2019年8月13日火曜日

平成29年12月のyahooブログ上の投稿

ビルマの休日 その3、その4、その5  2017/12/2(土) 午前 0:56




NO90 ビルマの休日 その3

at 2006 01/12 23:29 編集

歩いているとひっきりなしに、「ハロー、チェンジマネー?」と声がかかる。通貨のチャットと同じくらい米ドルが流通しており、しかも外国人旅行者はホテル代や鉄道料金等は米ドルしか使えない。しかし注意しなければならないのは、ミャンマーでは古びたドル紙幣は受けとってくれないことだ。少しでもよれよれのドルを渡すと、「交換してくれ」と言われる。帰りに空港で出国税の十ドルを出したときにも職員に「新しい紙幣と交換してくれ」と言われ、たまがった。もし新しい紙幣を持ってなかったらどうすんだ? 「日本人、古いドル紙幣のためにミャンマーから出国できず」なんて新聞に書かれたらずいぶんとおまぬけではないか。
市内を犬のようにうろつく。どこの国に行っても中国人街とインド人街が一番にぎやかでぐちゃぐちゃで暑苦しい。サイケなヒンズー寺院の前にはなぜか何匹も野良犬がうろついていた。腹が減ったので食堂に入ってチェッター・ヒン(チキンカレー)を注文。西原理恵子が「アジアではビルマ料理が一番おいしかった」と言っていたが、ガイドブックには「非常に油っこくて旅行者は必ずお腹をこわす」と書いてある。どっちなんだ。出てきたカレーはインドカレー以上にさらっとしているが、表面は古い油を浮かしたようだ。油の中にチキンが泳いでいるといった方がいい。食べてみて驚いた。うまい。うまいじゃないか。香辛料はそんなに入っているようには思えないのに、複雑で奥深い味だ。油っぽさは感じない。チキンは噛み締めるとしっかりとしたうま味が出てくる。私はミャンマーでカレーを食いまくった。ビーフカレー、フィッシュカレー、茄子カレー、鹿肉カレー。一番うまかったのはやっぱりチキンカレー。ビルマ語で覚えたのは「チェッター・ヒン」と「タミン」(ライス)と「エインター」(トイレ)だけだ。「ありがとう」も「こんにちわ」も「おいしい」も未だに何て言うのか知らない。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項


ミャンマー風チキンカレーはチェッターヒンだそうです。

文化の一環で「こんにちわ。」という表現はミャンマー語で「ミンガラーバー。」で存在するが頻繁に使わないそうです。
ありがとうはミャンマー語で「チェーズーティンバーデー。」だそうです。
おいしいはミャンマー語で「サーロー カウンデー。」だそうです。
平成10年代と違って平成20年代になってからホームページが増えたこともあってミャンマー語を紹介するホームは多数存在してます。ミャンマー語について詳しく知りたい方は各自でミャンマー語のホームページを閲覧してください。
 海外では日本円のような自国通貨よりも他国の通貨が通用することが多いようです。無論、ユーロのような例外も存在します。硬貨に限っては他国で生産されたユーロであっても通用すると言われてます。
周知のように使用が行えないスイスや英国のような国は存在するが欧州の大半の地域でユーロは使用可能です。従って、各自で海外旅行に行かれる前にどの通貨が使用可能かどうかを調べておかないといけません。
海外では日本と違って違法両替商人がいるので警戒されることもこの場で伝えておきます。
やはり、インドに隣接してるミャンマーはカレーがおいしいそうです。こういったことはよくあるお話で中国の隣国のロシアでも餃子を食べる人が日本と同じように多いとされてます。料理は国境を超える。
日本でも個人経営の飲食店とチェーン店で味付けが違うように海外でもお店毎に味付けが違ってくるようです。インド人が驚くカレーライスとはやはり牛を神聖視するヒンズー教徒にとっては食べることが考えられないビーフカレーを日本人がたくさん食べてるからでしょうか?
ミャンマー料理(カレーライス限定)の評論を読む限りでは植物油が多用されてるようです。結局は、実際に食べてから判断する方が良いと思います。人によって食品の好みが違うことは周知されてます。
皆さんの参考になるか否かは不明ですが、ある日、私があるお店で外国人が調理したカレーライスを食べた時もやはり、植物油が多用されてることについて驚いたことはございました。やはり、料理の味は人によって好みが変わると考えてください。

 カナダではカナダドルが利用出来ます。日本国内で複数国の通貨が利用出来る両替機や外貨で支払いが行える万屋でカナダドルが利用出来なかった事を連想しました。言い換えると外貨によっては利用が行える場所とそうでない場所があるんです。
 カナダのロブソン通り沿いに両替商があったので入店はしたが見るだけにしておきました。日本国内で外貨についてはそれなりに用意しておいた方が現地で過ごす時間を増やす事が行えると私は考えました。実際にはカナダでATMを利用しましたけども。次はもう少し良い準備をしておきたいです。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。




 NO91 ビルマの休日 その4

at 2006 01/17 22:51 編集

夜はすることがないので十時には寝るから、毎朝五時に目が覚める。バンコクで二時までディスコで踊り狂って夜更かしするのとはえらい違いである。早朝の散歩がこれまた気持ちがいい。独立記念塔がある近くの公園に行くともう善男善女が太極拳やらダンスの練習をしているので、私もカラテの型をやる。六時半になればもう充分に明るい。そこからヤンゴン川に向かって歩いていくとイギリス植民地時代に建てられた、創業百年以上の老舗アンド高級ホテルのストランド・ホテルがある。一番高い部屋で一泊十万円、安い部屋でも五万円もするというクレージーなホテルだ。せっかくだからトイレを借りに入ってみると、何だか調度品やら骨董品やらがごちゃごちゃと置いてある。おしっこしたついでにレセプションで両替してみるとレートがものすごく悪い。私の泊まっている安宿の方がはるかにいい。(勝った!)と内心優越感を覚える。ここらあたりは税関やイギリス大使館や今は使われていないデパートや貨物列車が運行していたであろうレールが残っていたりしていて、植民地時代の残滓が色濃く漂っている。朝から対岸行きのフェリーに乗る人や降りてきた人でごった返している。川を眺めながら食べた露店のモヒンガー(魚のダシで作った麺)はストランド・ホテルで食べる豪華なディナーよりおいしかったと思う。これは別に負け惜しみではない(こともないこともない)。
市街にはバッタもんの外食店もある。「マック・バーガー」とか「ミスター・Jドーナッツ」とか「フライド・チキン・トーキョー」とか。カレーより高いけど結構はやっている。ファーストフードは嫌いだが、ためしにフライドチキン・ディナーセットを購入。味に関しての感想は控えたい。ただ日本だったら三時間でつぶれるだろう。
三時間で市内を一周する環状線に乗ってみた。外国人は乗車券を購入する窓口が違っていたり、パスポートの提示を求められたりとややこしく、おまけに料金はミャンマー人は二十円だが外国人は1ドルである。発車時間ギリギリだったので、ホームを走って最後尾の車両に飛び乗った。乗客から不思議そうにじろじろ見られた。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

人によって意見が分かれることは、承知の上ですが、海外旅行に行くと時差ボケで苦しむ人は多いです。
私が行ってきたブリティッシュコロンビア州の夏時間と日本の時差は16時間でした。従って、日本時間の午後11時が現地ブリティッシュコロンビア州の午前7時です。皆さんも過去に一度は日本国内で午後11時に食事をしたことがあるとは思いますがカナダでは朝食の時間帯に該当します。
そればかりかホテルのベッドが柔らかすぎて寝にくい状態が継続してましたので8時間起きて4時間寝るといった状態が継続してました。早寝早起きではあったが非常に不規則でした。フリープランを選んで正解でした。何しろ、バンクーバー水族館の休憩所で苦しんでる日本人観光客の一団を見た事がございました。彼等は時差ボケで苦しんでました。
バンクーバーは都会でしたから24時間営業してるティムホートン(ドーナツ店)がホテルの近くに存在してたこともあって暇になることはありませんでした。もしも、空腹であればティムホートンに行けば贅沢を言わなかったら食事は行えました。
日本とミャンマーの時差は2時間半です。従って、日本時間の正午がミャンマー時間の午前9時半だそうです。
今からお伝えすることは絶対に模倣しないでもらいたいがバンクーバーで宿泊してる時に現地時間で午後10時半を過ぎた時にドアを開閉させたがゆえに発生する金属音が「ガチャガチャ。」うるさかったので扉を開けるとお隣さんの別口の日本人観光客達が議論してたようでした。私はその日の翌日に早朝から出かける予定があったので就寝をしようとしてたが彼女達はお構いなく議論をしてたので閉口しました。こういった具合の会話に至りました。私「日本人観光客ですか?もう、午後10時半は過ぎてますよ。」全然知らない日本人観光客の返答。「今、大事な話をしてまして。」私の返答「幾らなんでも午後11時迄には終わってください。私は明日、早いんです。」といって扉を閉めて寝ました。今はタブレット等で連絡が行えるから扉を何度も開閉させて金属音を作り出すような周囲の人々の迷惑を辞めてもらいたい。良い行動をしてもらいたいです。こういった迷惑行為の模倣は絶対に辞めてもらいたいです。実質的な教会の3時間プログラムの参加の妨害であった。その教会の3時間プログラム中にリーダーシップについて語る人がいて「シ〇アのア〇ド大統領や中〇人民共〇国の習〇平なんかはどうなるんだよぅ?」みたいな濃い人がいたから「ENEMY?(敵)」と発言し室内にいた教会員達を爆笑させた日本人はいます。皆様、親睦を深める良い機会であって「日本のハジを輸出した。」と考えないようにしてもらいたい。
 ミャンマーのストランド・ホテルの宿泊費について軽く調べてみると今でも一泊につきおよそ五万円は必要なようです。この点は平成10年代か平成20年代を問わずに同額のようです。高い部屋になるとおよそ一泊につき16万円は必要なようです。これにデポジット(預かり保証金)が加算されるといくらになるのであろうか?宿泊費については皆さまが本当に海外旅行に行くならば前もって調べて予約してから海外旅行に行ってください。そうでないと大変困ることになります。
 私が宿泊してきたホテルは300カナダドル請求されホテル内で迷惑をかけなかったから全額返金されました。無論、為替差損についてはやむを得ないと考えてます。本来は三日後の返金が15日後に返金されたのは何だったのであろうか?
 海外の町に到着してから対岸行きのフェリーが存在してるかどうかについては海外旅行案内書を読んでから知る人が多いとは思います。私は利用しました。そこで異性の在外邦人と知り合うとは予想外でした。
以下の動画に限っては私(マーキュリーマーク)が撮影しました。


 私が行ってきたブリティッシュコロンビアにはトランスリンクという阪急のような大別して3路線を保有する公共交通機関(鉄道)が存在してまして専らそれのワンデイパス(一日乗車券)ばかり買ってました。検札が多かったらしいが今では自動改札機がちゃんと機能してるのでお気楽でした。昨今の近鉄の方がミャンマーやカナダよりも検札は多いかもしれません。実は特急料金を踏み倒そうとする人が近鉄には多いからやむを得ないようです。外国人であっても同一価格だった点は「良かった。」と考える必要があるかもしれません。
現地に到着してからは送迎バス(空港からホテルとその逆)、徒歩、トランスリンクの3種類のどれかでした。トランスリンクが運営してるバンクーバー・スカイトレインの中にカナダラインが存在していて例えるならば南海本線のような路線でした。なぜならば、西側が海に近いばかりか国際空港に乗り入れる空港連絡鉄道だったから共通してる部分が存在してるからです。但し、北部の方が人気があって南部の人気が低いか否かが共通してるかどうかですが一概に言い切れない部分があるので各自でお考え下さい。カナダラインの南部には(私は行っていないが)大型ショッピングセンターのリッチモンドセンター(店)があって有名で、南海本線の南部はおいしいラーメン店と(夏場限定だが)海水浴が楽しめる和歌山市内に行けるので安直に言い切れない。
私はメトロラインのカナダラインそのものは利用しました。まるで、南海に乗って教会に行った人のようにオークリッジ41丁目駅で下車したのを昨日のように連想します。
そういえば、国内外を問わずに初めて乗車する路線は迷ったりしますね。一日乗車券を購入した後であれば「乗り越しでは?」といった批判はされないからお気楽です。逆に一日乗車券を否定した私鉄の方針については懐疑的に思えます。日本人向けのスルッとKANSAI3dayチケット(季節限定版)を辞めてしまったのは間違いではなかろうか?

三時間。三時間が今回のミャンマー旅行記で大きな重みを持つ言葉ですね。日曜日に霊的に過ごすように求められるのも三時間ですね。実際にはそうならないことが多いのも現実です。
それはともかく、フライドチキンの味付けについての評論を始めて読んだ平成18年には個人的には爆笑した思い出があります。現在はどうか知りませんが、カレーはおいしくてもミャンマーのフライドチキンについてはドリアン長野は肯定的ではなかったようです。実は日本人は塩分が多い食事を好むからその部分も関わってくるかもしれません。塩分が多い食事をしてるから高血圧で困ってる日本人は多いです。もしかしたら、海外旅行中に高血圧であっても塩味が好きな日本人は塩コショウを持ち歩いてたりして?
 健康を意識して意図的に運動量を増やして早寝早起きをしてる人は多くなってきました。軍事政権のミャンマーと資本主義社会のタイランドとはその部分でも大違いのようです。ミャンマーでは早寝早起きでもタイランドでは夜ふかしといった具合です。
 ドリアン長野が旅行した翌年の平成19年にミャンマー政府がガソリン補助金の引き下げを行うと、ヤンゴン環状線(総延長45.9キロメートル)の利用率は急激に高まったそうです。要するにガソリンの値上げで鉄道利用者が増えたそうです。平成10年代と平成20年代は大違いのようです。45.9キロメートルはそれなりに立派ですね。一つの路線で100km以上のJRや近鉄(近鉄大阪線営業距離108.9km)に乗り慣れてる人だと賛否が分かれるかもしれない。
又、日本国内でも町によって考え方が違う事が多いのは半ば当然ですが北海道では駅の中で走ることはほとんどないそうで近畿の駅の中で走ってる人を見て驚かれる道産子がおられました。 余談ですが平成10年代のある日、私が北海道の地下鉄の切符を自動改札機に入れたら受け付けてくれなかったことに驚きました。向きが逆だと認識してくれないのです。あれには参った。
ミャンマー風チキンカレーがチェッターヒンだそうです。私もチキンカレーは大好きですがミャンマー風は食べた事がございません。

NO92 ビルマの休日 その5
at 2006 01/20 23:44 編集
対面式の座席の後部には縄が張ってあり、その内側には制服を着た人相の悪い輩が四、五人座っている。一人は車掌であとは警察と軍の関係者らしい。乗客の安寧を保つためだそうだ。列車はゆっくりと走っていく。物売りや行商のおばちゃんたちもどこどこ乗ってくる。水売り少年の水はコップ一杯が五円だった。停車駅に近づくたびに、線路の上で寝ている大人や遊んでいる子供たちを見かける。アジアの人たちっていうのは野良犬みたいだ。好きな時に好きな所に寝っころがって、気に入った場所にはどんどん入っていく。そういえば、バンコクでは線路の上に市場があった。列車が通過する時間になると商売道具をどかしていく。マニラでは列車が運行してない時間を利用して手作りのトロッコを走らせ、お金をとっている人たちがいた。もちろん違法だが、こういうのを見ると、いいよなあと思うのは野良犬の生活に少し憧れているからだろう。
ヤンゴン中央駅に戻り、スーレーパゴダの周りを歩いていると、子供たちがこちらにバタバタと駆けつけてきた。年長の十二歳くらいの女の子が持っていた絵はがきを突きつけ、
「ミャンマーの絵はがき買ってよ。言っとくけど、これは複写じゃないからね。他の店では絶対売ってないよ。二十枚セットで一万チャット! お買得だよ。わたしより安いところなんかどこにもないからね!」
と、まくしたてる。アジアの国のどこにでもいる子供の物売りだ。彼らの英語は生活のためだから、たとえブロークンであってもリズムがあってスピードもある。平均的な日本人の英語学習者が一生かかっても彼らのようには喋れないだろう。それはそれで日本人は幸福だなと思うけど。
「一万は高いよ」
「高くないってば! しかたないわね、それじゃあ大負けに負けて八千!」
「それでも高いよ」
女の子は、はぁ~っとため息をつく。
「あのね、一体いくらなら買うの?」
「う~ん、五千だな」
びっくりしたように目をむいて、
「冗談じゃないわ。わかった、ラスト・プライスを言うから絶対、文句言わないでよ!」
「言うよ」
「六千!」
「きみ、英語うまいね」
「あたりまえでしょ、何年も勉強してきたんだから。今でも週に二回学校で英語の授業があるけど、わたし一番なんだからね。いいわ、特別に五千でいい」
女の子は右手を差し出した。商談成立だ。五千チャット(五百円)渡すと、
「あなた、かわいいね」と言われた。きみにかわいいと言われてもな~。(続く)
 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 日本国内にも私服警官が電車内を警備してることがありミャンマー(ヤンゴン)も同じようです。
 日本の英語教育に問題があるか無いかについては述べたくありませんが、Rの発音がほぼ無い日本ではRの発音が求められる英語の上達は難しいです。とうもろこしのCORNの発音一つとっても外国人は日本人の発音が悪いことから爆笑する人もいます。円錐のCONEだけでは無い点は強調しておきます。解釈の仕方が悪い外国人に問題があるのでしょう。
 平成10年代に絵葉書を販売してた小学生の女の子は今は二十歳になったやもしれません。平成18年当時で12歳であれば、平成29年の現在は? 時間は誰一人として待ってくれない。
 どこの国でもそうですが、仕入れた価格に利益率を上乗せして売ることはどこでも同じです。さて、ドリアン長野はミャンマーの絵葉書を購入して得したのか損したのか?それは次回のお楽しみです。
 お水ですが本当に警戒してください。私はブリティッシュコロンビア州では瓶詰のミネラルウォーターを飲んでました。海外では日本よりも衛生基準が緩い国が存在してます。言い換えると、衛生基準が日本よりも悪いので人体に悪影響を与えかねないのです。全く逆にミネラルウォーターを日本へ輸出してる国も存在してるので混在してます。しかしながら、お水には警戒してください。日本から海外に行く時は海外にお水を持ち込むようにしてる人がいる位です。意図的に私は500mlのミネラルウォーター24本1パックの商品を購入しました。その後、ホテルの冷蔵庫に入れて冷えた衛生的なお水を何度も飲んで幸せでした。

ビルマの休日 その6、その7、その8  2017/12/2(土) 午前 1:24


NO93 ビルマの休日 その6

at 2006 01/21 22:52 編集

列車に乗っていたら隣に七歳くらいの女の子が座った
顔にタナカを塗りたくって
口紅を引いて
マニキュアをして
とっておきのワンピース
お母さんに連れられて
今日はお正月だから
にこっと笑うと齒が欠けていた
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
バゴーのパゴダで
五歳くらいの女の子が
お金をくれと手を出す
お金はやれないよと首を振ると
実に悲しそうな顔をした
せめて 
さようならと手を振ると
顔をくしゃくしゃにして笑った
齒の欠けた口を開けて
クアラルンプールの空港で見た
白人の家族連れ
その子供たちは
貧しさというものを
死ぬまで知らないですむだろう
こんな光景は
こんな光景は何度も見たはずなのに
この炎天下に
汗と一緒に涙までにじむのはなぜだ
子供たちは
たじろぐほどの真剣な面持ちで
俺から金を巻き上げようとする
私は学校に行きたいんだ
弟においしい物を食べさせてやりたいんだ
父さんと母さんに楽をさせてやりたいんだ
俺はいつもお前たちに負けてばかり
最初から勝ち目のない闘いだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
俺もアジアの子供だ
いつかはこのアジアの黄色い土に還る
そのときには
神様に頼んでやる
天国でアジアの子供たちと
一緒に住ませてくださいって
毎日話してくれないか
父さんと母さんは
お前たちを愛してくれたのか
貧しくても幸せな日々だったのか
隣でお前たちが
齒の欠けた口を開けて
笑ってくれれば
そう思えば
死ぬことなんて怖くない
そんな気がするんだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
観光地では物売りの女の子が同じ絵はがきを二ドルで売っていた。やっぱりまたボラれてた。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 五千チャット(¥500)と二ドル(米ドルとしたら、¥240?)とどっちが安いでしょうか?要するにドリアン長野は損をしたという事です。
平成18年当時に小学生だったからその当時12歳としたら今頃(平成29年現在)、23歳なので母親になってるかもしれない絵葉書を販売してた女の子。大きなお世話かもしれませんが同じ行動で絵葉書を売っていない事を希望します。平成29年になって注目されてる部族の子供かどうかは僕には全く予想が出来ません。
 ドリアン長野はビルマの困ってる子供達を助けたようです。平成20年代になってドリアン長野は日々の業務上の艱難辛苦を乗り越えて一人娘を育てています。ドリアン長野にとって独身時代を過ごしてた平成10年代の大半の時期と、ドリアン長野が結婚した平成19年以降(事実上、平成20年代)はドリアン長野にとっては大違いです。
 日本社会には多くの人々を困らせる旦那様がいて家族の中がヤバイ状況なのにも関わらずさらに間違えた選択をしてさらに窮状を深刻化させてしまって多くの人々から非難されてる旦那様がいてその人物を連想した。本当に情けなくなった。乏しい人を助けましょうと言われて賛同はするが、いい加減な悪人が理不尽な行動を取られると関与は行えなくなるから支援は行えない。
 日本は原材料を輸入し誠実に良い製品を作り出して世界市場に売り出す加工貿易で経済大国になったが最近は提案や企画が悪いからか利益が出にくい社会になりました。 研究、開発等は自由な社会で無ければ行われない。
 アジアの貧困について作成された詩のようでいて最後に笑わすことを発表してるのがドリアン長野らしいですかね?
そういえば、ドリアン長野は電波時計であっても日本で¥1500未満で販売されてるセイコーの時計を2000バーツ(およそ¥7000)で(事実上)買うはめになった前例がありましたね。 皆様、置時計は普通に買いましょう。その方が絶対に安いです。日本国内で販売される置時計の価格の値上がりはあり得るがそれでも普通にお店に行って買う方が安いに違いありません。そりゃ、平成29年に発売されてる価格がいつまでも通用はしないだろうけども不正をせずに普通に買うべきです。

NO1 オリエンタル・ホテル 


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
日本円から外貨(今回の場合はミャンマーチャット)への交換等は自己責任で行うようにしてください。影響を与える事は出来ても責任は取れません。
海外で日本円から外貨への両替をするよりも日本国内で行う方が良いかもしれませんがそれが行える外貨なのかどうかも問われます。従って、外貨交換をされるなら熟慮の上で行うようにしてください。詳細は各自でお調べください。



 海外旅行においての支払い方法は以下の4種類に分かれます。

 第一に、円を日本国内で外貨に交換する。

 ご存知のように日本と活発な貿易が行われてる国家に限定されます。日本国内であれば日本語が通じるだけあってお気楽かもしれません。カードが利用出来ない外国のお店は存在します。私が行ってきたカナダのチーズケーキエトセトラのように現金のみの支払いのお店は存在します。
http://www.cheesecakeetc.com/

 第二は、円を海外の国で外貨に交換する。

 海外ではATMの機械の不具合が発生する恐れがあるが悪く無い選択です。手数料がそれなりですがそれはどこの国で両替しても同じかもしれません。海外国家にとっては日本円は外貨になるので外貨獲得の観点から多く得たいと考えてます。従って、日本円を外貨に交換することが行えても外貨を日本円に交換することが行えない事があるそうなので詳細は各自でお調べください。

 第三は、円を日本国内で外貨に交換するばかりか海外においても円を外貨に交換する。

 為替相場の乱高下等が理由でこの方法を選ぶ人は多いです。海外旅行の時期は選べても為替相場が日本人旅行者にとって良い時期を選ぶのは難しいです。外貨が安い円高の時期と外貨が高い円安の時期は同じくらいに存在してます。
表面的には半ば時間の無駄に感じられるかもしれませんがこの選択をする人はいます。

 第四は、支払いをカードで済ませる。

 決して料金を踏み倒すという訳ではないが海外旅行中に外貨に触れることなく旅を終了させる人もおられるとは思います。チップさえもレストラン(飲食店)が%を選べるように用意してる場合もございますから。カナダのバンクーバーのハ〇アットリージェ〇シーの中で営業してるレストランがそうでした。
前述したお店とは別の飲食店のお話ですが、全く逆に店側が半ば強制的にチップを本来の飲食代金に対して増額した上で請求することもあるようです。良い仕事をされたならチップを支払った方が良いそうです。
 同様にホテルの従業員さんにチップを手渡すかデポジット(預かり保証金)の天引きを選ぶかは人それぞれだと思います。半ば、余談ですがデポジット(預かり保証金)の為替差損はやむを得ないと考えるべきです。否定する気持ちについては多少の理解はしますが仕方ないです。
 必要な時に必要なだけ日本円を外貨に交換するようなものですがカード払いはある程度は何を支払ったかについてちゃんと理解した上での行動が必要です。日本よりも物価が高い国は存在してます。
皆様、後の請求書を見て辛い思いをしないようにしましょう。ある程度、金銭的に余裕を持って行動するようにしないといけません。
カードでしか対応してなかったホテルのデポジット(預かり保証金)は「あなたが我々のホテルの部屋の中で消費活動(有料テレビ、傘、お水等の購入)や悪い事をしなければ海外通販を帰国後に利用してください。」と言われてるような?300カナダドルであったからなぁ。繰り返すようですが、多少の為替差損はやむを得ない。三日後に返金される予定が15日後になったのを連想する。
「デポジットは事実上、お土産を買う妨害。」に感じる人がいるかもしれないがホテルで悪さをする人もいるから仕方ないみたいです。「禁煙席から喫煙席への切り替えは300カナダドルです。」という警告板を今でも連想します。

NO94 ビルマの休日 その7

at 2006 01/26 23:13 編集

ミャンマー人は温厚で親切で素朴な人が多いと思う。道を尋ねた人が英語がわからなくても、わかる人をどこかから連れてきてくれるし、何かを買ってお釣りをごまかされたということもなかった。それでも人を騙してあぶく銭を稼ごうとするよからぬやつはどこの国にもいる。ミャンマーに着いた初日の夜に街を歩いていると日本語で声をかけられた。
「こんばんわー、日本人ですか? どこ行きますか?」
歩いていて日本語で声をかけてくるのはお金を騙しとろうというやつに決まっている。話に応じると、日本が大好きだ、日本に知り合いがいる等と言い出す。そして私は学生だとか教師をしていると言って、観光案内をしてあげると持ちかけ、最後に法外な報酬を要求するという古典的な手口である。他の国なら無視するのだが、ミャンマーということで少しだけ気を許した。
「僕は日本に恋人がいますね。日本、大好きです。明日はお正月ですから、たくさんの人がチャイティヨーパゴダにお参り行きますですね。僕の知り合いが車持ってますから案内しますよ。150ドルでどうですか」
その時はそいつの知り合いが日本円をドルに両替できるというので、一万円を換金してもらった。ミャンマーでは日本円を両替するのは難しいんである。
翌日、歩いていると別の男に声をかけられた。
「あなた、ビルマ人に似てますね。日本人ですか。ビルマ人かと思った」
今度は英語である。
「私は大学生です。どこに行きますか? 私の友だちが車を持っていますから、チャイティヨーパゴダに行きませんか。特別に150ドルで行ってくれますよ」
とてもわかりやすい。マニュアルそのままである。さすがに軍事政権では情報が制限されているので、手口も画一化している。こんなんで旅ずれした個人旅行者を騙すことができるんだろうか。
その男と歩いていると、昨日の男(ミャンマー人A 。名前は秘す、っていうか忘れた)と出会った。世界は狭い。
「ちょっと、ちょっと」
Aは私を脇道に呼んで聞いた。
「あの人、誰ですか」
なんだか自分が二股かけたプレイガールのような気がしてきた。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
 残念ながら日本国内でも御釣りをごまかそうとする人はいますね。随分前に閉店したお店が営業してた時のお話ですが、店員が私の御釣りを盗もうとしてましたがちゃんと私の財布に入れた事を連想します。しばらく前には黄色い線が閉店した店舗跡につけられたから悲惨な状態に陥ったのは十分理解出来る末路でした。
 旅も色々で目的を持っていても現地に信頼が出来る有力者の友達がいるかいないかで犯罪の被害にあう可能性が変わってきますね。国内旅行であれば周知のように法治国家なので海外よりは気楽だと言えます。無論、幾つか例外的に危険な町がある点は言及を避けておきます。21世紀になっても恐ろしい状態に陥った町は日本にも存在する。
 私は過去に日本国内の道端を歩いてた外国人に英語で会話をした後でも、フェイスブックで連絡をする外国人の友人がいる。良き人に出会えて良かったと思ってます。全く逆に不良外国人がいるのも現実です。一括りに考えない方がよろしいです。言い換えると国籍を問わずに善人と悪人が混在してます。
 私がカナダに行った時は良き在外邦人に出会えた機会が多かったから道に困ってる時に道案内をしてもらって助けてもらいました。過労と時差ボケの影響もあってホテルの自室に戻って熟睡したなぁ。フリープランの利点でしょうね。

 色々とあって地〇の歩き方等の海外旅行案内書が人気がある点については否定が行えない人は多いでしょう。率直に伝えると不明瞭な人物との会話をする機会を減らせるからです。但し、屋外で保有してると海外の犯罪者に注目されやすいらしいから警戒してください。可能であればホテル(宿)の中だけで読まれても悪く無いと思います。

 前述はしたが、一定の法規制等は存在するようですが、外貨両替は日本国内であれば両替したい国の外貨は大半の場合は円滑に行えます。外国との銀行取引があれば簡単に行えますが全ての外貨の両替が円滑に行える訳ではありません。日本円を外貨にすることが行えても外貨を日本円に両替する事が行えない場合もあるようです。各国毎に外貨の両替の状況が違うので詳細は各自でお調べください。日本では銀行で取り扱っていない外貨が存在することは理解してもらいたい。日本政府が経済制裁を下した事で有名などこかの国もそうなるのかな?

 本文の疑問についてはすでに結果が発表されてるが楽しみに思えてしまうような?テレビ番組の再放送を見て同じ様な思いをしたのを連想した読者もおられると思います。一応、平成18年に発表されてるお話ですが今回が初めて接する人もおられるかもしれません。

NO95 ビルマの休日 その8

at 2006 01/30 23:14 編集


「あの人、とても悪い人ですね。マフィアですね。気をつけてください。あなたにちょっと話あります。今晩六時にあなたのホテル行きますから待っていてください」
と言ってAは去っていった。自称大学生の男(ミャンマー人B。名前は秘す、っていうか忘れた)はすかさず、「あの男、知ってますよ。ここら辺では誰も知らない人はいません。最近まで刑務所に入っていました」と言う。
(お前ら、二人ともあやしいんじゃ~っ)
Bと別れてから、MTT(ミャンマー国営旅行社)に行って聞いてみる。
「チャイティヨーパゴダなら往復のタクシーをチャーターして、100ドルですよ」
思わず値切るのも忘れて予約した。
Aは六時きっかりにホテルに現われた。悪人なのに時間には正確だ。
「あの人、外国人を騙してお金とりますね。騙すところ見たことあります。とても悪い人ですね。ところで、昨日の話どうしますか。150ドルって言いましたけど、友だちに相談したら130にしてくれるそうです。日本人は友だちですから特別ですね」
Bも全く同じことを言っていた。この国には騙しのテクニック講座があって、同じレッスンを同じ教科書で学んでいるに違いない。
「ふ~ん、もし旅行会社に頼んだら、いくらになるの?」
「そうですねえ、日本のお金で二万円にはなると思います」
私はもちろん、その話を断った。その前にもう一万円を両替してもらった。
チャイティヨーパゴダというのは別名、ゴールデンロックといって、金箔を張りつけた巨大な岩が山頂の崖の端に落ちそうで落ちないという微妙なバランスで鎮座しているというミャンマー人が一生に一度はお詣りに行くパゴダである。行くつもりはなかったのに、何だか行くはめになってしまったのはこれも仏様の導きか。早朝六時にタクシーに乗り、五時間かかって山のふもとに到着。そこからトラックの荷台に五十人ほどのミャンマー人とすし詰めにされ、どこかにしがみついていなければ振り落とされるほどの急勾配&曲がりくねった山道を四十分かけて中腹に着いた。しかし、本当の苦行はここから始まるということを神ならぬ私は知る由もなかった。(続く)


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

無意味に高い料金を提示してたり請求する人って多くいるようですしかなりいい加減な発言をする人もいますね。海外ばかりか日本でもそうですね。
言葉の壁もあるし日本と海外では状況が違うから外国人が日本に来て仕事をしても何も分らずに文句を言う人もいて困ったりすることがあります。複数の会社が関わる駅前で仕事をすることになった外国人がいて上手に話すことが行えなかったのを体験したことがありました。「分ってないのが悪い。」と言いたい位です。
タクシーで片道5時間の旅行というものは余程でないと耐えられないと私は思います。
結局は、ガイド本等で予習してからでないと海外旅行には行かない方が良いようですね。この海外旅行記を参考にするのは避けておいた方が無難だと思います。どっちかというと情けないお話が多いのがその理由です。(笑)

 「往復のタクシー。」の部分を読んで連想したのは空港からホテルの送迎バス。それなりの金額でしたが長所と短所がございます。
 長所は大雑把には(当然ながら)安全運転での送迎と貨物の運搬、会話(説明)、ホテルのロビー(受付)での連絡。

~安全運転での送迎と貨物の運搬~
土地勘が無い初めて行く街であっても土地勘がある案内人(送迎バスの運転手)がホテル迄送ってくれる点は小さくない。料金を支払ったこともあってちゃんと送迎してくれた点は否定はしません。大型の荷物を持って土地勘が無い街を移動するよりも、支払い責任を果たしてくれたこともあって空港から旅行用品(荷物)と一緒に運んでくれた点は良かったがゆえに送迎バスとしての役割を果たしてくれた点は小さくないです。構造上、大型になる荷物(旅行用品)も含めて安全運転してくれるしホテルの人々にも運転手さんは顔が利くから円滑に物事が進みました。
~会話(説明)~
現地情報(海外の町)についてもそれなりに教えてくれます。それは良い情報伝達だと思いました。運転手さんは現地情報(*1)について教えてくれたり名店の紹介等は上手でした。色々な人が世の中にはいるのでバンクーバー国際空港(YVR)の近くには英国の特権階級が多く住んでるといったお話は興味深かったです。
*1 私が行ったのはカナダのブリティッシュコロンビア州
~ホテルのロビー(受付)~
もしかしたら、ホテルへの早期入室についても好意で行うようにしてくれてますが、何等かの打合せをされてるかもしれません。
最悪の場合だが、ホテルの予約を入れたにも関わらずホテル側の手違いがあった時でも対応してくれると思います。半ば余談ですが伝達します。私が実体験した日本国内の旅行でのお話です。平成10年代のある日、札幌のホテルに予約したが予約が取り消されていて困ったことがございました。その時は他の空室を用意してくれたので事なきを得ました。万が一、日本の旅行代理店を通じて予約をしたが現地の海外のホテルが予約を認識してくれてなかった場合でも運転手さんは助けてくれると思います。それも、送迎バスの料金を支払った利点であり長所だと思います。ホテルのデポジットこと預かり保証金の料金が300カナダドルである点についても日本語で運転手さんが教えてくれたので感謝しないといけませんね。
良くも悪くもパスポートの確認もされたことは喜ばないといけないのでしょうね。「千の言葉よりも一の実行。」でホテルから空港への移動の為に私を迎えに来た運転手さんにパスポートの確認をされたから黙ってパスポートを見せた事を連想します。
それなりの料金を支払ってるだけの長所(利点)がございますね。高値か否かは各自でお考え下さい。
これらの送迎(旅行用品も含んだ上での運搬)、会話(説明)、ホテルのロビー(受付)の連絡等が長所にはなると思います。

 短所ですが大雑把には、待機と価格、無意味な提案と発言内容の是非、偽物が出現する恐れがある点。
~待機と価格~
出発時間と集合時間の両者が遅めになったのは仕方なかったかな?これもちょっと考え物でした。帰国便に乗る為に私を迎えに来た集合時間そのものが少し遅かったので飛行機内で着席が行えたのが出発のおよそ40分前だったんです。空港には余裕を持って到着したし、航空会社の発券の問題もあったかもしれないから一方的に否定する気持ちは全くありません。繰り返すようですが、やってくる集合時間そのものが遅いのはいかがなものか?
「高値か否か?」の価格の部分ですが送迎バスの依頼を辞めて自発的に移動しても良いかもしれません。ただし、ホテルへの早期入室が追加料金無しで行えるようにしてくれてるかもしれないので単純に損害とも言い切れない部分があって複雑な思いです。入室する時間と退去する時間を考えた上でそれなりの決断をホテルが行ったかもしれません。仕事をしてくれたら支払い義務が発生する点は尊重すべきだと私は思います。世の中には人の仕事を全て軽視する愚か者がいるが私はそうなりたくありませんが、依頼(購入)する前に少しは考えるようにはします。一旦、依頼したからには尊重はするべきだと思います。
話は前後するようですが全く逆に空港からホテルに送ってもらう時に他の航空機でやってくる人々の待機を余儀なくされる点は少し困りました。カナダのブリティッシュコロンビア州の夏時間と日本では時差が16時間なんです。日本時間で深夜午前3時が現地では午前11時だったりします。早くホテルに行って落ち着きたかったのは本音でした。
単なる提案ですが、無意味に時間を過ごすよりも空港内で営業してる行きたいお店に案内してもらう方が良いと思います。現在は空港内で営業してるお店がインターネット上で発表される時代になりました。私はカナダでは有名なティムホートン(*2)に案内してもらって楽しく時間を過ごせました。それでも半ば強制的な待機は否定する人が多いやもしれません。イヤならば自発的に空港連絡鉄道等を利用しても悪くないかもしれません。独占ではなくて競争相手ないしは他の選択肢が存在してるか否かは大きいかもしれない。例外的にレンタカーについて述べます。私は第三者がレンタカーを利用することについて妨害はいたしませんが同様に推奨もしません。なぜならば、レンタカーの利用料を支払えるばかりか国際免許証を保有してる人物であっても時差ボケで困ってる時は眠気が凄まじいので安全運転が難しいかもしれないからです。海外でレンタカーを利用するか否かについては各自で熟慮の上でご決断ください。海外の法規制(道路交通法)は日本と同様に厳しいと言われてます。詳細は控えるが、カナダで会った送迎バスの運転手さんがそっち方面についてはそれなりの発言をされてました。罰金額は高値だそうです。
*2 昭和49年には40店舗で1991年(平成3年)にはケベック州で500店目を開店するに至ったドーナツ等の食品で有名なティムホートン。平成29年現在はカナダ国内だけで3842店舗営業してると言われてる大企業でカナダに行ったら必ず立ち寄ることを推奨します。

~無意味な提案と発言内容の是非~
運転中に観光案内の提案をされたがフリープランを選んでるがゆえによほどの人が気まぐれでも起こさない限りは無意味な提案だと思いました。インターネット上の紹介や海外旅行案内書を海外に行く前に読んでおくと予定はそれなりにいっぱいになります。但し、私以外の人物も乗車してたからその人物達は利用したかもしれないから完全否定はしませんけどもね。申し訳ないが、良い情報伝達もあったけども運転手さんにしたら観光業で仕事をしてるから不可避だったかもしれないが私には良い提案には思えなかったが提案したのはやむを得ないかったか?以下は関連するか否かは各自で考えてもらいたい。細かい部分になるが郊外のお店について質問したがご存じなかったので少々困りました。ただ、店というものは個人的に前もって調べても臨時休業等もあるので実際に赴いてからでないと営業してるかどうかは不明です。運転手さんにしてもそこまで返答する責任はあってないようなものかな?だけど、観光業者なので教えてもらえると幸いです。

~偽物が出現する恐れがある点~
この部分を短所と伝えるかどうかは微妙ですが、ドリアン長野がインド旅行中に偽物が出現して詐欺行為をやらかそうとしたそうです。 インド旅行記(前編) 

明確化しておきますが「真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題が無いが、別の客引き(偽物)に問題がある。」と考えてください。偽物が出現する恐れがあるので多少の警戒は必要です。送迎の人に過去に一度でも会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は多少警戒するのはやむをえません。

 送迎バスを依頼する人ばかりか依頼しない人にもそれぞれの言い分があると思うし一長一短である部分は理解しておいてください。
化粧品のタナカはミャンマーでは有名らしいです。

ビルマの休日 その9、その10、その11  2017/12/2(土) 午前 1:27




NO96 ビルマの休日 その9

at 2006 02/02 23:03 編集

トラックを降りないうちに、すさまじい攻勢だ。運び屋は私のバックパックを勝手につかんでかごに入れようとするし、茶店のおばさんは私の袖をつかんで離さない。
「ひと休みしてコーラ飲んでいきなさい」
「ひと休みって、これから登るところ.....」
「コーラ!」
「またねー」
彼らを振り切って、山道を駆け登る。下を見ると、熟れ寿司のように一緒に荷台でみちみちになっていたミャンマー人たちはまだ到着地点でうろうろしている。
「ふっ、やる気のないやつらだぜ。日本人のど根性を見せてやるわっ!」と張り切って登り始めたのだが、鬼のように勾配がきつい。一時間あれば山頂に着くらしいのだが、そんなことのできるやつは誰なんだ。植村直己か、野口健かっ。要所要所にかつぎ屋さんがいて、「乗らないか」と声をかけてくる。彼らは四人一組で台座に人を乗せて五百円くらいで山頂まで運ぶのだが、こんな過酷な仕事がまたとあろうか。その仕事に敬意は表するものの、自らの脚で登頂してこそ御利益もあろうというもの。ああ、ありがたや、ありがたや。声をかけられるたびに「ノープロブレム!」と言い放ち、全力ダッシュを繰り返す。三回続けたらマジで心臓が止まるかと思った。アホや。混じりっけなしのアホや。あちらこちらに茶店があるのだが、一旦休憩したらそこに根付いてしまいそうで恐い。脱水症状でふらふらと登っていくと、遥か彼方に陽光にきらめくゴールデンロックが見えた。それを目にしたら逆に気分が萎え萎え。無理や、あんなところまでたどり着くのはずぇったい無理やああああ。責任者出てこ~い!(こればっかし)。
かつぎ屋に乗った日本人や白人が次々と私を追いこしていく。おまえらなあ、金さえあれば何でもできるという先進国の驕りといったもの、かつ人間の努力と尊厳というものをいったいどのように考えて.......、ああ、それにしても私はなぜミャンマーくんだりまで来て、こんな辛い思いをしてまで山に登っているのだろうかという根源的なしかし決して考えてはいけない疑念が浮かんできたのだが、酸欠なのでそれ以上は脳が拒否。あのミャンマー人のAとB、今度出会ったらグーで殴っちゃるう~(逆恨み)。(続く)


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。


管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

ドリアン長野は空手家で割と体力がある人物なのですが、凄まじい山道だったようです。文章だけでも峠を連想しますね。日本国内でも東大阪市と生駒市の境目や神奈川のように峠が多い町を連想しますね。山岳の村は存在しますね。
ミャンマーの観光産業は地形によって成立してる部分もあるようですね。
ドリアン長野が誰かを本気でグーで殴ると恐ろしい結果になります。それよりも、恐ろしい下段蹴りかな?極真空手の黒帯だけにシャレにならないです。

 平成28年になってマラソン完走を果たしたドリアン長野はこの時に「空手以外でも体を鍛える。」と考えたかもしれません。私が行ってきたロブソン通りなんですが坂の急こう配が存在してました。だけど、山道よりかは楽であったと思います。
海外旅行に履いていく靴なんですが、登山靴を推奨したいです。無論、業務上の事務所や極寒地や赤道直下に行くことが確定されてるなら話は変わってきますが大半の場合においては登山靴で成果が得られると思います。
可能であればゴアテックス、ビブラム、そしてオーソライトが用いられてる登山靴を私は推奨します。
もしも、皆さんが本当に海外旅行に行くならば前もって靴を新調されてもよろしいかもしれません。可能であればアウトドア用品販売店か靴店に行って登山靴を試し履きされて確認されると良いと思います。実際の所、過去に某航空会社のAさんがメ〇ルの靴を紹介されてました。







Ortholiteでオーソライトです。

私はある意味、同等品のニューバランスの703を履いてカナダ旅行を楽しんできました。防水性と快適性を兼ね備えた登山靴は海外旅行の時に向いてると私は思います。実際の所、私が行ってきたブリティッシュコロンビア州のバンクーバーはレインクーバーと言われるほどに降雨が多いので防水性が高い靴を履いて正解でした。
普段であれば自転車で移動していても歩くことになる事が多いのが海外旅行の特徴だと思うので良い靴を選ぶことを提案します。

 皆さんが担ぎ屋さんを利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。有料です。
しかし、海外旅行中に迷惑をかけてくる人は本当に気分が悪いです。単純に屋外にいる人で悪い人がいるだけでなく平成20年代になってからだと思いますがインターネットを通じて嫌がらせにしか思えない詰問を毎日する人もいるので皆さん、警戒してください。彼は狂人でストーカーであったのかな?荒らすだけ荒らして責任は取らなかったし帰国後に抗議してもロクに謝罪しないから危険性を友人達に伝えてブロックしたから問題ないであろう。ゆすりや揚げ足取りにこだわる人は批判に値する過失行為をやらかしたのであろうか?
皆様、海外旅行中の人に詰問は辞めておきましょう。理由は時差ボケ等で過労で困ってる人がいるからどうでもよい連絡をしてる暇はないんです。
日本人観光客や在外邦人が犯罪の被害にあって海外で辛い思いをしてる報道が行われる事があるが愚かな質問が原因であったらその質問をした人の責任は問われるであろう。なぜならば、犯罪や悪事のほう助は否定されてるからです。大変悲しいが私が行ってきた、ブリティッシュコロンビア州では平成28年に在外邦人が殺害されてとても悲しかったです。そういった前例もあるので強情で無神経な人に関わらないようにしてください。タイムラインで質問(実際には詰問)してくる事が狡猾に思えました。
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」
繰り返すが私が行ってきたブリティッシュコロンビア州で日本人が殺害されて私はとても悲しいです。した方ではなくてされた方が判断する範疇は存在する。人権侵害もそうなるでしょうね。

NO97 ビルマの休日 その10

at 2006 02/06 23:48 編集

思えば苦しい道のりであった。山頂付近では息が異常に苦しくなり、高山病かと疑ったり(なわけねーだろ)、いつ着くかともしれぬゴールにくじけそうになった時はアントニオ猪木の「恐れず一歩を踏み出せ。そこが道になる。お前の後ろに道はなく、お前の前に道がある。天上天下唯我独尊」という言葉を思い出して頑張った(ウソ。しかもテキトー)。しかし、朝の来ない夜はない。借金取りの来ない消費者金融はない。永遠に続くかと思われた苦行もいつしか終わりを告げ、はっと思ったらそこは山頂だったのだ。私は無寄港(茶店)単独登頂、しかも杖(茶店で売っていた)なしという偉業を成し遂げたのだ。この偉業はミャンマーの歴史には燦然と輝かないかもしれないが、私の歴史には燦然と輝くであろう。万歳、 自分。誉めたたえよ、自分(by 三代目魚武濱田成夫)。
境内には何百人という登頂者がまぐろのように息も絶え絶えに横たわっていた。まさに野戦病院さながらである。気持ちはわかるぞ、同志よ。そして本尊のゴールデンロックはその黄金色を輝かせ、傾斜のついた崖っぷちに絶妙なバランスで屹立していた。地震か台風でもあったら、転げ落ちそうだ。参拝者が金箔を買って、その岩にぺたぺたと貼付けている。日本だったら危険だからといって立ち入り禁止だろーな。崖の下を覗くと、神聖な場所のはずなのに菓子の包み紙とかがいっぱい散乱していて、ちっとも地球に優しくないミャンマー人なのだった。十分も見ていると、苦労して見にきた金箔岩なのにもう飽きてきた。今晩は早めに寝て日の出を拝もうと思い、外国人が予約なしで泊まれる唯一のホテル(これがろくな設備はないくせに宿泊費だけはバカ高いんだよな)に行ったら満室だとゆわれた。仕方ないので中腹まで下山することにした。あとはトラックでふもとまで行けば安宿があるはずだ。(続く)

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
高山病ですが、概ね2400m以上の高山に登り酸欠状態に陥った時に、さまざまな症状が現れ人によっては2000m前後の標高でも発症することがあるらしいが約1100mの標高に位置するゴールデンロックでは高山病にはならないと考えられます。余談ですがMLBのコロラド・ロッキーズの本拠地であるクアーズ・フィールドは標高約1600mに位置します。
 何らかの有名な建物があって辛く長い業務上の艱難辛苦を乗り越えてやっとの思いで到着してから10分もたたない内に飽きてきた経験は皆さんにもございますか?ほとんどの海外旅行記がそうですが単なる浪費であったかもしれません。ミャンマー人にとっても辛い(彼等にとって)国内旅行のようです。
 私が行ってきたブリティッシュコロンビア州のスタンレーパーク内で営業してるバンクーバー水族館ことバナクア(*1)のお土産売り場近くに位置する休憩所でたくさんの日本人観光客が時差ボケで苦しんでいたのを連想しました。座りながらうめいてる人々が多かったんです。その苦しみはよく分かります。私も時差ボケで苦しみながら朦朧としてる状態でカナダを旅行してました。帰国後にも寝れないから夜中のコンビニへ行ったら「何でこんな時間に来るんですか?」と質問されて「カナダに行って16時間の時差でやられて時差ボケで困ってます。」と返答しました。
ゴールデンロックに到着した後で苦しんでる人達と同じようにバナクアに到着した人は苦しんでたと思います。
 自由は自由なんですが、海外旅行の場合は過密な予定で半強制的に何等かの提案や企画に参加するよりも自発的に決めた緩い予定を楽しむ方が良いとは思いますが、最低でもホテルの予約はしておきましょう。ホテルの中に最悪な日本人観光客がいて暴走族のごとく安眠妨害されたりするから本当に大変でした。ホテルの中で午後10時半(現地時間)を過ぎてお隣の日本人観光客達が扉を何度も開閉させて金属音を作り出して議論してたので抗議しました。
大体こういった感じです。
「午後10時半は過ぎてますよ。」
「今、大事な話をしておりまして。」
「私は、明日早いんです。午後11時迄には終わらせてください。」といって扉を閉めた後は静かになって寝れました。
そういった酷い人々はいました。「タブレットやスマホか何かでインターネットで連絡してほしい。」と真剣に思いました。会話することは否定しないし艱難辛苦を抱えることもあるとは思うが第三者に迷惑をかけないでほしいです。

*1 Vancouver Aquarium の略称がvanaquaでバナクアなんです。http://www.vanaqua.org/

 以下は皆様への伝達事項ですが、実際の所、ドリアン長野の海外旅行記の8割以上のリターンズ2.0は終了しました。私の知る限りドリアン長野は2010年以降は海外旅行には行ってません。従って、過去の出来事を語ってるとお考え下さい。
皆様、このシリーズが事実上の最終回だとお考え下さい。このシリーズが終わった後の海外旅行記は「ロサンゼルス旅行記」と「ネパール旅行記」、未完の大作になってる夫婦でタイランドを新婚旅行した「夏が来れば思い出す」等を除外するとドリアン長野が行った再編集したインド旅行記位でした。
平成29年7月に再会した時に執筆を依頼したが、平成29年11月を過ぎても続編の執筆は行われてませんので紹介は行えません。従って、冒頭で述べたように事実上の最終回になってます。ビルマの休日はまだ、しばらく継続しますのでお楽しみください。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
NO98 ビルマの休日 その11

at 2006 02/13 23:07 編集

中腹に着くと参拝者を満載したトラックが次々とやってくる。かつぎ屋や運び屋は大忙しだ。こけつまろびつ駆けつけては交渉してどんどん山に登っていく。小柄な少年がかごの中に五人分の荷物を詰め込み、その上にばかでかいスーツケースを括りつけて黙々と登っていった光景を見たときにゃあ、彼の後ろ姿に男を感じたね。町工場のシャチョーさんが見たら「えらい! あんな年端もいかない子供が文句も言わんと....。それにひきかえ最近の日本の若いやつらときたらっ」と思わず事務所のスチールデスクを叩き、感涙にむせびそうだ。定員五十人の荷台に十人の日本人ツアー客を乗せたトラックが到着。五倍の運賃を払ったな。すかさず運び屋が群がる。おばさんが「わたし、自分で歩くよ」と肩をそびやかして腕を振る。日本人のおばさん独特のしぐさだ。とはいっても結局全員がかつぎ屋に運ばれていった。
とまあ、こっちもいつまでも見とれているわけにはいかないので、最終便に乗り込む。定員になるのを待って、ようやくトラックは日没の中を走り出した。夜になるとTシャツだけでは肌寒いほどだ。荷台には茶店の茶器を積んだ大きなバケツを抱え込んでいるおねいさんや売り物の駄菓子やら干物を持って帰る少年といった仕事帰りの人たち、私のとなりには僧侶が二人座っている。相変わらず身動きもできない。時おり話し声が聞こえてくるが、もちろん一言もわからない。見上げると満天の星と下弦の月。トラックは月明かりの下で険しい山道を疾走してゆく。いつ横転してもおかしくないほどだが、彼らと一緒に揺られていると不思議と恐くはなかった。実はミャンマーに来て一番よかったと思える瞬間がこの時だった。私はきっと十年後もこの時のことをまばゆいほどの星と月とともに懐かしく思い出すに違いない。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

スチールデスクを販売してる人が見たら喜ぶようなお話ですかね?
それはともかく、皆様も思い出に残るドライブというものがあったと考えられます。日本国内でも郊外の町を移動してると大都市と比較して街灯が少ないことが多いです。日本とミャンマーの街灯のルーメン数を比較したら雲泥の差でしょう。皆様も暗い夜道のドライブを霊的に過ごされたことがございますか?

 本当に初めて発表されてから10年以上経過してます。今でもミャンマ-旅行についてドリアン長野が連想してるかどうかは不明です。
 これはちょっと情けないお話です。現地時間ですが夜だけ営業してるブリティッシュコロンビア州で営業してるチーズケーキエトセトラには二回行ってきました。最初は普通にバスに乗って行ってきました。二回目なんですが行こうと思ってたシーフードレストランが従業員向けのパーティーをやっていて利用出来ませんでした。他の飲食店で食べようと思って探しましたが、結局は見つからずダンジネスクラブやロブスターは食べられなくなりましたので代わりにチーズケーキエトセトラに行ってきました。 http://www.cheesecakeetc.com/











ホテルから店への移動手段はバスではなくて歩行でしたので高さが27.4メートルと言われてるグランビル大橋を歩いてきました。夜のグランビル大橋の恐怖は並みではございませんでした。高い位置に存在するマンションの高層階が見えるとそれは無言の圧力を作り出してましたね。夜景は楽しめなかったが良い料理は楽しめることが行えました。又、現地の言葉が話せると旅行の楽しみは倍増しますね。
 何等かの予定が行えなくなった時を考えて別の道というかいわゆるプランBを用意しておくのは重要かもしれません。
 基本的に児童労働は否定されてるが軍事政権のミャンマーでは放置されてるようです。そういった部分が民主化が行われていない部分でしょうか?組合活動は存在してます。万が一の時だけスト権は認められてるが、キリスト教ではストライキは否定されてます。

ビルマの休日 その12、その13、その14  2017/12/2(土) 午前 1:32



NO99 ビルマの休日 その12

at 2006 02/17 23:42 編集

トラックは山道から平地に入っていった。あれ? 来たときはこんな道はなかったはずだけど。この平地に入る前にトラックはいきなり停止し、別のトラックが横付けしてきた。みんながわれもわれもとそちらに乗り換えるので、わけがわからないままに私も移ったのだ。見ると半分くらいの人数を元のトラックに残したまま出発した。どうやら違う路線に乗ってしまったらしい。今晩は野宿かなと思っていると、しばらくして終点に着いたらしく、みんな降りていく。さて、どうしたもんかなと、とりあえずにぎやかそうな方向に歩いて行ってみる。そこはゲストハウスと看板が掲げられていて、一階はゲーセンになっている建物だった。入口に立っている若者に聞いてみると、なんだかんだと他の若者が集まってきて協議を始め、近くのホテルにバイクで送ってくれることになった。ここに泊めてくれればいいと思うのだが、ライセンスがないので外国人は泊めることができないらしい。バイクのうしろに乗って漆黒の闇の中を走る。街灯も民家もないから、とにかくもう鼻をつままれてもわからないほど真っ暗。
十分ほど走って連れてこられたのは門から建物まで百メートルはある広大な敷地に建てられたリゾートのようなホテルであった。連れてくんのはいいけどよ、この格好見て判断してくれよな。どう考えても金持ちの旅行者には見えんだろう。恐る恐る値段を聞くと、一番安い部屋が15ドルだそうだ。
「こんばんわ。日本人ですか」と日本語で声をかけてきたのは、五十歳くらいで一見日本人かと思うような人だった。
「私はこのホテルのマネージャーをしています。チョウチョウといいます」
チョウチョウさんは東京の寿司屋や喫茶店や居酒屋などで十年間働き、その時に貯めたお金で友だちと十年前にこのホテルを建てたそうだ。
「その友だちはホテルの経営をやめてお坊さんになりました。面白い人でしょう?」
う~ん、何だかこのホテルは当たりみたいだなあ。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
ミャンマーではトラックがバスの代わりになってるようですね。二回以上バスに乗る事は前もってインターネット等で調べておかないと怖いですね。結局は一回で済む場合もあるかもしれません。
「多くの人々は皆ではない。」この部分を理解して行動するかどうかでその人が幸せに生活が行えるかどうかの分水嶺だと思います。意図的に否定するか肯定するかと言い換えてもよろしいかもしれません。大阪市内に存在する京橋駅(JR西日本の学研都市線と大阪環状線、地下鉄、京阪)に到着した時のように通過するか乗り換えるか下車するかは本人の自由ですが、迷うと時間の浪費につながります。
やはり、移動については事前に調べておくのが最善の策です。現地で調べるのは次善の策やもしれません。実際の所、日本国内でもそうですが政変等で交通事情の急激な変更が発生することもございますからね。
チョウチョウさんは平成18年時点で50歳位であったならば平成28年を過ぎた時には60歳を過ぎてるかもしれませんね。実際には違うかもしれないが、恐らくは昭和60年代に来日して90年代に働いて得たお金でミャンマーで1996年(平成8年)にホテルを開業したと思われます。この話が発表されたのは平成18年なのとドリアン長野の海外旅行記は大雑把なので、皆様あまり真剣には受け止めないでください。
しかし、日本では$15では止まれる宿(高級ホテルも含む)はないでしょうね。法規制等で海外では外国人が止まれる宿が制限されてるようです。言い換えると、ミャンマーの場合は法規制が厳しいようで外国人(ミャンマー人以外)の宿泊が行えないホテルも存在してるようです。日本国内では料金を支払う限りは何人であれども宿泊施設は平等に扱わないと糾弾されます。
余談ですが、日本国内のホテルで勤務してる友人に聞いたことがあるお話です。真面目な客が予約をしていてもホテル側が客に無許可で予約を取り消すことがあるそうです。ホテル側の過失行為でもあるそうですが、キャンセルされる客が多いことも原因の一つだそうです。それで、満室の時に本当に真面目な予約客がホテルにやってきた時にはタクシー代をホテル側が支払って別のホテルに宿泊してもらうそうです。全く逆に空いてる時には激安で高級な部屋に宿泊が行える時もあるそうです。
私は過去に北海道のホテルで同じような体験をしたことがありました。言い換えると、予約をしたが予約の認識が行われて無かったんで明らかなホテル側の過失でした。
ホテルは大別して4種類に分かれます。

第一に営業してる立地が良くて設備が快適で値段相応で従業員さん達ばかりか他の宿泊客達も善人。
こういったホテルに宿泊が行えると良い旅行になります。申し訳ないが立地については述べるのは良くないかもしれませんが、訪問する事が難しい街のホテルに宿泊するのはやはり距離に比例する等で難しいです。

第二は設備等に問題があって満足が行えないホテル。
海外のホテルですが、狭すぎて某テレビ番組が冷かしてた前例もございました。これは個人的な意見ですが、ベッドが柔らかすぎて寝にくいホテルもあって困ったことがございました。
ドリアン長野は野宿よりも辛い思いをしたかもしれない凄まじいホテルに宿泊してきたようです。

NYホテル編

皆様、海外旅行に行かれる前にはホテルの予約をした上で行きましょう。
具体的な説明をしなくても、皆様も容易に想像がつくと思いますのでこれくらいで割愛します。

第三は値段不相応。
そのままですが他の近隣のホテルと比較して高値だとイヤになりますね。だけど、昨今はホテルの予約ホームページが人気を集めてるから冷静に見積もりが行えるようになったと思います。

第四は他の宿泊客が不条理で不快。
ホテルそのものを貸切ると解決が行えるがそこまでは一般的には行えません。人は海外においても礼儀正しくあってほしいがふざけた行動をとる日本語が上手な観光客がいたから嫌悪したことがございました。ホテルの受付で無意味に私を罵ってたが、もしかしたら、アジア系外国人だったかもしれない。公共の敵みたいな人が私に対して嫌味を言ってたのは辛かった。

マトメ
そういう訳で皆様が海外旅行に行く前にはホテルの予約をしてから行くようにしましょう。そのホテルが良いか悪いかは実際に行ってからでないと分かりませんが、海外旅行案内書等を読んで情報を得るようにしてください。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

NO100 ビルマの休日 その13

at 2006 03/01 22:34 編集

ロビー兼ダイニングには壁がなく、様々な木々が生い茂っているのが夜目にもわかる。テレビでしか見たことないような二十人は座れるような細長いテーブルに一人で食事をするが、チョウチョウさんやボーイが何かと世話をしてくれ恐縮するほどだ。ロビーにいるのは年輩の男女の白人グループと若い日本人のカップル。談笑している白人のグループの話し声に聞き耳を立てると、英語に似ているが英語ではない。不思議に思って翌朝彼らの一人に聞いてみるとオランダ人だった。チョウチョウさんが説明してくれたところによると、この広大な敷地にはゴムの木、黒胡椒、ザボン、マンゴー、パパイヤ、ココナッツが栽培されていて、ゴムの製造工場まであるそうだ。彼の友人であるオーナーが知人をもてなすために最初に小さなバンガローを建て、それが好評で次々と増設していくうちに今では二十三室になったそうである。案内された部屋は充分に広く、民芸品の家具で統一されていてこれがリゾートホテルだ、文句あっか! という感じで恐れ入って昼間の疲れもあり、ベッドに入ると三十秒で前後不覚になる。
翌朝はいつものように五時に起き、敷地内を散歩する。暗闇の中でちらちらと光るものがあるので近づいてみると、ゴムの木から樹液を採取している人の懐中電灯だった。朝食をとるためにダイニングに行くと、昨夜の日本人カップルがいた。彼らも道に迷ってこのホテルに連れてこられたそうである。二人とも見た目はフツーなのだが、大学生の頃から年期の入ったバックパッカーらしい。話を聞いてみると、バラナシの超有名な「クミコハウス」に長期滞在している牢名主のような日本人のこと、ラオスで大晦日にバスに乗っていると運転手が急に休憩だと言って、毛布を取り出してきて本格的に寝てしまい、新年をそのバスの中で迎えてしまったこと、通りすがりのトラックの荷台に乗せてもらったが、なぜかおがくずが敷き詰められていて、トラックが止まったらその中から生きた鶏が何羽も出てきてびっくりしたこと、ロンドンで罰金を取られてしまい、所持金が無くなってしまったのでロンドン橋が上がったり下がったりするのを一日中、二人で眺めていたこと(北野武監督の映画のワンシーンのようないい風景だなあ)。私は涙が出るほど笑わせてもらった。(続く) 

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
日本の狭い家屋での食事と海外の広大な部屋での食事は大違いのようです。
やはり、日本で稼いだ資金と接客技術は小さくなかったようです。 ゲストハウスを兼ねた農場というものがミャンマーには存在するそうです。それなりの広大な土地が無いことには建物は建てられません。
又、外国語と言っても英語だけではありません。
今後、どうなるかは不明ですが東南アジアから果物の缶詰が輸入されてるのでミャンマー製の果物の缶詰が市販される日も近いかもしれませんね。
そういえば鶏と言えばケンタッキー・フライド・チキン(KFC)を食べたことを連想します。
人によって意見が分かれるかもしれませんが、海外では日本では会う事が難しい有名人に出会う事が意外と多いそうです。最近は海外ロケだけをするテレビ番組もございますからね。だけど、この時はドリアン長野にとっては第三世界を旅行してきた人の思い出話で盛り上がっていたようです。ただ、私にしたら笑いのツボが違うように思えるから素直に同情すると思います。他人の艱難辛苦を嘲笑するのは良くないと私は思います。悪質な加害者がいてその人物に制裁を加えて苦しんでるのを見て嘲笑するのとは全然違いますからね。社会秩序のためには仕方ないです。
しかし、ラオスはともかく日本のバスで「休憩だ。」と言って毛布を取り出して運転手が寝ると事件になりかねませんね。まるで、野良猫が家の中に入ってきて我が物顔で寝るようなものですね。
皆様、海外旅行中は疲れてる人が多いのでインターネットを通じて海外旅行中の人に過剰に詰問することが無いようにしましょう。馬鹿げた干渉は人権侵害になるのではないでしょうか?貴重な時間を浪費させられて大変困りました。冷たい人だとは思われたくないが、世の中には罪悪感のない加害者がいるので関わらないようにすることが行えるならそうした方が良いです。不利益しか作り出せない狂人はいます。
ホテルの部屋に入って寝ることが行えるのは幸せです。私はブリティッシュコロンビア州を旅行中に時差ボケと過労で睡魔に襲われてる時にバスの停留所を間違えてしまってホテルに到着する為にそれなりに長距離歩行することになりました。たまたま、在外邦人が路上にいて道案内をしてもらってなんとかホテルに到着し事なきを得ました。そうでなかったら倒れていたかもしれない。
その日はブリティッシュコロンビア州の科学館と水族館の二か所を行ってきた後でした。
 ドリアン長野の海外旅行記リターンズ2.0も終盤になってきてます。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
NO101 ビルマの休日 その14

at 2006 03/09 23:39 編集

朝食もそこそこに二人は慌ただしくチェックアウトしていった。これからゴールデンロックに登頂しに行くそうだ。健闘を祈る。新たな伝説を作って欲しい。
「どうですか、昨日はよく眠れましたか」とチョウチョウさん。
「はい、ぐっすりと。ところでホテルのパンフレットに書いてありましたけど、ここには養護施設もあるそうですね」
「はい。小学生から高校生まで七百人くらいが住んでいます。費用はいろいろな国からの寄付と、ホテルでミャンマーのダンスを見せることがありますから、そのお金で賄われています」
「そこは見学できますか」
「もちろんできますよ。案内しましょう」
ホテルの裏にある小さな丘を越えると、そこには様々な施設があった。男女別の寄宿舎はもちろん、規模は小さいけど図書館や運動場や娯楽室や医療室や調理場など。大きなかまどのある調理場では子供たちが朝食を作っていたし、明日がイギリスからの独立記念日だということで遊戯場のような所で小学生がダンスを練習していた。
「この教室は日本政府と民間団体からの寄付で2001年に建てられました。寄付金が一番多いのは日本です」
チョウチョウさんがひときわ大きな教室を指差す。外壁にはその事が日本語とビルマ語と英語で書かれたプレートが掲げてあった。こっちとしても鼻が高い。ホテルに置いてあるパンフレットにはこう書かれている。
「この施設には弧児や養育を受けることの困難な家庭や地域から来たビルマ族、シャン族、パオ族、ナーガ族、カヤー族、パダウン族、カレン族の子供たちが住んでいます。宗教も仏教徒やクリスチャンと様々で、お互いに理解することや尊重することを教えるようにしています。子供たちの大半は施設を出ると援助を受けて、より高度な教育を受けます。中には施設に戻ってきて教育や運営に携わったり、自分たちの故郷の村に帰って子供たちに教育の準備をさせる卒業生もいます」。(続く)  

 管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
彼等がどうなったかは知らないがゴールデンロックの登山は困難であったと考えられます。
 どこかの町で財政難から高校生が泣きながら私立高校の授業料の補助金の打ち切りを辞めてほしいと訴えていた。
日本であってもミャンマーであっても困ってる子供達はいます。これからは海外よりもまず日本国内の教育を改善する必要があると思われます。
過去(高校時代)に私は良き英語教師に出会い英語の実力を高めることが行えました。無論、英語だけが行えるようでは無意味です。だけど、挨拶程度とは言えども、英語が話せるようになってたからカナダへ一人旅をしてきても無事に帰国することが行えたんです。
平成29年6月に開催された同窓会の時に恩師の元英語教師で現在教頭先生になられた人物にそのこと(カナダへの一人旅)が報告出来て嬉しかったです。人間、得手不得手があるとは思いますが教育は重要です。何も知らないのに文句ばかり言ってる人には関われませんし蔑みます。違いが明確であっても理解しようとしない人はいます。
 仮に海外旅行に行っていない事を批判する人がいたら、その人が海外旅行に行った後には謝罪して称賛するのか?同様に悪人が海外旅行中に嫌がらせの詰問をすることがないのか?頼んでもないのに余計なことやって称賛されることを希望する人がいるがそれは公共の敵予備軍です。
そういったことを考えてしまいます。人を私物化することは良くないです。教育で道徳を学ぶとそういった問題は解決すると思います。
 カレン族については、独立運動に日本人傭兵も関わってたのは有名なお話ですね。 https://twitter.com/takabemasaki
今回の海外旅行記で最も強調したいのは、「宗教も仏教徒やクリスチャンと様々で、お互いに理解することや尊重することを教えるようにしています。」重要ですね。信仰の自由を重要視するのは大事です。信仰の自由が失われてから重大さに気づくのは間違えてると思います。合法的な宗教団体である限りは守られるべきです。
世の中には宗教戦争が存在してる点は理解しておくべきです。
 平成18年の作品だから平成10年代末期の作品と言っても過言ではないです。それでは、皆さん次回にご期待ください。

ビルマの休日 その15とその16(最終回)  2017/12/2(土) 午前 1:34




NO102 ビルマの休日 その15

at 2006 03/14 23:30 編集

「よかったらゴム工場も見ていきませんか?」
「見ていきたいんですけど、タクシードライバーと待ち合わせをしているのでもう行かないといけません」
「そうですか。もし帰りに時間があったら寄ってください。山へはホテルの前からバスが出てますから、それに乗っていけばいいです」 
チョウチョウさんは一緒にバスを待っていてくれた。
「もう一度日本に行きたいです。今度は仕事ではなくて、友だちに会いに行きたいです」
チョウチョウさんは十年間海外で働いていたことによって、今の軍事政権下では再び出国するのは難しいらしい。というか、私には政権が変わらない限り不可能なことのように思えた。
「あっ、バスが来ました」 
チョウチョウさんは手を上げてそのバスを止めた。バスといっても大型トラックを改造したものだ。車内は人が鈴なりになっているので、窓わくに足をかけて屋根にあがる。そこには既に学生や茶店の商売道具を抱えた少年たちが十人ほど座っている。
「ミャンマーにまた来たときはここに泊まりに来てください」
「はい。ありがとうございました。お元気で!」
バスが走り出すと、朝の澄んだ空気が顔に当たって気持ちがいい。眼下には森が、彼方には山並が見える。こいつは香港やロンドンで乗ったダブルデッカーより比べもんにならんくらい爽快だ。俺は密林の王だ! なんていう勇壮な気分になってくるのは毎朝満員電車に揺られるジャパニーズ・リーマンの悲しき性だ。母さん、岸和田のだんじり祭りで毎年死者が出る理由が少しわかった気がしました。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
予定と提案は別物です。 出かける時には予定を立ててる人もいるとは思いますが予想を超える提案があったりもします。その提案に対して賛同するかしないかも旅の分水嶺ですね。
世界を見渡すと民主主義国家ばかりではありません。自由というものが制限されてる国や地域があって困ってる人もいます。
日本の深夜に運行してる長距離バスよりもミャンマーのオンボロバスの方がドリアン長野にとっては快適であったようです。
私は岸和田のだんじり祭りには平成10年代に何度か行ったことがあるからお伝え出来ますが個人的には事故に遭遇したことはありませんでした。場所によるらしいのですが危険を承知で彼等は行ってます。あれだけ巨大な木造建築を叫びながら動かすばかりか横転もあり得ますからね。少なくとも平成20年代は日にちが変更されたから行くのが難しくなりましたね。全国的に岸和田のだんじり祭りについては有名らしいが一方で信じようとしない人はいるかもしれないがよければ動画を確認してから各自でご判断してください。
ホテルの従業員さんが日本語が話せるとやはり、安心感が全然違ってきます。私が滞在したカナダのホテルの従業員さんは非常に流暢な日本語を話されていて聞けば過去において日本で生活されたそうです。そのホテルの中で営業してるレストランでも日本で生活してた従業員さんがおられました。良いお仕事されたので非常に嬉しかったです。白人さんでも日本語が上手な人はいます。
困ったのはそのホテルのロビー(受付)で勤務してた人物の近くにいた日本語が上手な観光客なんです。彼女は(あえてこの表現)じゅう信房子みたいな性格で無礼者であったから「公共の敵が私に対して嫌味を言ってる。」といった発言を英語でしたら白人のカナダ人の従業員の顔が歪んでました。レストランの中の従業員さんも日本語が上手でしたが英語で伝えましたが「ある日、アメリカ人女性を見たら口ひげが我々よりも長めであった。 One day , I met american girl , her moustache longer than us .」と発言してお隣さんを爆笑させかけました。だが、カナダ人の従業員さんは爆笑しなかったですね。
今となっては口ひげが長い女性を見かける事はよくあることだと思います。だけど、4cm以上は少ないかな?
 皆様が海外でバスに乗るならば、前もってちゃんと調べてから乗車してください。平成20年代以降はグーグル等で簡単に調べられますが日本よりもバスに乗って目的地に到着するのは難しいと思って対応されることを推奨します。
 
 私もある意味、カナダでは二種類のバスに乗りました。前者は日本の旅行代理店に依頼した空港からホテルの送迎バス。バスというよりも、屋根付きのフルサイズバンです。
確かフォードのエコノラインで平成20年代に新車として販売されてた(2014年廃止)から中古車扱いされることは2010年代であれば少ないと思います。
後者はブリティッシュコロンビア州の公営バス。ある意味、一般的でした。無論、日本と違ってカナダは左ハンドルなので出入口は日本のように左側ではなくて右側から出入りしました。
だが、ミャンマーの場合は日本製の中古バスが多く利用されてるようですのでそのバスの出入口が右側なのか左側なのかは不明です。日本以外の国から輸入された中古バスが混在してミャンマーで利用されてる可能性はあり得ます。

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

次回が最終回です。

NO103 ビルマの休日 その16

at 2006 04/07 22:17 編集

バスはやがて山の中腹に着いた。待ち合わせていた食堂で朝食(もちろんカレー)を食べていると、タクシードライバーのソーパーさんが現われた。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
私は山頂のホテルに泊まれなかったこと、ひょんな巡り合わせからリゾートホテルに泊まった顛末を話した。
「それは面白い経験でしたね」
「ソーパーさんはゴールデンロックまで登ったことがありますか?」
「一回だけね。もう二度と登りたいとは思いません」
ソーパーさんは本当にうんざりとした顔をした。
「さて、そろそろ行きましょうか」
タクシーがチョウチョウさんのホテルの近くに差し掛かった時、一台のバイクとすれ違った。チョウチョウさんだった。はっとしてバックミラーを見るとあっちも気づいたらしく、Uターンしているところだった。
「ちょっ、ちょっと止めて下さい」
「どうしましたか」
「あの人がさっき話したホテルのマネージャーです」
チョウチョウさんが追いついてきた。急いで窓を開ける。
「今から帰るところですか。これからゴム工場を見学していきませんか」
「ソーパーさん、少し時間ありますか」
私がそう言うとソーパーさんはビルマ語でチョウチョウさんに何か話しかけた。おそらく、「残念だけど、今日中にヤンゴンに戻らないといけないので無理だね」とでも言ったのだろう。
「そうですか、仕方ありませんね。またミャンマーに来た時にはホテルに泊まりに来てください」
チョウチョウさんはまた同じことを言った。
朝五時。あたりはまだ暗い。通りに小さな火が揺らいでいる。屋台の準備のために早朝からカンテキに火を熾している老夫婦。ここにも生活がある。そんなことがなぜか胸を突く。もう少しで夜が明ける。ヤンゴン市内にまた喧噪が戻ってくる。MDプレイヤーのスイッチを入れる。
「ヘッドフォンを耳に充(あ)てる
アイルランドの少女が歌う
夕暮れには切な過ぎる
涙を誘い出しているの?」
「レディオヘッド」のアルバムにも引用された椎名林檎の「茜さす 帰路照らされど...」の一節。私は旅先で聴くとその切なさと激しさに涙ぐみそうになる。通りをこのまま歩いていくと川に突き当たる。インド洋に繋がるヤンゴン川へと。今日はイギリス植民地からの独立記念日だ。
「今の二人には確かなものなど何も無い
偶(たま)には怖がらず明日を迎えてみたいのに」
旅をする気持ちに少し似ているかもしれない、と思う。もうすぐ夜が明ける。(終わり)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
長かったビルマの休日も今回で最終回です。ドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記でもあります。
ミャンマーに滞在した最後の日が英国から独立した記念日だったようです。
ゴールデンロックへの訪問は重労働だったようで誰一人として安易に赴けるとは考えないようです。
海外旅行に行くと必ず会話が必要になってきますね。それが日本語である確率は低いが、過去において日本で労働されてた外国人が母国に帰国後、日本語を流暢に喋れる人もおられる例外もございます。
MDの役割はほぼ終わりました。一応は平成10年代末期に多くの家電メーカーが製造販売を辞めて平成20年代になるとどこのメーカーも新規では製造していないそうです。技術革新の影響はございますね。繰り返すようですが、この海外旅行記は平成10年代の旅行記ですのでその部分を理解した上でお読みいただければ幸いです。
日本国内でも午前5時であれば駅へと向かう人がおられますね。夕方五時以降も同様ですね。
 夜明けと同時にドリアン長野のビルマの休日は終了です。

 ドリアン長野はこのビルマの休日の執筆が終わった後、ネパール旅行記インド旅行記ロサンゼルス旅行記(実際には米国のロサンゼルスばかりかメキシコのティフアナにも訪問)等にドリアン長野自身が加筆修正を加えた海外旅行記を発表した後でgoo簡単ホームページ並びにgooブログ上の新規投稿を取りやめてフェイスブック上で新規投稿をするようになりました。
色々と考えた結果ですが、平成10年代からブログの管理人をしてるが平成20年代になって頻繁にフェイスブック上の新規投稿を転載してきましたが平成30年の元旦以降は転載する回数を削減することを考慮してます。微細な変更は平成30年3月末日迄に終えたいと考えてます。
ネパール旅行記とロサンゼルス旅行記の両者に限ってはすでにリターンズ2.0が出来上がってますのでもしも、興味があればそちらを楽しんでください。

追記 yahooブログ上で発表してましたがyahooブログがサービスの停止を2019年12月に行うのでブロガーに移転させてる部分についてはご了承ください 後にブロガー上でも円滑に海外旅行記を読めるようにします。 又、現在の所、移転を優先させてるのでgooブログ版で海外旅行記が円滑に読めるようにしたのでそちらにリンクしてます。

ご存知の方も多いでしょうしこの海外旅行記を読まれた方の中にも行った方は多いとは思われますがドリアン長野は米国のロサンゼルスからメキシコのティフアナに行ったそうです。一度の海外旅行で二か国以上訪問する人はおられます。
平成18年に発表されたドリアン長野自身が加筆訂正を加えたインド旅行記(平成18年に行った特別版)に限っては内容がほぼ変わらないから重複してると考えたので文章のみの転載とさせていただきます。

追記 前述しましたがyahooブログ上での決断ですのでブロガー版では変更させていただきますしgooブログ版ではそれなりに追記してますのでお楽しみ下さい。

このビルマの休日以降で発表された海外旅行記は未完の大作になってる【夏が来れば思いだす】 

平成29年です。実質的に半ば唯一の例外で長野夫妻の新婚旅行のお話です。私とドリアン長野が平成29年の7月に再会した時に「続きを書いてください。」と伝え「分かった。」と返答されたが未だに執筆は行われてません。強要は行えないから仕方ないと考えてます。

追記 平成30年7月某日にドリアン長野の奥さんに質問してその返答については追記したので実質的に完了しました。
令和元年8月に本人が続きを執筆するかどうかについて私は知りません。

 それらだけではなく、さすがに中長期的というか5年後や10年後以降もこのように頻繁にブログの新規投稿をするのは難しいと私は考えてます。その気持ちを伝えたらそれなりの了承を得ました。趣味の領域ですので自由です。今後は可能であれば転載するにしても厳選します。また、優良なホームページの紹介も行う予定です。
追記
現在(令和元年7月)は、特別にyahooブログ上の投稿をブロガーに移転させてるので頻繁に投稿してますが将来的には紹介、連絡、そして可能であれば転載をしていきたいと考えてますが2010年代と平成20年代を兼ねた時期のようにほぼ毎日の投稿は難しいです。


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行を楽しんできました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。
周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しております。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。単純に「ドリアン長野が平成18年にミャンマー旅行が行えて良かったね。」と考える程度で十分なんです。
 今回のこの作品は実質的な最終回です。なぜならば、ドリアン長野が独身時代に行った最後の海外旅行だったからです。
 半ば余談ですが、平成10年代にはgoo簡単ホームページが存在してました。それが終了し事実上の後継が、gooブログ(ドリアン長野の海外旅行記)です。平成10年代末期のある日、直に再会した時に今後はどうするかについて語りました。何も事情を知らない人々が横やりを入れて話し合いの妨害をしてきて困った事を連想します。ドリアン長野にしたら目標であった一万人の閲覧者を達成した事もあって平成10年代末期には情熱がほぼ失われてました。周知のように平成10年代のgooから平成20年代になってフェイスブックに切り替わりました。 https://www.facebook.com/durian.nagano

結果的に転載等について私がやっていくことになりました。過去に私は国内旅行だけをしてきた人の観点から感想文と皆様への伝達事項を付加して伝達(発表)してました。それがリターンズです。
 所が転機がございました。私は平成27年10月にカナダ旅行をしてきました。そして、画像や映像を記録し帰国後に発表しました。
マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編 Canada BC
そこから気づいたんですが、ドリアン長野の海外旅行記にも画像や動画を加えるとどうなるか?それらをリターンズ2.0として発表することにしました。そして、終了しました。平成29年ということもあって、ドリアン長野が行ってきた海外の様子を録画した動画は多く存在してました。
 今後も何等かの政変が発生する恐れはございます。
予想を超える出来事が発生しかねないので海外旅行にはカントリーリスクが存在していることをご理解ください。
 皆様がもしも、海外旅行をされるならちゃんと準備してから行ってください。影響を与えることが行えても責任はとれません。
少なくとも、パスポート、(必要であれば)ビザ、ホテルの予約、航空券又は乗船券の予約、海外旅行保険等は必須です。
また、海外旅行をされてる人にインターネットを通じて詰問することが無いようにしましょう。なぜならば、安全に関わるからです。罪悪感が欠落した不要な質問は後に責任が問われることになりかねません。海外旅行中に質問することを妨害する点については否定的に感じる人はおられるかもしれませんが、実際に、海外旅行中の日本人が辛い思いをしたお話は多いそうですのでその現実を理解してください。 外的要因の問題と言っても、情報を誰が伝えるか?偽善者がやらかす悪事は多いです。加害者が被害者を偽装することは数多い。本人が自発的に伝えるのではなくて、フェイスブックのタイムライン上で詰問してくるし頼んでもないのに余計なことをやってきたから強要にも思えました。率直に伝えますが、どういった団体に所属してるかは問わずに海外の犯罪者に対し情報伝達が目的の悪い日本人がいるかもしれません。
 海外旅行中に外部の人間が悪さをするから警戒してください。ただ、その悪事をやらかす人がフェイスブックを通じて情報を得たかもしれないので警戒してください。質問者が悪人の場合はあり得ます。相手の立場を尊重しない悪人はいます。呆れる位に悪口を言い続けて喜んでる悪人がいて、事実上の制裁が加えられた先例がございました。
 色々とそれなりの制限はあるが、基本的には海外旅行で楽しめる部分はある点も伝達します。
実際に海外旅行に一回でも行くと「海外旅行に一回も行った事が無い人がなんで海外旅行記のブログの管理人をしてるんですか?」と言われることはなくなったがそういった発言をした人物があら捜しのために詰問の道を選択したのかな?羞恥心が欠落してるのか?
 実際に私はカナダに行ったから言えますが、役に立つ衣服を購入し、美しい公園に感動し、おいしいピザやメープルシロップをかけたパンケーキ等の食事が行えて良かったです。

親孝行って? 平成29年12月  2017/12/3(日) 午後 2:34


米子駅は2023年までに建て替えられるそうです。新駅はプラネタリウム施設が導入されるらしい。
実家で母のいない介護ベッドで寝ていますが、なぜか3時半に目が覚め、早朝ランに出発。
中海に接する水鳥公園。散歩する人に会う度に「おはようございます」と声をかけるとみんな「おはようございます」と返してくれる^_^
通園していたカトリック系の「マリア幼稚園」に貼ってあった。ほお〜、なるほど。
こんな貼り紙も。マタイによる福音書ですね。
こんな貼り紙も(笑)
足を伸ばして法城寺へ。竜宮城のような鐘楼門が特徴的です。曹洞宗のお寺。
詩人の生田春月、二.二六事件の西田税、力士荒岩が眠っています。
角盤町にある「理容ハットリ」のご主人は全国紙、地方紙、雑誌(「大相撲」「正論」等々)に小さい時から寄稿されていて、それをまとめた本を二冊出しています。お借りして一気に読みました。
その中にある「幸せとは退屈な毎日を歯をくいしばって生きることだ」という言葉が胸を突きました。
駅前にほど近い元町商店街はアーケードを撤去して公園のような町づくりを目指しています。その中心となった500年以上続く仏具、陶器販売店「石賀本店」の16代当主の石賀さんに話を伺いました。
石賀さんは僕より四歳下ですが、行動的な人です。何かをやろうとするときには4割の目処がたったらスタートさせるそうです。
3割ではドンキホーテすぎる、5割では遅いということですね。街の活性化のため、松屋町からお菓子を仕入れ、仲間たちと10年間ボランティアで駄菓子屋をやっていたそうです。
鳥大に入院中の父を見舞う。
青山剛昌先生の出身地の北栄町にある「青山剛昌ふるさと館」にて
子どもは「コナン」の大ファンなんです。
退院した父と実家で食事中、急に父が言った。
「おまえ、結婚してよかったなあ。子どもができてよかったなあ。あんな笑顔のかわいい子はおらんぞ。育子さん(嫁)に感謝せんとあかんぞ」

驚いた。父は商売をしているが、およそ商売人としては似つかわしくなく、無愛想で偏屈な人間だ(友人や近くの商店主からもよく言われた)。人の悪口や陰口も言わない代わりにお客さんに愛想を言ったことも人を褒めたこともない。
僕は三人兄弟の長男だったこともあったのだろう、特に厳しかった。体罰はしょっちゅうだった。そんな父に反発し、中学生の頃から口をきかず、ずっと家を出たいと思っていた。高校を卒業し、一人暮らしをしてからも何年も帰らなかった。ある年、久しぶりに(嫌々ながら)帰省したときに父が言った。

「ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ」

初めて聞いた父の愛情表現だった。
父が10歳のときに広島で被爆したことを人づてに聞き、去年父と向き合いじっくりと話を聞いた。二日間で四時間くらい話をした。まるでそれまでの父との空白を埋めるような濃密な時間だった。
生後半年の弟を膝に置いてあやしている時に閃光が目に入り、思わず首をすくめた瞬間に弟が爆風で吹き飛ばされ、瓦礫の中で泣き声がしていたが、やがて聞こえなくなったそうだ。母親は奇跡的に助かり、半年後に再会したそうだが。

「がんばれ元気」に出てくる秀才の岡村くんは元気が嫌いだった。勉強しか取り柄がない岡村くんは元気に嫉妬していたのだ。ひょんなことから岡村くんが決闘を申し込む。殴り合いをして、と言ってもボクサーを目指す元気はグローブをつけて左のジャブだけで闘ったのだが。それでも相手に失礼だと手加減はしなかった。それから二人は親友になる。
元気は幼いときに両親を亡くしている。

大山総裁の「極真精神である、『目は高く、頭は低く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する』の孝とは親孝行のことだよ。親というのは子どもを見返りのない、無償の愛で育ててくれる。それに気づかなければ駄目だよ。親孝行しない人間は私の弟子ではないよ」の言葉を思い出す。正月も帰省しよう。父は80歳、母は83歳、もっと話をしよう。生きているうちに。

家を出たくて、都会に憧れていましたが、放蕩息子を包んでくれる母親のような存在です。故郷というものは。実家にあるアルバムを開くと、僕の写真がビッシリと貼ってあります。お宮参り、七五三、幼稚園入園、小学校入学、中学校卒業、無愛想で偏屈な父は本当は照れ屋で愛情表現が苦手な人だったんでしょう。
子どもができて思うことがあります。本当の親孝行は子どもが毎日幸せに暮らしていることなんだと。
高島屋の隣の路地にあるビルで猫が何かを見ていました。

「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かぞと思う。母かとぞと思う」

行基





パン 平成29年12月  2017/12/7(木) 午前 8:01


僕はめったにパンは食べないが、妻と子どもは毎朝トーストと味噌汁だ。そのために時々食パンを買うのだが、パンには添加物がこれでもかというほど入っている。妥協案として少なくとも砂糖、ショートニング、マーガリン、イーストフードが入っているパンは買わないことにしている。


「パン焼き器で自分で焼くと安心ですよ。」

ドリアン長野 それが一番安全なんですが、ブレッドベーカリーで作るとすぐに硬くなると不評です。市販のパンはいつまでもフワフワですからね。

「余計なものを入れなければ硬くなりますよ。いつまでもフワフワのは、添加物のなせるワザでは?」

ドリアン長野 そうなんですよね。乳製品とか油脂類とか、他にも添加物が入ってますから。パンは本来硬いものですからね。

「柔らかくてふかふかに作れますよ。分量で変わると思います。何時もふかふかなパンを作るお婆さんを知ってます。」

ドリアン長野 教わりたいです。

「〇崎パンに、猛毒のマーガリンをタップリ塗って😓以前は食べていましたね。😵」

ドリアン長野 自分も子どものときはそうでした…

【妄想シアター】 平成29年12月  2017/12/9(土) 午後 10:11

【妄想シアター】
その1
とあるバーにて、藤竜也似のシュッとした紳士が一人ドライマティーニをなめるように飲んでいる。
「マスター、つまみ出してくれ」
「かしこまりました」
マスターは近くにいる屈強なバーテンダーに目配せした。
バーテンダーはうなずくと、その紳士の首根っこをやおら掴み、バーの外につまみ出した。
その2
浦島太郎の絵本を子どもに読み聞かせている年配の保育士さん。
「もらった箱を開けると、たちまち浦島太郎の頭は真っ白になりました」
それを傍らで聞いていた今年入ったばかりの若い保育士、
「浦島太郎、何にパニックったんですか?」


米・ニューヨークで爆発 現場で容疑者1人を拘束(17/12/11)  2017/12/12(火) 午前 1:12


 キサンジ 平成29年12月  2017/12/12(火) 午後 9:54

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1534491623305068?notif_id=1513072521877040¬if_t=notify_me

この大阪ことばも若い人には通じんようになりましたなあ。六十歳以上の人やないとわからへんとちゃいますか。
漢字で書くと「気散じ」、大らかな、さっぱりした性格のことですわ。子どもに言うと、人見知りしない、人なつこいいうことですわな。大阪人の嫌う、ええかっこしい、その正反対ちゅうニュアンスがありまんな。せやけど、親でも誰でもわからんことは生きてるうちに聞かなあきまへんで。死んでからは遅おまっせ。昔から言いますやろ、「親孝行、したいときには親はなし。墓に布団は着せられず」いうてな。
いや、これは関係おまへんな。ジジイがゆうても老婆心ちゅうやつや。ほな、ごめんやっしゃ。
竹原ピストルが紅白に出場すると知ってから落ち着かない 平成29年12月  2017/12/16(土) 午前 11:04
竹原ピストルが紅白に出場すると知ってから落ち着かない。
どの曲を歌うのか。本人が決めるのか。NHKからオファーがあるのか。
「Hi standard」ばりの疾走感のあるポップチェーンの「youth」か。リンキン・パークばりの「俺のアディダス」はNHKでは無理だな。「大好きで何百回もリピートした「Rain」を演ってほしいが短いか。ど直球の「東京一年生」か。ドラマティックな「じゅうじか」か。やはり全国区に押し上げた「よー、そこの若いの」か。
とにかく紅白をこんなに首を長くして待っているのは生まれて初めてのことだ。
コメント

ライブ イン 和歌山
ドリアン長野 それもいい曲ですよね(^^)


 インド旅行記(平成18年に発表した特別版) 2017/12/17(日) 午前 0:16

NO 105 インド編 その1

at 2006 04/30 17:24 編集

人間は二種類に分類される、とは巷間よく言われることである。古典的なものでは猫的人間か犬的人間か、流動型か土着型か、果ては野球に熱中する人間かそうでないか、ドアーズを聴いたことのある人間かそうでないか、その伝でいけばこう言えるかもしれない。この世は二種類の人間しかいない。インドに行ったことのある人間とそうでない人間と。私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。――
なんてね、オレは沢木耕太郎かってえの。このようにインドとなると人はテツガクしてしまうのである。私がインドに旅立った(そんなに大袈裟なもんじゃないけど)のは自分を変えたかったからだ。(まだ若かったんです。すいません) その頃の私は私生活で色々とあって、その打開策を旅に求めたんである。旅に出て、人間をひと回りでかくして日本に戻ってくるぞっ! そのためにはやはりインドだっ! と、かようなことを考えていました。(あの、旅行は一週間だけです。大馬鹿野郎です、私は。生きててすみません)
なんせ、初めての海外旅行である。インドに関する本は手当たりしだいに読んでいたのだが、それが余計にインドに対する期待をいやがうえにも高まらせ、好奇心と不安が叶姉妹のように攻防戦を始める。もしかしたら生きて帰れないかもしれない。搭乗前に成田(関空は当時開港してなかった)から実家に電話したのはせめて死ぬ前に一言残しておこうという親孝行のつもりである。
「新聞には載るなよ」
という父親の暖かいのかなんだかよくわからない言葉を胸に抱き、機内に乗り込むと客室の壁にはおどろおどろしい曼陀羅のような絵が描かれている。すかさず脳の中の小人がラインダンスを踊り始め、細木数子先生に 「どこが面白いの、あんた!」 と 一喝された猫ひろしよりもびびる。にゃあ~。
とにかくエア・インディアは飛び立ち、まずい機内食と太めで愛想の悪いサリー姿のスッチーにうんざりし始めた頃、ようやくカルカッタ(現コルカタ)のダムダム空港(現在はチャンドラ・ボース空港と改名)に着いた。ちなみにダムダムというのは地名である。殺傷力が高く、残酷なので使用を禁止されたダムダム弾はここの造兵廠で製造されたそうだ(ドリアンの豆知識よ、ってそんな余裕があったのか? なかった。まったくありませんでしたっ)。
夜の7時。タラップを降りると、いきなり暑い。じっとしていても汗が吹き出てくる。しかも硝煙というか、焼けたゴムというか、ともかくそんな臭いがする。しかも空港警備員は小銃を持っている( 正直、帰ろう......かな? と少しだけ思いました) 。空港ビル内に入ると、国際空港だとは思えないほど薄暗い。空調なんぞはもちろんなく、天井に三枚羽の扇風機がゆったりとハエを追うように回ってるだけ。それにしても暑い。なんか飲みたい。
「Drinking water」と書かれたプレートが目についたので近寄ってみると、そこには公園にあるような噴水式の蛇口(下から口に向かって噴水する、あれね)がぽつんとあった。なにもこんなもんに仰々しくプレートをつけんでも.......。いや、ここはインドだ。水道水が飲めるだけでもありがたいと思わんとな。入国審査と税関を終え、外に出ようとしたが、そこで足がピタリと止まった。なんと外にはインド人たちが押すな押すなと黒山の人だかり (インド人だからホントに黒い) で出てくる人間を待ち構えてるんである。それはなにも私が有名人なのでサインをもらおうとか、インドの地を初めて踏む日本人を熱列歓迎してやろうとかといった気持ちからでは決っしてない。やつらはタクシーやホテルの客引きである。全員が、俺はこの客引きに命を賭けてるんだ。なんてったって、家族の生活がかかってるからな。かあちゃん、待ってろよ。明日もチャパティ-を食わせてやっからな。そらっ! 金持ちの日本人が出てきやがった。今夜のカモはあいつだ。ぜってえ、逃がさねえぜ、なんて顔をしてるのだ。
ひえ~っ! あいつらの中に出ていくんかいっ! 思わず「ドラゴン 怒りの鉄拳」でブルース・リーが暴徒と化した群集や拳銃を構えた警官隊に走り出て、飛び蹴りをかますラストシーンが浮かんだね。
しかし、ここで回れ右をして帰国してしまっては、末代までの恥だし、航空券が無駄になる。よしっ、待ってろよ、インド人! サムライ魂をみせてやるわあ~っ! と、ここで私は、はたと気づいた。興奮してたんで忘れてたけど、旅行会社で今夜のホテルは予約してたんだ。そのホテルから車が迎えに来てるはずだ。そうだった、そうだった。それならいくら客引きが寄ってこようと恐くはない。私は余裕の表情で空港の外に出た。
「ナマステ~、インドのみなさん、アイ・ケイム・フロム・ジャパ~ン」 がっ、! 
 
「ジャパニ! ジャパニ!」 「タクシー! チープ! チープ!」 「ホテル? カムカム!」
「グッドプライス!!」 「ベリーチープ!!」 ぎゃあ~! うげえ~っ!
「#$%&♀¥!!」
うるさいわいっ! 私はフランスに凱旋帰国したトルシエ監督なみにもみくちゃにされた。(トルシエって、確かフランスだったよな。サッカーに無知なので事実誤認があったら許せ、サッカーファン。カミソリの刃なんか送ってくんなよ)
ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。
「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」
「イエス! イエス! イエース!!」 
私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」
そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」 と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」 と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!! (つづく)

NO 106 インド編 その2

at 2006 05/08 21:25 編集

「グレート・イースタンホテル」の大理石のバスタブにつかりながら私は考えていた。 
「カルカッタくんだりまでやって来て、こうやって高級ホテルの風呂にのうのうと入っている場合か。インド8億の民衆の生活を知るためには、やっぱり安くて汚いゲストハウスに泊まって貧しさを肌で感じなければ。民草の中に入っていくのだ。カースト反対! ガンジー万歳!」
お前は民青かっ! と思わず突っ込みを入れたくなるほどの勘違い野郎だ。あえてゲストハウスに泊まる理由があるとすれば、お金を倹約したいとか、居心地がいいとか、貧乏の疑似体験をしてみたい等であって、民衆の生活なんぞ分かるはずもない。 「それはお前の自己満足じゃ~っ!」 と今の私なら当時の私に回し蹴りをかますところだ。
そもそも、そんな気持ちになったのはカルチャー・ショックもあるだろう。空港から迎えの車に乗り込み、妖し気なオレンジ色の街灯の下を走っていく。しばらくして市街に入っていったのだが、その光景に目を瞠った。イギリス植民地風の建物もあちこちに建っているのだが、そのどれもが老朽化して今にも崩れ落ちそうになったいる。歩いている人はといえば、そのほとんどが襤褸を纏っている。日本で言えばりっぱな乞食だ。豊かで清潔な国から来た我が身にとっては、まるでタイムスリップに遭遇したみたいであった。
とにもかくにも翌朝、私はサダル・ストリートに行こうとホテルを出た。インドの中でも最も汚いといわれるカルカッタ。そのカルカッタで最も汚いといわれるのがサダル・ストリートだ。ってことは宇宙で一番汚い場所だ。その界隈にはありとあらゆる病原菌が生息しているというのだが、そこに安宿が密集しているのだ。白人バックパッカーに道を尋ねながら歩いていると、老婆やら子供を抱いたお母さんやらが 「バクシーシ(おめぐみを)」 と右手を差し出してくるのだが、ギョッとなることもしばしば。指がニ本か三本欠けている。五本ともない人も。ハンセン氏病だ。あきらかに顔が変型している人もいた。ううっと重苦しい気分になって先を急ぐ。
バックパッカーの間ではその名を知らぬ者はおらず、小説にまでになった 「ホテル・パラゴン」 に泊まろうと思い、リキシャーワーラー(人力車のようにうしろに人を乗せ、自転車でこいでゆく乗り物がリキシャーであり、その漕ぎ手)に場所を聞く。すると横にいた客引きの兄ちゃんに 「パラゴンは満室だ。俺の知ってるホテルに案内してやる」 と紹介されたのが 「キャピタル・ゲストハウス」(一泊60ルピー。当時のレートで1ルピー≒12円とお考えになれば大体の目安となるでしょう)だった。実は、客引きがそこは満室だと嘘をついて自分と契約をしたホテルに連れていき、キックバックを得るのはよくあることだったが、当時の私には知る由もなかった。
生まれて始めて泊まったゲストハウス、キャピタルは冷房なし、トイレとシャワー(水)付き、ベッドのシーツは少なくとも一か月は換えた形跡なしであったが、別に不自由は感じなかった。もう1ランク下がると、トイレとシャワー(水)共同、シーツは少なくとも半年間は換えた形跡なし(南京虫付き)になる。
宇宙で一番汚いサダルは小便横丁という表現がピッタリくる。あっちこっちがぬかるんでいて、あっちこっちにウンコが落ちている。サダルにいるのはビンボー旅行者と物売りと乞食と詐欺師と泥棒と野良犬だ。乞食とそうでない人の境界はきわめて曖昧で、排水溝で体を洗っている人もいれば、道端で寝ている人もたくさんいる。この通りにいれば、いろんな人にやたらと声をかけられる。
「ジャパニ、マリファナいらないか? ハシシは?」
「マネー・チェンジしないか? レートがいいぞ、フレンド」
「パージャーマー買わないか? 安くしとく。フレンド・プライスだ」
「マイ・フレンド、お土産にサリーはどうだ?」
おいっ、会ったばかりで名前も知らんのにフレンドたあ、どういう了見でえっ。そう、インドでは友だちになるのに時間は必要ないのだ。友だちができないと悩んでる君、インドに行って友だちをつくろう! 友だちに国境は関係ないのさっ。さあ、君も今すぐレッツ・ゴー・トゥー・インディア!
「ハロー、ジャパニ。インドは初めてか? どこから来た? トーキョー? オーサカ? 俺も日本には仕事で行ったことがある。ヤマモトを知ってるか? 俺の親友だ。何、知らないのか。まあいい。ところで俺の知り合いが店をやってるんだが、寄っていかないか? お前はトモダチだから特別に安くしてやるよ。お金持ってないって? ノー・プロブレム。見るだけ。見るだけならノー・マネーだ。オーケー? こっちだ。ついてこい」 
私もインド滞在中に何回も同じことを言われた(時たまヤマモトがタナカになったりする)。こうして大阪商人も顔負けの狡猾さでうぶな旅行者を店に引っ張り込み、適性価格の何十倍もの値段をふっかけ、最後にはケツの毛までむしり取ってしまうのだ。ああ、恐ろしやインド人。
私の経験では、アジアでの物売りと物乞いのしつこさランキング第一位はやはりインド人だ。断っても無視しても、どこまでもどこまでもどこまでもついてくる(いやな男にナンパされる女の気分か?)。後年、タイやネパールやカンボジアに行った時、物売りや物乞いのあまりの淡白さに 「もっと気合い入れて仕事せんか~いっ!」 と思っちゃったほどだす。(つづく)

NO 107 インド編 その3

at 2006 05/15 22:30 編集

インドはいうまでもなく暑い。めったやたらと暑い。気温は、少なくとも香港風邪にかかって病院のベッドでうんうんうなっている重病人の体温よりは高いのは間違いない。歩いていると熱風に包まれたようになって息が苦しいし、脳みそが沸騰してくるので難しいことは理解できなくなってくる。そんな炎天下で男はクルターとパージャーマーの上下、腰巻風のドーティーやルンギーといった服装が多いが、女はどこへ行ってもどんな時でもひたすらサリーだ。道路工事や建築現場でも男に混じってサリー姿の女が土の入ったざるを頭の上に載せて運んだり、レンガを積んだり、ツルハシで穴を掘ったりしている。労働するからちょっとTシャツとスパッツに着替えてくる、というわけにはならないのだ。インド初の地下鉄がカルカッタで一部開通したが、地下鉄工事中も機械を導入する資金がないのでサリー姿の女性を含む人夫たちが手作業で労働に従事していたそうだ。他の国からはあの調子では開通するまでに100年はかかると言われていたぐらいである。そのありがたい地下鉄に私も乗ってみることにした。
全線1ルピー。電車内は信じられないことに冷房が入っている。冷房ぐらいは当たり前かもしれないが、ここはカルカッタである。天井で三枚羽の扇風機が回っていても私は納得した
だろう。快適。喧噪と灼熱地獄の地上とは別世界だ。ホームから地上へと昇っていくエスカレーターの前では男の子の手を握ったお父さんが必死になっていた。小さい頃、初めてエスカレーターに乗ろうとした時を誰もが覚えているだろう。動くステップに一歩を踏み出すのはなかなか難しいんである。お父さんが恐る恐る足を出す。タイミングが合わなくてつんのめりそうになる。もう一度足を出そうとするが、次々とせり出してくるステップが恐くて躊躇する。その横では奥さんが 「あなた、がんばって」 という顔つきで見守っている。そのうしろでは大勢のインド人が 「落ち着けよ、あせるなんじゃないぞ。それっ、今だ」 というような面持ちで真剣にお父さんを見つめている。小さな子供ならいざしらず、大の男が必死になっているのが笑える。インド人にとっては初めての経験だもんなあ。それはインド人のしつこさに辟易していた私にとって、今思い出しても頬のあたりが 「むふふ」 とゆるんでくる唯一の光景であった。
終点で降り、カーリーガート寺院内にあるマザー・テレサの施設 「死を待つ人の家」 に行く。ここでは各国からボランティアが来ていて熱心に働いている。私も友人の看護婦から言付かった医薬品をシスターに渡し、布に包まれた遺体をみんなで運んだりした。帰りにカルカッタのメイン・ストリート、チョーロンギー通りを歩く。ここは世界一の人口過密都市と呼ばれるカルカッタにおいてもさらに人の行き来が激しい。夜になると明かりが少ないので、気をつけてないと人とぶつかるのはもちろん、往来に寝ている乞食を踏んづけてしまうこともある。その日もスリに注意しながら歩いていたのだが、いきなり、という感じで通りのまん中に十歳くらいの少年が寝ているのを見つけた。通行人はその少年をじろじろ眺めたり、一瞥しながら通り過ぎて行く。少年には両腕がなかった。上着を着ておらず、本来なら腕の付け根がある場所に赤黒いケロイドの皮膚が少し盛り上がっていた。少年は怒りも恥ずかしさも悲しみも感じさせない無表情な眼でただ空を見ていた。彼は一日中そうやって寝ているのだろう。しばらく見ていたが、彼にパイサやルピーを投げ与える者はいなかった。日本に帰ってから知ったのだが、本当に貧しい親は子供を不具にしてしまうそうだ。そうすれば子供は物乞いとして生きていくことができる。その少年がそうなのかは分からないが、私はやり切れない気分だった。
人間はどんな環境においても順応していける動物だと私は思う。単純に貧しいから不幸だとか、豊かだから幸福だとかを言うことはできない。先進国にも苦しんで自ら命を断つ人はもちろんたくさんいるし、途上国から先進国の人間を見て、自分にはとてもじゃないがあんな生活はできないと思うこともあるだろう。幸福感というのは主観的なものなので、インド人が皆不幸であると思い込むことは先進国の人間が皆幸福であると思うのと同じくらい愚かなことだ。確かにインドは限り無く貧しいし、不衛生で識字率も低い。障害者も多いし、今もカーストやサティー(注 1)やダウリー(注 2)という文化が存在している。悲惨だと言う人もいるだろう。しかし、同カースト内では相互扶助的に生活しているという例もあるし、サティーに至っては自ら進んで殉死する寡婦もいると聞いた。まるで藤子・F・不二雄の 「ミノタウロスの皿」(注 3) だ。それはパラダイムの見直しであり、「人権」 というタームでは火の中に身を投じる寡婦を止めることはできない。我々の文化で彼らの文化を計ることはできないし、かといって全ての文化は等価だと言うこともできない。けれど少なくとももし、今度生まれ変わるとしたらインドと日本とどちらがいいかとインド人に聞いたら、ほとんどが日本だと答えるんじゃないか(今の私だったら必ずしもそうだとは思わない。その時代のその国に生まれて後天的に形成された言葉をも含む共通の価値観はそう簡単には越えられないからだ。日本人がアメリカに生まれたい、と思うこととは違う)。私はインド滞在中、ずっとそんなことばかり考えていた、っていうか考えられずにはいられなかった。それほどまでに当時の私にとって、インドはカルチャー・ショックだった。(つづく)
(注 1)  
夫に先立たれた妻が夫の遺体と共に生きながら火葬される習慣。法律では禁止されたが、なくなったわけではない。
(注 2)  
花嫁の父から花婿に贈られる財産や持参金。ダウリーが少ないために姑に嫁が殺されたり、親の負担を案じて自殺した姉妹もいる。なお、カーストはポルトガル語、ダウリーは英語から来ており、それらを表わす言葉自体インド語には存在しない。
(注 3) 藤子・F・不二雄「異色短編集 1」 
未来世紀、一人の地球人がある惑星に不時着する。その星では人間が家畜であり、牛が主人である。家畜である人間の最大の栄誉は大祭の日に選ばれて食べられることであり、それは本人にとっても家族にとっても待ち望まれている。ここではパラダイムの転換が起きている。

NO 108 インド編 その4

at 2006 05/29 22:35 編集

インディア・エアラインでデリーにやって来た。空港から市内行きのバスに乗る。運転手と客のやり取りを聞いていたのだが、ヒンディー語だと思っていたのが三十分経過して英語だと判明。ちなみにインド英語の特徴は thをタと発音し、R をはっきりと発音する。だから thirty はターティーとなり、master はマスタルになる。
その運転手にホテルを紹介してもらい、宿泊した翌朝のこと。起きると下痢と頭痛と悪寒とおまけに脚の関節まで痛い。これは赤痢かコレラか肝炎か。インドの地で客死したら骨はガンジス河にまいてくれ。後は頼む、って私は一人旅なので自分で何とかせんといかんのだ。食欲はないが、喉がやたらと渇くのでメイン・バザールでミックス・ジュースを飲む。路上のジュース・スタンドなのだがこれがものすご~くうまいのであっちこっちで10杯ほど飲み倒す。
1月の北インドの朝は寒い。栄養不良のせいもあって毎年、路上生活者が凍死するほどだ。それでなくても寒気がするのでセーターを50ルピーで買う。もう値切る気力も残っとらん。それにしてもニューデリー駅前って敗戦直後の日本の焼跡地みたいだ。朝になるとみんなが路上の至る所で商売用か自炊のための火をおこし、わらわらと人や野良犬や野良牛が集まり始め、その人ごみの中をタクシーやリキシャーが縫うようにして通り抜けてゆく。道端では男たちが座り小便をしている(なぜかインドの男たちは座って用を足すのだ)。
メイン・バザール(バハール・ガンジ)はその駅前にある、安宿や食堂や映画館や雑貨屋等が立ち並ぶ通りだ。今日の夕方にはバラナシ行きの列車に乗らなければならないので、駅のクロークに荷物を預けてからうろうろしようと思っていたのだがっ。だっ、駄目だあ~。苦しい。もう一歩も動けん。このままでは死ぐ。ホテルで休ませてもらおうと日本人に人気の「ホテル・パヤール」に行き、「2、3時間やずまぜで~」 と息も絶え絶えに頼むと心良く了承してくれた。 「だけど一泊分の料金はもらうよ。30ルピー」 と付け加えるのを忘れなかったが。 
屋上の部屋に案内される。隣の部屋の中年の日本人はインド滞在二か月だそうで、パチパチとタイプライターを打っている。屋上のデッキチェアで昼寝をしに来た日本女性三人は「あの人(私のこと)、病気なんだって。私、薬持っていてあげよう」 と話をしていた。私はベッドで苦しみながら期待して待っていたのだが、結局来なかった(おいっ)。
しばらく横になった後、ホテルを出て駅に行く。預けていた荷物を引き取ろうとすると、クロークのおっちゃんが、 「4時15分にならないとここはオープンしないよ」 とぬかす。冗談じゃねえ。おれの持ってるチケットは10分発なんだよ。だから開けてくれ、開けろってんだよ。開けろ~っ! 頼む、開けてちょうだい。ね、少しだけだから。開けてくださいまし。開けてくれないとリンダ困っちゃう~(ふるっ!)。開けてったら開けてぇ~。ねえったら、ねえ~ってば~。とすごんだり、すかしたり、傍らのインド人も見かねて加勢してくれるのだが、おっちゃんは 「駄目だ」 の一点張り。普段は 「いいかげん」 を絵に描いて額に入れて壁に飾って一人50パイサでお金を取って鑑賞させるほどルーズなインド人がどうしたってんだ。結局、発車時刻を逃してしまった。しかし、インドの列車は10分、20分の遅れは定刻のうちで、平気で4、5時間遅れることはざらにあるとは後で知ったこと。この時も私の乗る列車がまだ到着してなかったことは充分考えられる。とにかくプラットホームに出て、そこら辺の人に次のバラナシ行きの時間を聞いてみた。でも8時半だとか11時だとか1時とか人によって言うことが違う。窓口で聞こうにも大勢の人間が殺到していて、下痢と発熱で弱っている私にはそこへ突っ込んで行く気力はもはや残っていなかった。
「インド、あんたの勝ちや」
私はへなへなとその場にうずくまった。
「何でインドなんかに来てしまったんやろ~。もし生きて日本に帰ることができたら、今度はハワイに行くぞお」
とわけの分からんことをうわ言のようにつぶやいている私に、 「どうしたんだ?」 と一人のおっちゃんが声をかけてきた。(つづく) 

NO 109 インド編 その5

at 2006 06/05 21:42 編集

事情を話すとおっちゃんは 「バラナシ行きの列車は今日はもうないから、チケットをキャンセルすればお金が戻ってくる」 と言う。おっちゃんに連れられて案内所に行って聞いてみると、「国際外国事務局」 なる所で明日払い戻しをしてくれるそうだ。やれやれ、とにかく戻ってきたお金で新しくチケットを買い直そう。おっちゃんは 「ついてこい」 と手招きをする。この時点でも私はこのおっちゃんを信用していたわけではない。だが、今にも倒れそうな状態であれこれ詮索するのも面倒だったので、大人しくついていくことにした。
駅から五分ほど歩いた場所に旅行会社のオフィスがあり、おっちゃんはそこに入っていく。ここの社員らしい。オフィスで少し休憩してから、リキシャーでおっちゃんの紹介してくれた 「ホテル・アトランタ」 に行く。ゲストハウスではなく中級ホテルだが、一泊80ルピーと、そう高くはない。おっちゃんは従業員と少し話しをすると帰っていった。部屋に案内してくれた従業員の兄ちゃんに 「私は病気である。だから大変苦しい」 と言うと、その兄ちゃんは驚いていろいろと世話をしてくれたのだが、その世話が半端じゃなかった。毛布を持ってくるわ、食べ物を運んできて食べさせてくれるわ、医者を呼んでくれるわ、薬を飲む時間になると水まで持ってきて飲ませてくれた。彼は夜勤なので明日、自分の代わりに私の世話をする人まで頼んでくれた。うっうっうっ。インドでこんなにも人に親切にされるなんてえぇぇ~。私は彼に何度もお礼を言い、やがて眠りに落ちるデリーの夜八時なのであった。 
翌朝は六時に起床。下痢はまだ続いていたが、熱は少し下がったようだ。八時半にバラナシ行きの列車が出ると聞いていたので、急いでチェックアウトをする。駅で窓口に割り込んでくるインド人たちと死闘を演じたあげく、やっと二等寝台車のチケットが取れた(100ルピー)。ホテルに戻り、フロントで昨夜の彼に渡してくれと、迷ったが10ルピー差し出した。せめてもの感謝のつもりだったが、あれから10年以上立つ今でもふと思う。あの10ルピーは彼の手に渡ったのだろうか? やっぱり、渡っていないような気がするな。
駅で昨夜のおっちゃんにばったり出会った。おっちゃんは 「いいか、事務局でチケットを見せれば大丈夫だからな」 とだけ言うと、風を巻くように去って行った。うっ、かっちょいい。私にはおっちゃんの後ろ姿が高倉健に見えた。そして警戒心のせいで無愛想にしたことを激しく後悔した。親切で話しかけてくる人とそうでない人を見分けるのはとても難しい。今日でも構内をうろうろしていると、いろんな人が話しかけてきて教えてくれたのだ。それでもいい人だと思って気を許せば、騙されることもしばしばだ。結局、旅行者は騙されてぼられながら旅を続けていくしかない。絶対ぼられまいと肩ひじ張った旅は面白くないし、旅行者は基本的にその国にとって客人だから通行料だと思えば少しくらいぼられても腹は立たん(と思えるほどの大人になりたいわっ!)。
しかし、それからがまた大変だった。事務局で聞くと、8番の窓口に行けと言われる。8番に行くと13番に行けと言われる。13番に行けば14番に行けと。ああっ、たらい回しだあ~っ。病み上がりの体でひいひい言いながらうろうろしていると、一人の男がここで聞けと13番と14番の間の小さな窓口を教えてくれた。こうしてやっとの思いで払い戻された大枚188ルピーを握りしめ、いつ出発するとも判然としないインド列車に備えて今度ばかりは乗り遅れまいと出発時刻(あくまでも予定)の三時間前からプラットッホームで待機していたのであった。青年は荒野をめざす。いざいかん、聖地バラナシへ! でもここから18時間かかるんだよな。

二等列車に乗り込むと、中はインド世界を凝縮したような騒々しさと混沌である。立錐の余地もないほど混み合ってる車輌にニワトリやヤギを連れ込むやつがいるし、物乞いがお金をせびりに来たかと思えばおひねりをもらいに歌を歌いに来る人や笛を吹いている人もいる。ガキどもは 「バクシーシ」 と遠慮なしに手を差し出してくる。こいつら絶対、無賃乗車だな。ななめ前に座っていたおじさんが 「チャイニーズ?」 と聞いてきた。それからこのおじさんが喋ること喋ること。よく分からないインド英語で、俺はガス会社に勤めてるとか東京と大阪にペンフレンドがいたとか延々とまくし立て、そのやりとりを回りの乗客が興味深そうに見ている。何時間かして、車掌が検札にやって来た。私のチケットを見て、 「この車輌じゃありませんよ」 と言う。おじさんが降りる駅で一緒にホームに降り、ポーターにチケットを見せた。
「ついてこい」(インドではこの言葉をよく言われるなあ)。
そう言うとポーターは私のリュックを肩に担ぎホームを走り出した。列車がどれくらい停車しているか分からんが、乗り遅れたらバラナシはおろか日本に帰ることもままならん。私は必死に走った。こんな時でもなぜか走りながら夜空を見上げ、月がきれいだなあ、なんて思っていた。ポーターの指し示した車輌に飛び乗ると同時に列車が動き始めた。お礼にと彼に1ルピーを渡そうとしたら、受け取ろうとしない。誇り高い人だなと思ったら、 「パイサはいらない」 と言っている。よく見るとそれは1パイサ硬貨だった。あわててポケットから50パイサを三枚つかみ出し、放り投げた。はあ~っ。
疲れ果て、三段寝台の中段にもぐり込み、泥のように寝る。下痢は依然として続いていた。いろんなことがあったような気がするが、インドに来てからまだ四日目なのであった。(つづく)



NO 110 インド編 その6

at 2006 06/13 21:52 編集

ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ! (ベタですまん。しかも関西限定ギャグ)
古くから親しまれてきたベナレスという名は英語名のBENARES(ベナリーズ)の日本語読みであり、正式名はバーラナシーだ。現地ではバナラスともいう。ああややこしい。
早朝六時にムガール・サライ駅に到着。オートリキシャー(小型オート三輪のタクシー)を拾い、バラナシヘ。両側に花屋や食堂やゲストハウスやお香や聖水入れを売っている店等がぎっしりと並んでいる狭い路地をくねくねと下っていくと(曲り角で牛と鉢合わせて角で突かれたりするから気をつけろよって、誰に言ってんだ)、いきなり視界が開けた。聖なるガンガー(ガンジス河)は思ったより広大でダージリンティーのように濁っている。ガート(沐浴場)では老若男女が口をゆすぎ、祈り、体を浄める。神様の乗り物とされる牛も水浴びをし、時おり排泄物も流れる。バラモンは説教をし、サドゥー(ヒンズー教の修行者)は瞑想する。
おお、高校生の時に三島由紀夫の「暁の寺」を読んで以来、憧れの地であったあのバラナシに私はいるのだ。焼けつくような太陽の下、雄大なガンガーに無数のきらめくサリーと半裸の男たち。人々のざわめきと祈り。聞こえてくる讃歌。ガンガーで沐浴せば全ての罪は浄められん。無辜となった亡骸を荼毘に付し、ガンガーに流せば輪廻からの解脱を得ん。ああ、悠久の聖なるガンガーよおっ! 
「バクシーシ、バクシーシ、ジー」 と肩を叩かれたので振り向くと、乞食が列を作って並んでいる。
「バクシーシ!」
ああ、うるさいっ。声を揃えるんじゃないよ。ゆっくりと思索にふける間もないな。そうだ、ボートに乗ろう。交渉して値切り倒し、一時間50ルピーで廻ってもらうことに。ボートを漕ぎ出して川中からガートを眺める。いろいろなガートがあるが、中でも大きなガートは何かもう、ひっちゃかめっちゃかに様々なものが混じり合ってこの世のものとは思われない光景だ。
いくら聖なる河だといっても、川底に人骨がごろごろ転がっていてたまに死体が浮いていて赤痢菌がうじゃうじゃしているような汚い河の水を飲んで下痢をするインド人だっているだろう。死んじゃう人だっているかも。いや、信仰という気合いが入った精神には病原菌も退散するのかもしれない。なんたって、遺灰をガンガーに流してもらうために地方からやって来てバラナシに住み、死ぬのを待っている人もいるんだもんなあ等と思索にふけるためにボートを漕ぎ出して思索にふけっていると、少女の乗ったボートが近づいて来た。
「この花、神様に捧げる花。10ルピー。買え」
「船頭さん、買わないから先に行っちゃって」 
それにしても信仰というものはすごいなあ。椎名誠が「わしもインドで考えた」で書いているように、このように信仰篤きインド人と信じるものなど何もないんだあ~と嘯いている日本人と一体どちらが幸せなのだろうか等と思索にふけっていると、少年の乗ったボートが近づいて来た。
「ガネーシャ、クリシュナ、カーリー、神様の人形、いろいろある。20ルピー。買え」 
「だあ~っ、うるさいわあ~っ! 俺を一人にさせてくれ~っ!」
ボートを下りて火葬場のマニカルニカー・ガートに行くことにした。布に包まれた遺体を組んだ薪の上に乗せ、火をつける。薪がバチッバチッと音を立てて爆ぜ、布がめらめらと燃えていき、徐々に肉体が現われてくる。時おり隠亡が棒で遺体をつつき、火の回りを早くする。人間の肉体を焼く光景を見るのは初めてなので、最初は衝撃的だったが炎天下で陽炎のような炎を眺めているうちに感覚が麻痺してくる。インドでは何が起きても不思議ではない。 「インドが異常なのか、それとも日本なのか」 思索にふけっていると、いきなり風が吹いてきた。わっ、ぺっ、ぺっ、遺灰が口の中に入っちゃったあ~。
近くで火葬を見ていた日本人らしき女性に声をかけたら、彼女は北海道の大学生だそうだ。話をしているうちにもう一度ボートに乗ろうということになった。人のよさそうな、おじいさんの船頭に値段を聞くと、20ルピーだそうだ。くう~っ、またしてもぼられてたか~。そのボートにはおじいさんの孫だろうか、まだちっちゃな男の子や女の子が五、六人乗っていた。夕刻のガンガーは気温もいくぶん下がり、風が吹いていて気持ちがいい。ガートの喧噪も遠くに聞こえる。この辺りは六時頃になるともう真っ暗闇だ。それでも路地を歩くと聖地らしい喧噪がここかしこで聞こえてくる。自分が今ここにいることが不思議だ。日本を離れて本当に遠くまで来たんだなあ、と感慨にふけっている暇はない。今晩八時半の列車でカルカッタに帰らなければならないのだ。バラナシ滞在十二時間。ああ、せわしない。ここがリーマン・パッカーのつらいところだ。乞食や物売りの少年少女たち、明日もしっかり稼げよ。さらばバラナシ、また来る日までえ~。(つづく)
NO 111 インド編 その7

at 2006 06/20 22:03 編集

バラナシで知り合った人が泊まっているホテルに荷物を置かせてもらっていたので急いで引き取りに行き、町中でリキシャーを拾う。町外れまで行き、そこからオートリキシャーを雇ったのだが、運転手が飛ばすこと飛ばすこと。急いでくれるのはありがたいのだが乗っている方は気が気ではない。人波を巧みにかわし、F1レーサーのように車を追い抜き、対向する牛の横をするりと通り抜ける。まったく、生きた心地がしなかったよ、あたしゃ(ここだけちびまるこちゃんの声で読んでね)。
やっと駅に着いてやれやれと思っていたら、駐車しようとする寸前に横から二人乗りの自転車が突っ込んできた。私は後ろの座席であるはずのないブレーキを右足で思いっきり踏みこんだが、やっぱりぶつかった。自転車は派手に横転したが、男たちに大したケガはなかったらしく、起き上がると猛然と食って掛かってきた。それに運転手が応戦する。回りには野次馬が集まってきた。こういう場合、インド人は激しく罵り合っても手は出さない(警官が民衆を警棒でどついている光景は時々見る)。
インド人と中国人は似ているような気がする。どちらの国も人口が多いので自分を主張しないとやっていけない。謙譲の美徳なんて言っていたらバスにも乗れないし、列車のチケットも買えないのだ。そんな生存競争が激しい国では自然と気性が荒くなるのか、しょっちゅう言い争いをしている。そうやってケンカになるとわらわらと人が集まってきて見物を始める。誰も仲裁はしない。大学の時の先生が言っていた。中国からの留学生が日本に来て不思議に思うのは、街を歩いていても電車に乗っていても日本人がとても穏やかでケンカをしないことなのだそうだ。インド人だってそう思っているのに違いない。しかし、私に言わせればケンカばっかりしているあんたたちの方がよっぽっど不思議だぞ。とにかく座席にリキシャー代を置いて、ケンカをしている二人を尻目に駅へと急ぐ。
プラットホームには日本人の団体客がいた。五才くらいの女の子が彼等に 「バクシーシ」 と手を出す。そこにいた若者たちがこう言っていた。
「お金ないんだよ。ノー・マネー、わかる?」 
「逆にこっちから『バクシーシ』って言ってみればいいんじゃないの」 
「そうか、ほら、バクシーシ」 
日本人に手を出された女の子はきょとんとしていた。
むき~っ! 今でもこの光景を思い出すと腹が立つ。その子は好きで物乞いしてんじゃねーよ。貧しくて働きたくても働けねーから仕方なくやってんじゃねーか。そうやってインドまで遊びに来ている金持ちの日本人(私もだけどよ)がいたいけな子供をからかうんじゃねーよ。金をやるつもりがないんなら、断るか無視すればすむことだろーが、あほんだらっ! と憤慨していると一人の少年が私にお金を乞い始めた。歩き出してもしつこくついて来て、ひざまづいて私の靴に額をこすりつけてくる。とうとう根負けして某(なにがし)かのお金を与えた。するとその少年は仲間のところへ戻り、ひそひそと話をしていたかと思うと五、六人がこちらに突進してきた。あわてて逃げ出し、何とか彼らの追跡から逃れて車両に飛び乗る。やれやれ。
列車が駅に着き、乗客が降りると子供たちが一斉に乗り込んできた。何をするんだと見ていると、ゴミ箱や座席の下からペットボトルを拾い集めている。そして構内にある水道の蛇口からペットボトルに水を入れてキャップを閉めているのだ。誰に売りつけるんや~? と考えるとはたと思いつくことがあった。中級のホテルに泊まっていて、ミネラルウオーターを頼んだ。ボーイが持って来たボトルには明らかに水が七分目ほどしか入っていない。もちろんキャップは開けた跡がある。こいつの中身は駅の水道水やないかいっ?! 責任者、出てこいっ! (by人生幸朗師匠)
こういう風にインドのガキどもは毎日を逞しく生きてゆくのであった。幼少のみぎりから鍛えられているんで、斯くの如く冷酷で抜け目のないインド商人に成長していくのもむべなるかな、合掌。(つづく)

NO 112 インド編 その8
at 2006 07/05 22:18 編集

早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。フーグリー河に架かる巨大な鉄橋、ハウラー橋は通勤する人で丸の内のようにごった返している。喧噪の中、澱んだ河を見ながら私は一人、物思いに沈む。
「今日でインドともお別れだ。長かったようで短かった一週間。物売りや物乞いに辟易し、下痢や発熱に悩まされた一週間。騙されたりもしたけど、親切な人にも出会った。うるさいが、頼もしくもある子供たち。チャイ屋の売り声、灼熱の大地、道端で死んだように眠りこけている犬、漆黒の暗闇、バラナシの炎、死体、サドゥー、カーリー女神に捧げられるために首をはねられる山羊」
様々な光景が次々に浮かんでは消える。けれどもインドよ、今日でおさらばすると思うと....、
あ~嬉しいわいっ! とっとと日本に帰るぞ。帰って風呂に入ってうまいもん食ってゆっくり寝て下痢を直すぞ。こんな国、二度と来るもんかいっ。一刻も早く空港に行って飛行機に乗って文明国に帰るんじゃい。帰るったら、帰るんだ~い!
帰りの飛行機で同年代の男と隣り合わせになった。どちらからともなく話しかけ、彼はパリでアパートを借りて住んでいたことやアジアのいろんな国を旅した話をしてくれた。私が海外旅行は初めてだと言うと、彼はこう言った。
「それならあなたはこれから何度も旅に出るでしょうね。一人で旅をする快感を覚えたら、それはやみつきになりますよ。僕がそうでしたから」 
私はそうはならないだろうと確信していた。こんな苦しい旅なんか二度とごめんだ。
成田空港に着くと私は激しい違和感を感じた。その違和感は日常生活の中でも長い間続いた。日本はなんでこんなに清潔で、日本人はなんで異常なほど清潔好きなんだ? 日本人はなんで大したことでもないことをいちいち気にするんだ(インド人は何があっても二言目には「ノー・プロブレム」って言うじゃないか)? なんで商品には全て値段がついてる? なんでどこに行っても自動販売機があるんだ? なんでみんな、自分のことをすぐに不幸でビンボーだなんて言うんだあ? おまけにふとしたおりにインドの子供たちや大人たちの姿がちらついてきたりする。 
「カルカッタは好きな街だよ」 
仲良くなったホテルのボーイにこう言うと、彼は言ったっけ。
「一週間の滞在では何も分からないよ」 
そりゃ、そうだ。けれども分かったこともいっぱいあったぞ。旅が短いか長いかなんてのはあまり重要ではないと思う。果たして私は自分を変えることが出来たんであろうか? それは本人にはよく分からんが、インドで学んできたと胸を張って言えることなら一つある。駅のトイレに入って、紙がなくてもちっとも慌てなくなった。どんなトイレでもバッチ来いって感じ。私にはインドで習得した、この黄金の左手がある。紙で処理するなんて、なんて不潔で野蛮。ちなみに帰国してからも軟便が一か月続いた。インド、もしもう一度行くことがあれば、勝てないにしても、引き分けくらいにはしたい。ああインド、ため息の出るインドよ。
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(ゴーダマ・シッタールダ)
(終わり)

皆様への伝達事項

ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。

皆さん、インドでは電子マネーが平成29年頃から急速に普及してるそうですので過去と現在は大違いだそうです。

エスカレーターに不慣れなインド人は階段は慣れておられたのでしょうか?階段は1970年代から利用されてたかもしれません。建物内で階段とエスカレーターの両者が利用出来る場所を見ると、つい連想する。
 インド国内一つとっても、西ベンガル州内においてもコルカタばかりかダムダム、デリー連邦直轄地、ウッタル・プラデーシュ州ベナレス(英語ではヴァーラーナシーでヒンディー語ではバナーラスとも言われてるらしい)等、幾つもの町々が存在しある程度の地名はその国へ行く前に覚えておく必要があると思います。
私が行ってきたカナダにおいても英語とフランス語(ケベック州の公用語)で町の名前が変更される。ブリティッシュコロンビア州がフランス語ではColombie-Britannique(コロンビーブリタニーキ)に変わります。
インド西ベンガル州においてはダムダムばかりかコルカタは有名です。
CCUことネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港(旧名 ダムダム空港)は西ベンガル州ダムダムに存在します。
ザ ラリット グレート イースタン コルカタ(旧名 グレートイースタンホテル)は西ベンガル州コルカタにて営業されてます。
「NO 110 インド編 その6
ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ!」とドリアン長野は執筆してました。
パルナス製菓さんは平成14年に企業清算して解散しました。阪神尼崎駅構内でパルナス製菓の実弟にあたる人物が、昭和49年にパルナス製菓から独立して開店したのがモンパルナスさんです。
モンパルナスさんは兵庫県尼崎市(阪神尼崎駅内)で営業されているベーカリーです。パルナスの事実上の後継店で実店舗で販売されてるばかりか通販もされてます。
http://www.pirosiki.com/
特別に私が平成29年の夏の日にモンパルナスさんで買ってきたロシアンドーナッツとピロシキの画像を紹介します。

ドリアン長野は1961年3月5日生まれで、26歳の時にインドに旅したならば、1987年こと昭和62年か翌年に行われたインド旅行記で平成18年にgoo簡単ホームページ上で発表された内容をyahooブログ上で転載しました。

管理人 マーキュリーマーク
ドリアン長野の海外旅行記 リターンズ 2.0
2017/12/17(日) 午前 0:16
順不同

マレーシア旅行記(ほぼエッセイです)

タイランド旅行記

ロンドン・コーリング (ロンドン旅行記)

アメリカ旅行記(NY、NJ、MI )

メキシコ旅行記 
(米国・ロサンゼルス並びにメキシコ・ティフアナ旅行記)

ベトナム旅行記(ホーチミン市のディスコ)

台湾旅行記

ビルマの休日 (ミャンマー旅行記)

カンボジア旅行記

インド旅行記

ネパール旅行記

フィリピン旅行記

北京旅行記並びにエッセイ

香港旅行記

上海旅行記

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

 ドリアン長野は昭和60年代から平成20年迄の間に何度も海外旅行をしてきました。言い換えると、2010年以前の海外旅行記です。従って、現在とは状況が異なる部分が多々ございます。
 行ってきた国の数は14か国(*1)。素人であれば多い方だと思います。全く逆に私の知り合いの貿易商人(玄人)は「少なくとも50か国は赴いた。」と発言された。某芸能人は「百ヶ国行った。」と言われてるから上には上がいます。
*1 順不同ですが、タイランド、イギリス、アメリカ、メキシコ、マレーシア、ミャンマー、カンボジア、インド、ネパール、台湾、ベトナム、フィリピン、中国(英国統治時代の「香港」も含む)、大韓民国
大韓民国の首都ソウルには行ったらしいが「ニューヨーク旅行記」でごく僅かに述べられたのみです。

 リターンズとは平成20年代に、ドリアン長野が平成十年代に発表した文章のみの海外旅行記に対して私が国内旅行だけをした観点から連絡や感想文を付加して再掲載をしてました。そして後に、転機がございました。

 私は平成27年10月にカナダのブリティッシュコロンビア州へ旅してきた後で、画像と動画を付加して海外旅行記を発表しました。これで「海外旅行に一回も行った事が無い人が海外旅行記のブログの管理人をしてる。」と公共の敵から誹謗をかねた批判がなされることはなくなったが、旅行中に狂人からフェイスブックを通じて詰問され旅の楽しみが半減させられました。嫌がらせをする人はいつまでも嫌がらせをするから関われない。そういう訳で不利益しか作り出せないから相手に出来ないとも言えます。親睦を深めるよりも亀裂を深める連絡が多くて閉口した。加害者は被害者を偽装しないでもらいたかった。
マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編CanadaBC
 それはともかく、第一にドリアン長野の海外旅行記に画像と動画を付加して楽しむとどうなるか?
第二に、「最近(2007年から2017年。言い換えると平成19年から平成29年)の変化について、皆様に連絡をしないよりもした方が良いのでは?」と考えました。
内政干渉はしないがメキシコと米国の間に壁を作る計画を発表したトランプ政権と同じ位に、平成19年にジャーナリストの長井健司さんが殺害されたばかりか、平成29年の夏に混乱を作り出したミャンマー軍事政権には問題があるように思える人は多いのではなかろうか?
実際に私がカナダ旅行してきて海外旅行について理解が行えた部分は小さくなかったです。
第三に、ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで投稿してたことから(とても乱雑な)順不同であったので整理整頓は絶対必要でした。とりあえず、メキシコ旅行記のように米国に行った後でメキシコに行った例外的(前例)な旅行記は存在するが国毎(旅行記毎)に分割しないと円滑に楽しめないし前作と次作の確認があまりにも難しい状態の改善も絶対必要でした。周知のように同じ国でも訪問した町が違うと全く違う旅行記になります。例えるなら上海旅行記と北京旅行記は全く違います。又、誤解のないように明確化しますが皆さんに対して一回の海外旅行で複数国(二か国以上)に訪問することは一切妨害しませんし否定もしません。
これら三点については考慮しました。
 そして、それらの不満を解消する為に作成したのが、ドリアン長野の海外旅行記リターンズ2.0です。
 恣意的ではなくて実体験したことを発表する事や海外旅行記以外の出来事についても発表したのは良いが、範疇毎に区分けしたいとは思いました。繰り返すようだが、悪い意味で順不同だったので整理整頓による改善は絶対必要でした。
ヤフーブログを始めた時と違って、文字数制限が二万文字になったから行えた部分はございます。文字数制限が厳しい(文字数が少ない)と一回の投稿で多くの文字の発表は行えません。

 2010年以前の過去の旅行記なので経年による変化は不可避です。皆様、過去と現在は異なる事が多いのでその点はご理解ください。具体的な説明はしませんが、私が行ってきたブリティッシュコロンビア州で営業してたお店も営業方針が変更したようです。
 皆様が海外旅行に行くか行かないかは自由です。参考にされる分には構わないですが将来的に渡航中止勧告等が発令される恐れがございますので、最新の情報を参考にした上で自己責任で行動してください。繰り返すようですが、皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。 http://www.anzen.mofa.go.jp/

付加 幻の海外旅行記 平成29年
    
付加 時計と海外旅行 平成29年 

付加 ドリアン長野の海外旅行記 

追記
 2019年12月にヤフーブログはサービスを取りやめることからブロガーに移行させてます。従いまして、ドリアン長野の海外旅行記に限ってはgooブログ上の海外旅行記を紹介する決断を下しましたのでご了承下さい。
半ば周知されてますがデトロイト市で有名なミシガン州の略称はMIで、ニューヨーク州の略称はNYで、ニュージャージー州の略称はNJです。
目的地に赴くのに経由は仕方なかったようです。過去(2010年以前)と現在(昨今)の航路は異なることが多いと考えてもらえると幸いです。

管理人 マーキュリーマーク

ミャンマー旅行記 ビルマの休日 2017/12/17(日) 午前 0:17




管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行を楽しんできました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。
周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しております。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。
平成29年12月

幻の海外旅行記 平成29年  2017/12/17(日) 午前 0:17

ある意味、ドリアン長野にとって、幻の海外旅行記は大別すると5種類存在します。

第一に、goo簡単ホームページが終了することになって、gooブログに切り替わることになった時にバックアップが行えなかった海外旅行記。これはどうしようもありません。あの当時、私は風邪で疲れてたしバックアップの猶予は一か月だけで厳しかったです。同じように平成十年代のgooブログの文字数制限は厳しかったです。言い換えると、一回の投稿で行える文字数が現在よりも少なかったから転載は難しかったです。ある意味、対応のしようがなく現在読める内容が最善を尽くした結果です。ドリアン長野は一通り海外旅行記を書き終えた後で平成18年にドリアン長野自身が再編集をした後で再発表をしてました。その投稿で挽回したので及第点がとれてる状態に至ったと自負してます。周知されてますが、トランプ政権の影響で米国からメキシコに行くのは今後(壁が作られるのは2018年もしくはそれ以降か?)は難しくなりそうです。そういう意味でも貴重な海外旅行記か?
以下は米国からメキシコに訪問した海外旅行記です。

第二は、ソウル旅行記。事実上の欠番です。ドリアン長野は大韓民国の首都ソウルには行ったらしいが「ニューヨーク旅行記」でごく僅かに述べられたのみです。
実は平成29年の夏のある日に再会した時に執筆するか否かを聞いたが軽く微笑みながら否定されてました。仕方ないです。強要は行えません。

第三は、香港旅行記です。ドリアン長野は英国統治時代の香港ばかりか中国返還後の香港に旅行されました。中国返還後の香港旅行記は詳細が語られてるが英国統治時代の香港旅行記は事実上、幻で読めません。

第四は、独身時代のドリアン長野にとって結果的には行けなかったシンガポール旅行です。将来、ドリアン長野がシンガポール旅行に行くかどうかも不明ですし少なくとも私はその計画は知りません。ドリアン長野にとっては行きたくても行けなかった、ほぼ唯一の例外か? もしかしたら、ドリアン長野は、南米(メキシコは中米)やアフリカやオセアニアにも行きたかったかもしれない。実際にドバイ経由で南アフリカ共和国に野生動物を見に行った人に話を聞いたがやはり、日本から南アフリカ共和国は遠かったそうです。
余談ながら、世の中には一回の旅行でマレーシアやインドネシアに赴くと同時にシンガポールに訪問する旅行者もおられるようです。マレーシアとシンガポールは隣国です。マレーシアとシンガポール間の国境を超える方法は複数の人々が発表されてます。
シンガポールのタナメラフェリーターミナルとインドネシア領のビンタン島の間の移動時間は、船でおよそ一時間だそうです。交通手段等についての詳細に興味がある人は各自でお調べください。
一回の海外旅行で複数の国々を訪問される人はおられます。
過去にマニラのスラム (フィリピン旅行記)とスワニー、バンコクの魅力、大都会バンコク (タイランド旅行記)でシンガポールについては触れられていました。

第五は【夏が来れば思いだす】です。
未完の大作です。 その1、その2、その3、その4は平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始に行ったバンコク旅行記を平成25年(2013年)に作成されて存在するがその5が未だに執筆されてません。ご夫婦の新婚旅行を語られても悪くないと思います。続編が執筆されてないから幻の海外旅行記です。

追記
平成30年の夏のある日、ドリアン長野の奥さんと再会した時に「タイランドで死にかけた話って何ですか?」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。事実上、これで完結かな?

マトメ
皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。
ドリアン長野の海外旅行記は2010年以前に行ってきた海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思いますが皆様お楽しみください。


時計と海外旅行 平成29年  2017/12/17(日) 午前 0:18




~高級時計は別としても時計は日本で買いましょう~
 皆様、海外のホテルで置時計を見てもそれを持ち帰らずに置時計は日本国内で普通に買いましょう。その方が安いです。百歩譲ってスイス製の高級時計は別口かな?

無論、それは正規の商品です。皆様、安い偽造時計は買わないようにしましょう。日本国内で合法的な安い腕時計を買う方が良いです。

チョンキンマンションと香港の散歩

 セイコーの小さい電波式置時計なので乾電池を入れて電波を受信すると自動で時刻合わせをしてくれました。平成27年に¥1008(税込み価格)で販売されてたからどこかの誰かみたいに実質的にセイコーの小さい時計に対して2000バーツ(1バーツ¥3.5として、およそ¥7000)も支払わないで済んで良かったです。

#1 オリエンタル・ホテル (ヤフーブログ版)

 私が購入した置時計は現在(平成29年)は値上がりしてます。価格等については各自でお調べください。
それなりにたくさんのポイントを保有してる人であれば¥1000以下で合法的に入手が可能でしょうね。
 「預かり保証金が全額返金されなかった。」もしくは「過剰にカードの請求金額が大きく請求された。」といった状況は好ましくありません。私は為替差損はともかくとしても、カナダのホテルから帰国してから15日後に全額返金されました。


~時計を二つ利用する利点~
 皆様、海外旅行の時に帰国便に乗り遅れることはあってはいけない事態です。海外旅行に行く前に(一部限定)海外旅行保険に加入された場合は遅延した時に保険料の支払いで救助してくれるらしいですけどもね。
 この問題を防ぐにはどうするか?可能性を低減するのが関の山ですが、戻れるような予定にしておくばかりか、日本時間に合わせた時計と現地の時間(外国の時間)に合わせた時計の両者を利用する方法がございます。海外であれば時差は存在します。夏時間のカナダのハリファックス等のように12時間の時差の海外の町に直行便で赴くのであればともかくですが日本以外の他の国は日本とは大きく違うので離日する前に海外時間に合わせた腕時計を用意しておきましょう。携帯電話やタブレットに頼るよりも成果が導けると思います。高級品よりも大衆品の方が頼りになることはございます。また、万が一の時にも安心だと思います。この部分がどういった意味かについては皆様のご想像にお任せします。参考になるかどうかは皆様のご判断にお任せしますが私が被ってた野球帽さえも盗もうとした人がカナダにはいました。カナダのお店の中で私の名前を刺しゅうしてもらったのでその犯罪者予備軍が読んだ後に彼が私から離れていったのは少し笑えますね。そういう訳でアナデジ時計一つで済ませることは推奨しかねます。実際の所、時差ボケで朦朧としてるから見間違える可能性もありますからね。その可能性を低下させるには簡素な時計を二つ以上利用することです。
 無論、単なる提案なので賛同するか否かは各自でご決断ください。
 ~腕時計について~
 平成20年代のお話ですが¥1080も支払ったら防水性を備えた良い腕時計は買えます。Q&QのVP46やカシオのMQ-24でも十分です。
日本製の腕時計だと¥2980です。ソーラー腕時計は¥2340でした。
腕時計に防水機能があるかないかは大違いですね。
小売店での展示期間が長い可能性はあり得るので時計店で電池の残量の確認はされてもよろしいかもしれません。私は購入した腕時計の電池の確認を地元で営業してる電池交換と修理専門の時計店で確認してもらいました。すると、「残量が少ない。」と言われ電池交換してもらいました。貴重な海外での時間をそれについては無駄にしなくて良かったです。錯乱してる人が私に対してフェイスブックのタイムライン上で詰問してきたから時間を無駄にしてしまったから、後に冷静に怒りの抗議をした。頼んでもないのに余計な事をする人はいます。
  「どこの国へ行くのか?」でも違ってきますが、夏時間と冬時間の切り替えは簡単なアナログ式の時計の方が良いです。私がカナダのバンクーバーを旅行する前に海外旅行代理店の従業員さんに「時計は二つ持って行ってください。日本時間と現地の時間に合わせておいてください。」と言われ素直に従った事を昨日のように連想します。ただ、デザインが似通ってるのは論外かな?実際の所、ナイロンが日本製の腕時計は分厚いが、輸入品の腕時計は薄いのでスグに判別が行えるようになってます。
 どこかの誰かは日本時間に合わせた懐中時計とブリティッシュコロンビア州の時間に合わせた腕時計でカナダ旅行を楽しんできました。そればかりでなく置時計も利用しました。置時計があると日付が簡単に分かるのでホテルに到着してスグに時刻を合わせると良いと思います。言い換えると、移動中はあえて電池を外しておきましょう。音が鳴ると良くないですからね。単純に羞恥心だけではなくて航空機の安全運航にも関わるそうです。「この電子音は何か?」が航空会社の従業員さん達からは厳しく問われます。
包装のビニールも日本にいる間にハサミで二か所以上切れ目を入れておくと現地に到着した時に円滑にビニールを破く事が行えます。すでに画像は確認されてるでしょうが必要な単四アルカリ乾電池2本もビニールテープで張り付けました。
 時計を二個以上利用して皆さんが海外で良い旅行をされることを希望します。 
 以上 マーキュリーマークでした。
平成30年3月 追記 

皆様、海外旅行の時には時計は一個だけではなく最低二個は用意しましょう。
前者は日本時間、後者は海外の現地時間です。




過去にセイコーが販売してるピクシスの置き時計を購入したが、ある意味セイコーではなかった。だが、今回は違う。これだったら万人がセイコーの小さい置き時計と認識してくれるであろう。
表面的な価格は税別で¥3000。実際には税込みで¥1900で購入が行えました。
乾電池を入れるだけで時刻合わせをしてくれる電波
時計の人気を再認識した。私も海外旅行はした。
ホテルの備品は何一つ盗まなかったがどこかの誰かは黙って持ち帰って2000バーツ(1バーツを日本円に
換算して3.5円として約¥7000)も請求されました。

#1 オリエンタル・ホテル (ヤフーブログ版)

普通にお店で購入した方が遥かに良い状態を形成出来ます。店の販売価格の変更等もあり買うか否かはとても悩んだが良き置時計を買えました。


平成30年 追記
皆様、もしデジタル式の腕時計に拘るならば、100m
防水、ELバックライト、太陽光発電等の機能を兼ね備えたラドウェザーの腕時計を推奨したい。
船場の某時計店で電池交換を依頼しました。そうしたら「防水性が良くない。」と店員に言われましたので前述した機能を備えたラドウェザーの腕時計を梅田で購入しました。
実際の所、過去の自動巻きの時計は精度の問題があったが太陽光発電の腕時計に限っては精度の問題が無いので徐々に一般的になる可能性は高いし電池切れの心配が無いのは心強い。
海外で腕時計を利用するにしても潜水をするならばそれに対応した腕時計は必要だろうけども潜水をしない人も防水性能が高い腕時計は重要になってくる。

追記 令和元年7月
海外で買い物する日本人は多い。
しかし、腕時計は日本で買う方が良いと思う。
日本と海外では商品の価格は違ってくる。商品の状態は大別して4種類存在してる。
第一は日本の価格と海外の価格がほぼ同一。
1.6倍迄は許容範囲と考える商売人はいるようです。
第二は日本の価格よりも海外の方が安値。
関税等が影響するのでしょうね。タイメッ○スの腕時計がカナダで安く販売されてるのを知ったのは帰国後でした。
第三は日本の価格よりも海外の方が高値。
カナダでカシ○の腕時計が日本の価格の2倍以上で販売されてたのは驚きでした。
第四は製造中止等で販売されなくなった商品。
スイスの高級腕時計になると職人が生存してるかどうかも問われるかも?

付加

gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編 Canada BC

anonymous missionary on 2017
2017/12/17(日) 午前 8:00

The positive,happy cheerful missionary loves people.
He realizes that relationships with people may not always be happy.
Even though love as a principle is perfect,people are not.
To love people is to strive to see the best in them,to avoid the negative,and to accentuate the positive.
Love is difficult for others to resist.

anonymous missionary

竹原ピストル - 俺のアディダス~人としての志~(Short Edit)  
2017/12/17(日) 午後 11:20

住宅街なので〇〇家を知りませんか❓と言っても誰も知らない 平成29年12月
2017/12/23(土) 午後 3:57

父が大腸癌の手術で退院したと思ったら今度は肺炎で入退院。同時期に母も圧迫骨折で別の病院へ入院。さすがに一人にはしておけぬということで、京都に住む弟が父を米子まで車で迎えに行き、弟宅で五日間お世話になってから最終的にしばらく横浜の妹の家に身を寄せることになった。昨日僕が京都に行き、父を新幹線で横浜に連れて行って一泊した。
翌朝、大池公園を走ろうと家を出たが4キロ走って唐突にスマホの充電が切れた。電話もメールもできないのはもちろん、自分が今どこにいるのかわからない。妹の家の町名だけはわかるので走りながら人に聞くのだが、住宅街なので〇〇家を知りませんか❓と言っても誰も知らない。2時間ウロウロしてやっとコンビニ(ないのだ、またこれが)を見つけ、充電器を購入しスマホに接続したならば、わずかばかりの充電復活!助かった!と妹に電話して迎えに来てもらう。家から100メートルも離れてませんでした。
わはは。
帰りは青春18切符で8時間半かけて大阪へ。

「人生は結果ではない、その過程を楽しむ人間こそが真に偉大な人間である」とサイバーエージェントの藤田晋が言ってたような気がするが嘘。

しかし読書をしたり、風景を眺めたりする誰にも邪魔されないこの贅沢な時間を僕は愛する。でも熱海まで一時間半立ちっぱはしんどかったわ。弁当も食べられないんですけど。次は座れるかしら。

写真は横浜のサルガッソー、二俣川の住宅街
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1544195745667989?notif_id=1514009344422250¬if_t=notify_me

ユニコーン 平成29年12月  2017/12/26(火) 午前 0:45


https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1546151718805725?notif_id=1514193243919396&notif_t=notify_me target=_blank


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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花