2019年6月16日日曜日

講演会 令和元年6月

大阪市西区堀江はカフェ、各国のレストラン、インテリア雑貨店、セレクトショップなどが立ち並ぶ。ここに住むのが憧れであり、一種のステイタスだと言う。その堀江の中心地オレンジストーリートのマンションで2010年事件は起きた。

幼児二人をマンションに監禁し、若い母親は育児放棄して自宅に帰らなかった。 その年も記録的な暑さで幼児二人は食事も与えられず、自分たちの排泄物さえ口にしたと言う。 発見されたときは腐敗が進み、一部白骨化していた。 公判を傍聴した島田さんは被告がぶるぶると震えていた、と言う。

「虐待の淵を生き抜いて」というのは島田さんの著書の題名でもある。

継母と実父に六年間壮絶な虐待を受け、二度死にかけた。 ある日、父親に風呂場で髪の毛を掴まれ、顔をバスタブに突っ込まれて溺死させられそうになる。 薄れる意識の中で、その時に島田さんは「これでもうお父ちゃんは虐待をしなくてすむんだ」と思ったそうだ。

悲惨な体験をにこやかに話される。

島田妙子さんは171㎝の長身。 真冬に赤いコートを着て天神橋商店街を歩いていたら、見知らぬおばちゃんから「あんた、東京タワーみたいやなあ」と言われてさすが大阪やなあ、と思ったそうだ(笑)。 島田さんは神戸市北区鈴蘭台生まれ。

小学生の時体操教師のマッハ先生(女子プロレスラーのマッハ文朱に似ている)が虐待に気づき、妙子ちゃんに問いただした。大人を信用してなかった妙子ちゃんはずっと虐待されていたことを黙っていたが、先生の「もうお父さんを楽にしてあげようや」と言われてハッとする。 先生は父と継母を学校に呼んで大声で叱責した。 その時に先生が言った「今までやったことは仕方がない、過去のことはいいですから」という言葉が妙子ちゃんの心に残り、大人になってからも虐待をしている親に同じことを言っているそうだ。

結婚して三人の子供を授かるが、一人の男の子はアスペルガー症候群で、重度の認知症の舅と姑を介護しながら会社経営、鬱の寸前まで行った。 島田さんは言う。 「虐待される子供たちはもちろんだが、加害者の親も救済しなければならない」 これには目からうろこが落ちた。 島田さんは堂々としてユーモアを交えながら話す。 しかし今でも昔を思い出すと手が震えるそうだ。 壮絶な記録である。 興味がある方は是非一度して欲しい。 #島田妙子 #オレンジリボン

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花