2015/2/8(日) 午後 5:55
CDとBOOKについて
2007-09-06 | Weblog
元々は、簡単ホームページ時代に発表していたものを転載したものです。
当時の雰囲気を、皆様お楽しみ下さい。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
BOOKについてはともかくだが、CDの論評は個人的には全く分らないのが本音です。(下記参照)今となっては動画等が発表されてるから確認する人もいるかもしれませんがそれでもよく分らないです。
まるで「ダムドのボーカリストが入ったMC5」といえば分かる人には分かる? この部分だが全く理解が出来ません。 個人的には90年代はジューダスプリーストのペインキラーで平成10年代はドラウニングプールのステップアップとエイミ・リーのブロークン(ひょっとしたらちょっと違う?)で、平成20年代はデトロイトメタルシティーの曲(一応、「甘い恋人。」にしておきます)が良かったと思います。
話は変わりますが、徐々にですが過去の転載も終わりつつあります。
地下鉄のOLの会話 平成27年2月 2015/2/9(月) 午後 9:33
地下鉄のOLの会話
「さんわどって何?」
「さんわど?何それ?」
「昼休みに読んだ本に書いてあってん。ほら、ここ『玄関は真っ暗だった。さんわどに立ったまま、気配を窺う』って」
「ふ〜ん、ほんまやな。何やろ?」
…「たたき」ですね…
2003年三月から九月にかけての掲示板 平成27年二月
2015/2/10(火) 午前 1:31
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代に運営してたgoo簡単ホームページ時代に存在してた掲示板の転載です。今となっては大雑把に確認する事が関の山なのであまり肩の力を入れて読むのではなく脱力した上でお読みいただければ幸いです。なお、この掲示板で一つ興味深いやり取り(後述)がありました。実は平成10年代だったと思いますがドリアン長野は社会人学生でした。しかし、入学したのは良くても病気の為に中退を余儀なくされたのです。カンボジア旅行で下痢が原因で追試を受けられないまま中退という悲劇でした。厳しい人は「学生は学業に専念すべきで大学から提案が無い限りは海外へ行くのは慎むべきだ。」と発言されるかもしれません。実際の所、海外留学を半ば義務化してる国際的な高校や大学は日本国内に実在します。ドリアン長野の場合は自己責任であったようです。また、特別に初期の海外旅行記も転載されてました。お楽しみください。
2003年三月から九月にかけての掲示板
2007-09-14 | Weblog
To at 2003 09/10 22:48 編集 返信
iro
音楽onngaku
なんでやねん
To yuuya-0224@goo at 2003 09/02 01:03 編集 返信
RE:はじめまして^^
同じ壁紙同士(笑)のよしみでこれからも仲良くして下さいね。隣の部屋の鈴木さんの勧めで「HUNTER×HUNTER」(by冨樫義博)を今日読みましたが、はまりました。明日は第五巻を買いに行きます。(ニュー・オーダーの「SUBSTANCE」を聴きながら)
From yuuya-0224@goo To durian-nagano@goo at 2003 08/31 09:49 編集 返信
はじめまして^^
はじめまして、裕也と申します。
キレイなHPですねえ~。
僕のHPもぜひきてください。
今後よろしくお願いします。
では失礼します
To at 2003 08/24 22:52 編集 返信
RE:爆笑
そうですね。でも、その日に試験が行われたことを知ったのは「不可」になった成績表を受け取ったあとでした(ガックシ)。
From アハハハハ To durian-nagano@goo at 2003 08/23 18:01 編集 返信
爆笑
けども、病欠の場合には特別に試験を受けさせてくれるのではないのでしょうか?
From え? To durian-nagano@goo at 2003 08/07 00:59 編集 返信
どうなってるの?
http://home.comcast.net/~bernhard36/honda-ad.html
しかし、あれだよな、女の子は酒タバコやめてほしいよなぁ
世の中には、喘息の人もいるしなぁ
To at 2003 08/06 23:17 編集 返信
ゆっくり休養してください
「40NOT以上」すごい人気ですね。今度のライブは是非私も観てみたいです!甚平に雪駄もロックバンドとしては逆に新鮮でナウい(死語)かも。先日行ったパティ・スミスのコンサートでは曲の途中に彼女が鉢巻きをしめたのですが、それには阪神タイガースと書かれていました。ああっ、カリスマがあああ~っ、(野球嫌い)野球ファンの皆様すいません(レッチリの「BY THE WAY」を聴きながら)
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2003 08/06 12:22 編集 返信
こんにちは
3日のEXPOLIVEも、成功でした♪
今日、LIVEレポがUPされてた。
今回は、不評だったAZのステージ衣装がもれなく見れます…(苦笑)
From ちぃちぃ To durian-nagano@goo at 2003 08/02 16:16 編集 返信
はじめまして
こんにちは~。AZ WORLDの管理人です。
今大阪に夫婦で来てます!
明日は40NOT以上。のLIVEなので、来てしまいました!
大阪はすごく暑いです。
旦那とインターネットカフェでレス中です…
挨拶が遅れてしまいました(苦笑)
これからもよろしくお願いします(_ _)
To at 2003 08/02 02:12 編集 返信
RE:嬉しい出来事
すごい!よかったですね。AZさんのステージ・アクトはものすごくパワフルだそうですから興味ある人は是非、観にいって下さい。当日券もあるそうです。(暑苦しい夜に、パティ・スミスの「GONE AGAIN」を聴きながら)
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2003 07/31 19:01 編集 返信
嬉しい出来事
うちのPC版のBBS1に、山形県の音楽サイトの方からの書き込みがありました♪
何故?!(?_?)って感じだったんだけど、なんとなんと!りょうさんという方が、AZ WORLDのページをCMしてくれてたのです♪
もぉ!自分の知らないところで、知らない誰かがCMしてくれてるなんてめっちゃ嬉しいことだよね、ほんとに♪
(/≧▽≦)/うきぃ~っ♪
いろんなとこで音楽の輪が広がると嬉しいな♪
今週末はいよいよEXPO中央ステージで18:00からLIVEだぁ♪当日は、花火も上がるってことで、今から楽しみ(^-^)
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2003 07/29 10:01 編集 返信
はじめまして
訪問&書き込みありがとうございました(^-^)
リンク、O.K.ですよ( ̄▽ ̄)
これからも仲良くして下さい♪
To at 2003 07/26 01:22 編集 返信
RE:大変
起こるんですよね。私自身、いつもびっくりです。
From よく読んでね To durian-nagano@goo at 2003 07/23 23:19 編集 返信
大変
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030723-00000716-jij-int
こういった事が起こるんですね
To at 2003 06/21 00:30 編集 返信
NO1 オリエンタルホテル その1
オリエンタル・ホテル
オリエンタル・ホテルに泊まった。あの世界一という栄誉を冠せられるオリエンタルである。私がカオサンでよく泊まっていたサイアム・オリエンタルじゃないぞ。シャングリラもペニンシュラもリージェントも頭が高い! ひかえおろ~う! 正真正銘、一番安い部屋でも310米ドルもするビンボー人には絶対泊れん、あのオリエンタルじゃい! ハァ、ハァ、ハァ。(肩で息をする音)同行の友人(アジア旅行は初めて)が宿泊代を出してくれるというのだから私に異存はない。これは泊まらないわけにはいくまい。いや、泊まりたい。是非泊まらせてくれ、お願いだ。オリエンタルにはスイカジュースを飲みに行ったことがあるが、まずくて冷えてないわりに200バーツもしたぞ。どうなってんだ? ちなみに私がバンコクで一番好きなホテルは知る人はよく知ってる、あのグレース・ホテルだ。この前、昼過ぎにチェックインしようとしたら満室だからと断られた。フロントのおばちゃんに近くにもっと安いホテルがあるからそこへ行けといわれたが、ここがいいと駄々をこねたらパスポートを預かっとく、6時頃もう一度来いやと言われ、やっと泊まることができた。その際、押し合いへし合いするフロントに割り込もうとしたアラブ人にフロントのおねいさんが 「みんな順番守ってんだからちゃんと並んで待ってなさい!」 とものすごい剣幕で怒鳴っていた。幼稚園児のようなアラブ人もアラブ人だが、客にそこまでいうか、ふつう。とにかくこのホテルはあやしい。アラブ人のおっさんがタイの少年二人をつれて部屋に入っていくのを見たことがあるし、隣の部屋から苦しそうなあえぎ声が聞こえてきたこともある。(何してんだ?)ロビーには売春婦とアラブ人が、てめえらここのソファーで夜をあかしてんだろ、と思うほどいつでもたむろしている。一階の卓球台では黒人がいつも卓球やってるし。(まっ、健全)ここにはディスコが二つあるが、一階のディスコは中近東風の音楽でみんな踊りまくっている。いっぺんだけ行ってみたことがあるが、ついていけん。あのリズムでどうやって踊ればいいんじゃ~い。それに比べて地下にあるディスコはまともだ。(まともか?)毎晩(たぶん)、売春婦をつれて朝の二時まで踊り狂うアラブ人。熱い、熱すぎるぞ。
To at 2003 05/27 23:26 編集 返信
オリエンタルホテル その2
マーブンクロンで黒のアメリカンスーツ(笑)を買った時なんざあ、ホテルの近くのアラブ人街をうろつき、見せつけてやった。我ながらアホやぁ~っ、ワシって。その時、黒人の二人連れが近づいてきて 「おれたちアフリカの○○○○出身(国の名前は忘れた)なんだけど今度、日本で働きたいんだ」 と言うのだ。あわてて「こっ、これから友だちに会いに行かなきゃならないし、明日は朝一番の便で日本に帰らなくちゃならなくて時間がなくて」 とかいって逃げてきた。そんなことはどうでもいいのだが、オリエンタルにチェックインした時は私もようやくゲスト.ハウスからここまで登りつめたのだと感慨深いものがあった。(人の金だけど)
さすがオリエンタル、部屋もさることながらホスピタリティつうのか、一人一人の客の顔と名前を覚えてくれて至れり尽せりのサービスである。そんでもって立食形式のレセプションパーティーに招待されたのだが、そこにいた女子大生の二人連れ! 聞くと、バンコク滞在中の4日間はず~っとオリエンタルに泊まるとぬかすではないかっ! タイは初めてだからオリエンタルだと安心だと思ったからだとぉっ! ワシでさえ一泊なのに。(人の金だけど)学生やったら、安宿に泊まらんかいっ! とぶっちしたんだけど(内心ね)、気をとり直してその夜はオカマショーの「マンボ」に行くことになった。ショーがはねたあと、せっかくオリエンタルに宿泊してるんだからと出演者をホテルの部屋に招待することにした。そのむねを小太りのマネージャーに伝えると、 「オリエンタルはドレスコードが厳しいから入れてもらえないかもしれませんよ」 というではないか。出演者のカマー(オカマのことね)も 「あら~ん、あんな高級ホテル、大丈夫なの? あなた保証する?」 などという。どうにかなるだろっと九人のカマーを三台のタクシーに押し込み、ホテルに向かった。結果はホテル・マネージャーに頼みこんで、部屋は駄目だがガーデンならいいということになった。ホテルが氷やグラスを用意してくれてわれわれは宴会を始めたのだが、いや~さすが世界一のホテルといわれるだけのことはある。さすが鷹揚やね。チャオプラヤー川の夜風に吹かれながらの宴会は最高でしたっす! とここまではよかったんだけど、実は大きな声じゃあいえないけどさ、部屋にあったセイコーの置き時計をカバンに入れて持って帰ったのよね。チェックアウトの時になんにも言われなかったから、しめしめって感じで。ところが一か月後にホテルから請求書がきた。時計が紛失していたのでクレジットカードからその代金を引き落とさせていただきますってな。それがなんで2000バーツになるんじゃい! 何の変哲もないただのちっこい時計やないかい! 世界一にしてはせこくないか! もしかしたらボッてるんちゃうんかい、オリエンタル! ふざけんじゃね~! って悪いのはオレか。よい子のみんなはお持ち帰りはスリッパか歯磨きセットまでにしときましょうね。(泣)
From To at 2003 03/28 23:30 編集 返信
新規入会おめでとうございます!!
ここからいろんなことを情報発信してください。
何かわからないことがあればQ&Aをご覧ください。
ページのカスタマイズはこちらからどうぞ。
※この記事は必要のない方は消してください。
2003 09/16 19:59から2004 01/15 12:43にかけて掲示板で書かれた記事 平成27年二月
2015/2/10(火) 午前 1:54
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代に運営してたgoo簡単ホームページ時代に存在してた掲示板の転載です。今となっては大雑把に確認する事が関の山なのであまり肩の力を入れて読むのではなく脱力した上でお読みいただければ幸いです。
ドリアン長野と私は過去にギクシャクしてたことがありました。過去は過去です。今はヤフーブログとgooブログとツイッターの管理を私がしてます。
しかしながら、個人的な事情から再来月の四月からはフェイスブック上のお話(新作等)の転載回数を現在のように頻繁に行うのではなくて、激減させ月に一回にしようかと考えてます。未完になってる新作のタイランド旅行記(平成20年頃に夫婦で赴かれた)の転載は恐らく見送るつもりです。
何か特別な事情が無い限りは基本的に月に一回の転載にしようと考えてます。
平成15年というか2003年はタイガースがリーグ優勝したから確かに弱くは無かったですね。
念のためにお伝えしときますが、過去の掲示板なのですでに終了してるライブ等の告知が行われてますが皆様、過去の記録だとお考えの上でお読みください。
2003 09/16 19:59から2004 01/15 12:43にかけて掲示板で書かれた記事
2007-09-14 | Weblog
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2004 01/15 12:43 編集 返信
告知ですぅぅぅ
【TROPICAL STORMY LIVE・2004】始まりますo(≧∀≦)o
第一弾!!
2月19日(木)
アメリカ村 THE NEST SALOON
open/18:00 start/19:00
チケット代
前売り券:¥1500+¥1000(ドリンク・フード代)
当日券 :¥1800+¥1000(ドリンク・フード代)
お問合せ:THE NEST SALOON
大阪市中央区西心斎橋2-11-5 高谷ビルB1
TEL&FAX 06-6211-8675
New Guitarist加入で、さらにパワーアップした【40NOT以上。】LIVEです!!
平日なのですが、会社・学校帰りの方も!!!
あ、その日大阪にいるわぁ…なぁんて方も!!!!
みんなで元気になりましょ~(≧∀≦)/
チケットはメールでも受け付けます♪
ドリアン様>貴重なスペースありがとうございます。
不適切なら削除してください…・(T_T)
ところで、16日に花岡さん達と40NOT以上。で【新年会】やりまっす♪
場所は、大正区の【うるま御殿】ていうとこです。
参加できたら参加して下さい♪
From 元管理者 To at 2004 01/10 01:20 編集 返信
リンクの仕方
ご存じですか? なんだったら、遠隔操作をしてしまいます。
ここを見て、予習しておいてください。
http://01.members.goo.ne.jp/~member/hobby/travel.cgi?cmd=view&id=akiesnoopy@goo
From AZ To durian-nagano@goo at 2004 01/08 14:49 編集 返信
お知らせです!
【40NOT以上。】のホームページが引越しました( ̄∀ ̄*)
新アドレスは
http://www.occn.zaq.ne.jp/40not/
です( ̄∀ ̄)/
これからもヨロシクお願いします(_ _*)ペコリ…
長野マネージャー…( ̄∀ ̄*)
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 01/08 00:41 編集 返信
画像並びにご連絡
画像を軽量化するソフトを見つけたので、とりあえず、自分で試してみて上手くいったらこのホームページに活用します。
正直に言って、リニューアルというか、改装を行うつもりですが、長時間かかりそうです。 色々と難しいですからね。
とりあえず、連絡ください
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 01/02 14:11 編集 返信
謹賀新年
あけましておめでとうございます
今回の書き込みも凄惨な内容でしたね。
まぁ、ウォシュレットもあるのでペーパーが無くても慌てない人もいるかもしれませんが・・・
ほんまに、正月からこんなんでええんか? ダラズやなぁ、ほんまに・・・フー
ちょっと疲れているので、寝ようか、カルフールで買い物に行くか悩んでいます。http://www.carrefour.co.jp/
それと、http://www.misokichi.com/の一件なんですが、又、後ほど、ということで・・・
それと、例のリンクの一件ですが、 バナー張る一件も含めて、メールでも良いので、ご連絡下さい。
To at 2003 12/30 16:01 編集 返信
RE:ども~( ̄∀ ̄*)
ま、まかせとけえぇぇぇ~。タイタニックに乗ったつもりで(沈没?)。がむばります。風邪早く直してくださいね。
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2003 12/29 21:35 編集 返信
ども~( ̄∀ ̄*)
今年はいろいろありがとうでした♪
来年は、マネージャー長野さん!!として、よろしくお願いしまぁぁぁす♪
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2003 12/17 17:39 編集 返信
こんにちはです♪
告知させて下さい(≧∀≦)
12月19日(金)
40NOT以上。3曲入りCD
発売決定!!
収録曲
「ふたり~40NOT以上。謁歇゙~」
「Black Blood」
「Take It Easy」
¥500-
LIVE会場・インターネットで販売♪
みなさんヨロシクお願いしま~す( ̄∀ ̄*)
購入方法:E-MAILにて受け付けます♪
お支払い:商品到着時に¥500+消費税¥25をお支払い下さい。
*商品と交換になります(^-^)
管理人様>貴重なスペースありがとうございました
不適切なら削除して下さい
To at 2003 12/12 20:33 編集 返信
RE:切り番
おめでとう!
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2003 12/12 14:17 編集 返信
切り番
1700キッカリ
From アーぁ To durian-nagano@goo at 2003 11/28 11:35 編集 返信
元管理者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031128-00000033-nks-ent
ドリアン長野さんもライブではこういった状況ですかね?
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2003 11/26 15:16 編集 返信
おわぁっ!!Σ( ̄□ ̄;)
ドキュメンタリー映画を作っている知人がAZさんのポスターを見て、「この人、MTVで観たことがある」と言ってました。
>それって…人違い…だよ…(_ _;)
だって、MTVにあたしのVIDEOが流出するわけないもん(涙)
でも、MTVに出てる人に見えるって事は!!!
ますます気が抜けない…ってことだね(○_○;)
12/2、いろんな意味で、あたしも楽しみです♪
その前に11/30だ…あわわ
To at 2003 11/28 21:39 編集 返信
RE:上海!
おお、ついに上海デビューですか!時間があったら「和平飯店」のジャズバーに行ってみてください。かつての魔都、オールド上海にタイムスリップしたかのようです。
カラテへの参加お待ちしています。場所が分からないとか、質問等ありましたら、durian-nagano@k.vodafone.ne.jpまでメール下さい。
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2003 11/14 18:17 編集 返信
上海!
12/20に上海入りします♪
しかも21日は歌唄ってきちゃいます♪
初めて上海!しかも初上海LIVE!
いまから心臓バクバク…
ドリアンさん>生徒として、精神統一しにお邪魔しますね♪
*道場破りじゃないから!!!(苦笑)
To kadottukokunn@goo at 2003 11/10 23:18 編集 返信
RE:どもども
今日も訪問させていただきました。15歳なのに恐るべし!って感じです。(R・E・Mの「エポニマス」を聴きながら)
From kadottukokunn@goo ( HP ) To durian-nagano@goo at 2003 11/09 17:24 編集 返信
どもども
どもどもたくけろといいます!
我がホームページに来てくださって
ありがとうございます!
また来てくださいね!
お待ちしてまーす
To at 2003 11/07 22:15 編集 返信
RE:シャンハイとホンコン
は~い
From 一応元管理者 To at 2003 11/05 18:56 編集 返信
シャンハイとホンコン
実は、この二大都市は、日本の東京と大阪と同じような状態で、色々な意味で競り合っていることで有名なのです。
日記を見て思ったこと
知り合いに、中国貿易(中国製の寝具を日本国内で販売している輸入業者)で生計をたてている人がいるけども、あまり紹介したくない内容だなぁ、これは・・・
スキルアップ
ぼちぼち、実力を上げていけば良いんです。 そうすれば、なんとかなります。 始めは誰でも初心者です。 お互い頑張りましょう。 ただ、人によっては乗り越えるのが困難な試練もあるようです。 何処かの暴走意見空手家のようにね (笑い)
モー手前はすでに管理者を辞めています。
To starekano@goo at 2003 11/04 22:10 編集 返信
RE:はじめまして。はるひです。
私もな~んにも分かりません。全部管理人に任せてます。私がPCで出来るのはインターネットとワープロと時計と計算機だけです。だから君ももっと自信を持ちたまえ、わーはっはっはぁ.....はぁ~(タメイキ)って、おれはチャーリー・ブラウンか!(オアシスの「ヒーザン・ケミストリー」を聴きながら)
From starekano@goo To durian-nagano@goo at 2003 11/04 09:32 編集 返信
はじめまして。はるひです。
ログをたどってきました。
まだHPを作り始めたばかりで、全く何もわからないでいます。
どうぞ仲良くしてくださいね。(^^)
To at 2003 10/26 00:27 編集 返信
風邪に効くマンガ
風邪にはお気をつけて。私はこの何年も風邪をひいたことがありません(普段からビタミンを摂るようにしてるからかな)。たまには風邪をひいてゆっくりと休みたいと思うこともありますが、これはぜいたくですね。私の父が手塚治虫を好きだったので、小さいときから手塚マンガを読んで育ちました。「火の鳥」は何回も読み返しましたが、特に「鳳凰編」が好きです。手塚の正当的な後継者だと個人的に思っている漫画家が浦沢直樹です。「MONSTER」と「20世紀少年」は漫画界における金字塔ですね。最近はまっているのが、地下沢中也の「パパと踊ろう」。このギャグは癒されます。風邪をひいた時に読むと熱が下がります(と思います)。
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2003 10/25 10:26 編集 返信
こんにちは♪
みんなに風邪に気を付けてねって言ってたのに…
あたしが風邪にひいちまったぁぁぁ(>_<;)
でも…今日も仕事なので、卵酒(やっぱり酒)呑んでおとなしく寝ておきますわ…そして夜に備えるわ♪(微妙に怪しい響き…)
でも…吟醸酒に卵入れるのって…かなり勇気がいるのよね…
話はかわりますが、最近『手塚治虫』作品にハマってるあたし♪
お薦めは『火の鳥』奥が深い!!!
なかなか考えさせられる作品ですね。
…もしかしてこの熱は、風邪じゃなくて知恵熱?!Σ( ̄□ ̄;)
12月2日のLIVE、楽しみにしておきま~す♪
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/7287/
To at 2003 10/05 22:26 編集 返信
はじめまして
登録させていただきました。
To at 2003 09/19 18:44 編集 返信
RE:阪神・・・
たしか漫画家のいしいひさいちがヤクルトファンでしたっけ?
思い出すなあ、国鉄スワローズのかねやんの雄姿を(ふるっ!)。私の野球の知識は「巨人の星」と「男ドアホウ甲子園」です。スタルヒンとか藤村とか土井垣とか知ってる?うあああああ。
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2003 09/16 19:59 編集 返信
阪神・・・
阪神優勝は、メデタイかもしれないけど、犯罪行為はイカンだろ!
って感じ。
今日の道頓堀は、ゴミだらけだったよ…
ボランティアの人達とか商店街の人達がゴミ拾いしてた…
うちの友達は「あいつら阪神ファンちゃうわ!!」って大激怒してたよ。(^-^;)
あたしは、感謝されちゃったよ…「ヤクルトが負けてくれたおかげで、18年ぶりの優勝できたよ!」だって…(_ _;)フクザツ…
ジャンル:
ウェブログ
2004 01/15 23:21から2004 04/25 22:23にかけて掲示板で書かれた記事 平成27年2月 2015/2/11(水) 午後 3:38
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
最近はどうかは知りませんがドリアン長野はライブの視聴に行く事が多いようです。過去(平成16年)の掲示板の出来事ですので軽い気持ちでお読みいただければ幸いです。ちなみに、中華ピラフが取り上げられています。平成25年にもハイナンチキンライスについてドリアン長野は述べてます。私も調理しました。以下の具合です。
2004 01/15 23:21から2004 04/25 22:23にかけて掲示板で書かれた記事
2007-09-14 | Weblog
To radiohead1175@goo at 2004 04/25 22:23 編集 返信
ジョンはいずこに
PILの1stと2ndはレゲエの影響が大ですね。それを白人音楽に解釈しているのは流石。特に「アナリサ」とか「ポップ・トーンズ」とか。レコードのメタルボックスは今や錆びだらけになってしまいました。PILは2回か3回、来日していると思いますが、全て観に行きました。ピストルズ再結成のときも行ったけど、観客の熱狂のほうが凄かったです(オール・スタンディングで全員がポゴダンス)。アフリカ・バンバータやレフト・フィールドとかとコラボもしていたけど、ジョンは今どうしているんだろう(遠い目)。
To at 2004 04/25 21:48 編集 返信
Avalonさん、お久しぶりです!
あ、ありがとうございます(涙)。出版記念パーティーでは私の四川料理でおもてなししましょう。しかわじゃないの、しせんと読むんだよ、西田く~ん!あっ、いえ、こっちの話です。連休は香港に行くので、生きていたらまたHP上でお会いしましょう。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 04/24 23:50 編集 返信
それと、思い出した
「大山倍達オフィシャルサイト」
のリンクの一件なんですが、説明文はどうしましょうか?
メール下さい。
From 元管理者 To at 2004 04/24 21:57 編集 返信
てゆーか
Avalonさん
明日のドリアン長野の自宅で行われる、食事会で大暴れしたらいいんじゃないのでしょうか?
明日は、どれだけ発狂しようかなぁ
ドリアン長野へ連絡
今頃、空手教室が終わり帰宅しているか、食事をしていると思う。
食事で思い出したのが、私は、本日、おやつにバングラデッシュ料理店で、チキンチョウメン(アサダNO産の帳面とは関係ありません、笑い)を食べました。 こちらでは材料の関係上、スパゲティで代用されているがカレーパスタと考えたら良い線いくかな? 本当はちょっと違うけども、それは食べてからのお楽しみ。
具体的には、一旦、数種類のお野菜と鶏肉をカレー粉で炒めてパスタと絡めたパスタ料理かな? 良い刺激になったあれと似たような料理を機会があれば調理しよう。
それと、例のマス大山氏のバナーですが、あれが最善の選択です。 これ以外は無理です。
話しはかわるが、一説によると、「やはりインド・パキスタンは、やはり核戦争が避けられないかも?」と考えられている。
とりあえず、ご連絡下さい。
From Avalon To durian-nagano@goo at 2004 04/24 05:28 編集 返信
お久しぶりです!
ども!
初めて書き込みします
憶えてくれてますか?Avalonです
ここんとこ、、なんだかストレスだらけの生活だったのですが
ドリアンさんのDIARY、、、
やはり、とっても、いいです。
なんか、気持ちが別の空間に飛んでいけるようで、
そして、ジワ~~っと、気持ちの奥に滲みてくるものがあり、、
日記でありますがエッセイでもあって、、
是非書き続けて近い将来、出版記念パーティー開いてくださいそして、美味しいものたくさん用意して
招待してください。アレ?!(^^)
To radiohead1175@goo at 2004 04/21 00:35 編集 返信
radioheadさま
未知の音楽を知ることが出来、感謝!!です。これからもレヴューをチェックさせていただきます。私もレディオヘッド、レッチリ、ニューオーダー、オアシス(実は一番好きなのが「BE HERE NOW」なんです。「Magic Pie」を聴くと音楽のマジックを感じます)、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ストロークス、ホワイト・ストライプス等等、大好きです。スマパンは自分で編集したMDをそれこそ毎日聴いてましたが、聴くたびに感動してうるうるしてました(われながら無気味)。パンク~オルタナにおいて激しさと哀しみをギリギリにまで同居させているバンドは、私の知る限り、スマパンだけです。おっしゃる通り、ソングライティングも素晴らしいですね。「武装解除」なんか、中絶に対する男の悲しみを歌ったものだと思うんですが、ビリーの歌声と相俟って、せつなくなります。
To radiohead1175@goo at 2004 04/19 21:27 編集 返信
初めまして
初めて書き込みします。お勧めのCDを読んで、ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス、シガー・ロス、ライアーズ、マーズ・ウ゛ォルタを購入しました。どれも素晴らしかったです。またお勧めがあれば教えて下さい。
ハロルド作石「BECK」に出てくる架空のバンド、「ダイイング・ブリード」のマット・リードのモデルはビリー・コーガンですね。スマパンは私が世界一好きなバンドです。
From 元管理者 To at 2004 03/03 19:08 編集 返信
伝言
AZさんへ
貧血予防には鉄分です。
鉄板焼き。
フランス産の硬水。 日本の水道水に比べて10倍以上のカルシウムが含まれているばかりか、マグネシウムも豊富に含まれている硬水が日本でも販売されています。
http://www.lodgecastiron-shop.com/
上記のURLを見られたら理解されるとは思われますが、鉄板で調理した料理を食べるようになると、貧血とはさようならです。
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2004 03/03 14:01 編集 返信
元気ですかぁぁぁぁぁ?!
あたしは…只今負け犬状態です(苦笑)
3月1日…全身で堪能しました。
世界レベル…
リハ後から緊張とプレッシャーで吐きまくってました(苦笑)
しかも、本番中緊張のあまり貧血起こして倒れちまいました(_ _;)
すぐ立ち上がって歌ったけど、も…ボロボロ…
世界中で活躍し続けるミュージシャンの放つオーラというのは、スゴイです。
はい…本気ですっごい重圧を感じました…
AZ WORLDの日記にも書いたけど、もっとVOCALとしての自信とずうずうしさが欲しいと痛感中…( ̄∀ ̄;)
WABIさんに「AZちゃんはこの先、1000人2000人以上の人の前で歌うようになる」なぁんて言ってもらったけど、まだまだ…自分の精神力の弱さに涙止まりませんでしたわ(_ _;)
歌うことやステージに立つことが怖いと初めて感じました。
でも、落ち込んでばかりもいられないんだなぁ…歌は辞められないもん♪
それに、
…負け犬は、あと勝ちつづけるしか道は残ってないんだもんねぇぇぇぇ(/T▽T)/
頑張るぅぅぅ!!!
13日は、一皮剥けたAZを見にきて下さい!!!
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/5257/
From zen-aki-ren@goo To durian-nagano@goo at 2004 02/26 21:11 編集 返信
全連会活動報告書
全美連会長さん、こんばんは☆中ピ連、「私は知る」の過去形が使えることとなりました。長い名前の略なんですね・・・。先程足跡で、噺家さんの言葉に、「じゅげむじゅげむ・・・」というのがありましたが、あの名前の全連は、全寿連ですね。オーバーエイティ御用達な感じですね。私としましては、うそ、中条きよしさんの、中華ピラフで、納得していたい気持ちです。
>PS「人にやさしく」の歌詞の「叫ばなければやり切れない思いを ああ 大切に捨てないで」
>を聴くたびにこみあげるもの(嘔吐じゃないです)があります。うふふ。
おっ、大丈夫ですか?お背中叩きましょうかって、だからそうじゃないですね。おほほ。
・・・「捨てないで」と、いう部分だけですが、テレサテンさんが唄っていた、「♪あー捨てないでー」という歌を思い出しました・・・題名がまた浮かびませんが・・火曜サスペンスかなんかの歌で、今、全て思い出しました。カラオケで歌う歌がまたひとつ、増えました。全亜連管理人より
To zen-aki-ren@goo at 2004 02/26 19:30 編集 返信
引き続き全美連会員募集中
こんばんわ。中ピ連というのは中華ピラフ(いわゆるチャーハン)連盟のことで、西洋のピラフとアジアのチャーハンとの歴史的考察を研究する連盟で、本部は上海にありますというのは嘘です。最近は中年ピアノ愛好家連盟というのもあるそうですが、1970年代に結成された戦闘的なフェミニズム団体で「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」のことです。
PS「人にやさしく」の歌詞の「叫ばなければやり切れない思いを ああ 大切に捨てないで」を聴くたびにこみあげるもの(嘔吐じゃないです)があります。うふふ。
From zen-aki-ren@goo To durian-nagano@goo at 2004 02/24 21:09 編集 返信
中ピ連ですか???
拝啓、全美連会長(以下省略^^)=長野様
中ピ連ってなんですか?
伝言ゲームで聞いてみたい、答えです。(???)
「青空」・・・題名を、脳内インプットです。(・・)ゝ
>ヒロトが言っていた、「楽しいってことはね、『ラクをする』ということとは違うんだよ。『楽しい』と『ラク』は絶対に相容れないものなんだ。漢字がいっしょだから、みんなカンチガイしちゃうみたいだけどね。『楽しい』ことと『ラク』なことは、まるで違うんだ」。という言葉が私の中で印象に残ってます。
・・・きっと、ことあるごとに、思い出しそうです・・・。
なるほど・・・
確かに、道なき道を、足元を確かめ確かめ歩いた方が、夢中になるし、『楽しい』ことですよね・・。端からみれば、もっと『ラク』できる方法が、沢山あるのに・・・。
心のふくろうが鳴いた。そんな夜です。全亜連管理人より
To zen-aki-ren@goo at 2004 02/23 23:05 編集 返信
全美連会員募集中
昔、中ピ連という団体があったそうですが、それとは全然関係ない全美連会長兼総裁兼会計兼苦情処理係兼拭き掃除の長野です。名誉会長はいろいろ考えましたけど、ミッキー・ロークあたりがいいんじゃないかと思っている今日この頃です。全亜連さんの言われたのは「青空」ですね。「生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう」と歌ってますよね。
ヒロトが言っていた、「楽しいってことはね、『ラクをする』ということとは違うんだよ。『楽しい』と『ラク』は絶対に相容れないものなんだ。漢字がいっしょだから、みんなカンチガイしちゃうみたいだけどね。『楽しい』ことと『ラク』なことは、まるで違うんだ」。という言葉が私の中で印象に残ってます。
From zen-aki-ren@goo To durian-nagano@goo at 2004 02/22 13:40 編集 返信
ミキミキボーイズ&ガールズ(主催☆全美連)???
全美連会長様、こんにちは!(^0^)/
今井美樹さんは、全美連婦人部長・・・が、よいかもしれません。
で、やっぱり最後は<<普通の私に戻りたい全美連解散コンサート>>???
で、〆ですねきっと・・・(^▽^*)))
そのコンサートも、15年ぐらいし続けたりして・・・(笑)))
ブルーハーツの歌で、♪運転手さんそのバスに・・・
という歌詞のある歌、好きです。(題名が分からなくてすみません・・)
うがいをよくして、のどの調子を整えている全亜連管理人より
To at 2004 02/20 23:13 編集 返信
陣中見舞い申し上げます
筋肉の発達に骨が追いつかなかったとですか。AZさん、やっぱりあなたは格闘家だああああああっ!ちなみに私は組手であばら骨を折ったことがありますが、牛乳飲んで直しました(小松菜もいいですよ)。骨を折ったことのない奴には骨を折った痛みはわかんねえっ!(あたりまえだあ!)
To zen-aki-ren@goo at 2004 02/20 23:04 編集 返信
全亜連会長様
レスありがとうございました。全美連がむばります!名誉会長はやっぱり今井美樹、ちょっと古いけどキャンディーズのミキちゃん?それとも中谷美紀?いや、三木道三?三木のり平?ミッキー吉野がいいかも。スポンサーは眼鏡のミキか子供服のミキかミキプルーンがいいなあ。男なのに女名で苦しんでいる全国のかおるさんやひろみさん、今こそ立ち上がろう!遺影~!ちなみに私のカラオケの定番はブルーハーツです。今度、全亜連と全美連で合同カラオケしましょう。それでは股、失礼しました。
From zen-aki-ren@goo To durian-nagano@goo at 2004 02/20 22:25 編集 返信
☆美樹さん、いらっしゃいませ!☆
>あたしの本名は美樹です(ちなみに男)。
>全亜連に触発されて全美連でもつくろうかしら、男ばかりで。
>いねえ!いねーよ、そんな奴はよお!失礼しましたっ!
先程、足跡を辿って、ホームページ、覗いてきました!(^^)
♪♪書き込み有難う御座います♪♪♪
男ばかりの全美連、ぜひ作って下さいよぉ☆ミ
会員、代表、会計、全部自分というのも、なかなかですよきっと(^▽^)
・・・全亜連は、亜細亜(アジア)関連の連盟だと思われることが多いいですが、全美連だと、中国でアメリカのことを美国と書くらしいので、中国の方が、アメリカの情報を求めて、来てしまいがちになるかもしれません・・(^^)
その時は、全連つながりで、おにぎりつくりとか、何か自治会的なことのお手伝いしたいです。その後カラオケがあったら、舟歌も、歌っちゃいたいと思います。
美樹さんはプライドですかね(^^)
美樹さんの連盟者発見の際は、どうぞ、教えてくださいね!
ちなみに、全亜連名誉男性秘密(当管理人が八代さん向井さんに続き、ご本人に許可なく心の中で決めている)会員は、亜紀雄さんという、研究者の、立派な方です。(・・*)あきおさ~ん、心よりお待ちしています・・・
ではでは!お越しいただき、嬉しかったです♪
みつからなくても、いつでも、お待ちしています(^0^)/
♪全亜連管理人より♪
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2004 02/20 18:50 編集 返信
ども~♪
元管理者さま>報告ありがとうございました( ̄∀ ̄*)
長野しゃぁぁぁぁん!>肋骨のヒビ…痛い…(涙)
お医者さん曰く「筋肉の発達に骨がついていけなかった」んだそうだ。(T▽T)
でも、昨日のLIVEでは、誰も気付かなかったので、ホッ…
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 02/20 14:41 編集 返信
驚きました
今回は、驚きました。2004 2/19 94人もの方々がこのHPを見られたのには驚きました。
やはり、CDとDiaryを一緒に発表したのが利いたのでしょうね。
例の、Diaryに書かれている内容を、Travelコーナーへの移転を円滑に進めたいので、連絡下さい。御願いします。
To zen-aki-ren@goo at 2004 02/19 23:11 編集 返信
美樹どえ~す
あたしの本名は美樹です(ちなみに男)。全亜連に触発されて全美連でもつくろうかしら、男ばかりで。いねえ!いねーよ、そんな奴はよお!失礼しましたっ!
To at 2004 02/18 21:57 編集 返信
RE:祝☆リニューアル
ライブがんばれ~! 極真魂(?)でファイトいっぱあ~つ!!
From AZ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2004 02/18 16:12 編集 返信
祝☆リニューアル
ちょっと来ないうちにリニューアルされてる!!
お疲れ様でございました(^-^*)
バナーの件もありがとうございます♪
ふと気づけば…LIVE!!明日ですよ明日!!!<(_ _;)>(/>_黙祷
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/hanshin_awaji_earthquake/
To at 2004 01/15 23:21 編集 返信
RE:告知ですぅぅぅ
ここは告知のためにどんどん使って下さい。明日は先約のために行けませんが、メンバーのみなさまにこれからのご活躍を願ってます&そのためには私も労をいといません、とお伝え下さいませ。
2004 04/28 14:53から2005 06/01 00:08にかけて掲示板で書かれた記事 平成27年2月
2015/2/14(土) 午前 1:07
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代にはお気楽にやってました。今となっては半ば解決したようなお話ばかりです。
平成26年3月にgooのフリーメールは終わった。それに伴って事実上のミラーサイトを立ち上げました。それがこのドリアン長野のヤフーブログです。
ワールドイズマインも平成18年に加筆修正をした復刻版が販売されて今では円滑に購入が行えます。
私も色々と過去にはございました。こっちが分っていてもドリアン長野が理解出来ないといったこともございました。それも、最近は平成20年代なのでほぼ改善しましたね。それでは、皆さんお楽しみください。
2004 04/28 14:53から2005 06/01 00:08にかけて掲示板で書かれた記事
2007-09-14 | Weblog
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 06/01 00:08 編集 返信
連絡したとおりです
これからは、御自身でがんばってください。
以前伝え忘れた事を親切心で伝えようとしましたが、やめざるをえません。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 06/01 00:05 編集 返信
連絡したとおりです
これからは、以前伝え忘れた事を親切心で伝えようとしましたが、やめざるをえません。
がんばってください。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 05/18 23:44 編集 返信
あの一件だけど
早い事連絡ください。
まぁ、一応は今月とは言ったが、ほとんど三分の二を過ぎているし・・・
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 05/13 02:27 編集 返信
そういやぁ
あなたの素顔って、ウェズリー・スナイプスをアジア系にしたような感じですよね。
From 元管理人 To at 2005 04/28 23:47 編集 返信
あなたの地元は熱かったみたいですね
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050428-00000188-kyodo-soci
それと、熱い内容の書き込みに感謝です。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 04/21 01:19 編集 返信
一度、みんなで
ジンギスカンを食べませんか?
おいしいですけども。
ルート(押さえている)と、やり方は知っている。
どうする?
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 04/18 00:08 編集 返信
最近、発生した日中間の問題について
一言お願いします。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 04/16 01:02 編集 返信
ショック
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/sports/20050415/20050415a5710.html
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 04/13 02:27 編集 返信
実際の所
香港の人々に限って言うと、キリスト教の環境が非常に恵まれているようですね。 返還された現在もです。
中国のキリスト教徒が、繁栄する事を願いますね。
但し、しばらく、時間がかかるかもしれない。 仮に日本でも極端な話し、かつては違法だったものが現在では合法になっても、勘違いする人がいるのと同じですしね。 法曹上、規制緩和されても人々の心の規制緩和には時間がかかると私は考えます。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 04/13 02:20 編集 返信
あのよぉ
私の知り合いで、シングルマザーやっている人がいて、あなたの事を話したら会いたいみたい。
会ってみない?
今度、空手教室でその人の事を話しさせてくださいね。
紹介するから会うだけ、会って下さい。お願いします。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 04/01 01:36 編集 返信
あ~悪いけども
やっぱり、助けるのは、やめておくわ。
エイプリルフールでした。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 03/18 01:11 編集 返信
一応、再度説明するけども
このホームページを運営するのに必要なフリーメールに送信される、メールがサーバーの許容量を超えている恐れがあるので、そちらに訪問させていただきたいが、この説明でも分からないだろうなぁ。
別件
未婚の母の道を選択した人があなたの自宅の近くで美容師として勤務しているので紹介したいのだが、どうする?そのお母さんは、小さい息子さんを育てるために一生懸命にがんばっているお母さんです。 ぜひ紹介したいです。 お願いします。
沖縄県はダメだったし、F県もイマイチ不調だったみたいだし、どうする? もしも、必要ならばここの掲示板で返答をお願いします。
あの時、私は、ミキサーを洗わないといけなかったんだけどなぁ~
(以下略)
From 元管理者 To at 2005 03/09 01:11 編集 返信
感想文
そりゃまぁあなたが、独身だからか?
本は、読んでいませんけどもね。
それと、LOGが結構、多くなっているのは、やはり悲しみとその試練を乗り越えた感動にうえている人々が多いからでしょうね。
こういった事を続けると、10000人倶楽部に加入出来る日も近いでしょうね。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2005 02/27 19:56 編集 返信
ちょっとした連絡
説明するのが、少々難しいのだが、インターネットの技術的な問題で直接会って話がしたい。 一応、この問題は軽視しつづけると大変な事になる。メールサーバーが、パンクしかねない内容なので、そちらに訪問したい。
これは、以前、私が説明不足の為に発生した問題の内容なので、私の責任であり伝える必要性を感じています。 無論、あなたには選ぶ権利があります。 肯定するか否定するか、あなたで決めて下さい。
あなたの、e-mailアドレスが今、分からないので、あなたの御自宅で会える日をe-mailで連絡してください。
肯定・否定に関わらず、早急にe-mailで連絡してください。
お願いします。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2005 01/30 22:34 編集 返信
すいません
お手間をとらせ、ストレスがたまっていたんです。
すいません。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 09/14 02:02 編集 返信
お~い
今回の日記って、書評だから、Bookコーナーだと思うけど・・・
ところで、早いこと、スミレさんに、返答してあげてください。
別件
返本しておきました。
To sumire_1120@goo at 2004 09/12 01:54 編集 返信
「塩狩峠」
「塩狩峠」最近読んで大きな影響を受けました。椎名林檎さんも15歳の時に読んで以来、今でも彼女のテーマになっているそうです。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 09/04 15:58 編集 返信
一応、こういった情報が・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040904-00000014-ykf-ent
事実上の最終作かもしれません。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 08/25 10:00 編集 返信
今日は、悲しい日ですね
恐らくは、昨晩は行っただろうけども、本日は来られないでしょうね。
連絡を受けた時には、まさか・・・といった感じでした。
実は、教会員からそういった情報を受けていたが、悲しく残念です。
出来たら、返答、御願いします。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2004 07/27 16:37 編集 返信
ひょっとして
今月、日記は無し?
何か、書いた方が良いと思うけども・・・
何でも良いから書いたらどうですか?
もしかして、iMacの故障?
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 07/11 22:48 編集 返信
与野党逆転か?
今日は、凄い選挙戦になってますね。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 07/01 22:29 編集 返信
第三バナー追加
本日、第三バナー追加しました。 感想をどうぞ。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2004 06/13 21:18 編集 返信
メール
にっしゃんから聞きましたが、メールが機能していないようですね。
暫定的というか、一時的に下記のメールを使われてわ、いかがでしょうか?
http://community.goo.ne.jp/freemail/
パスポートIDの部分に
durian-nagano
と記入した後に、例のパスワードを入れてみてください。
機能するはずです。 とりあえず、この掲示板でも良いから返答下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2004 06/11 00:55 編集 返信
注目の記事
http://news.goo.ne.jp/news/fuji/geino/20040610/20040610-f-42.html
下記の部分に注目
マス大山先生のDVDが発売されるんですね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2004 06/07 17:16 編集 返信
まぁ、こんなものかな
つーわけです。後は、にっしゃんの方がバナー出来たら、連絡入って即なんとかしましょう。(将来の話し)
To at 2004 06/07 16:57 編集 返信
ちょっとした訂正
最近、ガラの悪い勘違いしたヤク○みたいなやつにからまれ、イライラしていたが、やはり、「冷たい人間よりも温かい人間になろう。」
センターのタグを用いて、メインの部分の説明文を中央に集まるようにしておきました。
これで読みやすくなり、見栄えもよくなります。
まだほんの少し訂正を加えます。 AZさんのlinkの部分とかね。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2004 06/07 16:43 編集 返信
まぁまぁ
そうじゃなくて、インターネットのスキルアップをしてください。
・・・という親心です。
厳しさが優しさです。
しかし、まぁ、AZさんの方は近日中に、ちゃんとやっておきましょう。 ついでに他の行動もとっておきましょう。
人に頼るよりも、自分で何かが出来るようになった方が良いに決まっています。 私は基礎を築いたからこれからは、貴方が、あなたのHPをきちんと管理してください。
人をおちょくって楽しんでいる訳ではありません。
私も苦労して、色々な事を勉強しました。 そういった辛い試練(コンピューターの勉強)を乗り越えて初めて色々な事がインターネット上で行えるようになりました。その点は誤解しないでください。
このメッセージは大人であったら理解してください。目の前でも言えますよ。 辛い思いをしながら、色々と勉強してきた事を・・・ こっちが真剣にやっていても電動歯ブラシをウイーンってやっているのが、どれだけ理不尽に感じたとか・・・
まぁ、言っても愚痴にしか聞こえないし恥ずかしいから言わないし、聞かないけどもね・・・
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2004 04/30 01:29 編集 返信
ワールドイズマイン
ワールドイズマインの入手についてですが、結論をまとめると、
ヤフオクでは入手出来るようです。
但し、全巻セットという条件付きのようです。
To at 2004 04/28 18:36 編集 返信
RE:あの例の作品が・・・
お願いします。
From 元管理人( HP ) To durian-nagano@goo at 2004 04/28 14:53 編集 返信
あの例の作品が・・・
例の1がOVAに成ってDVD版で販売されているのをご存じでしたか?
マンガでは、書ききれなかった部分を特別にアニメで補っているそうです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006F1VB/ref=pd_sims_dp__5/250-2374486-0729800
http://www.jmdb.ne.jp/2002/ov135710.htm
要は、実写版だけではなくて、マンガの雰囲気が楽しめる、OVAでも発売されている訳です。
OVAとはオリジナルビジュアルアニメーションの略称です。 元々は、videoでしたがね。
それと、例のワールドイズマインですが、なかなか不可能かもしれませんが探しておきましょうか?
2005 06/13 00:11から2005 11/26 20:16にかけて掲示板で発表された記事 平成27年二月 2015/2/14(土) 午前 1:58
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代には行えたが平成20年代には行えない事もございます。
大山総裁のホームページはgooブログ上で紹介してます。
J.CREWも今となっては日本では某海外で撮影された番組が日本で紹介されたがインターネット通販(直営ないしは日本の独立系の輸入業者)が関の山でほとんどの日本の小売店では取扱いが行われてません。一部の店舗ではJ.CREWの製品を販売してるらしいが本論とは大きくかけ離れるので紹介は辞めておきます。
石鹸のアウトレット販売ですが問屋の圧力で行えなくなったそうです。経営も車名ではなくて社名も大きく変わりました。
別の件については詳細の説明は簡潔にしておきます。要するにこちらも主張したい権利があったということです。
モンベルが経営してたカレー料理店のスパイスマジックの大阪市鶴見区の店舗はすでに閉店してます。
AZさんの書き込みの中に限っての「元。」は元(もと)であって元(ハジメ)ではありません。(2019年某日 追記 政治家だった中○元と間違えられたくないので後にマーキュリーマークに変更しました ○谷園は良くても支持できない政治家はいます)
ドリアン長野が書き込みをしたホームーページの管理者から返答の書き込みがあったといった前例もございました。
掲示板は今となってはほぼ確実に論争が発生するからか、健全なチャットがツイッターで行われるようになりましたね。ブロックが行えるか否かは小さくない。
過去にドリアン長野からの提案で色々行ってた時に差し入れがあったのを昨日のように連想しますね。
以下は皆様への伝達事項です。
来月末日迄にドリアン長野の海外旅行記で発表したお話を何とかしてドリアン長野のヤフーブログ上で転載を終了させた後は、基本的に月に一回フェイスブック上の新作をこのドリアン長野のヤフーブログ上で発表していこうと考えてます。開始時期は今年(平成27年)の四月一日以降です。
2005 06/13 00:11から2005 11/26 20:16にかけて掲示板で発表された記事
2007-09-14 | Weblog
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2005 11/26 20:16 編集 返信
ちょこちょこと変更
バナーですが、黒い背景に黒のバナーは 少し目立たないかなぁと思い、大山総裁の顔写真にしておきました。 一応リンクをし終えた旨についての(*1行う必要がある)大山総裁のホームページへの連絡は、そちらで行っていただけませんか?
よろしくお願いします。
追記 *プロフィールコーナーの大山総裁の顔写真も近日中に変更しておきます。
又、紹介文面も最適化しておきました。
大山総裁ホームページへの連絡メールの送信を終えたら私にも一応、メールで連絡をお願いします。 むろん、何らかの問題があれば連絡をその際に送信して下さい。
*1背景は、以下の文章です。
http://www.mas-oyama.com/link.html
「当サイトにリンクを張られる際には、以下のバナーをご使用ください。
ただしその際にはサイト名称を「大山倍達公式サイト-God Hand」と表記してください。
尚、リンクを張られた際には、ご一報いただければ幸いです」
http://www.mas-oyama.com/img/bunner1.jpg
http://www.mas-oyama.com/logo01.jpg
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 11/21 01:11 編集 返信
あのぉ
マス大山総裁の、ホームページが今度の金曜日にリニューアルオープンする予定なんですが、紹介文はどうします?
ほったらかしでも良いけども
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 11/18 23:51 編集 返信
今すぐ
そっちに行こうかと考えたけども、辞めておきますね。
所で明日の阿部野のダンパは、行くの?
それと、幾つかの御連絡はメールで済ませました。
それでは、又。
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2005 10/21 18:55 編集 返信
sorry
申し訳ありません。
実は、私は翌晩は茨木市の教会のダンスパーティーに行く予定がございます。
それと、実は明日の土曜日は、横堤(大阪市鶴見区 長堀鶴見緑地線)の石けん工場のアウトレット販売がありそこで石けんが市価に比べて半額で購入出来るのでまとめ買いをする予定なので午前中はそれ(石けんの購入)で忙しいです。
その日の食事は、アウトレットブロッサムのインド料理店ですませる予定です。
正午過ぎは、J.crew(アパレルで有名なレナウン)のアウトレットに行きます。
それが終わると、冒頭で述べた通りの用事です。
ただ、茨木市から帰宅した後だと話は別です。 午後10時を回るかもしれません。
今、心斎橋で書き込みをしているので、今からそちら(あなたの自宅)に行こうかなぁ?
From ドリ( Mail ) To durian-nagano@goo at 2005 10/21 18:34 編集 返信
まさか
おれはそんなことで怒ったりしないよ(怒るのは別の件で。それは君もよくわかってるだろう)。
症状はoutlook expressを起動すると「起動中にエラーが起こりました。ファイルの終わりです」というメッセージがでます。初期設定が壊れたみたい。明日の21時以降なら在宅してるけど。成功報酬は2千でどう?
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 10/21 01:24 編集 返信
あ、だけど
修理が出来ないからという理由で、ボコボコに殴られたりといった暴力事件の被害者に私はならないですよね?
どの辺りで故障しているというか不具合が発生しているかが現時点では不明ですからね。
From 元管理人 To at 2005 10/21 01:16 編集 返信
RE:元管理者へ
>outlook expressが起動しなくなったけど、きみ直せる?
>報酬は相談に応ず
とりあえず、そちらに自宅訪問してからでないと修理出来ませんし症状を確認してみないことには返答が出来ません。
一応、方法は存在しているし、それを行えば、プリンターも再度使用が可能だと思います。 ただ、少し荒療治ですけどもね。
From ドリアン( Mail ) To at 2005 10/21 01:11 編集 返信
元管理者へ
outlook expressが起動しなくなったけど、きみ直せる?
報酬は相談に応ず
To at 2005 10/17 23:56 編集 返信
再度、変更
以前の植物でも問題は無いと思うけども、レンガに変更しておきました。
連絡お願いします。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 10/06 02:57 編集 返信
一応いろいろと変更しておきました
例えば、マス大山総裁の写真大アップを容易に閲覧出来るようにしておきました。
後、背景も植物に変更しておきました。
もしも、問題があれば、再度変更しておきます。ありがとうございます。押忍!
追伸
前者は、良いが後者は悪いとか?
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 10/06 01:20 編集 返信
私の両親からの伝言
「長野さんから喜ばれる事をしなさい。」と命令されたので、このHPを継続します。
さて、AZさんの告知ですが、もう少し分かりやすくというか、TOP開けたらすぐに分かるようにしておきましょうか?
24時間以内に返答が無かったらこのままです。
From AZ( HP ) To durian-nagano@goo at 2005 09/27 10:44 編集 返信
お久しぶりです~♪
告知させてくださいませ( ̄∀ ̄)ノ
A&A企画主催のROCK イベント!!!
【LIKE A ROLLING STONE】vol.3
今回も最強のROCK'N ROLL引っ提げてやりまっせぇ!!!
2005/10/09(日)三連休のど真ん中!!!
まずは1BAND目
こいつらのROCK魂は半端じゃねぇ!
関西ROCKシーンには欠かせない
【パレット】
そして…
2BAND目は…
エロこそ究極の愛!!
FUNK ROCKの常識をひっくり返すか?!
【関川塾】
3BAND目は
ビジュアルROCKここに見参!!!
COOLなビジュアルに秘めたHEARTはとにかく熱い!!!
【Antithesis ♭5th】
そして最後は
へなちょこへべれけヨッパライダーVocal AZの暴走を
Memberがどこまで許すか?!
BLUES ROCK魂ここにあり!!
【AZ in Jerseys】
さらに!!!
各出演者達のステージングに華と彩を着けてくれるのは
絵画界の貴公子
ペイントパフォーマー
【引野 裕詞】
open 17:00 start 17:30
チケット料金前売1500円!当日2000円!
場所:中津Vi-code
http://www.vi-code.com/
しっかり元以上のパワー取って帰ってくれぃ♪
*管理人様…貴重なスペースありがとうございました~♪
To at 2005 06/14 19:43 編集 返信
ことば
訪問ありがとうございました。ちょっとした言葉で生きる力を与えられたりってことよくありますよね(私はよくあります)。「言葉」で私の好きな詩を思い出しました。
「ことば」 谷川俊太郎
問われて答えたのではなかった
そのことばは涙のように
私からこぼれた
辞書から択んだのではなかった
そのことばは
笑いのように
私からはじけた
知らせるためではなかった
呼ぶためではなかった
歌うためでもなかった
ほんとうにこの私だったろうか
それをあなたに云ったのは
あの秋の道で
思いがけなくただ一度
もうとりかえすすべもなく
はい。上海に行ったのは私自身です。
From Mayuko To durian-nagano@goo at 2005 06/14 09:26 編集 返信
初めまして♪
昨日はHPに遊びに来ていただいてありがとうございました!基本的に友達や家族にしか公開していなかったので、ドリアン長野さんに来ていただいてお言葉をいただき嬉しかったです。
色々なコトバや経験を通じて、人に伝えたいことってありますよね。また遊びに来ます。
追伸。ドリアン長野さんが上海に行かれたのですか?
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 06/13 00:11 編集 返信
そうそう
先週土曜日は、ごくろうさまでした
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2005 06/13 00:11 編集 返信
だから、大阪に来たの?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050612-00000013-mai-soci
鳥取県って、放射能の町なんですね。
押忍 平成27年2月 2015/2/14(土) 午後 2:10
極真カラテ■千葉北 一般部/壮年部/女子部PV
わははは、オヤジギャグ爆裂やねえ〜(^^ 平成27年二月 2015/2/15(日) 午後 4:21
景気良いからケーキ買ってくる、このチョコにはスコッチがちょこっとスコッチ入ってます。失礼しました〜。
地下鉄にて 平成27年2月 2015/2/16(月) 午後 11:10
地下鉄にて
「いいか、クライアントが少しでも興味を示したら、もっと話題を振ってさらに惹きつけるんだよ!お前は押しが足らないんだよ!ロケットだったら大気圏に突入する前に失速して太平洋のもずくだよ!」
ぷっ、もくずやね。思わず吹きました。( いい間偉いです)
2005 11/26 20:23から2006 05/29 23:20にかけて掲示板で発表された記事 平成27年2月
2015/2/17(火) 午前 0:29
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
連絡が掲示板ということもありますね。ライブについての感想といっても演奏についての感想か参加したことについての感想かは人それぞれです。
2006年は平成18年ということもあって海外旅行記の新作が発表されていました。ビルマ旅行記は16話に至るので長編の領域ですね。
以前「訪問者が一万人を超えたら良いな。」とドリアン長野は発言してました。そして、簡単ホームページ時代に本当にその目標が達成されました。ドリアン長野は嬉しかったようです。
色々な事情を鑑みてそれなりの決断を下す事もありました。仕方がなかったです。平成24年にドリアン長野と直接会って決めました。否定しなかった以上は黙認です。
ドリアン長野は過去に関西大学の2部の学生でした。しかし、カンボジア旅行で病気になった影響から試験が受けられずに中退に至りました。
http://blogs.yahoo.co.jp/duriannaganokarate/67984400.html
2005 11/26 20:23から2006 05/29 23:20にかけて掲示板で発表された記事
2007-09-14 | Weblog
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 05/29 23:20 編集 返信
まぁちょこっと
変わりましたよね~
次のお話が楽しみです。
常備薬を持って海外に行かないとやはり大変ですね。国内旅行でもそうですけどもね。
相互リンクの申請はそろそろ行います。
私に慈悲の心が完全に欠落しているだけではなくてそれを踏まえてエグイ行動をとってしまうことを躊躇しないと思われていた事もあり、先日、上の人から是正を求められ悲しい思いをしている副管理人をしている元(発音は、ハジメ)管理人でした。
実際の所、ここもかなり注目されているけどもね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 05/18 23:37 編集 返信
本当に復学する事が出来なくなったようですね。
関大2部 苦学生の“希望”120年で幕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000023-san-soci
確か、あれは、1990年代でしたね。 苦労して、勉強して、お金をためて社会人になってから入学し背広を来て大学に行ったら教授に間違われたのは・・・
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 05/17 02:39 編集 返信
一応、連絡
先日、関東のあの偉大な先生に会ってきて、とりあえず、ここのサイトを推薦しておきました。その内に、相互リンクされるかも? 一応、インターネットの担当者がおられるので、質問くらいはなんとかなるみたいです。
念のために発表しておきますが、私は今迄の所、日本を出国したことがありません。
誤解の無いようにさらに説明を付加しておきますが、ドリアン長野氏は外国に赴き、そこでの体験をこの場で発表しています。 私は、その手助けをしているだけです。 従って、私の体験談をこの場で発表しているわけではありません。
管理人マーキュリーマークによる追記
平成28年3月21日
平成10年代と平成20年代は大きく状況が違ってきてます。百歩譲って某サイトについては問題が無いようなのですが複数の方が連絡する恐れがあるとのこと。我々は趣味でホームページを楽しんでますからそういった問題が発生する恐れを低減させておきたいのでウチの紹介を取りやめてもらって構いません。ウチは平成24年に取りやめました。こういった状況について私は全く予想が行えませんでした。
平成27年10月に私はカナダのブリティッシュコロンビア州を旅行してきましたので日本からの出国をしました。もしも、カナダ旅行記を読まれたい方はこちらをクリックしてください。
From 元管理人 To at 2006 05/09 03:23 編集 返信
あのよぉ~
ある意味、最強の夜回り先生とも言われている水谷先生のホームページをリンクする気ない?
To at 2006 04/26 22:57 編集 返信
祝10000 人
2003年から始めたHPへの訪問者数が今日で一万人をカウントしました。「ドリアン日記」を御愛読くださった皆様の一人一人に篤く御礼申し上げます。励ましや御感想をメールしてくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。これからも御愛顧御願奉候。
恐惶謹言頓首
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 04/14 01:23 編集 返信
そろそろ
閲覧者数10000人を超える見込みですね。
細かい部分ですが、色々と変更しておきました。
From エイプリルフール To durian-nagano@goo at 2006 04/01 22:39 編集 返信
エイプリルフール
ドリアン長野さんですが、旅先のユーゴスラビアで死去しました。
慎んで御悔やみ申し上げます。
以上、エイプリルフールでした。
ちゃんちゃん。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 01/19 23:42 編集 返信
三時間で閉店
笑えるというか、良い意味で相変わらず上手に実体験を発表されておられますねぇ。
模倣は、模倣であって本家では無いということですね。
スローフードが昨今、見直されていますが、やはり現地の土着料理を楽しむのが旅行の王道かもしれませんね。
大○館の不手際を忘れる位の、浄化された旅行だったのかもしませんね。 また、続けて下さい。
三時間で潰れるは良い表現でしたね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 01/17 09:13 編集 返信
本日は、1.17
黙祷
あの震災の時は、大変でしたね。
これ以上は控えておきます。
話しは変わってぇ~
そろそろとりあえずの第一目標である、10000人超えが9000人を超えた事もあり現実味を帯びて来ましたね。
From ほとんど傍観者 To durian-nagano@goo at 2006 01/10 23:14 編集 返信
えらいことだったんですね
とりあえず、ビルマに行けたようで良かったですね。
私も、かつて北海道に行く時にKIX(関空)に赴きました。 その時に似たような体験をしました。 私の場合は、南海難波(ナンバ)駅迄タクシーでしたけどもね。難波からは、ラピートに乗車しました。
次からは、もう少し余裕を持って海外旅行の計画をされてもよろしいかもしれませんね。
まぁ、今回に限っては、外的要因のようですけどもね。
そういえば、以前、USAからカンボジア製のジーンズと綿パンを購入したなぁ。
返答下さい。
From はじめかんりにん To durian-nagano@goo at 2006 01/01 15:31 編集 返信
2006年 元旦
あけましておめでとうございます
To at 2005 12/17 11:55 編集 返信
RE:THANXXXXXXXXXX!!!!!!
KINGさん、カキコありがとうございます!やっぱり地元ではすごい人気ですね。是非またそちらに行きたいです。トリップしたかったらいつでも動物園前へ!(BGM「MAROON5」)
From 68 To durian-nagano@goo at 2005 12/16 19:23 編集 返信
THANXXXXXXXXXX!!!!!!
ドリアン氏、大阪ライブ参戦ありがとうございました!!
大阪は怖いです。カオスです。カオスdeath!!!
動物公園駅・is・アンチクロックワイズ。
ドリアン氏の差し入れもカオスでした。嘘です。ありがとうございます。
またこちらにも来て下さい!!
みんな待ってます!
68
From 元管理者 To durian-nagano@goo at 2005 11/26 20:23 編集 返信
一応、これがメールアドレスです
kyokushin@mas-oyama.com
#15 カンボジア~ (リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 0:36
#15 カンボジア~ (リターンズ)
2011-03-01 | Weblog
「い、いっでぇ~っ!」
腹痛で目が覚めた。時計を見ると、まだ朝の5時前だ。シェムリアップのホテルでついに下痢に襲われてしまった。原因は分かっている。昨日、アンコール・トムを見物したあと、ホテル近くの屋台に夕飯を食べに行った。そこは広場に立ち並ぶ屋台のうちの一つで、母と娘が切り盛りしていた。昼に食事した時、彼女たちが親切にしてくれたのだ。広場にはゴミ捨て場もあって、ハエを追っ払いながらメシを食うのも難儀だったがな。行ってみると、昼間は汚れた顔をしていた娘が化粧して着飾っている。夜は営業用の顔か? ともかく、フルーツを何種類かミキサーに入れてジュースにしてくれたので、飲んだ。それがいかんかったようだ。しかし、その時点では大したことがなかったので、早朝にホテルをチェックアウトした。「フリーダム」という名のそのホテルはホテルといっても、ゲストハウスに毛が生えた程度だ。モーニング・コールを頼んだはいいが、部屋に入ってみると電話がない。はて、どうすんだ?と思っていたら、翌朝、フロントの人がその時刻に部屋のドアを叩きに来たのであった。このホテルはプノンペンの空港で客引きのにいちゃんに勧められた。バイクの送迎付きで一泊15ドルのはずなのに、二泊で40ドルだとぬかしやがった。(もちろん30ドルにさせたけど)行きは飛行機だったが、帰りの便が満席だったので、スピード・ボート(という名の渡し船)にした。
ボートは強盗に襲われるので危険なのだそうだが、地元の人や観光客が大勢乗っていてのんびりしたものだ。5時間かけて、プノンペンに着く。ううっ、いかん、小腸及び肛門周辺に緊急事態発令~っ。船着き場からダッシュでホテルにチェックインして、トイレに駆け込む。軟便というよりは水である。ああっ、フラフラする。3時間ほど横になったが、眠れない。今日はゆっくり静養しようと思ったが、せっかくカンボジアまで来て無為に過ごすのはもったいない。なんとか病身を起こし、ピーピーのヘロヘロ状態でホテルを出て、バイク・タクシーをつかまえた。郵便局に行ってハガキを出してから、情報省に行く。ここでパスポートと写真を提出し、書類に必要事項を記入すれば、ジャーナリスト・カードを5ドルで発行してくれるのだ。その間、わずか10分。カオサンあたりで売っているぱっちもん(ニセモンのことです)とはわけが違う。何に使うのかというと、これが大いに役に立つ。日本に帰国する際、税関職員の目につくようにパスポートにはさんでおくのだ。職員がパスポートをめくりながら言う。 「これは何ですか?」 「ジャーナリスト・カードです」 「すると、今回はお仕事で?」 「ええ、まあ、取材でね」 とかなんとか言って楽しむわけだ、これが。(うっ、書いてて涙が.....)ともかくだなっ、それだけをやり終えるとシアヌーク通りにあるコンビニ、「Tokyo store」でパンとジュースとミネラルウオーターを買い、ホテルに戻った。まだ6時前だが、今日の行動は全て終了! ベッドに倒れ込む。
それから翌朝までベッドとトイレを20往復はした。食欲はないが、脱水症状になるのでこまめに水分を補給する。買っておいたパンにはとうとう手をつけなかった。下痢と寝不足でヨタヨタと空港までたどり着き、なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。その間、ず~っとお尻はピーピーさ。その3日後、仕事から帰ると保健所から留守電が入っていた。
「あなたの乗っていた帰国便の乗客の中からコレラ患者が出ました。追跡調査をしたいので連絡して下さい」ってな!
げげ~っ! あわてて夕刊を読むと、インド帰りの男性がコレラを発病。インドで食べた乳製品が原因らしい。今年始めてのコレラ患者。という記事が載っていた。その男はラッシーを飲んで感染したに違いない。そういえば、飛行機の中で私の隣に座った男は青い顔をして機内食も食べずに(私も無理して食べたが、残してしまった。機内食を残したのはそれが始めてだ)、頻繁にトイレに行ってたぞ。うぬぬ、まさか、そやつが.......。
あくる日、保健所に電話して、体にはなにも異常なし、と答えておいた。「お尻がピーピーですう~」などと正直に申告するといろいろと面倒だ。昔、インドから帰った時に懲りてるからな。その日に病院に行って、薬をもらってきた。医者からは「3日以上、下痢が続いたら危険ですよ」とあきれられたけど。薬を飲んだら、お尻は沈静化した。それだけで済んだのならよかったが、私は当時、夜間大学に通っていたのだ。何日間かは薬を飲んでいたのだが、ある日、下痢が再発し講議を休んだ。しかし、その日は期末試験が行なわれていたのだったぁ~っ。知らなかったんだよぉ~。大事な必修科目を落とした私は結局、大学を中退することになってしまったのだ。ううっ、カンボジア~。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
これは、実話です。 色々とあって、追試(こちらをクリック)もダメになりました。 やはり、虚言を言ってしまった懲罰もあったかもしれない。 こういった日和見が多くの日本人に迷惑をかける可能性だってありますからね。 そういえば、三月と言えば卒業シーズンですね。 二月や三月には激変を体験されてこられた人々も多いに違いありません。
幾つか存在している海外旅行記の中でよく見受けられる内容の中の一つに疾病の問題があります。 国際化社会なので風土病は無くなっているし砂嵐の影響でウイルスが飛散していると言われてもいます。 「アフリカから日本に歩いてやってきたのか、エボラウイルス?」と質問したくなるような事態が愛知県で発生しました。 要するに、2010年に愛知県で研究の為に飼育されていたニホンザルが謎の病気に集団感染して流血して死亡していたのです。
他にも、東南アジア方面の商品を日本へ輸入する商売人から聞いたお話ですが、台湾で下痢に襲われてから必ず胃薬を持ち歩くようにするようにしたそうです。
是非については、問いませんが日本の大手乳酸菌飲料メーカーがインドに進出しました。 現地(インド)のラッシーが存在は許されていても余り信用されていないからか、それなりに営業面で成果を導き出しているそうです。 まぁ日本でも一般的な商品と少し違う輸入品は、それなりに人気があるのと同様です。例えるならば外車のようなものです。 全く逆に、ラッシーは日本でも人気のある飲み物になっていますね。
カンボジアは、平成10年代に変わりました。 平成20年代の昨今では、カンボジア製の靴やアパレル商品は、日本国内においても一般的になってきました。それだけ、経済復興を成し遂げているようです。 次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)をお楽しみに。
#16 カンボジア~その2 (リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 0:46
#16 カンボジア~その2 (リターンズ)
2011-04-02 | Weblog
NO16 カンボジア~その2
アンコール・ワットやアンコール・トムにはカメラのフィルムや絵葉書や笛や扇子を売りつける少女がごまんといる。観光客を見つけると、「お兄さん、お兄さん」と雲霞の如く寄ってくるのだ。彼女たちをかきわけ、かきわけ遺跡を見ているうちに、ふと思った。プノンペン市内ではほとんどお金を使うことはなかったが、遺跡を見るためにシェムリアップに来てからは予想外に散財した。まず、プノンペンからシェムリアップ間の航空券が55ドルに、帰りのスピード・ボート代が25ドル。アンコール・ワットに一回入場するたびに20ドル必要だ。あと、バイクタクシーやホテル代も結構使ったし、出国税もいるから、その分だけ所持金から引いてみるとだな........。があ~ん! 今日のホテル代を払ったらすかんぴんやあ~っ! 困ったあ~、どうすんねん、と遺跡の中で一人、頭を抱える私であった。
ともかくホテルに戻り、リュックをかき回してみると、ベトナム紙幣が5万ドンほど見つかった。すぐに中国人経営の両替商で両替してもらうと、9ドルになった。う~、ありがたや、これでご飯が食べられる。あとは日本円の硬貨をかき集めると2000円ほどになったが、硬貨は両替できない。日本人のツアー客をアンコール・ワットの前で待ち構えて、紙幣に両替してもらおうか等と思案しながらもう一度ホテルに戻ると、フロントで日本人らしき男が二人、話をしている。そう思うやいなや私は一目散に駆け寄り、彼らに話しかけていた。
「すいません、日本のかたですか?」 「そうですよ」
事情を話すと、心良く両替してくれた。のみならず、ホテル内にある中華レストランでご飯をおごってくれ、1万円も貸してくれた。いい人やあ~。聞くと、これからバンコクからネパールへ行き、帰国するのは二か月後だそうだ。あとから考えると、二か月もの間、2000円も使えない硬貨を持ち歩くのはさぞかし邪魔だったであろう。川原様、ありがとうございました。おかげで私は生きて日本に帰ることができました。
さっそく、二日間世話になったバイクタクシーのソーウオッポにガイド料を払う。大金が入って気が大きくなっていたので奮発して20ドル渡した。とたんに彼の顔がだらしなくデヘヘ~となったので、しまった、払い過ぎたなと思った。初日にガイド料を聞いたら、「It depends on you 」(お任せします) と言われていたので少なかったら悪いと思っちゃうんだよな。敵も人の心理をよく心得てるよ。いかん、いかん。せっかくのお金を大事に使わんとな。それからは出費をできる限り押さえた。ずっと頭を洗ってなかったのでシャンプーを買いにコンビニに行った時も、5ドル(!)もしたので30分迷って結局、買うのをやめたくらいだ。(頭がかゆい)
だけどプノンペン・ポチェントン空港の出国税が20ドルだったのは痛かったぞ。その日はバンコクで一泊し、翌朝ホテルの前でタクシーを拾う。空港まで 350バーツだというので「バーツの持ち合わせがない」と財布の中身を見せた。運ちゃんはその中にあったドル紙幣を目ざとく見つけ、空港で5ドルを両替すればいいと提案し、運賃も300バーツに負けてくれた。空港の銀行で5ドル出すと、両替は最低10ドルからだと言う。仕方なくボロボロの5ドル札をもう一枚差し出すと、古いお札は受け取れん、とぬかす。きしょーめ、ビンボー人だと思ってなめんなよ。今度は1ドル札を5枚取り出すと、それも駄目だと拒絶! ふぎーっ! どないせいっちゅうねんっ!! 結局、最初の5ドルだけ両替してもらった。(なら、最初からそうしろよな)
ドンムアン空港の出国税は250バーツ(現在は500)。出国審査を終えるともう外国の通貨は必要ない。手持ちのお金を日本円に換金し、この時点で所持金が1000円と9ドルと5・5バーツ。
なんとか帰国して自宅にたどり着いた時の所持金は1133円だった。昔、「がっちり買いまショー」というテレビ番組があったが(知ってるか?)、その海外版があったとしたらわしの優勝やあ~っ!
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
1990年代から平成10年代の時期には、デジタルカメラが銀塩カメラを駆逐し始めたような時期でした。 何度もお伝えしているように、これらの旅行記が作られたのは、(ほとんど)1990年代から平成10年代の時期です。平成10年代後半には、デジタルカメラは一般的になってきていて、2010年代には、カメラ店(家電量販店に切り替った)や現像や焼付けを請け負うお店(自宅内部のプリンターや自動販売機に切り替った)が激減してきましたね。
国内であれ海外であれ旅行には幾ばくかのお金が必要だから見積もりをしないといけませんね。今回のように外国人観光客相手に政府も事実上の入場料金を徴収しています。
シャンプーもリンスも最近の日本では、¥100ショップで販売されていますね。
特筆すべきは、心優しき日本人。 普通、一万円という金額を見ず知らずの他人に貸したりしません。 全く、論外な要求をしていましたね。 最近では、一時期とは違いテレビであっても金満旅行から貧乏旅行で注目を集めている場合がありますね。(ク○イジー○ャーニーは別か?)
インターネットである程度は過去のテレビ番組についても発表される時代になってきましたね。昭和30年代から昭和50年に至って放送されたテレビ番組を知る人は少なくなっているかも?
これは、お笑いエッセイで無ければ非難されている旅行記であろう。
何度も書き伝えてますが、為替レート等は当時の状況であって現在の為替レートではありません。念のため。
そういえば、地味にカンボジア製のアパレル商品や靴が一般的に販売される時代になってきましたね。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
#17 マニラのスラム (フィリピン旅行記 リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 0:50
#17 マニラのスラム (フィリピン旅行記 リターンズ)
2011-05-01 | Weblog
夜の9時前にニノイ・アキノ空港に到着。ロビーに出ると熱気、じゃないなこれは、殺気を感じる。なんだか誰かに狙われているような気がして、少しびびる。ホテルを予約して、米軍用のジープを乗り合いバスに改造したジプニーに乗り込んだ。窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。
「スラムは特別な地区にあるのではない。メトロ・マニラ(マニラ首都圏)のいたるところにある。例えば、あなたがニノイ・アキノ国際空港を降りてタクシーに乗り、マカティの5ツ星ホテルに泊まり(そこまで気張らなくても安ホテルでも同じなのだが)、日中は車で移動して夜は繁華街で過ごすとなると、「タイやシンガポールほどではないが、フィリピンもずいぶんと経済発展しているんだなあ」と思うだろう。ところが、一歩、メインストリートをはずれて体重を右足でも左足でもいいから、どっちかに傾けて薄暗い路地を折れてみるがいい。
そこには、ああっ、と驚く光景が広がっている。」
とそれから浜氏はスラムの様子を描写し、
「しかし、わたしにとってスラムは混沌という名の・楽園″であり、生命力溢れる根元的な場所である。
(略) ある意味で、最も俗なるところが聖に通じ、最も醜いものが清らかなものに近く、最も単純なものが真実に迫るという逆説を痛感できる、哲学的な場所でもある。」
と続けている。私はこの文章を読むたびに、うひゃひゃと体が弾むような感覚になるのだ。私はスラムが大好きだ。電車に乗っていて、線路沿いにあるスラムを見つけると途中の駅で降りてしまうくらいだ。そんなに好きなら一生スラムに住みついたらどうだ、と言われると困るけどな。
マニラには観光名所らしき場所はあまりないが、私にはどうしても見ておきたい所があった。東南アジア最大のスラムといわれるスモーキー・マウンテンだ。夢の島のようなゴミの集積所にバラックを建て、人が住み始めた。ゴミが自然醗酵し、煙がたなびいているのでスモーキー・マウンテンと呼ばれるようになった。スモーキー・マウンテンのあるトンド地区には無用な立ち入りは絶対に厳禁、とガイドブックには書いてある。それでもどお~しても行ってみたい。私は覚悟を決めた。海外旅行保険に加入してないのが残念だ。アバト・サントス駅でタクシーを止め、ドライバーに聞いてみる。 「あんたは悪人か、それとも善人か?」 (マニラのタクシー・ドライバーはボる奴が多いからな) 「なぜ、そんなことを聞く? もちろん俺はグッドマンだ」 交渉して、スモーキー・マウンテンをぐるっとひと回り、300ペソで行ってくれることになった。ドライバーのソシモは気のいい人で、運転中もずっとしゃべりっぱなしだ。 「人生で大切なのはお金よりも友だち、神様、家族だと俺は思うね」 「香港に研修で行ったことがあるよ。外国に行ったのはそれっきりだ」 「トンドなんかになぜ行きたいんだ? あんた、ジャーナリストか? トンドで警官がナイフで刺されたことがあるし、タクシーだって石を投げつけられたこともあるんだぜ」等と話を聞いているうちに、車はいつしか迷路のような細い路地に入り込んだ。一見してスラムと知れる、その住民たちが車を取り囲むようにしてじろじろとこちらをねめるように歩いている。ソシモの言葉を思い出して、こちらとしては気が気ではない。やがてマニラ湾沿いの道路に出た。う~ん、と思わず私は目を見張った。なにしろトタン屋根とありあわせの木造で建てられたバラックが何キロにも渡って延々と続いているのだ。それは今まで訪れたアジアのどの国でも見たことがなかった、圧倒的な光景だった。電気は引いているが、水道はないとソシモは言う。
スモーキー・マウンテンには以前、人が住んでいたが現在は政府によって強制撤去させられて家はない。気が遠くなるほどの広大なただのゴミの山だ。少し行くと、今にも崩れ落ちそうな五階建てくらいのアパートが密集していたので、その前の広場に車を止めてもらう。広場にいる大勢の大人たちや子供たちが何事かとこちらを注視してきた。
ソシモに「外に出ても大丈夫か?」と聞く。 「ああ、大丈夫だ」 「ここで待っていてくれ」 あたりを窺うようにしてゆっくりと車から出て、一番近くにあったアパートの階段をのぼる。そこで私は自分の目を疑ったね。各部屋のドアはなぜか全てなくて、中がまる見え。室内には所狭しと何人もの人間が住んでいるのだが、住んでいるのは人間だけではなかった。猫や犬に数羽の鶏までもが同居しているのだ。一軒家ならともかく、アパートの一室で人が家畜と暮らしている光景は異様だ。それは、まるで家畜小屋に住人が住まわさせてもらってますって感じなのだ。もしかして、あれはペットなのか? いや、そうではあるまい。スラムの住人にそんな余裕があるはずがない。現金収入を得るため、もしくは自給自足の食料として飼って、いや、同居しているのだろう。上の階まで行きたかったが、住人の眼光が鋭くなり危険を感じたので車まで戻る。
「一緒にアパートの上まで行ってくれないか?」とソシモに頼むと、「駄目だ。危険だよ」と言う。あとから考えてみると、危険なのは我々だけでなく、もし車を残しておけばその車だってどうなっていたか分からない。仕方なくトンドを離れ、リーサル公園で降ろしてもらった。歩いて駅まで行こうとしたら、一人のフィリピーノに時間を聞かれた。そのままついてきて、歩きながら自己紹介を始めた。年は29歳。父は日本人、母はフィリピン人。何年か前に離婚し、父は香港にいるが母は行方不明。彼には子供が二人いて、ミルクを欲しがっていると何度も言う。ふ~ん、なるほどね。案の定、「セブン・イレブン」で粉ミルクの缶を二つ買わされた。自分のためにお金をくれ、というのならともかく、小さな子供がおなかを空かしているという言葉に断ることができなかった。願わくはだな、あとでその粉ミルクを換金して、お人好しの日本人はちょろいもんだと舌を出さんように願っているぞ。
その男は粉ミルクを受け取り、ホテルの所在地を尋ねるとお礼のつもりなのか「案内するよ」と歩き出した。おい、ちょっと待ってくれい。わしはLRT(高架鉄道)に乗って帰るからいいんだ。と言ってもそいつは先頭に立ってどんどん歩いて行く。待てっちゅうねん、お願いだ~、頼むから待ってくれ~。ここからホテルのあるエドゥーサ駅まで6キロはあるぞ。 「心配しなくても大丈夫だよ」 いや、だからそういう問題じゃなくてえ。男は黙々と歩く。薄暗い夜道をひたすら歩く。月がきれいだった。一時間歩いてホテルに着く。えっ、本当に着いたのか? 初めは着いたのが信じられんほどだった。リキというその男は妻子のためにお金が欲しいと言う。 「いくら欲しいんだ?」 「200ペソ」 ありがとう、リキ。案内してくれてよっ!私は彼に50ペソ渡した。リキは少し不服そうだが礼を言って帰っていった。また一時間かけて。
それから私はホテルでイタリア料理を食べた。500ペソほどだった。近くにカジノがあるというので行ってみたが、カラーのないシャツを着用している人は入場できません、と断られた。帰り道でぼろぼろの服を着た6歳くらいの女の子が右手を突き出してきた。小銭を1ペソしか持ってなかったのでそれを渡すと、女の子は無言で首を振った。でも、どうすることもできんのでそのまま帰った。私は人権主義者じゃないけど、つくづく人間は不平等だとその夜は思った。
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フィリピン旅行記のリターンズです。
本当に海外旅行記らしい海外旅行記です。やはり、相手の気持ちが読めないから仕事にありつけない労働者のお話がいたり小銭が欲しい女の子がいたりもしましたね。 両者共にほとんど日本では詐欺の扱いになるでしょうね。 日本でも、1990年代から平成10年代にかけて署名の後に寄付金を求めてくる人がいました。 平成20年代になって減ったようには感じます。 しかし、時間を尋ねるのを踏み台にして金を求めるというのは、悪い詐欺師でしたね。
スモーキーマウンテンは、平成20年には撤去されているそうです。
実際に赴くのと想像では違う部分があったと考えないといけないかもしれません。
メーデー等が存在しているから労働者の立場は守られています。
#18 シャオエン (台湾旅行記 リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 0:58
#18 シャオエン (台湾旅行記 リターンズ)
2011-06-01 | Weblog
1997年5月、日本の首相官邸に当たる総統府の前を歩いていた。日曜日の昼下がり、空は透き通るような快晴だった。赤レンガの荘重な建物の前には警察官と憲兵(機動隊員)が集まって、何だか物々しい雰囲気だ。
「ん? 何だ? 何だ?」と足を止めて眺めていると、警察官に職務質問されそうになったのであわてて立ち去る。官庁街であるただっ広い道路の交差点にも市民が集まり始めた。その中にはテレビ局の中継車がスタンバっている。向こうの道路からはデモ隊が何かをシュプレヒコールしながら近づいてきた。一体、何が? 中華人民共和国でも攻めてきたのか? 前年には台湾史上初の民間による直接選挙で李登輝が選出された。台湾独立派を恐れる中華人民共和国は大規模の軍事演習を行なったり、台湾海峡にミサイルをぶち込んだりと威嚇を続けていたのだ。
「何があったんですか?」 近くにいたテレビ局のスタッフらしき人に聞いてみる。
「テレビ・スターが殺されたんだ」 彼は詳細を説明する英語力がなかったのか、それだけ言うと黙ってしまった。俳優が殺されたぐらいでこんな騒ぎにはならないだろう。警官隊と機動隊が見守る中、デモ隊とそれに呼応した市民が気炎を上げていた。
その夜は「華西街観光夜市」に行った。長い商店街は地元の人や観光客でごった返し、店の人たち、特に包丁片手にヘビやスッポンの生き血を売るおじさんの口上で賑わっていた。中にはヘビの頭を噛みちぎり、尻尾をくわえて振り回すという猟奇的おじさんもいた。不思議なのは生き血や漢方薬を売る店にはテレビが置いてあって、そのどれもが日本のプロレスを映していたことだ。やっぱり、精力がつくということをプロレスに託して表現したかったんだろうか。しかし、店先に繋がれていたオランウータンはどういうことだ。
こんなにもヘビ屋やスッポン屋があるのにはわけがある。裏通りに売春街があるからだ。そこに行ってみた。売春宿は外から覗くことができ、ピンクの灯りの下で女性が立っている。その前の道路には怪し気な男たちが列を作って座っていた。
ホテルに戻り、「あっ、そうか、あれは」と気がついた。三週間前に劇画作家の梶原一騎と歌手、女優のパイピンピンの娘が誘拐され、殺害されたのだ。犯人たちはその時点でも逃亡中で、さらに凶悪な事件を繰り返していた。後に5万人もの市民が治安改善のための法律改正や政府官僚の辞任を求めてデモを行ない、内閣は総辞職に追い込まれた。そのデモだったのだ。当時は日本のみならず、世界中にそのニュースが連日のように報道されていた。私はその事件の残虐さを知り、誇張ではなく、犯人たちへの激しい怒りと殺された17歳の少女への思いで胸がつぶされそうになっていた。
少女の小指を切断し、母親へ送りつけるという行為。食事も与えず五日間に渡って暴行を加え続け、最後には遺体を全裸で排水溝に捨てるという行為。肝臓の五か所が破裂。胸部や腹部等に夥しい量の内出血。死因はロープで首を絞められたための窒息死。
少女が味わった地獄のような恐怖と苦痛。私には懸命に想像してみることしかできない。そして犯人たちのこと。パイピンピンと犯人たちは経済発展を遂げる以前の貧しい台湾を共に生きた、同世代の人間だった。主犯格三人のうち、二人は警官との銃撃戦中に自殺。あとの一人はなおも逃亡し、南アフリカ大使館武官官邸に立て籠ったが、ついに投降した。パイピンピンはその後、台湾の治安の改善を目指し、ボランティア活動を精力的に行なっている。犯罪のない社会作りを世界にアピールするため、長野オリンピックには聖火リレーに台湾代表として参加した。
せめて私は自分の命が続く限り、17歳で殺された少女のことを忘れないようにしようと思う。そうすれば彼女は生きる。私たちの記憶の中に彼女は生き続ける。
参考文献 「燕よ、空へ」 パイピンピン著 木村光一訳 / ルー出版
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1990年代のお話であっても、平成10年代のお話ではありません。端的には、平成9年五月のお話とお考え下さい。恐らくは、ゴールデンウィーク期間中でしょう。
長い人生では、旅先で大きな犯罪が発生したり事故が発生するのを目の当たりにある時がございます。 私も、全ての詳細は語りませんが、全く無かった訳ではありませんでした。 唯一の例外としてお伝え出来るのは1990年代初頭に目の前の車が分離帯に乗り上げて横転事故をしたのを連想し、その点だけを伝達が行える位です。
平成22年12月に兵庫に赴いた時に台湾人観光客数名と軽く英会話をしましたがビビ○ン・スーについて話しながら私鉄に乗ったのを思い出しますね。
台湾人と日本人は良く似ていて一見しただけでは、判別し難いですね。
今回のお話は1990年代の平成9年のお話ですが、治安の悪化は、2010年代になっても継続している。安全神話は崩壊しています。17歳で殺害されたといえば女子高生が殺害されたと考えても間違いではありません。しかも、虐殺でした。被害者が有名人であるとか金持ちであるとかではなくて、殺人の無い社会作りが必要なのですが、それには政府がしっかりしてもらわないといけない。万人の人命は平等です。
多くの親御さんは苦労して子育てをしているし労働に励んでいる。それを無効化するような犯罪者達はどの国であっても否定される。 少なくとも、日本・台湾・南アフリカ共和国の国々で注目を浴びた事件であった。
思いは大きいが、なぜか上手に伝えられません。 やはり、憤りと悲しみが大きいからでしょうね。 彼女には罪が無かったが殺害された。 彼女の母親が治安改善運動をしているのは、必然です。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
まりりんまんそんライブインオーサカ(リターンズ 特別編 #19と#20を兼ねてます) 2015/2/17(火) 午前 1:00
まりりんまんそんライブインオーサカ(リターンズ 特別編 #19と#20を兼ねてます)
2011-07-01 | Weblog
NO19 まりりんまんそんライブインオーサカ
at 2003 09/26 23:20
まりりんまんそんのコンサートに行ってきました。大阪城ホールのアリーナです。アリーナ席なんて生まれて初めてです。まりちゃんと目があって「あとで楽屋に来いよ」なんて言われたらどうしよう(ドキドキ)。ホール前にはたくさんの屋台が出ていました。フランクフルト屋のおっちゃんが「まりりんまんそんも大好きなフランクフルトやでー」と言うので、思わず「うそやっ!」とつっこむと、「うそやないって。うそやったら、おっちゃんお金返したるわ」とぬかしよります。「何言ってんの、まりちゃんが好きなのは別のフランクフルト.....。」やだわ私ったら、おほほ。会場に近づくと、黒い衣装をまとったかなりイタい若者たちがたむろってます。まるでバンコクの娼婦みたいです。ああ~っ、勘弁してくれ~。俺が悪かった~!(いったい何があったんだ!)
入場の際にはボディチェックがありました。ストーンズのコンサートでもなかったのに。まりちゃんのファンにはガイキチがたくさんいるからですね、きっと。アメリカでのコンサートは大変だと思います。
二階席へと向かう客を尻目に地下に降りていきます。なんてたってアリーナですから。しかし私は自分の目を疑いました。これはただの一階席。しかも最後列。ステージからは50メートルは離れています。まりちゃんと目があうなんてことは絶対にありません。なんでやねーん、責任者出てこーい!わしは人生幸朗師匠かーい!と一人でつっこんでいるといきなり大音響です。そうでした、今宵のサポート・バンド(早い話が前座です)は「BUCK-TICK」なんだそうです。私は彼らを聴くのも見るのも初めてですが、ビジュアル系のパンク・バンド(?)という感じです。もういいんでわないかっ。もう充分でわないかっ。と思うほど存分に演奏した彼らはやっと引き上げて行きました。多分、アルコールとドラッグでへろへろになったまりちゃんの体力が続かないので時間稼ぎをしてるんだと思います。ずるいと思います。それからステージではサウンドチェックを入念にし始めました。まりちゃんはなかなか出てきません。おしっこに行って帰ってきてもまだ出てきません。世界中で何百万枚CDを売っているかしらんが、一万人の客を待たすとはいい度胸してんじゃねえか、最近天狗になってんじゃねえか、まりちゃんわ。とドス黒い心がわき上がってきた頃にやっと出てきました。開演から1時間半後のことです。(つづく)
NO20 まりりんまんそんライブインオーサカ完結編
at 2003 10/10 01:23 編集
まりちゃんは取り憑かれたようにfuckやshitを連発する痴れ者で下品な男です。
「よく来たな、マザーファッカーども」
イエ~イ!
(うるせー!)
「おまえたちのファッキンな中指を俺にみせてみろ」
イエ~イ!
(ああっ、下品だ)
ステージでは猥褻な女が二人、猥褻なダンスをしています。観客のみなさんは物のけのように踊り狂っていらっしゃいます。熱狂的なコンサート風景を観て、「まるで宗教のようだ」とおっしゃる人がいますが、音楽と宗教は最も遠い所にあると思います。まりちゃんもそこら辺はよくわきまえていて、エンターテインメントに徹しています。まりちゃんの音楽はエッチな本を読んで興奮しちゃったくらいの意味合いしか持たないと思います。たまに興奮し過ぎて銃を乱射しちゃったりするバカちんもいますが。ロック・ヒーローは教祖だと言う人はディズニーランドは宗教だと言ってるようなものです。私は町田康の「CDを800万枚売ったからといって、社会を変えたということになるんでしょうか?社会を変えたいというより、社会によって自分が変えられたいと思います」という言葉を思い出しました。
いつしかステージ上にはミッキー・マウスを似せて作った世界一邪悪なレプリカ、ミッキー・マンソンが登場しました。さすが裏ディズニーランドです(私は行ったことがないので何だかざまあみろです)。なんだかんだとアンコールもなしに10時きっかりにコンサートは終わりました。
20時20分 バックステージ
「まりりん、出番10分前だぞ」
「ああ」
「また震えているのか」
「何度経験してもステージに上がる前は緊張するんだ。俺は子供の頃から赤面症で対人恐怖症だからな」
「カリスマを演じるのも大変だな。ところで、ステージで破る聖書はどうするんだい? 」
「今回はいい。ここは日本だからな。それよりも俺の大好物のフランクフルトは用意してあるんだろうな?」
「大丈夫だ。ライブが終わったら浴びるほど食べてくれ」
「よし、いつものように円陣を組もう。メンバーとスタッフを呼んでくれ」
「わかった。みんな集まってくれ!」
「みんな、心の準備はいいだろうな。スティーブン、ミッキー・マンソンのレプリカは修理できてるな」
「もちろん、バッチリだよ。まりりん」
「昨日のフクオカのライブで少し破けちゃったからな。今回はゆっくりめに倒してみてくれ。キリストにミッキー・マウスの次はス○ーピーだな。いや何でもない、 こっちのことだ。ロザンナにケイト、いつも恥ずかしい踊りをさせてすまんな」
「なに言ってんの、まりりん。それは言わない約束でしょ」
「そうだったな。今日の打ち上げは西田辺の『酔虎伝』を10時半から予約してあるから思う存分飲んでくれ。でも12時までだぞ、次の公演に差し障るからな。ようし、 ジェローム、いつものやつをやってくれ」
「オーケー、みんな用意はいいか?それじゃあ、いくぞ!世界で最も偉大なアーテ ィストは?」
「まりりん!!」
「マイケル・ジャクソンよりもCDを売るアーティストは?」
「まりりん!!」
「ブッシュ大統領よりも影響力のあるアーティストは?」
「まりりん!!」
「僕たちはみんなまりりんが」
「大好きさ!!」
「ありがとう、みんな。俺が今日あるのは仲間の支えがあってこそだ。今夜もコンサートの成功を願って祈ろう。みんな、目を閉じてくれ。............我らの音楽を司る神よ、我々の奏でる音によって世界が融合されますように。人類のうちに争いも 餓えもなくなり、人々が穏やかに日々を過ごせますように。天国も地獄もなく、ただ今日という日のために生きていくことができますように。殺すことも死ぬこともなく、平和のうちに暮らしていけますように。想像してごらん、国境も宗教さえもなく......」
「ちょっと、まりりん。それって、ジョン・レノンの『イマジン』じゃないの」
「あっ、そうか。こりゃ一本取られたな。あっはっは」
「いやだわ、まりりんたらっ。あはは」
「まりりん、すっかり緊張がとけたようだな。これで今晩も大成功間違いなしだ。 うあっはっはっは..........」
なわけないですよね。あっ、私は会場で売ってたまりりんTシャツ(3500円)を買いました。さすがにまりりんポスターやマリリン携帯ストラップまでは買いませんでしたが。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
特別に、前編後編を一本化しました。
今回は国内旅行記というか地元でのライブに行って来た感想文です。 情けない人のライブです。平成十年代だから楽しめたのかもしれません。今となっては、単なる変態ですからね。大衆の飽きは、早いです。 平成20年代にはアルバムが発売されていたようなのは認めるが2010年代は(2011年四月現在)アルバムが発売されていないようです。けど、アーティストが一年間以上アルバムを発売されないのはよくあるお話?
ご本人が、彼のDVDというか映像を見ている時に当時のドリアン長野宅にお邪魔したら、「本物がやってきた。」と言われました。ここが皆さんにとって一番、笑える部分かもしれませんね。もっと、エグイ奴もいますけどもね。
ちなみに、ローリングストーンズのコンサートはクラシックの音楽のように静かに聴く必要があったのは、京セラドーム大阪では楽しむのが難しいからです。
今回に限ってはツイートをするのが恥ずかしいから見送りました。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。以上、マーキュリーマークでした。
パパになったドリアン長野
2015/2/17(火) 午前 1:03
パパになったドリアン長野 平成23年7月
2011-07-14 | Weblog
先日(7月11日)、ドリアン長野はパパになったそうです。平成10年代に結婚して、なかなか生まれなかった待望の赤ちゃんを授かったそうです。
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平成24年にドリアン長野の娘に出会えて良かったです。
#21 北京の床屋(リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 1:08
#21 北京の床屋(リターンズ)
2011-08-01 | Weblog
NO21 北京の床屋
at 2003 10/17 22:32
北京に来てから気になっていることがあった。理髪店である。町中のあちこちに理髪店があり、しかも深夜まで営業しており、しかも従業員は若い女性ばかりなのである。若い女性に深夜営業。怪しい、怪しすぎる。他の人間ならいざ知らず、この私の目はごまかせ~んっ! 社会主義国でそんなことがあるのだろうかと不審顔の貴兄に貴女、同じ社会主義国のベトナムでは理髪店と売春が結びついていることは周知の事実である。何でも表向きは普通の理髪店なのだが、希望する人にはスペシャルなサービスを施してくれるらしい。実際、ホーチミンでは北京ほどではないが理髪店がちらほらと目につく。夜、シクロに乗っている時に店内を見たら、いつも何人かの女性が椅子に座って暇を持て余していた。中国よ、お前もか。私は大いに失望した、わけでは全然ないのだが、これは是非調査せずにはおられまい。中華人民共和国の首府、北京よ、農民と労働者の叡智と努力によって共産主義国を建設するという高邁な理念の化けの皮をこの私が引っぺがしてやるわ。うわーはっはっはっ、バカめっ!(はオレだろうな、やっぱり)
というわけで、故宮の近くに泊まっていた私は夜の11時頃にホテルを出た。う~ん、どの理髪店に行こうか? なるべくなら、きれいな従業員のいる店がいいだろう。もちろんこれはベールに包まれた中国人民の実態を調査するというフィールドワークであり、私には不純な気持ちなど毛頭、爪の先ほども、これっぽっちもないのであるが、どうせならきれいな女性の方がいいだろう、うん。しかし、調査があまり進行しすぎると危険なことになるような気がする。その時は腕に覚えのあるカラテで大声を出して逃げればいいだろう。もし女が中国拳法の名手で無理矢理、組み伏せられたらどうしよう。きれいな体で戻ってこられるかしら。不安だわ。いや、毛沢東も 「崇高な目的達成のためには敵を恐れることなく邁進せよ」 と言っていたではないか。(おい、そこのあんた! どこが崇高やねん! って、つっこんだだろう、今)
私は決心し、心の中でインターナショナルを歌いながら目星をつけた理髪店へと勇躍乗り込んでいった。(つづく!)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
チャイナ旅行記のリターンズです。
射撃のように海外でなければ体験が出来ない事柄は多いと思います。 まぁ、あれだバカ丸出しのフザケタ文章なのでお気楽に読んでいただければ幸いです。一応は、お笑いエッセイなので、真剣に読まないようにしてください。 ドリアン長野は平成20年迄に悔い改めています。
一方で、過去から強調しておりますが、ドリアン長野氏の空手の腕は、黒帯だけあって一級品です。
以上、マーキュリーマークでした。
#22 続 北京の床屋(リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 1:12
#22 続 北京の床屋(リターンズ)
2011-09-01 | Weblog
NO22 続 北京の床屋
at 2003 10/24 19:39 編集
<前回のあらすじ>
中国ってとこは人はやたらと多いし、言葉はあんまし通じないし、列には割り込むし、日本人だとボるし、ひまわりの種はあちこちに散らかすし、おまけに女までが(以下略)
店内は清潔で明るく、従業員は男が一人、女が三人、そして男の客が一人いた。そのうちのソファーに座っていた女が立ち上がって椅子に座るようにと促した。営業時間を聞いたら、朝の8時から深夜の1時までだそうだ。なぜ一日17時間も営業してるんだ? 人民をそんな長時間も労働させていいのか? ますます怪しい。女はまず私の首に前掛けをし、洗髪台に頭を突っ込むようにと手振りで示した。その通りにすると女はいきなりシャンプーをし始めた。片言の英語ながら、いろいろと話しかけてくる。 (普通の理髪店に見せかけてるな。パチンコ屋が店内で出玉を換金すると賭博と見なされるから外に景品所を設置するように、これは当局を欺くためのカモフラージュに違いない)
シャンプーが終わると女は聞いてきた。 「マッサージはどう?」 (きたあーっ!) 「フェイス・マッサージもあるし、全身のもあるわよ」 「いっ、いくら?」 「100元(1元は約14円)」(高い) 私は考えこんで顔のマッサージを頼むことにした。顔だけなら安心だろう。 「それじゃあ、こっちへ」 なんと女は店内にある個室へと案内するではないか。ドアを閉め、二人っきりになる。広さは二畳ほどだ。 (やばい) 棚にはいろいろな乳液やらクリームやらが載っている。 (ますますやばい) 私はリクライニングの寝椅子に寝かされた。 (ドキドキ) 女は私の顔にクリームを塗り、マッサージを始めた。それが終わると先端が輪になった金属製の細い棒で顔を突いてきた。(ん?) あ~、気持ちええ。これは毛穴から脂を抜き取るためらしい。さすが中国式マッサージ。お肌がすべすべ。 「次は全身のマッサージしてみない?」 (きた、きた、今度こそきたあーっ!) 「あのお~、それってどんなマッサージ?」 「は?」 「だから、どういった類いのマッサージかな、と」 「言ってる意味が分からないわ」
ここでやめたらせっかく潜入した今までの苦労(なのか?)が水の泡だ。私は不本意ながら受けて立つことにした。さあ、殺せ。女は気合いを入れると、脚から腕から背中から、仰向けからうつ伏せにしたりと汗だくになりながら長い時間をかけて体中を揉んだ。サンダル履きで一日中歩いていたので足はまっ黒。女は一瞬ひるんでいた。終わると体力を使い果たしたのだろう、フラフラと奥へ引っ込んでいった。最後に若い男がハサミとバリカンで念入りにカット。ドライヤーをかけ、スプレーで仕上げ。終わった。1時を過ぎているのに年配の客が一人、入ってきた。(なぜ1時に髪を刈りに?)
料金はマッサージが100元、シャンプーが100元、カットが50元。それを230元まで値切った。今回、多額の調査費を投じて私が得た物は中国式ヘアカットと、北京の床屋は健全な床屋だったという事実だ。諸君、北京に来たら安心して調髪してもらえよ。その前に料金はちゃんと聞いておくように。体はきれいだったが、お金もきれいになくなった。ふっ、私の思い過ごしだったようだな。疑って悪かったぜ。だけど中国人、ぼるなよおおおおお~っ!!(魂の叫び) しかし、中国はこれで終わるほどまだまだ甘くはなかった。(というわけで上海編につづく)
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結論から言うと本人にとっては、期待外れであったのかもしれません。
平成20年代のチャイナの理髪店の料金は全く知りませんが、この当時の価格だと日本と大差が無いかもしれませんね。日本国内でも安価な理髪店(美容院も含む)と高値の理髪店(同様に美容院も含む)が混在しているから何とも言い難いです。マッサージはいらないにしても、シャンプーとカットでチャイナでは150元で、1元が¥14だから、約¥2100? 最近、流行のシャンプー無しの¥1000カットの店と比べるのは論外かもしれません。それにしても繰り返すようですが金額的には大差が無いかもしれません。 日本の理髪店さんも店舗によっては、チョキチョキと髪の毛を切ってもらっている時に悲しくなる発言をしてしまう人もございますね。他の理髪店でお願いしたくなるキッカケかもしれません。
17時間労働の一件ですが、実際の所、日本国内の理髪店や美容院によっては閉店後、修行の場になっていて結局、一日の労働時間が長時間になっている理髪師や美容師もおられます。
しかし、行列の横入りは嫌ですね。日本で行ったら、本当にケンカになってしまいます。
中国のお話は幾つもあるので今後も楽しみに待ってください。
オマケ
先月に引き続いてチャイナ旅行記のリターンズです。
これは、真夏の時期ではなくて過去(2010年以前の平成20年代初期のある寒い日)のお話です。ある美容院で防寒着を店内で着用させてくれなかった人物(当時、ある美容院の従業員)がいたので帰宅後、怒りのメールを彼の上司を兼ねた私の知り合いに送信しました。 それなりの返答があった後、不躾な行いをしでかした彼は後に退社した。 店の中では、冷静になって、後に運営している企業等に連絡するとそれなりの結果が得られます。 辛い艱難辛苦を乗り越えて真面目に勤務してやっと給料が得られるが、金の支払先では嫌な思いをせめて、日本国内では体験したくありません。
#23 飛んで上海(リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 1:15
#23 飛んで上海(リターンズ)
2011-10-01 | Weblog
#23 飛んで上海
at 2003 10/31 19:02 編集
出発前から中国だった。関空に着いたら、いきなり飛行機が2時間の延着だ。仕方なく待っていたら今度は変更(って?)ということで更に1時間待ち。中国国際航空に乗るはずだった我々はなぜか中国東方航空機に乗せられ、予定より3時間10分遅れでやっと飛び立った。機内放送ではそのことについては一切触れられることはなかった。やるな、中国。さすが豪放磊落、天衣無縫、質実剛健の中国人だ。少しぐらい遅れたからって、四の五の言うんじゃねえよ、墜落するわけじゃあるめえしよ、という態度に私は好感を持つぞ。いいぞ、中国、等とその時はまだ余裕をかましていられた。
夜の8時に上海虹橋空港着。飛行機の中で今夜泊まるホテルを決めていたので、予約しようとうろうろしていると、「タクシー?」 と小説家の猪瀬直樹にそっくりの男が寄ってきた。
「○○ホテルに泊まりたいんだ」と言うと猪瀬は「知ってる」と言う。ああ、いつもならそんな手口には乗らないのだが、なぜか猪瀬の後をのこのこと付いて行き、タクシーに乗った。助手席には別の男が乗り込んできた。アジアではこういう事はよくある。タクシーを私用に使うのは日常茶飯事、勝手に友人や家族を乗せたりするので私は気にも止めなかった。猪瀬の相棒が高級そうなホテルのパンフレットを差し出す。
「○○ホテルは古くて部屋も狭い」
案の定、タクシーはパンフレットの高級そうなホテルの前に着いた。 「この野郎~」と思ったが宿泊費を聞くと、そう高くはない。夜も遅いし、この高級そうなホテルに泊まることにした。ボーイに案内されて高級そうな部屋に入ると猪瀬たちも付いてきた。ボーイが出て行くと、猪瀬が両替しないか? と言う。レートを尋ねると銀行と同じなので1万円換金することにした。これで用は済んだと思ったが、極悪人の猪瀬はその後、信じられないことを言ったのだ。
「ハイウエイ代の100元とタクシー代の100元を払ってくれ」
てめ~、空港でタクシー代はホテル代込みだと言ったじゃね~か。そう言うと 「サービス込みだと言ったが、料金込みだと言った覚えはない」 とわけの分からんことをぬかしやがる。渋々100元だけは渡したが、あとの100元は絶対に払えんっ! と長い間言い争った。しかし、極悪人猪瀬は諦めない。朝まで言い争っていてもよかったのだが、私は言い争いをしにわざわざ中国までやって来たのではない。観光をしに来たんだ、観光を! 明日も早いのでいいかげんに寝たい。私は負けた。極悪人猪瀬に100元払って追い返した。くっそ~、お金も惜しいが、それ以上に極悪人猪瀬に負けたことが悔しい。気分を変えようと食事をしに外に出たが、レストランも食堂も屋台も何もない。あるのは高級そうなアパートと理髪店だけだ。(ここもかいっ!) どうやらここは上海のはずれのようだ。その夜はローソンでハンバーガーとジュースを買ってホテルに帰る。(何で上海まで来てこんなもん食べとるんやあ~~! 猪瀬~っ、てめえのせいやあ~!!)
翌日は市街地にある東亜飯店に泊まる。このホテルは上海銀座と呼ばれる南京路に面しており、常にごった返している。夜ともなるとネオンサインがまたたき、地元の人間と観光客とおのぼりさんと物乞いでにぎわう。あ、それと忘れてならないのが繁華街には必須の売春婦とポン引きである。上海ガールもさることながらしつこいのがポン引きだ。もし、あなたが上海に来て東亜飯店に泊まり、夜になって南京路に一歩でも足を踏み出してごらんなせい、びしっとスーツに身を固めた兄ちゃんがすっと近寄り「女はどう?」と聞かれる確率はインドのデリーで観光客がお金をせびられる確率に等しい。さらに歩くと3メートルごとに声をかけられるのは間違いない。南京路を端から端まで歩くと、少なくとも20人からは声をかけられるだろう。(私はここをポン引き通りと命名) バカも~ん、それでも中国か! 全く嘆かわしいわい(by 磯野波平)。私も一人の兄ちゃんにマークされ、しつこく勧められるのでしつこく断るのだが、諦めないので「女は嫌いだ。男がいい」と言うと、「それじゃあ、カフェに行こう。案内するよ」と後ろも見ずにスタスタと歩き出した。バ~カめ、他のカモを探すんだな、と私は反対方向へ歩き始めたのだが、そういえばテレビのバラエティ番組でアグネス・チャンがこんなことを言ってたな。
「中国で誰かが結婚するとするでしょう。相手が上海人だと親は『とんでもない! やめなさい!』って反対するんですよ。ホント、これホントの話ですよぉ」 こんな十何年前の話を思い起こさせるとはさすが中国三千年の悠久の歴史。 私が親だったら、やっぱり反対するな。(まだつづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
チャイナ旅行記のリターンズです。
大手旅行会社のパッケージツアーであれば円滑に旅行が行えるであろうけども、本当に一匹狼の海外旅行なので怒りのチャイナエクスカージョン(中国小旅行)といった具合です。
そればかりか、上海と香港の競争意識というものは日本における東京と大阪に匹敵する争いも裏側にあるとは思います。 実は、中国のあの町が悪いといったお話はよく聞くお話なのです。「某Fという町の住民は何を考えているか分からない。」と直に国内在住のチャイニーズに私は教えられました。
今回も、ある意味、典型的な辛い思いをしてきた海外旅行のお話ですね。中国で中華料理ではなくて、ハンバーガーとジュースというのも辛かったんでしょうね。 テレビ番組の豪華絢爛な海外旅行のお話とは違い、辛く惨めな個人のお話です。
#24 飛んで上海 その2(リターンズ)2015/2/17(火) 午前 1:38
#24 飛んで上海 その2(リターンズ)
2011-11-01 | Weblog
上海の裏通りを歩いていると、かつてはここいらに阿片窟や娼館が立ち並んでいたのかなと感慨深いものがある。租界時代に建てられたオールドホテルの「和平飯店」なんか往事を偲ぶよすがとなるに充分だ。ここにあるオールド・ジャズ・バーでスイング・ジャズに耳を傾けていると魔都と呼ばれ、スパイが暗躍した国際都市上海の在りし日の姿が彷彿としてくる。嗚呼、東洋のマタハリと呼ばれた男装の麗人、川島芳子と李香蘭(実は日本人、山口淑子)との倒錯した怪しいロマンス。「白蘭の歌」「支那の夜」そして「上海の女」に江湖の婦女子は紅涙をしぼるのであった、って私はいくつやね~ん! (と一人でつっこんでます)
アミューズメント・パークの「大世界(ダスカ)」はレトロ。老朽したビルの中に小部屋がいくつもあり、京劇、奇術、映画館、ディスコ、ゲーセン、似顔絵、お化け屋敷等をやっている。野外ステージでは私が行った時は子供たちが雑技をやっていた。ここの雰囲気は日本の昭和三十年代であり、大阪の新世界界隈に似ている。そういえば、ダスカの作りはフェスティバルゲートにそっくりだ。もしかしたらダスカにコンセプトを合わせて作ったのかもしれない。レトロっていうのは古い感覚と新しい感覚との境界線にできるのだと思うが、その極めつけが街のあちらこちらにあるカフェだ。
上海でカフェと呼ばれる喫茶店は上海人にとってのおされな社交場となっているらしい。外装も内装も全然、垢抜けてないのがかえって新鮮だ。私の入ったカフェは席がつい立てで仕切られていて(同伴喫茶?)、ビニールのテーブルクロスの上にアクリル板が敷いてあり(う~ん、レトロっすねえ)、ろうそくが立っている。何だか懐かしい。コーヒーはネスカフェで15元。ソフトドリンクはココナッツジュースしかなくて(しかも缶入り)、20元。日本人は珍しいらしく、店の人たちが話しかけてきたので彼女たちと筆談をした。
上海を旅した人の本を読んでいたら、上海風呂に入りたくなった。幸い、宿泊しているホテルの裏に「浴徳池」という大きな垢すり風呂がある。さっそく行ってみた。まず、バスタブにつかって、体をあたためる。それからすっぽんぽん状態で大理石の台の上に寝そべり、垢すりをしてもらうのだが、これがくすぐったい。それが終わると個室に案内される。バスタオルを腰に巻いて待っていると、男が二人現われた。一人はマッサージ担当で全身を隈無く揉んでくれる。もう一人は手足の爪を切り、やすりで磨き、角質まで削ってくれた。その間にも別の男が煙草を勧めたり、コーラを持ってきたりと至れり尽せりである。全行程の所要時間は2時間。いい気持ちで受付に行き、請求書を見せられてびっくり! アメリカン・コミックなら目玉が30センチほど飛び出てたね。 二人分で884元!(その時は友人と行ったのだ)
明細を見ると、爪磨き代はもちろん、コーラ代やおしぼり代までしっかりとつけられていた。そうならそうと、事前に言えよっ!
「高い」と思わず言うと、「タカクナイヨ。ニホンジン、ミナハラッテクレルネ」(日本語)と言うのだが、日本人は納得して払ってんのか?
「もう少し安くならんか?」とねばっていると、従業員が五、六人出てきて無言で圧力をかけてきた。暴力バーならぬ、暴力風呂かいっ、ここは。そんなことだったら、六人の男にチップを計220元もやらんかったらよかったわい。
「女、いらない?」 帰り道で追い討ちをかけるように、またポン引きが声を掛けてきた。(しかも同じ男)
ということで、今回の旅で得た教訓。「インド人と中国人には勝て~~んっ!!」 はいっ、大きな声で皆さんも御一緒にっ! (泣)
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先月に続いてチャイナ旅行記のリターンズです。
この海外旅行記は、平成初期から平成10年代にかけて作成されたので、平成20年代の現在とは違ってきている部分があるのを理解した上でお読みいただければ幸いです。将来的には、この文章も古くなるであろう。
フェスティバルゲートですが平成10年代には営業していて現在は閉鎖されていますが、なんとマルハンが、2013年6月にレジャー施設を建造し開業するそうです。現在は、新規改装の為の準備期間でしょうか?
スパイや忍者はいつでもどこにでも存在していて単純に有名になったかどうか位のようです。
上海も含めて、日本人があまり行かない海外の店は案外、良くないお店というか悪評がすでに知れ渡っていたり何らかの情報が広まっていたのかもしれませんね。実際の所、見積もりをせず(ないしは、価格を把握しないまま)お金を支払うようなことがないようにしないといけませんね。ある程度は、普通の海外旅行記を読んだ上で海外の町を探索してもよろしいでしょう。ドリアン長野の場合、半ばぶっつけ本番であったりします。
そういえば、インドと中国の両国は、10億人以上の人口を抱える国家としても有名ですね。
軽自動車で有名な某S社も、インド進出には今でこそ成功し賞賛されていますが、過去には相当苦労したそうでインド側から追加の投資を求められても拒否をして日本のビジネスのやり方に目覚めさせた過去があったそうです。 そういうこともあってか、日本の民間企業は世界最強とも言われているそうです。実際の所、内容の是非については大別されるかもしれませんが、某T社も自動車の販売台数が世界#1になりましたね。 ご存知のように、販売台数が多くても経営面で厳しく黒字と赤字を短期間で繰り返していたそうですからその辺りでも考える人は多い。評論家によっては、「部品の仕入先を項目別で一本化したのは過失だ。」と主張しています。案外、それなりの待遇で生活をしていると言われている在外邦人が高いお金を海外で支払っているかもしれません。 在外邦人の一部は海外ではリッチでも日本では月並みです。
オマケ
追記 2014年にマルハンがフェスティバルゲート(遊園地)の跡地にパチンコ店を開店させました。又、2015年二月27日にMEGAドン・キホーテ新世界店が開店する予定だそうです。ご存じの方も多いと思われますが、計画が二転三転して現在に至るといった具合です。店舗面積が大きいギャンブルよりも良い商品を買いに大型の小売店に行く人の方が多いかもしれません。 http://www.donki.com
(さらなる追記 私は2010年代と平成20年代を兼ねた時期に何度かMEGAドン・キホーテ新世界店訪問しました。良いお店でした。)
地下鉄にて#2 平成27年2月 2015/2/17(火) 午後 11:57
地下鉄にて
「ゴールデンボンバーの鬼龍院翔ってものまねもできるんやね」
「えっ、そうなん」
「ユーミンのものまねでピアノの弾き語りやってたよ」
「へー、知らんかったわ」
……それ清水ミチコ(^^;;
大阪の地下鉄の特徴。 毎日乗っていれば遭遇するでしょうね。
#25 インド編その1 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 0:27
#25 インド編その1 (リターンズ)
2011-12-01 | Weblog
人間は二種類に分類される、とは巷間よく言われることである。古典的なものでは猫的人間か犬的人間か、流動型か土着型か、果ては野球に熱中する人間かそうでないか、ドアーズを聴いたことのある人間かそうでないか、その伝でいけばこう言えるかもしれない。この世は二種類の人間しかいない。インドに行ったことのある人間とそうでない人間と。私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。――
なんてね、オレは沢木耕太郎かってえの。このようにインドとなると人はテツガクしてしまうのである。私がインドに旅立った(そんなに大袈裟なもんじゃないけど)のは自分を変えたかったからだ。(まだ若かったんです。すいません) その頃の私は私生活で色々とあって、その打開策を旅に求めたんである。旅に出て、人間をひと回りでかくして日本に戻ってくるぞっ! そのためにはやはりインドだっ! と、かようなことを考えていました。(あの、旅行は一週間だけです。大馬鹿野郎です、私は。生きててすみません)
といういうわけでエア・インディアで成田を飛び立ち、私は機上の人となった。(まだかっこつけてる) 機内食とサリー姿の太めで愛想の悪いスッチーにうんざりし始めた頃、ようやくカルカッタ(現コルカタ)のダムダム空港(現在はチャンドラ・ボース空港と改名)に着いた。ちなみにダムダムというのは地名である。殺傷力が高く、残酷なので使用を禁止されたダムダム弾はここの造兵廠で製造されたそうだ。
夜の7時。タラップを降りると、いきなり暑い。じっとしていても汗が吹き出てくる。しかも硝煙というか、焼けたゴムというか、ともかくそんな臭いがする。しかも空港警備員は小銃を持っている。(帰ろう......かな? と少しだけ思いました) 空港ビル内に入ると、国際空港だとは思えないほど薄暗い。空調なんぞはもちろんなく、天井に三枚羽の扇風機がゆったりとハエを追うように回ってるだけ。それにしてもあっちいーな。なんか飲みたい。
「Drinking water」と書かれたプレートが目についたので近寄ってみると、そこには公園にあるような噴水式の蛇口(下から口に向かって噴水する、あれね)がぽつんとあった。なにもこんなもんに仰々しくプレートをつけんでも.......。いや、ここはインドだ。水道水が飲めるだけでもありがたいと思わんとな。入国審査と税関を終え、外に出ようとしたが、そこで足がピタリと止まった。なんと外にはインド人たちが押すな押すなと黒山の人だかり(インド人だからホントに黒い)で出てくる人間を待ち構えてるんである。それはなにも私が有名人なのでサインをもらおうとか、インドの地を初めて踏む日本人を熱列歓迎してやろうとかといった気持ちからでは決っしてない。やつらはタクシーやホテルの客引きである。全員が、俺はこの客引きに命を賭けてるんだ。なんてったって、家族の生活がかかってるからな。かあちゃん、待ってろよ。明日もチャパティ-を食わせてやっからな。そらっ! 金持ちの日本人が出てきやがった。今夜のカモはあいつだ。ぜってえ、逃がさねえぜ、なんて顔をしてるのだ。
ひえ~っ! あいつらの中に出ていくんかいっ! 思わず「ブルース・リー 怒りの鉄拳」でブルース・リーが暴徒と化した群集や拳銃を構えた警官隊に走り出て、飛び蹴りをかますラストシーンが浮かんだね。(おいっ! おもいっきり美化してないか?)
しかし、ここで回れ右をして帰国してしまっては、末代までの恥だし、航空券が無駄になる。よしっ、待ってろよ、インド人! サムライ魂をみせてやるわあ~っ! と、ここで私は、はたと気づいた。興奮してたんで忘れてたけど、旅行会社で今夜のホテルは予約してたんだ。そのホテルから車が迎えに来てるはずだ。そうだった、そうだった。それならいくら客引きが寄ってこようと恐くはない。私は余裕の表情で空港の外に出た。
「ナマステ~、インドのみなさん、アイ・ケイム・フロム・ジャパ~ン」 がっ、!
「ジャパニ! ジャパニ!」 「タクシー! チープ! チープ!」 「ホテル? カム! カム!」 「グッドプライス!!」 「ベリーチープ!!」 ぎゃあ~! うげえ~っ! 「#$%&♀¥!!」
うるさいわいっ! 私はフランスに凱旋帰国したトルシエ監督なみにもみくちゃにされた。(トルシエって、確かフランスだったよな。サッカーに無知なので事実誤認があったら許せ、サッカーファン)
ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。 「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」 「イエス! イエス! イエース!!」 私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」 そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!! (つづく)
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改めて、日本はとりあえず法治国家なのかと思えてしまいますね。実際には、そうでもない時もあります。本当にインド人に私は日本からやってきたと発言したから、インド人にだまされそうになったみたいです。
平成十年代に日本代表のサッカーチームを指揮していたトルシエ氏は、平成22年にテレビコマーシャルに出演されたから健在ぶりをアピールしていましたから、人々の記憶に新しいと思います。(それも今となっては4年以上前だから随分前か?)
空港名(ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港)は現在、変更されているそうです。 人によっては、旧名を発言してしまう人もいるかもしれませんね。
インド旅行は、基本的に暑いといったお話を耳にします。今回もそういった内容です。一方でインドでも北部や標高の高い山間部(世界で最も標高が高い地域のヒマラヤ山脈等)はとても寒いです。日本国内でも沖縄県と北海道では全く天候が違います。それと、同様ですね。
今回の海外旅行記のインド第3の都市コルカタは、どちらかというと北インドの影響が強い地域でインド東部(西ベンガル州)の海に面している暑い町のようです。国の天候に限っては、町によって変わってくるから決め付けるのではなくて、国内の複数の町において、暑い・寒いが混在しているといった考えを持たないといけないと考える所存です。
過去に複雑な出来事があったから東部であっても西ベンガル州になったそうです。言い換えると、東側のベンガル州は現在のバングラデッシュになっています。インド東部であっても西ベンガル州で正しいと認識する事が求められています。1905年には東ベンガルは存在していた。後に戦乱の影響で現在のバングラデシュになりました。
皆様、これからもお願いします。これからのドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
オマケ 二月だから実質的な年度末に新シリーズを始めるのは、陰陽か? 始めであり、終わりであるか?
#26 インド編その2 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 0:58
#26 インド編その2 (リターンズ)
2012-01-01 | Weblog
#26 インド編その2
「グレート・イースタンホテル」の大理石のバスタブにつかりながら私は考えていた。
「カルカッタくんだりまでやって来て、こうやって高級ホテルの風呂にのうのうと入っている場合か。インド8億の民衆の生活を知るためには、やっぱり安くて汚いゲストハウスに泊まって貧しさを肌で感じなければ。民草の中に入っていくのだ。カースト反対! ガンジー万歳!」
お前は民青かっ! と思わず突っ込みを入れたくなるほどの勘違い野郎だ。あえてゲストハウスに泊まる理由があるとすれば、お金を倹約したいとか、居心地がいいとか、貧乏の疑似体験をしてみたい等であって、民衆の生活なんぞ分かるはずもない。 「それはお前の自己満足やろが~っ!」と今の私なら当時の私に回し蹴りをかますところだ。
とにもかくにも翌朝、私はサダル・ストリートに行こうとホテルを出た。インドの中でも最も汚いといわれるカルカッタ。そのカルカッタで最も汚いといわれるのがサダル・ストリートだ。ってことは宇宙で一番汚い場所だ。その界隈にはありとあらゆる病原菌が生息しているという。そこに安宿が密集しているのだ。白人バックパッカーに道を尋ねながら歩いていると、老婆やら子供を抱いたお母さんやらが「バクシーシ(おめぐみを)」と右手を差し出してくるのだが、ギョッとなることもしばしば。指がニ本か三本欠けている。五本ともない人も。ハンセン病だ。あきらかに顔が変型している人もいた。ううっと重苦しい気分になって先を急ぐ。
バックパッカーの間ではその名を知らぬ者はおらず、小説にまでになった「ホテル・パラゴン」に泊まろうと思い、リキシャーワーラー(人力車のようにうしろに人を乗せ、自転車でこいでゆく乗り物がリキシャーであり、それをこぐ人)に場所を聞く。すると横にいた客引きの兄ちゃんに「パラゴンは満室だ。俺の知ってるホテルに案内してやる」と紹介されたのが「キャピタル・ゲストハウス」(一泊60ルピー。当時のレートで1ルピー≒12円とお考えになれば大体の目安となるでしょう)だった。実は、客引きがそこは満室だと嘘をついて自分と契約をしたホテルに連れていき、キックバックを得るのはよくあることだったが、当時の私には知る由もなかった。
生まれて始めて泊まったゲストハウス、キャピタルは冷房なし、トイレとシャワー(水)付き、ベッドのシーツは少なくとも一か月は換えた形跡なしであったが、別に不自由は感じなかった。もう1ランク下がると、トイレとシャワー(水)共同、シーツは少なくとも半年間は換えた形跡なし(南京虫付き)になる。
宇宙で一番汚いサダルは小便横丁という表現がピッタリくる。あっちこっちがぬかるんでいて、あっちこっちにウンコが落ちている。サダルにいるのはビンボー旅行者と物売りと乞食と詐欺師と泥棒と野良犬だ。乞食とそうでない人の境界はきわめて曖昧で、排水溝で体を洗っている人もいれば、道端で寝ている人もたくさんいる。この通りにいれば、いろんな人にやたらと声をかけられる。
「ジャパニ、○リファ○いらないか? ○シ○は?」 「マネー・チェンジしないか? レートがいいぞ、フレンド」「パージャーマー買わないか? 安くしとく。フレンド・プライスだ」 「マイ・フレンド、お土産にサリーはどうだ?」
おいっ、会ったばかりで名前も知らんのにフレンドたあ、どういう了見でえっ。そう、インドでは友だちになるのに時間は必要ないのだ。友だちができないと悩んでる君、インドに行って、友だちをつくろう! 友だちに国境は関係ないのさっ。さあ、君も今すぐレッツ・ゴー・トゥー・インディア!
「ハロー、ジャパニ。インドは初めてか? どこから来た? トーキョー? オーサカ? 俺も日本には仕事で行ったことがある。ヤマモトを知ってるか? 俺の親友だ。何、知らないのか。まあいい。ところで俺の知り合いが店をやってるんだが、寄っていかないか? お前はトモダチだから特別に安くしてやるよ。お金持ってないって? ノー・プロブレム。見るだけ。見るだけならノー・マネーだ。オーケー? こっちだ。ついてこい」
私もインド滞在中に何回も同じことを言われた(違うのはヤマモトがタナカになったり、ケイコになったりするだけだ)。こうして大阪商人も顔負けの狡猾さでうぶな旅行者を店に引っ張り込み、適性価格の何十倍もの値段をふっかけ、最後にはケツの毛までむしり取ってしまうのだ。ああ、恐ろしや、インド人。
私の経験では、アジアでの物売りと物乞いのしつこさランキング第一位はやはりインド人だ。断っても無視しても、どこまでもどこまでもどこまでもついてくる(いやな男にナンパされる女の気分か?)。後年、タイやネパールやカンボジアに行った時、物売りや物乞いのあまりの淡白さに「もっと気合い入れて仕事せんか~いっ!」と思っちゃったほどだす。(つづく)
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インドは、現在(平成23年の時点において)は10億人を越える人口を抱える国家としても有名です。 核兵器を保有しているインド。 将来的にインドは核戦争を戦うのであろうか?
病気についても深刻な状況です。一説によると多剤性耐性結核菌がインドでは猛威を振るっているとも言われています。単純に日本と違って販売の規制が緩いと言われている抗生物質の使いすぎだけではなくて、治療の仕方に問題がある患者が多いからだそうです。日本でも治療の途中で放棄をする患者が多くいるそうです。不況の影響で、8割程直った元重病人ないしは重傷だった患者が医療費を踏み倒す為に病院から逃亡する事例は少なくないと言われています。 こういった行動は治療費の踏み倒しだけが問題ではなくて、病原菌を拡散させる行為なので辞めていただきたいのが本音です。
国内産業の保護につながるか否かは不明ですが、スズキ自動車がインドでの商売で成果をあげているようです。インド人が理不尽な要求をしてきた時には否定を躊躇しなかったのが成功した要因だったようです。実際の所、日本国内の工場との競争がございます。従って会社内の海外工場とはそういったやり取りが必ず発生します。昨今のような状況ですと日本の工場からだけではなくて将来的にはインド製の自動車も日本国内で一般的に販売される可能性は否定が行えません。
今までは単純なお笑いエッセイでしたが、インド編については全く笑えないお話が幾つも平成十年代に発表されました。そして、2010年代になって再発表しています。
確かに是非は大別されるかもしれませんがカレーライスの原材料の香辛料ばかりかアパレル商品もインド製が増加して日本で販売されるようになってきました。
こういった海外旅行記を読むことで日本の長所を再認識された人々も多いと考えます。
平成20年代になって幾分、経済が良くなったかもしれないインドですが、恐ろしいお話については、次回のリターンズでお伝えします。
x#27 インド編その3 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 1:11
#27 インド編その3 (リターンズ)
2012-02-01 | Weblog
#27 インド編その3
at 2003 11/28 21:37 編集
インドはいうまでもなく暑い。めったやたらと暑い。気温は、少なくとも香港風邪にかかって病院のベッドでうんうんうなっている重病人の体温よりは高いのは間違いない。歩いていると熱風に包まれたようになって息が苦しいし、脳みそが沸騰してくるので難しいことは理解できなくなってくる。そんな炎天下で男はクルターとパージャーマーの上下、腰巻風のドーティーやルンギーといった服装が多いが、女はどこへ行ってもどんな時でもひたすらサリーだ。道路工事や建築現場でも男に混じってサリー姿の女が土の入ったざるを頭の上に載せて運んだり、レンガを積んだり、ツルハシで穴を掘ったりしている。労働するからちょっとTシャツとスパッツに着替えてくる、というわけにはならないのだ。インド初の地下鉄がカルカッタで一部開通したが、地下鉄工事中も機械を導入する資金がないのでサリー姿の女性を含む人夫たちが手作業で労働に従事していたそうだ。他の国からはあの調子では開通するまでに100年はかかると言われていたぐらいである。そのありがたい地下鉄に私も乗ってみることにした。全線1ルピー。電車内は信じられないことに冷房が入っている。冷房ぐらいは当たり前かもしれないが、ここはカルカッタである。天井で回っている三枚羽の扇風機でもおかしくなかったのに。快適。喧噪と灼熱地獄の地上とは別世界だ。その地上へと昇っていくエスカレーターの前では男の子の手を握ったお父さんが必死になっていた。小さい頃、初めてエスカレーターに乗ろうとした時を誰もが覚えているだろう。動くステップに一歩を踏み出すのはなかなか難しいんである。お父さんが恐る恐る足を出す。タイミングが合わなくてつんのめりそうになる。もう一度足を出そうとするが、次々とせり出してくるステップが恐くて躊躇する。その横では奥さんが「あなた、がんばって」という顔つきで見守っている。そのうしろでは大勢のインド人が「落ち着けよ、あせるなんじゃないぞ。それっ、今だ」というような面持ちで真剣にお父さんを見つめている。小さな子供ならいざしらず、大の男が必死になっているのが笑える。インド人にとっては初めての経験だもんなあ。それはインド人のしつこさに辟易していた私にとって、今思い出しても頬のあたりが「むふふ」とゆるんでくる唯一の光景だった。
終点で降り、カーリーガート寺院内にあるマザー・テレサの施設「死を待つ人の家」に行く。友人から言付かった医薬品をシスターに渡し、布に包まれた遺体をみんなで運んだ。帰りにカルカッタのメイン・ストリート、チョーロンギー通りを歩く。ここは世界一の人口過密都市と呼ばれるカルカッタにおいてもさらに人の行き来が激しい。夜になると明かりが少ないので、気をつけてないと人とぶつかるのはもちろん、往来に寝ている乞食を踏んづけてしまうこともある。その日もスリに注意しながら歩いていたのだが、いきなり、という感じで通りのまん中に10歳くらいの少年が寝ているのを見つけた。通行人はその少年をじろじろ眺めたり、一瞥しながら通り過ぎて行く。少年には両腕がなかった。上着を着ておらず、本来なら腕の付け根がある場所に赤黒いケロイドの皮膚が少し盛り上がっていた。少年は怒りも恥ずかしさも悲しみも感じさせない無表情な眼でただ空を見ていた。彼は一日中そうやって寝ているのだろう。しばらく見ていたが、彼にパイサやルピーを投げ与える者はいなかった。日本に帰ってから知ったのだが、本当に貧しい親は子供を不具にしてしまうそうだ。そうすれば子供は物乞いとして生きていくことができる。その少年がそうなのかは分からないが、私はやり切れない気分だった。
人間はどんな環境においても順応していける動物だと私は思う。単純に貧しいから不幸だとか、豊かだから幸福だとかを言うことはできない。先進国にも苦しんで自ら命を断つ人はもちろんたくさんいるし、後進国から先進国の人間を見て、自分にはとてもじゃないがあんな生活はできないと思うこともあるだろう。幸福感というのは主観的なものなので、インド人が皆不幸であると思い込むことは先進国の人間が皆幸福であると思うのと同じくらい愚かなことだ。確かにインドは限り無く貧しいし、不衛生で識字率も低い。障害者も多いし、今もカーストやサティーやダウリー(注)という文化が存在している。悲惨だと言う人もいるだろう。しかし、同カースト内では相互扶助的に生活しているという例もあるし、サティーに至っては自ら進んで殉死する寡婦もいる。まるで藤子・F・不二雄の「ミノタウロスの皿」だ。それはパラダイムの見直しであり、「人権」というタームでは火の中に身を投じる寡婦を止めることはできない。我々の文化で彼らの文化を計ることはできないし、かといって全ての文化は等価だと言うこともできない。けれど少なくとも、もし、今度生まれ変わるとしたらインドと日本とどちらがいいかとインド人に聞いたら、ほとんどが日本だと答えるんじゃないか(今の私だったら必ずしもそうだとは思わない。その時代のその国に生まれて後天的に形成された言葉をも含む共通の価値観はそう簡単には越えられないからだ。日本人がアメリカに生まれたい、と思うこととは違う)。私はインド滞在中、ずっとそんなことばかり考えていた、っていうか考えられずにはいられなかった。それほどまでに当時の私にとって、インドはカルチャー・ショックだった。(つづく)
注 サティー 夫に先立たれた妻が夫の遺体と共に生きながら火葬される習慣。法律では禁止されたが、なく なったわけではない。
ダウリー 花嫁の父から花婿に贈られる財産や持参金。ダウリーが少ないために姑に嫁が殺されたり、親の負担を案じて自殺した姉妹もいる。なお、カーストはポルトガル語、ダウリーは英語から来ており、それらを表わす言葉自体インド語には存在しない。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
内容が内容だけに幾つか存在しています。インド国内は日本国内と同様に北海道の気候と沖縄県の気候が全く違うように極寒のヒマラヤに近い北部の標高が高い山々と赤道に近接しているスリランカに近い南部とは全く気候が違います。どちらかと言うと、今回はインドでも熱い町のカルカッタの海外旅行記です。
平成十年代のインドでは、エスカレーターに不慣れな大人がいたようです。 地下鉄が出来たのはそれだけ街の経済発展の証拠です。日本でも地下鉄の建設が行われた昭和の時代には手堀が行われていたそうです。
自分の手で歯磨きも食事も行えなくなった10歳のとてもかわいそうな少年には再生医療が必要であるばかりか彼の両親には制裁が必要です。日本人の両親は一生懸命になって仕事をしている。無論、専業主婦の奥さんもおられます。日本国内における平成の親御さんは不景気でとても辛い思いをされています。
残念ながら一部、ロクな説明もなしに寡婦に対して経済的な援助を事実上求めてくるがゆえに、人の良心につけこむような人も日本にはいて大変困った事がありました。迷惑をかけてきた後だったから気分を害したので彼等に対しては自己責任で生活してもらいたいし他の寡婦が真面目に労働してる点を軽んじてるみたいで嫌悪しました。乏しい家庭であれば少しは考慮しますが乏しくないから説明を拒否したと思います。彼等一家は毎日ステーキでも食べてるのでしょうか?責任を果たさずに金銭を要求されるのは強要のようで否定する点についてはやむを得ないのではないでしょうか?
一方で、ドリアン長野はマジメに労働し家族をやしなっておられます。
幸福論については、各自でお考え下さい。経済発展が継続していてインド企業が鉄鋼の分野で世界一であったり英国の自動車会社を傘下に収めた話もあるにはあるがまだまだ苦労が継続するようです。近隣諸国との戦争が勃発する恐れの噂についても頻繁に見聞きします。日本とインドを比較して何が幸せなのかは、繰り返すようですが各自でお考え下さい。とても難しいです。 スズキ自動車もインドで苦労したから今のインド国内での成功があるんです。
これが、世界の現実かもしれません。観光客向けのお店に行ったりおいしい食事をしたり楽しいスポーツをしたりだけではなく、奉仕活動で海外に行く人もいるんです。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
およそ今から3年前に行ったご連絡 平成27年二月
2015/2/18(水) 午前 1:15
平成24年2月中旬に行った管理人マーキュリーマークからの御連絡
2012-02-15 | Weblog
これらの海外旅行記についてなんですが、ドリアン長野が実際に海外旅行をしてきた記録です。但し、かなりいい加減であるばかりかお笑いエッセイなので脚色を加えている部分も少なくありません。
実質的に海外旅行記につきもののお話の中に支払い方法が分からずに右往左往するお話もございます。
又、90年代から平成十年代の海外旅行記なんですが一部に80年代の海外旅行記も含まれていますが当方としてはそれは、事実上90年代の旅行記と考えています。
(追記 実際には昭和末期から平成20年の海外旅行記になります)
価格等も過去の記録ですので現在の通貨価値とは全く違っていますので参考程度に留めてください。 お気楽に肩の力を抜いてお読みいただければ幸いです。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
#28 インド編 その4 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 1:26
#28 インド編 その4 (リターンズ)
2012-03-01 | Weblog
インディア・エアラインでデリーにやって来た。空港から市内行きのバスに乗る。運転手と客のやり取りを聞いていたのだが、ヒンディー語だと思っていたのが英語だと判明するのに30分かかった。ちなみにインド英語の特徴は th をタと発音し、R をはっきりと発音する。だから thirty はターティーとなり、master はマスタルになる。
その運転手にホテルを紹介してもらい、宿泊した翌朝のこと。起きると下痢と頭痛と悪寒とおまけに脚の関節まで痛い。これは赤痢かコレラか肝炎か。インドの地で客死したら骨はガンジス河にまいてくれ。後は頼む、って私は一人旅なので自分で何とかせんといかんのだ。食欲はないが、喉がやたらと渇くのでメイン・バザールでミックス・ジュースを飲む。路上のジュース・スタンドなのだがこれがものすご~くうまいのであっちこっちで10杯ほど飲み倒す。
1月の北インドの朝は寒い。栄養不良のせいもあって毎年、路上生活者が凍死するほどだ。それでなくても寒気がするのでセーターを50ルピーで買う。もう値切る気力も残っとらん。それにしてもニューデリー駅前って敗戦直後の日本の焼跡地みたいだ。朝になるとみんなが路上の至る所で商売用か自炊のための火をおこし、わらわらと人や野良犬や野良牛が集まり始め、その人ごみの中をタクシーやリキシャーが縫うようにして通り抜けてゆく。道端では男たちが座り小便をしている(なぜかインドの男たちは座って用を足すのだ)。
メイン・バザール(バハール・ガンジ)はその駅前にある、安宿や食堂や映画館や雑貨屋等が立ち並ぶ通りだ。今日の夕方にはベナレス行きの列車に乗らなければならないので、駅のクロークに荷物を預けてからうろうろしようと思っていたのだがっ。だっ、駄目だあ~。苦しい。もう一歩も動けん。このままでは死ぐ。ホテルで休ませてもらおうと日本人に人気の「ホテル・パヤール」に行き、「2、3時間やずまぜで~」と息も絶え絶えに頼むと心良く了承してくれた。「だけど一泊分の料金はもらうよ。30ルピー」と付け加えるのを忘れなかったが。
屋上の部屋に案内される。隣の部屋の中年の日本人はインド滞在2か月だそうで、パチパチとタイプライターを打っている。屋上のデッキチェアで昼寝をしに来た日本女性三人は「あの人(私のこと)、病気なんだって。私、薬持っていてあげよう」と話をしていた。私はベッドで苦しみながら期待して待っていたのだが、来なかった(おいっ)。
しばらく横になった後、ホテルを出て駅に行く。預けていた荷物を引き取ろうとすると、クロークのおっちゃんが、「4時15分にならないとここはオープンしないよ」とぬかす。冗談じゃねえ。おれの持ってるチケットは10分発なんだよ。だから開けてくれ、開けろってんだよ。開けろ~っ! 頼む、開けてちょうだい。ね、少しだけだから。開けてくださいまし。開けてくれないと困っちゃう~。開けてったら開けてぇ~。ねえったら、ねえ~ってば~。とすごんだり、すかしたり、傍らのインド人も見かねて加勢してくれるのだが、おっちゃんは「駄目だ」の一点張り。普段は「いいかげん」を絵に描いて額に入れて壁に飾って一人50パイサでお金を取って鑑賞させるほどルーズなインド人がどうしたってんだ。結局、発車時刻を逃してしまった。しかし、インドの列車は10分、20分の遅れは定刻のうちで、平気で4、5時間遅れることはざらにあるとは後で知ったこと。この時も私の乗る列車がまだ到着してなかったことは充分考えられる。とにかくプラットホームに出て、そこら辺の人に次のべナレス行きの時間を聞いてみた。でも8時半だとか11時だとか1時とか人によって言うことが違う。窓口で聞こうにも大勢の人間が殺到していて、下痢と発熱で弱っている私にはそこへ突っ込んで行く気力はもはや残っていなかった。
「インド、あんたの勝ちや」 私はへなへなとその場にうずくまった。「何でインドなんかに来てしまったんやろ~。もし生きて日本に帰ることができたら、今度はハワイに行くぞお」とわけの分からんことをうわ言のようにつぶやいている私に、「どうしたんだ?」と一人のおっちゃんが声をかけてきた。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
このインド旅行記は周知のように90年代ないしはそれ以前の旅行記です。
やっぱり言葉の壁は大きいようです。ドリアン長野自身は英会話が行える人物ですがインド英語は難しく感じたようです。
また、日本国内に居住していても普段から納豆やヨーグルトを食べて胃腸を健康に保つようにするべきだと思います。アレルギー性胃炎という恐ろしい病気も存在します。
インド北部の寒い地域で下痢で苦しんだとしたらもしかするとノロウイルスかもしれませんね。文面から考えるに公の場でノロウイルスが拡散されている恐れがあります。
ミックスジュースですがバリューローソンで1リットル¥108(増税されましたね)でおいしいミックスジュースが販売されているので私はそれを買いたいですね。
インドは、日本と同じ様に北部と南部で気候が全く違います。インド北部と言えば極寒で有名なヒマラヤ山脈が有名です。ヒマラヤ山脈が有名だから東北と北海道を除外した日本国内の多くの町で店舗展開をしているスポーツ用品店のヒマラヤが命名されたと思います。岐阜を始め47都道府県中30以上の町で出店していたら日本国内で有名と言っても言い過ぎではないでしょう。実際には31の町でヒマラヤさんは営業されている(平成24年1月現在)。
インド南部と言えばスリランカよりの南部パンバン島が有名でとても暑い町であるのは想像に難くありません。
インド人は公表している時刻表については守らないようですが、日本人の場合は時刻表を守ります。一方で日本人はかけ声倒れが好きというか提案だけで実行(今回は人助け)しない人も多くいます。
次回、一人の男性がドリアン長野を助けるかどうかはご期待下さい。実はすでに発表されていますけどもね。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
#29 インド編その5 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 1:29
#29 インド編その5 (リターンズ)
2012-04-02 | Weblog
2003 12/12 22:38
事情を話すとおっちゃんは「べナレス行きの列車は今日はもうないから、チケットをキャンセルすればお金が戻ってくる」と言う。おっちゃんに連れられて案内所に行って聞いてみると「国際外国事務局」なる所で明日払い戻しをしてくれるそうだ。やれやれ、とにかく戻ってきたお金で新しくチケットを買い直そう。おっちゃんは「ついてこい」と手招きをする。この時点でも私はこのおっちゃんを信用していたわけではない。だが、今にも倒れそうな状態であれこれ詮索するのも面倒だったので、大人しくついていくことにした。
駅から5分ほど歩いた場所に旅行会社のオフィスがあり、おっちゃんはそこに入っていく。ここの社員らしい。オフィスで少し休憩してから、リキシャーでおっちゃんの紹介してくれた「ホテル・アトランタ」に行く。ゲストハウスではなく中級ホテルだが、一泊80ルピーと、そう高くはない。おっちゃんは従業員と少し話しをすると帰っていった。部屋に案内してくれた従業員の兄ちゃんに「私は病気である。だから大変苦しい」と言うと、その兄ちゃんは驚いていろいろと世話をしてくれたのだが、その世話が半端じゃなかったんだよ。毛布を持ってくるわ、食べ物を運んできて食べさせてくれるわ、医者を呼んでくれるわ、薬を飲む時間になると水まで持ってきて飲ませてくれた。彼は夜勤なので明日、自分の代わりに私の世話をする人まで頼んでくれた。うっうっうっ。インドでこんなにも人に親切にされるなんてえぇぇ~。私は彼に何度もお礼を言い、やがて眠りに落ちるデリーの夜8時なのであった。
翌朝は6時に起床。下痢はまだ続いていたが、熱は少し下がったようだ。8時半にべナレス行きの列車が出ると聞いていたので、急いでチェックアウトをする。駅で窓口に割り込んでくるインド人たちと死闘を演じたあげく、やっと二等寝台車のチケットが取れた(100ルピー)。ホテルに戻り、フロントで昨夜の彼に渡してくれと、迷ったが10ルピー差し出した。せめてもの感謝のつもりだったが、あれから10年以上立つ今でもふと思う。あの10ルピーは彼の手に渡ったのだろうか? やっぱり、渡っていないような気がするな。
駅で昨夜のおっちゃんに出会った。おっちゃんは「いいか、事務局でチケットを見せれば大丈夫だからな」と言って、風を巻くように去って行った。うっ、かっちょいい。私にはおっちゃんの後ろ姿が高倉健に見えた。そして警戒心のせいで無愛想にしたことを激しく後悔した。親切で話しかけてくる人とそうでない人を見分けるのはとても難しい。今日でも構内をうろうろしていると、いろんな人が話しかけてきて教えてくれたのだ。それでもいい人だと思って気を許せば、騙されることもしばしばだ。結局、旅行者は騙されてボられながら旅を続けていくしかない。絶対ボられまいと肩ひじ張った旅は面白くないし、旅行者は基本的にその国にとって客人だから通行料だと思えば少しくらいボられても腹は立たん(と思えるほどの大人になりたいわっ!)。
しかし、それからがまた大変だった。事務局で聞くと、8番の窓口に行けと言われる。へい、さいですかと8番に行くと13番に行けと言われる。13番に行けば14番に行けと。ああっ、たらい回しだあ~っ。病み上がりの体でひーひー言いながらうろうろしていると、一人の男がここで聞けと13番と14番の間の小さな窓口を教えてくれた。こうしてやっとの思いで払い戻された大枚188ルピーを握りしめ、いつ出発するとも判然としないインド列車に備えて出発(あくまでも予定)時刻の3時間前からプラットッホームで待機していたのであった。青年は荒野をめざす。いざいかん、聖地ベナレスへ! でもここから18時間かかるんだよな。
二等列車に乗り込むと、その中はインド世界を凝縮したような騒々しさである。立錐の余地もないほど混み合ってる車輌にヤギを連れ込むやつがいるし、物乞いがお金をせびりに来たかと思えばおひねりをもらいに歌を歌いに来る人もいる。ガキどもは「バクシーシ」と遠慮なしに手を差し出してくる。こいつら絶対、無賃乗車だな。ななめ前に座っていたおじさんが「chinese?」と聞いてきた。それからこのおじさんが喋ること喋ること。よく分からないインド英語で、俺はガス会社に勤めてるとか東京と大阪にペンフレンドがいたとか、延々とまくし立て、それを回りの乗客が興味深そうに見ている。何時間かして、車掌が検札にやって来た。私のチケットを見て、「この車輌じゃありませんよ」と言う。おじさんが降りる駅で一緒にホームに降り、ポーターにチケットを見せた。 「ついてこい」(インドではこの言葉をよく言われるなあ) そう言うとポーターは私のリュックを肩に担ぎホームを走り出した。列車がどれくらい停車しているか分からんが、乗り遅れたらベナレスはおろか日本に帰ることもままならん。私は必死に走った。こんな時でもなぜか走りながら夜空を見上げ、月がきれいだなあ、なんて思っていた。ポーターの指し示した車輌に飛び乗ると同時に列車が動き始めた。お礼にと彼に1ルピーを渡そうとしたら、受け取ろうとしない。誇り高い人だなと思ったら、「パイサはいらない」と言っている。よく見るとそれは1パイサ硬貨だった。あわててポケットから50パイサを3枚つかみ出し、放り投げた。はあーっ。
疲れ果て、三段寝台の中段にもぐり込み、泥のように寝る。下痢は依然として続いていた。いろんなことがあったような気がするが、インドに来てからまだ4日目なのであった。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
まず始めに今回のインド旅行記を読まれた方々に伝達しますが、この旅行記は90年代かそれ以前の旅行記です。2003年(平成15年)に始めて発表された時点で10年以上前と主張されてます。この旅行記はある意味、アウトレットです。時々、どこかの国の国営放送も大過去の旅行記を放映していますね。それと似たようなものだと考えてお読み下さい。
インド国内であっても病気で苦しんでいる状態であっても地獄から天国へと行ったようなお話でしたね。親切な人がいるかと思えば全然ダメな人も混在している状況です。法治国家は素晴らしいですね。そればかりか、旅行代理店がそれなりの仕事をしているからここまで大変な個人旅行にならないのかもしれません。
しかしながら、日本国内においても行き先が不明瞭な駅が多いのが現実です。なかもず駅(地下鉄)というか中百舌鳥駅(南海と泉北高速鉄道を兼ねた駅)がその典型例かもしれません。ご存知の方も多いでしょうが南海と泉北高速鉄道は同じ車両を利用している場合があるから紛らわしいです。平成十年代のある日、中百舌鳥駅で案内をした経験がありました。地方から大阪府に住んでいる息子さんに再会する為にやってこられた親御さんから質問されましたの案内をしました。私はこの時、彼等とは行き先が違っていたので電車の中では話をしませんでした。彼は、その時娘を連れてきていたから親子で大阪に来られていました。
電車を乗り間違えると怖いですね。千葉県の西船橋駅のように恐ろしい駅がございます。乗り間違えると余裕で30分以上は目的地に到着するのが遅くなります。理由は、電車の本数が少ないからです。しかし、ホーム数が多くて12番ホーム迄存在しているから乗り間違えると試練です。千葉県民の間では有名なお話らしく西船橋駅については爆笑する千葉県民の男性や呆れる千葉県民の女性が居られました。
日本国内で外国人が電車に乗っているのはよくあることで英語が喋れたら長話になることが多いですね。相手が英語を喋れない場合は片言の現地の言葉で終る場合が私の場合は多いです。喋るよりも書籍を読んでも良いかもしれませんね。 過去の時代だけあって、ペンフレンドがいたというのがインターネットによる技術革新を感じさせますね。今ではe-メール、ツイッター、フェイスブックと変化してきていますね。
海外旅行に行く時には胃薬、常備薬、(アレルギー性胃炎の為に)抗ヒスタミン剤等を忘れずに持っていった方が無難でしょうね。国内旅行の時もそうかもしれません。日本国内でも広大な住宅街に赴くと恐ろしいですよ。建物が多くあっても助けを求めにくいですからね。
ご存知の方も多いでしょうが果たして目的地のベナレスにドリアン長野は行けるのか?
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
2006 07/06 23:53から2007 09/04 01:09にかけて掲示板で発表された記事
平成27年2月
2015/2/19(木) 午前 2:18
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
人は時に本当に大きな決断を下す時がございます。 平成10年代は平成20年代ではないのを改めて実感します。
平成10年代に存在していたgoo簡単ホームページは現存しておりません。従ってgooブログに移転させました。そればかりか2014年3月10日を持ってgooメールの無料版も終了しました。そこから導き出した結論はヤフーブログへの移転(転載)です。地味な作業の結果、何とかして移転は一応、終結しました。その後でリターンズと銘打って平成10年代に発表してた海外旅行記に私の感想文や現状との比較等を付加して発表しました。今後はgooブログは何らかの特別な連絡ないしはツイッターの反映だけにするつもりです。平成27年4月1日以降はこちらで月に一回程の割合でフェイスブック上の新作の転載をしていきたいと考えてます。
移転(転載)の期間は短期間であったしそういう時に限って私が体調不良になったりと大変でした。ある機会があってこの一件についてドリアン長野と会話してたら貴重な時間を無駄にする愚か者達が話の邪魔をしてきたりして気分を害しましたね。邪魔してきた人達がマトモと考えてるならば「無神経だから是正を求める。」と言いたいです。保安上の問題もありましたからあまり話したくないし関わってもらいたくありませんでした。
全く違う意味で大きな決断と言えば、平成19年にドリアン長野は結婚しました。平成18年頃から少し忙しくしてたと思います。平成20年頃にタイランド旅行記を夫婦でされて平成25年に海外旅行記を発表してました。恐らく未完の大作で終了しそうです。
上記二点(前者はgooブログへの移転 後者はドリアン長野の結婚)を除外したら良い企業の紹介や簡単ホームページの色の変更等ですので雑多な部分については肩の力を抜いてお読みいただければ幸いです。
最後にお伝えしますが民営企業であるからには利益を出す事が求められる点は否定しないがそれなりに高い標準が求められると考える人は多いと思います。今となってはツイログとヤフーブログが存在してるので仮にgooがサービスを辞める事になってもそれなりの対応が行えるようになりました。まぁ事実上のミラーサイトが存在してるとお考えください。
また、紹介するにしてもヤフーブログ上ではブックマーク等が少し難しいこともありますのでほとんど行ってません。gooブログ上では推奨が行える高い標準を満たしたホームページについては紹介してます。色々とありまして、心苦しい決断を過去に行いました。申請があった前例もございます。全く逆の出来事もございました。平成24年にドリアン長野に実際に出会って下した決断もございました。詳細は述べられないがこちらは霊的に過ごしたいので私とドリアン長野の決断については甘受してもらいたいのが本音です。恐らく、将来的に何らかの変更をされる時にドリアン長野の海外旅行記の紹介が行われなくなっても一向に構わないので今後は関与しないでもらいたいです。
オマケ
私はタイランドに存在してる7月22日ロータリーという名称には驚きました。
追記 まさか、yahooブログがサービスを2019年12月に取りやめるからブロガー版に移行させることになるとは思わなかった。ま、邪魔が入らないだけ良かった。(笑)
2006 07/06 23:53から2007 09/04 01:09にかけて掲示板で発表された記事
2007-09-14 | Weblog
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 09/04 01:09 編集 返信
御連絡
皆様へ
ぼちぼちと移転作業は進んでいます。
部屋が汚いダラズに連絡
私はがんばっていますよ。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 08/18 23:25 編集 返信
ダラスはアメリカの都市
確認したら即メール下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 07/31 19:53 編集 返信
続きなんだけど…
多忙だと思われますが、時間もあって無いような状態ですので、早急に一度、お時間を下さい。
幾つかの道が用意されています。どうしましょうか? 一応、ある程度の選択肢を伝えたので、方向性については考えておいて下さい。継続するにしても様式等が変わるということです。
決してこれは、ジョークでもなければ、嘘でもありません。
結論をお伝えすると、変更の決断が迫られているということです。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 07/31 19:48 編集 返信
超重要<大問題発生>~とりあえず、連絡を下さい~
goo事務局からのお知らせ
goo 簡単ホームページサービス終了のお知らせ[2007/07/31]
日頃より「goo 簡単ホームページ」サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。
2000年12月よりご提供させていただいた「goo 簡単ホームページ」サービスの提供を、
この度2007年9月30日をもちまして終了させていただくこととなりました。
goo簡単ホームページをご利用のお客様におかれましては、突然のお知らせとなります
ことをお詫び申し上げるとともに、長年ご愛顧いただきましたこと心より御礼申し上げます。
なお、サービス終了に向けては、以下のスケジュールで進めさせていただきます。
■スケジュール
------------------------------------------------------------------------
◎7月23日(月):
「goo 簡単ホームページ」新規登録受付終了済
◎7月31日(火):
「goo 簡単ホームページ」から「OCN Cafe」への「日記」データ移行ツール 提供開始
◎9月30日(日)
「goo 簡単ホームページ」サービス終了
■サービス終了後の日記、ホームページの利用について
------------------------------------------------------------------------
◎400種類を超える豊富なデザイン、大容量(最大1TB)の写真や動画、豊富な絵文字など
初めての方にも分かりやすい無料の「goo ブログ」をご利用ください。
現在「gooブログ」では新規でご登録いただいた方へお得なキャンペーンを実施中です。
◎「goo 簡単ホームページ」の「日記」データを「OCN Cafe」に移行し、「OCN Cafe」
でホームページ作成を続行することができます。以下の移行手順をご参照ください。
■OCN Cafeへの日記移行ツールについて
------------------------------------------------------------------------
「goo 簡単ホームページ」の「日記」データを「OCN Cafe」に移行し、 「OCN Cafe」
でホームページ作成を続行することができます。
移行手順は以下の通りです。
(1)OCN Cafe新規登録を行います(※既にご登録済みの方は(2)へお進みください)。
(2)日記データ移行受付画面にアクセスします(※簡単ホームページログインが必要です)。
(3)OCN Cafe IDとOCN Cafeパスワードを入力し、[確認]ボタンをクリックします。
(4)[移行する]ボタンをクリックします。
以上で移行の受付完了となります。受付から最大48時間以内に日記データの移行を行います。
■日記移行ツールご利用の注意点
------------------------------------------------------------------------
OCN Cafeへの日記移行ツールの際は、以下の点にご注意ください。
※アップロードした画像、および日記以外のデータは移行されません。
※日記の本文中に書かれたHTMLタグは無効化されます。
※絵文字は移行することができません。
※1つのgoo IDから1つのOCN Cafe IDにのみ日記データを移行できます。
※移行先に日記のデータが一つでも存在する場合は移行を受け付けることが
できません。
※移行が完了した後に、goo簡単ホームページへ書かれた日記はOCN Cafeへ
移行することはできません(移行操作は1回までとなります)。
■OCN Cafeサービス概要
------------------------------------------------------------------------
OCN CafeはOCNが提供する無料のコミュニティサービスです。趣味や興味が合う人同士が、
サークルを通じて交流したり日記を公開することができます。「goo 簡単ホームページ」
の日記を移行できますので、この機会にぜひご登録ください!
▼OCN Cafe新規登録はこちら
https://cafe.ocn.ne.jp/tool/regist.cgi
▼OCN Cafe詳細はこちら
http://cafe.ocn.ne.jp/ ;
------------------------------------------------------------------------
【※ご注意】
9月30日以降、ユーザーの皆様のホームページの閲覧・編集は一切行うことができません
ので予めご了承ください。皆様のデータは各自保存いただくか、OCN Cafeへの日記移行
ツールをご利用ください。
------------------------------------------------------------------------
「goo 簡単ホームページ」をご愛用いただきました皆様には大変ご迷惑をおかけいたします。
何卒、ご理解賜りますようお願いいたします。
これまで長い間ご愛顧賜り、誠にありがとうございました。
スタッフ一同、心より感謝いたします。
今後とも、gooでは皆様に安全で快適にご利用いただけるサービスを提供して参りますので、
引き続きご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。
■お問い合せ
-
To at 2007 07/07 10:17 編集 返信
追加情報
Travelコーナーに一件追加しました。皆様、お楽しみ下さい。
今回は、借金のお話です。
又、下部に次のページが読みにくいかもしれませんが存在しています。 過去に発表した内容はそちらをクリックしてください。
*補足
<某TV番組の説明>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%8A%E8%B2%B7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6
From 元管理人 To at 2007 06/04 00:28 編集 返信
カンボジア製
半分どうでもいいかもしれないけども、カンボジア製の商品を幾つか私は、所有しています。
単パンというか半ズボンのような海パンに、裏地付きのジーンズとチノパンツです。
それだけ、経済復興が進んでいるようです。 違った観点では、原油の使い過ぎかもしれないけど…
題名とは違う内容だけど、Travelコーナーで一件追加しただけで、たくさんの閲覧者がおられましたね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 06/03 00:50 編集 返信
報告と日本の現状
Travelコーナーにおいて、月例の一件追加をしました。
皆様、お楽しみ下さい。
日本でも似たような御商売をされておられますが、カンボジアであって日本の現状とは全く赴きが異なってきますので、その点は皆様ご勘案ください。
要は、果物のミキサー商売は東南アジアではダメでも日本では問題が無いということです。
私も以前、ジューサーバーにて販売されているジュースを購入しました。 とてもおいしく、一切問題ありませんでした。
http://www.juicerbar.com/
皆様、彼が社会人になって勉学に目覚め休日に十時間勉強して難関の某KS大学に合格した後に、カンボジアで下痢になって中退されたお話の感想文は、BBSで書き込みください。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/27 21:10 編集 返信
LinksとLog
LinksとLogの両者を一部変更。
前者は、AZさんのホームページ。
後者は、色変更。
来月になったら、Travelコーナーに追記予定。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/07 22:31 編集 返信
メインの部分を少し変更
色々と考える所があり、変更。 どこかの球団のような感じだったからなぁ。
水色だったら大丈夫。 思っていたよりかは、読みやすいし…
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/06 00:36 編集 返信
2007ゴールデンウィーク最後の更新?
Linksの部分で少々、調整。 多少ですけどもね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/02 23:05 編集 返信
2007年ゴールデンウィークの更新情報
a.本人自身がDiaryコーナーにて、原稿を出版社に渡す過程で遅延が発生した悪影響から今年の発売予定から来年二月に著書の販売がずれ込む事を発表。
b.Travelコーナーにて追加発表。
c.Linksコーナーにて追加。
皆様、よい黄金週間をお過ごし下さい。
From 元管理人 To at 2007 04/17 19:05 編集 返信
追加
Travelコーナーに一件追加。
本編でも伝達しましたが日時等について過去の詳細な記録がありませんので適当に日付けの部分は選択しました。 皆様、ご了承下さい。
~個人的に驚いた事~
7月22日ロータリーというのは、タイランドでは有名だそうです。 そうなんです、タイにある、ロータリーの名称が『7月22日ロータリー』との事です。 詳細は、こちら。
http://www.e-guide-books.com/bkk/syuyouspot/kankou1.htm
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 04/11 00:50 編集 返信
白にしようとしたが黒に変更
題名通り。
テキスト(本分)を白にしたら、CDコーナーが読みにくいので、黒に変更しました。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 03/27 15:31 編集 返信
リンク先追加
西原理恵子公式サイト鳥 頭 の 城を追加しました。
皆様、閲覧してみてください。
From はじめかんりにん To durian-nagano@goo at 2007 03/26 20:58 編集 返信
感動
適当にインターネットを閲覧していたら、素晴らしいホームページに遭遇。
以下は、そのアドレス。
http://www.mormon.org/welcome/06929403-500.html
地味にバナー広告を出している、みたい。
From とりあえず To at 2007 03/23 14:40 編集 返信
ある動物
http://www.youtube.com/watch?v=ym5HXo1meQU
<object width=425 height=350><param name=movie value=http://www.youtube.com/v/ym5HXo1meQU></param><param name=wmode value=transparent></param><embed src=http://www.youtube.com/v/ym5HXo1meQU type=application/x-shockwave-flash wmode=transparent width=425 height=350></object>
From エヘヘヘヘ~ To durian-nagano@goo at 2007 03/17 00:12 編集 返信
ミラクル
元管理人です。
なんか、昨晩、ちょっとこうおかしな事が続いていたりしました。
メールサーバーに問題が発生したりとかぁ、飲食店で異物混入とかぁ、水が拭かれていないお皿で餃子が出てきたとかぁ、だけど、本当に強烈なのは、あなたの結婚がほぼ決まった事と、ファクトリーミュージックさんも結婚が決まった事かな?
脱力しています。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 03/11 16:16 編集 返信
思い出すよなぁ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070311-00000024-nks-ent
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 03/02 21:36 編集 返信
Linksに一件追加
題名通りです。
ひょっとしたら、本日のこの更新が、今月の最初で最後の更新かもしれません。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 02/04 16:23 編集 返信
トラベルコーナーに追加
いつも通りの追加です。
そういえば、今回の追加で思ったのは(個人的な読書感想文)、京都大学って超インテリだけど、ダメか?
明るくてもインテリがいてるけどもなぁ。
私は過去に責任をとってもらった人から「狡猾」と非難された経験がございます。これも、難しい問題ですね。 まぁ誇りに思うべきなんでしょうけどもね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 01/28 15:01 編集 返信
リンクの追加
リンクを追加しておきました。
皆様、御確認下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 12/21 00:45 編集 返信
追加
Travelコーナーに一件追加しました。
恐らくは、本年最後の追加だと思われます。
皆様、良いお年をお過ごし下さい。
From 元管理人 To at 2006 11/21 23:42 編集 返信
追加
Travelコーナーに一件追加しました。
Linksコーナーに一件追加しました。
ー皆様にお知らせー
Travelコーナーなんですが、過去の内容(お笑いエッセイ)ですので、記憶を頼りにした記録なので、あまり正確な記録ではありません。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 11/11 12:50 編集 返信
画像編集ソフト
画像編集ソフトですが、どうしましょう?
とりあえず、返答下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 10/14 15:04 編集 返信
総裁のニューバナー
http://www.mas-oyama.com/img/banner_godhand_8831.gif
http://www.mas-oyama.com/img/banner_godhand_350115.jpg
上記の二点ですが、どうしましょうか?
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 09/22 22:24 編集 返信
いきなり
かっ飛ばしていますね。 $100やられたのには笑いました。
「日本国内で寄付してきました。 私は急いでいるので失礼します。」位の返答して、先を急いだ方が良いなぁと私は今考えています。
とりあえず、Diary復帰おめでとうございます。
まぁ、確かにしばらくは更新がなかった状態でしたね。
これからも、がんばってください。
超不定期更新ですので皆様、気楽にこのホームページを閲覧してください。
From かおる To durian-nagano@goo at 2006 09/18 23:34 編集 返信
RE:祝10000 人
Slimyお元気ですか?わたしは元気ですが、あなたの家に行けないでいます。今pattiの本を読んでいます。彼女を紹介してくれたことに感謝してる。bad news or good news教えてください。また逢える日まで さようなら。
From 元管理人 To at 2006 09/06 21:35 編集 返信
色々と~(4点程連絡)
1.
先週土曜日(9/2)に、メニューの背景色を赤からカーマイン色に変更しました。
2.
Linksで紹介しているサイトの説明文をわずかですが増加させました。
実際には、「バナーが採用された上での相互リンク」と書き記したのみです。
3.
これからしばらくは、Diaryコーナーでの海外旅行記の発表はありません。
代わりに過去に発表した海外旅行記をTravelコーナーで発表予定です。 当ホームページは、個人的な旅行記であり過去の事ですので有名なTV番組「水曜どうでしょう」のような正確な記録ではありません。 基本が「お笑いエッセイ」ですので、その部分については御理解下さい。
これからもホームページの継続はしますが、「一応、目標として10000人を超える閲覧者が来たら良いなぁ~。」といった感じで始めました。 そして、その目標は到達されました。 皆様、これからもよろしくお願いします。
4.オマケ
NO 110 インド編 その6で発表されていた「パルナス」については、このホームページを閲覧してください。
おいしいお店でした。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~toyoura/parnus/
実は、以前に、パルナスから独立して今でも忠実にその味を守っているお店である「モンパルナス(尼崎市)」に私は来店し商品を購入し、食した事がございます。おいしかったです。
又、今年の9月8日(金)~13日(水)の6日間、近鉄百貨店阿倍野本店にてウィークリー・ベーカリーのコーナーでピロシキ、パンの販売を行われるそうです。
http://www.pirosiki.com/
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 07/06 23:53 編集 返信
一応
先程、色並びに、リンクの文字の色を変更しました。
とりあえず、返答下さい。
メインで発表していたコメント
2007-09-14 | Weblog
ドリアン長野ホームページ
長期休暇もない
有給休暇もない
リーマン・ パッカーが、
短い休日と高い航空券
にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ
御意見・御感想をE-mailで送信
されたい方はこちらまで
durian_nagano_more@yahoo.co.jp
一応、月一回更新していくつもりです。
2007年1月7日
色々と変更しました。2007年五月17日
ご連絡
現在(平成27年2月19日)は、ドリアン長野はフェイスブックに加入してるのでそちらで連絡される方がよろしいかもしれません。
追記
https://ameblo.jp/nanaka711/
もしも、フェイスブックに加入されてない方でドリアン長野の新作を楽しまれたい方は上記のMikiのブログを楽しんでください。
過去の連絡 平成27年2月 2015/2/19(木) 午前 3:17
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
私がリターンズ(ドリアン長野が発表した旅行記に私の感想文を追加した上での再投稿)を開始する前には思い悩みました。その葛藤の記録のようなものです。実際の所、国際情勢は大きく変化してきてます。平成10年代並びにそれ以前の海外旅行記が大半だと考えて読んでもらえれば幸いです。
画像の発表等が平成20年代になって増加したのは単純に改善されたと考える人々は多いと思われます。
この一件の説明については不可避ですね。周知のように、新風舎は平成23年以前に完全に終わってしまいました。幾つかの名作は違う出版社から発売されてるようですし新風舎のようなお仕事をされてる企業は幾つか存在してるようです。
私のホームページは新風舎の営業マンが読んでも相手にされなかったようでその点は悔しかったですね。(笑)
これからの予定ですが、平成27年2月末迄は毎日のように更新をしていきます。来月は少し未定ですが再来月の平成27年4月一日以降は月一回、フェイスブック上の新作の転載をこのヤフーブログで行っていきます。
以上の事を踏まえて過去の記録を読んでもらえれば幸いです。
(追記 ドリアン長野は新風舎から書籍は販売されないままに終わりましたが産経新聞の夕焼けエッセーの月間賞を獲得しましたので逆転ホームラン?)
移転完了
2007-09-14 | Weblog
From 元管理人 To at 2007 09/14 01:54
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano
皆様に伝達事項がございます。
ドリアン長野の海外旅行記は上記のURLに移転しました。
内容は、同じですが様式は変わりました。
又、恐らくは新規の旅行記は追加されない見込みです。
お読みいただき、ありがとうございました。
まさか、一日で700名を超える人々が閲覧していたとは…
2007-09-19 | Weblog
御意見・御感想をE-mailで送信されたい方はこちらまで
durian_nagano_more@yahoo.co.jp
元々は下記のホームページで海外旅行記を発表していました。
http://members.goo.ne.jp/home/durian-nagano
そして、
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano
に移転しました。 リンクされている方々はURLの変更をお願いします。
2007年九月19日
実際には、先日(9/15)、774名もの人々が閲覧されておられました。 その前日が、576名でした。
やはり、冷たい心よりも、暖かい心に基づく海外旅行記に心を打たれた人々が多かったのかなぁ?
お笑いの部分もございますがね。
皆様にお知らせがございます
2007-10-05 | Weblog
2007 05/01 21:26
「ドリアン日記」(仮題)はマンガエッセイです。マンガの完成が予定より遅れたので、11月刊行が2月になりました。
ー以前、上記のように発表しました。ー
<『ドリアン日記』発売取り止めの御連絡>
大変、残念ながら、来年二月に発売を予定していた『ドリアン日記』でございますが諸事情により発売を取り止める事に成りました。皆様、ご了承下さい。
くり返しになるようですが、ドリアン日記は、発売されなくなりました。
又、リンク先の方々に御連絡ですが出来ましたら以下のURLに変更をお願いします。
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano
御意見・御感想は、以下のメールアドレスでも受付します。
durian-nagano@mail.goo.ne.jp
(追記 無料版gooメールが2014年3月10日をもってサービスを終了しましたので無効となりました)
管理人マーキュリーマークからの御連絡
2008-05-04 | Weblog
1.コメントですが書き込みを行えないようにしました。
2.御夫婦共に海外に行かれた新婚旅行の発表をされる事には前向きなのですが多忙なのでしばらくは難しいそうです。
3.以上です。
元管理人
訂正
2008-05-12 | Weblog
付け足し (元管理人)
2008-01-31 23:50:14
夫婦で行かれた、新婚旅行は、海外旅行でした。
その辺は、現時点では発表の予定がございませんが、それが行われると、本当の最後のドリアン長野海外旅行記に成り得ると思います。
×
それが行われると、本当の最後のドリアン長野海外旅行記に成り得ると思います。
○
それが行われると、本当に『最初で最後のドリアン長野 夫婦での海外旅行記』に成り得ると思います。
しかし、ジラス訳では無いがこの発表は、多忙なようで難しいみたいです。
ちょっとした動き
2008-12-15 | Weblog
概略だけにしておきます。
1.以前発行を考えていた出版社とは、別の出版社から「ドリアン長野の海外旅行記」が発売される予定があるそうです。
(追記 結局は無理だったようです)
2.ご夫婦での新婚旅行を兼ねた海外旅行で赴かれた場所は、香港です。 末日聖徒イエス・キリスト教会の香港神殿に赴かれたそうです。
(一応は、平成20年代唯一の海外旅行記はこちらをクリックしてお楽しみ下さい)
3.以上です。
オマケ
実は、来年度での閉鎖を考慮しておりましたが、とりあえず継続することになりました。(追記 yahooブログ版は令和元年12月にサービス終了です)
当面、似たような状況が継続します
2009-02-02 | Weblog
今のところ特に新しい事柄はございません。
一応、お知らせ
2009-04-15 | Weblog
画像データや動画データを発表したいなと考えていましたが、ドリアン長野氏が肝心のデジカメを紛失したらしく出来なくなりました。 当面、似たような状況が継続します。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
おまけ
本当は幾つか画像データがあったんだけど、無い状態です。 あ~ぁ その内に見つかるかもしれないが・・・
今年、ドリアン長野は、ゴールデンウィーク期間中に・・・
2009-06-02 | Weblog
今年、ドリアン長野は、ゴールデンウィーク期間中にはどこも行かなかったそうです。
初夏のご連絡
2009-07-02 | Weblog
ドリアン長野が、将来的に自費出版を行う予定があるようです。
goo側の決断によってこのブログが削除されるまで、新規投稿を控える見込みです。
但し、例外的に自費出版が決まった場合は、この場で発表する予定です。
現在の所、どちらが先になるかは分かりません。
言い換えると、自費出版が決まった時には、このブログがなくなっているかもしれません。
ブックマーク先の方々にこの場でご連絡ですが、このブログのリンクや紹介を削除されても構いません。 当方としては当面、貴ホームページの紹介は継続するつもりです。
以上、 元管理人でした。
こちらに、ご注目下さい。
2009-08-26 | Weblog
http://www.youtube.com/user/DorianNaganoこちらをクリックしてみてください。
皆さん、先月とは状況が変わったので、本日、幾つか新規投稿を行います。
ドリアン長野 君と出逢えた奇跡
2009-08-26 | Weblog
ドリアン長野 君と出逢えた奇跡
おめでとうございます。
ドリアン長野 インタビュー
2009-08-26 | Weblog
ドリアン長野 インタビュー
実に、素晴らしいインタビューですね。
ドリアン長野 すり足で君のハートをGET YOU
2009-08-26 | Weblog
(動画は残念ながら現存してません)
本当に、木製バットを折っています。
ドリアン長野は元気にしています
2009-10-21 | Weblog
近況は、こんな、感じです。
いつこのブログを退会するか分からないので、バックアップをして下さい
2009-12-12 | Weblog
いつ、このブログを退会するか分からないので、バックアップをして下さい。
もしも、今閲覧されている、あなたがドリアン長野の海外旅行記をこれからも読まれたいと考えておられるならばバックアップ(自発的な記録)をしてください。
又、リンク先の方々も、リンクを外してもらって構いません。 この点については、この場で発表させていただきます。実質的に、平成10年代でこのホームページの更新は終わりました。
http://www.youtube.com/user/DorianNaganoをクリックしてみてください。恐らくは、こちらで何らかの発表をしていく予定です。
-管理人マーキュリーマークー
ちょっとレイアウト変更それと・・・
2010-01-13 | Weblog
謹賀新年。 皆様あけましておめでとうございます。
レイアウトですが変更しました。
過去に発表した旅行記を元管理人が少し感想文を加えて月一回程再度発表していくつもりです。
(追記 これで平成20年代は乗り切れると考えてました。令和以降の時期は紹介と連絡に限るつもりです)
お楽しみ下さい。 管理人 マーキュリーマーク
#17 マニラのスラム (フィリピン旅行記 リターンズ)
2011-05-01 | Weblog
夜の9時前にニノイ・アキノ空港に到着。ロビーに出ると熱気、じゃないなこれは、殺気を感じる。なんだか誰かに狙われているような気がして、少しびびる。ホテルを予約して、米軍用のジープを乗り合いバスに改造したジプニーに乗り込んだ。窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。
「スラムは特別な地区にあるのではない。メトロ・マニラ(マニラ首都圏)のいたるところにある。例えば、あなたがニノイ・アキノ国際空港を降りてタクシーに乗り、マカティの5ツ星ホテルに泊まり(そこまで気張らなくても安ホテルでも同じなのだが)、日中は車で移動して夜は繁華街で過ごすとなると、「タイやシンガポールほどではないが、フィリピンもずいぶんと経済発展しているんだなあ」と思うだろう。ところが、一歩、メインストリートをはずれて体重を右足でも左足でもいいから、どっちかに傾けて薄暗い路地を折れてみるがいい。
そこには、ああっ、と驚く光景が広がっている。」
とそれから浜氏はスラムの様子を描写し、
「しかし、わたしにとってスラムは混沌という名の・楽園″であり、生命力溢れる根元的な場所である。
(略) ある意味で、最も俗なるところが聖に通じ、最も醜いものが清らかなものに近く、最も単純なものが真実に迫るという逆説を痛感できる、哲学的な場所でもある。」
と続けている。私はこの文章を読むたびに、うひゃひゃと体が弾むような感覚になるのだ。私はスラムが大好きだ。電車に乗っていて、線路沿いにあるスラムを見つけると途中の駅で降りてしまうくらいだ。そんなに好きなら一生スラムに住みついたらどうだ、と言われると困るけどな。
マニラには観光名所らしき場所はあまりないが、私にはどうしても見ておきたい所があった。東南アジア最大のスラムといわれるスモーキー・マウンテンだ。夢の島のようなゴミの集積所にバラックを建て、人が住み始めた。ゴミが自然醗酵し、煙がたなびいているのでスモーキー・マウンテンと呼ばれるようになった。スモーキー・マウンテンのあるトンド地区には無用な立ち入りは絶対に厳禁、とガイドブックには書いてある。それでもどお~しても行ってみたい。私は覚悟を決めた。海外旅行保険に加入してないのが残念だ。アバト・サントス駅でタクシーを止め、ドライバーに聞いてみる。 「あんたは悪人か、それとも善人か?」 (マニラのタクシー・ドライバーはボる奴が多いからな) 「なぜ、そんなことを聞く? もちろん俺はグッドマンだ」 交渉して、スモーキー・マウンテンをぐるっとひと回り、300ペソで行ってくれることになった。ドライバーのソシモは気のいい人で、運転中もずっとしゃべりっぱなしだ。 「人生で大切なのはお金よりも友だち、神様、家族だと俺は思うね」 「香港に研修で行ったことがあるよ。外国に行ったのはそれっきりだ」 「トンドなんかになぜ行きたいんだ? あんた、ジャーナリストか? トンドで警官がナイフで刺されたことがあるし、タクシーだって石を投げつけられたこともあるんだぜ」等と話を聞いているうちに、車はいつしか迷路のような細い路地に入り込んだ。一見してスラムと知れる、その住民たちが車を取り囲むようにしてじろじろとこちらをねめるように歩いている。ソシモの言葉を思い出して、こちらとしては気が気ではない。やがてマニラ湾沿いの道路に出た。う~ん、と思わず私は目を見張った。なにしろトタン屋根とありあわせの木造で建てられたバラックが何キロにも渡って延々と続いているのだ。それは今まで訪れたアジアのどの国でも見たことがなかった、圧倒的な光景だった。電気は引いているが、水道はないとソシモは言う。
スモーキー・マウンテンには以前、人が住んでいたが現在は政府によって強制撤去させられて家はない。気が遠くなるほどの広大なただのゴミの山だ。少し行くと、今にも崩れ落ちそうな五階建てくらいのアパートが密集していたので、その前の広場に車を止めてもらう。広場にいる大勢の大人たちや子供たちが何事かとこちらを注視してきた。
ソシモに「外に出ても大丈夫か?」と聞く。 「ああ、大丈夫だ」 「ここで待っていてくれ」 あたりを窺うようにしてゆっくりと車から出て、一番近くにあったアパートの階段をのぼる。そこで私は自分の目を疑ったね。各部屋のドアはなぜか全てなくて、中がまる見え。室内には所狭しと何人もの人間が住んでいるのだが、住んでいるのは人間だけではなかった。猫や犬に数羽の鶏までもが同居しているのだ。一軒家ならともかく、アパートの一室で人が家畜と暮らしている光景は異様だ。それは、まるで家畜小屋に住人が住まわさせてもらってますって感じなのだ。もしかして、あれはペットなのか? いや、そうではあるまい。スラムの住人にそんな余裕があるはずがない。現金収入を得るため、もしくは自給自足の食料として飼って、いや、同居しているのだろう。上の階まで行きたかったが、住人の眼光が鋭くなり危険を感じたので車まで戻る。
「一緒にアパートの上まで行ってくれないか?」とソシモに頼むと、「駄目だ。危険だよ」と言う。あとから考えてみると、危険なのは我々だけでなく、もし車を残しておけばその車だってどうなっていたか分からない。仕方なくトンドを離れ、リーサル公園で降ろしてもらった。歩いて駅まで行こうとしたら、一人のフィリピーノに時間を聞かれた。そのままついてきて、歩きながら自己紹介を始めた。年は29歳。父は日本人、母はフィリピン人。何年か前に離婚し、父は香港にいるが母は行方不明。彼には子供が二人いて、ミルクを欲しがっていると何度も言う。ふ~ん、なるほどね。案の定、「セブン・イレブン」で粉ミルクの缶を二つ買わされた。自分のためにお金をくれ、というのならともかく、小さな子供がおなかを空かしているという言葉に断ることができなかった。願わくはだな、あとでその粉ミルクを換金して、お人好しの日本人はちょろいもんだと舌を出さんように願っているぞ。
その男は粉ミルクを受け取り、ホテルの所在地を尋ねるとお礼のつもりなのか「案内するよ」と歩き出した。おい、ちょっと待ってくれい。わしはLRT(高架鉄道)に乗って帰るからいいんだ。と言ってもそいつは先頭に立ってどんどん歩いて行く。待てっちゅうねん、お願いだ~、頼むから待ってくれ~。ここからホテルのあるエドゥーサ駅まで6キロはあるぞ。 「心配しなくても大丈夫だよ」 いや、だからそういう問題じゃなくてえ。男は黙々と歩く。薄暗い夜道をひたすら歩く。月がきれいだった。一時間歩いてホテルに着く。えっ、本当に着いたのか? 初めは着いたのが信じられんほどだった。リキというその男は妻子のためにお金が欲しいと言う。 「いくら欲しいんだ?」 「200ペソ」 ありがとう、リキ。案内してくれてよっ!私は彼に50ペソ渡した。リキは少し不服そうだが礼を言って帰っていった。また一時間かけて。
それから私はホテルでイタリア料理を食べた。500ペソほどだった。近くにカジノがあるというので行ってみたが、カラーのないシャツを着用している人は入場できません、と断られた。帰り道でぼろぼろの服を着た6歳くらいの女の子が右手を突き出してきた。小銭を1ペソしか持ってなかったのでそれを渡すと、女の子は無言で首を振った。でも、どうすることもできんのでそのまま帰った。私は人権主義者じゃないけど、つくづく人間は不平等だとその夜は思った。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
フィリピン旅行記のリターンズです。
本当に海外旅行記らしい海外旅行記です。やはり、相手の気持ちが読めないから仕事にありつけない労働者のお話がいたり小銭が欲しい女の子がいたりもしましたね。 両者共にほとんど日本では詐欺の扱いになるでしょうね。 日本でも、1990年代から平成10年代にかけて署名の後に寄付金を求めてくる人がいました。 平成20年代になって減ったようには感じます。 しかし、時間を尋ねるのを踏み台にして金を求めるというのは、悪い詐欺師でしたね。
スモーキーマウンテンは、平成20年には撤去されているそうです。
実際に赴くのと想像では違う部分があったと考えないといけないかもしれません。
メーデー等が存在しているから労働者の立場は守られています。
#18 シャオエン (台湾旅行記 リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 0:58
#18 シャオエン (台湾旅行記 リターンズ)
2011-06-01 | Weblog
1997年5月、日本の首相官邸に当たる総統府の前を歩いていた。日曜日の昼下がり、空は透き通るような快晴だった。赤レンガの荘重な建物の前には警察官と憲兵(機動隊員)が集まって、何だか物々しい雰囲気だ。
「ん? 何だ? 何だ?」と足を止めて眺めていると、警察官に職務質問されそうになったのであわてて立ち去る。官庁街であるただっ広い道路の交差点にも市民が集まり始めた。その中にはテレビ局の中継車がスタンバっている。向こうの道路からはデモ隊が何かをシュプレヒコールしながら近づいてきた。一体、何が? 中華人民共和国でも攻めてきたのか? 前年には台湾史上初の民間による直接選挙で李登輝が選出された。台湾独立派を恐れる中華人民共和国は大規模の軍事演習を行なったり、台湾海峡にミサイルをぶち込んだりと威嚇を続けていたのだ。
「何があったんですか?」 近くにいたテレビ局のスタッフらしき人に聞いてみる。
「テレビ・スターが殺されたんだ」 彼は詳細を説明する英語力がなかったのか、それだけ言うと黙ってしまった。俳優が殺されたぐらいでこんな騒ぎにはならないだろう。警官隊と機動隊が見守る中、デモ隊とそれに呼応した市民が気炎を上げていた。
その夜は「華西街観光夜市」に行った。長い商店街は地元の人や観光客でごった返し、店の人たち、特に包丁片手にヘビやスッポンの生き血を売るおじさんの口上で賑わっていた。中にはヘビの頭を噛みちぎり、尻尾をくわえて振り回すという猟奇的おじさんもいた。不思議なのは生き血や漢方薬を売る店にはテレビが置いてあって、そのどれもが日本のプロレスを映していたことだ。やっぱり、精力がつくということをプロレスに託して表現したかったんだろうか。しかし、店先に繋がれていたオランウータンはどういうことだ。
こんなにもヘビ屋やスッポン屋があるのにはわけがある。裏通りに売春街があるからだ。そこに行ってみた。売春宿は外から覗くことができ、ピンクの灯りの下で女性が立っている。その前の道路には怪し気な男たちが列を作って座っていた。
ホテルに戻り、「あっ、そうか、あれは」と気がついた。三週間前に劇画作家の梶原一騎と歌手、女優のパイピンピンの娘が誘拐され、殺害されたのだ。犯人たちはその時点でも逃亡中で、さらに凶悪な事件を繰り返していた。後に5万人もの市民が治安改善のための法律改正や政府官僚の辞任を求めてデモを行ない、内閣は総辞職に追い込まれた。そのデモだったのだ。当時は日本のみならず、世界中にそのニュースが連日のように報道されていた。私はその事件の残虐さを知り、誇張ではなく、犯人たちへの激しい怒りと殺された17歳の少女への思いで胸がつぶされそうになっていた。
少女の小指を切断し、母親へ送りつけるという行為。食事も与えず五日間に渡って暴行を加え続け、最後には遺体を全裸で排水溝に捨てるという行為。肝臓の五か所が破裂。胸部や腹部等に夥しい量の内出血。死因はロープで首を絞められたための窒息死。
少女が味わった地獄のような恐怖と苦痛。私には懸命に想像してみることしかできない。そして犯人たちのこと。パイピンピンと犯人たちは経済発展を遂げる以前の貧しい台湾を共に生きた、同世代の人間だった。主犯格三人のうち、二人は警官との銃撃戦中に自殺。あとの一人はなおも逃亡し、南アフリカ大使館武官官邸に立て籠ったが、ついに投降した。パイピンピンはその後、台湾の治安の改善を目指し、ボランティア活動を精力的に行なっている。犯罪のない社会作りを世界にアピールするため、長野オリンピックには聖火リレーに台湾代表として参加した。
せめて私は自分の命が続く限り、17歳で殺された少女のことを忘れないようにしようと思う。そうすれば彼女は生きる。私たちの記憶の中に彼女は生き続ける。
参考文献 「燕よ、空へ」 パイピンピン著 木村光一訳 / ルー出版
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
1990年代のお話であっても、平成10年代のお話ではありません。端的には、平成9年五月のお話とお考え下さい。恐らくは、ゴールデンウィーク期間中でしょう。
長い人生では、旅先で大きな犯罪が発生したり事故が発生するのを目の当たりにある時がございます。 私も、全ての詳細は語りませんが、全く無かった訳ではありませんでした。 唯一の例外としてお伝え出来るのは1990年代初頭に目の前の車が分離帯に乗り上げて横転事故をしたのを連想し、その点だけを伝達が行える位です。
平成22年12月に兵庫に赴いた時に台湾人観光客数名と軽く英会話をしましたがビビ○ン・スーについて話しながら私鉄に乗ったのを思い出しますね。
台湾人と日本人は良く似ていて一見しただけでは、判別し難いですね。
今回のお話は1990年代の平成9年のお話ですが、治安の悪化は、2010年代になっても継続している。安全神話は崩壊しています。17歳で殺害されたといえば女子高生が殺害されたと考えても間違いではありません。しかも、虐殺でした。被害者が有名人であるとか金持ちであるとかではなくて、殺人の無い社会作りが必要なのですが、それには政府がしっかりしてもらわないといけない。万人の人命は平等です。
多くの親御さんは苦労して子育てをしているし労働に励んでいる。それを無効化するような犯罪者達はどの国であっても否定される。 少なくとも、日本・台湾・南アフリカ共和国の国々で注目を浴びた事件であった。
思いは大きいが、なぜか上手に伝えられません。 やはり、憤りと悲しみが大きいからでしょうね。 彼女には罪が無かったが殺害された。 彼女の母親が治安改善運動をしているのは、必然です。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
まりりんまんそんライブインオーサカ(リターンズ 特別編 #19と#20を兼ねてます) 2015/2/17(火) 午前 1:00
まりりんまんそんライブインオーサカ(リターンズ 特別編 #19と#20を兼ねてます)
2011-07-01 | Weblog
NO19 まりりんまんそんライブインオーサカ
at 2003 09/26 23:20
まりりんまんそんのコンサートに行ってきました。大阪城ホールのアリーナです。アリーナ席なんて生まれて初めてです。まりちゃんと目があって「あとで楽屋に来いよ」なんて言われたらどうしよう(ドキドキ)。ホール前にはたくさんの屋台が出ていました。フランクフルト屋のおっちゃんが「まりりんまんそんも大好きなフランクフルトやでー」と言うので、思わず「うそやっ!」とつっこむと、「うそやないって。うそやったら、おっちゃんお金返したるわ」とぬかしよります。「何言ってんの、まりちゃんが好きなのは別のフランクフルト.....。」やだわ私ったら、おほほ。会場に近づくと、黒い衣装をまとったかなりイタい若者たちがたむろってます。まるでバンコクの娼婦みたいです。ああ~っ、勘弁してくれ~。俺が悪かった~!(いったい何があったんだ!)
入場の際にはボディチェックがありました。ストーンズのコンサートでもなかったのに。まりちゃんのファンにはガイキチがたくさんいるからですね、きっと。アメリカでのコンサートは大変だと思います。
二階席へと向かう客を尻目に地下に降りていきます。なんてたってアリーナですから。しかし私は自分の目を疑いました。これはただの一階席。しかも最後列。ステージからは50メートルは離れています。まりちゃんと目があうなんてことは絶対にありません。なんでやねーん、責任者出てこーい!わしは人生幸朗師匠かーい!と一人でつっこんでいるといきなり大音響です。そうでした、今宵のサポート・バンド(早い話が前座です)は「BUCK-TICK」なんだそうです。私は彼らを聴くのも見るのも初めてですが、ビジュアル系のパンク・バンド(?)という感じです。もういいんでわないかっ。もう充分でわないかっ。と思うほど存分に演奏した彼らはやっと引き上げて行きました。多分、アルコールとドラッグでへろへろになったまりちゃんの体力が続かないので時間稼ぎをしてるんだと思います。ずるいと思います。それからステージではサウンドチェックを入念にし始めました。まりちゃんはなかなか出てきません。おしっこに行って帰ってきてもまだ出てきません。世界中で何百万枚CDを売っているかしらんが、一万人の客を待たすとはいい度胸してんじゃねえか、最近天狗になってんじゃねえか、まりちゃんわ。とドス黒い心がわき上がってきた頃にやっと出てきました。開演から1時間半後のことです。(つづく)
NO20 まりりんまんそんライブインオーサカ完結編
at 2003 10/10 01:23 編集
まりちゃんは取り憑かれたようにfuckやshitを連発する痴れ者で下品な男です。
「よく来たな、マザーファッカーども」
イエ~イ!
(うるせー!)
「おまえたちのファッキンな中指を俺にみせてみろ」
イエ~イ!
(ああっ、下品だ)
ステージでは猥褻な女が二人、猥褻なダンスをしています。観客のみなさんは物のけのように踊り狂っていらっしゃいます。熱狂的なコンサート風景を観て、「まるで宗教のようだ」とおっしゃる人がいますが、音楽と宗教は最も遠い所にあると思います。まりちゃんもそこら辺はよくわきまえていて、エンターテインメントに徹しています。まりちゃんの音楽はエッチな本を読んで興奮しちゃったくらいの意味合いしか持たないと思います。たまに興奮し過ぎて銃を乱射しちゃったりするバカちんもいますが。ロック・ヒーローは教祖だと言う人はディズニーランドは宗教だと言ってるようなものです。私は町田康の「CDを800万枚売ったからといって、社会を変えたということになるんでしょうか?社会を変えたいというより、社会によって自分が変えられたいと思います」という言葉を思い出しました。
いつしかステージ上にはミッキー・マウスを似せて作った世界一邪悪なレプリカ、ミッキー・マンソンが登場しました。さすが裏ディズニーランドです(私は行ったことがないので何だかざまあみろです)。なんだかんだとアンコールもなしに10時きっかりにコンサートは終わりました。
20時20分 バックステージ
「まりりん、出番10分前だぞ」
「ああ」
「また震えているのか」
「何度経験してもステージに上がる前は緊張するんだ。俺は子供の頃から赤面症で対人恐怖症だからな」
「カリスマを演じるのも大変だな。ところで、ステージで破る聖書はどうするんだい? 」
「今回はいい。ここは日本だからな。それよりも俺の大好物のフランクフルトは用意してあるんだろうな?」
「大丈夫だ。ライブが終わったら浴びるほど食べてくれ」
「よし、いつものように円陣を組もう。メンバーとスタッフを呼んでくれ」
「わかった。みんな集まってくれ!」
「みんな、心の準備はいいだろうな。スティーブン、ミッキー・マンソンのレプリカは修理できてるな」
「もちろん、バッチリだよ。まりりん」
「昨日のフクオカのライブで少し破けちゃったからな。今回はゆっくりめに倒してみてくれ。キリストにミッキー・マウスの次はス○ーピーだな。いや何でもない、 こっちのことだ。ロザンナにケイト、いつも恥ずかしい踊りをさせてすまんな」
「なに言ってんの、まりりん。それは言わない約束でしょ」
「そうだったな。今日の打ち上げは西田辺の『酔虎伝』を10時半から予約してあるから思う存分飲んでくれ。でも12時までだぞ、次の公演に差し障るからな。ようし、 ジェローム、いつものやつをやってくれ」
「オーケー、みんな用意はいいか?それじゃあ、いくぞ!世界で最も偉大なアーテ ィストは?」
「まりりん!!」
「マイケル・ジャクソンよりもCDを売るアーティストは?」
「まりりん!!」
「ブッシュ大統領よりも影響力のあるアーティストは?」
「まりりん!!」
「僕たちはみんなまりりんが」
「大好きさ!!」
「ありがとう、みんな。俺が今日あるのは仲間の支えがあってこそだ。今夜もコンサートの成功を願って祈ろう。みんな、目を閉じてくれ。............我らの音楽を司る神よ、我々の奏でる音によって世界が融合されますように。人類のうちに争いも 餓えもなくなり、人々が穏やかに日々を過ごせますように。天国も地獄もなく、ただ今日という日のために生きていくことができますように。殺すことも死ぬこともなく、平和のうちに暮らしていけますように。想像してごらん、国境も宗教さえもなく......」
「ちょっと、まりりん。それって、ジョン・レノンの『イマジン』じゃないの」
「あっ、そうか。こりゃ一本取られたな。あっはっは」
「いやだわ、まりりんたらっ。あはは」
「まりりん、すっかり緊張がとけたようだな。これで今晩も大成功間違いなしだ。 うあっはっはっは..........」
なわけないですよね。あっ、私は会場で売ってたまりりんTシャツ(3500円)を買いました。さすがにまりりんポスターやマリリン携帯ストラップまでは買いませんでしたが。
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特別に、前編後編を一本化しました。
今回は国内旅行記というか地元でのライブに行って来た感想文です。 情けない人のライブです。平成十年代だから楽しめたのかもしれません。今となっては、単なる変態ですからね。大衆の飽きは、早いです。 平成20年代にはアルバムが発売されていたようなのは認めるが2010年代は(2011年四月現在)アルバムが発売されていないようです。けど、アーティストが一年間以上アルバムを発売されないのはよくあるお話?
ご本人が、彼のDVDというか映像を見ている時に当時のドリアン長野宅にお邪魔したら、「本物がやってきた。」と言われました。ここが皆さんにとって一番、笑える部分かもしれませんね。もっと、エグイ奴もいますけどもね。
ちなみに、ローリングストーンズのコンサートはクラシックの音楽のように静かに聴く必要があったのは、京セラドーム大阪では楽しむのが難しいからです。
今回に限ってはツイートをするのが恥ずかしいから見送りました。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。以上、マーキュリーマークでした。
パパになったドリアン長野
2015/2/17(火) 午前 1:03
パパになったドリアン長野 平成23年7月
2011-07-14 | Weblog
先日(7月11日)、ドリアン長野はパパになったそうです。平成10年代に結婚して、なかなか生まれなかった待望の赤ちゃんを授かったそうです。
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平成24年にドリアン長野の娘に出会えて良かったです。
#21 北京の床屋(リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 1:08
#21 北京の床屋(リターンズ)
2011-08-01 | Weblog
NO21 北京の床屋
at 2003 10/17 22:32
北京に来てから気になっていることがあった。理髪店である。町中のあちこちに理髪店があり、しかも深夜まで営業しており、しかも従業員は若い女性ばかりなのである。若い女性に深夜営業。怪しい、怪しすぎる。他の人間ならいざ知らず、この私の目はごまかせ~んっ! 社会主義国でそんなことがあるのだろうかと不審顔の貴兄に貴女、同じ社会主義国のベトナムでは理髪店と売春が結びついていることは周知の事実である。何でも表向きは普通の理髪店なのだが、希望する人にはスペシャルなサービスを施してくれるらしい。実際、ホーチミンでは北京ほどではないが理髪店がちらほらと目につく。夜、シクロに乗っている時に店内を見たら、いつも何人かの女性が椅子に座って暇を持て余していた。中国よ、お前もか。私は大いに失望した、わけでは全然ないのだが、これは是非調査せずにはおられまい。中華人民共和国の首府、北京よ、農民と労働者の叡智と努力によって共産主義国を建設するという高邁な理念の化けの皮をこの私が引っぺがしてやるわ。うわーはっはっはっ、バカめっ!(はオレだろうな、やっぱり)
というわけで、故宮の近くに泊まっていた私は夜の11時頃にホテルを出た。う~ん、どの理髪店に行こうか? なるべくなら、きれいな従業員のいる店がいいだろう。もちろんこれはベールに包まれた中国人民の実態を調査するというフィールドワークであり、私には不純な気持ちなど毛頭、爪の先ほども、これっぽっちもないのであるが、どうせならきれいな女性の方がいいだろう、うん。しかし、調査があまり進行しすぎると危険なことになるような気がする。その時は腕に覚えのあるカラテで大声を出して逃げればいいだろう。もし女が中国拳法の名手で無理矢理、組み伏せられたらどうしよう。きれいな体で戻ってこられるかしら。不安だわ。いや、毛沢東も 「崇高な目的達成のためには敵を恐れることなく邁進せよ」 と言っていたではないか。(おい、そこのあんた! どこが崇高やねん! って、つっこんだだろう、今)
私は決心し、心の中でインターナショナルを歌いながら目星をつけた理髪店へと勇躍乗り込んでいった。(つづく!)
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チャイナ旅行記のリターンズです。
射撃のように海外でなければ体験が出来ない事柄は多いと思います。 まぁ、あれだバカ丸出しのフザケタ文章なのでお気楽に読んでいただければ幸いです。一応は、お笑いエッセイなので、真剣に読まないようにしてください。 ドリアン長野は平成20年迄に悔い改めています。
一方で、過去から強調しておりますが、ドリアン長野氏の空手の腕は、黒帯だけあって一級品です。
以上、マーキュリーマークでした。
#22 続 北京の床屋(リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 1:12
#22 続 北京の床屋(リターンズ)
2011-09-01 | Weblog
NO22 続 北京の床屋
at 2003 10/24 19:39 編集
<前回のあらすじ>
中国ってとこは人はやたらと多いし、言葉はあんまし通じないし、列には割り込むし、日本人だとボるし、ひまわりの種はあちこちに散らかすし、おまけに女までが(以下略)
店内は清潔で明るく、従業員は男が一人、女が三人、そして男の客が一人いた。そのうちのソファーに座っていた女が立ち上がって椅子に座るようにと促した。営業時間を聞いたら、朝の8時から深夜の1時までだそうだ。なぜ一日17時間も営業してるんだ? 人民をそんな長時間も労働させていいのか? ますます怪しい。女はまず私の首に前掛けをし、洗髪台に頭を突っ込むようにと手振りで示した。その通りにすると女はいきなりシャンプーをし始めた。片言の英語ながら、いろいろと話しかけてくる。 (普通の理髪店に見せかけてるな。パチンコ屋が店内で出玉を換金すると賭博と見なされるから外に景品所を設置するように、これは当局を欺くためのカモフラージュに違いない)
シャンプーが終わると女は聞いてきた。 「マッサージはどう?」 (きたあーっ!) 「フェイス・マッサージもあるし、全身のもあるわよ」 「いっ、いくら?」 「100元(1元は約14円)」(高い) 私は考えこんで顔のマッサージを頼むことにした。顔だけなら安心だろう。 「それじゃあ、こっちへ」 なんと女は店内にある個室へと案内するではないか。ドアを閉め、二人っきりになる。広さは二畳ほどだ。 (やばい) 棚にはいろいろな乳液やらクリームやらが載っている。 (ますますやばい) 私はリクライニングの寝椅子に寝かされた。 (ドキドキ) 女は私の顔にクリームを塗り、マッサージを始めた。それが終わると先端が輪になった金属製の細い棒で顔を突いてきた。(ん?) あ~、気持ちええ。これは毛穴から脂を抜き取るためらしい。さすが中国式マッサージ。お肌がすべすべ。 「次は全身のマッサージしてみない?」 (きた、きた、今度こそきたあーっ!) 「あのお~、それってどんなマッサージ?」 「は?」 「だから、どういった類いのマッサージかな、と」 「言ってる意味が分からないわ」
ここでやめたらせっかく潜入した今までの苦労(なのか?)が水の泡だ。私は不本意ながら受けて立つことにした。さあ、殺せ。女は気合いを入れると、脚から腕から背中から、仰向けからうつ伏せにしたりと汗だくになりながら長い時間をかけて体中を揉んだ。サンダル履きで一日中歩いていたので足はまっ黒。女は一瞬ひるんでいた。終わると体力を使い果たしたのだろう、フラフラと奥へ引っ込んでいった。最後に若い男がハサミとバリカンで念入りにカット。ドライヤーをかけ、スプレーで仕上げ。終わった。1時を過ぎているのに年配の客が一人、入ってきた。(なぜ1時に髪を刈りに?)
料金はマッサージが100元、シャンプーが100元、カットが50元。それを230元まで値切った。今回、多額の調査費を投じて私が得た物は中国式ヘアカットと、北京の床屋は健全な床屋だったという事実だ。諸君、北京に来たら安心して調髪してもらえよ。その前に料金はちゃんと聞いておくように。体はきれいだったが、お金もきれいになくなった。ふっ、私の思い過ごしだったようだな。疑って悪かったぜ。だけど中国人、ぼるなよおおおおお~っ!!(魂の叫び) しかし、中国はこれで終わるほどまだまだ甘くはなかった。(というわけで上海編につづく)
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結論から言うと本人にとっては、期待外れであったのかもしれません。
平成20年代のチャイナの理髪店の料金は全く知りませんが、この当時の価格だと日本と大差が無いかもしれませんね。日本国内でも安価な理髪店(美容院も含む)と高値の理髪店(同様に美容院も含む)が混在しているから何とも言い難いです。マッサージはいらないにしても、シャンプーとカットでチャイナでは150元で、1元が¥14だから、約¥2100? 最近、流行のシャンプー無しの¥1000カットの店と比べるのは論外かもしれません。それにしても繰り返すようですが金額的には大差が無いかもしれません。 日本の理髪店さんも店舗によっては、チョキチョキと髪の毛を切ってもらっている時に悲しくなる発言をしてしまう人もございますね。他の理髪店でお願いしたくなるキッカケかもしれません。
17時間労働の一件ですが、実際の所、日本国内の理髪店や美容院によっては閉店後、修行の場になっていて結局、一日の労働時間が長時間になっている理髪師や美容師もおられます。
しかし、行列の横入りは嫌ですね。日本で行ったら、本当にケンカになってしまいます。
中国のお話は幾つもあるので今後も楽しみに待ってください。
オマケ
先月に引き続いてチャイナ旅行記のリターンズです。
これは、真夏の時期ではなくて過去(2010年以前の平成20年代初期のある寒い日)のお話です。ある美容院で防寒着を店内で着用させてくれなかった人物(当時、ある美容院の従業員)がいたので帰宅後、怒りのメールを彼の上司を兼ねた私の知り合いに送信しました。 それなりの返答があった後、不躾な行いをしでかした彼は後に退社した。 店の中では、冷静になって、後に運営している企業等に連絡するとそれなりの結果が得られます。 辛い艱難辛苦を乗り越えて真面目に勤務してやっと給料が得られるが、金の支払先では嫌な思いをせめて、日本国内では体験したくありません。
#23 飛んで上海(リターンズ) 2015/2/17(火) 午前 1:15
#23 飛んで上海(リターンズ)
2011-10-01 | Weblog
#23 飛んで上海
at 2003 10/31 19:02 編集
出発前から中国だった。関空に着いたら、いきなり飛行機が2時間の延着だ。仕方なく待っていたら今度は変更(って?)ということで更に1時間待ち。中国国際航空に乗るはずだった我々はなぜか中国東方航空機に乗せられ、予定より3時間10分遅れでやっと飛び立った。機内放送ではそのことについては一切触れられることはなかった。やるな、中国。さすが豪放磊落、天衣無縫、質実剛健の中国人だ。少しぐらい遅れたからって、四の五の言うんじゃねえよ、墜落するわけじゃあるめえしよ、という態度に私は好感を持つぞ。いいぞ、中国、等とその時はまだ余裕をかましていられた。
夜の8時に上海虹橋空港着。飛行機の中で今夜泊まるホテルを決めていたので、予約しようとうろうろしていると、「タクシー?」 と小説家の猪瀬直樹にそっくりの男が寄ってきた。
「○○ホテルに泊まりたいんだ」と言うと猪瀬は「知ってる」と言う。ああ、いつもならそんな手口には乗らないのだが、なぜか猪瀬の後をのこのこと付いて行き、タクシーに乗った。助手席には別の男が乗り込んできた。アジアではこういう事はよくある。タクシーを私用に使うのは日常茶飯事、勝手に友人や家族を乗せたりするので私は気にも止めなかった。猪瀬の相棒が高級そうなホテルのパンフレットを差し出す。
「○○ホテルは古くて部屋も狭い」
案の定、タクシーはパンフレットの高級そうなホテルの前に着いた。 「この野郎~」と思ったが宿泊費を聞くと、そう高くはない。夜も遅いし、この高級そうなホテルに泊まることにした。ボーイに案内されて高級そうな部屋に入ると猪瀬たちも付いてきた。ボーイが出て行くと、猪瀬が両替しないか? と言う。レートを尋ねると銀行と同じなので1万円換金することにした。これで用は済んだと思ったが、極悪人の猪瀬はその後、信じられないことを言ったのだ。
「ハイウエイ代の100元とタクシー代の100元を払ってくれ」
てめ~、空港でタクシー代はホテル代込みだと言ったじゃね~か。そう言うと 「サービス込みだと言ったが、料金込みだと言った覚えはない」 とわけの分からんことをぬかしやがる。渋々100元だけは渡したが、あとの100元は絶対に払えんっ! と長い間言い争った。しかし、極悪人猪瀬は諦めない。朝まで言い争っていてもよかったのだが、私は言い争いをしにわざわざ中国までやって来たのではない。観光をしに来たんだ、観光を! 明日も早いのでいいかげんに寝たい。私は負けた。極悪人猪瀬に100元払って追い返した。くっそ~、お金も惜しいが、それ以上に極悪人猪瀬に負けたことが悔しい。気分を変えようと食事をしに外に出たが、レストランも食堂も屋台も何もない。あるのは高級そうなアパートと理髪店だけだ。(ここもかいっ!) どうやらここは上海のはずれのようだ。その夜はローソンでハンバーガーとジュースを買ってホテルに帰る。(何で上海まで来てこんなもん食べとるんやあ~~! 猪瀬~っ、てめえのせいやあ~!!)
翌日は市街地にある東亜飯店に泊まる。このホテルは上海銀座と呼ばれる南京路に面しており、常にごった返している。夜ともなるとネオンサインがまたたき、地元の人間と観光客とおのぼりさんと物乞いでにぎわう。あ、それと忘れてならないのが繁華街には必須の売春婦とポン引きである。上海ガールもさることながらしつこいのがポン引きだ。もし、あなたが上海に来て東亜飯店に泊まり、夜になって南京路に一歩でも足を踏み出してごらんなせい、びしっとスーツに身を固めた兄ちゃんがすっと近寄り「女はどう?」と聞かれる確率はインドのデリーで観光客がお金をせびられる確率に等しい。さらに歩くと3メートルごとに声をかけられるのは間違いない。南京路を端から端まで歩くと、少なくとも20人からは声をかけられるだろう。(私はここをポン引き通りと命名) バカも~ん、それでも中国か! 全く嘆かわしいわい(by 磯野波平)。私も一人の兄ちゃんにマークされ、しつこく勧められるのでしつこく断るのだが、諦めないので「女は嫌いだ。男がいい」と言うと、「それじゃあ、カフェに行こう。案内するよ」と後ろも見ずにスタスタと歩き出した。バ~カめ、他のカモを探すんだな、と私は反対方向へ歩き始めたのだが、そういえばテレビのバラエティ番組でアグネス・チャンがこんなことを言ってたな。
「中国で誰かが結婚するとするでしょう。相手が上海人だと親は『とんでもない! やめなさい!』って反対するんですよ。ホント、これホントの話ですよぉ」 こんな十何年前の話を思い起こさせるとはさすが中国三千年の悠久の歴史。 私が親だったら、やっぱり反対するな。(まだつづく)
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チャイナ旅行記のリターンズです。
大手旅行会社のパッケージツアーであれば円滑に旅行が行えるであろうけども、本当に一匹狼の海外旅行なので怒りのチャイナエクスカージョン(中国小旅行)といった具合です。
そればかりか、上海と香港の競争意識というものは日本における東京と大阪に匹敵する争いも裏側にあるとは思います。 実は、中国のあの町が悪いといったお話はよく聞くお話なのです。「某Fという町の住民は何を考えているか分からない。」と直に国内在住のチャイニーズに私は教えられました。
今回も、ある意味、典型的な辛い思いをしてきた海外旅行のお話ですね。中国で中華料理ではなくて、ハンバーガーとジュースというのも辛かったんでしょうね。 テレビ番組の豪華絢爛な海外旅行のお話とは違い、辛く惨めな個人のお話です。
#24 飛んで上海 その2(リターンズ)2015/2/17(火) 午前 1:38
#24 飛んで上海 その2(リターンズ)
2011-11-01 | Weblog
上海の裏通りを歩いていると、かつてはここいらに阿片窟や娼館が立ち並んでいたのかなと感慨深いものがある。租界時代に建てられたオールドホテルの「和平飯店」なんか往事を偲ぶよすがとなるに充分だ。ここにあるオールド・ジャズ・バーでスイング・ジャズに耳を傾けていると魔都と呼ばれ、スパイが暗躍した国際都市上海の在りし日の姿が彷彿としてくる。嗚呼、東洋のマタハリと呼ばれた男装の麗人、川島芳子と李香蘭(実は日本人、山口淑子)との倒錯した怪しいロマンス。「白蘭の歌」「支那の夜」そして「上海の女」に江湖の婦女子は紅涙をしぼるのであった、って私はいくつやね~ん! (と一人でつっこんでます)
アミューズメント・パークの「大世界(ダスカ)」はレトロ。老朽したビルの中に小部屋がいくつもあり、京劇、奇術、映画館、ディスコ、ゲーセン、似顔絵、お化け屋敷等をやっている。野外ステージでは私が行った時は子供たちが雑技をやっていた。ここの雰囲気は日本の昭和三十年代であり、大阪の新世界界隈に似ている。そういえば、ダスカの作りはフェスティバルゲートにそっくりだ。もしかしたらダスカにコンセプトを合わせて作ったのかもしれない。レトロっていうのは古い感覚と新しい感覚との境界線にできるのだと思うが、その極めつけが街のあちらこちらにあるカフェだ。
上海でカフェと呼ばれる喫茶店は上海人にとってのおされな社交場となっているらしい。外装も内装も全然、垢抜けてないのがかえって新鮮だ。私の入ったカフェは席がつい立てで仕切られていて(同伴喫茶?)、ビニールのテーブルクロスの上にアクリル板が敷いてあり(う~ん、レトロっすねえ)、ろうそくが立っている。何だか懐かしい。コーヒーはネスカフェで15元。ソフトドリンクはココナッツジュースしかなくて(しかも缶入り)、20元。日本人は珍しいらしく、店の人たちが話しかけてきたので彼女たちと筆談をした。
上海を旅した人の本を読んでいたら、上海風呂に入りたくなった。幸い、宿泊しているホテルの裏に「浴徳池」という大きな垢すり風呂がある。さっそく行ってみた。まず、バスタブにつかって、体をあたためる。それからすっぽんぽん状態で大理石の台の上に寝そべり、垢すりをしてもらうのだが、これがくすぐったい。それが終わると個室に案内される。バスタオルを腰に巻いて待っていると、男が二人現われた。一人はマッサージ担当で全身を隈無く揉んでくれる。もう一人は手足の爪を切り、やすりで磨き、角質まで削ってくれた。その間にも別の男が煙草を勧めたり、コーラを持ってきたりと至れり尽せりである。全行程の所要時間は2時間。いい気持ちで受付に行き、請求書を見せられてびっくり! アメリカン・コミックなら目玉が30センチほど飛び出てたね。 二人分で884元!(その時は友人と行ったのだ)
明細を見ると、爪磨き代はもちろん、コーラ代やおしぼり代までしっかりとつけられていた。そうならそうと、事前に言えよっ!
「高い」と思わず言うと、「タカクナイヨ。ニホンジン、ミナハラッテクレルネ」(日本語)と言うのだが、日本人は納得して払ってんのか?
「もう少し安くならんか?」とねばっていると、従業員が五、六人出てきて無言で圧力をかけてきた。暴力バーならぬ、暴力風呂かいっ、ここは。そんなことだったら、六人の男にチップを計220元もやらんかったらよかったわい。
「女、いらない?」 帰り道で追い討ちをかけるように、またポン引きが声を掛けてきた。(しかも同じ男)
ということで、今回の旅で得た教訓。「インド人と中国人には勝て~~んっ!!」 はいっ、大きな声で皆さんも御一緒にっ! (泣)
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先月に続いてチャイナ旅行記のリターンズです。
この海外旅行記は、平成初期から平成10年代にかけて作成されたので、平成20年代の現在とは違ってきている部分があるのを理解した上でお読みいただければ幸いです。将来的には、この文章も古くなるであろう。
フェスティバルゲートですが平成10年代には営業していて現在は閉鎖されていますが、なんとマルハンが、2013年6月にレジャー施設を建造し開業するそうです。現在は、新規改装の為の準備期間でしょうか?
スパイや忍者はいつでもどこにでも存在していて単純に有名になったかどうか位のようです。
上海も含めて、日本人があまり行かない海外の店は案外、良くないお店というか悪評がすでに知れ渡っていたり何らかの情報が広まっていたのかもしれませんね。実際の所、見積もりをせず(ないしは、価格を把握しないまま)お金を支払うようなことがないようにしないといけませんね。ある程度は、普通の海外旅行記を読んだ上で海外の町を探索してもよろしいでしょう。ドリアン長野の場合、半ばぶっつけ本番であったりします。
そういえば、インドと中国の両国は、10億人以上の人口を抱える国家としても有名ですね。
軽自動車で有名な某S社も、インド進出には今でこそ成功し賞賛されていますが、過去には相当苦労したそうでインド側から追加の投資を求められても拒否をして日本のビジネスのやり方に目覚めさせた過去があったそうです。 そういうこともあってか、日本の民間企業は世界最強とも言われているそうです。実際の所、内容の是非については大別されるかもしれませんが、某T社も自動車の販売台数が世界#1になりましたね。 ご存知のように、販売台数が多くても経営面で厳しく黒字と赤字を短期間で繰り返していたそうですからその辺りでも考える人は多い。評論家によっては、「部品の仕入先を項目別で一本化したのは過失だ。」と主張しています。案外、それなりの待遇で生活をしていると言われている在外邦人が高いお金を海外で支払っているかもしれません。 在外邦人の一部は海外ではリッチでも日本では月並みです。
オマケ
追記 2014年にマルハンがフェスティバルゲート(遊園地)の跡地にパチンコ店を開店させました。又、2015年二月27日にMEGAドン・キホーテ新世界店が開店する予定だそうです。ご存じの方も多いと思われますが、計画が二転三転して現在に至るといった具合です。店舗面積が大きいギャンブルよりも良い商品を買いに大型の小売店に行く人の方が多いかもしれません。 http://www.donki.com
(さらなる追記 私は2010年代と平成20年代を兼ねた時期に何度かMEGAドン・キホーテ新世界店訪問しました。良いお店でした。)
地下鉄にて#2 平成27年2月 2015/2/17(火) 午後 11:57
地下鉄にて
「ゴールデンボンバーの鬼龍院翔ってものまねもできるんやね」
「えっ、そうなん」
「ユーミンのものまねでピアノの弾き語りやってたよ」
「へー、知らんかったわ」
……それ清水ミチコ(^^;;
大阪の地下鉄の特徴。 毎日乗っていれば遭遇するでしょうね。
#25 インド編その1 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 0:27
#25 インド編その1 (リターンズ)
2011-12-01 | Weblog
人間は二種類に分類される、とは巷間よく言われることである。古典的なものでは猫的人間か犬的人間か、流動型か土着型か、果ては野球に熱中する人間かそうでないか、ドアーズを聴いたことのある人間かそうでないか、その伝でいけばこう言えるかもしれない。この世は二種類の人間しかいない。インドに行ったことのある人間とそうでない人間と。私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。――
なんてね、オレは沢木耕太郎かってえの。このようにインドとなると人はテツガクしてしまうのである。私がインドに旅立った(そんなに大袈裟なもんじゃないけど)のは自分を変えたかったからだ。(まだ若かったんです。すいません) その頃の私は私生活で色々とあって、その打開策を旅に求めたんである。旅に出て、人間をひと回りでかくして日本に戻ってくるぞっ! そのためにはやはりインドだっ! と、かようなことを考えていました。(あの、旅行は一週間だけです。大馬鹿野郎です、私は。生きててすみません)
といういうわけでエア・インディアで成田を飛び立ち、私は機上の人となった。(まだかっこつけてる) 機内食とサリー姿の太めで愛想の悪いスッチーにうんざりし始めた頃、ようやくカルカッタ(現コルカタ)のダムダム空港(現在はチャンドラ・ボース空港と改名)に着いた。ちなみにダムダムというのは地名である。殺傷力が高く、残酷なので使用を禁止されたダムダム弾はここの造兵廠で製造されたそうだ。
夜の7時。タラップを降りると、いきなり暑い。じっとしていても汗が吹き出てくる。しかも硝煙というか、焼けたゴムというか、ともかくそんな臭いがする。しかも空港警備員は小銃を持っている。(帰ろう......かな? と少しだけ思いました) 空港ビル内に入ると、国際空港だとは思えないほど薄暗い。空調なんぞはもちろんなく、天井に三枚羽の扇風機がゆったりとハエを追うように回ってるだけ。それにしてもあっちいーな。なんか飲みたい。
「Drinking water」と書かれたプレートが目についたので近寄ってみると、そこには公園にあるような噴水式の蛇口(下から口に向かって噴水する、あれね)がぽつんとあった。なにもこんなもんに仰々しくプレートをつけんでも.......。いや、ここはインドだ。水道水が飲めるだけでもありがたいと思わんとな。入国審査と税関を終え、外に出ようとしたが、そこで足がピタリと止まった。なんと外にはインド人たちが押すな押すなと黒山の人だかり(インド人だからホントに黒い)で出てくる人間を待ち構えてるんである。それはなにも私が有名人なのでサインをもらおうとか、インドの地を初めて踏む日本人を熱列歓迎してやろうとかといった気持ちからでは決っしてない。やつらはタクシーやホテルの客引きである。全員が、俺はこの客引きに命を賭けてるんだ。なんてったって、家族の生活がかかってるからな。かあちゃん、待ってろよ。明日もチャパティ-を食わせてやっからな。そらっ! 金持ちの日本人が出てきやがった。今夜のカモはあいつだ。ぜってえ、逃がさねえぜ、なんて顔をしてるのだ。
ひえ~っ! あいつらの中に出ていくんかいっ! 思わず「ブルース・リー 怒りの鉄拳」でブルース・リーが暴徒と化した群集や拳銃を構えた警官隊に走り出て、飛び蹴りをかますラストシーンが浮かんだね。(おいっ! おもいっきり美化してないか?)
しかし、ここで回れ右をして帰国してしまっては、末代までの恥だし、航空券が無駄になる。よしっ、待ってろよ、インド人! サムライ魂をみせてやるわあ~っ! と、ここで私は、はたと気づいた。興奮してたんで忘れてたけど、旅行会社で今夜のホテルは予約してたんだ。そのホテルから車が迎えに来てるはずだ。そうだった、そうだった。それならいくら客引きが寄ってこようと恐くはない。私は余裕の表情で空港の外に出た。
「ナマステ~、インドのみなさん、アイ・ケイム・フロム・ジャパ~ン」 がっ、!
「ジャパニ! ジャパニ!」 「タクシー! チープ! チープ!」 「ホテル? カム! カム!」 「グッドプライス!!」 「ベリーチープ!!」 ぎゃあ~! うげえ~っ! 「#$%&♀¥!!」
うるさいわいっ! 私はフランスに凱旋帰国したトルシエ監督なみにもみくちゃにされた。(トルシエって、確かフランスだったよな。サッカーに無知なので事実誤認があったら許せ、サッカーファン)
ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。 「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」 「イエス! イエス! イエース!!」 私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」 そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!! (つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
改めて、日本はとりあえず法治国家なのかと思えてしまいますね。実際には、そうでもない時もあります。本当にインド人に私は日本からやってきたと発言したから、インド人にだまされそうになったみたいです。
平成十年代に日本代表のサッカーチームを指揮していたトルシエ氏は、平成22年にテレビコマーシャルに出演されたから健在ぶりをアピールしていましたから、人々の記憶に新しいと思います。(それも今となっては4年以上前だから随分前か?)
空港名(ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港)は現在、変更されているそうです。 人によっては、旧名を発言してしまう人もいるかもしれませんね。
インド旅行は、基本的に暑いといったお話を耳にします。今回もそういった内容です。一方でインドでも北部や標高の高い山間部(世界で最も標高が高い地域のヒマラヤ山脈等)はとても寒いです。日本国内でも沖縄県と北海道では全く天候が違います。それと、同様ですね。
今回の海外旅行記のインド第3の都市コルカタは、どちらかというと北インドの影響が強い地域でインド東部(西ベンガル州)の海に面している暑い町のようです。国の天候に限っては、町によって変わってくるから決め付けるのではなくて、国内の複数の町において、暑い・寒いが混在しているといった考えを持たないといけないと考える所存です。
過去に複雑な出来事があったから東部であっても西ベンガル州になったそうです。言い換えると、東側のベンガル州は現在のバングラデッシュになっています。インド東部であっても西ベンガル州で正しいと認識する事が求められています。1905年には東ベンガルは存在していた。後に戦乱の影響で現在のバングラデシュになりました。
皆様、これからもお願いします。これからのドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
オマケ 二月だから実質的な年度末に新シリーズを始めるのは、陰陽か? 始めであり、終わりであるか?
#26 インド編その2 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 0:58
#26 インド編その2 (リターンズ)
2012-01-01 | Weblog
#26 インド編その2
「グレート・イースタンホテル」の大理石のバスタブにつかりながら私は考えていた。
「カルカッタくんだりまでやって来て、こうやって高級ホテルの風呂にのうのうと入っている場合か。インド8億の民衆の生活を知るためには、やっぱり安くて汚いゲストハウスに泊まって貧しさを肌で感じなければ。民草の中に入っていくのだ。カースト反対! ガンジー万歳!」
お前は民青かっ! と思わず突っ込みを入れたくなるほどの勘違い野郎だ。あえてゲストハウスに泊まる理由があるとすれば、お金を倹約したいとか、居心地がいいとか、貧乏の疑似体験をしてみたい等であって、民衆の生活なんぞ分かるはずもない。 「それはお前の自己満足やろが~っ!」と今の私なら当時の私に回し蹴りをかますところだ。
とにもかくにも翌朝、私はサダル・ストリートに行こうとホテルを出た。インドの中でも最も汚いといわれるカルカッタ。そのカルカッタで最も汚いといわれるのがサダル・ストリートだ。ってことは宇宙で一番汚い場所だ。その界隈にはありとあらゆる病原菌が生息しているという。そこに安宿が密集しているのだ。白人バックパッカーに道を尋ねながら歩いていると、老婆やら子供を抱いたお母さんやらが「バクシーシ(おめぐみを)」と右手を差し出してくるのだが、ギョッとなることもしばしば。指がニ本か三本欠けている。五本ともない人も。ハンセン病だ。あきらかに顔が変型している人もいた。ううっと重苦しい気分になって先を急ぐ。
バックパッカーの間ではその名を知らぬ者はおらず、小説にまでになった「ホテル・パラゴン」に泊まろうと思い、リキシャーワーラー(人力車のようにうしろに人を乗せ、自転車でこいでゆく乗り物がリキシャーであり、それをこぐ人)に場所を聞く。すると横にいた客引きの兄ちゃんに「パラゴンは満室だ。俺の知ってるホテルに案内してやる」と紹介されたのが「キャピタル・ゲストハウス」(一泊60ルピー。当時のレートで1ルピー≒12円とお考えになれば大体の目安となるでしょう)だった。実は、客引きがそこは満室だと嘘をついて自分と契約をしたホテルに連れていき、キックバックを得るのはよくあることだったが、当時の私には知る由もなかった。
生まれて始めて泊まったゲストハウス、キャピタルは冷房なし、トイレとシャワー(水)付き、ベッドのシーツは少なくとも一か月は換えた形跡なしであったが、別に不自由は感じなかった。もう1ランク下がると、トイレとシャワー(水)共同、シーツは少なくとも半年間は換えた形跡なし(南京虫付き)になる。
宇宙で一番汚いサダルは小便横丁という表現がピッタリくる。あっちこっちがぬかるんでいて、あっちこっちにウンコが落ちている。サダルにいるのはビンボー旅行者と物売りと乞食と詐欺師と泥棒と野良犬だ。乞食とそうでない人の境界はきわめて曖昧で、排水溝で体を洗っている人もいれば、道端で寝ている人もたくさんいる。この通りにいれば、いろんな人にやたらと声をかけられる。
「ジャパニ、○リファ○いらないか? ○シ○は?」 「マネー・チェンジしないか? レートがいいぞ、フレンド」「パージャーマー買わないか? 安くしとく。フレンド・プライスだ」 「マイ・フレンド、お土産にサリーはどうだ?」
おいっ、会ったばかりで名前も知らんのにフレンドたあ、どういう了見でえっ。そう、インドでは友だちになるのに時間は必要ないのだ。友だちができないと悩んでる君、インドに行って、友だちをつくろう! 友だちに国境は関係ないのさっ。さあ、君も今すぐレッツ・ゴー・トゥー・インディア!
「ハロー、ジャパニ。インドは初めてか? どこから来た? トーキョー? オーサカ? 俺も日本には仕事で行ったことがある。ヤマモトを知ってるか? 俺の親友だ。何、知らないのか。まあいい。ところで俺の知り合いが店をやってるんだが、寄っていかないか? お前はトモダチだから特別に安くしてやるよ。お金持ってないって? ノー・プロブレム。見るだけ。見るだけならノー・マネーだ。オーケー? こっちだ。ついてこい」
私もインド滞在中に何回も同じことを言われた(違うのはヤマモトがタナカになったり、ケイコになったりするだけだ)。こうして大阪商人も顔負けの狡猾さでうぶな旅行者を店に引っ張り込み、適性価格の何十倍もの値段をふっかけ、最後にはケツの毛までむしり取ってしまうのだ。ああ、恐ろしや、インド人。
私の経験では、アジアでの物売りと物乞いのしつこさランキング第一位はやはりインド人だ。断っても無視しても、どこまでもどこまでもどこまでもついてくる(いやな男にナンパされる女の気分か?)。後年、タイやネパールやカンボジアに行った時、物売りや物乞いのあまりの淡白さに「もっと気合い入れて仕事せんか~いっ!」と思っちゃったほどだす。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
インドは、現在(平成23年の時点において)は10億人を越える人口を抱える国家としても有名です。 核兵器を保有しているインド。 将来的にインドは核戦争を戦うのであろうか?
病気についても深刻な状況です。一説によると多剤性耐性結核菌がインドでは猛威を振るっているとも言われています。単純に日本と違って販売の規制が緩いと言われている抗生物質の使いすぎだけではなくて、治療の仕方に問題がある患者が多いからだそうです。日本でも治療の途中で放棄をする患者が多くいるそうです。不況の影響で、8割程直った元重病人ないしは重傷だった患者が医療費を踏み倒す為に病院から逃亡する事例は少なくないと言われています。 こういった行動は治療費の踏み倒しだけが問題ではなくて、病原菌を拡散させる行為なので辞めていただきたいのが本音です。
国内産業の保護につながるか否かは不明ですが、スズキ自動車がインドでの商売で成果をあげているようです。インド人が理不尽な要求をしてきた時には否定を躊躇しなかったのが成功した要因だったようです。実際の所、日本国内の工場との競争がございます。従って会社内の海外工場とはそういったやり取りが必ず発生します。昨今のような状況ですと日本の工場からだけではなくて将来的にはインド製の自動車も日本国内で一般的に販売される可能性は否定が行えません。
今までは単純なお笑いエッセイでしたが、インド編については全く笑えないお話が幾つも平成十年代に発表されました。そして、2010年代になって再発表しています。
確かに是非は大別されるかもしれませんがカレーライスの原材料の香辛料ばかりかアパレル商品もインド製が増加して日本で販売されるようになってきました。
こういった海外旅行記を読むことで日本の長所を再認識された人々も多いと考えます。
平成20年代になって幾分、経済が良くなったかもしれないインドですが、恐ろしいお話については、次回のリターンズでお伝えします。
x#27 インド編その3 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 1:11
#27 インド編その3 (リターンズ)
2012-02-01 | Weblog
#27 インド編その3
at 2003 11/28 21:37 編集
インドはいうまでもなく暑い。めったやたらと暑い。気温は、少なくとも香港風邪にかかって病院のベッドでうんうんうなっている重病人の体温よりは高いのは間違いない。歩いていると熱風に包まれたようになって息が苦しいし、脳みそが沸騰してくるので難しいことは理解できなくなってくる。そんな炎天下で男はクルターとパージャーマーの上下、腰巻風のドーティーやルンギーといった服装が多いが、女はどこへ行ってもどんな時でもひたすらサリーだ。道路工事や建築現場でも男に混じってサリー姿の女が土の入ったざるを頭の上に載せて運んだり、レンガを積んだり、ツルハシで穴を掘ったりしている。労働するからちょっとTシャツとスパッツに着替えてくる、というわけにはならないのだ。インド初の地下鉄がカルカッタで一部開通したが、地下鉄工事中も機械を導入する資金がないのでサリー姿の女性を含む人夫たちが手作業で労働に従事していたそうだ。他の国からはあの調子では開通するまでに100年はかかると言われていたぐらいである。そのありがたい地下鉄に私も乗ってみることにした。全線1ルピー。電車内は信じられないことに冷房が入っている。冷房ぐらいは当たり前かもしれないが、ここはカルカッタである。天井で回っている三枚羽の扇風機でもおかしくなかったのに。快適。喧噪と灼熱地獄の地上とは別世界だ。その地上へと昇っていくエスカレーターの前では男の子の手を握ったお父さんが必死になっていた。小さい頃、初めてエスカレーターに乗ろうとした時を誰もが覚えているだろう。動くステップに一歩を踏み出すのはなかなか難しいんである。お父さんが恐る恐る足を出す。タイミングが合わなくてつんのめりそうになる。もう一度足を出そうとするが、次々とせり出してくるステップが恐くて躊躇する。その横では奥さんが「あなた、がんばって」という顔つきで見守っている。そのうしろでは大勢のインド人が「落ち着けよ、あせるなんじゃないぞ。それっ、今だ」というような面持ちで真剣にお父さんを見つめている。小さな子供ならいざしらず、大の男が必死になっているのが笑える。インド人にとっては初めての経験だもんなあ。それはインド人のしつこさに辟易していた私にとって、今思い出しても頬のあたりが「むふふ」とゆるんでくる唯一の光景だった。
終点で降り、カーリーガート寺院内にあるマザー・テレサの施設「死を待つ人の家」に行く。友人から言付かった医薬品をシスターに渡し、布に包まれた遺体をみんなで運んだ。帰りにカルカッタのメイン・ストリート、チョーロンギー通りを歩く。ここは世界一の人口過密都市と呼ばれるカルカッタにおいてもさらに人の行き来が激しい。夜になると明かりが少ないので、気をつけてないと人とぶつかるのはもちろん、往来に寝ている乞食を踏んづけてしまうこともある。その日もスリに注意しながら歩いていたのだが、いきなり、という感じで通りのまん中に10歳くらいの少年が寝ているのを見つけた。通行人はその少年をじろじろ眺めたり、一瞥しながら通り過ぎて行く。少年には両腕がなかった。上着を着ておらず、本来なら腕の付け根がある場所に赤黒いケロイドの皮膚が少し盛り上がっていた。少年は怒りも恥ずかしさも悲しみも感じさせない無表情な眼でただ空を見ていた。彼は一日中そうやって寝ているのだろう。しばらく見ていたが、彼にパイサやルピーを投げ与える者はいなかった。日本に帰ってから知ったのだが、本当に貧しい親は子供を不具にしてしまうそうだ。そうすれば子供は物乞いとして生きていくことができる。その少年がそうなのかは分からないが、私はやり切れない気分だった。
人間はどんな環境においても順応していける動物だと私は思う。単純に貧しいから不幸だとか、豊かだから幸福だとかを言うことはできない。先進国にも苦しんで自ら命を断つ人はもちろんたくさんいるし、後進国から先進国の人間を見て、自分にはとてもじゃないがあんな生活はできないと思うこともあるだろう。幸福感というのは主観的なものなので、インド人が皆不幸であると思い込むことは先進国の人間が皆幸福であると思うのと同じくらい愚かなことだ。確かにインドは限り無く貧しいし、不衛生で識字率も低い。障害者も多いし、今もカーストやサティーやダウリー(注)という文化が存在している。悲惨だと言う人もいるだろう。しかし、同カースト内では相互扶助的に生活しているという例もあるし、サティーに至っては自ら進んで殉死する寡婦もいる。まるで藤子・F・不二雄の「ミノタウロスの皿」だ。それはパラダイムの見直しであり、「人権」というタームでは火の中に身を投じる寡婦を止めることはできない。我々の文化で彼らの文化を計ることはできないし、かといって全ての文化は等価だと言うこともできない。けれど少なくとも、もし、今度生まれ変わるとしたらインドと日本とどちらがいいかとインド人に聞いたら、ほとんどが日本だと答えるんじゃないか(今の私だったら必ずしもそうだとは思わない。その時代のその国に生まれて後天的に形成された言葉をも含む共通の価値観はそう簡単には越えられないからだ。日本人がアメリカに生まれたい、と思うこととは違う)。私はインド滞在中、ずっとそんなことばかり考えていた、っていうか考えられずにはいられなかった。それほどまでに当時の私にとって、インドはカルチャー・ショックだった。(つづく)
注 サティー 夫に先立たれた妻が夫の遺体と共に生きながら火葬される習慣。法律では禁止されたが、なく なったわけではない。
ダウリー 花嫁の父から花婿に贈られる財産や持参金。ダウリーが少ないために姑に嫁が殺されたり、親の負担を案じて自殺した姉妹もいる。なお、カーストはポルトガル語、ダウリーは英語から来ており、それらを表わす言葉自体インド語には存在しない。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
内容が内容だけに幾つか存在しています。インド国内は日本国内と同様に北海道の気候と沖縄県の気候が全く違うように極寒のヒマラヤに近い北部の標高が高い山々と赤道に近接しているスリランカに近い南部とは全く気候が違います。どちらかと言うと、今回はインドでも熱い町のカルカッタの海外旅行記です。
平成十年代のインドでは、エスカレーターに不慣れな大人がいたようです。 地下鉄が出来たのはそれだけ街の経済発展の証拠です。日本でも地下鉄の建設が行われた昭和の時代には手堀が行われていたそうです。
自分の手で歯磨きも食事も行えなくなった10歳のとてもかわいそうな少年には再生医療が必要であるばかりか彼の両親には制裁が必要です。日本人の両親は一生懸命になって仕事をしている。無論、専業主婦の奥さんもおられます。日本国内における平成の親御さんは不景気でとても辛い思いをされています。
残念ながら一部、ロクな説明もなしに寡婦に対して経済的な援助を事実上求めてくるがゆえに、人の良心につけこむような人も日本にはいて大変困った事がありました。迷惑をかけてきた後だったから気分を害したので彼等に対しては自己責任で生活してもらいたいし他の寡婦が真面目に労働してる点を軽んじてるみたいで嫌悪しました。乏しい家庭であれば少しは考慮しますが乏しくないから説明を拒否したと思います。彼等一家は毎日ステーキでも食べてるのでしょうか?責任を果たさずに金銭を要求されるのは強要のようで否定する点についてはやむを得ないのではないでしょうか?
一方で、ドリアン長野はマジメに労働し家族をやしなっておられます。
幸福論については、各自でお考え下さい。経済発展が継続していてインド企業が鉄鋼の分野で世界一であったり英国の自動車会社を傘下に収めた話もあるにはあるがまだまだ苦労が継続するようです。近隣諸国との戦争が勃発する恐れの噂についても頻繁に見聞きします。日本とインドを比較して何が幸せなのかは、繰り返すようですが各自でお考え下さい。とても難しいです。 スズキ自動車もインドで苦労したから今のインド国内での成功があるんです。
これが、世界の現実かもしれません。観光客向けのお店に行ったりおいしい食事をしたり楽しいスポーツをしたりだけではなく、奉仕活動で海外に行く人もいるんです。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
およそ今から3年前に行ったご連絡 平成27年二月
2015/2/18(水) 午前 1:15
平成24年2月中旬に行った管理人マーキュリーマークからの御連絡
2012-02-15 | Weblog
これらの海外旅行記についてなんですが、ドリアン長野が実際に海外旅行をしてきた記録です。但し、かなりいい加減であるばかりかお笑いエッセイなので脚色を加えている部分も少なくありません。
実質的に海外旅行記につきもののお話の中に支払い方法が分からずに右往左往するお話もございます。
又、90年代から平成十年代の海外旅行記なんですが一部に80年代の海外旅行記も含まれていますが当方としてはそれは、事実上90年代の旅行記と考えています。
(追記 実際には昭和末期から平成20年の海外旅行記になります)
価格等も過去の記録ですので現在の通貨価値とは全く違っていますので参考程度に留めてください。 お気楽に肩の力を抜いてお読みいただければ幸いです。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
#28 インド編 その4 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 1:26
#28 インド編 その4 (リターンズ)
2012-03-01 | Weblog
インディア・エアラインでデリーにやって来た。空港から市内行きのバスに乗る。運転手と客のやり取りを聞いていたのだが、ヒンディー語だと思っていたのが英語だと判明するのに30分かかった。ちなみにインド英語の特徴は th をタと発音し、R をはっきりと発音する。だから thirty はターティーとなり、master はマスタルになる。
その運転手にホテルを紹介してもらい、宿泊した翌朝のこと。起きると下痢と頭痛と悪寒とおまけに脚の関節まで痛い。これは赤痢かコレラか肝炎か。インドの地で客死したら骨はガンジス河にまいてくれ。後は頼む、って私は一人旅なので自分で何とかせんといかんのだ。食欲はないが、喉がやたらと渇くのでメイン・バザールでミックス・ジュースを飲む。路上のジュース・スタンドなのだがこれがものすご~くうまいのであっちこっちで10杯ほど飲み倒す。
1月の北インドの朝は寒い。栄養不良のせいもあって毎年、路上生活者が凍死するほどだ。それでなくても寒気がするのでセーターを50ルピーで買う。もう値切る気力も残っとらん。それにしてもニューデリー駅前って敗戦直後の日本の焼跡地みたいだ。朝になるとみんなが路上の至る所で商売用か自炊のための火をおこし、わらわらと人や野良犬や野良牛が集まり始め、その人ごみの中をタクシーやリキシャーが縫うようにして通り抜けてゆく。道端では男たちが座り小便をしている(なぜかインドの男たちは座って用を足すのだ)。
メイン・バザール(バハール・ガンジ)はその駅前にある、安宿や食堂や映画館や雑貨屋等が立ち並ぶ通りだ。今日の夕方にはベナレス行きの列車に乗らなければならないので、駅のクロークに荷物を預けてからうろうろしようと思っていたのだがっ。だっ、駄目だあ~。苦しい。もう一歩も動けん。このままでは死ぐ。ホテルで休ませてもらおうと日本人に人気の「ホテル・パヤール」に行き、「2、3時間やずまぜで~」と息も絶え絶えに頼むと心良く了承してくれた。「だけど一泊分の料金はもらうよ。30ルピー」と付け加えるのを忘れなかったが。
屋上の部屋に案内される。隣の部屋の中年の日本人はインド滞在2か月だそうで、パチパチとタイプライターを打っている。屋上のデッキチェアで昼寝をしに来た日本女性三人は「あの人(私のこと)、病気なんだって。私、薬持っていてあげよう」と話をしていた。私はベッドで苦しみながら期待して待っていたのだが、来なかった(おいっ)。
しばらく横になった後、ホテルを出て駅に行く。預けていた荷物を引き取ろうとすると、クロークのおっちゃんが、「4時15分にならないとここはオープンしないよ」とぬかす。冗談じゃねえ。おれの持ってるチケットは10分発なんだよ。だから開けてくれ、開けろってんだよ。開けろ~っ! 頼む、開けてちょうだい。ね、少しだけだから。開けてくださいまし。開けてくれないと困っちゃう~。開けてったら開けてぇ~。ねえったら、ねえ~ってば~。とすごんだり、すかしたり、傍らのインド人も見かねて加勢してくれるのだが、おっちゃんは「駄目だ」の一点張り。普段は「いいかげん」を絵に描いて額に入れて壁に飾って一人50パイサでお金を取って鑑賞させるほどルーズなインド人がどうしたってんだ。結局、発車時刻を逃してしまった。しかし、インドの列車は10分、20分の遅れは定刻のうちで、平気で4、5時間遅れることはざらにあるとは後で知ったこと。この時も私の乗る列車がまだ到着してなかったことは充分考えられる。とにかくプラットホームに出て、そこら辺の人に次のべナレス行きの時間を聞いてみた。でも8時半だとか11時だとか1時とか人によって言うことが違う。窓口で聞こうにも大勢の人間が殺到していて、下痢と発熱で弱っている私にはそこへ突っ込んで行く気力はもはや残っていなかった。
「インド、あんたの勝ちや」 私はへなへなとその場にうずくまった。「何でインドなんかに来てしまったんやろ~。もし生きて日本に帰ることができたら、今度はハワイに行くぞお」とわけの分からんことをうわ言のようにつぶやいている私に、「どうしたんだ?」と一人のおっちゃんが声をかけてきた。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
このインド旅行記は周知のように90年代ないしはそれ以前の旅行記です。
やっぱり言葉の壁は大きいようです。ドリアン長野自身は英会話が行える人物ですがインド英語は難しく感じたようです。
また、日本国内に居住していても普段から納豆やヨーグルトを食べて胃腸を健康に保つようにするべきだと思います。アレルギー性胃炎という恐ろしい病気も存在します。
インド北部の寒い地域で下痢で苦しんだとしたらもしかするとノロウイルスかもしれませんね。文面から考えるに公の場でノロウイルスが拡散されている恐れがあります。
ミックスジュースですがバリューローソンで1リットル¥108(増税されましたね)でおいしいミックスジュースが販売されているので私はそれを買いたいですね。
インドは、日本と同じ様に北部と南部で気候が全く違います。インド北部と言えば極寒で有名なヒマラヤ山脈が有名です。ヒマラヤ山脈が有名だから東北と北海道を除外した日本国内の多くの町で店舗展開をしているスポーツ用品店のヒマラヤが命名されたと思います。岐阜を始め47都道府県中30以上の町で出店していたら日本国内で有名と言っても言い過ぎではないでしょう。実際には31の町でヒマラヤさんは営業されている(平成24年1月現在)。
インド南部と言えばスリランカよりの南部パンバン島が有名でとても暑い町であるのは想像に難くありません。
インド人は公表している時刻表については守らないようですが、日本人の場合は時刻表を守ります。一方で日本人はかけ声倒れが好きというか提案だけで実行(今回は人助け)しない人も多くいます。
次回、一人の男性がドリアン長野を助けるかどうかはご期待下さい。実はすでに発表されていますけどもね。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
#29 インド編その5 (リターンズ) 2015/2/18(水) 午前 1:29
#29 インド編その5 (リターンズ)
2012-04-02 | Weblog
2003 12/12 22:38
事情を話すとおっちゃんは「べナレス行きの列車は今日はもうないから、チケットをキャンセルすればお金が戻ってくる」と言う。おっちゃんに連れられて案内所に行って聞いてみると「国際外国事務局」なる所で明日払い戻しをしてくれるそうだ。やれやれ、とにかく戻ってきたお金で新しくチケットを買い直そう。おっちゃんは「ついてこい」と手招きをする。この時点でも私はこのおっちゃんを信用していたわけではない。だが、今にも倒れそうな状態であれこれ詮索するのも面倒だったので、大人しくついていくことにした。
駅から5分ほど歩いた場所に旅行会社のオフィスがあり、おっちゃんはそこに入っていく。ここの社員らしい。オフィスで少し休憩してから、リキシャーでおっちゃんの紹介してくれた「ホテル・アトランタ」に行く。ゲストハウスではなく中級ホテルだが、一泊80ルピーと、そう高くはない。おっちゃんは従業員と少し話しをすると帰っていった。部屋に案内してくれた従業員の兄ちゃんに「私は病気である。だから大変苦しい」と言うと、その兄ちゃんは驚いていろいろと世話をしてくれたのだが、その世話が半端じゃなかったんだよ。毛布を持ってくるわ、食べ物を運んできて食べさせてくれるわ、医者を呼んでくれるわ、薬を飲む時間になると水まで持ってきて飲ませてくれた。彼は夜勤なので明日、自分の代わりに私の世話をする人まで頼んでくれた。うっうっうっ。インドでこんなにも人に親切にされるなんてえぇぇ~。私は彼に何度もお礼を言い、やがて眠りに落ちるデリーの夜8時なのであった。
翌朝は6時に起床。下痢はまだ続いていたが、熱は少し下がったようだ。8時半にべナレス行きの列車が出ると聞いていたので、急いでチェックアウトをする。駅で窓口に割り込んでくるインド人たちと死闘を演じたあげく、やっと二等寝台車のチケットが取れた(100ルピー)。ホテルに戻り、フロントで昨夜の彼に渡してくれと、迷ったが10ルピー差し出した。せめてもの感謝のつもりだったが、あれから10年以上立つ今でもふと思う。あの10ルピーは彼の手に渡ったのだろうか? やっぱり、渡っていないような気がするな。
駅で昨夜のおっちゃんに出会った。おっちゃんは「いいか、事務局でチケットを見せれば大丈夫だからな」と言って、風を巻くように去って行った。うっ、かっちょいい。私にはおっちゃんの後ろ姿が高倉健に見えた。そして警戒心のせいで無愛想にしたことを激しく後悔した。親切で話しかけてくる人とそうでない人を見分けるのはとても難しい。今日でも構内をうろうろしていると、いろんな人が話しかけてきて教えてくれたのだ。それでもいい人だと思って気を許せば、騙されることもしばしばだ。結局、旅行者は騙されてボられながら旅を続けていくしかない。絶対ボられまいと肩ひじ張った旅は面白くないし、旅行者は基本的にその国にとって客人だから通行料だと思えば少しくらいボられても腹は立たん(と思えるほどの大人になりたいわっ!)。
しかし、それからがまた大変だった。事務局で聞くと、8番の窓口に行けと言われる。へい、さいですかと8番に行くと13番に行けと言われる。13番に行けば14番に行けと。ああっ、たらい回しだあ~っ。病み上がりの体でひーひー言いながらうろうろしていると、一人の男がここで聞けと13番と14番の間の小さな窓口を教えてくれた。こうしてやっとの思いで払い戻された大枚188ルピーを握りしめ、いつ出発するとも判然としないインド列車に備えて出発(あくまでも予定)時刻の3時間前からプラットッホームで待機していたのであった。青年は荒野をめざす。いざいかん、聖地ベナレスへ! でもここから18時間かかるんだよな。
二等列車に乗り込むと、その中はインド世界を凝縮したような騒々しさである。立錐の余地もないほど混み合ってる車輌にヤギを連れ込むやつがいるし、物乞いがお金をせびりに来たかと思えばおひねりをもらいに歌を歌いに来る人もいる。ガキどもは「バクシーシ」と遠慮なしに手を差し出してくる。こいつら絶対、無賃乗車だな。ななめ前に座っていたおじさんが「chinese?」と聞いてきた。それからこのおじさんが喋ること喋ること。よく分からないインド英語で、俺はガス会社に勤めてるとか東京と大阪にペンフレンドがいたとか、延々とまくし立て、それを回りの乗客が興味深そうに見ている。何時間かして、車掌が検札にやって来た。私のチケットを見て、「この車輌じゃありませんよ」と言う。おじさんが降りる駅で一緒にホームに降り、ポーターにチケットを見せた。 「ついてこい」(インドではこの言葉をよく言われるなあ) そう言うとポーターは私のリュックを肩に担ぎホームを走り出した。列車がどれくらい停車しているか分からんが、乗り遅れたらベナレスはおろか日本に帰ることもままならん。私は必死に走った。こんな時でもなぜか走りながら夜空を見上げ、月がきれいだなあ、なんて思っていた。ポーターの指し示した車輌に飛び乗ると同時に列車が動き始めた。お礼にと彼に1ルピーを渡そうとしたら、受け取ろうとしない。誇り高い人だなと思ったら、「パイサはいらない」と言っている。よく見るとそれは1パイサ硬貨だった。あわててポケットから50パイサを3枚つかみ出し、放り投げた。はあーっ。
疲れ果て、三段寝台の中段にもぐり込み、泥のように寝る。下痢は依然として続いていた。いろんなことがあったような気がするが、インドに来てからまだ4日目なのであった。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
まず始めに今回のインド旅行記を読まれた方々に伝達しますが、この旅行記は90年代かそれ以前の旅行記です。2003年(平成15年)に始めて発表された時点で10年以上前と主張されてます。この旅行記はある意味、アウトレットです。時々、どこかの国の国営放送も大過去の旅行記を放映していますね。それと似たようなものだと考えてお読み下さい。
インド国内であっても病気で苦しんでいる状態であっても地獄から天国へと行ったようなお話でしたね。親切な人がいるかと思えば全然ダメな人も混在している状況です。法治国家は素晴らしいですね。そればかりか、旅行代理店がそれなりの仕事をしているからここまで大変な個人旅行にならないのかもしれません。
しかしながら、日本国内においても行き先が不明瞭な駅が多いのが現実です。なかもず駅(地下鉄)というか中百舌鳥駅(南海と泉北高速鉄道を兼ねた駅)がその典型例かもしれません。ご存知の方も多いでしょうが南海と泉北高速鉄道は同じ車両を利用している場合があるから紛らわしいです。平成十年代のある日、中百舌鳥駅で案内をした経験がありました。地方から大阪府に住んでいる息子さんに再会する為にやってこられた親御さんから質問されましたの案内をしました。私はこの時、彼等とは行き先が違っていたので電車の中では話をしませんでした。彼は、その時娘を連れてきていたから親子で大阪に来られていました。
電車を乗り間違えると怖いですね。千葉県の西船橋駅のように恐ろしい駅がございます。乗り間違えると余裕で30分以上は目的地に到着するのが遅くなります。理由は、電車の本数が少ないからです。しかし、ホーム数が多くて12番ホーム迄存在しているから乗り間違えると試練です。千葉県民の間では有名なお話らしく西船橋駅については爆笑する千葉県民の男性や呆れる千葉県民の女性が居られました。
日本国内で外国人が電車に乗っているのはよくあることで英語が喋れたら長話になることが多いですね。相手が英語を喋れない場合は片言の現地の言葉で終る場合が私の場合は多いです。喋るよりも書籍を読んでも良いかもしれませんね。 過去の時代だけあって、ペンフレンドがいたというのがインターネットによる技術革新を感じさせますね。今ではe-メール、ツイッター、フェイスブックと変化してきていますね。
海外旅行に行く時には胃薬、常備薬、(アレルギー性胃炎の為に)抗ヒスタミン剤等を忘れずに持っていった方が無難でしょうね。国内旅行の時もそうかもしれません。日本国内でも広大な住宅街に赴くと恐ろしいですよ。建物が多くあっても助けを求めにくいですからね。
ご存知の方も多いでしょうが果たして目的地のベナレスにドリアン長野は行けるのか?
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
2006 07/06 23:53から2007 09/04 01:09にかけて掲示板で発表された記事
平成27年2月
2015/2/19(木) 午前 2:18
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
人は時に本当に大きな決断を下す時がございます。 平成10年代は平成20年代ではないのを改めて実感します。
平成10年代に存在していたgoo簡単ホームページは現存しておりません。従ってgooブログに移転させました。そればかりか2014年3月10日を持ってgooメールの無料版も終了しました。そこから導き出した結論はヤフーブログへの移転(転載)です。地味な作業の結果、何とかして移転は一応、終結しました。その後でリターンズと銘打って平成10年代に発表してた海外旅行記に私の感想文や現状との比較等を付加して発表しました。今後はgooブログは何らかの特別な連絡ないしはツイッターの反映だけにするつもりです。平成27年4月1日以降はこちらで月に一回程の割合でフェイスブック上の新作の転載をしていきたいと考えてます。
移転(転載)の期間は短期間であったしそういう時に限って私が体調不良になったりと大変でした。ある機会があってこの一件についてドリアン長野と会話してたら貴重な時間を無駄にする愚か者達が話の邪魔をしてきたりして気分を害しましたね。邪魔してきた人達がマトモと考えてるならば「無神経だから是正を求める。」と言いたいです。保安上の問題もありましたからあまり話したくないし関わってもらいたくありませんでした。
全く違う意味で大きな決断と言えば、平成19年にドリアン長野は結婚しました。平成18年頃から少し忙しくしてたと思います。平成20年頃にタイランド旅行記を夫婦でされて平成25年に海外旅行記を発表してました。恐らく未完の大作で終了しそうです。
上記二点(前者はgooブログへの移転 後者はドリアン長野の結婚)を除外したら良い企業の紹介や簡単ホームページの色の変更等ですので雑多な部分については肩の力を抜いてお読みいただければ幸いです。
最後にお伝えしますが民営企業であるからには利益を出す事が求められる点は否定しないがそれなりに高い標準が求められると考える人は多いと思います。今となってはツイログとヤフーブログが存在してるので仮にgooがサービスを辞める事になってもそれなりの対応が行えるようになりました。まぁ事実上のミラーサイトが存在してるとお考えください。
また、紹介するにしてもヤフーブログ上ではブックマーク等が少し難しいこともありますのでほとんど行ってません。gooブログ上では推奨が行える高い標準を満たしたホームページについては紹介してます。色々とありまして、心苦しい決断を過去に行いました。申請があった前例もございます。全く逆の出来事もございました。平成24年にドリアン長野に実際に出会って下した決断もございました。詳細は述べられないがこちらは霊的に過ごしたいので私とドリアン長野の決断については甘受してもらいたいのが本音です。恐らく、将来的に何らかの変更をされる時にドリアン長野の海外旅行記の紹介が行われなくなっても一向に構わないので今後は関与しないでもらいたいです。
オマケ
私はタイランドに存在してる7月22日ロータリーという名称には驚きました。
追記 まさか、yahooブログがサービスを2019年12月に取りやめるからブロガー版に移行させることになるとは思わなかった。ま、邪魔が入らないだけ良かった。(笑)
2006 07/06 23:53から2007 09/04 01:09にかけて掲示板で発表された記事
2007-09-14 | Weblog
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 09/04 01:09 編集 返信
御連絡
皆様へ
ぼちぼちと移転作業は進んでいます。
部屋が汚いダラズに連絡
私はがんばっていますよ。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 08/18 23:25 編集 返信
ダラスはアメリカの都市
確認したら即メール下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 07/31 19:53 編集 返信
続きなんだけど…
多忙だと思われますが、時間もあって無いような状態ですので、早急に一度、お時間を下さい。
幾つかの道が用意されています。どうしましょうか? 一応、ある程度の選択肢を伝えたので、方向性については考えておいて下さい。継続するにしても様式等が変わるということです。
決してこれは、ジョークでもなければ、嘘でもありません。
結論をお伝えすると、変更の決断が迫られているということです。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 07/31 19:48 編集 返信
超重要<大問題発生>~とりあえず、連絡を下さい~
goo事務局からのお知らせ
goo 簡単ホームページサービス終了のお知らせ[2007/07/31]
日頃より「goo 簡単ホームページ」サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。
2000年12月よりご提供させていただいた「goo 簡単ホームページ」サービスの提供を、
この度2007年9月30日をもちまして終了させていただくこととなりました。
goo簡単ホームページをご利用のお客様におかれましては、突然のお知らせとなります
ことをお詫び申し上げるとともに、長年ご愛顧いただきましたこと心より御礼申し上げます。
なお、サービス終了に向けては、以下のスケジュールで進めさせていただきます。
■スケジュール
------------------------------------------------------------------------
◎7月23日(月):
「goo 簡単ホームページ」新規登録受付終了済
◎7月31日(火):
「goo 簡単ホームページ」から「OCN Cafe」への「日記」データ移行ツール 提供開始
◎9月30日(日)
「goo 簡単ホームページ」サービス終了
■サービス終了後の日記、ホームページの利用について
------------------------------------------------------------------------
◎400種類を超える豊富なデザイン、大容量(最大1TB)の写真や動画、豊富な絵文字など
初めての方にも分かりやすい無料の「goo ブログ」をご利用ください。
現在「gooブログ」では新規でご登録いただいた方へお得なキャンペーンを実施中です。
◎「goo 簡単ホームページ」の「日記」データを「OCN Cafe」に移行し、「OCN Cafe」
でホームページ作成を続行することができます。以下の移行手順をご参照ください。
■OCN Cafeへの日記移行ツールについて
------------------------------------------------------------------------
「goo 簡単ホームページ」の「日記」データを「OCN Cafe」に移行し、 「OCN Cafe」
でホームページ作成を続行することができます。
移行手順は以下の通りです。
(1)OCN Cafe新規登録を行います(※既にご登録済みの方は(2)へお進みください)。
(2)日記データ移行受付画面にアクセスします(※簡単ホームページログインが必要です)。
(3)OCN Cafe IDとOCN Cafeパスワードを入力し、[確認]ボタンをクリックします。
(4)[移行する]ボタンをクリックします。
以上で移行の受付完了となります。受付から最大48時間以内に日記データの移行を行います。
■日記移行ツールご利用の注意点
------------------------------------------------------------------------
OCN Cafeへの日記移行ツールの際は、以下の点にご注意ください。
※アップロードした画像、および日記以外のデータは移行されません。
※日記の本文中に書かれたHTMLタグは無効化されます。
※絵文字は移行することができません。
※1つのgoo IDから1つのOCN Cafe IDにのみ日記データを移行できます。
※移行先に日記のデータが一つでも存在する場合は移行を受け付けることが
できません。
※移行が完了した後に、goo簡単ホームページへ書かれた日記はOCN Cafeへ
移行することはできません(移行操作は1回までとなります)。
■OCN Cafeサービス概要
------------------------------------------------------------------------
OCN CafeはOCNが提供する無料のコミュニティサービスです。趣味や興味が合う人同士が、
サークルを通じて交流したり日記を公開することができます。「goo 簡単ホームページ」
の日記を移行できますので、この機会にぜひご登録ください!
▼OCN Cafe新規登録はこちら
https://cafe.ocn.ne.jp/tool/regist.cgi
▼OCN Cafe詳細はこちら
http://cafe.ocn.ne.jp/ ;
------------------------------------------------------------------------
【※ご注意】
9月30日以降、ユーザーの皆様のホームページの閲覧・編集は一切行うことができません
ので予めご了承ください。皆様のデータは各自保存いただくか、OCN Cafeへの日記移行
ツールをご利用ください。
------------------------------------------------------------------------
「goo 簡単ホームページ」をご愛用いただきました皆様には大変ご迷惑をおかけいたします。
何卒、ご理解賜りますようお願いいたします。
これまで長い間ご愛顧賜り、誠にありがとうございました。
スタッフ一同、心より感謝いたします。
今後とも、gooでは皆様に安全で快適にご利用いただけるサービスを提供して参りますので、
引き続きご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。
■お問い合せ
-
To at 2007 07/07 10:17 編集 返信
追加情報
Travelコーナーに一件追加しました。皆様、お楽しみ下さい。
今回は、借金のお話です。
又、下部に次のページが読みにくいかもしれませんが存在しています。 過去に発表した内容はそちらをクリックしてください。
*補足
<某TV番組の説明>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%8A%E8%B2%B7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6
From 元管理人 To at 2007 06/04 00:28 編集 返信
カンボジア製
半分どうでもいいかもしれないけども、カンボジア製の商品を幾つか私は、所有しています。
単パンというか半ズボンのような海パンに、裏地付きのジーンズとチノパンツです。
それだけ、経済復興が進んでいるようです。 違った観点では、原油の使い過ぎかもしれないけど…
題名とは違う内容だけど、Travelコーナーで一件追加しただけで、たくさんの閲覧者がおられましたね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 06/03 00:50 編集 返信
報告と日本の現状
Travelコーナーにおいて、月例の一件追加をしました。
皆様、お楽しみ下さい。
日本でも似たような御商売をされておられますが、カンボジアであって日本の現状とは全く赴きが異なってきますので、その点は皆様ご勘案ください。
要は、果物のミキサー商売は東南アジアではダメでも日本では問題が無いということです。
私も以前、ジューサーバーにて販売されているジュースを購入しました。 とてもおいしく、一切問題ありませんでした。
http://www.juicerbar.com/
皆様、彼が社会人になって勉学に目覚め休日に十時間勉強して難関の某KS大学に合格した後に、カンボジアで下痢になって中退されたお話の感想文は、BBSで書き込みください。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/27 21:10 編集 返信
LinksとLog
LinksとLogの両者を一部変更。
前者は、AZさんのホームページ。
後者は、色変更。
来月になったら、Travelコーナーに追記予定。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/07 22:31 編集 返信
メインの部分を少し変更
色々と考える所があり、変更。 どこかの球団のような感じだったからなぁ。
水色だったら大丈夫。 思っていたよりかは、読みやすいし…
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/06 00:36 編集 返信
2007ゴールデンウィーク最後の更新?
Linksの部分で少々、調整。 多少ですけどもね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 05/02 23:05 編集 返信
2007年ゴールデンウィークの更新情報
a.本人自身がDiaryコーナーにて、原稿を出版社に渡す過程で遅延が発生した悪影響から今年の発売予定から来年二月に著書の販売がずれ込む事を発表。
b.Travelコーナーにて追加発表。
c.Linksコーナーにて追加。
皆様、よい黄金週間をお過ごし下さい。
From 元管理人 To at 2007 04/17 19:05 編集 返信
追加
Travelコーナーに一件追加。
本編でも伝達しましたが日時等について過去の詳細な記録がありませんので適当に日付けの部分は選択しました。 皆様、ご了承下さい。
~個人的に驚いた事~
7月22日ロータリーというのは、タイランドでは有名だそうです。 そうなんです、タイにある、ロータリーの名称が『7月22日ロータリー』との事です。 詳細は、こちら。
http://www.e-guide-books.com/bkk/syuyouspot/kankou1.htm
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 04/11 00:50 編集 返信
白にしようとしたが黒に変更
題名通り。
テキスト(本分)を白にしたら、CDコーナーが読みにくいので、黒に変更しました。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 03/27 15:31 編集 返信
リンク先追加
西原理恵子公式サイト鳥 頭 の 城を追加しました。
皆様、閲覧してみてください。
From はじめかんりにん To durian-nagano@goo at 2007 03/26 20:58 編集 返信
感動
適当にインターネットを閲覧していたら、素晴らしいホームページに遭遇。
以下は、そのアドレス。
http://www.mormon.org/welcome/06929403-500.html
地味にバナー広告を出している、みたい。
From とりあえず To at 2007 03/23 14:40 編集 返信
ある動物
http://www.youtube.com/watch?v=ym5HXo1meQU
<object width=425 height=350><param name=movie value=http://www.youtube.com/v/ym5HXo1meQU></param><param name=wmode value=transparent></param><embed src=http://www.youtube.com/v/ym5HXo1meQU type=application/x-shockwave-flash wmode=transparent width=425 height=350></object>
From エヘヘヘヘ~ To durian-nagano@goo at 2007 03/17 00:12 編集 返信
ミラクル
元管理人です。
なんか、昨晩、ちょっとこうおかしな事が続いていたりしました。
メールサーバーに問題が発生したりとかぁ、飲食店で異物混入とかぁ、水が拭かれていないお皿で餃子が出てきたとかぁ、だけど、本当に強烈なのは、あなたの結婚がほぼ決まった事と、ファクトリーミュージックさんも結婚が決まった事かな?
脱力しています。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 03/11 16:16 編集 返信
思い出すよなぁ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070311-00000024-nks-ent
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 03/02 21:36 編集 返信
Linksに一件追加
題名通りです。
ひょっとしたら、本日のこの更新が、今月の最初で最後の更新かもしれません。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 02/04 16:23 編集 返信
トラベルコーナーに追加
いつも通りの追加です。
そういえば、今回の追加で思ったのは(個人的な読書感想文)、京都大学って超インテリだけど、ダメか?
明るくてもインテリがいてるけどもなぁ。
私は過去に責任をとってもらった人から「狡猾」と非難された経験がございます。これも、難しい問題ですね。 まぁ誇りに思うべきなんでしょうけどもね。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2007 01/28 15:01 編集 返信
リンクの追加
リンクを追加しておきました。
皆様、御確認下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 12/21 00:45 編集 返信
追加
Travelコーナーに一件追加しました。
恐らくは、本年最後の追加だと思われます。
皆様、良いお年をお過ごし下さい。
From 元管理人 To at 2006 11/21 23:42 編集 返信
追加
Travelコーナーに一件追加しました。
Linksコーナーに一件追加しました。
ー皆様にお知らせー
Travelコーナーなんですが、過去の内容(お笑いエッセイ)ですので、記憶を頼りにした記録なので、あまり正確な記録ではありません。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 11/11 12:50 編集 返信
画像編集ソフト
画像編集ソフトですが、どうしましょう?
とりあえず、返答下さい。
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 10/14 15:04 編集 返信
総裁のニューバナー
http://www.mas-oyama.com/img/banner_godhand_8831.gif
http://www.mas-oyama.com/img/banner_godhand_350115.jpg
上記の二点ですが、どうしましょうか?
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 09/22 22:24 編集 返信
いきなり
かっ飛ばしていますね。 $100やられたのには笑いました。
「日本国内で寄付してきました。 私は急いでいるので失礼します。」位の返答して、先を急いだ方が良いなぁと私は今考えています。
とりあえず、Diary復帰おめでとうございます。
まぁ、確かにしばらくは更新がなかった状態でしたね。
これからも、がんばってください。
超不定期更新ですので皆様、気楽にこのホームページを閲覧してください。
From かおる To durian-nagano@goo at 2006 09/18 23:34 編集 返信
RE:祝10000 人
Slimyお元気ですか?わたしは元気ですが、あなたの家に行けないでいます。今pattiの本を読んでいます。彼女を紹介してくれたことに感謝してる。bad news or good news教えてください。また逢える日まで さようなら。
From 元管理人 To at 2006 09/06 21:35 編集 返信
色々と~(4点程連絡)
1.
先週土曜日(9/2)に、メニューの背景色を赤からカーマイン色に変更しました。
2.
Linksで紹介しているサイトの説明文をわずかですが増加させました。
実際には、「バナーが採用された上での相互リンク」と書き記したのみです。
3.
これからしばらくは、Diaryコーナーでの海外旅行記の発表はありません。
代わりに過去に発表した海外旅行記をTravelコーナーで発表予定です。 当ホームページは、個人的な旅行記であり過去の事ですので有名なTV番組「水曜どうでしょう」のような正確な記録ではありません。 基本が「お笑いエッセイ」ですので、その部分については御理解下さい。
これからもホームページの継続はしますが、「一応、目標として10000人を超える閲覧者が来たら良いなぁ~。」といった感じで始めました。 そして、その目標は到達されました。 皆様、これからもよろしくお願いします。
4.オマケ
NO 110 インド編 その6で発表されていた「パルナス」については、このホームページを閲覧してください。
おいしいお店でした。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~toyoura/parnus/
実は、以前に、パルナスから独立して今でも忠実にその味を守っているお店である「モンパルナス(尼崎市)」に私は来店し商品を購入し、食した事がございます。おいしかったです。
又、今年の9月8日(金)~13日(水)の6日間、近鉄百貨店阿倍野本店にてウィークリー・ベーカリーのコーナーでピロシキ、パンの販売を行われるそうです。
http://www.pirosiki.com/
From 元管理人 To durian-nagano@goo at 2006 07/06 23:53 編集 返信
一応
先程、色並びに、リンクの文字の色を変更しました。
とりあえず、返答下さい。
メインで発表していたコメント
2007-09-14 | Weblog
ドリアン長野ホームページ
長期休暇もない
有給休暇もない
リーマン・ パッカーが、
短い休日と高い航空券
にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ
御意見・御感想をE-mailで送信
されたい方はこちらまで
durian_nagano_more@yahoo.co.jp
一応、月一回更新していくつもりです。
2007年1月7日
色々と変更しました。2007年五月17日
ご連絡
現在(平成27年2月19日)は、ドリアン長野はフェイスブックに加入してるのでそちらで連絡される方がよろしいかもしれません。
追記
https://ameblo.jp/nanaka711/
もしも、フェイスブックに加入されてない方でドリアン長野の新作を楽しまれたい方は上記のMikiのブログを楽しんでください。
過去の連絡 平成27年2月 2015/2/19(木) 午前 3:17
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
私がリターンズ(ドリアン長野が発表した旅行記に私の感想文を追加した上での再投稿)を開始する前には思い悩みました。その葛藤の記録のようなものです。実際の所、国際情勢は大きく変化してきてます。平成10年代並びにそれ以前の海外旅行記が大半だと考えて読んでもらえれば幸いです。
画像の発表等が平成20年代になって増加したのは単純に改善されたと考える人々は多いと思われます。
この一件の説明については不可避ですね。周知のように、新風舎は平成23年以前に完全に終わってしまいました。幾つかの名作は違う出版社から発売されてるようですし新風舎のようなお仕事をされてる企業は幾つか存在してるようです。
私のホームページは新風舎の営業マンが読んでも相手にされなかったようでその点は悔しかったですね。(笑)
これからの予定ですが、平成27年2月末迄は毎日のように更新をしていきます。来月は少し未定ですが再来月の平成27年4月一日以降は月一回、フェイスブック上の新作の転載をこのヤフーブログで行っていきます。
以上の事を踏まえて過去の記録を読んでもらえれば幸いです。
(追記 ドリアン長野は新風舎から書籍は販売されないままに終わりましたが産経新聞の夕焼けエッセーの月間賞を獲得しましたので逆転ホームラン?)
【夕焼けエッセー3月月間賞】「父と大山」の長野美樹さん https://t.co/KoOI9J8jCE @Sankei_newsさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2019年4月20日
移転完了
2007-09-14 | Weblog
From 元管理人 To at 2007 09/14 01:54
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano
皆様に伝達事項がございます。
ドリアン長野の海外旅行記は上記のURLに移転しました。
内容は、同じですが様式は変わりました。
又、恐らくは新規の旅行記は追加されない見込みです。
お読みいただき、ありがとうございました。
まさか、一日で700名を超える人々が閲覧していたとは…
2007-09-19 | Weblog
御意見・御感想をE-mailで送信されたい方はこちらまで
durian_nagano_more@yahoo.co.jp
元々は下記のホームページで海外旅行記を発表していました。
http://members.goo.ne.jp/home/durian-nagano
そして、
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano
に移転しました。 リンクされている方々はURLの変更をお願いします。
2007年九月19日
実際には、先日(9/15)、774名もの人々が閲覧されておられました。 その前日が、576名でした。
やはり、冷たい心よりも、暖かい心に基づく海外旅行記に心を打たれた人々が多かったのかなぁ?
お笑いの部分もございますがね。
皆様にお知らせがございます
2007-10-05 | Weblog
2007 05/01 21:26
「ドリアン日記」(仮題)はマンガエッセイです。マンガの完成が予定より遅れたので、11月刊行が2月になりました。
ー以前、上記のように発表しました。ー
<『ドリアン日記』発売取り止めの御連絡>
大変、残念ながら、来年二月に発売を予定していた『ドリアン日記』でございますが諸事情により発売を取り止める事に成りました。皆様、ご了承下さい。
くり返しになるようですが、ドリアン日記は、発売されなくなりました。
又、リンク先の方々に御連絡ですが出来ましたら以下のURLに変更をお願いします。
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano
御意見・御感想は、以下のメールアドレスでも受付します。
durian-nagano@mail.goo.ne.jp
(追記 無料版gooメールが2014年3月10日をもってサービスを終了しましたので無効となりました)
管理人マーキュリーマークからの御連絡
2008-05-04 | Weblog
1.コメントですが書き込みを行えないようにしました。
2.御夫婦共に海外に行かれた新婚旅行の発表をされる事には前向きなのですが多忙なのでしばらくは難しいそうです。
3.以上です。
元管理人
訂正
2008-05-12 | Weblog
付け足し (元管理人)
2008-01-31 23:50:14
夫婦で行かれた、新婚旅行は、海外旅行でした。
その辺は、現時点では発表の予定がございませんが、それが行われると、本当の最後のドリアン長野海外旅行記に成り得ると思います。
×
それが行われると、本当の最後のドリアン長野海外旅行記に成り得ると思います。
○
それが行われると、本当に『最初で最後のドリアン長野 夫婦での海外旅行記』に成り得ると思います。
しかし、ジラス訳では無いがこの発表は、多忙なようで難しいみたいです。
ちょっとした動き
2008-12-15 | Weblog
概略だけにしておきます。
1.以前発行を考えていた出版社とは、別の出版社から「ドリアン長野の海外旅行記」が発売される予定があるそうです。
(追記 結局は無理だったようです)
2.ご夫婦での新婚旅行を兼ねた海外旅行で赴かれた場所は、香港です。 末日聖徒イエス・キリスト教会の香港神殿に赴かれたそうです。
(一応は、平成20年代唯一の海外旅行記はこちらをクリックしてお楽しみ下さい)
3.以上です。
オマケ
実は、来年度での閉鎖を考慮しておりましたが、とりあえず継続することになりました。(追記 yahooブログ版は令和元年12月にサービス終了です)
当面、似たような状況が継続します
2009-02-02 | Weblog
今のところ特に新しい事柄はございません。
一応、お知らせ
2009-04-15 | Weblog
画像データや動画データを発表したいなと考えていましたが、ドリアン長野氏が肝心のデジカメを紛失したらしく出来なくなりました。 当面、似たような状況が継続します。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
おまけ
本当は幾つか画像データがあったんだけど、無い状態です。 あ~ぁ その内に見つかるかもしれないが・・・
今年、ドリアン長野は、ゴールデンウィーク期間中に・・・
2009-06-02 | Weblog
今年、ドリアン長野は、ゴールデンウィーク期間中にはどこも行かなかったそうです。
初夏のご連絡
2009-07-02 | Weblog
ドリアン長野が、将来的に自費出版を行う予定があるようです。
goo側の決断によってこのブログが削除されるまで、新規投稿を控える見込みです。
但し、例外的に自費出版が決まった場合は、この場で発表する予定です。
現在の所、どちらが先になるかは分かりません。
言い換えると、自費出版が決まった時には、このブログがなくなっているかもしれません。
ブックマーク先の方々にこの場でご連絡ですが、このブログのリンクや紹介を削除されても構いません。 当方としては当面、貴ホームページの紹介は継続するつもりです。
以上、 元管理人でした。
こちらに、ご注目下さい。
2009-08-26 | Weblog
http://www.youtube.com/user/DorianNaganoこちらをクリックしてみてください。
皆さん、先月とは状況が変わったので、本日、幾つか新規投稿を行います。
ドリアン長野 君と出逢えた奇跡
2009-08-26 | Weblog
ドリアン長野 君と出逢えた奇跡
おめでとうございます。
ドリアン長野 インタビュー
2009-08-26 | Weblog
ドリアン長野 インタビュー
実に、素晴らしいインタビューですね。
ドリアン長野 すり足で君のハートをGET YOU
2009-08-26 | Weblog
(動画は残念ながら現存してません)
本当に、木製バットを折っています。
ドリアン長野は元気にしています
2009-10-21 | Weblog
近況は、こんな、感じです。
いつこのブログを退会するか分からないので、バックアップをして下さい
2009-12-12 | Weblog
いつ、このブログを退会するか分からないので、バックアップをして下さい。
もしも、今閲覧されている、あなたがドリアン長野の海外旅行記をこれからも読まれたいと考えておられるならばバックアップ(自発的な記録)をしてください。
又、リンク先の方々も、リンクを外してもらって構いません。 この点については、この場で発表させていただきます。実質的に、平成10年代でこのホームページの更新は終わりました。
http://www.youtube.com/user/DorianNaganoをクリックしてみてください。恐らくは、こちらで何らかの発表をしていく予定です。
-管理人マーキュリーマークー
ちょっとレイアウト変更それと・・・
2010-01-13 | Weblog
謹賀新年。 皆様あけましておめでとうございます。
レイアウトですが変更しました。
過去に発表した旅行記を元管理人が少し感想文を加えて月一回程再度発表していくつもりです。
(追記 これで平成20年代は乗り切れると考えてました。令和以降の時期は紹介と連絡に限るつもりです)
お楽しみ下さい。 管理人 マーキュリーマーク
#30 インド編その6(リターンズ) 2015/2/19(木) 午前 3:57
#30 インド編その6(リターンズ)
2012-05-01 | Weblog
#30 インド編その6
at 2003 12/19 00:32 編集
ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ! (ベタですまん。しかも関西限定ギャグ)
ベナレスは英語名のBENARES(ベナリーズ)の日本語読みであり、正式名はバーラナシーだ。現地ではバナラスともいう。ああややこしい。早朝6時にムガール・サライ駅に到着。オートリキシャー(小型オート三輪のタクシー)を拾い、ベナレスヘ。両側に花屋や食堂やゲストハウスやお香や聖水入れを売っている店等がぎっしりと並んでいる狭い路地を下っていくと(曲り角で牛と鉢合わせて角で突かれたりするから気をつけろよって、誰に言ってんだ)、いきなり視界が開けた。聖なるガンガー(ガンジス河)は思ったより広大でダージリンティーのように濁っている。ガート(沐浴場)では老若男女が口をゆすぎ、祈り、体を浄める。神様の乗り物とされる牛も水浴びをし、時おり排泄物も流れる。バラモンは説教をし、サドゥー(ヒンズー教の修行者)は瞑想する。おお、三島由紀夫の「暁の寺」で読んだ、あのベナレスに私はいるのだ。焼けつくような太陽の下、雄大なガンガーに無数のきらめくサリーと半裸の男たち。人々のざわめきと祈り。聞こえてくる讃歌。ガンガーで沐浴せば全ての罪は浄められん。無辜となった亡骸を荼毘に付し、ガンガーに流せば輪廻からの解脱を得ん。ああ、悠久の聖なるガンガーよおっ! 「バクシーシ、バクシーシ、ジー」と肩を叩かれたので振り向くと、乞食が列を作って並んでいる。「バクシーシ!」 ああ、うるさいっ。声を揃えるんじゃないよ。ゆっくりと思索にふける間もないな。そうだ、ボートに乗ろう。交渉して値切り倒し、1時間50ルピーで回ってもらうことに。ボートを漕ぎ出して川中からガートを眺める。いろいろなガートがあるが、中でも大きなガートは何かもう、ひっちゃかめっちゃかに様々なものが混じり合ってこの世のものとは思われない光景だ。
いくら聖なる河だといっても、川底に人骨がごろごろ転がっていてたまに死体が浮いていて赤痢菌がうじゃうじゃしているような汚い河の水を飲んで下痢をするインド人だっているだろう。死んじゃう人だっているかも。いや、信仰という気合いが入った精神には病原菌も退散するのかもしれない。なんたって、遺灰をガンガーに流してもらうために地方からやって来てベナレスに住み、死ぬのを待っている人もいるんだもんなあ等と思索にふけるためにボートを漕ぎ出して思索にふけっていると、少女の乗ったボートが近づいて来た。
「この花、神様に捧げる花。10ルピー。買え」 「船頭さん、買わないから先に行っちゃって」 それにしても信仰というものはすごいなあ。椎名誠が「わしもインドで考えた」で書いているように、このように信仰篤きインド人と信じるものなど何もないんだあ~と嘯いている日本人と一体どちらが幸せなのだろうか等と思索にふけっていると、少年の乗ったボートが近づいて来た。
「ガネーシャ、クリシュナ、カーリー、神様の人形、いろいろある。20ルピー。買え」 「だあ~っ、うるさいわあ~っ! 俺を一人にさせてくれ~っ!」
ボートを下りて火葬場のマニカルニカー・ガートに行くことにした。布に包まれた遺体を組んだ薪の上に乗せ、火をつける。薪がバチッバチッと音を立てて爆ぜ、布がめらめらと燃えていき、徐々に肉体が現われてくる。時おり隠亡が棒で遺体をつつき、火の回りを早くする。人間の肉体を焼く光景を見るのは初めてなので、最初は衝撃的だったが炎天下で陽炎のような炎を眺めているうちに感覚が麻痺してくる。インドでは何が起きても不思議ではない。 「インドが異常なのか、それとも日本なのか」 思索にふけっていると、いきなり風が吹いてきた。わっ、ぺっ、ぺっ、遺灰が口の中に入っちゃったあ~。
近くで火葬を見ていた日本人らしき女性に声をかけたら、彼女は北海道の大学生だそうだ。話をしているうちにもう一度ボートに乗ろうということになった。人のよさそうな、おじいさんの船頭に値段を聞くと、20ルピーだそうだ。くう~っ、またしてもボられてたか~。そのボートにはおじいさんの孫だろうか、まだちっちゃな男の子や女の子が5、6人乗っていた。夕刻のガンガーは気温もいくぶん下がり、風が吹いていて気持ちがいい。ガートの喧噪も遠くに聞こえる。この辺りは6時になるともう真っ暗闇だ。それでも路地を歩くと聖地らしい喧噪がここかしこで聞こえてくる。自分が今ここにいることが不思議だ。日本を離れて本当に遠くまで来たんだなあ。と、感慨にふけっている暇はない。今晩8時半の列車でカルカッタに帰らなければならないのだ。ベナレス滞在12時間。ああ、せわしない。乞食や物売りの少年少女たち、明日もしっかり稼げよ。さらばベナレス、また来る日までえ~。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
パルナスですが現在は兵庫県尼崎市(阪神尼崎駅改札外)で創業者の弟にあたる人物が創業者で、モンパルナスというベーカリーを経営されてます。現在はパルナスさんは存在していません。先述したモンパルナスさんが事実上の後継店です。近畿ではパルナスは多くの店舗がございましたが平成十年代に会社を清算されました。http://www.pirosiki.com/
とりあえず、泥のように寝台車で睡眠をとって下痢で苦しみながらドリアン長野はベナレスに到着しました。
日本国内でも景品表示法が存在しないような小売店が存在していますがインドの方が日本よりも悪いみたいですね。
下痢は恐ろしい病気です。近年、インドでは多剤性耐性結核菌や抗生物質の使いすぎの影響で屋外型MRSAが蔓延していると言われてもいますからね。こういった過去の海外旅行が原因で将来的に胃炎が原因で幼い娘を残して死去しないのを希望します。せめて、成人させて欲しいですね。
本来は霊的に過ごす聖地が繁華街のようになっているのはインドも日本も大差ないようです。
椎名誠先生は、現在、二つのホームページで活躍されています。
http://www.shiina-tabi-bungakukan.com/ 椎名誠旅する文学館
http://blog.excite.co.jp/koushien/ 椎名誠の麺の甲子園ブログ
来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
オマケ
年末年始並びにゴールデンウィーク中の最終日だけモンパルナスさんはお休みされるそうです。
パルナス製菓 「パルナスの歌」フルバージョン
#31 インド編 その7(リターンズ) 2015/2/19(木) 午前 4:37
#31 インド編 その7(リターンズ)
2012-06-01 | Weblog
ベナレスで知り合った人が泊まっているホテルに荷物を置かせてもらっていたので、急いで引き取りに行く。町中でリキシャーに乗り、町外れまで行き、そこからオートリキシャーを雇ったのだが、運転手が飛ばすこと、飛ばすこと。急いでくれるのはありがたいのだが乗っている方は気が気ではない。人波を巧みにかわし、F1レーサーのように車を追い抜き、対向する牛の横をするりと通り抜ける。まったく、生きた心地がしなかったよ、あたしゃ(ここだけちびまるこちゃんの声で読んでね)。
やっと駅に着いてやれやれと思っていたら、駐車しようとする寸前に横から二人乗りの自転車が突っ込んできた。私は後ろの座席であるはずのないブレーキを思いっきり踏んだが、やっぱりぶつかった。自転車は派手に横転したが、男たちに大したケガはなかったらしく、起き上がると猛然と食って掛かってきた。それに運転手が応戦する。回りには野次馬が集まってきた。こういう場合、インド人は激しく罵り合っても手は出さない
(警官が民衆を警棒でどついている光景は時々見る)。インド人と中国人は似ているような気がする。どちらの国も人口が多いので自分を主張しないとやっていけない。謙譲の美徳なんて言っていたらバスにも乗れないし、列車のチケットも買えないのだ。そんな生存競争が激しい国では自然と気性が荒くなるのか、しょっちゅう言い争いをしている。そうやってケンカになるとわらわらと人が集まってきて見物を始める。誰も仲裁はしない。大学の時の先生が言っていた。中国からの留学生が日本に来て不思議に思うのは、街を歩いていても電車に乗っていても日本人がとても穏やかでケンカをしないことなのだそうだ。インド人だってそう思っているのに違いない。しかし、私に言わせればケンカばっかりしているあんたたちの方がよっぽっど不思議だぞ。とにかく座席にリキシャー代を置いて、ケンカをしている二人を尻目に駅へと急ぐ。
プラットホームには日本人の団体客がいた。五才くらいの女の子が彼等に「バクシーシ」と手を出す。そこにいた若者たちがこう言っていた。「お金ないんだよ。ノー・マネー。わかる?」 「逆にこっちから『バクシーシ』って言ってみればいいんじゃないの」 「そうか、ほら、バクシーシ」 日本人に手を出された女の子はきょとんとしていた。むき~っ! 今でもこの光景を思い出すと腹が立つ。その子は好きで物乞いしてんじゃねーよ。貧しくて働きたくても働けねーから仕方なくやってんじゃねーか。そうやってインドまで遊びに来ている金持ちの日本人(私もだけどよ)がいたいけな子供をからかうんじゃねーよ。金をやるつもりがないんなら、断るか無視すればすむことだろーが、あほんだらっ! と憤慨していると一人の少年が私にお金を乞い始めた。歩き出してもしつこくついて来て、私の靴に額をこすりつけてくる。とうとう根負けして某かのお金を与えた。するとその少年は仲間のところへ戻り、ひそひそと話をしていたかと思うと五、六人がこちらに突進してきた。あわてて逃げ出す。そういえば列車が駅に着き、乗客が降りると子供たちが一斉に乗り込んできた。何をするんだと見ていると、ゴミ箱や座席の下からペットボトルを拾い集めている。そして構内にある水道の蛇口からペットボトルに水を入れてキャップを閉めているのだ。誰に売りつけるんや~? と考えるとはたと思いつくことがあった。中級のホテルに泊まっていて、ミネラルウオーターを頼んだ。ボーイが持って来たボトルには明らかに水が7分目ほどしか入っていない。もちろんキャップは開けた跡がある。こいつの中身は駅の水道水やないかいっ?! 責任者、出てこいっ!(by 人生幸朗師匠)
こういう風にインドのガキどもは毎日を逞しく生きてゆくのであった。幼少のみぎりから鍛えられているんで、斯くの如く冷酷で抜け目のないインド商人に成長していくのもむべなるかな。合掌。(つづく)
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日本だと保険並びに法整備が整っているから基本的には事故の言い争いは少ないです。しかし、実際に交通事故が発生し示談がこじれた結果、加害者が指名手配されている前例は日本国内でも存在しています。
日本人観光客がインド人の女の子に金を請求したのは正しい行動だと思える位にインドではいい加減な人間が多いと考えているインド旅行の被害者もいるかもしれませんが、本当に困っている子供達は助けた方が良いとは思います。日本でも宅配ピザを頼んだら玄関前の通りで遊んでいた子供達が届けられたピザの搾取をしようとしていました。日本人で裕福なのにピラニアみたいな子供達には何もプレゼントしないのが教育です。
気づいた時には日本人も錯乱していたり善悪の判断が行えない人が増加していますね。傲岸不遜な人物がいて、羞恥心があるのか無いのかは不明だがちゃんとした説明もなしに「娘が寡婦だから生活費を支払ってもらえる。」と勘違いしてた人がいてその人物が私に対して不条理な行動を取った事から支払い拒否を伝達したら泣きながら逆上し「何てことを言うんだ。」と言われて人の善意につけこむから気分を害した前例もございました。乏しくても説明責任は存在すると私は思います。案外、彼等一家は毎日ステーキでも食べてるのかもしれません。言い換えると「彼等一家は全く乏しくない。」から説明拒否をしたのでしょう。
日本は、諸外国からカルトがサリンを作るまで放置したのがおかしいと考えられていたり、2011年3月11日の福島原発の事故の後処理等で常識が疑われています。だから、複数の海外の企業が日本にやってきた。後処理の仕方が悪かったからです。すでに発表されてますが、チェルノブイリよりも福島県の方が悪い状態だそうです。インドは平成10年代に核武装した国へと変貌したのでこれから国内の貧困層を抱えながらも核戦争に突入するやもしれません。
世界的に水不足は深刻で日本国内の河川で海生生物が発見されているのは河川の水量が激減して海が内陸部に上がってきているからだそうです。お水は水質並びに水量にも気を配る必要がございます。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待ください。
#32インド編その8(リターンズ) 2015/2/20(金) 午前 1:11
#32インド編その8(リターンズ)
2012-07-01 | Weblog
#32 インド編その8
at 2004 01/01 23:07 編集
早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。フーグリー河に架かる巨大な鉄橋、ハウラー橋は通勤する人で丸の内のようにごった返している。喧噪の中、澱んだ河を見ながら私は一人、物思いに沈む。 「今日でインドともお別れだ。長かったようで短かった一週間。物売りや物乞いに辟易し、下痢や発熱に悩まされた一週間。騙されたりもしたけど、親切な人にも出会った。うるさいが、頼もしくもある子供たち。チャイ屋の売り声、灼熱の大地、道端で死んだように眠りこけている犬、漆黒の暗闇、ベナレスの炎、死体、サドゥー、カーリー女神に捧げられるために首をはねられる山羊」 様々な光景が次々に浮かんでは消える。けれどもインドよ、今日でおさらばすると思うと........、あ~嬉しいわいっ! とっとと日本に帰るぞ。帰って風呂に入ってうまいもん食ってゆっくり寝て下痢を直すぞ。こんな国、二度と来るもんかいっ。一刻も早く空港に行って飛行機に乗って文明国に帰るんじゃい。帰るったら、帰るんだ~い!
帰りの飛行機で同年代の男と隣り合わせになった。どちらからともなく話しかけ、彼はパリでアパートを借りて住んでいたことやアジアのいろんな国を旅した話をしてくれた。私が海外旅行は初めてだと言うと、彼はこう言った。 「それならあなたはこれから何度も旅に出るでしょうね。一人で旅をする快感を覚えたら、それはやみつきになりますよ。僕がそうでしたから」 私はそうはならないだろうと確信していた。こんな苦しい旅なんか二度とごめんだ。
成田空港に着くと私は激しい違和感を感じた。その違和感は日常生活の中でも長い間続いた。日本はなんでこんなに清潔で日本人はなんで異常なほど清潔好きなんだ? 日本人はなんで大したことでもないことをいちいち気にするんだ?(インド人は何があっても二言目には「ノー・プロブレム」って言うじゃないか) なんで商品には全て値段がついてる? なんでどこに行っても自動販売機があるんだ? なんでみんな、自分のことをすぐに不幸でビンボーだなんて言うんだあ? おまけにふと、インドの子供たちや大人たちの姿がちらついてきたりする。
「カルカッタは好きな街だよ」 仲良くなったホテルのボーイにこう言うと、彼は言ったっけ。「一週間の滞在では何も分からないよ」 そりゃ、そうだ。けれども分かったこともいっぱいあったぞ。旅が短いか長いかなんてのはあまり重要ではないと思う。果たして私は自分を変えることが出来たんであろうか? それは本人にはよく分からんが、インドで学んできたと胸を張って言えることなら、一つある。駅のトイレに入って、紙がなくてもちっとも慌てなくなった。どんなトイレでもバッチ来いって感じ。私にはインドで習得した、この黄金の左手がある。紙で処理するなんて、なんて不潔で野蛮ざましょ。あら、あたしも気づかないうちにインドかぶれかしら。オ~ッホッホッ。ちなみに帰国してから軟便が三か月続いたざます。(インド編終わり)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
インドはインド。日本は日本。一般的なテレビ番組の海外旅行記だとこういったお話はほとんど無いと思われます。
一回だけと思っていたら継続することになった経験がドリアン長野の場合は海外旅行でした。
清潔といっても大阪市内のある町の結核罹患者はアフリカ並みだそうです。日本でもいい加減なお店であれば景品表示法の存在をないがしろにして価格が明確化していない場合があります。一部のバーは有名でも小売店でも価格が分かりにくい場合があります。昨日の贅沢は今日の当たり前で貪欲な人が多いから日本人は強欲かもしれません。日本製が高品質なのはこだわりをもって製造しているからなんです。分かりやすいお話かもしれませんが、スズキ自動車がインドで成功したのは神経質な日本人が技術指導をしたからに他ありません。現在の所、日本だけでウォシュレットが普及しているようです。 旅行も大別すると快適な旅行と不快な旅行に分かれるようですが、今回は不快な旅行ではなかったようです。 皆様も海外旅行に行かれる際には胃薬を所持していかれるのを推奨します。
次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)ニューヨーク旅行記にご期待ください。かの地ではヌーヨ~クみたいな発音です。
#33 NYタイムズ・スクエア編(リターンズ) 2015/2/20(金) 午前 1:47
#33 NYタイムズ・スクエア編(リターンズ)
2012-08-01 | Weblog
#33 NYタイムズ・スクエア編
at 2004 01/09 00:47 編集
1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア。気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。歯の根が合わないほど寒い。それでも何千人といる群集は誰一人として帰ろうとはしない。私もたぶん、彼等と同じ気持ちだった。それは2000年へと続くデケイド(10年間)の幕開けを世界一の都市で祝ったという記憶を自分の中に刻みつけておきたいから。彼等は家に帰って言うだろう。「90年の始まりにはあそこにいた。みんなとハッピー・ニュー・イヤーを言ったんだ」。 私は夜の8時から待っているが、12時までは途方もなく長い時間に思えた。混雑を緩和するためにあちこちに「Police Line」と書かれた遮蔽板が置かれている。警官の目を盗んで一人の男が、さっと板の下をくぐり抜けて走り去った。近くにいた警官に誰かが叫ぶ。「Shoot him!(射殺しろ)」 周りがどっと笑う。ここでの模様は全米で生中継されるのでテレビカメラにパンされた群集はとにかく騒ぐ。叫ぶ、踊る、手を叩く、こぶしを突き上げる、街角で黒人が1ドルで売っていた紙笛を吹き鳴らす。私といえば、寒さと疲労に耐えながらひたすら待つ。
11時59分。カウントダウンの斉唱が始まるとSONYの広告の下に取り付けられた電球の塊がゆっくりと降りてくる。下がりきったら1990年だ。ウエルカム・トゥー・ナインティーズ!
見知らぬ者同士がハッピー・ニュー・イヤーを言い合い、抱き合う。雨の中、群集がブロードウエイを行進する。この光景はデジャビュだ。どこだったろうと考えていたら、ウオーレン・ビーティ監督、主演、脚本の映画「レッズ」でロシア革命前夜に人々がインターナショナルを歌いながら街を行進する場面だった。今日の夜はニュージャージーに住む友人のアパートに泊めてもらうことになっている。あちこちが通行止めになっているので迂回していると道に迷ってしまった。バス・ターミナルの場所が分からないので雨宿りしながら地図を拡げて見ていると、二人連れの黒人が「どこに行きたいんだ?」と声を掛けてきた。「ポート・オーソリティー・バスターミナル」と答えると、「ついて来いよ」と手招きする。
新年に浮かれる人々の喧噪の中、彼等を見失わないようについて行く。20分ほど歩いた。ミッドタウン・ウエストにあるこの24時間運行の巨大なバスターミナルは常に通勤者で賑わっているが、今日の賑わいは特別だ。案内してきた男が言う。「チップをくれ」 1ドル紙幣を出し、渡そうとするが受け取らない。少なすぎたかと思い、「2ドルでは?」と言ってみる。すると、「冗談じゃないぜ。俺たちは長い道を案内してやったんだ。フェアじゃねえ。もっと出せ」とすごんできた。無視して歩き出すと、「聞こえないのか? もっと出せと言ってるだろう」と喚きながらついてくる。「警官を呼ぶぞ」と睨みつけると渋々2ドルを受け取り、やっと退散した。バス乗り場に行くと、また黒人が寄って来て、「どこに行くんだ? チケットは持ってるのか?」と親切(?)にも聞いてきた。彼はチケット売り場まで案内してくれ、言った。「ギミー・ダラー」 ああ、アメリカがチップ社会だというのは本当だ。Money talks in America.(アメリカでは金が物を言う)彼に1ドル渡す。バスを待っていると、日本人女性が二人やって来たので話しかける。二人は姉妹でお姉さんがニュージャージーに住んでいるという。妹が日本から姉に会いに来て、今日はミュージカル観劇の帰りだそうだ。「ブロードウエイのニューイヤーズの騒ぎが恐くて.....」とアメリカに来るのが初めての彼女は気の毒なくらい蒼ざめていた。
「目的地に来たら知らせてください」と運転手に住所を告げ、座席に座る。バスが出発してからしばらくして奇妙なことに気がついた。奇妙なことといっても、私が日本人だから少しばかりそれを感じるだけのことだ。バスが停留所に着き、乗客が下車する際に、ほとんどの人が他の乗客の方を向き、「ハッピー・ニュー・イヤー」と言ってから降りていくのだ。「これもアメリカだな」私は心の中でつぶやき、自分がアメリカに来たことを初めて実感していた。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
アメリカ旅行記といえば海外旅行記の定番中の定番ですね。 一応、90年代の旅行記でもあるが平成初期の海外旅行記でもあります。半ば唯一の例外の80年代の旅行記です。冒頭に80年代の海外旅行記だと発表されていますが、実質的には90年代でもあります。
dacade(デケイド)この言葉には大きな意味がありますね。なぜか、平成20年代が始まる頃には新たなデケイドが始まるといった言葉を聴かなかったようにも思えます。
ニュージャージー州とニューヨーク州は隣接しているので有名です。半ば余談ですが、平成初期にはネッツはニュージャージーネッツ(昭和52年から平成24年)でしたが、現在は(平成24年以降は)ブルックリンネッツになって本拠地を移転しましたね。バスケットボールの場合は、年をまたぐからこの表現になってしまいます。そのシーズンの最後の試合が基本的に6月だから仕方ありません。周知のように元々、ニュージャージーアメリカンズ(1967年から1968年)がニューヨーク・ネッツ(1960年代から1970年代)になってからニュージャージー・ネッツでしたが、前述したように現在はブルックリン・ネッツです。ニューヨークとニュージャージーな隣接してるからかネッツのように行き来する人が存在してます。
この頃の為替レートは現在と同じような通貨価値でしたね。平成20年代の外国為替の乱高下は凄まじかったです。$1が¥80以下だった民主党政権時代は過去です。(平成20年代初期の日本の民主党政権時代は終わった)
ニューヨークの冬場は寒いそうなので寒さ対策をしてから訪問する事を推奨します。
神々がやってきたニューヨーク。これからのニューヨーク旅行記を楽しみに待ってください。
オマケ
現地ではヌーヨ~クといった発音だそうです。
#34 NYバスターミナル編 (リターンズ) 2015/2/21(土) 午前 0:41
#34 NYバスターミナル編 (リターンズ)
2012-09-01 | Weblog
#34 NYバスターミナル編
at 2004 01/15 22:22 編集
8番街から9番街の1ブロック、40丁目から42丁目の2ブロックにまたがる巨大なバスターミナルがポート・オーソリティ・バスターミナルです。グランド・セントラル駅(映画「アルマゲドン」では隕石の破片が直撃して壊滅しました)とペンシルバニア・ステーションという二大鉄道駅にここを加えれば、ニューヨークの三大ターミナルになります。ターミナルといえばホームレスのたまり場になりやすいので御多分に漏れずこれらもそうなのですが、前者の鉄道駅はチケットのない者の待合室への入場を禁じているせいもあって比較的清潔で安全です。しかし、ポート・オーソリティは場所からして周辺に老朽したビルが多く、地元では「地獄の台所」と呼ばれており、治安もあんまり良くありません。そしてホームレスはフリーパス。必然的にこの駅はホームレスの憩いの場アーンド生活の場となっています。一歩足を踏み入れてみれば、まあ、すごいですねえ。「F×××」を連発して、何かに怒りながら歩いている人がいるかと思えば、必需品を一切合切ショッピングバッグに詰め込んで生活しているショッピングバッグ・レディと呼ばれる老婆が座りながら小便を垂れ流しています。窓口でチケットを買えば、ホームレスが「釣りをくれ」と寄って来ます。しつこいようなら無言で睨んでやりましょう。階段には寝ている人がよくいるので、歩きづらいですが踏んづけないように注意しましょう。トイレの洗面台で真っ裸になって体を洗っている人もいます。彼がホモの場合もあるので気をつけましょう。とろんとした目で座り込んでいる人はヤク中なので目を合わせてはいけません。お金をせびられます。夜になると待合室で待っているだけでお金をせびられます。昼間でもボーッと立っているだけでせびられます。ほな、どないせいっちゅうねん、とおっしゃる方もいるでしょう。コツはさっさっと早足で歩き、せびられたら無視することです。英語が分からないふりをするのもいいでしょう。カラテの型をやるのもいいかもしれません。それでもしつこいようなら、相手はどう猛といえども人間です。脅えた態度を取ってはなりません。じっと目を見つめて(これが肝要です)25セントを渡して素早く逃げましょう。それにしても日本のホームレスはおとなしいのに、何でインドやアメリカはあんなに戦闘的なんでしょう?まだまだ日本はホームレスといえども裕福だということなんでしょうか。1階のバスの待合室には「今夜泊まる場所のない人はここに来て下さい」というプレートがあり、住所が書いてあります。マンハッタンにはシェルターと呼ばれるホームレスのための宿泊施設がたくさんあります。そこではベッドがあり、簡単な食事も給されるのですが、いかんせん喧嘩や盗難(靴とかが多いようです)が多発するので敬遠する人もいます。そんな人はこの待合室で寝るのでしょう。
私はここに来ると、いつも天王寺駅を思い出します。現在は都市開発計画で天王寺駅もその界隈もずいぶんときれいでおされになりましたが、一昔前はもっとホームレスが多く、殺伐としていました。自分でもよく分かりませんが、ニューヨークに来るたびに私はポート・オーソリティに足を向けてしまいます。何をするでもなく、ただターミナル内を歩き回るだけですが。
もし、神さまに名前があるのなら、どんな名前なんだろう
俺たちは神さまに向かって、その名前を呼ぶんだろうか
神さまとその栄光を目の前にして何を尋ねる?
もし一つだけ尋ねるとしたら?
ああ、神さまは貴い
ああ、神さまは良きもの
もし、神さまが俺たちのうちの一人だとしたら?
俺たちのうちの薄汚いやつだとしたら?
家に帰るバスの中の見知らぬやつだとしたら?
もし、神さまに顔があるとしたら、どんな顔なんだろう
見てみたいと思うかい?
もし見ることが信じることと同じだとしたら?
天国やイエスさまや聖者やぜんぶの予言者たちを
ひとり天国へと帰ってゆく
電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
聖なる転がる石のように
ひとり天国へと帰ってゆく
家に帰る途中みたいに
電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
「One of us」ジョーン・オズボーン (1995年「RELISH」収録 ドリアン長野 訳
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
アメリカ旅行記です。
映画、アルマゲドンは平成十年代初期を代表するアメリカの映画ですね。
皆様も過去に一回位は聞いたことがあるようなアメリカの大都市ヌーヨ~クのお話ですね。具体的には困っている人々が駅に集まっているお話です。
これは、マーキュリーマークが平成十年代の夏のある日に実体験したお話なんですが、あるバスターミナルの待合室に赴いたらとても暑かったのを連想します。なぜならば、ホームレスの人がやってこないように待合室に暖房をつけていたからです。そこにいた警備員さんから教えてもらい少し驚きました。 将来、そのバスターミナルには地下鉄今里筋線が出来上がるとも言われていますが現時点では未定です。
海外旅行であれば有名な施設に行く機会があるとは思いますが全て治安が良いとは限らないというよりもむしろ、治安が日本国内よりも悪い場所がほとんどなので皆様、お気をつけてください。ポート・オーソリティ・バス・ターミナルについては参考までにコチラもクリックしてみてください。大阪であればOCATのようなものでしょうか?バスターミナルもイロイロで幾つもの小売店が近接しているばかりか小売店へいざなうバスが行き来しているようですね。
皆様、次回のドリアン長野の海外旅行記を楽しみにお待ち下さい。
オマケ
以下は平成25年にドリアン長野が撮影した天王寺駅に近接してる阿倍野ハルカス。
以下は、管理人マーキュリーマークが撮影してきたJR天王寺駅並びにその近辺の写真です。
#35 NY地下鉄編 (リターンズ)2015/2/22(日) 午前 1:59
#35 NY地下鉄編 (リターンズ)
2012-10-01 | Weblog
#35 NY地下鉄編
at 2004 01/23 21:36 編集
地下鉄は楽しい。メタリックでアーバンである地下鉄は輸送手段に徹していて媚びないところがクールでもある。私は地下鉄が大好きだ。地下鉄のある都市に行けば必ず乗る。用がなくてもとにかく乗る。今までいろいろな国で乗った。香港ではなぜか下駄履きで乗った。肩を叩かれたので振り向くと、若い男が私の下半身を無言で指差している。見るとズボンのジッパーが全開していて恥ずかしい思いをした。ソウルではおじいさんに声を掛けられた。私が日本人だと分かると日本語で身の上話を始め、それが延々と続いて閉口した(今思い出したけど、何で地下鉄の便所内にコンドームの販売機があるとですか?)。ロンドンのチューブでは騒いでいるガキに注意したら、「asshole !」と言われた。ロサンゼルスの地下鉄には改札がない。無賃乗車していたら、たまたま検札に遭い、必死で英語の分からないふりをした。このように輝かしき栄光の地下鉄人生の王道を歩んできた私のことを、地下鉄の達人と呼んでくれても一向に差し支えない。そして世界中の地下鉄の中で唯一24時間運行なのがニューヨークである。いわば、地下鉄の中の地下鉄、キング・オブ・地下鉄といってよいだろう。地下鉄を制するものは世界を制す(ホントか?)。
ニューヨークの地下鉄は何といっても殺伐としているところに趣がある。ホームには電話が何台も架設されている。これらは犯罪時の緊急用だろう。便所は犯罪防止のためにその多くが閉鎖されている。タイムズ・スクエアの駅なんかムッとアンモニアの臭いが鼻を突く場所もある。我慢できずに立ちションしている輩がいるらしい。車両は落書きされても消すことのできるニュータイプが日本から輸入され、名物だったジャクソン・ポロックのようなアクション・ペインティングは見ることができなくなったので残念だ。ニューヨークは人種のるつぼ(メルティング・ポット)ではなく、人種のサラダボウルだと言われて久しいが、ダウンタウンからアップタウン行きの地下鉄に乗ってみるとそれがよく分かる。ウォール・ストリートでは白人が多く、チャイナタウンのあるキャナル・ストリートに停まると中国系がどっと乗り込んでくる。ミッドタウンになると再び白人が多くなり、ハーレムに入ると黒人が多くなる。各人種が融合しているわけではなく、中国人街、韓国人街、イタリア人街、インド人街、ギリシャ人街等と住み分けができているのだ。そういえば夜、間違えて急行に乗ってしまい、慌てて降りた所がサウス・ブロンクスのサイプレスという駅だった。ホームには誰もいない。乗り換えるために地上に出ると、周りにあるビルというビルが焼けただれていた。あん時はビビったな。何しろ、火災保険をせしめるために放火する奴がいるらしいのだ。興味ある方は落合信彦の「アメリカの狂気と悲劇」をお読み下さい。
地下鉄は24時間営業とはいっても、夜の9時過ぎてから乗る人はめったにいまい。日中でも路線によってはホームに人がいなくなる駅もある。ホームには「Off Hour Waiting Area」が設けられていて、ラッシュ時以外はそこで電車を待つ。何てことはないのだが、ホームの中ほどにあって、乗客もそこに集まるから少しは安全だ。夜になると警官が乗車してくるので、乗客は彼等の乗っている車両に乗る。駅で乗客のほとんどが降りてしまい、警官もおらず2、3人だけが車両に残っている場合なんかとても緊張する。そんな時に限って、向かいに座っている男がじっとこちらを見つめているような気がする。私はおもむろにポケットからガムを取り出し、それをくちゃくちゃと噛みながら、俺は生っ粋のニューヨーカーなんだぜというポーズをとる。ついでに指の関節をポキポキと鳴らし、俺はカラテのブラックベルトだぜ、俺のパンチはピストルの弾丸より早いぜと威嚇(のつもり)をする。時おり軽くシャドーをしながら、最近ケンカしてねえなあ、体がうずいてしょうがねえぜという雰囲気を目一杯表現する。そいつが次の駅で降りてしまうと、どっと疲れる。我ながらバカみたいだ。もう何年も前のことになるけど、ある雑誌が地下鉄内で身の危険を感じた時の対処策は? というアンケートをニューヨークに住む女性にしたことがある。第一位は「鼻クソをほじって、アホのふりをする」(藤山寛美?)だった。これは効果があるかもしれん。
犯罪が多発する地下鉄ではあるが、面白いのは何といっても乗客を観察することと、ストリートミュージシャンだ。ロック、ジャズ、ポップス、ダンス、毎日いろいろなパフォーマンスが楽しめる。黄昏どきに構内のどこからかサックスの音が聞こえてくると、ニューヨークだなあと思う。ある時、黒人女性が改札の前に座ってボンゴを叩き始めた。人が徐々に集まってくる。興が乗り、観客の黒人女性が手をひらひらさせて踊り、ヒスパニックの女が腰をくねらせて踊る。他の者はリズムを取り、手拍子をする。30分もの熱演が終わると、いっせいに拍手が起きた。駆け寄って抱きつく人もいた。そのあと電車に乗っていたら、黒人の男が乗り込んできた。小さな紙切れを口に当て、息を吹きかけて音を出している。メロディーはバットマンのテーマだ。でも、誰も「またか」というような顔をして見ようともしない。続いてコメディアンの物真似を披露したが...................し~ん。ううっ、寒い。寒すぎる。おひねりをもらおうと通路を回るが、もちろん無視されていた。思わず、「あほんだらっ! お客さまからゼニをいただこうと思うんやったら、芸を磨かんかいっ!」と桂春団次風に心の中で罵倒する私でした。
地下鉄はどこまで行っても、何回乗り換えても同一料金だ。改札はトークンを入れ、ターンスタイルという金属のバーを押して入場する。そういえば、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク物語」というアルバムは原題が「Turnstiles」だったな。ある日、いつものように地下鉄に乗ろうと、トークン売場に1ドルを出した。窓口のおばちゃんは「15セント足りないよ」と言う。なにいっ、市の職員までがボる気かっ、さすがニューヨークだ、とわけの分からん感心をして身構えると、おばちゃんは無言で背後の壁を指差した。壁に貼ってあるポスターには「地下鉄料金、本日から値上げ。1.15ドル」と書いてあった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
アメリカ・ニューヨーク旅行記です。
私の場合、地下鉄に限っては目的地があるから利用するといった考えです。言い換えると、地下鉄に乗車して楽しみたいから乗るといった考えではありません。平成十年代に北海道に行きました。北海道札幌市の地下鉄で驚いたのは切符の裏表を逆にして自動改札口に切符を入れると出入りが行えなかったんです。他にも平成24年の夏に札幌市南区の真駒内駅の出入り口近辺で熊が出没したので騒ぎになったといった報道もございました。
ニューヨーク市の地下鉄の料金は過去のお話です。現在(平成24年)は、値上がりしていて片道$2以上です。ニューヨークの地下鉄の料金は現在(平成27年2月時点)では、$2.50($1を¥120で計算して¥300)だそうです。余談かもしれませんが、大阪市の地下鉄の初乗り運賃(一区間¥180)のおよそ2倍です。為替相場が今後、どうなるかは不明ですが、駅の移動によっては同じ位の金額になります。13km以上から19km迄なら¥320。19km以上で¥370です。
皆様、海外旅行記では支払い方法が分からずに右往左往するお話がよくありますよね?アメリカでは英語が喋れないとどうしようもありません。
近年のように携帯電話が普及する前の海外旅行記なので私はNYC(ニューヨーク市)の地下鉄に乗車した事はありませんが公衆電話が日本のようにほとんど撤去されているかもしれません。過去にも伝えていますがこの海外旅行記は平成初期から平成十年代の海外旅行記です。
日本では考えられないことですが、路線毎に人種が分けられているのもニューヨーク市の地下鉄らしいのかもれません。ちなみに、サイプレスは檜(ヒノキ)です。第三者であれば、サイプレスアベニュー駅だから檜アベニュー駅と日本では紹介されるかもしれません。
日本国内であっても乗降客が多い駅とそうでない駅とで大別されているのが現状ですね。休日に電車に乗って乗降客が少ない駅で下車する時に下車する人が少ない経験は誰もが一度は体験したことがあるとは思います。大阪であれば午前中であっても酔っ払いのおじさんが「駅の出入り口が一箇所やから難儀する。」となぜか急に質問されたことがありました。その駅は端に一箇所だけ出入り口がある駅でした。
ニューヨークの地下鉄は確かに治安の悪化の影響もあるが一方で少しは楽しめるようになっているようです。
私は外国人と地下鉄の電車内で会話をしていたら自動車保険を支払わずに安全の目的地に到着が行える点が良いと話していました。 鉄道嫌いの人にとっては「問題があってもいつも自動車が好き。」と考えているかもしれませんね。
地下鉄の料金が一種類の点については日本では一日乗車券を連想しますね。
ドリアン長野は本当に極真空手の黒帯保持者でとても強いです。並ではありません。
日本であれば地下鉄(大阪市交通局堺筋線)を走る阪急の車両の中に内臓されている薄型テレビが広告を放映しているかもしれないから並のストリートミュージシャンの出番はありませんね。
次回のドリアン長野の海外旅行記にご期待下さい。
余談 真夏に短パンを履いて外出する人は多いですがチャックが無い化学繊維のナイロンで作られた半ズボンで外出するのは別に問題が無いと思えてくるのは上記の海外旅行記を読まれたら賛同してもらえると思います。(笑)
当時)では、日テレプラスで再放送が行われているばかりかDVDが販売されています。 次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)にご期待下さい。
姉妹宣教師とのお別れ食事会 平成27年二月 2015/2/22(日) 午後 5:51
友人を招待して、姉妹宣教師とのお別れ食事会。自分の時間を全て一年間半の伝道と奉仕に捧げ、今週アメリカに帰ります。姉妹、日本と日本人を愛してくれてありがとうございました。家族には会いたいけど、日本を離れたくありません、と涙していました。
#41 続々ロサンゼルス編(リターンズ)並びに#37と#38と#39と#40について御連絡 平成27年二月 2015/2/22(日) 午後 10:23
#41 続々ロサンゼルス編(リターンズ)並びに#37と#38と#39と#40について御連絡
2012-12-01 | Weblog
管理人のマーキュリーマークです。まず、始めに皆様にお詫び申し上げます。平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つかのバックアップが行えませんでした。実はこの当時、簡単ホームページというものが存在していたのですがgoo側の都合で廃止されました。簡単ホームページ上の内容はgooブログへのバックアップを自発的にしないといけなかったのです。新規投稿の文字数制限が存在するので何度も事実上、gooブログ側から否定されながらバックアップをしていました。従いまして幾つか欠番が発生しております。繰り返すようですがその点については皆様に対して大変申し訳なく思っています。これらの状況を理解した上で以下の海外旅行記をお読みいただければ幸いです。
NO41 続々ロサンゼルス編
at 2004 03/04 00:14 編集
目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のチフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを)
みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
アメリカ旅行記とメキシコ旅行記の両者を同時に発表しています。東海岸を代表する都市がニューヨークで西海岸を代表するのがロサンゼルスです。ちなみに、大阪市と姉妹都市なのは中西部を代表するシカゴ市とサンフランシスコ市です。
日本であっても確かに偏食をする人は多いようですが海外の偏食はもっと徹底しているようです。実際には米国には存在していても日本には存在しない巨大ファーストフード店が多いですけどもね。
有名なお話ですが米国とメキシコの国境の行き来は米国からメキシコは自由でメキシコから米国は厳しいそうです。
地球上、どこであってもシャッターチャンスは短い時間のようです。ただ、今となってはインターネット上で多くの画像が発表されているから仮に撮影が成功していても全然珍しくないかもしれません。ドリアン長野が海外旅行で撮影された画像ですが過去のデータが失われている状態なので発表はほとんど不可能です。
ピルグリム・ファーザーズとは、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン)で「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味です。
以上、管理人マーキュリーマークでした。 来年のドリアン長野の海外旅行記にも皆様、ご期待下さい。
オマケ 単純に笑える海外旅行記も発表してますが、一方で今回のように人生って厳しいなと再認識する海外旅行記でしたね。
#42 and #43 ロンドン・コーリング(リターンズ)
2015/2/23(月) 午前 1:34
#42 and #43 ロンドン・コーリング(リターンズ)
2013-01-01 | Weblog
NO42 ロンドン・コーリング
at 2004 03/19 22:25 編集
ある日、何気にNHKを観ていたら、普段はめったにNHKなんか観ないんですけどね。ロンドンのイースト・エンドの話をしてたんですよ。イースト・エンドは労働者の街でね、反対にウエスト・エンドは高級ブティックやレストランがある、おされな街なんですよね。ほら、ペット・ショップ・ボーイズの「ウエスト・エンド・ガールズ」って曲あったじゃないですか。あれはイースト・エンドに住む労働者階級の少年とウエスト・エンドの中産階級の少女の歌なんです。この時、あっ、イースト・エンドに行ってみたいって思ったんです。その時までヨーロッパには行ったことがなかったし、興味もなかったんですけど。それにロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。その時は1994年でした。ヒップ・ホップ、グランジ、ユーロ・ロックの時代です。カート・コヴァーンが自殺したのもその年だし。パンクなんてもう過去の遺物ですよ。でも、アメリカのパンクと言われるグランジの代表的バンドのリーダーがその年に亡くなったっていうのは、何だか象徴的ですね。ニューヨークで発祥したパンクがロンドンに渡って、十何年か後にその種子がシアトルでやっと発芽して全世界に広がったけど、一つの遺伝子が絶えた、みたいな。それでも、パンクスの一人や二人はヤンバルクイナやカブトガニみたいにひっそりと生息しているだろうと。天然記念物みたいに英国王室が保護してたりとか、そんなわけないか。それで、イースト・エンドとパンクスという学術的にも崇高な、ちょっと、ここは笑うとこじゃないですよ。まあ、淡い期待を抱いてですね、ロンドンに行ったわけです。
ロンドンってとこは、もう京都ですね。ヨーロッパ中から来た観光客がわんさかと歩いてて。僕もフランスなまりの英語でよく道を聞かれました。ヴィクトリア駅なんかに行くと、若者だけじゃなく、中高年の一人旅や夫婦パッカーがうろうろしていました。日本のリーマンのみなさんもね、パチンコを控えたり、「村さ来」に行くのを三回から一回に減らしたりしてね、こつこつと小金を貯めて旅に出たらいいんじゃないかと思いましたね。見聞も広がって、人生楽しくなるんじゃないかと。まあ、よけいなお世話ですね。それに街中の空気がね、すごく穏やかなんですよ。大都市にありがちなギスギスした感じがない。人も穏やかな顔をしてるし。道を尋ねても誰もが親切に教えてくれるんです。おじいさんやおばあさんなんかね、僕の腕をつかんで離さんばかりに教えてくれる。だけど、ハイド・パークを歩きながら思ったんです。ロンドンには住めないなあって。僕の眼には物凄く退屈な街に映ったんです。実際に住んでみたら違うんでしょうけど。
肝心のイースト・エンドですけど、オールドゲイト駅付近にあるとは知ってましたから、そこで降りて人に聞いたんですが、誰も知らないって言うんですよ。仕方なくうろうろと探していたら道に迷っちゃって。そのうち、まっ、いいかって気持ちになっちゃって。もう一つの目的のパンクス探訪ですけど、やっぱりいないんですね。キングズ・ロード、オックスフォード・ストリート、カーナビー・ストリート、ピカデリー・サーカス、スローン・ストリート、カムデン・ロック・マーケットと歩き回ったんですが、見つかりませんでした。それじゃあ、どうしようかなと思ってね、大英博物館を観て帰るのも何だかなあ~でしょ? それでふっと思ったのが、そうだ、ブリクストンに行ってみよう! と。ジャマイカ移民とかのコミュニティーができてて、貧しい区域なんですよ。もちろん犯罪も多いし。クラッシュの「ブリクストンの銃」には、白人が作ったレゲエの中では最高傑作だと思うんですけど、自分たちのパンクのルーツであるレゲエに対して、もし、その敬愛するジャマイカ人たちが暴動を起こしたら、我々は制圧する側に立つのかという葛藤が歌われています。泊まっていたホテルの人からも、ブリクストンに行くならカメラはしまっておきなさい、充分気をつけるのよ、なんて言われたんで何だか期待してしまって。朝一番に地下鉄に乗って行ってみたんですよ。そしたら、アパート、あっちではフラットですか、そこから出勤する白人が出てきて。あれっ? 白人も住んでるの? って思ってね。こっちはニューヨークのサウス・ブロンクスみたいなところを想像してましたから。一体、何を期待してるんでしょうね? 僕は。(つづく)
NO43 続ロンドン・コーリング
at 2004 03/26 23:30 編集
とにかくブリクストンはそんなに荒廃しているとは思えなかった。少なくともアジアのいくつかの都市よりは遥かにマシです。一度だけ黒人に声を掛けられて。素振りを見ると、ああ、こいつは金をせびろうとしてるなと思ったんで無視しましたけど。そういえば、これはブリクストンじゃなくて普通の通りなんですが、歩いていると、物乞いしてるのは若者なんですね。働かなくても失業保険で何とか食べていけるので、無気力な若者が増えているような気がします。物乞いをして断られると、ある若者が「この街はどいつもこいつもファッカーばかりだぜ」と歌っていましたが、ファッカーはお前の方だ、と言いたくなりますね。
その夜はホテルが密集しているアールズ・コートのドミトリーに泊まりました。ここらあたりは何故かオーストラリア人が多いそうなんですが、僕はドミトリーに泊まるのは初めてだったんです。他人がいる空間ではくつろげないんで、今まで泊まったことはなかったんですよ。部屋に入ると、僕のベッドにヒッピーくずれみたいなカップルが寝ている。しかもニューエイジ・ミュージックをかけながら、抱き合ってるんです。一応、「ここ、僕のベッドだけど」と言うと、薄目を開けて、「ああ、そう」なんて言う。まあ、どこのベッドに寝ようが関係ないんですけど。だけど、延々とニューエイジを聴いてるんで、頭がおかしくなりそうで外に飛び出しました。その時、夜のソーホーに行ったんですけどね、キッチュというか、フェイクというか。ブライアン・イーノが化粧していた頃の初期のロキシー・ミュージックみたいな感じなんですよね。あるいは、ジョン・フォックスが在籍していた頃のウルトラ・ヴォックスみたいな、ファーストでメンバーがビニールのジャケット着てて、ネオンが煌めいてるイカしたアルバム・ジャケットがあるんですけど、そんな雰囲気なんですよね。映画でいえば、「ロッキー・ホラー・ショー」とか、フレディー・マーキュリーのもっこりタイツとかを連想しちゃうんですね。えっ?よく分からない? 歩いてみれば分かりますよ。ゲイリー・ニューマンの幻想アンドロイドですから。もっと古い例で言えば、パリスのビッグ・タウン2061ですかねえ。ますますわけ分からんですか。えっと、あと年末だったんで、トラファルガー・スクエアのカウントダウンにも行ったんですけどね、なんだかんだ言っても、イギリスはヨーロッパの中心だと思ったのはね、僕の分かる限りでも、スペイン人、ドイツ人、スウェーデン人、イタリア人、ポーランド人、フランス人、スイス人、あとインド人と中国人と日本人がいたことですね。ええ、4時間その広場をうろついてましたから。12時になったら、そばにいる女性にキスしてもいいことになってるんですけど、無理やり迫ってビンタ張られた男もいました。いい思い出です。いいえ! 僕じゃないですよ。違いますって! 失敬だな、君は! ともかくもですねえ、一番感心したのは、ロンドン郊外を歩いていて、信号のない車道を渡ろうとした時ですよ。車がビュンビュン通ってるんですけど、車道の一歩手前まで来たとたん、左右の車が一斉にピタッと停まりましたからねえ。大阪人、少しは見習って欲しいですねえ、正味の話。
だけど、パンクスに会いたいなんてのは今から考えると、まるで日本に来た外国人がサムライが見たいと言うのと同じ感覚ですね。ジミー・ペイジが来日公演で成田に降りたとたん、「サムライはどこだ?」って聞いたのを笑えません。次にロンドンに行く時は、羽織袴に雪駄を履いて行こうと思ってます
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
あけましておめでとうございます。
UK旅行記です。今回は特別に前編、後編の両者を同時に発表します。英国の首都はロンドンで2012年(平成24年)に五輪が行われました。皆さん、楽しまれましたか? 某テレビ局が特番を放映してたような?
過去にはこうであったというお話はなぜか少し悲しみがありますね。
平成20年代になって劇的であったのはUKポンドが大幅に下落したことです。ポンド高の時代は終りユーロの方が高値の時期がありました。
今回の海外旅行記は随分以前のお話ですが年末を海外で過ごしたお話を二月に発表するのも悪く無いと思ってます。
昨今、インターネットで海外情勢を知る機会が増えてきました。過去においては現状を知るのが難しい時代がありましたが最近では町の現状を知るのが簡単になってきました。従って、一旦情報を得てから海外旅行をする事が簡単になってきました。違った意味で期待はずれは無いが意外さがなくなったからよほどの秘境で無い限り開拓が難しくなりました。
今となっては日本の侍は時代劇の撮影をしていない限りは滅多に見れません。
死去した音楽家は多いが生前に残した記録は数多いから今でも生存しているように感じられる人々は多いに違いありません。
たくさんの国から人がやってくる国際的な町、ロンドン。よき町のようです。
次回のドリアン長野の海外旅行記にもご期待下さい。 以上、管理人マーキュリーマークでした。
#44 ウタダ(リターンズ) 2015/2/23(月) 午前 1:39
#44 ウタダ(リターンズ)
2013-02-01 | Weblog
NO44 ウタダ
at 2004 04/02 23:49 編集
I was out stumbling in the rain staring at your lips so red.
よろめき出ると、雨。なんて赤い、あなたの唇。
小生、過日久しぶりにテレヴィジョンを聴こうと思い、セカンド・アルバム「アヴェンチャー」を引っ張り出した 。一曲目の「Glory」。冒頭の詩はその一節。
語順に訳出し、体言止め。赤い唇のなまめかしと、雨の冷たさの対比が、いい。訳詞をしたのは岡田英明と、ある。岡田氏は、かつて「ミュージック・ライフ」誌上で、ピストルズの「プリティー・ヴェイカント」をWe are pretty oh so pretty
と繰り返し、そこでvacantと言葉の意味が逆転するのは痛快だ、という意味のことを書いていたが、彼はそこでprettyという単語を正しく理解していたのであり、なんじゃ、そらあたり前やんけと言う人もあるやもしれんが、事実はそうでは、ない。ピストルズは正式なスタジオ・アルバムは畢竟(ひっきょう)、一枚しか捻出していないにもかかわらず、ライブやデモテープやセッション、はてはインタビューなどのCDがそぞろ出ているのであって、もちろんその都度、訳者が違う。その中に、「オレ達は素敵だ」と訳し、その後に何の脈絡もないvacantと言う単語が来ているのに戸惑い、狼狽し、苦心した挙げ句、「だけどかなり抜けてるけどね」等と言う訳詞を恣意に捏造し糊塗しているのを何度も、読んだ。これはもちろん「乃公 (だいこう)等は全くの何もない、カラッケツのカラッポ」だと歌っているのであって、まだある、同じ曲の中に「0ut to lunch」(時流に遅れた)という文言があるが、これを「さっ、昼メシに行くぞ」とあって、小生、全く弱り果てる。プロレスラーの藤原喜明がカール・ゴッチに「大工はノミを磨き、石屋はハンマーを磨く。キミがレスラーなら体を鍛え、大切にしなさい」と言われ、爾来(じらい)、それを座右の銘にし、肉体の鍛練に努めたというが、もちろん、なにがしかの報酬を受けとっているのであれば、プロというのであって翻訳者も日本語と外国語の言葉を鋭意、磨かねばならぬ。
よくブルースやゴスペル、ジャズ、レゲエ等等という、所謂(いわゆる)、黒人音楽と称される楽曲をやっている我が朝の人が「私は黒人に生まれれば良かった。私はなぜ日本人であることか、私はなんと不幸なんだろう」と、おっしゃる人をたまさか見聞するが、小生、これを聞くと「ふざけんな大馬鹿野郎。プリンの角に頭を打って公民権運動前のアメリカ合州国南部かアフリカ西海岸の奴隷船の黒人にでも生まれ変わってきやがれ」と悪態をつきたくなるのであるが、もちろんアフリカ黒人にもインド黒人にもアメリカ黒人にもアメリカ白人にも中華人民共和国人民にも日本人にもスペイン人にもアイルランド人にもああめんどくせえア・ポステリオリに自分たちの生活、風習に基づいた文化というものがあり、宗教でいえばキリスト教とアフリカの呪術に高度低度の違いはないという考え方で、これを文化相対主義というのであるが、これが正しいのかどうかはひとまず置いといて、日本人が黒人の文化をそっくりそのままいただきって感じでサルマネしてもこのアホンダラそれが何になるの、って感じで。
拙者が大学で英文学などというヤクザなものを専攻しておった頃。第ニ外国語という面妖なものを単位取得せねば卒業は罷(まか)り成らんとの仰せで仏語、独語、西語、支那語から取捨選択せねばならんということに相成った。英文学専攻の学生は仏語を選択するのが慣例、などと通達用紙に記載されておったのだがケッ、て感じで、結局僕は西語を選び勉学に刻苦精励することになった。理由は以前紐育はハーレムという地をぶらぶらと散策していた時、そのラテン・アメリカ人の多さとあらゆる表記に英語と西語が記されているのを目撃し驚いたからであるが、それはさておき、西語の先生は詩人のアレン・ギンズバーグに風貌がそっくりであったので僕は大いに怪しみ、この人はどこぞの人ぞ?と訝(いぶか)しがったのであるが日本人であることが判明し僕は安心立命した。何ぞ?
その西語の授業中、僕はコンサイス英語辞典を机上に置いておったのであるが、先生は僕の席を通りがかるおり、ひょいとその辞書を手に取り、しげしげと、と見こう見されるのである。僕は西語の辞書を放擲(ほうてき)していたことに対し、叱責されるのかと鞠躬如(きっきゅうじょ)としておったのであるが、あに図らんや先生は「これはすごいですね」と目を細め、その辞書をためつすがめつされるのである。僕は仰天した。中学生から使用している辞書なので韋編三絶なのは当然といえば当然なのであるが、僕はそんなことに関心を示される先生に感銘した。さらに先生はこうも言われたのである。「私はこのような西語の辞書を三冊持ってます」と。僕はますます感銘を受けた。感動のあまり、「そのくらい辞書を活用しなければ語学は習得できないのでありますね」という意味のことを口走ったのであるが、「いや、まだまだです」と先生はおっしゃられるのである。先生の学問に対する真摯(しんし)な態度、一求道者たらんとする先生の孤高の精神に僕は尊敬の念を覚えたのである。
僕の寝室兼書斎には、あまたの辞書が参差(しんし)乱雑しておる。「リーダーズ英和辞典」「アメリカ俗語辞典」「アメリカ口語辞典」「アメリカ新語辞典」(これは図書館からガメてきたやつ)「最新和英口語辞典」「スピーキング英和辞典」「Give Get辞典」「The dictionary of Comtemporary SLANG」「英語図詳大辞典」「英和翻訳表現辞典」「最新英語情報辞典」「早見優ちゃんの英語にしてみたゲンダイ用語辞典」だってあるし「現代フランス語辞典」「現代スペイン語辞典」「広辞苑第三版」「新選漢和辞典」「新明解国語辞典」「イミダス」に「現代用語の基礎知識」だってある。三島由紀夫は「辞書は引くものではなく、読むもの」と言ったが、いかにも辞書は読んでもおもろい。はは。
僕は成人式のお祝いに市から国語辞典を頂戴したのであるが、僕と同年代(当たり前だ)の阿呆の餓鬼どもはその辞書を毫(ごう)も有り難く思わず、放擲していたに違いないことは想像に難くない。その頃、文学などに入れ込んでいた僕は意味不明の文言が出てくると逐一、辞書を引いて確認していたのである。そうして使用していた辞書は一年を俟(ま)たずしてボロボロに朽ち果てたのであるが、僕の日本語の語彙は飛躍的に伸びたのである。イエイ。
ともあれ、西語は三年間授業を受けたのだが、拙者、西語で覚えた文章は「私の父と母は西語を話すことができます」だけである。嗚呼、やんぬるかな。アディオス。
わが君にわけは恋ふらし
わがせの君は涙ぐましも
自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。自分はクアラルンプールの「タワー・レコード」で宇多田のテープを邦貨、六百円で購った。そしてセレンバンという街を目指し、列車に乗った。その街に目的若しくは所用があったわけではなく、車窓から街並の風景、乃至市井人の生活というものを打ち眺めてみたかったのであり、それには日帰りで逆旅(げきりょ)に帰館できるセレンバンは都合がよかったのである。車窓からは、なるほど森林を伐採して作られた都市だと実感できるほど、熱帯多雨林が生い茂り、抜けるような蒼穹に入道雲が棚引いておる。春霞棚引く山を君が越えいなば。眩しい陽光の中で宇多田の湿ったリズム・アンド・ブルースの唱法は妙に合った。聴いているうちに、自分は不覚にも涙を流していた。
沢木耕太郎の「書物の漂流」というエッセイは、こういう書きだしで始まる。
「小説を読んでいて不覚にも涙を流しそうになったことがある。確かにそれが物語の中段とか終局においてというなら別に珍しいことではない。取り立てて口にするほどのことでもないだろう。その時、私は第一章の第一節の第一行目を読んでいたのだ。第一行目の活字を眼にした時、不意に胸が熱くなってしまった。驚いた。狼狽したといった方が正解かもしれない。_私は山本周五郎の『さぶ』を読んでいたのだ。」
シルクロードを西に向かって歩いていた沢木は日本人旅行者から一冊の文庫本を貰う。それが『さぶ』だった。彼はチャイハナでその本を読み始めるが、一ページ目が終わらないうちに、その先を読み進むことができなくなってしまう。
「いまとなれば、その時の動揺は山本周五郎の文体の力によってもたらされたものに違いない、と考えることができる。靄のようにけぶる小雨、両国橋という名の橋、さぶという名の若者、橋を渡るという感覚。一片の雲もなく、一滴の雨も降らない中近東の砂漠にいる私には、それらのすべてがひとつの世界を現前させる激しい喚起力を秘めていた。しかもその世界は、遠ざかりつつあり再び戻ることはできないのではないかと怖れていた土地の、鮮やかな象徴として現前したのである。」
何百日か後、戻れないのではないかと怖れていた日本に帰った彼は再び『さぶ』を手にするが、あの時の胸の熱さを経験することはなかった。
「しかし、」と彼はいう。
「文庫本の『さぶ』は、いまでもなお、シルクロードをゆっくりと往き来しているかもしれないのだ。そう思うと、ほんの僅(わず)かだが、胸が震える。」
自分は宇多田をバスの中で、逆旅のベッドの上で、繰り返し聴いた。聴くたびに日本のことを想った。それはアメリカン・スクールに通う彼女(当時)が、亜細亜の片隅にいる自分に日本人であることの認識を強いたからだ。
「マリリン・マンソンとはアメリカの闇が生み出した怪物だ」
(マリリン・マンソン)
ベルリンの壁崩壊以後、喧(かまびす)しくなってきた感があるが、人種、宗教、文化、言語に関係なく世界中の人々は融和して住むことができる、宇宙から地球を眺めてみれば国境線なぞなかった、僕達は地球号という一蓮托生の船に乗ってる地球人であるから争いはやめよう、ウイー・アー・ザ・ワールド、ウイー・アー・ザ・チルドレン、国境なんぞがあるから戦争、紛争が起きるのだ、反戦、平和、自由、平等、人権が人類にとっての普遍の真理であるから反権力、反国家、もう国民という言葉を使わず市民と言おう、これからは草の根運動だ、一個人が輝く時がきた、国籍を捨て、国際人になろう、等という輩(やから)がいる。妄言である。自分はかかる妄言を吐く人種を信じぬ。「イマジン」から「アナーキー・イン・ザ・U.K」、マリリン・マンソンまで、ロックの一部分は無政府主義を標榜し、国家の解体を宗(むね)としてきた。(ただし後年ジョニー・ロットンはアナーキズムなんて中産階級のマインド・ゲームだと言っていたが)国家が消滅すれば、より紛争及び戦争が勃発するということは自明の理であり、国家すなわち権力であるから他国を侵略する力を有するという民主主義やその漸進形態である共産主義の謂(いい)は笑止である。しかし、自分はイラクの空爆に賛成である。かかる非人道的な行為を看過できぬ。人権思想を持つ、アメリカやヨーロッパの民主主義国家が空爆を決議したのは当然だ。それならば、インドにはサティーという文化(culture)『人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住を初め技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容とを含む』(広辞苑)がある。夫に死なれた未亡人は生きたまま焼かれるという文化だ。法律では禁止されたが田舎では今でも実施されている。全ての文化を等価値だとする文化相対主義者はサティーを容認できるか。そして民主主義者は人権、平等、女性差別撤廃の名においてサティーを絶対に容認できまい。この悪魔の所行を根絶するために民主主義国家はインドを空爆しなければならない。それができなければ、民主主義は恣意的な思想(イデオロギー)だと言われても仕方がない。アメリカよ、インドを空爆せよ。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
一応はニューヨークとマレーシア旅行記になるのかな?軽くしか触れられていませんけどもね。 ドリアン長野が当時(平成十年代)考えていたことを乱雑にまとめたコラムですね。アナーキーといえばソマリアがそうなってしまいましたね。原油の中に劣化ウランが混入したのもイラク空爆の影響です。明日、何が起こるかは誰にも分かりませんがインドは中国やパキスタンやバングラデシュとの争いを抱えているから米国に攻撃される前に何かが勃発するかもしれません。 以上、管理人マーキュリーマークでした。
#45 カトマンズの夜 (リターンズ) 2015/2/23(月) 午前 1:48
#45 カトマンズの夜 (リターンズ)
2013-03-01 | Weblog
NO45 カトマンズの夜
at 2004 04/27 23:23 編集
中山可穂の「熱帯感傷紀行ーアジア・センチメンタル・ロードー」を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。著者はインドネシアを旅していたのだが、「店内のラジオからは、マントヴァーニ楽団の『ブルー・タンゴ』が流れていた。まさかこんなところで、アメリカ製タンゴの名曲を聞けるとは思わなかった。」
僕は、ああ、分かるなあと思った。僕もカトマンズのタメル地区にある古本屋の二階で日本語と英語のペーパーバックを眺めていたら、ラジオからビョークが聞こえてきたことがある。曲名は思い出せないが、ネパールでビョークという取り合わせも妙なもので、年の暮れということも相俟って、異国で独りという寂寥感が身に染みた。
カトマンズに行こうと思い立ったのは、タメルという場所がバンコクのカオサンと同じように世界中のバックパッカーで賑わっていることを本で読んだからだ。ネパール人と異国のバックパッカーが交錯しながら食事をしたり、土産物を売ったり買ったりしている光景を思い描くと居ても立ってもいられなくなった。
夕刻にネパール空港に到着。ロッジのようなイミグレーションを通過し、外に出てタクシーを拾う。数十分走ったが、王宮の前で突然、エンストした。運転手に聞くと、何とガス欠らしい。彼は車外に出て、通りを見つめている。どうするのかと思って見ていると、やがて通りがかったタクシー仲間を捕まえてガソリンを分けてもらっていた。タメルに着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていたが、なるほど土産物やホテルや食堂が櫛比し、賑わっている。適当な安宿にバックパックを下ろし、街に出てみた。タメルはカトマンズにおいても異質な場所だと思う。ニューヨークがアメリカにとって特異な都市であると同じ意味で。外国人と牛と地元の人間で賑わっている往来をぶらぶらと歩いていると、小さなスーパーマーケットがあった。そこが気に入って、タメル滞在中は日課のように通った。外国人に混じって食料品を買っていると、不思議と心が安らいだ。多分、一人であっても一人じゃない距離感が好きだったからだろう。食堂では、よくモモ(水牛肉の餃子)とチョウメン(焼きそば)を食べた。席に着いてから最初のお茶が出てくるまで20分、最後の食事が出るまで一時間かかった。白人の客が「ネパールタイムだ」と言うと、他の客はあきらめのような、連帯感のような笑いを洩らした。
ひょんなことから、あるネパール人夫婦と意気投合し、彼らの知り合いの家へ招待されることになった。その家は日本大使館のすぐ側にあり、門扉から玄関まで歩いていくような、ネパールの生活水準からすれば充分すぎるほどの大豪邸だった。主人のチャンさんは台湾出身で、台湾の電化製品をネパールに輸入して成功した人だ。熱心な仏教徒でもあり、広い居間の一角にしつらえた祭壇へのお祈りは毎日かかさない。チャンさんは言う。「あなたが今日ここに来たのは、あなたが生前ネパール人だったからだ。今度ネパールに来た時はホテルに泊まらず、うちに泊まりなさい。いっそのこと、ネパール女性を紹介するから結婚してこっちに住んだらどうですか」。帰りは夫婦にタクシーでホテルの近くまで送ってもらった。食堂に入り、3人でチョウメンを食べた。縁って不思議だね。そう言って3人で笑った。ネパールに来てから三日目だった。
知り合いから知り合いに紹介され、滞在中は数珠つなぎに知人が増えていった。誰もが親切にしてくれた。ネパール人は日本人に似ているところがある。控えめで内気で、外国人に対しては親切にせざるをえない。それに加えて男たちは眉間のあたりに矜持といったものを漂わせていた。彼らの信仰する神のせいなのか、それとも貧しさによって自らを恃みにしなくてはならないからだろうか。勇猛果敢なネパール人はグルカ兵としてイギリスの傭兵になったこともある。僕は日本のサムライと彼らを重ねあわせることもしばしばだった。
たとえば、こういうことがあった。ジョッチェンの広場で少年たちにババ抜きを教えて遊んでいた。しばらくトランプをしていると、後ろから肩を叩かれ、知り合いの大人たちから「メシを食べに行こう」と誘われる。「すぐ戻ってくるから」と中座し、彼らとしゃべっているうちにトランプのことは忘れてしまっていた。あくる日、その広場に行くと、昨日の少年が近づいてきて、「忘れ物だよ」とトランプを差し出した。些細なことだが、アジアで未だこのような正直さに出会ったことはなかった。
帰国日、最後に広場に行ってみた。顔見知りの少年を見つけ、これから帰るからと告げる。何かを言おうと思ったが、適当な言葉が浮かばない。「ダンニャワード(さようなら)」と言って歩き出したが、写真を撮っておこうと思いついた。ついでに周りの連中も記念に写しておこう。「写真を撮るよー!」とあたりに声を掛けると、20人くらいが集まった。笑顔の彼らをファインダー越しに覗いていると涙が出そうになった。
タクシーを拾い、空港に向かう。しばらくすると今度はパンクした。車外に出ると、来た時と同じような満月だった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
何度も主張してますが、過去(平成10年代)の海外旅行記です。今が二月あっても年末のお話を読まれると多少驚く人も居られるかもしれませんね。画像データは得られない状態ですので発表が行えません。周知のように平成20年(2008年)にネパールは王政が廃止されました。過去と現在ではネパールは大きく違うと考えた方がよろしいかもしれません。実は、2010年以前にこの点についてネパールに詳しい人物と話したのですが、「日本人が決めることではなくて彼等が決める事。」だと返答されたのが印象深かったです。実際の所、内政干渉は行えません。強調しておきますが、平成10年代は王政であったネパールは現在は連邦民主共和制になってます。中国寄りの政府が出来たこともあってインドとの緊張は不可避なのでしょうか? ネパールはこのままだと内乱が発生しかねません。その点でもこの海外旅行記は貴重かもしれませんね。
チキンチョウメンとも言われるチキンカレーの麺料理は日本国内でも幾つものネパール料理店で販売されてますから有名です。おいしいので自作されてもよろしいかもしれませんね。個人的な感想なんですがネパール料理店はバターを使用したカレーにも思えます。店にもよるし食べた人によって感想は違ってくるでしょうが少々重たいカレーでした。植物性油を多様するのはパキスタンでしたね。バランスが取れているのはインドでした。スリランカのカレーは意外と甘めだったと思います。カレーの特徴に限っては個人的な感想なので賛同は得られにくいとは思います。日本のカレーは化学調味料が多いかも?
本当に海外ではノンビリしてるけども心の暖かさが残っているようにも思えます。昨今の日本の現状は全てでは無いにしても大企業が大赤字であったり非常識で短気で錯乱してるがゆえに納得がいかない犯罪者が横行する社会になってきています。心が冷え切った狡猾な人物が多くなってきているのが当たり前になった社会です。言い換えると、精○異○者が優遇されているのでしょうか?
台湾人夫婦が日本人に優しく接してくれた点も感謝せずにはいられません。実際の所、ドリアン長野は日本人女性と結婚して娘さんがいます。
過去にフザケタ内容であるがゆえに突っ込み所満載の情けない海外旅行記と違って今回は心が温まる海外旅行記にも思えて仕方がありません。違った意味でずるく感じますね。
但し、海外に行くと日本とは環境が違ってくる点は理解しておきましょう。タクシー一つとっても安心は行えないようです。問題が発生して遅延が発生する事が日本よりも高い確率のようです。 皆様、次回のドリアン長野の海外旅行記をよろしくお願いします。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
#46 チョンキン・マンション(リターンズ) 2015/2/23(月) 午前 1:51
#46 チョンキン・マンション(リターンズ)
2013-04-02 | Weblog
NO46 チョンキン・マンション
at 2004 05/13 18:32 編集
チョンキン・マンションという名の安宿が香港にあるということは知っていた。が、まだ泊まったことはない。香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。漫画家でバックパッカーの小田空さんは、重慶大厦とは、通称を「チョンキン・マンション」。アジアを旅する際にホンコンに基地を置く世界の貧乏旅行者で、その名を知らぬ者はいない、旅人のとまり木。心の故郷(ふるさと)。食わせ物の迷宮。
香港銀座の一等地、右に左に高級ホテルをしたがえながら、ひときわ異彩と異臭を放つ、今にも朽ち果てそうなヨレヨレの汚いビル。
(小田空著「目のうろこ」より)
と書いている。どうだ、どうだ、行ってみたいと思わんかね? (オレだけか~い)少なくとも私にはTDLよりも魅力的な場所に思えるぞ(行ったことないけど)。というわけで、死ぬまでに一度でいいからチョンキンに泊まりたいという熱い(のか?)想いを抱いて五月の連休を利用して四泊五日のチョンキンひとりツアーに出かけることにした。なじみのパキスタン・カレー屋のマスターにチョンキンに行くと言うと、「わたし、チョンキンよく知ってるよ。香港にいる時、よくカレーの材料買いに行ったね。もう十年以上も前になるかな。そうだ、ドリアンさん、チョンキンに泊まるなら、パパダ(せんべいのようなもの)5キロとホール・カルダモンとグリーンペッパー・ピクルス買ってきてくれへん? あっ、それから荷物になって悪いけど、ブラック・ラベルとシーバスもお願い」
俺は行商人か~いっ、と心の中で突っ込みつつ、香港へ。
地下鉄尖沙咀(チムシャツォイ)駅のE2番出口を出ると、ネーザン・ロードをはさんで、でかい雑居ビルが現われた。ああ~、あれがチョンキンなのね、と感慨にふける隙もなく、パキスタン人とおぼしきにーちゃんに「ニセモノ時計アルヨ」と声をかけられる。それからこの界隈をうろつくたびに声をかけられることになるのだが、やつらは百発百中、私を日本人と見抜いてしまうのだ。店で買い物をしたら、店員に広東語でしゃべりかけられるのはよくあることだったのに。なぜだ? 「職人芸」、もしくは「匠の技」という言葉を思い出す。
入口にはターバンを巻いたシーク教徒、パキスタン人、アラブ人、アフリカ人という見るからにキツイ人たちがたむろしていらっしゃいます。一階には何軒か両替所があるのですが、入口付近の三軒のブースにはいつも若い女性が座っています。むさいチョンキンにあって、泥沼の蓮、はきだめの鶴、という風情ですね。いや、レートの悪さをごまかすための香港人のこすい作戦かもしれません。チョンキンでは両替の手数料を取らないので、わざわざ遠くからやって来る人もいるみたいです。二階にある「Pacific Exchange Co.」という両替商がレートがいいようです。奥に入ってみると、コンビニ、鞄屋、服屋、土産物屋、インド食料品屋、散髪屋、食堂等がひしめきあってます。「チョンキン・マンションには一階と二階合わせて200軒以上の店があります」と書かれたプレートが天井付近に掲げられていますが、暇な人は確かめてみよう!
チョンキンは金城武、フェイ・ウォン、トニー・レオン出演の映画、「恋する惑星」(英語題名「Chung King Express」)のロケにも使われています。この映画は1994年の作品なんですが、雰囲気はその頃と今も変わってないですね。ただ、一昔前はチョンキンと今は無き九龍城が香港の暗黒地帯の双璧だなんて言われてたんですが、最近のチョンキンは警官が巡回したり、防犯カメラを設置したり、夜中の12時になるとシャッターを降ろしたりと、安全面に関しては格段に進歩していますからね、チョンキンに泊まりたいけど、なんだか恐いと思ってらっしゃるそこのあなた、心配いりませんからねえ~。
17階建てのチョンキンにはA~E座が独立した棟として入っており、100以上もの安宿があるそうです。入って左にはA、B、C座が、右にはD、E座のエレベーターがあります。各座に偶数階行きと奇数階行きがあり、全部で10基のエレベーターが稼働しているのですが、宿泊客や住人、お米や食料品やガスボンベを荷車で配達する人、掃除のおばちゃんでいつも長い行列が出来ています。遅く帰って来たときなんか、行列を見ただけでうんざりします。でも、大丈夫! そんなときに限って、インド人のにーちゃんと香港人のおばちゃんが列に割り込んだ、どーしたと言い争いをしているという心が和む光景に出くわしますからあぁっ!
そんでもって、エレベーターの定員が7人なんですけどね、ガタイのいいシーク教徒のおじさんや小錦なみに体格のいいアフリカ人のおばさんなんかが乗ってくると、すかさず親のかたきみたいにブザーが鳴りまくるんですよ。仕方ないから、最後に乗ってきた人がうらめしそうに降りていくんですが、中には片足立ちになって、両手でバランスを取りながらブザーをやり過ごすという、「伊東家の食卓」で使えそうな裏ワザを駆使する人もいらっしゃいます。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成十年代の海外旅行記ですね。結局、資本主義を受け入れ英国が開発した香港は狭い土地で発展を継続していくには高層建築に頼らざるをえない。重慶大厦ことチョンキンマンションは平成20年に大規模な改装が行われたばかりか治安対策も改善されたそうです。従って
冒頭で述べたように平成十年代の海外旅行記ということを念頭にお読みいただければ幸いです。重慶大厦は平成十年代と平成20年代は大違いのようです。さて、皆様は今年のゴールデンウィークにどちらへ行きますか?次回のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)を楽しみにお待ちください。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
#47 チョンキンよいとこ一度はおいで (リターンズ) 2015/2/23(月) 午前 1:58
#47 チョンキンよいとこ一度はおいで (リターンズ)
2013-05-01 | Weblog
NO47 チョンキンよいとこ一度はおいで
at 2004 05/21 23:09 編集
チョンキンでの最初の宿はA座7階にある「ウエルカム・ゲストハウス」に泊まることにした。ガイドブックで紹介されているせいか、日本人宿泊客が多い宿だ。受付には誰もおらず、「御用の方は電話して下さい」という貼り紙がある。電話すると、20歳台の女性が出て来た。
「ごめんなさい、忙しくてね。なんせ私ひとりだけだから」
ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。彼女、インドネシア出身のシティは二つのゲストハウスを持ち、原石の販売もしているそうだ。もらった名刺にはルビー、サファイア、ガーネットといった宝石の他に痩身茶の名もあった。若いのになかなかのやり手だ。部屋は三畳ほどで狭いが、チョンキンでは平均的な広さだろう。シティの掃除が行き届いており、清潔。窓からネーザン・ロードが見えるのがいい。エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年現在)。可もなし不可もなし。ここには二泊した。チェックアウトした時のシティはぐったりと疲れていた。人を雇ったほうがいいと思う。
次はB座9階の「ハッピー・ゲストハウス」に行く。ここはTVドラマ「深夜特急 香港編」の撮影に使われたらしいので、話のネタに泊まってみようかと思ったのだが、ベルを鳴らしても誰も出て来ない。そのうち、隣のゲストハウスから「そこは満室だよ」とインド人が出て来た。その言葉は客引きが使う常套句だ。インドで散々聞いたわい。その男、グルング(28歳)にうちに泊まりなと誘われる。一泊180HKDだと言っていたが、部屋に案内されたら、「広い部屋を空けたから200ね」とぬかす。「きさまあ~、どこの出身じゃ~い」「カルカッ夕」「やっぱり」
「オレは狭くても安い部屋がいいんだけど」「いや、ここしか空いてないから」
せこい奴め、きさまがそういう気なら、俺にも考えがあるわっ! 他に行くのが面倒なので泊まってやる。
だけど、「俺はトラベルライターだ。このホテルのことを雑誌に書いてもいいか」とはったりをかましたら、手の平を返したように「トイレットペーパーが無くなったら、言ってくれ」だの「飲料水は外にあるから自由に飲んでもいいよ」だの「エアコンのスイッチはここだよ」だの、さっきと態度がちゃうやんけ。キャッシュな奴め。
「グランド・ゲストハウス」、部屋は広いが、独房のような感じ。ひと休みしてから部屋を出たら、グルングが満面の笑顔で「満室になったよ!」。満室? なぜだあ~?
あくる日の昼前にチェックアウトしようとしたら、玄関にグルングが毛布を敷いて爆睡していた。宿泊客が起こすのはかわいそうだと思ったんだろう、右の手の平に鍵が置いてあったので、私も左の手の平に鍵を置いて出て行く。
さて、香港最後の夜。日本人バックパッカーはA、B、C座に宿泊が集中すると聞いた。分からんでもない。D、E座になるとその怪しさのディープ度に拍車がかかるような雰囲気がある。で、D座に泊まってみることにした。エレベーターに書かれているゲストハウスの名前を見ながら、どこにしようかなと思案していたのだが、名前の書いてあるプレートが新しそうなので9階の「ニュー・チャイナ・ゲストハウス」に泊まることにした。それが大当たりだったね。2002年にオープンしたばかりで、チョンキンとは思えない美しさ。エアコン、ホットシャワー、電話、TV付き(これがなんとリモコンTVだよ。驚いたね)でシングル120HKD~150HKDはお買い得だよ、奥さん! おまけに玄関の入口に宿泊客共有の冷蔵庫があり、長期滞在者のために無料の洗濯機まであるっていうんだから、至れり尽くせりだ。オーナーのピーターさんはE座8階にも「ニュー・ヤンヤン・ゲストハウス」を持っているそうなので、そこも見せてもらったが奇麗だった。宿泊客はアフリカ人がほとんど。ピーターさんも従業員のガーナ出身のアームストロング君(22歳)もフレンドリーでカインドリーだ。名刺を置いてきたから私の名前を言えば、きっとサービスしてくれる(ことを望む)。これで香港の宿泊は問題なしさ。近くにシェラトンやぺニンシュラもあるので、チョンキンに疲れたらロビーのソファーに座って気分をリフレッシュすれば大丈夫。さあ、ジョイン・トゥー・ザ・チョンキン・ワールド!(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成16年の海外旅行記です。読み進めるとまるで巨大高層建築物が一つのダンジョンにも感じられ町のようにも思えます。テレビで見るような円滑に物事が進む海外旅行記とは全く無関係です。平成20年代は芸能人の旅人が試練を体験する旅行番組も存在しますから否定的に考える人もおられるかもしれませんけどもこういった従業員の失態を見る機会は少ないと思います。開拓をしてるようにも感じられますね。皆様、大自然を大農地にするのが開拓ではなくて不明瞭な町をいかにして楽しむのかについても開拓と考えられませんか?平成十年代の海外旅行記ですので現在と過去の宿泊費や為替レートは違ってきていますので相違については各自でお調べください。
深夜特急 香港編の書籍は現在、新潮社さんが販売されています。
90年代に放映された深夜特急のDVDは、現在、www.sonymusicshop.jpで販売されてます。90年代から平成十年に放映されたテレビ番組が平成十年代にDVD化されて販売されています。
皆様、平成十年代のゴールデンウィークと平成20年代のゴールデンウィークにはどのような違いがございますか?
次回のドリアン長野の海外旅行記にご期待ください。 以上、管理人マーキュリーマークでした。
#48 チョンキンの夜は更けて (リターンズ) 2015/2/23(月) 午前 2:05
#48 チョンキンの夜は更けて (リターンズ)
2013-06-01 | Weblog
NO48 チョンキンの夜は更けて
at 2004 06/25 22:25 編集
「300だ」
「高いな。他の商品はないのか」
「いくらなら買う?」
「いや、他の商品はないかって聞いてるんだ」
男がファイルされたルーズリーフをせわし気にめくる。6畳くらいの部屋には壁に向かって作業机が並んでいて、時計の部品が無造作に散らばっている。それを少年が熱心に組み立てている。
ここはチョンキンから100メートルほど離れたミラドール・マンション一階にある工房だ。ミラドールもチョンキン同様、安宿の集合ビルだが、新しい分だけ設備が整っているらしい。話のネタにと、ニセ・ブランド時計の客引きに声を掛けたら、ここに連れてこられた。さきほど連れてこられた二人の中年の白人女性たちも隣の席でルーズリーフの写真を見せられている。
「男物はロレックスだけだ。ブルガリもあるが、これは女物だけだ」
ロレックスは言っちゃあ悪いが、成り金オヤジの趣味だ。まるっきりイケてない。ちなみに私は腕時計は持ってない。ケータイの時間表示で充分だし、海外に行くときは電池で動く、ちっこい目覚まし時計を持って行く。
「この時計イケてねー」「もっと安くしろー」と散々ごねる私にとうとうキレたのか、「あんたの欲しい時計なら外で売っている」と通りに追い出された。仕方ないから、露店で売ってる一個30HKDの時計を買ったね。それにしても、あんなに簡単に客を手放すってことは一日に何人もの客が食いついてくるってことか? それに時計が一個売れれば、客引きと実際に売りつける男にそれぞれ、いくら入ってくるのだ? ああ、知りたい。
チョンキン内にあるインディアン・フード・ショップで頼まれていたカレーの材料を買ったんだけど、久々に頭にきたね。買い物の品を抱えてレジに持っていき、精算した時に持ち合わせが少ないことに気づいた。「両替えしてくるから」と店を出て、近くの両替店で両替して戻ってきた。「えーっと、いくらだっけ?」と店のオヤジに聞くと、「199(HKD)だ」と言うので払って出てきた。近くの通りにある「スタバ」でぼーっとしていると、はっとした。待てよ、199いうたら、めちゃめちゃ高くないか? あわててレシートを確かめてみると、99HKDになっとるやんけ。あーっ! やられたーっ! 100ぼられたやんけーっ!けど、 わっかっとる、悪いのはこのおれやあっ。おれがあほやったんやあー。騙されたんが悪いんや。今からその店にねじりこみに行ってもレシートに書いてあるさかい、どもならんわ。しかし、腹立つからその店の名を書いておこう。チョンキン二階にある「マハラジャ・プロビジョン・ストア」だ。オヤジのインド人は大きいことはできなさそうな、小ずるくて小心者の貧相で女には絶対もてそうもない顔やったでー(小学生か)。
ここで気を取り直して、チョンキンにあるお勧めのレストランを書いておこう。D座には「アフリカン・サービス・センター」という一室がある。理髪をしたり、アフリカ料理を食べさせたりするらしいが、入ったことはない。なんせ、外観は他の安宿と変わりなく、秘密クラブのような雰囲気だ。今度、安宿に泊まってるアフリカ人に連れてってもらうことにして、私のお勧めは三階にある「エベレスト・クラブ」。ここのシェフは一流ホテルで修行していたそうで、ビーフカレーも自慢のノビリティアン・ビリヤーニもとても上品な味だ。内装もゆったりと落ち着いていて、チョンキンにいることを忘れてしまうほどだ。チョンキンには何軒かインド・レストランが入っているが、味と値段の安さを比べてみるとここが断トツだと思う。ネパール人マネージャー、メゲンドラ君が言うには、「日本人もよく来てくれる。香港に住んでいる日本人でここを知らない人はいない」んだそうだ。彼は日本に行ったとき写真を撮りまくり、400枚もの現像を頼んでカメラ屋のおやじをびっくりさせたというほどの大の親日家だ。だけどメゲンドラ君、日本のことを夢中で話す君の話を聞いてたら、もうちょっとで帰りの空港行きのバスに乗り遅れるとこやったで。それに10%割引きのメンバーズカードをくれたんはありがとうやけど、今度いつ使えるか分からんで。ひょっとしたら、使われへんかもしれへんでー。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
実に、平成十年代らしい海外旅行記です。平成十年代は携帯電話が普及した年代です。歯車を販売する企業の社長がテレビ番組に出演した時にも「時計向けの製品の売り上げが下がった。」と嘆いてました。おつりの間違いは日本でもあって私が京都市内の○ァミリーマートでも¥50足りないお釣りの時があってそれ以降は京都市内のファミリーマー○にはほとんど行かなくなりました。皆様、物品の購入の時にはどこであっても気をつけましょう。日本も安心出来なくなりました。他にも、供給する商品が欠落してるのは詐欺行為に思えます。冷やかしが目的で優柔不断な姿勢を継続すると店員が怒るのは世界中どこでも変わらないようです。だけど、強要は日本では違法です。通販業者のamazon.comが年間で7000億円以上の売り上げを作ったのはどういうことかを考える必要が日本の小売業者にはありますね。
アフリカ料理ですがかつて私の地元でアフリカ料理店が営業してたのでドリアン長野にプレゼントしたことがあって彼は喜んで食べてました。エボラウイルスで有名なアフリカのコンゴ民主共和国で製造されたトマトソースで味付けされた料理はおいしかったですね。日本でもすでに中京の某霊長類研究所でエボラウイルスに感染した猿達が多数死んでいたのは常識です。エボラウイルスも焼却処分には弱いから問題は無いと私は考えてます。最近はエボラウイルスは沈静化したみたいですね。
エベレストクラブは本当に評判が良いレストランのようです。今となっては、デジカメの時代になって画像データをメールで送信する時代になりました。平成20年代であってもアナログな人には今でも写真を郵送するのでしょうか?店員さんが親切なのは良いと思います。だけど、何らかの時間については理解した上で行動を取らないと帰国が困難になるので皆様も万が一、海外旅行に行かれたら自己主張はしましょう。そういえば、日本国内であっても店側から配布されたクーポン券って使用しないことが多いですよね?無論、人によっては頻繁に使用するクーポン券の存在については否定しません。
日本とは全く違う海外の二種類(ミラドールとチョンキン)の建物だけでこれだけ楽しめる所は少ないと考えられます。 あべのハルカスは別かも? 再び消費税が増税された後(8%から10%)では多くの日本人が生活必需品しか購入しなくなると小売業者にとっては冬の時代が来るとも言われてます。 最後になりましたが、平成十年代は日本人がお気楽な旅行が行えた最後の年代になる恐れがございます。
来月も、お楽しみに。 以上、管理人マーキュリーマークでした。
オマケ
HKDとはホンコンドルの略称です。念のため。
#49 アジア・コーヒ(中島らもへの誄) (リターンズ)
2015/2/23(月) 午前 2:21
#49 アジア・コーヒ(中島らもへの誄) (リターンズ)
2013-07-01 | Weblog
NO49 アジア・コーヒ(中島らもへの誄)at 2004 08/06 20:43 編集
中島らもが死んだ。アルコール中毒による肝硬変でもなく、ドラッグのオーバードースでもなく、鬱病による自殺でもなく、脳挫傷で死んだ。その何週間か前には町田康との対談及びライブがアメリカ村で行われた。はからずともそれが最後のライブとなってしまった。平日だということで私は行っていない。今さら言っても詮無いことだが、悔やんでも悔やみきれぬ。
中島の死を知った夜、彼の最新文庫「とらちゃん的日常」を買った。彼の死を悼もうとしたわけではなく、たまたま書店で見つけた。
猫が無性に飼いたくなった中島は黒門市場のペットショップで、とらちゃんを三千円で買った、とある。とらちゃんは白黒のトラ猫である。私も去年、黒門市場の同じペットショップで白黒のトラ猫を買った。子猫が三匹ケージの中にいて、白猫が五千円、トラ猫が一万円だった。私がかわいいなあ、と眺めていると隣にいた友人が銀行からお金をおろして買ってくれたのだ。
おれはとらちゃんを撫でてやったり抱いてやったりするが、あんまりな猫可愛がりはしない。なぜなら猫というのは孤高で神聖な生き物だと思うからだ。おれは猫を飼うに値しない人間だ。来し方の悪業を考えるとそう思う。猫を飼うことでおれは一種のみそぎをしているのではないか。おれは一度自分の悪業をおさらいしてみたことがある。何と、殺人とレイプ以外はすべてやっていた。盗み、傷害、カツアゲ、麻薬、詐欺 etc.。これら降り積もった黒い雪を、猫の高貴さが洗い清めてくれるような、そんな気がするのだ。 (「とらちゃん的日常」より)
文庫本に写真が載っているが、メス猫であることも含めてとらちゃんはうちの猫とそっくりだ。
2004年5月30日の日付けの文庫本あと書きで、とらちゃんは今も元気だ、と中島は書いている。その二か月後に彼は亡くなった。とらちゃんは今でも帰らぬ主人を待っているのだろうか。いや、猫のことだから主人のことなど疾うに忘れてしまっているに違いない。中島はそれを良しとするだろう。遺灰は散灰してくれというのが故人の遺言だそうだ。
中島らもは万人の認めるところだが、天才的な作家だった。大阪出身でアメリカで活躍しているコメディアンの大槻タマヨが「天才というのは横山やすしさんと中島らもさん」と言っていたが、まさに万人に分かりやすいという意味での天才だった。天才という言い方が凡庸に過ぎるというのであれば、作家らしい作家であったというべきか。
長篇ももちろん素晴らしいのだが、むしろ私は彼のエッセイや短編に心惹かれてきた。例えば「エキゾティカ」というアジアを舞台にした短編小説集。その中に「ペットとイット」というレディ・ボーイとムエタイ・ボクサーを主人公にした一編がある。コミカルだが嫌みがない。清流のような爽やかさがある。音楽でいうと、モリッシーのようだ。ストーリーは他愛もないといえば、恐らくそうだ。しかし、私は20ページほどのこの短編を読み返すたびに思う。これが作家というものなんだと。
自宅の近くの玉造に、かつての中島らも事務所があった。鬱病の中島はここのビルから飛び下り自殺をしようとして、間一髪わかぎえふに助けられた。前を通るたびにそのことを思い出した。中島の死の当日、わかぎは香港にいたそうだ。今回ばかりは助けることができなかった。死を知らされたわかぎの心中を想うと心が痛む。
その事務所の交差点を南にくだった日之出通り商店街を抜けると、中島のエッセイにも書かれている「アジア・コーヒー」があった。この喫茶店はテレビや雑誌でも取り上げられて有名になったのだが、最初に紹介したのは中島ではなかったかと思う。
「アジア・コーヒー」は喫茶店というよりは、東南アジアにある路傍の茶店という感じだった。店は息子と母親がやっているのだが、あばらの浮き出た不良息子のおっちゃんは、「朝はようから夜おそうまで、ず~っと仕事や。わし、体もたへんで」といつもこぼしていたが、おっちゃんは日がな煙草を吸ってテレビを観ているだけだった。おっちゃんは店の土間に布団を敷いて寝泊まりしていた。
喫茶店なのに売り物は日本中でここだけしかないという、ネーポンという甘ったるい柑橘系のジュースだけ。たぶん、ネーブルとポン柑からのネーミングだろう。友人が記念に持って帰りたいと言うと、おっちゃんは「神戸にある製造元が震災でつぶれてもうてな。在庫がもうないねん。持ち帰りは駄目や」。でも帰り際に、おっちゃんのお母さんが小声で「これ、持って帰り」とこっそりネーポンを渡してくれた。メニューにはコーヒーやぜんざいやインドカレーがあったが、「コーヒーは?」「ない」「ぜんざいは?」「今、やってないねん」「何もないねんな。そしたら、このインドカレーは?」「インドカレーは予約制やねん。あさって来て。仕込みしとくさかい」とおっちゃん。われわれは期待してその日を待った。そして出てきたのは柄のついた家庭用の小鍋。嫌な予感がした。食べてみるとそれはまぎれもなく、にんじんやじゃがいものごろごろ入ったハウスバーモントカレーだった。
その「アジア・コーヒー」も今はない。その近くにも中島と親交のあったプロレスラーのミスター・ヒトがやっていたお好み焼き屋があったが、いつの間にかなくなっていた(ミスター・ヒトは熊と闘ったという伝説のプロレスラーだ)。
もう十何年も前のこと。扇町であった中島らものバンドのライブ。ボ~ッとしている中島に、「中島~、生きてるか~?」と野次。もうこの野次を聞くこともない。永遠に。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
いきなりですが、平成十年代の出来事だとお考えください。今回は海外旅行記ではありません。 平成16年7月26日に中島らも氏は死去されました。たまたま、7月に発表が行える事になりました。又、この一件は詳細は明かしませんがドリアン長野は平成十年代と違って平成20年代には別の町で生活してます。父亡き後娘の中島さなえ先生が作家をされてます。アジアコーヒは外観を見たら驚きすぎて簡単に入店は難しいお店でしたが大阪ミステリーゾーンで紹介されてからファンが増えて店に何枚ものお店のファンの張り紙が多く張られてました。あのアジアコーヒは並ではありませんでした。又、過去に一般的であったからかコーヒーではなくて公費のようにコーヒでした。
中島らもは個人的には明るい悩み相談室が印象深かったですね。何かこう驚く内容が執筆されてる一方で質問者に対して正論の返答もございました。今となっては検索エンジンで大概の事は判明しますね。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
オマケ
以下は、中島らもが愛したペットショップの写真です。平成25年のゴールデンウィークに撮影してきました。過去と違って改装されたそうです。
#50 万祝(まいわい) (リターンズ) 2015/2/23(月) 午前 2:39
#50 万祝(まいわい) (リターンズ)
2013-08-01 | Weblog
NO50 万祝(まいわい)
at 2004 09/14 18:41 編集
望月峯太郎原作のマンガ「万祝」の主人公、大和鮒子は父と二人暮し。格闘技好きで、異種格闘技部の主将をぶっ倒してしまうほど滅法強い(その動きから察するに、フルコンタクト空手と中国拳法を学んだようだ)。
「あたし強くなりたいの。誰よりも」。鮒子が強くなりたいのには理由がある。強くたくましく生きてね、というのが臨終の母の言葉だからだ。鮒子は5歳の時に動物実験のニュースを聞き、胃潰瘍になって病院に運ばれたほど心優しく繊細な子だった。母はそれを心配したのだろう。
今は亡き祖父の兆次郎は腕の立つ一本釣りの漁師だった。その祖父がどうやら、偶然に宝島にたどり着いたことがあるらしい。中米にあるその島にはなんと100兆円もの財宝が眠っているという。鮒子は16歳の誕生日の前日に祖父の手紙を見つける。それを長いが引用する。
「16歳になった愛する孫娘.....鮒子へ。もしワシが港町で幼少時代を過ごさなかったら、また青年になって魚師にならなかったらワシの人生はまったく別ものになったかもしれん。どんな人生がより幸福だったのかとワシの歳になってから運命の検証などしても意味などないだろうがの。だがワシはこれだけはわかる。おそらく今のお前の年頃に海に出ていなければ大人になる前の.....あの年齢のあの時代のまるで神でも宿ったようなめくるめく日々には遭遇できなかったに違いない。.....鮒子よ、ワシが今、憂うのはお前がそんな日々を経験せずに育ち、ただ尻や胸が大きくなり、赤飯を食べ、眉毛の形やスカートの丈に一喜一憂し、空虚さを飾りで隠した不幸な異性を見抜けないまま.....また、世の中の壮大なまでの美しさや醜さに気づかぬまま、ただ成長の必然的な結果として大人になってしまうことじゃ。お前の年頃には漁師だったワシは漁師の習わしにのっとった儀式を行うことで、周りに大人として海の男として認めてもらった。今、16歳になった...未熟で...かわいい孫娘よ、できればこの手紙と一緒に残した地図を手に船出してほしい。おそらくお前はこのまま時を過ごしても不自由なく人生を送れるだろう(特に女の子だから)。それはそれで多分、幸せなことなのだ。しかしワシはお前にも荘厳な洗礼を受けたと思えるような経験や、神が宿ったような日々だと実感できるような時間を通過してほしいんじゃ。それはいろんなことに向かい、苦しくなったり、寂しくなったり、泣いたり、時には闘わなければならないことに遭遇するかもしれん。しかしそのことによって、お前を取り巻くこの世界を芸術的に見ることができたり、人...いや、すべての生き物の営みに敬意をはらうことができたり、本物の懸想(けそう)の気持ちとはどういうものかを知ることができるはずじゃ。お前にめくるめくような.....取りも直さず.....黄金に輝く日々をー。 吉日 大和兆次郎」
私たちは毎日を人をけなしたり、恨んだり、羨んだり、自分の境遇に不平を言ったり、ただ退屈な日常をたゆたうように生きている。そんな人生が死ぬまで続くとしたら、その人の人生は不幸であるのに間違いはない。だけど、そんなものに人生が支配されるほど、人の気持ちがちっぽけな筈がない。この祖父が経験したようなことに遭遇するのは万人に一人かもしれないが、それをただ単に運が良かっただけだと決めつける人を、私は不幸だと思う。そしてこのじいさんを私は無性に尊敬する。じいさんは目の眩むような大金より価値のあるものがこの世にはあると言っているのだ。
物語は鮒子たちの船が宝島のあるパナマ海域に向かって航海を始めたばかり。これはもう一つの「ONE PIECE」。今後の展開が楽しみだ。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成15年から平成20年にかけて連載されていた万祝。連載が始まったのは今からおよそ12年前なのですね。マンガが好きな人の間では平成20年の作品ということもあって記憶に新しいと思います。 今回はドリアン長野が赴いていないパナマへの海外旅行記についての感想文のようなものとお考えください。 本当はこのマンガの感想文の続編を期待したかったのですが、発表は不可能なようです。現時点では感想文の続編が発表されるようで実際には一回だけで終わった感想文といった具合です。 将来は不明です。 皆様は、万祝を読まれましたか?
以上、管理人マーキュリーマークでした。
ドリアン長野インタビュー(自主的です) (リターンズ)
2015/2/23(月) 午前 2:49
ドリアン長野インタビュー(自主的です) (リターンズ)
2013-09-01 | Weblog
ドリアン長野 インタビュー
ドリアン長野インタビュー(自主的です)
2007-09-03 | Weblog
NO51 ドリアン長野 インタビュー
at 2004 10/01 18:46 編集
ー前回のライナー・ノーツで音楽に対する意識が変化したと書かれておられましたが
「漫画家の夏目房之介氏、漱石のお孫さんですね。今は漫画評論としての活躍が多いんですが、彼が著作の中で漫画の描線そのものが思想を語っていると言っているんです。それを読んではっとしました。音楽も音そのものが思想を語っているんだなと気づいたんです。考えてみれば当たり前のことなんですが。そうでなければ、ブライアン・イーノやスティーヴ・ライヒのアンビエントやミニマル・ミュージックと喫茶店でかかっているAORやMORと、どこがどう違うんだって話になりますからね」
ーそうですね
「私がパンクやオルターナティヴのようなざらついた音に惹かれるのは、歌詞がどうこうだからといったわけではありませんから。先日、夏の夕暮れに自転車を漕ぎながらオアシスの『シャンペン・スーパーノヴァ』を聴いていたら胸が熱くなって涙ぐんでしまいました。『マンガの居場所』(NTT出版)という本の中で宮本大人氏が、現在の量的にも質的にも拡大し細分化したマンガの中で、そのど真ん中は『ジャンプ』で連載中の『ONE PIECE』であると断
言しています。その理由は『ジャンプ』で一番面白くて一番人気があるマンガだからである、と。私は白状しますが、電車の中で『ONE PIECE』を読んでいて涙と鼻水が止まらなくなって困ったことがあります(笑)。私にとって、オアシスは『ONE PIECE』です。オアシスは90年代ロックの奇跡だといわれましたが、それは彼らがビートルズ、ピストルズ、ストーン・ローゼズといった正当的な、正当的というのはなにぶん音楽のことですから私自身の感覚ですが、そういった遺産を継承しているからです。逆にいえば、その時代がオルターナティヴ、グランジ、ハウス、クラブ、アシッド、レイヴといった負の音に席巻されていたからだともいえます。御存じのように『ジャンプ』も友情・努力・勝利というコンセプトを営業方針として打ち出していますからね」
ーそういった思い入れのある音楽が他にあれば教えていただきたいんですが
「ディック・リーの『エイジア・メイジア』の中の『Lover′s tears』を聴くと、いつも懐かしくて切ないような気持ちになります。原曲はマレーシア出身の歌手が歌い、それを香港出身のサンディー・ラムが北京語で歌っています。ディック・リーはシンガポール生まれで『マッド・チャイナマン』が大ヒットしました。訳すと気違い支那人となって、二重の禁止用語になりますが(苦笑)。私がこの歌に郷愁を感じるのはアジアに深い思い入れがあるからです。この曲を聴くとバンコクの深夜のオレンジ色の街灯とか、クアラルンプールの中国系雑貨屋とか、マニラの路地で見た月とか、とにかく様々な光景が鮮やかに蘇ってきます。繰り返し聴き続けているといえば、スマッシング・パンプキンズの『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』ですね。私はこれをCDが擦り切れてしまうんじゃないかと思うくらい聴きました。今でも聴いています。それでも聴くたびに多くの示唆を与えられます。私はロックを祈るような気持ちで聴いてきました。このアルバムはそのことを思い出させてくれます」
ードリアンさんにとって、ロックでなければならないという必然性はどういったものですか?
「ロバート・ジョンソンがブルーズのためにクロスロードで○○に魂を売り渡したという伝説がありますね。ロックにはそういった伝説が生まれやすいと思うんです。それはロックが弱さ、醜さといった人間のダークサイドを容認し、肯定してきたからだと思います。モリッシーは一貫して自分の弱さを歌にしてきましたが、そのことで救われた人たちがどれほど多くいたことでしょうか。モリッシーで思い出しましたが、昔スミスがUKのヒット・チャート1位になったと聞いて、CDを買いに行ったんです。聴いてみると何だかスカスカした音で頼りない。当時パンクばかり聴いていた私には理解できなかったんです。それから何年か立って、『THE WORLD WON′T LISTEN』というベストCDを買ったんです。今まで何回も聴いたはずなのに一曲目の『パニック』のイントロが鳴り出した瞬間、脳内にエンドルフィンが放出されたような気がしました。それからはどの曲を聴いても至福の時間です。ドラッ○をやっている恍惚感ていうのはこんな感じかもしれないとさえ思いました。村上春樹がフィッツジェラルドの『夜はやさし』を読んだ時にたいして感動も覚えなかったけれど、何か月か後に名状しがたい何かに突き動かされ、本棚からその本を引っ張り出し夢中で読んだ。それからはフィッツジェラルドが彼の唯一の師となったそうです。そんな話を思い出しました。話がそれましたが(笑)。ブルーズが加速していってロックになった。それがどんどん加速してパンクになった。『ロックは死んだ』とかつてのパンクロッカーたちが言ったのは行き着くところまで行き着いてしまって、袋小路に入ってしまったからです。自分の原点を否定しなければならなかった彼らは悲惨です。呉智英氏の名言、『徹底的な自己否定は徹底的な自己肯定である。それはあたかも徹底した防火が実現すれば失業するのに、防火に力を尽くす消防士のようなものである』という言葉そのままです。ロックという大衆音楽が歌謡曲や民謡と違うのは、その性急さにあるんじゃないでしょうか。従来のブルーズでは心の隙間を埋められない人たちがロックを作ったとも言えます」
ーハロルド作石氏の「BECK」にとても印象的なシーンがあるんですよ。ある日本のスーパーバンドが、ニューヨークの「CBGB」をモデルにしたライブハウスに行って、「汚いし、臭いし、ショぼい。俺は勝手な幻想を抱いていたんだな」とがっかりするんです。でもBECKの連中は「ここでパティ・スミスが、ラモーンズが演ってたんだ」と感激する。この違いは何だろうって考えると、それは音楽の奇跡を信じられる人とそうじゃない人の違いなんじゃないかなと思ったんですが
「自分自身のことを言うと、私は音楽の持つ奇跡というものを信じています。奇跡というものが本当にあるのかと問われれば、私は『ある』と断言できます。もちろんそれは音楽が発せられた瞬間にそれを受け止める力がないといけませんが。先月パティ・スミスのライブに行きました。『南十字星の下で』を聴いている時に、まるで光の中に包まれているような感じがしました。今までいろいろなライブを観てきましたが、そんな体験は初めてです。その時思ったのは、パティ・スミスもそれをこうやって聴いているわれわれもいつかは肉体が滅びてしまう。しかし、ともに音楽を共有しているこの瞬間が永遠なのではないか、ということです。そして、瞬間こそが永遠なのだから精一杯生きるんだよ、と音楽が語っているような気がしました」
ーそれが奇跡ということかもしれませんね
「パティ・スミスがライブの途中で観客の一人からチケットを見せてもらい、その高さに驚いていました。そしたら彼女が『日本に来るにはとてもお金がかかるの。みんなには大きな負担でしょうね。ごめんなさい、心から謝るわ。でも、次のコンサートに一万人集まったら、チケットをもっと安くする。約束するわ』って言うんです。もちろんストーンズやオアシスじゃあるまいし、彼女のコンサートに一万人来ることはありえません。でも、彼女の言葉を思い出すと涙が出そうになります。感傷的に聞こえるかもしれませんが、そんな時にロックを聴いていて本当に良かったと思うんですよ」
NO52 ドリアン長野インタビュー(続き)
at 2004 10/07 21:05 編集
ー黒人音楽であるブルーズと白人音楽であるパンクの関わりについて説明していただけますか
「どっかへ走ってゆく汽車の
75セントぶんの切符をくださいね
どっかへ走ってゆく汽車の
75セントぶんの切符をくださいってんだ
どこへいくかなんて
知っちゃあいねえ
ただもうこっちから
はなれてくんだ
私はブルーズと聞くとアメリカの黒人詩人、ラングストン・ヒューズの「75セントのブルース」をいつも思い出します。これは後年のパンク・ミュージシャンの心情と全く一致すると思うんですね。
今のここではない、別のどこか。それはハードロックよりも、もっと激しい憧憬というか、いらだちというか。パンクは性急さを得ていった代償にどんどんブルーズの黒っぽさを捨てていきましたが、代わりにレゲエという黒人音楽を取り入れていったんです。
一本の樹のなかにも流れている血がある
樹のなかでは
血は立ったまま眠っている
私は高校生の時にセックス・ピストルズを聴きました。それから人生が変わったといっても過言ではありません。これは寺山修司の詩ですが、その頃の私の気持ちそのままです。ロックもジャズも黒人音楽に白人音楽が介入して進化してきた。今は進化という言葉が適切かどうかは置いときますが、初めて白人のリズムと言葉が一致したのがパンクであったと思います。そうなれば聴き手は否応なく自己と対峙せざるをえないんです。それまではある人にとってはビートルズであったかもしれない。自分にとってはそれがセックス・ピストルズだったんです」
ーパンク・リバイバルとかいって何年かごとに揺り返しがありますよね。グランジもオルターナティヴもピストルズがいなかったら存在しなかったというような言われ方をします。たとえば、椎名林檎を聴くと巻き舌の唱法や雰囲気からピストルズに多大な影響を受けたことが分かります
「今、考えてみるとピストルズっていうのはアメリカン・コミックかポップ・アートの一種であったような気がします。彼等のファッションも新鮮だったんですけど、仕掛人のマネージャーにデザイナー、専属のカメラマンまでついていて一つの作品を作り上げたっていう気がします。プロデューサーは普通だったらチンピラパンクバンドなんて相手にもしないクリス・トーマスですし。ジャケット・デザインも非常にポップです。まるでキャンベルのスープ缶ですよね。だからこそロックという大衆音楽の長所を総動員して武器にすることができた。その結果、多くの若者が熱狂したんです。ただひたすらカッコよかったですね。今だに『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』の3分20秒のビデオ・クリップを観ると非常に興奮します」
ーでも、ピストルズ以後のパンクはなぜあんなにつまらなくなっちゃたんでしょう?
「パンクはメタファーですからね。『ぶっ殺せ」とかの勇ましいかけ声で最初は大衆を騙せても、段々とカラクリは分かってきますから。それにノイズ・ミュージック、インダストリアル・ミュージック、ポジティブ・パンク、オルターナティヴという雑駁な楽曲のほとんどがアヴァンギャルドのためのアヴァンギャルドでしかなかったように思います。それならジョン・ケージとかラ・モンテ・ヤングとかカールハインツ・シュトックハウゼンとか阿部薫の方がはるかにパンクなわけです。そういえば、坂本龍一が言ってました。『アヴァンギャルドな曲を一曲作るよりもいいポップ・ミュージックを一曲作る方がはるかに難しい』と」
ードリアンさんはよく「音のマジック」とおっしゃいますが、それを詳しく教えてください
「えっと、そうですね、手塚治虫のマンガにこういうのがあります。地球が核汚染されたので、何人かの人たちがロケットで脱出し、ある惑星に移り住む。何百年かして、その子孫が戻ってくるんです。彼等にとっては地球は先祖の故郷なわけです。タイムカプセルにテープ・レコーダーが保存されていて聴いてみると、ビートルズの『レット・イット・ビー』が流れてくる。それで子どもが父親に聞くんです。『お父さん、この気持ちのいい音は何なの?』たとえば味覚というのは人間に普遍的な感覚だと思います。くさやとか納豆とか、イヌイットは生肉を醗酵させて食べるし、例外はありますけどそれは単に習慣的な問題に過ぎないと思います。その辺は『美味しんぼ』を読んでもらえば分かると思いますが。(笑)それは食が生命に直結してるからでしょう。音楽の場合、『レット・イット・ビー』を聴いて不快になる人ってのは想像しにくい。でもピストルズを聴いて不快になる人はたくさんいるわけです。好悪が個人によってものすごく幅がありますよね。ある人はある楽曲に何かを感じるし、ある人は感じない。そこが面白いと思うんです。ブルーズも黒人霊歌も『七人の侍』のラスト・シーンの田植え歌もリラクセーションから生まれた。それから、それだけでは説明できない別の意味を持つ音が出て来た。たとえばですね、最近で言えば、オアシスの『マジック・パイ』という曲を聴くとひたすら自分が開かれていく感じがします。この開かれていくっていう感覚がマジックだという認識を自分はしています。J-POPという一連のムード・ミュージックに自分はマジックを感じない。それは開かれるという感覚を覚えないからです」
ーその開かれていくという感覚はどこに向かうんでしょうか?
「初めてピストルズを聴いた時、自分自身と世界が一対一で対峙してるように思いました。それは錯角かもしれない。でも自分はそこからじゃないと始められなかったんです。ジョン・ライドンが『ロックは死んだ』と言っても、当然ながらロックは存在し続けた。ある種の楽曲を聴くと高揚感を覚える。その高揚感というのは名状し難い、ロックでなければ為し得ない高揚感です。その瞬間ですね。自分がロックによって選ばれたと感じるのは。だから結局、開かれていくのは自分自身なんです。外にではなく、聴き手本人に向かうんです」
ー意識が外に向かうか内に向かうかの違いだというわけですね。それでは音楽が国境を越えて、ついにはベルリンの壁をも打ち壊した、という人もいますが、それについては?
「そういった妄想、いや幻想を抱きたくなる人の気持ちも分からないではありませんが。それについては芥川賞作家でパンク歌手の町田康の言葉を上げておきます。彼は『社会を変革したい欲望は?』という質問にこう答えています。『社会を変えたいというより、社会によって自分が変えられたいと思います。社会の中に生きているわけですから、社会の中で自分がズタズタになっていかなきゃしょうがないんじゃないでしょうか。また一人の人間の思惑によって社会が変わるなんてことはありません。例えばCDを800万枚売ったからといって、社会を変えたということになるでしょうか?変えるというより、響きあう方が大事なんじゃないでしょうか』。」
ードリアンさんといえば、いつも旅をしているというイメージがあるんですが
「いい車が買いたいとか、いい家が欲しいとかの欲望が無いんです。適当な休日があっても何かの理由で旅に出られなかったら、非常に損した気持ちになりますね。主に経済的な理由ですが。(笑)常に変わっていきたいという願望が強いんでしょうね。旅というのは他の文化と擦れあう、手っ取り早い方法ですから。釈迦が『真理を疑え。真理を疑ってる自分自身をも疑え』と言ってます。諸芸と同じく固定は死ですから。常に自分を戒めています。初めて海外に出たのはインドでした。その頃、主婦業からカムバックしたパティ・スミスの『ピープル・ハブ・ザ・パワー』という曲がヒットしていて、その曲はマザー・テレサの事を歌ってるんですね。それがきっかけでカルカッタに行ったんですが、10年以上も立つのに、今でもその時の記憶が何かの拍子に蘇ることがあります」
ー死を考える事は?
「いつも考えてます。『将来の展望は?』とか聞かれると困ってしまいます。一日をどうやって有効に使おうかと腐心ばかりしてますから。死を考えると一日がとても愛おしくなりますね。これを言っても、きれいごとだとか、偽善的だとか全然思わないので言いますが、自分がこの世に、今のこの時に生まれて来た意味をよく考えるんです。そうすれば、自分は他人のために生きたいと思うんです。短い生の中で自分とかかわり合った人が少しでもいい方向に行ってくれれば、とても嬉しい。自分のためにだけ生きる人生はつまらないし、辛いと思います。自分がいつもピストルズの事を言うのは、ジョニー・ロットンのメッセージがとてもシンプルだったからです。それは『人は誰でも自分の思い通りの人生を生きられる』。この事と人のために生きようとする意志は少しも矛盾しないと思います」
ーそれでは最後に、ドリアンさんが目標とする人物は?
「浅田次郎「壬生義士伝」の吉村貫一郎ですね」
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成十年代にCD-Rドライブが装着されたパソコンが多く販売され平成20年代半ばになってBDXL対応ブルーレイプレーヤーが搭載されたノートパソコンが市販されているのは半ば常識です。こういった説明がなぜ必要だったかというと実は、ドリアン長野は平成十年代にいわゆる同人CDを作成してたのです。現在は、you tubeで過去の作品が発表されてます。https://www.youtube.com/user/DorianNagano
ライナーノーツは読めなくなってますが、作成した音源データは楽しめるようになってます。
このドリアン長野のインタビューは自問自答したモノを発表したものですので海外旅行記ではありません。又、前編後編をリターンズとしては一回で発表しました。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
香港の散歩(芸能人ではありません リターンズ 1/3 )
2015/2/23(月) 午前 2:50
香港の散歩(芸能人ではありません リターンズ 1/3 )
2013-10-01 | Weblog
香港の散歩(芸能人ではありません)
NO53 香港の散歩
at 2004 12/01 23:38 編集
海外で何が一番楽しいかというと、言うまでもなく散歩である。私の場合はガイドブック片手にうろうろするので純然たる散歩とはいえないが、それでも右手に路地があれば入り込まねば気がすまないし、左手に面妖な物売りがいれば声をかけるのにやぶさかではなし、前方に小汚い食堂があれば満腹でない限り入ってみるのである。ただし、歩くのは速い。ほとんど徒競走だ。限られた短い滞在時間に少しでも多くのことを見ようとするから気があせって小走りになる。夜は旅行日記を書くので、くたくたになって宿に帰ってきても書き終わるまで眠られない。その日の詳細をいちいち書いていると一時間くらいかかってしまう。う~、早く寝たいと眠い目をこすりながら日記をつけていると研修旅行でもしているような気分になる。最近では外出するたびに日記用のノートを持ち歩き、飯を喰ったり、お茶してる間にちょこちょこと書くようにしている。観光客然とした出で立ちでいると危ないので、スーパーのビニール袋にカメラとガイドブックと日記帳を突っ込んで俺はジモティー(地元民)だよという顔して歩く。そのせいか、盗難に遭ったことは一度もない。
香港は狭い土地なので三日もうろうろすれば概要は分かってくる。とにかく、どこに行っても人がいっぱいだ。旺角なんて渋谷のセンター街の何倍もの人だかりだ。頭がくらくらしてくる。人込みに疲れると、チョンキンマンション近くの九龍公園に行った。フィリピーノの憩いの場所になっていて、彼女たちに混じってベンチに座り、スーパー「ウエルカム」で買ったおやつを食べながらぼ~っとする。夜になると「シティスーパー」という大型スーパーに行く。ここには世界各国の食料品がずら~っと陳列され、在香港邦人の姿もよく見かける。私が香港を一番インターナショナルな街だと実感する場所である。そんな香港の街歩きで私のお気に入りの場所が二か所あった。(つづく)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
海外旅行で何をするかの説明をした海外旅行記でもありますね。現地(香港)のお店の紹介も行われてますね。お気に入りの場所は次回にご期待ください。
一応、これでgoo簡単ホームページ時代に発表してた海外旅行記のリターンズを全て転載し終えました。goo簡単ホームページ時代には合計で一万人以上の訪問者がありました。現在の所(平成27年2月23日時点)、ヤフーブログではその3分の1にも到達してません。又、gooブログでは容易に発表が行えた事もヤフーブログでは事実上不可能で見送った事がございました。軽い気持ちで始めたホームページも今となっては重い内容を取り扱った事もあって複雑な思いです。フェイスブック上並びにgooブログ上で発表した内容の転載は少数に留めました。
平成27年4月一日以降は可能な限り月に一回の転載をしていく予定です。 もしも、皆様の中でドリアン長野の新作について興味がある人がいたらフェイスブック上でドリアン長野に友達申請をして下さい。URLは以下です。
https://www.facebook.com/durian.nagano
以上、管理人マーキュリーマークでした。
もし当時日本が戦わなかったら、確実に欧米列強の植民地になっていただろう(新作)
2015/2/23(月) 午前 3:09
もし当時日本が戦わなかったら、確実に欧米列強の植民地になっていただろう(新作)
2013-08-15 | Weblog
盧溝橋事件(共産軍による謀略)、通州事件(支那保安隊による日本人大量虐殺)、日支事変、それによって欧米と衝突。排日移民法、ABCDライン、ハルノート。ルーズベルト大統領は執拗に日本を開戦へと追い込み、東条内閣は「譲歩に譲歩を重ね、遂に譲歩の極に達した」。
当時、支那に日本軍が駐留していたのは北京議定書に基づく当然の権利であった。そして日本は戦争を回避するための交渉が繰り返された。
もし当時日本が戦わなかったら、確実に欧米列強の植民地になっていただろう。日本はそれを是とはしなかった。大東亜戦争は日本の侵略戦争ではない。自衛のための戦いであった。東アジアが欧米列強によって簒奪されていた時に、日本だけが白人支配を打ち破るために戦うことができた。日本は後発的帝国であったが、過酷な植民地政策ではなかった。時代に翻弄されながらも、日本は常にギリギリの選択をしてきた。
私は当然の彼等を誇りに思う。英霊に深く感謝したい。
管理人マーキュリーマークの皆様への伝達事項
結局の所、第二次世界大戦に敗戦した日本は未だに米国に占領され、ロシアには北方領土や樺太が占領されてます。 ただ、今となってはとんでもない情報も発表されましたね。日独伊三国軍事同盟は存在してました。それだけにしておきます。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
私が教会に入るきっかけとなった宣教師がくれた聖書に記していた言葉 平成27年二月
2015/2/23(月) 午後 3:21
”The positive、happy cheerful missionary loves people .
He realizes that relationships with people may not always be happy.Even though love as a principle is perfect 、people are not.
To love people is to strive to see the best in them、to avoid the negative、and to accentuate the positive.
Love is difficult for others to resist.”
(私が教会に入るきっかけとなった宣教師がくれた聖書に記していた言葉)
前向きで幸福感に溢れた快活な宣教師は人々を愛する。
彼は人々との関係が常に良好であるとは限らないことをよく知っている。
たとえ、愛の原則が完全であったとしても、人は完全ではない。
人を愛するということはその人のうちにある最も良いものを見い出す努力をし、短所を避け、長所を強調すること。
愛は人にとって拒むことが難しいものであるから。
ご連絡 平成27年2月 2015/2/23(月) 午後 10:21
マーキュリーマークから皆様への伝達事項
一応だが、ドリアン長野の海外旅行記をヤフーブログに転載する作業は今月で終わったと認識したい。確かに転載をしていない記事は存在するがそれらはフェイスブック上でも発表されてる。色々な事情から転載は仕方なかった。
平成27年3月からツイットピック上の画像データをこのドリアン長野のヤフーブログで転載していく予定です。
個人的には卵類は加熱してから食べる方が好き。炒飯やオムレツ等はおいしい。一応だが、ドリアン長野の海外旅行記をヤフーブログに転載する作業は今月で終わったと認識したい。確かに一部の記事は存在するがそれらはフェイスブック上でも発表されてる。色々な事情から転載は仕方なかった。— マーキュリーマーク (@098mercurymark) 2015年2月23日
追記 過去に考えていただけで現在は無効です。なぜならば、平成20年代には楽しめたがツイットピックの利用が、事実上、行えなくなったからです。
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