部屋に煉瓦を無造作に積み上げられて作った一畳ほどの独房がある。水も食事も与えられずに閉じ込められた彼らは何を思い、死んでいったのか。死の恐怖や苦痛とどのように闘ったのか。もし彼らが僕だったら? 彼らはあの時代にカンボジアに生まれ、僕は日本に生まれた。ただそれだけのことだった。僕と女性の係員の他は見学者は誰もいない。あたりは気味が悪いほど静まりかえっている。B棟にはおびただしい数の顔写真が壁一面に貼付けてあった。処刑前に収容者を撮影していたのだ。何のために死にゆく者たちの記録を残していたのかポルポトが死んだ今となっては謎のままだ。どれも恐怖に引きつったという顔ではなく、全てを諦めたような、諦観したような表情だった。

案内の女性は大学生かと思っていたが、高校生だそうだ。

「大学には行くつもりですか」と聞くと、「いいえ」とだけ言って悲しそうに顔を伏せたが、最後に「カンボジアは暗黒の時代を経て、復興に向かって進んでいます。未来は明るいでしょう」と答えてくれた。

大晦日の前日にぶらぶらと歩いていると、学校に突き当たった。校庭には制服を着た何百人という子供たちが集まっている。小学生から高校生まで同じ校舎で授業を受けているらしい。少しすると彼らの下校時間にぶつかった。バイクで帰宅する高校生やシクロに乗って帰る小学生たち。屋台で買い食いする子供たち。その熱気を捉えようと夢中でカメラのシャッターを押した。

「裏(うち)に向かい外に向かって逢著せば便(すなわ)ち殺せ

仏に逢うては仏を殺し

祖に逢うては祖を殺し

羅漢に逢うては羅漢を殺し

父母に逢うては父母を殺し

親眷に逢うては親眷を殺して

始めて解脱を得ん

物と拘(かか)わらず透脱自在なり」

(臨済宗 示衆の章)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

どっちかと言うと真面目なお話から始まった今回の海外旅行記。発表されたのが平成18年ですから平成10年代のカンボジアの情勢を発表されてますね。狙撃兵は基本的には隠れた上で敵兵を射殺するから事情を知ってる人が読むと状況の認識が行えていないから爆笑する人もいるかもしれません。それはともかく、あのポルポトが行った悪事は同じ人間とは思えません。平成20年代になってカンボジアについてのテレビ番組等の放映回数は平成10年代と比較して激減したと思いますが今でも多くの人々に悲しみを与えてます。昨今では、カンボジア製の衣服が多く販売され日本も輸入してますから経済復興は成功してると考えます。日本も今後、無秩序にならないような社会を形成し維持継続する必要がございます。

以上、管理人マーキュリーマークでした。




#88 ビルマの休日 その1(リターンズ)2014/10/11(土) 午後 3:15




NO88 ビルマの休日 その1




at 2006 01/09 01:15 編集




ミャンマーのビザの申請書に記入していたら、「complexion」という項目があった。肌の色、である。う~ん、whiteというほど俺の顔は白くないしな。yellowには侮蔑的な意味があるし.....。自分の顔を鏡に写してしげしげと見てみた。darkというほど松崎しげるじゃないし。「遠い夜明け」というアパルトヘイトを描いた映画で「君たちはなぜ自分たちのことをblackと呼ぶのかね。むしろbrownじゃないか」と聞く白人に対し、主人公のビーコが「あなたたち白人はなぜ自分のことをwhiteというんですか? むしろpinkだ」とやり返す場面を思い出した。アメリカだったらこんな質問には慣れているんだろうなと思いつつ、三十分考えて無難なところでwhiteと記入した。

そのビザがなかなか来ない。さすがにやきもきして、出発三日前に大使館に電話した。

「明日送ります」

ミャンマー人の職員はこう言った。まだ送ってなかったんかい。翌日になってもまだ来ない。また電話した。

「まで来てませんがっ!」

「もう出ましたから」

そば屋の出前かい、と思ったがぎりぎりには来るだろうと高を括っていた。しかし、出発当日になっても敵は沈黙したままである。その日の早朝に郵便局におもむき、「速達便は来てませんか」と聞く。

「来てませんねえ」と郵便局員。フライトは11時半だ。もう間に合わない......。がっくりと肩を落し家路につく。これは大使館のやつらの怠慢に違いない。チケット代を弁償させてやる。九時になるのを待って電話した(何回電話さすねん)。

「ビザ来てませんがっ!」

「送りましたけど。ゆうパックで」

「えっ?」

「料金が不足していたので着払いで送りました」

「あっ、そ、そうですか。どもどもども」

郵便局に確認すると確かに来ていると言う。フライトまで二時間しかない。俺はあわてて部屋を飛び出し、自転車に胯がった。10メートル走るとチェーンがはずれた。あわわ、何でこんな時に。直そうとするがあせってうまくいかない。自転車を打ち捨て、走る。バックパックをかついで走るのはつらい。すぐ息切れがする。この時ほど自分が高橋尚子だったらと願ったことはない。大通りにタクシーが停まっていた。バスを待っている暇はない。

「ハァ,ハァ、ハァ、関空までフルスピードでお願いします。そ,その前に郵便局に寄ってください」

年輩の運転手さんは猛スピードで高速道路を飛ばし、俺が乗る予定だった空港バスを追い抜いた。これでもとを取った(取ってないだろ)。タクシー代は一万円を越えてしまった。ミャンマー人の半年分の収入だ。(続く)




 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

人によっては、「海外旅行記というよりも国内旅行記では?」と考えるようなお話だと思われます。むしろ、海外旅行に行くための準備のお話もたまには楽しんでもらえると幸いです(?) 余裕を持って海外旅行の準備は事前に用意しておくのが最善だと思います。 事前は次善に非ず。私も自転車のチェーンが外れた事が平成20年代(昨年であったか?)にありました。今となっては平成18年も随分前の出来事になってます。

結局、経済発展が行われてる国か否かは時間を重要視するか否かにも関わってきます。

昨今、ミャンマーは治安の悪化等もあって政情不安定です。又、平成19年9月27日、APF通信社の長井健司が反政府デモ(サフラン革命)の取材中に射殺された。皆様に対してミャンマー旅行に行くか否かについて推奨するかどうかですが、やはり、推奨は難しく行えません。




公園 平成26年10月  2014/10/11(土) 午後 9:14

自宅の近くに大きな公園があるのは祝福だ。というか、マンションを買うときに心斎橋、堀江、うつぼ公園という魔のトライアングルに位置する場所に決めた。なにわのセントラルパークのこの公園は芝生でランチや昼寝や読書をする人たちでいつもにぎわっている。






地下鉄シリーズ これも50代とおぼしきご婦人の会話 平成26年10月

2014/10/12(日) 午後 10:37

地下鉄シリーズ

これも50代とおぼしきご婦人の会話

「最近昔ながらの喫茶店ってめっきり減ったなあ」

「フタバ(え”(゚o゚;;)とかチェーン店が多くなっとるさかいな」

「コンビニでも一杯づついちいち豆からひいてるそやで」

「ふ~ん、マメやなあ」

…特にツッコミとかはありませんでした…それでも大阪人かっ!




夜です 平成26年10月  2014/10/12(日) 午後 10:40






#89 ビルマの休日 その2(リターンズ) 2014/10/13(月) 午後 5:18

NO89 ビルマの休日 その2




at 2006 01/11 23:23 編集




ミャンマーは軍事政権だ。入国審査に手間どるんじゃないだろうか。大使館のやつらが年末のやっつけ仕事で作成した(偏見)ビザに不備があり、係員にちょっとこちらまでと別室に連れていかれ袖の下を渡せば今回は特別に入国させてやると言われるがそれを拒否したらお前は不審人物だから持ち物を改めるとバックパックを調べられて持っていたスーチーさんの著作を見つけられてお前は反体制派かと軍の上層部に連絡されおまけにパスパートにはさんでいたカンボジアでたわむれに取ったメディアパスまで見つけられてお前はジャーナリストだなとあらぬ嫌疑をかけられ監禁され三日三晩不眠不休で取り調べを受けたあげく罰金三百ドルを徴収された上にもう二度とミャンマーには入国いたしませんと誓約書を書かされてやっと釈放されたということは全くなくあっけなく入国できた。

タクシーで市内に向かう。乾いた日射しと土埃が車窓から入ってくる。ロンジーをはいた人々が歩いている。何てのびのびとゆったりと歩いているんだろう。服装も質素だが清潔だ。貧しいかもしれないが、誰もが満たされているような顔つきだ。この印象は滞在中、一度も変わることがなかった。

ヤンゴンでの第一泊は京都でいえば京都タワーのような、街歩きのときの目印になるスーレーパゴダの目の前のゲストハウスに泊まることにした。パゴダというのは黄金の仏塔でミャンマー人の篤き信仰の対象となっている。早朝から夜遅くまでひっきりなしに参拝者が訪れ、瞑想したりお祈りしたりしている。市内でもいくつかパゴダがあるが、中でもスーレーパゴダはここを中心に市街が設計されたというありがたいパゴダである。日中はもちろんきんきらきんに輝いているが、夜になればなったでライトアップされ、何か所かある入口はまるでキャバレーの呼び込みのようである。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

 周知のように、ビルマの休日も長編です。今後、幾つかまとめて発表する予定です。

 前半部分は完全にオチャラケてるばかりか多くの人々から笑いを誘う為の文章です。失笑かも?

町の雰囲気を想像しながら海外旅行記を読むことは楽しいですね。ただ、宗教施設とキャバレーとは全くの別物です。念のため。

世界最大の軍事国家の米国の方がミャンマーよりも入国審査は厳しいようです。 海外の一部の国では、プレゼントが必要と言われてますね。




#90 ビルマの休日 その3 (リターンズ)  2014/10/13(月) 午後 5:33




NO90 ビルマの休日 その3




at 2006 01/12 23:29 編集




歩いているとひっきりなしに、「ハロー、チェンジマネー?」と声がかかる。通貨のチャットと同じくらい米ドルが流通しており、しかも外国人旅行者はホテル代や鉄道料金等は米ドルしか使えない。しかし注意しなければならないのは、ミャンマーでは古びたドル紙幣は受けとってくれないことだ。少しでもよれよれのドルを渡すと、「交換してくれ」と言われる。帰りに空港で出国税の十ドルを出したときにも職員に「新しい紙幣と交換してくれ」と言われ、たまがった。もし新しい紙幣を持ってなかったらどうすんだ? 「日本人、古いドル紙幣のためにミャンマーから出国できず」なんて新聞に書かれたらずいぶんとおまぬけではないか。

市内を犬のようにうろつく。どこの国に行っても中国人街とインド人街が一番にぎやかでぐちゃぐちゃで暑苦しい。サイケなヒンズー寺院の前にはなぜか何匹も野良犬がうろついていた。腹が減ったので食堂に入ってチェッター・ヒン(チキンカレー)を注文。西原理恵子が「アジアではビルマ料理が一番おいしかった」と言っていたが、ガイドブックには「非常に油っこくて旅行者は必ずお腹をこわす」と書いてある。どっちなんだ。出てきたカレーはインドカレー以上にさらっとしているが、表面は古い油を浮かしたようだ。油の中にチキンが泳いでいるといった方がいい。食べてみて驚いた。うまい。うまいじゃないか。香辛料はそんなに入っているようには思えないのに、複雑で奥深い味だ。油っぽさは感じない。チキンは噛み締めるとしっかりとしたうま味が出てくる。私はミャンマーでカレーを食いまくった。ビーフカレー、フィッシュカレー、茄子カレー、鹿肉カレー。一番うまかったのはやっぱりチキンカレー。ビルマ語で覚えたのは「チェッター・ヒン」と「タミン」(ライス)と「エインター」(トイレ)だけだ。「ありがとう」も「こんにちわ」も「おいしい」も未だに何て言うのか知らない。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

海外では日本円のような自国通貨よりも他国の通貨が通用することが多いようです。無論、ユーロのような例外も存在します。周知のように使用が行えないスイスや英国のような国は存在するが欧州の大半の地域でユーロは使用可能です。従って、各自で海外旅行に行かれる前にどの通貨が使用可能かどうかを調べておかないといけません。

海外では日本と違って違法両替商人がいるので警戒されることもこの場で伝えておきます。

やはり、インドに隣接してるミャンマーはカレーがおいしいそうです。こういったことはよくあるお話で中国の隣国のロシアでも餃子を食べる人が日本と同じように多いとされてます。料理は国境を超える。

日本でも個人経営の飲食店とチェーン店で味付けが違うように海外でもお店毎に味付けが違ってくるようです。インド人が驚くカレーライスとはやはり牛を神聖視するヒンズー教徒にとっては食べることが考えられないビーフカレーを日本人がたくさん食べてるからでしょうか?




#91 ビルマの休日 その4 (リターンズ) 2014/10/14(火) 午後 11:34

NO91 ビルマの休日 その4




at 2006 01/17 22:51 編集




夜はすることがないので十時には寝るから、毎朝五時に目が覚める。バンコクで二時までディスコで踊り狂って夜更かしするのとはえらい違いである。早朝の散歩がこれまた気持ちがいい。独立記念塔がある近くの公園に行くともう善男善女が太極拳やらダンスの練習をしているので、私もカラテの型をやる。六時半になればもう充分に明るい。そこからヤンゴン川に向かって歩いていくとイギリス植民地時代に建てられた、創業百年以上の老舗アンド高級ホテルのストランド・ホテルがある。一番高い部屋で一泊十万円、安い部屋でも五万円もするというクレージーなホテルだ。せっかくだからトイレを借りに入ってみると、何だか調度品やら骨董品やらがごちゃごちゃと置いてある。おしっこしたついでにレセプションで両替してみるとレートがものすごく悪い。私の泊まっている安宿の方がはるかにいい。(勝った!)と内心優越感を覚える。ここらあたりは税関やイギリス大使館や今は使われていないデパートや貨物列車が運行していたであろうレールが残っていたりしていて、植民地時代の残滓が色濃く漂っている。朝から対岸行きのフェリーに乗る人や降りてきた人でごった返している。川を眺めながら食べた露店のモヒンガー(魚のダシで作った麺)はストランド・ホテルで食べる豪華なディナーよりおいしかったと思う。これは別に負け惜しみではない(こともないこともない)。

市街にはバッタもんの外食店もある。「マック・バーガー」とか「ミスター・Jドーナッツ」とか「フライド・チキン・トーキョー」とか。カレーより高いけど結構はやっている。ファーストフードは嫌いだが、ためしにフライドチキン・ディナーセットを購入。味に関しての感想は控えたい。ただ日本だったら三時間でつぶれるだろう。

三時間で市内を一周する環状線に乗ってみた。外国人は乗車券を購入する窓口が違っていたり、パスポートの提示を求められたりとややこしく、おまけに料金はミャンマー人は二十円だが外国人は1ドルである。発車時間ギリギリだったので、ホームを走って最後尾の車両に飛び乗った。乗客から不思議そうにじろじろ見られた。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

三時間。三時間が今回のミャンマー旅行記で大きな重みを持つ言葉ですね。日曜日に霊的に過ごすように求められるのも三時間(二時間に削減か?)ですね。実際にはそうならないことが多いのも現実です。

それはともかく、フライドチキンの味付けについての評論を始めて読んだ平成18年には個人的には爆笑した思い出があります。現在はどうか知りませんが、カレー(前回、参照)はおいしくてもミャンマーのフライドチキンについてはドリアン長野は肯定的ではなかったようです。実は日本人は塩分が多い食事を好むからその部分も関わってくるかもしれません。塩分が多い食事をしてるから高血圧で困ってる日本人は多いです。

健康を意識して意図的に運動量を増やして早寝早起きをしてる人は多くなってきました。軍事政権のミャンマーと資本主義社会のタイランドとはその部分でも大違いのようです。ミャンマーでは早寝早起きでもタイランドでは夜ふかしといった具合です。

ドリアン長野が旅行した翌年の平成19年にミャンマー政府がガソリン補助金を引き下げを行うと、ヤンゴン環状線(総延長45.9キロメートル)の利用率は急激に高まったそうです。要するにガソリンの値上げで鉄道利用者が増えたそうです。平成10年代と平成20年代は大違いのようです。45.9キロメートルはそれなりに立派ですね。一つの路線で100km以上のJRや近鉄(近鉄大阪線営業距離108.9km)に乗り慣れてる人だと賛否が分かれるかもしれない。

又、日本国内でも町によって考え方が違う事が多いのは半ば当然ですが北海道では駅の中で走ることはほとんどないそうで近畿の駅の中で走ってる人を見て驚かれる道産子がおられました。 余談ですが平成10年代のある日、私が北海道の地下鉄の切符を自動改札機に入れたら受け付けてくれなかったことに驚きました。向き(切符の裏表)が逆だと認識してくれないのです。あれには参った。

ミャンマー風チキンカレーがチェッターヒンだそうです。私もチキンカレーは大好きですがミャンマー風は食べた事がございません。




#92 ビルマの休日 その5 (リターンズ)  2014/10/14(火) 午後 11:52

NO92 ビルマの休日 その5

at 2006 01/20 23:44 編集

対面式の座席の後部には縄が張ってあり、その内側には制服を着た人相の悪い輩が四、五人座っている。一人は車掌であとは警察と軍の関係者らしい。乗客の安寧を保つためだそうだ。列車はゆっくりと走っていく。物売りや行商のおばちゃんたちもどこどこ乗ってくる。水売り少年の水はコップ一杯が五円だった。停車駅に近づくたびに、線路の上で寝ている大人や遊んでいる子供たちを見かける。アジアの人たちっていうのは野良犬みたいだ。好きな時に好きな所に寝っころがって、気に入った場所にはどんどん入っていく。そういえば、バンコクでは線路の上に市場があった。列車が通過する時間になると商売道具をどかしていく。マニラでは列車が運行してない時間を利用して手作りのトロッコを走らせ、お金をとっている人たちがいた。もちろん違法だが、こういうのを見ると、いいよなあと思うのは野良犬の生活に少し憧れているからだろう。

ヤンゴン中央駅に戻り、スーレーパゴダの周りを歩いていると、子供たちがこちらにバタバタと駆けつけてきた。年長の十二歳くらいの女の子が持っていた絵はがきを突きつけ、

「ミャンマーの絵はがき買ってよ。言っとくけど、これは複写じゃないからね。他の店では絶対売ってないよ。二十枚セットで一万チャット! お買得だよ。わたしより安いところなんかどこにもないからね!」

と、まくしたてる。アジアの国のどこにでもいる子供の物売りだ。彼らの英語は生活のためだから、たとえブロークンであってもリズムがあってスピードもある。平均的な日本人の英語学習者が一生かかっても彼らのようには喋れないだろう。それはそれで日本人は幸福だなと思うけど。

「一万は高いよ」

「高くないってば! しかたないわね、それじゃあ大負けに負けて八千!」

「それでも高いよ」

女の子は、はぁ~っとため息をつく。

「あのね、一体いくらなら買うの?」

「う~ん、五千だな」

びっくりしたように目をむいて、

「冗談じゃないわ。わかった、ラスト・プライスを言うから絶対、文句言わないでよ!」

「言うよ」

「六千!」

「きみ、英語うまいね」

「あたりまえでしょ、何年も勉強してきたんだから。今でも週に二回学校で英語の授業があるけど、わたし一番なんだからね。いいわ、特別に五千でいい」

女の子は右手を差し出した。商談成立だ。五千チャット(五百円)渡すと、

「あなた、かわいいね」と言われた。きみにかわいいと言われてもな~。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

 日本国内にも私服警官が電車内を警備してることがありミャンマー(ヤンゴン)も同じようです。

 日本の英語教育に問題があるか無いかについては述べたくありませんが、Rの発音がほぼ無い日本ではRの発音が求められる英語の上達は難しいです。とうもろこしのCORNの発音一つとっても外国人は日本人の発音が悪いことから爆笑する人もいます。円錐のCONEだけでは無い点は強調しておきます。解釈の仕方が悪い外国人に問題があるのでしょう。

 平成10年代に絵葉書を販売してた女の子は今は二十歳になったやもしれません。平成18年当時で12歳であれば、平成26年の現在は? 時間は誰一人として待ってくれない。




#93 ビルマの休日 その6 (リターンズ)  2014/10/16(木) 午前 0:33

NO93 ビルマの休日 その6




at 2006 01/21 22:52 編集




列車に乗っていたら隣に七歳くらいの女の子が座った

顔にタナカを塗りたくって

口紅を引いて

マニキュアをして

とっておきのワンピース

お母さんに連れられて

今日はお正月だから

にこっと笑うと齒が欠けていた

ああ、ビルマの子供

アジアの子供たちよ

バゴーのパゴダで

五歳くらいの女の子が

お金をくれと手を出す

お金はやれないよと首を振ると

実に悲しそうな顔をした

せめて 

さようならと手を振ると

顔をくしゃくしゃにして笑った

齒の欠けた口を開けて

クアラルンプールの空港で見た

白人の家族連れ

その子供たちは

貧しさというものを

死ぬまで知らないですむだろう

こんな光景は

こんな光景は何度も見たはずなのに

この炎天下に

汗と一緒に涙までにじむのはなぜだ

子供たちは

たじろぐほどの真剣な面持ちで

俺から金を巻き上げようとする

私は学校に行きたいんだ

弟においしい物を食べさせてやりたいんだ

父さんと母さんに楽をさせてやりたいんだ

俺はいつもお前たちに負けてばかり

最初から勝ち目のない闘いだ

ああ、ビルマの子供

アジアの子供たちよ

俺もアジアの子供だ

いつかはこのアジアの黄色い土に還る

そのときには

神様に頼んでやる

天国でアジアの子供たちと

一緒に住ませてくださいって

毎日話してくれないか

父さんと母さんは

お前たちを愛してくれたのか

貧しくても幸せな日々だったのか

隣でお前たちが

齒の欠けた口を開けて

笑ってくれれば

そう思えば

死ぬことなんて怖くない

そんな気がするんだ

ああ、ビルマの子供

アジアの子供たちよ

観光地では物売りの女の子が同じ絵はがきを二ドルで売っていた。やっぱりまたボラれてた。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

 五千チャット(¥500)と二ドルとどっちが安いでしょうか?

 ドリアン長野はビルマの困ってる子供達を助けたようです。ドリアン長野は日々の業務上の艱難辛苦を乗り越えて一人娘を育てています。ドリアン長野にとって独身時代を過ごしてた平成10年代と、ドリアン長野が結婚した平成20年代はドリアン長野にとっては大違いです。

 日本社会には多くの人々を困らせる旦那様がいて家族の中がヤバイ状況なのにも関わらずさらに間違えた選択をしてさらに窮状を深刻化させてしまって多くの人々から非難されてる旦那様がいてその人物を連想した。本当に情けなくなった。乏しい人を助けましょうと言われて賛同はするが、いい加減な悪人が理不尽な行動を取られると関与は行えなくなるから支援は行えない。

 日本は原材料を輸入し誠実に良い製品を作り出して世界市場に売り出す加工貿易で経済大国になったが最近は提案や企画が悪いからか利益が出にくい社会になりました。 研究、開発等は自由な社会で無ければ行われない。

 アジアの貧困について作成された詩のようでいて最後に笑わすことを発表してるのがドリアン長野らしいですかね?

そういえば、ドリアン長野は最新鋭の電波時計であっても日本で¥2000未満で販売されてるセイコーの時計を2000バーツで(事実上)買うはめになった前例がありましたね。 #1 オリエンタル・ホテル (リターンズ)   時計と海外旅行 平成29年




管理人マーキュリーマークからの連絡 特別に抜粋した内容を付加します。














表面的な価格は税別で¥3000。実際には税込みで¥1900で購入が行えました。乾電池を入れるだけで時刻合わせをしてくれる電波時計の人気を再認識した。私も海外旅行はした。

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編 Canada BC

ホテルの備品は何一つ盗まなかったがどこかの誰かは黙って持ち帰って2000バーツ(1バーツを日本円に換算して3.5円として約¥7000)も請求されました。普通にお店で購入した方が遥かに良い状態を形成出来ます。

店の販売価格の変更等もあり買うか否かはとても悩んだが良き置時計を買えました。


敬具 マーキュリーマーク






#94 ビルマの休日 その7 (リターンズ) 2014/10/16(木) 午前 0:46


NO94 ビルマの休日 その7






at 2006 01/26 23:13 編集






ミャンマー人は温厚で親切で素朴な人が多いと思う。道を尋ねた人が英語がわからなくても、わかる人をどこかから連れてきてくれるし、何かを買ってお釣りをごまかされたということもなかった。それでも人を騙してあぶく銭を稼ごうとするよからぬやつはどこの国にもいる。ミャンマーに着いた初日の夜に街を歩いていると日本語で声をかけられた。


「こんばんわー、日本人ですか? どこ行きますか?」


歩いていて日本語で声をかけてくるのはお金を騙しとろうというやつに決まっている。話に応じると、日本が大好きだ、日本に知り合いがいる等と言い出す。そして私は学生だとか教師をしていると言って、観光案内をしてあげると持ちかけ、最後に法外な報酬を要求するという古典的な手口である。他の国なら無視するのだが、ミャンマーということで少しだけ気を許した。


「僕は日本に恋人がいますね。日本、大好きです。明日はお正月ですから、たくさんの人がチャイティヨーパゴダにお参り行きますですね。僕の知り合いが車持ってますから案内しますよ。150ドルでどうですか」


その時はそいつの知り合いが日本円をドルに両替できるというので、一万円を換金してもらった。ミャンマーでは日本円を両替するのは難しいんである。


翌日、歩いていると別の男に声をかけられた。


「あなた、ビルマ人に似てますね。日本人ですか。ビルマ人かと思った」


今度は英語である。


「私は大学生です。どこに行きますか? 私の友だちが車を持っていますから、チャイティヨーパゴダに行きませんか。特別に150ドルで行ってくれますよ」


とてもわかりやすい。マニュアルそのままである。さすがに軍事政権では情報が制限されているので、手口も画一化している。こんなんで旅ずれした個人旅行者を騙すことができるんだろうか。


その男と歩いていると、昨日の男(ミャンマー人A 。名前は秘す、っていうか忘れた)と出会った。世界は狭い。


「ちょっと、ちょっと」


Aは私を脇道に呼んで聞いた。


「あの人、誰ですか」


なんだか自分が二股かけたプレイガールのような気がしてきた。(続く)






 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項


残念ながら日本国内でも御釣りをごまかそうとする人はいますね。随分前に閉店したお店で黄色い線がつけられてるから悲惨な状態に陥ったのは十分理解出来る末期でした。


旅も色々で目的を持っていても現地に信頼が出来る有力者の友達がいるかいないかで犯罪の被害にあう可能性が変わってきますね。国内旅行であれば周知のように法治国家なので海外よりは気楽だと言えます。無論、幾つか例外の危険な町がある点は言及を避けておきます。


実は私は過去に道端を歩いてた外国人に英語で会話をした後で今年も連絡を取り合ってる外国人の友人がいる。良き人に出会えて良かったと思ってます。全く逆に不良外国人がいるのも現実です。一括りに考えない方がよろしいです。






皆様へご連絡 平成26年10月 2014/10/20(月) 午前 1:07


 管理人マーキュリーマークによる皆様への伝達事項


二点程、ご連絡がございます。


前者。半ば周知の事実ですがツイットピックが今月25日に閉鎖に至ります。多くの画像をツイットピック上で発表してきましたが今後は確認が行えなくなります。発表はあったようですが連絡があってないような状態であったので私は混乱してました。後ほど可能な限りヤフーブログ上にてツイットピック上で発表してた画像を再発表するつもりです。先月は様子がおかしかったから驚きました。


後者ですが、前述したツイットピックの閉鎖が決まったこともあって別口のgooブログを始めることになりました。しばらくの間はつぶやきの反映程度に留めておこうと考えてます。






追記を兼ねた補足説明


ツイットピック上の画像は一応はツイッター上の画像として確認が行えるようです。


別口のブログとは、私の個人的なブログです。 https://blog.goo.ne.jp/mercurymark


今年の二月に発表されたようにyahooブログが閉鎖に至るような事態を想定し事実上のミラーサイトも用意してます。http://mercurymark2099.blogspot.com/






うつぼ公園の薔薇が見頃です 平成26年10月  2014/10/20(月) 午後 11:42














USJでバタービールは飲みませんでした 平成26年10月

2014/10/25(土) 午後 10:28




10時過ぎに入場整理券をもらった。16時半から入場可。森を抜けて入口にたどり着くと周りから「すごい!」と歓声が上がった。石造り(風)の街並みと城。バタービールは飲みませんでした。








































ハロウィン 平成26年  2014/11/1(土) 午後 5:39

いや〜、この異常な空間は何?って思います(-。-;

そうやね(笑)ハリポタ、バニーガール、ランドセルを背負って笛を吹いてる幼稚園児…はははは(笑)何年か前に上野駅の改札で目の端にチラチラする原色を感じたので横を見たら志茂田景樹先生でした。




米子駅前の居酒屋「旬門」のランチ 平成26年11月  2014/11/1(土) 午後 5:52




米子駅前の居酒屋「旬門」のランチ。これで1000円です。びっくりしました!(≧∇≦)




お子様御膳は500円。しかも税込み。ひえ〜




しかもご飯と味噌汁はお代わりし放題…高級旅館の朝食かと思いまひた。しかもこの後ドリンク付き…これで終わりかと思いきやデザート付き…いやいや〜(笑)。 あっ、今から蒸しますので少々お待ちくださいと茶碗蒸しが出てきました。















#94 ビルマの休日 その7 (リターンズ) 2014/11/3(月) 午前 9:26

NO94 ビルマの休日 その7




at 2006 01/26 23:13 編集




ミャンマー人は温厚で親切で素朴な人が多いと思う。道を尋ねた人が英語がわからなくても、わかる人をどこかから連れてきてくれるし、何かを買ってお釣りをごまかされたということもなかった。それでも人を騙してあぶく銭を稼ごうとするよからぬやつはどこの国にもいる。ミャンマーに着いた初日の夜に街を歩いていると日本語で声をかけられた。

「こんばんわー、日本人ですか? どこ行きますか?」

歩いていて日本語で声をかけてくるのはお金を騙しとろうというやつに決まっている。話に応じると、日本が大好きだ、日本に知り合いがいる等と言い出す。そして私は学生だとか教師をしていると言って、観光案内をしてあげると持ちかけ、最後に法外な報酬を要求するという古典的な手口である。他の国なら無視するのだが、ミャンマーということで少しだけ気を許した。

「僕は日本に恋人がいますね。日本、大好きです。明日はお正月ですから、たくさんの人がチャイティヨーパゴダにお参り行きますですね。僕の知り合いが車持ってますから案内しますよ。150ドルでどうですか」

その時はそいつの知り合いが日本円をドルに両替できるというので、一万円を換金してもらった。ミャンマーでは日本円を両替するのは難しいんである。

翌日、歩いていると別の男に声をかけられた。

「あなた、ビルマ人に似てますね。日本人ですか。ビルマ人かと思った」

今度は英語である。

「私は大学生です。どこに行きますか? 私の友だちが車を持っていますから、チャイティヨーパゴダに行きませんか。特別に150ドルで行ってくれますよ」

とてもわかりやすい。マニュアルそのままである。さすがに軍事政権では情報が制限されているので、手口も画一化している。こんなんで旅ずれした個人旅行者を騙すことができるんだろうか。

その男と歩いていると、昨日の男(ミャンマー人A 。名前は秘す、っていうか忘れた)と出会った。世界は狭い。

「ちょっと、ちょっと」

Aは私を脇道に呼んで聞いた。

「あの人、誰ですか」

なんだか自分が二股かけたプレイガールのような気がしてきた。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

結果が発表されてるが楽しみに思えてしまうような?テレビ番組の再放送を見て同じ様な思いをしたのを連想した読者もおられると思います。一応、すでに(平成18年)発表されてるお話なので続きをすぐにでも知りたい方はバックナンバーを閲覧してもらっても構いません。リターンズは過去と現在を比較する為に行ってるからです。今回はリターンズの説明が行えて良かったです。

(追記 gooブログ版でドリアン長野のミャンマー旅行記をまとめてます)

色々とあって地球の歩き方等の旅のガイド本が人気がある点については否定が行えない人は多いでしょう。率直に伝えると不明瞭な人物との会話をする機会を減らせるからです。

一定の法規制は存在するようですが、日本銀行と取引がある外国であれば簡単に外貨に両替が行えるらしいです。だが全ての外貨の両替が行える訳ではなく日本円を外貨にすることが行えても外貨を日本円に両替する事が行えない場合もございます。各国ごとに外貨の両替の状況が違うので詳細は各自でお調べください。




みんぱく 平成26年11月  2014/11/3(月) 午後 10:44 日記 練習用




行きたいとずっと思って果たせなかった国立民族学博物館(万博記念公園内)に関西文化の日は無料ということで行ってきたが、非常に面白かった。オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカをじっくりと見て廻っただけで閉館時間になってしまった。あと音楽、言語、東南アジア、西アジア、日本の文化、朝鮮半島の文化、アイヌの文化、中国地域の文化、中央•北アジアのコーナーがあるのだ。15日も無料なのでまた出かけよう。









パティオ









戦いで殺戮した敵の肉を食べるさいに死者の霊を恐れ、手で穢れないようにと用いたフォークとか









ニューギニアの祭りの仮面や衣装とか






戦いに勝利するまで飾っておく巨大なオブジェとか









祭祀の格好とか






また来よう




先日一泊だけ帰省した 平成26年11月  2014/11/7(金) 午後 2:31









先日一泊だけ帰省した。

実家は商売をしている。

帰る日に両親が店の前まで見送りに出てきた。母は骨折をして脚が悪い。それでもヨタヨタしながら二階から降りてきた。

別れぎわ、ななかが「ありがとうございました!」と大声で頭を下げた。それを見て、「ななか、よく言った」と嬉しかった。言葉に出して言えば涙声になるので、こらえながらしばらく歩いて振り返ると両親はまだこちらを見ている。ななかが今度は「おじいちゃん、おばあちゃん、さようなら!」と叫んだ。両親は涙ぐんでいた。私はさらに歯を食いしばらなければならなかった。

それでも、いつまでもいつまでもこちらを見ている。離れて住んでいる高齢の両親は今度はいつ会えるだろうかと断腸の思いなんだろう。駅まで口をへの字にして歩いた。






「オアシス来日公演」 リターンズ特別篇 


2014/11/9(日) 午後 4:36


「オアシス来日公演」






at 2005 11/20 00:14 編集

オアシスの日本公演のチケットが七千円。悪いがオアシスごときにそんな大金は払えん。確かにオアシスは偉大なバンドだ。友人がいつか「こんな時代によくこんなバンドが出て来たな」と言っていたが、それは正解だ、多分。オアシスを知らない人のために一応説明しておくと、ビートルズとセックスピストルズを足して2で割ったようなバンドだ(そんなもんなんか)。CDはよく聴いた。特に「モーニング・グローリー」とか「ビイ・ヒア・ナウ」とか「スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ」とか「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」とか。でもあたしが七千円出してもいいというのは例えば、ボランブギのT・レックスとか(死んでるし)ニルヴァーナとか(死んでるって)ドアーズとかだ(だからっ!)


だから当日ダフ屋からチケットを買うことにした。言っとくが初犯だ。大阪城公園駅前でにいちゃんが「チケットあります」の紙切れを掲げていたので声をかける。


「いくら?」


「いくらで買いますか?」


(そうきたか)


「三千円しかないんだけど」


これは本当だ。さっき森ノ宮の「印度屋」でシシカバブカレー大盛り(924円)を食ってきたから金はない。


「う~ん三千円じゃねえ」


あたしは財布からもうワンコイン見つけた。


「三千五百円でどう?」(オアシスに四千円以上出す気はないぜ。っていうかそれ以上ないぜ)


「じゃあ、それでいいです」


ふっ、勝った。帰りにモスバーガーでチーズバーガーを買おうかと思っていたが、それは我慢する。なんてたって「オアシス」だからねえ~?


スキップして会場へ。


「缶やビンの持ち込みはできません」と貼り紙がしてあったのでウーロン茶のペットボトルを持っていたあたしは入場口で係員に、「あの、それ....」と言われ、「飲みます!」と喉に流し込んだ。係員が「いっ、いえ、飲まなくてもいいですから。キャップだけ回収します」と慌てて言った。キャップがなかったら持ち込み上等ってのはどういう了見か未だにわかんねえ。


キャパが一万人近くある会場に来るといつも思う。こんなにもオアシスファンっているのか。そりゃ、当たり前だが一人シコシコ部屋で聴いている身としては実感として不思議だ。七千円×一万人として、七千万円。一晩のライブでマンション二戸分の金が動くわけか。ヤンキースの松井が四年間で年棒62億だそうだが、オアシスとどちらが稼いでいるんだろう(あたしって人間が小さい。さすが三千五百円でチケット買ったやつだ)。


そんなことを考えているといつの間にかオアシスが出て来て演奏を初めていた。二曲目で早くも「ライラ」だ。リアムは後ろ手にして歌うんだな。あれがマンガ「BECK」でコユキが真似したスタイルってわけね。リアムが時おり「ニホン、サイコー」とおべんちゃらを言っては曲は淡々と進む。アンコールの「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」に至っては会場全体が熱唱し、次のラスト曲「マイ・ジェネレーション」でみんなは一体になった。ああよかった、よかったあ。ああ~青春ってやつは~♪ でもステージの後ろのシャビーな電飾のせいで何だかラスベガスのディナーショーに来ているような気になるんですけど。でも、「シャンペン・スーパーノヴァ」を聴いた時には正直言うと感動してさぶいぼができた。ただしあたしの大のお気に入りの「マジック・パイ」も「ロール・イット・オーヴァー」も演らんかったので三千五百円でエンヤのニューCD買ったほうが良かったかなと考えるあたしはやっぱりせこいのかも。








管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項


「平成10年代にこんなことがあったかもしれない。」といった具合で発表された国内旅行記なので皆様、あんまり真剣に受け止めないでください。周知のように、平成21年に解散したオアシスの後継のビーディ・アイも2014年(平成26年)に解散しました。


追記 ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズが後継のバンドらしいです。





#95 ビルマの休日 その8 (リターンズ) 2014/11/9(日) 午後 4:53

NO95 ビルマの休日 その8




at 2006 01/30 23:14 編集

「あの人、とても悪い人ですね。マフィアですね。気をつけてください。あなたにちょっと話あります。今晩六時にあなたのホテル行きますから待っていてください」

と言ってAは去っていった。自称大学生の男(ミャンマー人B。名前は秘す、っていうか忘れた)はすかさず、「あの男、知ってますよ。ここら辺では誰も知らない人はいません。最近まで刑務所に入っていました」と言う。

(お前ら、二人ともあやしいんじゃ~っ)

Bと別れてから、MTT(ミャンマー国営旅行社)に行って聞いてみる。

「チャイティヨーパゴダなら往復のタクシーをチャーターして、100ドルですよ」

思わず値切るのも忘れて予約した。

Aは六時きっかりにホテルに現われた。悪人なのに時間には正確だ。

「あの人、外国人を騙してお金とりますね。騙すところ見たことあります。とても悪い人ですね。ところで、昨日の話どうしますか。150ドルって言いましたけど、友だちに相談したら130にしてくれるそうです。日本人は友だちですから特別ですね」

Bも全く同じことを言っていた。この国には騙しのテクニック講座があって、同じレッスンを同じ教科書で学んでいるに違いない。

「ふ~ん、もし旅行会社に頼んだら、いくらになるの?」

「そうですねえ、日本のお金で二万円にはなると思います」

私はもちろん、その話を断った。その前にもう一万円を両替してもらった。

チャイティヨーパゴダというのは別名、ゴールデンロックといって、金箔を張りつけた巨大な岩が山頂の崖の端に落ちそうで落ちないという微妙なバランスで鎮座しているというミャンマー人が一生に一度はお詣りに行くパゴダである。行くつもりはなかったのに、何だか行くはめになってしまったのはこれも仏様の導きか。早朝六時にタクシーに乗り、五時間かかって山のふもとに到着。そこからトラックの荷台に五十人ほどのミャンマー人とすし詰めにされ、どこかにしがみついていなければ振り落とされるほどの急勾配&曲がりくねった山道を四十分かけて中腹に着いた。しかし、本当の苦行はここから始まるということを神ならぬ私は知る由もなかった。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

無意味に高い料金を提示してたり請求する人って多くいるようですしかなりいい加減な発言をする人もいますね。言葉の壁もあるし日本と海外では状況が違うから外国人が日本に来て仕事をしても何も分らずに文句を言う人もいて困ったりすることがあります。複数の会社が関わる駅前で仕事をすることになった外国人がいて上手に話すことが行えなかったのを体験したことがありました。「分ってないのが悪い。」と言いたい位です。

追記 大阪府内で有名な京橋駅のように京阪、JR、大阪メトロが利用出来る場合は明確に伝える必要があると私は思います。この旅行記を読んで反面教師にして交通費の請求がいい加減な国や地域へ行くよりも公共交通機関の一日乗車券が利用出来る街を選ぶ人もおられるかもしれませんね。

タクシーで片道5時間の旅行というものは余程でないと耐えられないと私は思います。
結局は、ガイド本等で予習してからでないと海外旅行には行かない方が良いようですね。この海外旅行記を参考にするのは避けておいた方が無難だと思います。どっちかというと情けないお話が多いのがその理由です。(笑)

ライアンの娘 リターンズ(特別篇) 2014/11/9(日) 午後 5:00

ライアンの娘




at 2005 11/14 23:21 編集




さきほど、デビッド・リーン監督の「ライアンの娘」を観終わった。アイルランドの海辺の寒村が舞台だ。ローズの人を愛する苦しさ、切なさが心にぐさぐさ突き刺さって泣けた。ローズ役のサラ・マイルズが愛らしくて、不倫をしてしまっても、しかたがねーな好きになったらよおと月9と野球とプロレスを観ない私は共感する。ローズがリンチになっているところに神父が割って入り、ぐだぐだ言うおっさんを思わず殴ってしまうシーンも泣けた。この神父はローズを小さい時からかわいがっていて、ラストの肩に手をやる右手、日本語変か?のシーンなんかここでもまたほろりときた。ただ、リーンは(ダチか)風景を撮るのはさすがにうまいと思うんだが海辺の場面なんか東北の漁村みたいだったってこれは褒め言葉なんだけど音楽がコミカルなのでアイルランドだから手元でU2かけながら観るともっと感動するかも。イギリスとアイルランドの確執を知るならこの映画が基本かって、まあ、観ても何もわからんが取りあえず「NANA」を観てうるうるしたパンクスにはお勧め(保証はせん。三時間以上もあるし)。










管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

ライアンの娘を視聴するかしないかは各自でお決めください。某人物の平成17年の記念日に発表されてますね。(笑)






私は山陰の地方都市で生まれ育った 平成26年11月  2014/11/12(水) 午後 9:48


私は山陰の地方都市で生まれ育った。実家はもともと商店街で紙屋を商っていたが、父親の代で文房具とプラモデルを仕入れた。となりは市内一大きな二階建ての書店だった。小学生の時分からその書店に入り浸っていた。漫画も本も読み放題だった。書店員は立ち読みを注意するのだが意に介さなかった。それどころか、駄菓子を片手に床に座り込んで何時間でも読みふけっていた。ほとんど毎日書店に行っていたと思う。


地元出身の直木賞作家の桜庭一樹はその書店の漫画や小説が置いてある二階のフロアでよく時間を過ごしていたそうだ。そして中高生のときは私の実家で原稿用紙を買っていたそうだ。彼女は私より10歳年下で、その頃は私はもう大阪に出て行ってしまってたけど。


彼女が「作家になるためには?」という雑誌のインタビューで「読むこと、書くこと、そして群れないこと」と答えていた。彼女が一番影響を受けたという、ガルシア•マルケスの「百年の孤独」を読んでいたら、そんなことを思い出した。






https://note.mu/sakuramaru726   https://twitter.com/sakurabakazuki




二度目の国立民族学博物館 平成26年11月 2014/11/15(土) 午後 11:50

二度目の国立民族学博物館。

7時間かけて見て回ったが、制覇できず。

ギリシャの大司教祭服






オーストリア、チロル地方のカーニバルの仮面と衣装







ナイジェリア ヨルバ族の舞踏衣装



ナミビア 鉄のビーズの装身具



中国タイ族衣装



唐突にバタやんのギター
世界の音楽というコーナーがあるんですよ。



リー族衣装



トゥー族の衣装 ミニスカートが特徴



台湾 パイワン族衣装



漢民族の婚礼衣装



鹿児島県大隅地方の秋祭りの巨人



熊本県山都町秋祭りの4メートルの仁王像
ススキや杉の葉等で作製



また来ます




大晦日のニューヨーク(新作) 平成26年11月

2014/11/20(木) 午後 11:03

もう何年も前のこと。大晦日のニューヨーク。夕方空港に到着。タクシーでマンハッタンに行き、チェルシーホテルに泊まろうとしたが、まさかの満室。それからホテルを片っ端から当たったが、どこも満室。おいおい、話し違うがなと思うが悪いのはわしやがな。ニューヨークはアジアとは勝手が違った。繁華街なら空いてるだろうとタイムズスクエアへ。足を棒のようにして歩き回るが、この辺りも満室だと軒並み断わられる。ほとほと疲れて裏通りを歩いていたら、うら若き白人女性が寝袋にくるまって歩道に寝ていた。アジアでは珍しくないが、深夜近くの身を切るような寒さのニューヨークである。やるなあ、と思いつつ私は寝袋を持ってないので、それから一時間ほどウロウロして、やっと汚ない貧民窟のようなホテルに泊まることができた。

(管理人マーキュリーマークより伝言 以下は、参考までに )

ドリアン長野のニューヨーク旅行記

#96 ビルマの休日 その9 (リターンズ) 2014/11/22(土) 午前 1:12
NO96 ビルマの休日 その9

at 2006 02/02 23:03 編集

トラックを降りないうちに、すさまじい攻勢だ。運び屋は私のバックパックを勝手につかんでかごに入れようとするし、茶店のおばさんは私の袖をつかんで離さない。
「ひと休みしてコーラ飲んでいきなさい」
「ひと休みって、これから登るところ.....」
「コーラ!」
「またねー」
彼らを振り切って、山道を駆け登る。下を見ると、熟れ寿司のように一緒に荷台でみちみちになっていたミャンマー人たちはまだ到着地点でうろうろしている。
「ふっ、やる気のないやつらだぜ。日本人のど根性を見せてやるわっ!」と張り切って登り始めたのだが、鬼のように勾配がきつい。一時間あれば山頂に着くらしいのだが、そんなことのできるやつは誰なんだ。植村直己か、野口健かっ。要所要所にかつぎ屋さんがいて、「乗らないか」と声をかけてくる。彼らは四人一組で台座に人を乗せて五百円くらいで山頂まで運ぶのだが、こんな過酷な仕事がまたとあろうか。その仕事に敬意は表するものの、自らの脚で登頂してこそ御利益もあろうというもの。ああ、ありがたや、ありがたや。声をかけられるたびに「ノープロブレム!」と言い放ち、全力ダッシュを繰り返す。三回続けたらマジで心臓が止まるかと思った。アホや。混じりっけなしのアホや。あちらこちらに茶店があるのだが、一旦休憩したらそこに根付いてしまいそうで恐い。脱水症状でふらふらと登っていくと、遥か彼方に陽光にきらめくゴールデンロックが見えた。それを目にしたら逆に気分が萎え萎え。無理や、あんなところまでたどり着くのはずぇったい無理やああああ。責任者出てこ~い!(こればっかし)。
かつぎ屋に乗った日本人や白人が次々と私を追いこしていく。おまえらなあ、金さえあれば何でもできるという先進国の驕りといったもの、かつ人間の努力と尊厳というものをいったいどのように考えて.......、ああ、それにしても私はなぜミャンマーくんだりまで来て、こんな辛い思いをしてまで山に登っているのだろうかという根源的なしかし決して考えてはいけない疑念が浮かんできたのだが、酸欠なのでそれ以上は脳が拒否。あのミャンマー人のAとB、今度出会ったらグーで殴っちゃるう~(逆恨み)。(続く)
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
ドリアン長野は空手家で割と体力がある人物なのですが、凄まじい山道だったようです。文章だけでも峠を連想しますね。日本国内でも神奈川のように峠が多い町を連想しますね。山岳の村は存在しますね。
ミャンマーの観光産業は地形によって成立してる部分もあるようですね。
ドリアン長野が誰かを本気でグーで殴ると恐ろしい結果になります。それよりも、恐ろしい下段蹴りかな?極真空手の黒帯だけにシャレにならないです。
それでは皆さん、次回を楽しみに待ってください。

ドリアン長野のミャンマー旅行記

スノーライオン(新作) 平成26年11月  2014/11/22(土) 午後 10:30

https://www.facebook.com/snowlion88

日本で唯一亡命チベット人の経営するチベットレストランが大阪市西区新町にある。オリックス劇場(旧厚生年金会館)のすぐ側。
「スノーライオン」とはチベット仏教に出てくる神聖な動物。中国、チベット問題に詳しいジャーナリストの有本香さん(関西テレビ、ニュースアンカー火曜日に出演)の友人であり、チベット支援を続けておられるあぼともこさん(FB友達になっていただいた。あぼさんが素晴らしいのはチベットをイデオロギーではなく、情で支援しているとおっしゃるところ https://www.facebook.com/tomoko.abo)がお勧めのレストラン。今年の3月にオープンした。
中に入るとチベット仏教の宗教具や調度品が所狭しと飾られ、座敷はまるでチベットの民家に招かれたようだ。チベット料理を食べるのはネパールでチベット人が経営するゲストハウスに泊まって以来だが、チベットうどんのトゥクパもチベット餃子のモモも非常に美味しかった。チベットに小旅行したような、一度行ったらまた行きたくなるような居心地のいい場所だった。










#97 ビルマの休日 その10 (リターンズ)
2014/11/30(日) 午後 10:49 NO97 ビルマの休日 その10

at 2006 02/06 23:48 編集

思えば苦しい道のりであった。山頂付近では息が異常に苦しくなり、高山病かと疑ったり(なわけねーだろ)、いつ着くかともしれぬゴールにくじけそうになった時はアントニオ猪木の「恐れず一歩を踏み出せ。そこが道になる。お前の後ろに道はなく、お前の前に道がある。天上天下唯我独尊」という言葉を思い出して頑張った(ウソ。しかもテキトー)。しかし、朝の来ない夜はない。借金取りの来ない消費者金融はない。永遠に続くかと思われた苦行もいつしか終わりを告げ、はっと思ったらそこは山頂だったのだ。私は無寄港(茶店)単独登頂、しかも杖(茶店で売っていた)なしという偉業を成し遂げたのだ。この偉業はミャンマーの歴史には燦然と輝かないかもしれないが、私の歴史には燦然と輝くであろう。万歳、 自分。誉めたたえよ、自分(by 三代目魚武濱田成夫)。
境内には何百人という登頂者がまぐろのように息も絶え絶えに横たわっていた。まさに野戦病院さながらである。気持ちはわかるぞ、同志よ。そして本尊のゴールデンロックはその黄金色を輝かせ、傾斜のついた崖っぷちに絶妙なバランスで屹立していた。地震か台風でもあったら、転げ落ちそうだ。参拝者が金箔を買って、その岩にぺたぺたと貼付けている。日本だったら危険だからといって立ち入り禁止だろーな。崖の下を覗くと、神聖な場所のはずなのに菓子の包み紙とかがいっぱい散乱していて、ちっとも地球に優しくないミャンマー人なのだった。十分も見ていると、苦労して見にきた金箔岩なのにもう飽きてきた。今晩は早めに寝て日の出を拝もうと思い、外国人が予約なしで泊まれる唯一のホテル(これがろくな設備はないくせに宿泊費だけはバカ高いんだよな)に行ったら満室だとゆわれた。仕方ないので中腹まで下山することにした。あとはトラックでふもとまで行けば安宿があるはずだ。(続く)
 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
高山病ですが、概ね2400m以上の高山に登り酸欠状態に陥った時に、さまざまな症状が現れ人によっては2000m前後の標高でも発症することがあるらしいが約1100mの標高に位置するゴールデンロックでは高山病にはならないと考えられます。余談ですがMLBのコロラド・ロッキーズの本拠地であるクアーズ・フィールドは標高約1600mに位置します。
 何らかの有名な建物があって辛く長い業務上の艱難辛苦を乗り越えてやっとの思いで到着してから10分もたたない内に飽きてきた経験は皆さんにもございますか?ほとんどの海外旅行記がそうですが単なる浪費であったかもしれません。ミャンマー人にとっても辛い(彼等にとって)国内旅行のようです。
 そういえば、今回は97回目のリターンズ。某企業が販売してる靴の97のデザインは私の好みではないから現在(平成26年11月)販売されてますが、購入は見送りました。将来、彼等は再販するのかな?最近の若者がどういった決断を下すのかな?
 以下は皆様への伝達事項ですが、実際の所、平成十年代並びにそれ以前のドリアン長野の海外旅行記の8割以上のリターンズは終了しました。平成20年代のタイランド旅行記等は現在の所は半ば唯一の例外ですが、平成20年以降は過去の年代と比較してドリアン長野は海外旅行の回数を減らしてます。構造的に半ば増やせないのでリターンズは、平成二十五年に発表したタイランド旅行記(未完の大作になるかも?)を将来的にヤフーブログ上で発表すると海外旅行記の新規投稿は減ることを考慮してください。
ちなみに、gooブログ上で発表した内容は、こちらをクリックしてください。
今後は、ドリアン長野がフェイスブック上にて伝達した内容の紹介が関の山といった具合です。
そういう訳で、皆様、次回にご期待ください。 以上です。

#98 ビルマの休日 その11(リターンズ) 2014/11/30(日) 午後 11:09
NO98 ビルマの休日 その11

at 2006 02/13 23:07 編集

中腹に着くと参拝者を満載したトラックが次々とやってくる。かつぎ屋や運び屋は大忙しだ。こけつまろびつ駆けつけては交渉してどんどん山に登っていく。小柄な少年がかごの中に五人分の荷物を詰め込み、その上にばかでかいスーツケースを括りつけて黙々と登っていった光景を見たときにゃあ、彼の後ろ姿に男を感じたね。町工場のシャチョーさんが見たら「えらい! あんな年端もいかない子供が文句も言わんと....。それにひきかえ最近の日本の若いやつらときたらっ」と思わず事務所のスチールデスクを叩き、感涙にむせびそうだ。定員五十人の荷台に十人の日本人ツアー客を乗せたトラックが到着。五倍の運賃を払ったな。すかさず運び屋が群がる。おばさんが「わたし、自分で歩くよ」と肩をそびやかして腕を振る。日本人のおばさん独特のしぐさだ。とはいっても結局全員がかつぎ屋に運ばれていった。
とまあ、こっちもいつまでも見とれているわけにはいかないので、最終便に乗り込む。定員になるのを待って、ようやくトラックは日没の中を走り出した。夜になるとTシャツだけでは肌寒いほどだ。荷台には茶店の茶器を積んだ大きなバケツを抱え込んでいるおねいさんや売り物の駄菓子やら干物を持って帰る少年といった仕事帰りの人たち、私のとなりには僧侶が二人座っている。相変わらず身動きもできない。時おり話し声が聞こえてくるが、もちろん一言もわからない。見上げると満天の星と下弦の月。トラックは月明かりの下で険しい山道を疾走してゆく。いつ横転してもおかしくないほどだが、彼らと一緒に揺られていると不思議と恐くはなかった。実はミャンマーに来て一番よかったと思える瞬間がこの時だった。私はきっと十年後もこの時のことをまばゆいほどの星と月とともに懐かしく思い出すに違いない。(続く)
 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
スチールデスクを販売してる人が見たら喜ぶようなお話ですかね?
それはともかく、皆様も思い出に残るドライブというものがあったと考えられます。日本国内でも郊外の町を移動してると大都市と比較して街灯が少ないことが多いです。日本とミャンマーの街灯のルーメン数を比較したら雲泥の差でしょう。皆様も暗い夜道のドライブを霊的に過ごされたことがございますか?
 今回は98回目です。もうすぐ、平成10年代のリターンズは終了です。このままだと平成20年代のリターンズは4回だけを発表し終了になりそうです。今後、続編が発表されるか否かは現時点では不明です。
余談。 そういえば、将来的に某F社が1998年(平成10年)に販売した靴の再販は製品名98として来年行うのかな?〇ラント・〇ル4は恰好いいから今から少し楽しみ。

#99 ビルマの休日 その12 (リターンズ) 2014/11/30(日) 午後 11:43
NO99 ビルマの休日 その12

at 2006 02/17 23:42 編集

トラックは山道から平地に入っていった。あれ? 来たときはこんな道はなかったはずだけど。この平地に入る前にトラックはいきなり停止し、別のトラックが横付けしてきた。みんながわれもわれもとそちらに乗り換えるので、わけがわからないままに私も移ったのだ。見ると半分くらいの人数を元のトラックに残したまま出発した。どうやら違う路線に乗ってしまったらしい。今晩は野宿かなと思っていると、しばらくして終点に着いたらしく、みんな降りていく。さて、どうしたもんかなと、とりあえずにぎやかそうな方向に歩いて行ってみる。そこはゲストハウスと看板が掲げられていて、一階はゲーセンになっている建物だった。入口に立っている若者に聞いてみると、なんだかんだと他の若者が集まってきて協議を始め、近くのホテルにバイクで送ってくれることになった。ここに泊めてくれればいいと思うのだが、ライセンスがないので外国人は泊めることができないらしい。バイクのうしろに乗って漆黒の闇の中を走る。街灯も民家もないから、とにかくもう鼻をつままれてもわからないほど真っ暗。
十分ほど走って連れてこられたのは門から建物まで百メートルはある広大な敷地に建てられたリゾートのようなホテルであった。連れてくんのはいいけどよ、この格好見て判断してくれよな。どう考えても金持ちの旅行者には見えんだろう。恐る恐る値段を聞くと、一番安い部屋が15ドルだそうだ。
「こんばんわ。日本人ですか」と日本語で声をかけてきたのは、五十歳くらいで一見日本人かと思うような人だった。
「私はこのホテルのマネージャーをしています。チョウチョウといいます」
チョウチョウさんは東京の寿司屋や喫茶店や居酒屋などで十年間働き、その時に貯めたお金で友だちと十年前にこのホテルを建てたそうだ。
「その友だちはホテルの経営をやめてお坊さんになりました。面白い人でしょう?」
う~ん、何だかこのホテルは当たりみたいだなあ。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
ミャンマーではトラックがバスの代わりになってるようですね。
「多くの人々は皆ではない。」この部分を理解して行動するかどうかでその人が幸せに生活が行えるかどうかの分水嶺だと思います。意図的に否定するか肯定するかと言い換えてもよろしいかもしれません。大阪市内に存在する京橋駅(JR西日本、地下鉄、京阪)に到着した時のように通過するか乗り換えるか下車するかは本人の自由ですが、迷うと時間の浪費につながります。
やはり、移動については事前に調べておくのが最善の策です。現地で調べるのは次善の策やもしれません。実際の所、日本国内でもそうですが政変等で交通事情の急激な変更が発生することもございますからね。
チョウチョウさんは平成18年時点で50歳位であったならば今頃、60歳を過ぎてるかもしれませんね。
しかし、日本では$15では止まれる宿(高級ホテルも含む)はないでしょうね。法規制等で海外では外国人が止まれる宿が制限されてるようです。日本国内では料金を支払う限りは何人であれども宿泊施設は平等に扱わないと糾弾されます。
余談。 日本国内のホテルで勤務してる友人に聞いたことがあるお話です。真面目な客が予約をしていてもホテル側が客に無許可で予約を取り消すことがあるそうです。ホテル側の過失行為でもあるそうですが、キャンセルされる客が多いことも原因の一つだそうです。それで、満室の時に本当に真面目な予約客がホテルにやってきた時にはタクシー代をホテル側が支払って別のホテルに宿泊してもらうそうです。全く逆に空いてる時には激安で高級な部屋に宿泊が行える時もあるそうです。
私は過去に北海道のホテルで同じような体験をしたことがありました。 それでは、皆様次回にご期待ください。

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


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ランニング(特に早朝)をすると
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血液が循環する
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