2019年8月22日木曜日

平成30年3月のyahooブログ上の投稿

妻と飛んだ特攻兵 平成30年3月  2018/3/2(金) 午後 10:29
妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻 (角川文庫) 豊田 正義 https://t.co/UXJGkUIsL7 @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月2日

太平洋戦争の敗戦から四日後の昭和20年8月19日、南満洲の大虎山飛行場に11人の飛行兵が整列した。彼らは自らを神州不滅特別攻撃隊と称した最後の特攻兵である。
彼らは大本営の戦闘停止と武装解除の降状命令に背き、日本人居留民がソ連軍によって生き地獄に晒されている現状を見るにみかね、戦車隊に体当たりを企だてようとしたのだ。
見送りに来ている人々の中に日傘を差した白いワンピース姿の二人の若い女性が飛行機のそばに立っていた。
プロペラが回ると同時にその女性二人が、さっと座席に乗り込んだ。
目撃した人々が「女が乗ったぞ!」と口々に叫んだ。
二人は谷藤徹夫少尉の妻、朝子と大倉巌少尉の恋人、スミ子である。
特攻機に女性を同乗させるということは重大な軍紀違反だ。しかし、当時の日本軍の最大の禁忌を犯して二人の女性を特攻機に乗せたという重い事実、そしてそこまでした彼女たちの心情を歴史の闇に葬ってはいけないと切に願う。純愛、と言っては軽きに過ぎるだろうか。
「国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ」
谷藤徹夫の辞世の句
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1610865252334371?notif_id=1519990684229682¬if_t=notify_me&ref=notif

廃業の知らせ 平成30年3月  2018/3/4(日) 午後 3:42
両親が高齢のため米子市四日市町本通り商店街の長野紙店を廃業し、売却することにしました。両親は妹が住む横浜に引っ越しします。
長野紙店は長野艶子が始め、昭和34年に母、房子が養子として店に入り、艶子死去により、母が継ぐことになりました。その後、父と結婚。父の趣味もあり、プラモデルや文具なども販売することになりました。長野紙店を含め、現在プラモデルを扱っているお店は市内に三店あります。
引っ越しと閉店半額セールの準備のために帰省しています。引っ越しのため4月14〜16日にまた帰省します。皆さまで長野紙店のフィナーレを飾ってやってください。生まれ育った家がなくなるのは寂しいですけど、時代ですね。

市内にあるライブハウス。
結構ビッグネームが。


土曜夜市は米子商店街が全国に先駆けて1951年に始めました。


乱雑としてます。


お城シリーズなんかも残ってます。


ざっと数えただけで1000点以上あります。
目録を作成するのは諦めました(つД`)ノ


近所にあるイタリアンカフェ&レストラン「パッセジャータ」。
オーナー兼シェフの野島さんは母の姉の長女の息子さん(つまり親戚です)。
日本におけるイタリアンレストラン発祥の店といえば飯倉と西麻布にある「キャンティ」ですが、正直に言ってそこよりも美味しいです。
駅前にある「米子湯」。
壁絵は草原でグローブを持った子供が四人。その後ろは富士山ではなく、当然大山です。ケロリンの黄色い洗面器が積んでありました。スーパー銭湯にはない昭和感が最高です。
明治元年創業の「人形のウエダ」の上田直樹さん。妻の父の兄の娘の高校の同級生だそうです(つまり親戚です。違うか)。同じデビッドボウイファンとして話が盛り上がりました。
日本の伝統工芸品としてのその美しさは世界に誇れるもの。店内を見て回るだけでも世界的な画匠の絵を観賞するような感動があります。
そのウエダさんで三年前に父が買ってくれたとき。
現在6歳。二月末になると、出して〜とせがみます。おじいちゃんに感謝するんだよ(まだ生きてます)。
昨日電話したときに「お土産何がいい?」
と聞いたら、「パパはお金持ってないからいい」と言われました(泣)。
夜は蟹味噌ラーメンを食べました。山陰ならではの贅沢だなあ。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1612633688824194?pnref=story

平成30年3月第一月曜日  2018/3/5(月) 午前 0:33 

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 

http://twilog.org/duriannagano

精肉といっても色々ありますね。

電源スイッチに印字されてる内容が万人向けでないと混乱しますね。

iPhone Xはアイフォンテンと発音する。

ししゃもはおいしいですね。

傲岸不遜なお店には行けない。時々、苦言をていする人がいて「管理能力を疑いますね。」という発言をされる人がおられるのを連想する。

ぬいぐるみをカーテンの代わりにしてる人がいるようです。

第二次世界大戦が終わった後で特攻攻撃をした夫婦がおられるそうです。

大変心苦しい決断であったとは思うのですが、ドリアン長野のご両親が経営されてる米子市のお店を閉店される決断を下されました。
もし、お近くにお住まいの方は是非一度お店に行ってみてください。

長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85
電話: 0859-22-2620

ご連絡

gooもyahooも民間企業です。現在は両者を利用してます。率直にお伝えしますが、将来的にgooブログばかりかyahooブログが無料ブログを辞めて完全に有料化に踏み切ることになったならば、退会はやむを得ないと考えております。

将来的に追加される可能性はあり得ますがドリアン長野が執筆した海外旅行記はおよそ12万文字なので並みではないです。私の海外旅行記は一回だけですがおよそ6万文字です。

yahooブログ上では円滑に国毎の海外旅行記を読めるようになってます。今月中にgooブログ上でも円滑に国毎に海外旅行記を読めるようにします。

gooブログに限っての連絡ですが、フェイスブックの投稿の埋め込みに対応してます。又、今月テンプレートを変更しました。

yahooブログに限っての連絡ですが、ゲストブックの文字数制限があるので現在発表してる内容の変更についてはこれ以上は難しいのでしたくありません。文字数制限が追加されない限り、行うとしたら削減のみです。

皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。
https://twitter.com/duriannagano/status/970658966496624640

gooブログに限ってなんですが、明日からURLが以下の状態に切り替わります。

https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano

それでは、皆さん、良き一週間を過ごしてください。

平成30年3月3日と4日のつぶやきとご連絡  2018/3/5(月) 午前 8:57
2018年03月03日(土)8 tweetssource
3月3日@duriannagano
地球の歩き方ニュース@news_arukikata

「だいだい」の生産量日本一! 熱海市が「熱海だいだいプロジェクト」を展開中 | 地球の歩き方 ニュース&レポート https://news.arukikata.co.jp/column/eating/Japan/Tokai/Shizuoka/133_456128_1519807599.html?w=133#Ql62ZbE.twitter_responsive…

Retweeted by ドリアン長野

retweeted at 09:17:54

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

地球の歩き方 on twitter | 地球の歩き方 http://www.arukikata.co.jp/twitter/

posted at 09:17:27

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

今日も #クリック募金 に参加しました! → http://www.dff.jp/

posted at 09:17:12

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

キヤノン 「未来につなぐふるさとプロジェクト」クリック募金 http://cweb.canon.jp/csr/furusato/join/donation/…

posted at 09:16:59

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

キヤノンマーケティングジャパン株式会社:未来につなぐふるさとプロジェクト|はじめよう!|まもろう|まもろう みんなの活動|海岸ゴミと人間 http://cweb.canon.jp/csr/furusato/action/act4/list/040.html…

posted at 09:16:46

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

JXTGエネルギー東京2020パラリンピック応援クリック募金 http://www.noe.jxtg-group.co.jp/csr/jxtg/click-sports/…

posted at 09:16:00

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

コータリンは要介護5 車椅子の上から見た631日 – 鳥頭の城 http://toriatama.net/schedule/%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%81%af%e8%a6%81%e4%bb%8b%e8%ad%b7%ef%bc%95%e3%80%80%e8%bb%8a%e6%a4%85%e5%ad%90%e3%81%ae%e4%b8%8a%e3%81%8b%e3%82%89%e8%a6%8b%e3%81%9f631%e6%97%a5/…

posted at 09:15:30

 

3月3日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

[03月02日]のつぶやきをまとめました http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/2e77efd713ba4cd8d540d11280a15370…

posted at 07:37:06

2018年03月04日(日)6 tweetssource
17時間前@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1612632205491009?notif_id=1520138072166254¬if_t=notify_me&ref=notif…

posted at 15:49:10

 

17時間前@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

廃業の知らせ 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/duriannaganokarate/69769675.html… #ブログ #日記

posted at 15:48:12

 

17時間前@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

「廃業の知らせ 平成30年3月」 https://goo.gl/JTJB1u

posted at 15:42:58

 

3月4日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

[03月03日]のつぶやきをまとめました http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/07735919ad4a24b275e74c144461f385…

posted at 07:38:01

 

3月4日@duriannagano
ドリアン長野@duriannagano

DARAZ FM 79.8MHz|米子市のコミュニティFM放送局 http://www.darazfm.com/

posted at 00:20:38

 

3月4日@duriannagano
DARAZ FM@darazfm798

DARAZ FM 3/4 16:00-18:00 GENSHINの気になるラジオ
生放送!豪華ゲスト陣 ご紹介! https://fb.me/8zs9oukTn

Retweeted by ドリアン長野

retweeted at 00:20:17

https://www.facebook.com/durian.nagano

管理人マーキュリーマークからのご連絡 
本日(3月5日)はドリアン長野の誕生日です。ハッピーバースデー。

皆さま、多くの誕生日メッセージありがとうこざいます 平成30年
2018/3/5(月) 午後 11:49



皆さま、多くの誕生日メッセージありがとうこざいます😊
厚く御礼申し上げます。
妻と娘がケーキを作ってくれました。
これからもよろしくお願いします。
押忍

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1614120455342184?notif_id=1520260583794167&notif_t=notify_me&ref=notif

幻のブドーパン 平成30年3月  2018/3/6(火) 午後 10:33 

何かの番組で「ブドーパン」は境港市民のソウルフードだと紹介されてました。
ソウルフードって、韓国の食べ物ですか?という名言を残したのはT君です。
そのことが頭の片隅に記憶されていたので米子駅前の「イオン」で見つけたときに何気なく買ってみました。普段は菓子パンは食べないんですが、大阪には売ってませんから。
あまり期待せずにパクリ……
いやいや、これはうまい!
バタークリームとレーズンのコラボが中尾彬と池波志乃夫妻のようにしっとりといい味出してます💗
お土産に買って帰り、食べた友人が


「なんで一個しか買ってきてへんのやあああ〜‼️」


と絶叫してました。


このブドーパン、ゲゲゲの鬼太郎ロードにある創業60年の「伯雲軒」が作っていて、防腐剤など無添加なので全国発売できないそうです。通販はしていますが、翌日に到着しない区域には発送しないというこだわりよう。


うう、禁断症状が…
幻のブドーパン。 http://hakuunken.com/


https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1614920881928808&set=pcb.1614920941928802&type=3&theater

丸京庵 平成30年3月  2018/3/6(火) 午後 10:36

友人に教えてもらいました。
世界一の生産量を誇るどら焼きが米子市にある、と。
ネットで検索すると丸京製菓のどら焼きが1日40万個、年間1億2千万個で世界一だそうです。王将なんて目じゃないですね。
大阪市内では唯一心斎橋商店街にある「シモジマ」という文具などの卸売り販売店に置いてあるので買ってみました。
甘さ控え目でいい感じです。
名物のあげどらを食べてみたかったので帰省したときに直営店の「丸京庵」に行ってみました。注文してから一個づつ揚げてくれます。
モグモグモグ……
いや〜、どら焼きを天ぷらにするという発想がすごいですね。これは美味しいです。
鷲見社長、グッジョブ! http://www.marukyo-seika.co.jp/

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1614920895262140&set=pcb.1614920941928802&type=3&theater

ある女性指導者の言葉 平成30年3月  2018/3/10(土) 午前 10:12 

「将来あなたの娘が素晴らしい男性と結婚してほしいと望むなら、あなたの妻を大切に扱いなさい」

ある女性指導者の言葉

ドリアン長野 君と出逢えた奇跡  2018/3/10(土) 午前 10:28

死刑制度 平成30年3月  2018/3/10(土) 午後 3:40 


19歳 一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫) 永瀬 隼介 https://t.co/nJ0xb40pyD @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月10日

飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記 (祥伝社黄金文庫) 井村 和清 https://t.co/vKvagAOifm @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月10日



死刑については存置論者と廃止論者で論争が続けられてきた。加害者にも人権がある、冤罪は起こりうる、いや、抑止力はどうなる、などなど。死刑制度を考える二冊の本を読んだ。
「19歳 一家四人惨殺犯の告白」92年に一晩で一家四人が惨殺される事件が発生。その中には四歳の女の子も含まれていた。現行犯で逮捕されたのは、19歳の少年だった。暴力と憎悪に塗り込められた少年の生い立ち、その心の闇。読み進めるうちにその生い立ちと凶行にどうしようもなく暗澹たる気持ちになる。
その少年が収監されている東京拘置所に面会に行く住職がこう語る。
「残酷な許しがたい事件です。しかし、わたしは彼の心の変わりようも見ています。拘置所で、彼に、『あとから食料を差し入れるから、何か欲しいものはありますか』と告げると『できれば缶詰は避けてください。缶詰は担当の刑務官の方に開けてもらわなければなりません。余計な手間をかけたくないのです。』と言うほど、周囲への配慮を示すようにもなっています。わたしは、でき得るならば、死刑にして欲しくない、というのが本音です」
人間の心という不思議さが窺える箇所だ。
「首を吊るされることが決まっているのに、毎日今日か明日かと、死の足音に怯えながら暮らさなければなりません。想像するのも嫌な生活です」と言う少年。
死刑囚はいつ執行されると知れぬ死に対峙することにより、そこで本当に被害者の心情を理解し、反省を深め、人間に戻っていくという。少年も例外ではなかった。死刑制度というものが存在しなければ決して到達できない心情だと私は思う。
2001年、最高裁判所の上告棄却により、死刑確定、その16年後の2017年に死刑が執行された。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」
映画化もされた。内科医、井村医師が死の直前まで綴った手記である。30歳のときに悪性腫瘍の転移を防ぐために右脚を切断。驚くべきなのは青年医師の人柄だ。小学生で「フランダースの犬」を読んで泣いたという優しさ。娘にはこう書く。
「自分の周囲の人が悲しんでいれば、それを自分の悲しみと感じ、まわりの人が喜んでいれば、それを自分の幸せと感じられる人に育ってほしい。そんな子に育ってくれたなら、私はもう何も要らない。」
彼が死の直前に残した詩は胸を突く。
「あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気がいっぱいすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ」
井村医師は二人の娘(一人はまだ生まれていなかった)を残して32歳で亡くなった。
死刑囚と死期が迫った癌患者。
絶対的な死というものを深く考えさせられる。

平成30年3月第二月曜日  2018/3/12(月) 午後 1:11 

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 

3月五日はドリアン長野の誕生日だったのでお祝いのメッセージが複数寄せられました。

金曜日と筋曜日は大違い。

パンの商品名にヤツが含まれるのは困惑を招くかも?

鳥取県で販売されてるブドーパンはおいしいそうです。

私の地元から此花区は少し遠いので確認は難しいですが、丸京庵さんの商品は心斎橋ばかりか此花区でも販売されてるようなのでドリアン長野の投稿には間違いがあるかもしれません。少なくとも大阪市内では複数店舗で販売されてようなので一店舗だけでない可能性は高い。どら焼きの天ぷらとはあんドーナッツのような食品でしょうか?


全日食 とりしま店
大阪府大阪市此花区酉島4-1-14 06-6460-2168

棒がついてるアイスであるにもかかわらずチョコレートアイスの部分を素手で持つのは不衛生ですね。

いわゆる「どっちですか?」と言いたくなることはある。

お店に行ってガラの悪いお客さんが店内にいると、困ることがありますね。私は店員ではないが、客と従業員の区別がついてない人から質問されると困る。

死刑制度は四大聖典の中に記述されていて殺人犯には適用されると考える必要がある。エゼキエル書25章17節は重要視されてるし、ニーファイがラバンに対して何をしたか?公開処刑をやってる国もある。死刑囚に至った極悪犯を放置するような社会にしてはいけない。一説によると脳内に良い心を持つ部分が欠落してるから社会整合性が無い人はいるらしい。本人自身が自己の管理能力が欠落したまま社会で迷惑をかける通り魔も処刑の対象になりえる。心配や迷惑をかけるような人には関われない。
教会の指導者から「本人に問題があった場合、家族に責任をとってもらいます。」と教えられた。それが現実です。軍事情報の伝達の結果、コリホルのように言語障害に至った異常者はいる。結局、秘密結社が存在してるのはいい加減で悪い人がいるからなんです。
ドリアン長野は死刑制度については複数回述べてました。色々悩む部分はございます。万が一、えん罪だった時の責任は存在します。

「将来あなたの娘が素晴らしい男性と結婚してほしいと望むなら、あなたの妻を大切に扱いなさい」ある女性指導者の言葉。
錯乱してる人が多く、たくさんの人が悩んでる。改善を求めても否定される事が多いです。あまり悪いと懲罰の対象にもなりえる。「じゃ、これどうなるの?」と質問したら「甘やかしてはいけない。」と逆上する人は多い。公的制度について否定的な人がいるので艱難辛苦は存在する。

ご連絡

皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。
過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表してますので皆様、お楽しみください。2018年3月6日(火)以降はURLの変更が行われ以下のようになりました。

今月26日にgooブログはメンテナンスを実施することから新規投稿が難しくなりそうです。

少なくともVHSではないがヤフーブログベータ版なんですが、流動的な部分があるようです。文字数制限が2万文字の影響は小さくないことから、上海旅行記は長文なのでヤフーブログ上では構造上分割して発表するのが関の山です。後に、gooブログばかりかyahooブログにおいての変更はします。

今月、何度行うかは不明ですが午後11時を回っての投稿は翌朝に転載することはあり得ます。

それでは、皆様、良き一週間を過ごしてください。
管理人マーキュリーマーク

煮魚の調理法 平成30年3月 
2018/3/13(火) 午前 0:37

煮魚を食べたいけど、砂糖は使いたくない、っていうかわが家にはそもそも砂糖が置いてない。
醤油大さじ3、みりん大さじ7(みりん風調味料というまがい物ではなく、本みりんを使いましょう)、日本酒100ml、水150ml、スライスした皮付き生姜を火にかけて煮立ったら魚を入れて15分くらい煮ます。くしゃくしゃにしたアルミホイルを落し蓋にするといいです。美味しいですよ。

書評 魔法のコンパス 平成30年3月  2018/3/13(火) 午後 11:23 

面白かったー!
「失敗もあるだろう。
挫折もするだろう。
痛みを知るだろう。
涙する夜もあるだろう。
ただ、そんなものは大した問題じゃない。
恐れる必要はない。
失敗も、挫折も、痛みも、涙した夜も、
いつかは必ず過去になる。
そして、そのとき僕らは、その過去を変えることができる。」

魔法のコンパス 道なき道の歩き方 西野 亮廣 https://t.co/2QxvM79jzJ @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月13日

元来、言葉は、美しい 平成30年3月  2018/3/16(金) 午後 11:51 

PEOPLE.03 西野 亮廣「レターポットが紡ぐ世界とは?」|ホットペッパービューティーアカデミー https://t.co/tby70jtNy8
元来、言葉は、美しい。言葉が有限であるという自覚さえあれば、僕たちは美しい言葉しか使わないんだと気づいたんです。
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日

父の包丁 平成30年3月  2018/3/18(日) 午前 8:05

父の包丁
実家を処分するので先日帰省した。
父は妹宅に、母は弟宅に同居しているが、来週、半年振りに横浜のアパートで一緒に生活することになる。実家にいたときは父は一切料理をしなかった。母が数年前に転倒し、大腿骨骨折して台所に立てなくなってからは米を研ぎ、食パンを焼き、キャベツを千切りにし、怪しげな煮物を作るぐらいはするようになった。
帰省したときに台所を整理していたら、父が使っていた包丁を見つけた。父は簡単な料理を作り、食べ終わったらすぐに食器を洗い、包丁を砥石で研いでいた。手先は器用なほうで、趣味でプラモを作り、丁寧に塗装するのは得意だから料理もできるだろうにと思っていたが、変われば変わるものである。包丁を研ぐ姿が職人みたいで、僕もやってみたいなと思った。
その包丁を実家から持ち帰り、使っているのだが、実によく切れる。一昨日弁当の具材を切っていたのだが、不覚にも左手の人差し指の爪を切ってしまった。
父の包丁と言ったが、実際は母が長年使っていたものだ。それを息子の僕が譲り受けた。僕の子どもは六歳だが、ユーチューブでお菓子作りの動画を熱心に観て作ったりして、将来の夢はパティシエだと言っている。この前は目玉焼きを作ってくれた。もう少し大きくなったらこの包丁を使わせてやろうと思う。この包丁はおばあちゃんとおじいちゃんとパパが使ってたんだよ、と言って。

平成30年3月第3月曜日  2018/3/19(月) 午前 8:54 

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 


卒業の文字を間違えてはいけないですね。漢字変換ソフトは時に悪い間違いがあり漢字変換ソフトに対して激怒する人はいます。

書評が行われてました。過去よりもこれからについての変更は重要な時がございます。趣味の範囲でやってることに対して過大な負担を強いる人がいたら強要の領域に到達してるから否定され、管理能力が問われる。

テストで「うめよ。」の部分が「うめなよ。」と印字されてると驚くかも?

調理の時にアルミニウムを用いない方が良いと個人的には思います。

有名な筑波大学の卒業生の中には色々な人がいるようです。

若葉マークがついてる自動車については警戒が必要と言われてる。危険運転をする自動車は数多い。今年のある日、私も含めた数名の歩行者達が横断歩道を渡ってる最中に後続の自動車が待ちきれずに迂回して逆走し人を撥ねようとした前例があった。あのような悪い運転はしてもらいたくないし公道にやってこないでもらいたい。若葉マークがついてない自動車でも悪い運転をする人はいる。

良い人生を過ごすためにも良い言葉使いは重要です。時間は誰一人として待たない。厳しいようですが、世の中は善人だけではありません。悪人に対して制裁の一環で軍事情報を伝えることはございます。後に、過剰なストレスからか脳血栓で「なにぬねの。」が言えなくなる人はいて頭の悪い人がさらに頭が悪くなったようです。(笑)

お子様ランチの容器がアンパンマンであるかどうかは人それぞれで是非が分かれるかも?

現在、ドリアン長野は転機にございます。ドリアン長野のご両親は色々なご決断を下されました。はた目からも地元を離れて生活される決断は小さくなかったように思えます。健康で文化的な生活の為には色々な決断が必要な時がございますので悪質な自由妨害をしないようにする必要がございます。


ご連絡

平成30年3月22日以降の祝祭日なんですが、基本的にマザーテレサボット大山倍達bot孝信'S PHOTOブログhttp://mormon.jpそしてhttps://twitter.com/morumonkyouの五者のみをつぶやいて(ツイッターで)紹介する予定です。

平成30年4月以降は西原理恵子公式サイト地球の歩き方、そして、クリックで救える命があるを月に一度以上は土曜日に紹介する予定です。同様にダラズFM(もしくはhttps://twitter.com/darazfm798)は月に一度以上は日曜日につぶやいて(ツイッターで)紹介する予定です。
私も弱い一人の人間です。健康で余暇があればこの方針でやっていきます。

gooブログ上ではつぶやきが翌日に投稿されるがyahooブログ上では自動投稿の機能が無いので土日のつぶやきは日曜日もしくはそれ以降に転載します。
祝祭日に限っては可能であればその日もしくは翌日以降に転載をします。

フェイスブック上においてドリアン長野は複数の人物との連絡をやり取りされてます。それはドリアン長野が自己責任で決めた事なので問題がございません。周知のように実際に会った事がある人物とフェイスブック上で友人になる事が推奨されてます。無論、世の中には実際に会った人物であっても肯定的になるか否定的になるかどうかは人それぞれの自由意志が存在します。半ば恣意的かつ無意味な友達申請の行為は推奨されておりません。冷たい人だと考えられたくないがブログ等を通じて知ることになっても前述した内容を一度読み直した上でフェイスブック上でコメントをされていたドリアン長野の友人に対して申請をするかどうかは各自でご判断ください。

平成20年代はすでに終わりました。無論、現在(平成30年3月末日迄)は平成29年度といった解釈は行えます。ある一定の役割について私は終わったと考えてます。平成30年四月以降、何等かの連絡があれば可能な限り月曜日に行います。ドリアン長野が行ったフェイスブック上の新規投稿の転載は行うにしても厳選します。単純に人や会社に対する冷やかしやおちょくった内容よりも今後は可能であれば時々はドリアン長野が行ってる真面目なお話だけを転載していく方針です。又、午後11時を過ぎた投稿の場合、転載が翌日になるのはやむを得ないです。
難しい思いをすることはたびたびございます。私がカナダを旅行中にあれこれ詰問してきた人がいて困りました。頼んでもないのに詰問してきましたので文句は言うが、改善が行えない自己管理能力が欠落した人みたいでした。言い換えると、ダメ出しはするがダメ出しの甘受を兼ねた改善が行えない人はいる。「あれが、悪い。これが悪い。」と発言した人物の間違いや過失行為が後に証明されることはよくあるお話です。日本人観光客は狙われていて対テロ対策の観点からもそういった人物とは関わらない方が良いです。向こうから頻繁にタイムライン上で質問してきたから本当に悪質でした。日本にいながら国際的に危ない団体と関わりがある人物に思える位に狡猾で公共の敵に思えました。知り合った人物にも危険性を伝えたが、それは相手が善人でないと理解されないかもしれない。強要はした方ではなくされた方が判断するものです。博愛の気持ちは保持しますが、関わってる事が常識や標準が疑われる人物はいます。この点については矛盾してると考えないでもらいたい。なぜならば、迷惑をかけてきた人を否定するのは仕方ないからです。気にいった事しかやろうとしないがゆえに社会整合性が無い人物と関与することは不可能です。

来週月曜日こと今月26日にgooブログはメンテナンスを実施することから新規投稿が難しくなりそうです。 
従って、yahooブログ上も含めて3月27日に投稿をすることになるかもしれません。

上記の広告は長期間更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。yahooブログの場合は前述した内容。「※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。」とgooブログから連絡を受けたくないから一か月間で一応は二回以上は何等かの新規投稿をしたいと考えてます。

皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。

そういう訳で皆さん、これからも良い一週間を過ごしてください。以上、管理人マーキュリーマークでした。

追記 gooブログのつぶやき自動投稿機能は2019年4月に無効に至りました。 
そういうこともあって、今後は月に一回以上は推奨したいホームページの紹介並びに月に一回以上は連絡をしていく予定です。

ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ 平成30年3月 
2018/3/20(火) 午前 1:07 

退院した父と実家で食事中、急に父が言った。
「おまえ、結婚してよかったなあ。子どもができてよかったなあ。あんな笑顔のかわいい子はおらんぞ。育子さん(嫁)に感謝せんとあかんぞ」
驚いた。父は商売をしているが、およそ商売人としては似つかわしくなく、無愛想で偏屈な人間だ(友人や近くの商店主からもよく言われた)。人の悪口や陰口も言わない代わりにお客さんに愛想を言ったことも人を褒めたこともない。
僕は三人兄弟の長男だったこともあったのだろう、特に厳しかった。体罰はしょっちゅうだった。そんな父に反発し、中学生の頃から口をきかず、ずっと家を出たいと思っていた。高校を卒業し、一人暮らしをしてからも何年も帰らなかった。ある年、久しぶりに(嫌々ながら)帰省したときに父が言った。
「ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ」
初めて聞いた父の愛情表現だった。
父が10歳のときに広島で被爆したことを人づてに聞き、去年父と向き合いじっくりと話を聞いた。二日間で四時間くらい話をした。まるでそれまでの父との空白を埋めるような濃密な時間だった。
生後半年の弟を膝に置いてあやしている時に閃光が目に入り、思わず首をすくめた瞬間に弟が爆風で吹き飛ばされ、瓦礫の中で泣き声がしていたが、やがて聞こえなくなったそうだ。母親は奇跡的に助かり、半年後に再開したそうだが。
「がんばれ元気」に出てくる秀才の岡村くんは元気が嫌いだった。勉強しか取り柄がない岡村くんは元気に嫉妬していたのだ。ひょんなことから岡村くんが決闘を申し込む。殴り合いをして、と言ってもボクサーを目指す元気はグローブをつけて左のジャブだけで闘ったのだが。それでも相手に失礼だと手加減はしなかった。それから二人は親友になる。
元気は幼いときに両親を亡くしている。
大山総裁の「極真精神である、『目は高く、頭は低く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する』の孝とは親孝行のことだよ。親というのは子どもを見返りのない、無償の愛で育ててくれる。それに気づかなければ駄目だよ。親孝行しない人間は私の弟子ではないよ」の言葉を思い出す。正月も帰省しよう。父は80歳、母は83歳、もっと話をしよう。生きているうちに。    親孝行って? 平成29年12月

ビルマの休日 ヤフーブログ版 
2018/3/21(水) 午前 9:31 

NO88 ビルマの休日 その1

at 2006 01/09 01:15 編集

ミャンマーのビザの申請書に記入していたら、「complexion」という項目があった。肌の色、である。う~ん、whiteというほど俺の顔は白くないしな。yellowには侮蔑的な意味があるし.....。自分の顔を鏡に写してしげしげと見てみた。darkというほど松崎し〇るじゃないし。「遠い夜明け」というアパルトヘイトを描いた映画で「君たちはなぜ自分たちのことをblackと呼ぶのかね。むしろbrownじゃないか」と聞く白人に対し、主人公のビーコが「あなたたち白人はなぜ自分のことをwhiteというんですか? むしろpinkだ」とやり返す場面を思い出した。アメリカだったらこんな質問には慣れているんだろうなと思いつつ、三十分考えて無難なところでwhiteと記入した。
そのビザがなかなか来ない。さすがにやきもきして、出発三日前に大使館に電話した。
「明日送ります」
ミャンマー人の職員はこう言った。まだ送ってなかったんかい。翌日になってもまだ来ない。また電話した。
「まで来てませんがっ!」
「もう出ましたから」
そば屋の出前かい、と思ったがぎりぎりには来るだろうと高を括っていた。しかし、出発当日になっても敵は沈黙したままである。その日の早朝に郵便局におもむき、「速達便は来てませんか」と聞く。
「来てませんねえ」と郵便局員。フライトは11時半だ。もう間に合わない......。がっくりと肩を落し家路につく。これは大使館のやつらの怠慢に違いない。チケット代を弁償させてやる。九時になるのを待って電話した(何回電話さすねん)。
「ビザ来てませんがっ!」
「送りましたけど。ゆうパックで」
「えっ?」
「料金が不足していたので着払いで送りました」
「あっ、そ、そうですか。どもどもども」
郵便局に確認すると確かに来ていると言う。フライトまで二時間しかない。俺はあわてて部屋を飛び出し、自転車に胯がった。10メートル走るとチェーンがはずれた。あわわ、何でこんな時に。直そうとするがあせってうまくいかない。自転車を打ち捨て、走る。バックパックをかついで走るのはつらい。すぐ息切れがする。この時ほど自分が高橋尚子だったらと願ったことはない。大通りにタクシーが停まっていた。バスを待っている暇はない。
「ハァ,ハァ、ハァ、関空までフルスピードでお願いします。そ,その前に郵便局に寄ってください」
年輩の運転手さんは猛スピードで高速道路を飛ばし、俺が乗る予定だった空港バスを追い抜いた。これでもとを取った(取ってないだろ)。タクシー代は一万円を越えてしまった。ミャンマー人の半年分の収入だ。(続く)

NO89 ビルマの休日 その2

at 2006 01/11 23:23 編集

ミャンマーは軍事政権だ。入国審査に手間どるんじゃないだろうか。大使館のやつらが年末のやっつけ仕事で作成した(偏見)ビザに不備があり、係員にちょっとこちらまでと別室に連れていかれ袖の下を渡せば今回は特別に入国させてやると言われるがそれを拒否したらお前は不審人物だから持ち物を改めるとバックパックを調べられて持っていたスーチーさんの著作を見つけられてお前は反体制派かと軍の上層部に連絡されおまけにパスパートにはさんでいたカンボジアでたわむれに取ったメディアパスまで見つけられてお前はジャーナリストだなとあらぬ嫌疑をかけられ監禁され三日三晩不眠不休で取り調べを受けたあげく罰金三百ドルを徴収された上にもう二度とミャンマーには入国いたしませんと誓約書を書かされてやっと釈放されたということは全くなくあっけなく入国できた。
タクシーで市内に向かう。乾いた日射しと土埃が車窓から入ってくる。ロンジーをはいた人々が歩いている。何てのびのびとゆったりと歩いているんだろう。服装も質素だが清潔だ。貧しいかもしれないが、誰もが満たされているような顔つきだ。この印象は滞在中、一度も変わることがなかった。
ヤンゴンでの第一泊は京都でいえば京都タワーのような、街歩きのときの目印になるスーレーパゴダの目の前のゲストハウスに泊まることにした。パゴダというのは黄金の仏塔でミャンマー人の篤き信仰の対象となっている。早朝から夜遅くまでひっきりなしに参拝者が訪れ、瞑想したりお祈りしたりしている。市内でもいくつかパゴダがあるが、中でもスーレーパゴダはここを中心に市街が設計されたというありがたいパゴダである。日中はもちろんきんきらきんに輝いているが、夜になればなったでライトアップされ、何か所かある入口はまるでキャバレーの呼び込みのようである。(続く)

NO90 ビルマの休日 その3

at 2006 01/12 23:29 編集

歩いているとひっきりなしに、「ハロー、チェンジマネー?」と声がかかる。通貨のチャットと同じくらい米ドルが流通しており、しかも外国人旅行者はホテル代や鉄道料金等は米ドルしか使えない。しかし注意しなければならないのは、ミャンマーでは古びたドル紙幣は受けとってくれないことだ。少しでもよれよれのドルを渡すと、「交換してくれ」と言われる。帰りに空港で出国税の十ドルを出したときにも職員に「新しい紙幣と交換してくれ」と言われ、たまがった。もし新しい紙幣を持ってなかったらどうすんだ? 「日本人、古いドル紙幣のためにミャンマーから出国できず」なんて新聞に書かれたらずいぶんとおまぬけではないか。
市内を犬のようにうろつく。どこの国に行っても中国人街とインド人街が一番にぎやかでぐちゃぐちゃで暑苦しい。サイケなヒンズー寺院の前にはなぜか何匹も野良犬がうろついていた。腹が減ったので食堂に入ってチェッター・ヒン(チキンカレー)を注文。西原理恵子が「アジアではビルマ料理が一番おいしかった」と言っていたが、ガイドブックには「非常に油っこくて旅行者は必ずお腹をこわす」と書いてある。どっちなんだ。出てきたカレーはインドカレー以上にさらっとしているが、表面は古い油を浮かしたようだ。油の中にチキンが泳いでいるといった方がいい。食べてみて驚いた。うまい。うまいじゃないか。香辛料はそんなに入っているようには思えないのに、複雑で奥深い味だ。油っぽさは感じない。チキンは噛み締めるとしっかりとしたうま味が出てくる。私はミャンマーでカレーを食いまくった。ビーフカレー、フィッシュカレー、茄子カレー、鹿肉カレー。一番うまかったのはやっぱりチキンカレー。ビルマ語で覚えたのは「チェッター・ヒン」と「タミン」(ライス)と「エインター」(トイレ)だけだ。「ありがとう」も「こんにちわ」も「おいしい」も未だに何て言うのか知らない。(続く)

管理人マーキュリーマークからの伝言
現在はドリアン長野が執筆した平成十年代と違い増税されたことから実質的に出国税の値上げはあり得るので詳細は各自で調べて下さい。
追記 日本でも財政難から出国税が課税されるようになりました。

NO91 ビルマの休日 その4

at 2006 01/17 22:51 編集

夜はすることがないので十時には寝るから、毎朝五時に目が覚める。バンコクで二時までディスコで踊り狂って夜更かしするのとはえらい違いである。早朝の散歩がこれまた気持ちがいい。独立記念塔がある近くの公園に行くともう善男善女が太極拳やらダンスの練習をしているので、私もカラテの型をやる。六時半になればもう充分に明るい。そこからヤンゴン川に向かって歩いていくとイギリス植民地時代に建てられた、創業百年以上の老舗アンド高級ホテルのストランド・ホテルがある。一番高い部屋で一泊十万円、安い部屋でも五万円もするというクレージーなホテルだ。せっかくだからトイレを借りに入ってみると、何だか調度品やら骨董品やらがごちゃごちゃと置いてある。おしっこしたついでにレセプションで両替してみるとレートがものすごく悪い。私の泊まっている安宿の方がはるかにいい。(勝った!)と内心優越感を覚える。ここらあたりは税関やイギリス大使館や今は使われていないデパートや貨物列車が運行していたであろうレールが残っていたりしていて、植民地時代の残滓が色濃く漂っている。朝から対岸行きのフェリーに乗る人や降りてきた人でごった返している。川を眺めながら食べた露店のモヒンガー(魚のダシで作った麺)はストランド・ホテルで食べる豪華なディナーよりおいしかったと思う。これは別に負け惜しみではない(こともないこともない)。
市街にはバッタもんの外食店もある。「マック・バーガー」とか「ミスター・Jドーナッツ」とか「フライド・チキン・トーキョー」とか。カレーより高いけど結構はやっている。ファーストフードは嫌いだが、ためしにフライドチキン・ディナーセットを購入。味に関しての感想は控えたい。ただ日本だったら三時間でつぶれるだろう。
三時間で市内を一周する環状線に乗ってみた。外国人は乗車券を購入する窓口が違っていたり、パスポートの提示を求められたりとややこしく、おまけに料金はミャンマー人は二十円だが外国人は1ドルである。発車時間ギリギリだったので、ホームを走って最後尾の車両に飛び乗った。乗客から不思議そうにじろじろ見られた。(続く)

NO92 ビルマの休日 その5
at 2006 01/20 23:44 編集
対面式の座席の後部には縄が張ってあり、その内側には制服を着た人相の悪い輩が四、五人座っている。一人は車掌であとは警察と軍の関係者らしい。乗客の安寧を保つためだそうだ。列車はゆっくりと走っていく。物売りや行商のおばちゃんたちもどこどこ乗ってくる。水売り少年の水はコップ一杯が五円だった。停車駅に近づくたびに、線路の上で寝ている大人や遊んでいる子供たちを見かける。アジアの人たちっていうのは野良犬みたいだ。好きな時に好きな所に寝っころがって、気に入った場所にはどんどん入っていく。そういえば、バンコクでは線路の上に市場があった。列車が通過する時間になると商売道具をどかしていく。マニラでは列車が運行してない時間を利用して手作りのトロッコを走らせ、お金をとっている人たちがいた。もちろん違法だが、こういうのを見ると、いいよなあと思うのは野良犬の生活に少し憧れているからだろう。
ヤンゴン中央駅に戻り、スーレーパゴダの周りを歩いていると、子供たちがこちらにバタバタと駆けつけてきた。年長の十二歳くらいの女の子が持っていた絵はがきを突きつけ、
「ミャンマーの絵はがき買ってよ。言っとくけど、これは複写じゃないからね。他の店では絶対売ってないよ。二十枚セットで一万チャット! お買得だよ。わたしより安いところなんかどこにもないからね!」
と、まくしたてる。アジアの国のどこにでもいる子供の物売りだ。彼らの英語は生活のためだから、たとえブロークンであってもリズムがあってスピードもある。平均的な日本人の英語学習者が一生かかっても彼らのようには喋れないだろう。それはそれで日本人は幸福だなと思うけど。
「一万は高いよ」
「高くないってば! しかたないわね、それじゃあ大負けに負けて八千!」
「それでも高いよ」
女の子は、はぁ~っとため息をつく。
「あのね、一体いくらなら買うの?」
「う~ん、五千だな」
びっくりしたように目をむいて、
「冗談じゃないわ。わかった、ラスト・プライスを言うから絶対、文句言わないでよ!」
「言うよ」
「六千!」
「きみ、英語うまいね」
「あたりまえでしょ、何年も勉強してきたんだから。今でも週に二回学校で英語の授業があるけど、わたし一番なんだからね。いいわ、特別に五千でいい」
女の子は右手を差し出した。商談成立だ。五千チャット(五百円)渡すと、
「あなた、かわいいね」と言われた。きみにかわいいと言われてもな~。(続く)

NO93 ビルマの休日 その6

at 2006 01/21 22:52 編集

列車に乗っていたら隣に七歳くらいの女の子が座った
顔にタナカを塗りたくって
口紅を引いて
マニキュアをして
とっておきのワンピース
お母さんに連れられて
今日はお正月だから
にこっと笑うと齒が欠けていた
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
バゴーのパゴダで
五歳くらいの女の子が
お金をくれと手を出す
お金はやれないよと首を振ると
実に悲しそうな顔をした
せめて 
さようならと手を振ると
顔をくしゃくしゃにして笑った
齒の欠けた口を開けて
クアラルンプールの空港で見た
白人の家族連れ
その子供たちは
貧しさというものを
死ぬまで知らないですむだろう
こんな光景は
こんな光景は何度も見たはずなのに
この炎天下に
汗と一緒に涙までにじむのはなぜだ
子供たちは
たじろぐほどの真剣な面持ちで
俺から金を巻き上げようとする
私は学校に行きたいんだ
弟においしい物を食べさせてやりたいんだ
父さんと母さんに楽をさせてやりたいんだ
俺はいつもお前たちに負けてばかり
最初から勝ち目のない闘いだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
俺もアジアの子供だ
いつかはこのアジアの黄色い土に還る
そのときには
神様に頼んでやる
天国でアジアの子供たちと
一緒に住ませてくださいって
毎日話してくれないか
父さんと母さんは
お前たちを愛してくれたのか
貧しくても幸せな日々だったのか
隣でお前たちが
齒の欠けた口を開けて
笑ってくれれば
そう思えば
死ぬことなんて怖くない
そんな気がするんだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
観光地では物売りの女の子が同じ絵はがきを二ドルで売っていた。やっぱりまたボラれてた。(続く)

NO94 ビルマの休日 その7

at 2006 01/26 23:13 編集

ミャンマー人は温厚で親切で素朴な人が多いと思う。道を尋ねた人が英語がわからなくても、わかる人をどこかから連れてきてくれるし、何かを買ってお釣りをごまかされたということもなかった。それでも人を騙してあぶく銭を稼ごうとするよからぬやつはどこの国にもいる。ミャンマーに着いた初日の夜に街を歩いていると日本語で声をかけられた。
「こんばんわー、日本人ですか? どこ行きますか?」
歩いていて日本語で声をかけてくるのはお金を騙しとろうというやつに決まっている。話に応じると、日本が大好きだ、日本に知り合いがいる等と言い出す。そして私は学生だとか教師をしていると言って、観光案内をしてあげると持ちかけ、最後に法外な報酬を要求するという古典的な手口である。他の国なら無視するのだが、ミャンマーということで少しだけ気を許した。
「僕は日本に恋人がいますね。日本、大好きです。明日はお正月ですから、たくさんの人がチャイティヨーパゴダにお参り行きますですね。僕の知り合いが車持ってますから案内しますよ。150ドルでどうですか」
その時はそいつの知り合いが日本円をドルに両替できるというので、一万円を換金してもらった。ミャンマーでは日本円を両替するのは難しいんである。
翌日、歩いていると別の男に声をかけられた。
「あなた、ビルマ人に似てますね。日本人ですか。ビルマ人かと思った」
今度は英語である。
「私は大学生です。どこに行きますか? 私の友だちが車を持っていますから、チャイティヨーパゴダに行きませんか。特別に150ドルで行ってくれますよ」
とてもわかりやすい。マニュアルそのままである。さすがに軍事政権では情報が制限されているので、手口も画一化している。こんなんで旅ずれした個人旅行者を騙すことができるんだろうか。
その男と歩いていると、昨日の男(ミャンマー人A 。名前は秘す、っていうか忘れた)と出会った。世界は狭い。
「ちょっと、ちょっと」
Aは私を脇道に呼んで聞いた。
「あの人、誰ですか」
なんだか自分が二股かけたプレイガールのような気がしてきた。(続く)

NO95 ビルマの休日 その8

at 2006 01/30 23:14 編集

「あの人、とても悪い人ですね。マフィアですね。気をつけてください。あなたにちょっと話あります。今晩六時にあなたのホテル行きますから待っていてください」
と言ってAは去っていった。自称大学生の男(ミャンマー人B。名前は秘す、っていうか忘れた)はすかさず、「あの男、知ってますよ。ここら辺では誰も知らない人はいません。最近まで刑務所に入っていました」と言う。
(お前ら、二人ともあやしいんじゃ~っ)
Bと別れてから、MTT(ミャンマー国営旅行社)に行って聞いてみる。
「チャイティヨーパゴダなら往復のタクシーをチャーターして、100ドルですよ」
思わず値切るのも忘れて予約した。
Aは六時きっかりにホテルに現われた。悪人なのに時間には正確だ。
「あの人、外国人を騙してお金とりますね。騙すところ見たことあります。とても悪い人ですね。ところで、昨日の話どうしますか。150ドルって言いましたけど、友だちに相談したら130にしてくれるそうです。日本人は友だちですから特別ですね」
Bも全く同じことを言っていた。この国には騙しのテクニック講座があって、同じレッスンを同じ教科書で学んでいるに違いない。
「ふ~ん、もし旅行会社に頼んだら、いくらになるの?」
「そうですねえ、日本のお金で二万円にはなると思います」
私はもちろん、その話を断った。その前にもう一万円を両替してもらった。
チャイティヨーパゴダというのは別名、ゴールデンロックといって、金箔を張りつけた巨大な岩が山頂の崖の端に落ちそうで落ちないという微妙なバランスで鎮座しているというミャンマー人が一生に一度はお詣りに行くパゴダである。行くつもりはなかったのに、何だか行くはめになってしまったのはこれも仏様の導きか。早朝六時にタクシーに乗り、五時間かかって山のふもとに到着。そこからトラックの荷台に五十人ほどのミャンマー人とすし詰めにされ、どこかにしがみついていなければ振り落とされるほどの急勾配&曲がりくねった山道を四十分かけて中腹に着いた。しかし、本当の苦行はここから始まるということを神ならぬ私は知る由もなかった。(続く)

NO96 ビルマの休日 その9

at 2006 02/02 23:03 編集

トラックを降りないうちに、すさまじい攻勢だ。運び屋は私のバックパックを勝手につかんでかごに入れようとするし、茶店のおばさんは私の袖をつかんで離さない。
「ひと休みしてコーラ飲んでいきなさい」
「ひと休みって、これから登るところ.....」
「コーラ!」
「またねー」
彼らを振り切って、山道を駆け登る。下を見ると、熟れ寿司のように一緒に荷台でみちみちになっていたミャンマー人たちはまだ到着地点でうろうろしている。
「ふっ、やる気のないやつらだぜ。日本人のど根性を見せてやるわっ!」と張り切って登り始めたのだが、鬼のように勾配がきつい。一時間あれば山頂に着くらしいのだが、そんなことのできるやつは誰なんだ。植村直己か、野口健かっ。要所要所にかつぎ屋さんがいて、「乗らないか」と声をかけてくる。彼らは四人一組で台座に人を乗せて五百円くらいで山頂まで運ぶのだが、こんな過酷な仕事がまたとあろうか。その仕事に敬意は表するものの、自らの脚で登頂してこそ御利益もあろうというもの。ああ、ありがたや、ありがたや。声をかけられるたびに「ノープロブレム!」と言い放ち、全力ダッシュを繰り返す。三回続けたらマジで心臓が止まるかと思った。アホや。混じりっけなしのアホや。あちらこちらに茶店があるのだが、一旦休憩したらそこに根付いてしまいそうで恐い。脱水症状でふらふらと登っていくと、遥か彼方に陽光にきらめくゴールデンロックが見えた。それを目にしたら逆に気分が萎え萎え。無理や、あんなところまでたどり着くのはずぇったい無理やああああ。責任者出てこ~い!(こればっかし)。
かつぎ屋に乗った日本人や白人が次々と私を追いこしていく。おまえらなあ、金さえあれば何でもできるという先進国の驕りといったもの、かつ人間の努力と尊厳というものをいったいどのように考えて.......、ああ、それにしても私はなぜミャンマーくんだりまで来て、こんな辛い思いをしてまで山に登っているのだろうかという根源的なしかし決して考えてはいけない疑念が浮かんできたのだが、酸欠なのでそれ以上は脳が拒否。あのミャンマー人のAとB、今度出会ったらグーで殴っちゃるう~(逆恨み)。(続く)

NO97 ビルマの休日 その10

at 2006 02/06 23:48 編集

思えば苦しい道のりであった。山頂付近では息が異常に苦しくなり、高山病かと疑ったり(なわけねーだろ)、いつ着くかともしれぬゴールにくじけそうになった時はアントニオ猪木の「恐れず一歩を踏み出せ。そこが道になる。お前の後ろに道はなく、お前の前に道がある。天上天下唯我独尊」という言葉を思い出して頑張った(ウソ。しかもテキトー)。しかし、朝の来ない夜はない。借金取りの来ない消費者金融はない。永遠に続くかと思われた苦行もいつしか終わりを告げ、はっと思ったらそこは山頂だったのだ。私は無寄港(茶店)単独登頂、しかも杖(茶店で売っていた)なしという偉業を成し遂げたのだ。この偉業はミャンマーの歴史には燦然と輝かないかもしれないが、私の歴史には燦然と輝くであろう。万歳、 自分。誉めたたえよ、自分(by 三代目魚武濱田成夫)。
境内には何百人という登頂者がまぐろのように息も絶え絶えに横たわっていた。まさに野戦病院さながらである。気持ちはわかるぞ、同志よ。そして本尊のゴールデンロックはその黄金色を輝かせ、傾斜のついた崖っぷちに絶妙なバランスで屹立していた。地震か台風でもあったら、転げ落ちそうだ。参拝者が金箔を買って、その岩にぺたぺたと貼付けている。日本だったら危険だからといって立ち入り禁止だろーな。崖の下を覗くと、神聖な場所のはずなのに菓子の包み紙とかがいっぱい散乱していて、ちっとも地球に優しくないミャンマー人なのだった。十分も見ていると、苦労して見にきた金箔岩なのにもう飽きてきた。今晩は早めに寝て日の出を拝もうと思い、外国人が予約なしで泊まれる唯一のホテル(これがろくな設備はないくせに宿泊費だけはバカ高いんだよな)に行ったら満室だとゆわれた。仕方ないので中腹まで下山することにした。あとはトラックでふもとまで行けば安宿があるはずだ。(続く)

NO98 ビルマの休日 その11

at 2006 02/13 23:07 編集

中腹に着くと参拝者を満載したトラックが次々とやってくる。かつぎ屋や運び屋は大忙しだ。こけつまろびつ駆けつけては交渉してどんどん山に登っていく。小柄な少年がかごの中に五人分の荷物を詰め込み、その上にばかでかいスーツケースを括りつけて黙々と登っていった光景を見たときにゃあ、彼の後ろ姿に男を感じたね。町工場のシャチョーさんが見たら「えらい! あんな年端もいかない子供が文句も言わんと....。それにひきかえ最近の日本の若いやつらときたらっ」と思わず事務所のスチールデスクを叩き、感涙にむせびそうだ。定員五十人の荷台に十人の日本人ツアー客を乗せたトラックが到着。五倍の運賃を払ったな。すかさず運び屋が群がる。おばさんが「わたし、自分で歩くよ」と肩をそびやかして腕を振る。日本人のおばさん独特のしぐさだ。とはいっても結局全員がかつぎ屋に運ばれていった。
とまあ、こっちもいつまでも見とれているわけにはいかないので、最終便に乗り込む。定員になるのを待って、ようやくトラックは日没の中を走り出した。夜になるとTシャツだけでは肌寒いほどだ。荷台には茶店の茶器を積んだ大きなバケツを抱え込んでいるおねいさんや売り物の駄菓子やら干物を持って帰る少年といった仕事帰りの人たち、私のとなりには僧侶が二人座っている。相変わらず身動きもできない。時おり話し声が聞こえてくるが、もちろん一言もわからない。見上げると満天の星と下弦の月。トラックは月明かりの下で険しい山道を疾走してゆく。いつ横転してもおかしくないほどだが、彼らと一緒に揺られていると不思議と恐くはなかった。実はミャンマーに来て一番よかったと思える瞬間がこの時だった。私はきっと十年後もこの時のことをまばゆいほどの星と月とともに懐かしく思い出すに違いない。(続く)

NO99 ビルマの休日 その12

at 2006 02/17 23:42 編集

トラックは山道から平地に入っていった。あれ? 来たときはこんな道はなかったはずだけど。この平地に入る前にトラックはいきなり停止し、別のトラックが横付けしてきた。みんながわれもわれもとそちらに乗り換えるので、わけがわからないままに私も移ったのだ。見ると半分くらいの人数を元のトラックに残したまま出発した。どうやら違う路線に乗ってしまったらしい。今晩は野宿かなと思っていると、しばらくして終点に着いたらしく、みんな降りていく。さて、どうしたもんかなと、とりあえずにぎやかそうな方向に歩いて行ってみる。そこはゲストハウスと看板が掲げられていて、一階はゲーセンになっている建物だった。入口に立っている若者に聞いてみると、なんだかんだと他の若者が集まってきて協議を始め、近くのホテルにバイクで送ってくれることになった。ここに泊めてくれればいいと思うのだが、ライセンスがないので外国人は泊めることができないらしい。バイクのうしろに乗って漆黒の闇の中を走る。街灯も民家もないから、とにかくもう鼻をつままれてもわからないほど真っ暗。
十分ほど走って連れてこられたのは門から建物まで百メートルはある広大な敷地に建てられたリゾートのようなホテルであった。連れてくんのはいいけどよ、この格好見て判断してくれよな。どう考えても金持ちの旅行者には見えんだろう。恐る恐る値段を聞くと、一番安い部屋が15ドルだそうだ。
「こんばんわ。日本人ですか」と日本語で声をかけてきたのは、五十歳くらいで一見日本人かと思うような人だった。
「私はこのホテルのマネージャーをしています。チョウチョウといいます」
チョウチョウさんは東京の寿司屋や喫茶店や居酒屋などで十年間働き、その時に貯めたお金で友だちと十年前にこのホテルを建てたそうだ。
「その友だちはホテルの経営をやめてお坊さんになりました。面白い人でしょう?」
う~ん、何だかこのホテルは当たりみたいだなあ。(続く)

NO100 ビルマの休日 その13

at 2006 03/01 22:34 編集

ロビー兼ダイニングには壁がなく、様々な木々が生い茂っているのが夜目にもわかる。テレビでしか見たことないような二十人は座れるような細長いテーブルに一人で食事をするが、チョウチョウさんやボーイが何かと世話をしてくれ恐縮するほどだ。ロビーにいるのは年輩の男女の白人グループと若い日本人のカップル。談笑している白人のグループの話し声に聞き耳を立てると、英語に似ているが英語ではない。不思議に思って翌朝彼らの一人に聞いてみるとオランダ人だった。チョウチョウさんが説明してくれたところによると、この広大な敷地にはゴムの木、黒胡椒、ザボン、マンゴー、パパイヤ、ココナッツが栽培されていて、ゴムの製造工場まであるそうだ。彼の友人であるオーナーが知人をもてなすために最初に小さなバンガローを建て、それが好評で次々と増設していくうちに今では二十三室になったそうである。案内された部屋は充分に広く、民芸品の家具で統一されていてこれがリゾートホテルだ、文句あっか! という感じで恐れ入って昼間の疲れもあり、ベッドに入ると三十秒で前後不覚になる。
翌朝はいつものように五時に起き、敷地内を散歩する。暗闇の中でちらちらと光るものがあるので近づいてみると、ゴムの木から樹液を採取している人の懐中電灯だった。朝食をとるためにダイニングに行くと、昨夜の日本人カップルがいた。彼らも道に迷ってこのホテルに連れてこられたそうである。二人とも見た目はフツーなのだが、大学生の頃から年期の入ったバックパッカーらしい。話を聞いてみると、バラナシの超有名な「クミコハウス」に長期滞在している牢名主のような日本人のこと、ラオスで大晦日にバスに乗っていると運転手が急に休憩だと言って、毛布を取り出してきて本格的に寝てしまい、新年をそのバスの中で迎えてしまったこと、通りすがりのトラックの荷台に乗せてもらったが、なぜかおがくずが敷き詰められていて、トラックが止まったらその中から生きた鶏が何羽も出てきてびっくりしたこと、ロンドンで罰金を取られてしまい、所持金が無くなってしまったのでロンドン橋が上がったり下がったりするのを一日中、二人で眺めていたこと(北野武監督の映画のワンシーンのようないい風景だなあ)。私は涙が出るほど笑わせてもらった。(続く) 

NO101 ビルマの休日 その14

at 2006 03/09 23:39 編集

朝食もそこそこに二人は慌ただしくチェックアウトしていった。これからゴールデンロックに登頂しに行くそうだ。健闘を祈る。新たな伝説を作って欲しい。
「どうですか、昨日はよく眠れましたか」とチョウチョウさん。
「はい、ぐっすりと。ところでホテルのパンフレットに書いてありましたけど、ここには養護施設もあるそうですね」
「はい。小学生から高校生まで七百人くらいが住んでいます。費用はいろいろな国からの寄付と、ホテルでミャンマーのダンスを見せることがありますから、そのお金で賄われています」
「そこは見学できますか」
「もちろんできますよ。案内しましょう」
ホテルの裏にある小さな丘を越えると、そこには様々な施設があった。男女別の寄宿舎はもちろん、規模は小さいけど図書館や運動場や娯楽室や医療室や調理場など。大きなかまどのある調理場では子供たちが朝食を作っていたし、明日がイギリスからの独立記念日だということで遊戯場のような所で小学生がダンスを練習していた。
「この教室は日本政府と民間団体からの寄付で2001年に建てられました。寄付金が一番多いのは日本です」
チョウチョウさんがひときわ大きな教室を指差す。外壁にはその事が日本語とビルマ語と英語で書かれたプレートが掲げてあった。こっちとしても鼻が高い。ホテルに置いてあるパンフレットにはこう書かれている。
「この施設には弧児や養育を受けることの困難な家庭や地域から来たビルマ族、シャン族、パオ族、ナーガ族、カヤー族、パダウン族、カレン族の子供たちが住んでいます。宗教も仏教徒やクリスチャンと様々で、お互いに理解することや尊重することを教えるようにしています。子供たちの大半は施設を出ると援助を受けて、より高度な教育を受けます。中には施設に戻ってきて教育や運営に携わったり、自分たちの故郷の村に帰って子供たちに教育の準備をさせる卒業生もいます」。(続く)  

NO102 ビルマの休日 その15

at 2006 03/14 23:30 編集

「よかったらゴム工場も見ていきませんか?」
「見ていきたいんですけど、タクシードライバーと待ち合わせをしているのでもう行かないといけません」
「そうですか。もし帰りに時間があったら寄ってください。山へはホテルの前からバスが出てますから、それに乗っていけばいいです」 
チョウチョウさんは一緒にバスを待っていてくれた。
「もう一度日本に行きたいです。今度は仕事ではなくて、友だちに会いに行きたいです」
チョウチョウさんは十年間海外で働いていたことによって、今の軍事政権下では再び出国するのは難しいらしい。というか、私には政権が変わらない限り不可能なことのように思えた。
「あっ、バスが来ました」 
チョウチョウさんは手を上げてそのバスを止めた。バスといっても大型トラックを改造したものだ。車内は人が鈴なりになっているので、窓わくに足をかけて屋根にあがる。そこには既に学生や茶店の商売道具を抱えた少年たちが十人ほど座っている。
「ミャンマーにまた来たときはここに泊まりに来てください」
「はい。ありがとうございました。お元気で!」
バスが走り出すと、朝の澄んだ空気が顔に当たって気持ちがいい。眼下には森が、彼方には山並が見える。こいつは香港やロンドンで乗ったダブルデッカーより比べもんにならんくらい爽快だ。俺は密林の王だ! なんていう勇壮な気分になってくるのは毎朝満員電車に揺られるジャパニーズ・リーマンの悲しき性だ。母さん、岸和田のだんじり祭りで毎年死者が出る理由が少しわかった気がしました。(続く)

NO103 ビルマの休日 その16

at 2006 04/07 22:17 編集

バスはやがて山の中腹に着いた。待ち合わせていた食堂で朝食(もちろんカレー)を食べていると、タクシードライバーのソーパーさんが現われた。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
私は山頂のホテルに泊まれなかったこと、ひょんな巡り合わせからリゾートホテルに泊まった顛末を話した。
「それは面白い経験でしたね」
「ソーパーさんはゴールデンロックまで登ったことがありますか?」
「一回だけね。もう二度と登りたいとは思いません」
ソーパーさんは本当にうんざりとした顔をした。
「さて、そろそろ行きましょうか」
タクシーがチョウチョウさんのホテルの近くに差し掛かった時、一台のバイクとすれ違った。チョウチョウさんだった。はっとしてバックミラーを見るとあっちも気づいたらしく、Uターンしているところだった。
「ちょっ、ちょっと止めて下さい」
「どうしましたか」
「あの人がさっき話したホテルのマネージャーです」
チョウチョウさんが追いついてきた。急いで窓を開ける。
「今から帰るところですか。これからゴム工場を見学していきませんか」
「ソーパーさん、少し時間ありますか」
私がそう言うとソーパーさんはビルマ語でチョウチョウさんに何か話しかけた。おそらく、「残念だけど、今日中にヤンゴンに戻らないといけないので無理だね」とでも言ったのだろう。
「そうですか、仕方ありませんね。またミャンマーに来た時にはホテルに泊まりに来てください」
チョウチョウさんはまた同じことを言った。
朝五時。あたりはまだ暗い。通りに小さな火が揺らいでいる。屋台の準備のために早朝からカンテキに火を熾している老夫婦。ここにも生活がある。そんなことがなぜか胸を突く。もう少しで夜が明ける。ヤンゴン市内にまた喧噪が戻ってくる。MDプレイヤーのスイッチを入れる。
「ヘッドフォンを耳に充(あ)てる
アイルランドの少女が歌う
夕暮れには切な過ぎる
涙を誘い出しているの?」
「レディオヘッド」のアルバムにも引用された椎名林檎の「茜さす 帰路照らされど...」の一節。私は旅先で聴くとその切なさと激しさに涙ぐみそうになる。通りをこのまま歩いていくと川に突き当たる。インド洋に繋がるヤンゴン川へと。今日はイギリス植民地からの独立記念日だ。
「今の二人には確かなものなど何も無い
偶(たま)には怖がらず明日を迎えてみたいのに」
旅をする気持ちに少し似ているかもしれない、と思う。もうすぐ夜が明ける。(終わり)

皆様への伝達事項
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、ミャンマー旅行について推奨は難しく行えません。治安の悪化等もあって政情不安定です。平成19年9月27日、APF通信社の長井健司氏が反政府デモ(サフラン革命)の取材中に射殺されたばかりでなく平成29年から混乱が発生してます。平成18年に発表されたビルマの休日はドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記です。当初の内は「海外旅行記ではなく国内旅行記では?」と解釈されるかもしれませんがビザの所得はパスポートの所得と同程度に重要です。各自で想像してもらいたいが海外旅行の為に国内旅行を済ませる人は多いです。
ホテル名が不明であるがゆえに半ば恣意的なんですがヤンゴンとチャイティーヨ・パゴダが存在することで有名なモン州の間にバゴーという街が存在します。
ドリアン長野が宿泊したチョウチョウさんが経営するホテルはバゴーに存在しそこで宿泊したかもしれません。
町の雰囲気を想像しながら海外旅行記を読むことは楽しいですが、宗教施設とキャバレーは全く別物です。
海外ではユーロのような例外は存在するが他国の通貨が通用することが多いようです。違法両替商人は利用しないでください。
料理は国境を超えるのでインドに隣接してるミャンマーのカレーはおいしいそうですがフライドチキンについてはおいしくなかったそうです。
時差があり日本時間の正午はミャンマー時間の午前9時半だそうです。
ストランド・ホテルの宿泊費について調べたら高額でした。デポジットも想定して下さい。フェリー等も実際に行かないと知る事が難しかったようです。
軍事政権のミャンマーでは早寝早起きでも資本主義社会のタイランドでは夜ふかしのようです。
ドリアン長野が旅行した翌年の平成19年にミャンマー政府がガソリン補助金の引き下げを行うとヤンゴン環状線の利用者は激増したそうです。日本国内にも私服警官が電車内を警備してることがありヤンゴンも同じようです。
Rの発音がほぼ無い日本ではRの発音が求められる英語の上達は難しいです。
2006年に絵葉書を販売してた小学生の女の子が当時12歳であれば現在は何歳でしょうか? 時間は、誰一人として待たない。
どこの国でもそうですが仕入れた価格に利益率を上乗せして売ることはどこでも同じです。お水ですが海外では警戒して下さい。
万能薬の化粧品「タナカ」|日本生まれの国際NGO AAR Japan [難民を助ける会] https://t.co/0UcFUmEtEu @aarjapanさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年2月17日 ">

化粧品のタナカはミャンマーでは有名らしいです。

皆さん、二ドルと五千チャットであればどっちが安いでしょうか?ドリアン長野は損をしたからビルマの困ってる子供達を助けたようです。ドリアン長野にとって独身時代を過ごしてた平成18年迄と結婚した平成19年以降は大違いです。アジアの貧困について作成された詩のようでいて最後に笑わすことを発表してるのがドリアン長野らしいか?日本円から外貨への交換等は自己責任で行うようにして下さい。こちらは責任は取れません。海外で日本円から外貨への両替をするよりも日本国内で行う方が良いかもしれませんがそれが行える外貨なのかどうかも問われます。
私がカナダに行った時は良き在外邦人に出会えた機会が多かったから道に困ってる時に道案内をしてもらって助けてもらいました。過労と時差ボケの影響もあってホテルの自室に戻って熟睡しました。海外旅行案内書は人気があります。不明瞭な人物との会話をする機会を減らせるのは利点です。但し、屋外で保有してると海外の犯罪者に注目されやすいらしいから警戒してください。可能であればホテルの中だけで読まれても悪く無いです。タクシーで片道5時間の旅行というものは余程でないと耐えられないと私は思います。予習してからでないと海外旅行には行かない方が良いです。この海外旅行記を参考にするのは避けておいた方が無難だと思います。どっちかというと情けないお話が多いのがその理由です。(笑)
「往復のタクシー。」の部分を読んで連想したのは空港からホテルの送迎バス。長所と短所がございます。長所は安全運転での送迎と貨物の運搬、車内での肯定的な発言や街についての説明、ホテルの受付での連絡やパスポートの確認。短所ですが、他の旅行者達の待機と(業者によっては)高価格、無意味な提案(観光案内)や車内での否定的に感じる発言内容、偽物が出現する恐れがある点。明確化しておきますが、真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題は無いが、偽物に問題があるんです。偽物が出現する恐れはあるので警戒は必要です。送迎の人に過去に一度でも会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は警戒するのはやむをえません。空港連絡鉄道が利用出来るならばそれを推奨します。
ミャンマー人にとっても険しい山道は辛い旅のようです。ミャンマーに行った外国人にはそれに時差ボケも実質的に加算されます。ドリアン長野は空手家で体力がある人物ですが、それでも困る山道だったようです。皆様が有料の担ぎ屋さんを利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。
海外旅行では登山靴を履かれる事を推奨します。無論、業務上の事務所や極寒地や赤道直下に訪問されるなら話は変わってきますが大半の場合においては登山靴で成果が得られます。普段であれば自転車で移動していても歩くことになる事が多いのが海外旅行の特徴だと思うので良い靴を選ぶことを提案します。
海外旅行の場合は過密な予定で半強制的に何等かの提案や企画に参加するよりも自発的に決めた緩い予定を楽しむ方が良いとは思いますが最低でもホテルの予約はしておきましょう。
皆様も思い出に残るドライブというものがあったと考えられます。日本とミャンマーの街灯のルーメン数を比較したら雲泥の差でしょう。皆様も暗い夜道のドライブを霊的に過ごされたことがございますか?
平成18年に発表されてから十年以上経過してますが、今でもミャンマ-旅行についてドリアン長野が連想してるかどうかは不明です。
現地の言葉が話せると旅行の楽しみは倍増しますね。何等かの予定が行えなくなった時を考えて別の予定を用意しておくのは重要かもしれません。多くの海外旅行記がそうですがただの浪費であったかも?
ゲストハウスを兼ねた農場というものがミャンマーに存在するそうです。外国語と言っても英語だけに非ず。ドリアン長野にとっては第三世界を旅行してきた人の思い出話で盛り上がってたようです。私にしたら他人の艱難辛苦を嘲笑するのは良くないと考えます。疲れてる時にホテルの部屋に入って寝ることが行えるのは幸せです。
移動については事前に調べておくのが最善で現地で調べるのは次善の策です。ドリアン長野は運よく外国人向けのホテルに案内されたと考えて下さい。普通はあり得ません。予約は必須です。
恐らくチョウチョウさんは現在は60歳以上で昭和の時に来日してから1995年頃迄働いて得たお金でミャンマーで1996年に宿を開業したのでしょう。ドリアン長野の海外旅行記は大雑把なのであまり真剣には受け止めないで下さい。日本では$15では止まれる高級ホテルはありません。ミャンマーの場合は法規制が厳しいようでミャンマー人以外の宿泊が行えないホテルも存在してるようです。
彼等にとってもゴールデンロックの登山は困難であったと考えられます。
人間、得手不得手がありますが教育で道徳を学ぶと良いと思います。
カレン族については、日本人傭兵が独立運動に関わってたのは有名です。
今回の海外旅行記で最も強調したいのは、信仰の自由を重要視する事です。合法的な宗教団体である限りは守られるべきです。世の中には宗教戦争が存在してる点は理解しておくべきです。
予定と提案は別物です。海外旅行の時には予定を立てる人もいるとは思いますが予想を超える提案があって賛同するかしないかも旅の分水嶺です。
世界を見渡すと民主主義国家だけでなく自由が制限されてる国や地域があって困ってる人もいます。
日本国内において深夜に運行してる長距離バスよりミャンマーのオンボロバスの方がドリアン長野にとっては快適であったようです。
海外でバスに乗るならば前もって調べてから乗車して下さい。日本よりバスに乗って目的地に到着するのは難しいと思って対応されることを提案します。但し、ミャンマーは別かもしれない。普通はバイクで外国人向けのホテル迄送ってくれませんからね。
ゴールデンロックへの訪問は重労働だったようで誰一人として安易に赴けるとは考えないようです。
海外旅行に行くと会話が必要になってきます。それが日本語である確率は低いが過去において日本で労働されてた外国人が母国に帰国後、日本語を流暢に喋れる人がおられる例外もございます。ホテルの従業員さんが日本語話者ですと安心感が違ってきます。
この海外旅行記は平成十年代の旅行記ですのでMDは一般的でした。
ドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記です。
ミャンマーに滞在した最後の日が英国から独立した記念日だったようです。始りが終わりで終わりが始りか?
ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行記をビルマの休日として発表しました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。

周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しております。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。
ドリアン長野のミャンマー旅行記   管理人 マーキュリーマーク

やっと地上波で放送された「君の名は。」を観た 平成30年3月  
2018/3/21(水) 午後 2:14 

やっと地上波で放送された「君の名は。」を観た。
時空を超えて東京と飛騨に住む男女が入れ替わる。ある日、少女の住む飛騨の町が隕石によって消滅してしまう。二人は徐々に記憶が無くなってゆき、お互いに相手を探し求めるのだが、最後に…。
観ているうちに二つの作品を思い出した。
三島由紀夫の「豊穣の海」四部作は松枝清顕が輪廻転生していく物語だ。彼の親友本多が自らは年輪を重ね、清顕の転生を見守っていく。
藤子・F・不二雄の短編「ノスタル爺」は主人公が出征前に幼馴染みの里子と祝言を挙げ、終戦後に故郷に戻ってくる。タイムスリップに遭い、自ら土蔵に入って里子を見守る。
「盲亀の浮木」という支那の諺がある。
深海の底に住む巨大な盲目の亀が何千年か何万年かに一度だけ海面に姿を現わす。たまたま流木が浮いている。その流木にはたまたま穴が開いている。たまたま亀の浮上する真上にその穴があり、亀は首を突っ込んでしまう。とうてい起こり得ない偶然だ。
私の側にいる人は奇跡的な巡り会いでそこにいる、ということを考えさせる素晴らしい映画だ。



平成30年三月最終月曜日    2018/3/26(月) 午後 5:28

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 
http://twilog.org/duriannagano

実父が用いた包丁のお話はヤフーブログ上でナイスの評価を得ました。佳作です。
(追記 2019年12月にヤフーブログはサービスを取り止めますので代替としてgooブログを紹介します) 父の包丁 平成30年3月

煮魚ですが、可能であればアルミは避ける事を推奨します。

マグロは魚に有るで鮪ですが、グロといえば怯えてしまうような状態ですが間違えないようにしないといけません。

皆さん、肉類は加熱処理してから食べるようにしましょう。従って、レバ刺しは辞めましょう。肉は確実に加熱処理をする必要があり、衛生的な食事を心がけるべきです。

ドリアン長野の実父は良きお父さんです。息子さんには厳しく、義理の娘さんには優しく接してるようです。近づく人全てに迷惑をかける公共の敵がいることを連想する時があって良き家庭を形成されてるのを再認識します。

後述しますが、春分の日にはいつもより多めにgooブログ版のドリアン長野の海外旅行記のブックマークで紹介してるホームページを紹介しました。基本的に、明日以降の祝祭日に紹介するホームページは現行よりも減らします。

シャッター通りは最近は増加傾向です。地元の商店街を連想します。二分割するかのごとく商店街の途中に十字路が存在してます。その十字路を超えると駅から遠い商店街になってしまい幾つかのお店は営業してるがシャッター通りに準ずる通りに到達したようにも思えます。

iPadは確かにそれなりの金額です。私の海外旅行中には有効活用が行えました。問題があるとしたら、私がカナダにいるにも関わらず頻繁に詰問してきた人がいて大変困りました。「返答が遅くなると伝えた。」が躊躇も遠慮もせずに思ったことを詰問されて大変辛かったです。日本人観光客は狙われていて対テロ対策に関わるから内容が悪いばかりか数量が多い質問を継続した人には後に抗議をしたが逆上されて本当に困りました。資本関係が無いにも関わらず、あれこれ詰問されたくなかったです。目的はユスリか国際的な犯罪組織への情報伝達だったのであろうか?皆様、海外旅行中の人に迷惑をかけないようにしましょう。わざわざ、他人のタイムラインを通じて大量に悪い質問をするのは大間違いです。繰り返すようですがその過失行為をしたら、人権侵害等に関わる責任が問われることになる恐れがございます。結局「やめとけ。」と言われた後で過失行為をやらかす人は懲罰を伴う責任が問われます。責任能力が無い人を雇った人や、責任能力が無い人が一緒になって私に迷惑をかけたのであろうか?錯乱してる人は多い。
私はドリアン長野に連絡をしたことがあったのを連想しました。

「君の名は。」という作品は佳作だそうです。個人的には6月に上映される映画デッドプール2に期待してます。病魔から立ち直ったヒーローには注目です。

ご連絡
趣味のホームページなので仕方ないですのが、緩く行える部分がある一方で厳しい姿勢で物事に望まないといけないこともございます。gooブログばかりかyahooブログそしてツイッター等のホームページは可能な限り継続します。今月末迄はほぼ毎日新規投稿は実行する予定ですが新規投稿の回数を来月四日以降は削減します。
ドリアン長野には過去に空手を稽古してもらったばかりか食事も提供してもらったりして感謝してます。私が行えることは限定されてますのでホームページの管理といったこと位でしか貢献が行えなえませんでした。
今年の春分の日こと先週の水曜日には、いつもよりも多くgooブログ上で紹介してるホームページのつぶやきをしましたのでyahooブログ上でも紹介しました。
以下は、可能な限りなんですが、今後、祝祭日においては月に一回以上マザーテレサボット、大山倍達bot、孝信'S PHOTOブログ、http://mormon.jp/そしてhttps://twitter.com/morumonkyouを紹介していく予定です。教会方面だけは日にちに関係なく数量は多めに紹介することになると思います。祝祭日が無い6月には代替として土日に紹介する予定です。
月に一回以上、土曜日に鳥頭の城 西原理恵子公式サイト、地球の歩き方、クリックで救える命がある。を紹介していく予定です。
月に一回以上、日曜日にDARAZ FM公式 Twitter(もしくは、darazfm.com)を紹介していく予定です。

又、一回の投稿による文字数制限が二万文字のヤフーブログにおいてビルマの休日 ヤフーブログ版を一本化しました。
追記 ヤフーブログは2019年12月にサービスの停止をします。従って、2020年から楽しめなくなるのでgooブログ版を紹介します。 ドリアン長野のミャンマー旅行記
皆様が、もし、ドリアン長野が行った新規投稿を全て確認したければ、フェイスブックに加入して友達申請をしてご確認下さい。


皆様にはご不便をおかけするようですが、ご了承願いたい。閲覧者数が少ないホームページなので心配や迷惑をかける影響は微細であろうけども、申し訳ないです。

タグを少し使えるかどうかは大違いみたい。target=_blankを知ってるとクリックしただけで別のタブで円滑にホームページの閲覧が行える。ホームページの管理能力が高いか低いかだが少しばかりタグが使えるかどうかや内容は問われます。自己中心で何も知らずに文句ばかり言うのではなく向上心を持って改善したり相手に感謝することが人生には重要だと私は思います。従って、教会のホームページを紹介する素晴らしい伝道活動はこれからも継続します。艱難辛苦を語るようだが、艱難辛苦を語っても軽んじられることが多いのが辛い現実です。
去年の7月某日に実際に私とドリアン長野が再会した時に、「5年後、10年後というか中長期的にはこういった活動は難しい。」と伝えたら「無理しなくで良いから。」でした。5か月後、10か月後の間違いであったかな?ま、今年度末で一区切りさせてもらいたい。 
皆様、これからも良き一週間を過ごしてください。

そのきもちわかる。 平成30年3月  2018/3/30(金) 午前 7:32 

ぱぱへいつもはたらいてくれたりおふろにいれてくれてときどきおこのみやきをつくってくれてほんとうにたいへんだよねそのきもちわかる。

座布団10枚 平成30年3月  2018/3/30(金) 午後 10:34 

スーパーの化粧品売り場で新発売の「10歳若返ります」というスキンローションを見ていたお母さん。

「わたしにも買って!」と駄々をこねる8歳くらいの娘に、

「あんた、こんなんつけたら死ぬで!」

と言い放ったあなたに座布団10枚。


海外旅行とバス 平成30年3月  2018/3/31(土) 午後 5:48 

まず初めに海外でのバス事情について述べたい。海外のバス事情と言っても、海外のホテルから空港の送迎バスの特徴を述べた後で海外の公共のバスについて述べたい。
日本国内で国際空港に到着する迄に乗車するバスについて述べる事はあえて後述します。

 私はブリティッシュコロンビア州でホテルから空港の送迎バスを利用したから言えますが一長一短がございます。
 ー長所ー
 ~安全運転での送迎と貨物の運搬~
 長所は安全運転での送迎で最重要です。海外での運転は日本国内の運転と同程度か日本国内よりも危険と考える必要はあります。又、国家によって法体系は違うとは言えども、海外においても厳しい道路交通法が存在してます。

 ~車内での肯定的な発言や街についての説明~
送迎をちゃんとしてくれるばかりか車内で町の説明をしてくれる点です。治安が悪い危険な街についての説明が行われると、多くの人は普通に賛同すると思います。あえて、危険な町に行くことについて私は推奨しません。

 ~ホテルの受付での連絡や早期入室の優遇~
 もしかしたら、ホテルへの早期入室も送迎バスの料金に含まれてるかもしれません。航空機が空港に到着する時間と予約したホテルの入室が許可される時間に大きな乖離(かいり)とも言うべき空き時間が発生してる可能性はあり得ます。日本から海外の空港に到着して入国審査を済ませて移動しホテルに到着した時に入室が許可されていない時間になってる可能性については考慮してください。運転手さんがホテルの受付で色々と連絡してもらえると心強いです。予約の確認も行われるかもしれない。いい加減なホテルだと予約を勝手に取り消してる可能性も考えられる。

 ~パスポートの確認~
 もしも、運転手からパスポートの有無について質問されたら黙って見せましょう。「千の言葉よりも一の実行。」とは伝えませんがそれはお互いの為です。

 -短所-
 ~他の旅行者の待機~
 短所は、「他の旅行者の待機。」と伝えられてイマイチ納得しない人がおられるかもしれないので実体験を語るような説明をします。私は関空を利用してカナダに行きました。それだけでなく成田空港からやってくる人もバス(実際にはパッセンジャーバン)でホテルに送ることから待機をせざるを得なかったのです。人によったらこの点について考えて空港連絡鉄道を利用されるかもしれません。空港からホテルへ送ってもらう時に運転手に出会った後スグにはバスが利用出来なかったので、せめて待つ場所は選びたいと思ったので私はティムホートンズ(ドーナツ店)に案内してもらいました。皆さんもドーナツ店等の飲食店で待機されてはいかがでしょうか?

 ~業者によるが高価格ないしはそれなりの金額~
 向こうも商売なのであまり大きな事は言えないばかりか役割をちゃんと果たしてくれたならば料金を支払うべきですしそれなりの金額である点は批判はしませんが空港連絡鉄道よりも高値であることは多いです。人によったら料金面を考慮して空港連絡鉄道を利用されるかもしれません。

 ~無意味な提案(観光案内等)~
 現地の観光業者にしても最小遂行人数があるらしいので事前に連絡してもらいたいそうです。フリープランであっても海外旅行案内書等を読んで予定をそれなりに作った人も世の中にはおられます。他の人はどうか知らないが日本にいる時に(余裕を持たせてはいるが)それなりの予定を計画して渡航する人はいます。

 ~車内において否定的に感じる発言内容~
 性格の悪い親類縁者が無礼で車内において否定的に感じる発言内容をやらかす人がいると本当に困るが、それとは性質が違いました。
 率直に伝えるがシーフードレストランのボートハウス(店名)のニューウェストミンスター店に行きたかったので運転手に質問したらご存じなかった。私が実際にニューウェストミンスター市に赴いたら営業してました。この部分は難しい部分で賛同は得られにくいかもしれないが「質問したことに対して良い返答が行えなかった案内人がいた。」と考えてもらいたい。「運転だけでも十分では?」と言われるとそれまでなんですけどもね。インターネット上の情報は全て虚偽とは言わないが過去形も存在してる点は否定出来ない。それもあって、確認した次第です。お店の場合は第二希望を用意しておいたが方が良いです。

 ~偽物が出現する恐れがある点~
 真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題は無いが偽物には問題があるんです。送迎の人に過去に会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は警戒するのはやむをえません。空港連絡鉄道が利用出来るならばそれを推奨します。 

以下はインド旅行記(平成18年に発表した特別版)からの抜粋です。

ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。
「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」
「イエス! イエス! イエース!!」 
私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」
そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」 と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」 と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!!

 ~やってきた時間が微妙~
 日本に帰国する時の迎えのバスがやってきた時間が微妙であったので帰国便に着席したのが飛行機(帰国便)の出発の40分前であった点です。次に送迎バスを利用するか否かについては考えてしまいます。自発的に空港に行く人もおられるかもしれない。利用する人がバスの時間を厳守してもバスが空港に到着した時間が微妙だと今後の利用については色々と考えてしまいますね。

 マトメ
 バスの利用ですが、日本にいる時に前もって自発的に調べておくことを推奨します。例外はフルパッケージツアーですがそれでも日本国内において国際空港に赴く為にバスを利用する時にはある程度は調べることは不可避になると考えられます。
 観光客向けのバスと万人向けのバスは大違いではあるが高いか安いかで判断して万人向けのバスを選ぶ人も多いと思いますしそれはその旅行者の自由だと思います。少々趣きが異なるかもしれませんがバスや空港連絡鉄道の代わりにレンタカーを利用される人は多いようです。確かに長所はございます。だが、レンタカーは危険ですので利用の妨害はしませんが推奨はしかねます。海外においても交通事故だけでなく交通違反の取り締まりや罰金刑も厳しいそうです。海外旅行保険があなたの全ての艱難辛苦を助けてくれるかどうかは微妙です。
 平成20年代になって国の内外を問わずに幾つかの町において、空港連絡鉄道が円滑に利用出来ますが利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。周知されてるように全ての国際空港において空港連絡鉄道が利用出来る訳ではありませんので前もって渡航先については各自で調べるべきです。到着した町について初心者であれば多少高値であっても空港からホテルへ送ってくれるばかりかホテルから空港へ迎えてくれるバスを依頼されてもよろしいかもしれません。送迎の内「送り。」だけないしは「迎え。」だけ依頼する人もおられるそうです。ホテルのシャトルバスを利用する人もいるらしく移動手段は多種多様です。観光地に行くことを除外して空港内のホテルに宿泊する人もおられるようですけどもね。
インターネット上で積極的に情報を発表してる海外のバス会社であればともかくですが海外では時刻表が無いバス会社もあるようでグーグルで調べても詳しく分からない場合もございます。しかしながら、利用せざるを得ない場合もあるようです。ミャンマー(ビルマ)のトラックのようなバス会社はそういった方針のようでバス(トラック)が満席になってから出発する方針のバス会社も存在するらしいです。
ビルマの休日 ヤフーブログ版
 ある深刻な問題が発生してる。日本国内の空港連絡鉄道についてですが南海のラピートの利用者等を除外すると旅行鞄が大きいことについて否定的な人が多いらしく批判してるらしい。それこそが批判の対象に思える人は多いのではなかろうか?鉄道の乗車賃を支払った後で利用してる人を批判するのは良くないので批判は辞めてもらいたい。旅行鞄を持ってるか否かは各自の自由です。無論、ラピートに限っては旅行鞄を設置する場所が確保されてるから批判の声が少ないかもしれない。鉄道よりもバスを利用することについて考慮するか否かは各自の判断ですし料金を支払った後の自由妨害は良くないと思います。皮肉ながら、バスであれば鉄道のように旅行鞄が原因で発生する問題の可能性が低減されてるから利用する人は多いようです。無論、時間(特に出発便)に余裕を持って行動しないといけません。帰国便の場合は職場に到着する時間でしょうか?日本の場合は少ないが、海外ではバス会社のストライキが発生する可能性も考慮しておいてください。
 実際に海外旅行に行かれるとバスの利用は重要になってきますのである程度は金銭的ばかりか時間の面でも余裕を持って対応してください。バスが利用出来ると利点も大きいです。例えるならば、高さが27.4メートルを超える橋も躊躇なく通過出来ます。そればかりか、ある程度の土地勘が出来上がるとバスを二回乗るのではなくて一回で済ませられることに気づいたりして楽しめる事もあります。

 最後に一つ笑い話を紹介します。
 私はバンクーバー水族館(観光地)を後にしてバスを利用しました。時差ボケもあって朦朧としてたこともあってそのバスから降りる時に一日乗車券(バンクーバートランスリンク)をなかなか出せないでいましたのでバスの運転手から「切符を忘れたの?(Did you forget ticket ? )」と質問された時に切符を見つけ出しピーと鳴らした事によってバス料金を支払ったので事なきを得ました。そこで降りた場所は本来降りるべき場所から若干離れた場所であったので眠たい時に迷子のような状態になってたが現地の在外邦人に偶然出会って道案内をしてもらいホテルに帰って部屋に戻り熟睡しました。その当時の時差が16時間なので朦朧とするのは仕方なかったです。日本と違ってカナダのブリティッシュコロンビア州では夏時間(16時間の時差)と冬時間(17時間の時差)が存在します。だから、私は頻繁に地元で道案内をするようになりました。皆さんも海外旅行を楽しんできてください。 敬具 マーキュリーマーク

外貨と海外旅行 平成30年3月   2018/3/31(土) 午後 5:48 
外貨。海外旅行に行くと外貨での支払いは半ば不可避です。想定が行える4種類の状態について述べたい。
第一にフルパッケージツアーを選んで日本国内の旅行代理店で全て支払い終える人や海外の親類縁者に頼る人。(いるらしいです)
第二は現地での支払い全てをカードで済ませる人。
第三は現金とカードの両方で支払いを済ませる人。
第四は現金のみで支払いを済ませる人。
マトメ
フルパッケージツアーを選んでお土産を買うにしても業者の通販を選ぶ人もおられるかもしれません。それだけでなく海外にお住まいの親類縁者に食事を御馳走してもらう人もおられるようです。レストランのチップですがカードでの支払いの時に支払えるようになってました。私が行ってきたカナダでは想定してたよりも支払い方法が現金のみのお店が多かったので驚きました。そういうこともあって現金(外貨)とカード払いの両方を選ぶ人もおられます。
いわゆるG7の国々のように日本と活発に貿易が行われてる国家であれば円滑に外貨両替は行えます。可能であれば外貨の両替は日本国内で済ませておく事を推奨します。理由は海外のATMの機械が不調の時が多いそうです。それに海外での手数料も少し高値であったような?外貨の中には日本国内で両替が簡単には行えない通貨ミャンマーチャット(MMK)等が存在してるので必要な金額以上に両替するのは辞めましょう。一部の投資家は外国為替の取引で利益を計上してるかな?
敬具マーキュリーマーク

お詫びと訂正
先日(平成30年4月16日)、梅田で営業してる某外貨両替専門店に赴いた所、「多少の制限は存在するが日本円からベトナムドンへの外貨両替ばかりかベトナムドンから日本円の両替も行える。」と教えられました。外貨の両替についての詳細は各自で調べてもらえると幸いです。
現時点では日本国内で、日本円をミャンマーチャットに外貨両替することは難しいみたいです。

なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか? 平成30年3月  
2018/3/31(土) 午後 5:49 
なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか?やはり、独身だったからでは無いでしょうか?奥さんとの新婚旅行は別として娘さんが生まれてからは全く海外旅行には行ってないようです。子供を育てるのは重労働なのは周知されてます。金銭的にも時間の面においても余裕が無くなったから海外旅行に行かなくなったと私は考えられます。無論、単純に海外に行くと楽しめるといった部分はあるが権利と責任という概念はございます。やはり、それなりの旅費が必要なのは言うまでもありません。実際に何度かドリアン長野と話したから言えますが何もない寒村(鳥取県米子市)よりも変化がある都会を好む考えは保有されてました。 敬具マーキュリーマーク

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花