2019年8月17日土曜日

平成30年1月のyahooブログ上の投稿

あけましておめでとうございます 平成30年  2018/1/1(月) 午後 1:10

「Happy new ear,Deer Mr.Nagano」という年賀状が届いた。ジョークなのかマジなのか悩んだが、差出人がTくんなのでマジだとわかった。

あけましておめでとうございます 

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1552001744887389?notif_id=1514758328483287&notif_t=notify_me

ドリアン長野のランニングな日々 平成30年  2018/1/1(月) 午後 1:44

午前中に12キロ、午後に8キロ走ったが、アップダウンのある神戸の住宅街は口から尻子玉が出るほどキツかった。コタツに入ってご馳走を食べてテレビを観ている自分を想像して元日から何やってんだと思うが、昨日のReina戦を観てヤル気になっているおじさんであった。走った後の温泉は格別なのであった。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1552327184854845?notif_id=1514781087524966&notif_t=notify_me

https://www.facebook.com/pages/%E3%81%97%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%81%AE%E6%9D%91%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E6%B8%A9%E6%B3%89/120260634782561

娘 平成30年 年始  2018/1/2(火) 午前 9:56

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1544468242307406&set=picfp.100002327340613.1361401500614082&type=3&theater
親子 平成30年 年始  2018/1/2(火) 午前 9:59


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1544468245640739&set=picfp.100002327340613.1361401500614082&type=3&theater

ドリアン長野と娘 平成30年  2018/1/3(水) 午前 7:50

末日聖徒イエス・キリスト教会 (モルモン教会) のトーマス・S・モンソン大管長が、  1月2日午後10時01分、90歳で逝去されました。 2018/1/4(木) 午後 7:28


プレゼントを受け取った娘 平成30年1月  2018/1/5(金) 午前 8:19
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1547481152006115&set=pb.100002327340613.-2207520000.1515107771.&type=3&theater
ハロー・グッバイ 平成30年四月一日以降の予定について 2018/1/8(月) 午後 3:49

平成30年四月一日以降ですが、毎週月曜日にドリアン長野がフェイスブック上で投降した内容について感想を述べる回数については削減の予定です。
平成十年代の某日、ドリアン長野からホームページの開設を頼まれ私はその手伝いをしました。彼は多くの海外旅行記を発表した。後に私が管理人になりドリアン長野がフェイスブック上で発表した内容の転載をしました。平成29年の夏の某日に私とドリアン長野が再会した時に「中長期的にはこういった活動をするのは難しい。」と伝えたら返答は「無理しなくて良いから。」との事でした。平成30年3月末頃迄は平成29年度なのでブログ上の変更はしますが今後はほぼ毎日の投稿を辞めフェイスブック上の新規投稿の転載は行うにしても厳選し過去のようにほぼ毎回の転載は取りやめ紹介しているホームページのつぶやきを月に一回以上はしていく予定です。
紹介してるホームページについて述べます。

「過去はともかく最近になり内容を問いたくなるような状態か否か?」 過去に紹介より削除について検討せざるを得ないホームページが存在してました。そのホームページに限っては平成24年の某日にドリアン長野と私が出会って削減することを決め相互リンクの解消も主張しました。

「新規投稿が頻繁に行われてるか否か?」 手前勝手ながら一部の例外は除外しますし頻繁に新規投稿が行われていれば良いのですが、ツイッターによるつぶやきが円滑に行えないと紹介は難しい事から当方での紹介の取り止めについての検討はやむを得ないです。

「当方が紹介する時に存在してるか否か?」 運営してる企業において障害の発生や点検の影響でホームページが円滑に閲覧が行えなかった前例があったので確認は何度かしますが現存してなかった場合は削除します。以上3点について考慮しますし平成30年1月16日以降は連絡無しに行う予定です。
管理人マーキュリーマーク

平成30年1月第二月曜日  2018/1/8(月) 午後 11:56

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。
http://twilog.org/duriannagano

今年の元旦に私のおじさんが死去したので本日は特別に先々週と先週のドリアン長野について語ります。

娘さんはユニコーンがお好きなようですね。

熊を見るとついBear with me .「私に対して我慢してください。」という意味の英語を言いたくなります。

軍艦巻きといっても軍艦を連想するようなお寿司であっても大型であれば食べるのが難しいです。

娘さんはクリスマスプレゼントに大喜びであったようですので良いサンタさんがおられたようです。

セイコーとシチズンの広告が似通ってると驚きますね。サンフレームとテルバの腕時計が似通ってることを連想しました。

野菜のなすびも色々な形をしてますね。

晦日に空手教室を開催してたようです。

シチューは確かに時間が必要ですが、圧力鍋で調理時間の短縮に成功した人もおられるかも?

リターンズ2.0(*1)は何とか大晦日に間に合わせました。他にもドリアン長野にとっての幻の海外旅行記や、私が考える時計と海外旅行を執筆しました。
*1 リターンズ2.0とはドリアン長野が過去(平成十年代から平成20年代)に執筆した海外旅行記に私の感想文と動画を付加したものだと考えてください。 海外旅行記に興味があれば以下をクリックしてください。
gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

正月からランニングをして体を鍛えてるようです。心身共に健康であることは重要です。

英単語の間違いには気を付けないといけない。訂正は、indispensable(絶対必要) ?

娘さんは順調に育ってるようです。

今回のご連絡は特別に後日、行うようにします。  以上、管理人マーキュリーマークでした。

平成30年一月の紹介  2018/1/9(火) 午前 0:08

2018年01月08日(月)17 tweetssource
1月8日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano


posted at 23:59:53

   

1月8日@duriannagano
藤子・F・不二雄語録bot@FujikoF_bot

たとえば、汚職とか、環境破壊とか、もっと根源的な人間の欲望とか。そんなものをまんがの材料に組み入れたとき、単にそれをあるがままにかいたとしても、結果として「諷刺」になったりするのです。

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1月8日@duriannagano
藤子・F・不二雄語録bot@FujikoF_bot

それから、煙です。煙はたしかに、目に見える。しかし、その形を説明しようとしても、できるもんじゃない。文字通り、モヤモヤしてモウモウとして、とりとめないのです。それを、まんがは何本かの円弧か、短い斜線の組み合わせで、とにもかくにも表現するのです。

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1月8日@duriannagano
Jeff Buckley Music@JeffBuckley

Brooklyn Tribute! Live in NYC? Celebrate Jeff's birthday with a bunch of great local artists @ShapeShifterLab #hbdJB http://bit.ly/2ydaNkt

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1月8日@duriannagano
ちびまる子ちゃん【公式】@tweet_maruko

みんなも作ってみてね~♪

【ちびまる子ちゃん クッキング 「ゴロゴロタルタル3種」】
新作動画が公開されました!

#ちびまる子ちゃん
#COOKPAD
#クックパッド

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1月8日@duriannagano
LINKIN PARK@linkinpark

Watch the videos from #OneMoreLight Live on @YouTube: http://lprk.co/OneMoreLightLiveYT

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1月8日@duriannagano
ForbesLife@ForbesLife

.@linkinpark, @lorde, @Eminem and more reasons music was awesome in 2017: http://on.forbes.com/6019DJO9v https://pic.twitter.com/lxCCiZpUgu

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1月8日@duriannagano
Radiohead@radiohead

Last night, CBC’s The National broadcast an investigative report into the case. If you would like to know more about this story, it can be seen here: https://youtu.be/3HeI6d3bmMo


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1月8日@duriannagano
原田おさむ@OsamuThe

私の著書、「ピン芸人ですが、パチンコ店員やっています」
Amazonで、あと7冊です!\(^^)/


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1月8日@duriannagano
Smashing Pumpkins@SmashingPumpkin

Happy Holidays! Listen to WPC perform “Processional” on @WGNMorningNews http://wgntv.com/2017/12/22/smashing-pumpkins-frontman-billy-corgan-on-birth-of-his-son-new-album/

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1月8日@duriannagano
極真会館@iko_kyokushin

総本部冬合宿3日目、滝浴び稽古の風景。
今年の清浄の滝は例年以上に氷柱(つらら)が垂れ下がり、震えの止まらない寒さの中で、大きな気合いが三峰山にひびきました。 https://fb.me/2nH571tWm

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1月8日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

平成30年1月第二月曜日 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/duriannaganokarate/69715681.html… #ブログ #日記

posted at 23:57:13

   

1月8日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

平成30年1月第二月曜日 https://goo.gl/4FprqK

posted at 23:56:29

   

1月8日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

ハロー・グッバイ 平成30年四月一日以降の予定について - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/duriannaganokarate/69715055.html… #ブログ #日記

posted at 15:50:23

   

1月8日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

「ハロー・グッバイ 平成30年四月一日以降の予定について」 https://goo.gl/fhKgUe

posted at 15:50:13

   

1月8日@duriannagano
LDS Church News@LDSChurchNews

President Dieter F. Uchtdorf shares his thoughts in this video about his friendship with President Monson. Video produced by Mormon Newsroom. Full video link: https://www.youtube.com/watch?v=BGD7sLThhDc… https://pic.twitter.com/G9DIPAbDfy

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1月8日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

[01月07日]のつぶやきをまとめました http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/cdbd7a0bd2cabf35c07f66f6fcf73106

posted at 06:47:27

平成30年1月の紹介 #2  2018/1/10(水) 午後 4:03

ドリアン長野@duriannagano

【伯母にもらったお年玉がまさかの…】みんなのオモシロお年玉事情(11枚) http://corobuzz.com/archives/53274 @corobuzzさんから

posted at 07:46:22

   

1月9日@duriannagano
はやかわ大明神⛩@souta_hayakawa

お正月にかけて全国で詐欺被害が拡大しているらしいので詐欺防止啓発ポスターを作りました。お役立て下さい。 https://pic.twitter.com/2HMAd32iI5

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1月9日@duriannagano
LDS Church News@LDSChurchNews

A video titled "On the Lord's Errand," produced by Mormon Newsroom, highlights the life of President Thomas S. Monson. For the full video follow this link: https://www.youtube.com/watch?v=6vDfV4sKfp4… https://pic.twitter.com/ki0pW3gusc

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1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano


posted at 07:44:49

   

1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

[01月08日]のつぶやきをまとめました http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/0f303a3d02cd6e29f827683c6e8ab8f4

posted at 06:51:36

   

1月9日@duriannagano
The Book of Mormon@BookMormon2day

"Each time we encourage a man to read the Book of Mormon we do him a favor." - Gordon B. Hinckley https://pic.twitter.com/0tDNXUgAIE

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1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

平成30年一月の紹介 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/duriannaganokarate/69715693.html… #ブログ #日記

posted at 00:08:36

   

1月9日@duriannagano
劇画王梶原一騎BOT@kajiwara_bot

「番場よみごとや…失敗は成功の母。敗北は勝利の父。大回転魔球のためにハイ・ジャンプ魔球があったんやな…オメデト」「ありがと。おれの尊敬する大先輩…」【金田正一,番場蛮『侍ジャイアンツ』】 #kajiwara

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1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

『2018年に突入』
⇒ https://ameblo.jp/maxsinmars/entry-12341014380.html… #アメブロ @ameba_officialさんから

posted at 00:04:45

   

1月9日@duriannagano
John Lydon Official@lydonofficial

Happy? New Year

Rise.


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1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

Facebookアカウントで同級生を探そう!【FB同級生探し】 http://fb.doukyusei.jp

posted at 00:04:06

   

1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

EOS M100、マウントアダプターを噛ましての試し撮り | 孝信's Photoブログ http://takanobu.me/m100-2/

posted at 00:03:40

   

1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

『ブレスレット』
⇒ https://ameblo.jp/a-and-a-kikaku/entry-12342901913.html… #アメブロ @ameba_officialさんから

posted at 00:03:07

   

1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

Home - Billy Joel Official Site http://www.billyjoel.com/

posted at 00:02:32

   

1月9日@duriannagano
Joan Osborne@joan_osborne


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1月9日@duriannagano
マザー・テレサ@MotherTeresabot

「何か美しいことを神のために」

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1月9日@duriannagano
モルモン教@morumonkyou

「 主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。」詩篇28:7 #聖書 #神 #キリスト教 #モルモン #lds

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1月9日@duriannagano
大山倍達bot@mas_ooyama

「男は死ぬまで戦いだよ。極真は背中を見せない。これが極真の歴史だよ。」

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1月9日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

ハンコック長老インタビュー 先祖調べの壁を克服して自分のルーツをたどった青年① http://mormon.jp/missionary-life-is-good-3-1/… @さんから

posted at 00:01:11

   

1月9日@duriannagano
椎名誠 旅する文学館@shiina_tabi

2018年2/17(土)「みんなでカンパーイ! 島食大宴会」の募集が始まりました。2017年に様々なイベントが開催されたTOKYOガストロノミーツーリズムの最終プログラムです。https://goislands.tokyo/event07/

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1月9日@duriannagano
ずんがずんが編集部@shiina_mag

「ずんがずんが3」はシーナの公式サイトからお求め頂けます。なんと送料無料!出前迅速!

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ソフトバンクの店員に聞いた話 平成30年1月  2018/1/10(水) 午後 9:22

ソフトバンクの店員に聞いた話
● 新しいiPhoneを買うと紙製のボックスに入っているが、三秒かけてゆっくりと開くようになっている。これはスティーブ・ジョブズが新製品を開けるときのドキドキ感を演出するために空気圧などの研究を重ね、制作費に数億円かけたそうだ。
● Apple Storeのテーブルはアップル製品を置いたときに最大限に美しく見せるためにカナダ産の最高品質の木材を使用。一台につき高級外車が買える値段。Apple Storeにはテーブルが何台あるんだろう。
● iPhoneの新機種が発売されるときに銀座のApple Storeで徹夜の行列。翌朝、一番乗りの人にテレビ局がインタビュー。
「新製品のiPhoneを見せてもらっていいですか」
テレビカメラに興奮したその人、思わずボックスを勢いよく開けたところ、iPhoneが飛び出して地面に激突、購入したばかりのiPhoneが破損。
「いったんCMに入ります!」
CMがあけてもその人は二度と画面に出なかったという…

平成30年1月第三月曜日  2018/1/15(月) 午前 9:29

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 
http://twilog.org/duriannagano

お年玉を子供の財産と考えるかどうかは大きい。貧しいご両親が生活費に使うなら同情されるかもしれないが、ギャンブルにつぎ込んで散財することがないことを希望します。良い親御さんであっても激怒したくなるような悪い親御さんはおられる。孤児院を連想します。

精密機械が入った箱を開ける時には慎重にすべきです。

猫は予想を超える行動を取りますね。

ビーとゴーは大違い。ビートルズの曲let it be.とアナと雪の女王のlet it go.は全く違う。

UFOキャッチャーの景品がサランラップであっても別に問題ではありません。景品については金額の規制が存在してるのは有名なお話です。

ご連絡
今月は、本来であれば元旦に複数のホームページを紹介したいと考えてたが私の叔父さんは元旦に死去したので今月の八日と九日に紹介をしました。

今年の四月一日以降ですが、毎週月曜日に感想を述べる回数については削減の予定です。
平成十年代の某日、ドリアン長野からホームページの開設を頼まれ私はその手伝いをしました。彼は多くの海外旅行記を発表した。後に私が管理人になりドリアン長野がフェイスブック上で発表した内容の転載をしました。平成29年の夏の某日に私とドリアン長野が再会した時に「中長期的にはこういった活動をするのは難しい。」と連絡したら返答は「無理しなくて良いから。」との事でした。平成30年3月末頃迄は平成29年度なのでブログ上の変更は頻繁にしますが今後はほぼ毎日の投稿を辞めフェイスブック上の新規投稿の転載は行うにしても厳選し過去のようにほぼ毎回の転載は取りやめ紹介しているホームページのつぶやきを月に一回以上はしていく予定です。
紹介してるホームページについて述べます。「過去はともかく最近になり内容を問いたくなるような状態か否か?」過去に紹介より削除について検討せざるを得ないホームページが存在してました。「新規投稿が頻繁に行われてるか否か?」頻繁に新規投稿が行われていれば良いのですがツイッターによるつぶやきが円滑に行えないと紹介は難しい事から当方での紹介の取り止めについての検討はやむを得ないです。「当方が紹介する時に存在してるか否か?」運営してる企業において障害の発生や点検の影響でホームページが円滑に閲覧が行えなかった前例があるので確認は何度かしますが現存してなかった場合は削除します。以上3点について考慮します。

以下の連絡は、gooブログ版についてであってyahooブログ版ではございません。
バナーリンク先について

紹介してるホームページについて述べます。「当方が紹介する時に存在してるか否か?」運営してる企業において障害の発生や点検の影響でホームページが円滑に閲覧が行えなかった前例があったので確認は何度かしますが現存してなかった場合は削除します。
大変残念ながら、相互リンクインフィニティさんは現存されていないようなので削除しました。
又、http://www.motherteresa.co.jp/なんですが、これからはhttps://twitter.com/MotherTeresabotのみ紹介させていただきます。
 管理人マーキュリーマーク

平成30年1月第四月曜日 2018/1/22(月) 午前 10:58
本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 
http://twilog.org/duriannagano

詐欺師は多い。たくさんの人が困ってます。

基本的にバスの足元には注意が必要だが、天井が低いと天井にも注意する必要はある。

絵馬に対して、過剰な要求を書き込んで批判される人がいるようです。

トイレは衛生的に利用するようにしましょう。嫌がらせをしてる人も多いみたいです。海外でトイレが少なかったことを連想する。日本国内でも気楽にトイレが利用出来ない時代がやってくるのかな?

臨時休業はやむを得なかったかもしれないが自営業者だけに許された特権であろうなぁ。焼き鳥であれば、醤油とアプリコットジャムを半分ずつ混ぜたのを用いて鶏肉に付け込んでから調理したらおいしいのが出来上がります。

ご連絡

今回は特別に連絡します。幾つかのgooブログ上のブックマーク先を見直しました。

大山倍達公式サイト-God Hand
「説明文 頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益す。これが極真精神である」は大山倍達ボットを紹介するのみとさせていただきます。

町田康公式ホームページ町田康 汝、我が民に非ズ(ツイッター)に切り替えさえていただきます。

中島らも  OFFICIAL HOME PAGE中島らもキーワードbotに切り替えさせていただきます。

英語名人・松本道弘 私塾鉱道館「説明文 英語名人・松本道弘 私塾鉱道館 日本を率いる国際的なリーダーを育成されているそうです。」はフェイスブック上のhttps://www.facebook.com/紘道館に切り替えさせていただきます。

いざっ! へうげもの「説明文 林考信さんが管理人の物品について述べるブログ 相互リンク 平成24年10月」並びに人生には、有給休暇とバルケッタ「説明文 賛同するかしないかは各自でご決断していただきたいが、林孝信さんが情報発信(つぶやきの紹介)をされています。 相互リンク」の両者ですが、これからは孝信's photo ブログのみ紹介させていただきます。

皆様、現存はしてるが頻繁に更新が行われてるか否か、ツイッターで紹介しやすいか否か等を考慮した上での変更だと考えてください。

ドリアン長野が撮影した画像を用いた動画の作成は平成29年12月末日を持って終えさせてもらいました。 やはり、画像編集等については時間と手間が必要なので今後の作成は控えさせてもらいます。

それでは、皆さん良い一週間を過ごしてください。

#1 オリエンタル・ホテル (ヤフーブログ版)
2018/1/26(金) 午後 11:07
#1 オリエンタル・ホテル (ヤフーブログ版)

NO1 オリエンタル・ホテル

オリエンタル・ホテルに泊まった。あの世界一という栄誉を冠せられるオリエンタルである。私がカオサンでよく泊まっていたサイアム・オリエンタルじゃないぞ。シャングリラもペニンシュラもリージェントも頭が高い! ひかえおろ~う! 正真正銘、一番安い部屋でも310米ドルもするビンボー人には絶対泊れん、あのオリエンタルじゃい! ハァ、ハァ、ハァ。(肩で息をする音)同行の友人(アジア旅行は初めて)が宿泊代を出してくれるというのだから私に異存はない。これは泊まらないわけにはいくまい。いや、泊まりたい。是非泊まらせてくれ、お願いだ。オリエンタルにはスイカジュースを飲みに行ったことがあるが、まずくて冷えてないわりに200バーツもしたぞ。どうなってんだ? ちなみに私がバンコクで一番好きなホテルは知る人はよく知ってる、あのグレース・ホテルだ。この前、昼過ぎにチェックインしようとしたら満室だからと断られた。フロントのおばちゃんに近くにもっと安いホテルがあるからそこへ行けといわれたが、ここがいいと駄々をこねたらパスポートを預かっとく、6時頃もう一度来いやと言われ、やっと泊まることができた。その際、押し合いへし合いするフロントに割り込もうとしたアラブ人にフロントのおねいさんが 「みんな順番守ってんだからちゃんと並んで待ってなさい!」 とものすごい剣幕で怒鳴っていた。幼稚園児のようなアラブ人もアラブ人だが、客にそこまでいうか、ふつう。とにかくこのホテルはあやしい。アラブ人のおっさんがタイの少年二人をつれて部屋に入っていくのを見たことがあるし、隣の部屋から苦しそうなあえぎ声が聞こえてきたこともある。(何してんだ?)ロビーには売春婦とアラブ人が、てめえらここのソファーで夜をあかしてんだろ、と思うほどいつでもたむろしている。一階の卓球台では黒人がいつも卓球やってるし。(まっ、健全)ここにはディスコが二つあるが、一階のディスコは中近東風の音楽でみんな踊りまくっている。いっぺんだけ行ってみたことがあるが、ついていけん。あのリズムでどうやって踊ればいいんじゃ~い。それに比べて地下にあるディスコはまともだ。(まともか?)毎晩(たぶん)、売春婦をつれて朝の二時まで踊り狂うアラブ人。熱い、熱すぎるぞ。マーブンクロンで黒のアメリカンスーツ(笑)を買った時なんざあ、ホテルの近くのアラブ人街をうろつき、見せつけてやった。我ながらアホやぁ~っ、ワシって。その時、黒人の二人連れが近づいてきて 「おれたちアフリカの○○○○出身(国の名前は忘れた)なんだけど今度、日本で働きたいんだ」 と言うのだ。あわてて「こっ、これから友だちに会いに行かなきゃならないし、明日は朝一番の便で日本に帰らなくちゃならなくて時間がなくて」 とかいって逃げてきた。そんなことはどうでもいいのだが、オリエンタルにチェックインした時は私もようやくゲスト.ハウスからここまで登りつめたのだと感慨深いものがあった。(人の金だけど)                
さすがオリエンタル、部屋もさることながらホスピタリティつうのか、一人一人の客の顔と名前を覚えてくれて至れり尽せりのサービスである。そんでもって立食形式のレセプションパーティーに招待されたのだが、そこにいた女子大生の二人連れ! 聞くと、バンコク滞在中の4日間はず~っとオリエンタルに泊まるとぬかすではないかっ! タイは初めてだからオリエンタルだと安心だと思ったからだとぉっ! ワシでさえ一泊なのに。(人の金で)学生やったら、安宿に泊まらんかいっ! とぶっちしたんだけど(内心ね)、気をとり直してその夜はオカマショーの「マンボ」に行くことになった。ショーがはねたあと、せっかくオリエンタルに宿泊してるんだからと出演者をホテルの部屋に招待することにした。そのむねを小太りのマネージャーに伝えると、 「オリエンタルはドレスコードが厳しいから入れてもらえないかもしれませんよ」 というではないか。出演者のカマー(オカマのことね)も 「あら~ん、あんな高級ホテル、大丈夫なの? あなた保証する?」 などという。どうにかなるだろっと九人のカマーを三台のタクシーに押し込み、ホテルに向かった。結果はホテル・マネージャーに頼みこんで、部屋は駄目だがガーデンならいいということになった。ホテルが氷やグラスを用意してくれてわれわれは宴会を始めたのだが、いや~さすが世界一のホテルといわれるだけのことはある。さすが鷹揚やね。チャオプラヤー川の夜風に吹かれながらの宴会は最高でしたっす! とここまではよかったんだけど、実は大きな声じゃあいえないけどさ、部屋にあったセイコーの置き時計をカバンに入れて持って帰ったのよね。チェックアウトの時になんにも言われなかったから、しめしめって感じで。ところが一か月後にホテルから請求書がきた。時計が紛失していたのでクレジットカードからその代金を引き落とさせていただきますってな。それがなんで2000バーツになるんじゃい! 何の変哲もないただのちっこい時計やないかい! 世界一にしてはせこくないか! もしかしたらボッてるんちゃうんかい、オリエンタル! ふざけんじゃね~! って悪いのはオレか。よい子のみんなはお持ち帰りはスリッパか歯磨きセットまでにしときましょうね。(泣)

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、海外のホテルにて備品等は盗まないようにしましょう。為替差損は別としても、本来は全額返金されるデポジット(預かり保証金)が減額される恐れがございます。

gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集

付加 時計と海外旅行 平成29年

2000バーツを日本円に換算するとおよそ¥7000
皆様、日本国内でセイコーの小さい置時計を買うといくらでしょうか?私は平成30年3月16日に¥1900(税込み価格)で買いました。管理人 マーキュリーマーク

ドリアン長野の海外旅行記 2018/1/28(日) 午後 2:00
平成30年以前にドリアン長野が旅した海外旅行記です。
タイランド(バンコク)、英国(ロンドン)、米国(ニューヨーク州、


ベトナム(ホーチミン)、マレーシア(クアラルンプール)、台湾(台北)、

ミャンマー(ヤンゴン、 モン州)カンボジア(プノンペン、シェムリアップ)、

インド(西ベンガル州、デリー、ベナレス)、ネパール(カトマンズ)、

フィリピン(マニラ)、香港と中国上海そして北京


一応は、第一話です。皆さん、置時計は日本国内で普通に買いましょう。

3種類のテーメー・カフェの旅行記を統合しました。皆さん、海外の喫茶店に行きましたか?

パリンヤーさんのお話も含まれてるタイランド旅行記です。

海外の危険地帯は存在する。バーガーキングは良くてもなぁ。

皆さん、海外の食品市場に赴かれた事はございますか?

私は「ジュライロータリー(7月22日ロータリー)。」という言葉を始めて知った時は驚きました。
バンコクに限っては、のんびり出来るようです。
成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。

日本とタイランドとの時差は二時間で日本の正午はタイランドの午前10時。

1990年代の英国旅行記です。年末のカウントダウンはお好きですか?

一応は旅行記なんですが、ほぼエッセイです。

アメリカ旅行記は一般的です。ドリアン長野がニューヨークに行った時は直行便は利用しませんでした。

ドリアン長野は米国のロサンゼルスばかりか陸路にてメキシコのティフアナにも赴きました。

社会主義国ベトナムのディスコの営業時間は午後11時迄。

空手家のドリアン長野はネパールでも空手をしてきました。

シャオエン (台湾旅行記)
重犯罪が無い社会を希望するべきです。

マニラのスラム (フィリピン旅行記)
フィリピン旅行記と言ってもセブとマニラは同じ位の人気があるようですがマニラ旅行記です。

カンボジアで下痢をした後、大学中退に至った旅行記です。

ビルマの休日(ミャンマー)は長編です。私は皆様にミャンマー旅行の推奨は出来ません。

中国についてのエッセイ

ドリアン長野は英国統治時代の香港ばかりか中国返還後の香港にも旅行したそうです。

外国で散髪してもらうより、日本で済ませてから出国するか在外邦人に行ってもらいましょう。

上海旅行記は大別して二種類に分割されてるばかりか長編です。一人旅か否かで大違いです。


ドリアン長野が結婚した後で行ったバンコク(タイの首都)の旅行記で実質的な最終話です。

インド旅行記(平成18年に発表した特別版)
実質的な第一話で長編です。海外旅行に行く時は胃薬を用意しましょう。

ドリアン長野は平成25年に発表した「夏が来れば思いだす」を除外し平成十年代にgoo簡単ホームページ上において14か国(香港と中国は別口)の海外旅行記を執筆しました。平成26年1月29日以降ヤフーブログは一回の投稿につき二万文字の投稿が行えるように設定されたのでドリアン長野が行った乱雑な投稿について私が整理整頓して再発表しました。
皆様に影響を与える事が出来ても責任は取れませんので海外旅行に行かれるなら訪問先の最新情報を得て可能な限り安全な選択をして下さい。現地の言葉もある程度は学びましょう。
経年もあり海外で状況が変化した事も想定されるので現状と異なる部分が多く存在するでしょうがお楽しみ下さい。

又、ドリアン長野はマラソンを楽しむようになりました。


~以下は海外旅行の予定がある人並びに関連する人を対象に伝達します~
渡航先の海外旅行案内書を一冊は読んだ上で旅して下さい。名店や名所だけに関心するだけでなく現地情報も得られます。私は皆様に対し危険地帯に行く事は推奨出来ません。
外務省海外安全ホームページでも危険情報は発表されてますので旅立つ前に各自でお調べ下さい。
ドリアン長野はカンボジア旅行中に病気に至ってから帰宅し所持金が¥1133でしたので予算や薬は多めに用意しておきましょう。
関連するようですが海外旅行保険の加入は必須です。  https://www.kaigaihoken.jp/
頼まれて無いのに海外旅行中の人に対しフェイスブックのタイムラインに毎日詰問する
ことが無いようにしましょう。ユスリが目的かもしれませんがストーカー行為でもあり旅行者の安全に関わるからです。 平成31年某日 敬具 管理人マーキュリーマーク

特別にカンボジア旅行記の抜粋

出国審査を終えるともう外国の通貨は必要ない。手持ちのお金を日本円に換金し、この時点で所持金が1000円と9ドルと5・5バーツ。なんとか帰国して自宅にたどり着いた時の所持金は1133円だった。昔、「がっちり買いまショー」というテレビ番組があったが(知ってるか?)、その海外版があったとしたらわしの優勝やあ~っ!

付加





バナー集





ドリアン長野の海外旅行記(ヤフーブログ版)について

管理人マーキュリーマークからの伝言 
2019年二月にyahooが発表したのですが2019年12月にyahooブログがサービスを停止するなんて予想外でした。従って、可能な範囲でyahooブログ上の投稿を当ホームページに移転させてます。また、バナーですが意図的に変更しました。

テーメー・カフェ シリーズ(ヤフーブログ版)
2018/1/28(日) 午後 2:39 
NO2 テーメー・カフェ
2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。その看板に書かれていた文字を読んで私は思わず息を飲んだのであった。「テーメー・コーヒーハウス」 思えばこれがテーメーに集う怪しくもしたたかな人々と私とのハートウオーミングな交流の始まりであった(嘘)。ここがテーメーかぁ~。私がその名を知ったのはクーロン黒沢氏の「バンコク電脳地獄マーケット」という本だ。その名も世界最強の援交カフェ。ジャングルの奥地でアンコールワットを発見した時のフランス人探検家の心境もかくやであったであろう。地下へと降りる私の心拍数は200ぐらいになっていた。この扉の向こうにはいかなる世界が待っているのか。めくるめく、快楽のバビロンか、はたまた魑魅魍魎の棲むブラックホールか。神様、私をお助けください。お母さん、先立つ不孝をお許しくださいっ。ええいっ、ままよっ、ぱぱよっ。 ............店内は薄暗く、楕円形のカウンターを取り巻くようにボックス席があり異様とも思える男女がゴキブリのように密集している。私の頭の中にはワイドショーでお馴染みの「24時間潜入ルポ、私は見た! バンコクの黒い援交カフェの実態!!」という言葉が浮かんだ。店内の人たちの刺すような視線が痛い。これって場違いってことじゃあ......。バカヤロー、ふざけんな~、べらんめ~、こちとら江戸っ子で~い(嘘)。矢でも原爆でも持ってきやがれってんだい。.....という言葉とは裏腹に店内を一周した私たちは異様な雰囲気に恐れをなし、そそくさとテーメーをあとにしたのであった。しかし、気になる。ここで引き下がってはジャーナリストとしての使命は果たせん。(誰がっ?!)私たちは再び潜入を試みた。暗い店内を今度はゆっくりと観察するように歩く。女はタイ人かアラブ人、男は白人と日本人らしき人がちらほら.....。ピーター・バラカン似の男と目が合い、その男が話しかけてきた。「僕はアメリカ人だけど、韓国で働いてて、休暇になるとここに遊びに来るんだ。ところで、彼女のカメラ危ないよ」と友人を指差す。彼女は首からカメラをぶら下げていたのだった。「この前、店内で写真を写したヤツが袋だたきになったからね」なっ、なんだあ~? 刺すような視線はそのせいか。そういやあ、その昔、西成暴動の写真を撮ってたらいつのまにか100人くらいの労働者に囲まれ、殺されるかと思ったもんなぁ~、と往事を偲びつつ(偲ぶなよ)、再びテーメーをあとにしたのだった。
半年後、私は別の友人とテーメーにいた。人生はどこで何が起きるか分からんもんである。っていうか、常夜灯に群がる蛾のように怪しい人間は怪しい場所を好むもんである。あいかわらず満員電車なみのゴキブリの群れだ。カウンターに座ると、ぬらりひょんのようにどこからともなくウエイターが現われたので、50バーツで飲み物を注文する。一旦、注文すれば朝までねばってもノー・プロブレム。援交相手に何時間くっちゃべっててもOKだ。これってマニアにはめちゃくちゃおいしいんじゃないのかしら、オホホ(私にはよく分からんが)。
その時、友人(34歳。離婚2か月目)がすくっと立ち上がってこう言ったのである。「私、客がつくかどうか試してみるわ」。 (続く)

NO3 続テーメー・カフェ
<前回までのあらすじ>
天使の街、バンコク。ここに世界最強のコーヒー・ショップがあると聞いた「私」は現地に赴いた。そこであやうく生命の危機にさらされたが、すんでの所で窮地を脱する。臥薪嘗胆で知力、体力を充電した「私」は再びバンコクへ飛ぶ。果たして「テーメー」の黒い野望を阻止し、打ち砕くことができるのであろうか。雌雄を争う戦いが今まさに始まろうとしていた......。
「私、客がつくかどうか試してみるわ」こう言うと彼女はボックス席に移った。一人になると隣のおばちゃんが話しかけてきた。ふくよか、というよりも太った近所のおばちゃんという感じだ。名前を教えられたが覚えてないので風貌を思い出し、麻原彰子とする。「イサーンからバンコクに出てきて家族6人、アパートのせっまい部屋に住んでるんだよ。ビンボーは嫌だね。仕事は楽じゃないし。あたしも43だからね、もうおばあさんだよ」と彰子さんは切々と訴えるのである。そうか、肉体労働はきついだろう、っていう前に出動要請があるのか? おばちゃん。ボックス席の友人を見ると、すでに白人となにやら話しこんでいる。ここは入れ食い状態なのか? 何を話してるのか気になるぞ。こっちはこっちで入れ代わり立ち代わりタイ人が話しかけてくる。彰子さんが言うには、みんなイサーン出身の仲間なんだそうだ。(調子にのってマーブンクロンで作った名刺をばらまいたが、大丈夫か? )その中の一人は「私はいろんな人と話すのが好きだし、英語も勉強できるからテーメーに来てるの」と遠い目をして言った。(そっ、そうなのか? よく知らんがそれは違うと思うぞ。ひょっとしてエイ○に脳が犯されているのか?)そのうち、友人がもどってきた。「あの人、イギリス人なんだって。なんだかインテリっぽくてさ、この国の教育問題とかを熱く語ってきてん」 何い~っ、教育問題だとぉ~。そんな話ならタマサート大学でも行って、学生とでもしやがれっ。偽善者め。ここは黒いテーメーやぞっ。テーメーにインテリなんぞ、時間厳守のタイ人やお金に淡白なインド人やプレイボーイのラオス人と同じくらいおらんのじゃー!(偏見か? しかし頼むからワシの思い入れを壊さんでくれ~い。テーメーはいつまでも黒いテーメーであって欲しいんじゃ~い)
「あんた、どこのホテルに泊まってんだい?」いきなり彰子さんが聞いてきた。「あの....グレースですけど.....」 「部屋でマッサージしてあげるよ。ルームナンバーは?」 「いっ、いや、今日は友だちも一緒だし、あっ、そうだ、明日もう一度来るから、その時に.....」 「それじゃあ、待ってるよ」 すまん、おばちゃん。我々は明日の昼過ぎの便で帰国してしまうのだ。いくら待ってても来ないぞ。私は心の中でおばちゃんに手を合わせた。今度バンコクに来た時はテーメーに寄らせてもらうぞ。マッサージは受けないけどな。おばちゃんをよく見ると、慈母のごとく見えんでもない。その長い人生にはつらい出来事もたくさんあっただろう。我々は二人がかりでおばちゃんの肩を揉んでやった。誰かテーメーに行ったら、彰子おばちゃんの肩でもマッサージしてやってくれ。喜ぶぞ。マッサージを受けたら、もっと喜ぶと思うけどな。

#7 テーメーその2 

 予算の都合で、いつも泊まる「グレース・ホテル」ではなく、近くにあるソイ1の「ストリート1・ロッジ」に泊まった。それでもツインで550バーツだ。私の感覚では500バーツを超えると立派な高級ホテルだ。しばし、宿泊するかどうか迷う。それでもここはレセプションの兄ちゃんの愛想がいいのでお薦めだ。ホテルに戻ってきた時、「あけましておめでとうございます」と言われた。日本人の宿泊客に教わったらしい。「地球の歩き方」に載っているので日本人が多いらしい。まっ、私もそれを読んで泊まったんだけど。
ホテルの近くの歩道橋のたもとにゴミ捨て場があるんだけど、その隣にホームレスが座って、物乞いをしてるわけさ。もう、よく見ないとゴミだか人だか分からないって感じ。そこへアラブ人のオジさんが通りがかりに「ライス、ライス」と言いながら、紙袋を置いていった。私はちょっと感動したね。いいことをしてやる、って態度じゃなくて、ごく自然な感じだったもんね。なるほどっ、それがイスラム教のいう、喜捨ってやつだなっ!アラブ人にもいい人はいるんだなとシミジミ.....。言っとくけどな、これって偏見ちゃうぞ。グレースにいるアラブ人を見てると、みんな悪人に見えてくるんじゃ~い。(顔も暑苦しいしな) それが偏見だと言われると返す言葉もないがな。とにかく心暖まる、いい話しだ。うん、うん.....。って、今回はそういう話じゃな~いっ! 性懲りもなく、テーメーネタ第二弾だっ! 全然、心暖まらないぞ。当たり前だがな。
テーメーに入ると、私は空いている席を探してカウンターに座った。横を見ると、黒ずくめのおばあさんが座っている(注:バンコクでは、その方面の職業婦人の方の服装は黒です)。
う~ん、この人はまさか.....。いぶかし気に見ていると、彼女が話しかけてきた。 「あんた、どこから来たんだい?」 「日本です」 「日本人かい。それなら、ほら、あそこに座っているスズキはもう何年も前からずっと、ここに通っているよ」 
我々のななめ後ろのソファーには、何人もの娼婦を侍らせた、スズキと呼ばれた男が座っていた。常連か。スズキ、エイズで死ぬなよ。 
「あたしはスージーだ」 すっ、すうじい~? 「客はとらないよ。客のくれるチップで生活してるのさ」 なるほど、納得。で、失礼ながらお年を聞いてみたが、「あんた、そんなこと、こんな場所で聞くもんじゃないよ」と一蹴されてしまった。すんまそん。だが、おそらく70代であろう。スージーはテーメーの最長老であり、娼婦からはママと慕われ、頼りにされるボス的存在であった。スージー、あんたに出会えて光栄だ。私は思わず名刺を渡してしまったくらいだ。スージーは顔見知りの白人がやって来ると急いで駆け寄り、話しかけたり、ビールの注文を取ってきたりしていた。酔っぱらって大声でしゃべる客の相手もしていた。スージー、生きていくってのは大変だなぁ。やがて、女の子が隣に座り、笑いかけてきた。  
「私、クンっていうの。アユタヤから来たの」 すかさずスージーが口を挟む。 「その娘はグッドだよ。ベリー・グッドだ」 あんたは商品の売り込みまですんのか? これ以上、長居しているとむりやり売りつけられそうだったので、そそくさと退散した。それにしても、私もいつかスズキみたいに言われてみたいもんだ。 「あの日本人、常連だよ。テーメーじゃあ、知らない者はいないね。初めて会ったのはあたしが70の頃だったね」ってな。それまでスージー、長生きしろよっ。なんだかんだ言っても結局、最後は心暖まる話になっちゃったな。(なわけねーだろっ!) 

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、三種類の海外旅行記を一本化しました。
喫茶店が海外にあって行ってきたといったタイランド旅行記です。私もブリティッシュコロンビア州の(カナダ時間ですが)夜だけ営業してるチーズケーキエトセトラに行ったから大きな事は言えません。
ホテルは日本にいる間に予約しておきましょう。
タイランドのスージーさんは今でもご存命なのであろうか?

管理人 マーキュリーマーク

カトゥーイ (ヤフーブログ版) 
2018/1/28(日) 午後 4:22 
#4 カトゥーイ (ヤフーブログ版) 

 私はカトゥーイが好きである。とはいっても女よりも男に性的興味があるという意味ではない。中島らもが額に「犬」と入れ墨を彫ったり、鼻に安全ピンをぶらさげたパンクスは「俺、もう後戻りできんもんね。もうどうなっちゃってもいいもんね」というある種の社会性を放棄した意志を表明している、という意味のことを書いていた。カトゥーイも性転換なんかしちゃったら後戻りできんのである。いや性転換なんかしなくてもカマーとして生きていくにはいくらカマーに寛大なタイ社会でもそれなりの気苦労や不便さがなくはないとはいえないこともないかもしれんような気がしないでもない。私はその、人生は私が主役だもんね、欲望には結局勝てないんだもんね、みたいな気持ちが好きなんである。オカマ・ボクサーのパリンヤーも結構、強かったのに性転換手術をして引退してしまった。私はパリちゃんのファンだったのに。日本に来て試合をした時、試合終了後にパリちゃんが対戦相手にチュー(死語?)をした。それを見て私はファンになったのだ。パリちゃんの勇姿をテレビや「格闘技通信」で見られなくなったのは悲しい。そういえば、友人のカトゥーイのレックは元ムエタイ・ボクサーだった。シャープな顔だちの美人だが、時々眉間にしわを寄せて男になる。ボクサーからカトゥーイへの転身ってのはあんまり多くないと思う。たとえてみれば、力士がオカマになったようなもんか?(やっぱり違うか)レックも対戦相手に胸をときめかせたりしたんだろうか。でも、「マンボ」のコミック・ショーのカマー(外見はまるっきり男)は「僕の彼女は日本人の女の子なの」って言ってたなあ。「男と女、どっち好き?」って聞いたら、「どっちも」としゃらっと答えた。きさま、バイセクシャルだったんか~い。というわけで人間の嗜好なんてえのはよく分かりません。
街を歩いていてきれいな女の人に出会ったとする。その時、私の感情に芽生えるのは「うらやましい」である。ああ、私もあんなきれいな顔になりたいな~、なんて思うのである。(いっとくけど私はゲイではない)男にちやほやされて手玉にとってみたいと思う。(ゲイじゃないぞ)ゲイソン・プラザの近くにあるドラッグストアの「ブーツ」でイミディーンを買ったら(ちなみにイミディーンっていうのは肌の老化をおさえる薬だ。だからといってゲイとはちがうぞ)、白衣が似合う男の店員がとてもかわいかった。彼にもらった住所録をいまだに愛用しているくらいだ。(しつこいけどちがうぞ)バンコクに行くたびにその店を訪れるがいつも彼はいないので寂しい。(だからちがうって)レックにもらったミス・コン(カマ・コン?)の時の彼の写真も私の宝物だ。ああ、もう2時だわ。ダブで洗顔して早く寝なくっちゃ。睡眠不足はお肌の大敵だものね。
パリンヤーのドキュメンタリーがハリウッド映画になるそうだ。タイ人がハリウッド映画の主役に抜擢されるのは初めてらしい。私はもちろん観に行くぞ。パリちゃんの勇姿が映画で観られるなんて今から楽しみだわ????

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、ドリアン長野は、日本国内で販売されたパリンヤーさんが出演された映画鑑賞をしなかったばかりか、DVDを購入されなかった模様です。又、ドリアン長野は、すでに(平成10年代のある日)神殿結婚をされました。 
ビューティフル ボーイ APS-91[DVD] アートポート https://t.co/YndUW9elp2 @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年4月10日

管理人 マーキュリーマーク

ホーチミン市のディスコ(ヤフーブログ版)  2018/1/28(日) 午後 8:43 
#5 ホーチミン市のディスコ(ヤフーブログ版)

「今晩、ディスコに行かないか?」 
バイク・タクシーのヒューはメコン・クルーズのボートの中で聞いてきた。今日はニューイヤーズ・イブだし、社会主義国のディスコってのも気になるしな。古めかしい建物の二階にあるディスコにヒューと行くと、彼の奥さん(ディスコで知り合ったそうだ)が二人の日本人女性を連れてきていた。彼女達と自己紹介をし、初めはおそるおそるっていう感じで踊っていたのだが、そのうち脳内にエンドルフィンとドーパミンが放出されたのだろう、体内メーターがレッド・ゾーン に入った。こうなると止めることなど不可能、私は我を忘れて踊りまくった。私の踊りは太極拳にブレイク・ダンスをミックスしたオリジナルだ。踊り始めると 周りには人がいなくなるという危険なダンスだ。ふっ、お嬢さん、気をつけなせえ。俺に惚れるなよ。この時も無我夢中でキープ・オン・ダンシング、気がつけ ばみんな、私の周りを遠巻きに見物している。もっ、もしかしてこれって奇異の.....、いや違うね!(なぜかきっぱり) 羨望の眼に決まっとる。(とむりやり納得)
 見て見て、もっと見て~。快感だわ。そのうち、輪の中から一人のベトナム少女が踊りながら出て来た。そうなの、私と一対一で日越ダンス対決をするつもり なのね。わかったわ。受けてたってあげる。私たちは我を忘れて踊った。離れては近づき、近づいては離れ、相手の差し出す一挙手一投足に呼応し、互いのリズ ムを感じ取りながら。歓声が上がり、拍手が起こる。誰かがタオルを差し出した。汗を拭いて観衆に投げ返すと、我先にと奪い合う。オーホッホッホッ。私はスターよ。今宵のディスコ・キングなのよ~。 
ひと休みして外のソファーに座っていると、通りがかった人が「かっこよかったよ」と言って握手を求めてくる。ふっふっふっ。ホーチミンのディスコは最高だ ぜい! よしっ、来年まで踊り続けるぜい、ベイビー、と腰を上げるとヒューが「もう帰ろう」とつまらなさそうに言う。えっ? まだ11時ですぜ、だんな。   
 「ベトナムのディスコは深夜まで営業できないんだよ」 
そうか、さては私のあまりの人気を妬んでるな。仕方なく私たちは帰った。こうしてホーチミンの長く暑い夜は更けていくのであった。
そんでもってこの前、スクンビットにあるディスコ、「ナルシサス」に行った。行ってみて驚いたぜ。最先端のハウスやトランスはいいんだけどさ、みんな下半 身だけ揺らしながら踊っているのだ。何だ何だ、その金魚踊りは? やる気あんのかっ。踊りっちゅうのは、なんちゅうかこうもっと情熱的に踊るもんちゃうんかいっ! こんなんやったらグレース・ホテルのエスニック・ダンスのほうが100倍ましやっちゅうねん。かくなるうえはわしが乗り込んで踊りの基本を教えたるわっ、 とフロアに出て行こうとすると連れの女に必死に止められた。(なんでやねん) 
 私は日本ではクラブに行かないので分からんが、ハウスはああやって金魚踊りをするのが主流なのか? 誰か教えてくれ~。こうなれば次に狙うのはゲイエリアで有名なシーロム通りのソイ4じゃい。金魚野郎ども、首を洗って待っとけ!

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、周知というよりも羞恥な事実だが、継続します。
私はバンクーバーの夜にはチーズケーキエトセトラという基本的に夜だけ営業してるお店で食事をしたことが良い思い出になってます。

管理人 マーキュリーマーク

バンコクのディスコ (ヤフーブログ版)  2018/1/28(日) 午後 9:12 

#6 バンコクのディスコ (ヤフーブログ版) 

 パッポン通りにある、チョー有名なディスコ「○シファー」に行った。ええ、踊りましたとも。全てを忘れて踊り狂いました。気が付いたら、2時間ぶっ続けで踊っていた。時々、白人や黒人や日本人観光客がダンスを教えてくれと進み出てきたけど、スタミナもリズム感もないから話にならないね。黒人に踊りを誉められたことが私の唯一の自慢だ。次の日は二人のタイ人大学生を引き連れて踊りに行ったが、彼らは恥ずかしがって観ているだけだ。2時間も退屈だっただろ う。誘って悪かったのぉ。ホテルに帰るのが朝の3時。寝るのは4時だ。毎日フラフラになってるのに踊り始めると身体がシャッキとするのって、これって異常 じゃないかぁ~? でもダンシング・ハイってお金がかからないから、まっいいか。そうだろっ、「VSゲストハウス」のみんな!(注)
3日目はカトゥーイのレックとトミーを誘ったが、入口で店員が「会員じゃないと入れませんよ」とぬかしよった。嘘にきまっとろーが。オカマが入店したら 風紀が乱れるってかい。特にレック(小さい、という意味です)は名前のわりにはガタイがいいから、見た目ですぐにオカマってわかるけどな、乱れてんのはてめえの顔のほうじゃい! オカマを差別するんじゃねーっ。でも2人とも怒ったり、落胆した素振りはなかった。きっとこんな事には慣れっこになってるのね。(シクシク)
シーロム通り、ソイ4の「TAPAS」に行ってみたのだが、閑散としている。ギャラリーが少ないと、踊ってても張り合いがない。私は自分の踊りを誰かに 賞賛してもらいたい。(我ながら、オレってやつは....)トミーが言った。 「私の知り合いがお店をやってるから、そこに行きましょう」 
そして連れていかれたのがソイ2にある「YOUR PLACE」だった。ここはフロアから3階の吹き抜けの通路まで人でビッシリ、上から見ると、踊ってるというより、死体に群がる蛆虫がうごめいているとしか見えん。なによりもここは90パーセント以上が男、もしくは男たちのカップルで占められ、スキンへッズに皮のパンツにリストバンドという典型的なそれ系白人どもが便所でディープ・キスをしているという、ハード・ゲイからタイ人のソフト・ゲイ(?)までが集う、天下無敵のゲイ・ディスコだ~~っ! お立ち台の連中、所せましとフロアから通路まで踊り狂うゲイども、私の真後ろで椅子にのぼって半裸で肉体を誇示しているやつ、どいつもこいつも恍惚の表情をしている。はっきり言って私はうれしいぞ。踊りは熱狂的じゃないとな。みんな、明日の憂いは忘れて今夜は踊りあかそうぜいっ! ○イズなんかに負けるなー!
.......... 気が付くとまたもや2時になっていた。誰もが自分の踊りに熱中していて私には注目してくれなかったのが残念だったがな。いつの間にかレックとトミーがいなくなってしまった。外に出ると、ディスコの向かいにガラス張りのコーヒーショップがある。そこから10人くらいのモーホー野郎が横一列に座ってディスコから出てくる男を欲望に満ちた目で物色しているという香ばしい風景だ。ソイの入口で2人を探していると、左ななめ45度に熱い視線を感じた。見ると、パンク・ヘアーを金髪に染めたジャニーズ系の男の子が私を見つめ、ウインクまでしてきた。(もっ、もしかして.....)その男は近づいてきて言った。 「何してるの?」 「友だちを待ってるんだけど.....」(レックとトミー、どこ行ったんだ、早く戻ってきてくれ~!) 「あなた、ゲイ?」 「違う、違い ます! 私はゲイではありませんっ!」 そいつは一呼吸おいた後、こう言った。 「あなたのこと好きよ」 どひぇ~~っ!! 初対面の男に、しかも会ってから1分以内にそんなことを言われたのは生まれて始めてじゃいっ! 「もし友だちが見つからなかったら、そこのバーガーキングにいるから今晩つきあって」 つっ、つきあうって一体なにをなにしてどうしてどういう意味で.....。(もはやパニック状態)
私は友だちを探すふりしてタクシーを拾って逃げた。(バンコクでは何だかいろんな事から逃げてるなぁ)でも、でも今でもあの男の子のことを考えるたびに 残念な気持ちがするのは、なぜぇ~っ?!
注 「VSゲストハウス」はカオサンにある、ヤク中が集まる安宿として有名。宿泊客の8割以上はヤクが目当てだといっても過言ではなかろう。頻繁に警察の手入れがある。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、私は海外の危険地帯に行かない事を提案します。海外旅行案内書やインターネット上でも危険地帯については発表されてますので参考にしてください。HIVは今でも難病です。

管理人 マーキュリーマーク

ビルマの休日 その1とその2(ヤフーブログ版)  2018/1/28(日) 午後 9:25 

NO88 ビルマの休日 その1

at 2006 01/09 01:15 編集

ミャンマーのビザの申請書に記入していたら、「complexion」という項目があった。肌の色、である。う~ん、whiteというほど俺の顔は白くないしな。yellowには侮蔑的な意味があるし.....。自分の顔を鏡に写してしげしげと見てみた。darkというほど松崎し〇るじゃないし。「遠い夜明け」というアパルトヘイトを描いた映画で「君たちはなぜ自分たちのことをblackと呼ぶのかね。むしろbrownじゃないか」と聞く白人に対し、主人公のビーコが「あなたたち白人はなぜ自分のことをwhiteというんですか? むしろpinkだ」とやり返す場面を思い出した。アメリカだったらこんな質問には慣れているんだろうなと思いつつ、三十分考えて無難なところでwhiteと記入した。
そのビザがなかなか来ない。さすがにやきもきして、出発三日前に大使館に電話した。
「明日送ります」
ミャンマー人の職員はこう言った。まだ送ってなかったんかい。翌日になってもまだ来ない。また電話した。
「まで来てませんがっ!」
「もう出ましたから」
そば屋の出前かい、と思ったがぎりぎりには来るだろうと高を括っていた。しかし、出発当日になっても敵は沈黙したままである。その日の早朝に郵便局におもむき、「速達便は来てませんか」と聞く。
「来てませんねえ」と郵便局員。フライトは11時半だ。もう間に合わない......。がっくりと肩を落し家路につく。これは大使館のやつらの怠慢に違いない。チケット代を弁償させてやる。九時になるのを待って電話した(何回電話さすねん)。
「ビザ来てませんがっ!」
「送りましたけど。ゆうパックで」
「えっ?」
「料金が不足していたので着払いで送りました」
「あっ、そ、そうですか。どもどもども」
郵便局に確認すると確かに来ていると言う。フライトまで二時間しかない。俺はあわてて部屋を飛び出し、自転車に胯がった。10メートル走るとチェーンがはずれた。あわわ、何でこんな時に。直そうとするがあせってうまくいかない。自転車を打ち捨て、走る。バックパックをかついで走るのはつらい。すぐ息切れがする。この時ほど自分が高橋尚子だったらと願ったことはない。大通りにタクシーが停まっていた。バスを待っている暇はない。
「ハァ,ハァ、ハァ、関空までフルスピードでお願いします。そ,その前に郵便局に寄ってください」
年輩の運転手さんは猛スピードで高速道路を飛ばし、俺が乗る予定だった空港バスを追い抜いた。これでもとを取った(取ってないだろ)。タクシー代は一万円を越えてしまった。ミャンマー人の半年分の収入だ。(続く)

NO89 ビルマの休日 その2

at 2006 01/11 23:23 編集

ミャンマーは軍事政権だ。入国審査に手間どるんじゃないだろうか。大使館のやつらが年末のやっつけ仕事で作成した(偏見)ビザに不備があり、係員にちょっとこちらまでと別室に連れていかれ袖の下を渡せば今回は特別に入国させてやると言われるがそれを拒否したらお前は不審人物だから持ち物を改めるとバックパックを調べられて持っていたスーチーさんの著作を見つけられてお前は反体制派かと軍の上層部に連絡されおまけにパスパートにはさんでいたカンボジアでたわむれに取ったメディアパスまで見つけられてお前はジャーナリストだなとあらぬ嫌疑をかけられ監禁され三日三晩不眠不休で取り調べを受けたあげく罰金三百ドルを徴収された上にもう二度とミャンマーには入国いたしませんと誓約書を書かされてやっと釈放されたということは全くなくあっけなく入国できた。
タクシーで市内に向かう。乾いた日射しと土埃が車窓から入ってくる。ロンジーをはいた人々が歩いている。何てのびのびとゆったりと歩いているんだろう。服装も質素だが清潔だ。貧しいかもしれないが、誰もが満たされているような顔つきだ。この印象は滞在中、一度も変わることがなかった。
ヤンゴンでの第一泊は京都でいえば京都タワーのような、街歩きのときの目印になるスーレーパゴダの目の前のゲストハウスに泊まることにした。パゴダというのは黄金の仏塔でミャンマー人の篤き信仰の対象となっている。早朝から夜遅くまでひっきりなしに参拝者が訪れ、瞑想したりお祈りしたりしている。市内でもいくつかパゴダがあるが、中でもスーレーパゴダはここを中心に市街が設計されたというありがたいパゴダである。日中はもちろんきんきらきんに輝いているが、夜になればなったでライトアップされ、何か所かある入口はまるでキャバレーの呼び込みのようである。(続く)


皆様への伝達事項

ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、ミャンマー旅行について推奨は難しく行えません。治安の悪化等もあって政情不安定です。平成19年9月27日、APF通信社の長井健司氏が反政府デモ(サフラン革命)の取材中に射殺されたばかりでなく平成29年から混乱が発生してます。平成18年に発表されたビルマの休日はドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記です。当初の内は「海外旅行記ではなく国内旅行記では?」と解釈されるかもしれませんがビザの所得はパスポートの所得と同程度に重要です。各自で想像してもらいたいが海外旅行の為に国内旅行を済ませる人は多いです。町の雰囲気を想像しながら海外旅行記を読むことは楽しいですが、宗教施設とキャバレーは全く別物です。
もしも、海外旅行に行かれるならば各自で前もって最新情報を得て熟慮の上で行くか行かないかについて、ご決断下さい。


ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行記をビルマの休日として発表しました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。
周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しております。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。

管理人 マーキュリーマーク

米国・ロサンゼルス並びにメキシコ・ティフアナ旅行記(ヤフーブログ版)

NO41 続々ロサンゼルス編
at 2004 03/04 00:14 編集

目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親か何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを)
みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」

NO 113 ロサンゼルス編

at 2006 09/21 21:26 編集

のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていたら二人組のイラン人にアムネスティに寄付をしてくれと孤児の写真を見せられ大勢の日本人から寄付をいただいている一人最低100ドルからだと言われ何で寄付するのに最低額があるんだと思いつつもそのくらいならいいかと寄付をして空港を出た時分に100ドルいうたら一万円以上やんけとやっと気づき自分のマヌケさに地団太を踏んだからではない。
ロサンゼルスの空はどこまでも真っ青のブルースカイだ。まるで貧血の病人のように青い。私はそれに向かって「バカヤロー」と叫びたかったね。ウッディ・アレンはアカデミー賞受賞式に招待された時もいつものようにニューヨークの「マイケルズ・パブ」でクラリネットを吹いていたそうだ。「僕にはロサンゼルスの空は眩しすぎる」とほざいたそうだが、ウッディ、いや、ウッちゃん、私はあんたの気持ちがよく分かるぞ。ここで一句、「旅人は 悲しからずや 空の青 ロスの青にも 染まず漂ふ」
何言ってんだ、インドやタイやカンボジアの空だって充分青いじゃねーかとぬかすヤローがいるかもしれんが、チッチッチッ、だからトーシローは困るってんだよ。ロスの空はいわば、場末の落魄した娼婦が客をとろうと必死になって厚化粧しているようなもんだ。不健康で退廃的で侘びしくて物悲しいんだよ。なーにがカリホルニアドリーミングだあっ。100ドル返せーっ、ちくしょー!
ダウンタウンを歩いていると聞こえてくるのはスペイン語ばかり。映画館でアメリカ映画を観てもスペイン語の字幕付きだ。夜になると商店は早々と閉めてしまい、歩いているのはホームレスだけ。ハリウッドもビバリーヒルズもロデオドライブもちっとも面白くない。リトル東京で「ヤオハン」の場所を尋ねた日系の老人には、「夜は独りで歩かないほうがいい。巡査は外国人に偏見を持っているからな」と忠告された。ステーキハウスでステーキを注文したら、付け合わせのマッシュポテトが山のように出てきた。これだけでもう満腹だ。ふうふう言いながら何とか食べ終わると、ウエイターが「食後にアイスクリームはどうだい?」と聞いてくる。「冗談言うなよ、マイケル。これ以上食べたらゲロしたステーキがサンタモニカまで飛んでっちまうぜ」と私は肩をすくめる(ふっ、オレもアメリカン・ジョークがうまくなったもんだぜ)。
ああ、ロサンゼルス! めしはまずいし、歩くのにはただっ広いし、面白い所もない。私は台湾系アメリカ人、ナンシーおばさんの経営するモーテル、「City center motel」に宿泊しながら悶々としていた。どこか面白そうな場所はないもんだろうか。うーんとお~.......。あっ、そうだ! そう言えばサウス・セントラルがあった。ニューヨークのサウス・ブロンクスと並び称される、泣く子も黙るその地区は犯罪の温床となっており、殺人事件は日常茶飯事でヘイト・クライムという人種偏見による犯罪も起きていると本で読んだことがある。何だか想像するだけでケツのあたりがムズムズしてくる。しかし、日本人がのこのこ出かけていっても身ぐるみ剥がされて射殺されるのがオチだ。ここはひとつ、奮発してタクシーをチャーターして連れてってもらおう。モーテルのロビーでいつもうだうだとたむろってるメキシコ人に頼めば大丈夫だろう。善は急げ(?)とさっそく彼らに聞いてみる。しか~し、 
「へっ、サウス・セントラルだと? サルがケツから飛び出すぜ」「俺はまだ死にたくねえよ」「あそこは観光地じゃないぜ。ディズニーランドなら連れていってやってもいいけどな」 
けっ! メキシコ野郎はどいつもこいつもチキンばかりだぜ。とっととメキシコに帰りやがれ! (われながら知らないちゅうことはごっつう恐ろしかことですたい。皆さん、生半可な知識は身を滅ぼします、注意しましょう。嗚呼、無知の涙)
メトロのブルーラインに乗ればサウス・セントラル地区まで行くことができるのだが、私もそこまで無謀ではない。残念だが、そこに行くのはあきらめた。口惜しや。その時、天啓のように私の脳裏に閃く地名があった。そうだ、「ワッツ」だ。ワッツは黒人暴動が起こった場所として記憶に刻み込まれていた。今度はそこに行きたいと頼んでみると、一人のメキシコ人が行ったことがあると言う。35ドルでタクシーを手配してやると言うのでOKする。何でわざわざ好き好んでそんな危険な場所に行きたがるんだと疑問に思う人もいるだろう。貧しい人々や危険な地域を見学するような非常識な行為はやめようという良識派の意見は百も承知だ。しかし、私の好奇心はどうしてもそういった方面に向けられてしまう。
やって来たタクシー・ドライバーはエルサルバドルからアメリカに来て三年目のフィデルという青年で、英語がほとんど分からない。私のスペイン語は大学の第二外国語で習っただけで、補習を受けてやっと可を頂いたという代物だ。自慢じゃないがしゃべれる構文は「私の父と母はスペイン語が話せます」だけだ(一年生の時にスペイン語を教えてくださった平田先生、その節はご迷惑おかけしました。それから三年の時の補習の大垣先生、以下略)。
我々の意志の疎通は私の極端に少ないスペイン語の語彙(二十単語ほど)と身ぶり手ぶりと勘によって行われた。で、そのワッツだけど、総じて美しい住宅街が続く何の変哲も無い街だった。「Dr・Martin Luther King Shopping Center」というモールを見つけたので、タクシーを降りる。ぶらぶらと歩いている黒人は誰もが穏やかに見える。近くにいた黒人警官に聞いてみると、「暴動のあった場所はこの辺りだが、貧しい黒人の居住区は知らない」のだそうだ。そういえば、暴動が起きたのは1950年か60年代のことだったぞ。あー、何やってんだ、俺は。フィデル、とっとと帰るぞ。お前もアメリカに三年も住んでんのなら、英語くらい勉強しろよな(やつあたりすんなよ)。
夕食はチャイナタウンに食べに行った。今日は大晦日なので閉まっている店がほとんどだ。客のいない小さな食堂で飯を食べていると、警察官が二人食事をしにやって来た。 
「......................................。」
大晦日の夕暮れにうら寂しい食堂で警察官と無言でとる食事ほど物悲しいものはないと私は断言する。これで古いラジオから八代亜紀が聞こえてきたら完璧だ。いや、アメリカだからウィリー・ネルソンかトム・ウエイツあたりか。リトル東京では「紅白歌合戦」を衛星放送で観ながら故郷に想いを馳せながら涙する人がいるんだろうか。
ユニオン・ステーションで21時発サンディエゴ行きのアムトラックに乗る。ロンドンで知り合ったジョイスに会うためだ。彼女は元看護婦のおばあさんで、今は離婚してロサンゼルスとサンディエゴの中間ほどにあるオーシャンサイドに独りで住んでいる。降りる駅が近づくと、車掌がやって来て教えてくれた。乗客の一人一人にそうしているみたい。駅にはジョイスが迎えに来てくれていた。彼女のアパートは駅から歩いて五分。目の前は海岸だ。歩きながらジョイスが言う、「ここで『トップ・ガン』の撮影があったのよ」。おお、さすがハリウッドが近いだけはあるじゃないか。
その夜は二人でテレビのNYのカウントダウンの中継を観る。 
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン! あけましておめでとうございます」 
「ありがとう、今年のニューイヤーは寂しくなかったわ」 
「今度は是非日本に来てください」
袖振り合うのも他生の縁というジャパンのことわざを思い出す。それから二人は他愛ないことを女子高生のように明け方までくっちゃべり、疲れ果てていつしか倒れ込むように寝入ってしまうのだった。
目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。
ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。
「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」
「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。
その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。
「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いでしかないが、それが現在の貧富の差となった」という石川好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろんそんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。
「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞なんかもらえるかも」とカメラを探しているうちに彼女たちはどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
健康的で眩しすぎる空と海。反面、移民や不法労働者を抱え、犯罪が多発する現代のバビロン。ああ、ロサンゼルス!
「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~
~っ..................................................................................................。」(ごめんなさい)


皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。

皆さん、4点の連絡がございます。
第一に、誠に申し訳ないが平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つか(#37、#38、#39と#40)のバックアップが行えませんでした。ドリアン長野は平成16年3月に、NO41で発表した後、およそ二年半を経過した平成18年9月にNO113で再編集したロサンゼルス旅行記を発表しました。従って、NO41とNO113の両者に限っては転載が行えたので今回、発表が行えてます。

第二は、米政府はメキシコとの国境の間に壁を作る決断を下しました。過去(2016年以前)のように円滑に米国とメキシコを陸路で行き来することは不可能になる見込みです。トランプ大統領の決断の影響は小さくない。

BBCニュース - トランプ米大統領、メキシコ国境の壁建設を命令 移民取り締まりも強化 https://t.co/5oYZGDgLiu</a> — ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年2月6日

メキシコの「国境の壁」 ついに巨大な試作品ができあがる https://t.co/wuW5JWzb49</a>
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年1月28日 ">

第三ですが、バハ・カリフォルニア州ティファナ市は複数の犯罪組織の対立によるものと見られる多くの殺人事件が発生してるばかりか凶悪犯罪も増加し、情勢は流動的で2017年(平成29年)にはバハ・カリフォルニア州内どころかメキシコ全土で最も多くの殺人件数を記録しましたので海外旅行の旅先としての推奨は行えませんので不要不急の渡航はやめてください。平成十年代はまだ平和であったかもしれませんが2010年以降は治安が悪化してる模様です、そうした影響からか2015年(平成27年)8月31日迄はアメリカ(USA)からメキシコへの徒歩での入国には、鉄枠の付いた回転ドアによる逆行不能の越境のみで入国審査はなかったそうですが2015年(平成27年)9月からは回転ドアをくぐった先に検問所が設けられ、入国審査が実施されるようになったそうです。 もしも、本当に米国からメキシコのティフアナに赴かれるなら各自で調べた上で赴いてください。全く逆にメキシコから米国へ赴く時も厳しい入国審査は存在するそうです。

第四ですが、前述した内容(旅行記)を理解された人には半ば無意味な伝達かもしれませんが、航空会社のアエロメヒコによって成田空港からバハ・カリフォルニア・ノルテ州(*1)のティフアナへの直行便は2006年(平成18年)には就航してたそうですがドリアン長野は一旦、米国のロサンゼルスに訪問してから陸路でティフアナに赴いたので日本国内からメキシコへの直行便は利用しなかったそうです。この旅行記を読まれた方の中には過去に成田空港からティフアナに直行便で赴かれた人はおられるかもしれません。
平成20年代(平成26年頃?)に千葉県の成田空港からティフアナのヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港ことティフアナ国際空港(メキシコ)を行き来するアエロメヒコによる直行便は廃止されたそうです。

*1 バハ・カリフォルニア州の俗称はバハ・カリフォルニア・ノルテ州だそうです。なぜならば、バハ・カリフォルニア・スル州が存在し北がスペイン語でノルテで南がスペイン語でスルで区分けが目的だからだそうです。

管理人 マーキュリーマーク

スワニー、バンコクの魅力、大都会バンコク (ヤフーブログ版)  
2018/1/28(日) 午後 9:30 
#9 スワニー(ヤフーブログ版) 

君はスワニーを知っているか? もちろん、知っておろう。チャイナタウンにある、なぜか日本人パッカーに人気があって140バーツで泊れるが麻薬及び娼婦関係等のトラブルが多いので日本大使館の悩みの種の楽宮ホテルの一階にある日本料理が食べられる安食堂の北京飯店のことだ。なぜスワニーというかというと、切り盛りしているのがスワニーという女主人だからなのだ。そうだったらそうなのだ。なぜ日本料理なのに北京飯店なのかは、永遠の謎だ。
私はチャイナタウンに行くたびに楽宮ホテルを探すのだが、なぜかいまだに見つけたことがない。公園を中心にして、7月22日ロータリーが6本の道となって放射線状に伸びているのだが、歩いているとこれも安宿である台北旅社にいつも行き着いてしまうのだ。もう一つの伝説のジュライ・ホテルは私がチャイナタウンに足を踏み入れた頃は閉鎖していたと思う。楽宮を一躍有名にした、谷恒生の「バンコク楽宮ホテル」は日本では絶版になっていて、私はバンコクの紀伊国屋書店で買った。文庫本が314バーツもしたので、買う時に迷ったぞ。バンコクの物価を考えると3日は食えるもんな。北京飯店のことはいろいろな本に書かれていて、私はスワニーさんに会って、カツ丼や焼そばを食ってみたい! と長らく熱望していたのだ。なにもバンコクまで行ってカツ丼食うこたあねえだろうとは思うが、それはほれ、気は心ってやつよ。(意味不明)
ロータリー付近に行くといつも方向感覚が無くなって、記憶が途切れたような気がするのは、毎晩立っている娼婦の怨念か、ビンボー旅行者の呻吟する霊のせいに違いない。これは腰をすえてかからねばならない。というわけで、ファランポーン駅前のクルンカセム・シークルン・ホテル(京華大旅社)に泊まることにした。
このホテルは名前は厳めしいが、一泊500バーツの中級ホテルだ。部屋は清潔で、何よりも駅まで3分で行けるのが嬉しい。駅はチケットがなくてもホームには自由に出入りできるので、夜になると長い長いホームを虫の鳴き声を聞きながらうろついたり、かまぼこ型の高い天井を見上げながらベンチに寝転んだりするのは気分がいい。
ホテルの裏の通りには「旅社」とだけ書かれた看板が掛かっている、怪しい館がいくつかある。二階へ続く木造の階段の入口にはおねいさんがたむろしていて、前を通ると獲物を狙う猛獣のような眼でじろじろ見られたり、時には声をかけられたりするというナイスな環境だ。ラーマ4世通りを左に折れると、そこはもう、暑いバンコクの中でもさらに暑苦しいチャイナタウンだ。
フカヒレスープやツバメの巣が安いので、私はここに来るたび、ここぞとばかりにガツガツと意地汚くむさぼり喰う。ヤワラー通りにあるホワイト・オーキッド・ホテルの前にはうなぎの寝床のようなラーメン屋があるのだが、ここの麺がうまい! クイッティオ(米麺)やバーミー(小麦粉麺)はコシがあるし、ルークチン(魚のつみれ)はコクがある。いつ行っても人でいっぱいだ。私なんか朝から3杯も喰っちゃったもんね。えっと、何の話だったっけ? そうだ、スワニーだ。その日の夕方、私は地図をぐっと睨み、ロータリーの右から2本目の通りに入って行った。少し歩くと、あれはまさしく北京飯店だ。やっと見つけたぞ。食堂に入ると客はおらず、女の人が一人でメシを喰っていた。空腹ではなかったので、お粥を注文した。食べながら聞いてみる。 「あの、スワニーさんは?.....」 「はい、わたしです」 
そうか、あなたがあのスワニーか。私は本を読んで想像を膨らませていたので、やせこけて、引っ詰め髪でこめかみに梅干しを絆創膏で張り付けたようなおばちゃんだと思っていたのだ。(今どき、そんなおばちゃん、いるかーっ。しかもバンコクに)
スワニーはにこやかで、美人といっても決して過言ではないような(微妙な言い方やな)人だった。私は街で、テレビに出ている有名人に出会うことよりも嬉しかった。たとえば、V6の森田剛に会うことよりも、嬉しい.....と思う。
彼女は「あさりの味噌汁飲む?」と聞いてきた。必ず客にあさりの味噌汁か冬瓜のスープを薦めるようだ。これも本で読んだ通りだぜ。お粥も味噌汁もとてもうまかった。最後に食べた焼そばはちょっと塩辛かったけどな。(食べ過ぎやっ!)
メニューに書いてある「豚丼」というのは、カツ丼のことだろーか? 今度来た時に試してみよう。自分が少食なのが悔やまれる。(一日、何回喰えば気が済むんだ、お前はっ!)
メシを喰ってる時に入ってきた中年の男に、スワニーはお金を渡していたが、あれが旦那さんか? まさか悪い男に騙されてるんじゃないだろーな(とすっかり身内気分)。スワニー、バンコクに来た時はまた寄るよ。私は長い間たまっていたウ〇コを排泄したような清々しい気分で食堂を出た。
その夜、ファランポーン駅前でソムタム売りのねーちゃんに声をかけられた。彼女たちはイサーン地方出身で、天秤棒を担ぎながらイサーン料理を売っているのだ。客はゴザに座って、彼女たちが石臼で作ったソムタム(パパイヤやトマト等を加えた辛いサラダ)を食しながら故郷に想いを馳せるのである。そうだな、日本でいえば京成上野線の日暮里駅界隈の安キャバレーで東北出身のおっちゃんが同じ東北出身のホステスにうだうだと愚痴をたれるようなもんだな。
ソムタムを喰い終わると、おねいさんはもっと食べない? と言って、別の料理をもう一品作ってくれた。それも食べた。さすがに満腹だ。しかし、彼女はそれで許してはくれなかった。豚の絵が書かれた黄緑色のソーセージを取り出して、「これで作った料理はおいしいわよ」と私に迫るのである。こうなったら、イサーン料理を喰い尽くしてやろうじゃないかっ。私は苦しさに涙をこらえつつ、異国の星空を見上げながら食べた。ぜいぜい、もう勘弁しておくんなせえ。幸運にも料理はそれで終わりだった。
「うえっぷ、もう帰りますう。おいくらですかあ~」 「一品50バーツだから、全部で150バーツね」 なにお~、ひゃくごじゅうばあつだとぉ~、げっぷ。私は久々にボラれたよ。最初に値段を聞いてなかった私も悪いんだけどな。気をつけろよ、夜のファランポーン駅前でおねいさんに声をかけられて、鼻の下を伸ばしているとボッタくられるぞ、この私のようになっ!(いばってんじゃねーっ!)

#11 バンコクの魅力 
 「なぜタイがそんなに好きなのか?」 とよく尋ねられる。そのたびに考えるのだが、自分でもよく分からん。タイに移住している日本人にインタビューするというテレビ番組を観たことがあるが、そのインタビュアーが元モー娘の中澤ねえさんだった。中澤ねえさんが 「なぜタイが好きなんですか?」 と私も何度ともなく聞かれた質問をある日本人にぶつけた。その人は「ここでは戦わなくてもいいですから」と答えていた。う~ん、そうかもしれんな。何かにしゃかりきになってるタイ人なんて見たことがないぞ、私は。タイ人に限らず東南アジア人というのは(日本人から見て)物事を深刻に受けとめる能力が欠けている人が多い。バーツが大暴落しようが、エイズが蔓延しようが社会全体が重苦しくなったりはしない。
私はスコールの時に、傘を持つ習慣のないタイ人と一つの軒下で雨宿りしたり、中華街でトラックから荷物の積みおろしをしている半裸の労働者を眺めたり、屋台引きのフルーツ屋からスイカかパイナップルを10バーツで買って歩きながら食べたり、夜、通りを歩いていてふいに後ろを見ると象がいるのに気づき、象使いから20バーツで買ったエサをやったり、朝、セントラル・デパートの一階にある「スタバ」でホット・チョコレートを飲みながら通りを眺めたり、たまには豪華にインドラ・リージェントホテルでバイキングの朝食をとったり、ディスコの帰り、深夜2時にロビンソンで飲み物を買ったりするのが好きだが、中でも一番好きなのがドンムアン空港からバスで市内に向かう時間だ。これだけのためにもバンコクへ行く価値があると私は思う。市内までの交通手段としては空港の前に鉄道駅があるし、エアポート・バスやもちろんタクシーでも行ける。以前、タクシーに乗ったらドライバーがホテルの所在地を知らなかったので、50メートルも走らないうちに降りた。すぐ別のタクシーに乗ると、そのホテルまで遠いから1150バーツだとぬかしやがった。高いと文句を言うと、今度は500だと言う。怒ってタクシーを止めさせて降りた。相場はだいたい、250から300バーツだ。3台目でやっと目的地までたどり着くことができた。私は一度お金の節約のために市バスに乗ってみて大いに気に入り、それからは必ずこれに乗ることにしている。
空港を出て、大通りの前のバス亭で24時間運行のファランポーン駅行きの29番バスを待つ。なかなか来ねえなと少しやきもきするのも趣がある。やっと来たバスに乗り込むと、すでに車内は学生や労働者や主婦といった風体の人で一杯で、旅行者は私一人だ。安い航空券で日本を発てば、バンコクには深夜に到着する。深夜なのになぜいろんな階層の人がバスに乗っているのか、日本からやって来た旅行者には不思議でしかたがない。どんなに混んでいても女性車掌は新しく乗り込んできた人を見逃さない。運賃を徴収し(普通バスは深夜料金で5バーツ。エアコン・バスなら16バーツ)、ブリキ製の筒をパカパカいわせ、ロール状のチケットに切り込みを入れ、ちぎって渡してくれる。なんで車掌は太った人が多いんだ? バスがかなり揺れるから重心が安定するためにそういった女性を優先的に採用するのか? 等と考えているうちにバスは停留所を五つ、六つ通過し、ようやく座れるようになる。車内は窓を開けていても、むっとするほど暑い。汗がにじみ出るのを感じながら車内灯をじっと見つめていると、ボーッとなってくる。アセチレン灯のようなそれが縁日を思い起こさせ、幼い頃の記憶があれやこれやと浮かんでくるのだ?信号でバスが停まる。車窓から古びたアパートやコンビニが見え、ソイからひょいっと人が出てくる。何でもない光景だが、ひどく懐かしい。ああ、またこの街に戻ってきた、と心の中でつぶやく。スカイトレインの駅が見えてくるとバスはやがてパヤタイ通りを南下する。アジア・ホテルの前を通るともうすぐだ。ラーマ一世通りを左折すれば左に終点のファランポーン駅が現われる。運河の側の停留所に降りると、私にとってもうここは外国だという意識はない。故郷に帰ってきた、そんな感じだ。
到着第一日目はカオサンに泊まるのもずっと変わらない。ここはタイらしくないと敬遠する人もいるようだが、私は商店街で生まれ育ったせいか、いろんな人たちがうろうろしているのは好きだ。遅くまでやっている屋台でカオ・トム(おかゆ)を食べ、コンビニで雑誌や飲み物を買う。バンコクに来た時の儀式のようなものだ。これも私の楽しみのひとつである。
ある国や地域が好きになるということは言うまでもなく、その人自身が何に反応するかという内面の問題だ。私のように瑣事に喜びを感じる人間は 「なぜタイが好きなのか?」 という質問には 「行ってみれば分かるよ」 としか答えられない。

#12 大都会バンコク 

友人をバンコクに連れていくと、必ずこう言う。 「バンコクがこんなに都会だとは知らなかった。」
(次にくる言葉は「タイ人がこんなにオシャレだとは思わなかった」だ)
そんな時、私は内心思うのである。どうだっ、驚いたかっ。なめんじゃねーぞって、なにも私がムキになることはないんだけどさ。スカイトレインから景色を眺めていると、マンハッタンのセントラル・パークかと思っちゃうような場所もあるし、この前なんか世界一高いホテル、バイヨーク・スカイの展望台から夜景を見たら、さすがの私もびっくりしちゃったよ。
「おおっ、すごい。私はこんな大都会をあっちに行ったり、こっちに来たり、うろうろしてたのか」
バンコクの人口はスラムの住人や地方からの労働者を合わせると、1千万人を超えるといわれる。日本人は不法滞在者を入れると3万人が住んでいるそうだ。ある意味ではバンコクは東京やシンガポール(行ったことないけど)以上の大都市であり、欧米型の都市とはあきらかに違う。
第一に、あの厳しい気候だ。ニューヨークや最近の日本の夏もかなり暑いが、タイの季節は雨期と乾期しかない。バンコクに限って言えば、ほとんど毎日が暑い。関西人がアホなのは小さい頃からお好み焼きやうどんやたこ焼きといった小麦粉食品を大量摂取しているので、全身のみならず、脳も炭水化物化しているからだという説があるが、東南アジア人がボーッとしているのも毎日暑いからである。昼過ぎになるとあちこちの店先では店員がだら~っと犬のように眠りこけている。シエスタなどというかわいいもんではないな、あれは。スコールになると、降水量が多いのか、水はけが悪いのか、街中が水浸しになる。そんな時、ここは東南アジアにできた都市であるということを実感するのである。
第二に、なんといってもあのタイ人だ。バンコクにも、もちろん悪人はうじゃうじゃいる。コンビニで売られている「クライム・ニュース」という雑誌には殺人事件の被害者の惨殺死体がばんばん載っていて、これが微笑みの国の人間のやることか~っと思うのだが、大抵のタイ人というのは人がいいというのか、細かいことは気にしないというのか、早い話がぬけている人が多い。ファランポーン駅構内にコンビニがあるのだが、そこに野良犬が入り込み、奥で涼んでいた。警備員がやって来て、追い出すのかなと思っていたら、しゃがみこんで犬の頭をなでてやっていた。(日本では想像しにくい光景じゃありませんか、皆さん)
発展途上国や中進国の警官は国民から賄賂を要求するのが公然となっているが(タイでも、もちろんそれは日常茶飯事だ)、バンコクで軽犯罪を犯した三人の大学生が罰金を持っていなかったので、その代わりに警官が彼らに腕立て伏せをやらせたという様子が新聞記事になったことがあった。(そういうことが記事になって、話題になるということ自体が中進国らしいね)
先進国で同様な処置をしたら前近代的だとか、人権問題だとか姦しいだろう。私は西欧民主主義から観た、前近代的といわれることが間違っているとかは思わないけどね。
先日、関空に行くためにタクシーに乗っていたら、運転手の奥さんと娘さん(名門タマサート大学を次席で卒業した才媛。日本人としては始めての快挙らしい)はバンコクに住んでいるという話になった。若い頃、建築作業員として海外を転々としていたが、タイが気に入り、住みついてしまったらしい。日本にはお金を稼ぐために単身帰国して、1日も休まずに働いているそうだ。
「来年には仕事をやめて、タイに戻るつもりです。日本は嫌です。やっぱり私にはタイの水が合ってるんでしょうなあ。でもたった一つだけ、タイには悪い所があるんですよ。実は私、ドンムアン空港の近くに家を持っとたんですが、空港を拡張するっていうんで土地ごと没収されてしまったんですわ。弁護士を雇って国と争ったんですが、一銭の補償もなしです。あの時は参りました。それだけです、嫌な所は。タイ人はいい人間なんですけどね」
今はバンコク市内にアパートを三軒持っているそうだ。タイ人はぬけている奴らばかりだが、国はぬけていなかったらしい。それよりも、そんな目に会ってもタイが好きだという彼の気持ちが私にはよ~く分かって、ちょっぴり感動しちゃったぞ。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが、推奨が不可能になってる部分はございます。意図的に悪事をするのはどこであっても辞めておきましょう。
皆さん、観光名所の7月22日ロータリーの俗称はジュライロータリーと言われているそうです。又、現地の発音は不明ですがクルンカセム・シークルン・ホテルは、クルンカセーム・シークルン・ホテルと紹介されてるホームページがございました。脱字ではなくて発音の観点からそのように表明したかもしれません。
タイランドも、諸外国と同様に国境紛争は抱えています。 北部のカレン族(その中のパダウン族は首が長い女性達で有名)の難民や南部のマレー系の独立運動等深刻な社会問題は、存在しています。 バンコクに限っては、のんびり出来るようです。 
バスとタクシーの料金に格差があるのは日本もタイランドも同様のようです。 但し、日本の場合法律が存在しているから不正請求は無いかもしれませんが、遠回りはさせられるかもしれない。 
また、通貨価値は暴落した場合には輸出競争力が強まるから完全否定はし難いと思われます。 実際にタイランドからたくさんの食料品を日本は輸入しています。
無論、「どこの会社が日本へ輸出するのか?」の競争は少なからず存在していますから、国境紛争だけではなくて経営上の戦いも存在しています。
平成20年代になって発生し激化している、タイランド国内の騒乱は2010年代に終結するか否かは誰にも分かりません。
実際に机上の空論を支持するよりも、実行に移すのも肝要と感じさせる海外旅行記ですね。 可能であれば、タイランドに旅行されても構いませんが前述したばかりか半ば周知の事実ですが将来的に再度タイランド国内で混乱が発生しないとは言い切れないので自己責任でご決断ください。 今のところ、私自身の勝手な考えですが推奨は難しいです。 冒頭で述べたように、1990年代から平成10年代にかけてのタイランド旅行記なんです。 その時期は(すでに終わったが)平成20年代と比較して、まだ平和でした。
 
 一応、関東が世界で最も多くの人が住む一帯らしいです。
治安はやはり良くないでしょうね。 案外、バンコクだけではなくて南部の紛争を取り上げているかもしれません。
やはり、カントリーリスクは存在していますね。 成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。世界各国は色々な変化がありますね。

特別に三種類の海外旅行記を混合させました。 管理人 マーキュリーマーク

ドリアン(ヤフーブログ版) 2018/1/28(日) 午後 9:30 
#10 ドリアン(ヤフーブログ版)
人は非日常的な体験を求めて旅に出る。海外ならなおさらだ。しかし、それが食文化になると頑なに自国の食生活に固執する人がいる。たとえば、欧米人なんかがそうだ。彼らは外国においても朝はトーストとハムエッグ、昼はマクド(関東地方だったらマックよね。おされだわ)というスタイルを崩そうとしない。マーブンクロンのクーポン券式大食堂には欧米人の姿も見かけるけどな。大半は一、ニ度料理を食べてみて後はコーラとハンバーガーってとこだろう。君たち、それで満足なのか? 私はイギリスではフィッシュ・アンド・チップス、アメリカではステーキとハンバーガーを食い続けたぞ。まずかったけど、それでも我慢して食ったわい。(我慢して食うなよ)
自国以外の食生活に興味を持たんから、鯨を食う日本人は野蛮だなんてぬかすんじゃい! 「美味しんぼ」の海原雄山も食はその国の文化だとゆうておろーが。私はある国に行ったら、その国の人間が食べている物を食い倒すぞ。フィリピンやベトナムでおやつがわりに食べてる、孵化寸前の鶏の卵は塩をかけて食うとうまいんだよっ! 海外番組のTVリポーター(女優)は「いや~ん、気持ちわるう~い」とか「やっだあ~、ざんこくう~」とかぬかしてんじゃねー! アラブ人街に行ったら、羊の脳みそのカレー煮込みが安く食えるぞ。ベトナムでは時間があれば、センザンコウでも犬でも食いたかったわい。イサーン地方では虫も食べる。カオサンやラーチャダムヌーン・スタジアムの前やナナ・エンターテイメント前の路上に行けば、屋台でいつでも売ってるぞ。メーンダーは黒くて一見するとゴキブリに似ているがタガメだ。羽と足を取り、歯で身をしごいて食べる。その他にはバッタのフライとかコオロギとかカイコのさなぎとか赤アリとか、全部スナック感覚だ。もちろん、私の口に合う物もあるし、合わん物もある。だが、口に入れてみなければ味は絶対にわから~ん! 食わず嫌いはいろんな事を損してると思うぞ。
日曜日の夜の「世界ウルルン紀行」はタレントがいろんな国へ行って、一週間ホームステイするという番組だ。お世話になった家族と別れるシーンで私はいつも号泣してしまう。下條アトムのナレーションが泣かせるんだ、これがまた。ある日の番組では某男優がアフリカの某国に行った。その国では牛がとても重要な役割を担っているわけだよ。畑を耕したり、牛乳を飲んだりはもちろん、牛糞を燃料にしたり、家の壁にしたりな。それどころか、尿をシャンプーにもするし、飲んで胃に収めてから吐き出して胃腸を整えたりするのだ。その男優がそれに挑戦した。牛の泌尿器の下に容器を構え、おしっこを受ける。男優は容器になみなみとつがれたおしっこを眺めた。さあ、どうするんだ? 本当に飲むのか? 私は手に汗握って見つめたね。彼は一瞬ためらったが、ついにうぐうぐと飲み干し、そして吐いた。司会者に「どんな味でした?」と聞かれ、彼は苦いような、しょっぱいような、とにかくすごい味でした。その味が今でも口に残っています、と答えた。私は猛烈に感動したね。これが感動せずにおられよかってんだい。世の中には健康飲料だと称して己のおしっこを飲むやからがいるが、自分のでも躊躇すんのに、ましてや牛のおしっこだぜ。サムライだね。えらいもんだ。郷に入っては、リーに従えとはこのことだっ!(離婚したけど)さすがの私でもおしっこまでは飲めん。そこでドリアンだ。フリが長かったな。ドリアンを屁のにおいだとかウンコくさいとか言うやつは、牛のおしっこも飲めんくせにグタグタぬかすんじゃねー!(無茶苦茶)
ドリアンは確かに強烈なにおいがする。バンコクの「ロビンソン」で買ったドリアンをリュックに隠し、日本に持って帰った。(見つかると税関で没収だからな)機内でもリュックを開けるとガスのにおいが漂うので、冷や汗もんだったさ。その密輸入したドリアンを会社の同僚が食べてみたいって言うので、親指大をアルミ箔で包み、ビニール袋に入れて会社に持って行った。ロッカー室で包みを開け、食べさせてやった。その後、会社の人が「ガスくさいぞ。ガス漏れしてるんちゃうか」と騒ぎ始めたのだ。本当のことを言うに言われず黙っていたら、誰かが電話したんだろうな。大阪ガスの車がやって来てガス漏れの点検をやり始めた。しばらく調べていたが、もちろん異常なしで帰っていった。恐るべし、ドリアン! 今でも会社の人には真実を伝えていない。でもさ、ドリアンアイスとかドリアンスナックとかドリアンキャンディーとかドリアン羊羹(がバンコクの伊勢丹で売っとるのだが、これはさすがに食したことはない)はうまいとは思わん。ドリアンの身上はにおいではなく、カスタードクリームを濃厚にしたような 、あのねっとりとした果実だ。これぞ、キング・オブ・フルーツ。ドリアンを食べるためだけに、タイに行く人の気持ちが私はよく分かるぞ。ドリアンを食べていると私は幸せになる。納豆やくさやの干物を好んで食べる日本人が、においだけで毛嫌いするのはどういうわけだ。
マレーシアに行った時、屋台にドリアンを食べに行った。買ったその場で食べていると、「ドリアン、むっちゃ、うまいわ~」 「ほんま、最高やね~」という大阪弁が聞こえてきた。見ると、屋台のテーブルで女の子が二人、必死の形相でドリアンにむしゃぶりついていた。クアラルンプールは退屈な街だったが、その時の光景だけはよく覚えている。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記並びにお笑いエッセイですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。日本国内では一般的ではない食品を食べる事を私は第三者に強要したくありませんしされたくもないです。
皆さん、ドリアンは日本国内の複数のお店で一般的に販売されるようになってます。お笑いエッセイなので実際には日本で購入したと思います。TV番組のウルルン滞在記は平成十年代にとても人気があったので今でも人々の記憶に新しいと思います。(再放送はBS-TBSで平成25年春迄行われてた)食品は海外においても食べ慣れてる食事が重要ではないでしょうか?
もしも、海外旅行に行かれるならば各自で前もって最新情報を得て熟慮の上で行くか行かないかについて、ご決断下さい。

画像や動画を付加した海外旅行記を読まれたい方は以下をクリックしてください。
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カオサンの大晦日 (ヤフーブログ版) 2018/1/28(日) 午後 9:30 
#14 カオサンの大晦日 (ヤフーブログ版) 

 カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。泊まったのは通りの中ほどにある「カオサン・パレス・ホテル」だ。あるガイドブックにも書いてあるようにサービスは良くない、っていうかレセプションの人間はやる気が全くないぞ。思わずここは中国の旅社かと思っちゃったぜい。ツインしかなく、おまけにエアコンは壊れていて530バーツもした。唯一の取り柄はNHK放送が受信できるってことぐらいだろう。   
その日はバンラ-プ市場とパトゥ-ナムをうろついた。タイ人にとって正月はタイ暦の4月だし、中国系タイ人にとっても正月は2月ぐらいだから街は普段と変わらない。しかし、だ。7時頃に行ってみるとマーブンクロンの前には特設ステージが出来て、歌謡ショーとファッション・ショーのようなものをやってるし、ワールド・トレード・センター前のラチャーダムリ通りはホコ天になっていてすごい人だかりだ。こりゃあ、何かあると踏んだ私は鼻息も荒くカオサンに戻ったね。お祭り好きの私はじっとなんかしてらんねえよ、江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ。今日は特別な日だからってんで、奮発してコンビニでケーキを買って(といっても28バーツだよ、べらんめえ)、ホテルに帰ったと思いねえ。シャワーを浴びて、WTCで買ったヤイコのテープを聴いてじっと待ったさ。格闘家が試合前に音楽を聴いて精神を昂揚させるのと同じだな。そういえば日本でも大阪城ホールでヤイコのカウントダウン・コンサートが始まってる頃だ。とにかく気力、体力ともに充分だっ! 11時になると私は鼻の穴を通常より3センチばかり拡げて、フガフガとホテルを出た。
最近のカオサンは渋谷化状態していて、タマ大の学生や地元のバンコクっ子が大挙して遊びに来てるよーだ。これもデカプリオ主演の「ザ・ビーチ」のおかげか? とにかく尋常じゃない人だかりだ。私は表通りや裏通りをうろうろしてカウント・ダウンを待った。私の泊まっているホテルの前にはオープン・レストランがあって、テーブルが道路の半分を占領している。必然的にそこが一番、混雑率が高くなるってわけだ。地元の人間やら旅行者やらがくんずほぐれつ、盛り上がっている。
こら~っ、ビールをかけるんじゃないっ! わしは野村監督かいっ!(野球が嫌いなので去年はどこが優勝したのかも知りません)耳のそばでラッパをプープー鳴らすなっ! 人ゴミの中で踊るな~! 喧噪の中でもみくちゃにされるうちに何が何だかわからなくなってきた。ふんがぁ~。私はタイムズ・スクエアやトラファルガー・スクエアでも年越しをしたことがあるが、てめえらみたいな脳天気なやつらは初めてだっ! 白人どもっ、たかが新年になるだけなのに何でそんなに興奮するのだあ! そのうちレストランから流れてくる「オアシス」に合わせて白人どもが大合唱を始めた。薄れてゆく意識の中で私は思った。2000年に欧米人が連帯できる音楽って、やっぱりオアシスなのね。らぶあんどぴいす.....。「VSゲストハウス」の連中はこの時間、やっぱり新年を祝って一発キメてるんだろうか.....。ヤイコのコンサートのアンコールは何だったんだろう.....。「グレース・ホテル」のアラブ人たちは盛り上がってんだろうか? あっ、イスラム教は陰暦かぁ.....。いろいろと世話になったな、タイ人。お前たちのこと好きだけどな、最後に言わせてくれ、「マイ・サイ・パクチ~.......」(注) 
しっかりしろ、おれっ! 目を覚ませっ! これじゃあいかんと思い、ホテルに帰ろうとしたが、ベルリンの壁より分厚い人壁に阻まれ、目と鼻の先にあるのに帰るに帰れんじゃないかっ! みなさ~ん、よいこは早くおうちに帰って寝ましょう~って、結局やつらは4時まで騒いでたぞっ、バカヤロ~!!(爆死) 

注 「パクチー(コリアンダー)を入れないでね」 

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、平成十年代のタイ旅行記です。タイは平成20年代になって物価が上昇しました。平成25年1月にインラック政権によって最低賃金が300バーツに引き上げられタイの物価は上昇し続けてるそうですのでドリアン長野は幸せな時期にタイを旅したようです。
元ホークスの野村克也元監督と同じ位に元カープの野村謙二郎元監督は有名ですがドリアン長野は前者について述べてます。野村克也元監督は、名将で1973年に南海ホークスをリーグ優勝に導いたばかりか90年代にヤクルトスワローズを3回日本一に導いた。
https://youtu.be/iw3lgDvcVY8
タイへ行って年末の祭りに参加して苦しんだお話です。のんびりした旅行にしようとしても試練が発生するのが海外旅行なので暑くても快適な宿の選択は重要です。外国によっては習慣が違う人々を尊重し休む時期が分散してるそうです。海外の午前4時は日本だと日中になる可能性はあり得ます。(一例 イタリアの午前4時は日本の正午)
カオサンはタイでは白米を意味示します。過去には米問屋が多かったが最近はタイ人にしたら外国人向けの宿泊所が多い町から繁華街になったそうです。

管理人 マーキュリーマーク

【夏が来れば思いだす】 ヤフーブログ版  2018/1/28(日) 午後 9:30 

【夏が来れば思いだす】 その1

「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコクで九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)

【夏が来れば思いだす】その2 

妻は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。

【夏が来れば思い出す】その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。(*1)旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。

*1 スワンナプーム国際空港(BKK)は平成18年(2006年9月28日)に開港した国際空港で長野夫妻は平成19年の年末から平成20年の年始に新婚旅行されたようでその時の出来事を執筆されました。

【夏が来れば思い出す】その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。

(妻の日記から)

「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年(平成22年)以前に行ったバンコクへの新婚旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、平成25年(2013年)にフェイスブック上で発表された長野夫妻の新婚旅行を転載します。時期は平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始でバンコクと香港を旅した未完の作品で旅の試練は謎のままです。(後述しますが平成30年の夏の日に謎が解けました)
平成29年(2017年)7月の某日にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得たが平成30年(2018年)の元旦を経過しても執筆はされてません。インラック政権が平成25年1月に最低賃金を引き上げた影響は大きいようでタイの物価は値上がりし老後を過ごすには不向きらしいです。平成18年に開港したスワンナプーム国際空港の空港連絡鉄道(エアポート・レール・リンク)は通勤に利用出来ても観光は不向きだそうです。利用出来るようになったのは平成22年(2010年)8月23日からなので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。
誤解無きように明確化しておきますが、スワンナプーム国際空港は平成18年に開港しました。
ドリアン長野は平成25年に発表した【夏が来れば思い出す】その3の中で「早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。」と執筆されました。
人によったら「何が去年だ。私は2010年(平成22年)以前の2006年(平成18年)から2009年(平成21年)の時期にBKKことスワンナプーム国際空港は何度も
利用したから間違いに感じる。」と曲解されるかもしれません。長野夫妻がタイランドへ旅したのは平成19年の年末から平成20年の年始であったので便宜上(?)去年と執筆されました。そういう訳で皆さん、過去のタイランド旅行記という点はご理解ください。
奥様の海外旅行記も佳作でした。奥様の海外旅行記は別なんですが、ドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考え脱力してお読み下さい。日本とタイの仏教徒は相互に修行僧が行き来してるようです。
平成19年の夏にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちが失せていて平成20年以降は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてます。
繰り返すようですが、平成25年になってから平成19年の年末から平成20年の年始にかけて行われた今回の旅行記をドリアン長野は執筆しました。
平成十年代に「1万人の訪問者がいたらそれで良いかな。」とドリアン長野が発言され、後にその目標は達成された。続編が執筆されたら転載はしたいがそれがいつになるかは不明で夫婦の海外旅行記は平成30年一月現在、未完の作品であり、実質的な最終話です。
ドリアン長野は1961年3月5日生まれで、26歳の時にインドに旅したならば、1987年こと昭和62年か翌年に行われたインド旅行をしてます。平成20年を連想して20年前ならば、1988年こと昭和63年頃になります。
インド旅行が最初の海外旅行で気に入ったのはタイランドのバンコクへの旅行であったようです。

管理人 マーキュリーマーク

追記 平成30年7月末日
謎が解けました。機会があり、ドリアン長野の奥さんと再会しました。「タイランドで死にかけた話って何ですか?」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。 事実上、これで完結かな?

ネパール旅行記 ヤフーブログ版 2018/1/28(日) 午後 9:31 
ネパール旅行記 ヤフーブログ版

カラテ イン ネパール編

カトマンズの朝は早い。そして寒い。ここ、バサンタプルの広場でも早朝から何することもなく人々がたむろしている。
オーストラリアから来たという少女が物乞いをする少年に仏心を出し、パンケーキを買ってやった。
それを他のガキどもが見逃すわけはない。「僕にも、僕にも」 と彼女を取り囲む。
困惑顔の彼女はしかし、近くにいた大人がたしなめたおかげで事なきを得た。
ああくわばら、くわばら、桑原和○。それにしても遅い。さっきから誰も来ない。
なぜ私がこんな所で待ちぼうけを食っているかというと、今からさかのぼること昨日のことだ。
タメルで一泊した私はジョッチェンに投宿しようと昼前にここにたどり着いた。
そして広場の入口にある貸し自転車屋の前の絵看板に目が釘付けになってしまったのだ。
こっ、この一見ヘタだがよく見るとやっぱりヘタな絵は極真会館の松井館長ではないかっ。ほれっ、その証拠に極真マークもちゃんと描いてあるぞ。
なにを隠そう、私は極真空手家オタクだ。夢はムエタイ・ボクサーとルンピニー・スタジアムで戦うことだ(嘘ぴょ~ん)。
ちなみに子安慎悟?(あれっ?)のファンだ。ここってもしかしなくてもネパール支部じゃん。これも何かのお導き。天国の大山総裁、
ありがとうございます、押忍っ。カラテ道場を知らないかとそこら辺の人に聞いてまわったが、誰も知らん。
そうしている内に六十歳くらいの油すましみたいなお爺がいつの間にか出て来て、のたもうた。
「道場なら閉鎖して去年ニューヨークに引っ越したよ」
はあ~っ? 何でネパールの道場がニューヨークに引っ越すんじゃい、ワレ。こうなったら戦争じゃけん。止めんでつかあさい、オジキ!  
と今ならつっこむところだが、生憎その時の私は冷静さを失っていたので心底、落胆した。せめて閉鎖した道場でも見たいと所在地を聞くと、
このじっさま知らんとぬかしよる。何でやねん! 筋が通らへんやないけ! ワシは筋の通らんことは嫌いじゃ。タマ取ったりますけん、止めんでつかあさい、
オジキ! と今ならつっこむところだが、私はあせって平常心を失っていた。しばらくすると、じっさまはまわりの人に何ごとかを尋ね、郵便局に行こうと促すのだ。
何でやぁ~~っっ?!
しかし、頼みの綱はこのじっさましかおらん。大人しくついて行くと、うしろからガタイのいい男が追っかけて来た。 
「僕の弟は黒帯で指導員をしてたんだ。僕自身は結婚して忙しくなったので茶帯でやめてしまったけど」

そうか、そうか。君がそうなのか。会いたかったぞ。我々は再会を約束し、そこで別れた。聞きたい話はたくさんあるが、
まずホテルを確保しとかんとな。
ホテルにチェックインする時もなぜかじっさまはついて来て街を案内してくれた(とはいっても広場とショッピング・センターだけだったが)。
バサンタプルに戻り、さきほどの男と話をしていると彼の弟の黒帯空手男(クマルという名前)と奥さんがやって来た。
奥さんは台湾人で、ネパール旅行中にクマルと知り合ったそうだ。二人はこの広場で露店商として土産物を売っているのだ。
私とクマルはカラテについて飽くことなく、何時間も語り合った。奥さんは傍らに座っていて、うんうんと時おり会話に加わる。
そうこうしていると、 じっさまが再び現われて、「あっちで待ってるから」 と言った。このたわけた子泣きじじいめ。わしが何のために世界中で何度も何度も何度も(泣)
騙され続け、何回も何回も何回も(号泣)金をまきあげられたと思うてけつかんねん! てめえの悪だくみなんぞ、こちとらお見通しでい!(もっと早く気いつかんか~い)
無視するとじっさまはいつの間にかいなくなった。あまりクマルの商売の邪魔をしては悪い。 
「またあとでね」 と腰を上げ、近くのガキんちょたちにババぬきを教えて遊んでいたら、今度は見るからに怪しそうな男に肩を叩かれ、ついてこいと声をかけられた。
てめえ、じじいの仲間か、と警戒心を抱きながらもついていった。この男はとてもとても人相が悪い。凶悪といっても過言ではない。
逃げ出したほうがよいのではないだろうかとビビりながらついていくと、
五、六人の男女がたむろしている場所へ連れてこられた。なによっ、あんたたち、変なことしたら大声だすわよっ。すると中の一人が言った。 
「私たちはキョクシンカラテのメンバーです。オス!」 
なんだ~、びっくりさせんじゃないわよ~、思わずヒザがかっくんとなっちゃったじゃないの。でも良かったわ、
会えて。みんなに連れられてすぐ近くにある彼らの先生(三段)のアパートまで案内してもらった。
先生は八畳ほどの部屋に妻子と住んでいるのだが、壁という壁の至る所にカラテの賞状が飾られている。何冊もあるアルバムは稽古や試合の写真ばかりだ。
私(ドリアン)は猛烈に感動した! この地でこんなにも極真カラテを愛している男がいたことに!! (梶原一騎調でお読みください)
一週間後に試合があるからビザを四日間延長してカラテを教えてくれと懇願されたが、私は真面目なリーマン・パッカーだ。出勤日から四日間無断欠勤したら即刻、馘首じゃないか。
家賃はどうやって払うんだ。残念ながら断ると、それじゃあ、明日道場生とピクニックに行くから一緒に行きましょうと誘われたのだ。
七時の予定が結局八時半に出発した(ネパールタイムだそうです)。八人が幌付きのトラックの荷台に押し込められた。
みんなの顔を見ると何だかヤクザの出入りか自衛隊の演習って感じだ。着いたダクシンカリはヒンズー教の寺院で祭りには神サマに捧げるためにヤギの首をはねるそうである。
ピクニックといってもネパール人は弁当なんぞ持っていかん。材料を持参して現地で女性たちが料理してカレーを作る。
トラックに積んでいたバカでかいインド製のカセットとスピーカーでダンス大会をするつもりだったらしいが、シャイなネパール人は誰も踊ろうとしないのだ。
ここでも私が得意のダンスを披露して、皆の尊敬を一身に集めたのはいうまでもない。
翌朝、バサンタプルを歩いていると誰かに聞いたのか、「僕もキョクシンカイです」と佃煮にできるほどのガキんちょ、いや少年たちに声をかけられた。
そういうわけで朝からこの広場にはあっちこっちで気合いがこだまするのであった。オ~~スッ!

カトマンズの夜
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中山可穂の「熱帯感傷紀行ーアジア・センチメンタル・ロードー」を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。著者はインドネシアを旅していたのだが、「店内のラジオからは、マントヴァーニ楽団の『ブルー・タンゴ』が流れていた。まさかこんなところで、アメリカ製タンゴの名曲を聞けるとは思わなかった。」
僕は、ああ、分かるなあと思った。僕もカトマンズのタメル地区にある古本屋の二階で日本語と英語のペーパーバックを眺めていたら、ラジオからビョークが聞こえてきたことがある。曲名は思い出せないが、ネパールでビョークという取り合わせも妙なもので、年の暮れということも相俟って、異国で独りという寂寥感が身に染みた。
カトマンズに行こうと思い立ったのは、タメルという場所がバンコクのカオサンと同じように世界中のバックパッカーで賑わっていることを本で読んだからだ。ネパール人と異国のバックパッカーが交錯しながら食事をしたり、土産物を売ったり買ったりしている光景を思い描くと居ても立ってもいられなくなった。
夕刻にネパール空港に到着。ロッジのようなイミグレーションを通過し、外に出てタクシーを拾う。数十分走ったが、王宮の前で突然、エンストした。運転手に聞くと、何とガス欠らしい。彼は車外に出て、通りを見つめている。どうするのかと思って見ていると、やがて通りがかったタクシー仲間を捕まえてガソリンを分けてもらっていた。タメルに着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていたが、なるほど土産物やホテルや食堂が櫛比し、賑わっている。適当な安宿にバックパックを下ろし、街に出てみた。タメルはカトマンズにおいても異質な場所だと思う。ニューヨークがアメリカにとって特異な都市であると同じ意味で。外国人と牛と地元の人間で賑わっている往来をぶらぶらと歩いていると、小さなスーパーマーケットがあった。そこが気に入って、タメル滞在中は日課のように通った。外国人に混じって食料品を買っていると、不思議と心が安らいだ。多分、一人であっても一人じゃない距離感が好きだったからだろう。食堂では、よくモモ(水牛肉の餃子)とチョウメン(焼きそば)を食べた。席に着いてから最初のお茶が出てくるまで20分、最後の食事が出るまで一時間かかった。白人の客が「ネパールタイムだ」と言うと、他の客はあきらめのような、連帯感のような笑いを洩らした。
ひょんなことから、あるネパール人夫婦と意気投合し、彼らの知り合いの家へ招待されることになった。その家は日本大使館のすぐ側にあり、門扉から玄関まで歩いていくような、ネパールの生活水準からすれば充分すぎるほどの大豪邸だった。主人のチャンさんは台湾出身で、台湾の電化製品をネパールに輸入して成功した人だ。熱心な仏教徒でもあり、広い居間の一角にしつらえた祭壇へのお祈りは毎日かかさない。チャンさんは言う。「あなたが今日ここに来たのは、あなたが生前ネパール人だったからだ。今度ネパールに来た時はホテルに泊まらず、うちに泊まりなさい。いっそのこと、ネパール女性を紹介するから結婚してこっちに住んだらどうですか」。帰りは夫婦にタクシーでホテルの近くまで送ってもらった。食堂に入り、3人でチョウメンを食べた。縁って不思議だね。そう言って3人で笑った。ネパールに来てから三日目だった。
知り合いから知り合いに紹介され、滞在中は数珠つなぎに知人が増えていった。誰もが親切にしてくれた。ネパール人は日本人に似ているところがある。控えめで内気で、外国人に対しては親切にせざるをえない。それに加えて男たちは眉間のあたりに矜持といったものを漂わせていた。彼らの信仰する神のせいなのか、それとも貧しさによって自らを恃みにしなくてはならないからだろうか。勇猛果敢なネパール人はグルカ兵としてイギリスの傭兵になったこともある。僕は日本のサムライと彼らを重ねあわせることもしばしばだった。                 
たとえば、こういうことがあった。ジョッチェンの広場で少年たちにババ抜きを教えて遊んでいた。しばらくトランプをしていると、後ろから肩を叩かれ、知り合いの大人たちから「メシを食べに行こう」と誘われる。「すぐ戻ってくるから」と中座し、彼らとしゃべっているうちにトランプのことは忘れてしまっていた。あくる日、その広場に行くと、昨日の少年が近づいてきて、「忘れ物だよ」とトランプを差し出した。些細なことだが、アジアで未だこのような正直さに出会ったことはなかった。
帰国日、最後に広場に行ってみた。顔見知りの少年を見つけ、これから帰るからと告げる。何かを言おうと思ったが、適当な言葉が浮かばない。「ダンニャワード(さようなら)」と言って歩き出したが、写真を撮っておこうと思いついた。ついでに周りの連中も記念に写しておこう。「写真を撮るよー!」とあたりに声を掛けると、20人くらいが集まった。笑顔の彼らをファインダー越しに覗いていると涙が出そうになった。
タクシーを拾い、空港に向かう。しばらくすると今度はパンクした。車外に出ると、来た時と同じような満月だった。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
ドリアン長野が執筆した海外旅行記は順不同でした。ドリアン長野自身が平成10年代に発表した旅行記を後(平成10年代末期)に再編集して再発表した前例が
カラテ イン ネパール編(ネパール編 加筆訂正 2006年4月7日 22:18)でした。 2006年は平成18年です。
NO45 カトマンズの夜は2004年4月27日 23:23に発表されました。 あえて、順番を前後させた方が良いのでそうしました。
皆さん、再編集版なのでネパール旅行記を一元化しました。
ネパールとチベットは隣接してますので似通った料理が食べられるようです。ドリアン長野は空手家です。海外に赴き同じ志を持つ人に出会って嬉しかったそうです。色々と生活習慣等で違う点は多いが共通点が存在すると話が合います。
ネパールと言えば政変がありました。平成十年代は、王政でしたが平成20年からはそうではなくなりました。詳細は各自で調べてください。
「どこに行きたいか?」についてですが、今(平成20年代以降)となってはタブレットやスマホで円滑に情報が得られる時代になりました。帰り道についても調べておくことを推奨します。理由は迷子になる可能性があるからです。
私はカナダ(ブリティッシュコロンビア州)のホテルの室内で私物の整理整頓をしてる時にラジオ番組を聞きながら行ってました。日本国内でも洋楽を聞く機会が多いから普段と大差なく行えたのを連想しました。音楽は国境を超える。

特別に参考として日本国内のネパール料理店で食べてきた野菜チョウメンの画像を紹介します。

管理人 マーキュリーマーク

ロンドン・コーリング(ヤフーブログ版) 
2018/1/28(日) 午後 9:31 日記 ブログバトン
ロンドン・コーリング(ヤフーブログ版)
NO42 ロンドン・コーリング

at 2004 03/19 22:25 編集

ある日、何気にNHKを観ていたら、普段はめったにNHKなんか観ないんですけどね。ロンドンのイースト・エンドの話をしてたんですよ。イースト・エンドは労働者の街でね、反対にウエスト・エンドは高級ブティックやレストランがある、おされな街なんですよね。ほら、ペット・ショップ・ボーイズの「ウエスト・エンド・ガールズ」って曲あったじゃないですか。あれはイースト・エンドに住む労働者階級の少年とウエスト・エンドの中産階級の少女の歌なんです。この時、あっ、イースト・エンドに行ってみたいって思ったんです。その時までヨーロッパには行ったことがなかったし、興味もなかったんですけど。それにロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。
その時は1994年でした。ヒップ・ホップ、グランジ、ユーロ・ロックの時代です。カート・コヴァーンが自殺したのもその年だし。パンクなんてもう過去の遺物ですよ。でも、アメリカのパンクと言われるグランジの代表的バンドのリーダーがその年に亡くなったっていうのは、何だか象徴的ですね。ニューヨークで発祥したパンクがロンドンに渡って、十何年か後にその種子がシアトルでやっと発芽して全世界に広がったけど、一つの遺伝子が絶えた、みたいな。それでも、パンクスの一人や二人はヤンバルクイナやカブトガニみたいにひっそりと生息しているだろうと。天然記念物みたいに英国王室が保護してたりとか、そんなわけないか。それで、イースト・エンドとパンクスという学術的にも崇高な、ちょっと、ここは笑うとこじゃないですよ。まあ、淡い期待を抱いてですね、ロンドンに行ったわけです。
 ロンドンってとこは、もう京都ですね。ヨーロッパ中から来た観光客がわんさかと歩いてて。僕もフランスなまりの英語でよく道を聞かれました。ヴィクトリア駅なんかに行くと、若者だけじゃなく、中高年の一人旅や夫婦パッカーがうろうろしていました。日本のリーマンのみなさんもね、パチンコを控えたり、「村さ来」に行くのを三回から一回に減らしたりしてね、こつこつと小金を貯めて旅に出たらいいんじゃないかと思いましたね。見聞も広がって、人生楽しくなるんじゃないかと。まあ、よけいなお世話ですね。それに街中の空気がね、すごく穏やかなんですよ。大都市にありがちなギスギスした感じがない。人も穏やかな顔をしてるし。道を尋ねても誰もが親切に教えてくれるんです。おじいさんやおばあさんなんかね、僕の腕をつかんで離さんばかりに教えてくれる。だけど、ハイド・パークを歩きながら思ったんです。ロンドンには住めないなあって。僕の眼には物凄く退屈な街に映ったんです。実際に住んでみたら違うんでしょうけど。
肝心のイースト・エンドですけど、オールドゲイト駅付近にあるとは知ってましたから、そこで降りて人に聞いたんですが、誰も知らないって言うんですよ。仕方なくうろうろと探していたら道に迷っちゃって。そのうち、まっ、いいかって気持ちになっちゃって。もう一つの目的のパンクス探訪ですけど、やっぱりいないんですね。キングズ・ロード、オックスフォード・ストリート、カーナビー・ストリート、ピカデリー・サーカス、スローン・ストリート、カムデン・ロック・マーケットと歩き回ったんですが、見つかりませんでした。それじゃあ、どうしようかなと思ってね、大英博物館を観て帰るのも何だかなあ~でしょ? それでふっと思ったのが、そうだ、ブリクストンに行ってみよう! と。ジャマイカ移民とかのコミュニティーができてて、貧しい区域なんですよ。もちろん犯罪も多いし。クラッシュの「ブリクストンの銃」には、白人が作ったレゲエの中では最高傑作だと思うんですけど、自分たちのパンクのルーツであるレゲエに対して、もし、その敬愛するジャマイカ人たちが暴動を起こしたら、我々は制圧する側に立つのかという葛藤が歌われています。泊まっていたホテルの人からも、ブリクストンに行くならカメラはしまっておきなさい、充分気をつけるのよ、なんて言われたんで何だか期待してしまって。朝一番に地下鉄に乗って行ってみたんですよ。そしたら、アパート、あっちではフラットですか、そこから出勤する白人が出てきて。あれっ? 白人も住んでるの? って思ってね。こっちはニューヨークのサウス・ブロンクスみたいなところを想像してましたから。一体、何を期待してるんでしょうね? 僕は。(つづく)
NO43 続ロンドン・コーリング

at 2004 03/26 23:30 編集

とにかくブリクストンはそんなに荒廃しているとは思えなかった。少なくともアジアのいくつかの都市よりは遥かにマシです。一度だけ黒人に声を掛けられて。素振りを見ると、ああ、こいつは金をせびろうとしてるなと思ったんで無視しましたけど。そういえば、これはブリクストンじゃなくて普通の通りなんですが、歩いていると、物乞いしてるのは若者なんですね。働かなくても失業保険で何とか食べていけるので、無気力な若者が増えているような気がします。物乞いをして断られると、ある若者が「この街はどいつもこいつもファッカーばかりだぜ」と歌っていましたが、ファッカーはお前の方だ、と言いたくなりますね。
その夜はホテルが密集しているアールズ・コートのドミトリーに泊まりました。ここらあたりは何故かオーストラリア人が多いそうなんですが、僕はドミトリーに泊まるのは初めてだったんです。他人がいる空間ではくつろげないんで、今まで泊まったことはなかったんですよ。部屋に入ると、僕のベッドにヒッピーくずれみたいなカップルが寝ている。しかもニューエイジ・ミュージックをかけながら、抱き合ってるんです。一応、「ここ、僕のベッドだけど」と言うと、薄目を開けて、「ああ、そう」なんて言う。まあ、どこのベッドに寝ようが関係ないんですけど。だけど、延々とニューエイジを聴いてるんで、頭がおかしくなりそうで外に飛び出しました。その時、夜のソーホーに行ったんですけどね、キッチュというか、フェイクというか。ブライアン・イーノが化粧していた頃の初期のロキシー・ミュージックみたいな感じなんですよね。あるいは、ジョン・フォックスが在籍していた頃のウルトラ・ヴォックスみたいな、ファーストでメンバーがビニールのジャケット着てて、ネオンが煌めいてるイカしたアルバム・ジャケットがあるんですけど、そんな雰囲気なんですよね。映画でいえば、「ロッキー・ホラー・ショー」とか、フレディー・マーキュリーのもっこりタイツとかを連想しちゃうんですね。えっ?よく分からない? 歩いてみれば分かりますよ。ゲイリー・ニューマンの幻想アンドロイドですから。もっと古い例で言えば、パリスのビッグ・タウン2061ですかねえ。ますますわけ分からんですか。えっと、あと年末だったんで、トラファルガー・スクエアのカウントダウンにも行ったんですけどね、なんだかんだ言っても、イギリスはヨーロッパの中心だと思ったのはね、僕の分かる限りでも、スペイン人、ドイツ人、スウェーデン人、イタリア人、ポーランド人、フランス人、スイス人、あとインド人と中国人と日本人がいたことですね。ええ、4時間その広場をうろついてましたから。12時になったら、そばにいる女性にキスしてもいいことになってるんですけど、無理やり迫ってビンタ張られた男もいました。いい思い出です。いいえ! 僕じゃないですよ。違いますって! 失敬だな、君は! ともかくもですねえ、一番感心したのは、ロンドン郊外を歩いていて、信号のない車道を渡ろうとした時ですよ。車がビュンビュン通ってるんですけど、車道の一歩手前まで来たとたん、左右の車が一斉にピタッと停まりましたからねえ。大阪人、少しは見習って欲しいですねえ、正味の話。
だけど、パンクスに会いたいなんてのは今から考えると、まるで日本に来た外国人がサムライが見たいと言うのと同じ感覚ですね。ジミー・ペイジが来日公演で成田に降りたとたん、「サムライはどこだ?」って聞いたのを笑えません。次にロンドンに行く時は、羽織袴に雪駄を履いて行こうと思ってます。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。テロ対策は過去よりも強化されてるようです。
皆さん、英国の首都、ロンドン旅行記です。前編と後編の両者を同時に発表します。過去は「こうであった。」という話は少し悲しみがあります。円と英ポンドの為替相場は変動相場制ですので詳細は各自でお調べ下さい。死去した音楽家は多く生前に残した記録は数多いから今も生存してるように感じられる人は多いに違いないです。多くの国から人がやってくる国際的な町、ロンドン。よき町のようです。全く逆に英国人は英国を出国し私が行ってきたカナダにも移住してます。70年代と変わらないと考えてロンドンに行ったら大違いであったようです。発表されてるのは2種類のみで実際にドリアン長野が、90年代のように再びロンドンに行ったかどうかは不明です。

敬具 管理人 マーキュリーマーク

ニューヨーク旅行記(ヤフーブログ版) 2018/1/28(日) 午後 9:31 

ニューヨーク旅行記(ヤフーブログ版)

#33 NYタイムズ・スクエア編

at 2004 01/09 00:47 編集

1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア。気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。歯の根が合わないほど寒い。それでも何千人といる群集は誰一人として帰ろうとはしない。私もたぶん、彼等と同じ気持ちだった。それは2000年へと続くデケイド(10年間)の幕開けを世界一の都市で祝ったという記憶を自分の中に刻みつけておきたいから。彼等は家に帰って言うだろう。「90年の始まりにはあそこにいた。みんなとハッピー・ニュー・イヤーを言ったんだ」。 私は夜の8時から待っているが、12時までは途方もなく長い時間に思えた。混雑を緩和するためにあちこちに「Police Line」と書かれた遮蔽板が置かれている。警官の目を盗んで一人の男が、さっと板の下をくぐり抜けて走り去った。近くにいた警官に誰かが叫ぶ。「Shoot him!(射殺しろ)」 周りがどっと笑う。ここでの模様は全米で生中継されるのでテレビカメラにパンされた群集はとにかく騒ぐ。叫ぶ、踊る、手を叩く、こぶしを突き上げる、街角で黒人が1ドルで売っていた紙笛を吹き鳴らす。私といえば、寒さと疲労に耐えながらひたすら待つ。
 11時59分。カウントダウンの斉唱が始まるとSONYの広告の下に取り付けられた電球の塊がゆっくりと降りてくる。下がりきったら1990年だ。ウエルカム・トゥー・ナインティーズ!  
 見知らぬ者同士がハッピー・ニュー・イヤーを言い合い、抱き合う。雨の中、群集がブロードウエイを行進する。この光景はデジャビュだ。どこだったろうと考えていたら、ウオーレン・ビーティ監督、主演、脚本の映画「レッズ」でロシア革命前夜に人々がインターナショナルを歌いながら街を行進する場面だった。今日の夜はニュージャージーに住む友人のアパートに泊めてもらうことになっている。あちこちが通行止めになっているので迂回していると道に迷ってしまった。バス・ターミナルの場所が分からないので雨宿りしながら地図を拡げて見ていると、二人連れの黒人が「どこに行きたいんだ?」と声を掛けてきた。「ポート・オーソリティー・バスターミナル」と答えると、「ついて来いよ」と手招きする。 
 新年に浮かれる人々の喧噪の中、彼等を見失わないようについて行く。20分ほど歩いた。ミッドタウン・ウエストにあるこの24時間運行の巨大なバスターミナルは常に通勤者で賑わっているが、今日の賑わいは特別だ。案内してきた男が言う。「チップをくれ」 1ドル紙幣を出し、渡そうとするが受け取らない。少なすぎたかと思い、「2ドルでは?」と言ってみる。すると、「冗談じゃないぜ。俺たちは長い道を案内してやったんだ。フェアじゃねえ。もっと出せ」とすごんできた。無視して歩き出すと、「聞こえないのか? もっと出せと言ってるだろう」と喚きながらついてくる。「警官を呼ぶぞ」と睨みつけると渋々2ドルを受け取り、やっと退散した。バス乗り場に行くと、また黒人が寄って来て、「どこに行くんだ? チケットは持ってるのか?」と親切(?)にも聞いてきた。彼はチケット売り場まで案内してくれ、言った。「ギミー・ダラー」 ああ、アメリカがチップ社会だというのは本当だ。Money talks in America.(アメリカでは金が物を言う)彼に1ドル渡す。バスを待っていると、日本人女性が二人やって来たので話しかける。二人は姉妹でお姉さんがニュージャージーに住んでいるという。妹が日本から姉に会いに来て、今日はミュージカル観劇の帰りだそうだ。「ブロードウエイのニューイヤーズの騒ぎが恐くて.....」とアメリカに来るのが初めての彼女は気の毒なくらい蒼ざめていた。
 「目的地に来たら知らせてください」と運転手に住所を告げ、座席に座る。バスが出発してからしばらくして奇妙なことに気がついた。奇妙なことといっても、私が日本人だから少しばかりそれを感じるだけのことだ。バスが停留所に着き、乗客が下車する際に、ほとんどの人が他の乗客の方を向き、「ハッピー・ニュー・イヤー」と言ってから降りていくのだ。「これもアメリカだな」私は心の中でつぶやき、自分がアメリカに来たことを初めて実感していた。 


#34 NYバスターミナル編

at 2004 01/15 22:22 編集

8番街から9番街の1ブロック、40丁目から42丁目の2ブロックにまたがる巨大なバスターミナルがポート・オーソリティ・バスターミナルです。グランド・セントラル駅(映画「アルマゲドン」では隕石の破片が直撃して壊滅しました)とペンシルバニア・ステーションという二大鉄道駅にここを加えれば、ニューヨークの三大ターミナルになります。ターミナルといえばホームレスのたまり場になりやすいので御多分に漏れずこれらもそうなのですが、前者の鉄道駅はチケットのない者の待合室への入場を禁じているせいもあって比較的清潔で安全です。しかし、ポート・オーソリティは場所からして周辺に老朽したビルが多く、地元では「地獄の台所」と呼ばれており、治安もあんまり良くありません。そしてホームレスはフリーパス。必然的にこの駅はホームレスの憩いの場アーンド生活の場となっています。一歩足を踏み入れてみれば、まあ、すごいですねえ。「F×××」を連発して、何かに怒りながら歩いている人がいるかと思えば、必需品を一切合切ショッピングバッグに詰め込んで生活しているショッピングバッグ・レディと呼ばれる老婆が座りながら小便を垂れ流しています。窓口でチケットを買えば、ホームレスが「釣りをくれ」と寄って来ます。しつこいようなら無言で睨んでやりましょう。階段には寝ている人がよくいるので、歩きづらいですが踏んづけないように注意しましょう。トイレの洗面台で真っ裸になって体を洗っている人もいます。彼がホモの場合もあるので気をつけましょう。とろんとした目で座り込んでいる人はヤク中なので目を合わせてはいけません。お金をせびられます。夜になると待合室で待っているだけでお金をせびられます。昼間でもボーッと立っているだけでせびられます。ほな、どないせいっちゅうねん、とおっしゃる方もいるでしょう。コツはさっさっと早足で歩き、せびられたら無視することです。英語が分からないふりをするのもいいでしょう。カラテの型をやるのもいいかもしれません。それでもしつこいようなら、相手はどう猛といえども人間です。脅えた態度を取ってはなりません。じっと目を見つめて(これが肝要です)25セントを渡して素早く逃げましょう。それにしても日本のホームレスはおとなしいのに、何でインドやアメリカはあんなに戦闘的なんでしょう?まだまだ日本はホームレスといえども裕福だということなんでしょうか。1階のバスの待合室には「今夜泊まる場所のない人はここに来て下さい」というプレートがあり、住所が書いてあります。マンハッタンにはシェルターと呼ばれるホームレスのための宿泊施設がたくさんあります。そこではベッドがあり、簡単な食事も給されるのですが、いかんせん喧嘩や盗難(靴とかが多いようです)が多発するので敬遠する人もいます。そんな人はこの待合室で寝るのでしょう。
 私はここに来ると、いつも天王寺駅を思い出します。現在は都市開発計画で天王寺駅もその界隈もずいぶんときれいでおされになりましたが、一昔前はもっとホームレスが多く、殺伐としていました。自分でもよく分かりませんが、ニューヨークに来るたびに私はポート・オーソリティに足を向けてしまいます。何をするでもなく、ただターミナル内を歩き回るだけですが。
 もし、神さまに名前があるのなら、どんな名前なんだろう
 俺たちは神さまに向かって、その名前を呼ぶんだろうか
 神さまとその栄光を目の前にして何を尋ねる?
 もし一つだけ尋ねるとしたら?
 
 ああ、神さまは貴い
 ああ、神さまは良きもの
 もし、神さまが俺たちのうちの一人だとしたら?
 俺たちのうちの薄汚いやつだとしたら?
 家に帰るバスの中の見知らぬやつだとしたら? 
 もし、神さまに顔があるとしたら、どんな顔なんだろう
 見てみたいと思うかい?
 もし見ることが信じることと同じだとしたら?
 天国やイエスさまや聖者やぜんぶの予言者たちを
 ひとり天国へと帰ってゆく
 電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
 
 聖なる転がる石のように
 ひとり天国へと帰ってゆく
 家に帰る途中みたいに
 電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
 「One of us」ジョーン・オズボーン (1995年「RELISH」収録 ドリアン長野 訳

#35 NY地下鉄編 (リターンズ)
2012-10-01 | Weblog
#35 NY地下鉄編

at 2004 01/23 21:36 編集

 地下鉄は楽しい。メタリックでアーバンである地下鉄は輸送手段に徹していて媚びないところがクールでもある。私は地下鉄が大好きだ。地下鉄のある都市に行けば必ず乗る。用がなくてもとにかく乗る。今までいろいろな国で乗った。香港ではなぜか下駄履きで乗った。肩を叩かれたので振り向くと、若い男が私の下半身を無言で指差している。見るとズボンのジッパーが全開していて恥ずかしい思いをした。ソウルではおじいさんに声を掛けられた。私が日本人だと分かると日本語で身の上話を始め、それが延々と続いて閉口した(今思い出したけど、何で地下鉄の便所内にコンドームの販売機があるとですか?)。ロンドンのチューブでは騒いでいるガキに注意したら、「asshole !」と言われた。ロサンゼルスの地下鉄には改札がない。無賃乗車していたら、たまたま検札に遭い、必死で英語の分からないふりをした。このように輝かしき栄光の地下鉄人生の王道を歩んできた私のことを、地下鉄の達人と呼んでくれても一向に差し支えない。そして世界中の地下鉄の中で唯一24時間運行なのがニューヨークである。いわば、地下鉄の中の地下鉄、キング・オブ・地下鉄といってよいだろう。地下鉄を制するものは世界を制す(ホントか?)。
 ニューヨークの地下鉄は何といっても殺伐としているところに趣がある。ホームには電話が何台も架設されている。これらは犯罪時の緊急用だろう。便所は犯罪防止のためにその多くが閉鎖されている。タイムズ・スクエアの駅なんかムッとアンモニアの臭いが鼻を突く場所もある。我慢できずに立ちションしている輩がいるらしい。車両は落書きされても消すことのできるニュータイプが日本から輸入され、名物だったジャクソン・ポロックのようなアクション・ペインティングは見ることができなくなったので残念だ。ニューヨークは人種のるつぼ(メルティング・ポット)ではなく、人種のサラダボウルだと言われて久しいが、ダウンタウンからアップタウン行きの地下鉄に乗ってみるとそれがよく分かる。ウォール・ストリートでは白人が多く、チャイナタウンのあるキャナル・ストリートに停まると中国系がどっと乗り込んでくる。ミッドタウンになると再び白人が多くなり、ハーレムに入ると黒人が多くなる。各人種が融合しているわけではなく、中国人街、韓国人街、イタリア人街、インド人街、ギリシャ人街等と住み分けができているのだ。そういえば夜、間違えて急行に乗ってしまい、慌てて降りた所がサウス・ブロンクスのサイプレスという駅だった。ホームには誰もいない。乗り換えるために地上に出ると、周りにあるビルというビルが焼けただれていた。あん時はビビったな。何しろ、火災保険をせしめるために放火する奴がいるらしいのだ。興味ある方は落合信彦の「アメリカの狂気と悲劇」をお読み下さい。 http://amzn.asia/7gEH0wZ
 地下鉄は24時間営業とはいっても、夜の9時過ぎてから乗る人はめったにいまい。日中でも路線によってはホームに人がいなくなる駅もある。ホームには「Off Hour Waiting Area」が設けられていて、ラッシュ時以外はそこで電車を待つ。何てことはないのだが、ホームの中ほどにあって、乗客もそこに集まるから少しは安全だ。夜になると警官が乗車してくるので、乗客は彼等の乗っている車両に乗る。駅で乗客のほとんどが降りてしまい、警官もおらず2、3人だけが車両に残っている場合なんかとても緊張する。そんな時に限って、向かいに座っている男がじっとこちらを見つめているような気がする。私はおもむろにポケットからガムを取り出し、それをくちゃくちゃと噛みながら、俺は生っ粋のニューヨーカーなんだぜというポーズをとる。ついでに指の関節をポキポキと鳴らし、俺はカラテのブラックベルトだぜ、俺のパンチはピストルの弾丸より早いぜと威嚇(のつもり)をする。時おり軽くシャドーをしながら、最近ケンカしてねえなあ、体がうずいてしょうがねえぜという雰囲気を目一杯表現する。そいつが次の駅で降りてしまうと、どっと疲れる。我ながらバカみたいだ。もう何年も前のことになるけど、ある雑誌が地下鉄内で身の危険を感じた時の対処策は? というアンケートをニューヨークに住む女性にしたことがある。第一位は「鼻クソをほじって、アホのふりをする」(藤山寛美?)だった。これは効果があるかもしれん。
 犯罪が多発する地下鉄ではあるが、面白いのは何といっても乗客を観察することと、ストリートミュージシャンだ。ロック、ジャズ、ポップス、ダンス、毎日いろいろなパフォーマンスが楽しめる。黄昏どきに構内のどこからかサックスの音が聞こえてくると、ニューヨークだなあと思う。ある時、黒人女性が改札の前に座ってボンゴを叩き始めた。人が徐々に集まってくる。興が乗り、観客の黒人女性が手をひらひらさせて踊り、ヒスパニックの女が腰をくねらせて踊る。他の者はリズムを取り、手拍子をする。30分もの熱演が終わると、いっせいに拍手が起きた。駆け寄って抱きつく人もいた。そのあと電車に乗っていたら、黒人の男が乗り込んできた。小さな紙切れを口に当て、息を吹きかけて音を出している。メロディーはバットマンのテーマだ。でも、誰も「またか」というような顔をして見ようともしない。続いてコメディアンの物真似を披露したが...................し~ん。ううっ、寒い。寒すぎる。おひねりをもらおうと通路を回るが、もちろん無視されていた。思わず、「あほんだらっ! お客さまからゼニをいただこうと思うんやったら、芸を磨かんかいっ!」と桂春団次風に心の中で罵倒する私でした。
 地下鉄はどこまで行っても、何回乗り換えても同一料金だ。改札はトークンを入れ、ターンスタイルという金属のバーを押して入場する。そういえば、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク物語」というアルバムは原題が「Turnstiles」だったな。ある日、いつものように地下鉄に乗ろうと、トークン売場に1ドルを出した。窓口のおばちゃんは「15セント足りないよ」と言う。なにいっ、市の職員までがボる気かっ、さすがニューヨークだ、とわけの分からん感心をして身構えると、おばちゃんは無言で背後の壁を指差した。壁に貼ってあるポスターには「地下鉄料金、本日から値上げ。1.15ドル」と書いてあった。

#36 NYホテル編 (リターンズ)
2012-11-01 | Weblog
NO36 NYホテル編

at 2004 01/30 21:59 編集

デトロイト空港着。国内線のニューヨーク行きの便に乗り換えるため、入国審査の列に並ぶ。長い列はそれでも徐々に何事もなく捌かれていき、やっと私の順番になった。しかし、私の入国カードを見たウーピー・ゴールドバーグ似の審査官の目がキラリと光った(ように見えた)。ウーピーは失礼にも私を無遠慮に眺め回し、質問してきた。 「旅行は一人で?」「アメリカは初めて?」「ニューヨークを選んだ理由は?」 私は「○○の買い付けに」と答えてやろうかと思ったが、むずむずする口を押さえた。冗談でもそんなこと言ったら、奥の部屋に連れていかれかねん勢いだ。あげくの果てに日本人スッチーまで呼びつけて何か尋ねている。周りの乗客は私を不審そうに見ている。あの男、テ〇リストじゃないかしら、まー恐いわね、そういえば見るからに怪しそうよ、なんて思われたに違いない。恥ずかしいじゃねえか。もう乗ってやらねえぞ、ノー○・ウエス○! あっ、航空会社は関係なかったか。そこで解放されたけど、個人ツーリストは私だけだったかららしい。ほんとに、もー、いいかげんにしなさいっ! なんてことをわーわー言うてるうちに飛行機はクイーンズにあるラ・ガーディア空港に無事到着いたしました(落語家口調)。
 空港からケアリーバスに乗り、ポート・オーソリティへ。地下鉄でペン・ステーションまで行き、歩いてホテルに向かう。予約はしてなかったが、チェルシー・ホテルに泊まろうと思っていた。チェルシーは昔から作家やアーティストが根城にしてきたホテルだ。古くはO・ヘンリー、ディラン・トマス、トーマス・ウルフ、アーサー・ミラー等、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジェファーソン・エアプレインも常連だった。パティ・スミスと写真家のロバート・メイプルソープも同棲していたし、シド・ヴィシャスが恋人のナンシーを刺殺して逮捕されたのもここだ。とにかく、そんなこんなでようやくたどり着いたホテルのフロントは言った。 「満室です」 があ~ん! こんな夜中からホテル探しか~い。チェルシーの向かいには YMCAがあったが、汚くて暗くて不気味なオーラを発している。こんな所に泊まったらモーホー野郎に犯されそうだ。う~ん、こんな時は繁華街に行けばなんとかなるだろう。東京だったら歌舞伎町、ニューヨークだったらタイムズ・スクエアだっ! てなわけでタクシーをとばし、安そうなホテルを片っ端から当たったがぜ~んぶ満室だ。うえ~ん、わしはトルコで猿岩石を探す室井滋かい(ふるっ!)。アジアだったらこんな苦労はせんでもいいのに。と裏通りを歩いているとびっくりした。シャッターを降ろした店先で白人女性が寝袋にくるまって一人で寝ているのだ。まあ、ここは人通りが少ないから安心かもね。ってそんな問題ちゃうやろっ! あんたもホテルが見つからんかったんかい。けど、ここはニューヨークのど真ん中やぞ。こんな所で寝てたらレイプされるぞ、ねーちゃん! (後にも先にもあんな大胆なバックパッカーを私は見たことがありまへん)
 それから2時間後、「NEWYORK INN」というきったねえ連れ込み旅館のようなホテルを見つけた。フロントのパキスタン人は「空室はあるよ」と言う。やれやれだ。でも値段を聞くと、「一晩100ドルだよ」。何でこんなホテルが100ドルもすんねん、足元見やがって。ボったくってんじゃねえぞ。 「年末料金でね。ボスの命令なんだ。さからったら首だよ。ほら、その証拠に」とパキスタンは宿泊リストを見せる。みんな確かに100ドル払っている。一応部屋を見せてもらい、一晩だけ泊まることにした。だけど、隣の部屋の奴らは騒いでいて声が筒抜けだし、床にはゴキブリも走っている。私は思わずトム・ハンクス主演の「ビッグ」という映画を思い出したね。主人公の少年はあることがきっかけで体だけ大人に成長してしまう。元の体に戻るためにニューヨークに一人で行くのだが、初めて泊まったホテルは汚くて物騒な所だ。部屋の外からは喧嘩の怒鳴り声が聞こえてくる。彼は恐くて心細くてベッドで身をよじりながら、めそめそと泣き出してしまうのだ(もちろん大人の姿のままで)。あの時に撮影で使ったホテルはここじゃねえのか、と思ったね。それでも野宿するよりはマシだけど。
 翌朝、ふん、こんなボロっちいわりにバカ高いホテルなんか二度と泊まるかよ、あたしを見くびるんじゃないよ、とばかりに憤然とチェックアウトし、ミッドタウンで宿探しをした。20軒近く当たったが、なんと一軒もなし。ぜ~んぶ断られた。仕方なく昨日のホテルに戻る。フロントにはまたパキスタン。 
 「まいっちゃったなあ。ニューヨーク中のホテルを探したけど、ぜんぶ満室だって」(ちょっとバツが悪い) 「今日は空室はあるかなあ~?」(低姿勢) 「どうかな、今調べてみるよ」とパキスタンはパソコンでチェック。思わず、「Have a heart(おねげえしますだ)」と泣きつく(情けねえ)。「もちろん僕はビッグなハートを持ってるさ」となぜかにやりと笑う。「え~っと、空いてるよ。一晩116ドル」 ぎえ~っ! 昨日より高くなっとるがな! 「今日は大晦日だからね。ボスが......」 「あー、分かった、分かった」
 結局、ニューヨーク滞在中はずっとそのホテルに泊まるはめになった。んでもって今回の教訓。「ニューヨークに行く時はなるべくホテルを予約してから行こう」(って、当たり前すぎて突っ込む気にもなれんわ!)

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、旅の定番ニューヨーク旅行記です。ドリアン長野は80年代にインドばかりかNYC(ニューヨーク市)にも行ったようです。
NYCの冬は天候不順が多いらしいから良い防寒着を日本国内にいる時に購入し着用するようにしましょう。
バスターミナルに行くのが目的なのかそうではなく他の目的地に行くかについては人それぞれですが治安が悪い街は避けるようにしましょう。
海外か日本かを問わずに地下鉄等の公共交通機関が利用出来ると安心です。自動車位しか利用出来ない町は交通事故が発生すると危険なのが理由です。昨今、NYCの地下鉄の料金や支払い方法は1980年代と比較して激変しました。その点についての詳細は各自で調べてください。
ホテルの予約ですが日本にいる間に絶対に済ませておきましょう。万が一の事があるとよろしくないです。
ニューヨーク州とニュージャージー州が隣接してるのは有名であるばかりか日本から目的地への直行便が無い場合は乗り継ぎが不可避で日本から一旦ミシガン州デトロイト市に立ち寄ったそうです。入国審査は非情に厳しいですね。

ドリアン長野の海外旅行記(ヤフーブログ版)

管理人 マーキュリーマーク

追伸 ドリアン長野は平成26年にもニューヨークに行って来た事を連想してました。

大晦日のニューヨーク 平成26年11月 
2014/11/20(木) 
もう何年も前のこと。大晦日のニューヨーク。夕方空港に到着。タクシーでマンハッタンに行き、チェルシーホテルに泊まろうとしたが、まさかの満室。それからホテルを片っ端から当たったが、どこも満室。おいおい、話し違うがなと思うが悪いのはわしやがな。ニューヨークはアジアとは勝手が違った。繁華街なら空いてるだろうとタイムズスクエアへ。足を棒のようにして歩き回るが、この辺りも満室だと軒並み断わられる。ほとほと疲れて裏通りを歩いていたら、うら若き白人女性が寝袋にくるまって歩道に寝ていた。アジアでは珍しくないが、深夜近くの身を切るような寒さのニューヨークである。やるなあ、と思いつつ私は寝袋を持ってないので、それから一時間ほどウロウロして、やっと汚ない貧民窟のようなホテルに泊まることができた。

マレーシア旅行記(ヤフーブログ版) 2018/1/28(日) 午後 9:31

マレーシア旅行記(ヤフーブログ版)
 #10 ドリアン
 人は非日常的な体験を求めて旅に出る。海外ならなおさらだ。しかし、それが食文化になると頑なに自国の食生活に固執する人がいる。たとえば、欧米人なんかがそうだ。彼らは外国においても朝はトーストとハムエッグ、昼はマクド(関東地方だったらマックよね。おされだわ)というスタイルを崩そうとしない。マーブンクロンのクーポン券式大食堂には欧米人の姿も見かけるけどな。大半は一、ニ度料理を食べてみて後はコーラとハンバーガーってとこだろう。君たち、それで満足なのか? 私はイギリスではフィッシュ・アンド・チップス、アメリカではステーキとハンバーガーを食い続けたぞ。まずかったけど、それでも我慢して食ったわい。(我慢して食うなよ)
自国以外の食生活に興味を持たんから、鯨を食う日本人は野蛮だなんてぬかすんじゃい! 「美味しんぼ」の海原雄山も食はその国の文化だとゆうておろーが。私はある国に行ったら、その国の人間が食べている物を食い倒すぞ。フィリピンやベトナムでおやつがわりに食べてる、孵化寸前の鶏の卵は塩をかけて食うとうまいんだよっ! 海外番組のTVリポーター(女優)は「いや~ん、気持ちわるう~い」とか「やっだあ~、ざんこくう~」とかぬかしてんじゃねー! アラブ人街に行ったら、羊の脳みそのカレー煮込みが安く食えるぞ。ベトナムでは時間があれば、センザンコウでも犬でも食いたかったわい。イサーン地方では虫も食べる。カオサンやラーチャダムヌーン・スタジアムの前やナナ・エンターテイメント前の路上に行けば、屋台でいつでも売ってるぞ。メーンダーは黒くて一見するとゴキブリに似ているがタガメだ。羽と足を取り、歯で身をしごいて食べる。その他にはバッタのフライとかコオロギとかカイコのさなぎとか赤アリとか、全部スナック感覚だ。もちろん、私の口に合う物もあるし、合わん物もある。だが、口に入れてみなければ味は絶対にわから~ん! 食わず嫌いはいろんな事を損してると思うぞ。
日曜日の夜の「世界ウルルン紀行」はタレントがいろんな国へ行って、一週間ホームステイするという番組だ。お世話になった家族と別れるシーンで私はいつも号泣してしまう。下條アトムのナレーションが泣かせるんだ、これがまた。ある日の番組では某男優がアフリカの某国に行った。その国では牛がとても重要な役割を担っているわけだよ。畑を耕したり、牛乳を飲んだりはもちろん、牛糞を燃料にしたり、家の壁にしたりな。それどころか、尿をシャンプーにもするし、飲んで胃に収めてから吐き出して胃腸を整えたりするのだ。その男優がそれに挑戦した。牛の泌尿器の下に容器を構え、おしっこを受ける。男優は容器になみなみとつがれたおしっこを眺めた。さあ、どうするんだ? 本当に飲むのか? 私は手に汗握って見つめたね。彼は一瞬ためらったが、ついにうぐうぐと飲み干し、そして吐いた。司会者に「どんな味でした?」と聞かれ、彼は苦いような、しょっぱいような、とにかくすごい味でした。その味が今でも口に残っています、と答えた。私は猛烈に感動したね。これが感動せずにおられよかってんだい。世の中には健康飲料だと称して己のおしっこを飲むやからがいるが、自分のでも躊躇すんのに、ましてや牛のおしっこだぜ。サムライだね。えらいもんだ。郷に入っては、リーに従えとはこのことだっ!(離婚したけど)さすがの私でもおしっこまでは飲めん。そこでドリアンだ。フリが長かったな。ドリアンを屁のにおいだとかウンコくさいとか言うやつは、牛のおしっこも飲めんくせにグタグタぬかすんじゃねー!(無茶苦茶)
ドリアンは確かに強烈なにおいがする。バンコクの「ロビンソン」で買ったドリアンをリュックに隠し、日本に持って帰った。(見つかると税関で没収だからな)機内でもリュックを開けるとガスのにおいが漂うので、冷や汗もんだったさ。その密輸入したドリアンを会社の同僚が食べてみたいって言うので、親指大をアルミ箔で包み、ビニール袋に入れて会社に持って行った。ロッカー室で包みを開け、食べさせてやった。その後、会社の人が「ガスくさいぞ。ガス漏れしてるんちゃうか」と騒ぎ始めたのだ。本当のことを言うに言われず黙っていたら、誰かが電話したんだろうな。大阪ガスの車がやって来てガス漏れの点検をやり始めた。しばらく調べていたが、もちろん異常なしで帰っていった。恐るべし、ドリアン! 今でも会社の人には真実を伝えていない。でもさ、ドリアンアイスとかドリアンスナックとかドリアンキャンディーとかドリアン羊羹(がバンコクの伊勢丹で売っとるのだが、これはさすがに食したことはない)はうまいとは思わん。ドリアンの身上はにおいではなく、カスタードクリームを濃厚にしたような 、あのねっとりとした果実だ。これぞ、キング・オブ・フルーツ。ドリアンを食べるためだけに、タイに行く人の気持ちが私はよく分かるぞ。ドリアンを食べていると私は幸せになる。納豆やくさやの干物を好んで食べる日本人が、においだけで毛嫌いするのはどういうわけだ。
マレーシアに行った時、屋台にドリアンを食べに行った。買ったその場で食べていると、「ドリアン、むっちゃ、うまいわ~」 「ほんま、最高やね~」という大阪弁が聞こえてきた。見ると、屋台のテーブルで女の子が二人、必死の形相でドリアンにむしゃぶりついていた。クアラルンプールは退屈な街だったが、その時の光景だけはよく覚えている。

NO44 ウタダ
at 2004 04/02 23:49 編集

I was out stumbling in the rain staring at your lips so red.
よろめき出ると、雨。なんて赤い、あなたの唇。
   
小生、過日久しぶりにテレヴィジョンを聴こうと思い、セカンド・アルバム「アヴェンチャー」を引っ張り出した 。一曲目の「Glory」。冒頭の詩はその一節。

語順に訳出し、体言止め。赤い唇のなまめかしと、雨の冷たさの対比が、いい。訳詞をしたのは岡田英明と、ある。岡田氏は、かつて「ミュージック・ライフ」誌上で、ピストルズの「プリティー・ヴェイカント」をWe are pretty oh so prettyと繰り返し、そこでvacantと言葉の意味が逆転するのは痛快だ、という意味のことを書いていたが、彼はそこでprettyという単語を正しく理解していたのであり、なんじゃ、そらあたり前やんけと言う人もあるやもしれんが、事実はそうでは、ない。ピストルズは正式なスタジオ・アルバムは畢竟(ひっきょう)、一枚しか捻出していないにもかかわらず、ライブやデモテープやセッション、はてはインタビューなどのCDがそぞろ出ているのであって、もちろんその都度、訳者が違う。その中に、「オレ達は素敵だ」と訳し、その後に何の脈絡もないvacantと言う単語が来ているのに戸惑い、狼狽し、苦心した挙げ句、「だけどかなり抜けてるけどね」等と言う訳詞を恣意に捏造し糊塗しているのを何度も、読んだ。これはもちろん「乃公 (だいこう)等は全くの何もない、カラッケツのカラッポ」だと歌っているのであって、まだある、同じ曲の中に「0ut to lunch」(時流に遅れた)という文言があるが、これを「さっ、昼メシに行くぞ」とあって、小生、全く弱り果てる。プロレスラーの藤原喜明がカール・ゴッチに「大工はノミを磨き、石屋はハンマーを磨く。キミがレスラーなら体を鍛え、大切にしなさい」と言われ、爾来(じらい)、それを座右の銘にし、肉体の鍛練に努めたというが、もちろん、なにがしかの報酬を受けとっているのであれば、プロというのであって翻訳者も日本語と外国語の言葉を鋭意、磨かねばならぬ。
                                  
よくブルースやゴスペル、ジャズ、レゲエ等等という、所謂(いわゆる)、黒人音楽と称される楽曲をやっている我が朝の人が「私は黒人に生まれれば良かった。私はなぜ日本人であることか、私はなんと不幸なんだろう」と、おっしゃる人をたまさか見聞するが、小生、これを聞くと「ふざけんな大馬鹿野郎。プリンの角に頭を打って公民権運動前のアメリカ合州国南部かアフリカ西海岸の奴隷船の黒人にでも生まれ変わってきやがれ」と悪態をつきたくなるのであるが、もちろんアフリカ黒人にもインド黒人にもアメリカ黒人にもアメリカ白人にも中華人民共和国人民にも日本人にもスペイン人にもアイルランド人にもああめんどくせえア・ポステリオリに自分たちの生活、風習に基づいた文化というものがあり、宗教でいえばキリスト教とアフリカの呪術に高度低度の違いはないという考え方で、これを文化相対主義というのであるが、これが正しいのかどうかはひとまず置いといて、日本人が黒人の文化をそっくりそのままいただきって感じでサルマネしてもこのアホンダラそれが何になるの、って感じで。
 拙者が大学で英文学などというヤクザなものを専攻しておった頃。第ニ外国語という面妖なものを単位取得せねば卒業は罷(まか)り成らんとの仰せで仏語、独語、西語、支那語から取捨選択せねばならんということに相成った。英文学専攻の学生は仏語を選択するのが慣例、などと通達用紙に記載されておったのだがケッ、て感じで、結局僕は西語を選び勉学に刻苦精励することになった。理由は以前紐育はハーレムという地をぶらぶらと散策していた時、そのラテン・アメリカ人の多さとあらゆる表記に英語と西語が記されているのを目撃し驚いたからであるが、それはさておき、西語の先生は詩人のアレン・ギンズバーグに風貌がそっくりであったので僕は大いに怪しみ、この人はどこぞの人ぞ?と訝(いぶか)しがったのであるが日本人であることが判明し僕は安心立命した。何ぞ? 
その西語の授業中、僕はコンサイス英語辞典を机上に置いておったのであるが、先生は僕の席を通りがかるおり、ひょいとその辞書を手に取り、しげしげと、と見こう見されるのである。僕は西語の辞書を放擲(ほうてき)していたことに対し、叱責されるのかと鞠躬如(きっきゅうじょ)としておったのであるが、あに図らんや先生は「これはすごいですね」と目を細め、その辞書をためつすがめつされるのである。僕は仰天した。中学生から使用している辞書なので韋編三絶なのは当然といえば当然なのであるが、僕はそんなことに関心を示される先生に感銘した。さらに先生はこうも言われたのである。「私はこのような西語の辞書を三冊持ってます」と。僕はますます感銘を受けた。感動のあまり、「そのくらい辞書を活用しなければ語学は習得できないのでありますね」という意味のことを口走ったのであるが、「いや、まだまだです」と先生はおっしゃられるのである。先生の学問に対する真摯(しんし)な態度、一求道者たらんとする先生の孤高の精神に僕は尊敬の念を覚えたのである。
僕の寝室兼書斎には、あまたの辞書が参差(しんし)乱雑しておる。「リーダーズ英和辞典」「アメリカ俗語辞典」「アメリカ口語辞典」「アメリカ新語辞典」(これは図書館からガメてきたやつ)「最新和英口語辞典」「スピーキング英和辞典」「Give Get辞典」「The dictionary of Comtemporary SLANG」「英語図詳大辞典」「英和翻訳表現辞典」「最新英語情報辞典」「早見優ちゃんの英語にしてみたゲンダイ用語辞典」だってあるし「現代フランス語辞典」「現代スペイン語辞典」「広辞苑第三版」「新選漢和辞典」「新明解国語辞典」「イミダス」に「現代用語の基礎知識」だってある。三島由紀夫は「辞書は引くものではなく、読むもの」と言ったが、いかにも辞書は読んでもおもろい。はは。
僕は成人式のお祝いに市から国語辞典を頂戴したのであるが、僕と同年代(当たり前だ)の阿呆の餓鬼どもはその辞書を毫(ごう)も有り難く思わず、放擲していたに違いないことは想像に難くない。その頃、文学などに入れ込んでいた僕は意味不明の文言が出てくると逐一、辞書を引いて確認していたのである。そうして使用していた辞書は一年を俟(ま)たずしてボロボロに朽ち果てたのであるが、僕の日本語の語彙は飛躍的に伸びたのである。イエイ。
ともあれ、西語は三年間授業を受けたのだが、拙者、西語で覚えた文章は「私の父と母は西語を話すことができます」だけである。嗚呼、やんぬるかな。アディオス。
 
わが君にわけは恋ふらし
わがせの君は涙ぐましも

自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。自分はクアラルンプールの「タワー・レコード」で宇多田のテープを邦貨、六百円で購った。そしてセレンバンという街を目指し、列車に乗った。その街に目的若しくは所用があったわけではなく、車窓から街並の風景、乃至市井人の生活というものを打ち眺めてみたかったのであり、それには日帰りで逆旅(げきりょ)に帰館できるセレンバンは都合がよかったのである。車窓からは、なるほど森林を伐採して作られた都市だと実感できるほど、熱帯多雨林が生い茂り、抜けるような蒼穹に入道雲が棚引いておる。春霞棚引く山を君が越えいなば。眩しい陽光の中で宇多田の湿ったリズム・アンド・ブルースの唱法は妙に合った。聴いているうちに、自分は不覚にも涙を流していた。    

 沢木耕太郎の「書物の漂流」というエッセイは、こういう書きだしで始まる。
「小説を読んでいて不覚にも涙を流しそうになったことがある。確かにそれが物語の中段とか終局においてというなら別に珍しいことではない。取り立てて口にするほどのことでもないだろう。その時、私は第一章の第一節の第一行目を読んでいたのだ。第一行目の活字を眼にした時、不意に胸が熱くなってしまった。驚いた。狼狽したといった方が正解かもしれない。_私は山本周五郎の『さぶ』を読んでいたのだ。」

シルクロードを西に向かって歩いていた沢木は日本人旅行者から一冊の文庫本を貰う。それが『さぶ』だった。彼はチャイハナでその本を読み始めるが、一ページ目が終わらないうちに、その先を読み進むことができなくなってしまう。
「いまとなれば、その時の動揺は山本周五郎の文体の力によってもたらされたものに違いない、と考えることができる。靄のようにけぶる小雨、両国橋という名の橋、さぶという名の若者、橋を渡るという感覚。一片の雲もなく、一滴の雨も降らない中近東の砂漠にいる私には、それらのすべてがひとつの世界を現前させる激しい喚起力を秘めていた。しかもその世界は、遠ざかりつつあり再び戻ることはできないのではないかと怖れていた土地の、鮮やかな象徴として現前したのである。」

何百日か後、戻れないのではないかと怖れていた日本に帰った彼は再び『さぶ』を手にするが、あの時の胸の熱さを経験することはなかった。
「しかし、」と彼はいう。
「文庫本の『さぶ』は、いまでもなお、シルクロードをゆっくりと往き来しているかもしれないのだ。そう思うと、ほんの僅(わず)かだが、胸が震える。」
自分は宇多田をバスの中で、逆旅のベッドの上で、繰り返し聴いた。聴くたびに日本のことを想った。それはアメリカン・スクールに通う彼女(当時)が、亜細亜の片隅にいる自分に日本人であることの認識を強いたからだ。

「マリリン・マンソンとはアメリカの闇が生み出した怪物だ」
(マリリン・マンソン)
ベルリンの壁崩壊以後、喧(かまびす)しくなってきた感があるが、人種、宗教、文化、言語に関係なく世界中の人々は融和して住むことができる、宇宙から地球を眺めてみれば国境線なぞなかった、僕達は地球号という一蓮托生の船に乗ってる地球人であるから争いはやめよう、ウイー・アー・ザ・ワールド、ウイー・アー・ザ・チルドレン、国境なんぞがあるから戦争、紛争が起きるのだ、反戦、平和、自由、平等、人権が人類にとっての普遍の真理であるから反権力、反国家、もう国民という言葉を使わず市民と言おう、これからは草の根運動だ、一個人が輝く時がきた、国籍を捨て、国際人になろう、等という輩(やから)がいる。妄言である。自分はかかる妄言を吐く人種を信じぬ。「イマジン」から「アナーキー・イン・ザ・U.K」、マリリン・マンソンまで、ロックの一部分は無政府主義を標榜し、国家の解体を宗(むね)としてきた。(ただし後年ジョニー・ロットンはアナーキズムなんて中産階級のマインド・ゲームだと言っていたが)国家が消滅すれば、より紛争及び戦争が勃発するということは自明の理であり、国家すなわち権力であるから他国を侵略する力を有するという民主主義やその漸進形態である共産主義の謂(いい)は笑止である。しかし、自分はイラクの空爆に賛成である。かかる非人道的な行為を看過できぬ。人権思想を持つ、アメリカやヨーロッパの民主主義国家が空爆を決議したのは当然だ。それならば、インドにはサティーという文化(culture)『人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住を初め技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容とを含む』(広辞苑)がある。夫に死なれた未亡人は生きたまま焼かれるという文化だ。法律では禁止されたが田舎では今でも実施されている。全ての文化を等価値だとする文化相対主義者はサティーを容認できるか。そして民主主義者は人権、平等、女性差別撤廃の名においてサティーを絶対に容認できまい。この悪魔の所行を根絶するために民主主義国家はインドを空爆しなければならない。それができなければ、民主主義は恣意的な思想(イデオロギー)だと言われても仕方がない。アメリカよ、インドを空爆せよ。

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表したマレーシア等について述べた海外旅行記は複数の国々を旅行してきた思い出と食品の評論を混在させたお笑いエッセイのような作品ですので余り真剣に読まないようにして下さい。脚色が加えられてる部分が数多いと思います。従って、現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。半ば例外的かもしれませんが、日本国内でもドリアンは複数のお店で販売されてますから皆さんも一度は購入されましたかね?ま、ドリアン長野がドリアンについて語ってましたね。
 皆さん、人が何を食べるか食べないかについて第三者は強要してはいけません。なぜなら、国の内外を問わず法規制や食品アレルギーや宗教上の理由で食べないようにしてる食品があるからです。一方で海外旅行の時においしい食事をされた経験は良き思い出になります。
日本国内では一般的ではない食品を食べる事を私は第三者に強要したくありませんしされたくもないです。
 ドリアンは日本国内の複数のお店で一般的に販売されるようになってます。お笑いエッセイなので実際には日本で購入したと思います。TV番組のウルルン滞在記は平成十年代にとても人気があったので今でも人々の記憶に新しいと思います。(再放送はBS-TBSで平成25年春迄行われてた)食品は海外においても食べ慣れてる食事が重要ではないでしょうか?
 明日、何が起こるかは誰にも分かりませんが国境紛争は多いです。平成29年二月にマレーシアで北朝鮮が行った暗殺事件の影響は大きい。

マレーシア、在北朝鮮大使館を閉鎖へ :日本経済新聞 https://t.co/E4hSYOuEmR
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年10月29日

管理人 マーキュリーマーク

平成30年1月第五月曜日  2018/1/29(月) 午前 6:49 
本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。


飲酒運転は否定されてます。

東京スカイツリーの関連商品を販売するのは良いが中身は山形県産だそうです。

世界を見渡すと、アパレル製品を製造してる労働者搾取工場は多いです。安い給料で長時間労働を強いられてます。買うか否かは各自でご決断ください。

ブロッコリーが山積みになっていた場合、一つ取るだけで崩壊しそうで困りますね。

雪が白米を作り出すような?実際の所、雪解け水が無いと農作物の栽培は出来ません。

冷やした豆腐は冷奴。直訳したらcool guy .かもしれないが誤訳になる。日本語と英語は、言葉の概念が違いすぎる。

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周知されてるが今年の四月一日は日曜日です。平成30年四月二日の月曜日に平成30年3月下旬の投稿について語るとgooブログでは翌日(四月三日)に自動投稿が行われるようになってる。そういった事情から平成30年四月四日以降から投稿する回数を減らすことになりそうです。
(追記 gooブログ上でのつぶやきの自動投稿は平成31年こと2019年の4月に終了しました) それでは、皆さん、良い一週間を過ごしてください。

クロントゥーイ市場 (ヤフーブログ版)  2018/1/29(月) 午後 10:16 
#8 クロントゥーイ市場 (ヤフーブログ版)

【バンコク】クロントゥーイ市場

 私は市場やスーパーやコンビニやデパートに行くのが好きだ。行って何をするのかというと、生鮮食品や加工品や日用品を見るのである。見るだけで楽しいので、買い物はあまりしない。日本人が集まる「伊勢丹」や「フジ・スーパー」もいいが、私のお気に入りはスクンビット、ソイ5にある「フードランド」(ここにはカウンター方式のダイナーがあるが、午前2時、3時でもアラブ人や白人や黒人がメシを食っている。余計なお世話だが、体に悪いぞっ、とひとこと言いたくなる)、シーロム通りとラーマ4世通りの交差点にある「ロビンソン」、チャクラポン通りの「タンフアセン・デパート」やその近くのワット・チャナソンクラムというお寺の向かいにある小さなコンビニ(店員は二人か三人の若い女性。いつもおしゃべりしている。あまりやる気なし)等だ。
バンコク市内には多くの市場がある。中華街のサンペーンレーンやアラブ人、インド人、黒人が多いプラトゥーナーム市場、インド人街のパフラット市場(ここにあるハンバーガーショップに入り、椅子に座ったら店員がヒンズー語のメニューを持ってきた。どうせ私はインド人並みに顔が濃いわよっ!キィーッ!)なんかが有名なのだが、私が一番好きでバンコク滞在中は必ず行くのがクロントゥーイ市場だ。
この市場の周辺にはバンコク最大のスラムがあり、そこを通って市場に足を踏み入れると、初めて訪れた人は気分が悪くなるに違いない。なにせ、生臭さと汚物のにおいが入り混じっているし、鶏や魚の内臓が山と捨てられてるし、道はそういった汚物と泥とでぐちゃぐちゃになってるし、かつ、ゴミがあちこちに散乱しているからだ。神経質な人は行かんほうがいいだろう。ここには鶏や豚の頭や足や内臓、野菜、果物、魚、カエル、なまず、カブトガニ、虫等、いろんな物が売られているが、私がこの市場に来るのはニワトリの屠殺を見るためだ。まず、ニワトリを釜で焚いた熱湯に放り込んで殺してから、分離器にかけて羽をむしり取る。それを半裸になった男たちが次々と包丁で解体していくのだ。私にとっては興味深い光景で、何時間見ていても飽きない。熱気と悪臭が充満するその解体場の傍らには市場の子供だろう、5歳くらいの女の子がすやすやと寝ているのだが、人間はどんな環境にも順応するんだなあと妙に納得する。
話は唐突に変わるが、モンゴルの遊牧民の生活をテレビで観たことがあった。ご承知のように、彼らにとって羊はなくてはならぬものである。何歳かになると、羊の解体を覚えなければならない。馬に乗ることと羊を捌くことができないとモンゴルでは生きていけないのだ。何人かの子供が羊を持った大人の周りを取り囲む。大人は神に祈りを捧げ、羊が苦しまないようにナイフで頸動脈を一気に掻き、大地に血を一滴も流さぬように捌いてゆく。子供たちは真剣な面持ちで眺めていて、私も神聖な儀式を観ているような気持ちになったな。で、思うんだが先進国では肉も魚も切り身になってスーパーで売られとるが、元の形を実際に見る機会は金輪際ない。うんこでも出した形状を観察すれば、それが今朝食べたものか前の晩に食べたもんかくらいは判別できるだろう。うんこなおもちて往生をとぐ、いわんや切り身をや。自分でも言ってることが全く分からんが、口にする動物の解体現場も観たことがないから食べ物を粗末にするんだっ! と私は言いたいのだ。反省しろっ、先進国の人間どもっ! なんてね、当のタイ人が食べ物を粗末にするんだもん。もう、ちょっと満腹になれば残す、残す。そんなもんすね、う~、脱力。
おまけにクロントゥーイ市場の脇に流れとる川は解体処理の水を汚物と一緒にそのまま流すもんだから、はっきり言ってヘドロ。川底からはブクブクとメタンガスが発生しとるよ。飛び込んだりしちゃったら即死だね、きっと。その上にプラスチックの弁当箱やビニール袋を平気で捨てるもんだから、環境保護団体なんかが見たら卒倒しちゃうね。地球に優しくないタイ人。でも私なんかそれを見たら何だか安心しちゃうんだけど、なぜだ?
でも、行ってみて損はしないと思うよ、クロントゥーイ市場。旅行代理店の人、ワット・ポーの寝釈迦像や水上マーケットもいいけど、ここもツアーに組み込んでみたらどうすかねえ。 

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、海外旅行中に市場に訪問されてはいかがでしょうか?普段は見かけない食品を外国で見ると楽しいばかりか食事が行えると喜びは倍増です。日本はタイランドより二時間早い時差ですが現地にお住まいの方々の食事の時間以外に食事をされる人がおられるかもしれません。又、環境の改善はどの国でも必要です。

管理人 マーキュリーマーク

大阪人と東京人の会話 平成30年1月 2018/1/30(火) 午後 8:28 

大阪人と東京人の会話
「ゴホン ゲホン」
「すごい咳ですね。インフルエンザじゃないですか」
「いやいや、インフルエンザやったらアホほど咳出てるわ」
「よくバカは風邪ひかないって言うのに真逆ですね」
「…………」
注 関西では「ものすごく」をアホほど、と表現します。https://t.co/i387tBtUPF
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年1月30日


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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花