2019年6月23日日曜日

平成28年10月のyahooブログ上の投稿

マラソン本 #2
2016/10/2(日) 午後 9:16
マラソン本 #2
日本振興銀行の経営破綻による混乱のさなか、代表執行役社長となった作家は、ふとしたきっかけで走り始める。五十代半ばを過ぎ、肉体は典型的メタボ、ストレス続きで精神的にもどん底だったが、走ることであらゆることが変わって行った。仲間との早朝練習、散々だった初マラソンから念願のサブフォー(4時間を切るタイム)達成、そしてさらなる自分への挑戦――震災を挟んで二年、マラソンによる予想外の変化をつづる感動的なランニング・エッセイ。
散々だった初フルマラソンというのはゴール直後、トイレに駆け込み、嘔吐と下痢で半死半生、誘ってくれた人に「なんでお金払ってこんな苦しい思いをしないといけないんですか」と恨み節、もう二度とマラソンなんかしないと決心したのに、翌日には走っていた。なんで?と思うだろうが、この感覚はランニングしている人なら首肯するだろう。
なにより感動的なのは、経営破綻の処理で連日連夜マスコミに追いかけられていた著者が鬱病気味になり、死んで楽になりたい、とまで思いつめ、いつ電車に飛び込んでもおかしくない精神状態だったのに、ランニングを始めて心身ともに健康になっていったことだ。
「仕事でも達成感は得られる。私だって原稿を書き終えた時、連載をやり遂げた時、達成感はある。しかしそれと、マラソンの達成感は別物なのだ。マラソンで得られるものは無償の、自分では何も求めない、自分自身の中から湧いて来る達成感なのだ。それはまるで、遭難して、命のことだけを考え、ようやく岸にたどり着いたときのような、何とも言えない心持ちなのだ。やったぞ!まだ、生きている。俺、まだ頑張れる。」

チョンキンマンションと香港の散歩
2016/10/17(月) 午後 9:54
ご連絡 今回、特別に香港の旅行記(チョンキンマンションと香港の散歩)をまとめました。 
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#46 チョンキン・マンション

at 2004 05/13 18:32 編集

チョンキン・マンションという名の安宿が香港にあるということは知っていた。が、まだ泊まったことはない。香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。漫画家でバックパッカーの小田空さんは、重慶大厦とは、通称を「チョンキン・マンション」。アジアを旅する際にホンコンに基地を置く世界の貧乏旅行者で、その名を知らぬ者はいない、旅人のとまり木。心の故郷(ふるさと)。食わせ物の迷宮。
香港銀座の一等地、右に左に高級ホテルをしたがえながら、ひときわ異彩と異臭を放つ、今にも朽ち果てそうなヨレヨレの汚いビル。
(小田空著「目のうろこ」より)http://amzn.asia/iqDx0Yt

と書いている。どうだ、どうだ、行ってみたいと思わんかね? (オレだけか~い)少なくとも私にはTDLよりも魅力的な場所に思えるぞ(行ったことないけど)。というわけで、死ぬまでに一度でいいからチョンキンに泊まりたいという熱い(のか?)想いを抱いて五月の連休を利用して四泊五日のチョンキンひとりツアーに出かけることにした。なじみのパキスタン・カレー屋のマスターにチョンキンに行くと言うと、「わたし、チョンキンよく知ってるよ。香港にいる時、よくカレーの材料買いに行ったね。もう十年以上も前になるかな。そうだ、ドリアンさん、チョンキンに泊まるなら、パパダ(せんべいのようなもの)5キロとホール・カルダモンとグリーンペッパー・ピクルス買ってきてくれへん? あっ、それから荷物になって悪いけど、ブラック・ラベルとシーバスもお願い」
俺は行商人か~いっ、と心の中で突っ込みつつ、香港へ。
地下鉄尖沙咀(チムシャツォイ)駅のE2番出口を出ると、ネーザン・ロードをはさんで、でかい雑居ビルが現われた。ああ~、あれがチョンキンなのね、と感慨にふける隙もなく、パキスタン人とおぼしきにーちゃんに「ニセモノ時計アルヨ」と声をかけられる。それからこの界隈をうろつくたびに声をかけられることになるのだが、やつらは百発百中、私を日本人と見抜いてしまうのだ。店で買い物をしたら、店員に広東語でしゃべりかけられるのはよくあることだったのに。なぜだ? 「職人芸」、もしくは「匠の技」という言葉を思い出す。
入口にはターバンを巻いたシーク教徒、パキスタン人、アラブ人、アフリカ人という見るからにキツイ人たちがたむろしていらっしゃいます。一階には何軒か両替所があるのですが、入口付近の三軒のブースにはいつも若い女性が座っています。むさいチョンキンにあって、泥沼の蓮、はきだめの鶴、という風情ですね。いや、レートの悪さをごまかすための香港人のこすい作戦かもしれません。チョンキンでは両替の手数料を取らないので、わざわざ遠くからやって来る人もいるみたいです。二階にある「Pacific Exchange Co.」という両替商がレートがいいようです。奥に入ってみると、コンビニ、鞄屋、服屋、土産物屋、インド食料品屋、散髪屋、食堂等がひしめきあってます。「チョンキン・マンションには一階と二階合わせて200軒以上の店があります」と書かれたプレートが天井付近に掲げられていますが、暇な人は確かめてみよう! 
チョンキンは金城武、フェイ・ウォン、トニー・レオン出演の映画、「恋する惑星」(英語題名「Chung King Express」)のロケにも使われています。この映画は1994年の作品なんですが、雰囲気はその頃と今も変わってないですね。ただ、一昔前はチョンキンと今は無き九龍城が香港の暗黒地帯の双璧だなんて言われてたんですが、最近のチョンキンは警官が巡回したり、防犯カメラを設置したり、夜中の12時になるとシャッターを降ろしたりと、安全面に関しては格段に進歩していますからね、チョンキンに泊まりたいけど、なんだか恐いと思ってらっしゃるそこのあなた、心配いりませんからねえ~。
17階建てのチョンキンにはA~E座が独立した棟として入っており、100以上もの安宿があるそうです。入って左にはA、B、C座が、右にはD、E座のエレベーターがあります。各座に偶数階行きと奇数階行きがあり、全部で10基のエレベーターが稼働しているのですが、宿泊客や住人、お米や食料品やガスボンベを荷車で配達する人、掃除のおばちゃんでいつも長い行列が出来ています。遅く帰って来たときなんか、行列を見ただけでうんざりします。でも、大丈夫! そんなときに限って、インド人のにーちゃんと香港人のおばちゃんが列に割り込んだ、どーしたと言い争いをしているという心が和む光景に出くわしますからあぁっ!
そんでもって、エレベーターの定員が7人なんですけどね、ガタイのいいシーク教徒のおじさんや小錦なみに体格のいいアフリカ人のおばさんなんかが乗ってくると、すかさず親のかたきみたいにブザーが鳴りまくるんですよ。仕方ないから、最後に乗ってきた人がうらめしそうに降りていくんですが、中には片足立ちになって、両手でバランスを取りながらブザーをやり過ごすという、「伊東家の食卓」で使えそうな裏ワザを駆使する人もいらっしゃいます。(つづく)

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年11月12日 ">
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平成十年代の海外旅行記です。結局、資本主義を受け入れ英国が開発した香港は狭い土地で発展を継続していくには高層建築に頼らざるをえない。重慶大厦ことチョンキンマンションは平成20年に大規模な改装が行われたばかりか治安対策も改善されたそうです。従って
冒頭で述べたように平成十年代の海外旅行記ということを念頭にお読みいただければ幸いです。重慶大厦にとって平成十年代と平成20年代は大違いのようです。
「海外旅行記を読んで作られた海外旅行記。」と伝えると重言に思われるかもしれませんが今となってはよくあるお話だと思います。実際の所、前もって訪問先について下調べを兼ねて海外旅行案内書を読んでから行くべきです。少なくとも一冊は読んでおきましょう。本当は複数の海外旅行案内書を読むことが推奨されてるようです。インターネット上の海外の町の案内についてですが悪くはありませんが仮にタブレットで読めるようにしておいても電気が使える場所(もしくはバッテリーが利用出来る期間)だけ有効ですので、紙媒体の書籍だと日光があれば読めるという利点もございます。
伊藤家の食卓は平成十年代(一応は平成9年から平成19年)に放映されてたテレビ番組です。日常生活の裏技を紹介する内容でした。
日本円を外貨に交換するのは日本国内で行われた後で海外旅行に行かれてはどうでしょうか?海外で両替で神経を使うのは推奨出来ません。ある程度の為替差損はやむを得ないが日本国内であれば日本語が通じるだけにお気楽です。実は海外で日本円を外貨に交換するのは問題が多いと言われてます。私も、ATMで手数料を取られたのは失敗したと考えました。日本でも外貨の交換の時には手数料が請求されるから何とも言い難いですけどもね。
映画「恋する惑星。」は香港では1994年に上映されたかもしれませんが、日本では1995年に上映されたようです。

#47 チョンキンよいとこ一度はおいで

at 2004 05/21 23:09 編集

チョンキンでの最初の宿はA座7階にある「ウエルカム・ゲストハウス」に泊まることにした。ガイドブックで紹介されているせいか、日本人宿泊客が多い宿だ。受付には誰もおらず、「御用の方は電話して下さい」という貼り紙がある。電話すると、20歳台の女性が出て来た。
「ごめんなさい、忙しくてね。なんせ私ひとりだけだから」
ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。彼女、インドネシア出身のシティは二つのゲストハウスを持ち、原石の販売もしているそうだ。もらった名刺にはルビー、サファイア、ガーネットといった宝石の他に痩身茶の名もあった。若いのになかなかのやり手だ。部屋は三畳ほどで狭いが、チョンキンでは平均的な広さだろう。シティの掃除が行き届いており、清潔。窓からネーザン・ロードが見えるのがいい。エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年当時)。可もなし不可もなし。ここには二泊した。チェックアウトした時のシティはぐったりと疲れていた。人を雇ったほうがいいと思う。
次はB座9階の「ハッピー・ゲストハウス」に行く。ここはTVドラマ「深夜特急 香港編」の撮影に使われたらしいので、話のネタに泊まってみようかと思ったのだが、ベルを鳴らしても誰も出て来ない。そのうち、隣のゲストハウスから「そこは満室だよ」とインド人が出て来た。その言葉は客引きが使う常套句だ。インドで散々聞いたわい。その男、グルング(28歳)にうちに泊まりなと誘われる。一泊180HKDだと言っていたが、部屋に案内されたら、「広い部屋を空けたから200ね」とぬかす。「きさまあ~、どこの出身じゃ~い」「カルカッ夕(コルカタ)」「やっぱり」
「オレは狭くても安い部屋がいいんだけど」「いや、ここしか空いてないから」
せこい奴め、きさまがそういう気なら、俺にも考えがあるわっ! 他に行くのが面倒なので泊まってやる。
だけど、「俺はトラベルライターだ。このホテルのことを雑誌に書いてもいいか」とはったりをかましたら、手の平を返したように「トイレットペーパーが無くなったら、言ってくれ」だの「飲料水は外にあるから自由に飲んでもいいよ」だの「エアコンのスイッチはここだよ」だの、さっきと態度がちゃうやんけ。キャッシュな奴め。
「グランド・ゲストハウス」、部屋は広いが、独房のような感じ。ひと休みしてから部屋を出たら、グルングが満面の笑顔で「満室になったよ!」。満室? なぜだあ~?
あくる日の昼前にチェックアウトしようとしたら、玄関にグルングが毛布を敷いて爆睡していた。宿泊客が起こすのはかわいそうだと思ったんだろう、右の手の平に鍵が置いてあったので、私も左の手の平に鍵を置いて出て行く。
さて、香港最後の夜。日本人バックパッカーはA、B、C座に宿泊が集中すると聞いた。分からんでもない。D、E座になるとその怪しさのディープ度に拍車がかかるような雰囲気がある。で、D座に泊まってみることにした。エレベーターに書かれているゲストハウスの名前を見ながら、どこにしようかなと思案していたのだが、名前の書いてあるプレートが新しそうなので9階の「ニュー・チャイナ・ゲストハウス」に泊まることにした。それが大当たりだったね。2002年にオープンしたばかりで、チョンキンとは思えない美しさ。エアコン、ホットシャワー、電話、TV付き(これがなんとリモコンTVだよ。驚いたね)でシングル120HKD~150HKDはお買い得だよ、奥さん! おまけに玄関の入口に宿泊客共有の冷蔵庫があり、長期滞在者のために無料の洗濯機まであるっていうんだから、至れり尽くせりだ。オーナーのピーターさんはE座8階にも「ニュー・ヤンヤン・ゲストハウス」を持っているそうなので、そこも見せてもらったが奇麗だった。宿泊客はアフリカ人がほとんど。ピーターさんも従業員のガーナ出身のアームストロング君(22歳)もフレンドリーでカインドリーだ。名刺を置いてきたから私の名前を言えば、きっとサービスしてくれる(ことを望む)。これで香港の宿泊は問題なしさ。近くにシェラトンやぺニンシュラもあるので、チョンキンに疲れたらロビーのソファーに座って気分をリフレッシュすれば大丈夫。さあ、ジョイン・トゥー・ザ・チョンキン・ワールド!(つづく)
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平成16年の海外旅行記です。読み進めるとまるで巨大高層建築物が一つのダンジョンにも感じられ町のようにも思えます。テレビで見るような円滑に物事が進む海外旅行記とは全く無関係です。平成20年代は芸能人の旅人が試練を体験する旅行番組も存在しますから否定的に考える人もおられるかもしれませんけどもこういった従業員の失態を見る機会は少ないと思います。開拓をしてるようにも感じられますね。皆様、大自然を大農地にするのが開拓ではなくて不明瞭な町をいかにして楽しむのかについても開拓と考えられませんか?平成十年代の海外旅行記ですので現在と過去の宿泊費や為替レートは違ってきていますので相違については各自でお調べください。

深夜特急 香港編の書籍は現在、新潮社さんが販売されています。
90年代に放映された深夜特急のDVDは、(平成29年11月現在も)販売されてます。
海外旅行で、ある一定の仕事や時間の束縛から逃れる事は行えるかもしれませんが、フェイスブック等で狂人が詰問を繰り返してきたので、抗議すると暴力的な書き込みの返答をやらかすから時代は昨今と違って大きく変わりました。皆さん、海外旅行されてる人に詰問をするのは辞めましょう。なぜならば、安全に関わるからです。詰問してきた理由は後にユスリが行えると考えてたばかりか発狂してるから暇だったのでしょうね。多忙な人は詰問をしないが利益になると考えると嗜虐心を満たせるユスリ行為の可能性が高いです。
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」

皆様、平成十年代のゴールデンウィークと平成20年代のゴールデンウィークにはどのような違いがございますか?

 私は日本人が執筆した海外旅行案内書で紹介されてるホテル(〇イアットリージェン〇ーバンクーバー)に宿泊したから言えますがそれなりに困ったこともございました。ホテルは選べるがホテルに宿泊に来る人は選べません。現地時間ですが少なくとも午後10時半を過ぎて扉を何度も開閉させて金属音を何度も作り出して議論してた日本人観光客がいましたので抗議しました。その日の翌日の早朝に私はホテルを後にする予定があったので大変困りました。そればかりか、ホテルのロビーで罵るじゅう信房子みたいなアジア系外国人がいました。ほぼ無意味に私に対して罵ってきたりと大変でした。
 無礼な日本人観光客がいたので大変困りました。紹介されてるホテルに行くのは良いしインターネット経由や海外旅行代理店経由で予約をするのは全く問題がないけども、皆様、海外においても礼儀正しく過ごしてもらいたい。礼儀正しい日本人もカナダにはおられましたけどもね。
#48 チョンキンの夜は更けて

at 2004 06/25 22:25 編集

「300だ」
「高いな。他の商品はないのか」
「いくらなら買う?」
「いや、他の商品はないかって聞いてるんだ」
男がファイルされたルーズリーフをせわし気にめくる。6畳くらいの部屋には壁に向かって作業机が並んでいて、時計の部品が無造作に散らばっている。それを少年が熱心に組み立てている。
ここはチョンキンから100メートルほど離れたミラドール・マンション一階にある工房だ。ミラドールもチョンキン同様、安宿の集合ビルだが、新しい分だけ設備が整っているらしい。話のネタにと、ニセ・ブランド時計の客引きに声を掛けたら、ここに連れてこられた。さきほど連れてこられた二人の中年の白人女性たちも隣の席でルーズリーフの写真を見せられている。
「男物はロレックスだけだ。ブルガリもあるが、これは女物だけだ」
ロレックスは言っちゃあ悪いが、成り金オヤジの趣味だ。まるっきりイケてない。ちなみに私は腕時計は持ってない。ケータイの時間表示で充分だし、海外に行くときは電池で動く、ちっこい目覚まし時計を持って行く。
「この時計イケてねー」「もっと安くしろー」と散々ごねる私にとうとうキレたのか、「あんたの欲しい時計なら外で売っている」と通りに追い出された。仕方ないから、露店で売ってる一個30HKDの時計を買ったね。それにしても、あんなに簡単に客を手放すってことは一日に何人もの客が食いついてくるってことか? それに時計が一個売れれば、客引きと実際に売りつける男にそれぞれ、いくら入ってくるのだ? ああ、知りたい。
チョンキン内にあるインディアン・フード・ショップで頼まれていたカレーの材料を買ったんだけど、久々に頭にきたね。買い物の品を抱えてレジに持っていき、精算した時に持ち合わせが少ないことに気づいた。「両替えしてくるから」と店を出て、近くの両替店で両替して戻ってきた。「えーっと、いくらだっけ?」と店のオヤジに聞くと、「199(HKD)だ」と言うので払って出てきた。近くの通りにある「スタバ」でぼーっとしていると、はっとした。待てよ、199いうたら、めちゃめちゃ高くないか? あわててレシートを確かめてみると、99HKDになっとるやんけ。あーっ! やられたーっ! 100ぼられたやんけーっ!けど、 わっかっとる、悪いのはこのおれやあっ。おれがあほやったんやあー。騙されたんが悪いんや。今からその店にねじりこみに行ってもレシートに書いてあるさかい、どもならんわ。しかし、腹立つからその店の名を書いておこう。チョンキン二階にある「マハラジャ・プロビジョン・ストア」だ。オヤジのインド人は大きいことはできなさそうな、小ずるくて小心者の貧相で女には絶対もてそうもない顔やったでー(小学生か)。

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年10月29日 ">

ここで気を取り直して、チョンキンにあるお勧めのレストランを書いておこう。D座には「アフリカン・サービス・センター」という一室がある。理髪をしたり、アフリカ料理を食べさせたりするらしいが、入ったことはない。なんせ、外観は他の安宿と変わりなく、秘密クラブのような雰囲気だ。今度、安宿に泊まってるアフリカ人に連れてってもらうことにして、私のお勧めは三階にある「エベレスト・クラブ」。ここのシェフは一流ホテルで修行していたそうで、ビーフカレーも自慢のノビリティアン・ビリヤーニもとても上品な味だ。内装もゆったりと落ち着いていて、チョンキンにいることを忘れてしまうほどだ。チョンキンには何軒かインド・レストランが入っているが、味と値段の安さを比べてみるとここが断トツだと思う。ネパール人マネージャー、メゲンドラ君が言うには、「日本人もよく来てくれる。香港に住んでいる日本人でここを知らない人はいない」んだそうだ。彼は日本に行ったとき写真を撮りまくり、400枚もの現像を頼んでカメラ屋のおやじをびっくりさせたというほどの大の親日家だ。だけどメゲンドラ君、日本のことを夢中で話す君の話を聞いてたら、もうちょっとで帰りの空港行きのバスに乗り遅れるとこやったで。それに10%割引きのメンバーズカードをくれたんはありがとうやけど、今度いつ使えるか分からんで。ひょっとしたら、使われへんかもしれへんでー。

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 実に、平成十年代らしい海外旅行記です。平成十年代は携帯電話が普及した年代です。歯車を販売する企業の社長がテレビ番組に出演した時(平成十年代)に「時計向けの製品の売り上げが下がった。」と嘆いてました。
 皆様、本当に海外旅行をされるなら時計は二つ以上用意しておいてください。ドリアン長野は携帯電話と置時計の2個で対応するようにしてるようです。過去に私は海外旅行の代理店に赴きました。その時に従業員さんから「時計は日本時間に合わせた時計と海外の現地時間に合わせた時計の二つを持って行くようにしてください。」と冷静に伝えられました。万が一、日本からの出発便に乗り遅れるのは論外ですし、外国から日本へ行く帰国便に乗り遅れるのも同じ位に良くないので時計は二つ以上保有するようにしてください。私は普段は懐中時計を日本時間に合わせて利用してます。私はカナダのブリティッシュコロンビア州に行ってきましたのでカナダのブリティッシュコロンビア州の時間に合わせた腕時計を利用しました。日本との時差は夏時間で16時間で、冬時間は17時間です。午後11時過ぎに食事をした経験が皆様も一度はあるとは思いますが、かの地では朝食の時間でした。23-17=6 23-16=7
前述した両者だけでなく小型の置時計も現地に到着してから時刻合わせをしてから利用しました。万が一、置時計の中に電池を入れたままにしておくと電子音が鳴ることから空港等で保安面の検査を受ける可能性がございます。
海外旅行の場合、国家によっては夏時間と冬時間の両者を採用してる場合がございますので税込で¥1080も支払えば買える単純な何時何分何秒が分かる防水のアナログ式時計を保有してるか否かで大違いです。私はカナダ旅行の時はテルバ(クレファー社のTELVA)の腕時計にしました。正直、最近話題の安価な腕時計でも十分だと思います。この旅行記を読まれた人物がいつ頃、海外旅行に行くかについては皆目見当がつきませんが、もしも、夏時間から冬時間への切り替えもしくは冬時間から夏時間への切り替えの時に海外に赴かれた場合だと単純なアナログ式の腕時計は竜頭をひねるだけで円滑に行えるのでお気楽です。また、もしもの故障や窃盗の被害にあった時も複数の時計を日本で買っておけばそんなには困らないと思います。しかしながら、旅立つ前に腕時計の電池の交換はしておいてもよろしいかもしれません。時計の修理と電池交換の専門店が私の地元で営業しておりまして私がカナダ旅行をする前に購入した腕時計の電池の容量について少し不安になって点検してもらったら電池の容量が減っていて少ない状態であまりよろしくない状態だったらしく電池交換をしてもらいました。多少の支払いはやむを得ませんでした。時計を日本で買っておいた方が良い理由は、海外旅行中に時計店で時間を無駄にする事を防げるばかりか言葉が通じるので説明等の点で安心といった部分は存在します。例外は海外旅行(スイス等)の最中に時計店で高級なスイス製の機械式時計を買いたい人位です。
安価な腕時計の場合だと、日本国内でカシオのMQ-24やシチズンのVP46を購入しても悪く無いと思います。 これらの腕時計は日本国内の店で販売されてます。



上記がMQ-24。下記がVP46。

前述しましたが、私はカナダではTELVAの腕時計を利用しました。 http://amzn.asia/iGueE7Z

日本製の腕時計も近年は流行してますのであえて、それを海外旅行に用いても悪く無いかもしれません。
高い安いだけではなくて、ちゃんと役割を果たしてくれるかどうかも重要です。
もしくは高値ですがスマートウォッチを利用されても良いかもしれません。平成29年現在、私はスマートウォッチは保有してませんので恣意的な意見を伝えるようですが自動的に時差を調節してくれるらしいです。ある意味、全く逆に最近は安価な腕時計がブームになってるので役割を果たしてくれる商品(腕時計)は人気があると考えられます。 繰り返すようですが、時計を日本時間に時刻合わせをした時計、訪問する外国の時間に時刻合わせをした時計の合計二つ以上を保有した上で海外旅行に行くことを私は推奨しますし提案します。一つで二役のアナデジ時計等はもしも、見間違えると悲劇に至る可能性があるので推奨しません。帰国便に乗り遅れると保険が適用されない限りは悲惨です。
 例外は時差が日本と無い国か時差が12時間の外国への旅行だけであろうか?カナダのハリファックスにおいては夏時間を採用してる時は日本との時差が12時間とされてます。ただ、今回のように香港と日本の時差は一時間なのでそれくらいなら計算は簡単と考える人は多いかもしれません。
デザインよりも、機能を果たしてくれるかどうかにこだわる人は多いに違いないです。皆様、海外旅行の時に¥108で販売されてる防水性が無い腕時計は辞めておきましょう。日本の¥100ショップが売ってる商品を過信するのは禁物です。海外でも降雨はあり得ますし私が行ったブリティッシュコロンビア州は降雨の日が多かったです。ブリティッシュコロンビア州のバンクーバーは別名レインクーバーと言われてます。日本との時差が激しい外国は存在するので皆様に海外旅行の時には日本時間と海外時間に適合させた腕時計の2種類を利用されることを皆様に提案します。
 おつりの間違いは日本でもあって私が京都市内の○ァミリーマートでも¥50足りないお釣りの時があってそれ以降は京都市内のファミリーマー○にはほとんど行かなくなりました。皆様、物品の購入の時にはどこであっても気をつけましょう。日本も安心出来なくなりました。他にも、供給する商品が欠落してるのは詐欺行為に思えます。冷やかしが目的で優柔不断な姿勢を継続すると店員が怒るのは世界中どこでも変わらないようです。だけど、強要は日本では違法です。通販業者のamazon.comが年間で7000億円以上の売り上げを作ったのはどういうことか?を考える必要が日本の小売業者にはありますね。
アフリカ料理ですがかつて私の地元でアフリカ料理店が営業してたのでドリアン長野にプレゼントしたことがあって彼は喜んで食べてました。エボラウイルスで有名なアフリカのコンゴ民主共和国で製造されたトマトソースで味付けされた料理はおいしかったですね。日本でもすでに中京の某霊長類研究所でエボラウイルスに感染した猿達が多数死んでいたのは常識です。エボラウイルスも焼却処分には弱いから問題は無いと私は考えてます。最近はエボラウイルスは沈静化したみたいですね。
エベレストクラブは本当に評判が良いレストランのようです。今となっては、デジカメの時代になって画像データをメールで送信する時代になりました。平成20年代であってもアナログな人には今でも写真を郵送するのでしょうか?店員さんが親切なのは良いと思います。だけど、何らかの時間については理解した上で行動を取らないと帰国が困難になるので皆様も万が一、海外旅行に行かれたら自己主張はしましょう。実は、野球帽を購入する時に店員同士が喋っていたから邪魔はしなかったが急に質問をしてきたからそれなりの自己主張はさせていただきました。
そういえば、日本国内であっても店側から配布されたクーポン券って使用しないことが多いですよね?無論、人によっては頻繁に使用するクーポン券の存在については否定しません。
日本とは全く違う海外の二種類(ミラドールとチョンキン)の建物だけでこれだけ楽しめる所は少ないと考えられます。 あべのハルカスは別かも? 再び消費税が増税された後(8%から10%)では多くの日本人が生活必需品しか購入しなくなると小売業者にとっては冬の時代が来るとも言われてます。 平成十年代は日本人がお気楽な旅行が行えた最後の年代になる恐れがございます。
オマケ
HKDとはホンコンドルの略称です。念のため。




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#46 チョンキン・マンション

at 2004 05/13 18:32 編集

チョンキン・マンションという名の安宿が香港にあるということは知っていた。が、まだ泊まったことはない。香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。漫画家でバックパッカーの小田空さんは、重慶大厦とは、通称を「チョンキン・マンション」。アジアを旅する際にホンコンに基地を置く世界の貧乏旅行者で、その名を知らぬ者はいない、旅人のとまり木。心の故郷(ふるさと)。食わせ物の迷宮。
香港銀座の一等地、右に左に高級ホテルをしたがえながら、ひときわ異彩と異臭を放つ、今にも朽ち果てそうなヨレヨレの汚いビル。
(小田空著「目のうろこ」より)http://amzn.asia/iqDx0Yt

と書いている。どうだ、どうだ、行ってみたいと思わんかね? (オレだけか~い)少なくとも私にはTDLよりも魅力的な場所に思えるぞ(行ったことないけど)。というわけで、死ぬまでに一度でいいからチョンキンに泊まりたいという熱い(のか?)想いを抱いて五月の連休を利用して四泊五日のチョンキンひとりツアーに出かけることにした。なじみのパキスタン・カレー屋のマスターにチョンキンに行くと言うと、「わたし、チョンキンよく知ってるよ。香港にいる時、よくカレーの材料買いに行ったね。もう十年以上も前になるかな。そうだ、ドリアンさん、チョンキンに泊まるなら、パパダ(せんべいのようなもの)5キロとホール・カルダモンとグリーンペッパー・ピクルス買ってきてくれへん? あっ、それから荷物になって悪いけど、ブラック・ラベルとシーバスもお願い」
俺は行商人か~いっ、と心の中で突っ込みつつ、香港へ。
地下鉄尖沙咀(チムシャツォイ)駅のE2番出口を出ると、ネーザン・ロードをはさんで、でかい雑居ビルが現われた。ああ~、あれがチョンキンなのね、と感慨にふける隙もなく、パキスタン人とおぼしきにーちゃんに「ニセモノ時計アルヨ」と声をかけられる。それからこの界隈をうろつくたびに声をかけられることになるのだが、やつらは百発百中、私を日本人と見抜いてしまうのだ。店で買い物をしたら、店員に広東語でしゃべりかけられるのはよくあることだったのに。なぜだ? 「職人芸」、もしくは「匠の技」という言葉を思い出す。
入口にはターバンを巻いたシーク教徒、パキスタン人、アラブ人、アフリカ人という見るからにキツイ人たちがたむろしていらっしゃいます。一階には何軒か両替所があるのですが、入口付近の三軒のブースにはいつも若い女性が座っています。むさいチョンキンにあって、泥沼の蓮、はきだめの鶴、という風情ですね。いや、レートの悪さをごまかすための香港人のこすい作戦かもしれません。チョンキンでは両替の手数料を取らないので、わざわざ遠くからやって来る人もいるみたいです。二階にある「Pacific Exchange Co.」という両替商がレートがいいようです。奥に入ってみると、コンビニ、鞄屋、服屋、土産物屋、インド食料品屋、散髪屋、食堂等がひしめきあってます。「チョンキン・マンションには一階と二階合わせて200軒以上の店があります」と書かれたプレートが天井付近に掲げられていますが、暇な人は確かめてみよう! 
チョンキンは金城武、フェイ・ウォン、トニー・レオン出演の映画、「恋する惑星」(英語題名「Chung King Express」)のロケにも使われています。この映画は1994年の作品なんですが、雰囲気はその頃と今も変わってないですね。ただ、一昔前はチョンキンと今は無き九龍城が香港の暗黒地帯の双璧だなんて言われてたんですが、最近のチョンキンは警官が巡回したり、防犯カメラを設置したり、夜中の12時になるとシャッターを降ろしたりと、安全面に関しては格段に進歩していますからね、チョンキンに泊まりたいけど、なんだか恐いと思ってらっしゃるそこのあなた、心配いりませんからねえ~。
17階建てのチョンキンにはA~E座が独立した棟として入っており、100以上もの安宿があるそうです。入って左にはA、B、C座が、右にはD、E座のエレベーターがあります。各座に偶数階行きと奇数階行きがあり、全部で10基のエレベーターが稼働しているのですが、宿泊客や住人、お米や食料品やガスボンベを荷車で配達する人、掃除のおばちゃんでいつも長い行列が出来ています。遅く帰って来たときなんか、行列を見ただけでうんざりします。でも、大丈夫! そんなときに限って、インド人のにーちゃんと香港人のおばちゃんが列に割り込んだ、どーしたと言い争いをしているという心が和む光景に出くわしますからあぁっ!
そんでもって、エレベーターの定員が7人なんですけどね、ガタイのいいシーク教徒のおじさんや小錦なみに体格のいいアフリカ人のおばさんなんかが乗ってくると、すかさず親のかたきみたいにブザーが鳴りまくるんですよ。仕方ないから、最後に乗ってきた人がうらめしそうに降りていくんですが、中には片足立ちになって、両手でバランスを取りながらブザーをやり過ごすという、「伊東家の食卓」で使えそうな裏ワザを駆使する人もいらっしゃいます。(つづく)

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年11月12日 ">
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平成十年代の海外旅行記です。結局、資本主義を受け入れ英国が開発した香港は狭い土地で発展を継続していくには高層建築に頼らざるをえない。重慶大厦ことチョンキンマンションは平成20年に大規模な改装が行われたばかりか治安対策も改善されたそうです。従って
冒頭で述べたように平成十年代の海外旅行記ということを念頭にお読みいただければ幸いです。重慶大厦にとって平成十年代と平成20年代は大違いのようです。
「海外旅行記を読んで作られた海外旅行記。」と伝えると重言に思われるかもしれませんが今となってはよくあるお話だと思います。実際の所、前もって訪問先について下調べを兼ねて海外旅行案内書を読んでから行くべきです。少なくとも一冊は読んでおきましょう。本当は複数の海外旅行案内書を読むことが推奨されてるようです。インターネット上の海外の町の案内についてですが悪くはありませんが仮にタブレットで読めるようにしておいても電気が使える場所(もしくはバッテリーが利用出来る期間)だけ有効ですので、紙媒体の書籍だと日光があれば読めるという利点もございます。
伊藤家の食卓は平成十年代(一応は平成9年から平成19年)に放映されてたテレビ番組です。日常生活の裏技を紹介する内容でした。
日本円を外貨に交換するのは日本国内で行われた後で海外旅行に行かれてはどうでしょうか?海外で両替で神経を使うのは推奨出来ません。ある程度の為替差損はやむを得ないが日本国内であれば日本語が通じるだけにお気楽です。実は海外で日本円を外貨に交換するのは問題が多いと言われてます。私も、ATMで手数料を取られたのは失敗したと考えました。日本でも外貨の交換の時には手数料が請求されるから何とも言い難いですけどもね。
映画「恋する惑星。」は香港では1994年に上映されたかもしれませんが、日本では1995年に上映されたようです。

#47 チョンキンよいとこ一度はおいで

at 2004 05/21 23:09 編集

チョンキンでの最初の宿はA座7階にある「ウエルカム・ゲストハウス」に泊まることにした。ガイドブックで紹介されているせいか、日本人宿泊客が多い宿だ。受付には誰もおらず、「御用の方は電話して下さい」という貼り紙がある。電話すると、20歳台の女性が出て来た。
「ごめんなさい、忙しくてね。なんせ私ひとりだけだから」
ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。彼女、インドネシア出身のシティは二つのゲストハウスを持ち、原石の販売もしているそうだ。もらった名刺にはルビー、サファイア、ガーネットといった宝石の他に痩身茶の名もあった。若いのになかなかのやり手だ。部屋は三畳ほどで狭いが、チョンキンでは平均的な広さだろう。シティの掃除が行き届いており、清潔。窓からネーザン・ロードが見えるのがいい。エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年当時)。可もなし不可もなし。ここには二泊した。チェックアウトした時のシティはぐったりと疲れていた。人を雇ったほうがいいと思う。
次はB座9階の「ハッピー・ゲストハウス」に行く。ここはTVドラマ「深夜特急 香港編」の撮影に使われたらしいので、話のネタに泊まってみようかと思ったのだが、ベルを鳴らしても誰も出て来ない。そのうち、隣のゲストハウスから「そこは満室だよ」とインド人が出て来た。その言葉は客引きが使う常套句だ。インドで散々聞いたわい。その男、グルング(28歳)にうちに泊まりなと誘われる。一泊180HKDだと言っていたが、部屋に案内されたら、「広い部屋を空けたから200ね」とぬかす。「きさまあ~、どこの出身じゃ~い」「カルカッ夕(コルカタ)」「やっぱり」
「オレは狭くても安い部屋がいいんだけど」「いや、ここしか空いてないから」
せこい奴め、きさまがそういう気なら、俺にも考えがあるわっ! 他に行くのが面倒なので泊まってやる。
だけど、「俺はトラベルライターだ。このホテルのことを雑誌に書いてもいいか」とはったりをかましたら、手の平を返したように「トイレットペーパーが無くなったら、言ってくれ」だの「飲料水は外にあるから自由に飲んでもいいよ」だの「エアコンのスイッチはここだよ」だの、さっきと態度がちゃうやんけ。キャッシュな奴め。
「グランド・ゲストハウス」、部屋は広いが、独房のような感じ。ひと休みしてから部屋を出たら、グルングが満面の笑顔で「満室になったよ!」。満室? なぜだあ~?
あくる日の昼前にチェックアウトしようとしたら、玄関にグルングが毛布を敷いて爆睡していた。宿泊客が起こすのはかわいそうだと思ったんだろう、右の手の平に鍵が置いてあったので、私も左の手の平に鍵を置いて出て行く。
さて、香港最後の夜。日本人バックパッカーはA、B、C座に宿泊が集中すると聞いた。分からんでもない。D、E座になるとその怪しさのディープ度に拍車がかかるような雰囲気がある。で、D座に泊まってみることにした。エレベーターに書かれているゲストハウスの名前を見ながら、どこにしようかなと思案していたのだが、名前の書いてあるプレートが新しそうなので9階の「ニュー・チャイナ・ゲストハウス」に泊まることにした。それが大当たりだったね。2002年にオープンしたばかりで、チョンキンとは思えない美しさ。エアコン、ホットシャワー、電話、TV付き(これがなんとリモコンTVだよ。驚いたね)でシングル120HKD~150HKDはお買い得だよ、奥さん! おまけに玄関の入口に宿泊客共有の冷蔵庫があり、長期滞在者のために無料の洗濯機まであるっていうんだから、至れり尽くせりだ。オーナーのピーターさんはE座8階にも「ニュー・ヤンヤン・ゲストハウス」を持っているそうなので、そこも見せてもらったが奇麗だった。宿泊客はアフリカ人がほとんど。ピーターさんも従業員のガーナ出身のアームストロング君(22歳)もフレンドリーでカインドリーだ。名刺を置いてきたから私の名前を言えば、きっとサービスしてくれる(ことを望む)。これで香港の宿泊は問題なしさ。近くにシェラトンやぺニンシュラもあるので、チョンキンに疲れたらロビーのソファーに座って気分をリフレッシュすれば大丈夫。さあ、ジョイン・トゥー・ザ・チョンキン・ワールド!(つづく)
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平成16年の海外旅行記です。読み進めるとまるで巨大高層建築物が一つのダンジョンにも感じられ町のようにも思えます。テレビで見るような円滑に物事が進む海外旅行記とは全く無関係です。平成20年代は芸能人の旅人が試練を体験する旅行番組も存在しますから否定的に考える人もおられるかもしれませんけどもこういった従業員の失態を見る機会は少ないと思います。開拓をしてるようにも感じられますね。皆様、大自然を大農地にするのが開拓ではなくて不明瞭な町をいかにして楽しむのかについても開拓と考えられませんか?平成十年代の海外旅行記ですので現在と過去の宿泊費や為替レートは違ってきていますので相違については各自でお調べください。

深夜特急 香港編の書籍は現在、新潮社さんが販売されています。
90年代に放映された深夜特急のDVDは、(平成29年11月現在も)販売されてます。
海外旅行で、ある一定の仕事や時間の束縛から逃れる事は行えるかもしれませんが、フェイスブック等で狂人が詰問を繰り返してきたので、抗議すると暴力的な書き込みの返答をやらかすから時代は昨今と違って大きく変わりました。皆さん、海外旅行されてる人に詰問をするのは辞めましょう。なぜならば、安全に関わるからです。詰問してきた理由は後にユスリが行えると考えてたばかりか発狂してるから暇だったのでしょうね。多忙な人は詰問をしないが利益になると考えると嗜虐心を満たせるユスリ行為の可能性が高いです。
もし、皆様が海外旅行中にフェイスブック(タイムライン)等を通じて詰問してくる人がいたら以下の文章そのままか参考にして連絡した後で冷静にブロックすることを推奨します。
「海外は日本国内と違って、治安が悪く安全に関わるのでそういった質問は控えてください。万が一の事があったらあなたは責任を取ってくれますか?」

皆様、平成十年代のゴールデンウィークと平成20年代のゴールデンウィークにはどのような違いがございますか?

 私は日本人が執筆した海外旅行案内書で紹介されてるホテル(〇イアットリージェン〇ーバンクーバー)に宿泊したから言えますがそれなりに困ったこともございました。ホテルは選べるがホテルに宿泊に来る人は選べません。現地時間ですが少なくとも午後10時半を過ぎて扉を何度も開閉させて金属音を何度も作り出して議論してた日本人観光客がいましたので抗議しました。その日の翌日の早朝に私はホテルを後にする予定があったので大変困りました。そればかりか、ホテルのロビーで罵るじゅう信房子みたいなアジア系外国人がいました。ほぼ無意味に私に対して罵ってきたりと大変でした。
 無礼な日本人観光客がいたので大変困りました。紹介されてるホテルに行くのは良いしインターネット経由や海外旅行代理店経由で予約をするのは全く問題がないけども、皆様、海外においても礼儀正しく過ごしてもらいたい。礼儀正しい日本人もカナダにはおられましたけどもね。


#48 チョンキンの夜は更けて

at 2004 06/25 22:25 編集

「300だ」
「高いな。他の商品はないのか」
「いくらなら買う?」
「いや、他の商品はないかって聞いてるんだ」
男がファイルされたルーズリーフをせわし気にめくる。6畳くらいの部屋には壁に向かって作業机が並んでいて、時計の部品が無造作に散らばっている。それを少年が熱心に組み立てている。
ここはチョンキンから100メートルほど離れたミラドール・マンション一階にある工房だ。ミラドールもチョンキン同様、安宿の集合ビルだが、新しい分だけ設備が整っているらしい。話のネタにと、ニセ・ブランド時計の客引きに声を掛けたら、ここに連れてこられた。さきほど連れてこられた二人の中年の白人女性たちも隣の席でルーズリーフの写真を見せられている。
「男物はロレックスだけだ。ブルガリもあるが、これは女物だけだ」
ロレックスは言っちゃあ悪いが、成り金オヤジの趣味だ。まるっきりイケてない。ちなみに私は腕時計は持ってない。ケータイの時間表示で充分だし、海外に行くときは電池で動く、ちっこい目覚まし時計を持って行く。
「この時計イケてねー」「もっと安くしろー」と散々ごねる私にとうとうキレたのか、「あんたの欲しい時計なら外で売っている」と通りに追い出された。仕方ないから、露店で売ってる一個30HKDの時計を買ったね。それにしても、あんなに簡単に客を手放すってことは一日に何人もの客が食いついてくるってことか? それに時計が一個売れれば、客引きと実際に売りつける男にそれぞれ、いくら入ってくるのだ? ああ、知りたい。
チョンキン内にあるインディアン・フード・ショップで頼まれていたカレーの材料を買ったんだけど、久々に頭にきたね。買い物の品を抱えてレジに持っていき、精算した時に持ち合わせが少ないことに気づいた。「両替えしてくるから」と店を出て、近くの両替店で両替して戻ってきた。「えーっと、いくらだっけ?」と店のオヤジに聞くと、「199(HKD)だ」と言うので払って出てきた。近くの通りにある「スタバ」でぼーっとしていると、はっとした。待てよ、199いうたら、めちゃめちゃ高くないか? あわててレシートを確かめてみると、99HKDになっとるやんけ。あーっ! やられたーっ! 100ぼられたやんけーっ!けど、 わっかっとる、悪いのはこのおれやあっ。おれがあほやったんやあー。騙されたんが悪いんや。今からその店にねじりこみに行ってもレシートに書いてあるさかい、どもならんわ。しかし、腹立つからその店の名を書いておこう。チョンキン二階にある「マハラジャ・プロビジョン・ストア」だ。オヤジのインド人は大きいことはできなさそうな、小ずるくて小心者の貧相で女には絶対もてそうもない顔やったでー(小学生か)。

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年10月29日 ">

ここで気を取り直して、チョンキンにあるお勧めのレストランを書いておこう。D座には「アフリカン・サービス・センター」という一室がある。理髪をしたり、アフリカ料理を食べさせたりするらしいが、入ったことはない。なんせ、外観は他の安宿と変わりなく、秘密クラブのような雰囲気だ。今度、安宿に泊まってるアフリカ人に連れてってもらうことにして、私のお勧めは三階にある「エベレスト・クラブ」。ここのシェフは一流ホテルで修行していたそうで、ビーフカレーも自慢のノビリティアン・ビリヤーニもとても上品な味だ。内装もゆったりと落ち着いていて、チョンキンにいることを忘れてしまうほどだ。チョンキンには何軒かインド・レストランが入っているが、味と値段の安さを比べてみるとここが断トツだと思う。ネパール人マネージャー、メゲンドラ君が言うには、「日本人もよく来てくれる。香港に住んでいる日本人でここを知らない人はいない」んだそうだ。彼は日本に行ったとき写真を撮りまくり、400枚もの現像を頼んでカメラ屋のおやじをびっくりさせたというほどの大の親日家だ。だけどメゲンドラ君、日本のことを夢中で話す君の話を聞いてたら、もうちょっとで帰りの空港行きのバスに乗り遅れるとこやったで。それに10%割引きのメンバーズカードをくれたんはありがとうやけど、今度いつ使えるか分からんで。ひょっとしたら、使われへんかもしれへんでー。

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項

 実に、平成十年代らしい海外旅行記です。平成十年代は携帯電話が普及した年代です。歯車を販売する企業の社長がテレビ番組に出演した時(平成十年代)に「時計向けの製品の売り上げが下がった。」と嘆いてました。
 皆様、本当に海外旅行をされるなら時計は二つ以上用意しておいてください。ドリアン長野は携帯電話と置時計の2個で対応するようにしてるようです。過去に私は海外旅行の代理店に赴きました。その時に従業員さんから「時計は日本時間に合わせた時計と海外の現地時間に合わせた時計の二つを持って行くようにしてください。」と冷静に伝えられました。万が一、日本からの出発便に乗り遅れるのは論外ですし、外国から日本へ行く帰国便に乗り遅れるのも同じ位に良くないので時計は二つ以上保有するようにしてください。私は普段は懐中時計を日本時間に合わせて利用してます。私はカナダのブリティッシュコロンビア州に行ってきましたのでカナダのブリティッシュコロンビア州の時間に合わせた腕時計を利用しました。日本との時差は夏時間で16時間で、冬時間は17時間です。午後11時過ぎに食事をした経験が皆様も一度はあるとは思いますが、かの地では朝食の時間でした。23-17=6 23-16=7
前述した両者だけでなく小型の置時計も現地に到着してから時刻合わせをしてから利用しました。万が一、置時計の中に電池を入れたままにしておくと電子音が鳴ることから空港等で保安面の検査を受ける可能性がございます。
海外旅行の場合、国家によっては夏時間と冬時間の両者を採用してる場合がございますので税込で¥1080も支払えば買える単純な何時何分何秒が分かる防水のアナログ式時計を保有してるか否かで大違いです。私はカナダ旅行の時はテルバ(クレファー社のTELVA)の腕時計にしました。正直、最近話題の安価な腕時計でも十分だと思います。この旅行記を読まれた人物がいつ頃、海外旅行に行くかについては皆目見当がつきませんが、もしも、夏時間から冬時間への切り替えもしくは冬時間から夏時間への切り替えの時に海外に赴かれた場合だと単純なアナログ式の腕時計は竜頭をひねるだけで円滑に行えるのでお気楽です。また、もしもの故障や窃盗の被害にあった時も複数の時計を日本で買っておけばそんなには困らないと思います。しかしながら、旅立つ前に腕時計の電池の交換はしておいてもよろしいかもしれません。時計の修理と電池交換の専門店が私の地元で営業しておりまして私がカナダ旅行をする前に購入した腕時計の電池の容量について少し不安になって点検してもらったら電池の容量が減っていて少ない状態であまりよろしくない状態だったらしく電池交換をしてもらいました。多少の支払いはやむを得ませんでした。時計を日本で買っておいた方が良い理由は、海外旅行中に時計店で時間を無駄にする事を防げるばかりか言葉が通じるので説明等の点で安心といった部分は存在します。例外は海外旅行(スイス等)の最中に時計店で高級なスイス製の機械式時計を買いたい人位です。
安価な腕時計の場合だと、日本国内でカシオのMQ-24やシチズンのVP46を購入しても悪く無いと思います。 これらの腕時計は日本国内の店で販売されてます。


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上記がMQ-24。下記がVP46。

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前述しましたが、私はカナダではTELVAの腕時計を利用しました。 http://amzn.asia/iGueE7Z


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日本製の腕時計も近年は流行してますのであえて、それを海外旅行に用いても悪く無いかもしれません。
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高い安いだけではなくて、ちゃんと役割を果たしてくれるかどうかも重要です。
もしくは高値ですがスマートウォッチを利用されても良いかもしれません。平成29年現在、私はスマートウォッチは保有してませんので恣意的な意見を伝えるようですが自動的に時差を調節してくれるらしいです。ある意味、全く逆に最近は安価な腕時計がブームになってるので役割を果たしてくれる商品(腕時計)は人気があると考えられます。 繰り返すようですが、時計を日本時間に時刻合わせをした時計、訪問する外国の時間に時刻合わせをした時計の合計二つ以上を保有した上で海外旅行に行くことを私は推奨しますし提案します。一つで二役のアナデジ時計等はもしも、見間違えると悲劇に至る可能性があるので推奨しません。帰国便に乗り遅れると保険が適用されない限りは悲惨です。
 例外は時差が日本と無い国か時差が12時間の外国への旅行だけであろうか?カナダのハリファックスにおいては夏時間を採用してる時は日本との時差が12時間とされてます。ただ、今回のように香港と日本の時差は一時間なのでそれくらいなら計算は簡単と考える人は多いかもしれません。
デザインよりも、機能を果たしてくれるかどうかにこだわる人は多いに違いないです。皆様、海外旅行の時に¥108で販売されてる防水性が無い腕時計は辞めておきましょう。日本の¥100ショップが売ってる商品を過信するのは禁物です。海外でも降雨はあり得ますし私が行ったブリティッシュコロンビア州は降雨の日が多かったです。ブリティッシュコロンビア州のバンクーバーは別名レインクーバーと言われてます。日本との時差が激しい外国は存在するので皆様に海外旅行の時には日本時間と海外時間に適合させた腕時計の2種類を利用されることを皆様に提案します。
 おつりの間違いは日本でもあって私が京都市内の○ァミリーマートでも¥50足りないお釣りの時があってそれ以降は京都市内のファミリーマー○にはほとんど行かなくなりました。皆様、物品の購入の時にはどこであっても気をつけましょう。日本も安心出来なくなりました。他にも、供給する商品が欠落してるのは詐欺行為に思えます。冷やかしが目的で優柔不断な姿勢を継続すると店員が怒るのは世界中どこでも変わらないようです。だけど、強要は日本では違法です。通販業者のamazon.comが年間で7000億円以上の売り上げを作ったのはどういうことか?を考える必要が日本の小売業者にはありますね。
アフリカ料理ですがかつて私の地元でアフリカ料理店が営業してたのでドリアン長野にプレゼントしたことがあって彼は喜んで食べてました。エボラウイルスで有名なアフリカのコンゴ民主共和国で製造されたトマトソースで味付けされた料理はおいしかったですね。日本でもすでに中京の某霊長類研究所でエボラウイルスに感染した猿達が多数死んでいたのは常識です。エボラウイルスも焼却処分には弱いから問題は無いと私は考えてます。最近はエボラウイルスは沈静化したみたいですね。
エベレストクラブは本当に評判が良いレストランのようです。今となっては、デジカメの時代になって画像データをメールで送信する時代になりました。平成20年代であってもアナログな人には今でも写真を郵送するのでしょうか?店員さんが親切なのは良いと思います。だけど、何らかの時間については理解した上で行動を取らないと帰国が困難になるので皆様も万が一、海外旅行に行かれたら自己主張はしましょう。実は、野球帽を購入する時に店員同士が喋っていたから邪魔はしなかったが急に質問をしてきたからそれなりの自己主張はさせていただきました。
そういえば、日本国内であっても店側から配布されたクーポン券って使用しないことが多いですよね?無論、人によっては頻繁に使用するクーポン券の存在については否定しません。
日本とは全く違う海外の二種類(ミラドールとチョンキン)の建物だけでこれだけ楽しめる所は少ないと考えられます。 あべのハルカスは別かも? 再び消費税が増税された後(8%から10%)では多くの日本人が生活必需品しか購入しなくなると小売業者にとっては冬の時代が来るとも言われてます。 平成十年代は日本人がお気楽な旅行が行えた最後の年代になる恐れがございます。
オマケ
HKDとはホンコンドルの略称です。念のため。




#53 香港の散歩(芸能人ではありません)

at 2004 12/01 23:38 
海外で何が一番楽しいかというと、言うまでもなく散歩である。私の場合はガイドブック片手にうろうろするので純然たる散歩とはいえないが、それでも右手に路地があれば入り込まねば気がすまないし、左手に面妖な物売りがいれば声をかけるのにやぶさかではなし、前方に小汚い食堂があれば満腹でない限り入ってみるのである。ただし、歩くのは速い。ほとんど徒競走だ。限られた短い滞在時間に少しでも多くのことを見ようとするから気があせって小走りになる。夜は旅行日記を書くので、くたくたになって宿に帰ってきても書き終わるまで眠られない。その日の詳細をいちいち書いていると一時間くらいかかってしまう。う~、早く寝たいと眠い目をこすりながら日記をつけていると研修旅行でもしているような気分になる。最近では外出するたびに日記用のノートを持ち歩き、飯を喰ったり、お茶してる間にちょこちょこと書くようにしている。観光客然とした出で立ちでいると危ないので、スーパーのビニール袋にカメラとガイドブックと日記帳を突っ込んで俺はジモティー(地元民)だよという顔して歩く。そのせいか、盗難に遭ったことは一度もない。
香港は狭い土地なので三日もうろうろすれば概要は分かってくる。とにかく、どこに行っても人がいっぱいだ。旺角なんて渋谷のセンター街の何倍もの人だかりだ。頭がくらくらしてくる。人込みに疲れると、チョンキンマンション近くの九龍公園に行った。フィリピーノの憩いの場所になっていて、彼女たちに混じってベンチに座り、スーパー「ウエルカム」で買ったおやつを食べながらぼ~っとする。夜になると「シティスーパー」という大型スーパーに行く。ここには世界各国の食料品がずら~っと陳列され、在香港邦人の姿もよく見かける。私が香港を一番インターナショナルな街だと実感する場所である。そんな香港の街歩きで私のお気に入りの場所が二か所あった。(つづく)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
大変残念ながら、海外旅行中にカメラ撮影をドリアン長野はしたようですが、海外旅行中に撮影した画像データの発表は一度も行われなかったので転載は一切行えません。
海外旅行で何をするかの説明をした海外旅行記でもあります。現地(香港)のお店の紹介も行われてます。
私がバンクーバーに行った時は日本に居た時よりも長時間歩行したと思います。海外で公共交通機関を頻繁に利用しました。ですが、行きのバス停は調べておいたが帰りのバス停をiPadで調べ忘れたことから本来、下車した方が良い場所で下りずに手前でバスから離れたりしてしまったから現地の在外邦人に道案内をしてもらい助かった事がありました。(笑)
海外でレンタカーを借りない限りは実際に歩く距離が日本に居る時よりも増加すると思うので良い靴を履かれる事を推奨します。可能であれば、ゴアテックス、ビブラム、オーソライトが採用されてる登山靴を利用されると良いと思います。ゴアテックスは防水、防風、透湿の効果がありビブラムは滑り止めになるし、オーソライトは疲れが軽減されます。
無論、大阪のミナミで営業してる北極アイスではなくて本当の極地に行く場合は防寒性能が高い靴を日本で購入した上で旅行されることを推奨します。いわゆるパックブーツは複数の企業が販売してるので各自でお調べください。ちなみに私が購入したくてもカナダでは買えなかったコディアックブーツは下記を参照してください。
 
俗説なので賛同が得られるかどうかは各自にお任せしますが、欧州の治安が悪い町に行くと日本で有名な海外旅行案内書を持って海外旅行してると現地の犯罪者達に注目されて危険と言われてます。

 海外旅行中に案内書等で紹介されてる有名な飲食店に行く途中で他の飲食店が営業してる事がほとんどだと思うのですが、そこでも食事をした経験がある人は多いと思います。私の場合はフレッシュスライスピザがそれに該当します。人によって意見が分かれるかもしれませんが個人的には気に入りました。業界3位以下でも良い仕事をする会社は存在してます。
















#54 続 香港の散歩(芸能人ではありません)

at 2004 12/11 00:09 編集

まずは中環(セントラル)に行ってみる。地下鉄から地上に出てみると、おおっ、そこはロンドンのシティかと見まがうほどにエリートビジネスマン&ウーマンが闊歩する香港経済の中心地であり、おされな地区である。高層オフィスビルがばんばんと林立し、バスに乗り合わせたおのぼりさんの中国人が、うおおお~っと一斉に喚声をあげるほどだ。正直なやつらめ。かわいいじゃないか、中国人。ただ背後にはすぐ山が迫っているので、坂を昇っていくとすぐにオールドチャイナが顔を出し、高層ビル群が書き割りみたく思える。散歩の途中に下校帰りの小学生に出くわしたが、みんな将来は香港大学を卒業して香港経済の要職に就きそうな上品で賢そうな顔をしていらっしゃられる。そんな山の手から地下鉄で西へ一つ目に上環(ションワン)がある。かつては商業の中心地だったのだが、今はさびれ、ださいといえばださい。中環とは比ぶべくも無い。下校途中の小学生も庶民的というよりは頭が悪そうだ。思い出せないほど遥か昔、大阪が天下の台所として殷賑を極めていたのも束の間、あれよあれよと江戸にその中心を奪われ現在にまで至っているのを彷佛させる街だ。ほっとけ!
上環駅からハンコ屋が密集する文華里を抜けると、蛇料理を出すレストランがある。昔は蛇問屋が多かったそうだ。少し歩くと骨董品街のハリウッド・ロードやキャット・ストリートがあり、ここからは坂道が多くなる。その一角にある香港最古の廟である文武廟に入ってみる。ここには緑の衣をまとった文の神様と赤の衣をまとった武の神様が祭ってあり、原色のド派手な神様だ。それでも熱心に祈っている参拝者を見ているとこっちも敬虔な気持ちになってくる。そこからハリウッド・ロードを北西へ道なりに歩いていくと仏具屋や棺桶屋がある。店の前には参詣した際に燃やす紙で作った車や紙幣なんかがずらっとぶら下がっていて壮観だ。道がクイーンズ・ロードと交差したあたりから乾物屋が多くなり、下町の中の下町、まるで下町を煮染めて佃煮にしたような雰囲気になってくる。たまにあるコンビニやマクドナルドがミスマッチだ。歩いているうちに段々と異臭がしてくるが、これは梅芳街という数十メートルの横丁に塩漬け魚を売る店があるからだ。店の前には干し魚が所狭しと吊り下げられ、それを猫車でせわしなく運搬している。このタンパク質が発酵した臭いというのは、お好きな人にはたまらん臭いだ。発酵学、醸造学者の小泉武夫先生によれば、チーズというごく一部の例外を除けば、地球上でカビを使う食文化圏はアジア地域に限られているそうだ。日本ではこの手の臭いが駆逐されているのは残念至極だ。そこから大通りに出ると乾物屋問屋街になる。ブリキで作ったようなレトロな緑色のトラムに乗り、二階席に陣取ってこの通りを眺めるのも乙なもんですな。店のおやじがドリアンの段ボールをたたんでたり、八百屋の前で猫があくびをしたりするのを見ていると、意識がとろとろとしてきて、中国を清といってた時代に思いがはせ、アヘン戦争だの東学党の乱だのといった言葉が浮かんできたりしますな。さて、散歩は九龍へと戻りやしょう。(つづく)
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平成十年代の出来事です。最近は、中国も香港も激変したと思います。その当時を連想し読んでもらえれば幸いです。
私はブリティッシュコロンビア州を旅行中にトランスリンクといって御堂筋線のように地上と地下を混在させた路線の鉄道に乗りました。バラード駅やウォーターフロント駅の近辺は繁華街でありビジネス街になってたのを連想します。地下鉄が利用出来る町は香港でもカナダでも栄えるようです。
ノースバンクーバー市の魚屋の前を通り過ぎましたが匂いは全くしなかったように思えました。シーフードレストランにも行ったが、ごく普通に過ごせました。






#55 続々 香港の散歩(芸能人ではありません)

at 2005 01/12 23:19 編集


油麻地(ヤウマテイ)駅から上海街を南下していくと一気にディープな中華街になってきます。右に左に仏具屋や雑貨屋や線香屋なんかがあって、正真正銘、由緒正しきチャイナタウンという感じです。こんな所を歩いていると心底、落ち着きます。もう少し行くと天后廟に突き当たります。廟は赤を基調としていて、守り神はいかにも中国という感じの妖しい人形たちです。若い女性も多く、線香をあげて熱心におがんでいます。その入口にある公園では、おじさんたちが佃煮のように密集して、昼寝をしたり将棋をしたり簡素なビリヤード台で玉突きをしたりして、おじさんたちの憩いの場になっています。この光景を見ていると、大阪は西成にある三角公園、別名トライアングル・パーク(嘘)を思い出します。ホームレスの憩いの場所である三角公園には街頭テレビがあり、みんな金曜ロードショーなんかを観ています。年末なんか総合格闘技の「プライド」を観てたりして、どこかの通のおっちゃんが、桜庭の師匠の高田がどうたらこうたらと講釈をたれてたりしてますが、チャンネルは誰が決めてるんだろうといつも気になります。そこからまっすぐ行くと廟街(テンプル・ストリート)になります。夜になると男人街と呼ばれる場所ですね。私はナイト・マーケットよりも昼間のだらだらっとした感じが好きです。しばらく歩くと佐敦道(ジョーダン・ロード)にぶつかりますから、右折してうろうろしていると、公園やらサッカー場やら公設市場がある場所に出ます。官涌街という通りを下っていくと場末のポルノ映画館があります。侘びしさが素敵な通りです。このうらぶれた感じがたまりません。ここで散歩は終わりです。地下鉄で帰ることにしましょう。スターフェリーで香港島に渡ってみようと船着き場に行くと、これがまたものすごい人だかり。香港の映画スターの手形がはめ込まれたプロムナードには何千人という人民と観光客が密集しています。みんな夜景を観にきたんだなと思っていましたが、そのうち「音と光のショーへようこそ」というナレーションが聞こえてきたかと思うと、対岸の香港島の高層ビル群からイルミネーションが乱舞し、レーザー光線が飛び交い、ステレオサウンドで音楽が鳴り響き、屋上からは花火がどっかんどっかんと上がり、ほぇ~っと見とれているうちに20分ほどでショーは終了しました。はぁーっ、ええもん見せてもらいましたわ。そういえば、空港に着いたときにパンフレットを配ってましたが、それには5月1日から9日は特別に花火の打ち上げをやりますと書いてありました。ああ、この期間中に香港に来れてよかった。これでいつ死んでもいいわと思いました。マジで。
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
地元、大阪と香港を比較した海外旅行記ですね。やはり、旅行に行くと旅先と地元を比較するのは不可避だと思います。

 この海外旅行記を読んだからか影響を受けたかどうかは明言しませんが、事実上、前述したが私もバンクーバー市からノースバンクーバー市に行く時にシーバスと言ってトランスリンクが営業してるフェリーに乗って軽く船旅をしてきました。海外で船旅をするのも悪く無いと思います。あの時現地の人が「船がもうすぐ出港するから走った方が良い。」と走りながら発言した人がいて私だけがその提案に賛同し走っていたのを昨日のように連想する。そして、その提案をした人は本当に走ってたのを見て驚かれてたような?大阪市内だと駅構内で走るのは普通ですからね。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ドリアン長野は平成20年代になって平成10年代の海外旅行を懐古したようです。


カンボジア旅行記 (リターンズ2.0)

2016/10/18(火) 午後 3:45






ご連絡 今回、特別にカンボジア旅行記(カンボジア~とカンボジア再び)をまとめました。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

管理人マーキュリーマーク


カンボジア~ (リターンズ)
 「い、いっでぇ~っ!」 
腹痛で目が覚めた。時計を見ると、まだ朝の5時前だ。シェムリアップのホテルでついに下痢に襲われてしまった。原因は分かっている。昨日、アンコール・トムを見物したあと、ホテル近くの屋台に夕飯を食べに行った。そこは広場に立ち並ぶ屋台のうちの一つで、母と娘が切り盛りしていた。昼に食事した時、彼女たちが親切にしてくれたのだ。広場にはゴミ捨て場もあって、ハエを追っ払いながらメシを食うのも難儀だったがな。行ってみると、昼間は汚れた顔をしていた娘が化粧して着飾っている。夜は営業用の顔か? ともかく、フルーツを何種類かミキサーに入れてジュースにしてくれたので、飲んだ。それがいかんかったようだ。しかし、その時点では大したことがなかったので、早朝にホテルをチェックアウトした。「フリーダム」という名のそのホテルはホテルといっても、ゲストハウスに毛が生えた程度だ。モーニング・コールを頼んだはいいが、部屋に入ってみると電話がない。はて、どうすんだ?と思っていたら、翌朝、フロントの人がその時刻に部屋のドアを叩きに来たのであった。このホテルはプノンペンの空港で客引きのにいちゃんに勧められた。バイクの送迎付きで一泊15ドルのはずなのに、二泊で40ドルだとぬかしやがった。(もちろん30ドルにさせたけど)行きは飛行機だったが、帰りの便が満席だったので、スピード・ボート(という名の渡し船)にした。
 ボートは強盗に襲われるので危険なのだそうだが、地元の人や観光客が大勢乗っていてのんびりしたものだ。5時間かけて、プノンペンに着く。ううっ、いかん、小腸及び肛門周辺に緊急事態発令~っ。船着き場からダッシュでホテルにチェックインして、トイレに駆け込む。軟便というよりは水である。ああっ、フラフラする。3時間ほど横になったが、眠れない。今日はゆっくり静養しようと思ったが、せっかくカンボジアまで来て無為に過ごすのはもったいない。なんとか病身を起こし、ピーピーのヘロヘロ状態でホテルを出て、バイク・タクシーをつかまえた。郵便局に行ってハガキを出してから、情報省に行く。ここでパスポートと写真を提出し、書類に必要事項を記入すれば、ジャーナリスト・カードを5ドルで発行してくれるのだ。その間、わずか10分。カオサンあたりで売っているぱっちもん(ニセモンのことです)とはわけが違う。何に使うのかというと、これが大いに役に立つ。日本に帰国する際、税関職員の目につくようにパスポートにはさんでおくのだ。職員がパスポートをめくりながら言う。 「これは何ですか?」 「ジャーナリスト・カードです」 「すると、今回はお仕事で?」 「ええ、まあ、取材でね」 とかなんとか言って楽しむわけだ、これが。(うっ、書いてて涙が.....)ともかくだなっ、それだけをやり終えるとシアヌーク通りにあるコンビニ、「Tokyo store」でパンとジュースとミネラルウオーターを買い、ホテルに戻った。まだ6時前だが、今日の行動は全て終了! ベッドに倒れ込む。
 それから翌朝までベッドとトイレを20往復はした。食欲はないが、脱水症状になるのでこまめに水分を補給する。買っておいたパンにはとうとう手をつけなかった。下痢と寝不足でヨタヨタと空港までたどり着き、なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。その間、ず~っとお尻はピーピーさ。その3日後、仕事から帰ると保健所から留守電が入っていた。
 「あなたの乗っていた帰国便の乗客の中からコレラ患者が出ました。追跡調査をしたいので連絡して下さい」ってな!
 げげ~っ! あわてて夕刊を読むと、インド帰りの男性がコレラを発病。インドで食べた乳製品が原因らしい。今年始めてのコレラ患者。という記事が載っていた。その男はラッシーを飲んで感染したに違いない。そういえば、飛行機の中で私の隣に座った男は青い顔をして機内食も食べずに(私も無理して食べたが、残してしまった。機内食を残したのはそれが始めてだ)、頻繁にトイレに行ってたぞ。うぬぬ、まさか、そやつが.......。
 あくる日、保健所に電話して、体にはなにも異常なし、と答えておいた。「お尻がピーピーですう~」などと正直に申告するといろいろと面倒だ。昔、インドから帰った時に懲りてるからな。 

その日に病院に行って、薬をもらってきた。医者からは「3日以上、下痢が続いたら危険ですよ」とあきれられたけど。薬を飲んだら、お尻は沈静化した。それだけで済んだのならよかったが、私は当時、夜間大学に通っていたのだ。何日間かは薬を飲んでいたのだが、ある日、下痢が再発し講議を休んだ。しかし、その日は期末試験が行なわれていたのだったぁ~っ。知らなかったんだよぉ~。大事な必修科目を落とした私は結局、大学を中退することになってしまったのだ。ううっ、カンボジア~。 
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 これは、実話です。 色々とあって、追試もダメになりました。
やはり、虚言を言ってしまった懲罰もあったかもしれない。 こういった日和見が多くの日本人に迷惑をかける可能性だってありますからね。 そういえば、三月と言えば卒業シーズンですね。 二月や三月には激変を体験されてこられた人々も多いに違いありません。
幾つか存在している海外旅行記の中でよく見受けられる内容の中の一つに疾病の問題があります。 国際化社会なので風土病は無くなっているし砂嵐の影響でウイルスが飛散していると言われてもいます。 「アフリカのどこかの国から日本に歩いてやってきたのか、エボラウイルス?」と質問したくなるような事態が愛知県で発生しました。 要するに、2010年に愛知県で研究の為に飼育されていたニホンザルが謎の病気に集団感染して流血して死亡していたのです。 
 他にも、東南アジア方面の商品を日本へ輸入する商売人から聞いたお話ですが、台湾で下痢に襲われてから必ず胃薬を持ち歩くようにするようにしたそうです。 
 是非については、問いませんが日本の大手乳酸菌飲料メーカーがインドに進出しました。 現地(インド)のラッシーが存在は許されていても余り信用されていないからか、それなりに営業面で成果を導き出しているそうです。 まぁ日本でも一般的な商品と少し違う輸入品は、それなりに人気があるのと同様です。例えるならば外車のようなものです。 全く逆に、ラッシーは日本でも人気のある飲み物になっていますね。 

 カンボジアは、平成10年代に変わりました。 平成20年代の昨今では、カンボジア製の靴やアパレル商品は、日本国内においても一般的になってきました。それだけ、経済復興を成し遂げているようです。


カンボジア~その2 (リターンズ)

アンコール・ワットやアンコール・トムにはカメラのフィルムや絵葉書や笛や扇子を売りつける少女がごまんといる。観光客を見つけると、「お兄さん、お兄さん」と雲霞の如く寄ってくるのだ。彼女たちをかきわけ、かきわけ遺跡を見ているうちに、ふと思った。プノンペン市内ではほとんどお金を使うことはなかったが、遺跡を見るためにシェムリアップに来てからは予想外に散財した。まず、プノンペンからシェムリアップ間の航空券が55ドルに、帰りのスピード・ボート代が25ドル。アンコール・ワットに一回入場するたびに20ドル必要だ。あと、バイクタクシーやホテル代も結構使ったし、出国税もいるから、その分だけ所持金から引いてみるとだな........。があ~ん! 今日のホテル代を払ったらすかんぴんやあ~っ! 困ったあ~、どうすんねん、と遺跡の中で一人、頭を抱える私であった。
 ともかくホテルに戻り、リュックをかき回してみると、ベトナム紙幣が5万ドンほど見つかった。すぐに中国人経営の両替商で両替してもらうと、9ドルになった。う~、ありがたや、これでご飯が食べられる。あとは日本円の硬貨をかき集めると2000円ほどになったが、硬貨は両替できない。日本人のツアー客をアンコール・ワットの前で待ち構えて、紙幣に両替してもらおうか等と思案しながらもう一度ホテルに戻ると、フロントで日本人らしき男が二人、話をしている。そう思うやいなや私は一目散に駆け寄り、彼らに話しかけていた。
 「すいません、日本のかたですか?」 「そうですよ」
 事情を話すと、心良く両替してくれた。のみならず、ホテル内にある中華レストランでご飯をおごってくれ、1万円も貸してくれた。いい人やあ~。聞くと、これからバンコクからネパールへ行き、帰国するのは二か月後だそうだ。あとから考えると、二か月もの間、2000円も使えない硬貨を持ち歩くのはさぞかし邪魔だったであろう。川原様、ありがとうございました。おかげで私は生きて日本に帰ることができました。
 さっそく、二日間世話になったバイクタクシーのソーウオッポにガイド料を払う。大金が入って気が大きくなっていたので奮発して20ドル渡した。とたんに彼の顔がだらしなくデヘヘ~となったので、しまった、払い過ぎたなと思った。初日にガイド料を聞いたら、「It depends on you 」(お任せします) と言われていたので少なかったら悪いと思っちゃうんだよな。敵も人の心理をよく心得てるよ。いかん、いかん。せっかくのお金を大事に使わんとな。それからは出費をできる限り押さえた。ずっと頭を洗ってなかったのでシャンプーを買いにコンビニに行った時も、5ドル(!)もしたので30分迷って結局、買うのをやめたくらいだ。(頭がかゆい)
 だけどプノンペン・ポチェントン空港の出国税が20ドルだったのは痛かったぞ。その日はバンコクで一泊し、翌朝ホテルの前でタクシーを拾う。空港まで 350バーツだというので「バーツの持ち合わせがない」と財布の中身を見せた。運ちゃんはその中にあったドル紙幣を目ざとく見つけ、空港で5ドルを両替すればいいと提案し、運賃も300バーツに負けてくれた。空港の銀行で5ドル出すと、両替は最低10ドルからだと言う。仕方なくボロボロの5ドル札をもう一枚差し出すと、古いお札は受け取れん、とぬかす。きしょーめ、ビンボー人だと思ってなめんなよ。今度は1ドル札を5枚取り出すと、それも駄目だと拒絶! ふぎーっ! どないせいっちゅうねんっ!! 結局、最初の5ドルだけ両替してもらった。(なら、最初からそうしろよな)
 ドンムアン空港の出国税は250バーツ(現在は500)。出国審査を終えるともう外国の通貨は必要ない。手持ちのお金を日本円に換金し、この時点で所持金が1000円と9ドルと5・5バーツ。  
 なんとか帰国して自宅にたどり着いた時の所持金は1133円だった。昔、「がっちり買いまショー」というテレビ番組があったが(知ってるか?)、その海外版があったとしたらわしの優勝やあ~っ! 


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  ドンムアン空港の出国税は平成25年(2013年)に800バーツに値上がりしたそうです。過去の海外旅行記なので過去はともかく、現在は各種料金の値上がり等の価格の変動はあり得ますので、価格等の詳細は各自で調べてもらいたい。


 1990年代から平成10年代の時期には、デジタルカメラが銀塩カメラを駆逐し始めたような時期でした。 何度もお伝えしているように、これらの旅行記が作られたのは、1990年代から平成10年代の時期です。平成10年代後半には、デジタルカメラは一般的になってきていて、2010年代には、カメラ店(家電量販店に切り替った)や現像や焼付けを請け負うお店(自宅内部のプリンターや自動販売機に切り替った)が激減してきましたね。
 国内であれ海外であれ旅行には幾ばくかのお金が必要だから見積もりをしないといけませんね。今回のように外国人観光客相手に政府も事実上の入場料金を徴収しています。
 シャンプーもリンスも最近の日本では、¥100ショップで販売されていますね。ブリティッシュコロンビア州では店の商品全てが一つにつき$1.40の均一価格のお店が営業してたのを連想しました。
 特筆すべきは、心優しき日本人。 普通、一万円という金額を見ず知らずの他人に貸したりしません。 全く、論外な要求をしていましたね。これは、お笑いエッセイで無ければ非難されている旅行記であろう。 
 最近では、一時期とは違いテレビであっても金満旅行ばかりか貧乏旅行で注目を集めている場合がありますね。だけど、一般人であっても海外から帰国した時であってもある程度の金銭的な余裕は不可欠で、空港から自宅の交通費も考慮した上での行動が必要です。旅に行くのは自由だが他人に迷惑をかけないようにしないといけません。私がブリティッシュコロンビアへ旅行に行った時もそれなりの金額が必要でしたが予算の範囲内で済ませました。
 余談ながら、近畿地方の私鉄沿線の方々に限っては安値で関空に行き来が行える特殊乗車券が販売されてます。詳しくは各自でお調べください。
 インターネットである程度は過去のテレビ番組についても発表される時代になってきましたね。昭和30年代から昭和50年に至って放送されたテレビ番組を知る人は少なくなっているかも?
 何度も書き伝えてますが、為替レート、出国税等の金額は当時の状況であって現在の為替レートではありません。念のため。
 そういえば、地味にカンボジア製のアパレル商品や靴が一般的に販売される時代になってきましたね。あなたが保有してる衣服はC国製ことカンボジア製かもしれません。私はカンボジア製の衣服だけでなくカナダ製の衣服も保有してます。

カンボジア再び その1 


at 2005 10/21 00:09 編集

Conquer your passion and you conquer the whole world.
己の欲望を征服できれば全世界を征服できる。(ヒンドゥーの諺)
暑さで眼が覚めた。天井の扇風機が視界に入る。ここはどこだ? と覚醒していない頭で一瞬、考える。少しづつ脳が現実を把握し始める。シアヌーク通りはプノンペン市内でも最先端の通りだ。独立記念塔を中心に伸びるこの通りにはカフェ・バー、ハンバーガーショップ、ディスコ、日本料理店、スーパーマーケット、ベトナム航空の事務所等が点在する。二日前に国内線でシェムリアップまで飛び、アンコールワットやアンコールトムを見てまわった。そんなに散財したつもりはなかったのに、所持金がほとんどないことに遺跡の中で気がついた。
財布には日本の硬貨が二、三千円あったが、紙幣でないとリエルに両替もできない。僕は一日や二日なら飲まず食わずに野宿なら辛抱できるのだが、昨夜のホテル代や現地で雇ったバイクタクシーのソーウォッポに払うガイド料もない。ツアーで来ている日本人観光客に両替を頼もうかと思ったが、それもためらわれた。バックパッカーは堅気のツーリストを恃んではいけないという矜持みたいなものがあった。と言えば聞こえはいいが、要するに観光客の立場に自身を置き換えてみれば、人品卑しきバックパッカーが近寄ってくれば、これはと身構えるのが当然だろう。結局、同じゲストハウスに投宿していた二人組の日本人旅行者を見かけ、地獄に仏とばかりに両替を持ちかけた。武士は相身互いですからと快く両替してもらったばかりでなく、夕食までご馳走になってしまった。四十代と思しき二人組の年長の人は 「私もバングラデシュでお金がなくなったことがありましてね。気持ちはよくわかりますよ」と言われた時には、自分だったら見ず知らずの他人にこんなにもできるのだろうかと反省しきりであった。(続く)

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海外旅行というものは基本的に贅沢で自己責任で行う娯楽ですが散財したつもりはなくても散財したことには変わりありません。「支払った。」は「支払った。」ということです。実は、海外で販売されてる日本製の商品は日本よりも高値の場合が多いのです。
ちなみに、平成10年代の海外旅行記ですので平成20年代にはドリアン長野はすでに40歳ではなく50歳を過ぎてます。
 皆さん、もしも、海外旅行されるとしたら日本国内で過ごす一日当たりの生活費よりも高いお金を支払う気持ちで望みましょう。無論、(日米両国が)民主党政権時代(平成20年代初期)と比較して円安になったことも影響してます。
 外貨は外貨。この海外旅行記を読まれた人はそれなりに考慮された上で行動されるとは思います。私はブリティッシュコロンビア州の有人の両替所に入りはしたが両替は控えておきました。代わりにATMで済ませました。「日本で当初予定してた金額よりも多めのカナダドルの両替をして現金を保有しておいても良かったかな?」とは考えてはいますがとりあえず、何とかなりました。
 私がブリティッシュコロンビア州を旅行中において日本人観光客や現地在住の在外邦人には毎日のように出会いました。日本人と分かった理由は、会話してる内容が日本語だけでなくgood morning.と挨拶した後の発音でRの巻き舌を全然してないから日本人だと分かった事です。
性格も善悪に分かれました。挨拶をして良い会話が行えた善人だけでなく、蔑みたくなる無礼な悪人もいました。
 今回の海外旅行記は、幸せな人のお話です。 

カンボジア再び その2

at 2005 10/24 23:05 編集

彼らに礼を言って別れたあと、近くの広場に蝟集している屋台へ出かけた。昼間その屋台の一つで食事をした。母娘でやっているらしい。清潔とはいい難いが、ハエを追い払いながら食べたその小松菜と豚肉の炒め物に大根のスープはしみじみとうまかった。
「チュガン」(おいしい)と言うと、母親がにこっと笑う。外国人は珍しいのだろう、しきりに水を持ってきてくれたり、懸命にハエをうちわで追ってくれたり、おかわりはいらないかと何度も訊いてきた。その屋台に行ってみると、その時の娘が昼間とは見間違うほど化粧をし、着飾っている。勧められるままにフルーツと生ジュースを飲み、片言のクメール語で話した。近くの屋台からも人が集まってきて話がはずんだ。が、それがいけなかった。話題も尽きてしまったので、切りのいい時間に腰を上げる。何十メートルか歩くと、もう辺りは漆黒の闇だ。光の無い闇がこんなにも恐ろしいものだとは久しく思ってもみなかった。後ろを振り返ると屋台の一角が亡霊のように闇の中に浮かび上がっていた。僕は逃げるようにゲストハウスに帰った。
未明に腹痛が来た。痛みは間欠的に激しさを増してくる。そのまま、まんじりともしないで耐え、夜が明けるのを待ってゲストハウスを引き払う。地元民と白人バックパッカーでひしめくスピード・ボートに乗り込み、五時間半かけてプノンペンに戻った。船着き場からバイクタクシーでこのシアヌーク通りにある「レックス・イン」にチェックインした。部屋に入るとベッドに倒れ込む。こんなひどい下痢はインド以来だ。
「なんでこんな国に来てしまったんだろう」
天井を見つめながら自問してみる。すると突然、記憶の彼方に押しやっていたジョン・ダンの詩が天啓のように脳裏をかすめ、それは次第に実体となって現われた。
「奇なる眼を持ち生まれしならば
視えざる物も見にいくべし
一万の昼と夜を越え
時が君を白髪に変えるまで」
ベッドの上で苦笑する。僕は視えざる物を見ることを欲して、こうしてここまでやって来たのではなかったのか。体は重い。食欲は無い。近くにあるスーパー、「TOKYO INTERNATIONAL」でパンとジュースとミネラルウォーターを買ってはいたが、固形物はのどを通らない。それでも気力を振り絞り、ベッドから起き上がった。限られたわずかな滞在時間である。カンボジアまで来て一日中寝ているわけにはいかない。ふらつく足でホテルを出ると、通りは血液が沸騰しそうなほど暑かった。独立記念塔からノロドム通りを三キロほど北上するとワット・プノンという寺に突き当たる。この寺は十四世紀末にペン夫人が建立し、それがプノンペンという名前の由来となった。手前の道を右折すると、トレンサップ川沿いに中央郵便局がある。ここで日本の友人に手紙を出すために切手を買う。隣の窓口では葉書の束を持った中年の日本人女性が、まさに必死という感じのクメール語で職員としきりに何かを交渉している。ちらっと盗み見ると、日本語で書かれた年賀状だった。声を掛けようと思ったが、言葉を飲み込んだ。彼女がどのくらいの年月をプノンペンで過ごしているかはもちろん知らないが、僕には彼女が何かと闘っているように思えたからだ。僕がいくら何かを見ようと血眼になっていたとしても、物見遊山の旅行者に過ぎない。僕はただ通り過ぎて行くだけなのだ。(続く)
「OASIS」の「ROLL IT OVER」を聴きながら
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
いきなりですが、日本で食べる食事と海外で食べる食事はやはり衛生環境が全く違ってくるようです。いわゆる先進国での食事はまだしも、そうでない国での食事は良くない結果が待ち構えてるそうです。胃薬が本当に必要なようです。実は、ドリアン長野ではないのですが、ある日本人男性(某Sさん)が商用で台湾に赴いた時にお腹の具合が悪くなったそうです。
又、日本国内でも一部の町だけにおいて街灯が多いにしても夜間は基本的には闇という概念を持って行動しないといけません。LED懐中電灯が平成20年代になって市販されるようになりましたから今後はそれを保有して歩行されるのも悪くないと思います。無論、平成10年代でも旧来型の懐中電灯は、市販されていた。
 私がブリティッシュコロンビア州に行った時も屋台は多かったが購入は見送りました。 ブリティッシュコロンビア州のメトロバンクーバーでは人通りが多い表通りと関係者以外立ち入り禁止を感じさせる裏通りで道の明るさが全く違い前者は明るいが後者は暗かったです。
 ブリティッシュコロンビア州にチーズケーキエトセトラというお店が営業してます。基本的に夜間(現地時間)だけ営業してます。バスから降りて探す時も一種独特な明るさの中を探してました。店内もやや暗めでありましたが、従業員ばかりかお客さんが多く不思議なお店でした。店の外側には人通りが少なかったです。初回はバス停で現地在住の日本人女性3名と出会えました。二回目は、ホテルから歩いて往復しました。途中で高さ27.4メートルの橋を歩行したのは危険だったかもしれませんので皆様には推奨しません。
 店によって違うとは思うのですが、海外の夜の飲食店は日本国内とは違う怖さがあるようです。ただ、日本と海外の時差があって日本人にしたら日中の時間帯が海外では夜であったりしますから複雑な思いです。
カナダではサマータイム(日本との時差16時間)と冬時間(日本との時差17時間)を導入してるので一時間前後するがブリティッシュコロンビア州の午後7時から午前1時は、日本では午前11時(もしくは正午)から夕方五時(もしくは午後6時)になります。営業時間の概念は日本と海外は大きく違います。海外の飲食店の場合は閉店時間間際に行くと、サマータイムと冬時間の切り替えで失敗するかもしれないので余裕を持って赴くようにしましょう。

カンボジア再び その3

at 2005 11/02 23:09 編集

プノンペン滞在の最後の日。午後にはバンコク行きの便に乗らなければならない。もうこの国には再び来ることはないかもしれない。そう思った僕はこの街に最後の別れをしようと、「キャピトルゲストハウス」へと足を向けた。市内を南北に貫くメインストリート、モニボン通りは多くのホテル、旅行会社、レストラン等が立ち並び、ひっきりなしに流れる車とバイクの喧噪にあふれている。文化芸術省を右手に見て左折すると、バックパッカー御用達の「キャピトル」がある。シャワーとトイレ共同で三ドルで泊まることができる。一階には吹き抜けの食堂があり、日本人や欧米人旅行者のたまり場となっている。
「ハロー、キリングフィールドに行ってみないか。往復五ドルでどうだ?」
バイクタクシーのにいちゃんが声をかけてくる。
「友人を待ってるんだ」
うっとうしくなった僕はそう言って彼を追い払い、外のテーブル席に腰をおろした。この周辺は日没になると強盗が多発し、治安が悪い。それにもかかわらず、ここには様々な人間が集まってくる。旅の情報を求め、たむろする者。それを目当てに客引きをするバイクタクシー。アジアを放浪したあげく、「キャピトル」の狭く汚い独房のような一室でずるずると何か月も沈没する者もいた。そういった連中は一様に目つきが悪かった。社会に適応できず、日本を飛び出しアジア的寛容さに安住し、各地を放浪する。旅が五、六年と続くと(実際には十年以上旅を続けている者もいる)、それはもはや旅とは言えなくなる。非日常が日常となり、感覚が麻痺し、ついには摩滅してしまう。そうなれば日本に帰ろうと思っても帰れなくなる。いや、帰りたいといった気持ちさえ起こらなくなるといった方が正しい。別に帰らなくても本人の意志であれば他人が口を挟むことではないし、それはそれで僕なんかは尊敬の念さえ起きるのだが、この「キャピトル」にたむるする連中は重い沈殿物の如く怠惰で人生の貴重な時間を無為に食いつぶしているように思えた。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
人によっては日本に生まれても日本社会に適合が行えなくて海外移住を決断した人々がおられます。中には長期滞在を選んだ人々も多くおられるようです。一年の内、300日以上を海外で過ごし日本でないと行えない用事を済ませる時だけ帰国する人もおられるそうです。
物価が高い日本よりも海外で生活して楽しい人生を過ごされてるようですが一方でドリアン長野が指摘したように単なる怠慢な人もおられるそうです。
 カンボジア国内を終の棲家にした日本人もおられるようですね。


カンボジア再び その4

at 2005 11/11 23:21 編集

頭上に大きな盆をのせ、そこにピーナッツの袋を山ほど置いた物売りの少女が入ってきた。テーブルの間をまわりながら声をかけてゆく。一人の白人が立ち上がって1ドルを少女に渡した。少女はピーナッツの袋を渡そうとするが、彼は「いいよ、そのお金は取っておきなさい」と言うように頭を振る。僕は通りをぼんやりと眺める。バイク、屋台、物売り、往来で遊ぶ子供たち、賭けトランプに興じる男たち、それを店の前に出した椅子に座って日がな一日、眺めている老人。こんな光景はアジアのどの街でも見た。カルカッタでもホーチミンでもバンコクでも上海でも。喧噪と倦怠。無気力と熱気。全く暑い。インドネシアの強烈な陽と熱風を受けて座っていると、アジアの大地に溶けていくような、怠惰な世界に埋もれていくような、そんな自虐的な感覚に引きずり込まれるような昼下がりの。リヤカーを引く人夫。午睡する褐色の肌。暑い。行き来する褐色のカンボジア。渦巻き、交差する人、人、人。眼を閉じると旅の断片的な思い出が浮かんでは消える。
たとえば、プノンペン市内は街灯が極端に少ないので、午後六時にもなるとバイクや車のオレンジ色のテールランプが通りに浮かび上がる。それは息を飲むような幻想的な美しさであり、僕は黄昏が闇に変わってしまうまで飽かず眺めていた。
たとえば、半日、市内の観光案内をしてくれたバイクタクシーのダリー。イスラム教徒の彼はラマダーン中だった。年に一度、一か月のラマダーン期間は日の出から日没まで飲食はおろか、唾を飲み込むことも禁じられている。ダリーは日中の暑さの中でひっきりなしに唾を吐きながら市内を案内してくれた。二人で小高い丘にあるワットプノンに登り、そこから市内を一望した。ダリーは言う。
「UNTAC(カンボジア暫定統治機構)ができた頃はすごかった。アメリカからヨーロッパからアジアからいろいろな人間がやって来た。通りはそういう人たちでいっぱいだったよ」。僕は国内外の政治的な思惑に翻弄されたこの国の悲劇を思いつつ、通りをあふれる彼らの姿が目に見えるようだった。(続く)

管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
平成10年代のカンボジアの風景について連想する人もおられるかもしれません。写真の発表は行えないがドリアン長野が発表した海外旅行記を読むと、まるで目の前がカンボジアでその風景が存在するかのようです。
ピーナッツやピーナッツバターはおいしいから私は好きで頻繁に食べます。ピーナッツバターが人口ダイヤモンドの材料になるのも有名なお話ですね。白人男性が$1をピーナッツ売りの少女に提供したのは悲劇から立ち直る為の手助けがしたかったからに他ありません。
オレンジ色の光を発するLED等は電球色という名称で日本で販売されてます。
 今は平和を取り戻したカンボジア。人々は平和を享受してるようです。無論それは、UNTAC(カンボジア暫定統治機構)が存在し国の再建を決断した人々がいるから行えることです。権利と責任は存在する。そういえば、最近はカンボジア製の衣服が販売されるようになってきました。
厳しいようですが内戦は収まったがカンボジアとタイランドの国境紛争が平成20年以降発生していて多くの人々が懸念してるのも現実です。世界遺産プレアビヒア遺跡を巡る争いは深刻です。

カンボジア再び その5




at 2006 01/07 01:21 編集

たとえば、プサートゥールトンポン。通称「ロシアンマーケット」と呼ばれるこの骨董市場。一歩足を踏み入れると陽の射さない暗い市場に所狭しと骨董品の店が並ぶ。中は入り組んでいて迷路のようだ。大半は偽物なのだが、無数の金銀製品、民芸品、陶磁器等が無言の案内人のように招き入れる。奥へ進んで行くほど外世界の喧噪は消え、どこをどう歩いているのかも分からなくなる。店先にいる老婆たち。何百年も前からそこに居るかのように泰然と僕を見据える。僕は人が営み、延々と続く生活に想いを馳せ、慄然となる。
たとえば、アンコールトムで遭った子供たち。少年は勝手にガイドを始め、少女はフィルムやガイドブックを売りつけようとする。どこの遺跡に行っても子供たちは狙撃兵のように次から次へと姿を現わす。十二、三歳くらいの少年がとても流暢な英語で説明を始めた。プノンペンは英語熱が盛んで英語塾が乱立しているのだが、それにしても彼の語学力は驚異的だ。生きるために、家族に食べさせるために必死で学んだのだろう。ガイド料として二ドルを渡すと、「ありがとう」と受け取り、消えるようにどこかへ行ってしまった。
そして元高校の校舎を転用したトゥールスレン博物館。かつてポルポト政権下に約二万人が収容され、生還できたのはわずかに六人だけだという。反革命分子と見なされた人々は家族とともに捕われ拷問を加えられた後、処刑されていった。文革と同様、多くは罪なき人たちであり、子供や老人、女性も数多く含まれていた。ポルポトの残虐行為を伝える博物館として一般公開されている。独房にはマットのないベッドが置かれ、タイル張りの床には血痕が今でも染みとなって残っている。あとは排泄用の小さな箱があるだけで、犠牲者は手足を鎖で繋がれ殺されていった。別の校舎、C棟の一階と二階には窓のない部屋に煉瓦を無造作に積み上げられて作った一畳ほどの独房がある。水も食事も与えられずに閉じ込められた彼らは何を思い、死んでいったのか。死の恐怖や苦痛とどのように闘ったのか。もし彼らが僕だったら? 彼らはあの時代にカンボジアに生まれ、僕は日本に生まれた。ただそれだけのことだった。僕と女性の係員の他は見学者は誰もいない。あたりは気味が悪いほど静まりかえっている。B棟にはおびただしい数の顔写真が壁一面に貼付けてあった。処刑前に収容者を撮影していたのだ。何のために死にゆく者たちの記録を残していたのかポルポトが死んだ今となっては謎のままだ。どれも恐怖に引きつったという顔ではなく、全てを諦めたような、諦観したような表情だった。
案内の女性は大学生かと思っていたが、高校生だそうだ。
「大学には行くつもりですか」と聞くと、「いいえ」とだけ言って悲しそうに顔を伏せたが、最後に「カンボジアは暗黒の時代を経て、復興に向かって進んでいます。未来は明るいでしょう」と答えてくれた。
大晦日の前日にぶらぶらと歩いていると、学校に突き当たった。校庭には制服を着た何百人という子供たちが集まっている。小学生から高校生まで同じ校舎で授業を受けているらしい。少しすると彼らの下校時間にぶつかった。バイクで帰宅する高校生やシクロに乗って帰る小学生たち。屋台で買い食いする子供たち。その熱気を捉えようと夢中でカメラのシャッターを押した。
「裏(うち)に向かい外に向かって逢著せば便(すなわ)ち殺せ
仏に逢うては仏を殺し
祖に逢うては祖を殺し
羅漢に逢うては羅漢を殺し
父母に逢うては父母を殺し
親眷に逢うては親眷を殺して
始めて解脱を得ん
物と拘(かか)わらず透脱自在なり」
(臨済宗 示衆の章)
管理人マーキュリーマークの感想文と皆様への伝達事項
どっちかと言うと真面目なお話から始まった今回の海外旅行記。発表されたのが平成18年ですから平成10年代のカンボジアの情勢を発表されてますね。狙撃兵は基本的には隠れた上で敵兵を射殺するから事情を知ってる人が読むと状況の認識が行えていないから爆笑する人もいるかもしれません。それはともかく、あのポルポトが行った悪事は同じ人間とは思えません。平成20年代になってカンボジアについてのテレビ番組等の放映回数は平成10年代と比較して激減したと思いますが今でも多くの人々に悲しみを与えてます。昨今では、カンボジア製の衣服が多く販売され日本も輸入してますから経済復興は成功してると考えます。日本も今後、無秩序にならないような社会を形成し維持継続する必要がございます。
 平成10年代の小学生達は今、大半が大人になってますね。


彼女は18歳だった。
書評 君の膵臓をたべたい 住野 よる 
2016/10/20(木) 午前 0:38 
山内桜良(さくら)の葬儀でこの物語は始まる。(ゆえにネタバレではない)。彼女は18歳だった。
「僕」は彼女に質問する。
「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」
「生きるっていうのはね。きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。誰かを認める、誰かを好きになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手をつなぐ、誰かとハグする、誰かとすれ違う。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きている。まだ、ここに生きている。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」
僕と君とは正反対の人間だと思っていた。しかし本当は僕と君とは合わせ鏡のようなものだったんだ。そして、……「君の膵臓を食べたい」
二度読んで二度とも泣いた。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1139558999465001?notif_t=notify_me¬if_id=1476889523006807

管理人マーキュリーマークよりご連絡 平成28年10月 
2016/10/24(月) 午後 2:56 

管理人マーキュリーマークから皆様への伝達事項


昨今、皆さんも色々な艱難辛苦を体験されておられるでしょうから同情します。地震等の災害で健康で文化的な生活が阻害されてるがゆえに困ってる人は多いです。安寧秩序を保持した上での生活をしていくことは重要です。その為には何が必要か?相手の立場を尊重する事が含まれると思います。災害等によって作られた試練の影響もあって、行動については厳選するようになったのが現状です。ドリアン長野は鳥取県米子市の出身です。鳥取県中部地震では米子市でも揺れた模様です。負傷者の方々の一日も早いケガの回復並びに一日も早い復旧を願ってやみません。


今日は大阪マラソン 平成28年10月  
2016/10/30(日) 午後 11:59

今朝6時前に起きて、ふと思った。今日は大阪マラソンか。今日は走るつもりはなかったが、様子を見るために大阪城までランニングへ出かける。3万人以上が走るとあって芋の子を洗うようなランナーたち。さすがにこの日に大阪城公園をランニングしているのは自分一人だけ。
待機しているランナーに触発されて10キロ53分のベストタイムが出た。
昨日の大阪城河川敷を走る20キロランのとき、前を走る60歳代のランナーがフォームを崩さず、スピードを落とさず、黙々と(当たり前だけどね)走っていた。その背中を見ていると、アトランタとシドニーオリンピックでのバタフライ金メダリスト、スーザンオニールのことをふと思い出した。彼女は「静かなる暗殺者」といわれ、今までの世界記録を19分も短縮する記録を出した。
その彼女が告白している。
「競技に勝って表彰台に上がるのを恐れていた。それはみんなの注目を浴びることを意味するから」
彼女はSAD(社交不安障害)だからだ。
彼女にとって競技とは人の注目を浴びることでもなく、賞賛を得るためでもない。ただ、自分の限界を知るため、自分との戦いのためだ。
私にとって走るのはスポーツではなく、武道的なものに近い。自分の弱さに打ち勝つための戦いのようなものだ。だからもっと歳とってヨボヨボになっても、きっと走っているだろう。




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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットの
プールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花