2019年7月11日木曜日

平成29年10月のyahooブログ上の投稿







#41 続々ロサンゼルス編(リターンズ)並びに#37と#38と#39と#40について御連絡 

管理人のマーキュリーマークです。まず、始めに皆様にお詫び申し上げます。平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つか(#37、#38、#39と#40)のバックアップが行えませんでした。実はこの当時、簡単ホームページというものが存在していたのですがgoo側の都合で廃止されました。簡単ホームページ上の内容はgooブログへのバックアップを自発的にしないといけなかったのです。新規投稿の文字数制限が存在するので何度も事実上、gooブログ側から否定されながらバックアップをしていました。従いまして幾つか欠番が発生しております。繰り返すようですがその点については皆様に対して大変申し訳なく思っています。
ドリアン長野は簡単ホームページが存在した平成10年代の末期に自発的に再編集した海外旅行記を発表してました。  平成16年3月にNO41で発表した後、およそ二年半を経過した平成18年9月にNO113で再編集したロサンゼルス旅行記を発表してます。皮肉ながらドリアン長野が行った英断によって一つの海外旅行記が失われなかったと考えるべきだと思います。これらの状況を理解した上で以下の海外旅行記をお読みいただければ幸いです。 紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。










米国・ロサンゼルス並びにメキシコ・ティフアナ旅行記 (リターンズ2.0)
 NO41 続々ロサンゼルス編 at 2004 03/04 00:14 編集  

目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。
今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。 「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」 メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。 「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」 というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親か何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって! 「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを) みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」  

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項  

ドリアン長野が独身時代の海外旅行記を執筆した実質的な最終回でした。実際にはドリアン長野が再編集したから微妙かもしれません。半ば周知されてるが結婚後の海外旅行記も存在してます。(夏が来れば思い出す)ドリアン長野は米国旅行記とメキシコ旅行記の両者を同時に発表しました。東海岸を代表する都市がニューヨークで西海岸を代表するのがロサンゼルスです。  日本であっても確かに偏食をする人は多いようですが海外の偏食はもっと徹底しているようです。米国においては営業していても日本では営業してない巨大ファーストフード店は多いです。日本ばかりか外国でも有名、日本だけで有名、海外のみで有名、過去に営業してたが現在は閉店したお店の4種類に分割されますかね?昨今、アパレルに限ってはオンラインショッピングが存在してるから複雑な思いです。海外ばかりか日本へ配達(販売)してる企業は存在します。  ただ、平成29年になって日本進出を果たしてる企業は多くなってきました。外国人は大柄な人が多いです。女性であっても日本人男性よりも大きい事が多いし特徴が並では無く、身長が180cm以上で体重が100kg以上で口ひげが4cm以上のどれかに該当すると驚きます。 
 ショッピングモール(商業施設)ですが、通販(オンラインショッピング)や健康の事を考え自炊する消費者が増えたからか平成10年代と違って平成20年代は人気がある商業施設も営業してるそうですが廃墟のように衰退した商業施設が激増したそうです。従って、ドリアン長野が行ってきたショッピングモールが現存してるかどうかは不明です。日本のシャッター商店街と状況が似通ってます。無論、人によったら「生活必需品を買いにお店に行ってるから品切れは困るしある程度の画一的な部分は必要。」と考えられるかもしれません。  有名なお話ですが米国とメキシコの国境の行き来は過去においては米国からメキシコは自由でメキシコから米国は厳しいそうです。内政干渉する気持ちは全くありませんが、平成29年1月から始まったトランプ政権は今までよりも国境の行き来を厳しくするそうです。将来、どうなるかは全く不明です。詳細は各自でお調べください。 
 私がブリティッシュコロンビア州のバンクーバーに行った時(平成27年10月)はカナダから米国には行きませんでした。言い換えると、ブリティッシュコロンビア州に隣接してる北部のアラスカ州ばかりか南部のワシントン州、アイダホ州、モンタナ州には行きませんでした。 第三者の意見は存じ上げませんが、私は米国へのあこがれが過去よりも半減したばかりかブリティッシュコロンビア州のトランスリンクの沿線だけでも十分に楽しめたからです。皆様、トランスリンクのスカイトレインは阪急のような鉄道だと考えてください。  地球上、どこであってもシャッターチャンスは短い時間のようです。ただ、今となってはインターネット上で多くの画像が発表されているから仮に撮影が成功していても全然珍しくないかもしれません。ドリアン長野が海外旅行で撮影された画像ですが過去のデータが失われている状態なので発表はほとんど不可能です。  ピルグリム・ファーザーズとは、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン)で「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味です。単純に笑える海外旅行記も発表してますが、一方で「今回のように人生って厳しい。」と再認識する海外旅行記でした。以下は、ドリアン長野がロサンゼルス旅行記を発表した後でドリアン長野自身が再編集をしたロサンゼルス旅行記です。お楽しみください。 紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。





 

 

 

  

 



 

 

NO 113 ロサンゼルス編

at 2006 09/21 21:26 編集

のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていたら二人組のイラン人にアムネスティに寄付をしてくれと孤児の写真を見せられ大勢の日本人から寄付をいただいている一人最低100ドルからだと言われ何で寄付するのに最低額があるんだと思いつつもそのくらいならいいかと寄付をして空港を出た時分に100ドルいうたら一万円以上やんけとやっと気づき自分のマヌケさに地団太を踏んだからではない。
ロサンゼルスの空はどこまでも真っ青のブルースカイだ。まるで貧血の病人のように青い。私はそれに向かって「バカヤロー」と叫びたかったね。ウッディ・アレンはアカデミー賞受賞式に招待された時もいつものようにニューヨークの「マイケルズ・パブ」でクラリネットを吹いていたそうだ。「僕にはロサンゼルスの空は眩しすぎる」とほざいたそうだが、ウッディ、いや、ウッちゃん、私はあんたの気持ちがよく分かるぞ。ここで一句、「旅人は 悲しからずや 空の青 ロスの青にも 染まず漂ふ」
何言ってんだ、インドやタイやカンボジアの空だって充分青いじゃねーかとぬかすヤローがいるかもしれんが、チッチッチッ、だからトーシローは困るってんだよ。ロスの空はいわば、場末の落魄した娼婦が客をとろうと必死になって厚化粧しているようなもんだ。不健康で退廃的で侘びしくて物悲しいんだよ。なーにがカリホルニアドリーミングだあっ。100ドル返せーっ、ちくしょー!
ダウンタウンを歩いていると聞こえてくるのはスペイン語ばかり。映画館でアメリカ映画を観てもスペイン語の字幕付きだ。夜になると商店は早々と閉めてしまい、歩いているのはホームレスだけ。ハリウッドもビバリーヒルズもロデオドライブもちっとも面白くない。リトル東京で「ヤオハン」の場所を尋ねた日系の老人には、「夜は独りで歩かないほうがいい。巡査は外国人に偏見を持っているからな」と忠告された。ステーキハウスでステーキを注文したら、付け合わせのマッシュポテトが山のように出てきた。これだけでもう満腹だ。ふうふう言いながら何とか食べ終わると、ウエイターが「食後にアイスクリームはどうだい?」と聞いてくる。「冗談言うなよ、マイケル。これ以上食べたらゲロしたステーキがサンタモニカまで飛んでっちまうぜ」と私は肩をすくめる(ふっ、オレもアメリカン・ジョークがうまくなったもんだぜ)。
ああ、ロサンゼルス! めしはまずいし、歩くのにはただっ広いし、面白い所もない。私は台湾系アメリカ人、ナンシーおばさんの経営するモーテル、「City center motel」に宿泊しながら悶々としていた。どこか面白そうな場所はないもんだろうか。うーんとお~.......。あっ、そうだ! そう言えばサウス・セントラルがあった。ニューヨークのサウス・ブロンクスと並び称される、泣く子も黙るその地区は犯罪の温床となっており、殺人事件は日常茶飯事でヘイト・クライムという人種偏見による犯罪も起きていると本で読んだことがある。何だか想像するだけでケツのあたりがムズムズしてくる。しかし、日本人がのこのこ出かけていっても身ぐるみ剥がされて射殺されるのがオチだ。ここはひとつ、奮発してタクシーをチャーターして連れてってもらおう。モーテルのロビーでいつもうだうだとたむろってるメキシコ人に頼めば大丈夫だろう。善は急げ(?)とさっそく彼らに聞いてみる。しか~し、 
「へっ、サウス・セントラルだと? サルがケツから飛び出すぜ」「俺はまだ死にたくねえよ」「あそこは観光地じゃないぜ。ディズニーランドなら連れていってやってもいいけどな」 
けっ! メキシコ野郎はどいつもこいつもチキンばかりだぜ。とっととメキシコに帰りやがれ! (われながら知らないちゅうことはごっつう恐ろしかことですたい。皆さん、生半可な知識は身を滅ぼします、注意しましょう。嗚呼、無知の涙)
メトロのブルーラインに乗ればサウス・セントラル地区まで行くことができるのだが、私もそこまで無謀ではない。残念だが、そこに行くのはあきらめた。口惜しや。その時、天啓のように私の脳裏に閃く地名があった。そうだ、「ワッツ」だ。ワッツは黒人暴動が起こった場所として記憶に刻み込まれていた。今度はそこに行きたいと頼んでみると、一人のメキシコ人が行ったことがあると言う。35ドルでタクシーを手配してやると言うのでOKする。何でわざわざ好き好んでそんな危険な場所に行きたがるんだと疑問に思う人もいるだろう。貧しい人々や危険な地域を見学するような非常識な行為はやめようという良識派の意見は百も承知だ。しかし、私の好奇心はどうしてもそういった方面に向けられてしまう。
やって来たタクシー・ドライバーはエルサルバドルからアメリカに来て三年目のフィデルという青年で、英語がほとんど分からない。私のスペイン語は大学の第二外国語で習っただけで、補習を受けてやっと可を頂いたという代物だ。自慢じゃないがしゃべれる構文は「私の父と母はスペイン語が話せます」だけだ(一年生の時にスペイン語を教えてくださった平田先生、その節はご迷惑おかけしました。それから三年の時の補習の大垣先生、以下略)。
我々の意志の疎通は私の極端に少ないスペイン語の語彙(二十単語ほど)と身ぶり手ぶりと勘によって行われた。で、そのワッツだけど、総じて美しい住宅街が続く何の変哲も無い街だった。「Dr・Martin Luther King Shopping Center」というモールを見つけたので、タクシーを降りる。ぶらぶらと歩いている黒人は誰もが穏やかに見える。近くにいた黒人警官に聞いてみると、「暴動のあった場所はこの辺りだが、貧しい黒人の居住区は知らない」のだそうだ。そういえば、暴動が起きたのは1950年か60年代のことだったぞ。あー、何やってんだ、俺は。フィデル、とっとと帰るぞ。お前もアメリカに三年も住んでんのなら、英語くらい勉強しろよな(やつあたりすんなよ)。
夕食はチャイナタウンに食べに行った。今日は大晦日なので閉まっている店がほとんどだ。客のいない小さな食堂で飯を食べていると、警察官が二人食事をしにやって来た。 
「......................................。」
大晦日の夕暮れにうら寂しい食堂で警察官と無言でとる食事ほど物悲しいものはないと私は断言する。これで古いラジオから八代亜紀が聞こえてきたら完璧だ。いや、アメリカだからウィリー・ネルソンかトム・ウエイツあたりか。リトル東京では「紅白歌合戦」を衛星放送で観ながら故郷に想いを馳せながら涙する人がいるんだろうか。
ユニオン・ステーションで21時発サンディエゴ行きのアムトラックに乗る。ロンドンで知り合ったジョイスに会うためだ。彼女は元看護婦のおばあさんで、今は離婚してロサンゼルスとサンディエゴの中間ほどにあるオーシャンサイドに独りで住んでいる。降りる駅が近づくと、車掌がやって来て教えてくれた。乗客の一人一人にそうしているみたい。駅にはジョイスが迎えに来てくれていた。彼女のアパートは駅から歩いて五分。目の前は海岸だ。歩きながらジョイスが言う、「ここで『トップ・ガン』の撮影があったのよ」。おお、さすがハリウッドが近いだけはあるじゃないか。
その夜は二人でテレビのNYのカウントダウンの中継を観る。 
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン! あけましておめでとうございます」 
「ありがとう、今年のニューイヤーは寂しくなかったわ」 
「今度は是非日本に来てください」
袖振り合うのも他生の縁というジャパンのことわざを思い出す。それから二人は他愛ないことを女子高生のように明け方までくっちゃべり、疲れ果てていつしか倒れ込むように寝入ってしまうのだった。
目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。
ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。
「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」
「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。
その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。
「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いでしかないが、それが現在の貧富の差となった」という石川好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろんそんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。
「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞なんかもらえるかも」とカメラを探しているうちに彼女たちはどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
健康的で眩しすぎる空と海。反面、移民や不法労働者を抱え、犯罪が多発する現代のバビロン。ああ、ロサンゼルス!
「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~
~っ..................................................................................................。」(ごめんなさい)


管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 いきなりですが、ドリアン長野にとって友達と再会が行えた事を除外したら辛い旅行だったようです。半ば常識的なお話ですがロサンゼルスで楽しい海外旅行を過ごしてきた人々も世の中にはおられます。海外旅行案内書を一旦読んでから赴くとその町が楽しめる度合いが高まると思います。可能であれば、複数の海外旅行案内書を読むようにしてください。なぜならば、「名店Aが海外旅行案内書Bでは紹介されてるが、一方で名店Cは海外旅行案内書Dで紹介されてる。」といった具合に各出版社毎に紹介されてる内容が同じ町について執筆されてる書籍でも内容が大きく異なる事があるからです。前もって情報を得ておくと楽しめる度合いが違ってくると思います。ロサンゼルスだったら複数の出版社が海外旅行案内書を売ってるのは半ば周知されてますのであえて紹介は控えておきます。最低でも一冊は購入して前もってお読みください。無論、店の好みは人それぞれなので海外旅行案内書を読むことは退屈する可能性を低下させれるだけで読んだ後でも楽しめなかった人はおられるかもしれません。しかし、読まないよりも読んでから行く事を推奨します。名店が紹介されていても現地に到着したら移転や閉店をしてる可能性もあり得るのでインターネットで可能な限り調べる事も同時に提案します。
そういったことから、フリープランのように往復の航空券とホテル代金と空港からホテルへの送迎バスのみの旅行商品が多く売られてると思います。現地の人に案内してもらうよりも自発的に赴く決断を下す人はいます。
 私はロサンゼルスから北上した場所に存在するバンクーバーに行ってきました。私がブリティッシュコロンビア州に行った時は前もって海外旅行案内書を読んで名店の情報を得たのでそれなりに楽しめました。無論、海外旅行案内書を買う前から知ってたカナダ企業の商品を買いたいとも考えてました。目的地について到着前に把握してる人は多いと思います。喜怒哀楽が混在した海外旅行でした。ちなみにKIXこと関空からバンクーバー国際空港(YVR)へもおよそ9時間以上飛行機に乗りました。辛い長旅でした。実際にはもっと長時間、飛行機に乗り続ける人がいる点は否定しません。
 喜びはとりあえずはカナダ一国だけとは言えども海外旅行をしたこと。これで「海外旅行記の管理人をしてるが海外旅行に行った事が無い人ですね。」と批判されなくなりました。仮に「カナダ一国だけしか、行ってない。」と言われたら「あなたは海外旅行に行った事がございますか?」と質問したいです。恐らくは大半の場合は海外旅行に行った事が無い人であろうな。それはともかく広大な太平洋を越えるのは一苦労でした。公園で黒いリスを見たりバンクーバー水族館で大型水棲生物のラッコ等を見たのも感動でした。何しろ、ワシントン条約の影響で日本の水族館ではラッコを見る事が日本では年々難しくなってます。
 怒りは一切責任を取らずに荒らした人がいました。それは、フェイスブック上で詰問を繰り返し私のブリティッシュコロンビア州旅行中に悪影響を与え荒らした人が最悪でした。誰かに命令されてたか後にゆすりたいと考えてたやもしれません。皆さん、時差ボケ等もあるんですが海外に赴いてる人に詰問をするのは辞めておきましょう。日本とバンクーバーは時差が16時間なので日本での午後11時の食事がバンクーバーでは午前7時の食事だったりします。冬時間(時差17時間)と夏時間(時差16時間)で切り替わるからその点も考慮してください。どうでも良い詰問を繰り返すし安全に関わるから危険で悪質でした。仮に貿易商人に詰問を繰り返すと下手すると偽計業務妨害の責任が負わされます。
 もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」また、ご友人達にも警戒されるように連絡されることを推奨します。関わって損害を作り出しても得をすることが無い人だからです。
 他にも、ホテルのロビーで私を無意味に罵ってきたアジア系の老女、寝る前(現地時間の午後10時半過ぎ)にホテルの廊下で議論してた日本人観光客等です。現地の人々でも私に迷惑をかけてきた人はいました。朝焼けの写真を撮影してただけで文句を言ってきたホームレスがいて別のホームレスが罵って弁護したから金をくれと言ってきたり、野球帽を搾取しようとしたが私の名前が刺繍されてるのを見て諦めた人もいました。防犯の為に野球帽に刺繍をしてもらうのは有効という考えもあるにはあるようです。
 哀は購入を前向きに考えてた商品(コディアック社のパックブーツ)が品切れであったことです。幾つかの靴屋さんに実際に赴いたし現地企業とも連絡をしたが購入は無理でした。他の会社の類似品を購入したがやむを得ませんでした。カナダであればどこでも配達するといっても品切れでない限りという条件が必要なようです。過去に通販で購入したが取り扱ってた企業が取り扱いを取りやめたからカナダで購入したいと思ってましたが不可能でした。
 楽しめたのは食事でした。中にはそんなにおいしくない食品もございましたが、おいしい食事が行えた時の方が回数的には多かったから食事は楽しめました。タコス、ピザそしてシーフードもおいしかったです。最も強調しないといけないの事柄は、教会で楽しい時を過ごすことが行えて私は幸せでした。

 平成十年代にはドリアン長野が管理人となって海外旅行記をgoo簡単ホームページ上で海外旅行記を発表してました。
 繰り返しになりますし、前述しましたが平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つかのバックアップが行えませんでした。この当時(平成10年代)、簡単ホームページというものが存在していたのですが、goo側の都合で廃止されました。簡単ホームページ上の内容はgooブログへのバックアップを自発的にしないといけなかったのです。新規投稿の文字数制限が存在するので何度も事実上、gooブログ側から否定されながらバックアップをしていました。従いまして幾つか欠番が発生しておりましたが、ドリアン長野が平成16年にロサンゼルス編を掲載した後、平成18年に再編集をした上で再掲載していたので及第点が取れてる状態になってます。野球で例えると、まるで、最終回に逆転ホームランを打ったかのようです。

 寄付金ですが支払先を選ぶ必要はあっても第三者から強要される事は無いと思います。受け取る人が相手側が支払って当然と考えてる人がいて大変困る事がございます。しかも、性格が悪かったら本当に関われないし法治国家であることに喜びを感じます。なぜならば、強要とはした方ではなくてされた方が判断するものだからです。海外ではカード社会と聞いていたから現地通貨をほとんど持たずに行く人も多いかもしれませんね。この行動(決断)があやしい団体に寄付をしない方法かどうかについては各自でお考え下さい。日本に損害を与えかねない国家は存在し第三国を経由するかもしれません。現地通貨を持ってるから(以下略)。
実際には日本国内である程度は現地通貨というか外貨を保有(両替)してから海外に赴く方が得ではあります。言うまでもなく良い支払先もございます。現地で両替をする時間を削減出来る利点はございます。海外のATMでカード絡みの問題が発生して困った人がおられるらしいが日本国内ではそういった問題は少ないですからね。ご存知でしょうが、日本国内の空港から自宅への交通費はちゃんと用意しておきましょう。(往復料金)
万が一の事が無い限り、円滑に帰宅する為に必要な行動です。
 実は、私でもないしドリアン長野ではない別人が体験されたのですが、海外で犯罪者に襲われ大けがをして辛い思いをしながら帰国されたお話を知り合いから聞いて驚いた事がございました。現在は回復されたので良かったと私は思ってます。
 私が行ってきたバンクーバーでは英語を母国語としてる人が多いのですが聞こえてくる言葉は、英語、フランス語、スペイン語(メキシコの影響?)そして、日本人観光客が話す日本語でした。人数の違いもあってかフランス語を話す人がカナダのケベック州に多いとは言えどもやはり、スペイン語の話者も多いようです。アメリカのドラマでも北部のミシガン州を舞台にしたお話はフランス語を話す人が出演してたが南部のニューメキシコ州を舞台にしたお話ではスペイン語を話す人が出演してました。カナダでフランス語を話せる人は相手を選んでるようです。そうでないと、会話が成立しませんからね。実際に海外に行くのであれば多少は外国語が話せるようになっておいた方が良いです。そうでないと、困る事になると思います。私はあいさつ程度ですがそれなりにカナダで何とか困らない程度に英語を話してきました。

 米国のレストランの食事の数量が多いのは大食漢が多いばかりか意図的に持ち帰りを前提に調理してるといった文化の違いもあるようです。米国人はやはり、大柄な人が多いです。見慣れてる事もございますが日本人女性と並んで写真撮影をすると大きさの違いを再認識します。無論、単純に大きくて驚くこともございます。身長が180cm以上で体重が100kg以上で女性であっても口ひげが4cm以上で驚くことはございます。ちなみにNRAは全米レストラン協会として有名です。私は日本国内を除外するとカナダで食事をした程度ですが大盛りの飲食店は行かなかったです。事実上の例外はホテルの朝食が食べ放題であったからそれが、大盛りになるかな?16時間の時差の都合で日本時間で午後11時の食事をカナダのバンクーバーで午前7時に行うようなものでした。金額も夕食並で28カナダドル(以下C$と略す)でした。ちょっとした笑い話ですが、あるパン屋で一個C$2.85で販売されてると言われてるクロワッサンを10個食べるのとホテルの朝食食べ放題でC$28支払うのとどっちがお得でしょうか?
 タクシーでさえも移動を嫌がる町が米国には存在してるそうです。皆様も万が一、海外旅行をされる時には情報を前もって調べた上で赴いてください。私はブリティッシュコロンビア州に行く前にカナダ西部についての海外旅行案内書を読んである程度の情報を得た後で赴きました。従って観光地の情報だけでなく治安が悪い町についても情報を得る事が出来ました。現地の在外邦人もその町の中で治安が悪いがゆえに否定的な町は存在しました。
個人的な提案ですが、海外において治安が悪い町に意図して行く事を私は推奨しません。海外で治安が良いと言われてた町でさえも日本人が殺害された前例が存在するからです。その町に行って楽しめるかどうかは意図して危険な行動を取らないようにする事や観光地並びに海外の名店に赴けたかどうかも関わってくると思います。

 皆様にも一人位は海外在住の外国人に友達がいると思います。友人と再会が行えるということは良い事ですね。私は開拓のつもりでカナダに行ってきました。そして、現地のカナダ人ばかりか在外邦人と友人になれて嬉しかったです。

 米国のロサンゼルス旅行記とメキシコのティフアナ旅行記が混在した内容です。半ば周知されてますが、海外旅行に行った回数と訪問した国の数が違う人は多いです。なぜならば、今回のように一旦、米国に行ってからメキシコに行くと一回の海外旅行で二か国、訪問したことになるからです。ある意味、4種類です。

タイプA
海外旅行へ行った回数と行った国の数が同一。
ひょっとしたらですが「一か国に一回だけ海外旅行に行きましたのでそれで十分。」と考える人はおられると思います。 

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編 Canada BC

タイプB
海外旅行へ行った回数よりも行った国の数の方が多い人。
一回の旅行で二か国以上行く人はおられます。今回の海外旅行記もそうです。目的地に行くにしても日本からの直行便が無いからそういった選択をする人も多いようで、複数の空港を利用することは仕方ないようです。そればかりか陸路で国境を超える人もおられます。
ドリアン長野は本当に香港に行ってます。周知されてるが英国統治時代ばかりか中国返還後にも香港旅行を楽しんでます。日本から香港(英国統治時代ばかりか中国返還後)だけ行った人は二か国に行った事になるのかな?
ドリアン長野は何度も海外旅行に行ってます。そして、同じ国でも別の町に行って楽しんでおられました。(一応)

タイプC
海外旅行に行った回数は複数回だが行った回数よりも行った国の数が少ない人。
日本国内の国際空港から利用出来る直行便を利用して同じ国へ何度も行く人もおられるようです。
ただ、例外的かもしれませんが、カナダのように広大な国であれば町毎に雰囲気が全然違うと思います。私が行ったのはブリティッシュコロンビア州のみですが、それでもその州内の町の雰囲気は大きく違いました。
ドリアン長野は今回のようにアメリカの西海岸のカリフォルニア州ばかりか、中西部のミシガン州と東海岸のニューヨーク州とニュージャージー州に行ってます。中国の北京ばかりか上海にも行ってます。

タイプD
過去に一度も海外旅行をした事が無い人。
これから予定を作って海外旅行に行ってはどうでしょうか?色々な事情があるとは思いますし、躊躇されるのも否定しませんし、影響を与える事は出来ますが、責任はとれませんので熟慮の上でご決断下さい。
 一度でも海外旅行に行くと大きく考えが変わります。


 ロサンゼルスで有名な米国のカリフォルニア州とティフアナで有名なメキシコのバハ・カリフォルニア・ノルテ州は隣接してます。サンディエゴはメキシコから近い米国の町として知られてます。色々な事情からメキシコへ赴く米国人は多いそうですがトランプ政権がこれから国境間の移動について厳しく制限すると言われてます。





紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ダイムラークライスラーが存在してた平成10年代には簡単に行えた米国からメキシコの陸路による移動ですが、これからは行えなくなりそうです。トランプ米大統領はメキシコと米国との間に壁を作る事を決めました。平成十年代と平成二十年代は本当に違うなと再認識します。
ドリアン長野の海外旅行記はほぼ全て2010年以前のお話ですので参考程度にしてもらっても構いませんが、模倣は推奨しかねます。何しろ、記憶を頼りに作られた記録ですので私でさえも解釈が難しい時があるんです。

誤解の無いように明確化しますがドリアン長野が平成25年に発表された新婚旅行を兼ねたタイランド旅行記の「夏が来れば思い出す。」ですが、平成22年(2010年)以前に行われ、平成25年(2013年)に発表されたが未完の大作です。完成させることについては平成29年の7月に再会した時に依頼したし前向きな返答はあったが、結局は否定されてます。 発表した時期と行った時期が数年違う海外旅行記が存在すると考えてもらいたい。良い意味で懐古なんです。 
 繰り返すようですが、参考程度の解釈で構いませんが、メキシコから米国への陸路での移動は将来的には行えそうにない行動が含まれてる海外旅行記だという点については否定しません。過去は行えたが今後は不可能なようです。
敬具 管理人 マーキュリーマーク








上記はカナダのチポトレのタコス。

両者共においしかったです。
参考にしてください。
下記は大阪市内のメキシコ料理店のタコス。
オマケ
平成18年には成田空港からティフアナへの直行便が存在したらしくこの旅行記を読まれた方の中には、日本からの直行便を利用した上でティフアナへ訪問されたかもしれませんね。
追記
もっとびっくりしたのが上海からティフアナへの直行便が存在してることです。

「朝食」 平成29年10月  2017/10/15(日) 午後 8:04


「朝食」
起床したらまず冬でも大ぶりのコップで水を飲みます。浄水器を通したアルカリイオン水です。1時間かけて弁当を作り、朝食です。朝は納豆と味噌汁が定番です。味噌汁には8種類の必須アミノ酸全てとビタミン類、蛋白質、サポニン、イソフラボン等を豊富に含み、完全食品といっていいでしょう。わが家の作り方は汁椀に味噌を入れておき、出汁を注ぎます。酵素は48度以上で破壊が始まるのでそれを防ぐためです。
具は豆腐、油揚げと小松菜を入れることが多いです。ご飯は食べません。現代人は飽食で病気を作っています。お腹がグーっとなることで免疫力が高まり、長寿遺伝子と言われるサーチュイン遺伝子が働きます。昔の人が言う、腹八分目に病気なしってことですね。

【夏が来れば思いだす】 平成29年  2017/10/22(日) 午後 3:26




 管理人マーキュリーマークによる皆様への伝達事項。
 私は平成25年にフェイスブック上で発表されたドリアン長野のタイランド旅行記をgooブログ上で転載しました。この旅行記は未完の作品です。
平成29年の夏のある日に実際にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得ましたが平成29年の10月の秋になっても執筆はなされてません。
 これらを理解された上で以下の海外旅行記を読んでいただければ幸いです。

【夏が来れば思い出す】 #114

「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコクで九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 始まりました。再びドリアン長野の海外旅行記(タイランド)が帰ってきました。平成十年代のように新作を楽しみながら読まれる人も多いと思います。皆様、楽しむ用意をしておいてください。 
 最近(平成20年代末期)、タイランドの物価が値上がりして老後を過ごすことには不向きになったそうです。
そして、海外旅行中の試練については謎のままです。



【夏が来れば思いだす】その2 #115 (新作)

妻は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成25年に発表されました。実際の旅行の時期は平成19年年末から平成20年年始だったようです。バンコク(タイランド)と香港を旅してきた長野夫妻の新婚旅行のお話です。今後の展開が楽しみですね。しかし、インド旅行で30万円とは高い金額ですね。どこかの誰かがブリティッシュコロンビア州に行った時の旅費もそれなりで往復の航空券とホテルの予約(宿泊費)と送迎バスと海外旅行保険でおよそ23万円だったかな?
20年前と主張されてるが厳密には昭和60年代のようです。ドリアン長野の海外旅行記は読めば読むほど、個人的な記憶を頼りに執筆してるから混乱することがございます。
新婚旅行もそうかもしれませんが、一般的には
提案だけの自然消滅が多いが実行したことは良いと思います。
最近でも家族で一緒に外食をしてるから長野家は愛に満たされています。関空離婚はしてません。
もしも、ドリアン長野が本当にイタリアに海外旅行をしていたならばどういった海外旅行記になっていたのでしょうかね? 皆様、ドリアン長野が旅慣れしてるとは言えどもお笑いの部分が存在してるように感じられませんか?

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

【夏が来れば思い出す】その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。


管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
タイランドのスワンナプーム国際空港は平成18年(2006年)に開港した空港です。今回の海外旅行記は平成19年から平成20年にかけてのお話です。したがって過去形です。これからの海外旅行記はどうなるか楽しみですね。

 日本時間の夕方4時25分頃から関空を後にしたエアカナダルージュがYVRことバンクーバー国際空港に到着したのが現地時間の午前10時でそれからホテルに到着して部屋に入ってから、私が脱力が行えたのが日本時間の午前3時半を過ぎてたことを連想する。日本とブリティッシュコロンビア州の時差が16時間なのは並ではなかった。皆様、海外旅行は移動の時間が長いし時差ボケは凄まじいと考えてください。だけど、楽しめます。
 出入国管理の出入り口に到着するのも何んとなくだけで歩いてたのを昨日のように連想する。初日から時差ボケの影響で考える事があまり行えなくなっていた。本当に関空からの直行便を選んで良かった。

【夏が来れば思い出す】その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。

(妻の日記から)

「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項 とうとう奥様の海外旅行記も始まりました。やはり、視点が違いますね。日本の場合、バスに乗ると整理券のようなものが発券されますね。そういえば、¥230だったら日本のバスの料金のようですね日本でもタクシーの遠回りは全く無い訳ではないとは思います。だけど、近場で遠回りされると少し嫌ですね。
過去に私も地方からやってきた人(日本人)が道に迷っておられたので道案内をした経験が過去に何度もあります。本当に方向が全く違う場所を歩いていたので閉口しかけました。彼の目的地のJR難波駅と、迷っておられたLABI1なんば近辺は別方向過ぎる。
海外旅行記を読まれるとやはり、在外邦人に助けられる美談(こっちは美談というよりも情けないお話)が多いですが、これもその中の一つです。世の中には日本からタイランドに赴かれる修行僧の方もおられるんですね。全く逆に外国人修行僧も居られるのが現実です。奥様は別なんですがドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考えて肩の力を抜いてお読みください。

 周知されてると思いますが、南海のラピートのような空港連絡鉄道がタイランドのエアポート・レール・リンクです。エアポート・レール・リンクについてのホームページを閲覧した限りですが利便性や金額の観点から厳しい評価が下されてました。詳細については各自でお調べください。通勤には利用出来ても観光には不向きと言われてます。
 皮肉ながら一時期、日本国内の空港連絡鉄道について否定的な意見を持つ日本人がいました。日本人が国内旅行の時に空港連絡鉄道を利用するやもしれませんしそれについても否定的なのは残念ですし不快です。端的には大きな旅行鞄を持って電車に乗車することについて否定的らしいのですが乗客はやむを得なかったと思います。逆の立場も考えてもらいたいです。バスやタクシーとの競争があるから独占禁止法に抵触しないといった側面は絶対に存在します。バスの場合は渋滞に巻き込まれる恐れがある。タクシーは遠回りされる可能性がある。鉄道は車両内で旅行鞄が構造上大型なので快適に過ごすのが難しいかもしれませんし料金が他の公共交通機関と比較して高値かもしれません。それぞれ一長一短なのを理解した上で移動する必要はございます。
 スワンナプーム国際空港から空港連絡鉄道が利用出来るようになったのは2010年(平成22年)8月23日からです。従って、平成20年代の海外旅行記と言えども平成21年以前の旅行記なので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。人によったら「空港に到着して後の次の目的地はホテルにする。」と考えてる旅行者も多いと思います。私はブリティッシュコロンビア州を旅行してきましたがタクシーは一切利用しませんでした。この旅行記が影響してるかどうかは皆さんのご想像にお任せします。実際の所、トランスリンク(バンクーバーの公共交通機関)の一日乗車券を買えば移動はお気楽でした。電車、バス、船(シーバス一種類のみ)が乗り放題でした。

 ~皆様へのご連絡~
 皆様、今までお読みいただきありがとうございました。
 平成20年代初期にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちがだいぶ失せていて、現在は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてるような状態です。 簡単ホームページ時代に「1万人の訪問者がいたらそれで良いかな。」とドリアン長野が発言されてました。そして、その目標は達成されました。
 過去に、ドリアン長野はあの新風舎(周知のように平成20年に経営破たんした)から提案があって経費ばかりかマンガの原稿を提供したが水泡に帰した事もございました。 
 続編が執筆されたら転載はしたいがそれがいつになるかは全く持って不明で夫婦の海外旅行記は平成29年十月現在、未完の作品です。

以上です。管理人マーキュリーマーク





アメリカ旅行記  2017/10/23(月) 午前 0:49






 2010年以前の海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思いますが皆様お楽しみください。

なおリターンズとは「過去に発表したドリアン長野の海外旅行記を、管理人マーキュリーマークの感想文を付加した上での(事実上の)再掲載。」とお考えください。
当方では、海外旅行記を発表してます。影響を与える事が出来ても責任は取れません。皆さん、もしも海外旅行に行かれるならば熟慮の上で行くか行かないかについて、ご決断下さい。
 詳細は各自で調べてもらいたいが、ニューヨークの地下鉄は、支払い方法が過去と大きく異なってるばかりか料金は過去よりも値上がりしたそうです。
 同様に詳細は各自で調べてもらいたいが、平成29年から始まったトランプ政権の影響で陸路によって米国からメキシコへ行くことが難しくなったようですので参考程度に留めてください。
ドリアン長野はニューヨーク(NY)、ニュージャージー(NJ)、ミシガン(MI)そして、カリフォルニア(CA)に行きました。
米国のカリフォルニア州からメキシコのバハ・カリフォルニア・ノルテのティフアナに行ったそうです。ちなみに、メキシコではバハ・カリフォルニア・ノルテ(俗称)は北カリフォルニア州という意味です。正式名称は、バハ・カリフォルニアです。バハ・カリフォルニア・スルが南カリフォルニア州だそうです。
重言みたいな文章が嫌いな人は「ドリアン長野は米国のロサンゼルスからメキシコのティフアナに行った。」と解釈してください。


マレーシア旅行記(ほぼエッセイです)リターンズ2.0  2017/10/25(水) 午前 1:19

フリー写真素材 フォトスク





始めに 
管理人マーキュリーマークです。皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。影響を与える事や提案はしますが、責任はとれません。昨今、深刻な問題が頻発してる点については周知されてるのが理由です。

最近(平成29年10月)、ドリアン長野が行ってきた海外旅行記の見直しをしてます。見直しを決断した理由は幾つかございます。

第一の理由は、整理整頓が必須と考えました。半ば周知されてますがドリアン長野が執筆した海外旅行記は順番が非常に乱雑で順不同の状態に至ってます。可能な限り整理整頓します。

平成十年代にドリアン長野がgoo簡単ホームページ(現存しない)を楽しんでた時であっても本人が過去の海外旅行記の再編集をした前例はございますので難しいですが、整理整頓については最善を尽くします。ドリアン長野から「タグが難しかった。」と言われるとやむを得ないかもしれません。
前作と次作を紹介するとしても可能な限り行います。
実は、ドリアン長野自身が平成10年代に発表した旅行記を後(平成10年代末期)に再編集して再発表した前例もあって前述したように順番が非常に乱雑で順不同の状態なんです。ご存知のように海外旅行記以外について述べた前例はあるが、あえて海外旅行記だけを選んで可能な限り、旅行記毎に整理整頓して発表していきます。今回に限っては、マレーシア旅行記です。マレーシア旅行記について語られたのが第10話と第44話です。前作は第43話のロンドン・コーリング (ロンドン旅行記)をとします。
第10話の前作は#9 スワニー(リターンズ) です。
第10話の次作はタイランド旅行記を閲覧してください。

第二の理由は、半ば当然ですが過去と現在では大きく異なってる部分はございます。一例を示すと、平成29年1月から始まったトランプ政権は米国からメキシコへの陸路での移動に過去よりも厳しい制限を加えるようになったそうです。こういった連絡は不可避だと考えます。皆さん、もしも、本当に海外旅行に行かれるならば各自で詳細を調べた上でご決断ください。料金の値上がりや政変の影響で過去には行えたことが現在は行えなくなった事が多数ございます。説明の付加は不可避です。但し、料金などについては各自で詳細を調べてもらいたいです。変更は多く過去には通用しても現在では通用しない事が多々ございます。

第三の理由は、実際に私が海外に行った後で考えが大きく変わりました。手前勝手かもしれませんが、やはり、私自身が一回だけとは言えども実際に海外旅行をしてくると考えが大きく異なってきましたので比較が容易になりました。

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編Canada BC

第四の理由は、過去(平成10年代)には文章だけであった海外旅行記であったので可能であれば動画や画像(地図等)を付加した上で再編集をしていきたいと思いました。過去(平成10年代)と違って、海外の町の様子を動画で紹介する人は昨今(平成29年)増えましたので参考の為に紹介していきます。但し、ドリアン長野ばかりか私が撮影した動画の紹介ではない点はご理解下さい。周知されてますが動画を発表した人が許可した期間のみ視聴が行えるので可能な限り早く視聴されることを推奨します。
 
 皆様、ドリアン長野が記憶を頼りに作成したお笑いエッセイを兼ねた海外旅行記なので余り真剣に読まないようにしてください。脚色が加えられてる部分が数多いと思われるし前述したように過去と現在は大きく異なる部分はございます。これらの方針で、進めていきます。



#10 ドリアン
 人は非日常的な体験を求めて旅に出る。海外ならなおさらだ。しかし、それが食文化になると頑なに自国の食生活に固執する人がいる。たとえば、欧米人なんかがそうだ。彼らは外国においても朝はトーストとハムエッグ、昼はマクド(関東地方だったらマックよね。おされだわ)というスタイルを崩そうとしない。マーブンクロンのクーポン券式大食堂には欧米人の姿も見かけるけどな。大半は一、ニ度料理を食べてみて後はコーラとハンバーガーってとこだろう。君たち、それで満足なのか? 私はイギリスではフィッシュ・アンド・チップス、アメリカではステーキとハンバーガーを食い続けたぞ。まずかったけど、それでも我慢して食ったわい。(我慢して食うなよ)
自国以外の食生活に興味を持たんから、鯨を食う日本人は野蛮だなんてぬかすんじゃい! 「美味しんぼ」の海原雄山も食はその国の文化だとゆうておろーが。私はある国に行ったら、その国の人間が食べている物を食い倒すぞ。フィリピンやベトナムでおやつがわりに食べてる、孵化寸前の鶏の卵は塩をかけて食うとうまいんだよっ! 海外番組のTVリポーター(女優)は「いや~ん、気持ちわるう~い」とか「やっだあ~、ざんこくう~」とかぬかしてんじゃねー! アラブ人街に行ったら、羊の脳みそのカレー煮込みが安く食えるぞ。ベトナムでは時間があれば、センザンコウでも犬でも食いたかったわい。イサーン地方では虫も食べる。カオサンやラーチャダムヌーン・スタジアムの前やナナ・エンターテイメント前の路上に行けば、屋台でいつでも売ってるぞ。メーンダーは黒くて一見するとゴキブリに似ているがタガメだ。羽と足を取り、歯で身をしごいて食べる。その他にはバッタのフライとかコオロギとかカイコのさなぎとか赤アリとか、全部スナック感覚だ。もちろん、私の口に合う物もあるし、合わん物もある。だが、口に入れてみなければ味は絶対にわから~ん! 食わず嫌いはいろんな事を損してると思うぞ。
日曜日の夜の「世界ウルルン紀行」はタレントがいろんな国へ行って、一週間ホームステイするという番組だ。お世話になった家族と別れるシーンで私はいつも号泣してしまう。下條アトムのナレーションが泣かせるんだ、これがまた。ある日の番組では某男優がアフリカの某国に行った。その国では牛がとても重要な役割を担っているわけだよ。畑を耕したり、牛乳を飲んだりはもちろん、牛糞を燃料にしたり、家の壁にしたりな。それどころか、尿をシャンプーにもするし、飲んで胃に収めてから吐き出して胃腸を整えたりするのだ。その男優がそれに挑戦した。牛の泌尿器の下に容器を構え、おしっこを受ける。男優は容器になみなみとつがれたおしっこを眺めた。さあ、どうするんだ? 本当に飲むのか? 私は手に汗握って見つめたね。彼は一瞬ためらったが、ついにうぐうぐと飲み干し、そして吐いた。司会者に「どんな味でした?」と聞かれ、彼は苦いような、しょっぱいような、とにかくすごい味でした。その味が今でも口に残っています、と答えた。私は猛烈に感動したね。これが感動せずにおられよかってんだい。世の中には健康飲料だと称して己のおしっこを飲むやからがいるが、自分のでも躊躇すんのに、ましてや牛のおしっこだぜ。サムライだね。えらいもんだ。郷に入っては、リーに従えとはこのことだっ!(離婚したけど)さすがの私でもおしっこまでは飲めん。そこでドリアンだ。フリが長かったな。ドリアンを屁のにおいだとかウンコくさいとか言うやつは、牛のおしっこも飲めんくせにグタグタぬかすんじゃねー!(無茶苦茶)
ドリアンは確かに強烈なにおいがする。バンコクの「ロビンソン」で買ったドリアンをリュックに隠し、日本に持って帰った。(見つかると税関で没収だからな)機内でもリュックを開けるとガスのにおいが漂うので、冷や汗もんだったさ。その密輸入したドリアンを会社の同僚が食べてみたいって言うので、親指大をアルミ箔で包み、ビニール袋に入れて会社に持って行った。ロッカー室で包みを開け、食べさせてやった。その後、会社の人が「ガスくさいぞ。ガス漏れしてるんちゃうか」と騒ぎ始めたのだ。本当のことを言うに言われず黙っていたら、誰かが電話したんだろうな。大阪ガスの車がやって来てガス漏れの点検をやり始めた。しばらく調べていたが、もちろん異常なしで帰っていった。恐るべし、ドリアン! 今でも会社の人には真実を伝えていない。でもさ、ドリアンアイスとかドリアンスナックとかドリアンキャンディーとかドリアン羊羹(がバンコクの伊勢丹で売っとるのだが、これはさすがに食したことはない)はうまいとは思わん。ドリアンの身上はにおいではなく、カスタードクリームを濃厚にしたような 、あのねっとりとした果実だ。これぞ、キング・オブ・フルーツ。ドリアンを食べるためだけに、タイに行く人の気持ちが私はよく分かるぞ。ドリアンを食べていると私は幸せになる。納豆やくさやの干物を好んで食べる日本人が、においだけで毛嫌いするのはどういうわけだ。
マレーシアに行った時、屋台にドリアンを食べに行った。買ったその場で食べていると、「ドリアン、むっちゃ、うまいわ~」 「ほんま、最高やね~」という大阪弁が聞こえてきた。見ると、屋台のテーブルで女の子が二人、必死の形相でドリアンにむしゃぶりついていた。クアラルンプールは退屈な街だったが、その時の光景だけはよく覚えている。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
  紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
 今回は、マレーシアのクアラルンプール旅行記であるばかりか、複数の国々を旅行してきた思い出と食文化を混在させたお笑いエッセイの領域になるかもしれませんね。
 私はカナダでおいしい食事とそうでない食事を食べてきたから複雑な思いです。
人が何を食べるか食べないかについては強要をしてはいけないと思います。
食品アレルギーや宗教上の理由で食べないようにしてる食品があるからです。
 海外旅行に行ってもあまり、普段と変わらない生活をしようと思っていてもそうではなかったです。
端的には、白米を食べる機会は私はカナダに旅行したのみなので少なかったです。お水に限ってはミネラルウオーター(ボトルドウォーター)を買って飲みました。
海外旅行に行って日本では一般的とは言えない食事が売られているばかりか食事が現地の人から提供されて出演してる芸能人が食べるのに躊躇するお話しはテレビ番組で時々放映されてます。
海外では一般的な食事をまるでお笑い番組の罰ゲームのような扱いをしてることに複雑な思いを抱く人は多いかもしれません。
人によって取捨選択はして当然だと思います。個人的な意見ですが、バンクーバーで食べてきたティムホートンのドーナッツや七面鳥のソーセージやシーフードはおいしかったです。ドリアン長野は否定的ですが、私はフィッシュアンドチップスをブリティッシュコロンビア州で食べてきておいしいと思いました。参考にしてください。

フィッシュバーガーのパンを抜いて代替としてフライドポテトが使用されてるから日本人でも好きな人は多いと思います。価値観は人によって違います。恣意的な意見は否定しても実際に食べた人の感想の意見が分かれるのは仕方ないと思います。もしかしたら、英国とカナダは味付けが違うかもしれませんけども。

意外に思われるかもしれませんが、日本では一般的なマーガリンが入った食品は心臓病の原因になる疑いがあることから一部の国では法律で禁じられてます。
従って食品についての考え方は色々です。まさに、「ここがヘンだよ日本人?」食品に関する考え方は人それぞれです。ドリアン長野はマーガリンについて否定的です。

バターとマーガリン 平成27年1月 
2015/1/10(土) 午前 0:59 
バターが品不足なので、代用品としてマーガリンを仕入れている店が多い。マーガリンは植物性油脂なので、バターより健康的だと思っている人がいるが、液体である植物性油脂を固めるために水素等の化合物を添加していて、動脈硬化や心筋梗塞などの原因となるトランス脂肪酸の塊。当然わが家には置いてない。
マーガリンの構造はプラスチックに近いそうです。(-。-;

鯨の一件に限っては、かなり奇抜な情報が一部の識者によって発表されています。著作者の立場を尊重しますからあえて関与はいたしません。 
言い換えると、有名なお話でもありますし、すでに公表されている事柄でもございますので、あえて割愛させていただきたます。 詳細は各自でお調べください。
 世界ウルルン滞在記は1995年から(番組名が変わったとは言え一応)2008年9月14日迄放映されてました。
BS-TBSで放映されてた(再編集をした)世界ウルルン滞在記リターンズも、平成25年(2013年)3月29日で放映が終わりました。
今となっては、地上波で放映されていなくても、BSデジタル放送で幾つものテレビ番組が全国的に視聴しやすくなりました。
皆さんの記憶には未だに新しいかもしれないし将来的に特番が放映されるかもしれませんが簡単に伝えると今の所は世界ウルルン滞在記は放映されてません。
平成27年に同窓会的な番組の新作が放映されましたが今後放映されるか否かといった詳細については各自でお調べください。約一名、有力議員になったから再出演は難しくなったかな?
 牛は、色々ありますね。牛肉がおいしいだけではなく鶏や豚と比較して水を大量に用いる必要があるといったお話しもございます。 
個人的な見解ですが、長野県民は昆虫食が一般的らしいですが鶏が昆虫を食べたら良いと考えています。 ドリアン長野は、兵庫の隣県である鳥取県出身です。
 そういえば、ある島根県民の主張で「島根県は鳥取県の左隣。」といった主張があったが、個人的には「島根県は、兵庫の隣の隣。」と考えた方が近畿では理解されやすいと思います。
左って「どこから鑑みてか?」で方角が変わってきますからね。必ず左が西側になるであろうか?
 ドリアンに限っては、少なくとも平成10年代以降、果物店やタイ料理店やタイランド食品専門店等で市販されてます。
無論、過去にインターネットショッピング等でご購入された人々も多いでしょうね。実際の所、お笑いエッセイなのでドリアンをどこで買ってきたかは不明です。
昨今、日本でも多くのお店でドリアンは売られてます。
私の場合、「臭いから外で食べろ。」と家族に言われ本当にそうしました。
味はおいしかったです。 ガス会社はやってきませんでしたけどもね。
以前(2010年以前の平成20年代)だが本当にガス漏れがほぼ隣接しているアパートで発生していた。 お風呂掃除をしている時に、地味におかしな匂いがしたのと少し息苦しさを感じた。結局の所、ガス会社の従業員さん達がやってきてそれなりの工事をしていただいたから、何とかなった。
 実際の所、ドリアンとガス漏れは区別しやすいが両者を知らないと難しいかもしれない。有名なお話ですが、普通のガスには匂いが無いから会社が意図的にガスの匂いを加えてる。
我が家の隣のアパートは、時々、洗濯機が壊れて漏水を発生させたりと問題が時々発生する。空室があっても募集をしない老朽化したアパートは怖いですね。
そのアパートだが平成29年からは誰一人して住まなくなりました。
近日中に解体工事が行われるようです。海外旅行記で紹介された建築物も経年劣化等の影響で解体工事をする事があるようです。目的地に到着したら、無くなっていたり閉店してる前例もあるようです。
 皆さんも海外旅行の時においしい食事をされた経験があったと思います。良き思い出になりますよね。


#44 ウタダ(リターンズ)
2013-02-01 | Weblog

NO44 ウタダ

at 2004 04/02 23:49 編集

I was out stumbling in the rain staring at your lips so red.
よろめき出ると、雨。なんて赤い、あなたの唇。
   
小生、過日久しぶりにテレヴィジョンを聴こうと思い、セカンド・アルバム「アヴェンチャー」を引っ張り出した 。一曲目の「Glory」。冒頭の詩はその一節。

語順に訳出し、体言止め。赤い唇のなまめかしと、雨の冷たさの対比が、いい。訳詞をしたのは岡田英明と、ある。岡田氏は、かつて「ミュージック・ライフ」誌上で、ピストルズの「プリティー・ヴェイカント」をWe are pretty oh so pretty
と繰り返し、そこでvacantと言葉の意味が逆転するのは痛快だ、という意味のことを書いていたが、彼はそこでprettyという単語を正しく理解していたのであり、なんじゃ、そらあたり前やんけと言う人もあるやもしれんが、事実はそうでは、ない。ピストルズは正式なスタジオ・アルバムは畢竟(ひっきょう)、一枚しか捻出していないにもかかわらず、ライブやデモテープやセッション、はてはインタビューなどのCDがそぞろ出ているのであって、もちろんその都度、訳者が違う。その中に、「オレ達は素敵だ」と訳し、その後に何の脈絡もないvacantと言う単語が来ているのに戸惑い、狼狽し、苦心した挙げ句、「だけどかなり抜けてるけどね」等と言う訳詞を恣意に捏造し糊塗しているのを何度も、読んだ。これはもちろん「乃公 (だいこう)等は全くの何もない、カラッケツのカラッポ」だと歌っているのであって、まだある、同じ曲の中に「0ut to lunch」(時流に遅れた)という文言があるが、これを「さっ、昼メシに行くぞ」とあって、小生、全く弱り果てる。プロレスラーの藤原喜明がカール・ゴッチに「大工はノミを磨き、石屋はハンマーを磨く。キミがレスラーなら体を鍛え、大切にしなさい」と言われ、爾来(じらい)、それを座右の銘にし、肉体の鍛練に努めたというが、もちろん、なにがしかの報酬を受けとっているのであれば、プロというのであって翻訳者も日本語と外国語の言葉を鋭意、磨かねばならぬ。
                                   
よくブルースやゴスペル、ジャズ、レゲエ等等という、所謂(いわゆる)、黒人音楽と称される楽曲をやっている我が朝の人が「私は黒人に生まれれば良かった。私はなぜ日本人であることか、私はなんと不幸なんだろう」と、おっしゃる人をたまさか見聞するが、小生、これを聞くと「ふざけんな大馬鹿野郎。プリンの角に頭を打って公民権運動前のアメリカ合州国南部かアフリカ西海岸の奴隷船の黒人にでも生まれ変わってきやがれ」と悪態をつきたくなるのであるが、もちろんアフリカ黒人にもインド黒人にもアメリカ黒人にもアメリカ白人にも中華人民共和国人民にも日本人にもスペイン人にもアイルランド人にもああめんどくせえア・ポステリオリに自分たちの生活、風習に基づいた文化というものがあり、宗教でいえばキリスト教とアフリカの呪術に高度低度の違いはないという考え方で、これを文化相対主義というのであるが、これが正しいのかどうかはひとまず置いといて、日本人が黒人の文化をそっくりそのままいただきって感じでサルマネしてもこのアホンダラそれが何になるの、って感じで。
 拙者が大学で英文学などというヤクザなものを専攻しておった頃。第ニ外国語という面妖なものを単位取得せねば卒業は罷(まか)り成らんとの仰せで仏語、独語、西語、支那語から取捨選択せねばならんということに相成った。英文学専攻の学生は仏語を選択するのが慣例、などと通達用紙に記載されておったのだがケッ、て感じで、結局僕は西語を選び勉学に刻苦精励することになった。理由は以前紐育はハーレムという地をぶらぶらと散策していた時、そのラテン・アメリカ人の多さとあらゆる表記に英語と西語が記されているのを目撃し驚いたからであるが、それはさておき、西語の先生は詩人のアレン・ギンズバーグに風貌がそっくりであったので僕は大いに怪しみ、この人はどこぞの人ぞ?と訝(いぶか)しがったのであるが日本人であることが判明し僕は安心立命した。何ぞ? 
その西語の授業中、僕はコンサイス英語辞典を机上に置いておったのであるが、先生は僕の席を通りがかるおり、ひょいとその辞書を手に取り、しげしげと、と見こう見されるのである。僕は西語の辞書を放擲(ほうてき)していたことに対し、叱責されるのかと鞠躬如(きっきゅうじょ)としておったのであるが、あに図らんや先生は「これはすごいですね」と目を細め、その辞書をためつすがめつされるのである。僕は仰天した。中学生から使用している辞書なので韋編三絶なのは当然といえば当然なのであるが、僕はそんなことに関心を示される先生に感銘した。さらに先生はこうも言われたのである。「私はこのような西語の辞書を三冊持ってます」と。僕はますます感銘を受けた。感動のあまり、「そのくらい辞書を活用しなければ語学は習得できないのでありますね」という意味のことを口走ったのであるが、「いや、まだまだです」と先生はおっしゃられるのである。先生の学問に対する真摯(しんし)な態度、一求道者たらんとする先生の孤高の精神に僕は尊敬の念を覚えたのである。
僕の寝室兼書斎には、あまたの辞書が参差(しんし)乱雑しておる。「リーダーズ英和辞典」「アメリカ俗語辞典」「アメリカ口語辞典」「アメリカ新語辞典」(これは図書館からガメてきたやつ)「最新和英口語辞典」「スピーキング英和辞典」「Give Get辞典」「The dictionary of Comtemporary SLANG」「英語図詳大辞典」「英和翻訳表現辞典」「最新英語情報辞典」「早見優ちゃんの英語にしてみたゲンダイ用語辞典」だってあるし「現代フランス語辞典」「現代スペイン語辞典」「広辞苑第三版」「新選漢和辞典」「新明解国語辞典」「イミダス」に「現代用語の基礎知識」だってある。三島由紀夫は「辞書は引くものではなく、読むもの」と言ったが、いかにも辞書は読んでもおもろい。はは。
僕は成人式のお祝いに市から国語辞典を頂戴したのであるが、僕と同年代(当たり前だ)の阿呆の餓鬼どもはその辞書を毫(ごう)も有り難く思わず、放擲していたに違いないことは想像に難くない。その頃、文学などに入れ込んでいた僕は意味不明の文言が出てくると逐一、辞書を引いて確認していたのである。そうして使用していた辞書は一年を俟(ま)たずしてボロボロに朽ち果てたのであるが、僕の日本語の語彙は飛躍的に伸びたのである。イエイ。
ともあれ、西語は三年間授業を受けたのだが、拙者、西語で覚えた文章は「私の父と母は西語を話すことができます」だけである。嗚呼、やんぬるかな。アディオス。
  
わが君にわけは恋ふらし 
わがせの君は涙ぐましも 

自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。自分はクアラルンプールの「タワー・レコード」で宇多田のテープを邦貨、六百円で購った。そしてセレンバンという街を目指し、列車に乗った。その街に目的若しくは所用があったわけではなく、車窓から街並の風景、乃至市井人の生活というものを打ち眺めてみたかったのであり、それには日帰りで逆旅(げきりょ)に帰館できるセレンバンは都合がよかったのである。車窓からは、なるほど森林を伐採して作られた都市だと実感できるほど、熱帯多雨林が生い茂り、抜けるような蒼穹に入道雲が棚引いておる。春霞棚引く山を君が越えいなば。眩しい陽光の中で宇多田の湿ったリズム・アンド・ブルースの唱法は妙に合った。聴いているうちに、自分は不覚にも涙を流していた。    

 沢木耕太郎の「書物の漂流」というエッセイは、こういう書きだしで始まる。
「小説を読んでいて不覚にも涙を流しそうになったことがある。確かにそれが物語の中段とか終局においてというなら別に珍しいことではない。取り立てて口にするほどのことでもないだろう。その時、私は第一章の第一節の第一行目を読んでいたのだ。第一行目の活字を眼にした時、不意に胸が熱くなってしまった。驚いた。狼狽したといった方が正解かもしれない。_私は山本周五郎の『さぶ』を読んでいたのだ。」

シルクロードを西に向かって歩いていた沢木は日本人旅行者から一冊の文庫本を貰う。それが『さぶ』だった。彼はチャイハナでその本を読み始めるが、一ページ目が終わらないうちに、その先を読み進むことができなくなってしまう。
「いまとなれば、その時の動揺は山本周五郎の文体の力によってもたらされたものに違いない、と考えることができる。靄のようにけぶる小雨、両国橋という名の橋、さぶという名の若者、橋を渡るという感覚。一片の雲もなく、一滴の雨も降らない中近東の砂漠にいる私には、それらのすべてがひとつの世界を現前させる激しい喚起力を秘めていた。しかもその世界は、遠ざかりつつあり再び戻ることはできないのではないかと怖れていた土地の、鮮やかな象徴として現前したのである。」

何百日か後、戻れないのではないかと怖れていた日本に帰った彼は再び『さぶ』を手にするが、あの時の胸の熱さを経験することはなかった。
「しかし、」と彼はいう。
「文庫本の『さぶ』は、いまでもなお、シルクロードをゆっくりと往き来しているかもしれないのだ。そう思うと、ほんの僅(わず)かだが、胸が震える。」
自分は宇多田をバスの中で、逆旅のベッドの上で、繰り返し聴いた。聴くたびに日本のことを想った。それはアメリカン・スクールに通う彼女(当時)が、亜細亜の片隅にいる自分に日本人であることの認識を強いたからだ。

「マリリン・マンソンとはアメリカの闇が生み出した怪物だ」 
(マリリン・マンソン)
ベルリンの壁崩壊以後、喧(かまびす)しくなってきた感があるが、人種、宗教、文化、言語に関係なく世界中の人々は融和して住むことができる、宇宙から地球を眺めてみれば国境線なぞなかった、僕達は地球号という一蓮托生の船に乗ってる地球人であるから争いはやめよう、ウイー・アー・ザ・ワールド、ウイー・アー・ザ・チルドレン、国境なんぞがあるから戦争、紛争が起きるのだ、反戦、平和、自由、平等、人権が人類にとっての普遍の真理であるから反権力、反国家、もう国民という言葉を使わず市民と言おう、これからは草の根運動だ、一個人が輝く時がきた、国籍を捨て、国際人になろう、等という輩(やから)がいる。妄言である。自分はかかる妄言を吐く人種を信じぬ。「イマジン」から「アナーキー・イン・ザ・U.K」、マリリン・マンソンまで、ロックの一部分は無政府主義を標榜し、国家の解体を宗(むね)としてきた。(ただし後年ジョニー・ロットンはアナーキズムなんて中産階級のマインド・ゲームだと言っていたが)国家が消滅すれば、より紛争及び戦争が勃発するということは自明の理であり、国家すなわち権力であるから他国を侵略する力を有するという民主主義やその漸進形態である共産主義の謂(いい)は笑止である。しかし、自分はイラクの空爆に賛成である。かかる非人道的な行為を看過できぬ。人権思想を持つ、アメリカやヨーロッパの民主主義国家が空爆を決議したのは当然だ。それならば、インドにはサティーという文化(culture)『人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住を初め技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容とを含む』(広辞苑)がある。夫に死なれた未亡人は生きたまま焼かれるという文化だ。法律では禁止されたが田舎では今でも実施されている。全ての文化を等価値だとする文化相対主義者はサティーを容認できるか。そして民主主義者は人権、平等、女性差別撤廃の名においてサティーを絶対に容認できまい。この悪魔の所行を根絶するために民主主義国家はインドを空爆しなければならない。それができなければ、民主主義は恣意的な思想(イデオロギー)だと言われても仕方がない。アメリカよ、インドを空爆せよ。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

一応はニューヨークとマレーシア旅行記になるのかな?軽くしか触れられていませんけどもね。 ドリアン長野が当時(平成十年代)考えていたことを乱雑にまとめたコラムですね。アナーキーといえばソマリアがそうなってしまいましたね。原油の中に劣化ウランが混入したのもイラク空爆の影響です。明日、何が起こるかは誰にも分かりませんがインドは中国やパキスタンやバングラデシュとの争いを抱えているから米国に攻撃される前に何かが勃発するかもしれません。  
まさか、マレーシアであのような暗殺事件が発生するとは予想出来ませんでした。 平成29年二月にマレーシアで北朝鮮が行った暗殺事件の影響は大きい。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
以上、管理人マーキュリーマークでした。
書評 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか  2017/10/26(木) 午前 8:39 

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
増田俊也
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」
この本を読んで確信した。木村政彦は空前絶後、不世出の柔道家である。ヘーシンクもルスカも山下泰裕も木村の敵ではない。木村が大外刈りをかけると相手は受け身がとれず、失神する。寝技をかけられたら逃れる術はない。
1951年、リオのマラカナンスタジアムで行われた伝説の対エリオグレーシー戦ではエリオに腕がらみを極め、タップをしないエリオの腕を折ってしまった。この敗戦をグレーシー一族は「マラカナンの屈辱」と呼び、木村の強さを讃え、腕がらみを「キムラロック」と名付けた。
そして1954年、昭和の巌流島決戦といわれた対力道山戦。この試合は八百長、いや片八百長であった。力道山は念書を反故にし、途中からセメントで木村をめった打ちにし、足蹴にした。リング下で拓大の先輩であり、木村を師と仰ぐ大山倍達が激昂して、
「力道!俺がこの場で挑戦する!」と叫んだのは有名な話である。
後年、極真会館門下生であった今東光(名誉初段)が語っている。
「俺が大山を認めたのは、木村と力道山が試合した時、大山が力道山の残忍さに憤慨し、同じ韓国人である力道山に『貴様は武士の情けを知らない卑劣な男だ。俺は貴様を殺す!』と言ったんだ。俺はこれを聞いて、こいつはいいやつだ、立派な男だ、天晴れだと思って付き合っている。しばらく会っていないが、時々手紙をくれるんだ。いい男だよ。」
ちなみに拳道会率いる中村日出夫も韓国人であり、力道山に空手を教えたことがあった。
エリオ戦の話に戻る。晩年のエリオは語っている。
「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔術家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接することができる男には、あれ以降会ったことがない。50年前に戦い私に勝った木村、彼のことは特別に尊敬しています」
腕が折れても最後までタップしなかったエリオもまた、真の格闘家である。
著者は言う。
「われわれは忘れてはいけない。柔道とブラジリアン柔術が同根であるだけではなく、あの木村政彦vsエリオ・グレーシー戦こそ、世界のあらゆる格闘技の歴史のなかで最も大きな事件だったことを。現在の総合格闘技も、あの試合があったからこそ存在するといっても過言ではなかろう」と。
対力道山戦後、木村は不遇をかこった。木村が旗揚げした国際プロレスも解散した。師の牛島辰熊の勧めで拓大柔道部のコーチになろうとしたが、理事長の西郷隆秀(西郷隆盛の孫)が拓大復帰を許さない。プロレスをやったりキャバレーを経営する木村の人間性に懐疑的だったのである。
「西郷の気持ちを解かしたのは、その年の暮れであった。西郷帯同の拓大柔道部九州遠征である。もちろん柔道部OB会は英雄木村政彦を酒席に呼んだ。西郷はあまり面白くなかったであろう。だが、宴たけなわの頃、木村が西郷のもとに来て小声でこう言ったのだ。
『妻の体調が悪いのでお先に失礼させていただいてよろしいでしょうか…』
この一言で西郷の木村を見る目が変わった。ある重鎮OBが教えてくれた。
『あのとき拓大柔道部が拾わなければ、木村先生は必ず乞食になっていた。それくらい金に困っていたんです』
木村の、妻斗美(とみ)への愛が、木村自身を救ったのである。」
鬼の木村はまた、愛妻家でもあった。大山倍達は言う。
「勝った力道山はヤクザに刺され、若くして死んだ。負けた木村先生は愛する奥さんに支えられ、今なお生きている(75歳で死去)。人生の勝負でいえば、どちらが本当の勝利者だろうか」
著者の増田俊也は北大柔道部出身。18年の取材を経て上梓した、柔道と史上最強の柔道家木村政彦への愛に溢れた畢生の大作である。
もう一度言う。ヘーシンクもルスカも山下泰裕も相手にならない、空前絶後、史上最強の柔道家こそ木村政彦である。


芸術と国家の関係とは何か? 平成29年10月  2017/10/31(火) 午前 0:11

「問ふ、歌は天下の政道をたすくる道也。いたづらにもてあそび物と思ふべからず。この故に古今の序に、この心みえたり。比義いかが」
答へて曰わく、
「非也。歌の本体、政治をたすくるためにもあらず。身をおさむる為にもあらず。ただ心に思ふことをいふより外なし。其内に政のたすけとなる歌もあるべし。又国家の害ともなるべし。身のわざはいともなるべし。みな其人の心により出で来る歌によるべし」
本居宣長 「あしわけをぶね」
芸術と国家の関係とは何か?本居宣長は芸術は国家の害となるものもある、と言っている。

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花