2019年7月20日土曜日

平成29年11月のyahooブログ上の投稿

購入そしてその後 平成29年11月 2017/11/8(水) 午前 2:21

アイドルグループの握手券をゲットするためのCD爆買い。握手券を手に入れたらCDは破棄か。われわれの世代(1961年3月5日生まれ)では仮面ライダーカードだったが。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1502572859830278?pnref=story

管理人マーキュリーマークからの伝言
別件ですが、2007年(平成19年)11月3日に結婚したドリアン長野は今月三日に結婚十周年だったそうです。 おめでとうございます。
【夏が来れば思いだす】 

生田長江のこと 平成29年11月  2017/11/12(日) 午後 5:08

生田長江のこと
生田長江の書生であった米子市生まれの詩人、生田春月のことはよく知られていることであるが、天才的な翻訳家の長江のことはあまり知られていない。明治15年鳥取県根雨生まれ。日本で初めて抄訳ではあるがマルクスの「資本論」を翻訳。自身も博覧強記であった今東光曰く、「とにかく天才だった。向坂逸郎なんか生田長江に比べたら曲学阿世の徒に過ぎないね」
ドフトエフスキー「罪と罰」、ダヌンチオの「死の勝利」、ニーチェ全集などを翻訳刊行。末日聖徒イエスキリスト教会の聖典「モルモン書」も翻訳している。
モルモン書は1909年に日本で翻訳された時、文語体(当時の「文章体」)であった。当時、日本伝道部をヒーバー・J・グラントに次いで管理していたアルマ・O・テイラーは、1904年7月からモルモン書の日本語訳に着手していたが、テイラーの訳文は言文一致体(口語と文語の混合体)で2年弱で終了し、1907年12月にその改訂も終了していた。
しかし、何人かの日本人に相談したところ、宗教の聖典に相応しいのは文章体(文語)であると提案され、ニーファイ第一書1章を神戸と仙台に住む日本人に見てもらったところ、やはり文語に直して返送してきた。それでモルモン書の翻訳をやり直すことになった。
その結果、初め早稲田大学の平井広五郎、ついで夏目欽之介(漱石)の推薦で生田長江(本名弘治、)と契約して生田が文章語の翻訳を終了している。(平井は途中契約違背のため、契約破棄に至っているので、生田が最終稿を教会に提出したと見る。) それをテイラーが点検し、平井や河井幸三郎(号醉茗、作家、詩人)など数人の日本人の意見を聞いて、1909年4月に原稿が完成している。そして、最終的に同年10月に印刷を終えている。
後に昭和訳の翻訳を行なった佐藤龍猪はこの明治訳について、「その訳はまことに立派なもので、必ず名のある専門の英学者の手によって成ったものであることを確信させられました」と語っている。
晩年はらい病に罹り、崩れ落ちる体を支え、抜け落ちた眉毛を墨で書いていた。享年54。
死の直前まで仕事を続け、正に死の恐怖に打ち勝った「死の勝利」の一生であった。
一方で弟子の春月は38歳の時に乗船中、瀬戸内海に身を投じた。
https://www.facebook.com/durian.nagano?hc_ref=ARTgHHP9iWU5kSCU0xfOpkhtO-fkJ1ml0oaaZ9--sfaw-FL6ISga45MvBVxiBBgv9Ng&fref=nf

上海日記 一日目から四日目迄  2017/11/13(月) 午前 0:51




#56 上海日記 一日目(リターンズ) 

NO56 上海日記 1日目

at 2005 01/15 21:22 編集

12月19日
年下の友人K君から何年か振りに電話があった。四方山話のうちに彼が言った。
「ドリアンさん、僕今年パスポート取ったんですけど、一緒に海外旅行行きませんか」
「そりゃいいけど、年末まで10日しかないで。もうチケットは残ってへんで。あったら奇跡やわ」
「奇跡ですか。可能性としたら何パーセントくらいですか」
「まあ、消費税くらいやね」
「5パーセントですか.....。ドリアンさん、こんな話を知ってますか。本田技研の創業者の本田総一朗はですね、小さな町工場から始めてですね.....」
K君はなぜか突然熱く語り始めた。
「ですから、たとえわずかな可能性でもそこに賭けてみるのが男のロマンかと.....」
「わかった、わかった。君の言いたいことは、よ~くわかった。インターネットで調べてみるけど、あんまり期待せんといて」
と言って電話を切って、一応検索してみることにした。リーマン・パッカーは年始年末と盆休みとゴールデン・ウィークしかまとまった休みが取れへんからなあ。俺も半年くらいアジアを放浪してみたいで。
バンコクはっと......。やっぱり満席やがな。 インドもどっこも満席や。不況いうても年末になると日本人はどっと海外に行くからなあ。どこが不況やっちゅう話やねんな。日本人は兵役みたいに全員一週間インドに行くことを義務づけたらええと思うわ。
正月ハワイに行くやつは死刑や。ロサンゼルスに行くやつは帰ってこんでええ、って俺は小言じじいか。過去になんかあったんかいな。マニラも一杯や。当たり前やな。
年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。ラオスもミャンマーも直行便飛んでへんからなあ。一週間の休みやったら無理や。
北京も駄目、上海は、おっ、あった。あったがな、こんな時期に。やっぱり本田は偉大や(なんのこっちゃ)。早速、K君に電話する。
「奇跡は存在したで。上海行きあったで」
「えっ、本当にあったんですか」
あんなに熱く語ったはずのK君の声はものごっつう不安気だった。Why?

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 初めにお伝えしますが、これは、平成17年のお話です。消費税も平成29年11月現在は8%ですが過去は消費税が5%でした。また、私はKさんではございません。私はドリアン長野とは一緒に海外旅行には行ってません。
 最近になって日本の尖閣諸島や制空権を破壊しようとしてる中国へ旅行するかしないかは各自でお決めください。
 日本人同士であれば言葉が通じるからかワガママや馬鹿げた本音が言えたりもするのが現実です。掛け声倒れというか提案や質問はするが何もしない人が日本には数多いですよね。そういった発言だけを喜ぶようでは何も出来ないまま終わってしまうから不利益を作り出すと思います。この場合は海外旅行ですが、行えないかもしれない状況が行えるようになったのだから素直に喜ぶべきなのにつまらない事柄だけを真剣に語ることだけが喜ぶ目的ではいけないと思います。 やはり、実行することを重要視する人物でなければ詐欺師のような矛盾を抱えた錯乱した人物が増えるだけだと考えられます。責任感が欠落してる社会は辛いです。 単純にKさんはドリアン長野にダメダシをしたかったのか? 今回は海外旅行して苦労するというよりも日本国内で海外旅行に行くために苦労したお話でしたね。空手家の間では、「千の言葉よりも一の実行。」ということわざがございます。
 私も色々とあって、本当にカナダのバンクーバーに行くかどうかを決める時には悩みました。仮に友人が住んでる街に行くにはどうしたら良いかを調べるとバンクーバーを経由することが分かったのとその友人(米国人)だが海外で政争に関わってるらしいから邪魔はしたくないのであえて避ける事も行えるし直行便を選べば海外旅行の試練の中の一つに乗り継ぎの待機時間が長い問題も回避が行えるのでブリティッシュコロンビア州バンクーバー市を選びました。
 「千の言葉よりも一の実行。」は重要ですが、本当に海外旅行を実行するからには前もって色々と調べておいて向こうの社会に適合が行えるようになっておきましょう。海外には海外なりの厳しさがございます。私の場合は十日前ではなくて旅行日のおよそ二か月前に海外旅行代理店に赴き予約をして支払いを済ませました。言い換えると、平成27年の8月に平成27年の10月の予定を作ったんです。大金を支払った独特の緊張感は並では無かった。年末でなくても海外旅行の場合は二か月前に予定を作る人は多いですし否定されてないと思います。実はちょっとした裏事情がありました。発表されてはいるが私が利用したのは季節限定便の直行便(関空からバンクーバーのYVR間の往復)だったので8月に10月の予約をしたのは有効期限間近であったのです。 詳細は各自でお調べしてもらいたいが、海外旅行の航空便の航路の中には季節限定便が存在してます。
 言葉が悪いかもしれませんが、大雑把に他人に旅行先を決めてもらうよりも自己責任で考えて旅先を決断することは重要だと思います。
 「どうせ、無理やろ。」と考えていても「何とかなったよ。」と返答されるとどうなるか?その時に返答する人は否定的になってはいけない。難しい事が成し遂げられたならば素直に喜ぶべきです。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
複雑な思いがする動画です。パスポートが有料なのはともかくですが在外邦人が万が一の時の救出費用の為に高い料金が徴収されてるそうです。実際に海外に行った後ですと、複雑な思いです。やはり、あまりよろしくない人はいました。(だが、あのアルジェリアの出来事は?)

 皆さん、お気づきだとは思いますが航空券が予約並びに購入が行えてもホテルの予約(宿の確保)を彼等はしたのでしょうか?それだけでなく、海外旅行保険に加入したのでしょうか?海外旅行保険は不明ですが宿の確保は読み進めてもらうと理解してもらえます。皆さんが、もしも、海外旅行に行かれるならば宿の確保(ホテルの予約)、航空券もしくは乗船券の予約と支払い、そして海外旅行保険に加入されることを推奨します。今となっては各企業それぞれ別口で営業してます。

#57 上海日記二日目 (リターンズ) 
NO57 上海日記 2日目

at 2005 01/18 22:23 編集


12月20日
K君はほんまにびびっていた。初めての海外旅行なのはわかるが、それにしても尋常ではない。
「危険な所に行くのはやめましょうね」
「上海に危険な場所はないっちゅうねん(あったら行ってみたいわ)」
「ドリアンさんも日本に待っている人が大勢いると思いますから、くれぐれも無事に帰国しましょう」
「俺たちはイラクに行くジャーナリストとちゃうで」
「お金はいくらかかっても構わないので、命を最優先に考えて下さい」
「君は自衛隊の中隊長か。でも、ひょっとしたら無言の帰宅ってこともありえるなあ」
「ええっ!」
びびっているやつをいちびる(からかう)のは面白い。
その夜、K君からメールが入った。
「中国ってビザいりますよね。 今からでは間に合わないのでは?」
すっかり忘れてた。
慌ててインターネットで調べ、池袋にあるビザ取得代理店にパスポートを明日一番の宅配便で送ることにした。果たして間に合うのか。K君から電話。
「その代理店、大丈夫なんでしょうね、パスポート送っても」
「もしかしたら歌舞伎町の蛇頭(人身売買をするスネークヘッドという犯罪組織)に横流しされるかもね」
「ええっ!」
K君の心配は尽きないのであった。
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 本当に初めて読まれる人もおられるかもしれませんが、実際には平成十年代に発表してるのですでに結果を知ってる人が多いのはともかくとしても、人に何かを頼んで文句ばかりいって何一つ責任を取れない人っていたりします。「嫌なら辞めとけ。神経質なのも限度がある。」と言いたくもなります。一方でビザやパスポートについても海外旅行をするなら忘れないようにすべきです。周知のように海外旅行代理店に行く前(もしくはインターネットを通じて依頼する前)にパスポートの所得を済ませるばかりかビザの申請も可能であれば終えておきましょう。ビザの種類によって違いますがカナダのビザ(eTA)は有効期間が5年間です。TPP11が本当に機能すると今後はビザが廃止に至るのかな?ご存知の人も多いでしょうが海外旅行代理店でパスポートの確認が行われることは多いです。ちゃんと提示した方が良いと思います。悪質なご都合主義者はパスポートの有効期限が失われてからパスポートの再所得を考慮するが、本当に海外旅行に行くならば前もって用意する必要がございます。自己責任ですが、私は幾つかの町を訪問する艱難辛苦を体験した上でパスポートを所得しました。
 大変残念ながら、海外で邦人が殺害された前例はございます。ご冥福を祈ります。私は平成27年10月にブリティッシュコロンビア州を旅行しました。在外邦人が平成28年に殺害されたので心を痛めました。フェイスブックのグループ上で哀しみの声が何度も発表されてました。第二の故郷のように思える海外の町で日本人が殺害された事件が発生すると哀しみは大きく違います。従って、旅行者の安全の為に海外旅行をしてる人に対して質問をすることが無いようにしましょう。なぜならば、安全に関わるからです。そればかりか旅行者もあまり積極的に情報開示はしない方が無難かもしれません。私が海外旅行中に錯乱してる人物が狡猾にフェイスブックを通じて詰問してきたので旅の楽しみは半減しました。憎悪は日増しに増えるばかりかな?一般的には旅行中には詰問を繰り返さないが行った理由はゆすりが目的だったやもしれません。だから、詰問したと思います。抗議しても逆上するから、本当に関与を推奨出来ない人でした。
 結局は、海外旅行をするかしないかは本人が責任をもって行うべきであって第三者に責任を押し付けてはいけないと考えます。日本の治安も悪化してはいますがそれでも海外よりは治安が良くて気楽だと考えられています。ある意味、別口のお話ですが、周知のようにこのシリーズは長期間継続しました。やはり、一週間の海外旅行は並ではありません。明日の事は誰にも分らないが、日中間の外交問題が平成20年代に比べて小さかった平成10年代のお話だということを前提にこれからもお読みいただければ幸いです。
イラクの場合、米軍が劣化ウランを散乱させたから治安以前に危険かもしれない。


NO58 上海日記 3日目
at 2005 01/25 23:50 編集
12月30日
「全員整列、番号!」
「1」
「2」
「これからわれわれ上海使節団は上海に向けて出発する。何か質問は?」
「チャイニーズ・マフィアには充分気をつけましょう」
「そんなものはおらん!」
「危険だと思ったらすぐ引き返す勇気を持ちましょう」
「われわれはK2に登りにいくんじゃない!」
ビザはやっと出発前日に届いた。ただ、ガイドブックを読んだら2003年9月から15日間以内の滞在ならビザは不要と書いてあったが。(1万円返せ!)
関空に到着したK君は不安で寝不足と食欲不振が続き、蒼い顔をしていた。
とにもかくにも上海に到着したが、入国検疫申告書を書くのを忘れていたわれわれは係員に呼び止められ、そこで書け、とあごで指示される。初めて接する中国人の横柄な態度にK君はびびる。入国審査を待っている時も行列の中国人同士が割り込みでケンカを始めた。K君、ますますびびる。
「レンミングァンチャン(人民広場)!」
空港前で待っているバスの女性車掌に声をかける。彼女は「満席だよ。次のにしな」と答えた。(私は中国語がわからないので、英語以外は推測です)
「次は何時?」
「10時だよ(夜の)」
「あと40分もあるやん!」
日本語で言うと、「しかたないね。乗りな」とバスの入口を指し示す。バスが動き出したので、外を見ると雪が降り積もっている。凍結した道路では追突したり、ガードレールにぶつかった車を何台も見た。人民広場で降り、地下鉄を探すがむちゃくちゃ寒い。このままではホテルにたどり着く前に凍死してしまうではないか。はんぱねー!歩いていると寒いので全速力で疾走し、コンビニを見つけると飛び込み、道を尋ねるついでに暖をとる。ようやく見つけた地下鉄(中国の地下鉄の出入口は明かりがついていないのでわかりづらい)で河南中路駅まで行き、そこから歩く。われわれが目指すのは浦江飯店だ。外灘(バンド)で、いや上海でバックパッカーが泊まるホテルといえば、ここしかない。空室があればいいが。もうすぐ日付けが変わる。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
 平成二十年代になって上海にも危険な町が存在するらしく皆様、お気を付けください。
 実際の所、一旦は上海に行ってからウイグル自治区(中国国内)に含まれるカラコルム山脈のK2に行く人がおられるかもしれません。K2(ケーツー)は、カラコルム山脈にある山で標高は8,611mで、エベレストに次ぐ世界第2位の高さです。ちなみに、ドリアン長野はK-1を見るのが好きです。
 いきなり、日本国内で一万円散財してますね。一万円あったら色々と買い物が行えますね。
ビザやパスポートについては海外旅行をする前に余裕を持って調べておきましょう。ビザやパスポートについての各国の最新の事情については各自でお調べください。実際に海外旅行に行ったから言えますがある程度の余裕は重要です。初めての海外旅行の予定日が一か月もないなんて私には否定的に感じます。準備期間は重要でした。海外旅行の準備は絶対に前もって余裕がある状態で行うべきです。
 防寒着一つとってもK2に登れる領域が販売されてるのは周知されてます。
 色々な面で平成10年代と平成20年代とでは大違いです。
上海浦東国際空港と上海虹橋国際空港は同じ位に上海では有名です。頻繁に変更するので路線の詳細については各自で調べてもらいたいのですが、平成20年代以降は、関空から上海浦東国際空港利用が行えるようになったと言われてますが平成十年代は上海虹橋国際空港から関空への直行便が存在してたようでドリアン長野はその路線を利用したようです。
 日本人は親切と言われてますが世界でもトップレベルかもしれません。あんまり海外旅行で案内はしないものですからね。
 厳寒の上海では自動車同士の交通事故も少なくないようです。やはり、路面が悪いか否かは影響するようです。
近頃のチャイナはガスマスクが必要と言われる位にスモッグが激しいらしいですがPM2.5は平成十年代には日本に飛んできていたと言われているからこの時にはすでに中国の大気汚染は深刻であったかもしれません。過去にも主張しましたが、ドリアン長野は地下鉄が好きでニューヨーク(ヌーヨ~ク)の地下鉄にも乗車した過去がございます。
 今からお伝えすることは否定されても構わないですがやはり、空港連絡鉄道の利用や送迎バスを海外旅行の代理店を通じて依頼しても良かったかもしれませんね。
 最近の上海の鉄道は平成二十年代になって平成十年代よりも延伸を果たしたそうです。空港連絡鉄道を利用して海外の駅前のホテルを利用する旅行者は私のようにいます。だが、それについて否定的な人はいます。なぜならば、高額だからだそうです。従って、空港からバスを何度か乗って郊外のホテルを選ぶ旅行者もいるらしいです。ヘタするとホテルに到着する迄が旅行になってしまい旅行中に観光地にあまり行けなくなる恐れがございますので旅行の日程は熟慮の上でお考え下さい。
 最も肝心なのはホテルの予約です。宿の確保をしないままで海外の町に赴く行動について私は推奨しません。私は日本国内の海外旅行代理店でホテルの予約と支払い、航空券の予約の支払いと海外旅行保険の支払いを済ませました。
人によったら、予防接種も済ませてから渡航されるでしょうね。渡航医療機関と言われてるトラベルクリニック等についての詳細は各自でお調べください。予防接種について肯定するか否定するかは各自で熟慮の上でご決断下さい。提案は行えても責任は取れません。
 ドリアン長野はニューヨーク旅行中にも同じような過失行為をしてました。
 送迎バスはそれなりの金額です。私はバンクーバーで送迎バスを利用したから言えますが一長一短がございます。長所は送迎をちゃんとしてくれるばかりか車内で町の説明をしてくれる点ですが、もしかしたら、ホテルへの早期入室も送迎バスの料金に含まれてるかもしれません。航空機が空港にやってくる時間と予約したホテルの入室が許可される時間に大きな乖離(かいり)が発生してる可能性はあり得ます。日本から海外の空港に到着して入国審査を済ませて移動しホテルに到着した時に入室が許可されていない時間になってる可能性については考慮してください。
短所は、送りの時は他の航空機でやってくる旅行者の待機、帰国する時の迎えのバスがやってきた時間が微妙で帰国便に着席したのが飛行機の出発の40分前であった点です。それなりの金額である点は批判はしませんが人によったら空港連絡鉄道を利用されるかもしれませんね。
 平成20年代になって上海においても、空港連絡鉄道が円滑に利用出来るらしいですが利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。上海について初心者であれば多少高値であっても空港からホテルへ送ってくれるばかりかホテルから空港へ迎えてくれるバスを依頼されてもよろしいかもしれません。送迎の内、「送り。」だけないしは「迎え。」だけ依頼する人もおられるそうです。ホテルのシャトルバスを利用する人もいるらしく多種多様です。




紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

上海日記 4日目 in 1 (リターンズ)
2014/2/5(水) 午後 11:46
NO59 上海日記 4日目

at 2005 02/02 20:17 編集

12月31日
7時半起床。トイレの窓から外を見ると一面まっしろ。黄浦江を巡航する船の警笛が聞こえる。浦江飯店はバンドで一番古いホテルだ。チャップリンもアインシュタインもお泊まりになられたが、宿泊費は高くない。バックパッカーの御用達になっているのはドミトリーがあるからだ。ホテル自体は租界時代に建てられただけあって、アールデコで趣がある。われわれの泊まった二人部屋の前は吹き抜けになっていて、広い廊下には租界当時の調度品が展示されていた。
昨夜は12時前にチェックインした。空腹だったが、寒波の中を出ていく気にもなれず、ルームサービスでチャーハンを食べた。眠りについたのは2時過ぎだったと思うが、K君は不安でほとんど寝ていないそうである。そこまでテンパってたら、しまいにゃ死ぬで。われわれは気合いを入れて空手着に着替えた。上海で空手と太極拳の交流をしようという日中友好的な計画を立てていたのである。場合によっては異種格闘技戦も辞さぬつもりだ。カンフーでもなんでもかかってこい(どの辺が日中友好やねん)。意気込んで飛び出したのはいいが、ほんまにものごっつうハンパじゃなくひたすら寒い。いつもは物売りで足の踏み場もないほどの外白渡橋も今日は誰もいない。目指す黄浦公園はホテルから走って3分ほど。公園の入口で警備のおっちゃんに「滑るから気をつけな」と声をかけられた。
「太極拳は?」
「寒いから休みだ」
いきなり計画失敗。寒さに異常に強い中国人もさすがに今日は無理?って感じ? 口ほどにもないぜ、今日はこのくらいにしといたるわとバンドの凍結した遊歩道をこけながらジョギングして帰ったのだが、われわれ日本人の姿はよほど奇異に見えたのであろう。ホテルの従業員にじろじろと見られる。この寒波になんて物好きなってか。おれたちは見せ物じゃねえ、散りな。しっ、しっ。今度泊まりに来た時は帝国陸軍の軍服で来てやるぜ。日本鬼子と書いた鉢巻きを締めてなって、冗談っすよ。冗談。そんなにムキにならなくてもええやんか~(誰に言うとんじゃ)。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
まず、初めにお伝えしますが幾つかまとめましたので題名にin 1を加えました。一日の出来事を幾つかに分けて平成17年に発表されてました。
そういえば、平成17年と言えば岡田阪神がリーグ優勝した年でしたね。
本題。
浦江飯店は中国に対して否定的な人も少々驚く見た目は良いホテルのようです。
太極拳は寒ければ中止のようですがスモッグの時にはマスクをして行われた動画を見たことがあるので何か矛盾を感じるのは私だけでしょうか?残念ながらその動画は見つかりませんでしたが、平成20年代になって実際に上海に行った人によると、スモッグが凄まじいそうですのでマスクは必要らしいです。

 食事なんですが、ホテルにもよりますがやはり外国人観光客がやってくることを考慮してか多少遅い時間であっても食事が行える体制作りをしてるホテルは国の内外を問わずに多いようです。私が行ってきたバンクーバーのホテルの出入り口の近くにドーナツ等でカナダでは有名なティムホートンが24時間営業していて贅沢を言わなかったら食事が円滑に行えました。安価で良かったです。ホテルの食事は朝食が食べ放題で28カナダドルでした。町中ではクロワッサンが一個$2.85で販売されてるらしいのでクロワッサンを10個食べると損はないかもしれません。ただ、クロワッサンや七面鳥のソーセージはおいしかったがサラダが無かったのが辛かった。


ドリアン長野とKさんは上海で炒飯が食べれて良かったんではないでしょうか?

海外旅行中の睡眠なんですが、時差の問題ばかりかベッドの規格が大違いなので寝にくかったです。私の場合は精神的に心配事で困る事柄よりもベッドが柔らかすぎるから寝にくいので大変困りました。実際の所、フェイスブックを通じて詰問をしてくる拘束を躊躇しない愚か者がいて精神的に困ったので、バンクーバーから日本に帰国後にやむを得ずダメダシをして友人達にも警告を伝達しブロックしました。ゆすりが目的の可能性は高かったです。
上海の冬場は厳寒のようで氷点下に至る事もあるようです。
皆さん、寒い国へ行くならば防寒着は持って行きましょう。防寒性能が高い靴の保有も考慮してください。ただ、海外旅行前にどういった服装をするかですが日本国内において悪く無い姿にしておきましょう。日本は日本です。飛行機に長時間乗って現地に到着すると気候が日本とは全く違う事はあり得ます。私が行ってきた10月のバンクーバーは大阪市内と比較して少なくとも五度は低い程度で秋でした。そういえば、平成10年代のある日、30度を超える6月の暑い大阪府の関空から北海道の帯広市に行くと8度であった過去も連想しました。日本国内でも気温の変化は大きいです。



NO60 上海日記 4日目(続)

at 2005 02/09 22:13 編集

部屋に戻ろうとすると、廊下の展示品を見ている二人の日本人がいたので声をかける。彼らは6階のドミトリーに泊まっているそうだ。
「僕らも昨日の夜に上海に来たんですけどね、ドミに金城武そっくりの男が泊まってるんですよ」
「えっ、金城武!」
「ほんとにそっくりですよ」
「まさか本人じゃあ.....」
「見に来ますか」
「行く行く行く!」
ここのドミは男女別になっているそうだ。部屋も清潔で窓からはほんのわずかだが黄浦江が見える。彼らの他には日本人と韓国人が一人づつ泊まっていた。韓国人が聞く。
「何でそんなかっこしてんの? パジャマ代わり?」
「公園をジョギングしてきたんだ」
「はっはっはっ。クレージー」
ほっとけ。
「あれ? さっきまでいたのにな。出かけたみたいですね」
あ”~っ、残念。タケシ、私をおいてどこに行っちゃたの。
「タケシの寝ていたベッドはどこかしら?」
「は? あそこですけど」
「タケシ~」と叫んでベッドに飛び込む。
「.............。私、別に変態じゃないからね」
「は、はあ~」
「われわれはこんなことしてる暇ないねん(お前が勝手にやってただけやろ)。早いとこ、このホテルをチェックアウトして新しいホテルに移らんと」
「どこに泊まるんですか」
「ピース・ホテル」
「あそこ、空いてるかなあ。昨日も満室だと断られて、ここのドミに来た人がいましたから」
「とにかく行ってみるわ。タケシに会ったら、よろしく言っといて」
ピース・ホテル(和平飯店)は上海銀座の南京東路を挟んで北楼と南楼がある。和平飯店といえば、バンド。バンドといえば、和平飯店だというくらい、バンドを象徴するホテルである。一生に一遍だけ泊まってみても罰は当たらんだろうと思ったが、今日も明日もあさってもやっぱり満室だった。仕方なく、その日はバンドの対岸にあるホテルに泊まる。部屋から小学校の校庭が見えるのだが、この寒さにも何のその、大勢の大人がダンスを踊っている。今日は大晦日やったなあ。それにしても寒くないんか?

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

平成十年代に行われた年末年始の上海旅行記です。
ダンスは良いけれども、太極拳は寒いから中止。厳寒であるがゆえに空手の道着を着用して公園をジョギングしたらコリアンから「クレイジー。」と冷やかされる。辛いですね。
だけど、ホテルは本当に一流のようです。インターネット上で紹介されてる写真を見ただけでもそれなりに感嘆します。「和平飯店(ピースホテル)。」と聞いただけでは見当がつかない人でも「ピースホテルはフェアモントの系列。」と聞くと驚かれる人は多くおられると思います。

http://m.fairmont.com/peace-hotel-shanghai/

金城武氏は現在でもご活躍されてますね。平成10年代ばかりか平成20年代になっても知名度は高いと思います。








紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。


NO61 上海日記 4日目(続々)

at 2005 02/16 23:29 編集

その夜、オールドバーでジャズを聴くために再び和平飯店を訪ねた。メンバーは平均年齢70歳台の老人であり、このホテルの名物である。大晦日のせいか、満席で少し待たされたが、相席でテーブルに着いた。アメリカンスタイルのカウンターやローソクのシャンデリアが租界時代を想わせる。一時間ほど演奏を楽しんだ後、和平飯店を探索することにした。もう十何年も前のことだが、桐島洋子さんの本でこんな文章を読んだことがあったのだ。
「和平飯店は40年前にはじめて上海に渡ったときにしばらく滞在したキャセイ・ホテルであり、このホテルこそ私にとって外国の原体験なのだ。幼い私が絶望的に長い廊下を魔法使いに追いかけられながら必死に走る夢を今でも私はときどき見るが、それは明らかにこのホテルの廊下であり、魔法使いの方はディズニーの白雪姫の継母である。40年ぶりに歩く廊下は気味が悪くなるほど夢の中の景色のままだった。」 (大草原に潮騒が聴える)
その幻想的な廊下のイメージは上海、キャセイ・ホテル(和平飯店北楼)、といった妖しい響きと相俟って、まだ海外に出たことのない私の脳裏にしっかりと刻み込まれた。その長年抱いてきたイメージがついに目の当たりになろうとは。エレベーターで階ごとに降り、廊下を歩く。赤、階によっては青の絨毯が壁の淡い照明に浮かび上がり、進むにつれて租界時代にタイムスリップしていくようだ。南京条約によってイギリス軍が上海を開港し、さらには欧米列強諸国が管理する共同租界となったバンド。極東最大の都市、アジアの貿易、金融の中心地、日支間の思惑が交錯した国際都市、魔都、上海。初めて足を踏み入れた和平飯店は私にとっても想像と寸分たがわぬ光景だった。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代に平均年齢70歳台の老人達は平成20年代にも生きているのでしょうか?案外、現在でもオールドバーでジャズを聞いてるかもしれません。平成20年代になって撮影された動画は幾つか紹介したのでその部分は各人の考慮に願いたい。夢を現実に。著作で紹介された場所へ実際に赴くと感動すると思います。その感動の度合は、距離が自宅から遠い分比例してくると考えられます。 意外に思われるかもしれませんが、ホテルそのものが観光名所になってるようです。
 やはり、香港ばかりか上海が英国の影響を受けていたのは小さくないようです。



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO62 上海日記 4日目(続々々)

at 2005 02/21 23:38 編集

ホテルを出て帰ろうと南京路を歩いていると、逆方向からわさわさと人が歩いてくる。しばらくすると今度はばらばらと大勢の人が走ってきた。時計を見ると12時前。われわれも急いで彼らについていく。バンドの地下道は人民であふれている。暗いので物乞いを踏んづけてしまった。ご、ごめん。あっ、今度は物売りを踏んづけた。遊歩道に出ると、人民と外国人で立錐の余地もない。カウントダウンが始まり、新年になるとあちこちで花火が上がる。2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。彼らもバンドでカウントダウンを祝い、今から同宿の9人で飲みに行くそうだ。一緒にと誘われたが、われわれは酒を飲まないので残念ながら辞退した。私はドミトリーにはほとんど泊まったことがないのだが、ドミもいいもんだな~と思う。地下鉄が止まっていたので、タクシーを捕まえようとするが、空車が走っていない。近くの交差点で客を降ろすためにタクシーが停まったので、猛ダッシュで飛びつく。血相変えながら日本人が飛び込んできたので、運転手もさぞかし驚いたことであろう。それにしても、どのタクシーも助手席と後部座席は強化プラスチックで運転席と完全に分離されている。上海も物騒になったもんだ。1時帰館。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成16年(2004年)から平成17年(2005年)にかけての上海旅行記です。日本の旅行代理店が「年末年始を海外で過ごしませんか?」と提案(宣伝)してますね。日本のタクシーとは違う点は治安対策が強化されてる点のようですね。スピードも日本と上海は全く違うようです。地下鉄は日本であっても遅くとも午後11時前に乗車しないと目的地に行けない可能性はございますね。中国(上海)はどうなのでしょうか? 以下のホームページを参考にしてください。
ドリアン長野とKさんは充実した一日を過ごされたようです。念のためにお伝えしますが、私はドリアン長野と海外旅行をしたことはありません。

私もバンクーバーでは遅い時間に外出してました。チーズケーキエトセトラとって夜限定のお店があってそこに行ったからなんです。やはり、一回でも海外旅行に行くか行かないかで大違いですね。 日本の夜と海外の夜は大違いです。

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編 Canada BC

 話は変わりますが、ドリアン長野は上海の海外旅行記を二種類発表してます。
飛んで上海。」は平成15年に発表されましたので平成15年もしくはそれ以前の旅行記だと思われます。
一方で今回の上海日記は平成17年に発表されました。従いまして、平成16年の年末から平成17年の年始にかけて上海を旅行したお話だと考えられます。
それだけでなく空港を後にしてからタクシーを利用したお話なのが飛んで上海なのに対して上海日記は空港を後にしてからバスに乗ってから地下鉄を利用したお話になってます。
浦東国際機場駅と上海虹橋駅の両駅は上海では空港連絡鉄道の駅として同じ位に有名だそうです。従って、上海でタクシーやバスで困った人は減ったかもしれません。

カルシウム 平成29年11月  2017/11/18(土) 午前 9:34

カルシウムを摂ろうとして牛乳や豆乳に頼ってませんか。
そもそも牛乳を飲むとかえってカルシウムが尿と一緒に排出されるという事実。ホメオスタシスというやつですね。しかも意外にも牛乳は消化に悪い。わが家では牛乳と朝日新聞は禁止です。
最近よく作るのが小松菜の炒め物。
人参を皮付きのまま、といってもそもそも人参の皮だと一般的に認識されている部分は実は実(こう書くとややこしい)なんですが。千切りにした人参を炒め、アミエビを入れ、刻んだ小松菜を入れて炒めます。醤油をひとまわし、味醂をふたまわしします。仕上げにすりごまを入れて完成。簡単でカルシウムも摂取でき(小松菜はほうれん草の約4倍のカルシウムがあります)、しかもアミエビからいい出汁が出て美味しい!
すりごまはビタミンC以外の栄養素が全て含まれています。味噌汁に入れたらコクが出るので、味噌とごまを入れた汁茶碗に出汁を注いで飲んでます。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1511761062244791?pnref=story

殺人犯はそこにいる  書評 平成29年11月  2017/11/19(日) 午後 6:34


文庫本の惹句「日本中に衝撃を与え、調査報道のバイブルと絶賛された事件ノンフィクション」。
幼女殺害犯として逮捕、17年間拘留され、死刑判決が出たのち無罪が確定され、冤罪として釈放された菅家さん。逮捕の決め手となったのは自供とDNA型鑑定だ。恐らく大部分の人がそう聞いて、本当は彼が犯人だろうと思うだろう。私もそうだった。しかし読み進めるうちに確信する。これは冤罪だ。著者は日本テレビの報道記者。執拗に事件を追い、丹念に情報を積み重ね、これは単独の幼女殺害事件ではなく、連続誘拐殺人事件だと確信を得る。しかも真犯人を特定するのだ。ついには国会でも取り上げられる。
「まえがき」に著者はこう書いている。
「何より伝えたいことがある。この国で、最も小さな声しか持たぬ五人の幼ない少女たちが、理不尽にもこの世から消えた。
私はそれをよしとしない。
絶対に。」
著者の思いは冤罪を救済することではなく、真犯人を捕まえることだ。著者は(私もそうであるが)死刑存置主義者である。
ノンフィクションにありがちな硬質な文章ではなく、時にユーモアを交えて、時に熱い情熱を持って真相に迫っていくのだが、読み進んいくうちに思う。警察、検察、まさかこんなことがあってよいのか。
最終章で真犯人に呼びかける部分がある。
「おまえには家族を突然に失って、その名を呼び続けたことなどないだろう。気が狂いそうになるほどの喪失感を、永遠に変わらぬその地獄を、おまえは知るまい。死を告げる乾いた声と、霊安室の床の冷たさと、そこに跳ね返る自分の声の虚しさを。少し前まで温かかった大切な人の身体が、手の先で、止めようまなく冷たくなっていく感触を。そして、家族が一人減った部屋の途方もない寂しさを。なぜ殺した。」
ページをめくるのももどかしく、「あとがき」にたどり着く。
……衝撃を受けた。ああ、そうだったのか。
今年も残すところあとわずかではあるが、今年100冊余りを読んだ本の中で文句なしにベストワン。この本に出会えてよかったと心から思う。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1513020602118837?notif_id=1511075099639999¬if_t=notify_me&ref=notif

上海日記 五日目 in 1  2017/11/19(日) 午後 9:54





紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO.63 上海日記 5日目
at 2005 03/02 23:44 編集

8時半起床。寝ているときに寒さで何度もトイレに行ったが、エアコンの暖房がいつの間にか冷房になっていた。これが噂に聞くチャイナマジックか。K君は「風邪をひきましたあ」と情けない声を出して、げほげほいっている。次の宿泊地の豫園にタクシーで移動。上海の観光地といったらバンドと豫園しかない。豫園は明代に造園された役人の個人的な庭園で、何度も破壊されながらも修復され、今に至っているそうである。庭園の横には土産物屋や上海料理店がひしめき合い、屋台では人民が小吃(スナック)に喰らいつき、子供はわあわあと走り回り、中国のおのぼりさんがあっちこっちで記念写真を撮りまくり、ツアーの日本人観光客がぞろぞろと土産物を買い漁っているという、浅草をもっと巨大にしたような感じである。豫園内にある上海老飯店というレストランの中にあるホテルにチェックイン。上海老飯店は1875年創業の老舗で、ホテルに貼ってあった写真によると、江沢民もクリントン夫妻も食事に来たことがあるそうである。うふふ、たまにはこれくらいの、じゅるるっ、おごっそうを食べても、よだれが、いいんじゃないかい。今晩の食事が楽しみだ。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

今回も一まとめにしたin 1で海外旅行記を発表します。
中国では厳寒であってもエアコンが暖房から冷房に勝手に切り替わるらしいですね。一説によるとPM2.5が少なくともおよそ10年前から多く発生してると言われている。この海外旅行記は平成17年に発表されました。その前後の時期の中国旅行だとするとエアコンよりもPM2.5で呼吸器に悪影響があった恐れがありますね。 最近は中国が作り出したPM2.5は過去よりも増大し日本の周辺国が苦しんでいます。
 観光地は日中を問わず同じような雰囲気のようですね。豫園は「よえん。」と読むそうです。
 私が宿泊したバンクーバーのホテルはエアコンの問題は無かったがベッドが柔らかすぎて寝にくかったのを今でも連想します。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO64 上海日記 5日目(続)

at 2005 03/10 22:09 編集

日本の団体ツアーに紛れ込み、添乗員の説明にうなづきながら庭園を見てまわる。最後にはしっかりと記念撮影にも収まった。そこから歩いて老西門(ラオシーメン)に行く。ここら辺は租界時代も外国人が立ち入ることができなかった地域で猥雑な下町である。路地には古い木造アパートや商店が犇めき、軒先からは洗濯物が邪悪なオブジェの如くこれでもかというほど垂れ下がり、女性の下着もためらうことなくこれでもかというほど干してある。下着泥棒なんかは出ないのか。馬桶(マートン。簡易便器)にたまった糞尿や生ゴミを捨てにくる公衆ゴミ集積場もあって、冬だからいいものの夏場はかなり臭いそうだ。遠くに見えるバンドの近未来的なビル群とのコントラストが何だかおされである。え~っ! うっそ~! ここがあのチョーおっしゃれ~でリッチな上海なの~? ケイコ、まじで信じられな~いって感じい。などとツアーのギャルを連れてきたら言いそうだ。そんなことよりも、びびってばかりのK君がここにきて目が輝きだした。
「すごいですね。これこそ庶民の街ですね」
異常に興奮している。腹が減ったので近くの小汚い食堂で焼そばを食べる。
「スープも注文したいんですけど、中国語で何て言うんですか」
「湯(タン)だよ」
夢中で麺をすすり、スープを飲み干すK君。今まで緊張でろくに食べてなかったので無理もないか。食事を終え、外に出る。
「あれで5元(65円)って安いですねえ。スープはおまけしてくれたんですね。これこそ庶民の食事ですよね」
と、庶民を連発するK君。ちょっとうざいんですけど~。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

相変わらずおバカな行動を取ってると思います。添乗員の人って仕事で観光案内をしてるから搾取は悪質な行動だと思います。
在外邦人の添乗員に金銭を支払うにしても、送迎バスだけで済ませたどこかの誰かは問題が無いと思います。言い換えると、フリープランで海外の観光地を適当に見回ってたが海外旅行案内書で紹介されてる場所には行きたかったし時差ボケは凄い困ったし訪問したい最大の目的地は教会であったから、束縛されない道を選ぶ人はいました。実は空港(YVR)からホテルに行く途中のバスの中でそれなりの営業活動が行われました。「もしも、観光案内が必要でしたら前の日迄にご連絡してください。」とバスの運転手さんを兼ねた現地の観光案内人は提案するが、どこかの誰かはそれなりの予定を立てていたから不要でした。「搾取はしてないが提案は拒否した。」と考えてください。
それよりも、深刻だったのは錯乱してる人はフェイスブックを通じてあれこれ詰問されたのは旅行中最大の問題でした。ある程度は予想して何とかなったが予想外の迷惑をかけられたから困った人はいます。帰国後に抗議したが普通は旅行中に人に迷惑をかけないものですが錯乱してる悪人は加害行為をやらかす。荒らすだけ荒らして責任が取れない人はいるから皆様も警戒してください。
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」これで大概の場合はどうにかなるハズです。
 老西門(ラオシーメン)の特徴について述べてる部分はそれなりに関心するとは思います。元々、この海外旅行記は平成17年に発表されました。平成20年代に活躍してた阪神タイガースのマット・マートン選手と今回の上海旅行記とは一切無関係である点は強調しておきます。
神経質な日本人女性がみたらドン引きするような説明も必要だったとは思います。
実際の所、日本ではトイレが利用出来る駅が多いですが、海外では犯罪予防の観点から利用出来るトイレがほぼなかったです。ノースバンクーバーのロンズデールキー港では公衆トイレというか港内のトイレが利用出来たがそれ以外は駅前の店の中のトイレが事実上の駅のトイレでした。従って、ホテルの中のトイレの利用は重要です。皆様、ホテルを後にする前にはトイレを利用しましょう。
 日本国内で47都道府県中、40以上の町で営業してる私の好きな大阪王将でも店内で食事をするとスープのサービスがあったから驚かない人もおられるかもしれません。但し、店舗によって経営方針が違うから全てのお店でスープが提供されるかどうかは不明です。浪速フードが経営してる大阪王将はおいしいから推奨します。
金額的に安価であってもチャイナの食品は危険視されているから個人的には推奨が難しいです。中国国内の外食は昨今発表されてる情報を鑑みると、個人的には危険に思えます。無論、日本国内の中華料理店は良い仕事をされているのでお勧めします。この部分の区別はつけてもらいたい。日本国内の中華料理店は平成20年代のある日を境に、日本国内で栽培された食材を多用するようになりました。なぜかについては、皆様のご想像にお任せします。
 実際の所、海外で外食するとなると、色々と選ぶことになります。4種類の内どれかに該当します。
 第一に日本ばかりか外国でも有名なチェーン店。

 第二は日本では有名チェーン店(*1)だが海外では日本ほどたくさんの店舗展開をしていない飲食店。

 第三は海外だけで有名な現地資本のチェーン店。(*2)

 第四は海外だけで営業してる独立店舗。

 海外旅行案内書では名店が詳解(紹介)されてます。海外に実際に赴くと、海外旅行案内書で紹介されてる飲食店ばかりか海外旅行案内書で紹介されてない飲食店も多数営業してます。私が読んだ海外旅行案内書(地球の歩き〇)では紹介されてないフレッシュスライスピザというピザ屋でピザを購入しました。おいしかったです。3,4,5ドルならぬ、3 for $5と表明してたのには当初は驚きました。ブリティッシュコロンビア州では有名だそうです。

日本よりも面積が広大な外国は数多いです。たくさんの人々が住んでるとそれに比例して多数の飲食店が営業されてます。どこのお店で感動するかについては人それぞれだと思います。
海外での食事はおいしいか否かばかりか、数量が多いか少ないかや、高いか安いかや、衛生的かどうかや、冷静に買えるかどうか等も関わります。紹介されてないお店で食事をして良かったら嬉しいものですね。当初は初心者だったが次に行くとしたら切断されていないピザを買おうかな?実際の所、帰国してからその企業のホームページを閲覧して詳細を把握することもあるんです。
 ただ、中国の独立店舗だとこういった海外旅行記で紹介されるのが関の山で公式ホームページは存在してないかもしれません。

*1 日本国内でも地域限定で複数の店舗を営業してる飲食店を含む。ちょっと驚いたのが私の地元である近畿地方では一店舗も営業してないのでほぼ無名だが、北海道や九州では有名な飲食店の海外店舗がブリティッシュコロンビア州で営業されてるようです。店名を海外では変更してる場合もあって別会社と考える人がいるかもしれない。

*2 海外でも地域限定で有名なチェーン店が存在しているから「チェーン店の〇〇知ってますか?」と外国人に質問しても「知りません。」みたいな返答があったりします。



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

オマケ 参考として日本の中華料理店で提供されてる中華スープを紹介します。


NO65 上海日記 5日目(続々)

at 2005 03/18 18:34 編集

「髪を切ってもらいましょう。記念になりますから」
と、K君はどんどん歩きだし、一軒の散髪屋に入っていった。料金を聞くが、いかんせん通じない。やっと三軒目で5元だと言われ、切ってもらっていた。もともと彼の髪は短かったのであまり変わらなかったけど。そこからさらに南に下って、文廟(ウエンミャオ)へ。ここら辺も日本の昭和初期みたいな感じである。「洗足屋」を見つけ、入ってみる。マッサージ用の寝椅子が三つあるほどの小さな店。家族でやっているようだ。中学生くらいの少女が二人出てくる。よくしゃべる彼女たちに中国語を教えてもらいながら、一時間ほど足をマッサージしてもらう。料金は15元(200円)だった。外に出ると、まだ6時なのにあたりは真っ暗。ほとんど明かりがない。来た道に戻ろうとうろうろする。公衆便所を見つけ、入ろうとすると暗闇の中から男の白い顔がぬっと現われた。初めは、いやぁっ、生首!とびっくり。近づくにつれて、なんだ、便所の料金を徴収するおっちゃんかと思っていたが、中に入ってみてもっとびっくり。おっちゃんは小便の溝に向かって大便をしていたのだった。そこは小便専用の便所で、大便できる便所は有料だからなんだろう、きっと。恐るべし! おっちゃんの横で用を足しながら、K君と「中国人はすごいな」と感心しあうのであった。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
日本でも冬場は夕方五時を回ると真っ暗になるが平成10年代の中国の午後6時の年末年始は電光が少ないから暗かったようです。私が行ってきたバンクーバーは通りによって万人向けと関係者以外立ち入り禁止みたいな道があって両極端でした。

散髪をチャイナでしてもらうのも彼等の勝手だしいわゆる足つぼマッサージをしてもらうのも勝手だが後は下品の一言です。





紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。


NO66 上海日記 5日目(続々々)

at 2005 03/23 21:07 編集

ホテルに戻って上海料理を堪能する。ピータン、魚と椎茸のスープ、上海蟹と豆腐の混ぜ物、川エビの揚げ物、魚の醤油煮、揚州炒飯。我を忘れてがっつくほど、全て絶品である。しかも、これだけ食べても一人1300円ほど。
「さすが老舗レストラン。うまいねえ」
とK君に言っても、「はあ~」と気のない返事をするばかり。彼にとっては下町で食べた食事の方がよほどご馳走だったらしい。
10時過ぎにタクシーで淮海中路へと繰り出す。ここは上海の若者が集まる最先端のおされなストリートだ。上海在住の美人作家、衛慧(ウェイホェイ)の「上海ベイビー」には、「この地域は、ニューヨークの五番街、あるいはパリのシャンゼリゼ通りに相当する。」などと書いてある。われわれが目指すのはクラブ&ディスコの「ROJAM」である。上海にクラブやディスコは数多くあれど、ナンバーワンといえば、小室哲哉プロデュースのここである。音楽情報発信地として、アジアのミュージシャンのライブにも使われている。最近では藤井隆(フミヤじゃないよ)のライブも行なわれた。入場料80元はバカ高いが(正月料金か)、ディスコ・フロアーは既に芋の子を洗うようだ。英語のDJに乗って、轟音のようなサイバートランス&クラブミュージックが炸裂し、ライトとスモークが交錯しちゃったりして、もう大変なんである。いや、実は大変なのは私なのだが、いいから落ち着け。それにお立ち台というか、ステージがある。それを目にすると、たちまち辛抱たまらんの脳がスイッチオ~ン! 犬のように駆け上がり、踊りまくる。ああ、何て気持ちいいのかしら。生まれ変わったら、ダンサーになるわ! サンキュー、てっちゃん(注:小室)! 汗びっしょりになり、ジャケットの靴も靴下も脱ぎ捨て、〇ロインを求め狂うジャンキーのように1時間ノンストップで踊った。ホントはもっと踊っていたかったけど、K君が風邪気味なので早く切り上げることにした(大人)。そのK君はフロアーでぼ~っとしていたら、女性客に、「飲み物おごってあげるわ」と声を掛けられたそうだ。断ってよかったな。ついていってたら、有り金全て没収されてたな。
外に出ると、夜風が火照った肌に心地いい。「踊り~疲れた~ディスコの帰り~」(by BORO)のメロディーが頭に鳴り響くのであった(ふるぅっ)。ホテルに1時帰館。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 ホテルの料理は絶品だったようです。実際の所、高いお金を支払ってまずかったらイヤですね。おいしい料理とそうでない料理を私はカナダで食べてきました。大半はおいしかったがファラフェルはイスラエル人が調理する京都市の出町柳駅近くで営業してるファラフェルガーデンの方が良かった。

 ROJAMさんは平成10年代には存在していたが現在は存在してないそうです。ROJAM DISCOさんは2009年(平成21年)には閉店され会社も株主が大きく変わり改名し会社は存続したそうですが、過去の経営とは大きく変わったそうです。
他の事柄でも平成10年代と平成20年代とでは大違いであったりします。やはり、リーマンショックの影響は小さくなかったようです。
 中国人女性はやはり怖いようです。何らかの提案があっても警戒した方が良さそうです。
 全く逆に私はカナダで道に困った時に在外邦人に助けられました。個人的に初めての海外旅行ということもあって、本当に開拓してましたね。しかも、一人旅でした。

上海日記 六日目 in 1  2017/11/19(日) 午後 11:43




管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
今回も一まとめにしたin 1でリターンズを発表します。







紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

上海日記 6日目 in 1
2014/4/7(月) 午後 11:23


NO67 上海日記 6日目

at 2005 04/19 22:36 編集

8時起床。戦前に日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュ)地区に移動。ホテルの目の前に魯迅公園がある。近くにある多倫路文化名人街で食べた6角(8円 平成17年当時の金額)の肉饅がとても美味だった。地下鉄で上海駅に行くと、ものすごい人。地下鉄のホームで待っていた小姐(若い女性)がどどっと降りてきた乗客に揉みくちゃにされ、くるくると回転していた。観察していると、白線の前に仁王立ちして電車のドアが開くと同時に乗り込もうとする者があちこちにいる。もちろん吐き出される乗客の圧倒的な物量に負けてあちこちでくるくる舞っておるが。なぜだ? なぜ中国人はちゃんと列を作って待ってられんのだ。しょっちゅう、服務員が「ちゃんと並べ!」とマイクで青筋立ててがなってるぞ。そういえば、ぎゅうぎゅう詰めのバスでも、降りようとする者より先に乗り込もうとするお茶目なやつらだからな。なぜ学習せん、中国人! けど、あの回転している中国人を思い出すと、悪いが笑ってしまうわあっ! ぶあっはっはっはっはあ! くっ、苦しい、笑いすぎて涙が....。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

公衆道徳って重要ですよね。ドリアン長野が嘲笑したからか後述しますが、少し辛い試練を体験することになりました。
実際の所、日本でも同じような問題が過去にあって人気のある路線では乗客増に応える為に駅のホームの延長工事をして車両連結数を増やしたそうです。一応は一般車両であれば15輌、総延長300mが日本の限度だそうです。日本の町中であれば隣駅に行くのに1km未満の事は多いけども。営業距離がJRよりも短いことが多い私鉄であっても車両の座席数を減らしてドアを増やしたり大型化した前例もあったそうです。近距離であれば悪くない選択です。長距離移動になると乗車時間も比例するのでドアの数を1ドアにして座席数を増やす必要がございますね。普段、余り気にしないでしょうが車両の連結数が多いか少ないかでその路線の人気がよく分りますし反映されてます。 
 バンクーバーのトランスリンクも朝のラッシュの時にはそれなりにたくさんの人々が乗り込んでました。バラード駅が混雑してましたが、皆さん整然とされてました。エスカレーターもちゃんと常識的に右側で立ってましたしね。
大阪市内の駅の中の同じで安堵する人は多いであろうなぁ。

NO68 上海日記 6日目(続)

at 2005 04/12 23:54 編集


今日は日曜なので宗派を問わず礼拝できるという「国際礼拝堂」に行く。着くとすぐにシンガポール出身だという信者が案内してくれた。中国語の聖餐会が終わり、今から英語の聖餐会が始まるそうだ。礼拝堂はゴシック様式でとても広い。これほどりっぱな教会がよく文革で破壊されずに残っていたもんだ。徐々に人が集まり、時間になると二階席までびっしりと埋まった。ざっと数えてみても800人はいるだろう。説教台でアコギにアンプをつないだ黒人青年がいきなり歌い始めた。
「主を讃えよう。主と共に歩もう。天国はわれらのもの」
スクリーンに歌詞が写し出され、800人が立ち上がって合唱する。壮観。ゴスペルではなく、何と言うかこれはアメリカン・ポップスである。感極まって全身をうち震わせながら歌う者もいるのだが、賛美歌が終わっても黒人青年はギターをつま弾きながら何かつぶやいている。ラップでも始めたのかと思ったが、よく聞くと彼はお祈りをしているのであった。周りを見るとさっきまで歌っていた信者は目を閉じて頭を垂れている。このように歌と祈りの境界線のない賛美歌が何曲か続き、中国人、白人、黒人の牧師による説教があり、再び賛美歌を歌い、二時間半におよぶコンサートじゃなかった、礼拝は終了した。信者が席を立っても黒人青年はギターをかき鳴らしながら、延々と歌っている。もう少しすると、第三部のコンサートじゃなかった、礼拝が始まるのだろう。近くにいた、上海の大学に留学中だという日本人女性に話を聞いてみた。
「以前より緩やかになったといっても、まだまだ中国ではキリスト教に対して規制がありますね。ほとんどのクリスチャンは日曜に各家庭でお祈りをしています。教会も少ないんですけど、こうやって皆と集って礼拝できるだけでも恵まれています。集会しただけでも処罰された時代もあったそうですから」
中国のクリスチャンに幸あれ。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

多くの人々が教会が関わる事柄で辛い体験をされてます。信仰の自由は素晴らしい権利ですね。それが認められてるから良い意味で霊的に過ごしたいですね。日本では信仰の自由を妨害する人は憲法違反で糾弾される。
文革とは文化大革命の略称で多くの人々が中国で辛い思いをされた時期です。
一説によると中国に本拠を持たない教会は中国では認められないという時期もあったそうです。最近では香港で多くのキリスト教徒が祝福を受けているようです。
状況が厳しいと最善を尽くすのが良い意味での関の山だと思います。
 私がバンクーバーに行った時に教会の中でリーダーシップについて語る時があり、現地のカナダ人が「シリアのア〇ド大統領や中国の習〇平国家主席についてどう考えるんだ?」と気難しい顔しながら発言してたから私は「ENEMY?(許しがたい敵?)」と発言したら左前にいたそのカナダ人が爆笑した後で左側にいた指導者らしきカナダ人も爆笑し我慢してた目の前のフィリピン人の教会員が爆笑し右側にいたカナダ人もつられて爆笑し結果的に全体が爆笑した前例がございました。日本人でも真正保守であれば色々と理解し賛同してもらえると思います。錯乱してる人は「日本の恥を世界に輸出してる。」と考えるかもしれないがそれは、真正保守ではない考えを持つ悪人の考えなので是認されないようにしてもらいたい。



NO69 上海日記 6日目(続々)

at 2005 04/20 21:50 編集

夕食をとりに南京東路へ。この上海一の繁華街に行くたびに思うのだが、中国のホントに田舎から出てきた人民がこの通りに来たら、腰を抜かさんばかりに驚くだろうな。ここだけは香港の繁華街以上だ。その南京東路にある有名なイスラム料理店に行く。羊肉のしゃぶしゃぶを食べるためだが、さすが有名店だけあって待っている人が列をなしている。われわれは31番の番号札を渡された。おれたちの前に30人もいるのか.....。待っている間にも客は次から次へとやってくる。果たして今晩はここで飯にありつけるのだろうか。せめて、この番号札をあとから来た人に5元で売りつけられないだろうかなどと考える。見ていると、面白いのが案内係の小姐だ。まだ顔に幼さが残る彼女は、一人で怒濤のごとく押しよせる客の苦情攻撃に対処している。
「いつまで待たせるんだ」
「ただ今満席ですからもう少し待ってください」
「俺はさっきから待ってんだぞ」
「席があいたら知らせますから」
「いつだ!」
「番号札渡したでしょ!」
「ねーちゃん、俺にも番号札くれ。なに! 48番だと! どうなってんだ!」
「今日は予約が多いの! ごちゃごちゃ言わずに大人しく待ってなさい!」
とまあ、このように(あくまで推測だけど)客とのバトルが展開しているのだった。日本だったら、店員は「すみません」とひたすら平身低頭だろう。私も声をかけると、「はぁ~っ?!」とおもいっきり不機嫌な顔をされた。帰国してから日本のコンビニの過剰なサービスに違和感を覚え、彼女の不機嫌な顔を懐かしく思い浮かべる今日この頃。
結局、その日はあきらめて帰った。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

前述したが少し辛い試練でしたね。夕食がこの日は食べられなかったようです。しかし、飲食店の場合は長い行列が出来ていたお店がしばらくしてから閉店したりと想像を超える出来事があったりしますね。日本では北海道を除外して羊肉はインターネット通販で購入が行えるようになりましたね。北海道では羊肉は一般的に多くの小売店で販売されてますね。但し、日本の場合は羊の飼育数が少ないから多くを輸入に頼ってるのも現実です。
リーマンショック後(平成20年以降)、不況になったと言われてる中国で未だに接客が悪いお店が存在してるのか否かについては各自でお調べください。日本でも景気が良くなると接客が悪いお店が増加する恐れはございます。不況であっても接客が悪いお店がありましたね。今回の上海日記は平成10年代に行われました。平成10年代と平成20年代は違いますよね。
 実は、私もバンクーバーでダンジネスクラブとロブスターを食べたかったが行ったお店がその日はたまたま従業員向けのパーティーの日(カナダの祝日であったから仕方ない)で営業してなかったんです。万一の時の為に第二希望や第三希望のお店の情報は前もって用意しておくことを提案します。他のシーフード料理店でそれなりの食事は行えたのは単純に喜ばないといけないであろうなぁ。もし、食事をしたければ、24時間営業してるティムホートンでドーナツ等を買えば問題は無かったから特別困りはしませんでした。多くの人が体験してるようですが、行きたかった飲食店の食事を諦めることも海外旅行の辛い出来事に含まれるようです。

皆様、次回、長文の上海日記七日目にご期待下さい。

リターンズとは「過去に発表したドリアン長野の海外旅行記を、管理人マーキュリーマークの感想文を付加した上での(事実上の)再掲載。」とお考えください。

上海日記 七日目 in 1  2017/11/20(月) 午前 0:03






紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO71 上海日記 7日目

at 2005 05/03 23:12 編集

7時半起床。空手着に着替えてホテルを飛び出し、目の前の魯迅公園に突入。入口でおばちゃんが何か叫んでいたが聞こえないふりをしてそのまま駆け抜ける。確か入園料が2元だったような気がしたが、小さいことにこだわってたらあかんで、おばちゃん! 公園にいるいる。太極拳をしているグループがあちらこちらに。その中の10人ほどの小さなグループに混ざり、見よう見まねで動きについていく。太極拳には前屈立ちとか後屈立ちとか半騎馬立ちとか、空手の立ち方が動きの流れの中に一瞬入っていて興味深い。まだまだ寒いので、皆さん着ぶくれでダルマ状態である。こちらはTシャツに空手着だけなのできつい。1時間ほどで終了。教えていたおばさんに礼を言うと、「初めてにしては上手だったよ」とお褒めの言葉をいただく。
ホテルに戻り、バイキングの朝食(3つ星以上のホテルには朝食がついているのだ)を摂る。今晩が最後の宿泊になるのでどこに泊まろうかと思案し、もう一度バンドに行くことにする。上海最後の夜は外白渡橋のたもとに建つ「上海大厦」に泊まることにした。ここは川島芳子(清朝最後の王女。満州事変、上海事変でスパイ活動を行ったとされる。東洋のマタハリ、男装の麗人と呼ばれ、大東亜戦争終結とともに逮捕、銃殺刑に処されるが、銃殺されたのは別人で日本で生き延びたという説あり)が定宿にしていたという由緒あるホテルだ。外白渡橋を上海滞在中に何度渡ったことだろう。「あしたのジョー」の丹下ジムは確か泪橋のたもとにあったはずだ。
「ジョー、いつかはこの泪橋を笑って渡るんだ」と外白渡橋を渡りながらつぶやいてみる(ちょっとバカ)。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

今回も一まとめにしたin 1でリターンズを発表します。
 この上海日記七日目はとても長いお話です。24を連想しますね。川島芳子生存説は人気が高いようですが、昭和20年代に銃殺されたという考えが一般的ではあるようです。
 2010年代になって環境破壊が進んでスモッグが日常的に発生するに至った中国ではガスマスクをしながら屋外で太極拳をしてるようですが危険なので推奨することはしません。又、繰り返すようですがこの上海日記は平成10年代の上海旅行記です。
 平成26年に中国の策略で船が取られそうになりましたね。 商船三井は貨物船が中国の裁判所に一時差し押さえられ、約40億円の供託金を支払った。サンフランシスコ講和条約は無効なのか?
 しかし、公園に入場するのに料金が必要なのであろうか?魯迅公園について軽く調べたら入園無料らしいです。私が行ってきたブリティッシュコロンビア州のスタンレーパークは入場無料でした。言うまでもなく、スタンレーパーク内の施設の入場料は有料でした。皆様が、海外において何等かの施設を利用する時において入場料等が法的に必要なら支払うようにしましょう。普段、聞き慣れない外国語で難しい説明をされても困るかもしれませんが何とか乗り越えましょう。私が行ってきたブリティッシュコロンビア州のバナクア(バンクーバー水族館)やテラス・ワールド・オブ・サイエンスでは係員から入場料について質問されたことを連想します。皮肉ながら、両施設共にジャパニーズを雇ってたから無理せず施設で雇ってる日本人従業員を依頼したら良かったかな?(笑)実際の所、受付で日本人従業員が勤務されてた訳ではなくて施設内で勤務されてました。
 もしかしたら、公園に来た人からお金を請求してた人は錯乱してる人であったかもしれません。私ばかりかホテルから空港(YVR)に送ってもらうバスの運転手さんも見たのでその話で盛り上がったのですが、ロブソン通りで道に座り込み無意味に喚いて叫んでる太った女性がいてヤバカッタのを連想しました。
 繰り返し同じような連絡をするようですが、皆様、海外旅行に行く前には前もってホテルの予約は済ませておきましょう。ホテルの予約無しで海外旅行をされることを私は推奨しません。
 海外旅行中は時差ボケの影響で現地の時間に合わせて行動することが難しくなることがございます。一般的には普段の生活よりも3時間程であれば対応は簡単と言われてますが、私が行ってきたブリティッシュコロンビア州の時差は16時間(夏時間)でしたので対応が難しかったです。ベッドも柔らかすぎて寝にくい状態が継続していて帰国後に傍目から見たら体がヘの字になってるような状態に至りました。



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO72 上海日記 7日目(続)

at 2005 05/19 22:27 編集

上海の近代的な建物やおされな通りの裏には小汚い通りがセットになっている。そこには自転車に乗った人民が大挙して暴走し、アイドリング・ストップもなんのその、信号待ちでは空吹かしでぶおんぶおんいわせ、青信号に変わるとゼロヨンレースが始まり、歩道、車道所構わず屋台や物売りがひしめいているというアジアの正しい通りがある。そこで見つけた2元ショップでお土産を見繕い、露店CD屋で1枚5元の浜○あ○みや矢井○瞳や東○事変やア○リル・ラ○ーンのCDを買う。ふっと後ろを見ると、K君が買い食いしながら屋台のおっちゃんと楽しそうに話している。彼はこんな雰囲気の場所に来るとなぜか生き生きする。
そこで便意を催したので、近くの路地に入り公衆便所を探す。この狭い十字路は全体が日常雑貨を売る市場になっている。人込みをかき分け、便所にとび込み、排便する。
「よかった~。もう少しで中国でうんこたれになるとこだった」
と立ち上がると、水が流れる。いやにタイミングよく流れるなと思っていたら、壁についているセンサーが作動していた。中国のトイレも進化したもんだと感心し、外に出るとK君が、
「日本語がすごく上手なおねえさんがいて、もう少しでパンツを買わされそうになりましたよ。ちょっと、来てみてください」
と腕を引っ張る。K君、何を考えてんだ?

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

 余りにも普通の旅行記ですね。但し、これも平成10年代であって最近とは全く様子が違ってきてるに違いないでしょう。
 実際に私はカナダのバンクーバーに行ったから言えますが、トイレに限っては海外は本当に少ないのを実感しました。日本だと店舗内のトイレを利用出来る事はあるが海外では少なかったです。万が一の時を考えホテルを後にする前にトイレの利用は不可欠です。
 化粧品の声掛け商法をしてる人はロブソン通りにいました。驚いたのは日本製だったことです。私が全然知らない会社が製造してカナダに輸出してるようです。
 私が行ってきたブリティッシュコロンビア州の表通りと裏通りも大きく違ってました。表通りは万人向けなんですが裏通りになると関係者以外は立ち入り禁止みたいに思えました。日本だと、一部の私道や行き止まりでない限りは誰でも通行が行えますけどもね。周知のように往来を妨害する罪は存在します。高さが27.4メートルのグランビル大橋を歩いてきたが本当に違った意味で恐怖でした。(笑)


いわゆる2元ショップですが日本で言う¥100ショップのようなものだそうです。今後は物価の値上がり等で経営が難しくなるかもしれません。平成10年代には営業していても今後も経営してるかどうかは不透明です。私はカナダのニューウェストミンスター市のC$1.25ショップに行ってきました。消費税が課税されて実際にはC$1.40が請求されました。(C$はカナダドルの略称)いわゆる税別価格でした。
一説には「海外でそういった一個当たりの料金が固定されてるお店に行くのは無駄では?」と考えられてますが完全否定は難しいです。私が購入したのはビニール袋と単三乾電池です。以下の画像を参考にしてください。
ビニール袋はレシートの整理に役立ちました。カナダを旅行中に万が一電池切れになると困るので思わず買ってしまいました。ホテルにコンセントがあるかないかが全く予想が出来なかったのでエネループプロの為の充電器は意図的に持って行きませんでした。どういったお店に行くか行かないかは旅行者の自由だと思います。
お店はある一定の水準を保ってるかどうかは問われますし悪いお店に行くと辛い思いをするのは周知されてます。ドリアン長野はよろしくないお店に行って苦労されたお話は後述されました。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO73 上海日記 7日目(続々)

at 2005 05/31 21:28 編集

K君に案内されて市場のまん中あたりまで行くと、われわれを目ざとく見つけたおねいさんが露店台に身を乗り出して日本語で叫ぶ。
「あんた、日本人ね。いいところ来た。パンツ買いなさい。カル○ン・クラ○ンのパンツだよ。あんただったらLサイズだね。1枚20元! とても安いね」
「とても安いねって、安くないよ。1枚10元にしなさい」
「なに、10元! 神様仏様。わたしもう首くくるね」
「おどかすんじゃないよ。高いからいらない」
「日本人お金もち、高くない。この毛沢東のTシャツ60元ね。小泉ヤスクニ行く、中国人怒るね」
「余計なこと言うんじゃないよ。これ友誼商店で50元で売ってたね。30元!」
「おー、あなた欲張り。上海物価タカイね。わたし暮らせない。首くくるね」
「わたしほんとの値段知ってるよ。欲張りあなたね。上海恐い、わたしもう来ないね」(言葉うつってる)
「なに言ってる、恐いのあなたよ。このライター買うか。80元でいいね」
と二人でわーわー言ってると、市場をうろうろしている靴磨きが集まってきた。
「あなたの靴磨く、オーケー?」
「こんなぼろぼろの靴磨いてもしゃーないやろ。ええって」
値切り倒したパンツとTシャツを抱え、手を振る。それでもやつらは
「磨かせて」
と五、六人があとをついてくる。ついてくんなっちゅうねん。帰りなさいって。磨きませんって。俺はブレーメンの音楽隊か。駆け足で逃げると一人がしつこく追いかけてきた。市場を出てもしばらくついてきたが、やっとあきらめて帰っていった。
「これ見て下さいよ」
とK君が片足を上げると靴に靴クリームがついている。
「あんなに熱心だったら磨かせてあげてもよかったですね」
K君がしみじみと言った。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

何だかこう悲しくなってきますね。商売だから少しでも売り上げと利益を計上したいのは理解するが販売方法が悪くて半ば強引だからかスーパーが中国でも利益を計上してるようです。 小泉元首相が発言される部分は平成10年代らしいですね。
皆様、明白に偽造された製品の購入は辞めるようにしておきましょう。単なる無駄使いということだけではありません。日本国内には持ち込めないと考えてもらいたいです。「偽物の製品の購入の提案はされたが購入しなかった。」といった選択は時には重要です。日本は法治国家です。
 強要とはした方ではなくされた方が判断するものです。私がカナダを旅行中に店側に限っては強要等はありませんでした。無論、それはチャイナタウンに行かなかったからかもしれません。実は治安が悪いから行かない方が良いし何もないとも言われてます。だけど、あるテレビ番組でブリティッシュコロンビア州のチャイナタウンが紹介されてたのは微妙かも?行く町の取捨選択は重要かも?
 私が真剣に困ったのは、慇懃無礼であるばかりか狡猾にカナダ旅行中に毎日フェイスブックのタイムラインに質問を書き込む人がいて大変迷惑をしました。普通は旅行中は多忙や安全面から干渉しないのが社会の常識ですがその人物はユスリが目的だったからか過剰な拘束を私に対して行ってきたから帰国後に冷静になって抗議をしましたし友人達にも連絡をしてその人物とは連絡することを辞めました。仕事で海外に行ってる人に詰問すると、偽計業務妨害に問われるに違いありません。質問内容が悪いばかりか大量で毎日であったから悪質でした。
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」
平成20年代になって発生してる問題かもしれませんが過去には海外旅行中に異国の地での試練が大きかったがこれからはインターネットを経由して海外旅行中に嫌がらせをする日本人にも警戒してください。楽しむ旅行であるにも関わらず疲れる旅行になってしまいます。悪い質問に対して返答したら、誰がその情報を得てどういった行動を取るのでしょうか?安全に関わります。従って、皆さん、過剰な干渉は辞めましょう。



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO74 上海日記 7日目(続々々)

at 2005 06/02 23:17 編集

K君がもう一度行きたいというので、文廟に行く。入口で「案内しますよ」と日本語で声をかけられた。大学で歴史を勉強しているという彼女、劉(りゅう)さんはここでガイドのバイトをしているそうだ。受付で10元の入場料を払って中へ。
「文廟は孔子を祭っています。孔子廟ともいいますね。元は最高学府、つまり大学でした」
劉さんが説明してくれる。観光客はいなくて、ひっそりしている。いや、パリから来たというバックパッカーのパリジャンがいた。一人旅で寂しそうだったのでみんなで記念写真を撮ってあげる。う~ん、シルブプレ~(適当)。
「この部屋で科挙の受験勉強しましたですね。進士というのを知ってますか? 科挙の最高の位です。進士はさらに順位をつけるために殿試という試験を受けましたんです。ここの建物は文化大革命でほとんど破壊されました。ほとんどの建築物はのちに再建されましたんです」
中国の大学生は正真正銘のエリートなので、将来国を担うという意識が強いせいか、とてもよく勉強する。劉さんもテレビの日本語講座で日本語を勉強し、まだ一年目だそうだ。最後に聞いてみた。
「毛沢東をどう思いますか」
「中国人はみなさん毛沢東を尊敬してます。私も尊敬してますですね」
さすが建国の父。腐っても鯛か。ちょっと意外だった。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

文中で述べられてた画像のデータについて私は保有して無いので発表は行えません。
中国の大学並びに大学生は本当によく勉強してるそうです。日本でも理系は別としても文科系は意見が分かれてるそうですね。共産主義について否定的な人であっても一部の中国の大学教育の水準は低くない点については否定が難しいそうです。日本の大学は研究予算が削減された前例が多いらしく一部を除外して厳しいらしいです。
ただ、中国人留学生でも日本社会に馴染めない人がいてあれこれ不平を述べてましたのでそれなりの返答を私はしました。「日本国内の悪い人だけに注目するのではなくて良い人に注目して勉強してください。そうでないと来日した意味がありませんよ。」といったような事を伝えて驚かれました。日本人も日本国内の悪い人には困ってます。日本に来る前迄は尊敬してたらしいが日本にも社会問題があって困ってるんです。
ある意味、全く逆に日本人の学生さんがブリティッシュコロンビア州のバンクーバー水族館で勤務してたのを連想しました。周知のように一部の学生は海外留学をします。色々と喋りましたね。
フランス人に出会ったら、普通にcarrefour(十字路)と発音するかFOU(狂った男性)を強調してcarreFOUrと発音するかで反応は大違いです。英語を話したがらないフランス人でも全く逆に、このジョークは好む人が多いです。国際交流の為にこういったジョークは絶対必要です。実際にはフランスに詳しい日本人は否定的だが、多くのフランス人は笑ってしまう事が多いジョークになります。言うまでもなく、フランス語に詳しい人が多いカナダ人にもこのジョークはそれなりに受けました。周知のようにケベック州民はフランス語が母国語です。ブリティッシュコロンビア州でもフランス語が頻繁に聞こえてきました。恐らくはケベコワことケベック州民に違いありません。
 中国人の前で、軽く中国語で挨拶が行えると交流が深まるとは思います。しかしながら、昨今の国際情勢等の影響で複雑な思いを抱く日本人は多いと思います。

NO75 上海日記 7日目(続々々々)

at 2005 06/13 22:51 編集

おととい行った洗足屋を探して下町をうろうろ。小さな町だけど、店が見つからなくてニ周も三周もする。夕暮れになるとあたりはすぐに暗くなる。
「ここら辺、歩いていると何だか懐かしい気持ちになりますね」
「そうやね。何度も歩いてるからこの町の路地に妙に詳しくなっちったな」
文廟の前の屋台を通り抜け、公衆便所がある四つ角をさらに真っすぐ進むと木造の崩れそうなアパート群がある。左折するとこれまた崩れそうな民家が続く。道端で野菜や肉を売っている路地を抜けると、雑貨屋や駄菓子屋の並ぶ通りに出る。西岸良平の漫画の半ズボンはいて洟をたらした子供が出てきそうだ。「狗肉」の貼り紙のある食堂(店員に聞くと売り切れだと言われた)を右折すると場違いなピンクの電飾で路地から浮いてるファンシーショップが一軒あって、ああ、あった。ここだよ。店に入ると生憎、家族で食事をしているところだったが、少し待ってから足をマッサージ。またもや中国語を教えてもらいながらたっぷり一時間。今日はぼられるかなと思っていたら、今日も15元だった。彼女たちが毎晩1時まで働くと聞いて、K君は
「え~っ、信じられない」と目を丸くしていた。
帰りにスーパーに入ると、レジのおばちゃんが、「あんたたち日本人かい。テレビで日本のドラマをよく観るよ」と話しかけてきた。
「テレビで日本語を少し覚えたよ。『バカヤロー』とか『スイマセン』とかね」(どんなドラマだ)
そのうちに仕事を放り出し、店員が集まってきた。口々に質問し始める。一人が何かをしゃべると、それを聞いてみんながどっと笑う。あ~もう、わけ分からん。上海でもここら辺まで来ると外国人が珍しいのか。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
夜間に照明があるかないかで大違いですよね。大通りや繁華街では明るくても郊外に入ると周囲が真っ暗になったりといった経験を私もしたことがあります。
それと、赴くのが少し難しい場所へ行くのには過去に一度行っても微妙に忘れていたりすることもありますよね。個人的になんですが奈良市でそういった経験をしたことが私にはありました。90年代の奈良市内は想像以上にお店が早く閉店されてました。平成20年代になってからは長時間営業してるお店も増えてきました。
 平成27年10月にブリティッシュコロンビア州のメトロバンクーバーの町を私は長時間歩いたので幾分ですが土地勘が出来たのは無形の財産だと考えたいです。
色々なお店が営業していて地図を見るとおおよその見当がつくようになったのは嬉しいですね。
 私が海外の店内で色々と話したで思い出したのは、ブルージェイズのマフラーと野球帽を買う時に文字の刺繍入れをするか否かについて質問された時です。刺繍には少しばかり時間が必要でしたがやって良かったと思います。単純に気に入ったといった部分だけではなくて文字を刺繍したから現地の酔っ払いに絡まれて私の野球帽が盗まれそうになったが文字が刺繍されてるのを見て離れていきました。防犯対策になりましたね。率直に伝えるが万が一盗んだ犯人が逮捕された後で野球帽に刺繍があるかないかでその後の展開は大違いです。いい加減な人は刺繍については否定的かもしれませんが少数の人であっても賛同してもらえると幸いです。有料だから否定する人がいるかもしれませんが防犯対策になった喜びはございます。 
もしも、裁判になったら裁判官はこういった質問を窃盗犯に対して行うのかな?「なぜ、あなたは彼の名前が刺繍された野球帽を盗んだのですか?」
 少々余談ですが、ある日電車内で子供達の為に野球帽をニューヨークで買ってきた奥さんがおられました。だいたいこんな感じでした。「子供達の為にニューヨークで野球帽を買ってきました。」「私もバンクーバーでこの野球帽を買ってきました。」で少し驚かれました。

海外旅行でフリープラン(*1)を選んだ人に限られるかもしれませんが土地勘が出来るかどうかの差異は大きいと思います。実際に歩く事によってのみ土地勘は作られます。
*1 往復の航空券(もしくは乗船券)、宿泊費のみか、空港とホテルへの送迎バスが追加される旅行代理店が行ってる募集型企画旅行の提案です。

NO76 上海日記7日目(続々々々々)

at 2005 07/06 22:41 編集

火鍋レストランで羊肉を嫌というほど食べる。それでも二人で八百円ほど。ホテルに10時帰館。ついでだからとホテル内にあるお土産ショップを覗いてみることに。すると中からちょっと藤〇朋子似のにこやかな女店員が手招きをしている。
「見るだけ、いいですよ」
と中国人にはあるまじき愛想のよさである。
「ホントに見るだけよ。何にも買わないからね」
と一応念をおす。
「いいですよ。見るだけ、大丈夫ですよ」
藤田はあくまでもにこやかである。
「このプラダのビジネスバッグ、四千円でどうですか。本物ですよ。安いですね」
「高いですね」
「高いですか。それでは三千円でどうですか」
「まだ高いですね」
「高いですか。いくらなら買いますか」
というやりとりがあって、結局そのバッグを二千円で買った。どう見てもニセモノには見えんが、原価はいくらなんだ。
「このネクタイどうですか。安いですよ」とまだ買わせようとするので、素早く退散する。
部屋に戻るとK君が「思い出にカラオケに行きましょう」と提案。なんで上海まで来てカラオケなんだと思ったが、あんなにビビってたのが生き生きとしてきたことだし、ディスコにつき合ってくれたことだしと彼について行く。ホテル内にカラオケがあったはずだ。一階のジャズバーに入ってみると、椅子に座っていた女の子がバネではじかれたようにこっちにやって来た。
「カラオケなんてないわよ。それより私たちとおしゃべりしたりダンスしたりしない?」
と言って、もう一人女の子を呼んできた。値段はドリンク代も含めて全部で百元だそうだ。何度もその値段を確認する。それでもアヤシイ。何回もぼられ倒されている私が(悪かったな!)思うんだから間違いあるまい。しかしその時は何とかなるだろうという気持ちと、どうなるんだろうという好奇心が一緒になって誘いを受けることにした。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
相変わらず馬鹿げた提案に対して人は弱いものです。私もそうですね。
それはともかく羊肉は日本での飼育数はとても少ないからオセアニアで飼育された輸入羊肉を日本では多く食べてると言われてます。
これは、旅行記として発表してますがご存じのようにニセモノは税関で没収されることがあるばかりか日本国内に持ち込むのは違法なので海外であっても購入しないようにしましょう。
 バンクーバーにてルーツという洋服店で本物のカナダ製のTシャツ(およそC$45)を買ったのを連想しました。
他にもバンクーバー水族館でCANADAと印字されたメキシコ製のTシャツ(およそC$16)も買いました。
やはり、海外では日本では余り食べない食事が行えるかどうかは問われるしTシャツは購入したいですね。皆様、必要な商品は買っても良いがニセモノは買わないようにしましょう。
 異性の誘いを受け入れるか否かですが基本的には否定して正解です。私はブリティッシュコロンビア州の初心者でした。お水を買いたい時があって船が港に到着した後で電車に乗って駅に到着してからお店迄の道を案内してくれた異性の在外邦人の助けは大きかったです。本当に助かりました。ブリティッシュコロンビア州では有名なロンドンドラッグというお店で買い物が行えるかどうかは大違いでした。

NO77 上海日記 7日目(続々々々々々)

at 2005 08/10 22:38 編集

その上海出身(自称)のミミという娘は、「休日に東京に遊びに行ったことがあるわ。大都会でびっくりした。日本、大好き。日本人も大好き」などと言う。そのうち、「私たちも踊りましょう」とフロアーに連れ出された。ものすご~ください音楽が流れている。アメリカの片田舎のカウボーイの格好をしたマスターがやっているダイナーでも今時こんな音楽はかけんだろう。こんなハワイアンバンドがアルバイトで地元のFM局の知り合いに頼まれて仕方なく急場でレコードに吹き込んだようなディスコ音楽では踊れんが、自分を殺して無理からに踊る。何だか悲しい。隣ではミミがにこやかに踊りながらも目に落ち着きがない。ますますアヤシイ。その隣では中年の日本人が二人のホステスとキャーキャー言いながら踊っている。ボックス席を見ると、K君がもう一人の大人しそうな女の子に中国語を教えてもらっている。どこまで真面目なんだ、K君。欲望にまみれた上海の夜。そこだけ静謐な空気が流れているように場違いだ。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
人それぞれ道がありますね。楽しむといっても単純にバカ騒ぎする人、嫌々ながら踊る人、落ち着いて外国語を海外で学ぶ日本人。本当に色々です。
ドリアン長野はダンスをするのが好きなようです。私は前述したように多少ですが理知的に感じる施設(バナクアとテラス・ワールド・オブ・サイエンス)に行ってきました。平成10年代には喋るだけでも試練が発生するようでした。
色々とございまして、あまりヤバイ場所には行く気が全く無いです。但し、日本と違って海外の方が物価が高い国や地域はございましてその部分はご理解しておいてください。さぁ次にどうなるのでしょうか?

NO79 上海日記 7日目(続々々々々々々)

at 2005 08/18 23:00 編集

席にもどり、ちょっとするとK君が「帰りましょう」といきなり立ち上がった。中国語会話は終わったのか、K君? ボーイが請求書を持って来た。あろうことかそれには三百元と書いてある。やっぱりな、何回もぼられ倒されている私の勘が当たったぜ(悪かったな!)。内訳を聞いてみるとドリンク代が百元、それに女の子一人にチップが百元づつだそうだ。はあ~っ? 理不尽なぼりかたをするじゃないか。ぼるのは理不尽に決まってるが、第一に中国にはチップという習慣はない。第二になんで勝手にチップの額を決めるんだ。よって、そこのこわっぱ中国人、手討ちにしてくれるわっ! そこになおれっ! 
K君が「何度も百元だと前もって確認したはずだ」と至極もっともな抗議をする。ボーイは「どういう意味だ?」とねめつけるようにして威嚇してきた。どういう意味だとう? キャ~ッ! もう辛抱たまらん、表に出やがれ、足腰立たんようにすまきにして揚子江にたたっこんでやるわ! われわれが押し問答をしていると、そいつは段々と弱気になってきて「払ってくれないとボスにその分のお金を立て替えなくちゃならないんだ」と言う。はっ、今度は泣き落しか。悪いのはいったい誰なんでしょね! 私は百元をテーブルに叩きつけてそこを出ようとしたがK君に呼び止められた。「ちょっと待ってください、ドリアンさん」「えっ?」
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
やっぱり嫌な展開になってきましたね。海外では日本の法律が通用しません。日本国内で外国人が経営してる飲食店で嫌な思いをした経験がある日本人も多いとは思われますがそれと似たようなものですというか日本人が経営していても高値をふっかけられて嫌な思いをした人もおられるかな?
チップは良いお店で良い接客をしてくれたならば、支払った方が良いとされてます。それについては各自で海外旅行案内書を読んでください。世話してくれた人がいたら、握手の時にそれとなく小銭を渡すと喜ばれます。
不条理に高値の請求については反対や否定をするのはやむを得ないにしても、チップはしないよりもした方が良い国や地域は存在していてカードの請求金額が半ば無許可で増額されるよりも良いとは思うしホテルのデポジットが返金されないよりかは良いと思います。

NO80 上海日記 7日目(続々々々々々々々)

at 2005 09/05 22:46 編集

「この人納得してないみたいなんで話し合ってみます」
ええ~っ。K君は誠実で正直(バカがつくほど)で一本木な性格だ。おちゃらけでいいかげんに生きている私とはえらい違いである。それにしても、あんなにびびりだった彼が熱心に説得している姿を見ると感無量である。でもボーイも充分反省してるみたいだしさ、めんどくさいから帰って寝ようよ。ミミは「あんたたちのせいでこの子が二百元自腹を切らなきゃならないのよ!」と喚いている。この女も逆ギレしてるし、もう帰ろうよ。彼らはしばらく話し合っていたが、やがてK君がボーイに右手を差し出した。ボーイも渋渋だがそれに応じた。若大将シリーズの加山雄三か。
部屋に戻ると彼は言った。「中国で貧しいながらも一生懸命に働いている、あの靴磨きの人たちみたいな人たちもたくさんいるのに、騙してお金を取ろうとする人間が許せなかったんです」
どこまでも生真面目で熱いK君であった。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
一応話し合って終わったみたいです。だけど、日本国内でも個人経営のお店の場合は本当に失礼な発言をする店員が勤務してるお店も現存しますからね。
時間に余裕があるかどうかもあるし無意味な議論は可能であれば避けて他の観光名所に行った方が良いとは思うが始めから疑わしいお店に行かないようにすることも重要だと私は思います。何かについて話したければ、日曜日に教会でも行って現地の教会員と会話したら良いと思います。
 3時間プログラム中にリーダーシップについて話していた教会員がいて中近東の某指導者や某共産主義国家の政治家の話をしてたから「敵(Enemy)?」と質問したら多くの教会員から爆笑されました。当初は質問をした人が笑ってました。次に私から見て左側の教会員が笑って目の前のフィリピン人(ある国の悪事で困ってます)の教会員が笑って次に右側にいたカナダ人達が抑えられずに爆笑したので回転しながら笑ってしまったような状態でした。平成27年10月の出来事ですが今でも楽しい思い出になってます。
「日本の恥を世界に輸出してる。」と考えるのではなくて「教会の教えを尊重し親睦を深める良い機会だった。」と皆様には考えてもらいたい。
 海外旅行の場合は国内旅行と違って帰国便に乗り遅れると大事ですので行動は考えてしてもらいたい。日本人同士だと怒り狂って悪い議論になると時間を浪費するが帰国便の時間を絶対に忘れてはいけません。実は現地時間ですが午後10時半を過ぎた時に日本人観光客同士がホテルの部屋の扉近辺で議論してました。そういったことから何度も「ガチャガチャ。」と金属音がしてたので抗議しました。
およそこういった具合です。私「今、午後10時半は過ぎてますよ。」知らない日本人観光客の女性「大事な話し合いをしてまして、」私「いい加減にしてください。私は明日、早いんです。午後11時迄には終わってください。」と言った後で扉を閉めて就寝しました。本当に大事な話かもしれないから譲歩はしたし議論は時には不可避かもしれないが周囲の事を考えてほしいしホテルの中であったのでWi-Fiを利用してインターネットで連絡してもらいたかったです。ホテルの従業員にこの一件を伝えると「もしもの時には電話で連絡をしてください。」と伝えられました。
 繰り返すようですが、海外では帰国便や周囲の迷惑を考えて行動してもらいたい。それは、議論も含まれます。海外旅行中は日本国内での活動では無い事を考えてもらいたい。従って、悪いお店には行かないようにしましょう。又、一緒に行く人にも良識を求めるようにしておきましょう。ま、私はブリティッシュコロンビア州の一人旅でしたけども。

上海日記最終日  2017/11/23(木) 午前 0:30


NO81上海日記最終日とNO82上海日記終の両者とマーキュリーマークの見解

2014/5/2(金) 午後 10:40 
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
今回はあえて、冒頭でも伝えさせていただきます。上海日記最終日並びに上海日記終の両者を同時に発表します。又、平成10年代の海外旅行記だということを考慮した上でお読みください。
海外では詐欺師が多いようですのでこれから海外旅行に赴かれる方はお気をつけてください。
だけど、何でも区切りというのがあるものなんですね。それを今回の海外旅行記を読んでいて再認識しました。
この海外旅行記に出てくるKさんは結婚しその後でドリアン長野も結婚しました。これも、区切りですね。
下記の中国旅行記を読まれると単純にドリアン長野は中国を好意的に考えてると思われると少し問題があるので過去の見解も同時に発表します。従って、合計4種類のドリアン長野の過去の投稿を発表します。
個人的な海外旅行であればお気楽に楽しめるかもしれない中国。だけど、「中国政府が行ってる全ての行動に対して日本人全員が肯定が行えるか?」と質問されたら積極的に反対し否定する日本人が多く出現するのが現実です。特に平成20年以降は日中友好平和条約が半ば無効になってきてます。今回は前述した伝達事項を読まれた上で下記の海外旅行記を読まれることを皆様に希望します。






紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO81 上海日記 最終日

at 2005 09/24 23:27 編集

6時半起床。今日が上海最終日である。帰国便は昼過ぎだ。気合いを入れて空手着に着替え、バンドをランニングしてから黄浦公園で太極拳をしている50人ほどの一団に加わる。遠慮して隅でやっていたが、近くのおばさんが手招きするので中心に入らせてもらう。終わるとおばさんたちがわれわれの周りにどっと集まってきた。「テコンドーだよ」とか「裸足で寒いだろう」とか口々に言うさまはまるで大阪のおばちゃんみたいである。日本の空手の技を見せてよという声に応えて、型を披露するとみんなが拍手してくれる。何だかいい気分である。我々がわいわい言っていると、夫婦とおぼしき中年の男女が日本語で話しかけてきた。
「あなた、どこから来た?」「大阪です」「おー、大阪ですか。大好きですよ。友だちたくさんいますね。みんな優しい。私は美術大学で先生をしています」と名刺を渡された。それには水墨書院理事とか山水書研究院会員とか中日文化芸術交流協会とか肩書きがゴテゴテと書いてあり、名前の前には画家とあった。「あなた、上海市長に似ていますね。市長はとても若いです」と言いながら、ハサミで私の顔の切り絵を始めた。これがまたうまいんである。この人は高名な芸術家なのかも、と思っていたら、むこうでおばさんたちが懸命に手招きしている。
「ちょっと待っててください」とおばさんたちのところへ行ってみると、私を取り囲んで一斉に何か言っている。わけが分からずに何だ何だ、どうしたんだとおろおろしていたら、一人のおばさんが紙に何かを書いて見せてくれた。それには「小心」と書いてあった。

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海外で日本の事を話してもらえると嬉しくなるし気が緩むとは思いますが中国だけは例外のようです。私はカナダのバンクーバーということもあってか毎日のように在外邦人(社会人ばかりかホテルの従業員も含む)や日本人観光客に会いました。一方で一部のカナダ人達は日本で勤務してたから非常に上手な日本語を話す人がおられ関心しました。
だが、日本語を話すといっても日本国内のように善人と悪人に大別されるようです。


実はカナダのブリティッシュコロンビア州でこの朝焼けの写真撮影をしてる時にホームレスに絡まれて余計な文句を言われてたら次に別のホームレスがやってきて議論をしてました。それから前者が離れ後者がやってきて「抗議したから50セント。」みたいなことを言われたが相手にしないで立ち去りました。私はこの海外旅行記を平成20年以前に読んだから平成27年にそうしたのかな?
今(平成20年代以降)となっては、日本人がフェイスブック等を通じて資本関係が一切ないのにも関わらずにあれこれ詰問してくるからそっちの方が深刻です。私に迷惑をかけた人は国際的にヤバイ人々に友達でもいてるかユスリの為に海外旅行中に何度も大量に悪い質問してきた恐れが高い。 
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」

NO82 上海日記 終

at 2005 10/15 00:06 編集

「小心」とはもちろんビビりのチキン野郎のことではない。注意しろ、ってことだ。なるほど、彼はバンドでも有名な詐欺師らしい。あまりの名演技にさすがの百戦錬磨(の負け犬)のこの私もあやうく騙されそうになったわい。その詐欺師兼大先生は今度はK君を相手に熱弁をふるっておられる。駆け寄ってみると既に遅し、K君は寄付の名目で10元パクられたあとだった。昨夜あんなに信念を貫いた彼だが、最後の最後に赤子の手をひねるように金を巻き上げられるとは、げに恐ろしき上海人民よ。次に詐欺師兼大先生は「上海友好のために100元寄付して下さい」とこの私にのたもうた。何で一気に十倍もふっかけるねん。欲張りすぎやで、あんた。
「財布持ってませ~ん。空手着ですからあ」と笑顔で言うと、「そうですか」と私の手から切り絵を引ったくり、風のように去っていった。
心配そうに見守っているおばさんたちの所に戻り、「老師、謝謝(ラオシー、シャヤ)」と礼を言う。最後に皆と記念写真を撮って別れた。
帰国してからK君は「中国で就職できないですかねえ」と口走ったり、中国語会話の本を買って勉強しだした。遠い目になっている。完全に中国病だ。それから間もなくK君は結婚した。何回も断られてやっと彼女にOKをもらったそうだ。彼にとっては最初から独身最後の旅のつもりだったらしい。新婚旅行は本当は北京に行きたかったけど、新婦の意を汲んでハワイにした。今でも彼と会えば、中国の話になる。実は私もかなり長い間、中国病にかかってしまった。至る所で人民の顔が思い浮かび、いちいち日本と中国のやりかたを比べてみては中国の肩を持ちたくなっちゃうんである。中国は奥が深い。(終)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

詐欺師の周囲の人々が見て見ぬふりなのはその人物が何らかの力があるからであろうか?日本では悪質な詐欺師は普通に糾弾されるに違いありません。確かに非常識な人が増えてきたから危険な時代にはなってます。
 海外旅行に行って楽しかったら、第二の故郷が出来たように思えませんか?私はそう考えます。私はカナダ旅行中に喜怒哀楽がございました。正直、辛い出来事はあったが楽しめた部分は大きかったです。私の地元には私の知る限り二店舗カナダ人が店長を務めるカナダ料理店が営業していてその両店舗にはカナダ人が多くやってくるからカナダの話で盛り上がる事は多いです。やはり、共通の体験を語れるかどうかや賛同があるかないかは親睦が深めれるかどうかに関わりますね。
 ドリアン長野とKさんは中国旅行後に中国の人々が好きになったようです。同様に私はカナダ旅行後にカナダを好きになりました。
 比較文化論を楽しめる人は多いと思います。私がカナダを旅行中に「詐欺かな?」と思ったのは本来はおいしいファラフェルを不味く調理した人々かな?ま、野菜が食べれて良かったのかな?
 皆様、中国には詐欺師が多いらしいから皆様、警戒してください。
以下は、ドリアン長野が中国に注目してるがゆえに執筆したエッセイです。


NO70 反日デモと民主主義

at 2005 04/27 22:31 編集

中国各地で反日デモが出来しているが、事件をテレビや新聞で目にするたびに私は文革を思い出しては「中国は民主主義社会である」との意を強くする。矢吹晋氏の「文化大革命」(講談社現代新書)には「スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁という大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落し、ついには大衆テロに堕落したのであった」とあるが、これは民主主義というイデオロギー以外の何物でもないではないか。文革、学生の民主化要求デモ、そして反日デモに至るまで民主主義は連綿と継承されてきた。http://amzn.asia/cJid8sU
ちょっと待たんかい、なんで民主主義社会で民主化要求デモがあんねん。それに天安門事件はどないやっちゅうねん。人民がぎょうさん殺されとるやろ。人権はどないなっとんねん。と言う人もいるに違いない。それはまだ中国が未熟な民主主義だからだ。共産主義に至る第一段階の社会主義みたいなものである。だとすれば、民主主義後進国である中国が日本やアメリカのような民主主義先進国を目指せばいいのか。もし仮にある国家が民主主義を採択し、どんどん人権思想を発揚し徹底していけば、それはファシズムにならざるをえない。何となれば、民主主義はファシズムだからである! 
「ヒトラーは(略)『民主主義の大洪水』をひき起こしたのである。これを人々はナチズム(あるいはファシズム)と呼ぶ。しかし、その正体はなにかと言えば、フランス革命以来一貫してかわらぬ、あの『抑制のないデモクラシー』にほかならないのである。(「民主主義とは何なのか」 長谷川三千子 文春新書)(*1) http://amzn.asia/eaysf2H
カンボジアでのポルポトの大虐殺は文革がなかったら起こりえなかったかもしれない。少なくとも文革に影響されたことは確かである。民主主義・人権思想の持つ、差別を撤廃し全てを均一化するという情熱はポルポトの蛮行につながっている。虐殺があったから民主主義を再検討しようということにはならない。逆に民主主義・人権思想を徹底しようということになるはずだ。中国がチベット人に対して行っているのは紛う方も無く人権侵害である。しかし人権というものは恣意的な概念であり、制度に過ぎない。フランス革命の人権宣言には「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」とある。ここに「至高の存在」とあるように、人権宣言は宗教的な儀式であった。神(もしくは神のような存在)から承認された権利(!)であり、人間に賦与されているものではないのである。人権を人類普遍の真理だとするのはまやかしであり、そうと思い込むのは錯誤でしかない。チベット人への人権侵害をやめろ、と人は言う。これは現代の人権思想への儀式を求める鬨の声なのか。全てを人権へと収束しようとする儀式への。人権を持ち出せばチベット人は救われることはない。何度でも言う、人権というのはイデオロギーだからだ。
過去、イギリスは清にヤクザ同然のやり方で戦争をしかけ、多額の賠償金、治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認と上海、広東等を開港させ香港を租借地にしたが、それに対して中国が賠償を求めたとか反英デモを行ったという話は寡聞にして知らない。これは日本への差別ではないのか。今回の反日デモは別の意味で民主主義のあり方を問うべき事件であると私は思う。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
*1 訂正 (正)長谷川三千子  (誤)長谷川三千代 ドリアン長野は著者名を間違えてました。

本当に中国から日本企業が撤退したらどうなるか?それについて考えた人が多かったみたいです。その影響で混乱が収束するかな?

NO75 「美味しんぼ」と人道主義

at 2005 06/09 18:54 編集
http://amzn.asia/ffaBRsb
「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ)91巻の第6話(“焼き”の深さ)は東西新聞の文化部に配属された記者の話である。彼はインドネシア・スマトラ沖地震に対しての民間の義捐金が少ないことに義憤し、紙面で被災者救済を直接訴えることができる政治部か社会部に転属させてくれとごねる。山岡士郎は文化の重要性を説くためにこう言う。
「ある日本人が、いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっと長い間アジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが、日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと。」
それほど文化というものは重要なものだと山岡は言うのだ。恐ろしい論理である。イギリスの上流階級に広まった喫茶のために清から大量の茶等を輸入し、その輸入超過を是正するために阿片を売りつけていたが、それを拒否した清に戦争をしかけたのがアヘン戦争だ。これはまごう方無い侵略戦争である。その後のアロー戦争も同様だ。これにより支那への支配が始まったのだが、しかしこんなことはイギリスが文化を与えたことによって免責されるのである。喫茶という貴族階級の文化を維持するためには何人もの清の人間が廃人になろうが仕方ないとでも言うのだろうか。原爆投下による大量虐殺もアメリカ文化を与えられたことによって相殺されるということになる。それならば日本による朝鮮支配もインフラや教育という文化を与えたことによって不問に付されるはずである。しかし雁屋氏は「美味しんぼ」や「日本人と天皇」(いそっぷ社http://amzn.asia/0BHSM6f)といった著作の中で滔々と日本を一方的に断罪し、他のアジア諸国を単純な被害国として描くのみである。
「美味しんぼ」76巻の「中華と中国」は支那そばという店名に憤慨する支那人の話である。支那というのは蔑称であるから中国と呼べ、というのが彼らの主張だ。実は支那というのは蔑称でも何でもなく、むしろ支那という名称を廃止せよと強要していることが日本に対する差別であるということが評論家の呉智英や支那文学者の高島俊男といった識者によって明らかにされている。この名称問題は靖国神社参拝や歴史教科書問題につながっている。以下は小泉局長と山岡の会話である。
小泉 「事は簡単だ、支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」
山岡 「おっしゃる通りです、相手がいやだと言うことはしない。これは人間同士の間でも、国と国との間でも、同じことじゃないのかな」
中国の日本に対するバッシングは国内問題から目をそらせ、人民を極端な国粋主義(ショービニスム)に転化させる政治的意図であるというのは周知の事実だ。日本は中国のサリーおばさん(Aunt Sally;年増女の木像の口にくわえさせたパイプに棒を投げて落とす遊戯。転じて不当な攻撃の的)なのだ。それであるから、中国は日本がどんなに賠償金を支払っても謝罪してもどこまでも許しはせず、口実を作って責め立てるのは明白である。中国が東シナ海という呼称がいやだからと言えば、それを改称するのか。歴史教科書は捏造であるから不快だと言えば、中国の都合のいいように書き変えるのか。チベット人の虐殺を明るみにするなと言われれば、唯々諾々と従うのか。北朝鮮が日本が拉致問題についていつまでも拘泥するのは不快だと言えば、追求するのをやめるのか。雁屋氏のアジア史に対する見解は単純で楽天的であるが、歴史観と人道主義が結びつくほど恐ろしいものはない。

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 日中間には複雑な外交が存在してる事が半ば周知されてます。在日米軍がいなければ日中友好平和条約が破壊されてるやもしれません。英国に限っては、核兵器を保有してるという部分と国連常任理事国といった部分がございます。
 中国の提案に対して日本人が安易に甘受することを是認する事は善行でしょうか?皆様でお考え下さい。
次作は実質的な最終回のビルマの休日です。

ビルマの休日 その1  2017/11/23(木) 午後 10:58



NO88 ビルマの休日 その1

at 2006 01/09 01:15 編集

ミャンマーのビザの申請書に記入していたら、「complexion」という項目があった。肌の色、である。う~ん、whiteというほど俺の顔は白くないしな。yellowには侮蔑的な意味があるし.....。自分の顔を鏡に写してしげしげと見てみた。darkというほど松崎し〇るじゃないし。「遠い夜明け」というアパルトヘイトを描いた映画で「君たちはなぜ自分たちのことをblackと呼ぶのかね。むしろbrownじゃないか」と聞く白人に対し、主人公のビーコが「あなたたち白人はなぜ自分のことをwhiteというんですか? むしろpinkだ」とやり返す場面を思い出した。アメリカだったらこんな質問には慣れているんだろうなと思いつつ、三十分考えて無難なところでwhiteと記入した。
そのビザがなかなか来ない。さすがにやきもきして、出発三日前に大使館に電話した。
「明日送ります」
ミャンマー人の職員はこう言った。まだ送ってなかったんかい。翌日になってもまだ来ない。また電話した。
「まで来てませんがっ!」
「もう出ましたから」
そば屋の出前かい、と思ったがぎりぎりには来るだろうと高を括っていた。しかし、出発当日になっても敵は沈黙したままである。その日の早朝に郵便局におもむき、「速達便は来てませんか」と聞く。
「来てませんねえ」と郵便局員。フライトは11時半だ。もう間に合わない......。がっくりと肩を落し家路につく。これは大使館のやつらの怠慢に違いない。チケット代を弁償させてやる。九時になるのを待って電話した(何回電話さすねん)。
「ビザ来てませんがっ!」
「送りましたけど。ゆうパックで」
「えっ?」
「料金が不足していたので着払いで送りました」
「あっ、そ、そうですか。どもどもども」
郵便局に確認すると確かに来ていると言う。フライトまで二時間しかない。俺はあわてて部屋を飛び出し、自転車に胯がった。10メートル走るとチェーンがはずれた。あわわ、何でこんな時に。直そうとするがあせってうまくいかない。自転車を打ち捨て、走る。バックパックをかついで走るのはつらい。すぐ息切れがする。この時ほど自分が高橋尚子だったらと願ったことはない。大通りにタクシーが停まっていた。バスを待っている暇はない。
「ハァ,ハァ、ハァ、関空までフルスピードでお願いします。そ,その前に郵便局に寄ってください」
年輩の運転手さんは猛スピードで高速道路を飛ばし、俺が乗る予定だった空港バスを追い抜いた。これでもとを取った(取ってないだろ)。タクシー代は一万円を越えてしまった。ミャンマー人の半年分の収入だ。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

実質的なドリアン長野の海外旅行記の最終回のビルマの休日です。平成18年にドリアン長野はこのビルマの休日をgoo簡単ホームページ上で執筆した後は、過去の旅行記を懐古し再編集版を幾つか発表されました。そういったこともあって、海外旅行記の順番が非常に乱雑な順不同に至ってますので整理整頓並びに私の感想を付加して実質的な再発表をしております。
このビルマの休日はドリアン長野独身時代最後の旅行記です。後に平成19年に結婚した後で平成19年の年末から平成20年の年始にかけて新婚旅行としてタイランドに赴かれました。【夏が来れば思いだす】
人によっては、「海外旅行記というよりも国内旅行記では?」と考えるようなお話だと思われます。むしろ、海外旅行に行くための準備のお話もたまには楽しんでもらえると幸いです(?) 余裕を持って海外旅行の準備は事前に用意しておくのが最善だと思います。 事前は次善に非ず。私も自転車のチェーンが外れた事が平成20年代にありました。今(平成29年現在)となっては平成18年は随分前の出来事になってます。
結局、経済発展が行われてる国か否かは時間を重要視するか否かにも関わってきます。
昨今、ミャンマーは治安の悪化等もあって政情不安定です。又、平成19年9月27日、APF通信社長井健司反政府デモ(サフラン革命)の取材中に射殺された。皆様に対してミャンマー旅行に行くか否かについて推奨するかどうかですが、やはり、推奨は難しく行えません。
皆さんが海外旅行に行かれるのは自由ですが、前もって準備をしないといけない国は数多いです。従って、インターネットで各国の情報を収集するだけでなく海外旅行案内書等を読んで最新情報を集めビザの所得等については前もって余裕を持って行動されることを推奨します。私が行ってきたカナダは平成27年にはビザなし渡航が行えましたが平成28年以降には行えなくなりました。
https://www.canada.ca/en/immigration-refugees-citizenship/services/visit-canada/eta/apply-ja.html
TPP11が機能するとそうではなくなるかもしれません。皆様、国際情勢や海外政府の方針は頻繁に変更されるので前述したように最新の情報を得るようにしてください。そうでないと、楽しめる海外旅行が楽しめない海外旅行に至ってしまいます。
 実際の所、海外旅行をするには国内旅行を済ませないと行えない人は多いかもしれません。なぜならば、平成20年以降はインターネット上の商品を買う人が増えてるとは言えども海外旅行代理店に赴く以前にパスポートやビザの所得の為の行動ばかりか自宅から国際空港への移動の為に費やす行動は国内旅行のようなものだからです。半ば周知されてるが47都道府県全てに国際空港が存在してるであろうか?自衛隊の基地は除外するとして京都府、奈良県、滋賀県、山梨県、埼玉県、群馬県、栃木県、岐阜県、神奈川県、三重県の10府県には空港が存在しません。900万人以上の人口を有する町である神奈川県には空港が無いので驚きです。
羽田空港、成田国際空港、関西国際空港、中部国際空港、新千歳空港、福岡空港を除外すると国際線が存在してる空港であっても発着数の規模が少ないことから国際空港とは言い難いです。世の中には隣県に行くことが国内旅行と考える人は多いかもしれない。
 私はカナダに行くためにそれなりの国内旅行をしましたが、ドリアン長野は長距離の国内旅行をしないでミャンマーに行った事になるのかな? 皆様、本当に海外旅行に行くならば前もって準備しておいてください。今回の海外旅行記はたまたま成功したお話だと考えてもらって構いません。私は実際にカナダに出発する40日以上前にはパスポートを所得し海外旅行代理店へ赴き支払い等を済ませました。

ビルマの休日 その2  2017/11/23(木) 午後 11:05



NO89 ビルマの休日 その2

at 2006 01/11 23:23 編集

ミャンマーは軍事政権だ。入国審査に手間どるんじゃないだろうか。大使館のやつらが年末のやっつけ仕事で作成した(偏見)ビザに不備があり、係員にちょっとこちらまでと別室に連れていかれ袖の下を渡せば今回は特別に入国させてやると言われるがそれを拒否したらお前は不審人物だから持ち物を改めるとバックパックを調べられて持っていたスーチーさんの著作を見つけられてお前は反体制派かと軍の上層部に連絡されおまけにパスパートにはさんでいたカンボジアでたわむれに取ったメディアパスまで見つけられてお前はジャーナリストだなとあらぬ嫌疑をかけられ監禁され三日三晩不眠不休で取り調べを受けたあげく罰金三百ドルを徴収された上にもう二度とミャンマーには入国いたしませんと誓約書を書かされてやっと釈放されたということは全くなくあっけなく入国できた。
タクシーで市内に向かう。乾いた日射しと土埃が車窓から入ってくる。ロンジーをはいた人々が歩いている。何てのびのびとゆったりと歩いているんだろう。服装も質素だが清潔だ。貧しいかもしれないが、誰もが満たされているような顔つきだ。この印象は滞在中、一度も変わることがなかった。
ヤンゴンでの第一泊は京都でいえば京都タワーのような、街歩きのときの目印になるスーレーパゴダの目の前のゲストハウスに泊まることにした。パゴダというのは黄金の仏塔でミャンマー人の篤き信仰の対象となっている。早朝から夜遅くまでひっきりなしに参拝者が訪れ、瞑想したりお祈りしたりしている。市内でもいくつかパゴダがあるが、中でもスーレーパゴダはここを中心に市街が設計されたというありがたいパゴダである。日中はもちろんきんきらきんに輝いているが、夜になればなったでライトアップされ、何か所かある入口はまるでキャバレーの呼び込みのようである。(続く)



紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 周知のように、ビルマの休日も長編です。後に幾つかまとめて発表します。
 前半部分は完全にオチャラケてるばかりか多くの人々から笑いを誘う為の文章です。失笑かも?

 平成29年12月現在、実際に私が行った海外はカナダのみですが入国審査は少々怖かったのを連想しました。Eチケット等を見せて円滑に進んだが飛行機の長旅で疲れてたのは言うまでもない事です。関空からYVRことバンクーバー国際空港に到着する迄には長時間必要でした。自宅の玄関を後にしてからホテルの部屋に到着する迄、10時間以上は緊張しながら過ごしてましたし日本時間の午前3時を過ぎていても寝れなかったんです。日本とカナダのバンクーバーとの時差は16時間。飛行機だけでも日本時間の夕方4時25分から現地時間午前10時迄(日本時間午前2時)の直行便でした。そして、YVRの入国審査が終わった後は予約した送迎バスの迎えの運転手がやってきてましたが、成田便の人々を待ってましたので待機は必要でした。
 タクシーは万が一の事があるとイヤなので私は利用しませんでした。 ミャンマーは経済発展が進展したから平成10年代と平成20年代は大違いに至ったようで空港が新設されたそうです。次は空港連絡鉄道が建設されるかな?空港連絡鉄道の利用が行えるか否かが国の発展の目安かもしれません。

 町の雰囲気を想像しながら海外旅行記を読むことは楽しいですね。ただ、宗教施設とキャバレーとは全くの別物です。念のため。
世界最大の軍事国家の米国の方がミャンマーよりも入国審査は厳しいようです。 海外の一部の国では、プレゼントが必要と言われてますね。 
この旅行記は平成18年のミャンマー旅行記のようですので平成19年以降のミャンマー国内の混乱とは無縁という点は強調しておきます。

竹原ピストル 平成29年11月  2017/11/26(日) 午前 8:16


竹原ピストル
「youth こいつのお陰でこの僕がいる。こいつのせいでこんな僕がいる」
17歳のとき、セックスピストルズと三島由紀夫に夢中だった。56歳の今、竹原ピストルを聴いて昔から僕は変わってないなと思う。
「よー、そこの若いの
俺の言うことをきいてくれ
俺を含め、誰の言うことも聞くなよ」
夢中だった。夢中なものがあった。20歳代の若者は50歳になった自分を想像することは出来ない。いや、それでいいのだ。
「トンネルを抜けた先には、きっとただトンネルを抜けた先があるだけだよ。
へっちゃらさ、ベイビー」
たとえば、竹原ピストルを聴いて心を動かされる人とは友人になれそうな気がする。

ちなみに11月25日は三島由紀夫の命日です。 三島由紀夫のSF作品は非常に珍しいですよね。
藤子不二雄のSF短編集は珠玉の作品があります。僕も大好きで今も持ってます。そのフレーズは散文的でなく、直接的なストレートな言い方で心に刺さってきますね。
「とかく忘れてしまいがちだけど
とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば芸能人やスポーツ選手やらが特別あからさまなだけで
必死じゃない大人なんていないのさ」
僕もこの言葉を忘れないです。



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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花