2019年9月5日木曜日

平成30年に参加した福知山マラソン



ランニングを始めて1年足らずの時、何とか10キロを走れるようになり、2016年に堺シティマラソン10キロ男子マスターズにエントリーした。
実はその時が空前のマラソンブームだということも知らなくて、体力にも自信があり、45歳以上のマスターズなら上位に行けるだろうという今なら赤面ものの自信があった。
当日会場に行って驚いた。すごい人である。マスターズだけで2500人が走るらしい。コースは古墳周辺を二回周回する。
走り始めて自己練習と大会ではこんなに違うのか、と思った。とにかく苦しい。 一回目の周回で傾斜のあるコースを喘ぎながら走っていると、後方の大会役員から
「先頭の人が通るのでコースをあけてください!」とのアナウンス。
周囲の人から口々に「え、どういうこと?」と声が上がった。 自分も含めて意味はわかるのだが、理解できない、ということだろう。 冷静に考えれば我々が一周目を走っているときに既に二周目を走りゴールに向かっているということだ。
その男性は猛スピードで一陣の風のように我々を抜き去り、一瞬にして我々の視界から消えた。
あとからわかったが、その人が森下さんだった。

森下さんはぶっちぎりで優勝した。当時54歳のタイムは34分。一般男性コースの優勝者が32分だからどれだけ早いかがわかると思う。 ちなみに僕のその時のタイムは56分。 それから8か月後に出した10キロ50分48秒が自己ベストだが、2年経った今でも悲願の49分台は出ない。
森下さんは何回もフルマラソンにエントリーして、サブスリーを出している。事故に遭いリハビリをしながらも今年の神戸マラソンで56歳でサブスリーを記録されている。
マラソンでよく言われるサブスリーとかサブフォーという称号、それはマラソンランナーにとっての誇るべき輝かしい目標である。

フルマラソンを完走したランナーがまず目標とするのがサブフォー、3時間59分59秒以下という4時間切りである。全市民ランナーの3割しか達成できないという。
テレビで観る一流ランナーが2時間台で完走するので4時間はかなり遅い感があるが、5時間で完走できる人は日常的に練習している人である。サブフォーとなると一流アスリートでも難しい。例えばボクサーはロードワークで常に走っていて、スタミナは素晴らしいものがあるが、大半は10キロ前後でありサブフォーは難しい(これはランナーよりボクサーが劣っているということではなく、方向性が違うだけである)。
そしてサブフォーを達成したランナーの次の目標がサブスリーであるが、全市民ランナーの上位3パーセントしか到達できない。
まさにサブスリーという称号は全ランナーの憧れである。

世界記録を見ると、最年少では1978年に9歳のアメリカ人少年が2時間56分で走っている。この記録は40年経った今も破られていない。最年長では73歳でカナダ人が2時間54分、年齢別最年長世界記録は保坂好久さんが61歳の時の2時間38分。50代でマラソンを始めた保坂さんは58歳で2時間45分の記録を出している。

著名人のサブスリー達成者を何人か挙げてみると

間寛平 3時間8分
ジョーストラマー(パンクバンド「Clash」のボーカリスト) 3時間20分
村上春樹 3時間31秒
東国原英夫 3時間6分

現在世界最速記録はケニア人の2時間1分という驚くべき記録である。人類が2時間切りに到達できるのも夢ではないが、あと何年もかかるだろう。


二年振り、二度目のフルマラソンの福知山マラソン。
雨が降っていたが、スタート10分前には快晴になった。緊張してスタート地点に立つ。
娘が「まけるなよ」とハイタッチをする。と言っても自分にとってはミドルタッチだが(笑)。
スタート地点は完走目標時間を自己申請して決まる。僕は4時間50分としたのでAからG地点最後尾のGだ。今大会は8006人が出走したそうだ。
10時半にスタート。集団がゆっくりと動き始めた。1キロくらいまでは7分台のジョギング程度のペースだ。沿道ではランナーの家族や福知山市民が応援している。

時間があれば走った、筋トレもした。苦しかった練習を思い出して込み上げるものがある。

裸足で走っているランナーが何人かいた。マリオのコスプレで走っている人がいたが、驚いたのは赤ふんどしで走っている人がいたこと。もっと驚いたのは一本高下駄で走っている人がいた!
完走できるように折り返し地点まではペースを押さえて走ろうと決めていた。10キロで仮設トイレに並ぶ。ここで5分のロス。はやる気持ちを抑えて走り、ゆっくりと集団に追いつく。
早くも15キロ地点で折り返したトップランナーとすれ違う。次々と折り返す一人一人の顔を見ながら、心から感動する。
すごい、すごいなあ。みんな、かなり練習したんだろうなあ。最も感動したのは70代のおばあさんを見た時だ。

折り返し地点まですごく長く感じる。やっと24キロで折り返し地点。ここから徐々にスピードを上げていこう。

タイムではなく、完走するためにセーブしていた力を徐々に解放していく。
前にいるランナーを次々と抜いていく。抜こうという意識は毛頭ない。ただ普段の練習で走っているペースを出すだけだ。坂道では歩いているランナーが多くいる。その脇をゆっくりと走り抜ける。30キロ地点まで来た。二週間前の練習ではふくらはぎの痛みで30キロでリタイアしたが、毎日のカーフレイズのおかげで痛みはない。確信した、完走できる。しかし32キロからが苦しかった。苦しみに耐え、37キロまで来た。あと5キロもあるのか。わずか5キロが永遠の道のりに思える。もう歩いてしまおうか。ここまでよく頑張ったじゃないか。

いや、娘が言った「負けるなよ」という言葉を思い出す。負けるなよ、というのは自分に負けるなという言葉ではないのか。
ここで歩いたら自分に負けるような気がする。「負けるなよ」心の中で何度もつぶやく。「負けるなよ、負けるなよ」
40キロ到達。あと2キロか。もう500人以上のランナーを抜いている。それでもゴールは遠い。目の前には1キロ先までランナーが数珠つなぎになって走っている。その先はカーブになっていてゴールが見えない。
フルマラソンとはなんと過酷な競技か。
ゴールの見える直接距離まで来た。ゆるい坂道になっている。最後に力を振り絞る。本当に心臓が止まると思った。坂道を駆け上がり、何人かを抜いた。もう走らなくていい。ゴール。
タイムは二年前よりわずか2分早かった4時間57分。あんなに頑張って2分か。でも気分は最高だ。
ざまあみろ、自分に負けなかったぞ!と叫びたいくらいだ。
義弟も今大会に出場し、大学時代に陸上を始めて21年目、3時間57分の初のサブフォー達成だ。

今大会で川内三兄弟の鮮輝選手が優勝。これで歴代の福知山マラソンで三兄弟が全員優勝の偉業を達成した。

(励ましの連絡についての返答)
ありがとうございます😊
あの言葉がなかったら5時間超えてたかもしれません。^^;
太腿筋にかなり来てます。

娘のおかげです。
あとで娘に聞いたら、負けるなよというのはビリになるなよという意味だと言ってました。

(練習量についての質問についての返答)
土曜日と祝日しか走れないので、一か月で30〜80キロくらいです。

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

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