2019年6月9日日曜日

平成28年8月yahooブログの投稿

人の将来 平成28年8月  2016/8/2(火) 午後 3:06
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1074003832687185?pnref=story

船木誠勝が中学卒業後、プロレスラーになるために上京させてくださいと母親に頼んだ。プロレスはお前のやることではないからやめてくれと泣いて頼む母親に船木は言ったそうだ。
「もし人生が二度あるならば一度はお母さんの言うとおりにします。でも一度しかないのだから僕の思うとおりにさせてください」

みんながみんなやりたい仕事に就けるわけではありません。やりたい仕事に就けなくても幸せに生きるのは可能です。全く同意します。同時に自分の求めていることがあれば、それに向かって努力するのは幸せだと思います。それが周りの幸せにつながるでしょう。本当に目標を達成できる人は周囲にも心を向けることのできる人だと思います。恐縮です。

管理人マーキュリーマークから皆様への伝達事項
本日は特別です。コメント欄でそれなりに議論になってましたが、私はこの意見をこの場でします。要するに法務、実務、財務の面から鑑みて良いか悪いかは考察されます。そればかりかその事業の将来性等を鑑みると難しいです。職業の選択というものは二十歳を超えてるかどうかで大きく変わってきます。私の知り合いは親御さんがしていない仕事に従事されてます。
90年代に「パソコン事業等はもう成長が限界であろう。」と発言してた人がいましたが実際には試練があったにせよ市場規模は拡大してます。過去にはそれなりに儲かっていた漁業は乱獲で厳しい時代を迎えてると言われております。過去には大企業と言われてた企業が今日においても大企業でしょうか?企業の栄枯盛衰は激しいです。警戒しないといけないのは悪質な妨害です。利己主義な観点からワガママを言い続けてステーク内のワード(教会)を閉鎖に追い込んだ人がいましたがそれは本当に悪い事でした。

平成の時期に視聴が行えても令和になってから視聴が行えなくなった動画の紹介は控えるか代替のホームページを紹介するようにします。
献血者が少ないのでご協力お願いします。  2016/8/6(土) 午後 3:24


献血者が少ないのでご協力お願いします。
阿倍野ワード

年齢制限があるんですね(°_°)

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1077611202326448&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&permPage=1

「こどもおぢばがえり」の日  2016/8/7(日) 午前 9:30

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1077899848964250?pnref=story

「こどもおぢばがえり」の日
奈良県天理市にある天理教の「ぢば」。
ぢばとは天理教でいう人類創造の地であり、夏休みには五日間でこどもたちを含めた25万人もの人が全国から集まるそうだ。いつもは閑散とした天理商店街に溢れる人々を見てみたい。
どうせならマウンテンバイクで行ってみようじゃないか。スマホアプリで調べたら自宅から40キロ、3時間弱で着くな、楽勝じゃないかと思っていた。しかしながらそこには大きな陥穽があったのだった。

自宅からほぼ一直線、1時間で東大阪にある聖地、花園ラグビー場へ。写真では分かりづらいが、かなり立派。

そこから坂道を登っていき、国道308号。
大阪府と奈良県の県境にある暗(くらがり)峠の入り口。ここは国道としては日本一の激坂であり、別名酷道として地図では自動車通行困難と記載されている。

「暗峠越えの峠道は国道(国道308号)に指定されているとはいえ、自動車で通行するのは困難なほど道幅は狭く、頂上付近では民家の軒先をかすめながら通行する箇所も存在する。大阪側ではきつい所で最大傾斜勾配31%[2]の急勾配がS字カーブになっており、慣れない者が走行すると登りきることができず立ち往生するほどともいわれる。ヤマハ電動アシスト自転車PAS激坂チャレンジNo.1のイントロでのきつい所の傾斜計での簡易測定では、傾斜角度26度 (勾配48.7%) であった。」

Wikipediaから引用。

もうこの時点でマウンテンバイクに乗って登ることが出来なくて、降りて押しながら登る。

暗峠を一度も足を着かずに登りきったマウンテンバイカーはその栄誉を褒め称えられ、一生をその栄光と共に生き、年寄りになっても孫に「おじいちゃんは若いときにあの暗峠を登りきったんじゃ」と何度も自慢し、嫌われるという。
その栄誉ある称号を勝ち取るために全国から強者バイカーが挑戦しに集まるが、成功するのは競輪選手くらいなものだろう。

「くわがたや 暗峠で 力尽き」

途中でこんな風景の場所もありますが、約4キロの距離をほとんど押しながら1時間かけて登る。汗が滝のように流れ落ち、心臓が何度も止まりかけた。

右手奥に見えるのが終点にある峠茶屋「すえひろ」。愛想のいいおばちゃんが、「あんた、よう登ってきたなあ」と褒めてくれます。

あとは下りトンネルを抜け快適だと思っていたら…第二の山越えが〜〜
急流が全てを物語っています。(泣)

15ラウンドを戦い終えたボクサーのようにヘロヘロになって天理市着。
4時間半かかりました。
天理商店街は京都の新京極並みに賑わっていました。
せっかくだから参考館で体力温存のために世界各国の展示物をじっくり鑑賞。帰りのことを考えると憂鬱です。
パレードも花火もパスして商店街のスーパーで水分を購入、4時半に出発しました。

生駒山中で日が暮れたら、と考えると必死です。大阪側の下り坂は急過ぎて押しながら下りました。ギリギリ日暮れに間に合った〜〜❗
摂った水分はトータル5リットル。

9時過ぎに自宅着。
よほど疲れた顔をした不審者に思われたのかマンションの駐車場に着くなり、○○○ーが止まり、2名の○○に○○(泣)。
ばかやろ〜〜❗

ああ、これが小学生だったら夏休みの日記に今日のことを書いて花マルだったのに、
ちゃんちゃん。















書評 平成28年8月  2016/8/8(月) 午後 7:58

「ドアーズ」のファーストアルバムのライナーノーツにこんな言葉があったのを今でも覚えている。「もしあなたがドアーズを聴いたことがないというなら、あなたは人生で大切なものを失っているのに違いない」。
竹宮恵子「風と木の詩」、萩尾望都「トーマの心臓」を読んでいなかったら…
寺山修司は当時、「これからのコミックは『風と木の詩』以前.以後という呼び方で、変わってゆくことだろう」と言った。
後に大泉サロンと呼ばれる、練馬区大泉の長屋で共同生活をする竹宮恵子と萩尾望都。まるでジョンとポールのような奇跡的な邂逅、そして別離。
少女マンガのタブーを打ち破るために努力を続け、着想から6年目でやっと掲載された「風と木の詩」。
京都精華大学教授であった(現在は学長)彼女の言う、「教えるというのは、その人に気付いてもらうということだ。これはマンガも一緒だと思う。自分が描いているマンガが面白いということを、読者が発見したかのように描く。」は非常に示唆に富む言葉だと思う。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1079229145497987?notif_t=notify_me¬if_id=1470652338909280

今日も走りました 平成28年 山の日  2016/8/11(木) 午前 10:21

今日も走りました

休日の6時半
本町通り
誰もいません。

大阪商工会議所
初代会頭と七代会頭

隣にある若松稲荷神社

中之島を抜けて

川べりのランニングコースへ

ライオン像

北浜に来ました

適塾。大阪大医学部と慶応義塾大学の源流ですね。

当代随一のオランダ医学者の緒方洪庵先生の元には青森県と沖縄県を除く全国から塾生が馳せ参じました。寄宿部屋である大部屋に塾生は布団一枚のスペースを与えられ、成績順にそのスペースを確保することができました。大部屋の中央に柱傷があり、塾生が斬りつけた刀傷が残っています。
「ごちそうさん」のロケの合間に訪れた東出昌大さんも感銘を受けたそうです。

隣にある愛朱幼稚園。
1880年開園、現存する幼稚園としては大阪府内では最も古い歴史をもち、また日本でも2番目に古い歴史をもつ。現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古、また民間の手によって建てられた幼稚園としても日本最古となっています。

うらやましいなあ、ここの幼稚園児

「陽だまりの樹」でも描かれていますが、手塚治虫の曾祖父の手塚良仙も適塾で学びました。

古い建物を利用した基督教会

船場センタービルの向こうが問屋や小売店の集まる丼池ストリート。ターバンを巻いたインド人がよく歩いています。

















ご連絡 特別にスノーライオンについてドリアン長野が投稿した記事を転載します。

敬具 管理人マーキュリーマーク
スノーライオン(新作) 平成26年11月  2014/11/22(土) 午後 10:30

https://www.facebook.com/snowlion88

日本で唯一亡命チベット人の経営するチベットレストランが大阪市西区新町にある。オリックス劇場(旧厚生年金会館)のすぐ側。
「スノーライオン」とはチベット仏教に出てくる神聖な動物。中国、チベット問題に詳しいジャーナリストの有本香さん(関西テレビ、ニュースアンカー火曜日に出演)の友人であり、チベット支援を続けておられるあぼともこさん(FB友達になっていただいた。あぼさんが素晴らしいのはチベットをイデオロギーではなく、情で支援しているとおっしゃるところ https://www.facebook.com/tomoko.abo)がお勧めのレストラン。今年の3月にオープンした。
中に入るとチベット仏教の宗教具や調度品が所狭しと飾られ、座敷はまるでチベットの民家に招かれたようだ。チベット料理を食べるのはネパールでチベット人が経営するゲストハウスに泊まって以来だが、チベットうどんのトゥクパもチベット餃子のモモも非常に美味しかった。チベットに小旅行したような、一度行ったらまた行きたくなるような居心地のいい場所だった。










西区 新町にある全国唯一亡命チベット人が経営するチベットレストラン「スノーライオン」。ここまでで10キロ。
2016/8/12(金) 午後 4:02


「戦争と僕」サンボマスター /カバー by 前田泰孝(Yasutaka Maeda)
2016/8/16(火) 午前 11:36


叫ぶ詩人の会 Love&Peace  2016/8/29(月) 午後 10:26


「ただ黙って泣いている子の怒りは
強い男の叫びより はげしく もっと苦しい」
The child's sob in the silence
Curses deeper than strong man in his wrath
Elizabethe Barrette Browning
今日もどこかで子どもが殺されている



“残念な県”自虐ネタの鳥取に移住者急増のワケ(16/08/29)  2016/8/31(水) 午後 8:22


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回顧を兼ねた書評 令和二年三月


僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花