オリエンタル・ホテル
一応は、第一話です。皆さん、置時計は日本国内で普通に買いましょう。
テーメー・カフェ
海外の喫茶店に行きましたか?
カトゥーイ
パリンヤーさんのお話も含まれてるタイランド旅行記です。
バンコクのディスコ
海外の危険地帯は存在する。バーガーキングは良くてもなぁ。
クロントゥーイ市場
海外の食品市場に赴かれた事はございますか?
スワニー
「ジュライロータリー(7月22日ロータリー)。」という言葉を始めて知った時は驚きました。
バンコクの魅力
バンコクに限っては、のんびり出来るようです。
大都会バンコク
成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。
カオサンの大晦日
日本とタイランドとの時差は二時間で日本の正午はタイランドの午前10時。
夏が来れば思いだす
ドリアン長野が結婚した後で行ったバンコク(タイの首都)の旅行記で実質的な最終話です。
ドリアン長野のタイランド旅行記
NO1 オリエンタル・ホテル
オリエンタル・ホテルに泊まった。あの世界一という栄誉を冠せられるオリエンタルである。私がカオサンでよく泊まっていたサイアム・オリエンタルじゃないぞ。シャングリラもペニンシュラもリージェントも頭が高い! ひかえおろ~う! 正真正銘、一番安い部屋でも310米ドルもするビンボー人には絶対泊れん、あのオリエンタルじゃい! ハァ、ハァ、ハァ。(肩で息をする音)同行の友人(アジア旅行は初めて)が宿泊代を出してくれるというのだから私に異存はない。これは泊まらないわけにはいくまい。いや、泊まりたい。是非泊まらせてくれ、お願いだ。オリエンタルにはスイカジュースを飲みに行ったことがあるが、まずくて冷えてないわりに200バーツもしたぞ。どうなってんだ? ちなみに私がバンコクで一番好きなホテルは知る人はよく知ってる、あのグレース・ホテルだ。この前、昼過ぎにチェックインしようとしたら満室だからと断られた。フロントのおばちゃんに近くにもっと安いホテルがあるからそこへ行けといわれたが、ここがいいと駄々をこねたらパスポートを預かっとく、6時頃もう一度来いやと言われ、やっと泊まることができた。その際、押し合いへし合いするフロントに割り込もうとしたアラブ人にフロントのおねいさんが 「みんな順番守ってんだからちゃんと並んで待ってなさい!」 とものすごい剣幕で怒鳴っていた。幼稚園児のようなアラブ人もアラブ人だが、客にそこまでいうか、ふつう。とにかくこのホテルはあやしい。アラブ人のおっさんがタイの少年二人をつれて部屋に入っていくのを見たことがあるし、隣の部屋から苦しそうなあえぎ声が聞こえてきたこともある。(何してんだ?)ロビーには売春婦とアラブ人が、てめえらここのソファーで夜をあかしてんだろ、と思うほどいつでもたむろしている。一階の卓球台では黒人がいつも卓球やってるし。(まっ、健全)ここにはディスコが二つあるが、一階のディスコは中近東風の音楽でみんな踊りまくっている。いっぺんだけ行ってみたことがあるが、ついていけん。あのリズムでどうやって踊ればいいんじゃ~い。それに比べて地下にあるディスコはまともだ。(まともか?)毎晩(たぶん)、売春婦をつれて朝の二時まで踊り狂うアラブ人。熱い、熱すぎるぞ。マーブンクロンで黒のアメリカンスーツ(笑)を買った時なんざあ、ホテルの近くのアラブ人街をうろつき、見せつけてやった。我ながらアホやぁ~っ、ワシって。その時、黒人の二人連れが近づいてきて 「おれたちアフリカの○○○○出身(国の名前は忘れた)なんだけど今度、日本で働きたいんだ」 と言うのだ。あわてて「こっ、これから友だちに会いに行かなきゃならないし、明日は朝一番の便で日本に帰らなくちゃならなくて時間がなくて」 とかいって逃げてきた。そんなことはどうでもいいのだが、オリエンタルにチェックインした時は私もようやくゲスト.ハウスからここまで登りつめたのだと感慨深いものがあった。(人の金だけど)
さすがオリエンタル、部屋もさることながらホスピタリティつうのか、一人一人の客の顔と名前を覚えてくれて至れり尽せりのサービスである。そんでもって立食形式のレセプションパーティーに招待されたのだが、そこにいた女子大生の二人連れ! 聞くと、バンコク滞在中の4日間はず~っとオリエンタルに泊まるとぬかすではないかっ! タイは初めてだからオリエンタルだと安心だと思ったからだとぉっ! ワシでさえ一泊なのに。(人の金で)学生やったら、安宿に泊まらんかいっ! とぶっちしたんだけど(内心ね)、気をとり直してその夜はオカマショーの「マンボ」に行くことになった。ショーがはねたあと、せっかくオリエンタルに宿泊してるんだからと出演者をホテルの部屋に招待することにした。そのむねを小太りのマネージャーに伝えると、「オリエンタルはドレスコードが厳しいから入れてもらえないかもしれませんよ」というではないか。出演者のカマー(オカマのことね)も「あら~ん、あんな高級ホテル、大丈夫なの? あなた保証する?」などという。どうにかなるだろっと九人のカマーを三台のタクシーに押し込み、ホテルに向かった。結果はホテル・マネージャーに頼みこんで、部屋は駄目だがガーデンならいいということになった。ホテルが氷やグラスを用意してくれてわれわれは宴会を始めたのだが、いや~さすが世界一のホテルといわれるだけのことはある。さすが鷹揚やね。チャオプラヤー川の夜風に吹かれながらの宴会は最高でしたっす! とここまではよかったんだけど、実は大きな声じゃあいえないけどさ、部屋にあったセイコーの置き時計をカバンに入れて持って帰ったのよね。チェックアウトの時になんにも言われなかったから、しめしめって感じで。ところが一か月後にホテルから請求書がきた。時計が紛失していたのでクレジットカードからその代金を引き落とさせていただきますってな。それがなんで2000バーツになるんじゃい! 何の変哲もないただのちっこい時計やないかい! 世界一にしてはせこくないか! もしかしたらボッてるんちゃうんかい、オリエンタル! ふざけんじゃね~! って悪いのはオレか。よい子のみんなはお持ち帰りはスリッパか歯磨きセットまでにしときましょうね。(泣)
NO2 テーメー・カフェ
2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。その看板に書かれていた文字を読んで私は思わず息を飲んだのであった。「テーメー・コーヒーハウス」 思えばこれがテーメーに集う怪しくもしたたかな人々と私とのハートウオーミングな交流の始まりであった(嘘)。ここがテーメーかぁ~。私がその名を知ったのはクーロン黒沢氏の「バンコク電脳地獄マーケット」という本だ。その名も世界最強の援交カフェ。ジャングルの奥地でアンコールワットを発見した時のフランス人探検家の心境もかくやであったであろう。地下へと降りる私の心拍数は200ぐらいになっていた。この扉の向こうにはいかなる世界が待っているのか。めくるめく、快楽のバビロンか、はたまた魑魅魍魎の棲むブラックホールか。神様、私をお助けください。お母さん、先立つ不孝をお許しくださいっ。ええいっ、ままよっ、ぱぱよっ。 ............店内は薄暗く、楕円形のカウンターを取り巻くようにボックス席があり異様とも思える男女がゴキブリのように密集している。私の頭の中にはワイドショーでお馴染みの「24時間潜入ルポ、私は見た! バンコクの黒い援交カフェの実態!!」という言葉が浮かんだ。店内の人たちの刺すような視線が痛い。これって場違いってことじゃあ......。バカヤロー、ふざけんな~、べらんめ~、こちとら江戸っ子で~い(嘘)。矢でも原爆でも持ってきやがれってんだい。.....という言葉とは裏腹に店内を一周した私たちは異様な雰囲気に恐れをなし、そそくさとテーメーをあとにしたのであった。しかし、気になる。ここで引き下がってはジャーナリストとしての使命は果たせん。(誰がっ?!)私たちは再び潜入を試みた。暗い店内を今度はゆっくりと観察するように歩く。女はタイ人かアラブ人、男は白人と日本人らしき人がちらほら.....。ピーター・バラカン似の男と目が合い、その男が話しかけてきた。「僕はアメリカ人だけど、韓国で働いてて、休暇になるとここに遊びに来るんだ。ところで、彼女のカメラ危ないよ」と友人を指差す。彼女は首からカメラをぶら下げていたのだった。「この前、店内で写真を写したヤツが袋だたきになったからね」なっ、なんだあ~? 刺すような視線はそのせいか。そういやあ、その昔、西成暴動の写真を撮ってたらいつのまにか100人くらいの労働者に囲まれ、殺されるかと思ったもんなぁ~、と往事を偲びつつ(偲ぶなよ)、再びテーメーをあとにしたのだった。
半年後、私は別の友人とテーメーにいた。人生はどこで何が起きるか分からんもんである。っていうか、常夜灯に群がる蛾のように怪しい人間は怪しい場所を好むもんである。あいかわらず満員電車なみのゴキブリの群れだ。カウンターに座ると、ぬらりひょんのようにどこからともなくウエイターが現われたので、50バーツで飲み物を注文する。一旦、注文すれば朝までねばってもノー・プロブレム。援交相手に何時間くっちゃべっててもOKだ。これってマニアにはめちゃくちゃおいしいんじゃないのかしら、オホホ(私にはよく分からんが)。
その時、友人(34歳。離婚2か月目)がすくっと立ち上がってこう言ったのである。「私、客がつくかどうか試してみるわ」。 (続く)
NO3 続テーメー・カフェ
<前回までのあらすじ>
天使の街、バンコク。ここに世界最強のコーヒー・ショップがあると聞いた「私」は現地に赴いた。そこであやうく生命の危機にさらされたが、すんでの所で窮地を脱する。臥薪嘗胆で知力、体力を充電した「私」は再びバンコクへ飛ぶ。果たして「テーメー」の黒い野望を阻止し、打ち砕くことができるのであろうか。雌雄を争う戦いが今まさに始まろうとしていた......。
「私、客がつくかどうか試してみるわ」こう言うと彼女はボックス席に移った。一人になると隣のおばちゃんが話しかけてきた。ふくよか、というよりも太った近所のおばちゃんという感じだ。名前を教えられたが覚えてないので風貌を思い出し、麻原彰子とする。「イサーンからバンコクに出てきて家族6人、アパートのせっまい部屋に住んでるんだよ。ビンボーは嫌だね。仕事は楽じゃないし。あたしも43だからね、もうおばあさんだよ」と彰子さんは切々と訴えるのである。そうか、肉体労働はきついだろう、っていう前に出動要請があるのか? おばちゃん。ボックス席の友人を見ると、すでに白人となにやら話しこんでいる。ここは入れ食い状態なのか? 何を話してるのか気になるぞ。こっちはこっちで入れ代わり立ち代わりタイ人が話しかけてくる。彰子さんが言うには、みんなイサーン出身の仲間なんだそうだ。(調子にのってマーブンクロンで作った名刺をばらまいたが、大丈夫か? )その中の一人は「私はいろんな人と話すのが好きだし、英語も勉強できるからテーメーに来てるの」と遠い目をして言った。(そっ、そうなのか? よく知らんがそれは違うと思うぞ。ひょっとしてエイ○に脳が犯されているのか?)そのうち、友人がもどってきた。「あの人、イギリス人なんだって。なんだかインテリっぽくてさ、この国の教育問題とかを熱く語ってきてん」 何い~っ、教育問題だとぉ~。そんな話ならタマサート大学でも行って、学生とでもしやがれっ。偽善者め。ここは黒いテーメーやぞっ。テーメーにインテリなんぞ、時間厳守のタイ人やお金に淡白なインド人やプレイボーイのラオス人と同じくらいおらんのじゃー!(偏見か? しかし頼むからワシの思い入れを壊さんでくれ~い。テーメーはいつまでも黒いテーメーであって欲しいんじゃ~い)
「あんた、どこのホテルに泊まってんだい?」いきなり彰子さんが聞いてきた。「あの....グレースですけど.....」 「部屋でマッサージしてあげるよ。ルームナンバーは?」 「いっ、いや、今日は友だちも一緒だし、あっ、そうだ、明日もう一度来るから、その時に.....」 「それじゃあ、待ってるよ」 すまん、おばちゃん。我々は明日の昼過ぎの便で帰国してしまうのだ。いくら待ってても来ないぞ。私は心の中でおばちゃんに手を合わせた。今度バンコクに来た時はテーメーに寄らせてもらうぞ。マッサージは受けないけどな。おばちゃんをよく見ると、慈母のごとく見えんでもない。その長い人生にはつらい出来事もたくさんあっただろう。我々は二人がかりでおばちゃんの肩を揉んでやった。誰かテーメーに行ったら、彰子おばちゃんの肩でもマッサージしてやってくれ。喜ぶぞ。マッサージを受けたら、もっと喜ぶと思うけどな。
#7 テーメーその2
予算の都合で、いつも泊まる「グレース・ホテル」ではなく、近くにあるソイ1の「ストリート1・ロッジ」に泊まった。それでもツインで550バーツだ。私の感覚では500バーツを超えると立派な高級ホテルだ。しばし、宿泊するかどうか迷う。それでもここはレセプションの兄ちゃんの愛想がいいのでお薦めだ。ホテルに戻ってきた時、「あけましておめでとうございます」と言われた。日本人の宿泊客に教わったらしい。「地球の歩き方」に載っているので日本人が多いらしい。まっ、私もそれを読んで泊まったんだけど。
ホテルの近くの歩道橋のたもとにゴミ捨て場があるんだけど、その隣にホームレスが座って、物乞いをしてるわけさ。もう、よく見ないとゴミだか人だか分からないって感じ。そこへアラブ人のオジさんが通りがかりに「ライス、ライス」と言いながら、紙袋を置いていった。私はちょっと感動したね。いいことをしてやる、って態度じゃなくて、ごく自然な感じだったもんね。なるほどっ、それがイスラム教のいう、喜捨ってやつだなっ!アラブ人にもいい人はいるんだなとシミジミ.....。言っとくけどな、これって偏見ちゃうぞ。グレースにいるアラブ人を見てると、みんな悪人に見えてくるんじゃ~い。(顔も暑苦しいしな) それが偏見だと言われると返す言葉もないがな。とにかく心暖まる、いい話しだ。うん、うん.....。って、今回はそういう話じゃな~いっ! 性懲りもなく、テーメーネタ第二弾だっ! 全然、心暖まらないぞ。当たり前だがな。
テーメーに入ると、私は空いている席を探してカウンターに座った。横を見ると、黒ずくめのおばあさんが座っている(注:バンコクでは、その方面の職業婦人の方の服装は黒です)。
う~ん、この人はまさか.....。いぶかし気に見ていると、彼女が話しかけてきた。 「あんた、どこから来たんだい?」 「日本です」 「日本人かい。それなら、ほら、あそこに座っているスズキはもう何年も前からずっと、ここに通っているよ」
我々のななめ後ろのソファーには、何人もの娼婦を侍らせた、スズキと呼ばれた男が座っていた。常連か。スズキ、エイズで死ぬなよ。
「あたしはスージーだ」 すっ、すうじい~? 「客はとらないよ。客のくれるチップで生活してるのさ」 なるほど、納得。で、失礼ながらお年を聞いてみたが、「あんた、そんなこと、こんな場所で聞くもんじゃないよ」と一蹴されてしまった。すんまそん。だが、おそらく70代であろう。スージーはテーメーの最長老であり、娼婦からはママと慕われ、頼りにされるボス的存在であった。スージー、あんたに出会えて光栄だ。私は思わず名刺を渡してしまったくらいだ。スージーは顔見知りの白人がやって来ると急いで駆け寄り、話しかけたり、ビールの注文を取ってきたりしていた。酔っぱらって大声でしゃべる客の相手もしていた。スージー、生きていくってのは大変だなぁ。やがて、女の子が隣に座り、笑いかけてきた。
「私、クンっていうの。アユタヤから来たの」 すかさずスージーが口を挟む。 「その娘はグッドだよ。ベリー・グッドだ」 あんたは商品の売り込みまですんのか? これ以上、長居しているとむりやり売りつけられそうだったので、そそくさと退散した。それにしても、私もいつかスズキみたいに言われてみたいもんだ。 「あの日本人、常連だよ。テーメーじゃあ、知らない者はいないね。初めて会ったのはあたしが70の頃だったね」ってな。それまでスージー、長生きしろよっ。なんだかんだ言っても結局、最後は心暖まる話になっちゃったな。(なわけねーだろっ!)
#4 カトゥーイ
私はカトゥーイが好きである。とはいっても女よりも男に性的興味があるという意味ではない。中島らもが額に「犬」と入れ墨を彫ったり、鼻に安全ピンをぶらさげたパンクスは「俺、もう後戻りできんもんね。もうどうなっちゃってもいいもんね」というある種の社会性を放棄した意志を表明している、という意味のことを書いていた。カトゥーイも性転換なんかしちゃったら後戻りできんのである。いや性転換なんかしなくてもカマーとして生きていくにはいくらカマーに寛大なタイ社会でもそれなりの気苦労や不便さがなくはないとはいえないこともないかもしれんような気がしないでもない。私はその、人生は私が主役だもんね、欲望には結局勝てないんだもんね、みたいな気持ちが好きなんである。オカマ・ボクサーのパリンヤーも結構、強かったのに性転換手術をして引退してしまった。私はパリちゃんのファンだったのに。日本に来て試合をした時、試合終了後にパリちゃんが対戦相手にチュー(死語?)をした。それを見て私はファンになったのだ。パリちゃんの勇姿をテレビや「格闘技通信」で見られなくなったのは悲しい。そういえば、友人のカトゥーイのレックは元ムエタイ・ボクサーだった。シャープな顔だちの美人だが、時々眉間にしわを寄せて男になる。ボクサーからカトゥーイへの転身ってのはあんまり多くないと思う。たとえてみれば、力士がオカマになったようなもんか?(やっぱり違うか)レックも対戦相手に胸をときめかせたりしたんだろうか。でも、「マンボ」のコミック・ショーのカマー(外見はまるっきり男)は「僕の彼女は日本人の女の子なの」って言ってたなあ。「男と女、どっち好き?」って聞いたら、「どっちも」としゃらっと答えた。きさま、バイセクシャルだったんか~い。というわけで人間の嗜好なんてえのはよく分かりません。
街を歩いていてきれいな女の人に出会ったとする。その時、私の感情に芽生えるのは「うらやましい」である。ああ、私もあんなきれいな顔になりたいな~、なんて思うのである。(いっとくけど私はゲイではない)男にちやほやされて手玉にとってみたいと思う。(ゲイじゃないぞ)ゲイソン・プラザの近くにあるドラッグストアの「ブーツ」でイミディーンを買ったら(ちなみにイミディーンっていうのは肌の老化をおさえる薬だ。だからといってゲイとはちがうぞ)、白衣が似合う男の店員がとてもかわいかった。彼にもらった住所録をいまだに愛用しているくらいだ。(しつこいけどちがうぞ)バンコクに行くたびにその店を訪れるがいつも彼はいないので寂しい。(だからちがうって)レックにもらったミス・コン(カマ・コン?)の時の彼の写真も私の宝物だ。ああ、もう2時だわ。ダブで洗顔して早く寝なくっちゃ。睡眠不足はお肌の大敵だものね。
パリンヤーのドキュメンタリーがハリウッド映画になるそうだ。タイ人がハリウッド映画の主役に抜擢されるのは初めてらしい。私はもちろん観に行くぞ。パリちゃんの勇姿が映画で観られるなんて今から楽しみだわ????
#6 バンコクのディスコ
パッポン通りにある、チョー有名なディスコ「○シファー」に行った。ええ、踊りましたとも。全てを忘れて踊り狂いました。気が付いたら、2時間ぶっ続けで踊っていた。時々、白人や黒人や日本人観光客がダンスを教えてくれと進み出てきたけど、スタミナもリズム感もないから話にならないね。黒人に踊りを誉められたことが私の唯一の自慢だ。次の日は二人のタイ人大学生を引き連れて踊りに行ったが、彼らは恥ずかしがって観ているだけだ。2時間も退屈だっただろ う。誘って悪かったのぉ。ホテルに帰るのが朝の3時。寝るのは4時だ。毎日フラフラになってるのに踊り始めると身体がシャッキとするのって、これって異常 じゃないかぁ~? でもダンシング・ハイってお金がかからないから、まっいいか。そうだろっ、「VSゲストハウス」のみんな!(注)
3日目はカトゥーイのレックとトミーを誘ったが、入口で店員が「会員じゃないと入れませんよ」とぬかしよった。嘘にきまっとろーが。オカマが入店したら 風紀が乱れるってかい。特にレック(小さい、という意味です)は名前のわりにはガタイがいいから、見た目ですぐにオカマってわかるけどな、乱れてんのはてめえの顔のほうじゃい! オカマを差別するんじゃねーっ。でも2人とも怒ったり、落胆した素振りはなかった。きっとこんな事には慣れっこになってるのね。(シクシク) シーロム通り、ソイ4の「TAPAS」に行ってみたのだが、閑散としている。ギャラリーが少ないと、踊ってても張り合いがない。私は自分の踊りを誰かに 賞賛してもらいたい。(我ながら、オレってやつは....)トミーが言った。 「私の知り合いがお店をやってるから、そこに行きましょう」
そして連れていかれたのがソイ2にある「YOUR PLACE」だった。ここはフロアから3階の吹き抜けの通路まで人でビッシリ、上から見ると、踊ってるというより、死体に群がる蛆虫がうごめいているとしか見えん。なによりもここは90パーセント以上が男、もしくは男たちのカップルで占められ、スキンへッズに皮のパンツにリストバンドという典型的なそれ系白人どもが便所でディープ・キスをしているという、ハード・ゲイからタイ人のソフト・ゲイ(?)までが集う、天下無敵のゲイ・ディスコだ~~っ! お立ち台の連中、所せましとフロアから通路まで踊り狂うゲイども、私の真後ろで椅子にのぼって半裸で肉体を誇示しているやつ、どいつもこいつも恍惚の表情をしている。はっきり言って私はうれしいぞ。踊りは熱狂的じゃないとな。みんな、明日の憂いは忘れて今夜は踊りあかそうぜいっ! ○イズなんかに負けるなー!
.......... 気が付くとまたもや2時になっていた。誰もが自分の踊りに熱中していて私には注目してくれなかったのが残念だったがな。いつの間にかレックとトミーがいなくなってしまった。外に出ると、ディスコの向かいにガラス張りのコーヒーショップがある。そこから10人くらいのモーホー野郎が横一列に座ってディスコから出てくる男を欲望に満ちた目で物色しているという香ばしい風景だ。ソイの入口で2人を探していると、左ななめ45度に熱い視線を感じた。見ると、パンク・ヘアーを金髪に染めたジャニーズ系の男の子が私を見つめ、ウインクまでしてきた。(もっ、もしかして.....)その男は近づいてきて言った。 「何してるの?」 「友だちを待ってるんだけど.....」(レックとトミー、どこ行ったんだ、早く戻ってきてくれ~!) 「あなた、ゲイ?」 「違う、違い ます! 私はゲイではありませんっ!」 そいつは一呼吸おいた後、こう言った。 「あなたのこと好きよ」 どひぇ~~っ!! 初対面の男に、しかも会ってから1分以内にそんなことを言われたのは生まれて始めてじゃいっ! 「もし友だちが見つからなかったら、そこのバーガーキングにいるから今晩つきあって」 つっ、つきあうって一体なにをなにしてどうしてどういう意味で.....。(もはやパニック状態)
私は友だちを探すふりしてタクシーを拾って逃げた。(バンコクでは何だかいろんな事から逃げてるなぁ)でも、でも今でもあの男の子のことを考えるたびに 残念な気持ちがするのは、なぜぇ~っ?!
注 「VSゲストハウス」はカオサンにある、ヤク中が集まる安宿として有名。宿泊客の8割以上はヤクが目当てだといっても過言ではなかろう。頻繁に警察の手入れがある。
#8 クロントゥーイ市場 【バンコク】
私は市場やスーパーやコンビニやデパートに行くのが好きだ。行って何をするのかというと、生鮮食品や加工品や日用品を見るのである。見るだけで楽しいので、買い物はあまりしない。日本人が集まる「伊勢丹」や「フジ・スーパー」もいいが、私のお気に入りはスクンビット、ソイ5にある「フードランド」(ここにはカウンター方式のダイナーがあるが、午前2時、3時でもアラブ人や白人や黒人がメシを食っている。余計なお世話だが、体に悪いぞっ、とひとこと言いたくなる)、シーロム通りとラーマ4世通りの交差点にある「ロビンソン」、チャクラポン通りの「タンフアセン・デパート」やその近くのワット・チャナソンクラムというお寺の向かいにある小さなコンビニ(店員は二人か三人の若い女性。いつもおしゃべりしている。あまりやる気なし)等だ。
バンコク市内には多くの市場がある。中華街のサンペーンレーンやアラブ人、インド人、黒人が多いプラトゥーナーム市場、インド人街のパフラット市場(ここにあるハンバーガーショップに入り、椅子に座ったら店員がヒンズー語のメニューを持ってきた。どうせ私はインド人並みに顔が濃いわよっ!キィーッ!)なんかが有名なのだが、私が一番好きでバンコク滞在中は必ず行くのがクロントゥーイ市場だ。
この市場の周辺にはバンコク最大のスラムがあり、そこを通って市場に足を踏み入れると、初めて訪れた人は気分が悪くなるに違いない。なにせ、生臭さと汚物のにおいが入り混じっているし、鶏や魚の内臓が山と捨てられてるし、道はそういった汚物と泥とでぐちゃぐちゃになってるし、かつ、ゴミがあちこちに散乱しているからだ。神経質な人は行かんほうがいいだろう。ここには鶏や豚の頭や足や内臓、野菜、果物、魚、カエル、なまず、カブトガニ、虫等、いろんな物が売られているが、私がこの市場に来るのはニワトリの屠殺を見るためだ。まず、ニワトリを釜で焚いた熱湯に放り込んで殺してから、分離器にかけて羽をむしり取る。それを半裸になった男たちが次々と包丁で解体していくのだ。私にとっては興味深い光景で、何時間見ていても飽きない。熱気と悪臭が充満するその解体場の傍らには市場の子供だろう、5歳くらいの女の子がすやすやと寝ているのだが、人間はどんな環境にも順応するんだなあと妙に納得する。
話は唐突に変わるが、モンゴルの遊牧民の生活をテレビで観たことがあった。ご承知のように、彼らにとって羊はなくてはならぬものである。何歳かになると、羊の解体を覚えなければならない。馬に乗ることと羊を捌くことができないとモンゴルでは生きていけないのだ。何人かの子供が羊を持った大人の周りを取り囲む。大人は神に祈りを捧げ、羊が苦しまないようにナイフで頸動脈を一気に掻き、大地に血を一滴も流さぬように捌いてゆく。子供たちは真剣な面持ちで眺めていて、私も神聖な儀式を観ているような気持ちになったな。で、思うんだが先進国では肉も魚も切り身になってスーパーで売られとるが、元の形を実際に見る機会は金輪際ない。うんこでも出した形状を観察すれば、それが今朝食べたものか前の晩に食べたもんかくらいは判別できるだろう。うんこなおもちて往生をとぐ、いわんや切り身をや。自分でも言ってることが全く分からんが、口にする動物の解体現場も観たことがないから食べ物を粗末にするんだっ! と私は言いたいのだ。反省しろっ、先進国の人間どもっ! なんてね、当のタイ人が食べ物を粗末にするんだもん。もう、ちょっと満腹になれば残す、残す。そんなもんすね、う~、脱力。
おまけにクロントゥーイ市場の脇に流れとる川は解体処理の水を汚物と一緒にそのまま流すもんだから、はっきり言ってヘドロ。川底からはブクブクとメタンガスが発生しとるよ。飛び込んだりしちゃったら即死だね、きっと。その上にプラスチックの弁当箱やビニール袋を平気で捨てるもんだから、環境保護団体なんかが見たら卒倒しちゃうね。地球に優しくないタイ人。でも私なんかそれを見たら何だか安心しちゃうんだけど、なぜだ?
でも、行ってみて損はしないと思うよ、クロントゥーイ市場。旅行代理店の人、ワット・ポーの寝釈迦像や水上マーケットもいいけど、ここもツアーに組み込んでみたらどうすかねえ。
#9 スワニー
君はスワニーを知っているか? もちろん、知っておろう。チャイナタウンにある、なぜか日本人パッカーに人気があって140バーツで泊れるが麻薬及び娼婦関係等のトラブルが多いので日本大使館の悩みの種の楽宮ホテルの一階にある日本料理が食べられる安食堂の北京飯店のことだ。なぜスワニーというかというと、切り盛りしているのがスワニーという女主人だからなのだ。そうだったらそうなのだ。なぜ日本料理なのに北京飯店なのかは、永遠の謎だ。
私はチャイナタウンに行くたびに楽宮ホテルを探すのだが、なぜかいまだに見つけたことがない。公園を中心にして、7月22日ロータリーが6本の道となって放射線状に伸びているのだが、歩いているとこれも安宿である台北旅社にいつも行き着いてしまうのだ。もう一つの伝説のジュライ・ホテルは私がチャイナタウンに足を踏み入れた頃は閉鎖していたと思う。楽宮を一躍有名にした、谷恒生の「バンコク楽宮ホテル」は日本では絶版になっていて、私はバンコクの紀伊国屋書店で買った。文庫本が314バーツもしたので、買う時に迷ったぞ。バンコクの物価を考えると3日は食えるもんな。北京飯店のことはいろいろな本に書かれていて、私はスワニーさんに会って、カツ丼や焼そばを食ってみたい! と長らく熱望していたのだ。なにもバンコクまで行ってカツ丼食うこたあねえだろうとは思うが、それはほれ、気は心ってやつよ。(意味不明)
ロータリー付近に行くといつも方向感覚が無くなって、記憶が途切れたような気がするのは、毎晩立っている娼婦の怨念か、ビンボー旅行者の呻吟する霊のせいに違いない。これは腰をすえてかからねばならない。というわけで、ファランポーン駅前のクルンカセム・シークルン・ホテル(京華大旅社)に泊まることにした。 このホテルは名前は厳めしいが、一泊500バーツの中級ホテルだ。部屋は清潔で、何よりも駅まで3分で行けるのが嬉しい。駅はチケットがなくてもホームには自由に出入りできるので、夜になると長い長いホームを虫の鳴き声を聞きながらうろついたり、かまぼこ型の高い天井を見上げながらベンチに寝転んだりするのは気分がいい。
ホテルの裏の通りには「旅社」とだけ書かれた看板が掛かっている、怪しい館がいくつかある。二階へ続く木造の階段の入口にはおねいさんがたむろしていて、前を通ると獲物を狙う猛獣のような眼でじろじろ見られたり、時には声をかけられたりするというナイスな環境だ。ラーマ4世通りを左に折れると、そこはもう、暑いバンコクの中でもさらに暑苦しいチャイナタウンだ。
フカヒレスープやツバメの巣が安いので、私はここに来るたび、ここぞとばかりにガツガツと意地汚くむさぼり喰う。ヤワラー通りにあるホワイト・オーキッド・ホテルの前にはうなぎの寝床のようなラーメン屋があるのだが、ここの麺がうまい! クイッティオ(米麺)やバーミー(小麦粉麺)はコシがあるし、ルークチン(魚のつみれ)はコクがある。いつ行っても人でいっぱいだ。私なんか朝から3杯も喰っちゃったもんね。えっと、何の話だったっけ? そうだ、スワニーだ。その日の夕方、私は地図をぐっと睨み、ロータリーの右から2本目の通りに入って行った。少し歩くと、あれはまさしく北京飯店だ。やっと見つけたぞ。食堂に入ると客はおらず、女の人が一人でメシを喰っていた。空腹ではなかったので、お粥を注文した。食べながら聞いてみる。
「あの、スワニーさんは?.....」 「はい、わたしです」
そうか、あなたがあのスワニーか。私は本を読んで想像を膨らませていたので、やせこけて、引っ詰め髪でこめかみに梅干しを絆創膏で張り付けたようなおばちゃんだと思っていたのだ。(今どき、そんなおばちゃん、いるかーっ。しかもバンコクに)
スワニーはにこやかで、美人といっても決して過言ではないような(微妙な言い方やな)人だった。私は街で、テレビに出ている有名人に出会うことよりも嬉しかった。たとえば、V6の森田剛に会うことよりも、嬉しい.....と思う。
彼女は「あさりの味噌汁飲む?」と聞いてきた。必ず客にあさりの味噌汁か冬瓜のスープを薦めるようだ。これも本で読んだ通りだぜ。お粥も味噌汁もとてもうまかった。最後に食べた焼そばはちょっと塩辛かったけどな。(食べ過ぎやっ!)
メニューに書いてある「豚丼」というのは、カツ丼のことだろーか? 今度来た時に試してみよう。自分が少食なのが悔やまれる。(一日、何回喰えば気が済むんだ、お前はっ!)
メシを喰ってる時に入ってきた中年の男に、スワニーはお金を渡していたが、あれが旦那さんか? まさか悪い男に騙されてるんじゃないだろーな(とすっかり身内気分)。スワニー、バンコクに来た時はまた寄るよ。私は長い間たまっていたウ〇コを排泄したような清々しい気分で食堂を出た。
その夜、ファランポーン駅前でソムタム売りのねーちゃんに声をかけられた。彼女たちはイサーン地方出身で、天秤棒を担ぎながらイサーン料理を売っているのだ。客はゴザに座って、彼女たちが石臼で作ったソムタム(パパイヤやトマト等を加えた辛いサラダ)を食しながら故郷に想いを馳せるのである。そうだな、日本でいえば京成上野線の日暮里駅界隈の安キャバレーで東北出身のおっちゃんが同じ東北出身のホステスにうだうだと愚痴をたれるようなもんだな。
ソムタムを喰い終わると、おねいさんはもっと食べない? と言って、別の料理をもう一品作ってくれた。それも食べた。さすがに満腹だ。しかし、彼女はそれで許してはくれなかった。豚の絵が書かれた黄緑色のソーセージを取り出して、「これで作った料理はおいしいわよ」と私に迫るのである。こうなったら、イサーン料理を喰い尽くしてやろうじゃないかっ。私は苦しさに涙をこらえつつ、異国の星空を見上げながら食べた。ぜいぜい、もう勘弁しておくんなせえ。幸運にも料理はそれで終わりだった。
「うえっぷ、もう帰りますう。おいくらですかあ~」 「一品50バーツだから、全部で150バーツね」 なにお~、ひゃくごじゅうばあつだとぉ~、げっぷ。私は久々にボラれたよ。最初に値段を聞いてなかった私も悪いんだけどな。気をつけろよ、夜のファランポーン駅前でおねいさんに声をかけられて、鼻の下を伸ばしているとボッタくられるぞ、この私のようになっ!(いばってんじゃねーっ!)
#11 バンコクの魅力
「なぜタイがそんなに好きなのか?」 とよく尋ねられる。そのたびに考えるのだが、自分でもよく分からん。タイに移住している日本人にインタビューするというテレビ番組を観たことがあるが、そのインタビュアーが元モー娘の中澤ねえさんだった。中澤ねえさんが 「なぜタイが好きなんですか?」 と私も何度ともなく聞かれた質問をある日本人にぶつけた。その人は「ここでは戦わなくてもいいですから」と答えていた。う~ん、そうかもしれんな。何かにしゃかりきになってるタイ人なんて見たことがないぞ、私は。タイ人に限らず東南アジア人というのは(日本人から見て)物事を深刻に受けとめる能力が欠けている人が多い。バーツが大暴落しようが、エイズが蔓延しようが社会全体が重苦しくなったりはしない。
私はスコールの時に、傘を持つ習慣のないタイ人と一つの軒下で雨宿りしたり、中華街でトラックから荷物の積みおろしをしている半裸の労働者を眺めたり、屋台引きのフルーツ屋からスイカかパイナップルを10バーツで買って歩きながら食べたり、夜、通りを歩いていてふいに後ろを見ると象がいるのに気づき、象使いから20バーツで買ったエサをやったり、朝、セントラル・デパートの一階にある「スタバ」でホット・チョコレートを飲みながら通りを眺めたり、たまには豪華にインドラ・リージェントホテルでバイキングの朝食をとったり、ディスコの帰り、深夜2時にロビンソンで飲み物を買ったりするのが好きだが、中でも一番好きなのがドンムアン空港からバスで市内に向かう時間だ。これだけのためにもバンコクへ行く価値があると私は思う。市内までの交通手段としては空港の前に鉄道駅があるし、エアポート・バスやもちろんタクシーでも行ける。以前、タクシーに乗ったらドライバーがホテルの所在地を知らなかったので、50メートルも走らないうちに降りた。すぐ別のタクシーに乗ると、そのホテルまで遠いから1150バーツだとぬかしやがった。高いと文句を言うと、今度は500だと言う。怒ってタクシーを止めさせて降りた。相場はだいたい、250から300バーツだ。3台目でやっと目的地までたどり着くことができた。私は一度お金の節約のために市バスに乗ってみて大いに気に入り、それからは必ずこれに乗ることにしている。
空港を出て、大通りの前のバス亭で24時間運行のファランポーン駅行きの29番バスを待つ。なかなか来ねえなと少しやきもきするのも趣がある。やっと来たバスに乗り込むと、すでに車内は学生や労働者や主婦といった風体の人で一杯で、旅行者は私一人だ。安い航空券で日本を発てば、バンコクには深夜に到着する。深夜なのになぜいろんな階層の人がバスに乗っているのか、日本からやって来た旅行者には不思議でしかたがない。どんなに混んでいても女性車掌は新しく乗り込んできた人を見逃さない。運賃を徴収し(普通バスは深夜料金で5バーツ。エアコン・バスなら16バーツ)、ブリキ製の筒をパカパカいわせ、ロール状のチケットに切り込みを入れ、ちぎって渡してくれる。なんで車掌は太った人が多いんだ? バスがかなり揺れるから重心が安定するためにそういった女性を優先的に採用するのか? 等と考えているうちにバスは停留所を五つ、六つ通過し、ようやく座れるようになる。車内は窓を開けていても、むっとするほど暑い。汗がにじみ出るのを感じながら車内灯をじっと見つめていると、ボーッとなってくる。アセチレン灯のようなそれが縁日を思い起こさせ、幼い頃の記憶があれやこれやと浮かんでくるのだ?信号でバスが停まる。車窓から古びたアパートやコンビニが見え、ソイからひょいっと人が出てくる。何でもない光景だが、ひどく懐かしい。ああ、またこの街に戻ってきた、と心の中でつぶやく。スカイトレインの駅が見えてくるとバスはやがてパヤタイ通りを南下する。アジア・ホテルの前を通るともうすぐだ。ラーマ一世通りを左折すれば左に終点のファランポーン駅が現われる。運河の側の停留所に降りると、私にとってもうここは外国だという意識はない。故郷に帰ってきた、そんな感じだ。
到着第一日目はカオサンに泊まるのもずっと変わらない。ここはタイらしくないと敬遠する人もいるようだが、私は商店街で生まれ育ったせいか、いろんな人たちがうろうろしているのは好きだ。遅くまでやっている屋台でカオ・トム(おかゆ)を食べ、コンビニで雑誌や飲み物を買う。バンコクに来た時の儀式のようなものだ。これも私の楽しみのひとつである。
ある国や地域が好きになるということは言うまでもなく、その人自身が何に反応するかという内面の問題だ。私のように瑣事に喜びを感じる人間は 「なぜタイが好きなのか?」 という質問には 「行ってみれば分かるよ」 としか答えられない。
#12 大都会バンコク
友人をバンコクに連れていくと、必ずこう言う。 「バンコクがこんなに都会だとは知らなかった。」 (次にくる言葉は「タイ人がこんなにオシャレだとは思わなかった」だ)
そんな時、私は内心思うのである。どうだっ、驚いたかっ。なめんじゃねーぞって、なにも私がムキになることはないんだけどさ。スカイトレインから景色を眺めていると、マンハッタンのセントラル・パークかと思っちゃうような場所もあるし、この前なんか世界一高いホテル、バイヨーク・スカイの展望台から夜景を見たら、さすがの私もびっくりしちゃったよ。
「おおっ、すごい。私はこんな大都会をあっちに行ったり、こっちに来たり、うろうろしてたのか」
バンコクの人口はスラムの住人や地方からの労働者を合わせると、1千万人を超えるといわれる。日本人は不法滞在者を入れると3万人が住んでいるそうだ。ある意味ではバンコクは東京やシンガポール(行ったことないけど)以上の大都市であり、欧米型の都市とはあきらかに違う。
第一に、あの厳しい気候だ。ニューヨークや最近の日本の夏もかなり暑いが、タイの季節は雨期と乾期しかない。バンコクに限って言えば、ほとんど毎日が暑い。関西人がアホなのは小さい頃からお好み焼きやうどんやたこ焼きといった小麦粉食品を大量摂取しているので、全身のみならず、脳も炭水化物化しているからだという説があるが、東南アジア人がボーッとしているのも毎日暑いからである。昼過ぎになるとあちこちの店先では店員がだら~っと犬のように眠りこけている。シエスタなどというかわいいもんではないな、あれは。スコールになると、降水量が多いのか、水はけが悪いのか、街中が水浸しになる。そんな時、ここは東南アジアにできた都市であるということを実感するのである。
第二に、なんといってもあのタイ人だ。バンコクにも、もちろん悪人はうじゃうじゃいる。コンビニで売られている「クライム・ニュース」という雑誌には殺人事件の被害者の惨殺死体がばんばん載っていて、これが微笑みの国の人間のやることか~っと思うのだが、大抵のタイ人というのは人がいいというのか、細かいことは気にしないというのか、早い話がぬけている人が多い。ファランポーン駅構内にコンビニがあるのだが、そこに野良犬が入り込み、奥で涼んでいた。警備員がやって来て、追い出すのかなと思っていたら、しゃがみこんで犬の頭をなでてやっていた。(日本では想像しにくい光景じゃありませんか、皆さん)
発展途上国や中進国の警官は国民から賄賂を要求するのが公然となっているが(タイでも、もちろんそれは日常茶飯事だ)、バンコクで軽犯罪を犯した三人の大学生が罰金を持っていなかったので、その代わりに警官が彼らに腕立て伏せをやらせたという様子が新聞記事になったことがあった。(そういうことが記事になって、話題になるということ自体が中進国らしいね)
先進国で同様な処置をしたら前近代的だとか、人権問題だとか姦しいだろう。私は西欧民主主義から観た、前近代的といわれることが間違っているとかは思わないけどね。
先日、関空に行くためにタクシーに乗っていたら、運転手の奥さんと娘さん(名門タマサート大学を次席で卒業した才媛。日本人としては始めての快挙らしい)はバンコクに住んでいるという話になった。若い頃、建築作業員として海外を転々としていたが、タイが気に入り、住みついてしまったらしい。日本にはお金を稼ぐために単身帰国して、1日も休まずに働いているそうだ。
「来年には仕事をやめて、タイに戻るつもりです。日本は嫌です。やっぱり私にはタイの水が合ってるんでしょうなあ。でもたった一つだけ、タイには悪い所があるんですよ。実は私、ドンムアン空港の近くに家を持っとたんですが、空港を拡張するっていうんで土地ごと没収されてしまったんですわ。弁護士を雇って国と争ったんですが、一銭の補償もなしです。あの時は参りました。それだけです、嫌な所は。タイ人はいい人間なんですけどね」
今はバンコク市内にアパートを三軒持っているそうだ。タイ人はぬけている奴らばかりだが、国はぬけていなかったらしい。それよりも、そんな目に会ってもタイが好きだという彼の気持ちが私にはよ~く分かって、ちょっぴり感動しちゃったぞ。
#14 カオサンの大晦日
カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。泊まったのは通りの中ほどにある「カオサン・パレス・ホテル」だ。あるガイドブックにも書いてあるようにサービスは良くない、っていうかレセプションの人間はやる気が全くないぞ。思わずここは中国の旅社かと思っちゃったぜい。ツインしかなく、おまけにエアコンは壊れていて530バーツもした。唯一の取り柄はNHK放送が受信できるってことぐらいだろう。
その日はバンラ-プ市場とパトゥ-ナムをうろついた。タイ人にとって正月はタイ暦の4月だし、中国系タイ人にとっても正月は2月ぐらいだから街は普段と変わらない。しかし、だ。7時頃に行ってみるとマーブンクロンの前には特設ステージが出来て、歌謡ショーとファッション・ショーのようなものをやってるし、ワールド・トレード・センター前のラチャーダムリ通りはホコ天になっていてすごい人だかりだ。こりゃあ、何かあると踏んだ私は鼻息も荒くカオサンに戻ったね。お祭り好きの私はじっとなんかしてらんねえよ、江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ。今日は特別な日だからってんで、奮発してコンビニでケーキを買って(といっても28バーツだよ、べらんめえ)、ホテルに帰ったと思いねえ。シャワーを浴びて、WTCで買ったヤイコのテープを聴いてじっと待ったさ。格闘家が試合前に音楽を聴いて精神を昂揚させるのと同じだな。そういえば日本でも大阪城ホールでヤイコのカウントダウン・コンサートが始まってる頃だ。とにかく気力、体力ともに充分だっ! 11時になると私は鼻の穴を通常より3センチばかり拡げて、フガフガとホテルを出た。
最近のカオサンは渋谷化状態していて、タマ大の学生や地元のバンコクっ子が大挙して遊びに来てるよーだ。これもデカプリオ主演の「ザ・ビーチ」のおかげか? とにかく尋常じゃない人だかりだ。私は表通りや裏通りをうろうろしてカウント・ダウンを待った。私の泊まっているホテルの前にはオープン・レストランがあって、テーブルが道路の半分を占領している。必然的にそこが一番、混雑率が高くなるってわけだ。
地元の人間やら旅行者やらがくんずほぐれつ、盛り上がっている。 こら~っ、ビールをかけるんじゃないっ! わしは野村監督かいっ!(野球が嫌いなので去年はどこが優勝したのかも知りません)耳のそばでラッパをプープー鳴らすなっ! 人ゴミの中で踊るな~! 喧噪の中でもみくちゃにされるうちに何が何だかわからなくなってきた。ふんがぁ~。私はタイムズ・スクエアやトラファルガー・スクエアでも年越しをしたことがあるが、てめえらみたいな脳天気なやつらは初めてだっ! 白人どもっ、たかが新年になるだけなのに何でそんなに興奮するのだあ! そのうちレストランから流れてくる「オアシス」に合わせて白人どもが大合唱を始めた。薄れてゆく意識の中で私は思った。2000年に欧米人が連帯できる音楽って、やっぱりオアシスなのね。らぶあんどぴいす.....。「VSゲストハウス」の連中はこの時間、やっぱり新年を祝って一発キメてるんだろうか.....。ヤイコのコンサートのアンコールは何だったんだろう.....。「グレース・ホテル」のアラブ人たちは盛り上がってんだろうか? あっ、イスラム教は陰暦かぁ.....。いろいろと世話になったな、タイ人。お前たちのこと好きだけどな、最後に言わせてくれ、「マイ・サイ・パクチ~.......」(注)
しっかりしろ、おれっ! 目を覚ませっ! これじゃあいかんと思い、ホテルに帰ろうとしたが、ベルリンの壁より分厚い人壁に阻まれ、目と鼻の先にあるのに帰るに帰れんじゃないかっ! みなさ~ん、よいこは早くおうちに帰って寝ましょう~って、結局やつらは4時まで騒いでたぞっ、バカヤロ~!!(爆死)
注 「パクチー(コリアンダー)を入れないでね」
【夏が来れば思いだす】 その1
「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコクで九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)
【夏が来れば思いだす】その2
妻は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。
新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。
【夏が来れば思い出す】その3
早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。(*1)旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。
*1 スワンナプーム国際空港は平成18年に開港した国際空港で長野夫妻は平成19年の年末から平成20年の年始に新婚旅行されたようでその時の出来事を執筆されました。
【夏が来れば思い出す】その4
旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。
(妻の日記から)
「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」
皆様への伝達事項
ドリアン長野は平成25年6月にフェイスブック上で発表した【夏が来れば思いだす】を除外して平成10年代にgoo簡単ホームページ上でタグを利用せずに半ば勢いだけで投稿してたことから非常に乱雑かつ順不同な投稿であったので整理整頓は絶対必要でした。ブロガー上では長文の投稿が行えるのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、海外のホテルにて備品等は盗まないようにしましょう。為替差損は別としても、本来は全額返金されるデポジット(預かり保証金)が減額される恐れがございます。置時計は日本国内で普通に買いましょう。平成27年に私は地元のお店で¥1008(税込み価格)で販売されてたセイコーの小さい電波式置時計を購入しました。乾電池を入れて電波を受信すると自動で時刻合わせをしてくれました。どこかの誰かみたいにセイコーの小さい時計に対して2000バーツ(1バーツを日本円に換算して¥3.5としておよそ¥7000)も支払わないで済んで良かったです。価格の詳細については各自で調べてもらいたい。平成30年以降は後継品が値上がりしてるとは言えども、普通に地元のお店で買う方が安価なのには変わりありません。
テーメーカフェという喫茶店が海外にあって行ってきた内容のタイランド旅行記です。私もブリティッシュコロンビア州の(カナダ時間ですが)夜だけ営業してるチーズケーキエトセトラに行ったから大きな事は言えません。ホテルは日本にいる間に予約しておきましょう。タイランドのスージーさんは平成十年代に元気であったかもしれないが今(平成30年を過ぎた時期)でもご存命なのであろうか?
ドリアン長野は、日本国内で販売されたパリンヤーさんが出演された映画鑑賞をしなかったばかりか、DVDを購入されなかった模様です。又、ドリアン長野は、すでに(平成10年代のある日)神殿結婚をされました。
ビューティフル ボーイ APS-91[DVD] アートポート https://t.co/YndUW9elp2
私は海外の危険地帯に行かない事を提案します。海外旅行案内書やインターネット上でも危険地帯については発表されてますので参考にしてください。HIVは今でも難病です。
海外旅行中に市場に訪問されてはいかがでしょうか?普段は見かけない食品を外国で見ると楽しいばかりか食事が行えると喜びは倍増です。日本はタイランドより二時間早い時差ですが現地にお住まいの方々の食事の時間以外に食事をされる人がおられるかもしれません。一例。日本時間の正午はタイランドの午前十時。環境の改善はどの国でも必要です。
観光名所の7月22日ロータリーの俗称はジュライロータリーと言われているそうです。7月22日ロータリーというものが存在してることに私は驚きました。 又、現地の発音は不明ですがクルンカセム・シークルン・ホテルは、クルンカセーム・シークルン・ホテルと紹介されてるホームページがございました。脱字ではなくて発音の観点からそのように表明したかもしれません。
タイは平成20年代になって物価が上昇しました。平成25年1月にインラック政権によって最低賃金が300バーツに引き上げられタイの物価は上昇し続けてるそうですのでドリアン長野は幸せな時期にタイを旅したようです。
元ホークスの野村克也元監督と同じ位に元カープの野村謙二郎元監督は有名ですがドリアン長野は前者について述べてます。
野村克也元監督は名将で1973年に南海ホークスをリーグ優勝に導いたばかりか90年代にヤクルトスワローズを3回日本一に導いた。
カオサンの大晦日(題名)はタイへ行って年末の祭りに参加して苦しんだお話です。のんびりした旅行にしようとしても試練が発生するのが海外旅行なので暑くても快適な宿の選択は重要です。外国によっては習慣が違う人々を尊重し休む時期が分散してるそうです。海外の午前4時は日本だと日中になる可能性はあり得ます。(一例 イタリアの午前4時は日本の正午)
カオサンはタイでは白米を意味示します。過去には米問屋が多かったが最近はタイ人にしたら外国人向けの宿泊所が多い町から繁華街になったそうです。
タイランドも、諸外国と同様に国境紛争は抱えています。 北部のカレン族(その中のパダウン族は首が長い女性達で有名)の難民や南部のマレー系の独立運動等深刻な社会問題は、存在していますがバンコクに限っては、のんびり出来るようです。
バスとタクシーの料金に格差があるのは日本もタイランドも同様のようです。 但し、日本の場合法律が存在しているから不正請求は無いかもしれませんが、遠回りはさせられるかもしれない。
また、通貨価値は暴落した場合には輸出競争力が強まるから完全否定はし難いと思われます。 実際にタイランドからたくさんの食料品を日本は輸入しています。
無論、「どこの会社が日本へ輸出するのか?」の競争は少なからず存在していますから、国境紛争だけではなくて経営上の戦いも存在しています。
平成20年代になって発生し激化している、タイランド国内の騒乱は2010年代に終結するか否かは誰にも分かりません。
実際に机上の空論を支持するよりも、実行に移すのも肝要と感じさせる海外旅行記ですね。 可能であれば、タイランドに旅行されても構いませんが前述したばかりか半ば周知の事実ですが将来的に再度タイランド国内で混乱が発生しないとは言い切れないので自己責任でご決断ください。
私自身の勝手な考えですが推奨は難しいです。 冒頭で述べたように、1990年代から平成10年代にかけてのタイランド旅行記なんです。 その時期は(すでに終わったが)平成20年代と比較して、まだ平和でした。
やはり、カントリーリスクは存在しています。昭和の成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。ドリアン長野はシンガポールにも行きたかったのかな?
日本にいる時にある程度の情報を得て実際に訪問してみて良かったかどうかでその国の印象が変わると私は思います。「千の言葉よりも一の実行」で私も実際に平成27年10月にカナダに行ってブリティッシュコロンビア州が好きになったしその理由を質問されると「実際に行ったら、分かる。」といった返答だけでは不十分かもしれませんが、日本と同じような生活が維持出来たという部分がございました。深く考えずに日本と同じようにも思えてしまう共通点が多いばかりか、賛同する部分が多いか否かの部分は重要ではないでしょうか?世界には、日本からの渡航が禁止に至る迄に悪い状態に至った外国は存在してますし、その点は理解が必要です。渡航が行える国だから、旅行が行えるのです。
価格は変更されてるかもしれませんがインドラ リージェント ホテルの朝食ビュッフェの価格は380バーツだそうで、私が宿泊してきたバンクーバーのホテルの朝食ビュッフェの料金はC$28でした。C$はカナダドルの略称です。
平成11年(1999年)から運行されてるバンコク(タイランド)のスカイトレインは、昭和60年(1985年)から運行されてるブリティッシュコロンビア州(カナダ)のスカイトレインと同じ位に世界的に有名です。バンコクのスカイトレインは、カナダのスカイトレインの技術を導入し、建設する予定であったそうですが結果的にはドイツ企業の技術が導入され建設されました。馬鹿げた重言のようなジョークに思えた人が多いかもしれませんが実際には真面目なお話しだと考えてもらえると幸いです。「世界の車窓から」でも両者は紹介されたのかな?
理解しないといけないのは踏切を否定した鉄道という点です。高架もしくは地下に限っておけば事故が発生する可能性は低下します。
一日乗車券を買っておくと(確かに金額的には損をする可能性はあるが)不条理に高値を請求されることは無いから、私はブリティッシュコロンビア州を旅行してる時には一日乗車券ばかり買ってました。それに、不正乗車の罰金が高額なのは周知されてるし支払い責任を果たしたから罰金を請求されなくて良かったです。 私の知る限りですが、世界各地にスカイトレインは存在するが町の為に役立ってる公共交通機関はカナダとタイランドのみのようです。他は空港内部のみで運行してる電車もしくは航空機の名称です。この点についての詳細は各自でお調べください。
タイランドのバンコクにはスコール(大雨)が多いようです。一方でカナダのバンクーバーでは一般的な降雨もあったが小雨も多かったです。バンクーバーはレインクーバーという俗称も存在してます。
そういや、過去に大阪市内のタイランドフード販売店に行った時に、バンコクから来た従業員がタイランド北部から来た従業員に対して日本語で「田舎。」といって冷やかしてた事がございました。大阪の場合は「田舎。」という言葉は皆が平等だからそういった言葉で人を批判するのは良くないという考えがあるが逆にこだわるのは「たかじんの歌の東京は好きだが、町の東京が嫌い。」という部分かな?
【夏が来れば思い出す】は長野夫妻の新婚旅行記です。時期は平成19年の年末から平成20年の年始でバンコクと香港を旅した未完の作品で旅の試練は謎のままです。平成29年の夏の某日にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得たが平成30年の3月一日を経過しても伝達ばかりか発表もされてません。続編が執筆されたら転載はしたいがそれがいつになるかは不明で、実質的な最終話です。
インラック政権が平成25年1月に最低賃金を引き上げた影響は大きいようでタイの物価は値上がりし老後を過ごすには不向きらしいです。
平成18年に開港したスワンナプーム国際空港の空港連絡鉄道(エアポート・レール・リンク)は通勤に利用出来ても観光は不向きだそうです。エアポート・レール・リンクが利用出来るようになったのは平成22年8月23日からなので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。
奥様の海外旅行記も佳作でしたが、ドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考え脱力してお読み下さい。
日本とタイには相互に仏教の修行僧が行き来してるそうですので観光や仕事以外でも日本とタイランドを行き来する人はおられるようです。
平成19年にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちが失せていて現在は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてます。平成十年代に「1万人の訪問者がいたらそれで良いかな。」とドリアン長野が発言され、後にその目標は達成された。
ドリアン長野は1961年3月5日生まれで26歳の時にインドに旅したならば1987年こと昭和62年に旅したようです。平成20年を連想して20年前ならば1988年こと昭和63年頃になります。年末年始の旅行であれば年をまたぎます。
追記 平成30年7月末日
謎が解けました。機会があり、ドリアン長野の奥さんと再会しました。「タイランドで死にかけた話って何ですか?」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。事実上、これで完結かな?
紹介した3種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
バンコクバスの乗り方 How to catch a bus in Bangkok ( second-bound for Kaosan)
【バンコク】ドンムアン空港着陸 エアアジア☆ 到着からタクシーまで! Bangkok Don Mueang International Airport 【海外旅行記】
BTS Skytrain (Bangkok, Thailand) バンコク・スカイトレイン
過去にセイコーが販売してるピクシスの置き時計を購入したが、ある意味セイコーではなかった。だが、今回は違う。これだったら万人がセイコーの小さい置き時計と認識してくれるであろう。
表面的な価格は税別で¥3000。実際には税込みで¥1900で購入が行えました。 乾電池を入れるだけで時刻合わせをしてくれる電波時計の人気を再認識した。
私も海外旅行はした。ホテルの備品は何一つ盗まなかったがどこかの誰かは黙って持ち帰って2000バーツ(1バーツを日本円に換算して3.5円として約¥7000)も請求されました。普通にお店で購入した方が遥かに良い状態を形成出来ます。店の販売価格の変更等もあり買うか否かはとても悩んだが良き置時計を買えました。
バンコク楽宮ホテル(電子復刻版) / 谷恒生【著】 <電子版> - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア https://t.co/kbo9YIsZiF
— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) August 24, 2020
追記 令和二年八月
バンコク楽宮ホテルは電子書籍で販売されてます。
海外旅行記を読むと視野が広がる。「7月22日にロータリーに行ってきた。」と「7月22日ロータリーに行ってきた。」を読み比べて『に。』が脱字してるから問題がある。と考えるか両方共に正しい日本語になってる。と考えるかは人それぞれです。
7月22日ロータリーはバンコクの円形交差点(多差路)です。7月22日にタイランドが第一次世界大戦に参戦表明した日でそれを記念して噴水と広場が造られたそうです。廃業したジュライホテルが近くで営業されてたことから「ジュライロータリー」と通称されてたそうです。動画で確認が簡単に行えるようになって良かったです。
ジュライロータリーは良くても7月22日ロータリーは理解し難かった。
ブロガー版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集
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